変な音

1/1

全文

1
ばい踊り字おどりじたて長くながくようかたち繰り返しくりかえし記号きごう濁点だくてん付きつきばい踊り字おどりじ
うえ
思ふおもふうちさとる
するとなりむろみょうおとする
始めはじめなんおとともまた何處いずくから來るきたるとも判然はんぜん見當けんとう付かつかかつ聞いきいゐるうち段々だんだんみみなかまとめまつ觀念かんねん出來でき
なん山葵わさび卸しおろし大根だいこんなにごそごそつてゐるない
自分じぶんかくひだり思つおもつ
おっと今頃いまごろなん必要ひつようあつ隣りとなりむろ大根卸だいこんおろし拵えこしらえゐる想像そうぞう付かつかない
いひ忘れわすれこれ病院びょういんある
まかない遙かはるか半町はんちょう離れはなれかいした臺所行かいかなけれ一人ひとりない
病室びょうしつ炊事すいじ割烹かっぽう無論むろん菓子かしさへ禁じきんじられゐる
況してましてなら今時分いまじぶんなん大根卸だいこんおろし拵えこしらえやう
屹度きっとべつおと大根卸だいこんおろし自分じぶん聞えるきこえる極つきわまつゐるすぐこころさとるつたやうものさてそれなら果しはてし何處いずくから何うどう出るでるだら考へるかんがへるちょう分らわからない
自分じぶん分らわからないなりもう少しすこし意味いみあること自分じぶんあたま使はう試みこころみ
けれど一度いちどみみ付いついこれ不可思議ふかしぎおとそれしょく自分じぶん鼓膜こまくうったえへる限りかぎりみょうかみたたり何うどう忘れるわすれる行かいかかつ
あたりもりしずある
これむね不自由ふじゆう託したくし患者かんじゃ申し合せもうしあわせつてゐる
ゐる考へかんがへゐるはなしするもの一人ひとりない
廊下ろうか歩くあるく看護婦かんごふうえ草履ぞうりおとさへ聞えきこえない
そのなかこれごしもの擦り減らすすりへらす異ないなひびきたけなつ
自分じぶんむろもと特等とくとうつゞきつづき作らつくら病院びょういん都合つごういちずつ分けわけものから火鉢ひばちなど置いおいある副室ふくしつほう普通ふつうかべとなりさかいなつゐる寢床敷いしいあるろくじょうほうなる東側ひがしがわろくさし袋戸ふくろどたなあつそのそば芭蕉布ばしょうふふすますぐとなり徃來おうらい出來るできるやうなつゐる
これいちばい仕切しきりがらり開けあけさへすれ隣室りんしつなんためゐる容易くたやすく分るわかるけれど他人たにん對したいしおっとほどれい敢てあえてするほど大事だいじおとない無論むろんある
折からおりから暑さあつさ向ふむこふ時節じせつあつから縁側えんがわつね明け放しあけはなしままあつ
縁側えんがわ固よりもとよりむね一杯いちばい細長くほそながくしょくゐる
けれど患者かんじゃ縁端えんばなたがい見透すみとおす不都合ふつごう避けるさけるためわざと二部にぶまい開き戸ひらきど設けもうけたがい
おっといたうえ細いほそいさんじゅう文字もじ渡しわたし洒落しゃれもの小使こづかい毎朝まいあさぬぐえ掃除そうじするときしたからかぎ持つもつ一々いちいちこれ開けあけ行くいくれいなつ
自分じぶん立つたつ敷居しきいうえ立つたつ
かのおとこれ妻戸つまどあとから出るでるある
したすんほど空いむなしい其處そこなん見えみえなか
これおとそのあとよく繰返さくりかえさ
ある五六ごろくぶんしょく自分じぶん聽神刺激しげきすることあつまたあるそのはん至らいたらないぱたり已んやん仕舞しまいおりあつ
けれどそのなんあるつひに知るしるかいなく過ぎすぎ
病人びょうにんしずおとこあつ折々おりおり夜半やはん看護婦かんごふ小さいちいさい起しおこし
