門

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十

第 10 章
佐伯さえきの叔母おばも安之助やすのすけもその後そのあととんと宗助そうすけの宅たくへは見えみえなかった。
宗助そうすけは固よりもとより麹町こうじまちへ行くいく余暇よかを有ゆうたなかった。
またそれだけの興味きょうみもなかった。
親類しんるいとは云いいいながら、別々べつべつの日ひが二人ふたりの家いえを照らしてらしていた。
ただ小六しょうろくだけが時々ときどき話しはなしに出かけるでかける様子ようすであったが、これとても、そう繁々しげしげ足あしを運ぶはこぶ訳わけでもないらしかった。
それに彼かれは帰っかえって来きて、叔母おばの家いえの消息しょうそくをほとんど御ご米べいに語らかたらないのを常つねとしておった。
御ご米べいはこれを故意こいから出るでる小六しょうろくの仕打しうちかとも疑っうたがった。
しかし自分じぶんが佐伯さえきに対したいして特別とくべつの利害りがいを感じかんじない以上いじょう、御ご米べいは叔母おばの動静どうせいを耳みみにしない方ほうを、かえって喜こんよろこんだ。
それでも時々ときどきは、先方せんぽうの様子ようすを、小六しょうろくと兄あにの対話たいわから聞き込むききこむ事こともあった。
一いち週間しゅうかんほど前まえに、小六しょうろくは兄あにに、安之助やすのすけがまた新しん発明はつめいの応用おうように苦心くしんしている話はなしをした。
それは印しるし気きの助けたすけを借らからないで、鮮明せんめいな印刷物いんさつぶつを拵らえるこしらえるとか云ういう、ちょっと聞くきくとすこぶる重宝ちょうほうな器械きかいについてであった。
話題わだいの性質せいしつから云っいっても、自分じぶんとは全くまったく利害りがいの交渉こうしょうのないむずかしい事ことなので、御ご米べいは例れいの通りとおり黙っだまって口くちを出さださずにいたが、宗助そうすけは男おとこだけに幾分いくぶんか好奇心こうきしんが動いうごいたと見えみえて、どうして印しるし気きを使わつかわずに印刷いんさつができるかなどと問いとい糺しただしていた。
専門せんもん上うえの知識ちしきのない小六しょうろくが、精密せいみつな返答へんとうをし得るうるはずは無論むろんなかった。
彼かれはただ安之助やすのすけから聞いきいたままを、覚えおぼえている限りかぎり念ねんを入れいれて説明せつめいした。
この印刷いんさつ術じゅつは近来きんらい英国えいこくで発明はつめいになったもので、根本的こんぽんてきにいうとやはり電気でんきの利用りように過ぎすぎなかった。
電気でんきの一いち極きょくを活字かつじと結びつけむすびつけておいて、他ほかの一いち極きょくを紙かみに通じつうじて、その紙かみを活字かつじの上うえへ圧しおしつけさえすれば、すぐできるのだと小六しょうろくが云っいった。
色いろは普通ふつう黒くろであるが、手加減てかげんしだいで赤あかにも青あおにもなるから色刷いろずりなどの場合ばあいには、絵の具えのぐを乾かすかわかす時間じかんが省けるはぶけるだけでも大変たいへん重宝ちょうほうで、これを新聞しんぶんに応用おうようすれば、印しるし気きや印しるし気きロールろーるの費ひを節約せつやくする上うえに、全体ぜんたいから云っいって、少くすくなくとも従来じゅうらいの四よん分ぶんの一いちの手数てすうがなくなる点てんから見みても、前途ぜんとは非常ひじょうに有望ゆうぼうな事業じぎょうであると、小六しょうろくはまた安之助やすのすけの話しはなした通りとおりを繰り返しくりかえした。
そうしてその有望ゆうぼうな前途ぜんとを、安之助やすのすけがすでに手ての中なかに握っにぎったかのごとき口気こうきであった。
かつその多望たぼうな安之助やすのすけの未来みらいのなかには、同じくおなじく多望たぼうな自分じぶんの影かげが、含まふくまれているように、眼めを輝やかしかがやかした。
その時じ宗助そうすけはいつもの調子ちょうしで、むしろ穏やかおだやかに、弟おとうとの云ういう事ことを聞いきいていたが、聞いきいてしまった後あとでも、別べつにこれという眼め立ったった批評ひひょうは加えくわえなかった。
実際じっさいこんな発明はつめいは、宗助そうすけから見るみると、本当ほんとうのようでもあり、また嘘うそのようでもあり、いよいよそれが世間せけんに行わおこなわれるまでは、賛成さんせいも反対はんたいもできかねたのである。
「じゃ鰹船かつおせんの方ほうはもう止しよしたの」と、今までいままで黙っだまっていた御ご米べいが、この時じ始めはじめて口くちを出しだした。
「止しよしたんじゃないんですが、あの方ほうは費用ひようが随分ずいぶんかかるので、いくら便利べんりでも、そう誰だれも彼かれも拵えるこしらえる訳わけに行かいかないんだそうです」と小六しょうろくが答えこたえた。
小六しょうろくは幾分いくぶんか安之助やすのすけの利害りがいを代表だいひょうしているような口くち振ぶりであった。
それから三さん人ひとの間まに、しばらく談話だんわが交換こうかんされたが、しまいに、「やっぱり何なんをしたって、そう旨くうまく行くいくもんじゃあるまいよ」と云っいった宗助そうすけの言葉ことばと、「坂井さかいさんみたように、御ご金きんがあって遊んあそんでいるのが一番いちばんいいわね」と云っいった御ご米べいの言葉ことばを聞いきいて、小六しょうろくはまた自分じぶんの部屋へやへ帰っかえって行っいった。
こう云ういう機会きかいに、佐伯さえきの消息しょうそくは折々おりおり夫婦ふうふの耳みみへ洩れるもれる事ことはあるが、そのほかには、全くまったく何なんをして暮らしくらしているか、互たがいに知らしらないで過すすごす月日つきひが多かっおおかった。
ある時じ御ご米べいは宗助そうすけにこんな問もんを掛けかけた。
「小六しょうろくさんは、安あんさんの所ところへ行くいくたんびに、小遣こづかいでも貰っもらって来るくるんでしょうか」 今までいままで小六しょうろくについて、それほどの注意ちゅういを払っはらっていなかった宗助そうすけは、突然とつぜんこの問もんに逢っあって、すぐ、「なぜ」と聞き返しききかえした。
御ご米べいはしばらく逡巡しゅんじゅんった末すえ、「だって、この頃このごろよく御酒おさけを呑んのんで帰っかえって来るくる事ことがあるのよ」と注意ちゅういした。
「安あんさんが例れいの発明はつめいや、金儲けかねもうけの話はなしをするとき、その聞ききき賃ちんに奢るおごるのかも知れしれない」と云っいって宗助そうすけは笑っわらっていた。
会話かいわはそれなりでつい発展はってんせずにしまった。
越えこえて三さん日ひ目めの夕方ゆうがたに、小六しょうろくはまた飯時めしどきを外しはずして帰っかえって来きなかった。
しばらく待ち合せまちあわせていたが、宗助そうすけはついに空腹くうふくだとか云いいい出しだして、ちょっと湯ゆにでも行っいって時間じかんを延ばしのばしたらという御ご米べいの小六しょうろくに対するたいする気兼きがねに頓着とんちゃくなく、食事しょくじを始めはじめた。
その時じ御ご米べいは夫おっとに、「小六しょうろくさんに御酒おさけを止めるとめるように、あなたから云っいっちゃいけなくって」と切り出しきりだした。
「そんなに意見いけんしなければならないほど飲むのむのか」と宗助そうすけは少しすこし案外あんがいな顔かおをした。
御ご米べいはそれほどでもないと、弁護べんごしなければならなかった。
