その一角にあらわれた。点は遥かの向にあるけれども、机の上に乗せたほど明らかに見えた。
第 3 章
山の裾に大きな藁葺があって、村から二町ほど上ると、路は自分の門の前で尽きている。
門を這入る馬がある。
鞍の横に一叢の菊を結いつけて、鈴を鳴らして、白壁の中へ隠れてしまった。
日は高く屋の棟を照らしている。
後の山を、こんもり隠す松の幹がことごとく光って見える。
茸の時節である。
豊三郎は机の上で今採ったばかりの茸の香を嗅いだ。
そうして、豊、豊という母の声を聞いた。
その声が非常に遠くにある。
それで手に取るように明らかに聞える。
――母は五年前に死んでしまった。
豊三郎はふと驚いて、わが眼を動かした。
すると先刻見た梧桐の先がまた眸に映った。
延びようとする枝が、一所で伐り詰められているので、股の根は、瘤で埋まって、見悪いほど窮屈に力が入っている。
豊三郎はまた急に、机の前に押しつけられたような気がした。
梧桐を隔てて、垣根の外を見下すと、汚ない長屋が三四軒ある。
綿の出た蒲団が遠慮なく秋の日に照りつけられている。
傍に五十余りの婆さんが立って、梧桐の先を見ていた。
ところどころ縞の消えかかった着物の上に、細帯を一筋巻いたなりで、乏しい髪を、大きな櫛のまわりに巻きつけて、茫然と、枝を透かした梧桐の頂辺を見たまま立っている。
豊三郎は婆さんの顔を見た。
その顔は蒼くむくんでいる。
婆さんは腫れぼったい瞼の奥から細い眼を出して、眩しそうに豊三郎を見上げた。
豊三郎は急に自分の眼を机の上に落した。
三日目に豊三郎は花屋へ行って菊を買って来た。
国の庭に咲くようなのをと思って、探して見たが見当らないので、やむをえず花屋のあてがったのを、そのまま三本ほど藁で括って貰って、徳利のような花瓶へ活けた。
行李の底から、帆足万里の書いた小さい軸を出して、壁へ掛けた。
これは先年帰省した時、装飾用のためにわざわざ持って来たものである。
それから豊三郎は座蒲団の上へ坐って、しばらく軸と花を眺めていた。
その時窓の前の長屋の方で、豊々と云う声がした。
その声が調子と云い、音色といい、優しい故郷の母に少しも違わない。
豊三郎はたちまち窓の障子をがらりと開けた。
すると昨日見た蒼ぶくれの婆さんが、落ちかかる秋の日を額に受けて、十二三になる鼻垂小僧を手招きしていた。
がらりと云う音がすると同時に、婆さんは例のむくんだ眼を翻えして下から豊三郎を見上げた。
金
劇烈な三面記事を、写真版にして引き伸ばしたような小説を、のべつに五六冊読んだら、全く厭になった。
飯を食っていても、生活難が飯といっしょに胃の腑まで押し寄せて来そうでならない。
腹が張れば、腹がせっぱ詰って、いかにも苦しい。
そこで帽子を被って空谷子の所へ行った。
この空谷子と云うのは、こういう時に、話しをするのに都合よく出来上った、哲学者みたような占者みたような、妙な男である。
無辺際の空間には、地球より大きな火事がところどころにあって、その火事の報知が吾々の眼に伝わるには、百年もかかるんだからなあと云って、神田の火事を馬鹿にした男である。
もっとも神田の火事で空谷子の家が焼けなかったのはたしかな事実である。
空谷子は小さな角火鉢に倚れて、真鍮の火箸で灰の上へ、しきりに何か書いていた。
どうだね、相変らず考え込んでるじゃないかと云うと、さも面倒くさそうな顔つきをして、うん今金の事を少し考えているところだと答えた。
せっかく空谷子の所へ来て、また金の話なぞを聞かされてはたまらないから、黙ってしまった。
すると空谷子が、さも大発見でもしたように、こう云った。
「金は魔物だね」 空谷子の警句としてははなはだ陳腐だと思ったから、そうさね、と云ったぎり相手にならずにいた。
空谷子は火鉢の灰の中に大きな丸を描いて、君ここに金があるとするぜ、と丸の真中を突ッついた。
「これが何にでも変化する。衣服にもなれば、食物にもなる。電車にもなれば宿屋にもなる」「下らんな。知れ切ってるじゃないか」「否、知れ切っていない。この丸がね」とまた大きな丸を描いた。
