文芸と道徳

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第 1 章
私わたくしはこの大阪おおさかで講演こうえんをやるのは初めてはじめてであります。
またこういう大勢おおぜいの前まえに立つたつのも初めてはじめてであります。
実じつは演説えんぜつをやるつもりではない、むしろ講義こうぎをする気きで来きたのですが、講義こうぎと云ういうものはこんな多人数たにんずうを相手あいてにする性質せいしつのものでありません。
これだけの聴衆ちょうしゅう全体ぜんたいに通るとおるような声こえを出そうでそうとすれば――第一だいいち出るでる訳わけがないけれども、万一まんいち出るでるにしても十五じゅうご分ぶんぐらいで壇だんを降りふりなければやりきれないだろうと思いおもいます。
したがって、始めはじめての事ことでもあるしこれほど御ご集りあつまりになった諸君しょくんの御ご厚意こういに対したいしてもなるべく御ご満足まんぞくの行くいくように、十分じゅうふん面白いおもしろい講演こうえんをして帰りかえりたいのは山々やまやまであるけれども、しかしあまり大勢おおぜいお出でになったから――と云っいって、けっしてつまらぬ演説えんぜつをわざわざしようなどという悪意あくいは毛頭もうとう無いないのですけれども、まあなるべく短かくみじかく切上げるきりあげる事ことにして、そうして――まだ後あとにも面白いおもしろいのがだいぶありますから、その方ほうで埋め合せうめあわせをして、まず数すうでコナこなすようなことにしようと思うおもう。
実際じっさいこの暑いあついのにこうお集まりあつまりになって竹たけの皮かわへ包んつつんだ寿司すしのように押し合っおしあっていてはたまりますまい。
また講演こうえん者ものの方ほうでも周囲しゅうい前後ぜんご左右さゆうから出るでる人ひとの息いきだけでも――ちょっとここへ立ったって御覧ごらんになればすぐ分りわかりますが――実際じっさい容易よういなものではありません。
実じつはこういうように原稿げんこう紙かみへノートのーとが取っとってありますから、時々ときどきこれを見みながら進行しんこうすれば順序じゅんじょもよく整いととのい遺漏いろうも少なくすくなく、大変たいへん都合つごうが好いよいのですけれども、そんな手て温いぬきい事ことをしていてはとても諸君しょくんがおとなしく聴いきいていて下さるくださるまいと思うおもうから、ところどころ――ではない大部分だいぶぶん端折っはしょってしまってやるつもりであります。
しかしもしおとなしく聴いきいて下されくだされば十分じゅうふんにやるかも知れしれない。
やろうと思えおもえばやれるのです。
問題もんだいはあすこに書いかいてある通りとおり「文芸ぶんげいと道徳どうとく」と云ういうのですが、御承知ごしょうちの通りとおり私わたくしは小説しょうせつを書いかいたり批評ひひょうを書いかいたり大体だいたい文学ぶんがくの方ほうに従事じゅうじしているために文芸ぶんげいの方ほうのことをお話はなしする傾きかたむきが多うおおうございます。
大阪おおさかへ来きて文芸ぶんげいを談ずるだんずると云ういうことの可否かひは知りしりません。
儲けるもうける話はなしでもしたら一番いちばんよかろうと思っおもっているんですが、「文芸ぶんげいと道徳どうとく」では題だいをお聴きききになっただけでも儲かりもうかりません。
その内容ないようをお聴きききになってはなお儲かりもうかりません。
けれども別べつに損そんをするというほどの縁えん喜きの悪いわるい題だいでもなかろうと思うおもうのです。
もちろん御ご聴ちょうになる時間じかんぐらいは損そんになりますが、そのくらいな損そんは不運ふうんと諦めあきらめて辛抱しんぼうして聴いきいていただきたい。
昔むかしの道徳どうとくと今いまの道徳どうとくと云ういうものの区別くべつ、それからお話はなしをしたいと思いおもいますが――どうも落ちついおちついてやっていられないような気きがしてたまらない。
その前まえにちょっとこの題だいの説明せつめいをしますが、「道徳どうとくと文芸ぶんげい」とある以上いじょう、つまり文芸ぶんげいと道徳どうとくとの関係かんけいに帰着きちゃくするのだから、道徳どうとくの関係かんけいしない方面ほうめん、あるいは部分ぶぶんの文芸ぶんげいと云ういうものはここに論ずるろんずる限りかぎりでない。
したがって文芸ぶんげいの中なかでも道徳どうとくの意味いみを帯びおびた倫理的りんりてきの臭味しゅうみを脱却だっきゃくする事ことのできない文芸ぶんげい上うえの述作じゅっさくについてのお話はなしと云っいってもよし、文芸ぶんげいと交渉こうしょうのある道徳どうとくのお話はなしと云っいってもよいのです。
それでまず道徳どうとくと云ういうものについて昔むかしと今いまの区別くべつからお話はなしを始めはじめてだんだん進行しんこうする事ことに致しいたします。
昔むかしの道徳どうとく、これは無論むろん日本にっぽんでの御ご話はなしですから昔むかしの道徳どうとくといえば維新いしん前まえの道徳どうとく、すなわち徳川とくがわ氏し時代じだいの道徳どうとくを指すさすものでありますが、その昔むかしの道徳どうとくはどんなものであるかと云ういうと、あなた方ほうも御承知ごしょうちの通りとおり、一口ひとくちに申しもうしますと、完全かんぜんな一種いっしゅの理想的りそうてきの型かたを拵えこしらえて、その型かたを標準ひょうじゅんとしてその型かたは吾人ごじんが努力どりょくの結果けっか実現じつげんのできるものとして出立しゅったつしたものであります。
だから忠臣ちゅうしんでも孝子たかこでももしくは貞女ていじょでも、ことごとく完全かんぜんな模範もはんを前まえへおいて、我々われわれごとき至らいたらぬものも意思いしのいかん、努力どりょくのいかんに依っよっては、この模範もはん通りとおりの事ことができるんだといったような教えおしえ方ほう、徳義とくぎの立てたて方ほうであったのです。
もっとも一概いちがいに完全かんぜんと云いいいましても、意味いみの取り方とりかたで、いろいろになりますけれども、ここに云ういうのは仏語ふつごなどで使うつかう純一じゅんいち無雑むざつまず混りまじり気きのないところと見みたら差支さしつかえないでしょう。
例えばたとえば鉱こうのように種々しゅじゅな異分子いぶんしを含んふくんだ自然しぜん物ものでなくって純金じゅんきんと云っいったように精錬せいれんした忠臣ちゅうしんなり孝子たかこなりを意味いみしております。
かく完全かんぜんな模型もけいを標榜ひょうぼうして、それに達したっし得るうる念力ねんりきをもって修養しゅうようの功こうを積むつむべく余儀よぎなくされたのが昔むかしの徳育とくいくであります。
もう少しすこし細かくこまかく申すもうすはずですが、略しりゃくしてまずそのくらいにして次つぎに移りうつります。
さてこういう風かぜの倫理観りんりかんや徳育とくいくがどんな影響えいきょうを個人こじんに与えあたえどんな結果けっかを社会しゃかいに生ずるしょうずるかを考えかんがえて見みますと、まず個人こじんにあってはすでに模範もはんが出来上りできあがりまたその模範もはんが完全かんぜんという資格しかくを具えそなえたものとしてあるのだから、どうしてもこの模範もはん通りとおりにならなければならん、完全かんぜんの域いきに進ますすまなければならんと云ういう内部ないぶの刺激しげきやら外部がいぶの鞭撻べんたつがあるから、模倣もほうという意味いみは離れはなれますまいが、その代りかわり生活せいかつ全体ぜんたいとしては、向上こうじょうの精神せいしんに富んとんだ気概きがいの強いつよい邁すすむ往の勇いさむを鼓舞こぶされるような一種いっしゅ感激かんげき性せいの活計かっけいを営むいとなむようになります。
また社会しゃかい一般いっぱんから云ういうと、すでにこういう風かぜな模範的もはんてきな間然かんぜんするところなき忠臣ちゅうしん孝子たかこ貞女ていじょを押し立ておしたてて、それらの存在そんざいを認めるみとめるくらいだから、個人こじんに対するたいする一般いっぱんの倫理りんり上うえの要求ようきゅうはずいぶん苛酷かこくなものである。
また個人こじんの過失かしつに対したいしては非常ひじょうに厳格げんかくな態度たいどをもっている。
少しすこしの過ちあやまちがあっても許さゆるさない、すぐ命いのちに関係かんけいしてくる。
