二
第 2 章
また「ホトトギス」が届いたから出直して一度伺おう。
我輩の下宿の体裁は前回申し述べたごとくすこぶる憐れっぽい始末だが、そういう境界に澄まし返って三十代の顔子然としていられるかと君方はきっと聞くに違いない。
聞かなくっても聞く事にしないとこっちが不都合だからまず聞くと認める。
ところで我輩が君らに答えるんだ、懸価のないところを答えるんだから、そのつもりで聞かなくっては行けない。
我輩も時には禅坊主みたような変哲学者のような悟りすました事も云って見るが、やはり大体のところが御存じのごとき俗物だからこんな窮屈な暮しをして回やその楽をあらためず賢なるかなと褒められる権利は毛頭ないのだよ。
そんならなぜもっと愉快な所へ移らないかと云うかも知れないが、そこに大に理由の存するあり焉さ。
まず聞きたまえ。
なるほど留学生の学資は御話しにならないくらい少ない。
倫敦ではなおなお少ない。
少ないがこの留学費全体を投じて衣食住の方へ廻せば我輩といえども最少しは楽な生活ができるのさ。
それは国にいる時分の体面を保つ事は覚束ないが(国にいれば高等官一等から五つ下へ勘定すれば直ぐ僕の番へ巡わってくるのだからね。
もっとも下から勘定すれば四つで来てしまうんだから日本でもあまり威張れないが)とにかくこれよりもさっぱりした家へ這入れる。
然るにあらゆる節倹ををしてかようなわびしい住居をしているのはね、一つは自分が日本におった時の自分ではない単に学生であると云う感じが強いのと、二つ目にはせっかく西洋へ来たものだから成る事なら一冊でも余計専門上の書物を買って帰りたい慾があるからさ。
そこで家を持って下婢共を召し使った事は忘れて、ただ十年前大学の寄宿舎で雪駄のカカトのような「ビステキ」を食った昔しを考えてはそれよりも少しは結構?
まず結構だと思っているのさ。
人は「カムバーウェル」のような貧乏町にくすぼってると云って笑うかも知れないがそんな事に頓着する必要はない。
かような陋巷におったって引張りと近づきになった事もなし夜鷹と話をした事もない。
心の底までは受合わないがまず挙動だけは君子のやるべき事をやっているんだ。
実に立派なものだと自ら慰めている。
しかしながら冬の夜のヒューヒュー風が吹く時にストーヴから煙りが逆戻りをして室の中が真黒に一面に燻るときや、窓と戸の障子の隙間から寒い風が遠慮なく這込んで股から腰のあたりがたまらなく冷たい時や、板張の椅子が堅くって疝気持の尻のように痛くなるときや、自分の着ている着物がぜんぜん変色して来るにつれて自分がだんだん下落するような情ない心持のする時は、何のためにこんな切りつめた生活をするんだろうと思う事もある。
エー構わない。
本も何も買えなくても善いから為替はみんな下宿料にぶち込んで人間らしい暮しをしようという気になる。
それからステッキでも振り回わしてその辺を散歩するのである。
向へ出て見ると逢う奴も逢う奴も皆んな厭に背いが高い。
おまけに愛嬌のない顔ばかりだ。
こんな国ではちっと人間の背いに税をかけたら少しは倹約した小さな動物が出来るだろうなどと考えるが、それはいわゆる負惜しみの減らず口と云う奴で、公平な処が向うの方がどうしても立派だ。
何となく自分が肩身の狭い心持ちがする。
向うから人間並外れた低い奴が来た。
占たと思ってすれ違って見ると自分より二寸ばかり高い。
こんどは向うから妙な顔色をした一寸法師が来たなと思うと、これすなわち乃公自身の影が姿見に写ったのである。
やむをえず苦笑いをすると向うでも苦笑いをする。
これは理の当然だ。
それから公園へでも行くと角兵衛獅子に網を被せたような女がぞろぞろ歩行いている。
その中には男もいる。
職人もいる。
感心に大概は日本の奏任官以上の服装をしている。
この国では衣服では人の高下が分らない。
