三山居士

1/1

全文

第 1 章
二に月つき二十八にじゅうはち日ひには生なま暖だんたかい風かぜが朝あさから吹いふいた。
その風かぜが土つちの上うえを渡るわたる時じ、地面じめんは一度いちどに濡れぬれ尽くしつくした。
外そとを歩くあるくと自分じぶんの踏むふむ足あしの下したから、熱ねつに冒さおかされた病人びょうにんの呼息こそくのようなものが、下駄げたの歯はに蹴返さけかえされるごとに、行くいく人ひとの眼鼻めはな口くちを悩ますなやますべく、風かぜのために吹き上げふきあげられる気色けしきに見えみえた。
家いえへ帰っかえって護謨ごむ合羽かっぱを脱ぐぬぐと、肩当かたあての裏側うらがわがいつの間まにか濡れぬれて、電灯でんとうの光ひかりに露ろのような光ひかりを投げ返しなげかえした。
不思議ふしぎだからまた羽織はおりを脱ぐぬぐと、同じおなじ場所ばしょが大きくおおきく二にカ所かしょほど汗あせで染め抜かそめぬかれていた。
余よはその下したに綿入わたいれを重ねかさねた上うえ、フラネルふらねるの襦袢じゅばんと毛織けおりの襯衣を着きていたのだから、いくら不愉快ふゆかいな夕暮ゆうぐれでも、肌はだに煮に染んしんだ汗あせの珠たまがここまで浸み出そうしみでそうとは思えおもえなかった。
試ろみろみに綿入わたいれの背中せなかを撫でなで廻しまわして貰うもらうと、はたしてどこも湿っしめっていなかった。
余よはどうして一番いちばん上うえに着きた護謨ごむ合羽かっぱと羽織はおりだけが、これほど烈しくはげしく濡れぬれたのだろうかと考えかんがえて、私かわたくしかに不審ふしんを抱いいだいた。
池辺いけべ君きみの容体ようだいが突然とつぜん変っかわったのは、その日ひの十じゅう時半じはん頃ころからで、一時いちじは注射ちゅうしゃの利目ききめが見えるみえるくらい、落ちつきおちつきかけたのだそうである。
それが午うま過すぎになってまただんだん険悪けんあくに陥っおちいったあげく、とうとう絶望ぜつぼうの状態じょうたいまで進んすすんで来きた時じは、余よが毎日まいにちの日課にっかとして筆ふでを執りとりつつある「彼岸ひがん過すぎ迄まで」をようやく書き上げかきあげたと同じおなじ刻限こくげんである。
池辺いけべ君きみが胸部きょうぶに末期まっきの苦痛くつうを感じかんじて膏あぶら汗あせを流しながしながらもがいている間ま、余よは池辺いけべ君きみに対したいして何なんらの顧慮こりょも心配しんぱいも払うはらう事ことができなかったのは、君きみの朋友ほうゆうとして、朋友ほうゆうにあるまじき無頓着むとんちゃくな心持こころもちを抱いいだいていたと云ういう点てんにおいて、いかにも残念ざんねんな気きがする。
余よが修善寺しゅぜんじで生死せいしの間まに迷うまようほどの心細いこころぼそい病みやみ方ほうをしていた時じ、池辺いけべ君きみは例れいの通りとおりの長大ちょうだいな躯幹くかんを東京とうきょうから運んはこんで来きて、余よの枕辺まくらべに坐っすわった。
そうして苦いにがい顔かおをしながら、医者いしゃに騙さだまされて来きて見みたと云っいった。
医者いしゃに騙さだまされたという彼かれは、固よりもとより余よを騙すだますつもりでこういう言葉ことばを発しはっしたのである。
彼かれの死ぬしぬ時じには、こういう言葉ことばを考えるかんがえる余地よちすら余よに与えあたえられなかった。
枕辺まくらべに坐っすわって目礼もくれいをする一いち分ぶん時じさえ許さゆるされなかった。
余よはただその晩ばんの夜半やはんに彼かれの死顔しにがおを一目いちもく見みただけである。
その夜よるは吹ふき荒こうさむ生温いなまぬりい風かぜの中なかに、夜着よぎの数すうを減しげんして、常つねよりは早くはやく床ゆかについたが、容易よういに寝つかねつかれない晩ばんであった。
