第十五囘
第 15 章
名下虚士無しなど云へど名のみは當にならぬ世なり木曾道中第一の名所は寐覺の里の臨川寺と現にも覺え名所圖繪の繪にて其概略を知たかぶり岩があつて溪があつて蕎麥が名物是非一日遊ばうぞやと痛む足を引ずりて上松も過ぎしが頓て右手の草原の細道に寐覺の床浦嶋の舊跡と記せし杭あるを見付けガサゴソと草の細道を分け行けば俗々たる寺あり門を入れば此即ち臨川寺にて成ほど木曾川に臨みて居れど眺望佳絶といふべきにあらず此の前後の勝景に比べては寧ろ俗境といふべし小僧人の入り來るを見るより忽ち出で來りて浦嶋太郎の腰を掛けた岩があれで向ふのが猿が踊を跳ツた古跡だなどゝ茶かした云立に一人前五厘と掴み込む田舍の道者魂消た顏にて財布を探るも氣の毒なり一行は座ながらにして名所を知るの大通なる上露伴子といふ先達あり云立を並べんとする小僧の口を塞ぎ座敷を借らんと云入しに座敷は迷惑なりと云ふ心得たりと太華大藏の卿五十錢札一枚を出すイザ是へと急に座敷に請じて茶菓を饗す兎も角も此は書入の名所なり俗境なりとて偖止むべきかは一杯酌みて浦嶋殿の近付とならんと上の旅人宿へいそぎ酒肴を持來れと命じ夫より寺内を漫歩しまた川を眺むるに流を餘り下に見るより川巾狹く棧橋より太く劣るやうに見ゆるにてマンザラ捨た所にはあらず雨雲ちぎれて飛ぶが如く對面の山※忽有無また面白き景色となりしばらくは足の痛も忘れ石を投げて川の向ふへ屆くものを好子といふ競技をはじめしが酒は一時間過てもまだ來ず茶に醉ふてかフラ/\と露伴子は睡り梅花道人は欠伸するに我は見兼ね太華山人と共に旅人宿へ催促と出かけしに直に門前にて只今持ち參るの所なりといふ寺も早や興盡きて寒を覺ゆるに寧そ宿にて飮むまいかと割籠の支度を座敷へ取寄せ寺に殘りし二人を呼び飮みかけたるまではよかりしが篁村醉の※りに分からぬ事を云出したり平生よく分の分かる感心の拙者も酒といふ狂藥に折々不感心な事を仕出かすアヽ酒は嚴禁すべきものなり聞く英國のチヤーチル卿は國中の酒屋を皆な廢し醉漢共を掃落して仕舞はんと禁酒論を國會へ持ち出したりとかチヤーチル氏だから元より下戸だらう抔と茶かさずに誰人も酒は禁じたきものなり偖酒を飮みて湯に入り湯より上りて酒を飮み大グズとなりて此座可笑からず泊りを先の宿にして飮み直すべしといふ途方もなき事を云出し浴衣のまゝ夜中に飛出したり處は木曾の山中なり雨あがりに道は惡し行先は何やら勝手知れず其うへ飛出してから氣が付けば足の痛みありそして車は更なり家もなしドウも木曾山中の夜景は妙だとは酒の云せる譫語にて矢鱈と豪傑がる拙者は我慢の跡押あれど連累となりし梅花道人こそ氣の毒なれコレサ危ないイヽサ承知だよと受答へに醉も定めて醒めしならん勢ひにまかせて一里ほどを歩き漸く家の五六軒ある處に至り片端から叩き辛じて車を一輛仕立させしが二人は下駄を踏みかへし臑まで泥の尻からげ浴衣がけで荷物はないグズ醉の旅人なれば驚き呆れて車の梶棒を下に置き顏打守るばかりにて乘れとは更に云ざりけり