そうでしょう、昔むかしの人ひとは何なんぞと云ういうと腹はらを切っきって申訳もうしわけをしたのは諸君しょくんも御承知ごしょうちである。
今いまでは容易よういに腹はらを切りきりません。
これは腹はらを切らきらないですむからして切らきらないので、昔むかしだって切りきりたい腹はらではけっしてなかったんでしょう。
けれども切らきらせられる。
いわゆる詰腹つめばらで、社会しゃかいの制裁せいさいが非常ひじょうに悪辣あくらつ苛酷かこくなため生きいきて人ひとに顔かおが合わさあわされないからむやみに安くやすく命いのちを棄てるすてるのでしょう。
今いまの人ひとから見れみれば、完全かんぜんかも知れしれないが実際じっさいあるかないか分らわからない理想的りそうてき人物じんぶつを描いえがいて、それらの偶像ぐうぞうに向っむかって瞬間しゅんかんの絶間たえまなく努力どりょくし感激かんげきし、発憤はっぷんし、また随喜ずいきし渇仰かつごうして、そうして社会しゃかいからは徳義とくぎ上うえの弱点じゃくてんに対したいして微塵みじんの容赦ようしゃもなく厳重げんじゅうに取扱わとりあつかわれて、よく人ひとが辛抱しんぼうしておったものだという疑ぎも起るおこるが、これにはいろいろの原因げんいんもありましょう。
第だい一いちには今いまのように科学的かがくてきの観察かんさつが行届かゆきとどきかなかった。
つまり人間にんげんはどう教育きょういくしたって不完全ふかんぜんなものであると云ういうことに気きがつかなかった。
不完全ふかんぜんなのは、我々われわれの心掛こころがけが至らいたらぬからの横着おうちゃくに起因きいんするのだからして、もう少しすこし修養しゅうようして黒砂糖くろさとうを白砂はくしゃ糖とうに精製せいせいするような具合ぐあいに向上こうじょうしなければならんという考かんがえで一生懸命いっしょうけんめいに努力どりょくしたのである。
すなわち昔むかしの人ひとには批判的ひはんてき精神せいしんが乏しかっとぼしかった。
昔むかしから云い伝えいいつたえている孝子たかことか貞女ていじょとか称するしょうするものが、そっくりそのままの姿すがたで再現さいげんできるという信念しんねんが強くつよくて、批判的ひはんてきにこれらの模範もはんを視るみる精神せいしんに乏しかっとぼしかったと云ういうのがおもなる原因げんいんでありましょう。
一口ひとくちに云えいえば科学かがくと云ういうものがあまり開けあけなかったからと云っいってようございます。
のみならずその当時とうじは交通こうつうが非常ひじょうに不便ふべんでありまして、東京とうきょうから大阪おおさかへちょっと手紙てがみ一いち本ほんで呼出さよびだされて来きて講演こうえんをすると云ういうようなことすら、できないとは限りかぎりませんが、なかなか億劫おっくうでこう手軽てがるには行きいきません。
来るくるにしても駕籠かごに揺られゆられて五十三ごじゅうさん次つぎを順々じゅんじゅんに越すこすのだから、たやすくは間に合いまにあいかねます。
間に合わまにあわないですむとすれば、私わたくしがどんな人間にんげんであるかは、諸君しょくんに知れしれずにすんでしまう訳わけである。
知らしられなければよほどえらい人ひとだと思っおもってくれやしないかと思うおもう。
こうやって演壇えんだんに立ったって、フロックコートふろっくこーとも着きず、妙みょうな神戸こうべ辺へんの商館しょうかんの手代てだいが着るきるような背広せびろなどを着きてひょこひょこしていては安っぽくやすっぽくていけない。
ウンうんあんな奴やつかという気きが起るおこるにきまっている。
が駕籠かごの時代じだいならそうまで器量きりょうを下げさげずにすんだかも知れしれない。
交通こうつうの不便ふべんな昔むかしは、山やまの中なかに仙人せんにんがいると思っおもっておったくらいだから、江戸えどには漱石そうせきといって仙人せんにんではないが、まあ仙人せんにんに近いちかい人間にんげんがいるそうだぐらいの評判ひょうばんで持ちもち切っきって下されくだされば私わたくしもはなはだ満足まんぞくの至りいたりであったろうが、今日きょう汽車きしゃ電話でんわの世の中よのなかではすでに仙人せんにんそのものが消滅しょうめつしたから、仙人せんにんに近いちかい人間にんげんの価値かちも自然しぜん下落げらくして、商館しょうかんの手代てだいそのままの風采ふうさいを残念ざんねんながら諸君しょくんの御覧ごらんに入れいれなければならない始末しまつになります。
次つぎに、昔むかしは階級かいきゅう制度せいどで社会しゃかいが括らくくられていたのだから、階級かいきゅうが違うちがうと容易よういに接触せっしょくすらできなくなる場合ばあいも多かっおおかった。
今いまでも天子てんし様ようなどにはむやみには近づけちかづけません。
私わたくしはまだ拝謁はいえつをしませんが、昔むかしは一般いっぱんから見みて今いまの天皇陛下てんのうへいか以上いじょうに近づきちかづきがたい階級かいきゅうのものがたくさんおったのです。
一国いちこくの領主りょうしゅに言葉ことばを交えるまじえるのすら平民へいみんには大変たいへんな異例いれいでしょう。
土つち下座げざとか云っいって地面じめんへ坐っすわって、ピタリぴたりと頭あたまを下げさげて、肝腎かんじんの駕籠かごが通るとおる時じにはどんな顔かおの人ひとがいるのかまるで物色ぶっしょくする事ことができなかった。
第一だいいち駕籠かごの中なかには化物ばけものがいるのか人間にんげんがいるのかさえ分らわからなかったくらいのものと聞いきいています。
してみると階級かいきゅうが違えちがえば種類しゅるいが違うちがうという意味いみになってその極きょくはどんな人間にんげんが世の中よのなかにあろうと不思議ふしぎを挟むはさむ余地よちのないくらいに自他じたの生活せいかつに懸隔けんかくのある社会しゃかい制度せいどであった。
したがって突拍子とっひょうしもない偉いえらい人間にんげんすなわち模範的もはんてきな忠臣ちゅうしん孝子たかこその他ほかが世の中よのなかには現にげんにいるという観念かんねんがどこかにあったに違いない。
以上いじょうの諸もろ原因げんいんからして自然しぜん模範的もはんてきの道徳どうとくを一般いっぱんに強いてしいて怪しまあやしまなかったのでありましょう。
また強いつよいられて黙っだまっていもし、あるいは自からみずから進んすすんで己おのれに強いつよいもしたのでしょう。
ところが維新いしん以後いご四よん十じゅう四よん五ご年ねんを経過けいかした今日きょうになって、この道徳どうとくの推移すいいした経路けいろをふり返っふりかえって見るみると、ちゃんと一定いっていの方向ほうこうがあって、ただその方向ほうこうにのみ遅疑ちぎなく流れながれて来きたように見えるみえるのは、社会しゃかいの現象げんしょうを研究けんきゅうする学者がくしゃに取っとってはなはだ興味きょうみのある事柄ことがらと云わいわなければなりません。
しからば維新いしん後あとの道徳どうとくが維新いしん前まえとどういう風かぜに違っちがって来きたかと云ういうと、かのピタリぴたりと理想りそう通りとおりに定っさだまった完全かんぜんの道徳どうとくというものを人ひとに強きょううる勢力せいりょくがだんだん微弱びじゃくになるばかりでなく、昔むかし渇仰かつごうした理想りそうその物ものがいつの間まにか偶像ぐうぞう視みせられて、その代りかわり事実じじつと云ういうものを土台どだいにしてそれから道徳どうとくを造り上げつくりあげつつ今日きょうまで進んすすんで来きたように思わおもわれる。
人間にんげんは完全かんぜんなものでない、初めはじめは無論むろん、いつまで行っいっても不純ふじゅんであると、事実じじつの観察かんさつに本ほんいた主義しゅぎを標榜ひょうぼうしたと云っいっては間ま違いになるが、自然しぜんの成行なりゆきを逆ぎゃくに点検てんけんして四十四よんじゅうよん年ねんの道徳どうとく界さかいを貫いつらぬいている潮流ちょうりゅうを一句いっくにつづめて見るみるとこの主義しゅぎにほかならんように思わおもわれるから、つまりは吾々われわれが知らしらず知らしらずの間まにこの主義しゅぎを実行じっこうして今日きょうに至っいたったと同じおなじ結果けっかになったのであります。