牛肉配達などが日曜になるとシルクハットでフロックコートなどを着て澄している。
しかし一般に人気が善い。
我輩などを捕えて悪口をついたり罵ったりするものは一人もおらん。
ふり向いても見ない。
当地では万事鷹揚に平気にしているのが紳士の資格の一つとなっている。
むやみに巾着切りのようにこせこせしたり物珍らしそうにじろじろ人の顔なんどを見るのは下品となっている。
ことに婦人なぞは後ろをふりかえって見るのも品が悪いとなっている。
指で人をさすなんかは失礼の骨頂だ。
習慣がこうであるのにさすが倫敦は世界の勧工場だからあまり珍らしそうに外国人を玩弄しない。
それからたいていの人間は非常に忙がしい。
頭の中が金の事で充満しているから日本人などを冷かしている暇がないというような訳で、我々黄色人――黄色人とは甘くつけたものだ。
全く黄色い。
日本にいる時はあまり白い方ではないがまず一通りの人間色という色に近いと心得ていたが、この国ではついに人-間-を-去-る-三-舎-色と言わざるを得ないと悟った――その黄色人がポクポク人込の中を歩行いたり芝居や興行物などを見に行かれるのである。
しかし時々は我輩に聞えぬように我輩の国元を気にして評する奴がある。
この間或る所の店に立って見ていたら後ろから二人の女が来て“leastpoorChinese”と評して行った。
leastpoorとは物匂い形容詞だ。
或る公園で男女二人連があれは支那人だいや日本人だと争っていたのを聞た事がある。
二三日前さる所へ呼ばれてシルクハットにフロックで出かけたら、向うから来た二人の職工みたような者がahandsomeJap.といった。
ありがたいんだか失敬なんだか分らない。
せんだって或芝居へ行った。
大入で這入れないからガレリーで立見をしていると傍のものが、あすこにいる二人は葡萄耳人だろうと評していた。
――こんな事を話すつもりではなかった。
話しの筋が分らなくなった。
ちょっと一服してから出直そう。
まず散歩でもして帰るとちょっと気分が変って来て晴々する。
何こんな生活もただ二三年の間だ。
国へ帰れば普通の人間の着る物を着て普通の人間の食う物を食って普通の人の寝る処へ寝られる。
少しの我慢だ、我慢しろ我慢しろ、と独り言をいって寝てしまう。
寝てしまう時は善いが、寝られないでまた考え出す事がある。
元来我慢しろと云うのは現在に安んぜざる訳だ――だんだん事件がむずかしくなって来る――時々やけの気味になるのは貧苦がつらいのだ。
年来自分が考えたまた自分が多少実行し来りたる処世の方針はどこへ行った。
前後を切断せよ、妄りに過去に執着するなかれ、いたずらに将来に望を属するなかれ、満身の力をこめて現在に働けというのが乃公の主義なのである。
しかるに国へ帰れば楽ができるからそれを楽しみに辛防しようと云うのははかない考だ。
国へ帰れば楽をさせると受合ったものは誰もない。
自分がきめているばかりだ。
自分がきめてもいいから楽ができなかった時にすぐ機鋒を転じて過去の妄想を忘却し得ればいいが、今のように未来に御願い申しているようではとうていその未来が満足せられずに過去と変じた時にこの過去をさらりと忘れる事はできまい。
のみならず報酬を目的に働らくのは野暮の至りだ。
死ねば天堂へ行かれる、未来は雨蛙といっしょに蓮の葉に往生ができるから、この世で善行をしようという下卑た考と一般の論法で、それよりもなお一層陋劣な考だ。
国を立つ前五六年の間にはこんな下等な考は起さなかった。
ただ現在に活動しただ現在に義務をつくし現在に悲喜憂苦を感ずるのみで、取越苦労や世迷言や愚痴は口の先ばかりでない腹の中にもたくさんなかった。
それで少々得意になったので外国へ行っても金が少なくっても一箪の食一瓢の飲然と呑気に洒落にまた沈着に暮されると自負しつつあったのだ。
自惚自惚!
