人生

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第 1 章
/\:二に倍ばいの踊り字おどりじ(「く」を縦たてに長くながくしたような形かたちの繰り返しくりかえし記号きごう)*濁点だくてん付きつきの二に倍ばいの踊り字おどりじは「/″\」
空そらを劃しかくして居るいる之これを物ものといひ、時じに沿うそうて起るおこる之これを事ことといふ、事物じぶつを離れはなれて心なくこころなく、心こころを離れはなれて事物じぶつなし、故こに事物じぶつの変遷へんせん推移すいいを名づけなづけて人生じんせいといふ、猶なお麕身きんしん牛尾うしお馬蹄ばていのものを捉へとらえて麟りんといふが如しごとし、かく定義ていぎを下せくだせば、頗るすこぶる六ろくつかしけれど、是ぜを平仮名ひらがなにて翻訳ほんやくすれば、先づまづ地震じしん、雷かみなり、火事かじ、爺じいの怖きこわきを悟りさとり、砂糖さとうと塩しおの区別くべつを知りしり、恋こいの重荷おもに義理ぎりの柵さく抔などいふ意味いみを合点がてんし、順逆じゅんぎゃくの二に境さかいを踏みふみ、禍福かふくの二に門もんをくゞるくぐるの謂いいに過ぎすぎず、但ただし其その謂いいに過ぎすぎずと観ずれかんずれば、遭逢そうほう百端ひゃくたん千差万別せんさばんべつ、十人じゅうにんに十人じゅうにんの生活せいかつあり、百ひゃく人ひとに百ひゃく人ひとの生活せいかつあり、千百万せんひゃくまん人ひと亦また各かく千百万せんひゃくまん人ひとの生涯しょうがいを有すゆうす、故こに無事ぶじなるものは午砲ごほうを聞きききて昼飯ちゅうはんを食ひくひ、忙しいそがしきものは孔あな席せき暖かあたたかならず、墨すみ突とっ黔けんせずとも云ひいひ、変化へんかの多きおおきは塞翁さいおうの馬うまに※をかけたるが如くごとく、不平ふへいなるは放たはなたれて沢畔さわはんに吟じぎんじ、壮烈そうれつなるは匕首ひしゅを懐ふところにして不測ふそくの秦はたに入りいり、頑固がんこなるは首陽しゅよう山やまの薇ぜんまいに余命よめいを繋ぎつなぎ、世よを茶ちゃにしたるは竹林ちくりんに髯ひげを拈りひねり、図ず太きふときは南禅寺なんぜんじの山門さんもんに昼寝ひるねして王法おうほうを懼れおそれず、一々いちいち数すうへ来れこれば日ひも亦また足らあしらず、中々なかなか錯雑さくざつなものなり、加之かの個人こじんの一いち行こう一為いちため、各かく其その由るよる所ところを異ことにし、其その及ぼすおよぼす所ところを同じおなじうせず、人ひとを殺すころすは一いちなれども、毒どくを盛るもるは刃はを加かふると等とうしからず、故意こいなるは不慮ふりょの出来事できごとと云ふいふを得とくず、時じには間接かんせつともなり、或はあるいは又また直接ちょくせつともなる、之これを分類ぶんるいするだに相応そうおうの手数てすうはかゝるかかるべし、況してまして国くにに言語げんごの相違そういあり、人ひとに上下じょうげの区別くべつありて、同一どういつの事物じぶつも種々しゅじゅの記号きごうを有しゆうして、吾人ごじんの面目めんぼくを燎にわび爛らんせんとするこそ益えき面倒めんどうなれ、比較ひかくするだに畏けれかしこけれど、万まん乗のりには之これを崩御ほうぎょといひ、匹夫ひっぷには之これを「クタバルくたばる」といひ、鳥とりには落ちるおちるといひ、魚さかなには上がるあがるといひて、而もしかも死しは即ちすなわち一いちなるが如しごとし、若しもし人生じんせいをとつて銖分縷析するを得とくば、天上てんじょうの星ほしと磯いその真砂まさごの数すうも容易よういに計算けいさんし得とくべし 