看護婦かんごふまた殊勝しゅしょうおんな小さいちいさい一度いちど呼ばよばれる快よいこころよい優しいやさしいはい云ふいふ受けうけこたえすぐ起きおき
さう患者かんじゃためなんゐる樣子ようすあつ
ある回診かいしんばんとなりめぐるとき何時もいつもより大分おおいた手間てま掛るかかる思つおもつゐるやがて低いひくい話しはなし聞えきこえ出しだし
それ二三にさんひと持ちもちあわせ中々なかなか捗取らはかどらないやう
やがて醫者どうせさうきゅう癒りなおりなりますまいから云ついつ言葉ことばたけ判然はんぜん聞えきこえ
おっとから二三にさんかの患者かんじゃむろこそ出入りでいりするひといろ孰れいずれ己れおのれ活動かつどうする立居たちい病人びょうにん遠慮えんりょするひそやか振舞ふるまい思つおもつたら病人びょうにん自身じしんかげ如くごとく何時なんじ何處いずく行つおこなつ仕舞しまい
さうそのあとすぐ翌る日あくるひから新しいあたらしい患者かんじゃ入ついつ入口いりぐちはしら白くしろく名前なまえ書いかい黒塗くろぬりさつ懸易けんえきへら
れいごし云ふいふみょうおととうきょくはめること出來できないうち病人びょうにん退院たいいん仕舞しまいある
そのうち自分じぶん退院たいいん
さうかれおと對するたいする好奇こうきねんおっとぎり消えきえ仕舞しまい
した
さんヶ月かげつ許しゆるし自分じぶんまた同じおなじ病院びょういん入ついつ
むろまえばんいちたけつまりその西隣にしどなりあつ
かべいちじゅう隔てへだてむかし住居じゅうきょだれ居るいるだら思つおもつ注意ちゅうい見るみる終日しゅうじつたり云ふいふおとない
空いむなしいある
もういちさき即ちすなわちれい異樣いようおとところあるこれいまだれゐる分らわからかつ
自分じぶんそのあと受けうけていへんばけあまり劇しいはげしいその劇しはげしあたまえいつて此間このまから過去かこかげ與へともへられどう絶えたえ現在げんざいむかいつて波紋はもん傳へつたへ山葵わさびおろしことなどとみ思ひ出すおもひだすひまなかつ
おっとより寧ろむしろ自分じぶん近いちかい運命うんめい持つもつ在院ざいいん患者かんじゃ經過けいかほうかかり
看護婦かんごふいちとう病人びょうにん何人なんにんゐる聞くきくさんひとたけ答へこたえへ
重いおもい聞くきく重さおもさです云ふいふ
おっとからいち自分じぶんそのさんひと病症びょうしょう看護婦かんごふから確めたしかめ
一人ひとり食道癌しょくどうがんあつ
一人ひとり胃癌いがんあつ殘るのこる一人ひとり胃潰瘍いかいようあつ
みんな長くながく持たもたないひともとさうです看護婦かんごふかれとう運命うんめいいち纒めまとめげん
自分じぶん縁側えんがわ置いおいベゴニアべごにあ小さなちいさなはな暮らしくらし
みのるきくかいはずところ植木屋うえきや十六じゅうろくぬき云ふいふぬき負けろまけろあたい切つきつ相談そうだんならかつ歸りかえりぢやろくぬきやるから負けろまけろ云ついつ矢つ張りやっぱり負けまけかつ今年ことしみずきく高いたかい説明せつめいベゴニアべごにあ持つもつひとはなし思ひ出しおもひだし賑やかにぎやか通りとおり縁日えんにち夜景やけいあたまなか描きえがきなど
やがて食道癌しょくどうがんおとこ退院たいいん
胃癌いがんひと死ぬしぬ諦めあきらめさへすれなんない云ついつ美しくうつくしく死んしん
潰瘍かいようひと段々だんだん惡くわるくなつ
夜半やはんさとる時々ときどきひがしはづれてんものこおり摧くくだくおと
其のそのおと已むやむ同時どうじ病人びょうにん死んしん
自分じぶん日記にっき書き込んかきこん