さて自然しぜんの事実じじつをそのままに申せもうせば、たといいかな忠臣ちゅうしんでも孝子たかこでも貞女ていじょでも、一方いっぽうから云えいえばそれぞれ相当そうとうの美徳びとくを具えそなえているのは無論むろんであるがこれと同時どうじに一方いっぽうではずいぶんいかがわしい欠点けってんをもっている。
すなわち忠ただしであり孝こうであり貞ていであると共ともに、不忠ふちゅうでもあり不孝ふこうでも不貞ふていでもあると云ういう事ことであります。
こう言葉ことばに現わしあらわして云ういうと何なんだか非常ひじょうに悪くわるくなりますが、いかに至徳しとくの人ひとでもどこかしらに悪いわるいところがあるように、人ひとも解釈かいしゃくし自分じぶんでも認めみとめつつあるのは疑ぎもない事実じじつだろうと思うおもうのです。
現にげんに私わたくしがこうやって演壇えんだんに立つたつのは全然ぜんぜん諸君しょくんのために立つたつのである、ただ諸君しょくんのために立つたつのである、と救世きゅうせい軍ぐんのようなことを言っいったって諸君しょくんは承知しょうちしないでしょう。
誰だれのために立ったっているかと聞かきかれたら、社しゃのために立ったっている、朝日新聞あさひしんぶんの広告こうこくのために立ったっている、あるいは夏目なつめ漱石そうせきを天下てんかに紹介しょうかいするために立ったっていると答えこたえられるでしょう。
それで宜しいよろしい。
けっして純粋じゅんすいな生一本なまいちぽんの動機どうきからここに立ったって大きなおおきな声こえを出しだしているのではない。
この暑さあつさに襟えりのグタグタぐたぐたになるほど汗あせを垂らしたらしてまで諸君しょくんのために有益ゆうえきな話はなしをしなければ今晩こんばん眠らねむられないというほど奇特きとくな心掛こころがけは実じつのところありません。
と云っいったところでこう見えみえても、満更まんざら好意こういも人情にんじょうも無いないわがまま一方いっぽうの男おとこでもない。
打ち明けうちあけたところを申せもうせば今度こんどの講演こうえんを私わたくしが断っことわったって免職めんしょくになるほどの大事件だいじけんではないので、東京とうきょうに寝ねていて、差支さしつかえがあるとか健康けんこうが許さゆるさないとか何なんとかかとか言訳いいわけの種しゅを拵えこしらえさえすれば、それですむのです。
けれども諸君しょくんのためを思いおもい、また社しゃのためを思いおもい、と云ういうと急きゅうに偽善ぎぜんめきますが、まあ義理ぎりやら好意こういやらを加味かみした動機どうきからさっそく出でて来きたとすればやはり幾分いくぶんか善人ぜんにんの面影おもかげもある。
有体ありていに白状はくじょうすれば私わたくしは善人ぜんにんでもあり悪人あくにんでも――悪人あくにんと云ういうのは自分じぶんながら少々しょうしょうひどいようだが、まず善悪ぜんあくとも多少たしょう混っまじった人間にんげんなる一種いっしゅの代物しろもので、砂すなもつき泥どろもつき汚ないきたない中なかに金きんと云ういうものが有るあるか無いないかぐらいに含まふくまれているくらいのところだろうと思うおもう。
私わたくしがこういう事ことを平気へいきで諸君しょくんの前まえで述べのべて、それであなた方ほうは笑っわらって聴いきいているくらいなのだから、今いまの人ひとは昔むかしに比べるくらべるとよほど倫理りんり上うえの意見いけんについても寛大かんだいになっている事ことが分りわかります。
これが制裁せいさいの厳重げんじゅうで模範的もはんてき行動こうどうを他ほかに強いつよいなければやまない旧幕きゅうばく時代じだいであったら、こんな露骨ろこつを無遠慮むえんりょにいう私わたくしはきっと社長しゃちょうに叱らしかられます。
もし社長しゃちょうが大名だいみょうだったなら叱らしかられるばかりでなく切腹せっぷくを仰せつかるおおせつかるかも知れしれないところですけれど、明治めいじ四十四よんじゅうよん年ねんの今日きょうは社長しゃちょうだって黙っだまっている。
そうしてあなた方ほうは笑っわらっている。
これほど世の中よのなかは穏かおだやかになって来きたのです。
倫理観りんりかんの程度ていどが低くひくくなって来きたのです。
だんだん住みすみやすい世の中よのなかになって御ご互たがいに仕合しあいでしょう。
かく社会しゃかいが倫理的りんりてき動物どうぶつとしての吾人ごじんに対したいして人間にんげんらしい卑近ひきんな徳義とくぎを要求ようきゅうしてそれで我慢がまんするようになって、完全かんぜんとか至極しごくとか云ういう理想りそう上うえの要求ようきゅうを漸次ぜんじに撤回てっかいしてしまった結果けっかはどうなるかと云ういうと、まず従前じゅうぜんから存在そんざいしていた評価ひょうか率りつ(道徳どうとく上うえの)が自然しぜんの間まに違っちがってこなければならない訳わけになります。
世の中よのなかは恐ろしいおそろしいもので、だんだんと道徳どうとくが崩れくずれてくるとそれを評価ひょうかする眼めが違っちがってきます。
昔むかしはお辞儀おじぎの仕方しかたが気きに入らはいらぬと刀かたなの束たばへ手てをかけた事こともありましたろうが、今いまではたとい親密しんみつな間柄あいだがらでも手数てすうのかかるような挨拶あいさつはやらないようであります。
それで自他じた共ともに不愉快ふゆかいを感ぜかんぜずにすむところが私わたくしのいわゆる評価ひょうか率りつの変化へんかという意味いみになります。
御辞儀ごじぎなどはほんの一いち例れいですが、すべて倫理的りんりてき意義いぎを含むふくむ個人こじんの行為こういが幾分いくぶんか従前じゅうぜんよりは自由じゆうになったため、窮屈きゅうくつの度どが取れとれたため、すなわち昔むかしのように強いてしいて行いおこない、無理むりにもなすという瘠我慢がまんも圧迫あっぱくも微弱びじゃくになったため、一言ひとことにして云えいえば徳義とくぎ上うえの評価ひょうかがいつとなく推移すいいしたため、自分じぶんの弱点じゃくてんと認めるみとめるようなことを恐れおそれもなく人ひとに話すはなすのみか、その弱点じゃくてんを行為こういの上うえに露出ろしゅつして我われも怪しまあやしまず、人ひとも咎めとがめぬと云ういう世の中よのなかになったのであります。
私わたくしは明治めいじ維新いしんのちょうど前の年まえのとしに生れうまれた人間にんげんでありますから、今日きょうこの聴衆ちょうしゅう諸君しょくんの中なかに御ご見えみえになる若いわかい方ほうとは違っちがって、どっちかというと中途半端ちゅうとはんぱの教育きょういくを受けうけた海陸かいりく両棲りょうせい動物どうぶつのような怪しあやしげなものでありますが、私わたくしらのような年輩ねんぱいの過去かこに比べるくらべると、今いまの若いわかい人ひとはよほど自由じゆうが利いきいているように見えみえます。
また社会しゃかいがそれだけの自由じゆうを許しゆるしているように見えみえます。
漢学かんがく塾じゅくへ二に年ねんでも三さん年ねんでも通っとおった経験けいけんのある我々われわれには豪くえらくもないのに豪ごうそうな顔かおをしてみたり、性せいを矯めためて瘠我慢がまんを言い張っいいはって見みたりする癖くせがよくあったものです。
――今いまでもだいぶその気味きみがあるかも知れしれませんが。
――ところが今いまの若いわかい人ひとは存外ぞんがい淡泊たんぱくで、昔むかしのような感激かんげき性せいの詩趣ししゅを倫理的りんりてきに発揮はっきする事ことはできないかも知れしれないが、大体だいたい吹き抜けふきぬけの空そら筒つつで何なんでも隠さかくさないところがよい。
これは自分じぶんを取りとり繕つくろいろいたくないという結構けっこうな精神せいしんの働いはたらいている場合ばあいもありましょうし、また隠さかくさない明けあけッっ放しはなしの内臓ないぞうを見せみせても世間せけんで別段べつだん鼻はなを抓んつまんで苦いにがい顔かおをするものがないからでもありましょうが、私わたくしの所ところへ時々ときどき若いわかい人ひとなどが初めてはじめて訪問ほうもんに来きて、後あとから手紙てがみなどにその時じの感想かんそうをありのままに書いかいて送っおくってくれる場合ばあいなどでさえ思いおもいもよらぬ告白こくはくをする事ことがあるから面白いおもしろいです。