けれども実際じっさいは誰だれもいない昼間ひるまのうちなどに、あまり顔かおを赤くあかくして帰っかえって来きられるのが、不安ふあんだったのである。
宗助そうすけはそれなり放っはなっておいた。
しかし腹はらの中なかでは、はたして御ご米べいの云ういうごとく、どこかで金きんを借りるかりるか、貰うもらうかして、それほど好きすきもしないものを、わざと飲むのむのではなかろうかと疑ぐっうたぐった。
そのうち年ねんがだんだん片寄っかたよって、夜よるが世界せかいの三さん分ぶんの二にを領するりょうするように押しつまっおしつまって来きた。
風かぜが毎日まいにち吹いふいた。
その音おとを聞いきいているだけでも生活せいかつに陰気いんきな響ひびきを与えあたえた。
小六しょうろくはどうしても、六ろく畳たたみに籠っこもって、一いち日ひを送るおくるに堪えこらえなかった。
落ちついおちついて考えれかんがえれば考えるかんがえるほど、頭あたまが淋しくさびしくって、いたたまれなくなるばかりであった。
茶の間ちゃのまへ出でて嫂ねーと話すはなすのはなお厭いやであった。
やむを得とくず外そとへ出でた。
そうして友達ともだちの宅たくをぐるぐる回っまわって歩いあるいた。
友達ともだちも始はじめのうちは、平生へいぜいの小六しょうろくに対するたいするように、若いわかい学生がくせいのしたがる面白いおもしろい話はなしをいくらでもした。
けれども小六しょうろくはそう云ういう話はなしが尽きつきても、まだやって来きた。
それでしまいには、友達ともだちが、小六しょうろくは、退屈たいくつの余りあまりに訪問ほうもんをして、談話だんわの復習ふくしゅうに耽るふけるものだと評しひょうした。
たまには学校がっこうの下した読よみやら研究けんきゅうやらに追わおわれている多忙たぼうの身みだと云ういう風かぜもして見せみせた。
小六しょうろくは友達ともだちからそう呑気のんきな怠けものなまけもののように取り扱わとりあつかわれるのを、大変たいへん不愉快ふゆかいに感じかんじた。
けれども宅たくに落ちついおちついては、読書どくしょも思索しさくも、まるでできなかった。
要するようするに彼かれぐらいの年輩ねんぱいの青年せいねんが、一人前いちにんまえの人間にんげんになる階梯かいていとして、修おさむむべき事こと、力むりきむべき事ことには、内部ないぶの動揺どうようやら、外部がいぶの束縛そくばくやらで、いっさい手てが着かきかなかったのである。
それでも冷たいつめたい雨あめが横よこに降っふったり、雪ゆき融とおるの道みちがはげしく泥どろったりする時じは、着物きものを濡らさぬらさなければならず、足袋たびの泥どろを乾かさかわかさなければならない面倒めんどうがあるので、いかな小六しょうろくも時じによると、外出がいしゅつを見合せるみあわせる事ことがあった。
そう云ういう日ひには、実際じっさい困却こんきゃくすると見えみえて、時々ときどき六ろく畳たたみから出でて来きて、のそりと火鉢ひばちの傍そばへ坐っすわって、茶ちゃなどを注いそそいで飲んのんだ。
そうしてそこに御ご米べいでもいると、世間せけん話はなしの一いちつや二につはしないとも限らかぎらなかった。
「小六しょうろくさん御ご酒好きさけずき」と御ご米べいが聞いきいた事ことがあった。
「もう直じか御ご正月しょうがつね。あなた御ご雑煮ぞうにいくつ上がっあがって」と聞いきいた事こともあった。
そう云ういう場合ばあいが度重なるたびかさなるに連れつれて、二人ふたりの間まは少しすこしずつ近寄るちかよる事ことができた。
しまいには、姉さんあねさんちょっとここを縫っぬって下さいくださいと、小六しょうろくの方ほうから進んすすんで、御ご米べいに物ものを頼むたのむようになった。
そうして御ご米べいが絣かすりの羽織はおりを受取っうけとって、袖口そでぐちの綻ほころびを繕っつくろっている間ま、小六しょうろくは何になんにもせずにそこへ坐っすわって、御ご米べいの手先てさきを見つめみつめていた。
これが夫おっとだと、いつまでも黙っだまって針はりを動かすうごかすのが、御ご米べいの例れいであったが、相手あいてが小六しょうろくの時じには、そう投なげ遣けんにできないのが、また御ご米べいの性質せいしつであった。
だからそんな時じには力めりきめても話はなしをした。
話はなしの題目だいもくで、ややともすると小六しょうろくの口くちに宿りやどりたがるものは、彼かれの未来みらいをどうしたら好かろうよかろうと云ういう心配しんぱいであった。
「だって小六しょうろくさんなんか、まだ若いわかいじゃありませんか。何なんをしたってこれからだわ。そりゃ兄さんあにさんの事ことよ。そう悲観ひかんしてもいいのは」 御ご米べいは二に度どばかりこういう慰めなぐさめ方ほうをした。
三さん度目どめには、「来年らいねんになれば、安あんさんの方ほうでどうか都合つごうして上げるあげるって受合っうけあって下すっくだすったんじゃなくって」と聞いきいた。
小六しょうろくはその時じ不ふ慥たしかな表情ひょうじょうをして、「そりゃ安あんさんの計画けいかくが、口くちでいう通りとおり旨くうまく行けいけば訳わけはないんでしょうが、だんだん考えるかんがえると、何なんだか少すくなし当しとうにならないような気きがし出しだしてね。鰹船かつおせんもあんまり儲からもうからないようだから」と云っいった。
御ご米べいは小六しょうろくの憮然ぶぜんとしている姿すがたを見みて、それを時々ときどき酒気しゅきを帯びおびて帰っかえって来るくる、どこかに殺気さっきを含んふくんだ、しかも何なんが癪しゃくに障るさわるんだか訳わけが分らわからないでいてはなはだ不平ふへいらしい小六しょうろくと比較ひかくすると、心こころの中なかで気の毒きのどくにもあり、またおかしくもあった。
その時じは、「本当ほんとうにね。兄さんあにさんにさえ御ご金きんがあると、どうでもして上げるあげる事ことができるんだけれども」と、御世辞ごせじでも何なんでもない、同情どうじょうの意いを表しあらわした。
その夕暮ゆうぐれであったか、小六しょうろくはまた寒いさむい身体しんたいを外套がいとうに包んつつんで出でて行っいったが、八はち時じ過すぎに帰っかえって来きて、兄あに夫婦ふうふの前まえで、袂たもとから白いしろい細長いほそながい袋ふくろを出しだして、寒いさむいから蕎麦そば掻を拵らえこしらえて食おうくおうと思っおもって、佐伯さえきへ行っいった帰りかえりに買っかって来きたと云っいった。
そうして御ご米べいが湯ゆを沸かしわかしているうちに、煮出しにだしを拵えるこしらえるとか云っいって、しきりに鰹節かつおぶしを掻いかいた。
その時宗じしゅう助すけ夫婦ふうふは、最近さいきんの消息しょうそくとして、安之助やすのすけの結婚けっこんがとうとう春はるまで延びのびた事ことを聞いきいた。
この縁談えんだんは安之助やすのすけが学校がっこうを卒業そつぎょうすると間まもなく起っおこったもので、小六しょうろくが房州ぼうしゅうから帰っかえって、叔母おばに学資がくしの供給きょうきゅうを断わらことわられる時分じぶんには、もうだいぶ話はなしが進んすすんでいたのである。
正式せいしきの通知つうちが来きないので、いつ纏っまとったか、宗助そうすけはまるで知らしらなかったが、ただ折々おりおり佐伯さえきへ行っいっては、何なんか聞いきいて来るくる小六しょうろくを通じつうじてのみ、彼かれは年内ねんないに式しきを挙げるあげるはずの新しん夫婦ふうふを予想よそうした。