「この丸が善人にもなれば悪人にもなる。極楽へも行く、地獄へも行く。あまり融通が利き過ぎるよ。まだ文明が進まないから困る。もう少し人類が発達すると、金の融通に制限をつけるようになるのは分り切っているんだがな」「どうして」「どうしても好いが、――例えば金を五色に分けて、赤い金、青い金、白い金などとしても好かろう」「そうして、どうするんだ」「どうするって。赤い金は赤い区域内だけで通用するようにする。白い金は白い区域内だけで使う事にする。もし領分外へ出ると、瓦の破片同様まるで幅が利かないようにして、融通の制限をつけるのさ」 もし空谷子が初対面の人で、初対面の最先からこんな話をしかけたら、自分は空谷子をもって、あるいは脳の組織に異状のある論客と認めたかも知れない。
しかし空谷子は地球より大きな火事を想像する男だから、安心してその訳を聞いて見た。
空谷子の答はこうであった。
「金はある部分から見ると、労力の記号だろう。ところがその労力がけっして同種類のものじゃないから、同じ金で代表さして、彼是相通ずると、大変な間違になる。例えば僕がここで一万噸の石炭を掘ったとするぜ。その労力は器械的の労力に過ぎないんだから、これを金に代えたにしたところが、その金は同種類の器械的の労力と交換する資格があるだけじゃないか。しかるに一度この器械的の労力が金に変形するや否や、急に大自在の神通力を得て、道徳的の労力とどんどん引き換えになる。そうして、勝手次第に精神界が攪乱されてしまう。不都合極まる魔物じゃないか。だから色分にして、少しその分を知らしめなくっちゃいかんよ」 自分は色分説に賛成した。
それからしばらくして、空谷子に尋ねて見た。
「器械的の労力で道徳的の労力を買収するのも悪かろうが、買収される方も好かあないんだろう」「そうさな。今のような善知善能の金を見ると、神も人間に降参するんだから仕方がないかな。現代の神は野蛮だからな」 自分は空谷子と、こんな金にならない話をして帰った。
心
二階の手摺に湯上りの手拭を懸けて、日の目の多い春の町を見下すと、頭巾を被って、白い髭を疎らに生やした下駄の歯入が垣の外を通る。
古い鼓を天秤棒に括りつけて、竹のへらでかんかんと敲くのだが、その音は頭の中でふと思い出した記憶のように、鋭いくせに、どこか気が抜けている。
爺さんが筋向の医者の門の傍へ来て、例の冴え損なった春の鼓をかんと打つと、頭の上に真白に咲いた梅の中から、一羽の小鳥が飛び出した。
歯入は気がつかずに、青い竹垣をなぞえに向の方へ廻り込んで見えなくなった。
鳥は一摶に手摺の下まで飛んで来た。
しばらくは柘榴の細枝に留っていたが、落ちつかぬと見えて、二三度身ぶりを易える拍子に、ふと欄干に倚りかかっている自分の方を見上げるや否や、ぱっと立った。
枝の上が煙るごとくに動いたと思ったら、小鳥はもう奇麗な足で手摺の桟を踏まえている。
まだ見た事のない鳥だから、名前を知ろうはずはないが、その色合が著るしく自分の心を動かした。
鶯に似て少し渋味の勝った翼に、胸は燻んだ、煉瓦の色に似て、吹けば飛びそうに、ふわついている。
その辺には柔かな波を時々打たして、じっとおとなしくしている。
怖すのは罪だと思って、自分もしばらく、手摺に倚ったまま、指一本も動かさずに辛抱していたが、存外鳥の方は平気なようなので、やがて思い切って、そっと身を後へ引いた。
同時に鳥はひらりと手摺の上に飛び上がって、すぐと眼の前に来た。
自分と鳥の間はわずか一尺ほどに過ぎない。
自分は半ば無意識に右手を美しい鳥の方に出した。
鳥は柔かな翼と、華奢な足と、漣の打つ胸のすべてを挙げて、その運命を自分に託するもののごとく、向うからわが手の中に、安らかに飛び移った。
自分はその時丸味のある頭を上から眺めて、この鳥は……と思った。
しかしこの鳥は……の後はどうしても思い出せなかった。
ただ心の底の方にその後が潜んでいて、総体を薄く暈すように見えた。