と云っいって大したたいした弱点じゃくてんを見みてくれと云わいわんばかりに書くかく訳わけでもないが、とにかくこっちから頼みたのみはしないので、先方せんぽうから勝手にかってに寄こすよこすくらいの酔興すいきょう的まとな閑かん文字もじすなわち一種いっしゅの意味いみにおける芸術品げいじゅつひんなのだから、もし我々われわれの若いわかい時分じぶんの気持きもちで書くかくとすれば、天下てんかの英雄えいゆう君きみと我われとのみとまで豪ごうがらないにせよ、習俗しゅうぞく的まとに高雅こうがな観念かんねんを会釈えしゃくなく文字もじの上うえに羅列られつして快よいこころよい一いち種しゅの刺戟しげきを自己じこの倫理りんり性せいが受けるうけるように詩趣ししゅを発揮はっきするのが通例つうれいであるが、今例こんれいに引こうひこうとする手紙てがみなどにはそんな面影おもかげはまるでない。
まず門もんを入っはいったら胸騒ぎむなさわぎがしたとか、格子こうしを開けるあける時じにベルべるが鳴っなってますます驚いおどろいたとか、頼むたのむと案内あんないを乞うこうておきながら取次とりつぎに出でて来きた下女げじょが不在ふざいだと言っいってくれればよかったと沓脱くつぬぎの前まえで感じかんじたとか、それが御宅ごたくですという一言ひとことで急きゅうに帰りかえりたい心持こころもちに変化へんかしたとか、ところへこちらへ上れのぼれとまた取次とりつぎに出でて来きられてますます恐縮きょうしゅくしたとか、すべてそういう弱いよわい神経しんけい作用さようがいささかの飾り気かざりけもなく出でている。
徳義とくぎ的まと批判ひはんを含んふくんだ言葉ことばで云えいえば臆病おくびょうとか度胸どきょうがないとか云ういうべき弱点じゃくてんを自由じゆうに白状はくじょうしている。
たかが夏目なつめ漱石そうせきの所ところへ来るくるのにこうビクビクびくびくする必要ひつようはあるまいとお思いおもいかも知れしれませんが実際じっさいあるのです。
しかし私わたくしはこれが今いまの青年せいねんだからあるのだと信じしんじます。
旧幕きゅうばく時代じだいの文学ぶんがくのどこをどう尋ねたずねてもこんな意味いみの訪問ほうもん感想かんそう録ろくはけっして見当るみあたるまいと信じしんじます。
この春はるでしたがある所ところに音楽会おんがくかいがありました。
その時じに私わたくしの知っしった人ひとが演奏えんそう台だいに立ったって歌うたをうたいました。
私わたくしは招待しょうたいを受けうけて一番いちばん前まえの列れつの真中まなかにいて聴いきいていました。
ところがその歌うたは下手へたでした。
私わたくしは音楽おんがくを聞くきく耳みみも何なんも持たもたない素人しろうとではあるがその人ひとのうたいぶりはすこぶる不味いまじいように感じかんじました。
あとでその人ひとに会っかいって感じかんじた通りとおり不味いまじいと云いいいました。
ところがその音楽家おんがくかはあの演奏えんそう台だいに立ったった時じ、自分じぶんの足あしがブルブルぶるぶる顫えるふるえるのに気きが着いついたかと私わたくしに聞きききます。
私わたくしは気きが着かきかなかったけれども当人とうにん自身じしんは足あしが顫えふるえたと自白じはくする。
昔むかしならたとい足あしが顫えふるえても顫えふるえないと云い張っいいはったでしょう。
何なんとか負ふ惜みおしみでも言いいいたいくらいのところへ持っもって来きて、人ひとの気きがつきもしないのに自分じぶんの口くちから足あしがガクガクがくがくしたと自白じはくする。
それだけ今いまの人ひとが淡泊たんぱくになったのじゃないでしょうか。
またこれほど淡泊たんぱくになれるだけ世間せけんの批判ひはんが寛大かんだいになったのじゃないでしょうか。
人間にんげんにそのくらいな弱点じゃくてんはありがちの事ことだとテンてんから認めみとめているのじゃないでしょうか。
私わたくしは昔むかしと今いまと比べくらべてどっちが善いよいとか悪いわるいとかいうつもりではない、ただこれだけの区別くべつがあると申しもうしたいのであります。
また過去かこ四十よんじゅう何なん年間ねんかんの道徳どうとくの傾向けいこうは明かあきらかにこういう方向ほうこうに流れながれつつあるという事実じじつを御ご認めみとめにならん事ことを希望きぼうするのであります。
古今ここん道徳どうとくの区別くべつはこれで切上げきりあげておいて話はなしは突然とつぜん文芸ぶんげいの方ほうへ移りうつります。
もっとも文芸ぶんげいの方ほうの話はなしを詳しくくわしく云ういうつもりではないから、必要ひつような説明せつめいだけに留めとめて、ごくざっとしたところを申しもうしますが、近年きんねん文芸ぶんげいの方ほうで浪漫ろまん主義しゅぎ及びおよび自然主義しぜんしゅぎすなわちロマンチシズムろまんちしずむとナチュラリズムなちゅらりずむという二につの言葉ことばが広くひろく行わおこなわれて参りまいりました。
そうしてこの二につの言葉ことばは文芸ぶんげい界さかい専有せんゆうの術語じゅつごでその他ほかの方面ほうめんには全くまったく融通ゆうずうの利かりかないものであるかのごとく取扱わとりあつかわれております。
ところが私わたくしはこれからこの二につの言葉ことばの意味いみ性質せいしつを極めてきわめて簡略かんりゃくに述べのべて、そうしてそれを前まえ申上げもうしあげた昔むかしと今いまの道徳どうとくに結びつけむすびつけて両方りょうほうを綜合そうごうして御覧ごらんに入れよういれようと思うおもうのです。
つまり浪漫ろまん主義しゅぎも自然主義しぜんしゅぎも文芸家ぶんげいか専有せんゆうの言語げんごではないという意味いみが分れわかればその結果けっか自然しぜんの勢いいきおいでこれらがまた前まえ説明せつめいした二に種しゅの道徳どうとくと関係かんけいして来るくると云ういうのであります。
この浪漫ろまん主義しゅぎ自然主義しぜんしゅぎの文学ぶんがくについてちょっと申上げるもうしあげる前まえにあらかじめ諸君しょくんの御ご注意ちゅういを煩わしわずらわしておきたい事ことがありますが、前まえも御ご断りことわり申しもうしたごとく今日きょうのお話はなしはすべて道徳どうとくと文芸ぶんげいとの交渉こうしょう関係かんけいでありますから、二に種類しゅるいの文学ぶんがくのうち(ことに浪漫ろまん主義しゅぎの文学ぶんがくのうち)道徳どうとくの分子ぶんしの交っかって来きないものは頭あたまから取除けとりのけて考えかんがえていただきたい。
それからよし道徳どうとくの分子ぶんしが交っかっていても倫理的りんりてき観念かんねんが何なんらの挑撥ちょうはつを受けうけない――否いな受けうけ得とくべからざるていの文学ぶんがくもまた取り除けとりのぞけて考えかんがえていただきたい。
それらを除いのぞいた上うえでこの二に種類しゅるいの文学ぶんがくを見渡しみわたして見るみると浪漫ろまん主義しゅぎの文学ぶんがくにあってはその中なかに出でてくる人物じんぶつの行為こうい心術しんじゅつが我々われわれより偉大いだいであるとか、公明こうめいであるとか、あるいは感激かんげき性せいに富んとんでいるとかの点てんにおいて、読者どくしゃが倫理的りんりてきに向上こうじょう遷善せんぜんの刺戟しげきを受けるうけるのがその特色とくしょくになっています。
この影響えいきょうは昔むかしし流行っりゅうこうった勧善懲悪かんぜんちょうあくという言葉ことばと関係かんけいはありますが、けっして同じおなじではない。
ずっと高尚こうしょうの意味いみで云ういうのですから誤解ごかいのないように願いねがいます。
また自然主義しぜんしゅぎの文学ぶんがくでは人間にんげんをそう伝説でんせつ的まとの英雄えいゆうの末孫ばっそんか何なんかであるようにもったいをつけてありがたそうには書かかかない。
したがって読者どくしゃも作者さくしゃも倫理りんり上うえの感激かんげきには乏しいとぼしい。
ことによると人間にんげんの弱点じゃくてんだけを綴り合せつづりあわせたように見えるみえる作物さくもつもできるのみならず往々おうおうその弱点じゃくてんがわざとらしく誇張こちょうされる傾きかたむきさえあるが、つまりは普通ふつうの人間にんげんをただありのままの姿すがたに描くえがくのであるから、道徳どうとくに関するかんする方面ほうめんの行為こういも疵きず瑕きず交こう出でするということは免かれまぬかれない。
ただこういうあさましいところのあるのも人間にんげん本来ほんらいの真相しんそうだと自分じぶんでも首肯きうなずき他ほかにも合点がてんさせるのを特色とくしょくとしている。
