十
第 10 章
佐伯の叔母も安之助もその後とんと宗助の宅へは見えなかった。
宗助は固より麹町へ行く余暇を有たなかった。
またそれだけの興味もなかった。
親類とは云いながら、別々の日が二人の家を照らしていた。
ただ小六だけが時々話しに出かける様子であったが、これとても、そう繁々足を運ぶ訳でもないらしかった。
それに彼は帰って来て、叔母の家の消息をほとんど御米に語らないのを常としておった。
御米はこれを故意から出る小六の仕打かとも疑った。
しかし自分が佐伯に対して特別の利害を感じない以上、御米は叔母の動静を耳にしない方を、かえって喜こんだ。
それでも時々は、先方の様子を、小六と兄の対話から聞き込む事もあった。
一週間ほど前に、小六は兄に、安之助がまた新発明の応用に苦心している話をした。
それは印気の助けを借らないで、鮮明な印刷物を拵らえるとか云う、ちょっと聞くとすこぶる重宝な器械についてであった。
話題の性質から云っても、自分とは全く利害の交渉のないむずかしい事なので、御米は例の通り黙って口を出さずにいたが、宗助は男だけに幾分か好奇心が動いたと見えて、どうして印気を使わずに印刷ができるかなどと問い糺していた。
専門上の知識のない小六が、精密な返答をし得るはずは無論なかった。
彼はただ安之助から聞いたままを、覚えている限り念を入れて説明した。
この印刷術は近来英国で発明になったもので、根本的にいうとやはり電気の利用に過ぎなかった。
電気の一極を活字と結びつけておいて、他の一極を紙に通じて、その紙を活字の上へ圧しつけさえすれば、すぐできるのだと小六が云った。
色は普通黒であるが、手加減しだいで赤にも青にもなるから色刷などの場合には、絵の具を乾かす時間が省けるだけでも大変重宝で、これを新聞に応用すれば、印気や印気ロールの費を節約する上に、全体から云って、少くとも従来の四分の一の手数がなくなる点から見ても、前途は非常に有望な事業であると、小六はまた安之助の話した通りを繰り返した。
そうしてその有望な前途を、安之助がすでに手の中に握ったかのごとき口気であった。
かつその多望な安之助の未来のなかには、同じく多望な自分の影が、含まれているように、眼を輝やかした。
その時宗助はいつもの調子で、むしろ穏やかに、弟の云う事を聞いていたが、聞いてしまった後でも、別にこれという眼立った批評は加えなかった。
実際こんな発明は、宗助から見ると、本当のようでもあり、また嘘のようでもあり、いよいよそれが世間に行われるまでは、賛成も反対もできかねたのである。
「じゃ鰹船の方はもう止したの」と、今まで黙っていた御米が、この時始めて口を出した。
「止したんじゃないんですが、あの方は費用が随分かかるので、いくら便利でも、そう誰も彼も拵える訳に行かないんだそうです」と小六が答えた。
小六は幾分か安之助の利害を代表しているような口振であった。
それから三人の間に、しばらく談話が交換されたが、しまいに、「やっぱり何をしたって、そう旨く行くもんじゃあるまいよ」と云った宗助の言葉と、「坂井さんみたように、御金があって遊んでいるのが一番いいわね」と云った御米の言葉を聞いて、小六はまた自分の部屋へ帰って行った。
こう云う機会に、佐伯の消息は折々夫婦の耳へ洩れる事はあるが、そのほかには、全く何をして暮らしているか、互に知らないで過す月日が多かった。
ある時御米は宗助にこんな問を掛けた。
「小六さんは、安さんの所へ行くたんびに、小遣でも貰って来るんでしょうか」 今まで小六について、それほどの注意を払っていなかった宗助は、突然この問に逢って、すぐ、「なぜ」と聞き返した。
御米はしばらく逡巡った末、「だって、この頃よく御酒を呑んで帰って来る事があるのよ」と注意した。
「安さんが例の発明や、金儲けの話をするとき、その聞き賃に奢るのかも知れない」と云って宗助は笑っていた。
会話はそれなりでつい発展せずにしまった。
越えて三日目の夕方に、小六はまた飯時を外して帰って来なかった。
しばらく待ち合せていたが、宗助はついに空腹だとか云い出して、ちょっと湯にでも行って時間を延ばしたらという御米の小六に対する気兼に頓着なく、食事を始めた。
その時御米は夫に、「小六さんに御酒を止めるように、あなたから云っちゃいけなくって」と切り出した。
「そんなに意見しなければならないほど飲むのか」と宗助は少し案外な顔をした。
御米はそれほどでもないと、弁護しなければならなかった。
けれども実際は誰もいない昼間のうちなどに、あまり顔を赤くして帰って来られるのが、不安だったのである。
宗助はそれなり放っておいた。
しかし腹の中では、はたして御米の云うごとく、どこかで金を借りるか、貰うかして、それほど好きもしないものを、わざと飲むのではなかろうかと疑ぐった。
そのうち年がだんだん片寄って、夜が世界の三分の二を領するように押しつまって来た。
風が毎日吹いた。
その音を聞いているだけでも生活に陰気な響を与えた。
小六はどうしても、六畳に籠って、一日を送るに堪えなかった。
落ちついて考えれば考えるほど、頭が淋しくって、いたたまれなくなるばかりであった。
茶の間へ出て嫂と話すのはなお厭であった。
やむを得ず外へ出た。
そうして友達の宅をぐるぐる回って歩いた。
友達も始のうちは、平生の小六に対するように、若い学生のしたがる面白い話をいくらでもした。
けれども小六はそう云う話が尽きても、まだやって来た。
それでしまいには、友達が、小六は、退屈の余りに訪問をして、談話の復習に耽るものだと評した。
たまには学校の下読やら研究やらに追われている多忙の身だと云う風もして見せた。
小六は友達からそう呑気な怠けもののように取り扱われるのを、大変不愉快に感じた。
けれども宅に落ちついては、読書も思索も、まるでできなかった。
要するに彼ぐらいの年輩の青年が、一人前の人間になる階梯として、修むべき事、力むべき事には、内部の動揺やら、外部の束縛やらで、いっさい手が着かなかったのである。
それでも冷たい雨が横に降ったり、雪融の道がはげしく泥ったりする時は、着物を濡らさなければならず、足袋の泥を乾かさなければならない面倒があるので、いかな小六も時によると、外出を見合せる事があった。
そう云う日には、実際困却すると見えて、時々六畳から出て来て、のそりと火鉢の傍へ坐って、茶などを注いで飲んだ。
そうしてそこに御米でもいると、世間話の一つや二つはしないとも限らなかった。
「小六さん御酒好き」と御米が聞いた事があった。
「もう直御正月ね。あなた御雑煮いくつ上がって」と聞いた事もあった。
そう云う場合が度重なるに連れて、二人の間は少しずつ近寄る事ができた。
しまいには、姉さんちょっとここを縫って下さいと、小六の方から進んで、御米に物を頼むようになった。
そうして御米が絣の羽織を受取って、袖口の綻を繕っている間、小六は何にもせずにそこへ坐って、御米の手先を見つめていた。
これが夫だと、いつまでも黙って針を動かすのが、御米の例であったが、相手が小六の時には、そう投遣にできないのが、また御米の性質であった。
だからそんな時には力めても話をした。
話の題目で、ややともすると小六の口に宿りたがるものは、彼の未来をどうしたら好かろうと云う心配であった。
「だって小六さんなんか、まだ若いじゃありませんか。何をしたってこれからだわ。そりゃ兄さんの事よ。そう悲観してもいいのは」 御米は二度ばかりこういう慰め方をした。
三度目には、「来年になれば、安さんの方でどうか都合して上げるって受合って下すったんじゃなくって」と聞いた。
小六はその時不慥な表情をして、「そりゃ安さんの計画が、口でいう通り旨く行けば訳はないんでしょうが、だんだん考えると、何だか少し当にならないような気がし出してね。鰹船もあんまり儲からないようだから」と云った。
御米は小六の憮然としている姿を見て、それを時々酒気を帯びて帰って来る、どこかに殺気を含んだ、しかも何が癪に障るんだか訳が分らないでいてはなはだ不平らしい小六と比較すると、心の中で気の毒にもあり、またおかしくもあった。
その時は、「本当にね。兄さんにさえ御金があると、どうでもして上げる事ができるんだけれども」と、御世辞でも何でもない、同情の意を表した。
その夕暮であったか、小六はまた寒い身体を外套に包んで出て行ったが、八時過に帰って来て、兄夫婦の前で、袂から白い細長い袋を出して、寒いから蕎麦掻を拵らえて食おうと思って、佐伯へ行った帰りに買って来たと云った。
そうして御米が湯を沸かしているうちに、煮出しを拵えるとか云って、しきりに鰹節を掻いた。
その時宗助夫婦は、最近の消息として、安之助の結婚がとうとう春まで延びた事を聞いた。
この縁談は安之助が学校を卒業すると間もなく起ったもので、小六が房州から帰って、叔母に学資の供給を断わられる時分には、もうだいぶ話が進んでいたのである。
正式の通知が来ないので、いつ纏ったか、宗助はまるで知らなかったが、ただ折々佐伯へ行っては、何か聞いて来る小六を通じてのみ、彼は年内に式を挙げるはずの新夫婦を予想した。
その他には、嫁の里がある会社員で、有福な生計をしている事と、その学校が女学館であるという事と、兄弟がたくさんあると云う事だけを、同じく小六を通じて耳にした。
写真にせよ顔を知ってるのは小六ばかりであった。
「好い器量?」と御米が聞いた事がある。
「まあ好い方でしょう」と小六が答えた事がある。
その晩はなぜ暮のうちに式を済まさないかと云うのが、蕎麦掻のでき上る間、三人の話題になった。
御米は方位でも悪いのだろうと臆測した。
宗助は押しつまって日がないからだろうと考えた。
独り小六だけが、「やっぱり物質的の必要かららしいです。先が何でもよほど派出な家なんで、叔母さんの方でもそう単簡に済まされないんでしょう」といつにない世帯染みた事を云った。
十一
御米のぶらぶらし出したのは、秋も半ば過ぎて、紅葉の赤黒く縮れる頃であった。
京都にいた時分は別として、広島でも福岡でも、あまり健康な月日を送った経験のない御米は、この点に掛けると、東京へ帰ってからも、やはり仕合せとは云えなかった。
この女には生れ故郷の水が、性に合わないのだろうと、疑ぐれば疑ぐられるくらい、御米は一時悩んだ事もあった。
近頃はそれがだんだん落ちついて来て、宗助の気を揉む機会も、年に幾度と勘定ができるくらい少なくなったから、宗助は役所の出入に、御米はまた夫の留守の立居に、等しく安心して時間を過す事ができたのである。
だからことしの秋が暮れて、薄い霜を渡る風が、つらく肌を吹く時分になって、また少し心持が悪くなり出しても、御米はそれほど苦にもならなかった。
始のうちは宗助にさえ知らせなかった。
宗助が見つけて、医者に掛かれと勧めても、容易に掛からなかった。
そこへ小六が引越して来た。
宗助はその頃の御米を観察して、体質の状態やら、精神の模様やら、夫だけによく知っていたから、なるべくは、人数を殖やして宅の中を混雑かせたくないとは思ったが、事情やむを得ないので、成るがままにしておくよりほかに、手段の講じようもなかった。
ただ口の先で、なるべく安静にしていなくてはいけないと云う矛盾した助言は与えた。
御米は微笑して、「大丈夫よ」と云った。
この答を得た時、宗助はなおの事安心ができなくなった。
ところが不思議にも、御米の気分は、小六が引越して来てから、ずっと引立った。
自分に責任の少しでも加わったため、心が緊張したものと見えて、かえって平生よりは、かいがいしく夫や小六の世話をした。
小六にはそれがまるで通じなかったが、宗助から見ると、御米が在来よりどれほど力めているかがよく解った。
宗助は心のうちで、このまめやかな細君に新らしい感謝の念を抱くと同時に、こう気を張り過ぎる結果が、一度に身体に障るような騒ぎでも引き起してくれなければいいがと心配した。
不幸にも、この心配が暮の二十日過になって、突然事実になりかけたので、宗助は予期の恐怖に火が点いたように、いたく狼狽した。
その日は判然土に映らない空が、朝から重なり合って、重い寒さが終日人の頭を抑えつけていた。
御米は前の晩にまた寝られないで、休ませ損なった頭を抱えながら、辛抱して働らき出したが、起ったり動いたりするたびに、多少脳に応える苦痛はあっても、比較的明るい外界の刺戟に紛れたためか、じっと寝ていながら、頭だけが冴えて痛むよりは、かえって凌ぎやすかった。
とかくして夫を送り出すまでは、しばらくしたらまたいつものように折り合って来る事と思って我慢していた。
ところが宗助がいなくなって、自分の義務に一段落が着いたという気の弛みが出ると等しく、濁った天気がそろそろ御米の頭を攻め始めた。
空を見ると凍っているようであるし、家の中にいると、陰気な障子の紙を透して、寒さが浸み込んで来るかと思われるくらいだのに、御米の頭はしきりに熱って来た。
仕方がないから、今朝あげた蒲団をまた出して来て、座敷へ延べたまま横になった。
それでも堪えられないので、清に濡手拭を絞らして頭へ乗せた。
それが直生温くなるので、枕元に金盥を取り寄せて時々絞り易えた。
午までこんな姑息手段で断えず額を冷やして見たが、いっこうはかばかしい験もないので、御米は小六のために、わざわざ起きて、いっしょに食事をする根気もなかった。
清にいいつけて膳立をさせて、それを小六に薦めさしたまま、自分はやはり床を離れずにいた。
そうして、平生夫のする柔かい括枕を持って来て貰って、堅いのと取り替えた。
御米は髪の損れるのを、女らしく苦にする勇気にさえ乏しかったのである。
小六は六畳から出て来て、ちょっと襖を開けて、御米の姿を覗き込んだが、御米が半ば床の間の方を向いて、眼を塞いでいたので、寝ついたとでも思ったものか、一言の口も利かずに、またそっと襖を閉めた。
そうして、たった一人大きな食卓を専領して、始めからさらさらと茶漬を掻き込む音をさせた。
二時頃になって、御米はやっとの事、とろとろと眠ったが、眼が覚めたら額を捲いた濡れ手拭がほとんど乾くくらい暖かになっていた。
その代り頭の方は少し楽になった。
ただ肩から背筋へ掛けて、全体に重苦しいような感じが新らしく加わった。
御米は何でも精をつけなくては毒だという考から、一人で起きて遅い午飯を軽く食べた。
「御気分はいかがでございます」と清が御給仕をしながら、しきりに聞いた。
御米はだいぶいいようだったので、床を上げて貰って、火鉢に倚ったなり、宗助の帰りを待ち受けた。
宗助は例刻に帰って来た。
神田の通りで、門並旗を立てて、もう暮の売出しを始めた事だの、勧工場で紅白の幕を張って楽隊に景気をつけさしている事だのを話した末、「賑やかだよ。ちょっと行って御覧。なに電車に乗って行けば訳はない」と勧めた。
そうして自分は寒さに腐蝕されたように赤い顔をしていた。
御米はこう宗助から労わられた時、何だか自分の身体の悪い事を訴たえるに忍びない心持がした。
実際またそれほど苦しくもなかった。
それでいつもの通り何気ない顔をして、夫に着物を着換えさしたり、洋服を畳んだりして夜に入った。
ところが九時近くになって、突然宗助に向って、少し加減が悪いから先へ寝たいと云い出した。
今まで平生の通り機嫌よく話していただけに、宗助はこの言葉を聞いてちょっと驚ろいたが、大した事でもないと云う御米の保証に、ようやく安心してすぐ休む支度をさせた。
御米が床へ這入ってから、約二十分ばかりの間、宗助は耳の傍に鉄瓶の音を聞きながら、静な夜を丸心の洋灯に照らしていた。
彼は来年度に一般官吏に増俸の沙汰があるという評判を思い浮べた。
またその前に改革か淘汰が行われるに違ないという噂に思い及んだ。
そうして自分はどっちの方へ編入されるのだろうと疑った。
彼は自分を東京へ呼んでくれた杉原が、今もなお課長として本省にいないのを遺憾とした。
彼は東京へ移ってから不思議とまだ病気をした事がなかった。
したがってまだ欠勤届を出した事がなかった。
学校を中途でやめたなり、本はほとんど読まないのだから、学問は人並にできないが、役所でやる仕事に差支えるほどの頭脳ではなかった。
彼はいろいろな事情を綜合して考えた上、まあ大丈夫だろうと腹の中できめた。
そうして爪の先で軽く鉄瓶の縁を敲いた。
その時座敷で、「あなたちょっと」と云う御米の苦しそうな声が聞えたので、我知らず立ち上がった。
座敷へ来て見ると、御米は眉を寄せて、右の手で自分の肩を抑えながら、胸まで蒲団の外へ乗り出していた。
宗助はほとんど器械的に、同じ所へ手を出した。
そうして御米の抑えている上から、固く骨の角を攫んだ。
「もう少し後の方」と御米が訴えるように云った。
宗助の手が御米の思う所へ落ちつくまでには、二度も三度もそこここと位置を易えなければならなかった。
指で圧してみると、頸と肩の継目の少し背中へ寄った局部が、石のように凝っていた。
御米は男の力いっぱいにそれを抑えてくれと頼んだ。
宗助の額からは汗が煮染み出した。
それでも御米の満足するほどは力が出なかった。
宗助は昔の言葉で早打肩というのを覚えていた。
小さい時祖父から聞いた話に、ある侍が馬に乗ってどこかへ行く途中で、急にこの早打肩に冒されたので、すぐ馬から飛んで下りて、たちまち小柄を抜くや否や、肩先を切って血を出したため、危うい命を取り留めたというのがあったが、その話が今明らかに記憶の焼点に浮んで出た。
その時宗助はこれはならんと思った。
けれどもはたして刃物を用いて、肩の肉を突いていいものやら、悪いものやら、決しかねた。
御米はいつになく逆上せて、耳まで赤くしていた。
頭が熱いかと聞くと苦しそうに熱いと答えた。
宗助は大きな声を出して清に氷嚢へ冷たい水を入れて来いと命じた。
氷嚢があいにく無かったので、清は朝の通り金盥に手拭を浸けて持って来た。
清が頭を冷やしているうち、宗助はやはり精いっぱい肩を抑えていた。
時々少しはいいかと聞いても、御米は微かに苦しいと答えるだけであった。
宗助は全く心細くなった。
思い切って、自分で馳け出して医者を迎に行こうとしたが、後が心配で一足も表へ出る気にはなれなかった。
「清、御前急いで通りへ行って、氷嚢を買って医者を呼んで来い。まだ早いから起きてるだろう」 清はすぐ立って茶の間の時計を見て、「九時十五分でございます」と云いながら、それなり勝手口へ回って、ごそごそ下駄を探しているところへ、旨い具合に外から小六が帰って来た。
例の通り兄には挨拶もしないで、自分の部屋へ這入ろうとするのを、宗助はおい小六と烈しく呼び止めた。
小六は茶の間で少し躊躇していたが、兄からまた二声ほど続けざまに大きな声を掛けられたので、やむを得ず低い返事をして、襖から顔を出した。
その顔は酒気のまだ醒めない赤い色を眼の縁に帯びていた。
部屋の中を覗き込んで、始めて吃驚した様子で、「どうかなすったんですか」と酔が一時に去ったような表情をした。
宗助は清に命じた通りを、小六に繰り返して、早くしてくれと急き立てた。
小六は外套も脱がずに、すぐ玄関へ取って返した。
「兄さん、医者まで行くのは急いでも時間が掛かりますから、坂井さんの電話を借りて、すぐ来るように頼みましょう」「ああ。そうしてくれ」と宗助は答えた。
そうして小六の帰る間、清に何返となく金盥の水を易えさしては、一生懸命に御米の肩を圧しつけたり、揉んだりしてみた。
御米の苦しむのを、何もせずにただ見ているに堪えなかったから、こうして自分の気を紛らしていたのである。
この時の宗助に取って、医者の来るのを今か今かと待ち受ける心ほど苛いものはなかった。
彼は御米の肩を揉みながらも、絶えず表の物音に気を配った。
ようやく医者が来たときは、始めて夜が明けたような心持がした。
医者は商売柄だけあって、少しも狼狽えた様子を見せなかった。
小さい折鞄を脇に引き付けて、落ちつき払った態度で、慢性病の患者でも取り扱うように緩くりした診察をした。
その逼らない顔色を傍で見ていたせいか、わくわくした宗助の胸もようやく治まった。
医者は芥子を局部へ貼る事と、足を湿布で温める事と、それから頭を氷で冷す事とを、応急手段として宗助に注意した。
そうして自分で芥子を掻いて、御米の肩から頸の根へ貼りつけてくれた。
湿布は清と小六とで受持った。
宗助は手拭の上から氷嚢を額の上に当てがった。
とかくするうち約一時間も経った。
医者はしばらく経過を見て行こうと云って、それまで御米の枕元に坐っていた。
世間話も折々は交えたが、おおかたは無言のまま二人共に御米の容体を見守る事が多かった。
夜は例のごとく静に更けた。
「だいぶ冷えますな」と医者が云った。
宗助は気の毒になったので、あとの注意をよく聞いた上、遠慮なく引き取ってくれるようにと頼んだ。
その時御米は先刻よりはだいぶ軽快になっていたからである。
「もう大丈夫でしょう。頓服を一回上げますから今夜飲んで御覧なさい。多分寝られるだろうと思います」と云って医者は帰った。
小六はすぐその後を追って出て行った。
小六が薬取に行った間に、御米は「もう何時」と云いながら、枕元の宗助を見上げた。
宵とは違って頬から血が退いて、洋灯に照らされた所が、ことに蒼白く映った。
宗助は黒い毛の乱れたせいだろうと思って、わざわざ鬢の毛を掻き上げてやった。
そうして、「少しはいいだろう」と聞いた。
「ええよっぽど楽になったわ」と御米はいつもの通り微笑を洩らした。
御米は大抵苦しい場合でも、宗助に微笑を見せる事を忘れなかった。
茶の間では、清が突伏したまま鼾をかいていた。
「清を寝かしてやって下さい」と御米が宗助に頼んだ。
小六が薬取りから帰って来て、医者の云いつけ通り服薬を済ましたのは、もうかれこれ十二時近くであった。
それから二十分と経たないうちに、病人はすやすや寝入った。
「好い塩梅だ」と宗助が御米の顔を見ながら云った。
小六もしばらく嫂の様子を見守っていたが、「もう大丈夫でしょう」と答えた。
二人は氷嚢を額からおろした。
やがて小六は自分の部屋へ這入る。
宗助は御米の傍へ床を延べていつものごとく寝た。
五六時間の後冬の夜は錐のような霜を挟さんで、からりと明け渡った。
それから一時間すると、大地を染める太陽が、遮ぎるもののない蒼空に憚りなく上った。
御米はまだすやすや寝ていた。
そのうち朝餉も済んで、出勤の時刻がようやく近づいた。
けれども御米は眠りから覚める気色もなかった。
宗助は枕辺に曲んで、深い寝息を聞きながら、役所へ行こうか休もうかと考えた。
十二
朝の内は役所で常のごとく事務を執っていたが、折々昨夕の光景が眼に浮ぶに連れて、自然御米の病気が気に罹るので、仕事は思うように運ばなかった。
時には変な間違をさえした。
宗助は午になるのを待って、思い切って宅へ帰って来た。
電車の中では、御米の眼がいつ頃覚めたろう、覚めた後は心持がだいぶ好くなったろう、発作ももう起る気遣なかろうと、すべて悪くない想像ばかり思い浮べた。
いつもと違って、乗客の非常に少ない時間に乗り合わせたので、宗助は周囲の刺戟に気を使う必要がほとんどなかった。
