第 1 章/1
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第 1 章
綜合大學を迎へて會津八一
綜合大學が新潟に出來ることに本ぎまりにきまつたといふことはまことにうれしい。
いち早く氣勢を上げて、猛烈に奔走してくれた指導者たちに感謝しなければならない。
けれども、綜合大學は、もう全國に二十も出來てゐる。
ひろく見渡せば、珍しいものがこれから出現するのではない。
これが出來たからといつて、この縣が他縣に對して大に威張れるといふのではない。
もし大に威張りたいなら、實質的に、ほんとに上等のものを作つて見せなければならない。
貧弱なものでは威張るどころの話でない。
大學といふのは學校としては一番高等のもので、最高の學府などといつてゐる。
敷地の廣いのも、建物の立派なのも必要ではあるが、それより大切なのは、いい教師といい學生のたくさん集まることである。
いい學生はいい教師のゐる大學でなければ集まつて來ない。
いい教師は器械や、標本や、參考書が必要なだけ設備してもらへないやうなところへは來てくれない。
だからかうした設備のことは敷地や建物よりずつと大切だ。
そんなことは分りきつてゐるといつてはいけない。
ほんたうに分られてゐたとは思はれない。
その證據は、今日までに出來てゐた二十の綜合大學でも設備がよくて、教師も學生も理想的に整つてゐる所ばかりであつたとはいへない。
だからまた、これから我等の縣で作る大學が、これらの不完全だらけな從來の大學より、もつと粗末なものであつてはならない。
勿論從來のものを凌駕するだけの意氣込も熱意もなければいけない。
その覺悟がついてゐて、その上で、私のいふことを、分り切つてゐるといふならば、まことに頼もしい。
これまでは、教育のことは御上まかせで、文部省の役人が案をひねつて、上から命令してやらせたが、これからは、國民が自分なり自分の子弟なりを教育する機關や方法を、自分でよく考へなければならなくなつた。
自分等のために自分等が實行することを、自分等で考へるのはあたりまへのことである。
新潟縣がいい大學を持つやうに大に考へてもらひたい。
ことに、これまでの大學には、徴兵猶豫の特典を惡用して、學問などは少しも好きでないものや、または、就職の時に履歴書を飾るといふ、ただそれだけのために、卒業證書をほしがるものなどが、入學の手續をしに集まつたものも少くなかつた。
そんなことでは、ほんとの學問も教育もが、どこの大學でも行はれてゐなかつたと、いつてもいいかもしれぬ。
そんな大學ばかりでは、これから平和のうちに文化を以て世界に國を建てるなどといふわけにはいかない。
なまやさしいことで學問の蘊奧を窮めるなどといふことは出來るものでない。
だから今の時勢にぴつたりと適合した大學をこちらで建てるつもりなら、在來のものより、ずつと理想も高く、覺悟も深く、いかなる犧牲をも甘んずるといふのでないといけない。
しつかりと腰を据ゑてかかつてもらひたい。
正直にいへば、新潟縣人は、他縣の人たち――たとへば長野などに較べて、知識欲が強いとか、研究心が強いとか、文化が高かつたとはいへない。
そこへ、こんど大學が出來れば、自然そんな方面もずんずん進歩するのであらうが、知識も食物のやうにほんとに空腹でありもせぬのに漫然と箸を取れば、消化もしない。
吸收もしない。
おまけに中毒も起るといふものだ。
大學が出來て、山海の珍味ともいふべき學問の御馳走が御膳立てされぬうちに、縣民一同が、まづめいめいに自分の腹をなでてみて、めいめいがほんとに空腹になつてゐるか、何うか、念のためにしらべてみてもらひたい。
そしていよいよこの御馳走に箸をつけることになつたら、出來るだけ立派な御馳走になるやうな大學にしてもらひたい。
金のかかるのは當然のことだ。
金をかけるほどの必要がないと思ふくらゐならば、つまらぬ大學なら、ない方がいい。
もう今日は徴兵猶豫の必要はないが、職業教育だけで最高學府でもあるまい。
もつと上等な、ほんとの學問のために、そして世界の文化のために、新潟の大學が、天下を睥睨するやうに、一つ大に御奮發をねがひたい。
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