第 1 章/1
その一隅から音楽のひびきが聞え、ときおりどっとばかり笑う声がした。ブレースブリッジの言では、これは召使部屋から聞えてくるのにちがいなく、クリスマスの十二日間は、主人が大騒ぎを許し、むしろ奨励さえもしているのだ。ただし、すべてが昔のしきたりによって行われなければならない、ということだ。ここには、いまだに、鬼ごっこや、罰金遊び、目隠し当てもの、白パン盗み、林檎受け、乾し葡萄つかみなど、昔の遊戯が行われている。クリスマスの大薪や、クリスマスの蝋燭がきちんと燃され、寄生木の白い実がついているのが吊られ、かわいい女中たちには今にも危険がふりかかりそうになるのだった(原註2)。
第 1 章
召使たちはあまり遊戯に熱中していたので、わたしたちがなんど鐘を鳴らしても、なかなか気がつかなかった。
やっとわたしたちの到着が伝えられると、主人がほかの二人の息子といっしょに、出迎えに出てきた。
一人は賜暇で帰っていた若い陸軍将校で、もう一人はオクスフォード大学の学生で、ちょうど大学から帰ってきたばかりだった。
主人は健康そうな立派な老紳士で、銀色のかみの毛はかるく縮れ、快活な赤ら顔をしていた。
人相見が、わたしのように、前もって一つ二つ話を聞いていれば、風変りと情ぶかい心とが奇妙にまじりあっているのを見出したであろう。
家族の再会はあたたかで愛情がこもっていた。
夜も大分遅くなっていたので、主人はわたしたちに旅の衣裳を着かえさせようとせず、ただちに案内して、大きな古風な広間にあつまっている人たちのところへ連れていった。
一座の人たちは大家族の親類縁者で、例によって、年とった叔父や叔母たち、気楽に暮らしている奥さんたち、老衰した独身の女たち、若々しい従弟たち、羽の生えかけた少年たち、それから、寄宿舎住いの眼のぱっちりしたやんちゃ娘たちがいりまじっていた。
彼らはさまざまなことをしていた。
順番廻りのカルタ遊びをしているものもあり、煖炉のまわりで話をしているものもあった。
広間の一隅には若い人たちがあつまっていたが、なかにはもうほとんど大人になりかかったものや、まだうら若い蕾のような年頃のものもいて、たのしい遊戯に夢中になっていた。
また、木馬や、玩具のラッパや、壊れた人形が床の上にいっぱい散らかっているのは、かわいらしい子供たちが大ぜいいたあとらしく、楽しい一日を遊びすごして、今は寝床へおいやられて、平和な夜を眠っているのであろう。
若いブレースブリッジと親戚の人たちが互いに挨拶をかわしているあいだに、わたしはこの部屋をしさいに見ることができた。
わたしがこれを広間と言ったのは、昔はたしかにこの部屋が広間だったからであり、また、主人はあきらかにもとの形に近いものにもどそうとしていたからである。
突きでているがっしりした煖炉の上に、鎧を着て、白い馬のかたわらに立った武士の肖像がかかっており、反対側の壁には兜や楯や槍が掛けてあった。
部屋の一端には巨大な一対の鹿の角が壁にはめこんであり、その枝は懸釘の役をして、帽子や、鞭や、拍車を吊すようになっていた。
そして部屋の隅々には、猟銃や、釣竿や、そのほかの猟の道具がおいてあった。
家具はむかしの重くて荷厄介になりそうなものだったが、現代の便利なものもいくつか加えられていて、樫の木の床には絨毯が敷いてあった。
だから、全体としては応接室と広間との奇妙な混ぜあわせといった有様だった。
広いものものしい煖炉の火格子は取りはずしてあり、薪がよく燃えるようにしてあった。
その真中に大きな丸太が赤々と焔をあげ、光と熱とをどんどん発散していた。
これがクリスマスの大薪だとわたしは思った。
主人はやかましく言って、むかしのしきたり通りにそれを運びこませ、燃させたのだった(原註3)。
老主人が先祖伝来の肱かけ椅子に腰かけ、代々客を歓待してきた炉ばたにいて、太陽が周囲の星を照らすように、まわりを見まわして、みんなの心にあたたかみと喜びとを注いでいるのを見るのは、ほんとうにたのしかった。
犬さえも彼の足もとに寝そべって、大儀そうに姿勢をかえたり欠伸をしたりして、親しげに主人の顔を見あげ、尾を床の上で振りうごかし、また、からだをのばして眠りこんでしまい、親切に守ってくれることを信じきっていた。
ほんとうの歓待には心の奥から輝き出るものがあり、それはなんとも言い表わすことができないが、そくざに感じとれるもので、初対面の人もたちまち安楽な気持ちになるのである。