それで自由に頭の中へ現われる画を何枚となく眺めた。
そのうちに、電車は終点に来た。
宅の門口まで来ると、家の中はひっそりして、誰もいないようであった。
格子を開けて、靴を脱いで、玄関に上がっても、出て来るものはなかった。
宗助はいつものように縁側から茶の間へ行かずに、すぐ取付の襖を開けて、御米の寝ている座敷へ這入った。
見ると、御米は依然として寝ていた。
枕元の朱塗の盆に散薬の袋と洋杯が載っていて、その洋杯の水が半分残っているところも朝と同じであった。
頭を床の間の方へ向けて、左の頬と芥子を貼った襟元が少し見えるところも朝と同じであった。
呼息よりほかに現実世界と交通のないように思われる深い眠も朝見た通りであった。
すべてが今朝出掛に頭の中へ収めて行った光景と少しも変っていなかった。
宗助は外套も脱がずに、上から曲んで、すうすういう御米の寝息をしばらく聞いていた。
御米は容易に覚めそうにも見えなかった。
宗助は昨夕御米が散薬を飲んでから以後の時間を指を折って勘定した。
そうしてようやく不安の色を面に表わした。
昨夕までは寝られないのが心配になったが、こう前後不覚に長く寝るところを眼のあたりに見ると、寝る方が何かの異状ではないかと考え出した。
宗助は蒲団へ手を掛けて二三度軽く御米を揺振った。
御米の髪が括枕の上で、波を打つように動いたが、御米は依然としてすうすう寝ていた。
宗助は御米を置いて、茶の間から台所へ出た。
流し元の小桶の中に茶碗と塗椀が洗わないまま浸けてあった。
下女部屋を覗くと、清が自分の前に小さな膳を控えたなり、御櫃に倚りかかって突伏していた。
宗助はまた六畳の戸を引いて首を差し込んだ。
そこには小六が掛蒲団を一枚頭から引被って寝ていた。
宗助は一人で着物を着換えたが、脱ぎ捨てた洋服も、人手を借りずに自分で畳んで、押入にしまった。
それから火鉢へ火を継いで、湯を沸かす用意をした。
二三分は火鉢に持たれて考えていたが、やがて立ち上がって、まず小六から起しにかかった。
次に清を起した。
二人とも驚ろいて飛び起きた。
小六に御米の今朝から今までの様子を聞くと、実は余り眠いので、十一時半頃飯を食って寝たのだが、それまでは御米もよく熟睡していたのだと云う。
「医者へ行ってね。昨夜の薬を戴いてから寝出して、今になっても眼が覚めませんが、差支ないでしょうかって聞いて来てくれ」「はあ」 小六は簡単な返事をして出て行った。
宗助はまた座敷へ来て御米の顔を熟視した。
起してやらなくっては悪いような、また起しては身体へ障るような、分別のつかない惑を抱いて腕組をした。
間もなく小六が帰って来て、医者はちょうど往診に出かけるところであった、訳を話したら、では今から一二軒寄ってすぐ行こうと答えた、と告げた。
宗助は医者が見えるまで、こうして放っておいて構わないのかと小六に問い返したが、小六は医者が以上よりほかに何にも語らなかったと云うだけなので、やむを得ず元のごとく枕辺にじっと坐っていた。
そうして心の中で、医者も小六も不親切過ぎるように感じた。
彼はその上昨夕御米を介抱している時に帰って来た小六の顔を思い出して、なお不愉快になった。
小六が酒を呑む事は、御米の注意で始めて知ったのであるが、その後気をつけて弟の様子をよく見ていると、なるほど何だか真面目でないところもあるようなので、いつかみっちり異見でもしなければなるまいくらいに考えてはいたが、面白くもない二人の顔を御米に見せるのが、気の毒なので、今日までわざと遠慮していたのである。
「云い出すなら御米の寝ている今である。今ならどんな気不味いことを双方で言い募ったって、御米の神経に障る気遣はない」 ここまで考えついたけれども、知覚のない御米の顔を見ると、またその方が気がかりになって、すぐにでも起したい心持がするので、つい決し兼てぐずぐずしていた。
そこへようやく医者が来てくれた。
昨夕の折鞄をまた丁寧に傍へ引きつけて、緩くり巻煙草を吹かしながら、宗助の云うことを、はあはあと聞いていたが、どれ拝見致しましょうと御米の方へ向き直った。
彼は普通の場合のように病人の脈を取って、長い間自分の時計を見つめていた。
それから黒い聴診器を心臓の上に当てた。
それを丁寧にあちらこちらと動かした。
最後に丸い穴の開いた反射鏡を出して、宗助に蝋燭を点けてくれと云った。
宗助は蝋燭を持たないので、清に洋灯を点けさした。
医者は眠っている御米の眼を押し開けて、仔細に反射鏡の光を睫の奥に集めた。
診察はそれで終った。
「少し薬が利き過ぎましたね」と云って宗助の方へ向き直ったが、宗助の眼の色を見るや否や、すぐ、「しかし御心配になる事はありません。こう云う場合に、もし悪い結果が起るとすると、きっと心臓か脳を冒すものですが、今拝見したところでは双方共異状は認められませんから」と説明してくれた。
宗助はそれでようやく安心した。
医者はまた自分の用いた眠り薬が比較的新らしいもので、学理上、他の睡眠剤のように有害でない事や、またその効目が患者の体質に因って、程度に大変な相違のある事などを語って帰った。
帰るとき宗助は、「では寝られるだけ寝かしておいても差支ありませんか」と聞いたら、医者は用さえなければ別に起す必要もあるまいと答えた。
医者が帰ったあとで、宗助は急に空腹になった。
茶の間へ出ると、先刻掛けておいた鉄瓶がちんちん沸っていた。
清を呼んで、膳を出せと命ずると、清は困った顔つきをして、まだ何の用意もできていないと答えた。
なるほど晩食には少し間があった。
宗助は楽々と火鉢の傍に胡坐を掻いて、大根の香の物を噛みながら湯漬を四杯ほどつづけざまに掻き込んだ。
それから約三十分ほどしたら御米の眼がひとりでに覚めた。
十三
新年の頭を拵らえようという気になって、宗助は久し振に髪結床の敷居を跨いだ。
暮のせいか客がだいぶ立て込んでいるので、鋏の音が二三カ所で、同時にちょきちょき鳴った。
この寒さを無理に乗り越して、一日も早く春に入ろうと焦慮るような表通の活動を、宗助は今見て来たばかりなので、その鋏の音が、いかにも忙しない響となって彼の鼓膜を打った。
しばらく煖炉の傍で煙草を吹かして待っている間に、宗助は自分と関係のない大きな世間の活動に否応なしに捲き込まれて、やむを得ず年を越さなければならない人のごとくに感じた。
正月を眼の前へ控えた彼は、実際これという新らしい希望もないのに、いたずらに周囲から誘われて、何だかざわざわした心持を抱いていたのである。
御米の発作はようやく落ちついた。
今では平日のごとく外へ出ても、家の事がそれほど気にかからないぐらいになった。
余所に比べると閑静な春の支度も、御米から云えば、年に一度の忙がしさには違なかったので、あるいはいつも通りの準備さえ抜いて、常よりも簡単に年を越す覚悟をした宗助は、蘇生ったようにはっきりした妻の姿を見て、恐ろしい悲劇が一歩遠退いた時のごとくに、胸を撫でおろした。
しかしその悲劇がまたいついかなる形で、自分の家族を捕えに来るか分らないと云う、ぼんやりした掛念が、折々彼の頭のなかに霧となってかかった。
年の暮に、事を好むとしか思われない世間の人が、故意と短い日を前へ押し出したがって齷齪する様子を見ると、宗助はなおの事この茫漠たる恐怖の念に襲われた。
成ろうことなら、自分だけは陰気な暗い師走の中に一人残っていたい思さえ起った。
ようやく自分の番が来て、彼は冷たい鏡のうちに、自分の影を見出した時、ふとこの影は本来何者だろうと眺めた。
首から下は真白な布に包まれて、自分の着ている着物の色も縞も全く見えなかった。
その時彼はまた床屋の亭主が飼っている小鳥の籠が、鏡の奥に映っている事に気がついた。
鳥が止り木の上をちらりちらりと動いた。
頭へ香のする油を塗られて、景気のいい声を後から掛けられて、表へ出たときは、それでも清々した心持であった。
御米の勧め通り髪を刈った方が、結局気を新たにする効果があったのを、冷たい空気の中で、宗助は自覚した。
水道税の事でちょっと聞き合せる必要が生じたので、宗助は帰り路に坂井へ寄った。
下女が出て来て、こちらへと云うから、いつもの座敷へ案内するかと思うと、そこを通り越して、茶の間へ導びいていった。
すると茶の間の襖が二尺ばかり開いていて、中から三四人の笑い声が聞えた。
坂井の家庭は相変らず陽気であった。
主人は光沢の好い長火鉢の向側に坐っていた。
細君は火鉢を離れて、少し縁側の障子の方へ寄って、やはりこちらを向いていた。
主人の後に細長い黒い枠に嵌めた柱時計がかかっていた。
時計の右が壁で、左が袋戸棚になっていた。
その張交に石摺だの、俳画だの、扇の骨を抜いたものなどが見えた。
主人と細君のほかに、筒袖の揃いの模様の被布を着た女の子が二人肩を擦りつけ合って坐っていた。
片方は十二三で、片方は十ぐらいに見えた。
大きな眼を揃えて、襖の陰から入って来た宗助の方を向いたが、二人の眼元にも口元にも、今笑ったばかりの影が、まだゆたかに残っていた。
宗助は一応室の内を見回して、この親子のほかに、まだ一人妙な男が、一番入口に近い所に畏まっているのを見出した。
宗助は坐って五分と立たないうちに、先刻の笑声は、この変な男と坂井の家族との間に取り換わされた問答から出る事を知った。
男は砂埃でざらつきそうな赤い毛と、日に焼けて生涯褪めっこない強い色を有っていた。
瀬戸物の釦の着いた白木綿の襯衣を着て、手織の硬い布子の襟から財布の紐みたような長い丸打をかけた様子は、滅多に東京などへ出る機会のない遠い山の国のものとしか受け取れなかった。
その上男はこの寒いのに膝小僧を少し出して、紺の落ちた小倉の帯の尻に差した手拭を抜いては鼻の下を擦った。
「これは甲斐の国から反物を背負ってわざわざ東京まで出て来る男なんです」と坂井の主人が紹介すると、男は宗助の方を向いて、「どうか旦那、一つ買っておくれ」と挨拶をした。
なるほど銘仙だの御召だの、白紬だのがそこら一面に取り散らしてあった。
宗助はこの男の形装や言葉遣のおかしい割に、立派な品物を背中へ乗せて歩行くのをむしろ不思議に思った。
主人の細君の説明によると、この織屋の住んでいる村は焼石ばかりで、米も粟も収れないから、やむを得ず桑を植えて蚕を飼うんだそうであるが、よほど貧しい所と見えて、柱時計を持っている家が一軒だけで、高等小学へ通う小供が三人しかないという話であった。
「字の書けるものは、この人ぎりなんだそうですよ」と云って細君は笑った。
すると織屋も、「本当のこんだよ、奥さん。読み書き算筆のできるものは、おれよりほかにねえんだからね。全く非道い所にゃ違ない」と真面目に細君の云う事を首肯った。
織屋はいろいろの反物を主人や細君の前へ突きつけては、「買っておくれ」という言葉をしきりに繰り返した。
そりゃ高いよいくらいくらに御負けなどと云われると、「値じゃねえね」とか、「拝むからそれで買っておくれ」とか、「まあ目方を見ておくれ」とかすべて異様な田舎びた答をした。
そのたびに皆が笑った。
主人夫婦はまた閑だと見えて、面白半分にいつまでも織屋を相手にした。
「織屋、御前そうして荷を背負って、外へ出て、時分どきになったら、やっぱり御膳を食べるんだろうね」と細君が聞いた。
「飯を食わねえでいられるもんじゃないよ。腹の減る事ちゅうたら」「どんな所で食べるの」「どんな所で食べるちゅうて、やっぱり茶屋で食うだね」 主人は笑いながら茶屋とは何だと聞いた。
織屋は、飯を食わす所が茶屋だと答えた。
それから東京へ出立には飯が非常に旨いので、腹を据えて食い出すと、大抵の宿屋は叶わない、三度三度食っちゃ気の毒だと云うような事を話して、また皆を笑わした。
織屋はしまいに撚糸の紬と、白絽を一匹細君に売りつけた。
宗助はこの押しつまった暮に、夏の絽を買う人を見て余裕のあるものはまた格別だと感じた。
すると、主人が宗助に向って、「どうですあなたも、ついでに何か一つ。奥さんの不断着でも」と勧めた。
細君もこう云う機会に買って置くと、幾割か値安に買える便宜を説いた。
そうして、「なに、御払はいつでもいいんです」と受合ってくれた。
宗助はとうとう御米のために銘仙を一反買う事にした。
主人はそれをさんざん値切って三円に負けさした。
織屋は負けた後でまた、「全く値じゃねえね。泣きたくなるね」と云ったので、大勢がまた一度に笑った。
織屋はどこへ行ってもこういう鄙びた言葉を使って通しているらしかった。
毎日馴染みの家をぐるぐる回って歩いているうちには、背中の荷がだんだん軽くなって、しまいに紺の風呂敷と真田紐だけが残る。
その時分にはちょうど旧の正月が来るので、ひとまず国元へ帰って、古い春を山の中で越して、それからまた新らしい反物を背負えるだけ背負って出て来るのだと云った。
そうして養蚕の忙しい四月の末か五月の初までに、それを悉皆金に換えて、また富士の北影の焼石ばかりころがっている小村へ帰って行くのだそうである。
「宅へ来出してから、もう四五年になりますが、いつ見ても同じ事で、少しも変らないんですよ」と細君が注意した。
「実際珍らしい男です」と主人も評語を添えた。
三日も外へ出ないと、町幅がいつの間にか取り広げられていたり、一日新聞を読まないと、電車の開通を知らずに過したりする今の世に、年に二度も東京へ出ながら、こう山男の特色をどこまでも維持して行くのは、実際珍らしいに違なかった。
宗助はつくづくこの織屋の容貌やら態度やら服装やら言葉使やらを観察して、一種気の毒な思をなした。
彼は坂井を辞して、家へ帰る途中にも、折々インヴァネスの羽根の下に抱えて来た銘仙の包を持ち易えながら、それを三円という安い価で売った男の、粗末な布子の縞と、赤くてばさばさした髪の毛と、その油気のない硬い髪の毛が、どういう訳か、頭の真中で立派に左右に分けられている様を、絶えず眼の前に浮べた。
宅では御米が、宗助に着せる春の羽織をようやく縫い上げて、圧の代りに坐蒲団の下へ入れて、自分でその上へ坐っているところであった。
「あなた今夜敷いて寝て下さい」と云って、御米は宗助を顧みた。
夫から、坂井へ来ていた甲斐の男の話を聞いた時は、御米もさすがに大きな声を出して笑った。
そうして宗助の持って帰った銘仙の縞柄と地合を飽かず眺めては、安い安いと云った。
銘仙は全く品の良いものであった。
「どうして、そう安く売って割に合うんでしょう」としまいに聞き出した。
「なに中へ立つ呉服屋が儲け過ぎてるのさ」と宗助はその道に明るいような事を、この一反の銘仙から推断して答えた。
夫婦の話はそれから、坂井の生活に余裕のある事と、その余裕のために、横町の道具屋などに意外な儲け方をされる代りに、時とするとこう云う織屋などから、差し向き不用のものを廉価に買っておく便宜を有している事などに移って、しまいにその家庭のいかにも陽気で、賑やかな模様に落ちて行った。
宗助はその時突然語調を更えて、「なに金があるばかりじゃない。一つは子供が多いからさ。子供さえあれば、大抵貧乏な家でも陽気になるものだ」と御米を覚した。
その云い方が、自分達の淋しい生涯を、多少自ら窘めるような苦い調子を、御米の耳に伝えたので、御米は覚えず膝の上の反物から手を放して夫の顔を見た。
宗助は坂井から取って来た品が、御米の嗜好に合ったので、久しぶりに細君を喜ばせてやった自覚があるばかりだったから、別段そこには気がつかなかった。
御米もちょっと宗助の顔を見たなりその時は何にも云わなかった。
けれども夜に入って寝る時間が来るまで御米はそれをわざと延ばしておいたのである。
二人はいつもの通り十時過床に入ったが、夫の眼がまだ覚めている頃を見計らって、御米は宗助の方を向いて話しかけた。
「あなた先刻小供がないと淋しくっていけないとおっしゃってね」 宗助はこれに類似の事を普般的に云った覚はたしかにあった。
けれどもそれは強がちに、自分達の身の上について、特に御米の注意を惹くために口にした、故意の観察でないのだから、こう改たまって聞き糺されると、困るよりほかはなかった。
「何も宅の事を云ったのじゃないよ」 この返事を受けた御米は、しばらく黙っていた。
やがて、「でも宅の事を始終淋しい淋しいと思っていらっしゃるから、必竟あんな事をおっしゃるんでしょう」と前とほぼ似たような問を繰り返した。
宗助は固よりそうだと答えなければならない或物を頭の中に有っていた。
けれども御米を憚って、それほど明白地な自白をあえてし得なかった。
この病気上りの細君の心を休めるためには、かえってそれを冗談にして笑ってしまう方が善かろうと考えたので、「淋しいと云えば、そりゃ淋しくないでもないがね」と調子を易えてなるべく陽気に出たが、そこで詰まったぎり、新らしい文句も、面白い言葉も容易に思いつけなかった。
やむを得ず、「まあいいや。心配するな」と云った。
御米はまた何とも答えなかった。
宗助は話題を変えようと思って、「昨夕も火事があったね」と世間話をし出した。
すると御米は急に、「私は実にあなたに御気の毒で」と切なそうに言訳を半分して、またそれなり黙ってしまった。
洋灯はいつものように床の間の上に据えてあった。
御米は灯に背いていたから、宗助には顔の表情が判然分らなかったけれども、その声は多少涙でうるんでいるように思われた。
今まで仰向いて天井を見ていた彼は、すぐ妻の方へ向き直った。
そうして薄暗い影になった御米の顔をじっと眺めた。
御米も暗い中からじっと宗助を見ていた。
そうして、「疾からあなたに打ち明けて謝罪まろう謝罪まろうと思っていたんですが、つい言い悪かったもんだから、それなりにしておいたのです」と途切れ途切れに云った。
宗助には何の意味かまるで解らなかった。
多少はヒステリーのせいかとも思ったが、全然そうとも決しかねて、しばらく茫然していた。
すると御米が思い詰めた調子で、「私にはとても子供のできる見込はないのよ」と云い切って泣き出した。
宗助はこの可憐な自白をどう慰さめていいか分別に余って当惑していたうちにも、御米に対してはなはだ気の毒だという思が非常に高まった。
「子供なんざ、無くてもいいじゃないか。上の坂井さんみたようにたくさん生れて御覧、傍から見ていても気の毒だよ。まるで幼稚園のようで」「だって一人もできないときまっちまったら、あなただって好かないでしょう」「まだできないときまりゃしないじゃないか。これから生れるかも知れないやね」 御米はなおと泣き出した。
宗助も途方に暮れて、発作の治まるのを穏やかに待っていた。
そうして、緩くり御米の説明を聞いた。
夫婦は和合同棲という点において、人並以上に成功したと同時に、子供にかけては、一般の隣人よりも不幸であった。
それも始から宿る種がなかったのなら、まだしもだが、育つべきものを中途で取り落したのだから、さらに不幸の感が深かった。
始めて身重になったのは、二人が京都を去って、広島に瘠世帯を張っている時であった。
懐妊と事がきまったとき、御米はこの新らしい経験に対して、恐ろしい未来と、嬉しい未来を一度に夢に見るような心持を抱いて日を過ごした。
宗助はそれを眼に見えない愛の精に、一種の確証となるべき形を与えた事実と、ひとり解釈して少なからず喜んだ。
そうして自分の命を吹き込んだ肉の塊が、目の前に踊る時節を指を折って楽しみに待った。
ところが胎児は、夫婦の予期に反して、五カ月まで育って突然下りてしまった。
その時分の夫婦の活計は苦しい苛い月ばかり続いていた。
宗助は流産した御米の蒼い顔を眺めて、これも必竟は世帯の苦労から起るんだと判じた。
そうして愛情の結果が、貧のために打ち崩されて、永く手の裡に捕える事のできなくなったのを残念がった。
御米はひたすら泣いた。
福岡へ移ってから間もなく、御米はまた酸いものを嗜む人となった。
一度流産すると癖になると聞いたので、御米は万に注意して、つつましやかに振舞っていた。
そのせいか経過は至極順当に行ったが、どうした訳か、これという原因もないのに、月足らずで生れてしまった。
産婆は首を傾けて、一度医者に見せるように勧めた。
医者に診て貰うと、発育が充分でないから、室内の温度を一定の高さにして、昼夜とも変らないくらい、人工的に暖めなければいけないと云った。
宗助の手際では、室内に煖炉を据えつける設備をするだけでも容易ではなかった。
夫婦はわが時間と算段の許す限りを尽して、専念に赤児の命を護った。
けれどもすべては徒労に帰した。
一週間の後、二人の血を分けた情の塊はついに冷たくなった。
御米は幼児の亡骸を抱いて、「どうしましょう」と啜り泣いた。
宗助は再度の打撃を男らしく受けた。
冷たい肉が灰になって、その灰がまた黒い土に和するまで、一口も愚痴らしい言葉は出さなかった。
そのうちいつとなく、二人の間に挟まっていた影のようなものが、しだいに遠退いて、ほどなく消えてしまった。
すると三度目の記憶が来た。
宗助が東京に移って始ての年に、御米はまた懐妊したのである。
出京の当座は、だいぶん身体が衰ろえていたので、御米はもちろん、宗助もひどくそこを気遣ったが、今度こそはという腹は両方にあったので、張のある月を無事にだんだんと重ねて行った。
ところがちょうど五月目になって、御米はまた意外の失敗をやった。
その頃はまだ水道も引いてなかったから、朝晩下女が井戸端へ出て水を汲んだり、洗濯をしなければならなかった。
御米はある日裏にいる下女に云いつける用ができたので、井戸流の傍に置いた盥の傍まで行って話をしたついでに、流を向へ渡ろうとして、青い苔の生えている濡れた板の上へ尻持を突いた。
御米はまたやり損なったとは思ったが、自分の粗忽を面目ながって、宗助にはわざと何事も語らずにその場を通した。
けれどもこの震動が、いつまで経っても胎児の発育にこれという影響も及ぼさず、したがって自分の身体にも少しの異状を引き起さなかった事がたしかに分った時、御米はようやく安心して、過去の失を改めて宗助の前に告げた。
宗助は固より妻を咎める意もなかった。
ただ、「よく気をつけないと危ないよ」と穏やかに注意を加えて過ぎた。
とかくするうちに月が満ちた。
いよいよ生れるという間際まで日が詰ったとき、宗助は役所へ出ながらも、御米の事がしきりに気にかかった。
帰りにはいつも、今日はことによると留守のうちになどと案じ続けては、自分の家の格子の前に立った。
そうして半ば予期している赤児の泣声が聞えないと、かえって何かの変でも起ったらしく感じて、急いで宅へ飛び込んで、自分と自分の粗忽を恥ずる事があった。
幸に御米の産気づいたのは、宗助の外に用のない夜中だったので、傍にいて世話のできると云う点から見ればはなはだ都合が好かった。
産婆も緩くり間に合うし、脱脂綿その他の準備もことごとく不足なく取り揃えてあった。
産も案外軽かった。
けれども肝心の小児は、ただ子宮を逃れて広い所へ出たというまでで、浮世の空気を一口も呼吸しなかった。
産婆は細い硝子の管のようなものを取って、小さい口の内へ強い呼息をしきりに吹き込んだが、効目はまるでなかった。
生れたものは肉だけであった。
夫婦はこの肉に刻みつけられた、眼と鼻と口とを髣髴した。
