10/10

10
佐伯さえき叔母おば安之助やすのすけその後そのあととんと宗助そうすけたく見えみえなかっ
宗助そうすけ固よりもとより麹町こうじまち行くいく余暇よかゆうなかっ
またそれだけ興味きょうみなかっ
親類しんるい云いいいながら別々べつべつ二人ふたりいえ照らしてらし
ただ小六しょうろくだけ時々ときどき話しはなし出かけるでかける様子ようすあっこれとてもそう繁々しげしげあし運ぶはこぶわけないらしかっ
それかれ帰っかえっ叔母おばいえ消息しょうそくほとんどべい語らかたらないつねおっ
べいこれ故意こいから出るでる小六しょうろく仕打しうち疑っうたがっ
しかし自分じぶん佐伯さえき対したいし特別とくべつ利害りがい感じかんじない以上いじょうべい叔母おば動静どうせいみみないほうかえって喜こんよろこん
それ時々ときどき先方せんぽう様子ようす小六しょうろくあに対話たいわから聞き込むききこむことあっ
いち週間しゅうかんほどまえ小六しょうろくあに安之助やすのすけまたしん発明はつめい応用おうよう苦心くしんいるはなし
それしるし助けたすけ借らからない鮮明せんめい印刷物いんさつぶつ拵らえるこしらえる云ういうちょっと聞くきくすこぶる重宝ちょうほう器械きかいついあっ
話題わだい性質せいしつから云っいっ自分じぶん全くまったく利害りがい交渉こうしょうないむずかしいことべいれい通りとおり黙っだまっくち出さださ宗助そうすけおとこだけ幾分いくぶん好奇心こうきしん動いうごい見えみえどうしるし使わつかわ印刷いんさつできるなど問いとい糺しただし
専門せんもんうえ知識ちしきない小六しょうろく精密せいみつ返答へんとう得るうるはず無論むろんなかっ
かれただ安之助やすのすけから聞いきいまま覚えおぼえいる限りかぎりねん入れいれ説明せつめい
この印刷いんさつじゅつ近来きんらい英国えいこく発明はつめいなっもの根本的こんぽんてきいうやはり電気でんき利用りよう過ぎすぎなかっ
電気でんきいちきょく活字かつじ結びつけむすびつけおいほかいちきょくかみ通じつうじそのかみ活字かつじうえ圧しおしつけさえすれすぐできる小六しょうろく云っいっ
いろ普通ふつうくろある手加減てかげんしだいあかあおなるから色刷いろずりなど場合ばあい絵の具えのぐ乾かすかわかす時間じかん省けるはぶけるだけ大変たいへん重宝ちょうほうこれ新聞しんぶん応用おうようすれしるししるしロールろーる節約せつやくするうえ全体ぜんたいから云っいっ少くすくなくとも従来じゅうらいよんぶんいち手数てすうなくなるてんから前途ぜんと非常ひじょう有望ゆうぼう事業じぎょうある小六しょうろくまた安之助やすのすけ話しはなし通りとおり繰り返しくりかえし
そうその有望ゆうぼう前途ぜんと安之助やすのすけすでになか握っにぎっごとき口気こうきあっ
かつその多望たぼう安之助やすのすけ未来みらいなか同じくおなじく多望たぼう自分じぶんかげ含まふくまいるよう輝やかしかがやかし
その宗助そうすけいつも調子ちょうしむしろ穏やかおだやかおとうと云ういうこと聞いきい聞いきいしまっあとべつこれいう立ったっ批評ひひょう加えくわえなかっ
実際じっさいこんな発明はつめい宗助そうすけから見るみる本当ほんとうようありまたうそようありいよいよそれ世間せけん行わおこなわれるまで賛成さんせい反対はんたいできかねある
じゃ鰹船かつおせんほうもう止しよし今までいままで黙っだまっべいこの始めはじめくち出しだし
止しよしじゃないですあのほう費用ひよう随分ずいぶんかかるいくら便利べんりそうだれかれ拵えるこしらえるわけ行かいかないそうです小六しょうろく答えこたえ
小六しょうろく幾分いくぶん安之助やすのすけ利害りがい代表だいひょういるようくちぶりあっ
それからさんひとしばらく談話だんわ交換こうかんしまいやっぱりなんたってそう旨くうまく行くいくもんじゃあるまい云っいっ宗助そうすけ言葉ことば坂井さかいさんようきんあっ遊んあそんいる一番いちばんいい云っいっべい言葉ことば聞いきい小六しょうろくまた自分じぶん部屋へや帰っかえっ行っいっ
こう云ういう機会きかい佐伯さえき消息しょうそく折々おりおり夫婦ふうふみみ洩れるもれることあるそのほか全くまったくなん暮らしくらしいるたがい知らしらない過すすごす月日つきひ多かっおおかっ
あるべい宗助そうすけこんなもん掛けかけ
小六しょうろくさんあんさんところ行くいくたんび小遣こづかい貰っもらっ来るくるでしょう 今までいままで小六しょうろくついそれほど注意ちゅうい払っはらっなかっ宗助そうすけ突然とつぜんこのもん逢っあっすぐなぜ聞き返しききかえし
べいしばらく逡巡しゅんじゅんすえってこの頃このごろよく御酒おさけ呑んのん帰っかえっ来るくることある注意ちゅうい
あんさんれい発明はつめい金儲けかねもうけはなしするときその聞きききちん奢るおごる知れしれない云っいっ宗助そうすけ笑っわらっ
会話かいわそれなりつい発展はってんしまっ
越えこえさん夕方ゆうがた小六しょうろくまた飯時めしどき外しはずし帰っかえっなかっ
しばらく待ち合せまちあわせ宗助そうすけついに空腹くうふく云いいい出しだしちょっと行っいっ時間じかん延ばしのばしたらいうべい小六しょうろく対するたいする気兼きがね頓着とんちゃくなく食事しょくじ始めはじめ
そのべいおっと小六しょうろくさん御酒おさけ止めるとめるようあなたから云っいっちゃいけなくっ切り出しきりだし
そんな意見いけんなけれならないほど飲むのむ宗助そうすけ少しすこし案外あんがいかお
べいそれほどない弁護べんごなけれならなかっ
けれど実際じっさいだれない昼間ひるまうちなどあまりかお赤くあかく帰っかえっられる不安ふあんだっある
宗助そうすけそれなり放っはなっおい
しかしはらなかはたしてべい云ういうごとくどこきん借りるかりる貰うもらうそれほど好きすきないものわざと飲むのむなかろう疑ぐっうたぐっ
そのうちねんだんだん片寄っかたよっよる世界せかいさんぶん領するりょうするよう押しつまっおしつまっ
かぜ毎日まいにち吹いふい
そのおと聞いきいいるだけ生活せいかつ陰気いんきひびき与えあたえ
小六しょうろくどうろくたたみ籠っこもっいち送るおくる堪えこらえなかっ
落ちついおちつい考えれかんがえれ考えるかんがえるほどあたま淋しくさびしくっていたたまれなくなるばかりあっ
茶の間ちゃのまねー話すはなすなおいやあっ
やむとくそと
そう友達ともだちたくぐるぐる回っまわっ歩いあるい
友達ともだちはじめうち平生へいぜい小六しょうろく対するたいするよう若いわかい学生がくせいたがる面白いおもしろいはなしいくら
けれど小六しょうろくそう云ういうはなし尽きつきまだやっ
それしまい友達ともだち小六しょうろく退屈たいくつ余りあまり訪問ほうもん談話だんわ復習ふくしゅう耽るふけるもの評しひょうし
たまに学校がっこうしたよみやら研究けんきゅうやら追わおわいる多忙たぼう云ういうかぜ見せみせ
小六しょうろく友達ともだちからそう呑気のんき怠けものなまけものよう取り扱わとりあつかわれる大変たいへん不愉快ふゆかい感じかんじ
けれどたく落ちついおちつい読書どくしょ思索しさくまるでできなかっ
要するようするかれぐらい年輩ねんぱい青年せいねん一人前いちにんまえ人間にんげんなる階梯かいていおさむべきこと力むりきむべきこと内部ないぶ動揺どうようやら外部がいぶ束縛そくばくやらいっさい着かきかなかっある
それ冷たいつめたいあめよこ降っふったりゆきとおるみちはげしくどろたりする着物きもの濡らさぬらさなけれなら足袋たびどろ乾かさかわかさなけれならない面倒めんどうあるいかな小六しょうろくよる外出がいしゅつ見合せるみあわせることあっ
そう云ういう実際じっさい困却こんきゃくする見えみえ時々ときどきろくたたみからのそり火鉢ひばちそば坐っすわっちゃなど注いそそい飲んのん
そうそこべいいる世間せけんはなしいちない限らかぎらなかっ
小六しょうろくさん酒好きさけずきべい聞いきいことあっ
もうじか正月しょうがつあなた雑煮ぞうにいくつ上がっあがっ聞いきいことあっ
そう云ういう場合ばあい度重なるたびかさなる連れつれ二人ふたり少しすこしずつ近寄るちかよることでき
しまい姉さんあねさんちょっとここ縫っぬっ下さいください小六しょうろくほうから進んすすんべいもの頼むたのむようなっ
そうべいかすり羽織はおり受取っうけとっ袖口そでぐちほころび繕っつくろっいる小六しょうろく何になんにそこ坐っすわっべい手先てさき見つめみつめ
これおっといつまで黙っだまっはり動かすうごかすべいれいあっ相手あいて小六しょうろくそうなげけんできないまたべい性質せいしつあっ
からそんな力めりきめはなし
はなし題目だいもくややする小六しょうろくくち宿りやどりたがるものかれ未来みらいどうたら好かろうよかろう云ういう心配しんぱいあっ
って小六しょうろくさんなんかまだ若いわかいじゃありませなんってこれからそりゃ兄さんあにさんことそう悲観ひかんいい べいばかりこういう慰めなぐさめほう
さん度目どめ来年らいねんなれあんさんほうどう都合つごう上げるあげるって受合っうけあっ下すっくだすっじゃなくっ聞いきい
小六しょうろくそのたしか表情ひょうじょうそりゃあんさん計画けいかくくちいう通りとおり旨くうまく行けいけわけないでしょうだんだん考えるかんがえるなんすくなし当しとうならないよう出しだし鰹船かつおせんあんまり儲からもうからないようから云っいっ
べい小六しょうろく憮然ぶぜんいる姿すがたそれ時々ときどき酒気しゅき帯びおび帰っかえっ来るくるどこ殺気さっき含んふくんしかもなんしゃく障るさわるわけ分らわからないはなはだ不平ふへいらしい小六しょうろく比較ひかくするこころなか気の毒きのどくありまたおかしくあっ
その本当ほんとう兄さんあにさんさえきんあるどう上げるあげることできるけれど御世辞ごせじなんない同情どうじょう表しあらわし
その夕暮ゆうぐれあっ小六しょうろくまた寒いさむい身体しんたい外套がいとう包んつつん行っいっはちすぎ帰っかえっあに夫婦ふうふまえたもとから白いしろい細長いほそながいふくろ出しだし寒いさむいから蕎麦そば拵らえこしらえ食おうくおう思っおもっ佐伯さえき行っいっ帰りかえり買っかっ云っいっ
そうべい沸かしわかしいるうち煮出しにだし拵えるこしらえる云っいっしきり鰹節かつおぶし掻いかい
その時宗じしゅうすけ夫婦ふうふ最近さいきん消息しょうそく安之助やすのすけ結婚けっこんとうとうはるまで延びのびこと聞いきい
この縁談えんだん安之助やすのすけ学校がっこう卒業そつぎょうするなく起っおこっもの小六しょうろく房州ぼうしゅうから帰っかえっ叔母おば学資がくし供給きょうきゅう断わらことわられる時分じぶんもうだいぶはなし進んすすんある
正式せいしき通知つうちないいつ纏っまとっ宗助そうすけまるで知らしらなかっただ折々おりおり佐伯さえき行っいっなん聞いきい来るくる小六しょうろく通じつうじのみかれ年内ねんないしき挙げるあげるはずしん夫婦ふうふ予想よそう
そのほかよめさとある会社員かいしゃいん有福ありふく生計せいけいいることその学校がっこうおんな学館がっかんあるいうこと兄弟きょうだいたくさんある云ういうことだけ同じくおなじく小六しょうろく通じつうじみみ
写真しゃしんせよかお知っしってる小六しょうろくばかりあっ
好いよい器量きりょうべい聞いきいことある
まあ好いよいほうでしょう小六しょうろく答えこたえことある
そのばんなぜくれうちしき済まさすまさない云ういう蕎麦そばでき上るできあがるさんひと話題わだいなっ
べい方位ほうい悪いわるいだろう臆測おくそく
宗助そうすけ押しつまっおしつまっないからだろう考えかんがえ
独りひとり小六しょうろくだけやっぱり物質的ぶっしつてき必要ひつようかららしいですさきなんよほど派出はしゅついえ叔母おばさんほうそう単簡たんかん済まさすまさないでしょういつない世帯せたい染みしみこと云っいっ
十一じゅういち
べいぶらぶら出しだしあき半ばなかば過ぎすぎ紅葉こうよう赤黒くあかぐろく縮れるちぢれるころあっ
京都きょうと時分じぶんべつ広島ひろしま福岡ふくおかあまり健康けんこう月日つきひ送っおくっ経験けいけんないべいこのてん掛けるかける東京とうきょう帰っかえっからやはり仕合せしあわせ云えいえなかっ
このおんな生れうまれ故郷こきょうみずせい合わあわないだろう疑ぐれうたぐれ疑ぐらうたぐられるくらいべい一時いちじ悩んなやんことあっ
近頃ちかごろそれだんだん落ちついおちつい宗助そうすけ揉むもむ機会きかいねん幾度いくど勘定かんじょうできるくらい少なくすくなくなっから宗助そうすけ役所やくしょ出入でいりべいまたおっと留守るす立居たちい等しくひとしく安心あんしん時間じかん過すすごすことできある
からことしあき暮れくれ薄いうすいしも渡るわたるかぜつらくはだ吹くふく時分じぶんなっまた少しすこし心持こころもち悪くわるくなり出しだしべいそれほどならなかっ
はじめうち宗助そうすけさえ知らしらなかっ
宗助そうすけ見つけみつけ医者いしゃ掛かれかかれ勧めすすめ容易ようい掛からかかりからなかっ
そこ小六しょうろく引越しひっこし
宗助そうすけそのころべい観察かんさつ体質たいしつ状態じょうたいやら精神せいしん模様もようやらおっとだけよく知っしっからなるべく人数にんずう殖やしふやしたくなか混雑こんざつたくない思っおもっ事情じじょうやむとくない成るなるままおくよりほか手段しゅだん講じようこうじようなかっ
ただくちさきなるべく安静あんせいなくいけない云ういう矛盾むじゅん助言じょげん与えあたえ
べい微笑びしょう大丈夫だいじょうぶ云っいっ
このこたえとく宗助そうすけなおこと安心あんしんできなくなっ
ところ不思議ふしぎべい気分きぶん小六しょうろく引越しひっこしからずっと引立っひきたっ
自分じぶん責任せきにん少しすこし加わっくわわっためこころ緊張きんちょうもの見えみえかえって平生へいぜいよりかいがいしくおっと小六しょうろく世話せわ
小六しょうろくそれまるで通じつうじなかっ宗助そうすけから見るみるべい在来ざいらいよりどれほど力めりきめいるよく解っわかっ
宗助そうすけこころうちこのまめやか細君さいくん新らしいあたらしい感謝かんしゃねん抱くいだく同時どうじこう張りばり過ぎるすぎる結果けっか一度いちど身体しんたい障るさわるよう騒ぎさわぎ引き起しひきおこしくれなけれいい心配しんぱい
不幸ふこうこの心配しんぱいくれ二十にじゅうすぎなっ突然とつぜん事実じじつなりかけ宗助そうすけ予期よき恐怖きょうふ点いついよういたく狼狽ろうばい
その判然はんぜんつち映らうつらないそらあさから重なり合っかさなりあっ重いおもい寒ささむさ終日しゅうじつひとあたま抑えつけおさえつけ
べいまえばんまたられない休まやすま損なっそこなっあたま抱えかかえながら辛抱しんぼう働らきはたらき出しだし起っおこったり動いうごいたりするたび多少たしょうのう応えるこたえる苦痛くつうあっ比較的ひかくてき明るいあかるい外界がいかい刺戟しげき紛れまぎれためじっとながらあたまだけ冴えさえ痛むいたむよりかえって凌ぎしのぎやすかっ
とかくおっと送り出すおくりだすまでしばらくたらまたいつもよう折り合っおりあっ来るくること思っおもっ我慢がまん
ところ宗助そうすけなくなっ自分じぶん義務ぎむ一段落いちだんらく着いついいう弛みたるみ出るでる等しくひとしく濁っにごっ天気てんきそろそろべいあたま攻めせめ始めはじめ
そら見るみる凍っこおっいるようあるいえなかいる陰気いんき障子しょうじかみ透しとおし寒ささむさ浸み込んしみこん来るくる思わおもわれるくらいべいあたましきり熱っねつっ
仕方しかたないから今朝けさあげ蒲団ふとんまた出しだし座敷ざしき延べのべままよこなっ
それ堪えこらえられないきよし濡手ぬれてぬぐえ絞らしぼらあたま乗せのせ
それじか生温くなまぬるくなる枕元まくらもと金盥かなだらい取り寄せとりよせ時々ときどき絞りしぼり易えかえ
うままでこんな姑息こそく手段しゅだんだんがく冷やしひやしいっこうはかばかしいげんないべい小六しょうろくためわざわざ起きおきいっしょ食事しょくじする根気こんきなかっ
きよしいいつけ膳立ぜんだてそれ小六しょうろく薦めすすめさしまま自分じぶんやはりゆか離れはなれ
そうたいら生夫なまおっとする柔かいやわらかいかつまくら持っもっ貰っもらっ堅いかたい取り替えとりかえ
べいかみそんれるおんならしくする勇気ゆうきさえ乏しかっとぼしかっある
小六しょうろくろくたたみからちょっとふすま開けあけべい姿すがた覗き込んのぞきこんべい半ばなかば床の間とこのまほう向いむかい塞いせい寝ついねつい思っおもっもの一言ひとことくち利かりかまたそっとふすま閉めしめ
そうたった一人ひとり大きなおおきな食卓しょくたくせんりょう始めはじめからさらさら茶漬ちゃづけ掻き込むかきこむおと
ころなっべいやっとこととろとろ眠っねむっ覚めさめたらがく捲いまい濡れぬれ手拭てぬぐいほとんど乾くかわくくらい暖かあたたかなっ
その代りかわりあたまほう少しすこしらくなっ
ただかたから背筋せすじ掛けかけ全体ぜんたい重苦しいおもくるしいよう感じかんじ新らしくあたらしく加わっくわわっ
べいなんせいつけなくどくいうかんがえから一人ひとり起きおき遅いおそい午飯ごはん軽くかるく食べたべ
気分きぶんいかがございますきよし給仕きゅうじながらしきり聞いきい
べいだいぶいいようだっゆか上げあげ貰っもらっ火鉢ひばち倚っよっなり宗助そうすけ帰りかえり待ち受けまちうけ
宗助そうすけ例刻れいこく帰っかえっ
神田かんだ通りとおり門並かどなみはた立てたてもうくれ売出しうりだし始めはじめこと勧工場かんこうじょう紅白こうはくまく張っちょうっ楽隊がくたい景気けいきつけさしいること話しはなしすえ賑やかにぎやかちょっと行っいっ御覧ごらんなに電車でんしゃ乗っのっ行けいけわけない勧めすすめ
そう自分じぶん寒ささむさ腐蝕ふしょくよう赤いあかいかお
べいこう宗助そうすけから労わらいたわらなん自分じぶん身体しんたい悪いわるいことうったえたえる忍びしのびない心持こころもち
実際じっさいまたそれほど苦しくくるしくなかっ
それいつも通りとおり何気なんげないかおおっと着物きもの着換えきかえさしたり洋服ようふく畳んたたんだりよる入っはいっ
ところきゅう近くちかくなっ突然とつぜん宗助そうすけ向っむかっ少しすこし加減かげん悪いわるいからさきたい云いいい出しだし
今までいままで平生へいぜい通りとおり機嫌きげんよく話しはなしだけ宗助そうすけこの言葉ことば聞いきいちょっと驚ろいおどろい大したたいしたことない云ういうべい保証ほしょうようやく安心あんしんすぐ休むやすむ支度したく
べいゆか這入っはいっからやく二十にじゅうぶんばかり宗助そうすけみみそば鉄瓶てつびんおと聞きききながらせいよる丸心まるしん洋灯ようとう照らしてらし
かれ来年度らいねんど一般いっぱん官吏かんり増俸ぞうほう沙汰さたあるいう評判ひょうばん思い浮べおもいうかべ
またそのまえ改革かいかく淘汰とうた行わおこなわれるないいううわさ思い及んおもいおよん
そう自分じぶんどっちほう編入へんにゅうれるだろう疑っうたがっ
かれ自分じぶん東京とうきょう呼んよんくれ杉原すぎはらいまなお課長かちょう本省ほんしょうない遺憾いかん
かれ東京とうきょう移っうつっから不思議ふしぎまだ病気びょうきことなかっ
したがっまだ欠勤けっきんとどけ出しだしことなかっ
学校がっこう中途ちゅうとやめなりほんほとんど読まよまないから学問がくもん人並ひとなみできない役所やくしょやる仕事しごと差支えるさしつかえるほど頭脳ずのうなかっ
かれいろいろ事情じじょう綜合そうごう考えかんがえうえまあ大丈夫だいじょうぶだろうはらなかきめ
そうつめさき軽くかるく鉄瓶てつびんえん敲いたたい
その座敷ざしきあなたちょっと云ういうべい苦しくるしそうこえ聞えきこえわれ知らしら立ち上がったちあがっ
座敷ざしき見るみるべいまゆ寄せよせみぎ自分じぶんかた抑えおさえながらむねまで蒲団ふとんそと乗り出しのりだし
宗助そうすけほとんど器械きかいまと同じおなじところ出しだし
そうべい抑えおさえいるうえから固くかたくほねかく攫んつかん
もう少しすこしあとほうべい訴えるうったえるよう云っいっ
宗助そうすけべい思うおもうところ落ちつくおちつくまでさんそこここ位置いち易えかえなけれならなかっ
ゆび圧しおしみるくびかた継目つぎめ少しすこし背中せなか寄っよっ局部きょくぶいしよう凝っこっ
べいおとこ力いっぱいちからいっぱいそれ抑えおさえくれ頼んたのん
宗助そうすけがくからあせ染み出ししみだし
それべい満足まんぞくするほどちからなかっ
宗助そうすけむかし言葉ことばはやかたいう覚えおぼえ
小さいちいさい祖父そふから聞いきいはなしあるさむらいうま乗っのっどこ行くいく途中とちゅうきゅうこのはやかた冒さおかさすぐうまから飛んとん下りくだりたちまち小柄こがら抜くぬくいな肩先かたさき切っきっ出しだしため危ういあやういいのち取り留めとりとめいうあっそのはなしいま明らかあきらか記憶きおく焼点しょうてん浮んうかん
その宗助そうすけこれなら思っおもっ
けれどはたして刃物はもの用いもちいかたにく突いついいいものやら悪いわるいものやら決しけっしかね
べいいつなく逆上せのぼせみみまで赤くあかく
あたま熱いあつい聞くきく苦しくるしそう熱いあつい答えこたえ
宗助そうすけ大きなおおきなこえ出しだしきよし氷嚢ひょうのう冷たいつめたいみず入れいれ来いこい命じめいじ
氷嚢ひょうのうあいにく無かっなかっきよしあさ通りとおり金盥かなだらい手拭てぬぐい浸けつけ持っもっ
きよしあたま冷やしひやしいるうち宗助そうすけやはり精いっぱいせいいっぱいかた抑えおさえ
時々ときどき少しすこしいい聞いきいべい微かかすか苦しいくるしい答えるこたえるだけあっ
宗助そうすけ全くまったく心細くこころぼそくなっ
思い切っおもいきっ自分じぶんはせけ出しけだし医者いしゃむかえ行こういこうあと心配しんぱい一足いっそくひょう出るでるなれなかっ
きよし御前ごぜん急いいそい通りとおり行っいっ氷嚢ひょうのう買っかっ医者いしゃ呼んよん来いこいまだ早いはやいから起きおきてるだろう きよしすぐ立ったっ茶の間ちゃのま時計とけいきゅう十五じゅうごぶんございます云いいいながらそれなり勝手口かってぐち回っまわっごそごそ下駄げた探しさがしいるところ旨いうまい具合ぐあいそとから小六しょうろく帰っかえっ
れい通りとおりあに挨拶あいさつない自分じぶん部屋へや這入ろうはいろうする宗助そうすけおい小六しょうろく烈しくはげしく呼び止めよびとめ
小六しょうろく茶の間ちゃのま少しすこし躊躇ちゅうちょあにからまたこえほど続けざまつづけざま大きなおおきなこえ掛けかけられやむとく低いひくい返事へんじふすまからかお出しだし
そのかお酒気しゅきまだ醒めさめない赤いあかいいろえん帯びおび
部屋へやなか覗き込んのぞきこん始めはじめ吃驚びっくり様子ようすどうなすっですよい一時いちじ去っさっよう表情ひょうじょう
宗助そうすけきよし命じめいじ通りとおり小六しょうろく繰り返しくりかえし早くはやくくれ急き立てせきたて
小六しょうろく外套がいとう脱がぬがすぐ玄関げんかん取っとっ返しかえし
兄さんあにさん医者いしゃまで行くいく急いいそい時間じかん掛かりかかりますから坂井さかいさん電話でんわ借りかりすぐ来るくるよう頼みたのみましょうああそうくれ宗助そうすけ答えこたえ
そう小六しょうろく帰るかえるきよしなんかえしなく金盥かなだらいみず易えかえさしては一生懸命いっしょうけんめいべいかた圧しおしつけたり揉んもんだり
べい苦しむくるしむなんただいる堪えこらえなかっからこう自分じぶん紛らしまぎらしある
この宗助そうすけ取っとっ医者いしゃ来るくるいまいま待ち受けるまちうけるこころほど苛いむごいものなかっ
かれべいかた揉みもみながら絶えたえひょう物音ものおと配っくばっ
ようやく医者いしゃとき始めはじめよる明けあけよう心持こころもち
医者いしゃ商売柄しょうばいがらだけあっ少しすこし狼狽えうろたえ様子ようす見せみせなかっ
小さいちいさい折鞄おりかばんわき引き付けひきつけ落ちつきおちつき払っはらっ態度たいど慢性病まんせいびょう患者かんじゃ取り扱うとりあつかうよう緩くゆるくりし診察しんさつ
その逼らせまらない顔色かおいろそばせいわくわく宗助そうすけむねようやく治まっおさまっ
医者いしゃ芥子けし局部きょくぶ貼るはることあし湿布しっぷ温めるあたためることそれからあたまこおり冷すひやすこと応急おうきゅう手段しゅだん宗助そうすけ注意ちゅうい
そう自分じぶん芥子けし掻いかいべいかたからくび貼りつけはりつけくれ
湿布しっぷきよし小六しょうろく受持っうけもっ
宗助そうすけ手拭てぬぐいうえから氷嚢ひょうのうがくうえ当てがっあてがっ
とかくするうちやくいち時間じかん経っきょうっ
医者いしゃしばらく経過けいか行こういこう云っいっそれまでべい枕元まくらもと坐っすわっ
世間せけんはなし折々おりおり交えまじえおおかた無言むごんまま二人ふたりともべい容体ようだい見守るみまもること多かっおおかっ
よるれいごとくせい更けふけ
だいぶ冷えひえます医者いしゃ云っいっ
宗助そうすけ気の毒きのどくなっあと注意ちゅういよく聞いきいうえ遠慮えんりょなく引き取っひきとっくれるよう頼んたのん
そのべい先刻せんこくよりだいぶ軽快けいかいなっからある
もう大丈夫だいじょうぶでしょう頓服とんぷく一回いちかい上げあげますから今夜こんや飲んのん御覧ごらんなさい多分たぶんられるだろう思いおもいます云っいっ医者いしゃ帰っかえっ
小六しょうろくすぐその後そのあと追っおっ行っいっ
小六しょうろくくすりとり行っいっべいもうなん云いいいながら枕元まくらもと宗助そうすけ見上げみあげ
よい違っちがっほおから退いしりぞい洋灯ようとう照らさてらさところこと蒼白くあおじろく映っうつっ
宗助そうすけ黒いくろい乱れみだれせいだろう思っおもっわざわざびん掻き上げかきあげやっ
そう少しすこしいいだろう聞いきい
ええよっぽどらくなっべいいつも通りとおり微笑びしょう洩らしもらし
べい大抵たいてい苦しいくるしい場合ばあい宗助そうすけ微笑びしょう見せるみせること忘れわすれなかっ
茶の間ちゃのまきよし突伏しつっぷしままいびきかい
きよし寝かしねかしやっ下さいくださいべい宗助そうすけ頼んたのん
小六しょうろくくすり取りとりから帰っかえっ医者いしゃ云いいいつけ通りとおり服薬ふくやく済ましすましもうかれこれ十二じゅうに近くちかくあっ
それから十分じゅうふん経たへたないうち病人びょうにんすやすや寝入っねいっ
好いよい塩梅あんばい宗助そうすけべいかおながら云っいっ
小六しょうろくしばらくねー様子ようす見守っみまもっもう大丈夫だいじょうぶでしょう答えこたえ
二人ふたり氷嚢ひょうのうがくからおろし
やがて小六しょうろく自分じぶん部屋へや這入るはいる
宗助そうすけべいそばゆか延べのべいつもごとく
五六ごろく時間じかんあとふゆよるすいようしもきょうさんからり明け渡っあけわたっ
それからいち時間じかんする大地だいち染めるそめる太陽たいよう遮ぎるさえぎるものない蒼空そうくう憚りはばかりなく上っのぼっ
べいまだすやすや
そのうち朝餉あさげ済んすん出勤しゅっきん時刻じこくようやく近づいちかづい
けれどべい眠りねむりから覚めるさめる気色けしきなかっ
宗助そうすけ枕辺まくらべきょくんで深いぶかい寝息ねいき聞きききながら役所やくしょ行こういこう休もうやすもう考えかんがえ
十二じゅうに
あさうち役所やくしょつねごとく事務じむ執っとっ折々おりおり昨夕さくゆう光景こうけい浮ぶうかぶ連れつれ自然しぜんべい病気びょうき罹るかかる仕事しごと思うおもうよう運ばはこばなかっ
へんさえ
宗助そうすけうまなる待っまっ思い切っおもいきったく帰っかえっ
電車でんしゃなかべいいつ頃いつごろ覚めさめたろう覚めさめあと心持こころもちだいぶ好くよくなったろう発作ほっさもう起るおこる気遣きづかいなかろうすべて悪くわるくない想像そうぞうばかり思い浮べおもいうかべ
いつも違っちがっ乗客じょうきゃく非常ひじょう少ないすくない時間じかん乗り合わせのりあわせ宗助そうすけ周囲しゅうい刺戟しげき使うつかう必要ひつようほとんどなかっ
それ自由じゆうあたまなか現われるあらわれる何枚なんまいなく眺めながめ
そのうち電車でんしゃ終点しゅうてん
たく門口かどぐちまで来るくるいえなかひっそりだれないようあっ
格子こうし開けあけくつ脱いぬい玄関げんかん上がっあがっ来るくるものなかっ
宗助そうすけいつもよう縁側えんがわから茶の間ちゃのま行かいかすぐ取付とりつけふすま開けあけべいいる座敷ざしき這入っはいっ
見るみるべい依然いぜん
枕元まくらもと朱塗しゅぬりぼん散薬さんやくふくろようさかずき載っのっそのようさかずきみず半分はんぶん残っのこっいるところあさ同じおなじあっ