こんな事では道を去る事三千里。
まず明日からは心を入れ換えて勉強専門の事。
こう決心して寝てしまう。
かかるありさまでこの薄暗い汚苦しい有名なカンバーウェルと云う貧乏町の隣町に昨年の末から今日までおったのである。
おったのみならずこの先も留学期限のきれるまではここにおったかも知れぬのである。
しかるにここに或る出来事が起っていくらおりたくっても退去せねばならぬ事となった、というと何か小説的だが、その訳を聞くとすこぶる平凡さ。
世の中の出来事の大半は皆平凡な物だから仕方がない。
この家はもとからの下宿ではない。
去年までは女学校であったので、ここの神さんと妹が経験もなく財産もなく将来の目的もしかと立たないのに自営の道を講ずるためにこの上品のような下等のような妙な商買を始めたのである。
彼らは固より不正な人間ではない。
正道を踏んで働けるだけ働いたのだ。
しかし耶蘇教の神様も存外半間なもので、こういう時にちょっと人を助けてやる事を知らない。
そこでもって家賃が滞る――倫敦の家賃は高い――借金ができる、寄宿生の中に熱病が流行る。
一人退校する、二人退校する、しまいに閉校する。
……運命が逆まに回転するとこう行くものだ。
可憐なる彼ら――可憐は取消そう二人とも可憐という柄ではない――エー不憫なる――憫然なる彼らはあくまでも困難と奮戦しようという決心でついに下宿を開業した。
その開業したての煙の出ているところへ我輩は飛び込んだのである。
飛び込んでからだんだん事情を聞いたときにこんどこそはこの二人の少女、ではない我輩より三寸ばかり背いの高い女に成功あらしめたまえと私かに祈念を凝らした。
誰れに祈念を凝らしたと聞かれると少々困る。
祈るべき神に交際の無い拙者だから、ただあてどもなく祈念した。
果せるかないっこう霊現がない。
ちっとも客が来ない。
「夏目さん、あなたの御存じの方でいらしっていただく方はありますまいか」「さよう、実に御気の毒だから周旋したいのだが、倫敦には別に朋友というものがないから――」。
それでもせんだってまでは日本人が一人おった。
この先生はすこぶる陽気な人でこんな家には向かない。
我輩がほととぎすを読んでいるのを見て、君も天智天皇の方はやれるのかいと聴た男だ。
その日本人がとうとう逃出す。
残るは我輩一人だ。
こうなると家を畳むより仕方がない。
そこでこれから南の方にあたる倫敦の町外れ――町外れと云っても倫敦は広い、どこまで広がるか分らない――その町外れだからよほど辺鄙な処だ。
そこに恰好な小奇麗な新宅があるので、そこへ引越そうという相談だ。
或日亭主と神さんが出て行って我輩と妹が差し向いで食事をしていると陰気な声で「あなたもいっしょに引越して下さいますか」といった。
この「下さいますか」が色気のある小説的の「下さいますか」ではない。
色沢気抜きの世帯染た「下さいますか」である。
我輩がこの語を聞いたときは非常にいやな可愛想な気持ちがした。
元来我輩は江戸っ児だ。
しかるに朱引内か朱引外か少々曖昧な所で生れた精か知らん今まで江戸っ児のやるような心持ちのいい慈善的事業をやった事がない。
今何と答をしたかたしかに覚えておらん。
いやしくも一遍の義侠心があるならば、うんあなたの移る処ならどこでも移ります、と答えるはずなのだ。
そうは答えなかったらしい。
ここにそう答えられない訳がある。
なるほどこの妹はごく内気なおとなしいしかも非常に堅固な宗教家で、我輩はこの女と家を共にするのは毫も不愉快を感じないが、姉の方たる少々御転だ。
この姉の経歴談も聞たが長くなるから抜きにして、ちょっと小生の気に入らない点を列挙するならば、第一生意気だ、第二知ったかぶりをする、第三つまらない英語を使ってあなたはこの字を知っておいでですかと聞く事がある。
一々勘定すれば際限がない。
せんだってトンネルと云う字を知っているかと聞た。