この心の底一面に煮染んだものを、ある不可思議の力で、一所に集めて判然と熟視したら、その形は、――やっぱりこの時、この場に、自分の手のうちにある鳥と同じ色の同じ物であったろうと思う。
自分は直に籠の中に鳥を入れて、春の日影の傾くまで眺めていた。
そうしてこの鳥はどんな心持で自分を見ているだろうかと考えた。
やがて散歩に出た。
欣々然として、あてもないのに、町の数をいくつも通り越して、賑かな往来を行ける所まで行ったら、往来は右へ折れたり左へ曲ったりして、知らない人の後から、知らない人がいくらでも出て来る。
いくら歩いても賑かで、陽気で、楽々しているから、自分はどこの点で世界と接触して、その接触するところに一種の窮屈を感ずるのか、ほとんど想像も及ばない。
知らない人に幾千人となく出逢うのは嬉しいが、ただ嬉しいだけで、その嬉しい人の眼つきも鼻つきもとんと頭に映らなかった。
するとどこかで、宝鈴が落ちて廂瓦に当るような音がしたので、はっと思って向うを見ると、五六間先の小路の入口に一人の女が立っていた。
何を着ていたか、どんな髷に結っていたか、ほとんど分らなかった。
ただ眼に映ったのはその顔である。
その顔は、眼と云い、口と云い、鼻と云って、離れ離れに叙述する事のむずかしい――否、眼と口と鼻と眉と額といっしょになって、たった一つ自分のために作り上げられた顔である。
百年の昔からここに立って、眼も鼻も口もひとしく自分を待っていた顔である。
百年の後まで自分を従えてどこまでも行く顔である。
黙って物を云う顔である。
女は黙って後を向いた。
追いついて見ると、小路と思ったのは露次で、不断の自分なら躊躇するくらいに細くて薄暗い。
けれども女は黙ってその中へ這入って行く。
黙っている。
けれども自分に後を跟けて来いと云う。
自分は身を穿めるようにして、露次の中に這入った。
黒い暖簾がふわふわしている。
白い字が染抜いてある。
その次には頭を掠めるくらいに軒灯が出ていた。
真中に三階松が書いて下に本とあった。
その次には硝子の箱に軽焼の霰が詰っていた。
その次には軒の下に、更紗の小片を五つ六つ四角な枠の中に並べたのが懸けてあった。
それから香水の瓶が見えた。
すると露次は真黒な土蔵の壁で行き留った。
女は二尺ほど前にいた。
と思うと、急に自分の方をふり返った。
そうして急に右へ曲った。
その時自分の頭は突然先刻の鳥の心持に変化した。
そうして女に尾いて、すぐ右へ曲った。
右へ曲ると、前よりも長い露次が、細く薄暗く、ずっと続いている。
自分は女の黙って思惟するままに、この細く薄暗く、しかもずっと続いている露次の中を鳥のようにどこまでも跟いて行った。
変化
二人は二畳敷の二階に机を並べていた。
その畳の色の赤黒く光った様子がありありと、二十余年後の今日までも、眼の底に残っている。
部屋は北向で、高さ二尺に足らぬ小窓を前に、二人が肩と肩を喰っつけるほど窮屈な姿勢で下調をした。
部屋の内が薄暗くなると、寒いのを思い切って、窓障子を明け放ったものである。
その時窓の真下の家の、竹格子の奥に若い娘がぼんやり立っている事があった。
静かな夕暮などはその娘の顔も姿も際立って美しく見えた。
折々はああ美しいなと思って、しばらく見下していた事もあった。
けれども中村には何にも言わなかった。
中村も何にも言わなかった。
女の顔は今は全く忘れてしまった。
ただ大工か何かの娘らしかったという感じだけが残っている。
無論長屋住居の貧しい暮しをしていたものの子である。
我ら二人の寝起する所も、屋根に一枚の瓦さえ見る事のできない古長屋の一部であった。
下には学僕と幹事を混ぜて十人ばかり寄宿していた。
そうして吹き曝しの食堂で、下駄を穿いたまま、飯を食った。
食料は一箇月に二円であったが、その代りはなはだ不味いものであった。
それでも、隔日に牛肉の汁を一度ずつ食わした。
もちろん肉の膏が少し浮いて、肉の香が箸に絡まって来るくらいなところであった。
それで塾生は幹事が狡猾で、旨いものを食わせなくっていかんとしきりに不平をこぼしていた。