あたま床の間とこのまほう向けむけひだりほお芥子けし貼っはっ襟元えりもと少しすこし見えるみえるところあさ同じおなじあっ
呼息こそくよりほか現実世界げんじつせかい交通こうつうないよう思わおもわれる深いぶかいねむりあさ通りとおりあっ
すべて今朝けさかかりあたまなか収めおさめ行っいっ光景こうけい少しすこし変っかわっなかっ
宗助そうすけ外套がいとう脱がぬがうえからきょくんですうすういうべい寝息ねいきしばらく聞いきい
べい容易ようい覚めさめそう見えみえなかっ
宗助そうすけ昨夕さくゆうべい散薬さんやく飲んのんから以後いご時間じかんゆび折っおっ勘定かんじょう
そうようやく不安ふあんいろめん表わしあらわし
昨夕さくゆうまでられない心配しんぱいなっこう前後不覚ぜんごふかく長くながく寝るねるところあたり見るみる寝るねるほうなん異状いじょうない考え出しかんがえだし
宗助そうすけ蒲団ふとん掛けかけ二三にさん軽くかるくべい振っふっ
べいかみかつまくらうえなみ打つうつよう動いうごいべい依然いぜんすうすう
宗助そうすけべい置いおい茶の間ちゃのまから台所だいどころ
流し元ながしもと小桶こおけなか茶碗ちゃわんぬりわん洗わあらわないまま浸けつけあっ
下女げじょ部屋へや覗くのぞくきよし自分じぶんまえ小さなちいさなぜん控えひかえなりひつ倚りよりかかっ突伏しつっぷし
宗助そうすけまたろくたたみ引いひいくび差し込んさしこん
そこ小六しょうろく掛蒲団かかりふとんいちばいあたまからいん被っかぶっ
宗助そうすけ一人ひとり着物きもの着換えきかえ脱ぎ捨てぬぎすて洋服ようふく人手ひとで借りかり自分じぶん畳んたたん押入おしいれしまっ
それから火鉢ひばち継いつづい沸かすわかす用意ようい
二三にさんぶん火鉢ひばち持たもた考えかんがえやがて立ち上がったちあがっまず小六しょうろくから起しおこしかかっ
つぎきよし起しおこし
二人ふたり驚ろいおどろい飛び起きとびおき
小六しょうろくべい今朝けさから今までいままで様子ようす聞くきくじつ余りあまり眠いねむい十一じゅういち時半じはんころめし食っしょくっそれまでべいよく熟睡じゅくすい云ういう
医者いしゃ行っいっ昨夜さくやくすり戴いいただいから出しだしいまなっ覚めさめませ差支さしつかえないでしょうって聞いきいくれはあ 小六しょうろく簡単かんたん返事へんじ行っいっ
宗助そうすけまた座敷ざしきべいかお熟視じゅくし
起しおこしやらなくっ悪いわるいようまた起しおこし身体しんたい障るさわるよう分別ぶんべつつかない抱いいだい腕組うでぐみ
なく小六しょうろく帰っかえっ医者いしゃちょうど往診おうしん出かけるでかけるところあっわけ話しはなしたらいまから一二いちにのき寄っよっすぐ行こういこう答えこたえ告げつげ
宗助そうすけ医者いしゃ見えるみえるまでこう放っはなっおい構わかまわない小六しょうろく問い返しといかえし小六しょうろく医者いしゃ以上いじょうよりほか何になんに語らかたらなかっ云ういうだけやむとくもとごとく枕辺まくらべじっと坐っすわっ
そうこころなか医者いしゃ小六しょうろく不親切ふしんせつ過ぎるすぎるよう感じかんじ
かれそのうえ昨夕さくゆうべい介抱かいほういる帰っかえっ小六しょうろくかお思い出しおもいだしなお不愉快ふゆかいなっ
小六しょうろくさけ呑むのむことべい注意ちゅうい始めはじめ知っしっあるそのあとつけおとうと様子ようすよくいるなるほどなん真面目まじめないところあるよういつみっちり異見いけんなけれなるまいくらい考えかんがえ面白くおもしろくない二人ふたりかおべい見せるみせる気の毒きのどく今日きょうまでわざと遠慮えんりょある
云いいい出すだすならべいいるいまあるいまならどんな不味いまじいこと双方そうほう言い募っいいつのったってべい神経しんけい障るさわる気遣きづかいない ここまで考えついかんがえついけれど知覚ちかくないべいかお見るみるまたそのほう気がかりきがかりなっすぐ起しおこしたい心持こころもちするつい決しけっし兼てかねてぐずぐず
そこようやく医者いしゃくれ
昨夕さくゆう折鞄おりかばんまた丁寧ていねいそば引きつけひきつけかんくり巻煙草まきたばこ吹かしふかしながら宗助そうすけ云ういうことはあはあ聞いきいどれ拝見はいけん致しいたしましょうべいほう向き直っむきなおっ
かれ普通ふつう場合ばあいよう病人びょうにんみゃく取っとっ長いながい自分じぶん時計とけい見つめみつめ
それから黒いくろい聴診器ちょうしんき心臓しんぞううえ当てあて
それ丁寧ていねいあちらこちら動かしうごかし
最後さいご丸いまりいあな開いひらい反射鏡はんしゃきょう出しだし宗助そうすけ蝋燭ろうそく点けつけくれ云っいっ
宗助そうすけ蝋燭ろうそく持たもたないきよし洋灯ようとう点けつけさし
医者いしゃ眠っねむっいるべい押し開けおしあけ仔細しさい反射鏡はんしゃきょうひかりまつげおく集めあつめ
診察しんさつそれ終っおわっ
少しすこしくすり利ききき過ぎすぎまし云っいっ宗助そうすけほう向き直っむきなおっ宗助そうすけいろ見るみるいなすぐしかし心配しんぱいなることありませこう云ういう場合ばあいもし悪いわるい結果けっか起るおこるするきっと心臓しんぞうのう冒すおかすものですいま拝見はいけんところ双方そうほうとも異状いじょう認めみとめられませから説明せつめいくれ
宗助そうすけそれようやく安心あんしん
医者いしゃまた自分じぶん用いもちい眠り薬ねむりぐすり比較的ひかくてき新らしいあたらしいもの学理がくりうえほか睡眠剤すいみんざいよう有害ゆうがいないことまたその効目ききめ患者かんじゃ体質たいしつ因っよっ程度ていど大変たいへん相違そういあることなど語っごっ帰っかえっ
帰るかえるとき宗助そうすけ寝らねられるだけ寝かしねかしおい差支さしつかえありませ聞いきいたら医者いしゃようさえなけれべつ起すおこす必要ひつようあるまい答えこたえ
医者いしゃ帰っかえっあと宗助そうすけきゅう空腹くうふくなっ
茶の間ちゃのま出るでる先刻せんこく掛けかけおい鉄瓶てつびんちんちん沸ったぎっ
きよし呼んよんぜん出せだせ命ずるめいずるきよし困っこまっ顔つきかおつきまだなん用意よういできない答えこたえ
なるほど晩食ばんしょく少しすこしあっ
宗助そうすけ楽々らくらく火鉢ひばちそば胡坐こざ掻いかい大根だいこん香の物こうのもの噛みかみながら湯漬ゆづけよんさかずきほどつづけざま掻き込んかきこん
それからやく三十さんじゅうぶんほどたらべいひとりでに覚めさめ
十三じゅうさん
新年しんねんあたま拵らえようこしらえよういうなっ宗助そうすけ久しひさしぶり髪結床かみゆいゆか敷居しきい跨いまたい
くれせいきゃくだいぶ立て込んたてこんいるはさみおと二三にさんカ所かしょ同時どうじちょきちょき鳴っなっ
この寒ささむさ無理むり乗り越しのりこしいち早くはやくはる入ろうはいろう焦慮しょうりょよう表通おもてどおり活動かつどう宗助そうすけいまばかりそのはさみおといかに忙しないせわしないひびきなっかれ鼓膜こまく打っうっ
しばらく煖炉だんろそば煙草たばこ吹かしふかし待っまっいる宗助そうすけ自分じぶん関係かんけいない大きなおおきな世間せけん活動かつどう否応いやおうなし捲き込ままきこまやむとくねん越さこさなけれならないひとごとく感じかんじ
正月しょうがつまえ控えひかえかれ実際じっさいこれいう新らしいあたらしい希望きぼうないいたずら周囲しゅういから誘わさそわなんざわざわ心持こころもち抱いいだいある
べい発作ほっさようやく落ちついおちつい
いま平日へいじつごとくそといえことそれほどかからないぐらいなっ
余所よそ比べるくらべる閑静かんせいはる支度したくべいから云えいえねん一度いちど忙がしいそがしなかっあるいはいつも通りとおり準備じゅんびさえ抜いぬいつねより簡単かんたんねん越すこす覚悟かくご宗助そうすけ生っなまっようはっきりつま姿すがた恐ろしいおそろしい悲劇ひげき一歩いちほ遠退いとおのいごとくむね撫でおろしなでおろし
しかしその悲劇ひげきまたいついかなるかたち自分じぶん家族かぞく捕えとらえ来るくる分らわからない云ういうぼんやりかかりねん折々おりおりかれあたまなかきりなっかかっ
年の暮としのくれこと好むこのむしか思わおもわない世間せけんひと故意こい短いみじかいまえ押し出しおしだしたがっ齷齪あくせくする様子ようす見るみる宗助そうすけなおことこの茫漠ぼうばくたる恐怖きょうふねん襲わおそわ
成ろうなろうことなら自分じぶんだけ陰気いんき暗いくらい師走しわすなか一人ひとり残っのこったいおもうさえ起っおこっ
ようやく自分じぶんばんかれ冷たいつめたいかがみうち自分じぶんかげ見出しみだしふとこのかげ本来ほんらい何者なにものだろう眺めながめ
くびからした真白まっしろぬの包まつつま自分じぶんいる着物きものいろしま全くまったく見えみえなかっ
そのかれまた床屋とこや亭主ていしゅ飼っかっいる小鳥ことりかごかがみおく映っうつっいることつい
とり止り木とまりぎうえちらりちらり動いうごい
あたまこうするあぶら塗らぬら景気けいきいいこえあとから掛けかけられひょうときそれ清々せいせい心持こころもちあっ
べい勧めすすめ通りとおりかみ刈っかっほう結局けっきょく新たあらたする効果こうかあっ冷たいつめたい空気くうきなか宗助そうすけ自覚じかく
水道すいどうぜいことちょっと聞き合せるききあわせる必要ひつよう生じしょうじ宗助そうすけ帰り路かえりみち坂井さかい寄っよっ
下女げじょこちら云ういうからいつも座敷ざしき案内あんないする思うおもうそこ通り越しとおりこし茶の間ちゃのましるべびいびいーいっ
する茶の間ちゃのまふすまさしばかり開いひらいなかから三四さんよんひと笑い声わらいごえ聞えきこえ
坂井さかい家庭かていそう変らかわら陽気ようきあっ
主人しゅじん光沢こうたく好いよい長火鉢ながひばち向側むかいがわ坐っすわっ
細君さいくん火鉢ひばち離れはなれ少しすこし縁側えんがわ障子しょうじほう寄っよっやはりこちら向いむかい
主人しゅじんあと細長いほそながい黒いくろいわく嵌めはめ柱時計はしらとけいかかっ
時計とけいみぎかべひだり袋戸ふくろどたななっ
その張交はりまぜ石摺いしずり俳画はいがおうぎほね抜いぬいものなど見えみえ
主人しゅじん細君さいくんほか筒袖つつそで揃いそろい模様もよう被布ひふ女の子おんなのこ人肩じんけん擦りすりつけ合っあっ坐っすわっ
片方かたほうじゅうさん片方かたほうじゅうぐらい見えみえ
大きなおおきな揃えそろえふすまかげから入っはいっ宗助そうすけほう向いむかい二人ふたり眼元めもと口元くちもといま笑っわらっばかりかげまだゆたか残っのこっ
宗助そうすけ一応いちおうむろうち見回しみまわしこの親子おやこほかまだ一人ひとりみょうおとこ一番いちばん入口いりぐち近いちかいところ畏まっかしこまっいる見出しみだし
宗助そうすけ坐っすわっぶん立たたたないうち先刻せんこく笑声しょうせいこのへんおとこ坂井さかい家族かぞく取りとりかえ問答もんどうから出るでること知っしっ
おとこ砂埃すなぼこりざらつきそう赤いあかい焼けやけ生涯しょうがい褪めさめっこない強いつよいいろ有っあっ
瀬戸物せとものぼたん着いついしろ木綿もめん襯衣手織ており硬いかたい布子ぬのこえりから財布さいふひもよう長いながい丸打まるうちかけ様子ようす滅多めった東京とうきょうなど出るでる機会きかいない遠いとおいやまくにものしか受け取れうけとれなかっ
そのうえおとここの寒いさむいひざ小僧こぞう少しすこし出しだしこん落ちおち小倉おぐらおびしり差しさし手拭てぬぐい抜いぬいはなした擦っすっ
これ甲斐かいくにから反物たんもの背負っせおっわざわざ東京とうきょうまで来るくるおとこです坂井さかい主人しゅじん紹介しょうかいするおとこ宗助そうすけほう向いむかいどう旦那だんないち買っかっくれ挨拶あいさつ
なるほど銘仙めいせんめし白紬しろつむぎそこ一面いちめん取り散らしとりちらしあっ
宗助そうすけこのおとこかたちそう言葉ことばけんおかしいわり立派りっぱ品物しなもの背中せなか乗せのせ歩行くあるくむしろ不思議ふしぎ思っおもっ
主人しゅじん細君さいくん説明せつめいよるこの織屋おりや住んすんいるむら焼石やけいしばかりべいぞく収れおさまれないからやむとくくわ植えうえかいこ飼うかうそうあるよほど貧しいまずしいところ見えみえ柱時計はしらとけい持っもっいるいえいちのきだけ高等こうとう小学しょうがく通うかよう小供こどもさんひとしかないいうはなしあっ
書けるかけるものこのひとぎりそうです云っいっ細君さいくん笑っわらっ
する織屋おりや本当ほんとうこん奥さんおくさん読み書きよみかきさんふでできるものおれよりほかねえから全くまったく非道いひどいところにゃない真面目まじめ細君さいくん云ういうことくび肯っうけがっ
織屋おりやいろいろ反物たんもの主人しゅじん細君さいくんまえ突きつけつきつけ買っかっくれいう言葉ことばしきり繰り返しくりかえし
そりゃ高いたかいいくらいくら御負けおまけなど云わいわれるあたいじゃねえ拝むおがむからそれ買っかっくれまあ目方めかたくれすべて異様いよう田舎びいなかびこたえ
そのたびみな笑っわらっ
主人しゅじん夫婦ふうふまたかん見えみえ面白おもしろ半分はんぶんいつまで織屋おりや相手あいて
織屋おりや御前ごぜんそう背負っせおっそと時分じぶんどきなったらやっぱりぜん食べるたべるだろう細君さいくん聞いきい
めし食わくわねえられるもんじゃないはら減るへることちゅうたらどんなところ食べるたべるどんなところ食べるたべるちゅうやっぱり茶屋ちゃや食うくう 主人しゅじん笑いわらいながら茶屋ちゃやなん聞いきい
織屋おりやめし食わすくわすところ茶屋ちゃや答えこたえ
それから東京とうきょう出立しゅったつめし非常ひじょう旨いうまいはら据えすえ食いくい出すだす大抵たいてい宿屋やどや叶わかなわないさんさん食っしょくっちゃ気の毒きのどく云ういうようこと話しはなしまたみな笑わしわらわし
織屋おりやしまい撚糸ねんしつむぎしろいちひき細君さいくん売りつけうりつけ
宗助そうすけこの押しつまっおしつまっくれなつ買うかうひと余裕よゆうあるものまた格別かくべつ感じかんじ
する主人しゅじん宗助そうすけ向っむかっどうですあなたついでなんいち奥さんおくさん不断ふだん勧めすすめ
細君さいくんこう云ういう機会きかい買っかっ置くおくいくわりあたいあん買えるかえる便宜べんぎ説いとい
そうなにはらいいついいです受合っうけあっくれ
宗助そうすけとうとうべいため銘仙めいせんいちはん買うかうこと
主人しゅじんそれさんざん値切っねぎっさんえん負けまけさし
織屋おりや負けまけあとまた全くまったくあたいじゃねえ泣きなきたくなる云っいっ大勢おおぜいまた一度いちど笑っわらっ
織屋おりやどこ行っいっこういう鄙びひなび言葉ことば使っつかっ通しとおしいるらしかっ
毎日まいにち馴染みなじみいえぐるぐる回っまわっ歩いあるいいるうち背中せなかだんだん軽くかるくなっしまいこん風呂敷ふろしき真田紐さなだひもだけ残るのこる
その時分じぶんちょうどきゅう正月しょうがつ来るくるひとまず国元くにもと帰っかえっ古いふるいはるやまなか越しこしそれからまた新らしいあたらしい反物たんもの背負えるせおえるだけ背負っせおっ来るくる云っいっ
そう養蚕ようさん忙しいいそがしいよんつきすえつきはつまでそれ悉皆しっかいきん換えかえまた富士ふじきたかげ焼石やけいしばかりころがっいる小村しょうそん帰っかえっ行くいくそうある
たく出しだしからもう四五しごねんなりますいつ同じおなじこと少しすこし変らかわらないです細君さいくん注意ちゅうい
実際じっさい珍らしいめずらしいおとこです主人しゅじん評語ひょうご添えそえ
さんそとない町幅まちはばいつ取り広げとりひろげられたりいち新聞しんぶん読まよまない電車でんしゃ開通かいつう知らしら過しすごしたりするいまねん東京とうきょうながらこう山男やまおとこ特色とくしょくどこまで維持いじ行くいく実際じっさい珍らしいめずらしいなかっ
宗助そうすけつくづくこの織屋おりや容貌ようぼうやら態度たいどやら服装ふくそうやら言葉ことば使やら観察かんさつ一種いっしゅ気の毒きのどくおもうなし
かれ坂井さかい辞しじしいえ帰るかえる途中とちゅう折々おりおりインヴァネスいんゔぁねす羽根はねした抱えかかえ銘仙めいせんつつみ持ちもち易えかえながらそれさんえんいう安いやすいあたい売っうっおとこ粗末そまつ布子ぬのこしま赤くあかくばさばさ髪の毛かみのけその油気あぶらけない硬いかたい髪の毛かみのけどういうわけあたま真中まなか立派りっぱ左右さゆう分けわけられいるよう絶えたえまえ浮べうかべ
たくべい宗助そうすけ着せるきせるはる羽織はおりようやく縫い上げぬいあげあつ代りかわり蒲団ふとんした入れいれ自分じぶんそのうえ坐っすわっいるところあっ
あなた今夜こんや敷いしい下さいください云っいっべい宗助そうすけ顧みかえりみ
おっとから坂井さかい甲斐かいおとこはなし聞いきいべいさすが大きなおおきなこえ出しだし笑っわらっ
そう宗助そうすけ持っもっ帰っかえっ銘仙めいせん縞柄しまがら地合じあい飽かあか眺めながめ安いやすい安いやすい云っいっ
銘仙めいせん全くまったくしな良いよいものあっ
どうそう安くやすく売っうっわり合うあうでしょうしまい聞き出しききだし
なになか立つたつ呉服屋ごふくや儲けもうけ過ぎすぎてる宗助そうすけそのみち明るいあかるいようことこのいちはん銘仙めいせんから推断すいだん答えこたえ
夫婦ふうふはなしそれから坂井さかい生活せいかつ余裕よゆうあることその余裕よゆうため横町よこちょう道具屋どうぐやなど意外いがい儲けもうけほうれる代りかわりするこう云ういう織屋おりやなどから差し向きさしむき不用ふようもの廉価れんか買っかっおく便宜べんぎ有しゆうしいることなど移っうつっしまいその家庭かていいかに陽気ようき賑やかにぎやか模様もよう落ちおち行っいっ
宗助そうすけその突然とつぜん語調ごちょうさらなにきんあるばかりじゃないいち子供こども多いおおいから子供こどもさえあれ大抵たいてい貧乏びんぼういえ陽気ようきなるものべい覚しさまし
その云いいいほう自分じぶんとおる淋しいさびしい生涯しょうがい多少たしょう自らみずから窘めるたしなめるよう苦いにがい調子ちょうしべいみみ伝えつたえべい覚えおぼえひざうえ反物たんものから放しはなしおっとかお
宗助そうすけ坂井さかいから取っとっしなべい嗜好しこう合っあっ久しぶりひさしぶり細君さいくん喜ばよろこばやっ自覚じかくあるばかりだっから別段べつだんそこつかなかっ
べいちょっと宗助そうすけかおなりその何になんに云わいわなかっ
けれどよる入っはいっ寝るねる時間じかん来るくるまでべいそれわざと延ばしのばしおいある
二人ふたりいつも通りとおりじゅうすぎゆか入っはいっおっとまだ覚めさめいるころ見計らっみはからっべい宗助そうすけほう向いむかい話しかけはなしかけ
あなた先刻せんこく小供こどもない淋しくさびしくっていけないおっしゃっ 宗助そうすけこれ類似るいじことひろしはつまと云っいっさとしたしかあっ
けれどそれきょうがち自分じぶんとおる身の上みのうえつい特にとくにべい注意ちゅうい惹くひくためくち故意こい観察かんさつないからこうあらためたまっ聞き糺さききただされる困るこまるよりほかなかっ
なんたくこと云っいっじゃない この返事へんじ受けうけべいしばらく黙っだまっ
やがてたくこと始終しじゅう淋しいさびしい淋しいさびしい思っおもっいらっしゃるから必竟ひっきょうあんなことおっしゃるでしょうまえほぼようもん繰り返しくりかえし
宗助そうすけ固よりもとよりそう答えこたえなけれならないあるものあたまなか有っあっ
けれどべい憚っはばかっそれほど明白めいはく自白じはくあえてとくなかっ
この病気びょうき上りのぼり細君さいくんこころ休めるやすめるためかえってそれ冗談じょうだん笑っわらっしまうほう善かろうよかろう考えかんがえ淋しいさびしい云えいえそりゃ淋しくさびしくないない調子ちょうし易えかえなるべく陽気ようきそこ詰まっつまったぎり新らしいあたらしい文句もんく面白いおもしろい言葉ことば容易ようい思いつけおもいつけなかっ
やむとくまあいい心配しんぱいする云っいっ
べいまたなん答えこたえなかっ
宗助そうすけ話題わだい変えようかえよう思っおもっ昨夕さくゆう火事かじあっ世間せけんはなし出しだし
するべいきゅうわたくしじつあなた気の毒きのどく切なせつなそう言訳いいわけ半分はんぶんまたそれなり黙っだまっしまっ
洋灯ようとういつもよう床の間とこのまうえ据えすえあっ
べいあかり背いそむいから宗助そうすけかお表情ひょうじょう判然はんぜん分らわからなかっけれどそのこえ多少たしょうなみだうるんいるよう思わおもわ
今までいままで仰向いあおむい天井てんじょうかれすぐつまほう向き直っむきなおっ
そう薄暗いうすぐらいかげなっべいかおじっと眺めながめ
べい暗いくらいなかからじっと宗助そうすけ
そう疾からしつからあなた打ち明けうちあけ謝罪しゃざいまろ謝罪しゃざいろう思っおもっですつい言いいい悪かっわるかっもんからそれなりおいです途切れ途切れとぎれとぎれ云っいっ
宗助そうすけなん意味いみまるで解らわからなかっ
多少たしょうヒステリーひすてりーせい思っおもっ全然ぜんぜんそう決しけっしかねしばらく茫然ぼうぜん
するべい思い詰めおもいつめ調子ちょうしわたくしとても子供こどもできる見込みこみない云い切っいいきっ泣きなき出しだし
宗助そうすけこの可憐かれん自白じはくどう慰さめなぐさめいい分別ぶんべつ余っよっ当惑とうわくうちべい対したいしはなはだ気の毒きのどくいうおもう非常ひじょう高まったかまっ
子供こどもなんざ無くなくいいじゃないうえ坂井さかいさんようたくさん生れうまれ御覧ごらんそばから気の毒きのどくまるで幼稚園ようちえんようって一人ひとりできないきまっちまったらあなたって好かよしみかないでしょうまだできないきまりゃないじゃないこれから生れるうまれる知れしれない べいなお泣きなき出しだし
宗助そうすけ途方とほう暮れくれ発作ほっさ治まるおさまる穏やかおだやか待っまっ
そうかんくりべい説明せつめい聞いきい
夫婦ふうふ和合わごう同棲どうせいいうてんおい人並ひとなみ以上いじょう成功せいこう同時どうじ子供こどもかけ一般いっぱん隣人りんじんより不幸ふこうあっ
それはじめから宿るやどるしゅなかっならまだしも育つそだつべきもの中途ちゅうと取り落しとりおとしからさらに不幸ふこうかん深かっぶかかっ
始めはじめ身重みおもなっ二人ふたり京都きょうと去っさっ広島ひろしま世帯せたい張っちょうっいるあっ
懐妊かいにんこときまっときべいこの新らしいあたらしい経験けいけん対したいし恐ろしいおそろしい未来みらい嬉しいうれしい未来みらい一度いちどゆめ見るみるよう心持こころもち抱いいだい過ごしすごし
宗助そうすけそれ見えみえないあいせい一種いっしゅ確証かくしょうなるべきかたち与えあたえ事実じじつひとり解釈かいしゃく少なからすくなから喜んよろこん
そう自分じぶんいのち吹き込んふきこんにくかたまりまえ踊るおどる時節じせつゆび折っおっ楽しみたのしみ待っまっ
ところ胎児たいじ夫婦ふうふ予期よき反しはんしカ月かげつまで育っそだっ突然とつぜん下りくだりしまっ
その時分じぶん夫婦ふうふ活計かっけい苦しいくるしい苛いむごいつきばかり続いつづい
宗助そうすけ流産りゅうざんべい蒼いあおいかお眺めながめこれ必竟ひっきょう世帯せたい苦労くろうから起るおこる判じはんじ
そう愛情あいじょう結果けっかひんため打ち崩さうちくずさ永くながく捕えるとらえることできなくなっ残念ざんねんがっ
べいひたすら泣いない
福岡ふくおか移っうつっからなくべいまた酸いしいもの嗜むたしなむひとなっ
一度いちど流産りゅうざんするくせなる聞いきいべいまん注意ちゅういつつましやか振舞っふるまっ
そのせい経過けいか至極しごく順当じゅんとう行っいっどうわけこれいう原因げんいんない月足らずつきたらず生れうまれしまっ
産婆さんばくび傾けかたむけいち医者いしゃ見せるみせるよう勧めすすめ
医者いしゃしん貰うもらう発育はついく充分じゅうぶんないから室内しつない温度おんど一定いってい高さたかさ昼夜ちゅうや変らかわらないくらい人工的じんこうてき暖めあたためなけれいけない云っいっ
宗助そうすけ手際てぎわ室内しつない煖炉だんろ据えつけるすえつける設備せつびするだけ容易よういなかっ
夫婦ふうふわが時間じかん算段さんだん許すゆるす限りかぎり尽しつくし専念せんねん赤児あかごいのち護っまもっ
けれどすべて徒労とろう帰しかえし
いち週間しゅうかんあと二人ふたり分けわけじょうかたまりついに冷たくつめたくなっ
べい幼児ようじ亡骸なきがら抱いいだいどうましょう啜り泣いすすりない
宗助そうすけ再度さいど打撃だげきおとこらしく受けうけ
冷たいつめたいにくはいなっそのはいまた黒いくろいつち和するわするまで一口ひとくち愚痴ぐちらしい言葉ことば出さださなかっ
そのうちいつなく二人ふたり挟まっはさまっかげようものしだい遠退いとおのいほどなく消えきえしまっ
するさん度目どめ記憶きおく
宗助そうすけ東京とうきょう移っうつっはじめねんべいまた懐妊かいにんある
出京しゅっきょう当座とうざだいぶん身体しんたいべいもちろん宗助そうすけひどくそこ気遣っきづかいっ今度こんどこそいうはら両方りょうほうあっちょうあるつき無事ぶじだんだん重ねかさね行っいっ
ところちょうどつきなっべいまた意外いがい失敗しっぱいやっ
そのころまだ水道すいどう引いひいなかっから朝晩あさばん下女げじょ井戸端いどはしみず汲んくんだり洗濯せんたくなけれならなかっ
べいある日裏ひうらいる下女げじょ云いいいつけるようでき井戸いどりゅうそば置いおいたらいそばまで行っいっはなしついでりゅうむかい渡ろうわたろう青いあおいこけ生えはえいる濡れぬれいたうえしりもち突いつい
べいまたやり損なっそこなっ思っおもっ自分じぶん粗忽そこつ面目めんぼくがっ宗助そうすけわざと何事なにごと語らかたらその通しとおし
けれどもこ震動しんどういつまで経っきょうっ胎児たいじ発育はついくこれいう影響えいきょう及ぼさおよぼさしたがっ自分じぶん身体しんたい少しすこし異状いじょう引き起さひきおこさなかっことたしか分っわかっべいようやく安心あんしん過去かこしつ改めてあらためて宗助そうすけまえ告げつげ
宗助そうすけ固よりもとよりつま咎めるとがめるなかっ
ただよくつけない危ないあぶない穏やかおだやか注意ちゅうい加えくわえ過ぎすぎ
とかくするうちつき満ちみち
いよいよ生れるうまれるいう間際まぎわまで詰っなじっとき宗助そうすけ役所やくしょながらべいことしきりかかっ
帰りかえりいつも今日きょうことよる留守るすうちなど案じあんじ続けつづけ自分じぶんいえ格子こうしまえ立ったっ
そう半ばなかば予期よきいる赤児あかご泣声なきごえ聞えきこえないかえってなんへん起っおこっらしく感じかんじ急いいそいたく飛び込んとびこん自分じぶん自分じぶん粗忽そこつ恥ずるはずることあっ
みゆきべい産気さんけづい宗助そうすけそとようない夜中よなかだっそば世話せわできる云ういうてんから見れみれはなはだ都合つごう好かっよかっ
産婆さんばかんくり間に合うまにあう脱脂綿だっしめんそのほか準備じゅんびことごとく不足ふそくなく取り揃えとりそろえあっ
さん案外あんがい軽かっかるかっ
けれど肝心かんじん小児しょうにただ子宮しきゅう逃れのがれ広いひろいところいうまで浮世うきよ空気くうき一口ひとくち呼吸こきゅうなかっ
産婆さんば細いほそい硝子がらすかんようもの取っとっ小さいちいさいくちうち強いつよい呼息こそくしきり吹き込んふきこん効目ききめまるでなかっ
生れうまれものにくだけあっ
夫婦ふうふこのにく刻みつけきざみつけられはなくち髣髴ほうふつ
しかしその咽喉のどから出るでるこえついに聞くきくことできなかっ
産婆さんば出産しゅっさんあっついいち週間しゅうかんまえ丁寧ていねい胎児たいじ心臓しんぞうまで聴診ちょうしん至極しごく健全けんぜん保証ほしょう行っいっある
よし産婆さんば云ういうことあっはら発育はついく今までいままでうちどこ止っとまっところそれじか取り出さとりださない以上いじょう母体ぼたい今日きょうまで平気へいき持ちもち応えるこたえるわけなかっ
そこだんだん調べしらべ宗助そうすけ自分じぶんいまだかつて聞いきいことない事実じじつ発見はっけん思わおもわ恐れおそれ驚ろいおどろい
胎児たいじ出るでる間際まぎわまで健康けんこうあっある
けれど臍帯さいたいまといらく云っいっぞく云ういうほうくび捲きまきつけ
こう云ういう異常いじょう場合ばあい固よりもとより産婆さんばうで切り抜けるきりぬけるよりほかしようないもの経験けいけんあるばあさんなら取り上げるとりあげる旨くうまくくび掛かっかかっほう外しはずし引き出すひきだすはずあっ