この二につの文学ぶんがくを詳しくくわしく説明せつめいすればそれだけで大分おおいた時間じかんが経ちたちますから、まあ誰だれも知っしっているぐらいの説明せつめいで御免ごめんを蒙っこうむって、この二につの文学ぶんがくが前まえの二に傾向けいこうの道徳どうとくをその作物さくもつ中なかに反射はんしゃしているということにさえ気きがつけば、ここに始めはじめて文芸ぶんげいと道徳どうとくとがいずれの点てんにおいて関係かんけいがあるかと云ういうことも明かあきらかになって来ようこようと思いおもいます。
返す返すかえすがえす申すもうすようですが題だいがすでに文芸ぶんげいと道徳どうとくでありますから、道徳どうとくの関係かんけいしない文芸ぶんげいのことは全然ぜんぜん論外ろんがいに置いおいて考えかんがえないと誤解ごかいを招きまねきやすいのであります。
道徳どうとくに関係かんけいの無いない文芸ぶんげいの御ご話はなしをすれば幾らいくらでもありますが、例えばたとえば今いま私わたくしがここへ立ったってむずかしい顔かおをして諸君しょくんを眼下がんかに見みて何なんか話はなしをしている最中さいちゅうに何なんかの拍子ひょうしで、卑陋ひろうな御ご話はなしではあるが、大きなおおきな放屁ほうひをするとする。
そうすると諸君しょくんは笑うわらうだろうか、怒るおこるだろうか。
そこが問題もんだいなのである。
と云ういうといかにも人ひとを馬鹿ばかにしたような申し分もうしぶんであるが、私わたくしは諸君しょくんが笑うわらうか怒るおこるかでこの事件じけんを二に様ように解釈かいしゃくできると思うおもう。
まず私わたくしの考かんがえでは相手あいてが諸君しょくんのごとき日本人にっぽんにんなら笑うわらうだろうと思うおもう。
もっとも実際じっさいやってみなければ分らわからない話はなしだからどっちでも構わかまわんようなものだけれども、どうも諸君しょくんなら笑いわらいそうである。
これに反しはんして相手あいてが西洋せいよう人ひとだと怒りいかりそうである。
どうしてこう云ういう結果けっかの相違そういを来すきたすかというと、それは同じおなじ行為こういに対するたいする見方みかたが違うちがうからだと言わいわなければならない。
すなわち西洋せいよう人ひとが相手あいての場合ばあいには私わたくしの卑陋ひろうのふるまいを一いち図ずに徳義とくぎ的まとに解釈かいしゃくして不徳義ふとくぎ――何なんも不徳義ふとくぎと云ういうほどの事こともないでしょうが、とにかく礼れいを失ししっしていると見みて、その方面ほうめんから怒るおこるかも知れしれません。
ところが日本人にっぽんにんだと存外ぞんがい単純たんじゅんに見做しみなして、徳義とくぎ的まとの批判ひはんを下すくだす前まえにまず滑稽こっけいを感じかんじて噴き出すふきだすだろうと思うおもうのです。
私わたくしのしかつめらしい態度たいどと堂々どうどうたる演題えんだいとに心こころを傾けかたむけて、ある程度ていどまで厳粛げんしゅくの気分きぶんを未来みらいに延長えんちょうしようという予期よきのある矢先やさきへ、突然とつぜん人前ひとまえでは憚るはばかるべき異ないな音おとを立てたてられたのでその矛盾むじゅんの刺激しげきに堪えこらえないからです。
この笑うわらう刹那せつなには倫理りんり上うえの観念かんねんは毫もごうも頭あたまを擡げるもたげる余地よちを見出しみだし得とくない訳わけですから、たとい道徳的どうとくてき批判ひはんを下すくだすべき分子ぶんしが混入こんにゅうしてくる事件じけんについても、これを徳義とくぎ的まとに解釈かいしゃくしないで、徳義とくぎとはまるで関係かんけいのない滑稽こっけいとのみ見るみる事こともできるものだと云ういう例証れいしょうになります。
けれどももし倫理的りんりてきの分子ぶんしが倫理的りんりてきに人ひとを刺戟しげきするようにまたそれを無関係むかんけいの他ほかの方面ほうめんにそらす事ことができぬように作物さくもつ中なかに入込んいれこんで来きたならば、道徳どうとくと文芸ぶんげいというものは、けっして切り離すきりはなす事ことのできないものであります。
両者りょうしゃは元来がんらい別物べつものであって各かく独立どくりつしたものであるというような説せつも或るある意味いみから云えいえば真理しんりではあるが、近来きんらいの日本にっぽんの文士ぶんしのごとく根柢こんていのある自信じしんも思慮しりょもなしに道徳どうとくは文芸ぶんげいに不必要ふひつようであるかのごとく主張しゅちょうするのははなはだ世人せじんを迷わまよわせる盲者もうしゃの盲もう論ろんと云わいわなければならない。
文芸ぶんげいの目的もくてきが徳義とくぎ心こころを鼓吹こすいするのを根本こんぽん義ぎにしていない事ことは論理ろんり上うえしかるべき見解けんかいではあるが、徳義とくぎ的まとの批判ひはんを許すゆるすべき事件じけんが経きょうとなり緯ぬきとなりて作物さくもつ中なかに織り込まおりこまれるならば、またその事件じけんが徳義とくぎ的まと平面へいめんにおいて吾人ごじんに善悪ぜんあく邪じゃ正ただしの刺戟しげきを与えるあたえるならば、どうして両者りょうしゃをもって没交渉ぼつこうしょうとする事ことができよう。
道徳どうとくと文芸ぶんげいの関係かんけいは大体だいたいにおいてかくのごときものであるが、なお前まえに挙げあげた浪漫ろまん自然しぜん二に主義しゅぎについてこれらがどういう風かぜに道徳どうとくと交渉こうしょうしているかをもう少しすこし明暸めいりょうに調べしらべてみる必要ひつようがあると思いおもいます。
すなわちこの二に種しゅの文学ぶんがくについてどこが道徳的どうとくてきでどこが芸術的げいじゅつてきであるかを分解ぶんかい比較ひかくして一々いちいち点検てんけんするのであります。
こうすれば文芸ぶんげいと道徳どうとくの関係かんけいが一層いっそう明暸めいりょうになるのみならず、また浪漫ろまん自然しぜん二に文学ぶんがくの関係かんけいもまた一段いちだんと判然はんぜんするだろうと思いおもいます。
第一だいいち、浪漫ろまん派はの内容ないようから言うゆうと、前まえ申しもうした通りとおり忠臣ちゅうしんが出でて来きたり、孝子たかこが出でて来きたり、貞女ていじょが出でて来きたり、その他ほかいろいろの人物じんぶつが出でて来きて、すべて読者どくしゃの徳性とくせいを刺激しげきしてその刺激しげきに依っよって事ことをなす、すなわち読者どくしゃを動かそううごかそうと云ういう方法ほうほうを講じこうじますから、その刺激しげきを与えるあたえる点てんは取りとりも直さなおさず道義的どうぎてきであると同時どうじに芸術的げいじゅつてきに違いない。
(文学ぶんがくと云ういうものが感情かんじょう性せいのものであって、吾人ごじんの感情かんじょうを挑撥ちょうはつ喚起かんきするのがその根本こんぽん義ぎとすれば)かく浪漫ろまん派はは内容ないようの上うえから云っいって芸術的げいじゅつてきであるけれども、その内容ないようの取扱とりあつかい方ほうに至るいたるとあるいは非ひ芸術的げいじゅつてきかも知れしれません。
という意味いみはどうもその書き方かきかたによくない目的もくてきがあるらしい。
こういう事件じけんをこう写しうつしてこう感動かんどうさせてやろうとかこう鼓舞こぶしてやろうとか、述作じゅっさくそのものに興味きょうみがあるよりも、あらかじめ胸むねに一物いちぶつがあって、それを土台どだいに人ひとを乗せようのせようとしたがる。
どうもややともするとそこに厭味いやみが出でて来るくる。
私わたくしが今晩こんばんこうやって演説えんぜつをするにしても、私わたくしの一いち字じ一句いっくに私わたくしと云ういうものがつきまつわっておってどうかして笑わわらわせてやろう、どうかして泣かなきかせてやろうと擽っくすぐったり辛子からしを甞めさせるような故意こいの痕跡こんせきが見え透いみえすいたら定めしさだめし御ご聴ききき辛いつらいことで、ために芸術品げいじゅつひんとして見みたる私わたくしの講演こうえんは大いにおおいに価値かちを損ずるそんずるごとく、いかに内容ないようが良くよくても、言い方いいかた、取扱いとりあつかい方ほう、書き方かきかたが、読者どくしゃを釣っつってやろうとか、挑撥ちょうはつしてやろうとかすべて故意こいの趣おもむきがあれば、その故意こいとらしいところ不自然ふしぜんなところはすなわち芸術げいじゅつとしての品位ひんいに関っかかわって来るくるのです。
