夢の如く出現した彼

第 1 章/1

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第 1 章

【テキストてきすと中なかに現れるあらわれる記号きごうについて】

：ルビるび（例れい）そん処ところ

：入力にゅうりょく者もの注ちゅう　主におもに外字がいじの説明せつめいや、傍点ぼうてんの位置いちの指定してい（例れい）しま

燃えもえ上っのぼった十じゅう年ねん、作家さっか生活せいかつの火華ひばなは火華ひばなを産さんンんで、花火はなび線香せんこうの最後さいごに落ちるおちる玉たまとなって消えきえた夢野ゆめの久作きゅうさく、その火華ひばなは、今いま十じゅう巻まきの全集ぜんしゅうとなって、世よに出ようでようとしている。

久作きゅうさくさんを知っしったのは何時なんじの頃ころからかは、はっきりしない。

何なんでも幼いおさない頃ころからで、産れうまれながらに知っしっていたような気きもする。

「夢野ゆめの久作きゅうさくってのが、頻りしきりに探偵たんてい小説しょうせつの様ようなもの――事実じじつ探偵たんてい小説しょうせつの様ようなものであって、そん処ところそこらにある様ような、単なるたんなる探偵たんてい小説しょうせつとは、およそその類るいをことにしているのである。久作きゅうさくさんは、何なんんでも、彼かれでも、探偵たんてい小説しょうせつにせずにはおかないと云っいった、熱ねつと、力量りきりょうは自分じぶん乍らながらも相当そうとう自身じしんがあっただけに、探偵たんてい小説しょうせつなるものを芸術げいじゅつ的まとに、文学ぶんがく的まとに、グウぐうとレベルれべるを引いん上げあげたのである。つまり、何処どこから見みても立派りっぱな芸術げいじゅつ的まと文学ぶんがくとまで発展はってんさせていたのであるから、これまでの探偵たんてい小説しょうせつに馴さならされていた者ものには、実じつに探偵たんてい小説しょうせつの様ようなものであったのである――を書いかいている奴やつがあるが、あらァ誰だれかいネね。古いふるい博多はかたの事ことばよう知ちッっとるし、なかなか好いよい、博多はかたのモンもんとありゃ、一体いったい誰だれじゃろうかい」等とうと、次兵衛じへえ達とおるや、田舎いなか芸術げいじゅつ家いえ達とおるの間まに、サンザンさんざん首くびをひねらしたものである。

それから半歳はんとしも過ぎすぎた頃ころ、筆者ひっしゃはたまたま郷里きょうり博多はかたへ帰っかえっていた。

旅行りょこう好きすきの次兵衛じへえがひょっこり旅たびから帰っかえって来きて、「おい、夢野ゆめの久作きゅうさくって解っわかったよ。あらぁ杉山すぎやまの直樹なおきさんたい」とは、久々ひさびさの挨拶あいさつもそっちのけの言葉ことばであった。

と云ういうわけはこうである。

生活せいかつに追いおい立てたてられて旅たびに出でた次兵衛じへえが、纔わずかに温まっあたたまった懐ふところをおさえて、九州きゅうしゅうの青年せいねんの多くおおくが、その青雲せいうんを志しこころざし成功せいこうを夢みゆめみて、奔流ほんりゅうする水道すいどうを、白波しらなみたつ波頭なみがしらを蹴散らしちらし蹴散らしちらし、いささかのセンチせんちを目めに浮べうかべて、悲喜ひき交々こもごも、闘志とうしを抱いいだいて渡るわたる関門かんもんの海峡かいきょうを、逆ぎゃくに白波しらなみを追っおっていた連絡れんらく船ふねの中なかで、夢野ゆめの久作きゅうさくの正体しょうたいを発見はっけんしたのである。

「オオおお、ジッじっちゃんじゃないか、此これ頃ころあたしゃ、こげえなこと、しよりますやなァなぁ」と、額がくから鼻はな、鼻はなから頤おとがいまで暫くしばらくある、名代なだいの顔かおに、恥はじい乍らながらも誇ほこりをひそめて、眼めを細くほそくし乍らながら、長いながいことにおいては又また久作きゅうさくさんと負けまけず劣らおとらずの馬面うまづらで共ともに有名ゆうめいな、チョビ髭ちょびひげの尖っとがった頤おとがいとの一いち対たいの対面たいめんは世よにも見事みごとであったろう。

その馬面うまづらに突きつきつけられた雑誌ざっしが、此れこれまでサンザさんざ首くびをひねらせた新しん青年せいねんの夢野ゆめの久作きゅうさくものするところの、あの古ふる博多はかたの川端かわばた――筆者ひっしゃの産れうまれた――あたりと櫛田くした神社じんじゃの絵馬えま堂どうを織りおり込こみンんだ『押絵おしえの奇蹟きせき』だったのである。

