犬と笛

三

第 3 章
やがて髪かみ長彦ながひこが生駒山いこまやまへ来きて見みますと、成程なるほど山やまの中程なかほどに大きなおおきな洞穴ほらあなが一いちつあって、その中なかに金きんの櫛くしをさした、綺麗きれいな御ご姫ひめ様ようが一人ひとり、しくしく泣いないていらっしゃいました。
「御ご姫ひめ様よう、御ご姫ひめ様よう、私わたくしが御迎えおむかえにまいりましたから、もう御ご心配しんぱいには及びおよびません。さあ、早くはやく、御父様おちちさまの所ところへ御ご帰りかえりになる御ご仕度したくをなすって下さいくださいまし。」 こう髪かみ長彦ながひこが云いいいますと、三さん匹ひきの犬いぬも御ご姫ひめ様ようの裾すそや袖そでを啣えながら、「さあ早くはやく、御ご仕度したくをなすって下さいくださいまし。わん、わん、わん、」と吠えほえました。
しかし御ご姫ひめ様ようは、まだ御ご眼めに涙なみだをためながら、洞穴ほらあなの奥おくの方ほうをそっと指さしゆびさして御ご見せみせになって、「それでもあすこには、私わたくしをさらって来きた食しょく蜃人しんにんが、さっきから御ご酒さけに酔っよいって寝ねています。あれが目めをさましたら、すぐに追いかけおいかけて来るくるでしょう。そうすると、あなたも私わたくしも、命いのちをとられてしまうのにちがいありません。」と仰あおぐ有ゆういました。
髪かみ長彦ながひこはにっこりほほ笑んほほえんで、「高こうの知れしれた食しょく蜃人しんにんなぞを、何なんでこの私わたくしが怖こわがりましょう。その証拠しょうこには、今いまここで、訳わけなく私わたくしが退治たいじして御覧ごらんに入れいれます。」と云いいいながら、斑ぶち犬いぬの背中せなかを一いちつたたいて、「噛めかめ。噛めかめ。この洞穴ほらあなの奥おくにいる食しょく蜃人しんにんを一いち噛みかみに噛み殺せかみころせ。」と、勇ましいいさましい声こえで云いいいつけました。
すると斑ぶち犬いぬはすぐ牙きばをむき出しむきだして、雷かみなりのように唸りうなりながら、まっしぐらに洞穴ほらあなの中なかへとびこみましたが、たちまちの中なかにまた血ちだらけな食しょく蜃人しんにんの首くびを啣えたまま、尾おをふって外そとへ出でて来きました。
ところが不思議ふしぎな事ことには、それと同時どうじに、雲くもで埋まっうまっている谷底たにそこから、一陣いちじんの風かぜがまき起りおこりますと、その風かぜの中なかに何なんかいて、「髪かみ長彦ながひこさん。難なん有ゆうう。この御ご恩おんは忘れわすれません。私わたくしは食しょく蜃人しんにんにいじめられていた、生駒山いこまやまの駒姫こまひめです。」と、やさしい声こえで云いいいました。
しかし御ご姫ひめ様ようは、命拾いいのちびろいをなすった嬉しさうれしさに、この声こえも聞えきこえないような御ご容子ようこでしたが、やがて髪かみ長彦ながひこの方ほうを向いむかいて、心配しんぱいそうに仰あおぐ有ゆういますには、「私わたくしはあなたのおかげで命拾いいのちびろいをしましたが、妹いもうとは今時分いまじぶんどこでどんな目めに逢っあって居りおりましょう。」 髪かみ長彦ながひこはこれを聞くきくと、また白犬しろいぬの頭あたまを撫でなでながら、「嗅げかげ。嗅げかげ。御ご姫ひめ様ようの御ご行方ゆくえを嗅ぎ出せかぎだせ。」と云いいいました。
と、すぐに白犬しろいぬは、「わん、わん、御ご妹いもうと様ようの御ご姫ひめ様ようは笠置かさぎ山やまの洞穴ほらあなに棲んすんでいる土蜘蛛つちぐもの虜とりこになっています。」と、主人しゅじんの顔かおを見上げみあげながら、鼻はなをびくつかせて答えこたえました。
この土蜘蛛つちぐもと云ういうのは、昔むかし神武じんむ天皇てんのう様ようが御ご征伐せいばつになった事ことのある、一いち寸すん法師ほうしの悪者わるものなのです。
そこで髪かみ長彦ながひこは、前まえのように二に匹ひきの犬いぬを小脇こわきにかかえて御ご姫ひめ様ようと一しょいっしょに黒犬くろいぬの背中せなかへ跨りまたがりながら、「飛べとべ。飛べとべ。笠置かさぎ山やまの洞穴ほらあなに住んすんでいる土蜘蛛つちぐもの所ところへ飛んとんで行けいけ。」と云いいいますと、黒犬くろいぬはたちまち空そらへ飛び上っとびあがって、これも青雲せいうんのたなびく中なかに聳えそびえている笠置かさぎ山やまへ矢やよりも早くはやく駈けかけ始めはじめました。