それからstrawすなわち藁という字を知っているかと聞た。
英文学専門の留学生もこうなると怒る張合もない。
近頃は少々見当がついたと見えてそんな失敬な事も言わない。
また一般の挙動も大に叮嚀になった。
これは漱石が一言の争もせず冥々の裡にこの御転婆を屈伏せしめたのである。
――そんな得意談はどうでも善いとして、この国の女ことに婆さんとくると、いわゆる老婆親切と云う訳かも知れんが、自分の使う英語に頼みもせぬ註解を加えたり、この字は分りますかなどという事がたくさんある。
この間さる処へ呼ばれてそこの奥さんと談しをした。
するとその人が大の耶蘇信者だからたまらない。
滔々と神徳を述べ立てた。
まことに品の善い、しとやかな御婆さんだ。
しかる処evolutionと云う字を御承知ですかと聞かれた。
「世の中の事は乱雑で法則がないようですがよく御覧になると皆進化の道理に支配されております……進化……分りますか」。
まるで赤ん坊に説教するようだ。
向は親切に言ってくれるんだから、へーへーと云っているより仕方がない。
それはこの婆さんのようにベラベラしゃべる事はできない。
挨拶などもただ咽喉の処へせり上って来た字を使ってほっと一息つくくらいの仕儀なんだから向うでこっちを見くびるのは無理はないが、離れ離れの言語の数から云えばあなたよりも我輩の方が余計知っておりますよといってやりたいくらいだ。
それからよく御婆さんを引合に出すが、もう一人御婆さんがある。
この御婆さんがせんだって手紙をよこしてその中にfolkという字を使っている。
ただ使っているばかりなら不思議はないが、その字にfootnoteが付いている。
これは英国古代の字なりとあった。
「ノート」を自分の手紙へつけるのも面白いが、そのノートの文句がなおさら面白い。
この御婆さんと船へ合乗をした時に、何か文章を書け、直してやるというから、日記の一節を出してよろしくおたのもうす事にした。
すると大変感心したといって二三所一二字添削して返した。
見ると直さなくってもけっして差支のない所を直している。
そしてとんでもない間違った事が例のノート的で書いてある。
この御婆さんはけっして下等な人でない。
相応な身分のある中流の人である。
かくのごとき人間に邂逅する英国だから、我下宿の妻君が生意気な事を云うのも別段相手にする必要はないが、同じ英国へ来たくらいなら今少し学問のある話せる人の家におって、汚ない狭いは苦にならないから、どうか朝夕交際がして見たい。
こう云う望があるから、へー行きましょうとは答えなかったが、自分の望み通りの人で下宿人を置く処があるかそれがすこぶる疑わしい。
広い世界にはあるだろう。
けれどもそれに逢着するのは難中の難事である。
我輩の先生の処が一間あいておれば置てもらうのだけれども、それは間がないのだからできない相談だ。
こう云う時になると西洋の新聞は便利だ。
万事広告の世界なのだから下宿の広告がいくらでもある。
我輩が以前下宿をさがす時DailyTelegraphの下宿の広告欄を見た事がある。
始めから終りまで読むのに三時間かかった事を記臆している。
今は「テレグラフ」を取っておらん、「スタンダード」だ。
この新聞は上品な新聞だからここへ出る広告なら間違はないと思って四月十七日の分の広告欄を読み始めると、存外営業的のが多くって素人家へ置きたいと云うのが少ない。
しかしいろいろのがある。
「宿料低廉、風呂付、食物上等」こんなのは普通なのだ。
「ハイドパークに面し地下電気へ三分地下鉄道へ五分、貴女と交際の便利あり」なんと云うのがある。
「球突随意ピヤノありgaysociety,latedinner」これも珍らしくない。
「レートジンナー」と云うのはこの頃の流行なのだ。
我輩などには至極不便だ。
その中で下のようなのを見出した。
「立派なる室を有する寡婦及その妹と共に同宿せんとするあまり派出やかならざる紳士を求む。御望の方は○○筆墨店へ御一報を乞う」。