中村と自分はこの私塾の教師であった。
二人とも月給を五円ずつ貰って、日に二時間ほど教えていた。
自分は英語で地理書や幾何学を教えた。
幾何の説明をやる時に、どうしてもいっしょになるべき線が、いっしょにならないで困った事がある。
ところが込みいった図を、太い線で書いているうちに、その線が二つ、黒板の上で重なり合っていっしょになってくれたのは嬉しかった。
二人は朝起きると、両国橋を渡って、一つ橋の予備門に通学した。
その時分予備門の月謝は二十五銭であった。
二人は二人の月給を机の上にごちゃごちゃに攪き交ぜて、そのうちから二十五銭の月謝と、二円の食料と、それから湯銭若干を引いて、あまる金を懐に入れて、蕎麦や汁粉や寿司を食い廻って歩いた。
共同財産が尽きると二人とも全く出なくなった。
予備門へ行く途中両国橋の上で、貴様の読んでいる西洋の小説のなかには美人が出て来るかと中村が聞いた事がある。
自分はうん出て来ると答えた。
しかしその小説は何の小説で、どんな美人が出て来たのか、今ではいっこう覚えない。
中村はその時から小説などを読まない男であった。
中村が端艇競争のチャンピヨンになって勝った時、学校から若干の金をくれて、その金で書籍を買って、その書籍へある教授が、これこれの記念に贈ると云う文句を書き添えた事がある。
中村はその時おれは書物なんかいらないから、何でも貴様の好なものを買ってやると云った。
そうしてアーノルドの論文と沙翁のハムレットを買ってくれた。
その本はいまだに持っている。
自分はその時始めてハムレットと云うものを読んで見た。
ちっとも分らなかった。
学校を出ると中村はすぐ台湾に行った。
それぎりまるで逢わなかったのが、偶然倫敦の真中でまたぴたりと出喰わした。
ちょうど七年ほど前である。
その時中村は昔の通りの顔をしていた。
そうして金をたくさん持っていた。
自分は中村といっしょに方々遊んで歩いた。
中村も以前と異って、貴様の読んでいる西洋の小説には美人が出て来るかなどとは聞かなかった。
かえって向うから西洋の美人の話をいろいろした。
日本へ帰ってからまた逢わなくなった。
すると今年の一月の末、突然使をよこして、話がしたいから築地の新喜楽まで来いと云って来た。
正午までにという注文だのに、時計はもう十一時過である。
そうしてその日に限って北風が非常に強く吹いていた。
外へ出ると、帽子も車も吹き飛ばされそうな勢いである。
自分はその日の午後に是非片づけなくてはならない用事を控えていた。
妻に電話を懸けさせて、明日じゃ都合が悪いかと聞かせると、明日になると出立の準備や何かで、こっちも忙しいから……と云うところで、電話が切れてしまった。
いくら、どうしても懸らない。
おおかた風のせいでしょうと、妻が寒い顔をして帰って来た。
それでとうとう逢わずにしまった。
昔の中村は満鉄の総裁になった。
昔の自分は小説家になった。
満鉄の総裁とはどんな事をするものかまるで知らない。
中村も自分の小説をいまだかつて一頁も読んだ事はなかろう。
クレイグ先生
クレイグ先生は燕のように四階の上に巣をくっている。
舗石の端に立って見上げたって、窓さえ見えない。
下からだんだんと昇って行くと、股の所が少し痛くなる時分に、ようやく先生の門前に出る。
門と申しても、扉や屋根のある次第ではない。
幅三尺足らずの黒い戸に真鍮の敲子がぶら下がっているだけである。
しばらく門前で休息して、この敲子の下端をこつこつと戸板へぶつけると、内から開けてくれる。
開けてくれるものは、いつでも女である。
近眼のせいか眼鏡をかけて、絶えず驚いている。
年は五十くらいだから、ずいぶん久しい間世の中を見て暮したはずだが、やっぱりまだ驚いている。
戸を敲くのが気の毒なくらい大きな眼をしていらっしゃいと云う。
這入ると女はすぐ消えてしまう。
そうして取附の客間――始めは客間とも思わなかった。
別段装飾も何もない。
窓が二つあって、書物がたくさん並んでいるだけである。
クレイグ先生はたいていそこに陣取っている。