こういう欠点けってんを芸術げいじゅつ上うえには厭味いやみといって非難ひなんするのです。
これに反しはんして自然主義しぜんしゅぎから云えいえば道義どうぎの念ねんに訴えうったえて芸術げいじゅつ上うえの成功せいこうを収めるおさめるのが本領ほんりょうでないから、作中さくちゅうにはずいぶん汚ないきたない事ことも出でて来るくる、鼻持はなもちのならない事ことも書いかいてある。
けれどもそれが道心どうしんを沈滞ちんたいせしめて向下こうげ堕落だらくの傾向けいこうを助長じょちょうする結果けっかを生ずるしょうずるならばそれは作家さっかか読者どくしゃかどっちかが悪いわるいので、不善ふぜん挑撥ちょうはつもまたけっしてこの種しゅの文学ぶんがくの主意しゅいでない事ことは論理的ろんりてきに証明しょうめいできるのである。
したがって善悪ぜんあく両面りょうめんともに感激かんげき性せいの素因そいんに乏しいとぼしいという点てんから見みて、そこが芸術的げいじゅつてきでないと難なんを打つうつ事ことはできる。
その代りかわりその書きかきぶりや事件じけんの取扱とりあつかい方ほうに至っいたっては本来ほんらいがただありのままの姿すがたを淡泊たんぱくに写すうつすのであるから厭味いやみに陥るおちいる事ことは少ないすくない。
厭味いやみとか厭味いやみでないとかいう事ことは前まえにも芸術げいじゅつ上うえの批判ひはんであると御ご断りことわりしておきましたが、これが同時どうじに徳義とくぎ上うえの批判ひはんにもなるからして自然主義しぜんしゅぎの文芸ぶんげいは内容ないようのいかんにかかわらずやはり道徳どうとくと密接みっせつな縁えんを引いひいているのであります。
というのはただありのままを衒わてらわないで真率しんそつに書くかくというのが厭味いやみのない描写びょうしゃとしての好所こうしょであるのであるが、そのありのままを衒わてらわないで真率しんそつに書くかくところを芸術的げいじゅつてきに見みないで道義的どうぎてきに批判ひはんしたらやはり正直しょうじきという言葉ことばを同じおなじ事象じしょうに対したいして用いもちいられるのだからして、芸術げいじゅつと道徳どうとくも非常ひじょうに接続せつぞくしている事ことが分りわかりましょう。
のみならず芸術的げいじゅつてきに厭味いやみがなく道徳的どうとくてきに正直しょうじきであるという事ことがこの際さい同じおなじ物ものを指しさしているばかりではなく理知りちの方面ほうめんから見れみれば真しんという資格しかくに相当そうとうするのだから、つまりは一いちつの物ものを人間にんげんの三さん大おお活力かつりょくから分ぶん察しさっしたと異なることなるところはないのであります。
三さん位くらい一体いったいと申しもうしてもよいでしょう。
こう分解ぶんかいして見るみると、一見いっけん道義的どうぎてきで貫ぬいつらぬいている浪漫ろまん派はの作物さくもつに存外ぞんがい不徳義ふとくぎの分子ぶんしが発見はっけんされたり、またちょっと考えるかんがえると徳義とくぎの方面ほうめんに何なんらの注意ちゅういを払わはらわない自然しぜん派はの流りゅうを汲んくんだものに妙みょうに倫理りんり上うえの佳所かしょがあったり、そうしてその道義的どうぎてきであるや否いなやが一いちにその芸術的げいじゅつてきであるや否いなやで決せけっせられるのだから、二者にしゃの関係かんけいは一層いっそう明暸めいりょうになって来きた訳わけであります。
また浪漫ろまん、自然しぜんと名づけなづけられる二に種しゅの文芸ぶんげい上うえの作物さくもつ中なかにこの道徳どうとくの分子ぶんしがいかに織り込まおりこまれるかもたいてい説明せつめいし得とくたつもりであります。
なお余論よろんとして以上いじょう二に種しゅの文芸ぶんげいの特性とくせいについてちょっと比較ひかくしてみますと、浪漫ろまん派はは人ひとの気きを引立てるひきたてるような感激かんげき性せいの分子ぶんしに富んとんでいるには違いないが、どうも現世げんせ現在げんざいを飛び離れとびはなれているの憾みうらみを免かれまぬかれない。
妄りみだりに理想りそう界さかいの出来事できごとを点綴てんていしたような傾がかしがあるかも知れしれない。
よしその理想りそうが実現じつげんできるにしてもこれを未来みらいに待たまたなければならない訳わけであるから、書いかいてある事こと自身じしんは道みち義心ぎしんの飽満ほうまん悦楽えつらくを買うかうに十分じゅうふんであるとするも、その実じつ己おのれには切実せつじつの感かんを与えあたえ悪いわるいものである。
これに反しはんして自然主義しぜんしゅぎの文芸ぶんげいには、いかに倫理りんり上うえの弱点じゃくてんが書いかいてあっても、その弱点じゃくてんはすなわち作者さくしゃ読者どくしゃ共通きょうつうの弱点じゃくてんである場合ばあいが多いおおいので、必竟ひっきょうずるに自分じぶんを離れはなれたものでないという意味いみから、汚いきたない事ことでも何なんでも切実せつじつに感ずるかんずるのは吾人ごじんの親しくしたしく経験けいけんするところであります。
今一ついまひとつ注意ちゅういすべきことは、普通ふつう一般いっぱんの人間にんげんは平生へいぜい何なんも事ことの無いない時じに、たいてい浪漫ろまん派はでありながら、いざとなると十じゅう人ひとが十人じゅうにんまで皆みな自然主義しぜんしゅぎに変ずるへんずると云ういう事実じじつであります。
という意味いみは傍観者ぼうかんしゃである間まは、他ほかに対するたいする道義どうぎ上うえの要求ようきゅうがずいぶんと高いたかいものなので、ちょっとした紛紜ふんうんでも過失かしつでも局外きょくがいから評するひょうする場合ばあいには大変たいへん苛いむごい。
すなわちおれが彼かれの地位ちいにいたらこんな失体しったいは演じえんじまいと云ういう己おのれを高くたかく見積るみつもる浪漫ろまん的まとな考かんがえがどこかに潜んひそんでいるのであります。
さて自分じぶんがその局きょくに当っあたってやって見るみると、かえって自分じぶんの見縊っみくびった先任せんにん者ものよりも烈しいはげしい過失かしつを犯しおかしかねないのだから、その時じその場合ばあいに臨むのぞむと本来ほんらいの弱点じゃくてんだらけの自己じこが遠慮えんりょなく露出ろしゅつされて、自然主義しぜんしゅぎでどこまでも押しおして行かいかなければやりきれないのであります。
だから私わたくしは実行じっこう者ものは自然しぜん派はで批評家ひひょうかは浪漫ろまん派はだと申しもうしたいぐらいに考えかんがえています。
次つぎに御ご話しはなしたいのは先年せんねん来き自然主義しぜんしゅぎをある一部いちぶの人ひとが唱えとなえ出しだして以後いご世間せけん一般いっぱんではひどくこれを嫌っいやってはては自然主義しぜんしゅぎといえば堕落だらくとか猥褻わいせつとかいうものの代名詞だいめいしのようになってしまいました。
しかし何なんもそう恐れおそれたり嫌っいやったりする必要ひつようは毫もごうもないので、その結果けっかの健全けんぜんな方ほうも少しすこしは見みなければなりません。
元来がんらい自分じぶんと同じおなじような弱点じゃくてんが作物さくもつの中なかに書いかいてあって、己おのれと同じおなじような人物じんぶつがそこに現われあらわれているとすれば、その弱点じゃくてんを有するゆうする人間にんげんに対するたいする同情どうじょうの念ねんは自然しぜん起るおこるべきはずであります。
また自分じぶんもいつこういう過失かしつを犯さおかさぬとも限らかぎらぬと云ういう寂寞じゃくまくの感かんも同時どうじにこれに伴うともなうでしょう。
己おのれ惚ぼけの面めんを剥ぎ取っはぎとって真直まっすぐな腰こしを低くひくくするのはむしろそういう文学ぶんがくの影響えいきょうと言わいわなければなりません。
もし自然しぜん派はの作物さくもつでありながらこういう健全けんぜんな目的もくてきを達するたっすることができなければ、それこそ作物さくもつ自身じしんが悪いわるいのであると云わいわなければならない。
悪いわるいという意味いみは作物さくもつが出来でき損っそこなっているのです、どこか欠点けってんがあると云ういうのです。
前まえ説明せつめいした言葉ことばを用いもちいて評すれひょうすれば、そういう作物さくもつにはどこか不道徳ふどうとくの分子ぶんしがある、すなわちどこか非ひ芸術げいじゅつのところがある、すなわちどこか偽りいつわりを書いかいているのだという事ことに帰着きちゃくするのです。
