第二囘
第 2 章
博覽會開設につき地方の人士雲の如くに東京に簇集きたる之に就て或人説をなして米價騰貴の原因として其の日々費す所の石數を擧げたるがよし夫までにあらずとも地方は輕く東京は重き不平均は生じたるならん我々四人反對に東京より地方へ出て釣合をよくせんと四月廿六日の朝上野の山を横ぎりて六時發横川行の※車に乘らんと急ぎしに冗口といふ魔がさして停車塲へ着く此時おそく彼時迅く※笛一聲上野の森に烟を殘して※車はつれなく出にけり此が風流だ此の失策が妙だと自ら慰むるは朝寐せし一人にて風流ごかしに和められ※車に乘おくれるが何が風流ぞと怒つたところで可笑くもなければ我も苦笑ひして此方を見れば雜踏の中を飄然として行く後ろつき菊五郎に似たる通仕立の翁あり誰ぞと見れば幸堂得知氏なり偖は我々の行を送らんとして此に來て逢はぬに本意なく歸るならん送る人を却つて我々が送るも新しからずやと詞はかけず後について幸堂氏の家まで到り此に新たに送別會を開きぬ我三人に萬の失策皆な酒より生ず旅中は特につゝしむべしと一句を示す一徳利あとは蛙の聲に寐よまた新らしく瀧澤鎭彦幸堂得知の兩氏に送られ九時の※車に乘り横川までは何事もなく午後一時三十分に着せしが是からが英雄競此碓氷嶺が歩く邪魔にならば小脇に抱へて何處ぞ空地へ置てやらうと下駄揃にて歩み出せしが始めのうちこそ小石を蹴散し洒落散したれ坂下驛を過るころより我輩はしばらく措て同行三人の鼻の穴次第に擴がり吐く息角立ち洒落も追々苦しくなり最うどの位來たらうとの弱音梅花道人序開きをなしぬ横川に※車を下りて直に碓氷の馬車鐵道に乘れば一人前四十錢にて五時頃までには輕井澤へ着きまた直ちに信越の鐵道に乘れば追分より先の宿小田井(停車塲は御代田といふ)まで行くべきなれど其處が四天王とも云るゝ豪傑鐵道馬車より歩いて早く着いて見せんとしかも舊道の峠を上りかけしが梅花道人兎角に行なづむ樣子に力餅の茶店に風を入れ此にて下駄を捨てゝ道人と露伴子は草鞋となりしが我と太華山人は此の下駄は我々の池月摺墨なり木曾の山々を踏み凹ませて京三條の大橋を踏轟かせて見せんものと二人を見て麓より吹上る風より冷かに笑ひつゝ先んじて上る上りて頂上に近くなれば氣候は大に東京とは變りて山風寒し木の間がくれに山櫻の咲出たる千蔭翁が歌の「夏山のしげみがおくのしづけさに心の散らぬ花もありけり」とあるも思ひ出られて嬉しく頻りに景色を褒め行くうち山人汗を雫と流して大草臥となれば露伴子は此ぞと旅通を顯して飛ぶが如くに上る此に至つて不思議にも始め弱りし梅花道人ムク/\と強くなり山も震ふばかり力聲を出しサア僕が君の荷を持たうしつかりして上り玉へと矢庭に山人の荷物と自分の荷を合せて引かつぎエイ/\聲に上りしは目ざましきまで感心なり拙者は中弱りの氣味にて少し足は重けれど初日に江戸ツ子が泣を入れたりと云れんは殘念なればはづむ鼻息を念じこらへてナニサ左樣でもないのサと平氣をつくろひ輕井澤に下りて鶴屋といふに着き風呂の先陣へ名乘て勇ましく風呂へ行きしが直ちには跨ぎて湯に入れず少しく顏をしはめたり