小説しょうせつは此これ錯雑さくざつなる人生じんせいの一いち側面そくめんを写すうつすものなり、一いち側面そくめん猶且なおかつ単純たんじゅんならず、去れされども写しうつして神かみに入るはいるときは、事物じぶつの紛糾ふんきゅう乱雑らんざつなるものを綜合そうごうして一いちの哲理てつりを数すうふるに足るたる、われ「エリオツトえりおつと」の小説しょうせつを読んよんで天性てんせいの悪人あくにんなき事ことを知りしりぬ、又また罪つみを犯すおかすものの恕じょすべくして且かつ憐むあわれむべきを知りしりぬ、一いち挙手きょしゅ一いち投足とうそくわが運命うんめいに関係かんけいあるを知りしりぬ、「サツカレーさつかれー」の小説しょうせつを読んよんで正直しょうじきなるものの馬鹿ばからしきを知りしりぬ、狡猾こうかつ奸佞かんねいなるものの世よに珍重ちんちょうせらるべきを知りしりぬ、「ブロンテぶろんて」の小説しょうせつを読んよんで人ひとに感応かんおうあることを知りしりぬ、蓋しけだし小説しょうせつに境遇きょうぐうを叙するじょするものあり、品性ひんせいを写すうつすものあり、心理しんり上うえの解剖かいぼうを試みむるものあり、直覚ちょっかく的まとに人世じんせいを観かん破するはするものあり、四よん者もの各かく其その方面ほうめんに向むかいつて吾人ごじんに教きょうふる所ところなきにあらず、然れどもしかれども人生じんせいは心理的しんりてき解剖かいぼうを以いて終結しゅうけつするものにあらず、又また直覚ちょっかくを以いて観かん破しはし了りょうすべきにあらず、われは人生じんせいに於おて是ぜ等とう以外いがいに一種いっしゅ不可思議ふかしぎのものあるべきを信しんず、所謂いわゆる不可思議ふかしぎとは「カツスル、オフおふ、オトラントー」の中なかの出来事できごとにあらず、「タムオーシヤンター」を追つい懸けかけたる妖怪ようかいにあらず、「マクベスまくべす」の眼前がんぜんに見はるみはるゝの幽霊ゆうれいにあらず、「ホーソーンほーそーん」の文ぶん「コルリツヂ」の詩し中なかに入るはいるべき人物じんぶつの謂いいにあらず、われ手てを振りふり目めを揺かわななかして、而もしかも其のその何なんの故こに手てを振りふり目めを揺かわななかすかを知らしらず、因果いんがの大おお法ほうを蔑にし、自己じこの意思いしを離れはなれ、卒然そつぜんとして起りおこり、驀地まっしぐらに来るくるものを謂ふいふ、世俗せぞく之これを名づけなづけて狂気きょうきと呼ぶよぶ、狂気きょうきと呼ぶよぶ固よりもとより不可ふかなし、去れされども此これ種しゅの所為せいを目しもくして狂気きょうきとなす者もの共ともは、他人たにんに対したいしてかゝるかかる不敬ふけいの称号しょうごうを呈するていするに先さきつて、己等おいら亦また曾てかつて狂気きょうきせる事ことあるを自認じにんせざる可からべからず、又また何時なんじにても狂気きょうきし得るうる資格しかくを有するゆうする動物どうぶつなる事ことを承知しょうちせざるべからず、人ひと豈あに自らみずから知らしらざらんやとは支那しなの豪傑ごうけつの語ごなり、人々ひとびと自らみずから知らしらば固よりもとより文句もんくはなきなり、人ひとを指しさして馬鹿ばかといふ、是れこれ己がおのれが利口りこうなるの時じに於おて発するはっするの批評ひひょうなり、己おのれも亦また何時なんじにても馬鹿ばかの仲間入りなかまいりをするに充分じゅうぶんなる可能かのう力ちからを具備ぐびするに気きが付かつかぬものの批評ひひょうなり、局きょくに当るあたる者ものは迷ひまよひ、傍観ぼうかんするものは嗤ふ、而もしかも傍観者ぼうかんしゃ必ずかならずしも棊ごを能くよくせざるを如何いかがせん、自らみずから知るしるの明あきらあるもの寡なしすくなしとは世間せけんにて云ふいふ事ことなり、われは人間にんげんに自じ知ちの明あきらなき事ことを断言だんげんせんとす、之これを「ポーぽー」に聞くきく、曰くいわく、功名こうみょう眼前がんぜんにあり、人々ひとびと何なんぞ直ちにただちに自己じこの胸臆きょうおくを叙しじょして思ひおもひのまゝままを言はげんはざる、去れされど人ひとありて思おもうの儘ままを書かかかんとして筆ふでを執れとれば、筆ふで忽ちたちまち禿はげし、紙かみを展てんぶれば紙かみ忽ちたちまち縮むちぢむ、芳かおる声こえ嘉よしみ誉ほまれの手てに唾つばして得とくらるべきを知りしりながら、何人なんにんも※躇して果たさはたさざるは是ぜが為ためなりと、人ひと豈あに自らみずから知らしらざらんや、「ポーぽー」の言げんを反覆はんぷく熟読じゅくどくせば、思おもう半ばなかばに過ぎんすぎん、蓋しけだし人ひとは夢ゆめを見るみるものなり、思ひおもひも寄らよらぬ夢ゆめを見るみるものなり、覚めさめて後あと冷汗れいかん背せに洽くあまねく、茫然ぼうぜん自失じしつする事ことあるものなり、夢ゆめならばと一笑いっしょうに附しふし去るさるものは