第 1 章/1
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第 1 章
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わたしはホーマーと同じ考えである。
ホーマーの考えというのは、カタツムリが、殻からはい出して、やがてガマになると、そのために腰掛けをつくらなければならなくなる。
それと同じように、旅人も生れ故郷からさまよい出ると、たちまち奇妙なすがたになるので、その生活様式にふさわしいように住む家を変え、住めさえすれば、たとえのぞみの場所ではなくとも、そこに住まなければならなくなるというのである。
――リリー「ユーフューズ」
わたしはいつでも、はじめての土地に行って、変った人たちや風俗を見るのが、好きだった。
まだほんの子供のころから、わたしは旅をしはじめ、自分の生れた町の中で、ふだん行かない所や知らない場所にいくども探険旅行をして、しょっちゅう両親をおどろかしたり、町のひろめやの金もうけの種になったりしたものだ。
少年時代になると、わたしは観察の範囲をひろげた。
休みの日の午後には、郊外を散歩し、歴史や物語で名高いところにはすっかりくわしくなった。
人殺しや追いはぎがあったとか、幽霊が出たとかいうところは一つ残らず知りつくした。
近隣の村々に出かけて行って、そこの風俗習慣を見たり、賢人名士たちと話しあったりして、大いに知識をふやした。
ある長い夏の日には、遠くはなれた丘のいただきに登り、何マイルもひろがっている「未知の国」をはるかに見わたし、自分が住んでいる大地があまりにも広大なことを知って驚嘆したものである。
こういう漫歩癖は年とともに強くなった。
航海記や旅行誌がわたしの愛読書となり、あまり読みふけって、学校の正規の勉強はほったらかしの始末だった。
からりと晴れた日に桟橋をあちこちと歩き、遠い異境に向って出帆する船を見まもりながら、わたしは深いものおもいに沈んだ。
次第に小さくなってゆく船の帆を見つめ、地の果てにただよってゆくわが身を空想するとき、どんなにわたしの眼はあこがれに輝いたことだろう。
さらに書物を読み、ものごとを考えるようになると、このとりとめもない癖は、以前よりも分別がついたとはいうものの、なおいっそう動かすことのできないものになった。
わたしは故国の各地を遍歴した。
もしわたしが単に美しい風景を見るのが好きだというだけだったら、他国にまで行って望みを満たそうとは思わなかったにちがいない。
自然の魅力がかくもふんだんに与えられている国はどこにもないからだ。
銀をとかしこんだ大海のような雄大な湖水。
明るい大空の色に染まった山々、豊かなみのりに満ちあふれる山あいの地。
人も訪れぬところに、轟々と音をたてておちる巨大な滝。
自然のままの緑に波うつ果てしない大平原。
おごそかに音もなく大洋へと流れてゆく、深く広い大河。
堂々たる木々がおいしげる人跡未踏の森林。
夏の日にまきおこる雲に燃え、陽光がさんさんと輝く、この国の大空。
まったく、アメリカに住む人にとっては自国のそとに自然の景観の美と崇高とをもとめる必要はすこしもないのだ。
しかし、ヨーロッパはいろいろと人をひきつけるものをもっている。
それは物語や詩歌にわれわれの想いをはせさせる。
美術の傑作、教養高い社会の優雅なたしなみ、昔から伝えられている地方色ゆたかな珍しい慣習が、そこには見られるのだ。
わたしの母国は青春の希望にあふれているが、ヨーロッパはすでに年功をつみ、永いあいだに蓄積した宝物に満ちている。
その廃墟は過ぎし日の歴史を語り、くずれおちてゆく石の一つ一つが、それぞれ年代記そのものなのだ。
わたしは、名声の高い偉業が行われた跡を歩きまわり、古人が残した足跡を踏み、すさび果てた古城のあたりに遊び、崩れかかった高殿の楼上で瞑想したくてならなかった。
ひとことでいえば、凡俗な現実世界をのがれて、くらく荘厳な過去のなかに身を没したいと願ったのだ。
そのうえ、わたしはまた世界の偉人たちに会うことも切望していた。
たしかにアメリカにも偉人はいる。
どの町にも偉人はおおぜいいる。
わたしも若いころには、そういう人たちと交わり、その影におおわれてすっかり萎縮してしまうところだった。
凡人にとって、偉人、とりわけ町の偉人の影ほど害になるものはない。
しかし、わたしはヨーロッパの偉人にあいたかった。
なぜかというと、いろいろな哲学者の著書で読んだところによると、アメリカではすべての動物が退化するが、人間もその例にもれないということだったからである。
そこで思うに、アルプスの頂きがハドソン河流域の高地より高いように、ヨーロッパの偉人はアメリカの偉人よりすぐれているに違いない。
そしてわたしはこの考えに確信をもった。
わたしたちのあいだで見うけられる多くのイギリス人の旅客がどうも貫禄があり、なかなか偉そうに見え、しかも、この連中だって自分の国に帰れば、ほんのつまらない人間にすぎないことがわかったからだ。
この不思議な国に行ってやろう、そうして、退化した人間であるわたしの、祖先にあたる巨人族を見てやろう、とわたしは思った。
幸か不幸か、わたしは放浪欲を満たした。
いろいろな国を遍歴し、変転きわまりない人生模様を目のあたりに見た。
わたしはそういうものを哲学者の眼で学んだとはいえない。
むしろ、平凡な絵画愛好者が版画屋の窓から窓へとぶらぶらのぞき歩いてゆくときのように、飄然と見てきたのだ。
ときには美人画に心をうばわれ、ときにはデフォルメした漫画に、あるいはまたすばらしい自然の風物に見とれたりした。
近ごろの旅行家は、鉛筆を手にして旅をし、スケッチで紙ばさみをいっぱいにして持ちかえるのがしきたりであるから、わたしも二、三整えて、友人たちの興にそえたいと思う。
だがしかし、そのために書きとめておいた備忘に目をとおしてみると、わたしはすっかり意気銷沈してしまう。
取りとめもなく気ままにしていたおかげで、書物を書こうとするようなちゃんとした旅行家なら、だれでもしらべる立派なものをわたしは見おとしてしまったのだ。
せっかくヨーロッパ大陸を旅行したのに、放浪癖が強かったために、不幸にもひと眼につかないつまらぬところでばかり写生してきた風景画家と同じように、見る人をがっかりさせてしまうかも知れない。
というわけで、そのスケッチ・ブックには、百姓家や、風景や、名もない廃墟がぎっしりつまっているのだが、セントピータース寺院とか、ローマ円形劇場とか、テルニ瀑布とか、ナポリ湾は描かずにしまった。
そして、画帳を全部ひらいても、氷河や火山は一つもはいっていないのである。
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