その他ほかには、嫁よめの里さとがある会社員かいしゃいんで、有福ありふくな生計せいけいをしている事ことと、その学校がっこうが女おんな学館がっかんであるという事ことと、兄弟きょうだいがたくさんあると云ういう事ことだけを、同じくおなじく小六しょうろくを通じつうじて耳みみにした。
写真しゃしんにせよ顔かおを知っしってるのは小六しょうろくばかりであった。
「好いよい器量きりょう?」と御ご米べいが聞いきいた事ことがある。
「まあ好いよい方ほうでしょう」と小六しょうろくが答えこたえた事ことがある。
その晩ばんはなぜ暮くれのうちに式しきを済まさすまさないかと云ういうのが、蕎麦そば掻のでき上るできあがる間ま、三さん人ひとの話題わだいになった。
御ご米べいは方位ほういでも悪いわるいのだろうと臆測おくそくした。
宗助そうすけは押しつまっおしつまって日ひがないからだろうと考えかんがえた。
独りひとり小六しょうろくだけが、「やっぱり物質的ぶっしつてきの必要ひつようかららしいです。先さきが何なんでもよほど派出はしゅつな家いえなんで、叔母おばさんの方ほうでもそう単簡たんかんに済まさすまされないんでしょう」といつにない世帯せたい染みしみた事ことを云っいった。
十一じゅういち
御ご米べいのぶらぶらし出しだしたのは、秋あきも半ばなかば過ぎすぎて、紅葉こうようの赤黒くあかぐろく縮れるちぢれる頃ころであった。
京都きょうとにいた時分じぶんは別べつとして、広島ひろしまでも福岡ふくおかでも、あまり健康けんこうな月日つきひを送っおくった経験けいけんのない御ご米べいは、この点てんに掛けるかけると、東京とうきょうへ帰っかえってからも、やはり仕合せしあわせとは云えいえなかった。
この女おんなには生れうまれ故郷こきょうの水みずが、性せいに合わあわないのだろうと、疑ぐれうたぐれば疑ぐらうたぐられるくらい、御ご米べいは一時いちじ悩んなやんだ事こともあった。
近頃ちかごろはそれがだんだん落ちついおちついて来きて、宗助そうすけの気きを揉むもむ機会きかいも、年ねんに幾度いくどと勘定かんじょうができるくらい少なくすくなくなったから、宗助そうすけは役所やくしょの出入でいりに、御ご米べいはまた夫おっとの留守るすの立居たちいに、等しくひとしく安心あんしんして時間じかんを過すすごす事ことができたのである。
だからことしの秋あきが暮れくれて、薄いうすい霜しもを渡るわたる風かぜが、つらく肌はだを吹くふく時分じぶんになって、また少しすこし心持こころもちが悪くわるくなり出しだしても、御ご米べいはそれほど苦くにもならなかった。
始はじめのうちは宗助そうすけにさえ知らしらせなかった。
宗助そうすけが見つけみつけて、医者いしゃに掛かれかかれと勧めすすめても、容易よういに掛からかかりからなかった。
そこへ小六しょうろくが引越しひっこして来きた。
宗助そうすけはその頃ころの御ご米べいを観察かんさつして、体質たいしつの状態じょうたいやら、精神せいしんの模様もようやら、夫おっとだけによく知っしっていたから、なるべくは、人数にんずうを殖やしふやして宅たくの中なかを混雑こんざつかせたくないとは思っおもったが、事情じじょうやむを得とくないので、成るなるがままにしておくよりほかに、手段しゅだんの講じようこうじようもなかった。
ただ口くちの先さきで、なるべく安静あんせいにしていなくてはいけないと云ういう矛盾むじゅんした助言じょげんは与えあたえた。
御ご米べいは微笑びしょうして、「大丈夫だいじょうぶよ」と云っいった。
この答こたえを得とくた時じ、宗助そうすけはなおの事こと安心あんしんができなくなった。
ところが不思議ふしぎにも、御ご米べいの気分きぶんは、小六しょうろくが引越しひっこして来きてから、ずっと引立っひきたった。
自分じぶんに責任せきにんの少しすこしでも加わっくわわったため、心こころが緊張きんちょうしたものと見えみえて、かえって平生へいぜいよりは、かいがいしく夫おっとや小六しょうろくの世話せわをした。
小六しょうろくにはそれがまるで通じつうじなかったが、宗助そうすけから見るみると、御ご米べいが在来ざいらいよりどれほど力めりきめているかがよく解っわかった。
宗助そうすけは心こころのうちで、このまめやかな細君さいくんに新らしいあたらしい感謝かんしゃの念ねんを抱くいだくと同時どうじに、こう気きを張りばり過ぎるすぎる結果けっかが、一度いちどに身体しんたいに障るさわるような騒ぎさわぎでも引き起しひきおこしてくれなければいいがと心配しんぱいした。
不幸ふこうにも、この心配しんぱいが暮くれの二十にじゅう日ひ過すぎになって、突然とつぜん事実じじつになりかけたので、宗助そうすけは予期よきの恐怖きょうふに火ひが点いついたように、いたく狼狽ろうばいした。
その日ひは判然はんぜん土つちに映らうつらない空そらが、朝あさから重なり合っかさなりあって、重いおもい寒ささむさが終日しゅうじつ人ひとの頭あたまを抑えつけおさえつけていた。
御ご米べいは前まえの晩ばんにまた寝ねられないで、休まやすませ損なっそこなった頭あたまを抱えかかえながら、辛抱しんぼうして働らきはたらき出しだしたが、起っおこったり動いうごいたりするたびに、多少たしょう脳のうに応えるこたえる苦痛くつうはあっても、比較的ひかくてき明るいあかるい外界がいかいの刺戟しげきに紛れまぎれたためか、じっと寝ねていながら、頭あたまだけが冴えさえて痛むいたむよりは、かえって凌ぎしのぎやすかった。
とかくして夫おっとを送り出すおくりだすまでは、しばらくしたらまたいつものように折り合っおりあって来るくる事ことと思っおもって我慢がまんしていた。
ところが宗助そうすけがいなくなって、自分じぶんの義務ぎむに一段落いちだんらくが着いついたという気きの弛みたるみが出るでると等しくひとしく、濁っにごった天気てんきがそろそろ御ご米べいの頭あたまを攻めせめ始めはじめた。
空そらを見るみると凍っこおっているようであるし、家いえの中なかにいると、陰気いんきな障子しょうじの紙かみを透しとおして、寒ささむさが浸み込んしみこんで来るくるかと思わおもわれるくらいだのに、御ご米べいの頭あたまはしきりに熱っねつって来きた。
仕方しかたがないから、今朝けさあげた蒲団ふとんをまた出しだして来きて、座敷ざしきへ延べのべたまま横よこになった。
それでも堪えこらえられないので、清きよしに濡手ぬれて拭ぬぐえを絞らしぼらして頭あたまへ乗せのせた。
それが直じか生温くなまぬるくなるので、枕元まくらもとに金盥かなだらいを取り寄せとりよせて時々ときどき絞りしぼり易えかえた。
午うままでこんな姑息こそく手段しゅだんで断だんえず額がくを冷やしひやして見みたが、いっこうはかばかしい験げんもないので、御ご米べいは小六しょうろくのために、わざわざ起きおきて、いっしょに食事しょくじをする根気こんきもなかった。
清きよしにいいつけて膳立ぜんだてをさせて、それを小六しょうろくに薦めすすめさしたまま、自分じぶんはやはり床ゆかを離れはなれずにいた。
そうして、平たいら生夫なまおっとのする柔かいやわらかい括かつ枕まくらを持っもって来きて貰っもらって、堅いかたいのと取り替えとりかえた。
御ご米べいは髪かみの損そんれるのを、女おんならしく苦くにする勇気ゆうきにさえ乏しかっとぼしかったのである。
小六しょうろくは六ろく畳たたみから出でて来きて、ちょっと襖ふすまを開けあけて、御ご米べいの姿すがたを覗き込んのぞきこんだが、御ご米べいが半ばなかば床の間とこのまの方ほうを向いむかいて、眼めを塞いせいでいたので、寝ついねついたとでも思っおもったものか、一言ひとことの口くちも利かりかずに、またそっと襖ふすまを閉めしめた。