しかしその咽喉から出る声はついに聞く事ができなかった。
産婆は出産のあったつい一週間前に来て、丁寧に胎児の心臓まで聴診して、至極御健全だと保証して行ったのである。
よし産婆の云う事に間違があって、腹の児の発育が今までのうちにどこかで止っていたにしたところで、それが直取り出されない以上、母体は今日まで平気に持ち応える訳がなかった。
そこをだんだん調べて見て、宗助は自分がいまだかつて聞いた事のない事実を発見した時に、思わず恐れ驚ろいた。
胎児は出る間際まで健康であったのである。
けれども臍帯纏絡と云って、俗に云う胞を頸へ捲きつけていた。
こう云う異常の場合には、固より産婆の腕で切り抜けるよりほかにしようのないもので、経験のある婆さんなら、取り上げる時に、旨く頸に掛かった胞を外して引き出すはずであった。
宗助の頼んだ産婆もかなり年を取っているだけに、このくらいのことは心得ていた。
しかし胎児の頸を絡んでいた臍帯は、時たまあるごとく一重ではなかった。
二重に細い咽喉を巻いている胞を、あの細い所を通す時に外し損なったので、小児はぐっと気管を絞められて窒息してしまったのである。
罪は産婆にもあった。
けれどもなかば以上は御米の落度に違なかった。
臍帯纏絡の変状は、御米が井戸端で滑って痛く尻餅を搗いた五カ月前すでに自ら醸したものと知れた。
御米は産後の蓐中にその始末を聞いて、ただ軽く首肯いたぎり何にも云わなかった。
そうして、疲労に少し落ち込んだ眼を霑ませて、長い睫毛をしきりに動かした。
宗助は慰さめながら、手帛で頬に流れる涙を拭いてやった。
これが子供に関する夫婦の過去であった。
この苦い経験を甞めた彼らは、それ以後幼児について余り多くを語るを好まなかった。
けれども二人の生活の裏側は、この記憶のために淋しく染めつけられて、容易に剥げそうには見えなかった。
時としては、彼我の笑声を通してさえ、御互の胸に、この裏側が薄暗く映る事もあった。
こういう訳だから、過去の歴史を今夫に向って新たに繰り返そうとは、御米も思い寄らなかったのである。
宗助も今更妻からそれを聞かせられる必要は少しも認めていなかったのである。
御米の夫に打ち明けると云ったのは、固より二人の共有していた事実についてではなかった。
彼女は三度目の胎児を失った時、夫からその折の模様を聞いて、いかにも自分が残酷な母であるかのごとく感じた。
自分が手を下した覚がないにせよ、考えようによっては、自分と生を与えたものの生を奪うために、暗闇と明海の途中に待ち受けて、これを絞殺したと同じ事であったからである。
こう解釈した時、御米は恐ろしい罪を犯した悪人と己を見傚さない訳に行かなかった。
そうして思わざる徳義上の苛責を人知れず受けた。
しかもその苛責を分って、共に苦しんでくれるものは世界中に一人もなかった。
御米は夫にさえこの苦しみを語らなかったのである。
彼女はその時普通の産婦のように、三週間を床の中で暮らした。
それは身体から云うと極めて安静の三週間に違なかった。
同時に心から云うと、恐るべき忍耐の三週間であった。
宗助は亡児のために、小さい柩を拵らえて、人の眼に立たない葬儀を営なんだ。
しかる後、また死んだもののために小さな位牌を作った。
位牌には黒い漆で戒名が書いてあった。
位牌の主は戒名を持っていた。
けれども俗名は両親といえども知らなかった。
宗助は最初それを茶の間の箪笥の上へ載せて、役所から帰ると絶えず線香を焚いた。
その香が六畳に寝ている御米の鼻に時々通った。
彼女の官能は当時それほどに鋭どくなっていたのである。
しばらくしてから、宗助は何を考えたか、小さい位牌を箪笥の抽出の底へしまってしまった。
そこには福岡で亡くなった小供の位牌と、東京で死んだ父の位牌が別々に綿で包んで丁寧に入れてあった。
東京の家を畳むとき宗助は先祖の位牌を一つ残らず携えて、諸所を漂泊するの煩わしさに堪えなかったので、新らしい父の分だけを鞄の中に収めて、その他はことごとく寺へ預けておいたのである。
御米は宗助のするすべてを寝ながら見たり聞いたりしていた。
そうして布団の上に仰向になったまま、この二つの小さい位牌を、眼に見えない因果の糸を長く引いて互に結びつけた。
それからその糸をなお遠く延ばして、これは位牌にもならずに流れてしまった、始めから形のない、ぼんやりした影のような死児の上に投げかけた。
御米は広島と福岡と東京に残る一つずつの記憶の底に、動かしがたい運命の厳かな支配を認めて、その厳かな支配の下に立つ、幾月日の自分を、不思議にも同じ不幸を繰り返すべく作られた母であると観じた時、時ならぬ呪詛の声を耳の傍に聞いた。
彼女が三週間の安静を、蒲団の上に貪ぼらなければならないように、生理的に強いられている間、彼女の鼓膜はこの呪詛の声でほとんど絶えず鳴っていた。
三週間の安臥は、御米に取って実に比類のない忍耐の三週間であった。
御米はこの苦しい半月余りを、枕の上でじっと見つめながら過ごした。
しまいには我慢して横になっているのが、いかにも苛かったので、看護婦の帰った明る日に、こっそり起きてぶらぶらして見たが、それでも心に逼る不安は、容易に紛らせなかった。
退儀な身体を無理に動かす割に、頭の中は少しも動いてくれないので、また落胆りして、ついには取り放しの夜具の下へ潜り込んで、人の世を遠ざけるように、眼を堅く閉ってしまう事もあった。
そのうち定期の三週間も過ぎて、御米の身体は自からすっきりなった。
御米は奇麗に床を払って、新らしい気のする眉を再び鏡に照らした。
それは更衣の時節であった。
御米も久しぶりに綿の入った重いものを脱ぎ棄てて、肌に垢の触れない軽い気持を爽やかに感じた。
春と夏の境をぱっと飾る陽気な日本の風物は、淋しい御米の頭にも幾分かの反響を与えた。
けれども、それはただ沈んだものを掻き立てて、賑やかな光りのうちに浮かしたまでであった。
御米の暗い過去の中にその時一種の好奇心が萌したのである。
天気の勝れて美くしいある日の午前、御米はいつもの通り宗助を送り出してから直に、表へ出た。
もう女は日傘を差して外を行くべき時節であった。
急いで日向を歩くと額の辺が少し汗ばんだ。
御米は歩き歩き、着物を着換える時、箪笥を開けたら、思わず一番目の抽出の底にしまってあった、新らしい位牌に手が触れた事を思いつづけて、とうとうある易者の門を潜った。
彼女は多数の文明人に共通な迷信を子供の時から持っていた。
けれども平生はその迷信がまた多数の文明人と同じように、遊戯的に外に現われるだけで済んでいた。
それが実生活の厳かな部分を冒すようになったのは、全く珍らしいと云わなければならなかった。
御米はその時真面目な態度と真面目な心を有って、易者の前に坐って、自分が将来子を生むべき、また子を育てるべき運命を天から与えられるだろうかを確めた。
易者は大道に店を出して、往来の人の身の上を一二銭で占なう人と、少しも違った様子もなく、算木をいろいろに並べて見たり、筮竹を揉んだり数えたりした後で、仔細らしく腮の下の髯を握って何か考えたが、終りに御米の顔をつくづく眺めた末、「あなたには子供はできません」と落ちつき払って宣告した。
御米は無言のまま、しばらく易者の言葉を頭の中で噛んだり砕いたりした。
それから顔を上げて、「なぜでしょう」と聞き返した。
その時御米は易者が返事をする前に、また考えるだろうと思った。
ところが彼はまともに御米の眼の間を見詰めたまま、すぐ「あなたは人に対してすまない事をした覚がある。その罪が祟っているから、子供はけっして育たない」と云い切った。
御米はこの一言に心臓を射抜かれる思があった。
くしゃりと首を折ったなり家へ帰って、その夜は夫の顔さえろくろく見上げなかった。
御米の宗助に打ち明けないで、今まで過したというのは、この易者の判断であった。
宗助は床の間に乗せた細い洋灯の灯が、夜の中に沈んで行きそうな静かな晩に、始めて御米の口からその話を聞いたとき、さすがに好い気味はしなかった。
「神経の起った時、わざわざそんな馬鹿な所へ出かけるからさ。銭を出して下らない事を云われてつまらないじゃないか。その後もその占の宅へ行くのかい」「恐ろしいから、もうけっして行かないわ」「行かないがいい。馬鹿気ている」 宗助はわざと鷹揚な答をしてまた寝てしまった。
十四
宗助と御米とは仲の好い夫婦に違なかった。
いっしょになってから今日まで六年ほどの長い月日を、まだ半日も気不味く暮した事はなかった。
言逆に顔を赤らめ合った試はなおなかった。
二人は呉服屋の反物を買って着た。
米屋から米を取って食った。
けれどもその他には一般の社会に待つところのきわめて少ない人間であった。
彼らは、日常の必要品を供給する以上の意味において、社会の存在をほとんど認めていなかった。
彼らに取って絶対に必要なものは御互だけで、その御互だけが、彼らにはまた充分であった。
彼らは山の中にいる心を抱いて、都会に住んでいた。
自然の勢として、彼らの生活は単調に流れない訳に行かなかった。
彼らは複雑な社会の煩を避け得たと共に、その社会の活動から出るさまざまの経験に直接触れる機会を、自分と塞いでしまって、都会に住みながら、都会に住む文明人の特権を棄てたような結果に到着した。
彼らも自分達の日常に変化のない事は折々自覚した。
御互が御互に飽きるの、物足りなくなるのという心は微塵も起らなかったけれども、御互の頭に受け入れる生活の内容には、刺戟に乏しい或物が潜んでいるような鈍い訴があった。
それにもかかわらず、彼らが毎日同じ判を同じ胸に押して、長の月日を倦まず渡って来たのは、彼らが始から一般の社会に興味を失っていたためではなかった。
社会の方で彼らを二人ぎりに切りつめて、その二人に冷かな背を向けた結果にほかならなかった。
外に向って生長する余地を見出し得なかった二人は、内に向って深く延び始めたのである。
彼らの生活は広さを失なうと同時に、深さを増して来た。
彼らは六年の間世間に散漫な交渉を求めなかった代りに、同じ六年の歳月を挙げて、互の胸を掘り出した。
彼らの命は、いつの間にか互の底にまで喰い入った。
二人は世間から見れば依然として二人であった。
けれども互から云えば、道義上切り離す事のできない一つの有機体になった。
二人の精神を組み立てる神経系は、最後の繊維に至るまで、互に抱き合ってでき上っていた。
彼らは大きな水盤の表に滴たった二点の油のようなものであった。
水を弾いて二つがいっしょに集まったと云うよりも、水に弾かれた勢で、丸く寄り添った結果、離れる事ができなくなったと評する方が適当であった。
彼らはこの抱合の中に、尋常の夫婦に見出しがたい親和と飽満と、それに伴なう倦怠とを兼ね具えていた。
そうしてその倦怠の慵い気分に支配されながら、自己を幸福と評価する事だけは忘れなかった。
倦怠は彼らの意識に眠のような幕を掛けて、二人の愛をうっとり霞ます事はあった。
けれども簓で神経を洗われる不安はけっして起し得なかった。
要するに彼らは世間に疎いだけそれだけ仲の好い夫婦であったのである。
彼らは人並以上に睦ましい月日を渝らずに今日から明日へと繋いで行きながら、常はそこに気がつかずに顔を見合わせているようなものの、時々自分達の睦まじがる心を、自分で確と認める事があった。
その場合には必ず今まで睦まじく過ごした長の歳月を溯のぼって、自分達がいかな犠牲を払って、結婚をあえてしたかと云う当時を憶い出さない訳には行かなかった。
彼らは自然が彼らの前にもたらした恐るべき復讐の下に戦きながら跪ずいた。
同時にこの復讐を受けるために得た互の幸福に対して、愛の神に一弁の香を焚く事を忘れなかった。
彼らは鞭たれつつ死に赴くものであった。
ただその鞭の先に、すべてを癒やす甘い蜜の着いている事を覚ったのである。
宗助は相当に資産のある東京ものの子弟として、彼らに共通な派出な嗜好を、学生時代には遠慮なく充たした男である。
彼はその時服装にも、動作にも、思想にも、ことごとく当世らしい才人の面影を漲らして、昂い首を世間に擡げつつ、行こうと思う辺りを濶歩した。
彼の襟の白かったごとく、彼の洋袴の裾が奇麗に折り返されていたごとく、その下から見える彼の靴足袋が模様入のカシミヤであったごとく、彼の頭は華奢な世間向きであった。
彼は生れつき理解の好い男であった。
したがって大した勉強をする気にはなれなかった。
学問は社会へ出るための方便と心得ていたから、社会を一歩退ぞかなくっては達する事のできない、学者という地位には、余り多くの興味を有っていなかった。
彼はただ教場へ出て、普通の学生のする通り、多くのノートブックを黒くした。
けれども宅へ帰って来て、それを読み直したり、手を入れたりした事は滅多になかった。
休んで抜けた所さえ大抵はそのままにして放って置いた。
彼は下宿の机の上に、このノートブックを奇麗に積み上げて、いつ見ても整然と秩序のついた書斎を空にしては、外を出歩るいた。
友達は多く彼の寛濶を羨んだ。
宗助も得意であった。
彼の未来は虹のように美くしく彼の眸を照らした。
その頃の宗助は今と違って多くの友達を持っていた。
実を云うと、軽快な彼の眼に映ずるすべての人は、ほとんど誰彼の区別なく友達であった。
彼は敵という言葉の意味を正当に解し得ない楽天家として、若い世をのびのびと渡った。
「なに不景気な顔さえしなければ、どこへ行ったって驩迎されるもんだよ」と学友の安井によく話した事があった。
実際彼の顔は、他を不愉快にするほど深刻な表情を示し得た試がなかった。
「君は身体が丈夫だから結構だ」とよくどこかに故障の起る安井が羨ましがった。
この安井というのは国は越前だが、長く横浜にいたので、言葉や様子は毫も東京ものと異なる点がなかった。
着物道楽で、髪の毛を長くして真中から分ける癖があった。
高等学校は違っていたけれども、講義のときよく隣合せに並んで、時々聞き損なった所などを後から質問するので、口を利き出したのが元になって、つい懇意になった。
それが学年の始りだったので、京都へ来て日のまだ浅い宗助にはだいぶんの便宜であった。
彼は安井の案内で新らしい土地の印象を酒のごとく吸い込んだ。
二人は毎晩のように三条とか四条とかいう賑やかな町を歩いた。
時によると京極も通り抜けた。
橋の真中に立って鴨川の水を眺めた。
東山の上に出る静かな月を見た。
そうして京都の月は東京の月よりも丸くて大きいように感じた。
町や人に厭きたときは、土曜と日曜を利用して遠い郊外に出た。
宗助は至る所の大竹藪に緑の籠る深い姿を喜んだ。
松の幹の染めたように赤いのが、日を照り返して幾本となく並ぶ風情を楽しんだ。
ある時は大悲閣へ登って、即非の額の下に仰向きながら、谷底の流を下る櫓の音を聞いた。
その音が雁の鳴声によく似ているのを二人とも面白がった。
ある時は、平八茶屋まで出掛けて行って、そこに一日寝ていた。
そうして不味い河魚の串に刺したのを、かみさんに焼かして酒を呑んだ。
そのかみさんは、手拭を被って、紺の立付みたようなものを穿いていた。
宗助はこんな新らしい刺戟の下に、しばらくは慾求の満足を得た。
けれどもひととおり古い都の臭を嗅いで歩くうちに、すべてがやがて、平板に見えだして来た。
その時彼は美くしい山の色と清い水の色が、最初ほど鮮明な影を自分の頭に宿さないのを物足らず思い始めた。
彼は暖かな若い血を抱いて、その熱りを冷す深い緑に逢えなくなった。
そうかといって、この情熱を焚き尽すほどの烈しい活動には無論出会わなかった。
彼の血は高い脈を打って、いたずらにむず痒く彼の身体の中を流れた。
彼は腕組をして、坐ながら四方の山を眺めた。
そうして、「もうこんな古臭い所には厭きた」と云った。
安井は笑いながら、比較のため、自分の知っている或友達の故郷の物語をして宗助に聞かした。
それは浄瑠璃の間の土山雨が降るとある有名な宿の事であった。
朝起きてから夜寝るまで、眼に入るものは山よりほかにない所で、まるで擂鉢の底に住んでいると同じ有様だと告げた上、安井はその友達の小さい時分の経験として、五月雨の降りつづく折などは、小供心に、今にも自分の住んでいる宿が、四方の山から流れて来る雨の中に浸かってしまいそうで、心配でならなかったと云う話をした。
宗助はそんな擂鉢の底で一生を過す人の運命ほど情ないものはあるまいと考えた。
「そう云う所に、人間がよく生きていられるな」と不思議そうな顔をして安井に云った。
安井も笑っていた。
そうして土山から出た人物の中では、千両函を摩り替えて磔になったのが一番大きいのだと云う一口話をやはり友達から聞いた通り繰り返した。
狭い京都に飽きた宗助は、単調な生活を破る色彩として、そう云う出来事も百年に一度ぐらいは必要だろうとまで思った。
その時分の宗助の眼は、常に新らしい世界にばかり注がれていた。
だから自然がひととおり四季の色を見せてしまったあとでは、再び去年の記憶を呼び戻すために、花や紅葉を迎える必要がなくなった。
強く烈しい命に生きたと云う証券を飽くまで握りたかった彼には、活きた現在と、これから生れようとする未来が、当面の問題であったけれども、消えかかる過去は、夢同様に価の乏しい幻影に過ぎなかった。
彼は多くの剥げかかった社と、寂果てた寺を見尽して、色の褪めた歴史の上に、黒い頭を振り向ける勇気を失いかけた。
寝耄けた昔に※徊するほど、彼の気分は枯れていなかったのである。
学年の終りに宗助と安井とは再会を約して手を分った。
安井はひとまず郷里の福井へ帰って、それから横浜へ行くつもりだから、もしその時には手紙を出して通知をしよう、そうしてなるべくならいっしょの汽車で京都へ下ろう、もし時間が許すなら、興津あたりで泊って、清見寺や三保の松原や、久能山でも見ながら緩くり遊んで行こうと云った。
宗助は大いによかろうと答えて、腹のなかではすでに安井の端書を手にする時の心持さえ予想した。
宗助が東京へ帰ったときは、父は固よりまだ丈夫であった。
小六は子供であった。
彼は一年ぶりに殷んな都の炎熱と煤煙を呼吸するのをかえって嬉しく感じた。
燬くような日の下に、渦を捲いて狂い出しそうな瓦の色が、幾里となく続く景色を、高い所から眺めて、これでこそ東京だと思う事さえあった。
今の宗助なら目を眩しかねない事々物々が、ことごとく壮快の二字を彼の額に焼き付けべく、その時は反射して来たのである。
彼の未来は封じられた蕾のように、開かない先は他に知れないばかりでなく、自分にも確とは分らなかった。
宗助はただ洋々の二字が彼の前途に棚引いている気がしただけであった。
彼はこの暑い休暇中にも卒業後の自分に対する謀を忽がせにはしなかった。
彼は大学を出てから、官途につこうか、または実業に従おうか、それすら、まだ判然と心にきめていなかったにかかわらず、どちらの方面でも構わず、今のうちから、進めるだけ進んでおく方が利益だと心づいた。
彼は直接父の紹介を得た。
父を通して間接にその知人の紹介を得た。
そうして自分の将来を影響し得るような人を物色して、二三の訪問を試みた。
彼らのあるものは、避暑という名義の下に、すでに東京を離れていた。
あるものは不在であった。
またあるものは多忙のため時を期して、勤務先で会おうと云った。
宗助は日のまだ高くならない七時頃に、昇降器で煉瓦造の三階へ案内されて、そこの応接間に、もう七八人も自分と同じように、同じ人を待っている光景を見て驚ろいた事もあった。
彼はこうして新らしい所へ行って、新らしい物に接するのが、用向の成否に関わらず、今まで眼に付かずに過ぎた活きた世界の断片を頭へ詰め込むような気がして何となく愉快であった。
父の云いつけで、毎年の通り虫干の手伝をさせられるのも、こんな時には、かえって興味の多い仕事の一部分に数えられた。
彼は冷たい風の吹き通す土蔵の戸前の湿っぽい石の上に腰を掛けて、古くから家にあった江戸名所図会と、江戸砂子という本を物珍しそうに眺めた。
畳まで熱くなった座敷の真中へ胡坐を掻いて、下女の買って来た樟脳を、小さな紙片に取り分けては、医者でくれる散薬のような形に畳んだ。
宗助は小供の時から、この樟脳の高い香と、汗の出る土用と、炮烙灸と、蒼空を緩く舞う鳶とを連想していた。
とかくするうちに節は立秋に入った。
二百十日の前には、風が吹いて、雨が降った。
空には薄墨の煮染んだような雲がしきりに動いた。
寒暖計が二三日下がり切りに下がった。
宗助はまた行李を麻縄で絡げて、京都へ向う支度をしなければならなくなった。
彼はこの間にも安井と約束のある事は忘れなかった。
家へ帰った当座は、まだ二カ月も先の事だからと緩くり構えていたが、だんだん時日が逼るに従って、安井の消息が気になってきた。
安井はその後一枚の端書さえ寄こさなかったのである。
宗助は安井の郷里の福井へ向けて手紙を出して見た。
けれども返事はついに来なかった。
宗助は横浜の方へ問い合わせて見ようと思ったが、つい番地も町名も聞いて置かなかったので、どうする事もできなかった。
立つ前の晩に、父は宗助を呼んで、宗助の請求通り、普通の旅費以外に、途中で二三日滞在した上、京都へ着いてからの当分の小遣を渡して、「なるたけ節倹しなくちゃいけない」と諭した。
宗助はそれを、普通の子が普通の親の訓戒を聞く時のごとくに聞いた。
父はまた、「来年また帰って来るまでは会わないから、随分気をつけて」と云った。
その帰って来る時節には、宗助はもう帰れなくなっていたのである。
そうして帰って来た時は、父の亡骸がもう冷たくなっていたのである。
宗助は今に至るまでその時の父の面影を思い浮べてはすまないような気がした。
いよいよ立つと云う間際に、宗助は安井から一通の封書を受取った。
開いて見ると、約束通りいっしょに帰るつもりでいたが、少し事情があって先へ立たなければならない事になったからと云う断を述べた末に、いずれ京都で緩くり会おうと書いてあった。
宗助はそれを洋服の内懐に押し込んで汽車に乗った。
約束の興津へ来たとき彼は一人でプラットフォームへ降りて、細長い一筋町を清見寺の方へ歩いた。
夏もすでに過ぎた九月の初なので、おおかたの避暑客は早く引き上げた後だから、宿屋は比較的閑静であった。
宗助は海の見える一室の中に腹這になって、安井へ送る絵端書へ二三行の文句を書いた。
そのなかに、君が来ないから僕一人でここへ来たという言葉を入れた。
翌日も約束通り一人で三保と竜華寺を見物して、京都へ行ってから安井に話す材料をできるだけ拵えた。
しかし天気のせいか、当にした連のないためか、海を見ても、山へ登っても、それほど面白くなかった。
宿にじっとしているのは、なお退屈であった。
宗助は匆々にまた宿の浴衣を脱ぎ棄てて、絞りの三尺と共に欄干に掛けて、興津を去った。
京都へ着いた一日目は、夜汽車の疲れやら、荷物の整理やらで、往来の日影を知らずに暮らした。
二日目になってようやく学校へ出て見ると、教師はまだ出揃っていなかった。
学生も平日よりは数が不足であった。