宗助そうすけ頼んたのん産婆さんばかなりねん取っとっいるだけこのくらいこと心得こころえ
しかし胎児たいじくび絡んからん臍帯さいたい時たまときたまあるごとくいちじゅうなかっ
じゅう細いほそい咽喉のど巻いまいいるほうあの細いほそいところ通すとおす外しはずし損なっそこなっ小児しょうにぐっ気管きかん絞めしめられ窒息ちっそくしまっある
つみ産婆さんばあっ
けれどなかば以上いじょうべい落度おちどなかっ
臍帯さいたいまといらく変状へんじょうべい井戸端いどはし滑っすべっ痛くいたく尻餅しりもち搗いついカ月かげつまえすでに自らみずから醸しかもしもの知れしれ
べい産後さんごじょくなかその始末しまつ聞いきいただ軽くかるく首肯いうなずいぎり何になんに云わいわなかっ
そう疲労ひろう少しすこし落ち込んおちこんませ長いながい睫毛まつげしきり動かしうごかし
宗助そうすけ慰さめなぐさめながら手帛はんけちほお流れるながれるなみだ拭いぬぐいやっ
これ子供こども関するかんする夫婦ふうふ過去かこあっ
この苦いにがい経験けいけんかれそれ以後いご幼児ようじつい余りあまり多くおおく語るかたる好まこのまなかっ
けれど二人ふたり生活せいかつ裏側うらがわこの記憶きおくため淋しくさびしく染めそめつけられ容易ようい剥げはげそう見えみえなかっ
彼我ひが笑声しょうせい通しとおしさえたがいむねこの裏側うらがわ薄暗くうすぐらく映るうつることあっ
こういうわけから過去かこ歴史れきしいまおっと向っむかっ新たあらた繰り返そうくりかえそうべい思い寄らおもいよらなかっある
宗助そうすけ今更いまさらつまからそれ聞かきかられる必要ひつよう少しすこし認めみとめなかっある
べいおっと打ち明けるうちあける云っいっ固よりもとより二人ふたり共有きょうゆう事実じじつついなかっ
彼女かのじょさん度目どめ胎児たいじ失っうしなっおっとからそのおり模様もよう聞いきいいかに自分じぶん残酷ざんこくははあるごとく感じかんじ
自分じぶん下しおろしさとしないせよ考えかんがえようよっ自分じぶんなま与えあたえものなま奪ううばうため暗闇くらやみ明海めいかい途中とちゅう待ち受けまちうけこれ絞殺こうさつ同じおなじことあっからある
こう解釈かいしゃくべい恐ろしいおそろしいつみ犯しおかし悪人あくにんおのれ見傚さみなさないわけ行かいかなかっ
そう思わおもわざる徳義とくぎうえ苛責かしゃくひと知れしれ受けうけ
しかもその苛責かしゃく分っわかっとも苦しんくるしんくれるもの世界中せかいちゅう一人ひとりなかっ
べいおっとさえこの苦しみくるしみ語らかたらなかっある
彼女かのじょその普通ふつう産婦さんぷようさん週間しゅうかんゆかなか暮らしくらし
それ身体しんたいから云ういう極めてきわめて安静あんせいさん週間しゅうかんなかっ
同時どうじこころから云ういう恐るおそるべき忍耐にんたいさん週間しゅうかんあっ
宗助そうすけ亡児ぼうじため小さいちいさいひつぎ拵らえこしらえひと立たたたない葬儀そうぎ営なんいとなん
しかるあとまた死んしんものため小さなちいさな位牌いはい作っつくっ
位牌いはい黒いくろいうるし戒名かいみょう書いかいあっ
位牌いはいぬし戒名かいみょう持っもっ
けれど俗名ぞくみょう両親りょうしんいえ知らしらなかっ
宗助そうすけ最初さいしょそれ茶の間ちゃのま箪笥たんすうえ載せのせ役所やくしょから帰るかえる絶えたえ線香せんこう焚いたい
そのこうろくたたみいるべいはな時々ときどき通っとおっ
彼女かのじょ官能かんのう当時とうじそれほど鋭どくするどくなっある
しばらくから宗助そうすけなん考えかんがえ小さいちいさい位牌いはい箪笥たんす抽出ちゅうしゅつそこしまっしまっ
そこ福岡ふくおか亡くなっなくなっ小供こども位牌いはい東京とうきょう死んしんちち位牌いはい別々べつべつ綿めん包んつつん丁寧ていねい入れいれあっ
東京とうきょういえ畳むたたむとき宗助そうすけ先祖せんぞ位牌いはいいち残らのこら携えたずさえ諸所しょしょ漂泊ひょうはくする煩わしわずらわし堪えこらえなかっ新らしいあたらしいちちぶんだけかばんなか収めおさめそのほかことごとくてら預けあずけおいある
べい宗助そうすけするすべてながらたり聞いきいたり
そう布団ふとんうえあおぐむかいなっままこの小さいちいさい位牌いはい見えみえない因果いんがいと長くながく引いひいたがい結びつけむすびつけ
それからそのいとなお遠くとおく延ばしのばしこれ位牌いはいなら流れながれしまっ始めはじめからかたちないぼんやりかげよう死児しじうえ投げかけなげかけ
べい広島ひろしま福岡ふくおか東京とうきょう残るのこるいちずつ記憶きおくそこ動かしうごかしがたい運命うんめい厳かおごそか支配しはい認めみとめその厳かおごそか支配しはいした立つたついくつき自分じぶん不思議ふしぎ同じおなじ不幸ふこう繰り返すくりかえすべく作らつくらははある観じかんじなら呪詛ずそこえみみそば聞いきい
彼女かのじょさん週間しゅうかん安静あんせい蒲団ふとんうえどんぼらなけれならないよう生理的せいりてき強いつよいられいる彼女かのじょ鼓膜こまくこの呪詛ずそこえほとんど絶えたえ鳴っなっ
さん週間しゅうかん安臥あんがべい取っとっじつ比類ひるいない忍耐にんたいさん週間しゅうかんあっ
べいこの苦しいくるしい半月はんつき余りあまりまくらうえじっと見つめみつめながら過ごしすごし
しまい我慢がまんよこなっいるいかに苛かっむごかっ看護婦かんごふ帰っかえっ明るあかるこっそり起きおきぶらぶらそれこころ逼るせまる不安ふあん容易ようい紛らせまぎらせなかっ
退たい身体しんたい無理むり動かすうごかすわりあたまなか少しすこし動いうごいくれないまた落胆らくたんりしついに取りとり放しはなし夜具やぐした潜り込んもぐりこんひと遠ざけるとおざけるよう堅くかたく閉っしまっしまうことあっ
そのうち定期ていきさん週間しゅうかん過ぎすぎべい身体しんたい自からみずからすっきりなっ
べい奇麗きれいゆか払っはらっ新らしいあたらしいするまゆ再びふたたびかがみ照らしてらし
それ更衣こうい時節じせつあっ
べい久しぶりひさしぶり綿めん入っはいっ重いおもいもの脱ぎ棄てぬぎすてはだあか触れふれない軽いかるい気持きもち爽やかさわやか感じかんじ
はるなつさかいぱっ飾るかざる陽気ようき日本にっぽん風物ふうぶつ淋しいさびしいべいあたま幾分いくぶん反響はんきょう与えあたえ
けれどそれただ沈んしずんもの掻き立てかきたて賑やかにぎやか光りひかりうち浮かしうかしまであっ
べい暗いくらい過去かこなかその一種いっしゅ好奇心こうきしん萌しきざしある
天気てんき勝れすぐれくしある午前ごぜんべいいつも通りとおり宗助そうすけ送り出しおくりだしからじかひょう
もうおんな日傘ひがさ差しさしそと行くいくべき時節じせつあっ
急いいそい日向ひなた歩くあるくがくへん少しすこしあせばん
べい歩きあるき歩きあるき着物きもの着換えるきかえる箪笥たんす開けあけたら思わおもわいち番目ばんめ抽出ちゅうしゅつそこしまっあっ新らしいあたらしい位牌いはい触れふれこと思いおもいつづけとうとうある易者えきしゃもん潜っもぐっ
彼女かのじょ多数たすう文明ぶんめいひと共通きょうつう迷信めいしん子供こどもから持っもっ
けれど平生へいぜいその迷信めいしんまた多数たすう文明ぶんめいひと同じおなじよう遊戯ゆうぎまとそと現われるあらわれるだけ済んすん
それ実生活じつせいかつ厳かおごそか部分ぶぶん冒すおかすようなっ全くまったく珍らしいめずらしい云わいわなけれならなかっ
べいその真面目まじめ態度たいど真面目まじめこころ有っあっ易者えきしゃまえ坐っすわっ自分じぶん将来しょうらい生むうむべきまた子またこ育てるそだてるべき運命うんめいてんから与えあたえられるだろう確めたしかめ
易者えきしゃ大道だいどうみせ出しだし往来おうらいひと身の上みのうえ一二いちにせんうらないひと少しすこし違っちがっ様子ようすなく算木さんぎいろいろ並べならべたり筮竹ぜいちく揉んもんだり数えかぞえたりあと仔細しさいらしくしたひげ握っにぎっなん考えかんがえ終りおわりべいかおつくづく眺めながめすえあなた子供こどもできませ落ちつきおちつき払っはらっ宣告せんこく
べい無言むごんまましばらく易者えきしゃ言葉ことばあたまなか噛んかんだり砕いくだいたり
それからかお上げあげなぜでしょう聞き返しききかえし
そのべい易者えきしゃ返事へんじするまえまた考えるかんがえるだろう思っおもっ
ところかれまともべい見詰めみつめまますぐあなたひと対したいしすまないことさとしあるそのつみ祟ったたっいるから子供こどもけっして育たそだたない云い切っいいきっ
べいこの一言ひとこと心臓しんぞう射抜かいぬかれるおもうあっ
くしゃりくび折っおっなりいえ帰っかえっそのよるおっとかおさえろくろく見上げみあげなかっ
べい宗助そうすけ打ち明けうちあけない今までいままで過しすごしいうこの易者えきしゃ判断はんだんあっ
宗助そうすけ床の間とこのま乗せのせ細いほそい洋灯ようとうあかりよるなか沈んしずん行きいきそう静かしずかばん始めはじめべいくちからそのはなし聞いきいときさすが好いよい気味きみなかっ
神経しんけい起っおこっわざわざそんな馬鹿ばかところ出かけるでかけるからせん出しだし下らしたらないこと云わいわつまらないじゃないその後そのあとそのうらないたく行くいく恐ろしいおそろしいからもうけっして行かいかない行かいかないいい馬鹿ばかいる 宗助そうすけわざと鷹揚おうようこたえまたしまっ
十四じゅうよん
宗助そうすけべいなか好いよい夫婦ふうふなかっ
いっしょなっから今日きょうまでろくねんほど長いながい月日つきひまだ半日はんじつ不味くまずく暮しくらしことなかっ
げんぎゃくかお赤らめあからめ合っあっなおなかっ
二人ふたり呉服屋ごふくや反物たんもの買っかっ
米屋こめやからべい取っとっ食っしょくっ
けれどそのほか一般いっぱん社会しゃかい待つまつところきわめて少ないすくない人間にんげんあっ
かれ日常にちじょう必要ひつようしな供給きょうきゅうする以上いじょう意味いみおい社会しゃかい存在そんざいほとんど認めみとめなかっ
かれ取っとっ絶対ぜったい必要ひつようものたがいだけそのたがいだけかれまた充分じゅうぶんあっ
かれやまなかいるこころ抱いいだい都会とかい住んすん
自然しぜんいきおいかれ生活せいかつ単調たんちょう流れながれないわけ行かいかなかっ
かれ複雑ふくざつ社会しゃかいはん避けさけとくともその社会しゃかい活動かつどうから出るでるさまざま経験けいけん直接ちょくせつ触れるふれる機会きかい自分じぶん塞いせいしまっ都会とかい住みすみながら都会とかい住むすむ文明ぶんめいひと特権とっけん棄てすてよう結果けっか到着とうちゃく
かれ自分じぶんとおる日常にちじょう変化へんかないこと折々おりおり自覚じかく
たがいたがい飽きるあきるもの足りたりなくなるいうこころ微塵みじん起らおこらなかっけれどたがいあたま受け入れるうけいれる生活せいかつ内容ないよう刺戟しげき乏しいとぼしいあるもの潜んひそんいるよう鈍いにぶいうったえあっ
それかかわらかれ毎日まいにち同じおなじはん同じおなじむね押しおしなが月日つきひ倦まあぐま渡っわたっかれはじめから一般いっぱん社会しゃかい興味きょうみ失っうしなっためなかっ
社会しゃかいほうかれ二人ふたりぎり切りつめきりつめその二人ふたりれい向けむけ結果けっかほかならなかっ
そと向っむかっ生長せいちょうする余地よち見出しみだしとくなかっ二人ふたりうち向っむかっ深くふかく延びのび始めはじめある
かれ生活せいかつ広さひろさ失なううしなう同時どうじ深さふかさ増しまし
かれろくねん世間せけん散漫さんまん交渉こうしょう求めもとめなかっ代りかわり同じおなじろくねん歳月さいげつ挙げあげたがいむね掘り出しほりだし
かれいのちいつたがいそこまで喰い入っくいいっ
二人ふたり世間せけんから見れみれ依然いぜん二人ふたりあっ
けれどたがいから云えいえ道義どうぎうえ切り離すきりはなすことできないいち有機体ゆうきたいなっ
二人ふたり精神せいしん組み立てるくみたてる神経系しんけいけい最後さいご繊維せんい至るいたるまでたがい抱き合っだきあっでき上っできあがっ
かれ大きなおおきな水盤すいばんひょうしずくたったてんあぶらようものあっ
みず弾いひいいっしょ集まっあつまっ云ういうよりみず弾かひかいきおい丸くまるく寄り添っよりそっ結果けっか離れるはなれることできなくなっ評するひょうするほう適当てきとうあっ
かれこの抱合ほうごうなか尋常じんじょう夫婦ふうふ見出しみだしがたい親和しんわ飽満ほうまんそれ伴なうともなう倦怠けんたい兼ね具えかねそなえ
そうその倦怠けんたい気分きぶん支配しはいながら自己じこ幸福こうふく評価ひょうかすることだけ忘れわすれなかっ
倦怠けんたいかれ意識いしきねむりようまく掛けかけ二人ふたりあいうっとり霞まかすまことあっ
けれどささら神経しんけい洗わあらわれる不安ふあんけっして起しおこしとくなかっ
要するようするかれ世間せけん疎いうといだけそれだけなか好いよい夫婦ふうふあっある
かれ人並ひとなみ以上いじょう睦まむつましい月日つきひ渝らかわら今日きょうから明日あす繋いつない行きいきながらつねそこつかかお見合わせみあわせいるようもの時々ときどき自分じぶんとおる睦まじむつまじがるこころ自分じぶん確としかと認めるみとめることあっ
その場合ばあい必ずかならず今までいままで睦まじくむつまじく過ごしすごしなが歳月さいげつのぼっ自分じぶんとおるいかな犠牲ぎせい払っはらっ結婚けっこんあえて云ういう当時とうじ憶い出さおもいださないわけ行かいかなかっ
かれ自然しぜんかれまえもたらし恐るおそるべき復讐ふくしゅうした戦きおののきながら
同時どうじこの復讐ふくしゅう受けるうけるためとくたがい幸福こうふく対したいしあいかみいちべんこう焚くたくこと忘れわすれなかっ
かれむちたれつつ赴くおもむくものあっ
ただそのむちさきすべて癒やすいやす甘いあまいみつ着いついいること覚っさとっある
宗助そうすけ相当そうとう資産しさんある東京とうきょうもの子弟していかれ共通きょうつう派出はしゅつ嗜好しこう学生時代がくせいじだい遠慮えんりょなく充たしみたしおとこある
かれその時服じふくそう動作どうさ思想しそうことごとく当世とうせいらしい才人さいじん面影おもかげ漲らしみなぎらしのぼるくび世間せけん擡げもたげつつ行こういこう思うおもう辺りあたり濶歩かっぽ
かれえり白かっしろかっごとくかれようはかますそ奇麗きれい折り返さおりかえさごとくそのしたから見えるみえるかれ靴足袋くつたび模様もよういりカシミヤかしみやあっごとくかれあたま華奢きゃしゃ世間せけん向きむきあっ
かれ生れつきうまれつき理解りかい好いよいおとこあっ
したがっ大したたいした勉強べんきょうするなれなかっ
学問がくもん社会しゃかい出るでるため方便ほうべん心得こころえから社会しゃかい一歩いちほ退ぞかしりぞかなくっ達するたっすることできない学者がくしゃいう地位ちい余りあまり多くおおく興味きょうみ有っあっなかっ
かれただ教場きょうじょう普通ふつう学生がくせいする通りとおり多くおおくノートブックのーとぶっく黒くくろく
けれどたく帰っかえっそれ読み直しよみなおしたり入れいれたりこと滅多めったなかっ
休んやすん抜けぬけところさえ大抵たいていそのまま放っはなっ置いおい
かれ下宿げしゅくつくえうえこのノートブックのーとぶっく奇麗きれい積み上げつみあげいつ整然せいぜん秩序ちつじょつい書斎しょさいそらそとあゆみるい
友達ともだち多くおおくかれ寛濶かんかつ羨んうらやん
宗助そうすけ得意とくいあっ
かれ未来みらいにじようくしかれひとみ照らしてらし
そのころ宗助そうすけいま違っちがっ多くおおく友達ともだち持っもっ
じつ云ういう軽快けいかいかれ映ずるえいずるすべてひとほとんど誰彼だれかれ区別くべつなく友達ともだちあっ
かれてきいう言葉ことば意味いみ正当せいとう解しかいしとくない楽天家らくてんか若いわかいのびのび渡っわたっ
なに不景気ふけいきかおさえなけれどこ行っいったって驩迎れるもん学友がくゆう安井やすいよく話しはなしことあっ
実際じっさいかれかおほか不愉快ふゆかいするほど深刻しんこく表情ひょうじょう示ししめしとくなかっ
きみ身体しんたい丈夫じょうぶから結構けっこうよくどこ故障こしょう起るおこる安井やすい羨ましうらやましがっ
この安井やすいいうくに越前えちぜん長くながく横浜よこはま言葉ことば様子ようす毫もごうも東京とうきょうもの異なることなるてんなかっ
着物きもの道楽どうらく髪の毛かみのけ長くながく真中まなかから分けるわけるくせあっ
高等学校こうとうがっこう違っちがっけれど講義こうぎときよく隣合せとなりあわせ並んならん時々ときどき聞ききき損なっそこなっところなどあとから質問しつもんするくち利ききき出しだしもとなっつい懇意こんいなっ
それ学年がくねん始りはじまりだっ京都きょうとまだ浅いあさい宗助そうすけだいぶん便宜べんぎあっ
かれ安井やすい案内あんない新らしいあたらしい土地とち印象いんしょうさけごとく吸い込んすいこん
二人ふたり毎晩まいばんようさんじょう四条しじょういう賑やかにぎやかまち歩いあるい
よる京極きょうごく通り抜けとおりぬけ
はし真中まなか立ったっ鴨川かもがわみず眺めながめ
東山ひがしやまうえ出るでる静かしずかつき
そう京都きょうとつき東京とうきょうつきより丸くまるく大きいおおきいよう感じかんじ
まちひと厭きあきとき土曜どよう日曜にちよう利用りよう遠いとおい郊外こうがい
宗助そうすけ至る所いたるところおお竹藪たけやぶみどり籠るこもる深いぶかい姿すがた喜んよろこん
まつみき染めそめよう赤いあかい照り返してりかえし幾本いくぽんなく並ぶならぶ風情ふぜい楽しんたのしん
ある大悲だいひかく登っのぼっそくがくした仰向きあおむきながら谷底たにそこりゅう下るくだるやぐらおと聞いきい
そのおとがん鳴声なきごえよくいる二人ふたりとも面白おもしろがっ
ある平八へいはち茶屋ちゃやまで出掛けでかけ行っいっそこ一日いちにち
そう不味いまじいかわさかなくし刺しさしかみさん焼かしやかしさけ呑んのん
そのかみさん手拭てぬぐい被っかぶっこんたてようもの穿いはい
宗助そうすけこんな新らしいあたらしい刺戟しげきしたしばらく慾求よっきゅう満足まんぞくとく
けれどひととおり古いふるいにおい嗅いかい歩くあるくうちすべてやがて平板へいばん見えみえだし
そのかれしいやまいろ清いきよいみずいろ最初さいしょほど鮮明せんめいかげ自分じぶんあたま宿さしゅくさないもの足らあしら思いおもい始めはじめ
かれ暖かあたたか若いわかい抱いいだいその熱りいきり冷すひやす深いぶかいみどり逢えあえなくなっ
そういっこの情熱じょうねつ焚きたき尽すつくすほど烈しいはげしい活動かつどう無論むろん出会わであわなかっ
かれ高いたかいみゃく打っうっいたずらむず痒くむずがゆくかれ身体しんたいなか流れながれ
かれ腕組うでぐみながら四方しほうやま眺めながめ
そうもうこんなふる臭いくさいところ厭きあき云っいっ
安井やすい笑いわらいながら比較ひかくため自分じぶん知っしっいるある友達ともだち故郷こきょう物語ものがたり宗助そうすけ聞かしきかし
それ浄瑠璃じょうるり土山つちやまあめ降るふるある有名ゆうめい宿やどことあっ
あさ起きおきからよる寝るねるまで入るはいるものやまよりほかないところまるで擂鉢すりばちそこ住んすんいる同じおなじ有様ありさま告げつげうえ安井やすいその友達ともだち小さいちいさい時分じぶん経験けいけん五月雨さみだれ降りふりつづくおりなど小供こどもこころいま自分じぶん住んすんいる宿やど四方しほうやまから流れながれ来るくるあめなか浸かっつかっしまいそう心配しんぱいならなかっ云ういうはなし
宗助そうすけそんな擂鉢すりばちそこ一生いっしょう過すすごすひと運命うんめいほど情ないなさけないものあるまい考えかんがえ
そう云ういうところ人間にんげんよく生きいきられる不思議ふしぎそうかお安井やすい云っいっ
安井やすい笑っわらっ
そう土山つちやまから人物じんぶつなかせんりょうばこ摩り替えすりかえはりつけなっ一番いちばん大きいおおきい云ういう一口話いちこうわやはり友達ともだちから聞いきい通りとおり繰り返しくりかえし
狭いせまい京都きょうと飽きあき宗助そうすけ単調たんちょう生活せいかつ破るやぶる色彩しきさいそう云ういう出来事できごとひゃくねん一度いちどぐらい必要ひつようだろうまで思っおもっ
その時分じぶん宗助そうすけつね新らしいあたらしい世界せかいばかり注がちゅうが
から自然しぜんひととおり四季しきいろ見せみせしまっあと再びふたたび去年きょねん記憶きおく呼び戻すよびもどすためはな紅葉こうよう迎えるむかえる必要ひつようなくなっ
強くつよく烈しいはげしいいのち生きいき云ういう証券しょうけん飽くまであくまで握りにぎりたかっかれ活きつき現在げんざいこれから生れよううまれようする未来みらい当面とうめん問題もんだいあっけれど消えきえかかる過去かこゆめ同様どうようあたい乏しいとぼしい幻影げんえい過ぎすぎなかっ
かれ多くおおく剥げはげかかっしゃさび果てはててら尽しつくしいろ褪めさめ歴史れきしうえ黒いくろいあたま振り向けるふりむける勇気ゆうき失いかけうしないかけ
耄けほけむかしするほどかれ気分きぶん枯れかれなかっある
学年がくねん終りおわり宗助そうすけ安井やすい再会さいかい約しやくし分っわかっ
安井やすいひとまず郷里きょうり福井ふくい帰っかえっそれから横浜よこはま行くいくつもりからもしその手紙てがみ出しだし通知つうちしようそうなるべくならいっしょ汽車きしゃ京都きょうと下ろうくだろうもし時間じかん許すゆるすなら興津おきつあたり泊っとまっ清見きよみてら三保みほ松原まつばら久能くのうやまながらかんくり遊んあそん行こういこう云っいっ
宗助そうすけ大いにおおいによかろう答えこたえはらなかすでに安井やすい端書はしがきする心持こころもちさえ予想よそう
宗助そうすけ東京とうきょう帰っかえっときちち固よりもとよりまだ丈夫じょうぶあっ
小六しょうろく子供こどもあっ
かれいちねんぶりいんんな炎熱えんねつ煤煙ばいえん呼吸こきゅうするかえって嬉しくうれしく感じかんじ
ようしたうず捲いまい狂いくるい出しだしそうかわらいろ幾里いくさとなく続くつづく景色けしき高いたかいところから眺めながめこれこそ東京とうきょう思うおもうことさえあっ
いま宗助そうすけなら眩しまぶしかねない事々じじ物々ぶつぶつことごとく壮快そうかいかれがく焼き付けやきつけべくその反射はんしゃある
かれ未来みらい封じふうじられつぼみよう開かひらかないさきほか知れしれないばかりなく自分じぶん確としかと分らわからなかっ
宗助そうすけただ洋々ようようかれ前途ぜんと棚引いたなびいいるだけあっ
かれこの暑いあつい休暇中きゅうかちゅう卒業後そつぎょうご自分じぶん対するたいするはかりごとこつがせなかっ
かれ大学だいがくから官途かんとつこうまた実業じつぎょう従おうしたがおうそれすらまだ判然はんぜんこころきめなかっかかわらどちら方面ほうめん構わかまわいまうちから進めるすすめるだけ進んすすんおくほう利益りえき心づいこころづい
かれ直接ちょくせつちち紹介しょうかいとく
ちち通しとおし間接かんせつその知人ちじん紹介しょうかいとく
そう自分じぶん将来しょうらい影響えいきょう得るうるようひと物色ぶっしょく二三にさん訪問ほうもん試みこころみ
かれあるもの避暑ひしょいう名義めいぎしたすでに東京とうきょう離れはなれ
あるもの不在ふざいあっ
またあるもの多忙たぼうため期しきし勤務先きんむさき会おうあおう云っいっ
宗助そうすけまだ高くたかくならないななころ昇降しょうこううつわ煉瓦れんがつくりさんかい案内あんないそこ応接間おうせつかんもう七八しちはちひと自分じぶん同じおなじよう同じおなじひと待っまっいる光景こうけい驚ろいおどろいことあっ
かれこう新らしいあたらしいところ行っいっ新らしいあたらしいもの接するせっするようむかい成否せいひ関わらかかわら今までいままで付かつか過ぎすぎ活きつき世界せかい断片だんぺんあたま詰め込むつめこむようなんなく愉快ゆかいあっ
ちち云いいいつけ毎年まいとし通りとおり虫干むしぼし手伝てつだいられるこんなかえって興味きょうみ多いおおい仕事しごと一部分いちぶぶん数えかぞえられ
かれ冷たいつめたいかぜ吹き通すふきとおす土蔵どぞう戸前とまえ湿っぽいしめっぽいいしうえこし掛けかけ古くふるくからいえあっ江戸えど名所めいしょ図会ずえ江戸えど砂子すなごいうほん物珍しものめずらしそう眺めながめ
たたみまで熱くあつくなっ座敷ざしき真中まなか胡坐こざ掻いかい下女げじょ買っかっ樟脳しょうのう小さなちいさな紙片しへん取り分けとりわけ医者いしゃくれる散薬さんやくようかたち畳んたたん
宗助そうすけ小供こどもからこの樟脳しょうのう高いたかいこうあせ出るでる土用どよう炮烙ほうらくきゅう蒼空そうくう緩くゆるく舞うまうとび連想れんそう
とかくするうちふし立秋りっしゅう入っはいっ
二百十にひゃくじゅうまえかぜ吹いふいあめ降っふっ
そら薄墨うすずみ染んしんようくもしきり動いうごい
寒暖計かんだんけい二三にさん下がりさがり切りきり下がっさがっ
宗助そうすけまた行李こうり麻縄あさなわ絡げからげ京都きょうと向うむこう支度したくなけれならなくなっ
かれこの安井やすい約束やくそくあること忘れわすれなかっ
いえ帰っかえっ当座とうざまだカ月かげつさきことからかんくり構えかまえだんだん時日じじつ逼るせまる従っしたがっ安井やすい消息しょうそくなっ
安井やすいそのあといちばい端書はしがきさえ寄こさよこさなかっある
宗助そうすけ安井やすい郷里きょうり福井ふくい向けむけ手紙てがみ出しだし
けれど返事へんじついになかっ
宗助そうすけ横浜よこはまほう問い合わせといあわせ見ようみよう思っおもっつい番地ばんち町名ちょうめい聞いきい置かおかなかっどうすることできなかっ
立つたつまえばんちち宗助そうすけ呼んよん宗助そうすけ請求せいきゅう通りとおり普通ふつう旅費りょひ以外いがい途中とちゅう二三にさん滞在たいざいうえ京都きょうと着いついから当分とうぶん小遣こづかい渡しわたしなるたけ節倹せっけんなくちゃいけない諭しさとし
宗助そうすけそれ普通ふつう普通ふつうおや訓戒くんかい聞くきくごとく聞いきい
ちちまた来年らいねんまた帰っかえっ来るくるまで会わあわないから随分ずいぶんつけ云っいっ
その帰っかえっ来るくる時節じせつ宗助そうすけもう帰れかえれなくなっある
そう帰っかえっちち亡骸なきがらもう冷たくつめたくなっある
宗助そうすけいま至るいたるまでそのちち面影おもかげ思い浮べおもいうかべすまないよう
いよいよ立つたつ云ういう間際まぎわ宗助そうすけ安井やすいからいちつう封書ふうしょ受取っうけとっ
開いひらい見るみる約束やくそく通りとおりいっしょ帰るかえるつもり少しすこし事情じじょうあっさき立たたたなけれならないことなっから云ういうだん述べのべすえいずれ京都きょうとかんくり会おうあおう書いかいあっ
宗助そうすけそれ洋服ようふく内懐うちぶところ押し込んおしこん汽車きしゃ乗っのっ
約束やくそく興津おきつときかれ一人ひとりプラットフォームぷらっとふぉーむ降りふり細長いほそながい一筋ひとすじまち清見きよみてらほう歩いあるい
なつすでに過ぎすぎきゅうつきはつおおかた避暑ひしょきゃく早くはやく引き上げひきあげあとから宿屋やどや比較的ひかくてき閑静かんせいあっ
宗助そうすけうみ見えるみえる一室いっしつなか腹這はらばいなっ安井やすい送るおくる端書はしがき二三にさんこう文句もんく書いかい
そのなかきみないからぼく一人ひとりここいう言葉ことば入れいれ
翌日よくじつ約束やくそく通りとおり一人ひとり三保みほ竜華りゅうげてら見物けんぶつ京都きょうと行っいっから安井やすい話すはなす材料ざいりょうできるだけ拵えこしらえ
しかし天気てんきせい当にまさにれんないためうみやま登っのぼっそれほど面白くおもしろくなかっ
宿やどじっといるなお退屈たいくつあっ
宗助そうすけ匆々そうそうまた宿やど浴衣ゆかた脱ぎ棄てぬぎすて絞りしぼりさんさしとも欄干らんかん掛けかけ興津おきつ去っさっ
京都きょうと着いついいち夜汽車よるきしゃ疲れつかれやら荷物にもつ整理せいりやら往来おうらい日影ひかげ知らしら暮らしくらし
なっようやく学校がっこう見るみる教師きょうしまだ出揃っでそろっなかっ
学生がくせい平日へいじつよりすう不足ふそくあっ
不審ふしんこと自分じぶんより三四さんよんまえ帰っかえっいるべきはず安井やすいかおさえどこ見えみえなかっ
宗助そうすけそれかかる帰りかえりわざわざ安井やすい下宿げしゅく回っまわっ
安井やすいのいるところみず多いおおい加茂かもしゃそばあっ