そうして、たった一人ひとり大きなおおきな食卓しょくたくを専せん領りょうして、始めはじめからさらさらと茶漬ちゃづけを掻き込むかきこむ音おとをさせた。
二に時じ頃ころになって、御ご米べいはやっとの事こと、とろとろと眠っねむったが、眼めが覚めさめたら額がくを捲いまいた濡れぬれ手拭てぬぐいがほとんど乾くかわくくらい暖かあたたかになっていた。
その代りかわり頭あたまの方ほうは少しすこし楽らくになった。
ただ肩かたから背筋せすじへ掛けかけて、全体ぜんたいに重苦しいおもくるしいような感じかんじが新らしくあたらしく加わっくわわった。
御ご米べいは何なんでも精せいをつけなくては毒どくだという考かんがえから、一人ひとりで起きおきて遅いおそい午飯ごはんを軽くかるく食べたべた。
「御ご気分きぶんはいかがでございます」と清きよしが御ご給仕きゅうじをしながら、しきりに聞いきいた。
御ご米べいはだいぶいいようだったので、床ゆかを上げあげて貰っもらって、火鉢ひばちに倚っよったなり、宗助そうすけの帰りかえりを待ち受けまちうけた。
宗助そうすけは例刻れいこくに帰っかえって来きた。
神田かんだの通りとおりで、門並かどなみ旗はたを立てたてて、もう暮くれの売出しうりだしを始めはじめた事ことだの、勧工場かんこうじょうで紅白こうはくの幕まくを張っちょうって楽隊がくたいに景気けいきをつけさしている事ことだのを話しはなした末すえ、「賑やかにぎやかだよ。ちょっと行っいって御覧ごらん。なに電車でんしゃに乗っのって行けいけば訳わけはない」と勧めすすめた。
そうして自分じぶんは寒ささむさに腐蝕ふしょくされたように赤いあかい顔かおをしていた。
御ご米べいはこう宗助そうすけから労わらいたわられた時じ、何なんだか自分じぶんの身体しんたいの悪いわるい事ことを訴うったえたえるに忍びしのびない心持こころもちがした。
実際じっさいまたそれほど苦しくくるしくもなかった。
それでいつもの通りとおり何気なんげない顔かおをして、夫おっとに着物きものを着換えきかえさしたり、洋服ようふくを畳んたたんだりして夜よるに入っはいった。
ところが九きゅう時じ近くちかくになって、突然とつぜん宗助そうすけに向っむかって、少しすこし加減かげんが悪いわるいから先さきへ寝ねたいと云いいい出しだした。
今までいままで平生へいぜいの通りとおり機嫌きげんよく話しはなしていただけに、宗助そうすけはこの言葉ことばを聞いきいてちょっと驚ろいおどろいたが、大したたいした事ことでもないと云ういう御ご米べいの保証ほしょうに、ようやく安心あんしんしてすぐ休むやすむ支度したくをさせた。
御ご米べいが床ゆかへ這入っはいってから、約やく二十にじゅう分ぶんばかりの間ま、宗助そうすけは耳みみの傍そばに鉄瓶てつびんの音おとを聞きききながら、静せいな夜よるを丸心まるしんの洋灯ようとうに照らしてらしていた。
彼かれは来年度らいねんどに一般いっぱん官吏かんりに増俸ぞうほうの沙汰さたがあるという評判ひょうばんを思い浮べおもいうかべた。
またその前まえに改革かいかくか淘汰とうたが行わおこなわれるに違いないという噂うわさに思い及んおもいおよんだ。
そうして自分じぶんはどっちの方ほうへ編入へんにゅうされるのだろうと疑っうたがった。
彼かれは自分じぶんを東京とうきょうへ呼んよんでくれた杉原すぎはらが、今いまもなお課長かちょうとして本省ほんしょうにいないのを遺憾いかんとした。
彼かれは東京とうきょうへ移っうつってから不思議ふしぎとまだ病気びょうきをした事ことがなかった。
したがってまだ欠勤けっきん届とどけを出しだした事ことがなかった。
学校がっこうを中途ちゅうとでやめたなり、本ほんはほとんど読まよまないのだから、学問がくもんは人並ひとなみにできないが、役所やくしょでやる仕事しごとに差支えるさしつかえるほどの頭脳ずのうではなかった。
彼かれはいろいろな事情じじょうを綜合そうごうして考えかんがえた上うえ、まあ大丈夫だいじょうぶだろうと腹はらの中なかできめた。
そうして爪つめの先さきで軽くかるく鉄瓶てつびんの縁えんを敲いたたいた。
その時じ座敷ざしきで、「あなたちょっと」と云ういう御ご米べいの苦しくるしそうな声こえが聞えきこえたので、我われ知らしらず立ち上がったちあがった。
座敷ざしきへ来きて見るみると、御ご米べいは眉まゆを寄せよせて、右みぎの手てで自分じぶんの肩かたを抑えおさえながら、胸むねまで蒲団ふとんの外そとへ乗り出しのりだしていた。
宗助そうすけはほとんど器械きかい的まとに、同じおなじ所ところへ手てを出しだした。
そうして御ご米べいの抑えおさえている上うえから、固くかたく骨ほねの角かくを攫んつかんだ。
「もう少しすこし後あとの方ほう」と御ご米べいが訴えるうったえるように云っいった。
宗助そうすけの手てが御ご米べいの思うおもう所ところへ落ちつくおちつくまでには、二に度ども三さん度どもそこここと位置いちを易えかえなければならなかった。
指ゆびで圧しおしてみると、頸くびと肩かたの継目つぎめの少しすこし背中せなかへ寄っよった局部きょくぶが、石いしのように凝っこっていた。
御ご米べいは男おとこの力いっぱいちからいっぱいにそれを抑えおさえてくれと頼んたのんだ。
宗助そうすけの額がくからは汗あせが煮に染み出ししみだした。
それでも御ご米べいの満足まんぞくするほどは力ちからが出でなかった。
宗助そうすけは昔むかしの言葉ことばで早はや打だ肩かたというのを覚えおぼえていた。
小さいちいさい時じ祖父そふから聞いきいた話はなしに、ある侍さむらいが馬うまに乗っのってどこかへ行くいく途中とちゅうで、急きゅうにこの早はや打だ肩かたに冒さおかされたので、すぐ馬うまから飛んとんで下りくだりて、たちまち小柄こがらを抜くぬくや否いなや、肩先かたさきを切っきって血ちを出しだしたため、危ういあやうい命いのちを取り留めとりとめたというのがあったが、その話はなしが今いま明らかあきらかに記憶きおくの焼点しょうてんに浮んうかんで出でた。
その時じ宗助そうすけはこれはならんと思っおもった。
けれどもはたして刃物はものを用いもちいて、肩かたの肉にくを突いついていいものやら、悪いわるいものやら、決しけっしかねた。
御ご米べいはいつになく逆上せのぼせて、耳みみまで赤くあかくしていた。
頭あたまが熱いあついかと聞くきくと苦しくるしそうに熱いあついと答えこたえた。
宗助そうすけは大きなおおきな声こえを出しだして清きよしに氷嚢ひょうのうへ冷たいつめたい水みずを入れいれて来いこいと命じめいじた。
氷嚢ひょうのうがあいにく無かっなかったので、清きよしは朝あさの通りとおり金盥かなだらいに手拭てぬぐいを浸けつけて持っもって来きた。
清きよしが頭あたまを冷やしひやしているうち、宗助そうすけはやはり精いっぱいせいいっぱい肩かたを抑えおさえていた。
時々ときどき少しすこしはいいかと聞いきいても、御ご米べいは微かかすかに苦しいくるしいと答えるこたえるだけであった。
宗助そうすけは全くまったく心細くこころぼそくなった。
思い切っおもいきって、自分じぶんで馳はせけ出しけだして医者いしゃを迎むかえに行こういこうとしたが、後あとが心配しんぱいで一足いっそくも表ひょうへ出るでる気きにはなれなかった。