締りしまりをした門もんを揺り動かしゆりうごかして、使いつかいのものが、余よを驚かすおどろかすべく池辺いけべ君きみの訃ふをもたらしたのは十一じゅういち時じ過すぎであった。
余よはすぐに白いしろい毛布もうふの中なかから出でて服ふくを改めあらためた。
車くるまに乗るのるとき曇くもりよりした不愉快ふゆかいな空そらを仰いおっしゃいで、風かぜの吹くふく中なかへ車夫しゃふを駈けかけさした。
路みちは歯はの廻らまわらないほど泥濘でいねいっているので、車夫しゃふのはあはあいう息いき遣けんが、風かぜに攫わさらわれて行くいく途中とちゅうで、折々おりおり余よの耳みみを掠めかすめた。
不断ふだんなら月つきの差すさすべき夜よると見えみえて、空そらを蔽うおおう気味きみの悪いわるい灰色はいいろの雲くもが、明らさまあからさまに東ひがしから西にしへ大きなおおきな幅はばの広いひろい帯おびを二に筋すじばかり渡しわたしていた。
その間まが白くしろく曇っくもって左右さゆうの鼠ねずみをかえって浮き出すうきだすように彩っあやった具合ぐあいがことさらに凄かっすごかった。
余よが池辺いけべ邸やしきに着くつくまで空そらの雲くもは死んしんだようにまるで動かうごかなかった。
二に階かいへ上っのぼって、しばらく社しゃのものと話しはなした後あと、余よは口くちの利けきけない池辺いけべ君きみに最後さいごの挨拶あいさつをするために、階下かいかの室むろへ下りくだりて行っいった。
そこには一人ひとりの僧そうが経きょうを読んよんでいた。
女おんなが三四さんよん人ひと次の間つぎのまに黙っだまって控えひかえていた。
遺骸いがいは白いしろい布ぬので包んつつんでその上うえに池辺いけべ君きみの平生へいぜい着きたらしい黒紋くろもん付ふが掛けかけてあった。
顔かおも白いしろい晒しさらしで隠しかくしてあった。
余よが枕辺まくらべ近くちかく寄っよって、その晒しさらしを取り除けとりのぞけた時じ、僧そうは読経どきょうの声こえをぴたりと止めとめた。
夜半やはんの灯あかりに透かしすかして見みた池辺いけべ君きみの顔かおは、常つねと何なんの変るかわる事こともなかった。
刈り込んかりこんだ髯ひげに交こうる白髪はくはつが、忘るわすれるべからざる彼かれの特徴とくちょうのごとくに余よの眼めを射いた。
ただ血ちの漲ぎらみなぎらない両頬りょうほおの蒼褪めあおざめた色いろが、冷たつめたそうな無常むじょうの感じかんじを余よの胸むねに刻んきざんだだけである。
余よが最後さいごに生きいきた池辺いけべ君きみを見みたのは、その母堂ぼどうの葬儀そうぎの日ひであった。
柩ひつぎの門もんを出ようでようとする間際まぎわに駈けつけかけつけた余よが、門側もんがわに佇んたたずんで、葬列そうれつの通過つうかを待つまつべく余儀よぎなくされた時じ、余よと池辺いけべ君きみとは端はしなく目礼もくれいを取りとり換かえわしたのである。
その時じ池辺いけべ君きみが帽ぼうを被らかぶらずに、草履ぞうりのまま質素しっそな服装ふくそうをして柩ひつぎの後あとに続いつづいた姿すがたを今いま見るみるように覚えおぼえている。
余よは生きいきた池辺いけべ君きみの最後さいごの記念きねんとしてその姿すがたを永久えいきゅうに深くふかく頭あたまの奥おくにしまっておかなければならなくなったかと思うおもうと、その時じ言葉ことばを交わさかわさなかったのが、はなはだ名残惜しくなごりおしく思わおもわれてならない。
池辺いけべ君きみはその時じからすでに血色けっしょくが大変たいへん悪かっわるかった。
けれどもその時じなら口くちを利くきく事ことが充分じゅうぶんできたのである。
1/1