かれ夏休みなつやすみまえから少しすこし閑静かんせい町外れまちはずれ移っうつっ勉強べんきょうするつもり云っいっわざわざこの不便ふべんむら同様どうよう田舎いなか引込んひきこんある
かれ見つけみつけ出しだしいえからさび土塀どべい二方にほう回らしまわらしすでに古風こふう片づいかたづい
宗助そうすけ安井やすいからそこ主人しゅじんもと加茂かも神社じんじゃ神官しんかん一人ひとりあっ云ういうはなし聞いきい
非常ひじょう能弁のうべん京都きょうと言葉ことば操るあやつる四十よんじゅうばかり細君さいくん安井やすい世話せわ
世話せわってただ不味いまじい拵らえこしらえさんずつむろ運んはこんくれるだけ安井やすい移りうつり立てたてからこの細君さいくん悪口わるぐち利いきい
宗助そうすけ安井やすいここ二三にさん訪ねたずね縁故えんこかれいわゆる不味いまじい拵らえるこしらえるぬし知っしっ
細君さいくんほう宗助そうすけかお覚えおぼえ
細君さいくん宗助そうすけ見るみるいなれい柔かいやわらかいした慇懃いんぎん挨拶あいさつ述べのべあとこっちから聞こうきこう思っおもっ安井やすい消息しょうそくかえって向うむこうから尋ねたずね
細君さいくん云ういうところよるかれ郷里きょうり帰っかえっから当日とうじつ至るいたるまでいちかた音信おんしんさえ下宿げしゅく出さださなかっある
宗助そうすけ案外あんがいおもう自分じぶん下宿げしゅく帰っかえっ
それからいち週間しゅうかんほど学校がっこう出るでるたんび今日きょう安井やすいかお見えるみえる明日あす安井やすいこえする毎日まいにち漠然ばくぜん予期よき抱いいだい教室きょうしつ開けあけ
そう毎日まいにちまた漠然ばくぜん不足ふそく感じかんじ帰っかえっ
もっとも最後さいご三四さんよんおけ宗助そうすけ早くはやく安井やすい会いあいたい思うおもうより少しすこし事情じじょうあるから失敬しっけいさき立つたつわざわざ通知つうちながらいつまで待っまっかげ見せみせないかれ安否あんぴ関係者かんけいしゃむしろかけある
かれ学友がくゆう誰彼だれかれ万遍まんべんなく安井やすい動静どうせい聞いきい
しかしだれ知るしるものなかっ
ただ一人ひとり昨夕さくゆう四条しじょうひとこみなか安井やすいよく浴衣がけゆかたがけおとこ答えこたえことあっ
しかし宗助そうすけそれ安井やすいだろう信じしんじられなかっ
ところそのはなし聞いきい翌日よくじつすなわち宗助そうすけ京都きょうと着いついからやくいち週間しゅうかんあとはなし通りとおり服装ふくそう安井やすい突然とつぜん宗助そうすけところ尋ねたずね
宗助そうすけ着流しきながしまま麦藁むぎわらぼう持っもっ友達ともだち姿すがた久しひさしぶり眺めながめ夏休みなつやすみまえかれかおうえ新らしいあたらしい何物なにものさらに付け加えつけくわえられよう
安井やすい黒いくろいかみあぶら塗っぬっ目立つめだつほど奇麗きれいあたま分けわけ
そういま床屋とこや行っいっところ言訳いいわけらしいこと云っいっ
そのばんかれ宗助そうすけいち時間じかん余りあまり雑談ざつだん耽っふけっ
かれ重々しいおもおもしいくち利きききほう自分じぶん憚かっはばかっ思い切れおもいきれないようはなし調子ちょうししかる云ういう口癖くちぐせすべて平生へいぜいかれ異なることなるてんなかっ
ただかれなぜ宗助そうすけよりさき横浜よこはま立ったっ語らかたらなかっ
また途中とちゅうどこ暇取っひまどっため宗助そうすけより後れおくれ京都きょうと着いつい判然はんぜん告げつげなかっ
しかしかれ三四さんよんまえようやく京都きょうと着いついことだけ明かあきらか
そう夏休みなつやすみまえ下宿げしゅくまだ帰らかえらいる云っいっ
それどこ宗助そうすけ聞いきいときかれ自分じぶんいま泊っとまっいる宿屋やどや名前なまえ宗助そうすけ教えおしえ
それ三条さんじょうへん三流さんりゅうくらいいえあっ
宗助そうすけその名前なまえ知っしっ
どうそんなところ這入っはいっ当分とうぶんそこいるつもり宗助そうすけ重ねかさね聞いきい
安井やすいただ少しすこし都合つごうあっばかり答えこたえ下宿げしゅく生活せいかつもうやめ小さいちいさいいえ借りようかりよう思っおもっいる思いがけおもいがけない計画けいかく打ち明けうちあけ宗助そうすけ驚ろかしおどろかし
それからいち週間しゅうかんばかりなか安井やすいとうとう宗助そうすけ話しはなし通りとおり学校がっこう近くちかく閑静かんせいところいち構えかまえ
それ京都きょうと共通きょうつう暗いくらい陰気いんき作りつくりうえはしら格子こうしくろ赤くあかく塗っぬっわざとふる臭くくさく見せみせ狭いせまい貸家かしやあっ
門口かどぐちだれ所有しょゆうつかないやなぎいちほんあっ長いながいえだほとんどのき触りさわりそうかぜ吹かふかれるよう宗助そうすけ
にわ東京とうきょう違っちがっ少しすこし整っととのっ
いし自由じゆうなるところだけ比較的ひかくてき大きなおおきな座敷ざしき真正面ましょうめん据えすえあっ
そのした涼しすずしそうこけいくら生えはえ
うら敷居しきい腐っくさっ物置ものおきそらままがらん立ったっいるあととなり竹藪たけやぶ便所べんじょ出入りでいり望まのぞま
宗助そうすけここ訪問ほうもんじゅうつき少しすこしある学期がっき始めはじめあっ
残暑ざんしょまだ強いつよい宗助そうすけ学校がっこう往復おうふく蝙蝠傘こうもりがさ用いもちいこといま記憶きおく
かれ格子こうしまえかさ畳んたたんうち覗き込んのぞきこん粗いあらいしま浴衣ゆかたおんなかげちらり認めみとめ
格子こうしうち三和土たたきそれ真直まっすぐうらまで突き抜けつきぬけいるから這入っはいっすぐ右手みぎて玄関げんかんめい上り口あがりぐち上らのぼらない以上いじょう暗いくらいながら一筋ひとすじおくほうまで見えるみえるわけあっ
宗助そうすけ浴衣ゆかた後影うしろかげ裏口うらぐち出るでるところ消えきえなくなるまでそこ立ったっ
それから格子こうし開けあけ
玄関げんかん安井やすい自身じしん現れあらわれ
座敷ざしき通っとおっしばらく話しはなしさっきおんな全くまったくかお出さださなかっ
こえ立てたておとなかっ
広いひろいいえないからついとなり部屋へやぐらいだろうけれどないまるで違わちがわなかっ
このかげよう静かしずかおんなべいあっ
安井やすい郷里きょうりこと東京とうきょうこと学校がっこう講義こうぎこと何くれなにくれなく話しはなし
けれどべいことつい一言ひとことくちなかっ
宗助そうすけ聞くきく勇気ゆうき乏しかっとぼしかっ
そのそれなり別れわかれ
次の日つぎのひ二人ふたりかお合しごうしとき宗助そうすけやはりおんなことむねなか記憶きおくくち出しだし一言ひとこと語らかたらなかっ
安井やすい何気なんげないかぜ
懇意こんい若いわかい青年せいねんこころえきたて話し合うはなしあう遠慮えんりょない題目だいもくこれまで二人ふたり何度なんどなく交換こうかんかかわら安井やすいここいき詰っなじっごとく見えみえ
宗助そうすけそこ無理むりこじ開けるこじあけるほど強いつよい好奇心こうきしんゆうなかっ
したがっおんな二人ふたり意識いしき挟まりはさまりながらつい話頭わとう上らのぼらないまたいち週間しゅうかんばかり過ぎすぎ
その日曜にちようかれまた安井やすい訪うおとなう
それ二人ふたり関係かんけいいるあるかいつい用事ようじ起っおこっためおんな全くまったく縁故えんこない動機どうきから淡泊たんぱく訪問ほうもんあっ
けれど座敷ざしき上がっあがっ同じおなじところ坐らすわらられ垣根かきね沿うそう小さなちいさなうめ見るみるこのまえこと明らかあきらか思い出さおもいださ
その座敷ざしきそとしんとせいあっ
宗助そうすけその静かしずかうち忍んしのんいる若いわかいおんなかげ想像そうぞうないわけ行かいかなかっ
同時どうじその若いわかいおんなこのまえ同じおなじようけっして自分じぶんまえ来るくる気遣きづかいあるまい信じしんじ
この予期よきした宗助そうすけ突然とつぜんべい紹介しょうかいある
そのべいこのよう粗いあらい浴衣ゆかたなかっ
これからよそ行くいくまたいまそとから帰っかえっ云ういうかぜしょう次の間つぎのまから
宗助そうすけそれ意外いがいあっ
しかし大したたいした綺羅きら着飾っきかざっわけない衣服いふくいろおびひかりそれほどかれ驚かすおどろかすまで至らいたらなかっ
そのうえべい若いわかいおんなありがち嬌羞きょうしゅういうもの初対面はつたいめん宗助そうすけ向っむかっあまり多くおおく表わさあらわさなかっ
ただ普通ふつう人間にんげんせい言葉ことばやもめなに切りつめきりつめだけ見えみえ
ひとまえとなりむろ忍んしのんいるあまり区別くべつないほど落ちついおちついおんないうこと見出しみだし宗助そうすけそれから推しおしべいひっそりあなかち恥かしはずかしがっひとまえ出るでる避けるさけるためばかりなかっ思っおもっ
安井やすいべい紹介しょうかいするこれぼくいもうという言葉ことば用いもちい
宗助そうすけ四五しごぶん対坐たいざ少しすこし談話だんわ取りとりかえいるうちべい口調くちょうどこ国訛くになまりらしいおと交っかっないことつい
今までいままで御国おくにほう聞いきいたらべい返事へんじするまえ安井やすいいや横浜よこはま長くながく答えこたえ
その二人ふたりまち買物かいもの出ようでよう云ういうべい不断ふだん脱ぎぬぎさら暑いあついところわざわざ新らしいあたらしい白足袋しろたびまで穿いはいもの知れしれ
宗助そうすけせっかく出がけでがけ喰いくい留めとめ邪魔じゃまよう気の毒きのどくおもう
なにたく持ちもち立てたてものから毎日まいにち毎日まいにち要るいるもの新らしくあたらしく発見はっけんするいちしゅう一二いちにかえし是非ぜひまで買い出しかいだし行かいかなけれならない云いいいながら安井やすい笑っわらっ
までいっしょ出掛けでかけよう宗助そうすけすぐ立ち上がったちあがっ
ついでいえ様子ようすくれ安井やすい云ういう任せまかせ
宗助そうすけ次の間つぎのまある亜鉛あえん落しおとしつい四角しかく火鉢ひばち安っぽいやすっぽいいろ真鍮しんちゅう薬鑵やかん古びふるび流しながしそば置かおか新らしあたらし過ぎるすぎる手桶ておけ眺めながめもん
安井やすい門口かどぐちじょうおろしかぎうらいえ預けるあずける云っいっそう行っいっ
宗助そうすけべい待っまっいる二言にごんさんげん尋常じんじょうくち利いきい
宗助そうすけこの三四さんよん分間ぶんけん取りとりかえたがい言葉ことばいまだ覚えおぼえ
それただおとこただおんな対したいし人間にんげんたる親みしんみ表わすあらわすためやりとりする簡略かんりゃく言葉ことば過ぎすぎなかっ
形容けいようすれみずよう浅くあさく淡いあわいものあっ
かれ今日きょうまで路傍ろぼうみちうえおいなんおり触れふれ知らしらないひと相手あいてこれほど挨拶あいさつどのくらい繰り返しくりかえし分らわからなかっ
宗助そうすけ極めてきわめて短かいみじかいその談話だんわ一々いちいち思い浮べるおもいうかべるたびその一々いちいちほとんど着色ちゃくしょく云っいっいいほど平淡へいたんあっこと認めみとめ
そうかく透明とうめいこえ二人ふたり未来みらいどうああ真赤まっか塗りつけぬりつけ不思議ふしぎ思っおもっ
いま赤いあかいいろきょうむかし鮮かあざやか失っうしなっ
たがい焚きたき焦がしこがし自然しぜん変色へんしょく黒くくろくなっ
二人ふたり生活せいかつかよう暗いくらいなか沈んしずん
宗助そうすけ過去かこ振り向いふりむいこと成行なりゆきぎゃく眺め返しながめかえしこの淡泊たんぱく挨拶あいさついかに自分じぶん歴史れきし濃くこく彩っあやっむねなかあくまで味わいあじわいつつ平凡へいぼん出来事できごと重大じゅうだい変化へんかせる運命うんめいちから恐ろしおそろしがっ
宗助そうすけ二人ふたりもんまえ佇んたたずんいるかれかげ折れ曲っおれまがっ半分はんぶんばかり土塀どべい映っうつっ記憶きおく
べいかげ蝙蝠傘こうもりがさ遮ぎらさえぎらあたま代りかわり不規則ふきそくかさかたちかべ落ちおち記憶きおく
少しすこしけいむきかけ初秋しょしゅうじりじり二人ふたり照り付けてりつけ記憶きおく
べいかさ差しさしままそれほど涼しくすずしくないやなぎした寄っよっ
宗助そうすけ白いしろいすじえん取っとっむらさきかさいろまだ褪めさめ切らきらないやなぎいろ一歩いちほ遠退いとおのい眺めながめ合わしあわしこと記憶きおく
いま考えるかんがえるすべて明らかあきらかあっ
したがっなんなかっ
二人ふたり土塀どべいかげから再びふたたび現われあらわれ安井やすい待ち合わしまちあわしまちほう歩いあるい
歩くあるく男同志おとこどうしかた並べならべ
べい草履ぞうり引いひいあと落ちおち
はなし多くおおくおとこだけ受持っうけもっ
それ長くながくなかっ
途中とちゅうまで宗助そうすけ一人ひとり分れわかれ自分じぶんいえ帰っかえっからある
けれどかれあたまその印象いんしょう長くながく残っのこっ
いえ帰っかえっ入っはいっ灯火とうかまえ坐っすわっあと折々おりおりいろ着いつい平たいひらたい安井やすいべい姿すがたさきちらつい
それのみゆか入っはいっからいもうと云っいっ紹介しょうかいべい果してはたして本当ほんとういもうとあろう考えかんがえ始めはじめ
安井やすい問いつめといつめない限りかぎりこの解決かいけつ容易よういなかっけれど臆断おくだんすぐつい
宗助そうすけこの臆断おくだん許すゆるすべき余地よち安井やすいべい充分じゅうぶん存在そんざい得るうるだろうぐらい考えかんがえながらおかしく思っおもっ
しかもその臆断おくだんはらなかすること馬鹿馬鹿しいばかばかしいつい消しけし忘れわすれ洋灯ようとうようやくふっ吹き消しふきけし
こう云ういう記憶きおくしだい沈んしずん痕迹こんせきなくなるまでたがいかお過すすごすほど宗助そうすけ安井やすい疎遠そえんなかっ
二人ふたり毎日まいにち学校がっこう出合うであうばかりなく依然いぜん夏休みなつやすみまえ通りとおり往来おうらい続けつづけ
けれど宗助そうすけ行くいくたびべい必ずかならず挨拶あいさつ出るでる限らかぎらなかっ
さんかえしいちかえしぐらいかお見せみせないはじめようひっそり隣りとなりむろ忍んしのんいることあっ
宗助そうすけべつそれ留めとめなかっ
それかかわら二人ふたりようやく接近せっきん
幾何きかなら冗談じょうだん云ういうほど親みしんみでき
そのうちまたあき
去年きょねん同じおなじ事情じじょうした京都きょうとあき繰り返すくりかえす興味きょうみ乏しかっとぼしかっ宗助そうすけ安井やすいべい誘わさそわ茸狩たけがり行っいっ朗らかほがらか空気くうきうちまた新らしいあたらしいこう見出しみだし
紅葉こうようさんひとかん
嵯峨さがからやま抜けぬけ高雄たかお歩くあるく途中とちゅうべい着物きものすそ捲くまくって長襦袢ながじゅばんだけ足袋たびうえまで牽いひい細いほそいかさつえ
やまうえからいちまちした見えるみえる流れながれ射ししゃしみずそこ明らかあきらか遠くとおくから透かさすかさべい京都きょうと好いよいところ云っいっ二人ふたり顧みかえりみ
それいっしょ眺めながめ宗助そうすけ京都きょうと全くまったく好いよいところよう思わおもわ
こう揃っそろっそとこと珍らしくめずらしくなかっ
いえなかかお合わせるあわせることなおしばしばあっ
ある宗助そうすけれいごとく安井やすい尋ねたずねたら安井やすい留守るすべいばかり淋しいさびしいあきなか取り残さとりのこさよう一人ひとり坐っすわっ
宗助そうすけ淋しいさびしいでしょう云っいっつい座敷ざしき上り込んあがりこんいち火鉢ひばち両側りょうがわ翳しかざしながら思っおもっより長話ながばなし帰っかえっ
ある宗助そうすけぽかん下宿げしゅくつくえ倚りよりかかっまま珍らしくめずらしく時間じかん使い方つかいかた困っこまっいるふとべいやっ
そこまで買物かいものからついで寄っよっ云っいっ宗助そうすけ薦めるすすめる通りとおりちゃ飲んのんだり菓子かし食べたべたりかんくり寛ろいくつろいはなし帰っかえっ
こんなこと重なっかさなっ行くいくうち木の葉このはいつ落ちおちしまっ
そう高いたかいやまいただきあるあさ真白まっしろ見えみえ
吹き曝しふきさらし河原かわはら白くしろくなっはし渡るわたるひとかげ細くほそく動いうごい
そのねん京都きょうとふゆおと立てたてはだ透すとおすかげしのぶしつものあっ
安井やすいこの悪性あくせい寒気かんきあてられ苛いむごいインフルエンザいんふるえんざ罹っかかっ
ねつ普通ふつう風邪かぜよりよほど高かったかかっはじめべい驚ろいおどろいそれ一時いちじことすぐ退いしりぞい退いしりぞいからこれもう全快ぜんかい思うおもういつまで立ったっ判然はんぜんなかっ
安井やすいもちようねつ絡みつかからみつか毎日まいにちその差し引きさしひき苦しんくるしん
医者いしゃ少しすこし呼吸器こきゅうき冒さおかさいるようから云っいっ切にせつに転地てんち勧めすすめ
安井やすいこころなら押入おしいれなかやなぎ行李こうり麻縄あさなわ掛けかけ
べい手提てさげかばんじょうおろし
宗助そうすけ二人ふたりななじょうまで見送っみおくっ汽車きしゃ出るでるまでむろなか這入っはいっわざと陽気ようきはなし
プラットフォームぷらっとふぉーむ下りくだりまどうちから遊びあそびまえ安井やすい云っいっ
どうぞ是非ぜひべい言っいっ
汽車きしゃ血色けっしょく好いよい宗助そうすけまえそろそろ過ぎすぎたちまち神戸こうべほう向っむかっけむり吐いはい
病人びょうにん転地てんちさきねん越しこし
端書はしがき着いついから毎日まいにちよう寄こしよこし
それいつ遊びあそび来いこい繰り返しくりかえし書いかいないことなかっ
べい文字もじ一二いちにこうずつ必ずかならず交っかっ
宗助そうすけ安井やすいべいから届いとどい端書はしがきべつつくえうえ重ねかさね置いおい
そとから帰るかえるそれじか着いつい
時々ときどきそれいちばいずつじゅん読み直しよみなおしたり見直しみなおしたり
しまいもうすっかり癒っなおっから帰るかえる
しかしせっかくここまでながらここきみかおない遺憾いかんからこの手紙てがみ着きつきしだいちょっといいから来いこいいう端書はしがき
無事ぶじ退屈たいくつ忌むいむ宗助そうすけ動かすうごかすこのじゅうすうげん充分じゅうぶんあっ
宗助そうすけ汽車きしゃ利用りようそのよるうち安井やすい宿やど着いつい
明るいあかるい灯火とうかしたさんひと待設けまちもうけかお合わしあわし宗助そうすけなんよりまず病人びょうにん色沢しきたく回復かいふくことつい
立つたつまえよりかえって好いよいくらい見えみえ
安井やすい自身じしんそんな心持こころもちする云っいっわざわざ襯衣そで捲り上げまくりあげ青筋あおすじ入っはいっうでどく撫でなで
べい嬉しうれしそう輝かしかがやかし
宗助そうすけその活溌かっぱつけんこと珍らしくめずらしく受取れうけとれ
今までいままで宗助そうすけこころ映じえいじべいいろおと撩乱りょうらんするうら立ったっさえ極めてきわめて落ちついおちつい
そうその落ちつきおちつき大部分だいぶぶんやたら動かさうごかさない働らきはたらきからしか思わおもわなかっ
次の日つぎのひさんひとひょう遠くとおく濃いこいいろ流すながすうみ眺めながめ
まつみきからあぶら出るでる空気くうき吸っすっ
ふゆ短いみじかいそら赤裸々せきらら横切っよこぎっおとなしく西にし落ちおち
落ちるおちる低いひくいくもあかへっついいろ染めそめ行っいっ
かぜよる入っはいっ起らおこらなかっ
ただ時々ときどきまつ鳴らしならし過ぎすぎ
暖かいあたたかい好いよい宗助そうすけ泊っとまっいるさん続いつづい
宗助そうすけもっと遊んあそん行きいきたい云っいっ
べいもっと遊んあそん行きいきましょう云っいっ
安井やすい宗助そうすけ遊びあそびから好いよい天気てんきなっだろう云っいっ
さんひとまた行李こうりかばん携えたずさえ京都きょうと帰っかえっ
ふゆ何事なにごとなく北風きたかぜ寒いさむいくに吹きふきやっ
やまうえ明らかあきらかぶちゆきしだい落ちおちあとから青いあおいいろ一度いちど吹いふい
宗助そうすけ当時とうじ憶い出すおもいだすたび自然しぜん進行しんこうそこたり留まっとまっ自分じぶんべいたちまち化石かせきしまったらかえってなかったろう思っおもっ
ことふゆしたからはるあたま擡げるもたげる時分じぶん始まっはじまっ散りちり尽しつくしさくらはな若葉わかばいろ易えるかえるころ終っおわっ
すべて生死せいしいくさあっ
青竹あおたけ炙っあぶっあぶら絞るしぼるほど苦しみくるしみあっ
大風おおふう突然とつぜん不用意ふようい二人ふたり吹き倒しふきたおしある
二人ふたり起き上がっおきあがっどこかしこすでにすなだらけあっある
かれすなだらけなっ自分じぶんとおる認めみとめ
けれどいつ吹き倒さふきたおさ知らしらなかっ
世間せけん容赦ようしゃなくかれ徳義とくぎうえつみ背負せおい
しかしかれ自身じしん徳義とくぎうえ良心りょうしん責めせめられるまえいったん茫然ぼうぜんかれあたまかくある疑っうたがっ
かれかれ不徳義ふとくぎ男女だんじょ恥ずはずべく映るうつるまえすでに不合理ふごうり男女だんじょ不可思議ふかしぎ映っうつっある
そこ言訳いいわけらしい言訳いいわけ何になんになかっ
からそこ云ういう忍びしのびない苦痛くつうあっ
かれ残酷ざんこく運命うんめいふんつみない二人ふたり不意ふい打っうっ面白おもしろ半分はんぶんわななか突き落しつきおとし無念むねん思っおもっ
曝露ばくろまともかれ眉間みけんときかれすでに徳義とくぎまと痙攣けいれん苦痛くつう乗り切っのりきっ
かれ蒼白いあおじろいがく素直すなおまえ出しだしそこ烙印らくいん受けうけ
そう無形むけいくさり繋がつなぎがまま携えたずさえどこまでいっしょ歩調ほちょうともなけれならないこと見出しみだし
かれおや棄てすて
親類しんるい棄てすて
友達ともだち棄てすて
大きくおおきく云えいえ一般いっぱん社会しゃかい棄てすて
もしくはそれから棄てすてられ
学校がっこうから無論むろん棄てすてられ
ただひょうむかいだけこちらから退学たいがくことなっ形式けいしきうえ人間にんげんらしい留めとめ
これ宗助そうすけべい過去かこあっ
十五じゅうご
この過去かこ負わさおわさ二人ふたり広島ひろしま行っいっ苦しんくるしん
福岡ふくおか行っいっ苦しんくるしん
東京とうきょう依然いぜん重いおもい抑えつけおさえつけられ
佐伯さえきいえ親しいしたしい関係かんけい結べむすべなくなっ
叔父おじ死んしん
叔母おば安之助やすのすけまだ生きいきいる生きいきいる打ち解けうちとけ交際こうさいできないほどもう冷淡れいたん重ねかさねしまっ
今年ことしまだ歳暮せいぼ行かいかなかっ
むかいからなかっ
いえ引取っひきとっ小六しょうろくさえはらそこあに敬意けいい払っはらっなかっ
二人ふたり東京とうきょう出たてでたて単純たんじゅん小供こどもあたまから正直しょうじきべい悪んにくん
べい宗助そうすけそれよく分っわかっ
夫婦ふうふまえ笑みえみつきまえ考えかんがえ静かしずかねん送り迎えおくりむかえ
今年ことしもう尽きるつきる間際まぎわまで
通町とおりちょうくれうちから門並かどなみ注連飾しめかざり
往来おうらい左右さゆう何十なんじゅうほんなく並んならんのきより高いたかいささことごとく寒いさむいかぜ吹かふかさらさら鳴っなっ
宗助そうすけさし余りあまり細いほそいまつ買っかっもんはしらくぎ
それから大きなおおきな赤いあかいだいだい御供ごくうえ載せのせ床の間とこのま据えすえ
ゆかいかがわしい墨画ぼくがうめはまぐり格好かっこうつき吐いはいかかっ
宗助そうすけこのへんじくまえだいだい御供ごく置くおく意味いみ解らわからなかっ
いったいこりゃどう云ういう了見りょうけん自分じぶん飾りつけかざりつけもの眺めながめながらべい聞いきい
べい毎年まいとしこうする意味いみとん解らわからなかっ
知らしらないただそうおけいい云っいっ台所だいどころ去っさっ
宗助そうすけこうおいつまり食うくうためくび傾けかたむけ御供ごく位置いち直しなおし
しんもち夜業やぎょうまないた茶の間ちゃのままで持ち出しもちだしみんな切っきっ
庖丁ほうちょう足りたりない宗助そうすけはじめからしまいまで出さださなかっ
ちからあるだけ小六しょうろく一番いちばん多くおおく切っきっ
その代りかわり不同ふどう一番いちばん多かっおおかっ
なか見かけみかけ悪いわるいかたちもの交っかっ
へんできるたびきよしこえ出しだし笑っわらっ
小六しょうろく庖丁ほうちょう濡布はばあてがっ硬いかたいみみところ断ち切りたちきりながら格好かっこうどう食いくいさいすれいいうんとちから入れいれみみまで赤くあかく
そのほか迎年げいねん支度したくしょう殿原とのばら熬っいっ煮染にしめ重詰じゅうづめするくらいものあっ
大晦日おおみそかよる入っはいっ宗助そうすけ挨拶あいさつかたがたちん持っもっ坂井さかいいえ行っいっ
わざと遠慮えんりょ勝手口かってぐち回るまわるすり硝子がらす明るいあかるいあかり映っうつっなかざわざわ
上り框あがりかまち帳面ちょうづら持っもっこしかけかかりとりらしい小僧こぞう立ったっ宗助そうすけ挨拶あいさつ
茶の間ちゃのま主人しゅじん細君さいくん
その片隅かたすみしるし袢天出入でいりものらしいした向いむかい小さいちいさいかざりいくつ拵えこしらえ
そば譲葉ゆずりは裏白うらじろ半紙はんしはさみ置いおいあっ
若いわかい下女げじょ細君さいくんまえ坐っすわっ釣銭つりせんらしいさつ銀貨ぎんかたたみ並べならべ
主人しゅじん宗助そうすけいやどう云っいっ
押しつまっおしつまっさぞ忙しいいそがしいでしょうこの通りとおりごたごたですさあどうぞこちらなんですたがい正月しょうがつもう飽きあきましいくら面白いおもしろいもの四十よんじゅうへん以上いじょう繰り返すくりかえすいやなります 主人しゅじんねん送迎そうげいはんわしいようこと云っいっその態度たいどどこ指しさしくさくさところ認めみとめられなかっ
言葉ことばけん活溌かっぱつあっ
かおつやつや
晩食ばんしょく傾けかたむけさけいきおいまだほおうえ差しさしいるごとく思わおもわ
宗助そうすけ貰いもらい煙草たばこ二三十にさんじゅうぶんばかり話しはなし帰っかえっ
いえべいきよし連れつれ行くいく云っいっ石鹸せっけんいり手拭てぬぐい包んつつん留守るす頼むたのむおっと待ち受けまちうけ
どうなすっ随分ずいぶん長かっながかっ云っいっ時計とけい眺めながめ
時計とけいもうじゅう近くちかくあっ
その上清かみきよし戻りもどり髪結かみゆいところ回っまわっあたま拵えるこしらえるはずそうあっ
閑静かんせい宗助そうすけ活計かっけい大晦日おおみそかそれ相応そうおう事件じけん寄せよせ
はらいもうみな済んすん宗助そうすけ立ちたちながらべい聞いきい
べいまだ薪屋たきぎやいちのき残っのこっいる答えこたえ
たら払っはらっちょうだい云っいっふところなかから汚れよごれ男持おとこもち紙入かみいれ銀貨ぎんかいり蟇口がまぐち出しだし宗助そうすけ渡しわたし
小六しょうろくどうおっとそれ受取うけとりながら云っいっ
先刻せんこく大晦日おおみそかよる景色けしき来るくるって行っいっ随分ずいぶん御苦労ごくろうさまこの寒いさむい云ういうべいあと追いおいきよし大きなおおきなこえ出しだし笑っわらっ
やがて若いわかいから評しひょうしながら勝手口かってぐち行っいっべい下駄げた揃えそろえ
どこ夜景やけい見るみる銀座ぎんざから日本橋にほんばしつうって べいそのもうかまちから下りかけおりかけ
すぐ腰障子こししょうじ開けるあけるおと
宗助そうすけそのおと聞ききき送っおくったった一人ひとり火鉢ひばちまえ坐っすわっはいなるすみいろ眺めながめ
かれあたま明日あす日の丸ひのまる映っうつっ
そと乗り回すのりまわすひときぬ帽子ぼうしひかり見えみえ
ようけんおとうまけん羽子はごこえ聞えきこえ
かれいまから数時間すうじかんあとまた年中ねんじゅう行事ぎょうじうちもっともひとこころしんべく仕組ましくま景物けいぶつ出逢わであわなけれならなかっ
陽気ようきそう見えるみえるもの賑かにぎやかそう見えるみえるものいくくみなくかれこころまえ通り過ぎとおりすぎそのなかかれひじっていっしょ引張っひっぱっ行こういこうするものいちなかっ
かれただ饗宴きょうえん招かまねかない局外者きょくがいしゃ酔うようこと禁じきんじられごとくまた酔うようこと免かれまぬかれひとあっ
かれ自分じぶんべい生命せいめい毎年まいとし平凡へいぼん波瀾はらんうち送るおくる以上いじょう面前めんぜん大したたいした希望きぼう持っもっなかっ
こう忙がしいいそがしい大晦日おおみそか一人ひとりいえ守るまもる静かしずかちょうどかれ平生へいぜい現実げんじつ代表だいひょう
べいじゅうすぎ帰っかえっ
いつもより光沢こうたく好いよいほおあかり照らしてらしおんまだ抜けぬけないえり少しすこし開けるあけるよう襦袢じゅばん重ねかさね
長いながい襟首えりくびよく見えみえ