「清きよし、御前ごぜん急いいそいで通りとおりへ行っいって、氷嚢ひょうのうを買っかって医者いしゃを呼んよんで来いこい。まだ早いはやいから起きおきてるだろう」 清きよしはすぐ立ったって茶の間ちゃのまの時計とけいを見みて、「九きゅう時じ十五じゅうご分ぶんでございます」と云いいいながら、それなり勝手口かってぐちへ回っまわって、ごそごそ下駄げたを探しさがしているところへ、旨いうまい具合ぐあいに外そとから小六しょうろくが帰っかえって来きた。
例れいの通りとおり兄あにには挨拶あいさつもしないで、自分じぶんの部屋へやへ這入ろうはいろうとするのを、宗助そうすけはおい小六しょうろくと烈しくはげしく呼び止めよびとめた。
小六しょうろくは茶の間ちゃのまで少しすこし躊躇ちゅうちょしていたが、兄あにからまた二に声こえほど続けざまつづけざまに大きなおおきな声こえを掛けかけられたので、やむを得とくず低いひくい返事へんじをして、襖ふすまから顔かおを出しだした。
その顔かおは酒気しゅきのまだ醒めさめない赤いあかい色いろを眼めの縁えんに帯びおびていた。
部屋へやの中なかを覗き込んのぞきこんで、始めはじめて吃驚びっくりした様子ようすで、「どうかなすったんですか」と酔よいが一時いちじに去っさったような表情ひょうじょうをした。
宗助そうすけは清きよしに命じめいじた通りとおりを、小六しょうろくに繰り返しくりかえして、早くはやくしてくれと急き立てせきたてた。
小六しょうろくは外套がいとうも脱がぬがずに、すぐ玄関げんかんへ取っとって返しかえした。
「兄さんあにさん、医者いしゃまで行くいくのは急いいそいでも時間じかんが掛かりかかりますから、坂井さかいさんの電話でんわを借りかりて、すぐ来るくるように頼みたのみましょう」「ああ。そうしてくれ」と宗助そうすけは答えこたえた。
そうして小六しょうろくの帰るかえる間ま、清きよしに何なん返かえしとなく金盥かなだらいの水みずを易えかえさしては、一生懸命いっしょうけんめいに御ご米べいの肩かたを圧しおしつけたり、揉んもんだりしてみた。
御ご米べいの苦しむくるしむのを、何なんもせずにただ見みているに堪えこらえなかったから、こうして自分じぶんの気きを紛らしまぎらしていたのである。
この時じの宗助そうすけに取っとって、医者いしゃの来るくるのを今いまか今いまかと待ち受けるまちうける心こころほど苛いむごいものはなかった。
彼かれは御ご米べいの肩かたを揉みもみながらも、絶えたえず表ひょうの物音ものおとに気きを配っくばった。
ようやく医者いしゃが来きたときは、始めはじめて夜よるが明けあけたような心持こころもちがした。
医者いしゃは商売柄しょうばいがらだけあって、少しすこしも狼狽えうろたえた様子ようすを見せみせなかった。
小さいちいさい折鞄おりかばんを脇わきに引き付けひきつけて、落ちつきおちつき払っはらった態度たいどで、慢性病まんせいびょうの患者かんじゃでも取り扱うとりあつかうように緩くゆるくりした診察しんさつをした。
その逼らせまらない顔色かおいろを傍そばで見みていたせいか、わくわくした宗助そうすけの胸むねもようやく治まっおさまった。
医者いしゃは芥子けしを局部きょくぶへ貼るはる事ことと、足あしを湿布しっぷで温めるあたためる事ことと、それから頭あたまを氷こおりで冷すひやす事こととを、応急おうきゅう手段しゅだんとして宗助そうすけに注意ちゅういした。
そうして自分じぶんで芥子けしを掻いかいて、御ご米べいの肩かたから頸くびの根ねへ貼りつけはりつけてくれた。
湿布しっぷは清きよしと小六しょうろくとで受持っうけもった。
宗助そうすけは手拭てぬぐいの上うえから氷嚢ひょうのうを額がくの上うえに当てがっあてがった。
とかくするうち約やく一いち時間じかんも経っきょうった。
医者いしゃはしばらく経過けいかを見みて行こういこうと云っいって、それまで御ご米べいの枕元まくらもとに坐っすわっていた。
世間せけん話はなしも折々おりおりは交えまじえたが、おおかたは無言むごんのまま二人ふたり共ともに御ご米べいの容体ようだいを見守るみまもる事ことが多かっおおかった。
夜よるは例れいのごとく静せいに更けふけた。
「だいぶ冷えひえますな」と医者いしゃが云っいった。
宗助そうすけは気の毒きのどくになったので、あとの注意ちゅういをよく聞いきいた上うえ、遠慮えんりょなく引き取っひきとってくれるようにと頼んたのんだ。
その時じ御ご米べいは先刻せんこくよりはだいぶ軽快けいかいになっていたからである。
「もう大丈夫だいじょうぶでしょう。頓服とんぷくを一回いちかい上げあげますから今夜こんや飲んのんで御覧ごらんなさい。多分たぶん寝ねられるだろうと思いおもいます」と云っいって医者いしゃは帰っかえった。
小六しょうろくはすぐその後そのあとを追っおって出でて行っいった。
小六しょうろくが薬くすり取とりに行っいった間まに、御ご米べいは「もう何なん時じ」と云いいいながら、枕元まくらもとの宗助そうすけを見上げみあげた。
宵よいとは違っちがって頬ほおから血ちが退いしりぞいて、洋灯ようとうに照らさてらされた所ところが、ことに蒼白くあおじろく映っうつった。
宗助そうすけは黒いくろい毛けの乱れみだれたせいだろうと思っおもって、わざわざ鬢びんの毛けを掻き上げかきあげてやった。
そうして、「少しすこしはいいだろう」と聞いきいた。
「ええよっぽど楽らくになったわ」と御ご米べいはいつもの通りとおり微笑びしょうを洩らしもらした。
御ご米べいは大抵たいてい苦しいくるしい場合ばあいでも、宗助そうすけに微笑びしょうを見せるみせる事ことを忘れわすれなかった。
茶の間ちゃのまでは、清きよしが突伏しつっぷしたまま鼾いびきをかいていた。
「清きよしを寝かしねかしてやって下さいください」と御ご米べいが宗助そうすけに頼んたのんだ。
小六しょうろくが薬くすり取りとりから帰っかえって来きて、医者いしゃの云いいいつけ通りとおり服薬ふくやくを済ましすましたのは、もうかれこれ十二じゅうに時じ近くちかくであった。
それから二に十分じゅうふんと経たへたないうちに、病人びょうにんはすやすや寝入っねいった。
「好いよい塩梅あんばいだ」と宗助そうすけが御ご米べいの顔かおを見みながら云っいった。
小六しょうろくもしばらく嫂ねーの様子ようすを見守っみまもっていたが、「もう大丈夫だいじょうぶでしょう」と答えこたえた。
二人ふたりは氷嚢ひょうのうを額がくからおろした。
やがて小六しょうろくは自分じぶんの部屋へやへ這入るはいる。
宗助そうすけは御ご米べいの傍そばへ床ゆかを延べのべていつものごとく寝ねた。
五六ごろく時間じかんの後あと冬ふゆの夜よるは錐すいのような霜しもを挟きょうさんで、からりと明け渡っあけわたった。
それから一いち時間じかんすると、大地だいちを染めるそめる太陽たいようが、遮ぎるさえぎるもののない蒼空そうくうに憚りはばかりなく上っのぼった。
御ご米べいはまだすやすや寝ねていた。
そのうち朝餉あさげも済んすんで、出勤しゅっきんの時刻じこくがようやく近づいちかづいた。
けれども御ご米べいは眠りねむりから覚めるさめる気色けしきもなかった。
宗助そうすけは枕辺まくらべに曲きょくんで、深いぶかい寝息ねいきを聞きききながら、役所やくしょへ行こういこうか休もうやすもうかと考えかんがえた。
十二じゅうに
朝あさの内うちは役所やくしょで常つねのごとく事務じむを執っとっていたが、折々おりおり昨夕さくゆうの光景こうけいが眼めに浮ぶうかぶに連れつれて、自然しぜん御ご米べいの病気びょうきが気きに罹るかかるので、仕事しごとは思うおもうように運ばはこばなかった。
時じには変へんな間ま違いをさえした。
宗助そうすけは午うまになるのを待っまって、思い切っおもいきって宅たくへ帰っかえって来きた。