さんひとうち二人ふたり死んしん自分じぶん丈けだけつたから死んしんひと對したいしつてゐるどくするあの病人びょうにん嘔氣あつ向ふむこふはしから此方こちらまで響くひびくやう出しだし始終しじゅうげえ吐いはいこれ二三にさんおっとぴたり聞こえきこえなくなつ大分おおいた落ち付いおちついまあ結構けっこう思つおもつたらみのる疲勞きょく出すだす元氣げんき失つうしなつ知れしれ そのあと患者かんじゃ入れ代りいれかわり立ち代りたちかわりたり入ついつたり
自分じぶん病氣びょうき積むつむ從つしたがつ次第しだい快方かいほうむかいつた
仕舞しまいうえ草履ぞうり穿いはいひろし廊下ろうかあちこち散歩さんぽ始めはじめ
そのことから偶然ぐうぜんあるてん看護婦かんごふくち利くきくなつ
暖かいあたたかいうま過食かしょくあと運動うんどうがてら水仙すいせんみずえきやら思つおもつ洗面所せんめんしょ水道すいどうせんつてゐるその看護婦かんごふ受持うけもちむろ茶器ちゃきあらいれい通りとおり挨拶あいさつながらしばらく自分じぶん朱泥しゅでいばちそのなか盛り上げもりあげられ膨れふくれ見えるみえるたま眺めながめやがてその自分じぶんよこ移しうつしこれまえ入院にゅういんよりもうずつ顏色好くよくなりましさんヶ月かげつまえ自分じぶんいま自分じぶん比較ひかく批評ひひょう
これまえあの時分じぶんきみ矢張りやはりてんこれえゝええついとなりでししばらくさんところ居りおりまし御存じごぞんじなかつたか知れしれませ さん云ふいふれいへんおとほう東隣ひがしどなりある
自分じぶん看護婦かんごふこれあの夜半やはん呼ばよばれるはいいふ優しいやさしい返事へんじ起きおきうえつたおんな思ふおもふ少しすこし驚かおどろきかられかつ
けれどそのころ自分じぶんかみあのくらい刺激しげきおと原因げんいん就てついてべつ聞くきく起らおこらかつ
あゝああひだり云ついつなり朱泥しゅでいばち拭いぬぐい
するおんな突然とつぜん少しすこしあらためまつ調子ちょうしここんなこと云ついつ
あのころ貴方あなたむろ時々ときどきへんおと致しいたしまし 自分じぶん不意ふい逆襲ぎゃくしゅう受けうけひと看護婦かんごふ
看護婦かんごふしょく云ついつ
毎朝まいあさろくころなる屹度きっとする思ひおもひましうん彼れあれ自分じぶん思ひ出しおもひだしつい大きなおおきな出しだし
あれ自働じどう革砥かわとおと毎朝まいあさひげ剃るそる安全あんぜん髮剃革砥かわと掛けかけ磨ぐとぐいまけんてるうそ思ふおもふなら 看護婦かんごふたゞただえゝええ云ついつ
段々だんだん聞いきいみるさん云ふいふ患者かんじゃひどくその革砥かわとおとあれなんおとなんおと看護婦かんごふ質問しつもんさうある
看護婦かんごふ何うどう分らわからないこたえへるとなりひと大分おおいた快いいいあさ起きるおきるすぐ運動うんどうするその器械きかいおとなんぢやない羨ましいうらやましいなんへん繰り返しくりかえし云ふいふはなしある
おっと好いよい御前ごぜんほうおとなん御前ごぜんほうおとそら能くよく大根だいこん卸すおろすみょうおとぢやないえゝええ彼れあれですあれ胡瓜きゅうりです患者かんじゃさんあしねつ仕方しかたない胡瓜きゅうりしる冷しひやしくれあおぐやるもんですからわたくし始終しじゅうつて上げあげましぢや矢張やばり大根卸だいこんおろしおとえゝええさうおっと漸くようやく分つわかついちていさん病氣びょうきなん直腸癌ちょくちょうがんですぢや到底とうていろくづかしいんえゝええもう疾うとうこれ退院たいいんなさるじかでし亡くなりなくなりなつ 自分じぶん默然わがむろつた
さう胡瓜きゅうりおとほか焦らしじらし死んしんおとこ革砥かわとおと羨ましうらやましがら快くこころよくなつひと相違そういこころなか思ひおもひ比べくらべ
明治めいじ四四よんよんなな一九いちきゅう
1/1