不審な事には、自分より三四っ日前に帰っているべきはずの安井の顔さえどこにも見えなかった。
宗助はそれが気にかかるので、帰りにわざわざ安井の下宿へ回って見た。
安井のいる所は樹と水の多い加茂の社の傍であった。
彼は夏休み前から、少し閑静な町外れへ移って勉強するつもりだとか云って、わざわざこの不便な村同様な田舎へ引込んだのである。
彼の見つけ出した家からが寂た土塀を二方に回らして、すでに古風に片づいていた。
宗助は安井から、そこの主人はもと加茂神社の神官の一人であったと云う話を聞いた。
非常に能弁な京都言葉を操る四十ばかりの細君がいて、安井の世話をしていた。
「世話って、ただ不味い菜を拵らえて、三度ずつ室へ運んでくれるだけだよ」と安井は移り立てからこの細君の悪口を利いていた。
宗助は安井をここに二三度訪ねた縁故で、彼のいわゆる不味い菜を拵らえる主を知っていた。
細君の方でも宗助の顔を覚えていた。
細君は宗助を見るや否や、例の柔かい舌で慇懃な挨拶を述べた後、こっちから聞こうと思って来た安井の消息を、かえって向うから尋ねた。
細君の云うところによると、彼は郷里へ帰ってから当日に至るまで、一片の音信さえ下宿へは出さなかったのである。
宗助は案外な思で自分の下宿へ帰って来た。
それから一週間ほどは、学校へ出るたんびに、今日は安井の顔が見えるか、明日は安井の声がするかと、毎日漠然とした予期を抱いては教室の戸を開けた。
そうして毎日また漠然とした不足を感じては帰って来た。
もっとも最後の三四日における宗助は早く安井に会いたいと思うよりも、少し事情があるから、失敬して先へ立つとわざわざ通知しながら、いつまで待っても影も見せない彼の安否を、関係者としてむしろ気にかけていたのである。
彼は学友の誰彼に万遍なく安井の動静を聞いて見た。
しかし誰も知るものはなかった。
ただ一人が、昨夕四条の人込の中で、安井によく似た浴衣がけの男を見たと答えた事があった。
しかし宗助にはそれが安井だろうとは信じられなかった。
ところがその話を聞いた翌日、すなわち宗助が京都へ着いてから約一週間の後、話の通りの服装をした安井が、突然宗助の所へ尋ねて来た。
宗助は着流しのまま麦藁帽を手に持った友達の姿を久し振に眺めた時、夏休み前の彼の顔の上に、新らしい何物かがさらに付け加えられたような気がした。
安井は黒い髪に油を塗って、目立つほど奇麗に頭を分けていた。
そうして今床屋へ行って来たところだと言訳らしい事を云った。
その晩彼は宗助と一時間余りも雑談に耽った。
彼の重々しい口の利き方、自分を憚かって、思い切れないような話の調子、「しかるに」と云う口癖、すべて平生の彼と異なる点はなかった。
ただ彼はなぜ宗助より先へ横浜を立ったかを語らなかった。
また途中どこで暇取ったため、宗助より後れて京都へ着いたかを判然告げなかった。
しかし彼は三四日前ようやく京都へ着いた事だけを明かにした。
そうして、夏休み前にいた下宿へはまだ帰らずにいると云った。
「それでどこに」と宗助が聞いたとき、彼は自分の今泊っている宿屋の名前を、宗助に教えた。
それは三条辺の三流位の家であった。
宗助はその名前を知っていた。
「どうして、そんな所へ這入ったのだ。当分そこにいるつもりなのかい」と宗助は重ねて聞いた。
安井はただ少し都合があってとばかり答えたが、「下宿生活はもうやめて、小さい家でも借りようかと思っている」と思いがけない計画を打ち明けて、宗助を驚ろかした。
それから一週間ばかりの中に、安井はとうとう宗助に話した通り、学校近くの閑静な所に一戸を構えた。
それは京都に共通な暗い陰気な作りの上に、柱や格子を黒赤く塗って、わざと古臭く見せた狭い貸家であった。
門口に誰の所有ともつかない柳が一本あって、長い枝がほとんど軒に触りそうに風に吹かれる様を宗助は見た。
庭も東京と違って、少しは整っていた。
石の自由になる所だけに、比較的大きなのが座敷の真正面に据えてあった。
その下には涼しそうな苔がいくらでも生えた。
裏には敷居の腐った物置が空のままがらんと立っている後に、隣の竹藪が便所の出入りに望まれた。
宗助のここを訪問したのは、十月に少し間のある学期の始めであった。
残暑がまだ強いので宗助は学校の往復に、蝙蝠傘を用いていた事を今に記憶していた。
彼は格子の前で傘を畳んで、内を覗き込んだ時、粗い縞の浴衣を着た女の影をちらりと認めた。
格子の内は三和土で、それが真直に裏まで突き抜けているのだから、這入ってすぐ右手の玄関めいた上り口を上らない以上は、暗いながら一筋に奥の方まで見える訳であった。
宗助は浴衣の後影が、裏口へ出る所で消えてなくなるまでそこに立っていた。
それから格子を開けた。
玄関へは安井自身が現れた。
座敷へ通ってしばらく話していたが、さっきの女は全く顔を出さなかった。
声も立てず、音もさせなかった。
広い家でないから、つい隣の部屋ぐらいにいたのだろうけれども、いないのとまるで違わなかった。
この影のように静かな女が御米であった。
安井は郷里の事、東京の事、学校の講義の事、何くれとなく話した。
けれども、御米の事については一言も口にしなかった。
宗助も聞く勇気に乏しかった。
その日はそれなり別れた。
次の日二人が顔を合したとき、宗助はやはり女の事を胸の中に記憶していたが、口へ出しては一言も語らなかった。
安井も何気ない風をしていた。
懇意な若い青年が心易立に話し合う遠慮のない題目は、これまで二人の間に何度となく交換されたにもかかわらず、安井はここへ来て、息詰ったごとくに見えた。
宗助もそこを無理にこじ開けるほどの強い好奇心は有たなかった。
したがって女は二人の意識の間に挟まりながら、つい話頭に上らないで、また一週間ばかり過ぎた。
その日曜に彼はまた安井を訪うた。
それは二人の関係している或会について用事が起ったためで、女とは全く縁故のない動機から出た淡泊な訪問であった。
けれども座敷へ上がって、同じ所へ坐らせられて、垣根に沿うた小さな梅の木を見ると、この前来た時の事が明らかに思い出された。
その日も座敷の外は、しんとして静であった。
宗助はその静かなうちに忍んでいる若い女の影を想像しない訳に行かなかった。
同時にその若い女はこの前と同じように、けっして自分の前に出て来る気遣はあるまいと信じていた。
この予期の下に、宗助は突然御米に紹介されたのである。
その時御米はこの間のように粗い浴衣を着てはいなかった。
これからよそへ行くか、または今外から帰って来たと云う風な粧をして、次の間から出て来た。
宗助にはそれが意外であった。
しかし大した綺羅を着飾った訳でもないので、衣服の色も、帯の光も、それほど彼を驚かすまでには至らなかった。
その上御米は若い女にありがちの嬌羞というものを、初対面の宗助に向って、あまり多く表わさなかった。
ただ普通の人間を静にして言葉寡なに切りつめただけに見えた。
人の前へ出ても、隣の室に忍んでいる時と、あまり区別のないほど落ちついた女だという事を見出した宗助は、それから推して、御米のひっそりしていたのは、穴勝恥かしがって、人の前へ出るのを避けるためばかりでもなかったんだと思った。
安井は御米を紹介する時、「これは僕の妹だ」という言葉を用いた。
宗助は四五分対坐して、少し談話を取り換わしているうちに、御米の口調のどこにも、国訛らしい音の交っていない事に気がついた。
「今まで御国の方に」と聞いたら、御米が返事をする前に安井が、「いや横浜に長く」と答えた。
その日は二人して町へ買物に出ようと云うので、御米は不断着を脱ぎ更えて、暑いところをわざわざ新らしい白足袋まで穿いたものと知れた。
宗助はせっかくの出がけを喰い留めて、邪魔でもしたように気の毒な思をした。
「なに宅を持ち立てだものだから、毎日毎日要るものを新らしく発見するんで、一週に一二返は是非都まで買い出しに行かなければならない」と云いながら安井は笑った。
「途までいっしょに出掛けよう」と宗助はすぐ立ち上がった。
ついでに家の様子を見てくれと安井の云うに任せた。
宗助は次の間にある亜鉛の落しのついた四角な火鉢や、黄な安っぽい色をした真鍮の薬鑵や、古びた流しの傍に置かれた新らし過ぎる手桶を眺めて、門へ出た。
安井は門口へ錠をおろして、鍵を裏の家へ預けるとか云って、走けて行った。
宗助と御米は待っている間、二言、三言、尋常な口を利いた。
宗助はこの三四分間に取り換わした互の言葉を、いまだに覚えていた。
それはただの男がただの女に対して人間たる親みを表わすために、やりとりする簡略な言葉に過ぎなかった。
形容すれば水のように浅く淡いものであった。
彼は今日まで路傍道上において、何かの折に触れて、知らない人を相手に、これほどの挨拶をどのくらい繰り返して来たか分らなかった。
宗助は極めて短かいその時の談話を、一々思い浮べるたびに、その一々が、ほとんど無着色と云っていいほどに、平淡であった事を認めた。
そうして、かく透明な声が、二人の未来を、どうしてああ真赤に、塗りつけたかを不思議に思った。
今では赤い色が日を経て昔の鮮かさを失っていた。
互を焚き焦がした※は、自然と変色して黒くなっていた。
二人の生活はかようにして暗い中に沈んでいた。
宗助は過去を振り向いて、事の成行を逆に眺め返しては、この淡泊な挨拶が、いかに自分らの歴史を濃く彩ったかを、胸の中であくまで味わいつつ、平凡な出来事を重大に変化させる運命の力を恐ろしがった。
宗助は二人で門の前に佇んでいる時、彼らの影が折れ曲って、半分ばかり土塀に映ったのを記憶していた。
御米の影が蝙蝠傘で遮ぎられて、頭の代りに不規則な傘の形が壁に落ちたのを記憶していた。
少し傾むきかけた初秋の日が、じりじり二人を照り付けたのを記憶していた。
御米は傘を差したまま、それほど涼しくもない柳の下に寄った。
宗助は白い筋を縁に取った紫の傘の色と、まだ褪め切らない柳の葉の色を、一歩遠退いて眺め合わした事を記憶していた。
今考えるとすべてが明らかであった。
したがって何らの奇もなかった。
二人は土塀の影から再び現われた安井を待ち合わして、町の方へ歩いた。
歩く時、男同志は肩を並べた。
御米は草履を引いて後に落ちた。
話も多くは男だけで受持った。
それも長くはなかった。
途中まで来て宗助は一人分れて、自分の家へ帰ったからである。
けれども彼の頭にはその日の印象が長く残っていた。
家へ帰って、湯に入って、灯火の前に坐った後にも、折々色の着いた平たい画として、安井と御米の姿が眼先にちらついた。
それのみか床に入ってからは、妹だと云って紹介された御米が、果して本当の妹であろうかと考え始めた。
安井に問いつめない限り、この疑の解決は容易でなかったけれども、臆断はすぐついた。
宗助はこの臆断を許すべき余地が、安井と御米の間に充分存在し得るだろうぐらいに考えて、寝ながらおかしく思った。
しかもその臆断に、腹の中で※徊する事の馬鹿馬鹿しいのに気がついて、消し忘れた洋灯をようやくふっと吹き消した。
こう云う記憶の、しだいに沈んで痕迹もなくなるまで、御互の顔を見ずに過すほど、宗助と安井とは疎遠ではなかった。
二人は毎日学校で出合うばかりでなく、依然として夏休み前の通り往来を続けていた。
けれども宗助が行くたびに、御米は必ず挨拶に出るとは限らなかった。
三返に一返ぐらい、顔を見せないで、始ての時のように、ひっそり隣りの室に忍んでいる事もあった。
宗助は別にそれを気にも留めなかった。
それにもかかわらず、二人はようやく接近した。
幾何ならずして冗談を云うほどの親みができた。
そのうちまた秋が来た。
去年と同じ事情の下に、京都の秋を繰り返す興味に乏しかった宗助は、安井と御米に誘われて茸狩に行った時、朗らかな空気のうちにまた新らしい香を見出した。
紅葉も三人で観た。
嵯峨から山を抜けて高雄へ歩く途中で、御米は着物の裾を捲くって、長襦袢だけを足袋の上まで牽いて、細い傘を杖にした。
山の上から一町も下に見える流れに日が射して、水の底が明らかに遠くから透かされた時、御米は「京都は好い所ね」と云って二人を顧みた。
それをいっしょに眺めた宗助にも、京都は全く好い所のように思われた。
こう揃って外へ出た事も珍らしくはなかった。
家の中で顔を合わせる事はなおしばしばあった。
或時宗助が例のごとく安井を尋ねたら、安井は留守で、御米ばかり淋しい秋の中に取り残されたように一人坐っていた。
宗助は淋しいでしょうと云って、つい座敷に上り込んで、一つ火鉢の両側に手を翳しながら、思ったより長話をして帰った。
或時宗助がぽかんとして、下宿の机に倚りかかったまま、珍らしく時間の使い方に困っていると、ふと御米がやって来た。
そこまで買物に出たから、ついでに寄ったんだとか云って、宗助の薦める通り、茶を飲んだり菓子を食べたり、緩くり寛ろいだ話をして帰った。
こんな事が重なって行くうちに、木の葉がいつの間にか落ちてしまった。
そうして高い山の頂が、ある朝真白に見えた。
吹き曝しの河原が白くなって、橋を渡る人の影が細く動いた。
その年の京都の冬は、音を立てずに肌を透す陰忍な質のものであった。
安井はこの悪性の寒気にあてられて、苛いインフルエンザに罹った。
熱が普通の風邪よりもよほど高かったので、始は御米も驚ろいたが、それは一時の事で、すぐ退いたには退いたから、これでもう全快と思うと、いつまで立っても判然しなかった。
安井は黐のような熱に絡みつかれて、毎日その差し引きに苦しんだ。
医者は少し呼吸器を冒されているようだからと云って、切に転地を勧めた。
安井は心ならず押入の中の柳行李に麻縄を掛けた。
御米は手提鞄に錠をおろした。
宗助は二人を七条まで見送って、汽車が出るまで室の中へ這入って、わざと陽気な話をした。
プラットフォームへ下りた時、窓の内から、「遊びに来たまえ」と安井が云った。
「どうぞ是非」と御米が言った。
汽車は血色の好い宗助の前をそろそろ過ぎて、たちまち神戸の方に向って煙を吐いた。
病人は転地先で年を越した。
絵端書は着いた日から毎日のように寄こした。
それにいつでも遊びに来いと繰り返して書いてない事はなかった。
御米の文字も一二行ずつは必ず交っていた。
宗助は安井と御米から届いた絵端書を別にして机の上に重ねて置いた。
外から帰るとそれが直眼に着いた。
時々はそれを一枚ずつ順に読み直したり、見直したりした。
しまいにもうすっかり癒ったから帰る。
しかしせっかくここまで来ながら、ここで君の顔を見ないのは遺憾だから、この手紙が着きしだい、ちょっとでいいから来いという端書が来た。
無事と退屈を忌む宗助を動かすには、この十数言で充分であった。
宗助は汽車を利用してその夜のうちに安井の宿に着いた。
明るい灯火の下に三人が待設けた顔を合わした時、宗助は何よりもまず病人の色沢の回復して来た事に気がついた。
立つ前よりもかえって好いくらいに見えた。
安井自身もそんな心持がすると云って、わざわざ襯衣の袖を捲り上げて、青筋の入った腕を独で撫でていた。
御米も嬉しそうに眼を輝かした。
宗助にはその活溌な目遣がことに珍らしく受取れた。
今まで宗助の心に映じた御米は、色と音の撩乱する裏に立ってさえ、極めて落ちついていた。
そうしてその落ちつきの大部分はやたらに動かさない眼の働らきから来たとしか思われなかった。
次の日三人は表へ出て遠く濃い色を流す海を眺めた。
松の幹から脂の出る空気を吸った。
冬の日は短い空を赤裸々に横切っておとなしく西へ落ちた。
落ちる時、低い雲を黄に赤に竈の火の色に染めて行った。
風は夜に入っても起らなかった。
ただ時々松を鳴らして過ぎた。
暖かい好い日が宗助の泊っている三日の間続いた。
宗助はもっと遊んで行きたいと云った。
御米はもっと遊んで行きましょうと云った。
安井は宗助が遊びに来たから好い天気になったんだろうと云った。
三人はまた行李と鞄を携えて京都へ帰った。
冬は何事もなく北風を寒い国へ吹きやった。
山の上を明らかにした斑な雪がしだいに落ちて、後から青い色が一度に芽を吹いた。
宗助は当時を憶い出すたびに、自然の進行がそこではたりと留まって、自分も御米もたちまち化石してしまったら、かえって苦はなかったろうと思った。
事は冬の下から春が頭を擡げる時分に始まって、散り尽した桜の花が若葉に色を易える頃に終った。
すべてが生死の戦であった。
青竹を炙って油を絞るほどの苦しみであった。
大風は突然不用意の二人を吹き倒したのである。
二人が起き上がった時はどこもかしこもすでに砂だらけであったのである。
彼らは砂だらけになった自分達を認めた。
けれどもいつ吹き倒されたかを知らなかった。
世間は容赦なく彼らに徳義上の罪を背負した。
しかし彼ら自身は徳義上の良心に責められる前に、いったん茫然として、彼らの頭が確であるかを疑った。
彼らは彼らの眼に、不徳義な男女として恥ずべく映る前に、すでに不合理な男女として、不可思議に映ったのである。
そこに言訳らしい言訳が何にもなかった。
だからそこに云うに忍びない苦痛があった。
彼らは残酷な運命が気紛に罪もない二人の不意を打って、面白半分穽の中に突き落したのを無念に思った。
曝露の日がまともに彼らの眉間を射たとき、彼らはすでに徳義的に痙攣の苦痛を乗り切っていた。
彼らは蒼白い額を素直に前に出して、そこに※に似た烙印を受けた。
そうして無形の鎖で繋がれたまま、手を携えてどこまでも、いっしょに歩調を共にしなければならない事を見出した。
彼らは親を棄てた。
親類を棄てた。
友達を棄てた。
大きく云えば一般の社会を棄てた。
もしくはそれらから棄てられた。
学校からは無論棄てられた。
ただ表向だけはこちらから退学した事になって、形式の上に人間らしい迹を留めた。
これが宗助と御米の過去であった。
十五
この過去を負わされた二人は、広島へ行っても苦しんだ。
福岡へ行っても苦しんだ。
東京へ出て来ても、依然として重い荷に抑えつけられていた。
佐伯の家とは親しい関係が結べなくなった。
叔父は死んだ。
叔母と安之助はまだ生きているが、生きている間に打ち解けた交際はできないほど、もう冷淡の日を重ねてしまった。
今年はまだ歳暮にも行かなかった。
向からも来なかった。
家に引取った小六さえ腹の底では兄に敬意を払っていなかった。
二人が東京へ出たてには、単純な小供の頭から、正直に御米を悪んでいた。
御米にも宗助にもそれがよく分っていた。
夫婦は日の前に笑み、月の前に考えて、静かな年を送り迎えた。
今年ももう尽きる間際まで来た。
通町では暮の内から門並揃の注連飾をした。
往来の左右に何十本となく並んだ、軒より高い笹が、ことごとく寒い風に吹かれて、さらさらと鳴った。
宗助も二尺余りの細い松を買って、門の柱に釘付にした。
それから大きな赤い橙を御供の上に載せて、床の間に据えた。
床にはいかがわしい墨画の梅が、蛤の格好をした月を吐いてかかっていた。
宗助にはこの変な軸の前に、橙と御供を置く意味が解らなかった。
「いったいこりゃ、どう云う了見だね」と自分で飾りつけた物を眺めながら、御米に聞いた。
御米にも毎年こうする意味はとんと解らなかった。
「知らないわ。ただそうしておけばいいのよ」と云って台所へ去った。
宗助は、「こうしておいて、つまり食うためか」と首を傾けて御供の位置を直した。
伸餅は夜業に俎を茶の間まで持ち出して、みんなで切った。
庖丁が足りないので、宗助は始からしまいまで手を出さなかった。
力のあるだけに小六が一番多く切った。
その代り不同も一番多かった。
中には見かけの悪い形のものも交った。
変なのができるたびに清が声を出して笑った。
小六は庖丁の背に濡布巾をあてがって、硬い耳の所を断ち切りながら、「格好はどうでも、食いさいすればいいんだ」と、うんと力を入れて耳まで赤くした。
そのほかに迎年の支度としては、小殿原を熬って、煮染を重詰にするくらいなものであった。
大晦日の夜に入って、宗助は挨拶かたがた屋賃を持って、坂井の家に行った。
わざと遠慮して勝手口へ回ると、摺硝子へ明るい灯が映って、中はざわざわしていた。
上り框に帳面を持って腰をかけた掛取らしい小僧が、立って宗助に挨拶をした。
茶の間には主人も細君もいた。
その片隅に印袢天を着た出入のものらしいのが、下を向いて、小さい輪飾をいくつも拵えていた。
傍に譲葉と裏白と半紙と鋏が置いてあった。
若い下女が細君の前に坐って、釣銭らしい札と銀貨を畳に並べていた。
主人は宗助を見て、「いやどうも」と云った。
「押しつまってさぞ御忙しいでしょう。この通りごたごたです。さあどうぞこちらへ。何ですな、御互に正月にはもう飽きましたな。いくら面白いものでも四十辺以上繰り返すと厭になりますね」 主人は年の送迎に煩らわしいような事を云ったが、その態度にはどこと指してくさくさしたところは認められなかった。
言葉遣は活溌であった。
顔はつやつやしていた。
晩食に傾けた酒の勢が、まだ頬の上に差しているごとく思われた。
宗助は貰い煙草をして二三十分ばかり話して帰った。
家では御米が清を連れて湯に行くとか云って、石鹸入を手拭に包んで、留守居を頼む夫の帰を待ち受けていた。
「どうなすったの、随分長かったわね」と云って時計を眺めた。
時計はもう十時近くであった。
その上清は湯の戻りに髪結の所へ回って頭を拵えるはずだそうであった。
閑静な宗助の活計も、大晦日にはそれ相応の事件が寄せて来た。
「払はもう皆済んだのかい」と宗助は立ちながら御米に聞いた。
御米はまだ薪屋が一軒残っていると答えた。
「来たら払ってちょうだい」と云って懐の中から汚れた男持の紙入と、銀貨入の蟇口を出して、宗助に渡した。
「小六はどうした」と夫はそれを受取ながら云った。
「先刻大晦日の夜の景色を見て来るって出て行ったのよ。随分御苦労さまね。この寒いのに」と云う御米の後に追いて、清は大きな声を出して笑った。
やがて、「御若いから」と評しながら、勝手口へ行って、御米の下駄を揃えた。
「どこの夜景を見る気なんだ」「銀座から日本橋通のだって」 御米はその時もう框から下りかけていた。
すぐ腰障子を開ける音がした。
宗助はその音を聞き送って、たった一人火鉢の前に坐って、灰になる炭の色を眺めていた。
彼の頭には明日の日の丸が映った。
外を乗り回す人の絹帽子の光が見えた。
洋剣の音だの、馬の嘶だの、遣羽子の声が聞えた。
彼は今から数時間の後また年中行事のうちで、もっとも人の心を新にすべく仕組まれた景物に出逢わなければならなかった。
陽気そうに見えるもの、賑かそうに見えるものが、幾組となく彼の心の前を通り過ぎたが、その中で彼の臂を把って、いっしょに引張って行こうとするものは一つもなかった。
彼はただ饗宴に招かれない局外者として、酔う事を禁じられたごとくに、また酔う事を免かれた人であった。
彼は自分と御米の生命を、毎年平凡な波瀾のうちに送る以上に、面前大した希望も持っていなかった。
こうして忙がしい大晦日に、一人家を守る静かさが、ちょうど彼の平生の現実を代表していた。
御米は十時過に帰って来た。