電車でんしゃの中なかでは、御ご米べいの眼めがいつ頃いつごろ覚めさめたろう、覚めさめた後あとは心持こころもちがだいぶ好くよくなったろう、発作ほっさももう起るおこる気遣きづかいなかろうと、すべて悪くわるくない想像そうぞうばかり思い浮べおもいうかべた。
いつもと違っちがって、乗客じょうきゃくの非常ひじょうに少ないすくない時間じかんに乗り合わせのりあわせたので、宗助そうすけは周囲しゅういの刺戟しげきに気きを使うつかう必要ひつようがほとんどなかった。
それで自由じゆうに頭あたまの中なかへ現われるあらわれる画がを何枚なんまいとなく眺めながめた。
そのうちに、電車でんしゃは終点しゅうてんに来きた。
宅たくの門口かどぐちまで来るくると、家いえの中なかはひっそりして、誰だれもいないようであった。
格子こうしを開けあけて、靴くつを脱いぬいで、玄関げんかんに上がっあがっても、出でて来るくるものはなかった。
宗助そうすけはいつものように縁側えんがわから茶の間ちゃのまへ行かいかずに、すぐ取付とりつけの襖ふすまを開けあけて、御ご米べいの寝ねている座敷ざしきへ這入っはいった。
見るみると、御ご米べいは依然いぜんとして寝ねていた。
枕元まくらもとの朱塗しゅぬりの盆ぼんに散薬さんやくの袋ふくろと洋よう杯さかずきが載っのっていて、その洋よう杯さかずきの水みずが半分はんぶん残っのこっているところも朝あさと同じおなじであった。
頭あたまを床の間とこのまの方ほうへ向けむけて、左ひだりの頬ほおと芥子けしを貼っはった襟元えりもとが少しすこし見えるみえるところも朝あさと同じおなじであった。
呼息こそくよりほかに現実世界げんじつせかいと交通こうつうのないように思わおもわれる深いぶかい眠ねむりも朝あさ見みた通りとおりであった。
すべてが今朝けさ出で掛かかりに頭あたまの中なかへ収めおさめて行っいった光景こうけいと少しすこしも変っかわっていなかった。
宗助そうすけは外套がいとうも脱がぬがずに、上うえから曲きょくんで、すうすういう御ご米べいの寝息ねいきをしばらく聞いきいていた。
御ご米べいは容易よういに覚めさめそうにも見えみえなかった。
宗助そうすけは昨夕さくゆう御ご米べいが散薬さんやくを飲んのんでから以後いごの時間じかんを指ゆびを折っおって勘定かんじょうした。
そうしてようやく不安ふあんの色いろを面めんに表わしあらわした。
昨夕さくゆうまでは寝ねられないのが心配しんぱいになったが、こう前後不覚ぜんごふかくに長くながく寝るねるところを眼めのあたりに見るみると、寝るねる方ほうが何なんかの異状いじょうではないかと考え出しかんがえだした。
宗助そうすけは蒲団ふとんへ手てを掛けかけて二三にさん度ど軽くかるく御ご米べいを揺振っふった。
御ご米べいの髪かみが括かつ枕まくらの上うえで、波なみを打つうつように動いうごいたが、御ご米べいは依然いぜんとしてすうすう寝ねていた。
宗助そうすけは御ご米べいを置いおいて、茶の間ちゃのまから台所だいどころへ出でた。
流し元ながしもとの小桶こおけの中なかに茶碗ちゃわんと塗ぬり椀わんが洗わあらわないまま浸けつけてあった。
下女げじょ部屋へやを覗くのぞくと、清きよしが自分じぶんの前まえに小さなちいさな膳ぜんを控えひかえたなり、御ご櫃ひつに倚りよりかかって突伏しつっぷしていた。
宗助そうすけはまた六ろく畳たたみの戸とを引いひいて首くびを差し込んさしこんだ。
そこには小六しょうろくが掛蒲団かかりふとんを一いち枚ばい頭あたまから引いん被っかぶって寝ねていた。
宗助そうすけは一人ひとりで着物きものを着換えきかえたが、脱ぎ捨てぬぎすてた洋服ようふくも、人手ひとでを借りかりずに自分じぶんで畳んたたんで、押入おしいれにしまった。
それから火鉢ひばちへ火ひを継いつづいで、湯ゆを沸かすわかす用意よういをした。
二三にさん分ぶんは火鉢ひばちに持たもたれて考えかんがえていたが、やがて立ち上がったちあがって、まず小六しょうろくから起しおこしにかかった。
次つぎに清きよしを起しおこした。
二人ふたりとも驚ろいおどろいて飛び起きとびおきた。
小六しょうろくに御ご米べいの今朝けさから今までいままでの様子ようすを聞くきくと、実じつは余りあまり眠いねむいので、十一じゅういち時半じはん頃ころ飯めしを食っしょくって寝ねたのだが、それまでは御ご米べいもよく熟睡じゅくすいしていたのだと云ういう。
「医者いしゃへ行っいってね。昨夜さくやの薬くすりを戴いいただいてから寝ね出しだして、今いまになっても眼めが覚めさめませんが、差支さしつかえないでしょうかって聞いきいて来きてくれ」「はあ」 小六しょうろくは簡単かんたんな返事へんじをして出でて行っいった。
宗助そうすけはまた座敷ざしきへ来きて御ご米べいの顔かおを熟視じゅくしした。
起しおこしてやらなくっては悪いわるいような、また起しおこしては身体しんたいへ障るさわるような、分別ぶんべつのつかない惑を抱いいだいて腕組うでぐみをした。
間まもなく小六しょうろくが帰っかえって来きて、医者いしゃはちょうど往診おうしんに出かけるでかけるところであった、訳わけを話しはなしたら、では今いまから一二いちに軒のき寄っよってすぐ行こういこうと答えこたえた、と告げつげた。
宗助そうすけは医者いしゃが見えるみえるまで、こうして放っはなっておいて構わかまわないのかと小六しょうろくに問い返しといかえしたが、小六しょうろくは医者いしゃが以上いじょうよりほかに何になんにも語らかたらなかったと云ういうだけなので、やむを得とくず元もとのごとく枕辺まくらべにじっと坐っすわっていた。
そうして心こころの中なかで、医者いしゃも小六しょうろくも不親切ふしんせつ過ぎるすぎるように感じかんじた。
彼かれはその上うえ昨夕さくゆう御ご米べいを介抱かいほうしている時じに帰っかえって来きた小六しょうろくの顔かおを思い出しおもいだして、なお不愉快ふゆかいになった。
小六しょうろくが酒さけを呑むのむ事ことは、御ご米べいの注意ちゅういで始めはじめて知っしったのであるが、その後あと気きをつけて弟おとうとの様子ようすをよく見みていると、なるほど何なんだか真面目まじめでないところもあるようなので、いつかみっちり異見いけんでもしなければなるまいくらいに考えかんがえてはいたが、面白くおもしろくもない二人ふたりの顔かおを御ご米べいに見せるみせるのが、気の毒きのどくなので、今日きょうまでわざと遠慮えんりょしていたのである。
「云いいい出すだすなら御ご米べいの寝ねている今いまである。今いまならどんな気き不味いまじいことを双方そうほうで言い募っいいつのったって、御ご米べいの神経しんけいに障るさわる気遣きづかいはない」 ここまで考えついかんがえついたけれども、知覚ちかくのない御ご米べいの顔かおを見るみると、またその方ほうが気がかりきがかりになって、すぐにでも起しおこしたい心持こころもちがするので、つい決しけっし兼てかねてぐずぐずしていた。
そこへようやく医者いしゃが来きてくれた。
昨夕さくゆうの折鞄おりかばんをまた丁寧ていねいに傍そばへ引きつけひきつけて、緩かんくり巻煙草まきたばこを吹かしふかしながら、宗助そうすけの云ういうことを、はあはあと聞いきいていたが、どれ拝見はいけん致しいたしましょうと御ご米べいの方ほうへ向き直っむきなおった。
彼かれは普通ふつうの場合ばあいのように病人びょうにんの脈みゃくを取っとって、長いながい間ま自分じぶんの時計とけいを見つめみつめていた。