自分の這入って来るのを見ると、やあと云って手を出す。
握手をしろという相図だから、手を握る事は握るが、向ではかつて握り返した事がない。
こっちもあまり握り心地が好い訳でもないから、いっそ廃したらよかろうと思うのに、やっぱりやあと云って毛だらけな皺だらけな、そうして例によって消極的な手を出す。
習慣は不思議なものである。
この手の所有者は自分の質問を受けてくれる先生である。
始めて逢った時報酬はと聞いたら、そうさな、とちょっと窓の外を見て、一回七志じゃどうだろう。
多過ぎればもっと負けても好いと云われた。
それで自分は一回七志の割で月末に全額を払う事にしていたが、時によると不意に先生から催促を受ける事があった。
君、少し金が入るから払って行ってくれんかなどと云われる。
自分は洋袴の隠しから金貨を出して、むき出しにへえと云って渡すと、先生はやあすまんと受取りながら、例の消極的な手を拡げて、ちょっと掌の上で眺めたまま、やがてこれを洋袴の隠しへ収められる。
困る事には先生けっして釣を渡さない。
余分を来月へ繰り越そうとすると、次の週にまた、ちょっと書物を買いたいからなどと催促される事がある。
先生は愛蘭土の人で言葉がすこぶる分らない。
少し焦きこんで来ると、東京者が薩摩人と喧嘩をした時くらいにむずかしくなる。
それで大変そそっかしい非常な焦きこみ屋なんだから、自分は事が面倒になると、運を天に任せて先生の顔だけ見ていた。
その顔がまたけっして尋常じゃない。
西洋人だから鼻は高いけれども、段があって、肉が厚過ぎる。
そこは自分に善く似ているのだが、こんな鼻は一見したところがすっきりした好い感じは起らないものである。
その代りそこいら中むしゃくしゃしていて、何となく野趣がある。
髯などはまことに御気の毒なくらい黒白乱生していた。
いつかベーカーストリートで先生に出合った時には、鞭を忘れた御者かと思った。
先生の白襯衣や白襟を着けたのはいまだかつて見た事がない。
いつでも縞のフラネルをきて、むくむくした上靴を足に穿いて、その足を煖炉の中へ突き込むくらいに出して、そうして時々短い膝を敲いて――その時始めて気がついたのだが、先生は消極的の手に金の指輪を嵌めていた。
――時には敲く代りに股を擦って、教えてくれる。
もっとも何を教えてくれるのか分らない。
聞いていると、先生の好きな所へ連れて行って、けっして帰してくれない。
そうしてその好きな所が、時候の変り目や、天気都合でいろいろに変化する。
時によると昨日と今日で両極へ引越しをする事さえある。
わるく云えば、まあ出鱈目で、よく評すると文学上の座談をしてくれるのだが、今になって考えて見ると、一回七志ぐらいで纏った規則正しい講義などのできる訳のものではないのだから、これは先生の方がもっともなので、それを不平に考えた自分は馬鹿なのである。
もっとも先生の頭も、その髯の代表するごとく、少しは乱雑に傾いていたようでもあるから、むしろ報酬の値上をして、えらい講義をして貰わない方がよかったかも知れない。
先生の得意なのは詩であった。
詩を読むときには顔から肩の辺が陽炎のように振動する。
――嘘じゃない。
全く振動した。
その代り自分に読んでくれるのではなくって、自分が一人で読んで楽んでいる事に帰着してしまうからつまりはこっちの損になる。
いつかスウィンバーンのロザモンドとか云うものを持って行ったら、先生ちょっと見せたまえと云って、二三行朗読したが、たちまち書物を膝の上に伏せて、鼻眼鏡をわざわざはずして、ああ駄目駄目スウィンバーンも、こんな詩を書くように老い込んだかなあと云って嘆息された。
自分がスウィンバーンの傑作アタランタを読んでみようと思い出したのはこの時である。
先生は自分を小供のように考えていた。
君こう云う事を知ってるか、ああ云う事が分ってるかなどと愚にもつかない事をたびたび質問された。
かと思うと、突然えらい問題を提出して急に同輩扱に飛び移る事がある。
