自転車日記

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第 1 章
西暦せいれき一千九百二いっせんきゅうひゃくに年ねん秋あき忘わすれ月つき忘わすれ日ひ白旗しらはたを寝室しんしつの窓まどに翻こぼしえして下宿げしゅくの婆ばあさんに降こうを乞うこうや否いなや、婆ばあさんは二十にじゅう貫ぬき目めの体躯たいくを三さん階かいの天辺てっぺんまで運び上げはこびあげにかかる、運び上げるはこびあげるというべきを上げあげにかかると申すもうすは手間てまのかかるを形容けいようせんためなり、階段かいだんを上るのぼること無慮むりょ四十よんじゅう二級にきゅう、途中とちゅうにて休憩きゅうけいする事こと前後ぜんご二に回かい、時じを費すついやす事こと三さん分ぶん五ごセコンドせこんどの後あとこの偉大いだいなる婆ばあさんの得意とくいなるべき顔面がんめんが苦しくるし気きに戸口とぐちにヌッぬっと出現しゅつげんする、あたり近所きんじょは狭苦しせまくるしきばかり也な、この会見かいけんの栄えいを肩身かたみ狭くせまくも双肩そうけんに荷えになえる余よに向っむかって婆ばあさんは媾和こうわ条件じょうけんの第だい一いち款かんとして命令めいれい的まとに左ひだりのごとく申し渡しもうしわたした、
自転車じてんしゃに御ご乗んのんなさい
ああ悲ひいかなこの自転車じてんしゃ事件じけんたるや、余よはついに婆ばあさんの命いのちに従っしたがって自転車じてんしゃに乗るのるべく否いな自転車じてんしゃより落おちるべく「ラヴェンダーらゔぇんだー・ヒルひる」へと参らまいらざるべからざる不運ふうんに際会さいかいせり、監督かんとく兼けん教師きょうしは○○氏しなり、悄然しょうぜんたる余よを従えしたがえて自転車じてんしゃ屋やへと飛び込みとびこみたる彼かれはまず女おんな乗のりの手頃てごろなる奴やつを撰んえらんでこれがよかろうと云ういう、その理由りゆういかにと尋ぬるたずぬるに初学しょがく入門にゅうもんの捷径しょうけいはこれに限るかぎるよと降参こうさん人ひとと見みてとっていやに軽蔑けいべつした文句もんくを並べるならべる、不肖ふしょうなりといえども軽少けいしょうながら鼻下びかに髯ひげを蓄えたくわえたる男子だんしに女おんなの自転車じてんしゃで稽古けいこをしろとは情ないなさけない、まあ落ちおちても善いよいから当り前あたりまえの奴やつでやってみようと抗議こうぎを申し込むもうしこむ、もし採用さいようされなかったら丈夫じょうぶ玉砕ぎょくさい瓦全がぜんを恥ずはずとか何なんとか珍ちん汾漢の気き※を吐こうはこうと暗にあんに下した拵こしらえに黙っだまっている、とそれならこれにしようと、いとも見苦しみぐるしかりける男おとこ乗のりをぞあてがいける、思えおもえらく能のう者もの筆ふでを択ばえらばず、どうせ落ちるおちるのだから車くるまの美醜びしゅうなどは構うかまうものかと、あてがわれたる車くるまを重じゅうそうに引張りひっぱり出すだす、不平ふへいなるは力ちからを出しだして上うえからウンとうんと押しおして見るみるとギーぎーと鳴るなる事ことなり、伏しふして惟れおもんみれば関節かんせつが弛んゆるんで油気あぶらけがなくなった老朽ろうきゅうの自転車じてんしゃに万里ばんりの波濤はとうを超えこえて遥々はるばると逢いあいに来きたようなものである、自転車じてんしゃ屋やには恩給おんきゅう年限ねんげんがないのか知らしらんとちょっと不審ふしんを起しおこしてみる、思うおもうにその年限ねんげんは疾しつッっくの昔むかしに来きていて今までいままで物置ものおきの隅すみに閑居かんきょ静養せいようを専らもっぱらにした奴やつに違いない、計らはからざりき東洋とうようの孤客こかくに引きずりひきずり出さだされ奔命ほんめいに堪ずして悲鳴ひめいを上るのぼるに至っいたっては自転車じてんしゃの末路まつろまた憐むあわれむべきものありだがせめては降参こうさんの腹はら癒いえにこの老骨ろうこつをギューぎゅうと云わしいわしてやらんものをと乗らのらぬ先さきから当人とうにんはしきりに乗り気のりきになる、然るしかるにハンドルはんどるなるもの神経しんけい過敏かびんにてこちらへ引けひけば股またにぶつかり、向むかいへ押しやるおしやると往来おうらいの真中まなかへ馳はせけ出そうけだそうとする、乗らのらぬ内うちからかくのごとく処置しょちに窮するきゅうするところをもって見れみれば乗っのった後あとの事ことは思いやるおもいやるだに涙なみだの種しゅと知らしられける、「どこへ行っいって乗ろうのろう」「どこだって今日きょう初めてはじめて乗るのるのだからなるたけ人ひとの通らとおらない道みちの悪くわるくない落ちおちても人ひとの笑わわらわないようなところに願いねがいたい」と降参こうさん人ひとながらいろいろな条件じょうけんを提出ていしゅつする、仁恵じんけいなる監督官かんとくかんは余よが衷情ちゅうじょうを憐んあわれんで「クラパムくらぱむ・コンモンこんもん」の傍人ぼうじん跡あとあまり繁からしげるからざる大道だいどうの横手よこて馬うま乗場のりばへと余よを拉しらっし去るさる、しかして後あと「さあここで乗っのって見みたまえ」という、いよいよ降参こうさん人ひとの降参こうさん人ひとたる本領ほんりょうを発揮はっきせざるを得とくざるに至っいたった、ああ悲ひ夫おっと、 乗っのって見みたまえとはすでに知己ちきの語ごにあらず、その昔むかし本国ほんごくにあって時めきときめきし時代じだいより天涯てんがい万里ばんり孤城こじょう落日らくじつ資金しきん窮乏きゅうぼうの今日きょうに至るいたるまで人ひとの乗るのるのを見みた事ことはあるが自分じぶんが乗っのって見みたおぼえは毛頭もうとうない、去るさるを乗っのって見みたまえとはあまり無慈悲むじひなる一言ひとことと怒髪どはつ鳥打帽とりうちぼうを衝しょうて猛然もうぜんとハンドルはんどるを握っにぎったまではあっぱれ武者むしゃぶりたのもしかったがいよいよ鞍くらに跨っまたがって顧こ盻勇を示すしめす一段いちだんになるとおあつらえ通りとおりに参らまいらない、いざという間際まぎわでずどんと落おちること妙みょうなり、自転車じてんしゃは逆ぎゃく立たても何なんもせず至極しごく落ちつきおちつきはらったものだが乗客じょうきゃくだけはまさに鞍壺くらつぼにたまらずずんでん堂どうとこける、かつて講釈師こうしゃくしに聞ききた通りとおりを目めのあたり自らみずから実行じっこうするとは、あにはからんや、 監督官かんとくかん云ういう、「初めはじめから腰こしを据えようすえようなどというのが間違っまちがっている、ペダルぺだるに足あしをかけようとしても駄目だめだよ、ただしがみついて車くるまが一いち回転かいてんでもすれば上出来じょうできなんだ」、と心細いこころぼそいこと限りなしかぎりなし、ああ吾われ事こと休きゅう矣いくらしがみついても車くるまは半はん輪転りんてんもしないああ吾われ事こと休きゅう矣としきりに感かん投なげ詞しを繰り返しくりかえして暗にあんに助勢じょせいを嘆願たんがんする、かくあらんとは兼てかねて期しきしたる監督官かんとくかんなれば、近くちかく進んすすんでさあ、僕ぼくがしっかり抑えおさえているから乗りのりたまえ、おっとそう真ともまともに乗っのっては顛いただきり返るかえる、そら見みたまえ、膝ひざを打だたろう、今度こんどはそーっと尻しりをかけて両手りょうてでここを握っにぎって、よしか、僕ぼくが前まえへ押し出すおしだすからその勢いきおいで調子ちょうしに乗っのって馳はせけ出すけだすんだよ、と怖こわがる者ものを面白おもしろ半分はんぶん前まえへ突き出すつきだす、然るしかるにすべてこれらの準備じゅんびすべてこれらの労力ろうりょくが突き出さつきだされる瞬間しゅんかんにおいて砂地すなじに横面よこつらを抛りほうりつけるための準備じゅんびにしてかつ労力ろうりょくならんとは実じつに神かみならぬ身みの誰だれか知るしるべき底そこの驚愕きょうがくである。
ちらほら人ひとが立ちどまったちどまって見るみる、にやにや笑っわらって行くいくものがある、向うむこうの樫かしの木きの下したに乳母うばさんが小供こどもをつれてロハ台ろはだいに腰こしをかけてさっきからしきりに感服かんぷくして見みている、何なんを感服かんぷくしているのか分らわからない、おおかた流汗りゅうかん淋漓りんり大童おおわらわとなって自転車じてんしゃと奮闘ふんとうしつつある健気けなげな様子ようすに見とれみとれているのだろう、天涯てんがいこの好よしみ知己ちきを得るうる以上いじょうは向むかい脛すねの二三にさんカ所かしょを擦りむいすりむいたって惜しくおしくはないという気きになる、「もう一遍いちぺん頼むたのむよ、もっと強くつよく押しおしてくれたまえ、なにまた落ちるおちる? 落ちおちたって僕ぼくの身体しんたいだよ」と降参こうさん人ひとたる資格しかくを忘れわすれてしきりに汗あせ気き※を吹いふいている、すると出しだし抜ぬけに後ろうしろからSir!