いつもより光沢の好い頬を灯に照らして、湯の温のまだ抜けない襟を少し開けるように襦袢を重ねていた。
長い襟首がよく見えた。
「どうも込んで込んで、洗う事も桶を取る事もできないくらいなの」と始めて緩くり息を吐いた。
清の帰ったのは十一時過であった。
これも綺麗な頭を障子から出して、ただ今、どうも遅くなりましたと挨拶をしたついでに、あれから二人とか三人とか待ち合したと云う話をした。
ただ小六だけは容易に帰らなかった。
十二時を打ったとき、宗助はもう寝ようと云い出した。
御米は今日に限って、先へ寝るのも変なものだと思って、できるだけ話を繋いでいた。
小六は幸にして間もなく帰った。
日本橋から銀座へ出てそれから、水天宮の方へ廻ったところが、電車が込んで何台も待ち合わしたために遅くなったという言訳をした。
白牡丹へ這入って、景物の金時計でも取ろうと思ったが、何も買うものがなかったので、仕方なしに鈴の着いた御手玉を一箱買って、そうして幾百となく器械で吹き上げられる風船を一つ攫んだら、金時計は当らないで、こんなものがあたったと云って、袂から倶楽部洗粉を一袋出した。
それを御米の前に置いて、「姉さんに上げましょう」と云った。
それから鈴を着けた、梅の花の形に縫った御手玉を宗助の前に置いて、「坂井の御嬢さんにでも御上げなさい」と云った。
事に乏しい一小家族の大晦日は、それで終りを告げた。
十六
正月は二日目の雪を率て注連飾の都を白くした。
降りやんだ屋根の色がもとに復る前、夫婦は亜鉛張の庇を滑り落ちる雪の音に幾遍か驚ろかされた。
夜半にはどさと云う響がことにはなはだしかった。
小路の泥濘は雨上りと違って一日や二日では容易に乾かなかった。
外から靴を汚して帰って来る宗助が、御米の顔を見るたびに、「こりゃいけない」と云いながら玄関へ上った。
その様子があたかも御米を路を悪くした責任者と見傚している風に受取られるので、御米はしまいに、「どうも済みません。本当に御気の毒さま」と云って笑い出した。
宗助は別に返すべき冗談も有たなかった。
「御米ここから出かけるには、どこへ行くにも足駄を穿かなくっちゃならないように見えるだろう。ところが下町へ出ると大違だ。どの通もどの通もからからで、かえって埃が立つくらいだから、足駄なんぞ穿いちゃきまりが悪くって歩けやしない。つまりこう云う所に住んでいる我々は一世紀がた後れる事になるんだね」 こんな事を口にする宗助は、別に不足らしい顔もしていなかった。
御米も夫の鼻の穴を潜る煙草の煙を眺めるくらいな気で、それを聞いていた。
「坂井さんへ行って、そう云っていらっしゃいな」と軽い返事をした。
「そうして屋賃でも負けて貰う事にしよう」と答えたまま、宗助はついに坂井へは行かなかった。
その坂井には元日の朝早く名刺を投げ込んだだけで、わざと主人の顔を見ずに門を出たが、義理のある所を一日のうちにほぼ片づけて夕方帰って見ると、留守の間に坂井がちゃんと来ていたので恐縮した。
二日は雪が降っただけで何事もなく過ぎた。
三日目の日暮に下女が使に来て、御閑ならば、旦那様と奥さまと、それから若旦那様に是非今晩御遊びにいらっしゃるようにと云って帰った。
「何をするんだろう」と宗助は疑ぐった。
「きっと歌加留多でしょう。小供が多いから」と御米が云った。
「あなた行っていらっしゃい」「せっかくだから御前行くが好い。おれは歌留多は久しく取らないから駄目だ」「私も久しく取らないから駄目ですわ」 二人は容易に行こうとはしなかった。
しまいに、では若旦那がみんなを代表して行くが宜かろうという事になった。
「若旦那行って来い」と宗助が小六に云った。
小六は苦笑いして立った。
夫婦は若旦那と云う名を小六に冠らせる事を大変な滑稽のように感じた。
若旦那と呼ばれて、苦笑いする小六の顔を見ると、等しく声を出して笑い出した。
小六は春らしい空気の中から出た。
そうして一町ほどの寒さを横切って、また春らしい電灯の下に坐った。
その晩小六は大晦日に買った梅の花の御手玉を袂に入れて、これは兄から差上げますとわざわざ断って、坂井の御嬢さんに贈物にした。
その代り帰りには、福引に当った小さな裸人形を同じ袂へ入れて来た。
その人形の額が少し欠けて、そこだけ墨で塗ってあった。
小六は真面目な顔をして、これが袖萩だそうですと云って、それを兄夫婦の前に置いた。
なぜ袖萩だか夫婦には分らなかった。
小六には無論分らなかったのを、坂井の奥さんが叮嚀に説明してくれたそうであるが、それでも腑に落ちなかったので、主人がわざわざ半切に洒落と本文を並べて書いて、帰ったらこれを兄さんと姉さんに御見せなさいと云って渡したとかいう話であった。
小六は袂を探ってその書付を取り出して見せた。
それに「此垣一重が黒鉄の」と認めた後に括弧をして、(此餓鬼額が黒欠の)とつけ加えてあったので、宗助と御米はまた春らしい笑を洩らした。
「随分念の入った趣向だね。いったい誰の考だい」と兄が聞いた。
「誰ですかな」と小六はやっぱりつまらなそうな顔をして、人形をそこへ放り出したまま、自分の室に帰った。
それから二三日して、たしか七日の夕方に、また例の坂井の下女が来て、もし御閑ならどうぞ御話にと、叮嚀に主人の命を伝えた。
宗助と御米は洋灯を点けてちょうど晩食を始めたところであった。
宗助はその時茶碗を持ちながら、「春もようやく一段落が着いた」と語っていた。
そこへ清が坂井からの口上を取り次いだので、御米は夫の顔を見て微笑した。
宗助は茶碗を置いて、「まだ何か催おしがあるのかい」と少し迷惑そうな眉をした。
坂井の下女に聞いて見ると、別に来客もなければ、何の支度もないという事であった。
その上細君は子供を連れて親類へ呼ばれて行って留守だという話までした。
「それじゃ行こう」と云って宗助は出掛けた。
宗助は一般の社交を嫌っていた。
やむを得なければ会合の席などへ顔を出す男でなかった。
個人としての朋友も多くは求めなかった。
訪問はする暇を有たなかった。
ただ坂井だけは取除であった。
折々は用もないのにこっちからわざわざ出掛けて行って、時を潰して来る事さえあった。
その癖坂井は世の中でもっとも社交的の人であった。
この社交的な坂井と、孤独な宗助が二人寄って話ができるのは、御米にさえ妙に見える現象であった。
坂井は、「あっちへ行きましょう」と云って、茶の間を通り越して、廊下伝いに小さな書斎へ入った。
そこには棕梠の筆で書いたような、大きな硬い字が五字ばかり床の間にかかっていた。
棚の上に見事な白い牡丹が活けてあった。
そのほか机でも蒲団でもことごとく綺麗であった。
坂井は始め暗い入口に立って、「さあどうぞ」と云いながら、どこかぴちりと捩って、電気灯を点けた。
それから、「ちょっと待ちたまえ」と云って、燐寸で瓦斯煖炉を焚いた。
瓦斯煖炉は室に比例したごく小さいものであった。
坂井はしかる後蒲団を薦めた。
「これが僕の洞窟で、面倒になるとここへ避難するんです」 宗助も厚い綿の上で、一種の静かさを感じた。
瓦斯の燃える音が微かにしてしだいに背中からほかほか煖まって来た。
「ここにいると、もうどことも交渉はない。全く気楽です。悠くりしていらっしゃい。実際正月と云うものは予想外に煩瑣いものですね。私も昨日まででほとんどへとへとに降参させられました。新年が停滞ているのは実に苦しいですよ。それで今日の午から、とうとう塵世を遠ざけて、病気になってぐっと寝込んじまいました。今しがた眼を覚まして、湯に入って、それから飯を食って、煙草を呑んで、気がついて見ると、家内が子供を連れて親類へ行って留守なんでしょう。なるほど静かなはずだと思いましてね。すると今度は急に退屈になったのです。人間も随分わがままなものですよ。しかしいくら退屈だって、この上おめでたいものを、見たり聞いたりしちゃ骨が折れますし、また御正月らしいものを呑んだり食ったりするのも恐れますから、それで、御正月らしくない、と云うと失礼だが、まあ世の中とあまり縁のないあなた、と云ってもまだ失敬かも知れないが、つまり一口に云うと、超然派の一人と話しがして見たくなったんで、それでわざわざ使を上げたような訳なんです」と坂井は例の調子で、ことごとくすらすらしたものであった。
宗助はこの楽天家の前では、よく自分の過去を忘れる事があった。
そうして時によると、自分がもし順当に発展して来たら、こんな人物になりはしなかったろうかと考えた。
そこへ下女が三尺の狭い入口を開けて這入って来たが、改ためて宗助に鄭重な御辞儀をした上、木皿のような菓子皿のようなものを、一つ前に置いた。
それから同じ物をもう一つ主人の前に置いて、一口もものを云わずに退がった。
木皿の上には護謨毬ほどな大きな田舎饅頭が一つ載せてあった。
それに普通の倍以上もあろうと思われる楊枝が添えてあった。
「どうです暖かい内に」と主人が云ったので、宗助は始めてこの饅頭の蒸して間もない新らしさに気がついた。
珍らしそうに黄色い皮を眺めた。
「いやできたてじゃありません」と主人がまた云った。
「実は昨夜ある所へ行って、冗談半分に賞めたら、御土産に持っていらっしゃいと云うから貰って来たんです。その時は全く暖たかだったんですがね。これは今上げようと思って蒸し返さしたのです」 主人は箸とも楊枝とも片のつかないもので、無雑作に饅頭を割って、むしゃむしゃ食い始めた。
宗助も顰に傚った。
その間に主人は昨夕行った料理屋で逢ったとか云って妙な芸者の話をした。
この芸者はポッケット論語が好きで、汽車へ乗ったり遊びに行ったりするときは、いつでもそれを懐にして出るそうであった。
「それでね孔子の門人のうちで、子路が一番好だって云うんですがね。そのいわれを聞くと、子路と云う男は、一つ何か教わって、それをまだ行わないうちに、また新らしい事を聞くと苦にするほど正直だからだって云うんです。実のところ私も子路はあまりよく知らないから困ったが、何しろ一人好い人ができて、それと夫婦にならない前に、また新らしく好い人ができると苦になるようなものじゃないかって、聞いて見たんです……」 主人はこんな事をはなはだ気楽そうに述べ立てた。
その話の様子からして考えると、彼はのべつにこういう場所に出入して、その刺戟にはとうに麻痺しながら、因習の結果、依然として月に何度となく同じ事を繰り返しているらしかった。
よく聞き糺して見ると、しかく平気な男も、時々は歓楽の飽満に疲労して、書斎のなかで精神を休める必要が起るのだそうであった。
宗助はそういう方面にまるで経験のない男ではなかったので、強いて興味を装う必要もなく、ただ尋常な挨拶をするところが、かえって主人の気に入るらしかった。
彼は平凡な宗助の言葉のなかから、一種異彩のある過去を覗くような素振を見せた。
しかしそちらへは宗助が進みたがらない痕迹が少しでも出ると、すぐ話を転じた。
それは政略よりもむしろ礼譲からであった。
したがって宗助には毫も不愉快を与えなかった。
そのうち小六の噂が出た。
主人はこの青年について、肉身の兄が見逃すような新らしい観察を、二三有っていた。
宗助は主人の評語を、当ると当らないとに論なく、面白く聞いた。
そのなかに、彼は年に合わしては複雑な実用に適しない頭を有っていながら、年よりも若い単純な性情を平気で露わす子供じゃないかという質問があった。
宗助はすぐそれを首肯った。
しかし学校教育だけで社会教育のないものは、いくら年を取ってもその傾があるだろうと答えた。
「さよう、それと反対で、社会教育だけあって学校教育のないものは、随分複雑な性情を発揮する代りに、頭はいつまでも小供ですからね。かえって始末が悪いかも知れない」 主人はここでちょっと笑ったが、やがて、「どうです、私の所へ書生に寄こしちゃ、少しは社会教育になるかも知れない」と云った。
主人の書生は彼の犬が病気で病院へ這入る一カ月前とかに、徴兵検査に合格して入営したぎり今では一人もいないのだそうであった。
宗助は小六の所置をつける好機会が、求めざるに先だって、春と共に自から回って来たのを喜こんだ。
同時に、今まで世間に向って、積極的に好意と親切を要求する勇気を有たなかった彼は、突然この主人の申し出に逢って少しまごつくくらい驚ろいた。
けれどもできるならなりたけ早く弟を坂井に預けて置いて、この変動から出る自分の余裕に、幾分か安之助の補助を足して、そうして本人の希望通り、高等の教育を受けさしてやろうという分別をした。
そこで打ち明けた話を腹蔵なく主人にすると、主人はなるほどなるほどと聞いているだけであったが、しまいに雑作なく、「そいつは好いでしょう」と云ったので、相談はほぼその座で纏まった。
宗助はそこで辞して帰ればよかったのである。
また辞して帰ろうとしたのである。
ところが主人からまあ緩くりなさいと云って留められた。
主人は夜は長い、まだ宵だと云って時計まで出して見せた。
実際彼は退屈らしかった。
宗助も帰ればただ寝るよりほかに用のない身体なので、ついまた尻を据えて、濃い煙草を新らしく吹かし始めた。
しまいには主人の例に傚って、柔らかい座蒲団の上で膝さえ崩した。
主人は小六の事に関聯して、「いや弟などを有っていると、随分厄介なものですよ。私も一人やくざなのを世話をした覚がありますがね」と云って、自分の弟が大学にいるとき金のかかった事などを、自分が学生時代の質朴さに比べていろいろ話した。
宗助はこの派出好な弟が、その後どんな径路を取って、どう発展したかを、気味の悪い運命の意思を窺う一端として、主人に聞いて見た。
主人は卒然「冒険者」と、頭も尾もない一句を投げるように吐いた。
この弟は卒業後主人の紹介で、ある銀行に這入ったが、何でも金を儲けなくっちゃいけないと口癖のように云っていたそうで、日露戦争後間もなく、主人の留めるのも聞かずに、大いに発展して見たいとかとなえてついに満洲へ渡ったのだと云う。
そこで何を始めるかと思うと、遼河を利用して、豆粕大豆を船で下す、大仕掛な運送業を経営して、たちまち失敗してしまったのだそうである。
元より当人は、資本主ではなかったのだけれども、いよいよという暁に、勘定して見ると大きな欠損と事がきまったので、無論事業は継続する訳に行かず、当人は必然の結果、地位を失ったぎりになった。
「それから後私もどうしたかよく知らなかったんですが、その後ようやく聞いて見ると、驚ろきましたね。蒙古へ這入って漂浪いているんです。どこまで山気があるんだか分らないんで、私も少々剣呑になってるんですよ。それでも離れているうちは、まあどうかしているだろうぐらいに思って放っておきます。時たま音便があったって、蒙古という所は、水に乏しい所で、暑い時には往来へ泥溝の水を撒くとかね、またはその泥溝の水が無くなると、今度は馬の小便を撒くとか、したがってはなはだ臭いとか、まあそんな手紙が来るだけですから、――そりゃあ金の事も云って来ますが、なに東京と蒙古だから打遣っておけばそれまでです。だから離れてさえいれば、まあいいんですが、そいつが去年の暮突然出て来ましてね」 主人は思いついたように、床の柱にかけた、綺麗な房のついた一種の装飾物を取りおろした。
それは錦の袋に這入った一尺ばかりの刀であった。
鞘は何とも知れぬ緑色の雲母のようなものでできていて、その所々が三カ所ほど巻いてあった。
中身は六寸ぐらいしかなかった。
したがって刃も薄かった。
けれども鞘の格好はあたかも六角の樫の棒のように厚かった。
よく見ると、柄の後に細い棒が二本並んで差さっていた。
結果は鞘を重ねて離れないために銀の鉢巻をしたと同じであった。
主人は「土産にこんなものを持って来ました。蒙古刀だそうです」と云いながら、すぐ抜いて見せた。
後に差してあった象牙のような棒も二本抜いて見せた。
「こりゃ箸ですよ。蒙古人は始終これを腰へぶら下げていて、いざ御馳走という段になると、この刀を抜いて肉を切って、そうしてこの箸で傍から食うんだそうです」 主人はことさらに刀と箸を両手に持って、切ったり食ったりする真似をして見せた。
宗助はひたすらにその精巧な作りを眺めた。
「まだ蒙古人の天幕に使うフェルトも貰いましたが、まあ昔の毛氈と変ったところもありませんね」 主人は蒙古人の上手に馬を扱う事や、蒙古犬の瘠せて細長くて、西洋のグレー・ハウンドに似ている事や、彼らが支那人のためにだんだん押し狭められて行く事や、――すべて近頃あっちから帰ったという弟に聞いたままを宗助に話した。
宗助はまた自分のいまだかつて耳にした事のない話だけに、一々少なからぬ興味を有ってそれを聞いて行った。
そのうちに、元来この弟は蒙古で何をしているのだろうという好奇心が出た。
そこでちょっと主人に尋ねて見ると、主人は、「冒険者」と再び先刻の言葉を力強く繰り返した。
「何をしているか分らない。私には、牧畜をやっています。しかも成功していますと云うんですがね、いっこう当にはなりません。今までもよく法螺を吹いて私を欺したもんです。それに今度東京へ出て来た用事と云うのがよっぽど妙です。何とか云う蒙古王のために、金を二万円ばかり借りたい。もし借してやらないと自分の信用に関わるって奔走しているんですからね。そのとっぱじめに捕まったのは私だが、いくら蒙古王だって、いくら広い土地を抵当にするったって、蒙古と東京じゃ催促さえできやしませんもの。で、私が断ると、蔭へ廻って妻に、兄さんはあれだから大きな仕事ができっこないって、威張っているんです。しようがない」 主人はここで少し笑ったが、妙に緊張した宗助の顔を見て、「どうです一遍逢って御覧になっちゃ、わざわざ毛皮の着いただぶだぶしたものなんか着て、ちょっと面白いですよ。何なら御紹介しましょう。ちょうど明後日の晩呼んで飯を食わせる事になっているから。――なに引っ掛っちゃいけませんがね。黙って向に喋舌らして、聞いている分には、少しも危険はありません。ただ面白いだけです」としきりに勧め出した。
宗助は多少心を動かした。
「おいでになるのは御令弟だけですか」「いやほかに一人弟の友達で向からいっしょに来たものが、来るはずになっています。安井とか云って私はまだ逢った事もない男ですが、弟がしきりに私に紹介したがるから、実はそれで二人を呼ぶ事にしたんです」 宗助はその夜蒼い顔をして坂井の門を出た。
十七
宗助と御米の一生を暗く彩どった関係は、二人の影を薄くして、幽霊のような思をどこかに抱かしめた。
彼らは自己の心のある部分に、人に見えない結核性の恐ろしいものが潜んでいるのを、仄かに自覚しながら、わざと知らぬ顔に互と向き合って年を過した。
当初彼らの頭脳に痛く応えたのは、彼らの過が安井の前途に及ぼした影響であった。
二人の頭の中で沸き返った凄い泡のようなものがようやく静まった時、二人は安井もまた半途で学校を退いたという消息を耳にした。
彼らは固より安井の前途を傷けた原因をなしたに違なかった。
次に安井が郷里に帰ったという噂を聞いた。
次に病気に罹って家に寝ているという報知を得た。
二人はそれを聞くたびに重い胸を痛めた。
最後に安井が満洲に行ったと云う音信が来た。
宗助は腹の中で、病気はもう癒ったのだろうかと思った。
または満洲行の方が嘘ではなかろうかと考えた。
安井は身体から云っても、性質から云っても、満洲や台湾に向く男ではなかったからである。
宗助はできるだけ手を回して、事の真疑を探った。
そうして、或る関係から、安井がたしかに奉天にいる事を確め得た。
同時に彼の健康で、活溌で、多忙である事も確め得た。
その時夫婦は顔を見合せて、ほっという息を吐いた。
「まあよかろう」と宗助が云った。
「病気よりはね」と御米が云った。
二人はそれから以後安井の名を口にするのを避けた。
考え出す事さえもあえてしなかった。
彼らは安井を半途で退学させ、郷里へ帰らせ、病気に罹らせ、もしくは満洲へ駆りやった罪に対して、いかに悔恨の苦しみを重ねても、どうする事もできない地位に立っていたからである。
「御米、御前信仰の心が起った事があるかい」と或時宗助が御米に聞いた。
御米は、ただ、「あるわ」と答えただけで、すぐ「あなたは」と聞き返した。
宗助は薄笑いをしたぎり、何とも答えなかった。
その代り推して、御米の信仰について、詳しい質問も掛けなかった。
御米には、それが仕合せかも知れなかった。
彼女はその方面に、これというほど判然した凝り整った何物も有っていなかったからである。
二人はとかくして会堂の腰掛にも倚らず、寺院の門も潜らずに過ぎた。
そうしてただ自然の恵から来る月日と云う緩和剤の力だけで、ようやく落ちついた。
時々遠くから不意に現れる訴も、苦しみとか恐れとかいう残酷の名を付けるには、あまり微かに、あまり薄く、あまりに肉体と慾得を離れ過ぎるようになった。
必竟ずるに、彼らの信仰は、神を得なかったため、仏に逢わなかったため、互を目標として働らいた。
互に抱き合って、丸い円を描き始めた。
彼らの生活は淋しいなりに落ちついて来た。
その淋しい落ちつきのうちに、一種の甘い悲哀を味わった。
文芸にも哲学にも縁のない彼らは、この味を舐め尽しながら、自分で自分の状態を得意がって自覚するほどの知識を有たなかったから、同じ境遇にある詩人や文人などよりも、一層純粋であった。
――これが七日の晩に坂井へ呼ばれて、安井の消息を聞くまでの夫婦の有様であった。
その夜宗助は家に帰って御米の顔を見るや否や、「少し具合が悪いから、すぐ寝よう」と云って、火鉢に倚りながら、帰を待ち受けていた御米を驚ろかした。
「どうなすったの」と御米は眼を上げて宗助を眺めた。
宗助はそこに突っ立っていた。
宗助が外から帰って来て、こんな風をするのは、ほとんど御米の記憶にないくらい珍らしかった。
御米は卒然何とも知れない恐怖の念に襲われたごとくに立ち上がったが、ほとんど器械的に、戸棚から夜具蒲団を取り出して、夫の云いつけ通り床を延べ始めた。
その間宗助はやっぱり懐手をして傍に立っていた。
そうして床が敷けるや否や、そこそこに着物を脱ぎ捨てて、すぐその中に潜り込んだ。
御米は枕元を離れ得なかった。
「どうなすったの」「何だか、少し心持が悪い。しばらくこうしてじっとしていたら、よくなるだろう」 宗助の答は半ば夜着の下から出た。
その声が籠ったように御米の耳に響いた時、御米は済まない顔をして、枕元に坐ったなり動かなかった。
「あっちへ行っていてもいいよ。用があれば呼ぶから」 御米はようやく茶の間へ帰った。
宗助は夜具を被ったまま、ひとり硬くなって眼を眠っていた。
彼はこの暗い中で、坂井から聞いた話を何度となく反覆した。
彼は満洲にいる安井の消息を、家主たる坂井の口を通して知ろうとは、今が今まで予期していなかった。
もう少しの事で、その安井と同じ家主の家へ同時に招かれて、隣り合せか、向い合せに坐る運命になろうとは、今夜晩食を済ますまで、夢にも思いがけなかった。
彼は寝ながら過去二三時間の経過を考えて、そのクライマックスが突如として、いかにも不意に起ったのを不思議に感じた。
かつ悲しく感じた。
彼はこれほど偶然な出来事を借りて、後から断りなしに足絡をかけなければ、倒す事のできないほど強いものとは、自分ながら任じていなかったのである。
