第八囘
第 8 章
旅にて聞くを厭ふ詞二つまだと餘なり初日碓氷にて勞れしとき舊道へ入るの道の標を見るに輕井澤まで二里餘とあり喘ぎ/\上りてやがて二里餘も來らんと思ふに輕井澤は見えず孤屋の婆に聞けば是からまだ二里なりといふ一行落膽し偖は是程に草臥て餘だけしか來らざりしかと泣かぬばかりに驚きたり是より道を問ひて餘の字を付加へらるゝ時はスハヤと足を擦りたり又まだと云は頓て其處ならんと思ふて問ふとき付加へられて力を落す詞なり和田峠の上りは馬に乘りたれば野々宮高砂なりしが下りは侮りて遊び/\歩きたる爲め三里に足らぬと聞くに捗取らぬこと不思議なるうへ下口はドカ/\と力も足に入る故か空腹甚しく餡餅二盆半の豪傑すら何ぞやらかす物はないかと四方を見※す程なれば我は餘ほど北山やら西山やら知らぬ方角の山吹躑躅見るも目のまはる程となりしに曲り下りる坂下に町家ありし事なればしかも下諏訪とありし事なれば嬉しや此ぞと先へ驅けしが心あての龜屋なし立どまりて露伴子に聞けば何でも此を越して夫から諏訪の湖水が見えて夫から下諏訪だ此は云て見ればお前立といふやうなものとの答へまだ付の一里是からの長きこと限りなく山吹を折りて帽子に※したり蓮華草を摘んだり道草は喰へど腹は脹れず何やら是だけが餘計の道のやうに思はれて小腹も立てば飛ぶ蝴蝶羽をかはして我を乘せよとダヽを捏ねるイヨ藤浪由縁之助と聲をかけらるゝにまた取敢ず術なさに倒るゝまでも菫かなと狂句すればイヨ忍月居士と云此に始めて忍月居士が愛慕さるゝは菫御前なることを知り又通人を褒めてイヨすみれは置かれませんと挨拶するは此事より起りたる詞ならんと悟りぬ兎角いふうち入まじへたる山の盡るほとりに一面の名鏡現れたり此ぞ諏訪の湖なると露伴子の指すに俄に足も輕く氣も勇み始めて心づきて四方を眺望するに山々には殘りの花あり雲雀鶯の聲は野に滿ち下は湖水へ注ぐ大河ありて岩波高きに山吹危うげに咲き溢れたる此景色今まで何とて目には入らざりしといぶかる頓て下の諏訪秋の宮に詣づ神さびたるよき御社なり上の諏訪に春の宮あり莊嚴目をおどろかすと聞しが夫へは詣でず此宿より上の諏訪はまだ三里もありと聞ばなり正午少し過るころ下諏訪の温泉宿龜屋に着く一浴して快と賞し鯉鯰などにて小酌しながら偖も今日半日の勞れの恐しさよ小敵と見て侮りたる故此敗は取りしならん是よりは愼みて一里の道も百里を行くの勇氣を以てあたるべしと語るうち下座敷に月琴の響き聞ゆ怪しの物の音や東京を出て未だ鳥の謠ひ奏づる外人間の音樂は聞ずさすがに此は遊浴繁花の地とて優しくも聞くものかな且つ其調も拙なからず微めて唄ふに聲はさだかならねど人※もさぞと慕はしきにいざや此へ呼びて一曲を所望せん彼の潯陽の江頭ならで諏訪湖邊に月琴を聽くもまた面白からずやと直ちに手を鳴らして女を呼び下にて月琴を彈くは何者ぞと問へば此家の娘なりといふ容貌も温泉に濯ひて清げならん年は幾許ぞ。
ハイ九歳でまだネカラ手が※りません。
此答へに一座唖然たり