、一いちを知ちつて二にを知らしらぬものなり、夢ゆめは必ずかならずしも夜中よなか臥床がしょうの上うえにのみ見舞みまいに来るくるものにあらず、青天せいてんにも白日はくじつにも来りきたり、大道だいどうの真中まなかにても来りきたり、衣冠いかん束帯そくたいの折おりだに容赦ようしゃなく闥を排しはいして闖入ちんにゅうし来るくる、機微きびの際さい忽然こつぜんとして吾人ごじんを愧死きしせしめて、其その来るくる所ところ固よりもとより知りしり得とくべからず、其その去るさる所ところ亦また尋ねたずね難しむずかし、而もしかも人生じんせいの真相しんそうは半ばなかば此これ夢中むちゅうにあつて隠約いんやくたるものなり、此これ自己じこの真相しんそうを発揮はっきするは即ちすなわち名誉めいよを得るうるの捷径しょうけいにして、此これ捷径しょうけいに従じゅうふは卑怯ひきょうなる人類じんるいにとりて無上むじょうの難関なんかんなり、願はくねがはくば人ひと豈あに自らみずから知らしらざらんや抔などいふものをして、誠実せいじつに其その心こころの歴史れきしを書かかかしめん、彼かれ必ずかならず自らみずから知らしらざるに驚かおどろきかん 三陸さんりくの海嘯かいしょう濃尾のうびの地震じしん之これを称ししょうして天災てんさいといふ、天災てんさいとは人ひと意いの如何いかがともすべからざるもの、人間にんげんの行為こういは良心りょうしんの制裁せいさいを受けうけ、意思いしの主宰しゅさいに従じゅうふ、一挙一動いっきょいちどう皆みな責任せきにんあり、固よりもとより洪水こうずい飢饉ききんと日ひを同じおなじうして論ずろんずべきにあらねど、良心りょうしんは不断ふだんの主権者しゅけんしゃにあらず、四肢しし必ずかならずしも吾われ意思いしの欲するほっする所ところに従じゅうはず、一朝いっちょうの変へん俄然がぜんとして己おのれ霊れいの光輝こうきを失ししっして、奈落ならくに陥落かんらくし、闇中あんちゅうに跳躍ちょうやくする事ことなきにあらず、是時ぜじに方ほうつて、わが身心しんしんには秩序ちつじょなく、系統けいとうなく、思慮しりょなく、分別ぶんべつなく、只ただ一気いっきの盲動もうどうするに任ずるにんずるのみ、若しもし海嘯かいしょう地震じしんを以いて人ひと意いにあらずとせば、此これ盲動もうどう的まと動作どうさ亦また必ずかならず人ひと意いにあらじ、人ひとを殺すころすものは死すしすとは天下てんかの定法じょうほうなり、されども自らみずから死しを決してけっして人ひとを殺すころすものは寡なしすくなし、呼息こそく逼りせまり白刃はくじん閃くひらめく此これ刹那せつな、既にすでに身みあるを知らしらず、焉んぞいずくんぞ敵てきあるを知らしらんや、電光でんこう影裡かげりに春風しゅんぷうを斫るきるものは、人ひと意いか将しょうた天意てんいか 青あお門もん老圃ろうほ独りひとり一室いっしつの中なかに坐しざし、冥めい思おもう遐捜す、両頬りょうほお赤あかを発しはっし火ひの如くごとく、喉のど間ま咯々声こえあるに至るいたる、稿こうを属しぞくし日ひを積まつまざれば出でででず、思おもうを構かまえふるの時じに方ほうつて大おお苦くあるものの如しごとし、既にすでに来れこれば則ちすなわち大喜だいき、衣ころもを牽きひき、床ゆかを遶にょうりて狂きょう呼こす、「バーンスばーんす」詩しを作りつくりて河上かわかみに徘徊はいかいす、或はあるいは呻吟しんぎんし、或はあるいは低唱ていしょうす、忽ちたちまちにして大声おおごえ放歌ほうか欷歔ききょ涙なみだ下るくだる、西人せいじん此これ種しゅの所作しょさをなづけて、「インスピレーションいんすぴれーしょん」といふ、「インスピレーションいんすぴれーしょん」とは人ひと意いか将しょうた天意てんいか 