その一族の狂熱という狂熱が、すべて、サンテーズ家の最後の人間であったその子の身に伝えられてでもいるようでした。その子はいつ見ても物思いに耽っておりました。そして、館から森へ通じている広い楡の並木路を、たッたひとりでいつまでもいつまでも、往ったり来たりして歩いているのです。私はよく部屋の窓から、この感傷的な少年が、両手を腰のうしろに※して、首をうなだれて、淋しそうな足どりで歩いている姿を見かけました。少年は時折り立ちどまって眼をあげるのでしたが、何かこう、その年頃には相応しくないものを見たり、考えたり、感じたりしているようでした。
第 2 章
月のあかるい晩などには、夕食がすむと、彼はよく私に向ってこう云いました。
「従姉さん、夢をみに行きましょうよ――」 私たちは庭へ出ました。
林のなかの空地の前まで来ると、あたりには白い靄がいちめんに立っておりました。
林の隙間を月が塞ごうとするかのように、綿のような靄がいちめんに漂っておりました。
すると、その子は出し抜けに立ちどまって、私の手をにぎり緊めて、こう云うのです。
「あれを御覧なさい。あれを――。でも、従姉さんには僕というものがよく解ってないんですね。僕にはそう思えます。従姉さんに僕が解ったら、僕たちは仕合せになれるんだがなア。解るためには愛することが必要です」 私は笑って、この子に接吻をしてやりました。
この子は死ぬほど私に思い焦がれていたのです。
また、その子はよく、夕食のあとで、私の母のそばへ行って、その膝のうえに乗って、こんなことを云うのでした。
「ねえ、伯母さま、恋のお話をして下さいな」 すると私の母は、たわむれに、昔から語り伝えられて来た、一家のさまざまな話、先祖たちの火花を散らすような恋愛事件をのこらず語って聞かせるのでした。
なぜかと云いますと、世間ではその話を、それには本当のもあれば根も葉もない嘘のもありましたが、いろいろ話していたからでした。
あの一家の者は皆な、そうした評判のために身をほろぼしてしまったのです。
彼らは激情にかられて初めはそう云うことをするのでしたが、やがては、自分たちの家の評判を恥かしめないことをかえって誇りとしていたのです。
その少年はこうした艶ッぽい話や怖しい話を聞くと夢中になってしまいました。
そして時折り手をたたいたりして、こんなことを幾度も云うのでした。
「僕にだって出来ますよ。その人たちの誰にも負けずに、僕にだって恋をすることが出来ますよ」 そうしてその子は私に云い寄りました。
ごく内気に、優しく優しく云い寄ったのでした。
それが余り滑稽だったので、皆な笑ってしまいました。
それからと云うもの、私は毎朝その子が摘んだ花を貰いました。
また、毎晩、その子は部屋へあがって行く前に私の手に接吻して、こう囁くのでした。
「僕はあなたを愛しています!」 私が悪かったのです、ほんとうに私が悪かったのです。
いまだに私はそれについては始終後悔の涙にくれるのです。
私は生涯その罪の贖いをして来ました。
こうして老嬢をとおしております。
いいえ、老嬢と云うよりも、婚約をしたッきりの寡婦、あの少年の寡婦として通して来たと申したほうが好いのでしょう。
私はその少年のあどけない愛情を弄んだのです。
それを煽り立てさえいたしました。
一人前の男にたいするように、媚を見せたり、水を向けたり、愛撫をしたりしました。
それにもかかわらず、私は不実だったのです。
私はあの子を気狂のように逆せあがらせてしまいました。
私にしてみれば、それは一つの遊びだったのです。
また、それは、あの子の母にとっても私の母にとっても、愉しい気晴しだったのです。
何にせよ、その子はまだ十二なのですからね。
考えてもみて下さい。
そんな年端もゆかぬ子供の愛をまにうける者がどこにあるでしょう!
私はその子が満足するだけ接吻をしてやりました。
優しい手紙も書きました。
その手紙は母親たちも読んでいたのです。
その子は火のような手紙を書いて返事をよこしました。
手紙はいまだに蔵ってあります。
その子はもう一人前の男のつもりでいたので、自分たちの仲は誰も知らないものだとばッかり思っていたのでした。
私たちはこの少年のからだをサンテーズ家の血が流れているのだということを忘れていたのです!
