第二十囘
第 20 章
中納言行平卿の墓ありといふ少し縁續きなれど參らず伏見を經て太田川にかゝる大河なり木曾の棧橋太田の渡りと古く謠ひて中山道中やかましき所なり河を越して太田に泊る宿狹けれど給仕の娘摺足にて茶つた待遇なり翌日雨降れど昨日の車夫を雇ひ置きたれば車爭ひなくして無事に出立す母衣を掛くれば四方の景色見えず掛けねば濡れるといふ難あり着物や荷物は濡てもまた乾かすべし景色は再び會ひがたからんと决着していかに濡るゝも母衣をかけず道は平坦の繩手にてしかも下り目ゆゑ雨に拘はらずよく走る此邊は官林の松林あり彼の松虫に喰枯されて何百万本か新たに小松を植付け虫取役を付け置かるゝとぞ同じ虫でも蠶の如く人に益し國を富すあれば此く樹を枯して損を與たふるものあり實に世はさま/″\なりと獨り歎じて前面を見れば徃來は道惡き爲めに避けてか車の行くを先に除けてか林の傍の草原を濡れつゝ來る母子あり母は三十四五ならんが貧苦に窶れて四十餘にも見ゆるが脊に三歳ばかりの子を負ひたり後に歩むは六歳ばかりの女の子にて下駄を履きたり母は縁のほつれし竹の子笠を被りたるが何故にや腮の濡るゝまで仰向きたり思へばこれ脊の子を濡らさじと小さき笠を後へ掩ふ爲なりしまだ其下にも跡の子を入れんとにや後さまに右の手を出して娘子の手を引かんとすれど子供はスネてか又は脊に負はれし弟を羨みてや兩手を胸に縮めて寒げにかぢけ行くのみ泣聲はなし涙は雨に洗はれしなるべし此の母の心は如何ならん夫は死せしか病て破屋の中に臥すか何に行かんとし又何をなさんとするや胸に飮む熱き涙に雨を冷たしとは思ふまじしかも此日は風寒く重ね着しても身の震ふに褸の單衣裾短かく濡れたるまゝを絞りもせず其身はまだも堪ゆべし二人の子供を何とせん憐れにも亦いぢらしき有樣よと思ふうち母子の歩みは遲けれど驅ける車の早ければ見顧ても見えずなりぬ此母子の境界はいかならん影の如く是に伴ひて見たしまた成し遂らるゝものならば力をも添へてやりたし嗚呼此の脊に負はるゝ子跡より歩む娘今より十年の後はいかになりて在るや二十年の後は何となるべきや人生れて貧賤なればとて生涯それにて果るにあらず※り合せさへよくば富貴の者となりて雨に戀しきみのゝ國に昔し苦みし事を笑ふて語る時あらんも知れずよし貧賤に終るとて此の母子の慈愛ありなまじ富貴にして却つて財物を爭ひ兄弟親子疎遠になり敵同士と摺れ合ふよりは幸福なりなど思ひつゞくるうち鵜沼も過ぎて加納に着きしが此間の景色川あり山あり觀音坂といふ邊など誠に面白き所なりし岐阜の停車塲の手前の料理店に入りて晝を認め是より我は足の痛み強ければ一人東京へ歸らんと云ひ梅花道人は太華氏露伴氏の跡を追ふて西京に赴むくといふ終に此にて別杯を酌みかはし左らばとて分つ袂に桐の雨幸ひに西も東も午後一時何分とか時間に差ひ少なきゆゑ共に停車塲に入り道人は西我は東煙は同じ空に靡けど※車は走る道を異にして我は其夜靜岡に泊り待つと告來し大坂の友には今年の秋と契り翌日また※車にて根岸の古巣へ飛び歸りぬ