それから黒いくろい聴診器ちょうしんきを心臓しんぞうの上うえに当てあてた。
それを丁寧ていねいにあちらこちらと動かしうごかした。
最後さいごに丸いまりい穴あなの開いひらいた反射鏡はんしゃきょうを出しだして、宗助そうすけに蝋燭ろうそくを点けつけてくれと云っいった。
宗助そうすけは蝋燭ろうそくを持たもたないので、清きよしに洋灯ようとうを点けつけさした。
医者いしゃは眠っねむっている御ご米べいの眼めを押し開けおしあけて、仔細しさいに反射鏡はんしゃきょうの光ひかりを睫まつげの奥おくに集めあつめた。
診察しんさつはそれで終っおわった。
「少しすこし薬くすりが利ききき過ぎすぎましたね」と云っいって宗助そうすけの方ほうへ向き直っむきなおったが、宗助そうすけの眼めの色いろを見るみるや否いなや、すぐ、「しかし御ご心配しんぱいになる事ことはありません。こう云ういう場合ばあいに、もし悪いわるい結果けっかが起るおこるとすると、きっと心臓しんぞうか脳のうを冒すおかすものですが、今いま拝見はいけんしたところでは双方そうほう共とも異状いじょうは認めみとめられませんから」と説明せつめいしてくれた。
宗助そうすけはそれでようやく安心あんしんした。
医者いしゃはまた自分じぶんの用いもちいた眠り薬ねむりぐすりが比較的ひかくてき新らしいあたらしいもので、学理がくり上うえ、他ほかの睡眠剤すいみんざいのように有害ゆうがいでない事ことや、またその効目ききめが患者かんじゃの体質たいしつに因っよって、程度ていどに大変たいへんな相違そういのある事ことなどを語っごって帰っかえった。
帰るかえるとき宗助そうすけは、「では寝らねられるだけ寝かしねかしておいても差支さしつかえありませんか」と聞いきいたら、医者いしゃは用ようさえなければ別べつに起すおこす必要ひつようもあるまいと答えこたえた。
医者いしゃが帰っかえったあとで、宗助そうすけは急きゅうに空腹くうふくになった。
茶の間ちゃのまへ出るでると、先刻せんこく掛けかけておいた鉄瓶てつびんがちんちん沸ったぎっていた。
清きよしを呼んよんで、膳ぜんを出せだせと命ずるめいずると、清きよしは困っこまった顔つきかおつきをして、まだ何なんの用意よういもできていないと答えこたえた。
なるほど晩食ばんしょくには少しすこし間まがあった。
宗助そうすけは楽々らくらくと火鉢ひばちの傍そばに胡坐こざを掻いかいて、大根だいこんの香の物こうのものを噛みかみながら湯漬ゆづけを四よん杯さかずきほどつづけざまに掻き込んかきこんだ。
それから約やく三十さんじゅう分ぶんほどしたら御ご米べいの眼めがひとりでに覚めさめた。
十三じゅうさん
新年しんねんの頭あたまを拵らえようこしらえようという気きになって、宗助そうすけは久しひさし振ぶりに髪結床かみゆいゆかの敷居しきいを跨いまたいだ。
暮くれのせいか客きゃくがだいぶ立て込んたてこんでいるので、鋏はさみの音おとが二三にさんカ所かしょで、同時どうじにちょきちょき鳴っなった。
この寒ささむさを無理むりに乗り越しのりこして、一いち日ひも早くはやく春はるに入ろうはいろうと焦慮しょうりょるような表通おもてどおりの活動かつどうを、宗助そうすけは今いま見みて来きたばかりなので、その鋏はさみの音おとが、いかにも忙しないせわしない響ひびきとなって彼かれの鼓膜こまくを打っうった。
しばらく煖炉だんろの傍そばで煙草たばこを吹かしふかして待っまっている間まに、宗助そうすけは自分じぶんと関係かんけいのない大きなおおきな世間せけんの活動かつどうに否応いやおうなしに捲き込ままきこまれて、やむを得とくず年ねんを越さこさなければならない人ひとのごとくに感じかんじた。
正月しょうがつを眼めの前まえへ控えひかえた彼かれは、実際じっさいこれという新らしいあたらしい希望きぼうもないのに、いたずらに周囲しゅういから誘わさそわれて、何なんだかざわざわした心持こころもちを抱いいだいていたのである。
御ご米べいの発作ほっさはようやく落ちついおちついた。
今いまでは平日へいじつのごとく外そとへ出でても、家いえの事ことがそれほど気きにかからないぐらいになった。
余所よそに比べるくらべると閑静かんせいな春はるの支度したくも、御ご米べいから云えいえば、年ねんに一度いちどの忙がしいそがしさには違いなかったので、あるいはいつも通りとおりの準備じゅんびさえ抜いぬいて、常つねよりも簡単かんたんに年ねんを越すこす覚悟かくごをした宗助そうすけは、蘇そ生っなまったようにはっきりした妻つまの姿すがたを見みて、恐ろしいおそろしい悲劇ひげきが一歩いちほ遠退いとおのいた時じのごとくに、胸むねを撫でおろしなでおろした。
しかしその悲劇ひげきがまたいついかなる形かたちで、自分じぶんの家族かぞくを捕えとらえに来るくるか分らわからないと云ういう、ぼんやりした掛かかり念ねんが、折々おりおり彼かれの頭あたまのなかに霧きりとなってかかった。
年の暮としのくれに、事ことを好むこのむとしか思わおもわれない世間せけんの人ひとが、故意こいと短いみじかい日ひを前まえへ押し出しおしだしたがって齷齪あくせくする様子ようすを見るみると、宗助そうすけはなおの事ことこの茫漠ぼうばくたる恐怖きょうふの念ねんに襲わおそわれた。
成ろうなろうことなら、自分じぶんだけは陰気いんきな暗いくらい師走しわすの中なかに一人ひとり残っのこっていたい思おもうさえ起っおこった。
ようやく自分じぶんの番ばんが来きて、彼かれは冷たいつめたい鏡かがみのうちに、自分じぶんの影かげを見出しみだした時じ、ふとこの影かげは本来ほんらい何者なにものだろうと眺めながめた。
首くびから下したは真白まっしろな布ぬのに包まつつまれて、自分じぶんの着きている着物きものの色いろも縞しまも全くまったく見えみえなかった。
その時じ彼かれはまた床屋とこやの亭主ていしゅが飼っかっている小鳥ことりの籠かごが、鏡かがみの奥おくに映っうつっている事ことに気きがついた。
鳥とりが止り木とまりぎの上うえをちらりちらりと動いうごいた。
頭あたまへ香こうのする油あぶらを塗らぬられて、景気けいきのいい声こえを後あとから掛けかけられて、表ひょうへ出でたときは、それでも清々せいせいした心持こころもちであった。
御ご米べいの勧めすすめ通りとおり髪かみを刈っかった方ほうが、結局けっきょく気きを新たあらたにする効果こうかがあったのを、冷たいつめたい空気くうきの中なかで、宗助そうすけは自覚じかくした。
水道すいどう税ぜいの事ことでちょっと聞き合せるききあわせる必要ひつようが生じしょうじたので、宗助そうすけは帰り路かえりみちに坂井さかいへ寄っよった。
下女げじょが出でて来きて、こちらへと云ういうから、いつもの座敷ざしきへ案内あんないするかと思うおもうと、そこを通り越しとおりこして、茶の間ちゃのまへ導しるべびいびいーていった。
すると茶の間ちゃのまの襖ふすまが二に尺さしばかり開いひらいていて、中なかから三四さんよん人ひとの笑い声わらいごえが聞えきこえた。
坂井さかいの家庭かていは相そう変らかわらず陽気ようきであった。
主人しゅじんは光沢こうたくの好いよい長火鉢ながひばちの向側むかいがわに坐っすわっていた。
細君さいくんは火鉢ひばちを離れはなれて、少しすこし縁側えんがわの障子しょうじの方ほうへ寄っよって、やはりこちらを向いむかいていた。
主人しゅじんの後あとに細長いほそながい黒いくろい枠わくに嵌めはめた柱時計はしらとけいがかかっていた。
時計とけいの右みぎが壁かべで、左ひだりが袋戸ふくろど棚たなになっていた。