自分のような弱い男を放り出すには、もっと穏当な手段でたくさんでありそうなものだと信じていたのである。
小六から坂井の弟、それから満洲、蒙古、出京、安井、――こう談話の迹を辿れば辿るほど、偶然の度はあまりにはなはだしかった。
過去の痛恨を新にすべく、普通の人が滅多に出逢わないこの偶然に出逢うために、千百人のうちから撰り出されなければならないほどの人物であったかと思うと、宗助は苦しかった。
また腹立たしかった。
彼は暗い夜着の中で熱い息を吐いた。
この二三年の月日でようやく癒りかけた創口が、急に疼き始めた。
疼くに伴れて熱って来た。
再び創口が裂けて、毒のある風が容赦なく吹き込みそうになった。
宗助はいっそのこと、万事を御米に打ち明けて、共に苦しみを分って貰おうかと思った。
「御米、御米」と二声呼んだ。
御米はすぐ枕元へ来て、上から覗き込むように宗助を見た。
宗助は夜具の襟から顔を全く出した。
次の間の灯が御米の頬を半分照らしていた。
「熱い湯を一杯貰おう」 宗助はとうとう言おうとした事を言い切る勇気を失って、嘘を吐いてごまかした。
翌日宗助は例のごとく起きて、平日と変る事なく食事を済ました。
そうして給仕をしてくれる御米の顔に、多少安心の色が見えたのを、嬉しいような憐れなような一種の情緒をもって眺めた。
「昨夕は驚ろいたわ。どうなすったのかと思って」 宗助は下を向いて茶碗に注いだ茶を呑んだだけであった。
何と答えていいか、適当な言葉を見出さなかったからである。
その日は朝からから風が吹き荒んで、折々埃と共に行く人の帽を奪った。
熱があると悪いから、一日休んだらと云う御米の心配を聞き捨てにして、例の通り電車へ乗った宗助は、風の音と車の音の中に首を縮めて、ただ一つ所を見つめていた。
降りる時、ひゅうという音がして、頭の上の針線が鳴ったのに気がついて、空を見たら、この猛烈な自然の力の狂う間に、いつもより明らかな日がのそりと出ていた。
風は洋袴の股を冷たくして過ぎた。
宗助にはその砂を捲いて向うの堀の方へ進んで行く影が、斜めに吹かれる雨の脚のように判然見えた。
役所では用が手に着かなかった。
筆を持って頬杖を突いたまま何か考えた。
時々は不必要な墨を妄りに磨りおろした。
煙草はむやみに呑んだ。
そうしては、思い出したように窓硝子を通して外を眺めた。
外は見るたびに風の世界であった。
宗助はただ早く帰りたかった。
ようやく時間が来て家へ帰ったとき、御米は不安らしく宗助の顔を見て、「どうもなくって」と聞いた。
宗助はやむを得ず、どうもないが、ただ疲れたと答えて、すぐ炬燵の中へ入ったなり、晩食まで動かなかった。
そのうち風は日と共に落ちた。
昼の反動で四隣は急にひっそり静まった。
「好い案排ね、風が無くなって。昼間のように吹かれると、家に坐っていても何だか気味が悪くってしようがないわ」 御米の言葉には、魔物でもあるかのように、風を恐れる調子があった。
宗助は落ちついて、「今夜は少し暖たかいようだね。穏やかで好い御正月だ」と云った。
飯を済まして煙草を一本吸う段になって、突然、「御米、寄席へでも行って見ようか」と珍らしく細君を誘った。
御米は無論否む理由を有たなかった。
小六は義太夫などを聞くより、宅にいて餅でも焼いて食った方が勝手だというので、留守を頼んで二人出た。
少し時間が遅れたので、寄席はいっぱいであった。
二人は座蒲団を敷く余地もない一番後の方に、立膝をするように割り込まして貰った。
「大変な人ね」「やっぱり春だから入るんだろう」 二人は小声で話しながら、大きな部屋にぎっしり詰まった人の頭を見回した。
その頭のうちで、高座に近い前の方は、煙草の煙で霞んでいるようにぼんやり見えた。
宗助にはこの累々たる黒いものが、ことごとくこう云う娯楽の席へ来て、面白く半夜を潰す事のできる余裕のある人らしく思われた。
彼はどの顔を見ても羨ましかった。
彼は高座の方を正視して、熱心に浄瑠璃を聞こうと力めた。
けれどもいくら力めても面白くならなかった。
時々眼を外らして、御米の顔を偸み見た。
見るたびに御米の視線は正しい所を向いていた。
傍に夫のいる事はほとんど忘れて、真面目に聴いているらしかった。
宗助は羨やましい人のうちに、御米まで勘定しなければならなかった。
中入の時、宗助は御米に、「どうだ、もう帰ろうか」と云い掛けた。
御米はその唐突なのに驚ろかされた。
「厭なの」と聞いた。
宗助は何とも答えなかった。
御米は、「どうでもいいわ」と半分夫の意に忤らわないような挨拶をした。
宗助はせっかく連れて来た御米に対して、かえって気の毒な心が起った。
とうとうしまいまで辛抱して坐っていた。
家へ帰ると、小六は火鉢の前に胡坐を掻いて、背表紙の反り返るのも構わずに、手に持った本を上から翳して読んでいた。
鉄瓶は傍へ卸したなり、湯は生温るく冷めてしまった。
盆の上に焼き余りの餅が三切か四片載せてあった。
網の下から小皿に残った醤油の色が見えた。
小六は席を立って、「面白かったですか」と聞いた。
夫婦は十分ほど身体を炬燵で暖めた上すぐ床へ入った。
翌日になっても宗助の心に落ちつきが来なかった事は、ほぼ前の日と同じであった。
役所が退けて、例の通り電車へ乗ったが、今夜自分と前後して、安井が坂井の家へ客に来ると云う事を想像すると、どうしても、わざわざその人と接近するために、こんな速力で、家へ帰って行くのが不合理に思われた。
同時に安井はその後どんなに変化したろうと思うと、よそから一目彼の様子が眺めたくもあった。
坂井が一昨日の晩、自分の弟を評して、一口に「冒険者」と云った、その音が今宗助の耳に高く響き渡った。
宗助はこの一語の中に、あらゆる自暴と自棄と、不平と憎悪と、乱倫と悖徳と、盲断と決行とを想像して、これらの一角に触れなければならないほどの坂井の弟と、それと利害を共にすべく満洲からいっしょに出て来た安井が、いかなる程度の人物になったかを、頭の中で描いて見た。
描かれた画は無論冒険者の字面の許す範囲内で、もっとも強い色彩を帯びたものであった。
かように、堕落の方面をとくに誇張した冒険者を頭の中で拵え上げた宗助は、その責任を自身一人で全く負わなければならないような気がした。
彼はただ坂井へ客に来る安井の姿を一目見て、その姿から、安井の今日の人格を髣髴したかった。
そうして、自分の想像ほど彼は堕落していないという慰藉を得たかった。
彼は坂井の家の傍に立って、向に知れずに、他を窺うような便利な場所はあるまいかと考えた。
不幸にして、身を隠すべきところを思いつき得なかった。
もし日が落ちてから来るとすれば、こちらが認められない便宜があると同時に、暗い中を通る人の顔の分らない不都合があった。
そのうち電車が神田へ来た。
宗助はいつもの通りそこで乗り換えて家の方へ向いて行くのが苦痛になった。
彼の神経は一歩でも安井の来る方角へ近づくに堪えなかった。
安井をよそながら見たいという好奇心は、始めからさほど強くなかっただけに、乗換の間際になって、全く抑えつけられてしまった。
彼は寒い町を多くの人のごとく歩いた。
けれども多くの人のごとくに判然した目的は有っていなかった。
そのうち店に灯が点いた。
電車も灯火を照もした。
宗助はある牛肉店に上がって酒を呑み出した。
一本は夢中に呑んだ。
二本目は無理に呑んだ。
三本目にも酔えなかった。
宗助は背を壁に持たして、酔って相手のない人のような眼をして、ぼんやりどこかを見つめていた。
時刻が時刻なので、夕飯を食いに来る客は入れ代り立ち代り来た。
その多くは用弁的に飲食を済まして、さっさと勘定をして出て行くだけであった。
宗助は周囲のざわつく中に黙然として、他の倍も三倍も時を過ごしたごとくに感じた末、ついに坐り切れずに席を立った。
表は左右から射す店の灯で明らかであった。
軒先を通る人は、帽も衣装もはっきり物色する事ができた。
けれども広い寒さを照らすには余りに弱過ぎた。
夜は戸ごとの瓦斯と電灯を閑却して、依然として暗く大きく見えた。
宗助はこの世界と調和するほどな黒味の勝った外套に包まれて歩いた。
その時彼は自分の呼吸する空気さえ灰色になって、肺の中の血管に触れるような気がした。
彼はこの晩に限って、ベルを鳴らして忙がしそうに眼の前を往ったり来たりする電車を利用する考が起らなかった。
目的を有って途を行く人と共に、抜目なく足を運ばす事を忘れた。
しかも彼は根の締らない人間として、かく漂浪の雛形を演じつつある自分の心を省みて、もしこの状態が長く続いたらどうしたらよかろうと、ひそかに自分の未来を案じ煩った。
今日までの経過から推して、すべての創口を癒合するものは時日であるという格言を、彼は自家の経験から割り出して、深く胸に刻みつけていた。
それが一昨日の晩にすっかり崩れたのである。
彼は黒い夜の中を歩るきながら、ただどうかしてこの心から逃れ出たいと思った。
その心はいかにも弱くて落ちつかなくって、不安で不定で、度胸がなさ過ぎて希知に見えた。
彼は胸を抑えつける一種の圧迫の下に、いかにせば、今の自分を救う事ができるかという実際の方法のみを考えて、その圧迫の原因になった自分の罪や過失は全くこの結果から切り放してしまった。
その時の彼は他の事を考える余裕を失って、ことごとく自己本位になっていた。
今までは忍耐で世を渡って来た。
これからは積極的に人世観を作り易えなければならなかった。
そうしてその人世観は口で述べるもの、頭で聞くものでは駄目であった。
心の実質が太くなるものでなくては駄目であった。
彼は行く行く口の中で何遍も宗教の二字を繰り返した。
けれどもその響は繰り返す後からすぐ消えて行った。
攫んだと思う煙が、手を開けるといつの間にか無くなっているように、宗教とははかない文字であった。
宗教と関聯して宗助は坐禅という記憶を呼び起した。
昔し京都にいた時分彼の級友に相国寺へ行って坐禅をするものがあった。
当時彼はその迂濶を笑っていた。
「今の世に……」と思っていた。
その級友の動作が別に自分と違ったところもないようなのを見て、彼はますます馬鹿馬鹿しい気を起した。
彼は今更ながら彼の級友が、彼の侮蔑に値する以上のある動機から、貴重な時間を惜しまずに、相国寺へ行ったのではなかろうかと考え出して、自分の軽薄を深く恥じた。
もし昔から世俗で云う通り安心とか立命とかいう境地に、坐禅の力で達する事ができるならば、十日や二十日役所を休んでも構わないからやって見たいと思った。
けれども彼はこの道にかけては全くの門外漢であった。
したがって、これより以上明瞭な考も浮ばなかった。
ようやく家へ辿り着いた時、彼は例のような御米と、例のような小六と、それから例のような茶の間と座敷と洋灯と箪笥を見て、自分だけが例にない状態の下に、この四五時間を暮していたのだという自覚を深くした。
火鉢には小さな鍋が掛けてあって、その葢の隙間から湯気が立っていた。
火鉢の傍には彼の常に坐る所に、いつもの座蒲団を敷いて、その前にちゃんと膳立がしてあった。
宗助は糸底を上にしてわざと伏せた自分の茶碗と、この二三年来朝晩使い慣れた木の箸を眺めて、「もう飯は食わないよ」と云った。
御米は多少不本意らしい風もした。
「おやそう。余り遅いから、おおかたどこかで召上がったろうとは思ったけれど、もしまだだといけないから」と云いながら、布巾で鍋の耳を撮んで、土瓶敷の上におろした。
それから清を呼んで膳を台所へ退げさした。
宗助はこういう風に、何ぞ事故ができて、役所の退出からすぐ外へ回って遅くなる場合には、いつでもその顛末の大略を、帰宅早々御米に話すのを例にしていた。
御米もそれを聞かないうちは気がすまなかった。
けれども今夜に限って彼は神田で電車を降りた事も、牛肉屋へ上った事も、無理に酒を呑んだ事も、まるで話したくなかった。
何も知らない御米はまた平常の通り無邪気にそれからそれへと聞きたがった。
「何別にこれという理由もなかったのだけれども、――ついあすこいらで牛が食いたくなっただけの事さ」「そうして御腹を消化すために、わざわざここまで歩るいていらしったの」「まあ、そうだ」 御米はおかしそうに笑った。
宗助はむしろ苦しかった。
しばらくして、「留守に坂井さんから迎いに来なかったかい」と聞いた。
「いいえ、なぜ」「一昨日の晩行ったとき、御馳走するとか云っていたからさ」「また?」 御米は少し呆れた顔をした。
宗助はそれなり話を切り上げて寝た。
頭の中をざわざわ何か通った。
時々眼を開けて見ると、例のごとく洋灯が暗くして床の間の上に載せてあった。
御米はさも心地好さそうに眠っていた。
ついこの間までは、自分の方が好く寝られて、御米は幾晩も睡眠の不足に悩まされたのであった。
宗助は眼を閉じながら、明らかに次の間の時計の音を聞かなければならない今の自分をさらに心苦しく感じた。
その時計は最初は幾つも続けざまに打った。
それが過ぎると、びんとただ一つ鳴った。
その濁った音が彗星の尾のようにほうと宗助の耳朶にしばらく響いていた。
次には二つ鳴った。
はなはだ淋しい音であった。
宗助はその間に、何とかして、もっと鷹揚に生きて行く分別をしなければならないと云う決心だけをした。
三時は朦朧として聞えたような聞えないようなうちに過ぎた。
四時、五時、六時はまるで知らなかった。
ただ世の中が膨れた。
天が波を打って伸びかつ縮んだ。
地球が糸で釣るした毬のごとくに大きな弧線を描いて空間に揺いた。
すべてが恐ろしい魔の支配する夢であった。
七時過に彼ははっとして、この夢から覚めた。
御米がいつもの通り微笑して枕元に曲んでいた。
冴えた日は黒い世の中を疾にどこかへ追いやっていた。
十八
宗助は一封の紹介状を懐にして山門を入った。
彼はこれを同僚の知人の某から得た。
その同僚は役所の往復に、電車の中で洋服の隠袋から菜根譚を出して読む男であった。
こう云う方面に趣味のない宗助は、固より菜根譚の何物なるかを知らなかった。
ある日一つ車の腰掛に膝を並べて乗った時、それは何だと聞いて見た。
同僚は小形の黄色い表紙を宗助の前に出して、こんな妙な本だと答えた。
宗助は重ねてどんな事が書いてあるかと尋ねた。
その時同僚は、一口に説明のできる格好な言葉を有っていなかったと見えて、まあ禅学の書物だろうというような妙な挨拶をした。
宗助は同僚から聞いたこの返事をよく覚えていた。
紹介状を貰う四五日前、彼はこの同僚の傍へ行って、君は禅学をやるのかと、突然質問を掛けた。
同僚は強く緊張した宗助の顔を見てすこぶる驚ろいた様子であったが、いややらない、ただ慰み半分にあんな書物を読むだけだと、すぐ逃げてしまった。
宗助は多少失望に弛んだ下唇を垂れて自分の席に帰った。
その日帰りがけに、彼らはまた同じ電車に乗り合わした。
先刻宗助の様子を、気の毒に観察した同僚は、彼の質問の奥に雑談以上のある意味を認めたものと見えて、前よりはもっと親切にその方面の話をして聞かした。
しかし自分はいまだかつて参禅という事をした経験がないと自白した。
もし詳しい話が聞きたければ、幸い自分の知り合によく鎌倉へ行く男があるから紹介してやろうと云った。
宗助は車の中でその人の名前と番地を手帳に書き留めた。
そうして次の日同僚の手紙を持ってわざわざ回り道をして訪問に出かけた。
宗助の懐にした書状はその折席上で認めて貰ったものであった。
役所は病気になって十日ばかり休む事にした。
御米の手前もやはり病気だと取り繕った。
「少し脳が悪いから、一週間ほど役所を休んで遊んで来るよ」と云った。
御米はこの頃の夫の様子のどこかに異状があるらしく思われるので、内心では始終心配していた矢先だから、平生煮え切らない宗助の果断を喜んだ。
けれどもその突然なのにも全く驚ろいた。
「遊びに行くって、どこへいらっしゃるの」と眼を丸くしないばかりに聞いた。
「やっぱり鎌倉辺が好かろうと思っている」と宗助は落ちついて答えた。
地味な宗助とハイカラな鎌倉とはほとんど縁の遠いものであった。
突然二つのものを結びつけるのは滑稽であった。
御米も微笑を禁じ得なかった。
「まあ御金持ね。私もいっしょに連れてってちょうだい」と云った。
宗助は愛すべき細君のこの冗談を味わう余裕を有たなかった。
真面目な顔をして、「そんな贅沢な所へ行くんじゃないよ。禅寺へ留めて貰って、一週間か十日、ただ静かに頭を休めて見るだけの事さ。それもはたして好くなるか、ならないか分らないが、空気のいい所へ行くと、頭には大変違うと皆云うから」と弁解した。
「そりゃ違いますわ。だから行っていらっしゃいとも。今のは本当の冗談よ」 御米は善良な夫に調戯ったのを、多少済まないように感じた。
宗助はその翌日すぐ貰って置いた紹介状を懐にして、新橋から汽車に乗ったのである。
その紹介状の表には釈宜道様と書いてあった。
「この間まで侍者をしていましたが、この頃では塔頭にある古い庵室に手を入れて、そこに住んでいるとか聞きました。どうですか、まあ着いたら尋ねて御覧なさい。庵の名はたしか一窓庵でした」と書いてくれる時、わざわざ注意があったので、宗助は礼を云って手紙を受取りながら、侍者だの塔頭だのという自分には全く耳新らしい言葉の説明を聞いて帰ったのである。
山門を入ると、左右には大きな杉があって、高く空を遮っているために、路が急に暗くなった。
その陰気な空気に触れた時、宗助は世の中と寺の中との区別を急に覚った。
静かな境内の入口に立った彼は、始めて風邪を意識する場合に似た一種の悪寒を催した。
彼はまず真直に歩るき出した。
左右にも行手にも、堂のようなものや、院のようなものがちょいちょい見えた。
けれども人の出入はいっさいなかった。
ことごとく寂寞として錆び果てていた。
宗助はどこへ行って、宜道のいる所を教えて貰おうかと考えながら、誰も通らない路の真中に立って四方を見回した。
山の裾を切り開いて、一二丁奥へ上るように建てた寺だと見えて、後の方は樹の色で高く塞がっていた。
路の左右も山続か丘続の地勢に制せられて、けっして平ではないようであった。
その小高い所々に、下から石段を畳んで、寺らしい門を高く構えたのが二三軒目に着いた。
平地に垣を繞らして、点在しているのは、幾多もあった。
近寄って見ると、いずれも門瓦の下に、院号やら庵号やらが額にしてかけてあった。
宗助は箔の剥げた古い額を一二枚読んで歩いたが、ふと一窓庵から先へ探し出して、もしそこに手紙の名宛の坊さんがいなかったら、もっと奥へ行って尋ねる方が便利だろうと思いついた。
それから逆戻りをして塔頭を一々調べにかかると、一窓庵は山門を這入るや否やすぐ右手の方の高い石段の上にあった。
丘外れなので、日当の好い、からりとした玄関先を控えて、後の山の懐に暖まっているような位置に冬を凌ぐ気色に見えた。
宗助は玄関を通り越して庫裡の方から土間に足を入れた。
上り口の障子の立ててある所まで来て、たのむたのむと二三度呼んで見た。
しかし誰も出て来てくれるものはなかった。
宗助はしばらくそこに立ったまま、中の様子を窺っていた。
いつまで立っていても音沙汰がないので、宗助は不思議な思いをして、また庫裡を出て門の方へ引返した。
すると石段の下から剃立の頭を青く光らした坊さんが上って来た。
年はまだ二十四五としか見えない若い色白の顔であった。
宗助は門の扉の所に待ち合わして、「宜道さんとおっしゃる方はこちらにおいででしょうか」と聞いた。
「私が宜道です」と若い僧は答えた。
宗助は少し驚ろいたが、また嬉しくもあった。
すぐ懐中から例の紹介状を出して渡すと、宜道は立ちながら封を切って、その場で読み下した。
やがて手紙を巻き返して封筒へ入れると、「ようこそ」と云って、叮嚀に会釈したなり、先に立って宗助を導いた。
二人は庫裡に下駄を脱いで、障子を開けて内へ這入った。
そこには大きな囲炉裏が切ってあった。
宜道は鼠木綿の上に羽織っていた薄い粗末な法衣を脱いで釘にかけて、「御寒うございましょう」と云って、囲炉裏の中に深く埋けてあった炭を灰の下から掘り出した。
この僧は若いに似合わずはなはだ落ちついた話振をする男であった。
低い声で何か受答えをした後で、にやりと笑う具合などは、まるで女のような感じを宗助に与えた。
宗助は心のうちに、この青年がどういう機縁の元に、思い切って頭を剃ったものだろうかと考えて、その様子のしとやかなところを、何となく憐れに思った。
「大変御静なようですが、今日はどなたも御留守なんですか」「いえ、今日に限らず、いつも私一人です。だから用のあるときは構わず明け放しにして出ます。今もちょっと下まで行って用を足して参りました。それがためせっかくおいでのところを失礼致しました」 宜道はこの時改めて遠来の人に対して自分の不在を詫びた。
この大きな庵を、たった一人で預かっているさえ、相応に骨が折れるのに、その上に厄介が増したらさぞ迷惑だろうと、宗助は少し気の毒な色をほかに動かした。
すると宜道は、「いえ、ちっとも御遠慮には及びません。道のためでございますから」とゆかしい事を云った。
そうして、目下自分の所に、宗助のほかに、まだ一人世話になっている居士のある旨を告げた。
この居士は山へ来てもう二年になるとかいう話であった。
宗助はそれから二三日して、始めてこの居士を見たが、彼は剽軽な羅漢のような顔をしている気楽そうな男であった。
細い大根を三四本ぶら下げて、今日は御馳走を買って来たと云って、それを宜道に煮てもらって食った。
宜道も宗助もその相伴をした。
この居士は顔が坊さんらしいので、時々僧堂の衆に交って、村の御斎などに出かける事があるとか云って宜道が笑っていた。
そのほか俗人で山へ修業に来ている人の話もいろいろ聞いた。
中に筆墨を商う男がいた。
背中へ荷をいっぱい負って、二十日なり三十日なり、そこら中回って歩いて、ほぼ売り尽してしまうと山へ帰って来て坐禅をする。
それからしばらくして食うものがなくなると、また筆墨を背に載せて行商に出る。
彼はこの両面の生活を、ほとんど循環小数のごとく繰り返して、飽く事を知らないのだと云う。
宗助は一見こだわりの無さそうなこれらの人の月日と、自分の内面にある今の生活とを比べて、その懸隔の甚だしいのに驚ろいた。
そんな気楽な身分だから坐禅ができるのか、あるいは坐禅をした結果そういう気楽な心になれるのか迷った。
「気楽ではいけません。道楽にできるものなら、二十年も三十年も雲水をして苦しむものはありません」と宜道は云った。
彼は坐禅をするときの一般の心得や、老師から公案の出る事や、その公案に一生懸命噛りついて、朝も晩も昼も夜も噛りつづけに噛らなくてはいけない事やら、すべて今の宗助には心元なく見える助言を与えた末、「御室へ御案内しましょう」と云って立ち上がった。
囲炉裏の切ってある所を出て、本堂を横に抜けて、その外れにある六畳の座敷の障子を縁から開けて、中へ案内された時、宗助は始めて一人遠くに来た心持がした。
けれども頭の中は、周囲の幽静な趣と反照するためか、かえって町にいるときよりも動揺した。