と呼んよんだものがある、はてな滅多めったな異人いじんに近づきちかづきはないはずだがとふり返るふりかえると、ちょっと人ひとを狼狽ろうばいせしむるに足るたる的まとの大おお巡査じゅんさがヌーッぬーっと立ったっている、こちらはこんな人ひとに近づきちかづきではないが先方せんぽうではこのポットぽっと出でのチンチクリンちんちくりんの田舎者いなかものに近づかちかづかざるべからざる理由りゆうがあってまさに近づいちかづいたものと見えるみえる、その理由りゆうに曰くいわくここは馬うまを乗るのる所ところで自転車じてんしゃに乗るのる所ところではないから自転車じてんしゃを稽古けいこするなら往来おうらいへ出でてやらしゃい、オーライおーらい謹んつつしんで命いのちを領りょうすと混淆こんこう式しきの答こたえに博学はくがくの程度ていどを見せみせてすぐさまこれを監督官かんとくかんに申出るもうしでる、と監督官かんとくかんは降参こうさん人ひとの今日きょうの凹みへこみ加減かげん充分じゅうぶんとや思いおもいけん、もう帰ろうかえろうじゃないかと云ういう、すなわち乗れのれざる自転車じてんしゃと手てを携えたずさえて帰るかえる、どうでしたと婆ばあさんの問もんに敗まけ余よの意気いきをもらすらく車くるま嘶いいなないて白日はくじつ暮れくれ耳鳴みみなりって秋気しゅうき来るくるヘンへん 忘わすれ月つき忘わすれ日ひ 例れいの自転車じてんしゃを抱いいだいて坂さかの上うえに控えひかえたる余よは徐ろにおもむろに眼めを放っはなって遥かはるかあなたの下したを見廻すみまわす、監督官かんとくかんの相図あいずを待っまって一気いっきにこの坂さかを馳はせけ下りんおりんとの野心やしんあればなり、坂さかの長さながさ二に丁てい余よ、傾斜けいしゃの角度かくど二十にじゅう度どばかり、路幅みちはば十じゅう間まを超えこえて人ひと通多つうさわからず、左右さゆうはゆかしく住みなせすみなせる屋敷やしきばかりなり、東洋とうようの名士めいしが自転車じてんしゃから落おちる稽古けいこをすると聞いきいて英えい政府せいふが特にとくに土木どぼく局きょくに命じめいじてこの道路どうろを作らつくらしめたかどうだかその辺へんはいまだに判然はんぜんしないが、とにかく自転車じてんしゃ用よう道路どうろとして申分もうしぶんのない場所ばしょである、余よが監督官かんとくかんは巡査じゅんさの小言こごとに胆たんを冷しひやしたものか乃至ないしはまた余よの車くるまを前まえへ突き出すつきだす労力ろうりょくを省くはぶくためか、昨日きのうから人ひとと車くるまを天然てんねん自然しぜんところがすべく特にとくにこの地ちを相しそうし得とくて余よを連れだしつれだしたのである、 人ひとの通らとおらない馬車ばしゃのかよわない時機じきを見計っみはからったる監督官かんとくかんはさあ今いまだ早くはやく乗りのりたまえという、ただしこの乗るのるという字じに註釈ちゅうしゃくが入るはいる、この字じは吾われら両人りょうにんの間まにはいまだ普通ふつうの意味いみに用ようられていない、わがいわゆる乗るのるは彼かれらのいわゆる乗るのるにあらざるなり、鞍くらに尻しりをおろさざるなり、ペダルぺだるに足あしをかけざるなり、ただ力学りきがくの原理げんりに依頼いらいして毫もごうも人工じんこうを弄せろうせざるの意いなり、人ひとをもよけず馬うまをも避けさけず水火すいかをも辞せじせず驀地まっしぐらに前進ぜんしんするの義ぎなり、去るさるほどにその格好かっこうたるやあたかも疝気せんき持もちが初出しょしゅつに梯子はしご乗のりを演ずるえんずるがごとく、吾われながら乗るのるという字じを濫用らんようしてはおらぬかと危ぶむあやぶむくらいなものである、されども乗るのるはついに乗るのるなり、乗らのらざるにあらざるなり、ともかくも人間にんげんが自転車じてんしゃに附着ふちゃくしている也な、しかも一気呵成いっきかせいに附着ふちゃくしているなり、この意味いみにおいて乗るのるべく命ぜめいぜられたる余よは、疾風しっぷうのごとくに坂さかの上うえから転がりころがり出すだす、すると不思議ふしぎやな左ひだりの方ほうの屋敷やしきの内うちから拍手はくしゅして吾がわが自転じてん行こうを壮そうにしたいたずらものがある、妙みょうだなと思うおもう間まもなく車くるまはすでに坂さかの中腹ちゅうふくへかかる、今度こんどは大変たいへんな物ものに出逢っであった、女学生じょがくせいが五ご十人じゅうにんばかり行列ぎょうれつを整えととのえて向むかいからやってくる、こうなってはいくら女おんなの手前てまえだからと言っいって気取るきどる訳わけにもどうする訳わけにも行かいかん、両手りょうては塞っふさがっている、腰こしは曲っきょくっている、右みぎの足あしは空そらを蹴ている、下りようおりようとしても車くるまの方ほうで聞かきかない、絶体絶命ぜったいぜつめいしようがないから自家じか独得どくとくの曲きょく乗のりのままで女軍じょぐんの傍そばをからくも通り抜けるとおりぬける。
ほっと一息ひといきつく間まもなく車くるまはすでに坂さかを下りくだりて平地へいちにあり、けれども毫もごうも留まるとまる気色けしきがない、しかのみならず向うむこうの四よんツ角かくに立たてている巡査じゅんさの方ほうへ向けむけてどんどん馳はせけて行くいく、気きが気きでない、今日きょうも巡査じゅんさに叱らしかられる事ことかと思いおもいながらもやはり曲きょく乗のりの姿勢しせいをくずす訳わけに行かいかない、自転車じてんしゃは我われに無理むり情死じょうしを逼るせまる勢いきおいでむやみに人道じんどうの方ほうへ猛進もうしんする、とうとう車道しゃどうから人道じんどうへ乗り上げのりあげそれでも止まらとまらないで板塀いたべいへぶつかって逆ぎゃく戻れいをする事こと一いち間ま半はん、危くあやうくも巡査じゅんさを去るさる三さん尺さしの距離きょりでとまった。
大分おおいた御ご骨ほねが折れおれましょうと笑わらいながら査さ公こうが申さもうされた故こ、答えこたえて曰くいわくイエスいえす、 忘わすれ月つき忘わすれ日ひ「……御ご調べしらべになる時じはブリチッシュ・ミュジーアムへ御ご出かけでかけになりますか」「あすこへはあまり参りまいりません、本ほんへやたらにノートのーとを書きつけかきつけたり棒ぼうを引いひいたりする癖くせがあるものですから」「さよう、自分じぶんの本ほんの方ほうが自由じゆうに使えつかえて善ぜんですね、しかし私わたくしなどは著作ちょさくをしようと思うおもうとあすこへ出かけでかけます……」「夏目なつめさんは大変たいへん御ご勉強べんきょうだそうですね」と細君さいくんが傍そばから口くちを開くひらく「あまり勉強べんきょうもしません、近頃ちかごろは人ひとから勧めすすめられて自転車じてんしゃを始めはじめたものですから、朝あさから晩ばんまでそればかりやっています」「自転車じてんしゃは面白うおもしろうござんすね、宅たくではみんな乗りのりますよ、あなたもやはり遠乗とおのりをなさいましょう」遠乗とおのりをもって細君さいくんから擬せぎせられた先生せんせいは実じつに普通ふつうの意味いみにおいて乗るのるちょう事ことのいかなるものなるかをさえ解しかいし得とくざる男おとこなり、ただ一種いっしゅの曲解きょっかいせられたる意味いみをもって坂さかの上うえから坂さかの下したまで辛うじてかろうじて乗りのり終おわりせる男おとこなり、遠乗とおのりの二に字じを承っうけたまわって心こころ安からあんからず思いおもいしが、掛かかり直じかを云ういうことが第だい二にの天性てんせいとまで進化しんかせる二十にじゅう世紀せいきの今日きょう、この点てんにかけては一人前いちにんまえに通用つうようする人物じんぶつなれば、如才じょさいなく下したのごとく返答へんとうをした「さよう遠乗とおのりというほどの事こともまだしませんが、坂さかの上うえから下したの方ほうへ勢いきおいよく乗りのりおろす時じなんかすこぶる愉快ゆかいですね」 