どう込んこん込んこん洗うあらうことおけ取るとることできないくらい始めはじめ緩くゆるくいき吐いはい
きよし帰っかえっ十一じゅういちすぎあっ
これ綺麗きれいあたま障子しょうじから出しだしただいまどう遅くおそくなりまし挨拶あいさつついであれから二人ふたりさんひと待ちまち合しごうし云ういうはなし
ただ小六しょうろくだけ容易ようい帰らかえらなかっ
十二じゅうに打っうっとき宗助そうすけもう寝ようねよう云いいい出しだし
べい今日きょう限っかぎっさき寝るねるへんもの思っおもっできるだけはなし繋いつない
小六しょうろくみゆきなく帰っかえっ
日本橋にほんばしから銀座ぎんざそれから水天宮すいてんぐうほう廻っまわっところ電車でんしゃ込んこんなんだい待ち合わしまちあわしため遅くおそくなっいう言訳いいわけ
しろ牡丹ぼたん這入っはいっ景物けいぶつきん時計とけい取ろうとろう思っおもっなん買うかうものなかっ仕方なししかたなしすず着いつい手玉てだまいちばこ買っかっそういくひゃくなく器械きかい吹き上げふきあげられる風船ふうせんいち攫んつかんだらきん時計とけい当らあたらないこんなものあたっ云っいったもとから倶楽部くらぶあらいこないちふくろ出しだし
それべいまえ置いおい姉さんあねさん上げあげましょう云っいっ
それからすず着けつけうめはなかたち縫っぬっ手玉てだま宗助そうすけまえ置いおい坂井さかい御嬢ごじょうさん上げあげなさい云っいっ
こと乏しいとぼしいいちしょう家族かぞく大晦日おおみそかそれ終りおわり告げつげ
十六じゅうろく
正月しょうがつゆきりつ注連飾しめかざり白くしろく
降りやんふりやん屋根やねいろもと復るもどるまえ夫婦ふうふ亜鉛あえんちょうひさし滑り落ちるすべりおちるゆきおといくへん驚ろかさおどろかさ
夜半やはんどさ云ういうひびきことはなはだしかっ
小路こうじ泥濘でいねい雨上りあめあがり違っちがっいち容易ようい乾かいぬいかなかっ
そとからくつ汚しよごし帰っかえっ来るくる宗助そうすけべいかお見るみるたびこりゃいけない云いいいながら玄関げんかん上っのぼっ
その様子ようすあたかもべいみち悪くわるく責任者せきにんしゃ見傚しみなしいるかぜ受取らうけとられるべいしまいどう済みすみませ本当ほんとう気の毒きのどくさま云っいっ笑いわらい出しだし
宗助そうすけべつ返すかえすべき冗談じょうだんゆうなかっ
べいここから出かけるでかけるどこ行くいく足駄あしだ穿かはかなくっちゃならないよう見えるみえるだろうところ下町したまち出るでるおおどのつうどのつうからからかえってほこり立つたつくらいから足駄あしだなんぞ穿いはいちゃきまり悪くわるくって歩けあるけないつまりこう云ういうところ住んすんいる我々われわれいち世紀せいきがた後れるおくれることなる こんなことくちする宗助そうすけべつ不足ふそくらしいかおなかっ
べいおっとはなあな潜るもぐる煙草たばこけむり眺めるながめるくらいそれ聞いきい
坂井さかいさん行っいっそう云っいっいらっしゃい軽いかるい返事へんじ
そうちん負けまけ貰うもらうことしよう答えこたえまま宗助そうすけついに坂井さかい行かいかなかっ
その坂井さかい元日がんじつあさ早くはやく名刺めいし投げ込んなげこんだけわざと主人しゅじんかおもん義理ぎりあるところいちうちほぼ片づけかたづけ夕方ゆうがた帰っかえっ見るみる留守るす坂井さかいちゃんと恐縮きょうしゅく
ゆき降っふっだけ何事なにごとなく過ぎすぎ
さん日暮ひぐれ下女げじょ使かんなら旦那だんなようおくさまそれから若旦那わかだんなよう是非ぜひ今晩こんばん遊びあそびいらっしゃるよう云っいっ帰っかえっ
なんするだろう宗助そうすけ疑ぐっうたぐっ
きっとうた加留多かるたでしょう小供こども多いおおいからべい云っいっ
あなた行っいっいらっしゃいせっかくから御前ごぜん行くいく好いよいおれ歌留多かるた久しくひさしく取らとらないから駄目だめわたくし久しくひさしく取らとらないから駄目だめです 二人ふたり容易ようい行こういこうなかっ
しまい若旦那わかだんなみんな代表だいひょう行くいく宜かろうよかろういうことなっ
若旦那わかだんな行っいっ来いこい宗助そうすけ小六しょうろく云っいっ
小六しょうろく苦笑いにがわらい立ったっ
夫婦ふうふ若旦那わかだんな云ういう小六しょうろく冠らかぶらせること大変たいへん滑稽こっけいよう感じかんじ
若旦那わかだんな呼ばよば苦笑いにがわらいする小六しょうろくかお見るみる等しくひとしくこえ出しだし笑いわらい出しだし
小六しょうろくはるらしい空気くうきなかから
そういちまちほど寒ささむさ横切っよこぎっまたはるらしい電灯でんとうした坐っすわっ
そのばん小六しょうろく大晦日おおみそか買っかっ梅の花うめのはな手玉てだまたもと入れいれこれあにから差上げさしあげますわざわざ断っことわっ坂井さかい御嬢ごじょうさん贈物おくりもの
その代りかわり帰りかえり福引ふくびき当っあたっ小さなちいさなはだか人形にんぎょう同じおなじたもと入れいれ
その人形にんぎょうがく少しすこし欠けかけそこだけすみ塗っぬっあっ
小六しょうろく真面目まじめかおこれそではぎそうです云っいっそれあに夫婦ふうふまえ置いおい
なぜそではぎ夫婦ふうふ分らわからなかっ
小六しょうろく無論むろん分らわからなかっ坂井さかい奥さんおくさん叮嚀ていねい説明せつめいくれそうあるそれ落ちおちなかっ主人しゅじんわざわざ半切はんせつ洒落しゃれ本文ほんぶん並べならべ書いかい帰っかえったらこれ兄さんあにさん姉さんあねさん見せみせなさい云っいっ渡しわたしいうはなしあっ
小六しょうろくたもと探っさぐっその書付かきつけ取り出しとりだし見せみせ
それこれかきいちじゅう黒鉄こくてつ認めみとめあと括弧かっここれ餓鬼がきがくくろけつつけ加えつけくわえあっ宗助そうすけべいまたはるらしいわらい洩らしもらし
随分ずいぶんねん入っはいっ趣向しゅこういったいだれかんがえあに聞いきい
だれです小六しょうろくやっぱりつまらそうかお人形にんぎょうそこ放り出しほうりだしまま自分じぶんむろ帰っかえっ
それから二三にさんたしかなな夕方ゆうがたまたれい坂井さかい下女げじょもしかんならどうぞはなし叮嚀ていねい主人しゅじんいのち伝えつたえ
宗助そうすけべい洋灯ようとう点けつけちょうど晩食ばんしょく始めはじめところあっ
宗助そうすけその茶碗ちゃわん持ちもちながらはるようやく一段落いちだんらく着いつい語っごっ
そこきよし坂井さかいから口上こうじょう取り次いとりついべいおっとかお微笑びしょう
宗助そうすけ茶碗ちゃわん置いおいまだなん催おしもよおしある少しすこし迷惑めいわくそうまゆ
坂井さかい下女げじょ聞いきい見るみるべつ来客らいきゃくなけれなん支度したくないいうことあっ
そのうえ細君さいくん子供こども連れつれ親類しんるい呼ばよば行っいっ留守るすいうはなしまで
それじゃ行こういこう云っいっ宗助そうすけ出掛けでかけ
宗助そうすけ一般いっぱん社交しゃこう嫌っいやっ
やむとくなけれ会合かいごうせきなどかお出すだすおとこなかっ
個人こじん朋友ほうゆう多くおおく求めもとめなかっ
訪問ほうもんするひまゆうなかっ
ただ坂井さかいだけとりじょあっ
折々おりおりようないこっちからわざわざ出掛けでかけ行っいっ潰しつぶし来るくることさえあっ
そのくせ坂井さかい世の中よのなかもっとも社交的しゃこうてきひとあっ
この社交的しゃこうてき坂井さかい孤独こどく宗助そうすけ二人ふたり寄っよっはなしできるべいさえみょう見えるみえる現象げんしょうあっ
坂井さかいあっち行きいきましょう云っいっ茶の間ちゃのま通り越しとおりこし廊下ろうか伝いつたい小さなちいさな書斎しょさい入っはいっ
そこ棕梠しゅろふで書いかいよう大きなおおきな硬いかたい五字ごじばかり床の間とこのまかかっ
たなうえ見事みごと白いしろい牡丹ぼたん活けいけあっ
そのほかつくえ蒲団ふとんことごとく綺麗きれいあっ
坂井さかい始めはじめ暗いくらい入口いりぐち立ったっさあどうぞ云いいいながらどこちり捩っもじっ電気灯でんきとう点けつけ
それからちょっと待ちまちまえ云っいっ燐寸まっち瓦斯がす煖炉だんろ焚いたい
瓦斯がす煖炉だんろむろ比例ひれいごく小さいちいさいものあっ
坂井さかいしかるあと蒲団ふとん薦めすすめ
これぼく洞窟どうくつ面倒めんどうなるここ避難ひなんするです 宗助そうすけ厚いあつい綿めんうえ一種いっしゅ静かしずか感じかんじ
瓦斯がす燃えるもえるおと微かかすかしだい背中せなかからほかほかまっ
ここいるもうどこ交渉こうしょうない全くまったく気楽きらくですゆうくりいらっしゃい実際じっさい正月しょうがつ云ういうもの予想外よそうがい煩瑣いうるさいものですわたくし昨日きのうまでほとんどへとへと降参こうさんられまし新年しんねん停滞ていたいいるじつ苦しいくるしいですそれ今日きょううまからとうとう塵世じんせい遠ざけとおざけ病気びょうきなっぐっ寝込んねこんじまいまし今しがたいましがた覚ましさまし入っはいっそれからめし食っしょくっ煙草たばこ呑んのんつい見るみる家内かない子供こども連れつれ親類しんるい行っいっ留守るすでしょうなるほど静かしずかはず思いおもいましする今度こんどきゅう退屈たいくつなっです人間にんげん随分ずいぶんわがままものですしかしいくら退屈たいくつってこのうえめでたいものたり聞いきいたりちゃほね折れおれますまた正月しょうがつらしいもの呑んのんだり食っしょくったりする恐れおそれますからそれ正月しょうがつらしくない云ういう失礼しつれいまあ世の中よのなかあまりえんないあなた云っいっまだ失敬しっけい知れしれないつまり一口ひとくち云ういう超然ちょうぜん一人ひとり話しはなしたくなっそれわざわざ使上げあげようわけです坂井さかいれい調子ちょうしことごとくすらすらものあっ
宗助そうすけこの楽天家らくてんかまえよく自分じぶん過去かこ忘れるわすれることあっ
そうよる自分じぶんもし順当じゅんとう発展はってんたらこんな人物じんぶつなりなかったろう考えかんがえ
そこ下女げじょさんさし狭いせまい入口いりぐち開けあけ這入っはいっあらためため宗助そうすけ鄭重ていちょう御辞儀ごじぎうえ木皿きさらよう菓子皿かしさらようものいちまえ置いおい
それから同じおなじものもういち主人しゅじんまえ置いおい一口ひとくちもの云わいわ退がっさがっ
木皿きさらうえ護謨ごむかさほど大きなおおきな田舎いなか饅頭まんじゅういち載せのせあっ
それ普通ふつうばい以上いじょうあろう思わおもわれる楊枝ようじ添えそえあっ
どうです暖かいあたたかいうち主人しゅじん云っいっ宗助そうすけ始めはじめこの饅頭まんじゅう蒸しむしない新らしあたらしつい
珍らしめずらしそう黄色いきいろいかわ眺めながめ
いやできたてじゃありませ主人しゅじんまた云っいっ
じつ昨夜さくやあるところ行っいっ冗談じょうだん半分はんぶん賞めほめたら土産みやげ持っもっいらっしゃい云ういうから貰っもらっですその全くまったくだんたかだっですこれいま上げようあげよう思っおもっ蒸し返さむしかえさです 主人しゅじんはしとも楊枝ようじともかたつかないもの雑作ぞうさ饅頭まんじゅう割っわりっむしゃむしゃ食いくい始めはじめ
宗助そうすけひそみ傚っならっ
その主人しゅじん昨夕さくゆう行っいっ料理屋りょうりや逢っあっ云っいっみょう芸者げいしゃはなし
この芸者げいしゃポッケットぽっけっと論語ろんご好きすき汽車きしゃ乗っのったり遊びあそび行っいったりするときいつそれふところ出るでるそうあっ
それ孔子こうし門人もんじんうち子路しろ一番いちばんよしみって云ういうですそのいわれ聞くきく子路しろ云ういうおとこいちなん教わっおそわっそれまだ行わおこなわないうちまた新らしいあたらしいこと聞くきくするほど正直しょうじきからって云ういうですじつところわたくし子路しろあまりよく知らしらないから困っこまっ何しろなにしろ一人ひとり好いよいひとできそれ夫婦ふうふならないまえまた新らしくあたらしく好いよいひとできるなるようものじゃないって聞いきいです 主人しゅじんこんなことはなはだ気楽きらくそう述べ立てのべたて
そのはなし様子ようすから考えるかんがえるかれべつこういう場所ばしょ出入でいりその刺戟しげきとう麻痺まひながら因習いんしゅう結果けっか依然いぜんつき何度なんどなく同じおなじこと繰り返しくりかえしいるらしかっ
よく聞き糺しききただし見るみるしかく平気へいきおとこ時々ときどき歓楽かんらく飽満ほうまん疲労ひろう書斎しょさいなか精神せいしん休めるやすめる必要ひつよう起るおこるそうあっ
宗助そうすけそういう方面ほうめんまるで経験けいけんないおとこなかっ強いてしいて興味きょうみ装うよそおう必要ひつようなくただ尋常じんじょう挨拶あいさつするところかえって主人しゅじん入るはいるらしかっ
かれ平凡へいぼん宗助そうすけ言葉ことばなかから一種いっしゅ異彩いさいある過去かこ覗くのぞくようもとぶり見せみせ
しかしそちら宗助そうすけ進みすすみたがらない痕迹こんせき少しすこし出るでるすぐはなし転じてんじ
それ政略せいりゃくよりむしろ礼譲れいじょうからあっ
したがっ宗助そうすけ毫もごうも不愉快ふゆかい与えあたえなかっ
そのうち小六しょうろくうわさ
主人しゅじんこの青年せいねんついにくあに見逃すみのがすよう新らしいあたらしい観察かんさつ二三にさん有っあっ
宗助そうすけ主人しゅじん評語ひょうご当るあたる当らあたらないろんなく面白くおもしろく聞いきい
そのなかかれねん合わしあわし複雑ふくざつ実用じつよう適してきしないあたま有っあっながらねんより若いわかい単純たんじゅん性情せいじょう平気へいき露わあらわ子供こどもじゃないいう質問しつもんあっ
宗助そうすけすぐそれくび肯っうけがっ
しかし学校教育がっこうきょういくだけ社会しゃかい教育きょういくないものいくらねん取っとっその傾がかしがあるだろう答えこたえ
さようそれ反対はんたい社会しゃかい教育きょういくだけあっ学校教育がっこうきょういくないもの随分ずいぶん複雑ふくざつ性情せいじょう発揮はっきする代りかわりあたまいつまで小供こどもですからかえって始末しまつ悪いわるい知れしれない 主人しゅじんここちょっと笑っわらっやがてどうですわたくしところ書生しょせい寄こしよこしちゃ少しすこし社会しゃかい教育きょういくなる知れしれない云っいっ
主人しゅじん書生しょせいかれいぬ病気びょうき病院びょういん這入るはいるいちカ月かげつまえ徴兵ちょうへい検査けんさ合格ごうかく入営にゅうえいぎりいま一人ひとりないそうあっ
宗助そうすけ小六しょうろくところおけつける好機会こうきかい求めもとめざる先だっさきだっはるとも自からみずから回っまわっ喜こんよろこん
同時どうじ今までいままで世間せけん向っむかっ積極的せっきょくてき好意こうい親切しんせつ要求ようきゅうする勇気ゆうきゆうなかっかれ突然とつぜんこの主人しゅじん申し出もうしで逢っあっ少しすこしまごつくくらい驚ろいおどろい
けれどできるならなりたけ早くはやくおとうと坂井さかい預けあずけ置いおいこの変動へんどうから出るでる自分じぶん余裕よゆう幾分いくぶん安之助やすのすけ補助ほじょ足したしそう本人ほんにん希望きぼう通りとおり高等こうとう教育きょういく受けうけさしやろういう分別ぶんべつ
そこ打ち明けうちあけはなし腹蔵ふくぞうなく主人しゅじんする主人しゅじんなるほどなるほど聞いきいいるだけあっしまい雑作ぞうさなくそいつ好いよいでしょう云っいっ相談そうだんほぼその纏まっまとまっ
宗助そうすけそこ辞しじし帰れかえれよかっある
また辞しじし帰ろうかえろうある
ところ主人しゅじんからまあ緩くゆるくなさい云っいっ留めとめられ
主人しゅじんよる長いながいまだよい云っいっ時計とけいまで出しだし見せみせ
実際じっさいかれ退屈たいくつらしかっ
宗助そうすけ帰れかえれただ寝るねるよりほかようない身体しんたいついまたしり据えすえ濃いこい煙草たばこ新らしくあたらしく吹かしふかし始めはじめ
しまい主人しゅじんれい傚っならっ柔らかいやわらかい座蒲団ざふとんうえひざさえ崩しくずし
主人しゅじん小六しょうろくこと関聯かんれんいやおとうとなど有っあっいる随分ずいぶん厄介やっかいものですわたくし一人ひとりやくざ世話せわさとしあります云っいっ自分じぶんおとうと大学だいがくいるとききんかかっことなど自分じぶん学生時代がくせいじだい質朴しつぼく比べくらべいろいろ話しはなし
宗助そうすけこの派出はしゅつよしみおとうとその後そのあとどんな径路けいろ取っとっどう発展はってん気味きみ悪いわるい運命うんめい意思いし窺ううかがう一端いっぱし主人しゅじん聞いきい
主人しゅじん卒然そつぜん冒険者ぼうけんしゃあたまないいち投げるなげるよう吐いはい
このおとうと卒業後そつぎょうご主人しゅじん紹介しょうかいある銀行ぎんこう這入っはいっなんきん儲けもうけなくっちゃいけない口癖くちぐせよう云っいっそう日露にちろ戦争せんそうあとなく主人しゅじん留めるとめる聞かきか大いにおおいに発展はってんたいとなえついに満洲まんしゅう渡っわたっ云ういう
そこなん始めるはじめる思うおもう遼河りょうが利用りよう豆粕まめかす大豆だいずふね下すくだすおお仕掛しかけ運送業うんそうぎょう経営けいえいたちまち失敗しっぱいしまっそうある
元よりもとより当人とうにん資本しほんぬしなかっけれどいよいよいうあかつき勘定かんじょう見るみる大きなおおきな欠損けっそんこときまっ無論むろん事業じぎょう継続けいぞくするわけ行かいか当人とうにん必然ひつぜん結果けっか地位ちい失っうしなっぎりなっ
それからあとわたくしどうよく知らしらなかっですその後そのあとようやく聞いきい見るみる驚ろきおどろきまし蒙古もうこ這入っはいっ漂浪ひょうろういるですどこまで山気やまきある分らわからないわたくし少々しょうしょう剣呑けんのんなってるですそれ離れはなれいるうちまあどういるだろうぐらい思っおもっ放っはなっおきます時たまときたま音便おんびんあっって蒙古もうこいうところみず乏しいとぼしいところ暑いあつい往来おうらい泥溝どろどぶみず撒くまくまたその泥溝どろどぶみず無くなるなくなる今度こんどうま小便しょうべん撒くまくしたがっはなはだ臭いくさいまあそんな手紙てがみ来るくるだけですからそりゃあきんこと云っいっますなに東京とうきょう蒙古もうこから遣っつかっおけそれまでですから離れはなれさえいれまあいいですそいつ去年きょねんくれ突然とつぜんまし 主人しゅじん思いついおもいついようゆかはしらかけ綺麗きれいぼうつい一種いっしゅ装飾そうしょくもの取りおろしとりおろし
それにしきふくろ這入っはいっいちさしばかりかたなあっ
さやなん知れしれ緑色みどりいろ雲母うんもようものできその所々ところどころさんカ所かしょほど巻いまいあっ
中身なかみろくすんぐらいしかなかっ
したがっ薄かっうすかっ
けれどさや格好かっこうあたかも六角ろっかくかしぼうよう厚かっあつかっ
よく見るみるがらあと細いほそいぼうほん並んならんさっ
結果けっかさや重ねかさね離れはなれないためぎん鉢巻はちまき同じおなじあっ
主人しゅじん土産みやげこんなもの持っもっまし蒙古もうこかたなそうです云いいいながらすぐ抜いぬい見せみせ
あと差しさしあっ象牙ぞうげようぼうほん抜いぬい見せみせ
こりゃはしです蒙古もうこひと始終しじゅうこれこしぶら下げぶらさげいざ御馳走ごちそういうだんなるこのかたな抜いぬいにく切っきっそうこのはしそばから食うくうそうです 主人しゅじんことさらにかたなはし両手りょうて持っもっ切っきったり食っしょくったりする真似まね見せみせ
宗助そうすけひたすらその精巧せいこう作りつくり眺めながめ
まだ蒙古もうこひと天幕てんまく使うつかうフェルトふぇると貰いもらいましまあむかし毛氈もうせん変っかわっところありませ 主人しゅじん蒙古もうこひと上手じょうずうま扱うあつかうこと蒙古もうこいぬ瘠せやせ細長くほそながく西洋せいようグレーぐれーハウンドはうんどいることかれ支那しなひとためだんだん押しおし狭めせばめられ行くいくことすべて近頃ちかごろあっちから帰っかえっいうおとうと聞いきいまま宗助そうすけ話しはなし
宗助そうすけまた自分じぶんいまだかつてみみことないはなしだけ一々いちいち少なからすくなから興味きょうみ有っあっそれ聞いきい行っいっ
そのうち元来がんらいこのおとうと蒙古もうこなんいるだろういう好奇心こうきしん
そこちょっと主人しゅじん尋ねたずね見るみる主人しゅじん冒険者ぼうけんしゃ再びふたたび先刻せんこく言葉ことば力強くちからづよく繰り返しくりかえし
なんいる分らわからないわたくし牧畜ぼくちくやっますしかも成功せいこうます云ういうですいっこうとうなりませ今までいままでよく法螺ほら吹いふいわたくし欺しだましもんですそれ今度こんど東京とうきょう用事ようじ云ういうよっぽどみょうですなん云ういう蒙古もうこおうためきん二万にまんえんばかり借りかりたいもしかりやらない自分じぶん信用しんよう関わるかかわるって奔走ほんそういるですからそのとっぱじめ捕まっつかまっわたくしいくら蒙古もうこおうっていくら広いひろい土地とち抵当ていとうするったって蒙古もうこ東京とうきょうじゃ催促さいそくさえできませものわたくし断ることわるかげ廻っまわっつま兄さんあにさんあれから大きなおおきな仕事しごとできっこないって威張っいばっいるですしようない 主人しゅじんここ少しすこし笑っわらっみょう緊張きんちょう宗助そうすけかおどうです一遍いちぺん逢っあっ御覧ごらんなっちゃわざわざ毛皮けがわ着いついだぶだぶものなんかちょっと面白いおもしろいですなんなら紹介しょうかいましょうちょうど明後日みょうごにちばん呼んよんめし食わくわせることなっいるからなに引っ掛っひっかかっちゃいけませ黙っだまっむかい喋舌らしゃべら聞いきいいるぶん少しすこし危険きけんありませただ面白いおもしろいだけですしきり勧めすすめ出しだし
宗助そうすけ多少たしょうこころ動かしうごかし
いでなる令弟れいていだけですいやほか一人ひとりおとうと友達ともだちむかいからいっしょもの来るくるはずなっます安井やすい云っいっわたくしまだ逢っあっことないおとこですおとうとしきりわたくし紹介しょうかいたがるからじつそれ二人ふたり呼ぶよぶことです 宗助そうすけそのよる蒼いあおいかお坂井さかいもん
十七じゅうなな
宗助そうすけべい一生いっしょう暗くくらく彩どっいろどっ関係かんけい二人ふたりかげ薄くうすく幽霊ゆうれいようおもうどこ抱かかかえかしめ
かれ自己じここころある部分ぶぶんひと見えみえない結核性けっかくせい恐ろしいおそろしいもの潜んひそんいる仄かほのか自覚じかくながらわざと知らしらかおたがい向き合っむきあっねん過しすごし
当初とうしょかれ頭脳ずのう痛くいたく応えこたえかれすぎ安井やすい前途ぜんと及ぼしおよぼし影響えいきょうあっ
二人ふたりあたまなか沸き返っわきかえっ凄いすごいあわようものようやく静まっしずまっ二人ふたり安井やすいまた半途はんと学校がっこう退いしりぞいいう消息しょうそくみみ
かれ固よりもとより安井やすい前途ぜんと傷けきずつけ原因げんいんなしなかっ
つぎ安井やすい郷里きょうり帰っかえっいううわさ聞いきい
つぎ病気びょうき罹っかかっいえいるいう報知ほうちとく
二人ふたりそれ聞くきくたび重いおもいむね痛めいため
最後さいご安井やすい満洲まんしゅう行っいっ云ういう音信おんしん
宗助そうすけはらなか病気びょうきもう癒っなおっだろう思っおもっ
また満洲まんしゅうこうほううそなかろう考えかんがえ
安井やすい身体しんたいから云っいっ性質せいしつから云っいっ満洲まんしゅう台湾たいわん向くむくおとこなかっからある
宗助そうすけできるだけ回しまわしことしん探っさぐっ
そう或るある関係かんけいから安井やすいたしか奉天ほうてんいること確めたしかめとく
同時どうじかれ健康けんこう活溌かっぱつ多忙たぼうあること確めたしかめとく
その夫婦ふうふかお見合せみあわせほっといういき吐いはい
まあよかろう宗助そうすけ云っいっ
病気びょうきよりべい云っいっ
二人ふたりそれから以後いご安井やすいくちする避けさけ
考え出すかんがえだすことさえあえてなかっ
かれ安井やすい半途はんと退学たいがく郷里きょうり帰らかえら病気びょうき罹らかからもしくは満洲まんしゅう駆りかりやっつみ対したいしいかに悔恨かいこん苦しみくるしみ重ねかさねどうすることできない地位ちい立ったっからある
べい御前ごぜん信仰しんこうこころ起っおこっことあるある宗助そうすけべい聞いきい
べいただある答えこたえだけすぐあなた聞き返しききかえし
宗助そうすけ薄笑いうすわらいぎりなん答えこたえなかっ
その代りかわり推しおしべい信仰しんこうつい詳しいくわしい質問しつもん掛けかけなかっ
べいそれ仕合せしあわせ知れしれなかっ
彼女かのじょその方面ほうめんこれいうほど判然はんぜん凝りこり整っととのっ何物なにもの有っあっなかっからある
二人ふたりとかく会堂かいどう腰掛こしかけ倚らよら寺院じいんもん潜らもぐら過ぎすぎ
そうただ自然しぜんめぐみから来るくる月日つきひ云ういう緩和かんわざいちからだけようやく落ちついおちつい
時々ときどき遠くとおくから不意ふい現れるあらわれるうったえ苦しみくるしみ恐れおそれいう残酷ざんこく付けるつけるあまり微かかすかあまり薄くうすくあまり肉体にくたいよくとく離れはなれ過ぎるすぎるようなっ
必竟ひっきょうずるかれ信仰しんこうかみとくなかっためふつ逢わあわなかっためたがい目標もくひょうはたらけ
たがい抱き合っだきあっ丸いまりいえん描きえがき始めはじめ
かれ生活せいかつ淋しいさびしいなり落ちついおちつい
その淋しいさびしい落ちつきおちつきうち一種いっしゅ甘いあまい悲哀ひあい味わっあじわっ
文芸ぶんげい哲学てつがくえんないかれこのあじ舐めなめ尽しつくしながら自分じぶん自分じぶん状態じょうたい得意とくいがっ自覚じかくするほど知識ちしきゆうなかっから同じおなじ境遇きょうぐうある詩人しじん文人ぶんじんなどより一層いっそう純粋じゅんすいあっ
これななばん坂井さかい呼ばよば安井やすい消息しょうそく聞くきくまで夫婦ふうふ有様ありさまあっ
そのよる宗助そうすけいえ帰っかえっべいかお見るみるいな少しすこし具合ぐあい悪いわるいからすぐ寝ようねよう云っいっ火鉢ひばち倚りよりながら待ち受けまちうけべい驚ろかしおどろかし
どうなすっべい上げあげ宗助そうすけ眺めながめ
宗助そうすけそこ突っ立っつったっ
宗助そうすけそとから帰っかえっこんなかぜするほとんどべい記憶きおくないくらい珍らしかっめずらしかっ
べい卒然そつぜんなん知れしれない恐怖きょうふねん襲わおそわごとく立ち上がったちあがっほとんど器械きかいまと戸棚とだなから夜具やぐ蒲団ふとん取り出しとりだしおっと云いいいつけ通りとおりゆか延べのべ始めはじめ
その宗助そうすけやっぱり懐手ふところでそば立ったっ
そうゆか敷けるしけるいなそこそこ着物きもの脱ぎ捨てぬぎすてすぐそのなか潜り込んもぐりこん
べい枕元まくらもと離れはなれとくなかっ
どうなすっなん少しすこし心持こころもち悪いわるいしばらくこうじっとたらよくなるだろう 宗助そうすけこたえ半ばなかば夜着よぎしたから
そのこえ籠っこもっようべいみみ響いひびいべい済ますまないかお枕元まくらもと坐っすわっなり動かうごかなかっ
あっち行っいっいいようあれ呼ぶよぶから べいようやく茶の間ちゃのま帰っかえっ
宗助そうすけ夜具やぐ被っかぶっままひとり硬くかたくなっ眠っねむっ
かれこの暗いくらいなか坂井さかいから聞いきいはなし何度なんどなく反覆はんぷく
かれ満洲まんしゅういる安井やすい消息しょうそく家主やぬしたる坂井さかいくち通しとおし知ろうしろういま今までいままで予期よきなかっ
もう少しすこしことその安井やすい同じおなじ家主やぬしいえ同時どうじ招かまねか隣り合せとなりあわせ向い合せむかいあわせ坐るすわる運命うんめいなろう今夜こんや晩食ばんしょく済ますすますまでゆめ思いがけおもいがけなかっ
かれながら過去かこ二三にさん時間じかん経過けいか考えかんがえそのクライマックスくらいまっくす突如とつじょいかに不意ふい起っおこっ不思議ふしぎ感じかんじ
かつ悲しくかなしく感じかんじ
かれこれほど偶然ぐうぜん出来事できごと借りかりあとから断りことわりなしあしらくかけなけれ倒すたおすことできないほど強いつよいもの自分じぶんながら任じにんじなかっある
自分じぶんよう弱いよわいおとこ放り出すほうりだすもっと穏当おんとう手段しゅだんたくさんありそうもの信じしんじある
小六しょうろくから坂井さかいおとうとそれから満洲まんしゅう蒙古もうこ出京しゅっきょう安井やすいこう談話だんわ辿れたどれ辿るたどるほど偶然ぐうぜんあまりはなはだしかっ
