第四囘
第 4 章
朝靄山の腰をめぐりて高くあがらず淺間が嶽に殘る雪旭の光にきらめきたり※車の走るに兩側を眺むる目いそがはし丘を堀割し跡にわずかに生出し躑躅岩にしがみ付て花二つ三つ削落せし如き巖の上に小松四五本立り其下に流るゝ水雪の解けて落るにや流早く石に礙られてまた元の雪と散るを面白しと云もきらぬうち雜木茂る林に入る林を出ればまた曠野にて燒石昔し噴出せしまゝなり開墾せんにも二三尺までは灰の如き土にて何も作りがたしとぞ此所は輕井澤より沓掛追分小田井の三宿の間なり四里程なれば忽ち小田井に着きて※車を下りしが下りてグルリと※つて見ると方角さらに分らずいづれが行先歸る道と評議する顏を見て通りかゝりし學校教員らしき人御代田へは斯う參られよと深切なり御代田とは小田井が改名せしなり一禮して其の如くに行く此ほとりの林の中に櫻咲き野にはシドメの色を飾り畑道は菫蒲公英田には蓮花艸紅きものを敷きつめたるやうなり足元を花に氣遣へば揚雲雀宿は永くまばらに續きたり此を過て岩村田までまだ四方の山遠く氣も廣々と田地開けたり岩村田よりやゝ山近くなり坂道もあり此にていづれも足取重げなれば車を雇はんとせしが其の相談のうちに宿を出はなれたり梅花道人いかにしてか後れて到らず偖こそ弱りて跡へ殘りしならん足は長けれど役には立ず長足道怖し馬乘らぬとは此事だと無理を云ふうちオイ/\諸君の荷物を此方へ出したり宜しい諸事僕が心得た先の宿で待つよと跡より驅來りて梅花道人手輕く三人の荷を取りて一まとめにするゆゑ是はいかにと怪しむ跡より鹽灘への歸り車とて一挺來るこれ道人が一行に一足後れて密に一里半の丁塲をわずか六錢に掛合此の拔掛は企てしなり昨日碓氷の働きと云ひ今ま此の素早さに三人の旅通先を取られて後生畏るべしと舌を吐くうち下り方のよき道なれば失敬と振り※す帽子は忽ち森の陰となりぬ畜生侮ツて一番やられたよし左らば車が早きか我々の脛が達者か競爭を試みんと口には云しが汗のみ流れて足は重し平塚村といふに小高き森ありてよき松の樹多し四方晴れて風冷しきに此の丘に上れば雌松雄松が一になりし相生あり珍しき事かなと馬を曳きて通る男に聞けば女夫松とて名高きものなりといふ丘の上に便々館湖鯉鮒の狂詠を彫りし碑あり業平も如何したとかいふヘボ歌ゆゑ記臆をすべり落ぬ辷る赤土に下駄を腰の臺としてしばらく景色を眺め此丘一つ我物ならば此に讀書の室を築き松風蘿月を侶として澄し込んものと又しても出來ぬ相談を始め勝地に到れば住んことを望み佳景にあへば一句してやらんと思ふ此等みな酒屋の前に涎を垂し鰻屋の臭に指を啣へる類なり慾で滿ちたる人間とて何につけても夫が出るには愛想が盡る人生居止を營む竟に何人の爲に卜するぞや眺望があつて清潔な所を拙者が家だと思へば宜いハテ百年住み遂げる人は無いわサト痩我慢の悟りを開き此所の新築見合せとし田へ引く流に口を漱ぎ冗語を勞れの忘れ草笑聲を伽の野は長く駒の形付たる石ありといふ駒形明神の坂も過ぎ鹽灘へこそ着にけれ