久作きゅうさくさんはかくして名な探偵たんてい作家さっかとして突然とつぜんにも、夢ゆめの如くごとく現れあらわれて来きたのであった。

筆者ひっしゃがまだ郷里きょうりの商業しょうぎょう学校がっこうの生徒せいとであった頃ころ、最近さいきんも穿いはいておられたのを見るみるとよ程ほど好きすきであったらしい灰はい色いろのコールテンこーるてんズボンずぼんに違っちがった上着うわぎで、相撲すもうの強かっつよかった大男おおおとこのＫさんと、奥さんおくさんもたまには来きられた様ようであったが、香椎かしいの山奥やまおくで作っつくったと云ういう水密すいみつ桃ももだの梨なしだの葡萄ぶどうだのを市場しじょう――筆者ひっしゃの父ちちは青物あおもの果実かじつ問屋とんやの親爺おやじであった――へ持っもって来きられていたのをよく知っしっている。

その頃ころ久作きゅうさくさんは農民のうみんであった。

而もしかも露西亜ろしあ好きすきの農民のうみんの様ようであった。

あの杉山すぎやまさんが夢野ゆめの久作きゅうさくであったのかと思えおもえば夢ゆめの様ようでもあり、ない様ようでもある。

それから間まもなく、ルパシカるぱしかに長靴ながぐつ、馬上ばじょうゆたかにと云ういうのかどうかしらないが威風いふう堂々どうどうとゆられつつ、謡いうたいつつの奇妙きみょうな新聞しんぶん社しゃ通いかよいが始っはじまった様ようであった。

農民のうみん時代じだいから文字もじ通りとおり理想りそう的まとな晴耕せいこう雨読うどくか、それとも晴はれ読よみ雨あめ書しょなのか、姿すがたこそ農民のうみんであっても、一たんいったん彼氏かれしの部屋へやには入れいれば、萬よろず巻まきの書しょに足あしの踏場ふみばもなかったとは次兵衛じへえがよく話しはなしていた。

あの長篇ちょうへん快作かいさく『ドグラ・マグラどぐらまぐら』も此の頃このごろから書きかき始めはじめられたのではあるまいか。

久作きゅうさくさんは又また非常ひじょうな情熱じょうねつ家いえであった。

かつて久作きゅうさくさんや次兵衛じへえ達とおるによって短歌たんか会かいが持たもたれていた頃ころ、たまたま散策さんさくには少しすこし寒いさむいが晩秋ばんしゅうの月つきのいい日ひに香椎かしいの山やまで会かいが持たもたれて、一同いちどうは久作きゅうさくさんの山家さんかで気勢きせいを上げあげたそうである。

飲むのむ程ほどに喋舌るしゃべる程ほどに、熱ねつを上げあげ、降りふりしきる虫むしの声こえも眠るねむる頃ころに及およびンんでやっと三さん人ひとかたまり五ご人ひと集っつどって、三里さんりの道みちを博多はかたへと帰りかえり始めはじめたとお思いおもい下さいください。

勿論もちろんその時分じぶん乗りもののりものが有ろうあろう筈はずもない。

然るしかるに湧きわき返るかえる青年せいねん達とおるの血潮ちしおは玄海げんかい灘なだから吹きふきつける肌寒いはださむい夜よる風位ふういいには驚きおどろきません。

歌論かろんは歌論かろんへ、秋月あきづきは歌心うたごころへ、帰りかえり行くいく友ともを送っおくってそこらまでの心算しんさんがやがて博多はかたの街まちつづきである箱崎はこざきになんなんとする地蔵じぞう松原まつばら――二に里さと余よもつづく千代ちよの松原まつばらの一部いちぶ、ここには米べい一丸いちがんの墓はかがあって、人魂ひとだまが飛ぶとぶと云わいわれた淋しいさびしいあたり、鉄道てつどう自殺じさつと云えいえば地蔵じぞう松原まつばらを連想れんそうする程ほどで、久作きゅうさくさんの『宙ちゅうを飛ぶとぶパラソルぱらそる』はこのあたりでの出来ごとできごとである――の果てはて近くちかくまで論じろんじ来りきたり、遂すいいに淋しいさびしい松根しょうこんに御輿みこしをすえてしまい、秋月あきづきすでに帰りかえり、太陽たいようは名代なだいの顔かおにしまを作っつくったと云ういう事ことである。

こうした情熱じょうねつと根強ねづよさが、世よにも怪しきあやしき名な探偵たんてい作家さっかとしたのではあるまいか。

久作きゅうさくさんはほんとに夢ゆめの様ように、ポックリぽっくり逝かいかれた。

夢野ゆめの久作きゅうさくなんて何なんだか予約よやくされていた名前なまえへの様ようにも想わおもわれるがそうではない。

かかる名な探偵たんてい作家さっかを現世げんせが産みうみ出しだしたことこそ夢ゆめの様ようではないか、予約よやくされていたとするならば即ちすなわちこれこそ予約よやくされていたのである。

噫々ああ今いまにして花火はなび線香せんこうの玉たまを消しけしたことは返す返すかえすがえすも残念ざんねんでならない。

も五ご年ねんでも、十じゅう年ねんでもいい、もっともっと火華ひばなを散さんし、火華ひばなを咲かさきかせたかった。

唯々いい、惜しいおしいことをしたと思いおもい続けつづけているのみである。

ここに十じゅう巻まきの全集ぜんしゅうが世よに贈らおくられることは癒さいやされざる慰めなぐさめの纔かわずかな慰めなぐさめである。

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