今までいままで沈黙ちんもくを守っまもっておった令嬢れいじょうはこいつ少しすこしは乗のりきるなと疳かん違いをしたものと見えみえて「いつか夏目なつめさんといっしょに皆みなでウィンブルドンうぃんぶるどんへでも行っいったらどうでしょう」と父ちち君きみと母はは上うえに向っむかって動議どうぎを提出ていしゅつする、父ちち君きみと母はは上うえは一斉いっせいに余よが顔かおを見るみる、余よここにおいてか少々しょうしょう尻こそばしりこそばゆき状態じょうたいに陥るおちいるのやむをえざるに至れいたれり、さりながら妙齢みょうれいなる美人びじんより申し込まもうしこまれたるこの果し状はたしじょうを真平まっぴら御免ごめん蒙るこうむると握りつぶすにぎりつぶす訳わけには行かいかない、いやしくも文明ぶんめいの教育きょういくを受けうけたる紳士しんしが婦人ふじんに対するたいする尊敬そんけいを失ししっしては生涯しょうがいの不面目ふめんぼくだし、かつやこれでもかこれでもかと余よが咽喉のどを扼しやくしつつある二に寸すん五ご分ぶんのハイカラはいからの手前てまえもある事ことだから、ことさらに平気へいきと愉快ゆかいを等分とうぶんに加味かみした顔かおをして「それは面白いおもしろいでしょうしかし……」「御ご勉強べんきょうで御ご忙しいいそがしいでしょうが今度こんどの土曜どようぐらいは御ご閑かんでいらっしゃいましょう」とだんだん切り込んきりこんでくる、余よが「しかし……」の後あとには必ずかならずしも多忙たぼうが来るくると限っかぎっておらない、自分じぶんながら何なんのための「しかし」だかまだ判然はんぜんせざるうちにこう先さきを越さこされてはいよいよ「しかし」の納りおさまり場ばがなくなる、「しかしあまり人通りひとどおりの多いおおい所ところではエーえー……アノーあのーまだ練れねれませんから」とようやく一方いっぽうの活路かつろを開くひらくや否いなや「いえ、あの辺へんの道路どうろは実じつに閑静かんせいなものですよ」とすぐ通せん坊とおせんぼうをされる、進退しんたいこれきわまるとは啻ただに自転車じてんしゃの上うえのみにてはあらざりけり、と独りひとりで感心かんしんをしている、感心かんしんしたばかりでは埒らちがあかないから、この際さい唯一ゆいいつの手段しゅだんとして「しかし」をもう一遍いちぺん繰り返すくりかえす「しかし……今度こんどの土曜どようは天気てんきでしょうか」旗幟きしの鮮明せんめいならざること夥しいおびただしい誰だれに聞いきいたって、そんな事ことが分るわかるものか、さてもこの勝負しょうぶ男おとこの方ほう負ふとや見みたりけん、審判官しんぱんかんたる主人しゅじんは仲裁ちゅうさい乎かとして口くちを開いひらいて曰くいわく、日ひはきめんでもいずれそのうち私わたくしが自転車じてんしゃで御ご宅たくへ伺いうかがいましょう、そしていっしょに散歩さんぽでもしましょう、――サイクリストさいくりすとに向っむかっていっしょに散歩さんぽでもしましょうとはこれいかに、彼かれは余よを目しもくしてサイクリストさいくりすとたるの資格しかくなきものと認定にんていせるなり このうつくしき令嬢れいじょうと「ウィンブルドンうぃんぶるどん」に行かいかなかったのは余よの幸みゆきであるかはた不幸ふこうであるか、考うるかんがうること四十八よんじゅうはち時間じかんついに判然はんぜんしなかった、日本にっぽん派はの俳諧師はいかいしこれを称ししょうして朦朧体もうろうたいという 忘わすれ月つき忘わすれ日ひ 数すう日ひ来きの手痛ていたき経験けいけんと精緻せいちなる思索しさくとによって余よは下したの結論けつろんに到着とうちゃくした
自転車じてんしゃの鞍くらとペダルぺだるとは何なんも世間体せけんたいを繕うつくろうために漫然まんぜんと附着ふちゃくしているものではない、鞍くらは尻しりをかけるための鞍くらにしてペダルぺだるは足あしを載せのせかつ踏みつけるふみつけると回転かいてんするためのペダルぺだるなり、ハンドルはんどるはもっとも危険きけんの道具どうぐにして、一度いちどびこれを握るにぎるときは人目ひとめを眩まばゆせしむるに足るたる目め勇いさむしき働きはたらきをなすものなり