いつか自分の前でワトソンの詩を読んで、これはシェレーに似た所があると云う人と、全く違っていると云う人とあるが、君はどう思うと聞かれた。
どう思うたって、自分には西洋の詩が、まず眼に訴えて、しかる後耳を通過しなければまるで分らないのである。
そこで好い加減な挨拶をした。
シェレーに似ている方だったか、似ていない方だったか、今では忘れてしまった。
がおかしい事に、先生はその時例の膝を叩いて僕もそう思うと云われたので、大いに恐縮した。
ある時窓から首を出して、遥かの下界を忙しそうに通る人を見下しながら、君あんなに人間が通るが、あの内で詩の分るものは百人に一人もいない、可愛相なものだ。
いったい英吉利人は詩を解する事のできない国民でね。
そこへ行くと愛蘭土人はえらいものだ。
はるかに高尚だ。
――実際詩を味う事のできる君だの僕だのは幸福と云わなければならない。
と云われた。
自分を詩の分る方の仲間へ入れてくれたのははなはだありがたいが、その割合には取扱がすこぶる冷淡である。
自分はこの先生においていまだ情合というものを認めた事がない。
全く器械的にしゃべってる御爺さんとしか思われなかった。
けれどもこんな事があった。
自分のいる下宿がはなはだ厭になったから、この先生の所へでも置いて貰おうかしらと思って、ある日例の稽古を済ましたあと、頼んで見ると、先生たちまち膝を敲いて、なるほど、僕のうちの部屋を見せるから、来たまえと云って、食堂から、下女部屋から、勝手から、一応すっかり引っ張り回して見せてくれた。
固より四階裏の一隅だから広いはずはない。
二三分かかると、見る所はなくなってしまった。
先生はそこで、元の席へ帰って、君こういう家なんだから、どこへも置いて上げる訳には行かないよと断るかと思うと、たちまちワルト・ホイットマンの話を始めた。
昔ホイットマンが来て自分の家へしばらく逗留していた事がある――非常に早口だから、よく分らなかったが、どうもホイットマンの方が来たらしい――で、始めあの人の詩を読んだ時はまるで物にならないような心持がしたが、何遍も読み過しているうちにだんだん面白くなって、しまいには非常に愛読するようになった。
だから…… 書生に置いて貰う件は、まるでどこかへ飛んで行ってしまった。
自分はただ成行に任せてへえへえと云って聞いていた。
何でもその時はシェレーが誰とかと喧嘩をしたとか云う事を話して、喧嘩はよくない、僕は両方共好きなんだから、僕の好きな二人が喧嘩をするのははなはだよくないと故障を申し立てておられた。
いくら故障を申し立てても、もう何十年か前に喧嘩をしてしまったのだから仕方がない。
先生はそそっかしいから、自分の本などをよく置き違える。
そうしてそれが見当らないと、大いに焦きこんで、台所にいる婆さんを、ぼやでも起ったように、仰山な声をして呼び立てる。
すると例の婆さんが、これも仰山な顔をして客間へあらわれて来る。
「お、おれの『ウォーズウォース』はどこへやった」 婆さんは依然として驚いた眼を皿のようにして一応書棚を見廻しているが、いくら驚いてもはなはだたしかなもので、すぐに、「ウォーズウォース」を見つけ出す。
そうして、「ヒヤ、サー」と云って、いささかたしなめるように先生の前に突きつける。
先生はそれを引ったくるように受け取って、二本の指で汚ない表紙をぴしゃぴしゃ敲きながら、君、ウォーズウォースが……とやり出す。
婆さんは、ますます驚いた眼をして台所へ退って行く。
先生は二分も三分も「ウォーズウォース」を敲いている。
そうしてせっかく捜して貰った「ウォーズウォース」をついに開けずにしまう。
先生は時々手紙を寄こす。
その字がけっして読めない。
もっとも二三行だから、何遍でも繰返して見る時間はあるが、どうしたって判定はできない。
先生から手紙がくれば差支があって稽古ができないと云うことと断定して始めから読む手数を省くようにした。
たまに驚いた婆さんが代筆をする事がある。
その時ははなはだよく分る。
先生は便利な書記を抱えたものである。