約一時間もしたと思う頃宜道の足音がまた本堂の方から響いた。
「老師が相見になるそうでございますから、御都合が宜しければ参りましょう」と云って、丁寧に敷居の上に膝を突いた。
二人はまた寺を空にして連立って出た。
山門の通りをほぼ一丁ほど奥へ来ると、左側に蓮池があった。
寒い時分だから池の中はただ薄濁りに淀んでいるだけで、少しも清浄な趣はなかったが、向側に見える高い石の崖外れまで、縁に欄干のある座敷が突き出しているところが、文人画にでもありそうな風致を添えた。
「あすこが老師の住んでいられる所です」と宜道は比較的新らしいその建物を指した。
二人は蓮池の前を通り越して、五六級の石段を上って、その正面にある大きな伽藍の屋根を仰いだまま直左りへ切れた。
玄関へ差しかかった時、宜道は「ちょっと失礼します」と云って、自分だけ裏口の方へ回ったが、やがて奥から出て来て、「さあどうぞ」と案内をして、老師のいる所へ伴れて行った。
老師というのは五十格好に見えた。
赭黒い光沢のある顔をしていた。
その皮膚も筋肉もことごとく緊って、どこにも怠のないところが、銅像のもたらす印象を、宗助の胸に彫りつけた。
ただ唇があまり厚過ぎるので、そこに幾分の弛みが見えた。
その代り彼の眼には、普通の人間にとうてい見るべからざる一種の精彩が閃めいた。
宗助が始めてその視線に接した時は、暗中に卒然として白刃を見る思があった。
「まあ何から入っても同じであるが」と老師は宗助に向って云った。
「父母未生以前本来の面目は何だか、それを一つ考えて見たら善かろう」 宗助には父母未生以前という意味がよく分らなかったが、何しろ自分と云うものは必竟何物だか、その本体を捕まえて見ろと云う意味だろうと判断した。
それより以上口を利くには、余り禅というものの知識に乏しかったので、黙ってまた宜道に伴れられて一窓庵へ帰って来た。
晩食の時宜道は宗助に、入室の時間の朝夕二回あることと、提唱の時間が午前である事などを話した上、「今夜はまだ見解もできないかも知れませんから、明朝か明晩御誘い申しましょう」と親切に云ってくれた。
それから最初のうちは、つめて坐わるのは難儀だから線香を立てて、それで時間を計って、少しずつ休んだら好かろうと云うような注意もしてくれた。
宗助は線香を持って、本堂の前を通って自分の室ときまった六畳に這入って、ぼんやりして坐った。
彼から云うといわゆる公案なるものの性質が、いかにも自分の現在と縁の遠いような気がしてならなかった。
自分は今腹痛で悩んでいる。
その腹痛と言う訴を抱いて来て見ると、あにはからんや、その対症療法として、むずかしい数学の問題を出して、まあこれでも考えたらよかろうと云われたと一般であった。
考えろと云われれば、考えないでもないが、それは一応腹痛が治まってからの事でなくては無理であった。
同時に彼は勤を休んで、わざわざここまで来た男であった。
紹介状を書いてくれた人、万事に気をつけてくれる宜道に対しても、あまりに軽卒な振舞はできなかった。
彼はまず現在の自分が許す限りの勇気を提さげて、公案に向おうと決心した。
それがいずれのところに彼を導びいて、どんな結果を彼の心に持ち来すかは、彼自身といえども全く知らなかった。
彼は悟という美名に欺かれて、彼の平生に似合わぬ冒険を試みようと企てたのである。
そうして、もしこの冒険に成功すれば、今の不安な不定な弱々しい自分を救う事ができはしまいかと、はかない望を抱いたのである。
彼は冷たい火鉢の灰の中に細い線香を燻らして、教えられた通り座蒲団の上に半跏を組んだ。
昼のうちはさまでとは思わなかった室が、日が落ちてから急に寒くなった。
彼は坐りながら、背中のぞくぞくするほど温度の低い空気に堪えなかった。
彼は考えた。
けれども考える方向も、考える問題の実質も、ほとんど捕まえようのない空漠なものであった。
彼は考えながら、自分は非常に迂濶な真似をしているのではなかろうかと疑った。
火事見舞に行く間際に、細かい地図を出して、仔細に町名や番地を調べているよりも、ずっと飛び離れた見当違の所作を演じているごとく感じた。
彼の頭の中をいろいろなものが流れた。
そのあるものは明らかに眼に見えた。
あるものは混沌として雲のごとくに動いた。
どこから来てどこへ行くとも分らなかった。
ただ先のものが消える、すぐ後から次のものが現われた。
そうして仕切りなしにそれからそれへと続いた。
頭の往来を通るものは、無限で無数で無尽蔵で、けっして宗助の命令によって、留まる事も休む事もなかった。
断ち切ろうと思えば思うほど、滾々として湧いて出た。
宗助は怖くなって、急に日常の我を呼び起して、室の中を眺めた。
室は微かな灯で薄暗く照らされていた。
灰の中に立てた線香は、まだ半分ほどしか燃えていなかった。
宗助は恐るべく時間の長いのに始めて気がついた。
宗助はまた考え始めた。
すると、すぐ色のあるもの、形のあるものが頭の中を通り出した。
ぞろぞろと群がる蟻のごとくに動いて行く、あとからまたぞろぞろと群がる蟻のごとくに現われた。
じっとしているのはただ宗助の身体だけであった。
心は切ないほど、苦しいほど、堪えがたいほど動いた。
そのうちじっとしている身体も、膝頭から痛み始めた。
真直に延ばしていた脊髄がしだいしだいに前の方に曲って来た。
宗助は両手で左の足の甲を抱えるようにして下へおろした。
彼は何をする目的もなく室の中に立ち上がった。
障子を明けて表へ出て、門前をぐるぐる駈け回って歩きたくなった。
夜はしんとしていた。
寝ている人も起きている人もどこにもおりそうには思えなかった。
宗助は外へ出る勇気を失った。
じっと生きながら妄想に苦しめられるのはなお恐ろしかった。
彼は思い切ってまた新らしい線香を立てた。
そうしてまたほぼ前と同じ過程を繰り返した。
最後に、もし考えるのが目的だとすれば、坐って考えるのも寝て考えるのも同じだろうと分別した。
彼は室の隅に畳んであった薄汚ない蒲団を敷いて、その中に潜り込んだ。
すると先刻からの疲れで、何を考える暇もないうちに、深い眠りに落ちてしまった。
眼が覚めると枕元の障子がいつの間にか明るくなって、白い紙にやがて日の逼るべき色が動いた。
昼も留守を置かずに済む山寺は、夜に入っても戸を閉てる音を聞かなかったのである。
宗助は自分が坂井の崖下の暗い部屋に寝ていたのでないと意識するや否や、すぐ起き上がった。
縁へ出ると、軒端に高く大覇王樹の影が眼に映った。
宗助はまた本堂の仏壇の前を抜けて、囲炉裏の切ってある昨日の茶の間へ出た。
そこには昨日の通り宜道の法衣が折釘にかけてあった。
そうして本人は勝手の竈の前に蹲踞まって、火を焚いていた。
宗助を見て、「御早う」と慇懃に礼をした。
「先刻御誘い申そうと思いましたが、よく御寝のようでしたから、失礼して一人参りました」 宗助はこの若い僧が、今朝夜明がたにすでに参禅を済まして、それから帰って来て、飯を炊いでいるのだという事を知った。
見ると彼は左の手でしきりに薪を差し易えながら、右の手に黒い表紙の本を持って、用の合間合間にそれを読んでいる様子であった。
宗助は宜道に書物の名を尋ねた。
それは碧巌集というむずかしい名前のものであった。
宗助は腹の中で、昨夕のように当途もない考に耽って脳を疲らすより、いっそその道の書物でも借りて読む方が、要領を得る捷径ではなかろうかと思いついた。
宜道にそう云うと、宜道は一も二もなく宗助の考を排斥した。
「書物を読むのはごく悪うございます。有体に云うと、読書ほど修業の妨になるものは無いようです。私共でも、こうして碧巌などを読みますが、自分の程度以上のところになると、まるで見当がつきません。それを好加減に揣摩する癖がつくと、それが坐る時の妨になって、自分以上の境界を予期して見たり、悟を待ち受けて見たり、充分突込んで行くべきところに頓挫ができます。大変毒になりますから、御止しになった方がよいでしょう。もし強いて何か御読みになりたければ、禅関策進というような、人の勇気を鼓舞したり激励したりするものが宜しゅうございましょう。それだって、ただ刺戟の方便として読むだけで、道その物とは無関係です」 宗助には宜道の意味がよく解らなかった。
彼はこの生若い青い頭をした坊さんの前に立って、あたかも一個の低能児であるかのごとき心持を起した。
彼の慢心は京都以来すでに銷磨し尽していた。
彼は平凡を分として、今日まで生きて来た。
聞達ほど彼の心に遠いものはなかった。
彼はただありのままの彼として、宜道の前に立ったのである。
しかも平生の自分より遥かに無力無能な赤子であると、さらに自分を認めざるを得なくなった。
彼に取っては新らしい発見であった。
同時に自尊心を根絶するほどの発見であった。
宜道が竈の火を消して飯をむらしている間に、宗助は台所から下りて庭の井戸端へ出て顔を洗った。
鼻の先にはすぐ雑木山が見えた。
その裾の少し平な所を拓いて、菜園が拵えてあった。
宗助は濡れた頭を冷たい空気に曝して、わざと菜園まで下りて行った。
そうして、そこに崖を横に掘った大きな穴を見出した。
宗助はしばらくその前に立って、暗い奥の方を眺めていた。
やがて、茶の間へ帰ると、囲炉裏には暖かい火が起って、鉄瓶に湯の沸る音が聞えた。
「手がないものだから、つい遅くなりまして御気の毒です。すぐ御膳に致しましょう。しかしこんな所だから上げるものがなくって困ります。その代り明日あたりは御馳走に風呂でも立てましょう」と宜道が云ってくれた。
宗助はありがたく囲炉裏の向に坐った。
やがて食事を了えて、わが室へ帰った宗助は、また父母未生以前と云う稀有な問題を眼の前に据えて、じっと眺めた。
けれども、もともと筋の立たない、したがって発展のしようのない問題だから、いくら考えてもどこからも手を出す事はできなかった。
そうして、すぐ考えるのが厭になった。
宗助はふと御米にここへ着いた消息を書かなければならない事に気がついた。
彼は俗用の生じたのを喜こぶごとくに、すぐ鞄の中から巻紙と封じ袋を取り出して、御米にやる手紙を書き始めた。
まずここの閑静な事、海に近いせいか、東京よりはよほど暖かい事、空気の清朗な事、紹介された坊さんの親切な事、食事の不味い事、夜具蒲団の綺麗に行かない事、などを書き連ねているうちに、はや三尺余りの長さになったので、そこで筆を擱いたが、公案に苦しめられている事や、坐禅をして膝の関節を痛くしている事や、考えるためにますます神経衰弱が劇しくなりそうな事は、噫にも出さなかった。
彼はこの手紙に切手を貼って、ポストに入れなければならない口実を求めて、早速山を下った。
そうして父母未生以前と、御米と、安井に、脅かされながら、村の中をうろついて帰った。
午には、宜道から話のあった居士に会った。
この居士は茶碗を出して、宜道に飯を盛って貰うとき、憚かり様とも何とも云わずに、ただ合掌して礼を述べたり、相図をしたりした。
このくらい静かに物事を為るのが法だとか云った。
口を利かず、音を立てないのは、考えの邪魔になると云う精神からだそうであった。
それほど真剣にやるべきものをと、宗助は昨夜からの自分が、何となく恥ずかしく思われた。
食後三人は囲炉裏の傍でしばらく話した。
その時居士は、自分が坐禅をしながら、いつか気がつかずにうとうとと眠ってしまっていて、はっと正気に帰る間際に、おや悟ったなと喜ぶことがあるが、さていよいよ眼を開いて見ると、やっぱり元の通の自分なので失望するばかりだと云って、宗助を笑わした。
こう云う気楽な考で、参禅している人もあると思うと、宗助も多少は寛ろいだ。
けれども三人が分れ分れに自分の室に入る時、宜道が、「今夜は御誘い申しますから、これから夕方までしっかり御坐りなさいまし」と真面目に勧めたとき、宗助はまた一種の責任を感じた。
消化れない堅い団子が胃に滞おっているような不安な胸を抱いて、わが室へ帰って来た。
そうしてまた線香を焚いて坐わり出した。
その癖夕方までは坐り続けられなかった。
どんな解答にしろ一つ拵らえておかなければならないと思いながらも、しまいには根気が尽きて、早く宜道が夕食の報知に本堂を通り抜けて来てくれれば好いと、そればかり気にかかった。
日は懊悩と困憊の裡に傾むいた。
障子に映る時の影がしだいに遠くへ立ち退くにつれて、寺の空気が床の下から冷え出した。
風は朝から枝を吹かなかった。
縁側に出て、高い庇を仰ぐと、黒い瓦の小口だけが揃って、長く一列に見える外に、穏かな空が、蒼い光をわが底の方に沈めつつ、自分と薄くなって行くところであった。
十九
「危険うございます」と云って宜道は一足先へ暗い石段を下りた。
宗助はあとから続いた。
町と違って夜になると足元が悪いので、宜道は提灯を点けてわずか一丁ばかりの路を照らした。
石段を下り切ると、大きな樹の枝が左右から二人の頭に蔽い被さるように空を遮った。
闇だけれども蒼い葉の色が二人の着物の織目に染み込むほどに宗助を寒がらせた。
提灯の灯にもその色が多少映る感じがあった。
その提灯は一方に大きな樹の幹を想像するせいか、はなはだ小さく見えた。
光の地面に届く尺数もわずかであった。
照らされた部分は明るい灰色の断片となって暗い中にほっかり落ちた。
そうして二人の影が動くに伴れて動いた。
蓮池を行き過ぎて、左へ上る所は、夜はじめての宗助に取って、少し足元が滑かに行かなかった。
土の中に根を食っている石に、一二度下駄の台を引っ掛けた。
蓮池の手前から横に切れる裏路もあるが、この方は凸凹が多くて、慣れない宗助には近くても不便だろうと云うので、宜道はわざわざ広い方を案内したのである。
玄関を入ると、暗い土間に下駄がだいぶ並んでいた。
宗助は曲んで、人の履物を踏まないようにそっと上へのぼった。
室は八畳ほどの広さであった。
その壁際に列を作って、六七人の男が一側に並んでいた。
中に頭を光らして、黒い法衣を着た僧も交っていた。
他のものは大概袴を穿いていた。
この六七人の男は上り口と奥へ通ずる三尺の廊下口を残して、行儀よく鉤の手に並んでいた。
そうして、一言も口を利かなかった。
宗助はこれらの人の顔を一目見て、まずその峻刻なのに気を奪われた。
彼らは皆固く口を結んでいた。
事ありげな眉を強く寄せていた。
傍にどんな人がいるか見向きもしなかった。
いかなるものが外から入って来ても、全く注意しなかった。
彼らは活きた彫刻のように己れを持して、火の気のない室に粛然と坐っていた。
宗助の感覚には、山寺の寒さ以上に、一種厳かな気が加わった。
やがて寂寞の中に、人の足音が聞えた。
初は微かに響いたが、しだいに強く床を踏んで、宗助の坐っている方へ近づいて来た。
しまいに一人の僧が廊下口からぬっと現れた。
そうして宗助の傍を通って、黙って外の暗がりへ抜けて行った。
すると遠くの奥の方で鈴を振る音がした。
この時宗助と並んで厳粛に控えていた男のうちで、小倉の袴を着けた一人が、やはり無言のまま立ち上がって、室の隅の廊下口の真正面へ来て着座した。
そこには高さ二尺幅一尺ほどの木の枠の中に、銅鑼のような形をした、銅鑼よりも、ずっと重くて厚そうなものがかかっていた。
色は蒼黒く貧しい灯に照らされていた。
袴を着けた男は、台の上にある撞木を取り上げて、銅鑼に似た鐘の真中を二つほど打ち鳴らした。
そうして、ついと立って、廊下口を出て、奥の方へ進んで行った。
今度は前と反対に、足音がだんだん遠くの方へ去るに従って、微かになった。
そうして一番しまいにぴたりとどこかで留まった。
宗助は坐ながら、はっとした。
彼はこの袴を着けた男の身の上に、今何事が起りつつあるだろうかを想像したのである。
けれども奥はしんとして静まり返っていた。
宗助と並んでいるものも、一人として顔の筋肉を動かすものはなかった。
ただ宗助は心の中で、奥からの何物かを待ち受けた。
すると忽然として鈴を振る響が彼の耳に応えた。
同時に長い廊下を踏んで、こちらへ近づく足音がした。
袴を着けた男はまた廊下口から現われて、無言のまま玄関を下りて、霜の裡に消え去った。
入れ代ってまた新らしい男が立って、最前の鐘を打った。
そうして、また廊下を踏み鳴らして奥の方へ行った。
宗助は沈黙の間に行われるこの順序を見ながら、膝に手を載せて、自分の番の来るのを待っていた。
自分より一人置いて前の男が立って行った時は、ややしばらくしてから、わっと云う大きな声が、奥の方で聞えた。
その声は距離が遠いので、劇しく宗助の鼓膜を打つほど、強くは響かなかったけれども、たしかに精一杯威を振ったものであった。
そうしてただ一人の咽喉から出た個人の特色を帯びていた。
自分のすぐ前の人が立った時は、いよいよわが番が回って来たと云う意識に制せられて、一層落ちつきを失った。
宗助はこの間の公案に対して、自分だけの解答は準備していた。
けれども、それははなはだ覚束ない薄手のものに過ぎなかった。
室中に入る以上は、何か見解を呈しない訳に行かないので、やむを得ず納まらないところを、わざと納まったように取繕った、その場限りの挨拶であった。
彼はこの心細い解答で、僥倖にも難関を通過して見たいなどとは、夢にも思い設けなかった。
老師をごまかす気は無論なかった。
その時の宗助はもう少し真面目であったのである。
単に頭から割り出した、あたかも画にかいた餅のような代物を持って、義理にも室中に入らなければならない自分の空虚な事を恥じたのである。
宗助は人のするごとくに鐘を打った。
しかも打ちながら、自分は人並にこの鐘を撞木で敲くべき権能がないのを知っていた。
それを人並に鳴らして見る猿のごとき己れを深く嫌忌した。
彼は弱味のある自分に恐れを抱きつつ、入口を出て冷たい廊下へ足を踏み出した。
廊下は長く続いた。
右側にある室はことごとく暗かった。
角を二つ折れ曲ると、向の外れの障子に灯影が差した。
宗助はその敷居際へ来て留まった。
室中に入るものは老師に向って三拝するのが礼であった。
拝しかたは普通の挨拶のように頭を畳に近く下げると同時に、両手の掌を上向に開いて、それを頭の左右に並べたまま、少し物を抱えた心持に耳の辺まで上げるのである。
宗助は敷居際に跪ずいて形のごとく拝を行なった。
すると座敷の中で、「一拝で宜しい」と云う会釈があった。
宗助はあとを略して中へ入った。
室の中はただ薄暗い灯に照らされていた。
その弱い光は、いかに大字な書物をも披見せしめぬ程度のものであった。
宗助は今日までの経験に訴えて、これくらい微かな灯火に、夜を営なむ人間を憶い起す事ができなかった。
その光は無論月よりも強かった。
かつ月のごとく蒼白い色ではなかった。
けれどももう少しで朦朧の境に沈むべき性質のものであった。
この静かな判然しない灯火の力で、宗助は自分を去る四五尺の正面に、宜道のいわゆる老師なるものを認めた。
彼の顔は例によって鋳物のように動かなかった。
色は銅であった。
彼は全身に渋に似た柿に似た茶に似た色の法衣を纏っていた。
足も手も見えなかった。
ただ頸から上が見えた。
その頸から上が、厳粛と緊張の極度に安んじて、いつまで経っても変る恐を有せざるごとくに人を魅した。
そうして頭には一本の毛もなかった。
この面前に気力なく坐った宗助の、口にした言葉はただ一句で尽きた。
「もっと、ぎろりとしたところを持って来なければ駄目だ」とたちまち云われた。
「そのくらいな事は少し学問をしたものなら誰でも云える」 宗助は喪家の犬のごとく室中を退いた。
後に鈴を振る音が烈しく響いた。
二十
障子の外で野中さん、野中さんと呼ぶ声が二度ほど聞えた。
宗助は半睡の裡にはいと応えたつもりであったが、返事を仕切らない先に、早く知覚を失って、また正体なく寝入ってしまった。
二度目に眼が覚めた時、彼は驚ろいて飛び起きた。
縁側へ出ると、宜道が鼠木綿の着物に襷を掛けて、甲斐甲斐しくそこいらを拭いていた。
赤く凍んだ手で、濡雑巾を絞りながら、例のごとく柔和しいにこやかな顔をして、「御早う」と挨拶した。
彼は今朝もまたとくに参禅を済ました後、こうして庵に帰って働いていたのである。
宗助はわざわざ呼び起されても起き得なかった自分の怠慢を省みて、全くきまりの悪い思をした。
「今朝もつい寝忘れて失礼しました」 彼はこそこそ勝手口から井戸端の方へ出た。
そうして冷たい水を汲んでできるだけ早く顔を洗った。
延びかかった髯が、頬の辺で手を刺すようにざらざらしたが、今の宗助にはそれを苦にするほどの余裕はなかった。
彼はしきりに宜道と自分とを対照して考えた。
紹介状を貰うときに東京で聞いたところによると、この宜道という坊さんは、大変性質のいい男で、今では修業もだいぶでき上がっていると云う話だったが、会って見ると、まるで一丁字もない小廝のように丁寧であった。
こうして襷掛で働いているところを見ると、どうしても一個の独立した庵の主人らしくはなかった。
納所とも小坊主とも云えた。
この矮小な若僧は、まだ出家をしない前、ただの俗人としてここへ修業に来た時、七日の間結跏したぎり少しも動かなかったのである。
しまいには足が痛んで腰が立たなくなって、厠へ上る折などは、やっとの事壁伝いに身体を運んだのである。
その時分の彼は彫刻家であった。
見性した日に、嬉しさの余り、裏の山へ馳け上って、草木国土悉皆成仏と大きな声を出して叫んだ。
そうしてついに頭を剃ってしまった。
この庵を預かるようになってから、もう二年になるが、まだ本式に床を延べて、楽に足を延ばして寝た事はないと云った。
冬でも着物のまま壁に倚れて坐睡するだけだと云った。
侍者をしていた頃などは、老師の犢鼻褌まで洗わせられたと云った。
その上少しの暇を偸んで坐りでもすると、後から来て意地の悪い邪魔をされる、毒吐かれる、頭の剃り立てには何の因果で坊主になったかと悔む事が多かったと云った。
「ようやくこの頃になって少し楽になりました。しかしまだ先がございます。修業は実際苦しいものです。そう容易にできるものなら、いくら私共が馬鹿だって、こうして十年も二十年も苦しむ訳がございません」 宗助はただ惘然とした。
自己の根気と精力の足らない事をはがゆく思う上に、それほど歳月を掛けなければ成就できないものなら、自分は何しにこの山の中までやって来たか、それからが第一の矛盾であった。
「けっして損になる気遣はございません。十分坐れば、十分の功があり、二十分坐れば二十分の徳があるのは無論です。その上最初を一つ奇麗にぶち抜いておけば、あとはこう云う風に始終ここにおいでにならないでも済みますから」 宗助は義理にもまた自分の室へ帰って坐らなければならなかった。
こんな時に宜道が来て、「野中さん提唱です」と誘ってくれると、宗助は心から嬉しい気がした。
彼は禿頭を捕まえるような手の着けどころのない難題に悩まされて、坐ながらじっと煩悶するのを、いかにも切なく思った。
どんなに精力を消耗する仕事でもいいから、もう少し積極的に身体を働らかしたく思った。
提唱のある場所は、やはり一窓庵から一町も隔っていた。