わたしも、この立派な老紳士の快い炉ばたに坐って数分たたないうちに、あたかも自分が家族の一員であるかのように寛いだ気分になった。
わたしたちが着いてしばらくすると、晩餐の用意のできたことがしらされた。
晩餐は広い樫の木造りの部屋にしつらえられたが、この部屋の鏡板は蝋が引いてあってぴかぴか光り、周囲には家族の肖像画がいくつか柊と蔦で飾られていた。
ふだん使うあかりのほかに、クリスマスの蝋燭と呼ばれる大きな蝋燭が二本、常緑木を巻きつけて、よく磨きあげた食器棚の上に、家に伝わった銀の食器といっしょに置いてあった。
食卓には充実した料理が豊富にのべひろげられていた。
だが、主人はフルーメンティを食べて夕食をすませた。
これは麦の菓子を牛乳で煮て、ゆたかな香料を加えたものであり、むかしはクリスマス・イーヴの決まりの料理だった。
わたしは、なつかしの肉パイがご馳走の行列のなかに見つかったので喜んだ。
そして、それが全く正式に料理されていることがわかり、また、自分の好みを恥じる必要のないことがわかったので、わたしたちがいつも、たいへん上品な昔なじみに挨拶するときの、あのあたたかな気持ちをこめて、その肉パイに挨拶した。
一座の陽気な騒ぎは、ある奇矯な人の滑稽によって大いに度を加えた。
この人物をブレースブリッジ氏はいつもマスター・サイモンという風変りな称号で呼んでいたが、彼はこぢんまりした、快活な男で、徹頭徹尾独りものの老人らしい風貌をしていた。
鼻は鸚鵡の嘴のような形で、顔は天然痘のために少々穴があいていて、そこに消えることのない乾からびた花が咲いているさまは、霜にうたれた秋の葉のようだった。
眼はすばしこくて生き生きしており、滑稽なところがあり、おどけた表情がひそんでいるので、見る人はついおかしくなってしまうのだった。
彼はあきらかに家族のなかの頓智家で、婦人たちを相手に茶目な冗談や当てこすりをさかんに飛ばしたり、昔の話題をくりかえしたりして、この上なく賑かにしていた。
ただ残念なことに、わたしはこの家の歴史を知らないために、面白がることができなかった。
晩餐のあいだの彼の大きな楽しみは、隣りに腰かけた少女に笑いをこらえさせて、しょっちゅう苦しませておくことらしかった。
少女は母親が正面に坐ってときどき叱るような眼つきをするのがこわいのだが、おかしくてたまらなかったのだ。
じっさい、彼は一座のうちの若い人たちの人気者であり、彼らは、この人が言うこと、することに、いちいち笑いこけ、彼が顔つきをかえるたびに笑った。
わたしはそれももっともだと思った。
彼は、若い連中の眼には百芸百能の驚異的な人間に見えたにちがいないのである。
彼は、パンチとジュディの人形芝居の真似もできたし、焼けたコルクとハンカチを使えば、片手でお婆さんの人形をつくってみせることもできた。
そしてまた、オレンジを面白い恰好に切って、若い人たちを息がとまるほど笑わせることもしたのである。
フランク・ブレースブリッジが簡単に彼の経歴を話してくれた。
彼は独身で、もう年とっており、働かずに資産から入ってくる収入は僅かだったが、なんとかうまくやりくりして、必要なものはそれで間に合わせていた。
彼が親類縁者を歩きまわるのは、気まぐれな彗星が軌道をぐるぐるあちこちにまわるようなもので、ある親戚を訪れたかと思うと、次には遠くはなれた別の親戚のところに行くのだった。
イギリスの紳士は、厖大な親族をもっていて、しかも財産は少ししかないとなると、よくこういうことをするのだ。
彼の気質は賑かで、浮き浮きしており、いつもそのときそのときを楽しんでいた。
それに、住む場所も交際の仲間も頻繁にかわるので、ふつうの独りものの老人に無慈悲にも取りつく、例の意地悪で偏屈な癖をつけずにすんでいた。
彼は一門の完璧な年代記のようなものであり、ブレースブリッジ家全体の系図、来歴、縁組に精通していたから、年とった連中にはたいへん好かれていた。
彼は老貴婦人や、老いこんだ独身女たちの相手役となっていたが、そういう婦人たちのあいだでは、彼はいつもまだまだ若い男だと考えられていた。
それに、彼は子供たちのなかでは、遊戯の先生だった。
そのようなわけで、彼が行くところ、サイモン・ブレースブリッジ氏よりも人気のある男はなかった。