先生は、自分に、どうも字が下手で困ると嘆息していられた。
そうして君の方がよほど上手だと云われた。
こう云う字で原稿を書いたら、どんなものができるか心配でならない。
先生はアーデン・シェクスピヤの出版者である。
よくあの字が活版に変形する資格があると思う。
先生は、それでも平気に序文をかいたり、ノートをつけたりして済している。
のみならず、この序文を見ろと云ってハムレットへつけた緒言を読まされた事がある。
その次行って面白かったと云うと、君日本へ帰ったら是非この本を紹介してくれと依頼された。
アーデン・シェクスピヤのハムレットは自分が帰朝後大学で講義をする時に非常な利益を受けた書物である。
あのハムレットのノートほど周到にして要領を得たものはおそらくあるまいと思う。
しかしその時はさほどにも感じなかった。
しかし先生のシェクスピヤ研究にはその前から驚かされていた。
客間を鍵の手に曲ると六畳ほどな小さな書斎がある。
先生が高く巣をくっているのは、実を云うと、この四階の角で、その角のまた角に先生にとっては大切な宝物がある。
――長さ一尺五寸幅一尺ほどな青表紙の手帳を約十冊ばかり併べて、先生はまがな隙がな、紙片に書いた文句をこの青表紙の中へ書き込んでは、吝坊が穴の開いた銭を蓄るように、ぽつりぽつりと殖やして行くのを一生の楽みにしている。
この青表紙が沙翁字典の原稿であると云う事は、ここへ来出してしばらく立つとすぐに知った。
先生はこの字典を大成するために、ウェールスのさる大学の文学の椅子を抛って、毎日ブリチッシ・ミュージアムへ通う暇をこしらえたのだそうである。
大学の椅子さえ抛つくらいだから、七志の御弟子を疎末にするのは無理もない。
先生の頭のなかにはこの字典が終日終夜槃桓磅※しているのみである。
先生、シュミッドの沙翁字彙がある上にまだそんなものを作るんですかと聞いた事がある。
すると先生はさも軽蔑を禁じ得ざるような様子でこれを見たまえと云いながら、自己所有のシュミッドを出して見せた。
見ると、さすがのシュミッドが前後二巻一頁として完膚なきまで真黒になっている。
自分はへえと云ったなり驚いてシュミッドを眺めていた。
先生はすこぶる得意である。
君、もしシュミッドと同程度のものを拵えるくらいなら僕は何もこんなに骨を折りはしないさと云って、また二本の指を揃えて真黒なシュミッドをぴしゃぴしゃ敲き始めた。
「全体いつ頃から、こんな事を御始めになったんですか」 先生は立って向うの書棚へ行って、しきりに何か捜し出したが、また例の通り焦れったそうな声でジェーン、ジェーン、おれのダウデンはどうしたと、婆さんが出て来ないうちから、ダウデンの所在を尋ねている。
婆さんはまた驚いて出て来る。
そうしてまた例のごとくヒヤ、サーと窘めて帰って行くと、先生は婆さんの一拶にはまるで頓着なく、餓じそうに本を開けて、うんここにある。
ダウデンがちゃんと僕の名をここへ挙げてくれている。
特別に沙翁を研究するクレイグ氏と書いてくれている。
この本が千八百七十……年の出版で僕の研究はそれよりずっと前なんだから……自分は全く先生の辛抱に恐れ入った。
ついでに、じゃいつ出来上るんですかと尋ねて見た。
いつだか分るものか、死ぬまでやるだけの事さと先生はダウデンを元の所へ入れた。
自分はその後しばらくして先生の所へ行かなくなった。
行かなくなる少し前に、先生は日本の大学に西洋人の教授は要らんかね。
僕も若いと行くがなと云って、何となく無常を感じたような顔をしていられた。
先生の顔にセンチメントの出たのはこの時だけである。
自分はまだ若いじゃありませんかといって慰めたら、いやいやいつどんな事があるかも知れない。
もう五十六だからと云って、妙に沈んでしまった。
日本へ帰って二年ほどしたら、新着の文芸雑誌にクレイグ氏が死んだと云う記事が出た。
沙翁の専門学者であると云うことが、二三行書き加えてあっただけである。
自分はその時雑誌を下へ置いて、あの字引はついに完成されずに、反故になってしまったのかと考えた。