ありのままの本当ほんとうをありのままに書くかく正直しょうじきという美徳びとくがあればそれが自然しぜんと芸術的げいじゅつてきになり、その芸術的げいじゅつてきの筆ふでがまた自然しぜん善いよい感化かんかを人ひとに与えるあたえるのは前段ぜんだんの分解ぶんかい的まと記述きじゅつによってもう御ご会得えとくになった事ことと思いおもいます。
自然主義しぜんしゅぎに道義どうぎの分子ぶんしがあるという事ことはあまり人ひとの口くちにしないところですからわざわざ長々ながながと弁じべんじました。
もっともただ新らしいあたらしい私わたくしの考かんがえだから御ご吹聴ふいちょうをするという次第しだいではありません。
御承知ごしょうちの通りとおり演題えんだいが「文芸ぶんげいと道徳どうとく」というのですから特にとくにこの点てんに注意ちゅういを払うはらう必要ひつようがあったのです。
これで浪漫ろまん主義しゅぎの文学ぶんがくと自然主義しぜんしゅぎの文学ぶんがくとが等しくひとしく道徳どうとくに関係かんけいがあって、そうしてこの二に種しゅの文学ぶんがくが、冒頭ぼうとうに述べのべた明治めいじ以前いぜんの道徳どうとくと明治めいじ以後いごの道徳どうとくとをちゃんと反射はんしゃしている事ことが明暸めいりょうになりましたから、我々われわれはこの二につの舶来はくらい語ごを文学ぶんがくから切り離しきりはなして、直じかに道徳どうとくの形容詞けいようしとして用いもちい、浪漫ろまん的まと道徳どうとく及びおよび自然主義しぜんしゅぎ的まと道徳どうとくという言葉ことばを使っつかって差支さしつかえないでしょう。
そこで私わたくしは明治めいじ以前いぜんの道徳どうとくをロマンチックろまんちっくの道徳どうとくと呼びよび明治めいじ以後いごの道徳どうとくをナチュラリスチックの道徳どうとくと名づけなづけますが、さて吾々われわれが眼前がんぜんにこの二に大おお区別くべつを控えひかえて向後こうご我われ邦くにの道徳どうとくはどんな傾向けいこうを帯びおびて発展はってんするだろうかの問題もんだいに移るうつるならば私わたくしは下したのごとくあえて云いいいたい。
「ロマンチックろまんちっくの道徳どうとくは大体だいたいにおいて過ぎ去っすぎさったものである」あなた方ほうがなぜかと詰問きつもんなさるならば人間にんげんの智識ちしきがそれだけ進んすすんだからとただ一言ひとこと答えるこたえるだけである。
人間にんげんの智識ちしきがそれだけ進んすすんだ。
進んすすんだに違いない。
元もとは真ししんしやかに見えみえたものが、今いまはどう考えかんがえても真しんとは見えみえない。
嘘うそとしか思わおもわれないからである。
したがって実在じつざいの権威けんいを失っうしなってしまうからである。
単にたんに実在じつざいの権威けんいを失ううしなうのみならず、実行じっこうの権利けんりすら失っうしなってしまうのである。
人間にんげんの智識ちしきが発達はったつすれば昔むかしのようにロマンチックろまんちっくな道徳どうとくを人ひとに強いつよいても、人ひとは誰だれも躬行きゅうこうするものではない。
できない相談そうだんだという事ことがよく分っわかって来るくるからである。
これだけでもロマンチックろまんちっくの道徳どうとくはすでに廃れすたれたと云わいわなければならない。
その上うえ今日きょうのように世の中よのなかが複雑ふくざつになって、教育きょういくを受けるうける者ものが皆みな第だい一いちに自治じちの手段しゅだんを目的もくてきとするならば、天下てんか国家こっかはあまり遠とお過ぎすぎて直接ちょくせつに我々われわれの眸ひとみには映りうつりにくくなる。
豆腐とうふ屋やが豆まめを潰しつぶしたり、呉服屋ごふくやが尺さしを度っはかったりする意味いみで我々われわれも職業しょくぎょうに従事じゅうじする。
上下じょうげ挙っあがって奔走ほんそうに衣食いしょくするようになれば経世けいせい利り民みん仁義じんぎ慈悲じひの念ねんは次第しだいに自家じか活計かっけいの工夫くふうと両立りょうりつしがたくなる。
よしその局きょくに当るあたる人ひとがあっても単にたんに職業しょくぎょうとして義務ぎむ心こころから公共こうきょうのために画策かくさく遂行すいこうするに過ぎすぎなくなる。
しかのみならず日露にちろ戦争せんそうも無事ぶじに済んすんで日本にっぽんも当分とうぶんはまず安泰あんたいの地位ちいに置かおかれるような結果けっかとして、天下てんか国家こっかを憂うれいとしないでも、その暇ひまに自分じぶんの嗜欲を満足まんぞくする計けいをめぐらしても差支さしつかえない時代じだいになっている。
それやこれやの影響えいきょうから吾々われわれは日ひに月つきに個人こじん主義しゅぎの立場たちばからして世の中よのなかを見渡すみわたすようになっている。
したがって吾々われわれの道徳どうとくも自然しぜん個人こじんを本位ほんいとして組み立てくみたてられるようになっている。
すなわち自我じがからして道徳律どうとくりつを割り出そうわりだそうと試みるこころみるようになっている。
これが現代げんだい日本にっぽんの大勢おおぜいだとすればロマンチックろまんちっくの道徳どうとく換言かんげんすれば我がわが利益りえきのすべてを犠牲ぎせいに供しきょうして他ほかのために行動こうどうせねば不徳義ふとくぎであると主張しゅちょうするようなアルトあるとルイスるいすチックちっく一方いっぽうの見解けんかいはどうしても空疎くうそになってこなければならない。
昔むかしの道徳どうとくすなわち忠ただしとか孝こうとか貞ていとかい字じを吟味ぎんみしてみると、当時とうじの社会しゃかい制度せいどにあって絶対ぜったいの権利けんりを有しゆうしておった片方かたほうにのみ非常ひじょうに都合つごうの好いよいような義務ぎむの負担ふたんに過ぎすぎないのであります。
親おやの勢いきおいが非常ひじょうに強いつよいとどうしても孝こうを強いつよいられる。
強いつよいられるとは常人じょうじんとして無理むりをせずに自己じこ本来ほんらいの情愛じょうあいだけでは堪えこらえられない過重かじゅうの分量ぶんりょうを要求ようきゅうされるという意味いみであります。
独りひとり孝こうばかりではない、忠ただしでも貞ていでもまた同様どうようの観かんがあります。
何しろなにしろ人間にんげん一生いっしょうのうちで数えるかぞえるほどしかない僅少きんしょうの場合ばあいに道義どうぎの情火じょうかがパッぱっと燃焼ねんしょうした刹那せつなを捉えとらえて、その熱烈ねつれつ純じゅん厚あつしの気象きしょうを前後ぜんごに長くながく引き延ばしひきのばして、二六にろく時じ中なかすべてあのごとくせよと命ずるめいずるのは事実上じじつじょう有りあり得とくべからざる事ことを無理むりに注文ちゅうもんするのだから、冷静れいせいな科学的かがくてき観察かんさつが進んすすんでその偽りいつわりに気きがつくと同時どうじに、権威けんいある道徳律どうとくりつとして存在そんざいできなくなるのはやむをえない上うえに、社会しゃかい組織そしきがだんだん変化へんかして余儀よぎなく個人こじん主義しゅぎが発展はってんの歩武ほぶを進めすすめてくるならばなおさら打撃だげきを蒙るこうむるのは明かあきらかであります。
こういうと何なんだか現在げんざいに甘んずるあまんずる成行なりゆき主義しゅぎのように御ご取りとりになるかも知れしれないが、そう誤解ごかいされては遺憾いかんなので、私わたくしは近時きんじの或人あるひとのように理想りそうは要らいらないとか理想りそうは役やくに立たたたないとか主張しゅちょうする考かんがえは毛頭もうとうないのです。
私わたくしはどんな社会しゃかいでも理想りそうなしに生存せいぞんする社会しゃかいは想像そうぞうし得とくられないとまで信じしんじているのです。
現にげんに我々われわれは毎日まいにち或るある理想りそう、その理想りそうは低くひくくもあり小くちいさくもありましょう、がとにかく或るある理想りそうを頭あたまの中なかに描き出しえがきだして、そうしてそれを明日あす実現じつげんしようと努力どりょくしつつまた実現じつげんしつつ生きいきて行くいくのだと評しひょうしても差支さしつかえないのです。