かく漆うるし桶おけを抜くぬくがごとく自転じてん悟さとるを開きひらきたる余よは今例こんれいの監督官かんとくかん及びおよびその友ともなる貴公子きこうし某ぼう伯爵はくしゃくと共ともに※を連ねつらねて「クラパムコンモン」を横ぎりよこぎり鉄道馬車てつどうばしゃの通うかよう大通りおおどおりへ曲らきょくらんとするところだと思いおもいたまえ、余よの車くるまは両君りょうくんの間まに介在かいざいして操縦そうじゅうすでに自由じゆうならず、ただ前まえへ出でられるばかりと思いおもいたまえ、しかるに出でられべき一方いっぽう口くちが突然とつぜん塞っふさがったと思いおもいたまえ、すなわち横ぎりよこぎりにかかる塗炭とたんに右みぎの方ほうより不都合ふつごうなる一いち輛りょうの荷車にぐるまが御免ごめんよとも何なんとも云わいわず傲然ごうぜんとして我われ前まえを通っとおったのさ、今までいままでの態度たいどを維持いじすれば衝突しょうとつするばかりだろう、余よの主義しゅぎとして衝突しょうとつはこちらが勝つかつ場合ばあいについてのみあえてするが、その他ほか負ふ色いろの見えすいみえすいたような衝突しょうとつになるといつでも御免ごめん蒙るこうむるのが吾われ家いえ伝来でんらいの憲法けんぽうである、さるによってこの尨大ぼうだいなる荷車にぐるまと老朽ろうきゅう悲鳴ひめいをあげるほどの吾がわが自転車じてんしゃとの衝突しょうとつは、おやじの遺言ゆいごんとしても避けさけねばならぬ、と云っいって左右さゆうへよけようとすると御ご両君りょうくんのうちいずれへか衝突しょうとつの尻しりをもって行かいかねばならん、もったいなくも一人ひとりは伯爵はくしゃくの若殿わかとの様ようで、一人ひとりは吾がわが恩師おんしである、さような無礼ぶれいな事ことは平民へいみんたる我々われわれ風情ふぜいのすまじき事ことである、のみならず捕虜ほりょの分際ぶんざいとして推参すいさんな所作しょさと思わおもわるべし、孝こうならんと欲すれほっすれば礼れいならず、礼れいならんと欲すれほっすれば孝こうならず、やむなくんば退却たいきゃくか落おち車くるまの二にあるのみと、ちょっとの間まに相場そうばがきまってしまった、この時事じじに臨んのぞんでかつて狼狽ろうばいしたる事ことなきわれつらつら思うおもうよう、できさえすれば退却たいきゃくも満更まんざらでない、少なくすくなくとも落おち車くるまに優るまさること万々ばんばんなりといえども、悲ひ夫おっと逆ぎゃく艪ろの用意よういいまだ調わととのわざる今日きょうの時勢じせいなれば、エーえー仕方しかたがない思い切っおもいきって落おち車くるまにしろ、と両車りょうしゃの間まに堂どうと落つおつ、折おりしも余よを去るさる事こと二に間まばかりのところに退屈たいくつそうに立ったっていた巡査じゅんさ――自転車じてんしゃの巡査じゅんさにおけるそれなお刺身さしみのツマつまにおけるがごときか、何なんぞそれ引き合ひきあいに出るでるのはなはだしき――このツマつま的まと巡査じゅんさが声こえを揚げあげてアハあは、アハあは、アハあは、と三さん度ど笑っわらった。
その笑いわらい方ほう苦笑くしょうにあらず、冷笑れいしょうにあらず、微笑びしょうにあらず、カンラカラカラ笑わらいにあらず、全くまったくの作りつくり笑わらいなり、人ひとから頼またのまれてする依托いたく笑わらいなり、この依托いたく笑わらいをするためにこの巡査じゅんさはシックスしっくすペンスぺんすを得とくたか、ワンわん・シリングしりんぐを得とくたか、遺憾いかんながらこれを考究こうきゅうする暇ひまがなかった、 へんツマつま巡査じゅんさなどが笑っわらったってとすぐさま御ご両君りょうくんの後あとを慕っしたって馳はせけ出すけだす、これが巡じゅん公こうでなくって先日せんじつの御娘おむすさんだったらやはりすぐさま馳はせけ出さけだされるかどうだかの問題もんだいはいざとならなければ解釈かいしゃくがつかないから質問しつもんしない方ほうがいいとして先さきへ進むすすむ、さて両君りょうくんはこの辺へんの地理ちり不案内ふあんないなりとの口実こうじつをもって覚束なおぼつかなき余よに先導せんどうたるべしとの厳命げんめいを伝えつたえた、しかるに案内あんないには詳しいくわしいが自転車じてんしゃには毫もごうも詳しくくわしくないから、行こういこうと思うおもう方ほうへは行かいかないで曲り角まがりかどへくるとただ曲りまがりやすい方ほうへ曲っきょくってしまう、ここにおいてか同じおなじ所ところへ何なん返かえしも出でて来るくる、始めはじめの内うちは何なんとかかんとかごまかしていたが、そうは持ちもち切れるきれるものでない、今度こんどは違っちがった方ほうへ行こういこうとの御意ぎょいである、よろしいと口くちには云っいったようなものの、ままにならぬは浮世うきよの習、容易よういにそっちの方角ほうがくへ曲らきょくらない、道幅みちはば三さん分ぶんの二にも来きた頃ころ、やっとの思おもうでハンドルはんどるをギューッぎゅーっと捩っもじったら、自転車じてんしゃは九十きゅうじゅう度どの角度かくどを一どきいちどきに廻っまわってしまった、その急きゅう廻転かいてんのために思いがけおもいがけなき功名こうみょうを博しはくし得とくたと云ういう御ご話しはなしは、明日あすの前まえ講こうになかという価値かちもないから、すぐ話しはなしてしまう、この時じまで気きがつかなかったがこの急劇きゅうげきなる方向転換ほうこうてんかんの刹那せつなに余よと同じおなじ方角ほうがくへ向けむけて余よに尾行びこうして来きた一人ひとりのサイクリストさいくりすとがあった、ところがこの不意ふい撃げきに驚いおどろいて車くるまをかわす暇ひまもなくもろくも余よの傍そばで転がり落ちころがりおちた、後あとで聞けきけば、四よんツ角かくを曲るまがる時じにはベルべるを鳴すなかすか片手かたてをあげるか一通りひととおりの挨拶あいさつをするのが礼れいだそうだが、落おち天てんの奇想きそうを好むこのむ余よはさような月並つきなみ主義しゅぎを採らとらない、いわんやベルべるを鳴しなかしたり手てを挙げあげたり、そんな面倒めんどうな事ことをする余裕よゆうはこの際さい少しすこしもなきにおいてをやだ、ここにおいてかこのダンマリだんまり転換てんかんを遂行すいこうするのも余よにとっては万まんやむをえざるに出でたもので、余よのあとにくっついて来きた男おとこが吃驚びっくりして落おち車くるましたのもまた無理むりのないところである、双方そうほう共とも無理むりのないところであるから不思議ふしぎはない、当然とうぜんの事ことであるが、西洋せいよう人ひとの論理ろんりはこれほどまで発達はったつしておらんと見えみえて、彼かれの落ち人おちびと大おおに逆鱗げきりんの体からだで、チンチンチャイナマンと余よを罵っののしった、罵らののしられたる余よは一矢いっし酬むくいゆるはずであるが、そこは大おお悠ゆうなる豪傑ごうけつの本性ほんしょうをあらわして、御ご気の毒きのどくだねの一言ひとことを遺しのこしてふり向むかいもせずに曲っきょくって行くいく、実じつはふり向こうふりむこうとするうちに車くるまが通り過ぎとおりすぎたのである、「御ご気の毒きのどくだね」よりほかの語ごが出でて来きなかったのである、正直しょうじきなる余よは苟且にも豪傑ごうけつなど云ういう、一種いっしゅの曲者くせものと間ま違いらるるを恐れおそれて、ここにゆっくり弁解べんかいしておくなり、万一まんいち余よを豪傑ごうけつだなどと買被っかいかぶって失敬しっけいな挙動きょどうあるにおいては七生ななおまで祟るたたるかも知れしれない、 忘わすれ月つき忘わすれ日ひ 人間にんげん万事ばんじ漱石そうせきの自転車じてんしゃで、自分じぶんが落ちるおちるかと思うおもうと人ひとを落すおとす事こともある、そんなに落胆らくたんしたものでもないと、今日きょうはズーズーしくずーずーしく構えかまえて、バタシーばたしー公園こうえんへと急ぐいそぐ、公園こうえんはすこぶる閑静かんせいだが、その手前てまえ三さん丁ていばかりのところが非常ひじょうの雑沓ざっとうな通りとおりで、初学しょがく者ものたる余よにとっては難透なんとう難なん徹とおるの難関なんかんである、今いましも余よの自転車じてんしゃは「ラヴェンダーらゔぇんだー」坂さかを無難ぶなんに通り抜けとおりぬけて、この四よん通つう八達はったつの中央ちゅうおうへと乗り出すのりだす、向うむこうに鉄道馬車てつどうばしゃが一いち台だいこちらを向いむかいて休んやすんでいる、その右