過去かこ痛恨つうこんしんべく普通ふつうひと滅多めった出逢わであわないこの偶然ぐうぜん出逢うであうため千百せんひゃくひとうちから撰りより出さださなけれならないほど人物じんぶつあっ思うおもう宗助そうすけ苦しかっくるしかっ
また腹立たしかっはらだたしかっ
かれ暗いくらい夜着よぎなか熱いあついいき吐いはい
この二三にさんねん月日つきひようやく癒りなおりかけ創口そうこうきゅう疼きうずき始めはじめ
疼くうずく伴れつれ熱っねつっ
再びふたたび創口そうこう裂けさけどくあるかぜ容赦ようしゃなく吹き込みふきこみそうなっ
宗助そうすけいっそこと万事ばんじべい打ち明けうちあけとも苦しみくるしみ分っわかっ貰おうもらおう思っおもっ
べいべいこえ呼んよん
べいすぐ枕元まくらもとうえから覗き込むのぞきこむよう宗助そうすけ
宗助そうすけ夜具やぐえりからかお全くまったく出しだし
次の間つぎのまあかりべいほお半分はんぶん照らしてらし
熱いあつい一杯いちばい貰おうもらおう 宗助そうすけとうとう言おういおうこと言い切るいいきる勇気ゆうき失っうしなっうそ吐いはいごまかし
翌日よくじつ宗助そうすけれいごとく起きおき平日へいじつ変るかわることなく食事しょくじ済ましすまし
そう給仕きゅうじくれるべいかお多少たしょう安心あんしんいろ見えみえ嬉しいうれしいよう憐れあわれよう一種いっしゅ情緒じょうちょもっ眺めながめ
昨夕さくゆう驚ろいおどろいどうなすっ思っおもっ 宗助そうすけした向いむかい茶碗ちゃわん注いそそいちゃ呑んのんだけあっ
なん答えこたえいい適当てきとう言葉ことば見出さみだしさなかっからある
そのあさからからかぜ吹き荒んふきすさん折々おりおりほこりとも行くいくひとぼう奪っうばっ
ねつある悪いわるいからいち休んやすんだら云ういうべい心配しんぱい聞き捨てききずてれい通りとおり電車でんしゃ乗っのっ宗助そうすけかぜおとくるまおとなかくび縮めちぢめただいちところ見つめみつめ
降りるおりるひゅういうおとあたまうえはりせん鳴っなっついそらたらこの猛烈もうれつ自然しぜんちから狂うくるういつもより明らかあきらかのそり
かぜようはかままた冷たくつめたく過ぎすぎ
宗助そうすけそのすな捲いまい向うむこうほりほう進んすすん行くいくかげ斜めななめ吹かふかれるあめあしよう判然はんぜん見えみえ
役所やくしょよう着かきかなかっ
ふで持っもっ頬杖つらづえ突いついままなん考えかんがえ
時々ときどき不必要ふひつようすみ妄りみだり磨りおろしすりおろし
煙草たばこむやみ呑んのん
そう思い出しおもいだしようまど硝子がらす通しとおしそと眺めながめ
そと見るみるたびかぜ世界せかいあっ
宗助そうすけただ早くはやく帰りかえりたかっ
ようやく時間じかんいえ帰っかえっときべい不安ふあんらしく宗助そうすけかおどうなくっ聞いきい
宗助そうすけやむとくどうないただ疲れつかれ答えこたえすぐ炬燵こたつなか入っはいっなり晩食ばんしょくまで動かうごかなかっ
そのうちかぜとも落ちおち
ひる反動はんどう四隣しりんきゅうひっそり静まっしずまっ
好いよいあんはいかぜ無くなっなくなっ昼間ひるまよう吹かふかれるいえ坐っすわっなん気味きみ悪くわるくってしようない べい言葉ことば魔物まものあるようかぜ恐れるおそれる調子ちょうしあっ
宗助そうすけ落ちついおちつい今夜こんや少しすこしだんたかいよう穏やかおだやか好いよい正月しょうがつ云っいっ
めし済ましすまし煙草たばこいちほん吸うすうだんなっ突然とつぜんべい寄席よせ行っいっ見ようみよう珍らしくめずらしくほそきみ誘っさそっ
べい無論むろん否むいなむ理由りゆうゆうなかっ
小六しょうろく義太夫ぎだゆうなど聞くきくよりたくもち焼いやい食っしょくっほう勝手かっていう留守るす頼んたのん二人ふたり
少しすこし時間じかん遅れおくれ寄席よせいっぱいあっ
二人ふたり座蒲団ざふとん敷くしく余地よちないいちばんあとほう立膝たてひざするよう割り込まわりこま貰っもらっ
大変たいへんひとやっぱりはるから入るはいるだろう 二人ふたり小声こごえ話しはなしながら大きなおおきな部屋へやぎっしり詰まっつまっひとあたま見回しみまわし
そのあたまうち高座こうざ近いちかいまえほう煙草たばこけむり霞んかすんいるようぼんやり見えみえ
宗助そうすけこの累々るいるいたる黒いくろいものことごとくこう云ういう娯楽ごらくせき面白くおもしろく半夜はんや潰すつぶすことできる余裕よゆうあるひとらしく思わおもわ
かれどのかお羨ましかっうらやましかっ
かれ高座こうざほう正視せいし熱心ねっしん浄瑠璃じょうるり聞こうきこう力めりきめ
けれどいくら力めりきめ面白くおもしろくならなかっ
時々ときどき外らしそらしべいかお偸み見ぬすみみ
見るみるたびべい視線しせん正しいただしいところ向いむかい
そばおっといることほとんど忘れわすれ真面目まじめ聴いきいいるらしかっ
宗助そうすけ羨やましいうらやましいひとうちべいまで勘定かんじょうなけれならなかっ
中入なかいり宗助そうすけべいどうもう帰ろうかえろう云いいい掛けかけ
べいその唐突とうとつ驚ろかさおどろかさ
いや聞いきい
宗助そうすけなん答えこたえなかっ
べいどういい半分はんぶんおっとないよう挨拶あいさつ
宗助そうすけせっかく連れつれべい対したいしかえって気の毒きのどくこころ起っおこっ
とうとうしまいまで辛抱しんぼう坐っすわっ
いえ帰るかえる小六しょうろく火鉢ひばちまえ胡坐こざ掻いかい背表紙せひょうし反り返るそりかえる構わかまわ持っもっほんうえから翳しかざし読んよん
鉄瓶てつびんそば卸しおろしなりなま温るあたたまる冷めさめしまっ
ぼんうえ焼きやき余りあまりもちさんせつよんかた載せのせあっ
あみしたから小皿こざら残っのこっ醤油しょうゆいろ見えみえ
小六しょうろくせき立ったっ面白かっおもしろかっです聞いきい
夫婦ふうふじゅうぶんほど身体しんたい炬燵こたつ暖めあたためうえすぐゆか入っはいっ
翌日よくじつなっ宗助そうすけこころ落ちつきおちつきなかっことほぼ前の日まえのひ同じおなじあっ
役所やくしょ退けしりぞけれい通りとおり電車でんしゃ乗っのっ今夜こんや自分じぶん前後ぜんご安井やすい坂井さかいいえきゃく来るくる云ういうこと想像そうぞうするどうわざわざそのひと接近せっきんするためこんな速力そくりょくいえ帰っかえっ行くいく不合理ふごうり思わおもわ
同時どうじ安井やすいそのあとどんな変化へんかたろう思うおもうよそから一目いちもくかれ様子ようす眺めながめたくあっ
坂井さかい一昨いっさくばん自分じぶんおとうと評しひょうし一口ひとくち冒険者ぼうけんしゃ云っいっそのおといま宗助そうすけみみ高くたかく響きひびき渡っわたっ
宗助そうすけこのいちなかあらゆる自暴じぼう自棄じき不平ふへい憎悪ぞうお乱倫らんりん悖徳はいとくもうだん決行けっこう想像そうぞうこれ一角いっかく触れふれなけれならないほど坂井さかいおとうとそれ利害りがいともべく満洲まんしゅうからいっしょ安井やすいいかなる程度ていど人物じんぶつなっあたまなか描いえがい
描かえがか無論むろん冒険者ぼうけんしゃ字面じづら許すゆるす範囲はんいうちもっとも強いつよい色彩しきさい帯びおびものあっ
かよう堕落だらく方面ほうめんとくに誇張こちょう冒険者ぼうけんしゃあたまなか拵えこしらえ上げあげ宗助そうすけその責任せきにん自身じしん一人ひとり全くまったく負わおわなけれならないよう
かれただ坂井さかいきゃく来るくる安井やすい姿すがた一目いちもくその姿すがたから安井やすい今日きょう人格じんかく髣髴ほうふつたかっ
そう自分じぶん想像そうぞうほどかれ堕落だらくないいう慰藉いしゃとくたかっ
かれ坂井さかいいえそば立ったっむかい知れしれほか窺ううかがうよう便利べんり場所ばしょあるまい考えかんがえ
不幸ふこう隠すかくすべきところ思いつきおもいつきとくなかっ
もし落ちおちから来るくるすれこちら認めみとめられない便宜べんぎある同時どうじ暗いくらいなか通るとおるひとかお分らわからない不都合ふつごうあっ
そのうち電車でんしゃ神田かんだ
宗助そうすけいつも通りとおりそこ乗り換えのりかえいえほう向いむかい行くいく苦痛くつうなっ
かれ神経しんけい一歩いちほ安井やすい来るくる方角ほうがく近づくちかづく堪えこらえなかっ
安井やすいよそながらたいいう好奇心こうきしん始めはじめからさほど強くつよくなかっだけ乗換のりかえ間際まぎわなっ全くまったく抑えつけおさえつけられしまっ
かれ寒いさむいまち多くおおくひとごとく歩いあるい
けれど多くおおくひとごとく判然はんぜん目的もくてき有っあっなかっ
そのうちみせあかり点いつい
電車でんしゃ灯火とうかてらし
宗助そうすけある牛肉ぎゅうにくみせ上がっあがっさけ呑みのみ出しだし
いちほん夢中むちゅう呑んのん
ほん無理むり呑んのん
さんほん酔えよえなかっ
宗助そうすけかべ持たしもたし酔っよいっ相手あいてないひとようぼんやりどこ見つめみつめ
時刻じこく時刻じこく夕飯ゆうはん食いくい来るくるきゃく入れ代りいれかわり立ち代りたちかわり
その多くおおく用弁ようべんまと飲食いんしょく済ましすましさっさと勘定かんじょう行くいくだけあっ
宗助そうすけ周囲しゅういざわつくなか黙然もくぜんほかばいさんばい過ごしすごしごとく感じかんじすえついに坐りすわり切れきれせき立ったっ
ひょう左右さゆうから射すさすみせあかり明らかあきらかあっ
軒先のきさき通るとおるひとぼう衣装いしょうはっきり物色ぶっしょくすることでき
けれど広いひろい寒ささむさ照らすてらす余りあまりじゃく過ぎすぎ
よるごと瓦斯がす電灯でんとう閑却かんきゃく依然いぜん暗くくらく大きくおおきく見えみえ
宗助そうすけこの世界せかい調和ちょうわするほど黒味くろみ勝っかっ外套がいとう包まつつま歩いあるい
そのかれ自分じぶん呼吸こきゅうする空気くうきさえ灰色はいいろなっはいなか血管けっかん触れるふれるよう
かれこのばん限っかぎっベルべる鳴らしならし忙がしいそがしそうまえ往っいったりたりする電車でんしゃ利用りようするかんがえ起らおこらなかっ
目的もくてき有っあっ行くいくひととも抜目ぬけめなくあし運ばはこばこと忘れわすれ
しかもかれ締らしまらない人間にんげんかく漂浪ひょうろう雛形ひながた演じえんじつつある自分じぶんこころ省みかえりみもしこの状態じょうたい長くながく続いつづいたらどうたらよかろうひそか自分じぶん未来みらい案じ煩っあんじわずらっ
今日きょうまで経過けいかから推しおしすべて創口そうこう癒合ゆごうするもの時日じじつあるいう格言かくげんかれ自家じか経験けいけんから割り出しわりだし深くふかくむね刻みつけきざみつけ
それ一昨いっさくばんすっかり崩れくずれある
かれ黒いくろいよるなかあゆみるきながらただどうこのこころから逃れ出のがれでたい思っおもっ
そのこころいかに弱くよわく落ちつかおちつかなくっ不安ふあん不定ふてい度胸どきょうなさ過ぎすぎまれ見えみえ
かれむね抑えつけるおさえつける一種いっしゅ圧迫あっぱくしたいかにいま自分じぶん救うすくうことできるいう実際じっさい方法ほうほうのみ考えかんがえその圧迫あっぱく原因げんいんなっ自分じぶんつみ過失かしつ全くまったくこの結果けっかから切り放しきりはなししまっ
そのかれほかこと考えるかんがえる余裕よゆう失っうしなっことごとく自己じこ本位ほんいなっ
今までいままで忍耐にんたい渡っわたっ
これから積極的せっきょくてき人世じんせいかん作りつくり易えかえなけれならなかっ
そうその人世じんせいかんくち述べるのべるものあたま聞くきくもの駄目だめあっ
こころ実質じっしつ太くふとくなるものなく駄目だめあっ
かれ行くいく行くいくくちなかなんへん宗教しゅうきょう繰り返しくりかえし
けれどそのひびき繰り返すくりかえすあとからすぐ消えきえ行っいっ
攫んつかん思うおもうけむり開けるあけるいつ無くなっなくなっいるよう宗教しゅうきょうはかない文字もじあっ
宗教しゅうきょう関聯かんれん宗助そうすけ坐禅ざぜんいう記憶きおく呼び起しよびおこし
むかし京都きょうと時分じぶんかれ級友きゅうゆう相国しょうこくてら行っいっ坐禅ざぜんするものあっ
当時とうじかれその迂濶うかつ笑っわらっ
いま思っおもっ
その級友きゅうゆう動作どうさべつ自分じぶん違っちがっところないようかれますます馬鹿馬鹿しいばかばかしい起しおこし
かれ今更いまさらながらかれ級友きゅうゆうかれ侮蔑ぶべつあたいする以上いじょうある動機どうきから貴重きちょう時間じかん惜しまおしま相国しょうこくてら行っいっなかろう考え出しかんがえだし自分じぶん軽薄けいはく深くふかく恥じはじ
もしむかしから世俗せぞく云ういう通りとおり安心あんしん立命りつめいいう境地きょうち坐禅ざぜんちから達するたっすることできるならじゅう二十にじゅう役所やくしょ休んやすん構わかまわないからやったい思っおもっ
けれどかれこのみちかけ全くまったく門外漢もんがいかんあっ
したがっこれより以上いじょう明瞭めいりょうかんがえ浮ばうかばなかっ
ようやくいえ辿り着いたどりついかれれいようべいれいよう小六しょうろくそれかられいよう茶の間ちゃのま座敷ざしき洋灯ようとう箪笥たんす自分じぶんだけれいない状態じょうたいしたこの四五しご時間じかん暮しくらしいう自覚じかく深くふかく
火鉢ひばち小さなちいさななべ掛けかけあっそのおおい隙間すきまから湯気ゆげ立ったっ
火鉢ひばちそばかれつね坐るすわるところいつも座蒲団ざふとん敷いしいそのまえちゃんと膳立ぜんだてあっ
宗助そうすけ糸底いとぞこうえわざと伏せふせ自分じぶん茶碗ちゃわんこの二三にさんねん朝晩あさばん使いつかい慣れなれはし眺めながめもうめし食わくわない云っいっ
べい多少たしょう不本意ふほんいらしいかぜ
おやそう余りあまり遅いおそいからおおかたどこ召上がっめしあがったろう思っおもっけれどもしまだいけないから云いいいながら布巾ふきんなべみみ撮んつまん土瓶どびんしきうえおろし
それからきよし呼んよんぜん台所だいどころ退げさげさし
宗助そうすけこういうかぜなん事故じこでき役所やくしょ退出たいしゅつからすぐそと回っまわっ遅くおそくなる場合ばあいいつその顛末てんまつ大略たいりゃく帰宅きたく早々はやばやべい話すはなすれい
べいそれ聞かきかないうちすまなかっ
けれど今夜こんや限っかぎっかれ神田かんだ電車でんしゃ降りふりこと牛肉ぎゅうにく上っのぼっこと無理むりさけ呑んのんことまるで話しはなしたくなかっ
なん知らしらないべいまた平常へいじょう通りとおり無邪気むじゃきそれからそれ聞きききたがっ
なんべつこれいう理由りゆうなかっけれどついあすこいらうし食いくいたくなっだけことそう御腹おなか消化しょうかためわざわざここまであゆみるいていしったまあそう べいおかしそう笑っわらっ
宗助そうすけむしろ苦しかっくるしかっ
しばらく留守るす坂井さかいさんから迎いむかいなかっ聞いきい
いいえなぜ一昨いっさくばん行っいっとき御馳走ごちそうする云っいっからまた べい少しすこし呆れあきれかお
宗助そうすけそれなりはなし切り上げきりあげ
あたまなかざわざわなん通っとおっ
時々ときどき開けあけ見るみるれいごとく洋灯ようとう暗くくらく床の間とこのまうえ載せのせあっ
べいさも心地ここち好さよさそう眠っねむっ
ついこのまで自分じぶんほう好くよくられべいいくばん睡眠すいみん不足ふそく悩まさなやまさあっ
宗助そうすけ閉じとじながら明らかあきらか次の間つぎのま時計とけいおと聞かきかなけれならないいま自分じぶんさらに心苦しくこころぐるしく感じかんじ
その時計とけい最初さいしょ幾ついくつ続けざまつづけざま打っうっ
それ過ぎるすぎるびんただいち鳴っなっ
その濁っにごっおと彗星すいせいようほう宗助そうすけ耳朶みみたぶしばらく響いひびい
つぎ鳴っなっ
はなはだ淋しいさびしいおとあっ
宗助そうすけそのなんもっと鷹揚おうよう生きいき行くいく分別ぶんべつなけれならない云ういう決心けっしんだけ
さん朦朧もうろう聞えきこえよう聞えきこえないよううち過ぎすぎ
よんろくまるで知らしらなかっ
ただ世の中よのなか膨れふくれ
てんなみ打っうっ伸びのびかつ縮んちぢん
地球ちきゅういと釣るつるかさごとく大きなおおきな弧線こせん描いえがい空間くうかん揺いわなない
すべて恐ろしいおそろしい支配しはいするゆめあっ
ななすぎかれはっとこのゆめから覚めさめ
べいいつも通りとおり微笑びしょう枕元まくらもと曲んきょくん
冴えさえ黒いくろい世の中よのなかしつどこ追いやっおいやっ
十八じゅうはち
宗助そうすけ一封いっぷう紹介状しょうかいじょうふところ山門さんもん入っはいっ
かれこれ同僚どうりょう知人ちじんぼうからとく
その同僚どうりょう役所やくしょ往復おうふく電車でんしゃなか洋服ようふくいんふくろから菜根さいこんたん出しだし読むよむおとこあっ
こう云ういう方面ほうめん趣味しゅみない宗助そうすけ固よりもとより菜根さいこんたん何物なにものなる知らしらなかっ
あるいちくるま腰掛こしかけひざ並べならべ乗っのっそれなん聞いきい
同僚どうりょう小形おがた黄色いきいろい表紙ひょうし宗助そうすけまえ出しだしこんなみょうほん答えこたえ
宗助そうすけ重ねかさねどんなこと書いかいある尋ねたずね
その同僚どうりょう一口ひとくち説明せつめいできる格好かっこう言葉ことば有っあっなかっ見えみえまあ禅学ぜんがく書物しょもつだろういうようみょう挨拶あいさつ
宗助そうすけ同僚どうりょうから聞いきいこの返事へんじよく覚えおぼえ
紹介状しょうかいじょう貰うもらう四五しごまえかれこの同僚どうりょうそば行っいっきみ禅学ぜんがくやる突然とつぜん質問しつもん掛けかけ
同僚どうりょう強くつよく緊張きんちょう宗助そうすけかおすこぶる驚ろいおどろい様子ようすあっいややらないただ慰みなぐさみ半分はんぶんあんな書物しょもつ読むよむだけすぐ逃げにげしまっ
宗助そうすけ多少たしょう失望しつぼう弛んゆるん下唇したくちびる垂れたれ自分じぶんせき帰っかえっ
その帰りがけかえりがけかれまた同じおなじ電車でんしゃ乗り合わしのりあわし
先刻せんこく宗助そうすけ様子ようす気の毒きのどく観察かんさつ同僚どうりょうかれ質問しつもんおく雑談ざつだん以上いじょうある意味いみ認めみとめもの見えみえまえよりもっと親切しんせつその方面ほうめんはなし聞かしきかし
しかし自分じぶんいまだかつて参禅さんぜんいうこと経験けいけんない自白じはく
もし詳しいくわしいはなし聞きききたけれ幸いさいわい自分じぶん知りしりあわせよく鎌倉かまくら行くいくおとこあるから紹介しょうかいやろう云っいっ
宗助そうすけくるまなかそのひと名前なまえ番地ばんち手帳てちょう書き留めかきとめ
そう次の日つぎのひ同僚どうりょう手紙てがみ持っもっわざわざ回り道まわりみち訪問ほうもん出かけでかけ
宗助そうすけふところ書状しょじょうそのおり席上せきじょう認めみとめ貰っもらっものあっ
役所やくしょ病気びょうきなっじゅうばかり休むやすむこと
べい手前てまえやはり病気びょうき取り繕っとりつくろっ
少しすこしのう悪いわるいからいち週間しゅうかんほど役所やくしょ休んやすん遊んあそん来るくる云っいっ
べいこの頃このごろおっと様子ようすどこ異状いじょうあるらしく思わおもわれる内心ないしん始終しじゅう心配しんぱい矢先やさきからたいら生煮えなまにえ切らきらない宗助そうすけ果断かだん喜んよろこん
けれどその突然とつぜん全くまったく驚ろいおどろい
遊びあそび行くいくってどこいらっしゃる丸くまるくないばかり聞いきい
やっぱり鎌倉かまくらへん好かろうよかろう思っおもっいる宗助そうすけ落ちついおちつい答えこたえ
地味じみ宗助そうすけハイカラはいから鎌倉かまくらほとんどえん遠いとおいものあっ
突然とつぜんもの結びつけるむすびつける滑稽こっけいあっ
べい微笑びしょう禁じきんじとくなかっ
まあ金持かねもちわたくしいっしょ連れつれてっちょうだい云っいっ
宗助そうすけ愛すあいすべき細君さいくんこの冗談じょうだん味わうあじわう余裕よゆうゆうなかっ
真面目まじめかおそんな贅沢ぜいたくところ行くいくじゃない禅寺ぜんでら留めとめ貰っもらっいち週間しゅうかんじゅうただ静かしずかあたま休めやすめ見るみるだけことそれはたして好くよくなるならない分らわからない空気くうきいいところ行くいくあたま大変たいへん違うちがうみな云ういうから弁解べんかい
そりゃ違いちがいますから行っいっいらっしゃいいま本当ほんとう冗談じょうだん べい善良ぜんりょうおっと調ちょうたわむれ多少たしょう済ますまないよう感じかんじ
宗助そうすけその翌日よくじつすぐ貰っもらっ置いおい紹介状しょうかいじょうふところ新橋しんばしから汽車きしゃ乗っのっある
その紹介状しょうかいじょうひょうしゃく宜道よしみちよう書いかいあっ
このまで侍者じしゃましこのころ塔頭たっちゅうある古いふるい庵室あんしつ入れいれそこ住んすんいる聞きききましどうですまあ着いついたら尋ねたずね御覧ごらんなさいいおたしかいちまどいおでし書いかいくれるわざわざ注意ちゅういあっ宗助そうすけれい云っいっ手紙てがみ受取りうけとりながら侍者じしゃ塔頭たっちゅういう自分じぶん全くまったくみみ新らしいあたらしい言葉ことば説明せつめい聞いきい帰っかえっある
山門さんもん入るはいる左右さゆう大きなおおきなすぎあっ高くたかくそら遮っさえぎっいるためみちきゅう暗くくらくなっ
その陰気いんき空気くうき触れふれ宗助そうすけ世の中よのなかてらなか区別くべつきゅう覚っさとっ
静かしずか境内けいだい入口いりぐち立ったっかれ始めはじめ風邪かぜ意識いしきする場合ばあい一種いっしゅ悪寒おかん催しもよおし
かれまず真直まっすぐあゆみるき出しだし
左右さゆう行手ぎょうてどうようものいんようものちょいちょい見えみえ
けれどひと出入でいりいっさいなかっ
ことごとく寂寞じゃくまく錆びさび果てはて
宗助そうすけどこ行っいっ宜道よしみちいるところ教えおしえ貰おうもらおう考えかんがえながらだれ通らとおらないみち真中まなか立ったっ四方しほう見回しみまわし
やますそ切り開いきりひらい一二いちにていおく上るのぼるよう建てたててら見えみえあとほういろ高くたかく塞がっふさがっ
みち左右さゆうやま続かつづかおかつづく地勢ちせい制せせいせられけっしてたいらないようあっ
その小高いこだかい所々ところどころしたから石段いしだん畳んたたんてららしいもん高くたかく構えかまえ二三にさんのき着いつい
平地へいちかき繞らしめぐらし点在てんざいいる幾多いくたあっ
近寄っちかよっ見るみるいずれもんかわらした院号いんごうやら庵号あんごうやらがくかけあっ
宗助そうすけはく剥げはげ古いふるいがく一二いちにばい読んよん歩いあるいふといちまどいおからさき探し出しさがしだしもしそこ手紙てがみ名宛なあてぼうさんなかったらもっとおく行っいっ尋ねるたずねるほう便利べんりだろう思いついおもいつい
それから逆戻りぎゃくもどり塔頭たっちゅう一々いちいち調べしらべかかるいちまどいお山門さんもん這入るはいるいなすぐ右手みぎてほう高いたかい石段いしだんうえあっ
おか外れはずれ日当にっとう好いよいからり玄関先げんかんさき控えひかえあとやまふところ暖まっあたたまっいるよう位置いちふゆ凌ぐしのぐ気色けしき見えみえ
宗助そうすけ玄関げんかん通り越しとおりこし庫裡くりほうから土間どまあし入れいれ
上り口あがりぐち障子しょうじ立てたてあるところまでたのむたのむ二三にさん呼んよん
しかしだれくれるものなかっ
宗助そうすけしばらくそこ立ったっままなか様子ようす窺っうかがっ
いつまで立ったっおと沙汰さたない宗助そうすけ不思議ふしぎ思いおもいまた庫裡くりもんほう引返しひきかえし
する石段いしだんしたからそりたてあたま青くあおく光らしひからしぼうさん上っのぼっ
ねんまだじゅうよんしか見えみえない若いわかい色白いろじろかおあっ
宗助そうすけもんとびらところ待ち合わしまちあわし宜道よしみちさんおっしゃるほうこちらいででしょう聞いきい
わたくし宜道よしみちです若いわかいそう答えこたえ
宗助そうすけ少しすこし驚ろいおどろいまた嬉しくうれしくあっ
すぐ懐中かいちゅうかられい紹介状しょうかいじょう出しだし渡すわたす宜道よしみち立ちたちながらふう切っきっその読み下しよみくだし
やがて手紙てがみ巻き返しまきかえし封筒ふうとう入れるいれるようこそ云っいっ叮嚀ていねい会釈えしゃくなりさき立ったっ宗助そうすけ導いみちびい
二人ふたり庫裡くり下駄げた脱いぬい障子しょうじ開けあけうち這入っはいっ
そこ大きなおおきな囲炉裏いろり切っきっあっ
宜道よしみちねずみ木綿もめんうえ羽織っはおっ薄いうすい粗末そまつ法衣ほうい脱いぬいくぎかけ寒うさむうございましょう云っいっ囲炉裏いろりなか深くふかく埋けいけあっすみはいしたから掘り出しほりだし
このそう若いわかい似合わにあわはなはだ落ちついおちついはなしぶりするおとこあっ
低いひくいこえなんじゅ答えこたえあとにやり笑うわらう具合ぐあいなどまるでおんなよう感じかんじ宗助そうすけ与えあたえ
宗助そうすけこころうちこの青年せいねんどういう機縁きえんもと思い切っおもいきっあたま剃っそっものだろう考えかんがえその様子ようすしとやかところなんなく憐れあわれ思っおもっ
大変たいへんせいようです今日きょうどなた留守るすですいえ今日きょう限らかぎらいつもわたくし一人ひとりですからようあるとき構わかまわ明け放しあけはなしますいまちょっとしたまで行っいっよう足したし参りまいりましそれためせっかくいでところ失礼しつれい致しいたしまし 宜道よしみちこの改めてあらためて遠来えんらいひと対したいし自分じぶん不在ふざい詫びわび
この大きなおおきないおたった一人ひとり預かっあずかっいるさえ相応そうおうほね折れるおれるそのうえ厄介やっかい増しましたらさぞ迷惑めいわくだろう宗助そうすけ少しすこし気の毒きのどくいろほか動かしうごかし
する宜道よしみちいえちっとも遠慮えんりょ及びおよびませみちためございますからゆかしいこと云っいっ
そう目下めした自分じぶんところ宗助そうすけほかまだ一人ひとり世話せわなっいる居士こじあるむね告げつげ
この居士こじやまもうねんなるいうはなしあっ
宗助そうすけそれから二三にさん始めはじめこの居士こじかれ剽軽ひょうきん羅漢らかんようかおいる気楽きらくそうおとこあっ
細いほそい大根だいこん三四さんよんほんぶら下げぶらさげ今日きょう御馳走ごちそう買っかっ云っいっそれ宜道よしみちもらっ食っしょくっ
宜道よしみち宗助そうすけその相伴しょうばん
この居士こじかおぼうさんらしい時々ときどき僧堂そうどうしゅう交っかっむら御斎おとぎなど出かけるでかけることある云っいっ宜道よしみち笑っわらっ
そのほか俗人ぞくじんやま修業しゅぎょういるひとはなしいろいろ聞いきい
なか筆墨ひつぼく商うあきなうおとこ
背中せなかいっぱい負っおっ二十にじゅうなり三十さんじゅうなりそこなか回っまわっ歩いあるいほぼ売り尽しうりつくししまうやま帰っかえっ坐禅ざぜんする
それからしばらく食うくうものなくなるまた筆墨ひつぼく載せのせ行商ぎょうしょう出るでる
かれこの両面りょうめん生活せいかつほとんど循環じゅんかん小数しょうすうごとく繰り返しくりかえし飽くあくこと知らしらない云ういう
宗助そうすけ一見いっけんこだわり無さなさそうこれひと月日つきひ自分じぶん内面ないめんあるいま生活せいかつ比べくらべその懸隔けんかく甚だしいはなはだしい驚ろいおどろい
そんな気楽きらく身分みぶんから坐禅ざぜんできるあるいは坐禅ざぜん結果けっかそういう気楽きらくこころなれる迷っまよっ
気楽きらくいけませ道楽どうらくできるものなら二十にじゅうねん三十さんじゅうねん雲水うんすい苦しむくるしむものありませ宜道よしみち云っいっ
かれ坐禅ざぜんするとき一般いっぱん心得こころえ老師ろうしから公案こうあん出るでることその公案こうあん一生懸命いっしょうけんめいりつあさばんひるよるりつづけなくいけないことやらすべていま宗助そうすけこころもとなく見えるみえる助言じょげん与えあたえすえ御室おむろ案内あんないましょう云っいっ立ち上がったちあがっ
囲炉裏いろり切っきっあるところ本堂ほんどうよこ抜けぬけその外れはずれあるろくたたみ座敷ざしき障子しょうじえんから開けあけなか案内あんない宗助そうすけ始めはじめ一人ひとり遠くとおく心持こころもち
けれどあたまなか周囲しゅうい幽静ゆうせいおもむき反照はんしょうするためかえってまちいるときより動揺どうよう
やくいち時間じかん思うおもうころ宜道よしみち足音あしおとまた本堂ほんどうほうから響いひびい
老師ろうし相見あいみなるそうございますから御都合ごつごう宜しけれよろしけれ参りまいりましょう云っいっ丁寧ていねい敷居しきいうえひざ突いつい
二人ふたりまたてらそら連立れんりつって
山門さんもん通りとおりほぼいちていほどおく来るくる左側ひだりがわ蓮池はすいけあっ