まずここへでも一つあたってみようと云う気になったから直ぐ手紙を書いて、宿料その他委細の事を報知して貰いたい、小生の身分はかくかく職業はかくかく、なるべく低廉でなるべく愉快な処に住みたいと勝手な事をかいてやった。
その夜の十時頃自分の室で読書をしていると、室の戸をコツコツ叩くものがある。
“Yes,comein.”といったら宿の亭主がニコニコして這入って来た。
「実はあなたも御承知の通りこの度引越す事にきまりましたが、どうでしょう、向うはここよりも大分奇麗でかつ器具などもよほど上等にしますが、来ていただく訳には参りますまいか」「それは君の方で僕に是非来てくれと言うのなら……」「イエ是非といって御無理を願う訳ではありませんが、御都合がよければ――実は御馴染にもなっておりますし家内や妹も大変それを希望致しますから」「君の新宅へ下宿人を置きたいという事は僕も承知していますが、あながち僕でなくっても善いだろうと思ってね」と実はこれこれだと話すと、亭主の顔が少々陰気になって来た。
我輩も少々手持無沙汰である。
「それじゃこうしよう、いずれ先方から返事が来る、来ればひとまず行って室を見て、それが気に入らなかったら君の方へ行くとしよう、ほかを探す事はやめにして。あの手紙を出す前に君の方の希望がどのくらいの程度だか分っていれば、聞き合せるまでもない御望みに応じたのだが、こうなっては仕方がない。まず先方の返事次第ですね。その代りほかはけっしてさがさない。あれがいけなければきっと君の方へ行きますよ」。
亭主は御邪魔様といって下りて行った。
朝になって食堂へ行くと誰もいない。
皆んな飯をすました後である。
ああ今日も寝坊して気の毒だなと思って「テーブル」の上を見ると、薄紫色の状袋の四隅を一分ばかり濃い菫色に染めた封書がある。
我輩に来た返事に違いない。
こんな表の状袋を用るくらいでは少々我輩の手に合わん高等下宿だなと思ながら「ナイフ」で開封すると、「御問合せの件に付申上候。この家はレデー(このレデーという字の下に棒が引いてある)の所有にて室内の装飾の立派なるはもちろん室々はことごとく電気灯を用いよき召使を雇い高尚優雅なる生活に適するように意を用い候。宿料は一週三十三円に御座候。あるいは御気に召さぬかと存じ候えども、御出被下候えば喜こんで室々御案内可仕候、敬具」。
飯を食いながら呼鈴を押して宿の神さんを呼んだ。
「とうとうあなたの方へ行く事にしましたよ。一週三十三円の下宿料なんかとうてい我輩には払えんから君の方へ行きましょうよ」「はあそうですか、どうもありがとう、なるべく気をつけますからどうぞさよう願いたいもので」。
細君が出て行った後から亭主の首が半分戸の間から出た。
Thank you,Mr.Natsume,thank you.と言ってニコニコ笑った。
我輩も少々嬉しいような心持ちがした。
細君と妹は引越しの荷ごしらえで終日急がしい。
七時に茶を飲むときに食堂で逢った。
「今日は飼っていた鸚鵡を売りました」と妹がいった。
姉もまけずに「前使った学校の招牌も売りました。十円に買って行きました」と云った。
運命の車は容赦なく廻転しつつある。
我輩の前および彼ら二人の前にはいかなる出来事が横わりつつあるか。
我らは三人ながら愚な事をしているかも知れぬ。
愚かも知れぬ、また利口かも知れぬ。
ただ我輩の運命が彼ら二人の運命と漸々接近しつつあるは事実である。
後を顧みてかの薄紫の貴女及びその妹の事とその門構付の家を想像し、前を見てこの貧困なるしかし正直なる二人の姉妹とその未来の楽園と予期しつつある格子戸作りを想像して、両者の差違を趣味あるようにも感ずる。
また貧富の懸隔はかように色気なき物かとも感ずる。
またミカウバーと住んでおったデヴィッド・カッパーフィールドのような感じもする。
四月二十日。