蓮池の前を通り越して、それを左へ曲らずに真直に突き当ると、屋根瓦を厳めしく重ねた高い軒が、松の間に仰がれた。
宜道は懐に黒い表紙の本を入れていた。
宗助は無論手ぶらであった。
提唱と云うのが、学校でいう講義の意味である事さえ、ここへ来て始めて知った。
室は高い天井に比例して広くかつ寒かった。
色の変った畳の色が古い柱と映り合って、昔を物語るように寂び果てていた。
そこに坐っている人々も皆地味に見えた。
席次不同に思い思いの座を占めてはいるが、高声に語るもの、笑うものは一人もなかった。
僧は皆紺麻の法衣を着て、正面の曲※の左右に列を作って向い合せに並んだ。
その曲※は朱で塗ってあった。
やがて老師が現われた。
畳を見つめていた宗助には、彼がどこを通って、どこからここへ出たかさっぱり分らなかった。
ただ彼の落ちつき払って曲※に倚る重々しい姿を見た。
一人の若い僧が立ちながら、紫の袱紗を解いて、中から取り出した書物を、恭しく卓上に置くところを見た。
またその礼拝して退ぞく態を見た。
この時堂上の僧は一斉に合掌して、夢窓国師の遺誡を誦し始めた。
思い思いに席を取った宗助の前後にいる居士も皆同音に調子を合せた。
聞いていると、経文のような、普通の言葉のような、一種の節を帯びた文字であった。
「我に三等の弟子あり。いわゆる猛烈にして諸縁を放下し、専一に己事を究明するこれを上等と名づく。修業純ならず駁雑学を好む、これを中等と云う」と云々という、余り長くはないものであった。
宗助は始め夢窓国師の何人なるかを知らなかった。
宜道からこの夢窓国師と大燈国師とは、禅門中興の祖であると云う事を教わったのである。
平生跛で充分に足を組む事ができないのを憤って、死ぬ間際に、今日こそおれの意のごとくにして見せると云いながら、悪い方の足を無理に折っぺしょって、結跏したため、血が流れて法衣を煮染ましたという大燈国師の話もその折宜道から聞いた。
やがて提唱が始まった。
宜道は懐から例の書物を出して、頁を半ば擦らして宗助の前へ置いた。
それは宗門無尽燈論と云う書物であった。
始めて聞きに出た時、宜道は、「ありがたい結構な本です」と宗助に教えてくれた。
白隠和尚の弟子の東嶺和尚とかいう人の編輯したもので、重に禅を修行するものが、浅い所から深い所へ進んで行く径路やら、それに伴なう心境の変化やらを秩序立てて書いたものらしかった。
中途から顔を出した宗助には、よくも解せなかったけれども、講者は能弁の方で、黙って聞いているうちに、大変面白いところがあった。
その上参禅の士を鼓舞するためか、古来からこの道に苦しんだ人の閲歴譚などを取り交ぜて、一段の精彩を着けるのが例であった。
この日もその通りであったが、或所へ来ると、突然語調を改めて、「この頃室中に来って、どうも妄想が起っていけないなどと訴えるものがあるが」と急に入室者の不熱心を戒しめ出したので、宗助は覚えずぎくりとした。
室中に入って、その訴をなしたものは実に彼自身であった。
一時間の後宜道と宗助は袖をつらねてまた一窓庵に帰った。
その帰り路に宜道は、「ああして提唱のある時に、よく参禅者の不心得を諷せられます」と云った。
宗助は何も答えなかった。
二十一
そのうち、山の中の日は、一日一日と経った。
御米からはかなり長い手紙がもう二本来た。
もっとも二本とも新たに宗助の心を乱すような心配事は書いてなかった。
宗助は常の細君思いに似ずついに返事を出すのを怠った。
彼は山を出る前に、何とかこの間の問題に片をつけなければ、せっかく来た甲斐がないような、また宜道に対してすまないような気がしていた。
眼が覚めている時は、これがために名状しがたい一種の圧迫を受けつづけに受けた。
したがって日が暮れて夜が明けて、寺で見る太陽の数が重なるにつけて、あたかも後から追いかけられでもするごとく気を焦った。
けれども彼は最初の解決よりほかに、一歩もこの問題にちかづく術を知らなかった。
彼はまたいくら考えてもこの最初の解決は確なものであると信じていた。
ただ理窟から割り出したのだから、腹の足にはいっこうならなかった。
彼はこの確なものを放り出して、さらにまた確なものを求めようとした。
けれどもそんなものは少しも出て来なかった。
彼は自分の室で独り考えた。
疲れると、台所から下りて、裏の菜園へ出た。
そうして崖の下に掘った横穴の中へ這入って、じっと動かずにいた。
宜道は気が散るようでは駄目だと云った。
だんだん集注して凝り固まって、しまいに鉄の棒のようにならなくては駄目だと云った。
そう云う事を聞けば聞くほど、実際にそうなるのが、困難になった。
「すでに頭の中に、そうしようと云う下心があるからいけないのです」と宜道がまた云って聞かした。
宗助はいよいよ窮した。
忽然安井の事を考え出した。
安井がもし坂井の家へ頻繁に出入でもするようになって、当分満洲へ帰らないとすれば、今のうちあの借家を引き上げて、どこかへ転宅するのが上分別だろう。
こんな所にぐずぐずしているより、早く東京へ帰ってその方の所置をつけた方がまだ実際的かも知れない。
緩くり構えて、御米にでも知れるとまた心配が殖えるだけだと思った。
「私のようなものにはとうてい悟は開かれそうに有りません」と思いつめたように宜道を捕まえて云った。
それは帰る二三日前の事であった。
「いえ信念さえあれば誰でも悟れます」と宜道は躊躇もなく答えた。
「法華の凝り固まりが夢中に太鼓を叩くようにやって御覧なさい。頭の巓辺から足の爪先までがことごとく公案で充実したとき、俄然として新天地が現前するのでございます」 宗助は自分の境遇やら性質が、それほど盲目的に猛烈な働をあえてするに適しない事を深く悲しんだ。
いわんや自分のこの山で暮らすべき日はすでに限られていた。
彼は直截に生活の葛藤を切り払うつもりで、かえって迂濶に山の中へ迷い込んだ愚物であった。
彼は腹の中でこう考えながら、宜道の面前で、それだけの事を言い切る力がなかった。
彼は心からこの若い禅僧の勇気と熱心と真面目と親切とに敬意を表していたのである。
「道は近きにあり、かえってこれを遠きに求むという言葉があるが実際です。つい鼻の先にあるのですけれども、どうしても気がつきません」と宜道はさも残念そうであった。
宗助はまた自分の室に退いて線香を立てた。
こう云う状態は、不幸にして宗助の山を去らなければならない日まで、目に立つほどの新生面を開く機会なく続いた。
いよいよ出立の朝になって宗助は潔よく未練を抛げ棄てた。
「永々御世話になりました。残念ですが、どうも仕方がありません。もう当分御眼にかかる折もございますまいから、随分御機嫌よう」と宜道に挨拶をした。
宜道は気の毒そうであった。
「御世話どころか、万事不行届でさぞ御窮屈でございましたろう。しかしこれほど御坐りになってもだいぶ違います。わざわざおいでになっただけの事は充分ございます」と云った。
しかし宗助にはまるで時間を潰しに来たような自覚が明らかにあった。
それをこう取り繕ろって云って貰うのも、自分の腑甲斐なさからであると、独り恥じ入った。
「悟の遅速は全く人の性質で、それだけでは優劣にはなりません。入りやすくても後で塞えて動かない人もありますし、また初め長く掛かっても、いよいよと云う場合に非常に痛快にできるのもあります。けっして失望なさる事はございません。ただ熱心が大切です。亡くなられた洪川和尚などは、もと儒教をやられて、中年からの修業でございましたが、僧になってから三年の間と云うものまるで一則も通らなかったです。それで私は業が深くて悟れないのだと云って、毎朝厠に向って礼拝されたくらいでありましたが、後にはあのような知識になられました。これなどはもっとも好い例です」 宜道はこんな話をして、暗に宗助が東京へ帰ってからも、全くこの方を断念しないようにあらかじめ間接の注意を与えるように見えた。
宗助は謹んで、宜道のいう事に耳を借した。
けれども腹の中では大事がもうすでに半分去ったごとくに感じた。
自分は門を開けて貰いに来た。
けれども門番は扉の向側にいて、敲いてもついに顔さえ出してくれなかった。
ただ、「敲いても駄目だ。独りで開けて入れ」と云う声が聞えただけであった。
彼はどうしたらこの門の閂を開ける事ができるかを考えた。
そうしてその手段と方法を明らかに頭の中で拵えた。
けれどもそれを実地に開ける力は、少しも養成する事ができなかった。
したがって自分の立っている場所は、この問題を考えない昔と毫も異なるところがなかった。
彼は依然として無能無力に鎖ざされた扉の前に取り残された。
彼は平生自分の分別を便に生きて来た。
その分別が今は彼に祟ったのを口惜く思った。
そうして始から取捨も商量も容れない愚なものの一徹一図を羨んだ。
もしくは信念に篤い善男善女の、知慧も忘れ思議も浮ばぬ精進の程度を崇高と仰いだ。
彼自身は長く門外に佇立むべき運命をもって生れて来たものらしかった。
それは是非もなかった。
けれども、どうせ通れない門なら、わざわざそこまで辿りつくのが矛盾であった。
彼は後を顧みた。
そうしてとうていまた元の路へ引き返す勇気を有たなかった。
彼は前を眺めた。
前には堅固な扉がいつまでも展望を遮ぎっていた。
彼は門を通る人ではなかった。
また門を通らないで済む人でもなかった。
要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。
宗助は立つ前に、宜道と連れだって、老師の許へちょっと暇乞に行った。
老師は二人を蓮池の上の、縁に勾欄の着いた座敷に通した。
宜道は自ら次の間に立って、茶を入れて出た。
「東京はまだ寒いでしょう」と老師が云った。
「少しでも手がかりができてからだと、帰ったあとも楽だけれども。惜しい事で」 宗助は老師のこの挨拶に対して、丁寧に礼を述べて、また十日前に潜った山門を出た。
甍を圧する杉の色が、冬を封じて黒く彼の後に聳えた。
二十二
家の敷居を跨いだ宗助は、己れにさえ憫然な姿を描いた。
彼は過去十日間毎朝頭を冷水で濡らしたなり、いまだかつて櫛の歯を通した事がなかった。
髭は固より剃る暇を有たなかった。
三度とも宜道の好意で白米の炊いだのを食べたには食べたが、副食物と云っては、菜の煮たのか、大根の煮たのぐらいなものであった。
彼の顔は自から蒼かった。
出る前よりも多少面窶れていた。
その上彼は一窓庵で考えつづけに考えた習慣がまだ全く抜け切らなかった。
どこかに卵を抱く牝鶏のような心持が残って、頭が平生の通り自由に働らかなかった。
その癖一方では坂井の事が気にかかった。
坂井と云うよりも、坂井のいわゆる冒険者として宗助の耳に響いたその弟と、その弟の友達として彼の胸を騒がした安井の消息が気にかかった。
けれども彼は自身に家主の宅へ出向いて、それを聞き糺す勇気を有たなかった。
間接にそれを御米に問うことはなおできなかった。
彼は山にいる間さえ、御米がこの事件について何事も耳にしてくれなければいいがと気遣わない日はなかったくらいである。
宗助は年来住み慣れた家の座敷に坐って、「汽車に乗ると短かい道中でも気のせいか疲れるね。留守中に別段変った事はなかったかい」と聞いた。
実際彼は短かい汽車旅行にさえ堪えかねる顔つきをしていた。
御米はいかな場合にも夫の前に忘れなかった笑顔さえ作り得なかった。
と云って、せっかく保養に行った転地先から今帰って来たばかりの夫に、行かない前よりかえって健康が悪くなったらしいとは、気の毒で露骨に話し悪かった。
わざと活溌に、「いくら保養でも、家へ帰ると、少しは気疲が出るものよ。けれどもあなたは余まり爺々汚いわ。後生だから一休したら御湯に行って頭を刈って髭を剃って来てちょうだい」と云いながら、わざわざ机の引出から小さな鏡を出して見せた。
宗助は御米の言葉を聞いて、始めて一窓庵の空気を風で払ったような心持がした。
一たび山を出て家へ帰ればやはり元の宗助であった。
「坂井さんからはその後何とも云って来ないかい」「いいえ何とも」「小六の事も」「いいえ」 その小六は図書館へ行って留守だった。
宗助は手拭と石鹸を持って外へ出た。
明る日役所へ出ると、みんなから病気はどうだと聞かれた。
中には少し瘠せたようですねと云うものもあった。
宗助にはそれが無意識の冷評の意味に聞えた。
菜根譚を読む男はただどうです旨く行きましたかと尋ねた。
宗助はこの問にもだいぶ痛い思をした。
その晩はまた御米と小六から代る代る鎌倉の事を根掘り葉掘り問われた。
「気楽でしょうね。留守居も何もおかないで出られたら」と御米が云った。
「それで一日いくら出すと置いてくれるんです」と小六が聞いた。
「鉄砲でも担いで行って、猟でもしたら面白かろう」とも云った。
「しかし退屈ね。そんなに淋しくっちゃ。朝から晩まで寝ていらっしゃる訳にも行かないでしょう」と御米がまた云った。
「もう少し滋養物が食える所でなくっちゃあ、やっぱり身体によくないでしょう」と小六がまた云った。
宗助はその夜床の中へ入って、明日こそ思い切って、坂井へ行って安井の消息をそれとなく聞き糺して、もし彼がまだ東京にいて、なおしばしば坂井と往復があるようなら、遠くの方へ引越してしまおうと考えた。
次の日は平凡に宗助の頭を照らして、事なき光を西に落した。
夜に入って彼は、「ちょっと坂井さんまで行って来る」と云い捨てて門を出た。
月のない坂を上って、瓦斯灯に照らされた砂利を鳴らしながら潜戸を開けた時、彼は今夜ここで安井に落ち合うような万一はまず起らないだろうと度胸を据えた。
それでもわざと勝手口へ回って、御客来ですかと聞くことは忘れなかった。
「よくおいでです。どうも相変らず寒いじゃありませんか」と云う常の通り元気の好い主人を見ると、子供を大勢自分の前へ並べて、その中の一人と掛声をかけながら、じゃん拳をやっていた。
相手の女の子の年は、六つばかりに見えた。
赤い幅のあるリボンを蝶々のように頭の上にくっつけて、主人に負けないほどの勢で、小さな手を握り固めてさっと前へ出した。
その断然たる様子と、その握り拳の小ささと、これに反して主人の仰山らしく大きな拳骨が、対照になって皆の笑を惹いた。
火鉢の傍に見ていた細君は、「そら今度こそ雪子の勝だ」と云って愉快そうに綺麗な歯を露わした。
子供の膝の傍には白だの赤だの藍だのの硝子玉がたくさんあった。
主人は、「とうとう雪子に負けた」と席を外して、宗助の方を向いたが、「どうですまた洞窟へでも引き込みますかな」と云って立ち上がった。
書斎の柱には、例のごとく錦の袋に入れた蒙古刀が振ら下がっていた。
花活にはどこで咲いたか、もう黄色い菜の花が挿してあった。
宗助は床柱の中途を華やかに彩どる袋に眼を着けて、「相変らず掛かっておりますな」と云った。
そうして主人の気色を頭の奥から窺った。
主人は、「ええちと物数奇過ぎますね、蒙古刀は」と答えた。
「ところが弟の野郎そんな玩具を持って来ては、兄貴を籠絡するつもりだから困りものじゃありませんか」「御舎弟はその後どうなさいました」と宗助は何気ない風を示した。
「ええようやく四五日前帰りました。ありゃ全く蒙古向ですね。御前のような夷狄は東京にゃ調和しないから早く帰れったら、私もそう思うって帰って行きました。どうしても、ありゃ万里の長城の向側にいるべき人物ですよ。そうしてゴビの沙漠の中で金剛石でも捜していればいいんです」「もう一人の御伴侶は」「安井ですか、あれも無論いっしょです。ああなると落ちついちゃいられないと見えますね。何でも元は京都大学にいたこともあるんだとか云う話ですが。どうして、ああ変化したものですかね」 宗助は腋の下から汗が出た。
安井がどう変って、どう落ちつかないのか、全く聞く気にはならなかった。
ただ自分が主人に安井と同じ大学にいた事を、まだ洩らさなかったのを天祐のようにありがたく思った。
けれども主人はその弟と安井とを晩餐に呼ぶとき、自分をこの二人に紹介しようと申し出た男である。
辞退をしてその席へ顔を出す不面目だけはやっと免かれたようなものの、その晩主人が何かの機会につい自分の名を二人に洩らさないとは限らなかった。
宗助は後暗い人の、変名を用いて世を渡る便利を切に感じた。
彼は主人に向って、「あなたはもしや私の名を安井の前で口にしやしませんか」と聞いて見たくて堪らなかった。
けれども、それだけはどうしても聞けなかった。
下女が平たい大きな菓子皿に妙な菓子を盛って出た。
一丁の豆腐ぐらいな大きさの金玉糖の中に、金魚が二疋透いて見えるのを、そのまま庖丁の刃を入れて、元の形を崩さずに、皿に移したものであった。
宗助は一目見て、ただ珍らしいと感じた。
けれども彼の頭はむしろ他の方面に気を奪われていた。
すると主人が、「どうです一つ」と例の通りまず自分から手を出した。
「これはね、昨日ある人の銀婚式に呼ばれて、貰って来たのだから、すこぶるおめでたいのです。あなたも一切ぐらい肖ってもいいでしょう」 主人は肖りたい名の下に、甘垂るい金玉糖を幾切か頬張った。
これは酒も呑み、茶も呑み、飯も菓子も食えるようにできた、重宝で健康な男であった。
「何実を云うと、二十年も三十年も夫婦が皺だらけになって生きていたって、別におめでたくもありませんが、そこが物は比較的なところでね。私はいつか清水谷の公園の前を通って驚ろいた事がある」と変な方面へ話を持って行った。
こういう風に、それからそれへと客を飽かせないように引張って行くのが、社交になれた主人の平生の調子であった。
彼の云うところによると、清水谷から弁慶橋へ通じる泥溝のような細い流の中に、春先になると無数の蛙が生れるのだそうである。
その蛙が押し合い鳴き合って生長するうちに、幾百組か幾千組の恋が泥渠の中で成立する。
そうしてそれらの愛に生きるものが重ならないばかりに隙間なく清水谷から弁慶橋へ続いて、互に睦まじく浮いていると、通り掛りの小僧だの閑人が、石を打ちつけて、無残にも蛙の夫婦を殺して行くものだから、その数がほとんど勘定し切れないほど多くなるのだそうである。
「死屍累々とはあの事ですね。それが皆夫婦なんだから実際気の毒ですよ。つまりあすこを二三丁通るうちに、我々は悲劇にいくつ出逢うか分らないんです。それを考えると御互は実に幸福でさあ。夫婦になってるのが悪らしいって、石で頭を破られる恐れは、まあ無いですからね。しかも双方ともに二十年も三十年も安全なら、全くおめでたいに違ありませんよ。だから一切ぐらい肖っておく必要もあるでしょう」と云って、主人はわざと箸で金玉糖を挟んで、宗助の前に出した。
宗助は苦笑しながら、それを受けた。
こんな冗談交りの話を、主人はいくらでも続けるので、宗助はやむを得ず或る辺までは釣られて行った。
けれども腹の中はけっして主人のように太平楽には行かなかった。
辞して表へ出て、また月のない空を眺めた時は、その深く黒い色の下に、何とも知れない一種の悲哀と物凄さを感じた。
彼は坂井の家に、ただいやしくも免かれんとする料簡で行った。
そうして、その目的を達するために、恥と不愉快を忍んで、好意と真率の気に充ちた主人に対して、政略的に談話を駆った。
しかも知ろうと思う事はことごとく知る事ができなかった。
己れの弱点に付いては、一言も彼の前に自白するの勇気も必要も認めなかった。
彼の頭を掠めんとした雨雲は、辛うじて、頭に触れずに過ぎたらしかった。
けれども、これに似た不安はこれから先何度でも、いろいろな程度において、繰り返さなければすまないような虫の知らせがどこかにあった。
それを繰り返させるのは天の事であった。
それを逃げて回るのは宗助の事であった。
二十三
月が変ってから寒さがだいぶ緩んだ。
官吏の増俸問題につれて必然起るべく、多数の噂に上った局員課員の淘汰も、月末までにほぼ片づいた。
その間ぽつりぽつりと首を斬られる知人や未知人の名前を絶えず耳にした宗助は、時々家へ帰って御米に、「今度はおれの番かも知れない」と云う事があった。
御米はそれを冗談とも聞き、また本気とも聞いた。
まれには隠れた未来を故意に呼び出す不吉な言葉とも解釈した。
それを口にする宗助の胸の中にも、御米と同じような雲が去来した。
月が改って、役所の動揺もこれで一段落だと沙汰せられた時、宗助は生き残った自分の運命を顧りみて、当然のようにも思った。
また偶然のようにも思った。
立ちながら、御米を見下して、「まあ助かった」とむずかし気に云った。
その嬉しくも悲しくもない様子が、御米には天から落ちた滑稽に見えた。
また二三日して宗助の月給が五円昇った。
「原則通り二割五分増さないでも仕方があるまい。休められた人も、元給のままでいる人もたくさんあるんだから」と云った宗助は、この五円に自己以上の価値をもたらし帰ったごとく満足の色を見せた。
御米は無論の事心のうちに不足を訴えるべき余地を見出さなかった。
翌日の晩宗助はわが膳の上に頭つきの魚の、尾を皿の外に躍らす態を眺めた。
小豆の色に染まった飯の香を嗅いだ。
御米はわざわざ清をやって、坂井の家に引き移った小六を招いた。
小六は、「やあ御馳走だなあ」と云って勝手から入って来た。
梅がちらほらと眼に入るようになった。
早いのはすでに色を失なって散りかけた。
雨は煙るように降り始めた。
それが霽れて、日に蒸されるとき、地面からも、屋根からも、春の記憶を新にすべき湿気がむらむらと立ち上った。
背戸に干した雨傘に、小犬がじゃれかかって、蛇の目の色がきらきらする所に陽炎が燃えるごとく長閑に思われる日もあった。
「ようやく冬が過ぎたようね。あなた今度の土曜に佐伯の叔母さんのところへ回って、小六さんの事をきめていらっしゃいよ。あんまりいつまでも放っておくと、また安さんが忘れてしまうから」と御米が催促した。
宗助は、「うん、思い切って行って来よう」と答えた。
小六は坂井の好意で、そこの書生に住み込んだ。
その上に宗助と安之助が、不足のところを分担する事ができたらと小六に云って聞かしたのは、宗助自身であった。
小六は兄の運動を待たずに、すぐ安之助に直談判をした。
そうして、形式的に宗助の方から依頼すればすぐ安之助が引き受けるまでに自分で埒を明けたのである。
小康はかくして事を好まない夫婦の上に落ちた。
ある日曜の午宗助は久しぶりに、四日目の垢を流すため横町の洗場に行ったら、五十ばかりの頭を剃った男と、三十代の商人らしい男が、ようやく春らしくなったと云って、時候の挨拶を取り換わしていた。
若い方が、今朝始めて鶯の鳴声を聞いたと話すと、坊さんの方が、私は二三日前にも一度聞いた事があると答えていた。
「まだ鳴きはじめだから下手だね」「ええ、まだ充分に舌が回りません」 宗助は家へ帰って御米にこの鶯の問答を繰り返して聞かせた。
御米は障子の硝子に映る麗かな日影をすかして見て、「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉を張った。
宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。