近年は、彼はほとんどこの主人のところに住みきりになっていて、老人のために何でも屋になっていたが、とりわけ主人を喜ばしたのは、昔のことについて主人の気まぐれと調子をあわせたり、古い歌を一くさりもちだしたりして、どんな場合にも必要に応じたことだった。
わたしたちは間もなく、この最後に述べた彼の才能の見本に接することができた。
夕食が片づけられ、クリスマスに特有な、香料入りの葡萄酒や、ほかの飲みものが出されると、ただちに、マスター・サイモンに頼んで、昔なつかしいクリスマスの歌を歌ってもらうことになったのである。
彼は一瞬考えて、それから、眼をきらきらさせ、まんざら悪くない声で、といっても、ときに裏声になって、裂けた葦笛の音のようになったが、面白い昔の唄をうたいだした。
さあさ、クリスマスだ。
太鼓をならし、近所の人を呼びあつめよう。
みんなが来たら、ご馳走食べて、風も嵐も追い出そう……云々。
晩餐のおかげで、みな陽気になった。
竪琴ひきの老人が召使部屋から呼ばれてきた。
彼は今までそこで一晩じゅうかきならしていて、あきらかに主人の自家製の酒を呑んでいたらしかった。
聞くところによると、彼はこの邸の居候のようなもので、表むきは、村の住人だが、自分の家にいるときよりも、地主の邸の台所にいるほうが多かった。
それというのも老紳士が「広間の竪琴」の音が好きだったからである。
舞踊は、晩餐後のたいていの舞踊のように、愉快なものだった。
老人たちのなかにもダンスに加わる人がおり、主人自身もある相手と組んで、幾組か下手まで踊って行った。
彼の言うには、この相手と毎年クリスマスに踊り、もうおよそ五十年ばかりつづけているということだった。
マスター・サイモンは、昔と今とをつなぐ一種の環のようには見えたが、やはりその才芸の趣味は多少古めかしいようで、あきらかに自分の舞踊が自慢であり、古風なヒール・アンド・トウやリガドゥーンや、そのほかの優雅な技をしめして信用を博そうと懸命になっていた。
しかし、彼は不幸にして、寄宿舎から帰ってきたお転婆娘と組んでしまった。
彼女はたいへん元気で、彼をいつも精一杯にひっぱりまわし、せっかく彼が真面目くさって優美な踊りを見せようとしたのに、すっかり駄目になってしまった。
古風な紳士というものは不幸にしてとかくそういう釣合いの悪い組をつくるものである。
これに反して、若いオクスフォードの学生は未婚の叔母を連れて出た。
この悪戯学生は、叱られぬのをよいことにして、ちょっとしたわるさをさんざんやった。
彼は悪戯気たっぷりで、叔母や従姉妹たちをいじめては喜んでいた。
しかし、無鉄砲な若者の例にもれず、彼は婦人たちにはたいへん好かれたようだった。
舞踊している人のなかで、いちばん興味をひいた組は、例の青年将校と、老主人の保護をうけている、美しい、はにかみやの十七歳の少女だった。
ときどき彼らはちらりちらりと恥ずかしそうに眼をかわしているのをわたしはその宵のうちに見ていたので、二人のあいだには、やさしい心が育くまれつつあるのだと思った。
それに、じっさい、この青年士官は、夢見る乙女心をとらえるにはまったくぴたりとあてはまった人物だった。
彼は背が高く、すらりとして、美男子だった。
そして、最近のイギリスの若い軍人によくあるように、彼はヨーロッパでいろいろなたしなみを身につけてきていた。
フランス語やイタリア語を話せるし、風景画を描けるし、相当達者に歌も歌えるし、すばらしくダンスは上手だった。
しかも、とりわけ、彼はウォータールーの戦で負傷しているのだ。
十七歳の乙女で、詩や物語をよく読んでいるものだったら、どうして、このような武勇と完璧との鑑をしりぞけることができようか。
舞踊が終ると、彼はギターを手にとり、古い大理石の煖炉にもたれかかり、わたしにはどうも、わざとつくったと思われるような姿勢で、フランスの抒情詩人が歌った小曲をひきはじめた。
ところが、主人は大声で、クリスマス・イーヴには昔のイギリスの歌以外は止めるように言った。
そこで、この若い吟遊詩人はしばらく上を仰いで、思いだそうとするかのようだったが、やがて別の曲をかきならしはじめ、ほれぼれするようなやさしい様子で、ヘリックの「ジュリアに捧げる小夜曲」を歌った。
蛍はその眼を君に貸し、流れる星は君にともない、妖精たちも小さな眼を火花のように輝かして、君を守る。
鬼火は君を迷わさず、蛇も、とかげも、君を噛まない。