かれこれ一年の間、こういうことが続きました。
ある晩のことでした、少年は庭で出し抜けに私の膝のうえに倒れかかって来て、狂気のような熱情をこめて、私の着物のすそ接吻をしながら、こう云うのです。
「僕はあなたを愛しています。恋しています。あなたを死ぬほど恋しています。もし僕をだましでもしたら、いいですか、僕を棄ててほかの男とそういうことになるようなことでもあったら、僕はお父さんのしようなことをやりますよ――」 そして、少年はまた、私が思わずぞッとしたほど深刻な声で、こうつけ足して云うのでした。
「ご存じでしょうね、お父さんがどんなことをしたか」 私がおどおどしていると、少年はやがて起ち上って、私よりも背丈が低かったので、爪さきで背伸びをするようにして、私の耳もとに口を寄せると、私の名、それも呼名を、優しい、親しげな、美しい声で「ジュヌヴィエーヴ」と囁くので、私は水でも浴せられたように、背筋がぞうッとしました。
私は口ごもりながら云ったのです。
「帰りましょう。さ、帰りましょう!」 すると少年はもうなんいも云わずに、私のあとについて来ました。
が、私たちが入口の段々をあがろうとすると、私を呼びとめて、「よござんすか、僕を棄てたら、自殺をしますよ」 私も、その時になって、冗談がちと過ぎていたことにようやく気がつきましたので、それからは少し慎しむようにしました。
ある日、少年はそのことで私を責めましたので、私はこう答えたのです。
「あなたはもう冗談を云うには大きすぎるし、そうかと云って真面目な恋をするには、まだ年がわか過ぎてよ。あたし、待っているわ」 私はそれでけりがついたものとばッかり思っていたのです。
秋になるとその少年は寄宿舎に入れられました。
翌年の夏にその少年が帰って来た時には、私はほかの男と婚約をしておりました。
その子はすぐにそれを覚って、一週間ばかりと云うもの、何かじッと思い沈んでおりましたので、私もそのことをだいぶ気にかけていたのです。
九日目の朝のことでした、私が起きますと、扉の下から差込んだ一枚の紙片があるのが目にとまりました。
拾いあげて、開いて読みますと、こう書いてあるのです。
あなたは僕をお棄てになりましたね。
僕がいつぞや申し上げたことは、覚えておいででしょう。
あなたは僕に死ねとお命じになったのです。
あなた以外の者に自分のああしたすがたを見つけられたくありませんので、去年、僕があなたを恋していると申し上げた、庭のあの場所まで来て、うえを見て下さい。
私は気でも狂うかと思いました。
取るものも取り敢えず、あわてて着物を著ると、私は云われた場所まで駈けて行ったのです。
私は駈けました、力つきて倒れてしまうほど駈けました。
その子の小さな学帽が泥だらけになって地面に落ちていました。
その晩は夜どおし雨が降っていたのです。
私は目をあげて上を見ました。
と、木の葉のなかで何か揺れているものがあります。
風があったのです。
かなり強く風が吹いていたのです。
私はそれからどうしたのか、もう覚えがありません。
私はきゃッと叫んでから、おそらく気を失って倒れてしまったに違いありません。
それから、館へ駈けて行ったのでしょう。
気がついた時には、私は自分の寝室に身を横たえていたのです。
私の枕もとには母がおりました。
私はそうした事がすべて、怖ろしい精神錯乱のうちに見た悪夢だったのだと思ったのです。
そこで私は口ごもりながら云いました。
「あ、あ、あの子、ゴントランは?――」 けれども返事はありませんでした。
夢ではなくて、やッぱり事実だったのです。
私はその少年の変り果てた姿をもう一度見ようとはしませんでした。
ただ、その子の金色の頭髪のながい束を一つ貰ったのです。
そ、それが――これなのです」
そう云って、老嬢は絶望的な身振りをして、わなわな顫える手を前にさし出した。
それから幾度も幾度も洟をかみ、眼を拭いて、こう云うのだった。
「私は理由は云わずに、婚約を取消してしまいました。そして、私は――私は今日までずッと、十三歳のその少年の寡婦を通してきたのです」 彼女はそれから顔を胸のあたりまでうな垂れて、いつまでもいつまでも、淋しい涕をながして泣いていた。
一同が部屋へ寝に引上げてしまうと、彼女の話でその静かな心を乱された、でッぷり肥った一人の猟人が、隣にいた男の耳に口を寄せて、低声でこう云った。
「せんちめんたるもあすこまで行くと不幸ですなあ!」