「デクインシーでくいんしー」曰くいわく、世よには人心じんしんの如何いかがに善ぜんにして、又また如何にいかに悪わるなるかを知らしらで過すぎぐるものありと、他人たにんの身の上みのうえならば無論むろんの事ことなり、われは「デクインシーでくいんしー」に反問はんもんせん、君きみは君きみ自身じしんがどの位くらいの善人ぜんにんにして、又またどの位くらいの悪人あくにんたるを承知しょうちなるかと、豈あに啻ただ善悪ぜんあくのみならん、怯きょう勇剛ゆうごう弱じゃく高下こうげの分ぶん、皆みな此これ反問はんもん中なかに入るはいるを得とくべし、平かたいらかなるときは天てん落ちおち地ち欠けつくるとも驚かおどろきかじと思へおもへども、一旦いったん事ことあれば鼠ねずみ糞ふん梁上りょうじょうより墜ちおちてだに消しょう魂たましいの種しゅとなる、自らみずから口惜しくやしと思へおもへど詮せんなし、源氏げんじ征討せいとうの宣旨せんじを蒙りこうむりて、遥々はるばる富士ふじ川かわ迄まで押し寄せおしよせたる七万ななまん余よ騎きの大軍たいぐんが、水鳥すいちょうの羽音はおとに一矢いっしも射いらで逃げ帰るにげかえるとは、平家へいけ物語ものがたりを読むよむものの馬うま鹿しか々々しと思ふおもふ処ところならん、啻ただに後代こうだいの吾々われわれが馬うま鹿しか々々しと思ふおもふのみにあらず、当人とうにんたる平家へいけの侍さむらい共ともも翌日よくじつは定めてさだめて口惜しくやしと思ひおもひつらん、去れされども彼かれ等とうは富士ふじ川かわに宿しやどしたる晩ばんに限りかぎりて、急きゅうに揃ひも揃うそろうて臆病おくびょう風かぜにかゝりかかりたるなり、此これ臆病風おくびょうふうは二十三にじゅうさん日ひの半夜はんや忽然こつぜん吹き来ふききりて、七万ななまん余よ騎きの陣中じんちゅうを馳け廻りかけまわり、翌よくくる二十四にじゅうよん日ひの暁天ぎょうてんに至りいたりて寂としんとして息みいきみぬ、誰だれか此これ風かぜの行衛ゆきえを知るしる者ものぞ 犬いぬに吠え付かほえつかれて、果てはてな己おのれは泥棒どろぼうかしらん、と結論けつろんするものは余程よほどの馬鹿者ばかしゃか、非常ひじょうな狼狽ろうばい者ものと勘定かんじょうするを得とくべし、去れされども世間せけんには賢者けんじゃを以いて自らみずから居りおり、智者ちしゃを以いて人ひとより目せもくせらるゝらるるもの、亦また此これ病やまいにかかることあり、大丈夫だいじょうぶと威張るいばるものの最後さいごの場ばに臆しおくしたる、卑怯ひきょうの名なを博しはくしたるものが、急きゅうに猛烈もうれつの勢いきおいを示せるしめせる、皆みな是れこれ自らみずから解釈かいしゃくせんと欲しほして能のうはざるの現象げんしょうなり、況やいわんや他人たにんをや、二に点てんを求めもとめ得とくて之これを通過つうかする直線ちょくせんの方向ほうこうを知るしるとは幾何学きかがく上うえの事こと、吾人ごじんの行為こういは二に点てんを知りしり三さん点てんを知りしり、重ねかさねて百ひゃく点てんに至るいたるとも、人生じんせいの方向ほうこうを定むるさだむるに足らあしらず、人生じんせいは一いち個この理窟りくつに纏めまとめ得るうるものにあらずして、小説しょうせつは一いち個この理窟りくつを暗示あんじするに過ぎすぎざる以上いじょうは、「サインさいん」「コサインこさいん」を使用しようして三角形さんかくがたの高さたかさを測るはかると一般いっぱんなり、吾人ごじんの心中しんじゅうには底そこなき三角形さんかくがたあり、二に辺へん並行へいこうせる三角形さんかくがたあるを奈何いかんせん、若しもし人生じんせいが数学すうがく的まとに説明せつめいし得るうるならば、若しもし与へあたへられたる材料ざいりょうよりXなる人生じんせいが発見はっけんせらるゝらるるならば、若しもし人間にんげんが人間にんげんの主宰しゅさいたるを得るうるならば、若しもし詩人しじん文人ぶんじん小説家しょうせつかが記載きさいせる人生じんせいの外そとに人生じんせいなくんば、人生じんせいは余程よほど便利べんりにして、人間にんげんは余程よほどえらきものなり、不測ふそくの変へん外界がいかいに起りおこり、思ひがけおもいがけぬ心こころは心こころの底そこより出で来るいでくる、容赦ようしゃなく且かつ乱暴らんぼうに出で来るいでくる、海嘯かいしょうと震災しんさいは、啻ただに三陸さんりくと濃尾のうびに起るおこるのみにあらず、亦また自家じか三さん寸すんの丹田たんでん中なかにあり、険呑けんのんなる哉な(明治めいじ二十九にじゅうきゅう年ねん十じゅう月つき、第だい五ご高等学校こうとうがっこう『竜南りゅうみなみ会かい雑誌ざっし』)
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