人間にんげんの歴史れきしは今日きょうの不満足ふまんぞくを次つぎ日物ひもの足りるたりるように改造かいぞうし次つぎ日ひの不平ふへいをまたその翌日よくじつ柔らげやわらげて、今日きょうまでつづいて来きたのだから、一方いっぽうから云えいえばまさしくこれ理想りそう発現はつげんの経路けいろに過ぎんすぎんのであります。
いやしくも理想りそうを排斥はいせきしては自己じこの生活せいかつを否定ひていするのと同様どうようの矛盾むじゅんに陥りおちいりますから、私わたくしはけっしてそう云ういう方面ほうめんの論ろん者ものとして諸君しょくんに誤解ごかいされたくない。
ただ私わたくしの御ご注意ちゅうい申し上げもうしあげたいのは輓近ばんきん科学かがく上うえの発見はっけんと、科学かがくの進歩しんぽに伴っともなって起るおこる周密しゅうみつ公平こうへいの観察かんさつのために道徳どうとく界さかいにおける吾々われわれの理想りそうが昔むかしに比べるくらべると低くひくくなった、あるいは狭くせまくなったというだけに過ぎすぎない。
だから昔むかしのような理想りそうの持ち方もちかた立てたて方ほうも結構けっこうであるかも知れしれぬが、また我々われわれも昔むかしのようなロマンチシストろまんちしすとでありたいが、周囲しゅういの社会しゃかい組織そしきと内部ないぶの科学的かがくてき精神せいしんにもまた相当そうとうの権利けんりを持たもたせなければ順応じゅんのう調節ちょうせつの生活せいかつができにくくなるので、自然しぜんナチュラリスチックの傾向けいこうを帯びるおびるべく余儀よぎなくされるのである。
けれども自然主義しぜんしゅぎの道徳どうとくと云ういうものは、人間にんげんの自由じゆうを重んじおもんじ過ぎすぎて好きすきな真似まねをさせるという虞おそれがある。
本来ほんらいが自己じこ本位ほんいであるから、個人こじんの行動こうどうが放縦ほうしょう不羈ふきになればなるほど、個人こじんとしては自由じゆうの悦楽えつらくを味いあじわい得るうる満足まんぞくがあると共ともに、社会しゃかいの一人ひとりとしてはいつも不安ふあんの眼めを※って他ほかを眺めながめなければならなくなる、或るある時じは恐ろしくおそろしくなる。
その結果けっか一部いちぶ的まとの反動はんどうとしては、浪漫ろまん的まとの道徳どうとくがこれから起らおこらなければならないのであります。
現にげんに今いま小さいちいさい波動はどうとして、それが起りおこりつつあるかも知れしれません。
けれども要するようするに小しょう波瀾はらんの曲折きょくせつを描くえがく一部分いちぶぶんに過ぎすぎないので大体だいたいの傾向けいこうから云えいえばどうしても自然主義しぜんしゅぎの道徳どうとくがまだまだ展開てんかいして行くいくように思わおもわれます。
以上いじょうを総括そうかつして今後こんごの日本人にっぽんにんにはどう云ういう資格しかくが最ももっとも望ましいのぞましいかと判じはんじてみると、実現じつげんのできる程度ていどの理想りそうを懐いなついて、ここに未来みらいの隣人りんじん同胞どうほうとの調和ちょうわを求めもとめ、また従来じゅうらいの弱点じゃくてんを寛容かんようする同情どうじょう心こころを持しじして現在げんざいの個人こじんに対するたいする接触せっしょく面めんの融合ゆうごう剤ざいとするような心掛こころがけ――これが大切たいせつだろうと思わおもわれるのです。
今日きょうの有様ありさまでは道徳どうとくと文芸ぶんげいと云ういうものは、大変たいへん離れはなれているように考えかんがえている人ひとが多数たすうで、道徳どうとくを論ずるろんずるものは文芸ぶんげいを談ずるだんずるを屑くずしとせず、また文芸ぶんげいに従事じゅうじするものは道徳どうとく以外いがいの別天地べつてんちに起臥きがしているように独りひとりぎめで悟っさとっているごとく見受けみうけますが、蓋しけだし両方りょうほうとも嘘うそである。
その嘘うそである理由りゆうは今までいままでやって来きた分解ぶんかいで御ご合点がてんが行っいったはずであります。
もっとも社会しゃかいと云ういうものはいつでも一元いちげんでは満足まんぞくしない。
物ものは極まれきわまれば通ずつうずとかいう諺ことわざの通りとおり、浪漫ろまん主義しゅぎの道徳どうとくが行きづまれいきづまれば自然主義しぜんしゅぎの道徳どうとくがだんだん頭あたまを擡げもたげ、また自然主義しぜんしゅぎの道徳どうとくの弊へいが顕著けんちょになって人心じんしんがようやく厭気いやけに襲わおそわれるとまた浪漫ろまん主義しゅぎの道徳どうとくが反動はんどうとして起るおこるのは当然とうぜんの理りであります。
歴史れきしは過去かこを繰返すくりかえすと云ういうのはここの事ことにほかならんのですが、厳密げんみつな意味いみでいうと、学理がくり的まとに考えかんがえてもまた実際じっさいに徴ししるしてみても、一遍いちぺん過ぎ去っすぎさったものはけっして繰返さくりかえされないのです。
繰返さくりかえされるように見えるみえるのは素人しろうとだからである。
だから今いまもし小しょう波瀾はらんとしてこの自然主義しぜんしゅぎの道徳どうとくに反抗はんこうして起るおこるものがあるならば、それは浪漫ろまん派はに違いちがいないが、維新いしん前まえの浪漫ろまん派はが再びふたたび勃興ぼっこうする事ことはとうてい困難こんなんである、また駄目だめである。
同じおなじ浪漫ろまん派はにしても我々われわれ現在げんざい生活せいかつの陥欠かんけつを補うおぎなう新らしいあたらしい意義いぎを帯びおびた一種いっしゅの浪漫ろまん的まと道徳どうとくでなければなりません。
道徳どうとくにおける向後こうごの大勢おおぜい及びおよび局部きょくぶの波瀾はらんとして目前もくぜんに起るおこるべき小しょう反動はんどうは要するようするにかくのごとき性質せいしつのものであって、道徳どうとくと文芸ぶんげいとの密接みっせつなる関係かんけいもまた上またうえ説せつのごとしとすれば、これからわが社会しゃかいの要するようする文芸ぶんげいというものもまた同じおなじ方向ほうこうに同じおなじ意味いみにおいて発展はってんしなければならないのも、また多言たげんを要せようせずして明かあきらかな話はなしであります。
もし活社会かつしゃかいの要するようする道徳どうとくに反対はんたいした文芸ぶんげいが存在そんざいするならば……存在そんざいするならばではない、そんなものは死し文芸ぶんげいとしてよりほかに存在そんざいはできないものである、枯れかれてしまわなければならないのである。
人工的じんこうてきに幾らいくら声こえを嗄らしからして天下てんかに呼号こごうしてもほとんど無益むえきかと考えかんがえます。
社会しゃかいが文芸ぶんげいを生むうむか、または文芸ぶんげいに生まれるうまれるかどっちかはしばらく措いおいて、いやしくも社会しゃかいの道徳どうとくと切っきっても切れきれない縁えんで結びつけむすびつけられている以上いじょう、倫理りんり面めんに活動かつどうするていの文芸ぶんげいはけっして吾人ごじん内心ないしんの欲するほっする道徳どうとくと乖離かいりして栄えるさかえる訳わけがない。
我々われわれ人間にんげんとしてこの世このよに存在そんざいする以上いじょうどうもがいても道徳どうとくを離れはなれて倫理りんり界さかいの外そとに超然ちょうぜんと生息せいそくする訳わけには行かいかない。
道徳どうとくを離れるはなれることができなければ、一見いっけん道徳どうとくとは没交渉ぼつこうしょうに見えるみえる浪漫ろまん主義しゅぎや自然主義しぜんしゅぎの解釈かいしゃくも一考いっこうして見るみる価値かちがある。
この二につの言葉ことばは文学者ぶんがくしゃの専有せんゆう物ものではなくって、あなた方ほうと切り離しきりはなし得とくべからざる道徳どうとくの形容詞けいようしとしてすぐ応用おうようができるというのが私わたくしの意見いけんで、なぜそう応用おうようができるかという訳わけと、かく応用おうようされた言葉ことばの表現ひょうげんする道徳どうとくが日本にっぽんの過去かこ現在げんざいに興味きょうみある陰影いんえいを投げなげているという事ことと、それからその陰影いんえいがどういう具合ぐあいに未来みらいに放射ほうしゃされるであろうかという予想よそうと――まずこれらが私わたくしの演題えんだいの主眼しゅがんな点てんなのであります。
――明治めいじ四十四よんじゅうよん年ねん八はち月つき大阪おおさかにおいて述――
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