その一本一本の末は丸く平たい蛇の頭となってその裂け目から消えんとしては燃ゆる如き舌を出している。毛と云う毛は悉く蛇で、その蛇は悉く首を擡げて舌を吐いて縺るるのも、捻じ合うのも、攀じあがるのも、にじり出るのも見らるる。五寸の円の内部に獰悪なる夜叉の顔を辛うじて残して、額際から顔の左右を残なく填めて自然に円の輪廓を形ちづくっているのはこの毛髪の蛇、蛇の毛髪である。遠き昔しのゴーゴンとはこれであろうかと思わるる位だ。ゴーゴンを見る者は石に化すとは当時の諺であるが、この盾を熟視する者は何人もその諺のあながちならぬを覚るであろう。
第 1 章
盾には創がある。
右の肩から左へ斜に切りつけた刀の痕が見える。
玉を並べた様な鋲の一つを半ば潰して、ゴーゴン・メジューサに似た夜叉の耳のあたりを纏う蛇の頭を叩いて、横に延板の平な地へ微かな細長い凹みが出来ている。
ウィリアムにこの創の因縁を聞くと何にも云わぬ。
知らぬかと云えば知ると云う。
知るかと云えば言い難しと答える。
人に云えぬ盾の由来の裏には、人に云えぬ恋の恨みが潜んでいる。
人に云わぬ盾の歴史の中には世もいらぬ神もいらぬとまで思いつめたる望の綱が繋がれている。
ウィリアムが日毎夜毎に繰り返す心の物語りはこの盾と浅からぬ因果の覊絆で結び付けられている。
いざという時この盾を執って……望はこれである。
心の奥に何者かほのめいて消え難き前世の名残の如きを、白日の下に引き出して明ら様に見極むるはこの盾の力である。
いずくより吹くとも知らぬ業障の風の、隙多き胸に洩れて目に見えぬ波の、立ちては崩れ、崩れては立つを浪なき昔、風吹かぬ昔に返すはこの盾の力である。
この盾だにあらばとウィリアムは盾の懸かれる壁を仰ぐ。
天地人を呪うべき夜叉の姿も、彼が眼には画ける天女の微かに笑を帯べるが如く思わるる。
時にはわが思う人の肖像ではなきかと疑う折さえある。
只抜け出して語らぬが残念である。
思う人!
ウィリアムが思う人はここには居らぬ。
小山を三つ越えて大河を一つ渉りて二十哩先の夜鴉の城に居る。
夜鴉の城とは名からして不吉であると、ウィリアムは時々考える事がある。
然しその夜鴉の城へ、彼は小児の時度々遊びに行った事がある。
小児の時のみではない成人してからも始終訪問れた。
クララの居る所なら海の底でも行かずにはいられぬ。
彼はつい近頃まで夜鴉の城へ行っては終日クララと語り暮したのである。
恋と名がつけば千里も行く。
二十哩は云うに足らぬ。
夜を守る星の影が自ずと消えて、東の空に紅殻を揉み込んだ様な時刻に、白城の刎橋の上に騎馬の侍が一人あらわれる。
……宵の明星が本丸の櫓の北角にピカと見え初むる時、遠き方より又蹄の音が昼と夜の境を破って白城の方へ近づいて来る。
馬は総身に汗をかいて、白い泡を吹いているに、乗手は鞭を鳴らして口笛をふく。
戦国のならい、ウィリアムは馬の背で人と成ったのである。
去年の春の頃から白城の刎橋の上に、暁方の武者の影が見えなくなった。
夕暮の蹄の音も野に逼る黒きものの裏に吸い取られてか、聞えなくなった。
その頃からウィリアムは、己れを己れの中へ引き入るる様に、内へ内へと深く食い入る気色であった。
花も春も余所に見て、只心の中に貯えたる何者かを使い尽すまではどうあっても外界に気を転ぜぬ様に見受けられた。
武士の命は女と酒と軍さである。
吾思う人の為めにと箸の上げ下しに云う誰彼に傚って、わがクララの為めにと云わぬ事はないが、その声の咽喉を出る時は、塞がる声帯を無理に押し分ける様であった。
血の如き葡萄の酒を髑髏形の盃にうけて、縁越すことをゆるさじと、髭の尾まで濡らして呑み干す人の中に、彼は只額を抑えて、斜めに泡を吹くことが多かった。
山と盛る鹿の肉に好味の刀を揮う左も顧みず右も眺めず、只わが前に置かれたる皿のみを見詰めて済す折もあった。
皿の上に堆かき肉塊の残らぬ事は少ない。
武士の命を三分して女と酒と軍さが