かまわずに進みたまえ、足をとめずに。
物の怪だって君をおどろかしはしない。
暗闇などにたじろいではいけない。
月がまどろんでも、夜の星が君に光を貸してくれる。
数知れぬ蝋燭のひかるように。
ジュリアよ、君にいおう。
こうして、ぼくのもとへ来たまえと。
そして、君の銀のような足を迎えたら、そのときぼくの心を君にそそごう。
この歌は、あの美しいジュリアのために捧げられたのかもしれないし、あるいはそうでなかったかもしれない。
彼のダンスの相手がそういう名だということがわかったのだ。
しかし、彼女はそのような意味にはたしかに気がつかなかったらしい。
彼女は歌い手のほうを見ず、床をじっと見つめていた。
じじつ、彼女の顔は美しくほんのりと赤く染まっていたし、胸はしずかに波うっていた。
しかし、それはあきらかにダンスをしたためのことだった。
じっさい、彼女は全く無関心で、温室咲きのすばらしい花束をつまんではきれぎれにして面白がっていた。
そして、歌がおわるころには、花束はめちゃめちゃになって床に散っていた。
一座の人たちはついにその夜は散会することになり、昔流の、心のこもった握手を交わした。
わたしが広間をぬけて、自分の部屋に行くとき、クリスマスの大薪の消えかかった燃えさしが、なおもほの暗い光を放っていた。
もしこの季節が「亡霊も畏れて迷い出ない」ときでなかったら、わたしは真夜中に部屋から忍び出て、妖精たちが炉のまわりで饗宴をもよおしているのではないかとのぞき見したい気になったかもしれない。
わたしの部屋は邸の古いほうの棟にあり、どっしりした家具は、巨人がこの世に住んでいた時代につくられたものかもしれないと思われた。
部屋には鏡板が張ってあり、なげしにはぎっしりと彫刻がしてあり、花模様や、異様な顔が奇妙にとりまぜられていた。
そして、黒ずんだ肖像画が陰気そうに壁からわたしを見おろしていた。
寝台は色あせてはいたが、豪華な紋緞子で、高い天蓋がついており、張出し窓と反対側の壁のくぼみのなかにあった。
わたしが寝台に入るか入らないうちに、音楽の調べが窓のすぐ下の大気から湧きおこったように思われた。
わたしは耳をそばだて、楽隊が演奏しているのだとわかった。
そして、その楽隊はどこか近くの村からやってきた夜の音楽隊であろうと思った。
彼らは邸をぐるりと廻ってゆきながら、窓の下で演奏していた。
わたしはカーテンをあけて、その音楽をもっとはっきり聞こうとした。
月の光が窓の上の枠から流れこみ、古ぼけた部屋の一部を照らしだした。
音楽はやがて去ってゆき、やわらかに夢のようになり、夜の静寂と月の光とに溶けあうような気がした。
わたしは耳をそばだてて、聞き入った。
音はいよいよやさしく遠くなり、次第に消え去ってゆくにつれ、わたしの頭は枕に沈み、そして、わたしは眠りこんでしまった。
原註1 一六二二年発行、ピーチャム著「紳士亀鑑」。
原註2 寄生木は今でもクリスマスには農家や台所に吊される。
若い男は、その下で女子に接吻する権利があり、そのたびに木から実を一つ摘みとる。
実が全部なくなってしまうと、この権利は消失する。
原註3 「クリスマスの大薪」は大きな丸太で、ときには木の根を使うこともある。
クリスマス・イーヴに、たいへん仰々しく儀式ばって家に運びこまれ、炉に据えて、昨年の大薪の燃えさしで火をつける。
それが燃えているあいだは、大いに飲み、歌い、物語が話される。
これといっしょにクリスマスの蝋燭がともされることもあるが、農家では、その大薪の燃える赤い焔のほかにあかりはつけない。
クリスマスの大薪は一晩じゅう燃えていなければならない。
もし消えたら、不吉のしるしであると考えられていたのである。
ヘリックはその歌の一つにこの大薪のことを歌っている。
さあ、大声あげて持ってこい。
クリスマスの大薪をみんな、たのしく炉に運べ。
そうすりゃ、かみさんは、おまえたちに、寛いで、心ゆくまで飲め、という。
クリスマスの大薪は、今もイギリスの多くの農家や台所で燃すのだが、特に北部のほうが盛んである。
百姓のあいだには、この大薪についていくつかの迷信がある。
もしそれが燃えているあいだに、すがめの人か、あるいは、裸足の人がはいってきたら、不吉の前兆とされている。
クリスマスの大薪の燃えさしは大切にしまっておいて、翌年のクリスマスの火をつけるのに使われる。
第 1 章/1