寒いさむい時分じぶんからいけなかただうす濁りにごり淀んよどんいるだけ少しすこし清浄せいじょうおもむきなかっ向側むかいがわ見えるみえる高いたかいいしがけ外れはずれまでえん欄干らんかんある座敷ざしき突き出しつきだしいるところ文人画ぶんじんがありそう風致ふうち添えそえ
あすこ老師ろうし住んすんられるところです宜道よしみち比較的ひかくてき新らしいあたらしいその建物たてもの指しさし
二人ふたり蓮池はすいけまえ通り越しとおりこし五六ごろくきゅう石段いしだん上っのぼっその正面しょうめんある大きなおおきな伽藍がらん屋根やね仰いおっしゃいままじかひだり切れきれ
玄関げんかん差しかかっさしかかっ宜道よしみちちょっと失礼しつれいます云っいっ自分じぶんだけ裏口うらぐちほう回っまわっやがておくからさあどうぞ案内あんない老師ろうしいるところ伴れつれ行っいっ
老師ろうしいう五十ごじゅう格好かっこう見えみえ
あか黒いくろい光沢こうたくあるかお
その皮膚ひふ筋肉きんにくことごとくきんってどこたるないところ銅像どうぞうもたらす印象いんしょう宗助そうすけむね彫りつけほりつけ
ただくちびるあまりあつし過ぎるすぎるそこ幾分いくぶん弛みたるみ見えみえ
その代りかわりかれ普通ふつう人間にんげんとうてい見るみるべからざる一種いっしゅ精彩せいさい閃めいひらめい
宗助そうすけ始めはじめその視線しせん接しせっし暗中あんちゅう卒然そつぜん白刃はくじん見るみるおもうあっ
まあなんから入っはいっ同じおなじある老師ろうし宗助そうすけ向っむかっ云っいっ
父母ふぼ未生みしょう以前いぜん本来ほんらい面目めんぼくなんそれいち考えかんがえたら善かろうよかろう 宗助そうすけ父母ふぼ未生みしょう以前いぜんいう意味いみよく分らわからなかっ何しろなにしろ自分じぶん云ういうもの必竟ひっきょう何物なにものその本体ほんたい捕まえつかまえ見ろみろ云ういう意味いみだろう判断はんだん
それより以上いじょうくち利くきく余りあまりぜんいうもの知識ちしき乏しかっとぼしかっ黙っだまっまた宜道よしみち伴れつれられいちまどいお帰っかえっ
晩食ばんしょく時宜じぎみち宗助そうすけ入室にゅうしつ時間じかん朝夕あさゆうかいあること提唱ていしょう時間じかん午前ごぜんあることなど話しはなしうえ今夜こんやまだ見解けんかいできない知れしれませから明朝みょうちょう明晩みょうばん誘いさそい申しもうしましょう親切しんせつ云っいっくれ
それから最初さいしょうちつめわる難儀なんぎから線香せんこう立てたてそれ時間じかん計っけいっ少しすこしずつ休んやすんだら好かろうよかろう云ういうよう注意ちゅういくれ
宗助そうすけ線香せんこう持っもっ本堂ほんどうまえ通っとおっ自分じぶんむろきまっろくたたみ這入っはいっぼんやり坐っすわっ
かれから云ういういわゆる公案こうあんなるもの性質せいしついかに自分じぶん現在げんざいえん遠いとおいようならなかっ
自分じぶんいま腹痛ふくつう悩んなやんいる
その腹痛ふくつう言うゆううったえ抱いいだい見るみるあにはからその対症療法たいしょうりょうほうむずかしい数学すうがく問題もんだい出しだしまあこれ考えかんがえたらよかろう云わいわ一般いっぱんあっ
考えろかんがえろ云わいわれれ考えかんがえないないそれ一応いちおう腹痛ふくつう治まっおさまっからことなく無理むりあっ
同時どうじかれきん休んやすんわざわざここまでおとこあっ
紹介状しょうかいじょう書いかいくれひと万事ばんじつけくれる宜道よしみち対したいしあまり軽卒けいそつ振舞ふるまいできなかっ
かれまず現在げんざい自分じぶん許すゆるす限りかぎり勇気ゆうきひさげさげ公案こうあん向おうむかおう決心けっしん
それいずれところかれしるべびいびいーどんな結果けっかかれこころ持ちもち来すきたすかれ自身じしんいえ全くまったく知らしらなかっ
かれさとるいう美名びめい欺かあざむかかれ平生へいぜい似合わにあわ冒険ぼうけん試みようこころみよう企てくわだてある
そうもしこの冒険ぼうけん成功せいこうすれいま不安ふあん不定ふてい弱々しいよわよわしい自分じぶん救うすくうことできまいはかないもち抱いいだいある
かれ冷たいつめたい火鉢ひばちはいなか細いほそい線香せんこう燻らしくゆらし教えおしえられ通りとおり蒲団ふとんうえ半跏はんか組んくん
ひるうちはさまで思わおもわなかっむろ落ちおちからきゅう寒くさむくなっ
かれ坐りすわりながら背中せなかぞくぞくするほど温度おんど低いひくい空気くうき堪えこらえなかっ
かれ考えかんがえ
けれど考えるかんがえる方向ほうこう考えるかんがえる問題もんだい実質じっしつほとんど捕まえようつかまえようない空漠くうばくものあっ
かれ考えかんがえながら自分じぶん非常ひじょう迂濶うかつ真似まねいるなかろう疑っうたがっ
火事かじ見舞みまい行くいく間際まぎわ細かいこまかい地図ちず出しだし仔細しさい町名ちょうめい番地ばんち調べしらべいるよりずっと飛び離れとびはなれ見当けんとう所作しょさ演じえんじいるごとく感じかんじ
かれあたまなかいろいろもの流れながれ
そのあるもの明らかあきらか見えみえ
あるもの混沌こんとんくもごとく動いうごい
どこからどこ行くいくとも分らわからなかっ
たださきもの消えるきえるすぐあとからつぎもの現われあらわれ
そう仕切りしきりなしそれからそれ続いつづい
あたま往来おうらい通るとおるもの無限むげん無数むすう無尽蔵むじんぞうけっして宗助そうすけ命令めいれいよっ留まるとまること休むやすむことなかっ
断ち切ろうたちきろう思えおもえ思うおもうほど滾々こんこん湧いわい
宗助そうすけ怖くこわくなっきゅう日常にちじょうわれ呼び起しよびおこしむろなか眺めながめ
むろ微かかすかあかり薄暗くうすぐらく照らさてらさ
はいなか立てたて線香せんこうまだ半分はんぶんほどしか燃えもえなかっ
宗助そうすけ恐るおそるべく時間じかん長いながい始めはじめつい
宗助そうすけまた考えかんがえ始めはじめ
するすぐいろあるものかたちあるものあたまなか通りとおり出しだし
ぞろぞろ群がるむらがるありごとく動いうごい行くいくあとからまたぞろぞろ群がるむらがるありごとく現われあらわれ
じっといるただ宗助そうすけ身体しんたいだけあっ
こころ切ないせつないほど苦しいくるしいほど堪えこらえがたいほど動いうごい
そのうちじっといる身体しんたい膝頭ひざがしらから痛みいたみ始めはじめ
真直まっすぐ延ばしのばし脊髄せきずいしだいしだいまえほう曲っきょくっ
宗助そうすけ両手りょうてひだりあしこう抱えるかかえるようしたおろし
かれなんする目的もくてきなくむろなか立ち上がったちあがっ
障子しょうじ明けあけひょう門前もんぜんぐるぐる駈け回っかけまわっ歩きあるきたくなっ
よるしんと
いるひと起きおきいるひとどこおりそう思えおもえなかっ
宗助そうすけそと出るでる勇気ゆうき失っうしなっ
じっと生きいきながら妄想もうそう苦しめくるしめられるなお恐ろしかっおそろしかっ
かれ思い切っおもいきっまた新らしいあたらしい線香せんこう立てたて
そうまたほぼまえ同じおなじ過程かてい繰り返しくりかえし
最後さいごもし考えるかんがえる目的もくてきすれ坐っすわっ考えるかんがえる考えるかんがえる同じおなじだろう分別ぶんべつ
かれむろすみ畳んたたんあっうす汚ないきたない蒲団ふとん敷いしいそのなか潜り込んもぐりこん
する先刻せんこくから疲れつかれなん考えるかんがえるひまないうち深いぶかい眠りねむり落ちおちしまっ
覚めるさめる枕元まくらもと障子しょうじいつ明るくあかるくなっ白いしろいかみやがて逼るせまるべきいろ動いうごい
ひる留守るす置かおか済むすむ山寺やまでらよる入っはいっへいてるおと聞かきかなかっある
宗助そうすけ自分じぶん坂井さかい崖下がいか暗いくらい部屋へやない意識いしきするいなすぐ起き上がっおきあがっ
えん出るでる軒端のきば高くたかくおお覇王樹はおうじゅかげ映っうつっ
宗助そうすけまた本堂ほんどう仏壇ぶつだんまえ抜けぬけ囲炉裏いろり切っきっある昨日きのう茶の間ちゃのま
そこ昨日きのう通りとおり宜道よしみち法衣ほういおりくぎかけあっ
そう本人ほんにん勝手かってへっついまえ蹲踞まっうずくまっ焚いたい
宗助そうすけ御早うおはよう慇懃いんぎんれい
先刻せんこく誘いさそい申そうもうそう思いおもいましよく御寝ぎょしんようでしから失礼しつれい一人ひとり参りまいりまし 宗助そうすけこの若いわかいそう今朝けさ夜明よあけがたすでに参禅さんぜん済ましすましそれから帰っかえっめし炊いたいいるいうこと知っしっ
見るみるかれひだりしきりたきぎ差しさし易えかえながらみぎ黒いくろい表紙ひょうしほん持っもっよう合間あいま合間あいまそれ読んよんいる様子ようすあっ
宗助そうすけ宜道よしみち書物しょもつ尋ねたずね
それ碧巌へきげんしゅういうむずかしい名前なまえものあっ
宗助そうすけはらなか昨夕さくゆうようとうないかんがえ耽っふけっのう疲らすつからすよりいっそそのみち書物しょもつ借りかり読むよむほう要領ようりょう得るうる捷径しょうけいなかろう思いついおもいつい
宜道よしみちそう云ういう宜道よしみちいちなく宗助そうすけかんがえ排斥はいせき
書物しょもつ読むよむごく悪うわるうございます有体ありてい云ういう読書どくしょほど修業しゅぎょうぼうなるもの無いないようですわたくしともこう碧巌へきげんなど読みよみます自分じぶん程度ていど以上いじょうところなるまるで見当けんとうつきませそれよしみ加減かげん揣摩しまするくせつくそれ坐るすわるぼうなっ自分じぶん以上いじょう境界きょうかい予期よきたりさとる待ち受けまちうけたり充分じゅうぶん突込んつっこん行くいくべきところ頓挫とんざできます大変たいへんどくなりますから止しよしなっほうよいでしょうもし強いてしいてなん読みよみなりたけれぜんせきさくすすむいうようひと勇気ゆうき鼓舞こぶたり激励げきれいたりするもの宜しゅうよろしゅうございましょうそれってただ刺戟しげき方便ほうべん読むよむだけみちそのもの無関係むかんけいです 宗助そうすけ宜道よしみち意味いみよく解らわからなかっ
かれこのなま若いわかい青いあおいあたまぼうさんまえ立ったっあたかもいち低能ていのうあるごとき心持こころもち起しおこし
かれ慢心まんしん京都きょうと以来いらいすでに銷磨しょうま尽しつくし
かれ平凡へいぼんぶん今日きょうまで生きいき
ききとおるほどかれこころ遠いとおいものなかっ
かれただありのままかれ宜道よしみちまえ立ったっある
しかも平生へいぜい自分じぶんより遥かはるか無力むりょく無能むのう赤子あかごあるさらに自分じぶん認めみとめざるとくなくなっ
かれ取っとっ新らしいあたらしい発見はっけんあっ
同時どうじ自尊心じそんしん根絶こんぜつするほど発見はっけんあっ
宜道よしみちへっつい消しけしめしむらしいる宗助そうすけ台所だいどころから下りくだりにわ井戸端いどはしかお洗っあらっ
はなさきすぐ雑木ぞうきやま見えみえ
そのすそ少しすこしたいらところ拓いひらい菜園さいえん拵えこしらえあっ
宗助そうすけ濡れぬれあたま冷たいつめたい空気くうき曝しさらしわざと菜園さいえんまで下りくだり行っいっ
そうそこがけよこ掘っほっ大きなおおきなあな見出しみだし
宗助そうすけしばらくそのまえ立ったっ暗いくらいおくほう眺めながめ
やがて茶の間ちゃのま帰るかえる囲炉裏いろり暖かいあたたかい起っおこっ鉄瓶てつびん沸るたぎるおと聞えきこえ
ないものからつい遅くおそくなりまし気の毒きのどくですすぐぜん致しいたしましょうしかしこんなところから上げるあげるものなくっ困りこまりますその代りかわり明日あすあたり御馳走ごちそう風呂ふろ立てたてましょう宜道よしみち云っいっくれ
宗助そうすけありがたく囲炉裏いろりむかい坐っすわっ
やがて食事しょくじ了えしまえわがむろ帰っかえっ宗助そうすけまた父母ふぼ未生みしょう以前いぜん云ういう稀有けう問題もんだいまえ据えすえじっと眺めながめ
けれどもともとすじ立たたたないしたがっ発展はってんしようない問題もんだいからいくら考えかんがえどこから出すだすことできなかっ
そうすぐ考えるかんがえるいやなっ
宗助そうすけふとべいここ着いつい消息しょうそく書かかかなけれならないことつい
かれ俗用ぞくよう生じしょうじ喜こぶよろこぶごとくすぐかばんなかから巻紙まきがみ封じふうじふくろ取り出しとりだしべいやる手紙てがみ書きかき始めはじめ
まずここ閑静かんせいことうみ近いちかいせい東京とうきょうよりよほど暖かいあたたかいこと空気くうき清朗せいろうこと紹介しょうかいぼうさん親切しんせつこと食事しょくじ不味いまじいこと夜具やぐ蒲団ふとん綺麗きれい行かいかないことなど書き連ねかきつらねいるうちはやさんさし余りあまり長さながさなっそこふで擱いおい公案こうあん苦しめくるしめられいること坐禅ざぜんひざ関節かんせつ痛くいたくいること考えるかんがえるためますます神経しんけい衰弱すいじゃく劇しくはげしくなりそうことああ出さださなかっ
かれこの手紙てがみ切手きって貼っはっポストぽすと入れいれなけれならない口実こうじつ求めもとめ早速さっそくやま下っしたっ
そう父母ふぼ未生みしょう以前いぜんべい安井やすい脅かさおびやかさながらむらなかうろつい帰っかえっ
うま宜道よしみちからはなしあっ居士こじ会っかいっ
この居士こじ茶碗ちゃわん出しだし宜道よしみちめし盛っもっ貰うもらうとき憚かりはばかりようなん云わいわただ合掌がっしょうれい述べのべたり相図あいずたり
このくらい静かしずか物事ものごと為るなるほう云っいっ
くち利かりかおと立てたてない考えかんがえ邪魔じゃまなる云ういう精神せいしんからそうあっ
それほど真剣しんけんやるべきもの宗助そうすけ昨夜さくやから自分じぶんなんなく恥ずかしくはずかしく思わおもわ
食後しょくごさんひと囲炉裏いろりそばしばらく話しはなし
その居士こじ自分じぶん坐禅ざぜんながらいつつかうとうと眠っねむっしまっはっと正気せいき帰るかえる間際まぎわおや悟っさとっ喜ぶよろこぶことあるさていよいよ開いひらい見るみるやっぱりもとつう自分じぶん失望しつぼうするばかり云っいっ宗助そうすけ笑わしわらわし
こう云ういう気楽きらくかんがえ参禅さんぜんいるひとある思うおもう宗助そうすけ多少たしょう寛ろいくつろい
けれどさんひと分れわかれ分れわかれ自分じぶんむろ入るはいる宜道よしみち今夜こんや誘いさそい申しもうしますからこれから夕方ゆうがたまでしっかり御坐りござりなさいまし真面目まじめ勧めすすめとき宗助そうすけまた一種いっしゅ責任せきにん感じかんじ
消化しょうかない堅いかたい団子だんごおっいるよう不安ふあんむね抱いいだいわがむろ帰っかえっ
そうまた線香せんこう焚いたいわり出しだし
そのくせ夕方ゆうがたまで坐りすわり続けつづけられなかっ
どんな解答かいとうしろいち拵らえこしらえおかなけれならない思いおもいながらしまい根気こんき尽きつき早くはやく宜道よしみち夕食ゆうしょく報知ほうち本堂ほんどう通り抜けとおりぬけくれれ好いよいそればかりかかっ
懊悩おうのう困憊こんぱいけいむい
障子しょうじ映るうつるかげしだい遠くとおく立ち退くたちのくつれてら空気くうきゆかしたから冷えひえ出しだし
かぜあさからえだ吹かふかなかっ
縁側えんがわ高いたかいひさし仰ぐあおぐ黒いくろいかわら小口こぐちだけ揃っそろっ長くながくいちれつ見えるみえるそと穏かおだやかそら蒼いあおいひかりわがそこほう沈めしずめつつ自分じぶん薄くうすくなっ行くいくところあっ
十九じゅうきゅう
危険きけんございます云っいっ宜道よしみち一足先いちそくさき暗いくらい石段いしだん下りくだり
宗助そうすけあとから続いつづい
まち違っちがっよるなる足元あしもと悪いわるい宜道よしみち提灯ちょうちん点けつけわずか一丁いちちょうばかりみち照らしてらし
石段いしだん下りくだり切るきる大きなおおきなえだ左右さゆうから二人ふたりあたま蔽い被さるおおいかぶさるようそら遮っさえぎっ
やみけれど蒼いあおいいろ二人ふたり着物きもの織目おりめ染み込むしみこむほど宗助そうすけかんがら
提灯ちょうちんあかりそのいろ多少たしょう映るうつる感じかんじあっ
その提灯ちょうちん一方いっぽう大きなおおきなみき想像そうぞうするせいはなはだ小さくちいさく見えみえ
ひかり地面じめん届くとどく尺数しゃくすうわずかあっ
照らさてらさ部分ぶぶん明るいあかるい灰色はいいろ断片だんぺんなっ暗いくらいなかほっかり落ちおち
そう二人ふたりかげ動くうごく伴れつれ動いうごい
蓮池はすいけ行きいき過ぎすぎひだり上るのぼるところよるはじめて宗助そうすけ取っとっ少しすこし足元あしもと滑かなめらか行かいかなかっ
つちなか食っしょくっいるいし一二いちに下駄げただい引っ掛けひっかけ
蓮池はすいけ手前てまえからよこ切れるきれるうらみちあるこのほう凸凹でこぼこ多くおおく慣れなれない宗助そうすけ近くちかく不便ふべんだろう云ういう宜道よしみちわざわざ広いひろいほう案内あんないある
玄関げんかん入るはいる暗いくらい土間どま下駄げただいぶ並んならん
宗助そうすけきょくんでひと履物はきもの踏まふまないようそっとうえのぼっ
むろはちたたみほど広さひろさあっ
その壁際かべぎわれつ作っつくっ六七ろくななひとおとこいちがわ並んならん
なかあたま光らしひからし黒いくろい法衣ほういそう交っかっ
ほかもの大概たいがいはかま穿いはい
この六七ろくななひとおとこ上り口あがりぐちおく通ずるつうずるさんさし廊下ろうかくち残しのこし行儀ぎょうぎよく鉤の手かぎのて並んならん
そう一言ひとことくち利かりかなかっ
宗助そうすけこれひとかお一目いちもくまずその峻刻しゅんこく奪わうばわ
かれみな固くかたくくち結んむすん
ことありまゆ強くつよく寄せよせ
そばどんなひといる見向きみむきなかっ
いかなるものそとから入っはいっ全くまったく注意ちゅういなかっ
かれ活きつき彫刻ちょうこくよう己れおのれ持しじし火の気ひのけないむろ粛然しゅくぜん坐っすわっ
宗助そうすけ感覚かんかく山寺やまでら寒ささむさ以上いじょう一種いっしゅ厳かおごそか加わっくわわっ
やがて寂寞じゃくまくなかひと足音あしおと聞えきこえ
はつ微かかすか響いひびいしだい強くつよくゆか踏んふん宗助そうすけ坐っすわっいるほう近づいちかづい
しまい一人ひとりそう廊下ろうかくちからぬっ現れあらわれ
そう宗助そうすけそば通っとおっ黙っだまっそと暗がりくらがり抜けぬけ行っいっ
する遠くとおくおくほうすず振るふるおと
この宗助そうすけ並んならん厳粛げんしゅく控えひかえおとこうち小倉おぐらはかま着けつけ一人ひとりやはり無言むごんまま立ち上がったちあがっむろすみ廊下ろうかくち真正面ましょうめん着座ちゃくざ
そこ高さたかささしはばいちさしほどわくなか銅鑼どらようかたち銅鑼どらよりずっと重くおもくあつしそうものかかっ
いろ蒼黒くあおぐろく貧しいまずしいあかり照らさてらさ
はかま着けつけおとこだいうえある撞木しゅもく取り上げとりあげ銅鑼どらかね真中まなかほど打ち鳴らしうちならし
そうついと立ったっ廊下ろうかくちおくほう進んすすん行っいっ
今度こんどまえ反対はんたい足音あしおとだんだん遠くとおくほう去るさる従っしたがっ微かかすかなっ
そう一番いちばんしまいぴたりどこ留まっとまっ
宗助そうすけながらはっと
かれこのはかま着けつけおとこ身の上みのうえいま何事なにごと起りおこりつつあるだろう想像そうぞうある
けれどおくしんと静まり返っしずまりかえっ
宗助そうすけ並んならんいるもの一人ひとりかお筋肉きんにく動かすうごかすものなかっ
ただ宗助そうすけこころなかおくから何物なにもの待ち受けまちうけ
する忽然こつぜんすず振るふるひびきかれみみ応えこたえ
同時どうじ長いながい廊下ろうか踏んふんこちら近づくちかづく足音あしおと
はかま着けつけおとこまた廊下ろうかくちから現われあらわれ無言むごんまま玄関げんかん下りくだりしも消え去っきえさっ
入れ代っいれかわっまた新らしいあたらしいおとこ立ったっ最前さいぜんかね打っうっ
そうまた廊下ろうか踏み鳴らしふみならしおくほう行っいっ
宗助そうすけ沈黙ちんもく行わおこなわれるこの順序じゅんじょながらひざ載せのせ自分じぶんばん来るくる待っまっ
自分じぶんより一人ひとり置いおいまえおとこ立ったっ行っいっややしばらくからわっ云ういう大きなおおきなこえおくほう聞えきこえ
そのこえ距離きょり遠いとおい劇しくはげしく宗助そうすけ鼓膜こまく打つうつほど強くつよく響かひびきかなかっけれどたしかせいいちさかずき振っふっものあっ
そうただ一人ひとり咽喉のどから個人こじん特色とくしょく帯びおび
自分じぶんすぐまえひと立ったっいよいよわがばん回っまわっ云ういう意識いしき制せせいせられ一層いっそう落ちつきおちつき失っうしなっ
宗助そうすけこの公案こうあん対したいし自分じぶんだけ解答かいとう準備じゅんび
けれどそれはなはだ覚束ないおぼつかない薄手うすでもの過ぎすぎなかっ
室中しつちゅう入るはいる以上いじょうなん見解けんかい呈していしないわけ行かいかないやむとく納まらおさまらないところわざと納まっおさまっよう取繕っとりつくろっその限りかぎり挨拶あいさつあっ
かれこの心細いこころぼそい解答かいとう僥倖ぎょうこう難関なんかん通過つうかたいなどゆめ思い設けおもいもうけなかっ
老師ろうしごまかす無論むろんなかっ
その宗助そうすけもう少しすこし真面目まじめあっある
単にたんにあたまから割り出しわりだしあたかもかいもちよう代物しろもの持っもっ義理ぎり室中しつちゅう入らはいらなけれならない自分じぶん空虚くうきょこと恥じはじある
宗助そうすけひとするごとくかね打っうっ
しかも打ちうちながら自分じぶん人並ひとなみこのかね撞木しゅもく敲くたたくべき権能けんのうない知っしっ
それ人並ひとなみ鳴らしならし見るみるさるごとき己れおのれ深くふかく嫌忌けんき
かれ弱味よわみある自分じぶん恐れおそれ抱きいだきつつ入口いりぐち冷たいつめたい廊下ろうかあし踏み出しふみだし
廊下ろうか長くながく続いつづい
右側みぎがわあるむろことごとく暗かっくらかっ
かく折れ曲るおれまがるむかい外れはずれ障子しょうじ灯影とうえい差しさし
宗助そうすけその敷居しきいさい留まっとまっ
室中しつちゅう入るはいるもの老師ろうし向っむかっさんはいするれいあっ
拝しはいしかた普通ふつう挨拶あいさつようあたまたたみ近くちかく下げるさげる同時どうじ両手りょうててのひら上向じょうこう開いひらいそれあたま左右さゆう並べならべまま少しすこしもの抱えかかえ心持こころもちみみへんまで上げるあげるある
宗助そうすけ敷居しきいさいずいて形てけいごとくはい行なっおこなっ
する座敷ざしきなかいちはい宜しいよろしい云ういう会釈えしゃくあっ
宗助そうすけあと略しりゃくしなか入っはいっ
むろなかただ薄暗いうすぐらいあかり照らさてらさ
その弱いよわいひかりいかに大字おおあざ書物しょもつ披見ひけんしめ程度ていどものあっ
宗助そうすけ今日きょうまで経験けいけん訴えうったえこれくらい微かかすか灯火とうかよる営なむいとなむ人間にんげん憶い起すおもいおこすことできなかっ
そのひかり無論むろんつきより強かっつよかっ
かつつきごとく蒼白いあおじろいいろなかっ
けれどもう少しすこし朦朧もうろうさかい沈むしずむべき性質せいしつものあっ
この静かしずか判然はんぜんない灯火とうかちから宗助そうすけ自分じぶん去るさる四五しごさし正面しょうめん宜道よしみちいわゆる老師ろうしなるもの認めみとめ
かれかおれいよっ鋳物いものよう動かうごかなかっ
いろどうあっ
かれ全身ぜんしんしぶかきちゃいろ法衣ほうい纏っまとっ
あし見えみえなかっ
ただくびからうえ見えみえ
そのくびからうえ厳粛げんしゅく緊張きんちょう極度きょくど安んじやすんじいつまで経っきょうっ変るかわるおそれ有せゆうせざるごとくひと魅しみし
そうあたまいちほんなかっ
この面前めんぜん気力きりょくなく坐っすわっ宗助そうすけくち言葉ことばただ一句いっく尽きつき
もっとぎろりところ持っもっなけれ駄目だめたちまち云わいわ
そのくらいこと少しすこし学問がくもんものならだれ云えるいえる 宗助そうすけ喪家そうかいぬごとく室中しつちゅう退いしりぞい
あとすず振るふるおと烈しくはげしく響いひびい
二十にじゅう
障子しょうじそと野中のなかさん野中のなかさん呼ぶよぶこえほど聞えきこえ
宗助そうすけ半睡はんすいはい応えこたえつもりあっ返事へんじ仕切らしきらないさき早くはやく知覚ちかく失っうしなっまた正体しょうたいなく寝入っねいっしまっ
度目どめ覚めさめかれ驚ろいおどろい飛び起きとびおき
縁側えんがわ出るでる宜道よしみちねずみ木綿もめん着物きものたすき掛けかけ甲斐甲斐しくかいがいしくそこいら拭いぬぐい
赤くあかく凍んこおん濡雑はば絞りしぼりながられいごとく柔和にゅうわしいにこやかかお御早うおはよう挨拶あいさつ
かれ今朝けさまたとくに参禅さんぜん済ましすましあとこういお帰っかえっ働いはたらいある
宗助そうすけわざわざ呼び起さよびおこさ起きおきとくなかっ自分じぶん怠慢たいまん省みかえりみ全くまったくきまり悪いわるいおもう
今朝けさつい忘れわすれ失礼しつれいまし かれこそこそ勝手口かってぐちから井戸端いどはしほう
そう冷たいつめたいみず汲んくんできるだけ早くはやくかお洗っあらっ
延びのびかかっひげほおへん刺すさすようざらざらいま宗助そうすけそれするほど余裕よゆうなかっ
かれしきり宜道よしみち自分じぶん対照たいしょう考えかんがえ
紹介状しょうかいじょう貰うもらうとき東京とうきょう聞いきいところよるこの宜道よしみちいうぼうさん大変たいへん性質せいしついいおとこいま修業しゅぎょうだいぶでき上がっできあがっいる云ういうはなしだっ会っかいっ見るみるまるでいちていないしょうよう丁寧ていねいあっ
こうたすきかかり働いはたらいいるところ見るみるどういち独立どくりついお主人しゅじんらしくなかっ
納所なっしょ小坊主しょうぼうず云えいえ
この矮小わいしょう若僧わかぞうまだ出家しゅっけないまえただ俗人ぞくじんここ修業しゅぎょうなな結跏けっかぎり少しすこし動かうごかなかっある
しまいあし痛んいたんこし立たたたなくなっかわや上るのぼるおりなどやっとことかべ伝いつたい身体しんたい運んはこんある
その時分じぶんかれ彫刻家ちょうこくかあっ
見性けんしょう嬉しさうれしさ余りあまりうらやまはせ上っのぼっ草木くさき国土こくど悉皆しっかい成仏じょうぶつ大きなおおきなこえ出しだし叫んさけん
そうついにあたま剃っそっしまっ
このいお預かるあずかるようなっからもうねんなるまだ本式ほんしきゆか延べのべらくあし延ばしのばしことない云っいっ
ふゆ着物きものままかべ倚れよれねむするだけ云っいっ
侍者じしゃころなど老師ろうし犢鼻褌ふんどしまで洗わあらわられ云っいっ
そのうえ少しすこしひま偸んぬすん坐りすわりするあとから意地いじ悪いわるい邪魔じゃまれるどく吐かはかれるあたま剃りそり立てたてなん因果いんが坊主ぼうずなっ悔むくやむこと多かっおおかっ云っいっ
ようやくこの頃このごろなっ少しすこしらくなりまししかしまださきございます修業しゅぎょう実際じっさい苦しいくるしいものですそう容易よういできるものならいくらわたくしとも馬鹿ばかってこうじゅうねん二十にじゅうねん苦しむくるしむわけございませ 宗助そうすけただ惘然ぼうぜん
自己じこ根気こんき精力せいりょく足らあしらないことはがゆく思うおもううえそれほど歳月さいげつ掛けかけなけれ成就じょうじゅできないものなら自分じぶんなんこのやまなかまでやっそれからだいいち矛盾むじゅんあっ
けっしてそんなる気遣きづかいございませ十分じゅうふん坐れすわれじゅうぶんこうあり十分じゅうふん坐れすわれ二十にじゅうぶんとくある無論むろんですそのうえ最初さいしょいち奇麗きれいぶち抜いぶちぬいおけあとこう云ういうかぜ始終しじゅうここいでならない済みすみますから 宗助そうすけ義理ぎりまた自分じぶんむろ帰っかえっ坐らすわらなけれならなかっ
こんな宜道よしみち野中のなかさん提唱ていしょうです誘っさそっくれる宗助そうすけこころから嬉しいうれしい
かれ禿頭とくとう捕まえるつかまえるよう着けつけどころない難題なんだい悩まさなやまさながらじっと煩悶はんもんするいかに切なくせつなく思っおもっ
どんな精力せいりょく消耗しょうもうする仕事しごといいからもう少しすこし積極的せっきょくてき身体しんたいはたらけたく思っおもっ
提唱ていしょうある場所ばしょやはりいちまどいおからいちまち隔っへだたっ
蓮池はすいけまえ通り越しとおりこしそれひだり曲らきょくら真直まっすぐ突き当るつきあたる屋根瓦やねがわら厳めしくいかめしく重ねかさね高いたかいのきまつ仰があおが