側みぎがわに非常ひじょうに大おおなる荷車にぐるまが向うむきむこうむきに休んやすんでいる、その間ま約やく四よん尺さしばかり、余よはこの四よん尺さしの間まをすり抜けるすりぬけるべく車くるまを走らしはしらしたのである、余よが車くるまの前輪ぜんりんが馬車馬ばしゃばの前足まえあしと並んならんだ時じ、すなわち余よの身体しんたいが鉄道馬車てつどうばしゃと荷車にぐるまとの間まに這入りはいりかけた時じ、一いち台だいの自転車じてんしゃが疾風しっぷうのごとく向むかいから割り込んわりこんで来きた、かようなとっさの際さいには命いのちが大事だいじだから退却たいきゃくにしようか落おち車くるまにしようかなどの分別ぶんべつは、さすがの吾輩わがはいにも出でなかったと見えみえて、おやと思っおもったら身体しんたいはもう落ちおちておった、落方おちかたが少々しょうしょうまずかったので、落おちる時じ左ひだりの手てでしたたか馬うまの太ふとし腹はらを叩いたたいて、からくも四よん這のこの不体裁ふていさいを免がれまぬがれた、やれうれしやと思うおもう間まもなく鉄道馬車てつどうばしゃは前進ぜんしんし始めるはじめる、馬うまは驚ろいおどろいて吾輩わがはいの自転車じてんしゃを蹴飛すけとばす、相手あいての自転車じてんしゃは何なん喰わくわぬ顔かおですうと抜けぬけて行くいく、間まの抜ぬけさ加減かげんは尋常じんじょう一様いちようにあらず、この時じ派出はしゅつやかなるギグぎぐに乗っのって後ろうしろから馳はせけ来りきたりたる一いち個この紳士しんし、策さくを揚げあげざまに余よが方ほうを顧みかえりみて曰くいわく大丈夫だいじょうぶだ安心あんしんしたまえ、殺しころしやしないのだからと、余よ心中しんじゅうひそかに驚いおどろいて云ういう、して見るみると時じには自転車じてんしゃに乗せのせて殺しころしてしまうのがあるのかしらん英国えいこくは険呑けんのんな所ところだと
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余よが廿にじゅう貫ぬき目めの婆ばあさんに降参こうさんして自転車じてんしゃ責せめに遇っあってより以来いらい、大おお落おち五ご度ど小しょう落おちはその数すうを知らしらず、或ある時じは石垣いしがきにぶつかって向むかい脛すねを擦りむきすりむき、或るある時じは立木たちきに突き当っつきあたって生爪なまづめを剥がすはがす、その苦戦くせん云ういうばかりなし、しかしてついに物ものにならざるなり、元来がんらいこの二十にじゅう貫ぬき目めの婆ばあさんはむやみに人ひとを馬鹿ばかにする婆ばあさんにして、この婆ばあさんが皮肉ひにくに人ひとを馬鹿ばかにする時じ、その妹いもうとの十一じゅういち貫ぬき目めの婆ばあさんは、瞬きまばたきもせず余よが黄色きいろな面めんを打だ守りまもりていかなる変化へんかが余よの眉目びもくの間まに現るるあらわるるかを検査けんさする役目やくめを務めるつとめる、御ご役目やくめ御苦労ごくろうの至りいたりだ、この二に婆さんばあさんの呵責かしゃくに逢てより以来いらい、余よが猜疑心さいぎしんはますます深くふかくなり、余よが継子けいし根性こんじょうは日ひに日ひに増長ぞうちょうし、ついには明け放しあけはなしの門戸もんこを閉鎖へいさして我われ黄色きいろな顔かおをいよいよ黄色きいろにするのやむをえざるに至れいたれり、彼かれ二に婆さんばあさんは余よが黄色きいろの深浅しんせんを測っはかって彼かれら一いち日ひのプログラムぷろぐらむを定めるさだめる、余よは実じつに彼かれらにとって黄色きいろな活動かつどう晴雨計せいうけいであった、たまた※降参こうさんを申し込んもうしこんで贏し得とくたるところ若干じゃっかんぞと問えとえば、貴重きちょうな留学りゅうがく時間じかんを浪費ろうひして下宿げしゅくの飯めしを二人ふたり前まえ食いくいしに過ぎすぎず、さればこの降参こうさんは我われに益えきなくして彼かれに損そんありしものと思惟しいす、無残むざんなるかな、
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