宜道よしみちふところ黒いくろい表紙ひょうしほん入れいれ
宗助そうすけ無論むろん手ぶらてぶらあっ
提唱ていしょう云ういう学校がっこういう講義こうぎ意味いみあることさえここ始めてはじめて知っしっ
むろ高いたかい天井てんじょう比例ひれい広くひろくかつ寒かっさむかっ
いろ変っかわったたみいろ古いふるいはしら映りうつり合っあっむかし物語るものがたるよう寂びさび果てはて
そこ坐っすわっいる人々ひとびとみな地味じみ見えみえ
席次せきじ不同ふどう思い思いおもいおもい占めしめてはいる高声こうしょう語るかたるもの笑うわらうもの一人ひとりなかっ
そうみなこんあさ法衣ほうい正面しょうめんきょく左右さゆうれつ作っつくっ向い合せむかいあわせ並んならん
そのきょくしゅ塗っぬっあっ
やがて老師ろうし現われあらわれ
たたみ見つめみつめ宗助そうすけかれどこ通っとおっどこからここさっぱり分らわからなかっ
ただかれ落ちつきおちつき払っはらっきょく倚るよる重々しいおもおもしい姿すがた
一人ひとり若いわかいそう立ちたちながらむらさき袱紗ふくさ解いといなかから取り出しとりだし書物しょもつ恭しくうやうやしく卓上たくじょう置くおくところ
またその礼拝れいはい退ぞくしりぞくたい
この堂上どうじょうそう一斉いっせい合掌がっしょう夢窓むそう国師こくし遺誡いかい誦ししょうし始めはじめ
思い思いおもいおもいせき取っとっ宗助そうすけ前後ぜんごいる居士こじみな同音どうおん調子ちょうし合せあわせ
聞いきいいる経文きょうもんよう普通ふつう言葉ことばよう一種いっしゅふし帯びおび文字もじあっ
われさんとう弟子でしありいわゆる猛烈もうれつ諸縁しょえん放下しほうかし専一せんいつおのれこと究明きゅうめいするこれ上等じょうとうづく修業しゅぎょうじゅんなら駁雑がく好むこのむこれ中等ちゅうとう云ういう云々うんぬんいう余りあまり長くながくないものあっ
宗助そうすけ始めはじめ夢窓むそう国師こくし何人なんにんなる知らしらなかっ
宜道よしみちからこの夢窓むそう国師こくし大燈だいとう国師こくし禅門ぜんもん中興ちゅうこうある云ういうこと教わっおそわっある
平生へいぜいびっこ充分じゅうぶんあし組むくむことできない憤っいきどおっ死ぬしぬ間際まぎわ今日きょうこそおれごとく見せるみせる云いいいながら悪いわるいほうあし無理むりおりっぺしょって結跏けっかため流れながれ法衣ほういそめましいう大燈だいとう国師こくしはなしそのおり宜道よしみちから聞いきい
やがて提唱ていしょう始まっはじまっ
宜道よしみちふところかられい書物しょもつ出しだしぺーじ半ばなかば擦らすら宗助そうすけまえ置いおい
それ宗門しゅうもん無尽むじんあかりろん云ういう書物しょもつあっ
始めはじめ聞ききき宜道よしみちありがたい結構けっこうほんです宗助そうすけ教えおしえくれ
白隠はくいん和尚おしょう弟子でし東嶺とうれい和尚おしょういうひと編輯へんしゅうものじゅうぜん修行しゅぎょうするもの浅いあさいところから深いぶかいところ進んすすん行くいく径路けいろやらそれ伴なうともなう心境しんきょう変化へんかやら秩序ちつじょ立てたて書いかいものらしかっ
中途ちゅうとからかお出しだし宗助そうすけよく解せげせなかっけれどこうもの能弁のうべんほう黙っだまっ聞いきいいるうち大変たいへん面白いおもしろいところあっ
そのうえ参禅さんぜん鼓舞こぶするため古来こらいからこのみち苦しんくるしんひと閲歴えつれきたんなど取り交ぜとりまぜ一段いちだん精彩せいさい着けるつけるれいあっ
このその通りとおりあっあるところ来るくる突然とつぜん語調ごちょう改めあらためこの頃このごろむろなかってどう妄想もうそう起っおこっいけないなど訴えるうったえるものあるきゅう入室にゅうしつもの熱心ねっしん戒しめいましめ出しだし宗助そうすけ覚えおぼえぎくり
室中しつちゅう入っはいっそのうったえなしものじつかれ自身じしんあっ
いち時間じかんあと宜道よしみち宗助そうすけそでつらねまたいちまどいお帰っかえっ
その帰り路かえりみち宜道よしみちああ提唱ていしょうあるよく参禅さんぜんもの不心得ふこころえ諷せふうせられます云っいっ
宗助そうすけなん答えこたえなかっ
二十一にじゅういち
そのうちやまなかいち一日いちにち経っきょうっ
べいからかなり長いながい手紙てがみもうほん
もっともほんとも新たあらた宗助そうすけこころ乱すみだすよう心配しんぱいこと書いかいなかっ
宗助そうすけつね細君さいくん思いおもいついに返事へんじ出すだす怠っおこたっ
かれやま出るでるまえなんこの間このま問題もんだいかたつけなけれせっかく甲斐かいないようまた宜道よしみち対したいしすまないよう
覚めさめいるこれため名状めいじょうがたい一種いっしゅ圧迫あっぱく受けうけつづけ受けうけ
したがっ暮れくれよる明けあけてら見るみる太陽たいようすう重なるかさなるつけあたかもあとから追いかけおいかけられするごとく焦っあせっ
けれどかれ最初さいしょ解決かいけつよりほかいちあゆみこの問題もんだいちかづくじゅつ知らしらなかっ
かれまたいくら考えかんがえこの最初さいしょ解決かいけつかくものある信じしんじ
ただ理窟りくつから割り出しわりだしからはらあしいっこうならなかっ
かれこのかくもの放り出しほうりだしさらにまたかくもの求めようもとめよう
けれどそんなもの少しすこしなかっ
かれ自分じぶんむろ独りひとり考えかんがえ
疲れるつかれる台所だいどころから下りくだりうら菜園さいえん
そうがけした掘っほっ横穴よこあななか這入っはいっじっと動かうごか
宜道よしみち散るちるよう駄目だめ云っいっ
だんだん集注しっちゅう凝り固まっこりかたまっしまいてつぼうようならなく駄目だめ云っいっ
そう云ういうこと聞けきけ聞くきくほど実際じっさいそうなる困難こんなんなっ
すでにあたまなかそうしよう云ういう下心したごころあるからいけないです宜道よしみちまた云っいっ聞かしきかし
宗助そうすけいよいよ窮しきゅうし
忽然こつぜん安井やすいこと考え出しかんがえだし
安井やすいもし坂井さかいいえ頻繁ひんぱん出入でいりするようなっ当分とうぶん満洲まんしゅう帰らかえらないすれいまうちあの借家しゃくや引き上げひきあげどこ転宅てんたくする上分じょうぶんべつだろう
こんなところぐずぐずいるより早くはやく東京とうきょう帰っかえっそのほうところおけつけほうまだ実際的じっさいてき知れしれない
かんくり構えかまえべい知れるしれるまた心配しんぱい殖えるふえるだけ思っおもっ
わたくしようものとうていさとる開かひらかそう有りありませ思いつめおもいつめよう宜道よしみち捕まえつかまえ云っいっ
それ帰るかえる二三にさんまえことあっ
いえ信念しんねんさえあれだれ悟れさとれます宜道よしみち躊躇ちゅうちょなく答えこたえ
法華ほっけ凝り固まりこりかたまり夢中むちゅう太鼓たいこ叩くたたくようやっ御覧ごらんなさいあたまいただきへんからあし爪先つまさきまでことごとく公案こうあん充実じゅうじつとき俄然がぜん新天地しんてんち現前げんぜんするございます 宗助そうすけ自分じぶん境遇きょうぐうやら性質せいしつそれほど盲目的もうもくてき猛烈もうれつはたらけあえてする適してきしないこと深くふかく悲しんかなしん
いわんや自分じぶんこのやま暮らすくらすべきすでに限らかぎら
かれ直截ちょくせつ生活せいかつ葛藤かっとう切り払うきりはらうつもりかえって迂濶うかつやまなか迷い込んまよいこん愚物ぐぶつあっ
かれはらなかこう考えかんがえながら宜道よしみち面前めんぜんそれだけこと言い切るいいきるちからなかっ
かれこころからこの若いわかい禅僧ぜんそう勇気ゆうき熱心ねっしん真面目まじめ親切しんせつ敬意けいい表しあらわしある
みち近きちかきありかえってこれ遠きとおき求むもとむいう言葉ことばある実際じっさいですついはなさきあるですけれどどうつきませ宜道よしみちさも残念ざんねんそうあっ
宗助そうすけまた自分じぶんむろ退いしりぞい線香せんこう立てたて
こう云ういう状態じょうたい不幸ふこう宗助そうすけやま去らさらなけれならないまで立つたつほど新生面しんせいめん開くひらく機会きかいなく続いつづい
いよいよ出立しゅったつあさなっ宗助そうすけきよしよく未練みれん抛げなげ棄てすて
永々えい御世話ごせわなりまし残念ざんねんですどう仕方しかたありませもう当分とうぶんかかるおりございますまいから随分ずいぶん御機嫌ごきげんよう宜道よしみち挨拶あいさつ
宜道よしみち気の毒きのどくそうあっ
御世話ごせわどころ万事ばんじ不行届ふゆきとどきさぞ窮屈きゅうくつございましたろうしかしこれほど御坐りござりなっだいぶ違いちがいますわざわざいでなっだけこと充分じゅうぶんございます云っいっ
しかし宗助そうすけまるで時間じかん潰しつぶしよう自覚じかく明らかあきらかあっ
それこう取りとりつくろいって云っいっ貰うもらう自分じぶん腑甲斐なふがいなからある独りひとり恥じ入っはじいっ
さとる遅速ちそく全くまったくひと性質せいしつそれだけ優劣ゆうれつなりませ入りいりやすくあとさい動かうごかないひとありますまた初めはじめ長くながく掛かっかかっいよいよ云ういう場合ばあい非常ひじょう痛快つうかいできるありますけっして失望しつぼうなさることございませただ熱心ねっしん大切たいせつです亡くならなくなら洪川こうせん和尚おしょうなどもと儒教じゅきょうやら中年ちゅうねんから修業しゅぎょうございましそうなっからさんねん云ういうものまるで一則かずのり通らとおらなかっですそれわたくしごう深くふかく悟れさとれない云っいっ毎朝まいあさかわや向っむかっ礼拝れいはいくらいありましあとあのよう知識ちしきならましこれなどもっとも好いよいれいです 宜道よしみちこんなはなし暗にあんに宗助そうすけ東京とうきょう帰っかえっから全くまったくこのほう断念だんねんないようあらかじめ間接かんせつ注意ちゅうい与えるあたえるよう見えみえ
宗助そうすけ謹んつつしん宜道よしみちいうことみみかり
けれどはらなか大事だいじもうすでに半分はんぶん去っさっごとく感じかんじ
自分じぶんもん開けあけ貰いもらい
けれど門番もんばんとびら向側むかいがわ敲いたたいついにかおさえ出しだしくれなかっ
ただ敲いたたい駄目だめ独りひとり開けあけ入れいれ云ういうこえ聞えきこえだけあっ
かれどうたらこのもんかんぬき開けるあけることできる考えかんがえ
そうその手段しゅだん方法ほうほう明らかあきらかあたまなか拵えこしらえ
けれどそれ実地じっち開けるあけるちから少しすこし養成ようせいすることできなかっ
したがっ自分じぶん立ったっいる場所ばしょこの問題もんだい考えかんがえないむかし毫もごうも異なることなるところなかっ
かれ依然いぜん無能むのう無力むりょく鎖ざさとざさとびらまえ取り残さとりのこさ
かれ平生へいぜい自分じぶん分別ぶんべつ便びん生きいき
その分別ぶんべついまかれ祟ったたっくち惜くおしく思っおもっ
そうはじめから取捨しゅしゃ商量しょうりょう容れいれないもの一徹いってついち羨んうらやん
もしくは信念しんねん篤いあちい善男ぜんなん善女ぜんにょ知慧ちえ忘れわすれおもう浮ばうかば精進しょうじん程度ていど崇高すうこう仰いおっしゃい
かれ自身じしん長くながくもんそと佇立ちょりつべき運命うんめいもっ生れうまれものらしかっ
それ是非ぜひなかっ
けれどどうせ通れとおれないもんならわざわざそこまで辿りつくたどりつく矛盾むじゅんあっ
かれあと顧みかえりみ
そうとうていまたもとみち引き返すひきかえす勇気ゆうきゆうなかっ
かれまえ眺めながめ
まえ堅固けんごとびらいつまで展望てんぼう遮ぎっさえぎっ
かれもん通るとおるひとなかっ
またもん通らとおらない済むすむひとなかっ
要するようするかれもんした立ち竦んたちすくん暮れるくれる待つまつべき不幸ふこうひとあっ
宗助そうすけ立つたつまえ宜道よしみち連れだっつれだっ老師ろうしもとちょっと暇乞いとまごい行っいっ
老師ろうし二人ふたり蓮池はすいけうええん勾欄こうらん着いつい座敷ざしき通しとおし
宜道よしみち自らみずから次の間つぎのま立ったっちゃ入れいれ
東京とうきょうまだ寒いさむいでしょう老師ろうし云っいっ
少しすこし手がかりてがかりできから帰っかえっあとらくけれど惜しいおしいこと 宗助そうすけ老師ろうしこの挨拶あいさつ対したいし丁寧ていねいれい述べのべまたじゅうまえ潜っもぐっ山門さんもん
いらか圧するあっするすぎいろふゆ封じふうじ黒くくろくかれあと聳えそびえ
二十二にじゅうに
いえ敷居しきい跨いまたい宗助そうすけ己れおのれさえ憫然びんぜん姿すがた描いえがい
かれ過去かこじゅう日間かかん毎朝まいあさあたま冷水れいすい濡らしぬらしなりいまだかつてくし通しとおしことなかっ
ひげ固よりもとより剃るそるひまゆうなかっ
さんとも宜道よしみち好意こうい白米はくまい炊いたい食べたべ食べたべ副食物ふくしょくもつ云っいっ大根だいこんぐらいものあっ
かれかお自からみずから蒼かっあおかっ
出るでるまえより多少たしょう面窶れおもやつれ
そのうえかれいちまどいお考えかんがえつづけ考えかんがえ習慣しゅうかんまだ全くまったく抜けぬけ切らきらなかっ
どこたまご抱くいだく牝鶏ひんけいよう心持こころもち残っのこっあたま平生へいぜい通りとおり自由じゆうはたらけなかっ
そのくせ一方いっぽう坂井さかいことかかっ
坂井さかい云ういうより坂井さかいいわゆる冒険者ぼうけんしゃ宗助そうすけみみ響いひびいそのおとうとそのおとうと友達ともだちかれむね騒がしさわがし安井やすい消息しょうそくかかっ
けれどかれ自身じしん家主やぬしたく出向いでむいそれ聞き糺すききただす勇気ゆうきゆうなかっ
間接かんせつそれべい問うとうことなおできなかっ
かれやまいるさえべいこの事件じけんつい何事なにごとみみくれなけれいい気遣わきづかわないなかっくらいある
宗助そうすけ年来ねんらい住みすみ慣れなれいえ座敷ざしき坐っすわっ汽車きしゃ乗るのる短かいみじかい道中どうちゅうせい疲れるつかれる留守るすなか別段べつだん変っかわっことなかっ聞いきい
実際じっさいかれ短かいみじかい汽車きしゃ旅行りょこうさえ堪えこらえかねる顔つきかおつき
べいいかな場合ばあいおっとまえ忘れわすれなかっ笑顔えがおさえ作りつくりとくなかっ
云っいっせっかく保養ほよう行っいっ転地てんちさきからいま帰っかえっばかりおっと行かいかないまえよりかえって健康けんこう悪くわるくなっらしい気の毒きのどく露骨ろこつ話しはなし悪かっわるかっ
わざと活溌かっぱついくら保養ほよういえ帰るかえる少しすこし出るでるものけれどあなたまり爺々じい汚いきたない後生こうせいからいち休しきゅうしたら行っいっあたま刈っかっひげ剃っそっちょうだい云いいいながらわざわざつくえ引出ひきでから小さなちいさなかがみ出しだし見せみせ
宗助そうすけべい言葉ことば聞いきい始めはじめいちまどいお空気くうきかぜ払っはらっよう心持こころもち
いちたびやまいえ帰れかえれやはりもと宗助そうすけあっ
坂井さかいさんからその後そのあとなん云っいっないいいえなんとも小六しょうろくこといいえ その小六しょうろく図書館としょかん行っいっ留守るすだっ
宗助そうすけ手拭てぬぐい石鹸せっけん持っもっそと
明るあかる役所やくしょ出るでるみんなから病気びょうきどう聞かきか
なか少しすこし瘠せやせようです云ういうものあっ
宗助そうすけそれ無意識むいしき冷評れいひょう意味いみ聞えきこえ
菜根さいこんたん読むよむおとこただどうです旨くうまく行きいきまし尋ねたずね
宗助そうすけこのもんだいぶ痛いいたいおもう
そのばんまたべい小六しょうろくから代る代るかわるがわる鎌倉かまくらこと根掘りねほり葉掘りはほり問わとわ
気楽きらくでしょう留守るすなんおかないられたらべい云っいっ
それいちいくら出すだす置いおいくれるです小六しょうろく聞いきい
鉄砲てっぽう担いにない行っいっりょうたら面白かろうおもしろかろう云っいっ
しかし退屈たいくつそんな淋しくさびしくっちゃあさからばんまでいらっしゃるわけ行かいかないでしょうべいまた云っいっ
もう少しすこし滋養じようもの食えるくえるところなくっちゃあやっぱり身体しんたいよくないでしょう小六しょうろくまた云っいっ
宗助そうすけそのよるゆかなか入っはいっ明日あすこそ思い切っおもいきっ坂井さかい行っいっ安井やすい消息しょうそくそれなく聞き糺しききただしもしかれまだ東京とうきょうなおしばしば坂井さかい往復おうふくあるようなら遠くとおくほう引越しひっこししまおう考えかんがえ
次の日つぎのひ平凡へいぼん宗助そうすけあたま照らしてらしことなきひかり西にし落しおとし
よる入っはいっかれちょっと坂井さかいさんまで行っいっ来るくる云い捨ていいすてもん
つきないさか上っのぼっ瓦斯灯がすとう照らさてらさ砂利じゃり鳴らしならしながら潜戸くぐりど開けあけかれ今夜こんやここ安井やすい落ち合うおちあうよう万一まんいちまず起らおこらないだろう度胸どきょう据えすえ
それわざと勝手口かってぐち回っまわっ客来きゃくらいです聞くきくこと忘れわすれなかっ
よくいでですどうそう変らかわら寒いさむいじゃありませ云ういうつね通りとおり元気げんき好いよい主人しゅじん見るみる子供こども大勢おおぜい自分じぶんまえ並べならべそのなか一人ひとり掛声かけごえかけながらじゃん拳じゃんけんやっ
相手あいて女の子おんなのこねんろくばかり見えみえ
赤いあかいはばあるリボンりぼん蝶々ちょうちょうようあたまうえくっつけ主人しゅじん負けまけないほどいきおい小さなちいさな握りにぎり固めかためさっまえ出しだし
その断然だんぜんたる様子ようすその握り拳にぎりこぶし小さちいささこれ反しはんし主人しゅじん仰山ぎょうさんらしく大きなおおきな拳骨げんこつ対照たいしょうなっみなわらい惹いひい
火鉢ひばちそば細君さいくんそら今度こんどこそ雪子ゆきこかち云っいっ愉快ゆかいそう綺麗きれい露わあらわ
子供こどもひざそばしろあかあい硝子がらすたまたくさんあっ
主人しゅじんとうとう雪子ゆきこ負けまけせき外しはずし宗助そうすけほう向いむかいどうですまた洞窟どうくつ引き込みひきこみます云っいっ立ち上がったちあがっ
書斎しょさいはしられいごとくにしきふくろ入れいれ蒙古もうこかたな振らふら下がっさがっ
はなかつどこ咲いさいもう黄色いきいろい菜の花なのはな挿しさしあっ
宗助そうすけ床柱とこばしら中途ちゅうと華やかはなやか彩どるいろどるふくろ着けつけそう変らかわら掛かっかかっおります云っいっ
そう主人しゅじん気色けしきあたまおくから窺っうかがっ
主人しゅじんええちともの数奇すうき過ぎすぎます蒙古もうこかたな答えこたえ
ところおとうと野郎やろうそんな玩具がんぐ持っもっ兄貴あにき籠絡ろうらくするつもりから困りものこまりものじゃありませ舎弟しゃていその後そのあとどうなさいまし宗助そうすけ何気なんげないかぜ示ししめし
ええようやく四五しごまえ帰りかえりましありゃ全くまったく蒙古もうこむかいです御前ごぜんよう夷狄いてき東京とうきょうにゃ調和ちょうわないから早くはやく帰れかえれったらわたくしそう思うおもうって帰っかえっ行きいきましどうありゃ万里ばんり長城ちょうじょう向側むかいがわいるべき人物じんぶつですそうゴビごび沙漠さばくなか金剛石こんごうせき捜しさがしいれいいですもう一人ひとり伴侶はんりょ安井やすいですあれ無論むろんいっしょですああなる落ちついおちついちゃられない見えみえますなんもと京都大学きょうとだいがくことある云ういうはなしですどうああ変化へんかものです 宗助そうすけ腋の下わきのしたからあせ
安井やすいどう変っかわっどう落ちつかおちつかない全くまったく聞くきくならなかっ
ただ自分じぶん主人しゅじん安井やすい同じおなじ大学だいがくことまだ洩らさもらさなかっ天祐てんゆうようありがたく思っおもっ
けれど主人しゅじんそのおとうと安井やすい晩餐ばんさん呼ぶよぶとき自分じぶんこの二人ふたり紹介しょうかいしよう申し出もうしでおとこある
辞退じたいそのせきかお出すだす不面目ふめんぼくだけやっと免かれまぬかれようものそのばん主人しゅじんなん機会きかいつい自分じぶん二人ふたり洩らさもらさない限らかぎらなかっ
宗助そうすけ後暗いうしろぐらいひと変名へんめい用いもちい渡るわたる便利べんり切にせつに感じかんじ
かれ主人しゅじん向っむかっあなたもしわたくし安井やすいまえくちやしませ聞いきいたく堪らたまらなかっ
けれどそれだけどう聞けきけなかっ
下女げじょ平たいひらたい大きなおおきな菓子皿かしさらみょう菓子かし盛っもっ
一丁いちちょう豆腐とうふぐらい大きさおおきさ金玉糖きんぎょくとうなか金魚きんぎょひき透いすい見えるみえるそのまま庖丁ほうちょう入れいれもとかたち崩さくずささら移しうつしものあっ
宗助そうすけ一目いちもくただ珍らしいめずらしい感じかんじ
けれどかれあたまむしろほか方面ほうめん奪わうばわ
する主人しゅじんどうですいちれい通りとおりまず自分じぶんから出しだし
これ昨日きのうあるひと銀婚式ぎんこんしき呼ばよば貰っもらっからすこぶるめでたいですあなた一切いっさいぐらい肖っあやかっいいでしょう 主人しゅじん肖りあやかりたいしたかんしでるい金玉糖きんぎょくとういくせつ頬張っほおばっ
これさけ呑みのみちゃ呑みのみめし菓子かし食えるくえるようでき重宝ちょうほう健康けんこうおとこあっ
なんじつ云ういう二十にじゅうねん三十さんじゅうねん夫婦ふうふしわだらけなっ生きいきってべつめでたくありませそこもの比較的ひかくてきところわたくしいつ清水谷しみずだに公園こうえんまえ通っとおっ驚ろいおどろいことあるへん方面ほうめんはなし持っもっ行っいっ
こういうかぜそれからそれきゃく飽かせあかせないよう引張っひっぱっ行くいく社交しゃこうなれ主人しゅじん平生へいぜい調子ちょうしあっ
かれ云ういうところよる清水谷しみずだにから弁慶べんけいはし通じるつうじる泥溝どろどぶよう細いほそいりゅうなか春先はるさきなる無数むすうかわず生れるうまれるそうある
そのかわず押し合いおしあい鳴きなき合っあっ生長せいちょうするうちいくひゃくくみいくせんくみこいどろきょなか成立せいりつする
そうそれあい生きるいきるもの重ならかさならないばかり隙間すきまなく清水谷しみずだにから弁慶べんけいはし続いつづいたがい睦まじくむつまじく浮いういいる通り掛りとおりがかり小僧こぞう閑人ひまじんいし打ちつけうちつけ無残むざんかわず夫婦ふうふ殺しころし行くいくものからそのすうほとんど勘定かんじょう切れきれないほど多くおおくなるそうある
死屍累々ししるいるいあのことですそれみな夫婦ふうふから実際じっさい気の毒きのどくですつまりあすこ二三にさんてい通るとおるうち我々われわれ悲劇ひげきいくつ出逢うであう分らわからないですそれ考えるかんがえるたがいじつ幸福こうふくさあ夫婦ふうふなってるわるらしいっていしあたま破らやぶられる恐れおそれまあ無いないですからしかも双方そうほうとも二十にじゅうねん三十さんじゅうねん安全あんぜんなら全くまったくめでたいありませから一切いっさいぐらい肖っあやかっおく必要ひつようあるでしょう云っいっ主人しゅじんわざとはし金玉糖きんぎょくとう挟んはさん宗助そうすけまえ出しだし
宗助そうすけ苦笑くしょうながらそれ受けうけ
こんな冗談じょうだん交りまじわりはなし主人しゅじんいくら続けるつづける宗助そうすけやむとく或るあるへんまで釣らつら行っいっ
けれどはらなかけっして主人しゅじんよう太平楽たいへいらく行かいかなかっ
辞しじしひょうまたつきないそら眺めながめその深くふかく黒いくろいいろしたなん知れしれない一種いっしゅ悲哀ひあい物凄ものすご感じかんじ
かれ坂井さかいいえただいやしく免かれまぬかれする料簡りょうけん行っいっ
そうその目的もくてき達するたっするためはじ不愉快ふゆかい忍んしのん好意こうい真率しんそつ充ちみち主人しゅじん対したいし政略せいりゃくまと談話だんわ駆っかっ
しかも知ろうしろう思うおもうことことごとく知るしることできなかっ
己れおのれ弱点じゃくてん付いつい一言ひとことかれまえ自白じはくする勇気ゆうき必要ひつよう認めみとめなかっ
かれあたま掠めんかすめん雨雲あまぐも辛うじてかろうじてあたま触れふれ過ぎすぎらしかっ
けれどこれ不安ふあんこれからさき何度なんどいろいろ程度ていどおい繰り返さくりかえさなけれすまないようむし知らせしらせどこあっ
それ繰り返さくりかえさせるてんことあっ
それ逃げにげ回るまわる宗助そうすけことあっ
二十三にじゅうさん
つき変っかわっから寒ささむさだいぶ緩んゆるん
官吏かんり増俸ぞうほう問題もんだいつれ必然ひつぜん起るおこるべく多数たすううわさ上っのぼっ局員きょくいん課員かいん淘汰とうた月末げつまつまでほぼ片づいかたづい
そのぽつりぽつりくび斬らきられる知人ちじん未知みちひと名前なまえ絶えたえみみ宗助そうすけ時々ときどきいえ帰っかえっべい今度こんどおればん知れしれない云ういうことあっ
べいそれ冗談じょうだん聞きききまた本気ほんき聞いきい
まれ隠れかくれ未来みらい故意こい呼び出すよびだす不吉ふきつ言葉ことばとも解釈かいしゃく
それくちする宗助そうすけむねなかべい同じおなじようくも去来きょらい
つき改っあらたまっ役所やくしょ動揺どうようこれ一段落いちだんらく沙汰さたられ宗助そうすけ生き残っいきのこっ自分じぶん運命うんめい顧りみかえりみ当然とうぜんよう思っおもっ
また偶然ぐうぜんよう思っおもっ
立ちたちながらべい見下しみくだしまあ助かったすかっむずかし云っいっ
その嬉しくうれしく悲しくかなしくない様子ようすべいてんから落ちおち滑稽こっけい見えみえ
また二三にさん宗助そうすけ月給げっきゅうえん昇っのぼっ
原則げんそく通りとおりわりぶん増さぞうさない仕方しかたあるまい休めやすめられひともときゅうままいるひとたくさんあるから云っいっ宗助そうすけこのえん自己じこ以上いじょう価値かちもたらし帰っかえっごとく満足まんぞくいろ見せみせ
べい無論むろんことこころうち不足ふそく訴えるうったえるべき余地よち見出さみだしさなかっ
翌日よくじつばん宗助そうすけわがぜんうえ頭つきずつきさかなさらそと躍らすおどらすたい眺めながめ
小豆あずきいろ染まっそまっめしこう嗅いかい
べいわざわざきよしやっ坂井さかいいえ引き移っひきうつっ小六しょうろく招いまねい
小六しょうろくやあ御馳走ごちそうなあ云っいっ勝手かってから入っはいっ
うめちらほら入るはいるようなっ
早いはやいすでにいろ失なっうしなっ散りちりかけ
あめ煙るけむるよう降りふり始めはじめ
それ霽れはれ蒸さむされるとき地面じめんから屋根やねからはる記憶きおくしんべき湿気しっけむらむら立ち上ったちのぼっ
背戸せど干しほし雨傘あまがさ小犬こいぬじゃれかかっ蛇の目じゃのめいろきらきらするところ陽炎かげろう燃えるもえるごとく長閑のどか思わおもわれるあっ
ようやくふゆ過ぎすぎようあなた今度こんど土曜どよう佐伯さえき叔母おばさんところ回っまわっ小六しょうろくさんこときめいらっしゃいあんまりいつまで放っはなっおくまたあんさん忘れわすれしまうからべい催促さいそく
宗助そうすけうん思い切っおもいきっ行っいっ来ようこよう答えこたえ
小六しょうろく坂井さかい好意こういそこ書生しょせい住み込んすみこん
そのうえ宗助そうすけ安之助やすのすけ不足ふそくところ分担ぶんたんすることできたら小六しょうろく云っいっ聞かしきかし宗助そうすけ自身じしんあっ
小六しょうろくあに運動うんどう待たまたすぐ安之助やすのすけ直談判じかだんぱん
そう形式的けいしきてき宗助そうすけほうから依頼いらいすれすぐ安之助やすのすけ引き受けるひきうけるまで自分じぶんらち明けあけある
小康しょうこうかくこと好まこのまない夫婦ふうふうえ落ちおち
ある日曜にちよううま宗助そうすけ久しぶりひさしぶりよんあか流すながすため横町よこちょう洗場あらいば行っいったら五十ごじゅうばかりあたま剃っそっおとこ三十さんじゅうだい商人しょうにんらしいおとこようやくはるらしくなっ云っいっ時候じこう挨拶あいさつ取りとりかえ
若いわかいほう今朝けさ始めはじめうぐいす鳴声なきごえ聞いきい話すはなすぼうさんほうわたくし二三にさんまえ一度いちど聞いきいことある答えこたえ
まだ鳴きなきはじめから下手へたええまだ充分じゅうぶんした回りまわりませ 宗助そうすけいえ帰っかえっべいこのうぐいす問答もんどう繰り返しくりかえし聞かきか
べい障子しょうじ硝子がらす映るうつる麗かうららか日影ひかげすかし本当ほんとうありがたいようやくことはるなっ云っいっ晴れ晴れしいはればれしいまゆ張っちょうっ
宗助そうすけえん長くながく延びのびつめ剪りきりながらうんしかしまたじきふゆなる答えこたえした向いむかいままはさみ動かしうごかし
10/10