その張交はりまぜに石摺いしずりだの、俳画はいがだの、扇おうぎの骨ほねを抜いぬいたものなどが見えみえた。
主人しゅじんと細君さいくんのほかに、筒袖つつそでの揃いそろいの模様もようの被布ひふを着きた女の子おんなのこが二に人肩じんけんを擦りすりつけ合っあって坐っすわっていた。
片方かたほうは十じゅう二に三さんで、片方かたほうは十じゅうぐらいに見えみえた。
大きなおおきな眼めを揃えそろえて、襖ふすまの陰かげから入っはいって来きた宗助そうすけの方ほうを向いむかいたが、二人ふたりの眼元めもとにも口元くちもとにも、今いま笑っわらったばかりの影かげが、まだゆたかに残っのこっていた。
宗助そうすけは一応いちおう室むろの内うちを見回しみまわして、この親子おやこのほかに、まだ一人ひとり妙みょうな男おとこが、一番いちばん入口いりぐちに近いちかい所ところに畏まっかしこまっているのを見出しみだした。
宗助そうすけは坐っすわって五ご分ぶんと立たたたないうちに、先刻せんこくの笑声しょうせいは、この変へんな男おとこと坂井さかいの家族かぞくとの間まに取りとり換かえわされた問答もんどうから出るでる事ことを知っしった。
男おとこは砂埃すなぼこりでざらつきそうな赤いあかい毛けと、日ひに焼けやけて生涯しょうがい褪めさめっこない強いつよい色いろを有っあっていた。
瀬戸物せとものの釦ぼたんの着いついた白しろ木綿もめんの襯衣を着きて、手織ておりの硬いかたい布子ぬのこの襟えりから財布さいふの紐ひもみたような長いながい丸打まるうちをかけた様子ようすは、滅多めったに東京とうきょうなどへ出るでる機会きかいのない遠いとおい山やまの国くにのものとしか受け取れうけとれなかった。
その上うえ男おとこはこの寒いさむいのに膝ひざ小僧こぞうを少しすこし出しだして、紺こんの落ちおちた小倉おぐらの帯おびの尻しりに差しさした手拭てぬぐいを抜いぬいては鼻はなの下したを擦っすった。
「これは甲斐かいの国くにから反物たんものを背負っせおってわざわざ東京とうきょうまで出でて来るくる男おとこなんです」と坂井さかいの主人しゅじんが紹介しょうかいすると、男おとこは宗助そうすけの方ほうを向いむかいて、「どうか旦那だんな、一いちつ買っかっておくれ」と挨拶あいさつをした。
なるほど銘仙めいせんだの御ご召めしだの、白紬しろつむぎだのがそこら一面いちめんに取り散らしとりちらしてあった。
宗助そうすけはこの男おとこの形かたち装そうや言葉ことば遣けんのおかしい割わりに、立派りっぱな品物しなものを背中せなかへ乗せのせて歩行くあるくのをむしろ不思議ふしぎに思っおもった。
主人しゅじんの細君さいくんの説明せつめいによると、この織屋おりやの住んすんでいる村むらは焼石やけいしばかりで、米べいも粟ぞくも収れおさまれないから、やむを得とくず桑くわを植えうえて蚕かいこを飼うかうんだそうであるが、よほど貧しいまずしい所ところと見えみえて、柱時計はしらとけいを持っもっている家いえが一いち軒のきだけで、高等こうとう小学しょうがくへ通うかよう小供こどもが三さん人ひとしかないという話はなしであった。
「字じの書けるかけるものは、この人ひとぎりなんだそうですよ」と云っいって細君さいくんは笑っわらった。
すると織屋おりやも、「本当ほんとうのこんだよ、奥さんおくさん。読み書きよみかき算さん筆ふでのできるものは、おれよりほかにねえんだからね。全くまったく非道いひどい所ところにゃ違いない」と真面目まじめに細君さいくんの云ういう事ことを首くび肯っうけがった。
織屋おりやはいろいろの反物たんものを主人しゅじんや細君さいくんの前まえへ突きつけつきつけては、「買っかっておくれ」という言葉ことばをしきりに繰り返しくりかえした。
そりゃ高いたかいよいくらいくらに御負けおまけなどと云わいわれると、「値あたいじゃねえね」とか、「拝むおがむからそれで買っかっておくれ」とか、「まあ目方めかたを見みておくれ」とかすべて異様いような田舎びいなかびた答こたえをした。
そのたびに皆みなが笑っわらった。
主人しゅじん夫婦ふうふはまた閑かんだと見えみえて、面白おもしろ半分はんぶんにいつまでも織屋おりやを相手あいてにした。
「織屋おりや、御前ごぜんそうして荷にを背負っせおって、外そとへ出でて、時分じぶんどきになったら、やっぱり御ご膳ぜんを食べるたべるんだろうね」と細君さいくんが聞いきいた。
「飯めしを食わくわねえでいられるもんじゃないよ。腹はらの減るへる事ことちゅうたら」「どんな所ところで食べるたべるの」「どんな所ところで食べるたべるちゅうて、やっぱり茶屋ちゃやで食うくうだね」 主人しゅじんは笑いわらいながら茶屋ちゃやとは何なんだと聞いきいた。
織屋おりやは、飯めしを食わすくわす所ところが茶屋ちゃやだと答えこたえた。
それから東京とうきょうへ出立しゅったつには飯めしが非常ひじょうに旨いうまいので、腹はらを据えすえて食いくい出すだすと、大抵たいていの宿屋やどやは叶わかなわない、三さん度ど三さん度ど食っしょくっちゃ気の毒きのどくだと云ういうような事ことを話しはなして、また皆みなを笑わしわらわした。
織屋おりやはしまいに撚糸ねんしの紬つむぎと、白しろ絽ろを一いち匹ひき細君さいくんに売りつけうりつけた。
宗助そうすけはこの押しつまっおしつまった暮くれに、夏なつの絽ろを買うかう人ひとを見みて余裕よゆうのあるものはまた格別かくべつだと感じかんじた。
すると、主人しゅじんが宗助そうすけに向っむかって、「どうですあなたも、ついでに何なんか一いちつ。奥さんおくさんの不断ふだん着きでも」と勧めすすめた。
細君さいくんもこう云ういう機会きかいに買っかって置くおくと、幾いく割わりか値あたい安あんに買えるかえる便宜べんぎを説いといた。
そうして、「なに、御ご払はらいはいつでもいいんです」と受合っうけあってくれた。
宗助そうすけはとうとう御ご米べいのために銘仙めいせんを一いち反はん買うかう事ことにした。
主人しゅじんはそれをさんざん値切っねぎって三さん円えんに負けまけさした。
織屋おりやは負けまけた後あとでまた、「全くまったく値あたいじゃねえね。泣きなきたくなるね」と云っいったので、大勢おおぜいがまた一度いちどに笑っわらった。
織屋おりやはどこへ行っいってもこういう鄙びひなびた言葉ことばを使っつかって通しとおしているらしかった。
毎日まいにち馴染みなじみの家いえをぐるぐる回っまわって歩いあるいているうちには、背中せなかの荷にがだんだん軽くかるくなって、しまいに紺こんの風呂敷ふろしきと真田紐さなだひもだけが残るのこる。
その時分じぶんにはちょうど旧きゅうの正月しょうがつが来るくるので、ひとまず国元くにもとへ帰っかえって、古いふるい春はるを山やまの中なかで越しこして、それからまた新らしいあたらしい反物たんものを背負えるせおえるだけ背負っせおって出でて来るくるのだと云っいった。
そうして養蚕ようさんの忙しいいそがしい四よん月つきの末すえか五ご月つきの初はつまでに、それを悉皆しっかい金きんに換えかえて、また富士ふじの北きた影かげの焼石やけいしばかりころがっている小村しょうそんへ帰っかえって行くいくのだそうである。
「宅たくへ来き出しだしてから、もう四五しご年ねんになりますが、いつ見みても同じおなじ事ことで、少しすこしも変らかわらないんですよ」と細君さいくんが注意ちゅういした。
「実際じっさい珍らしいめずらしい男おとこです」と主人しゅじんも評語ひょうごを添えそえた。
三さん日ひも外そとへ出でないと、町幅まちはばがいつの間まにか取り広げとりひろげられていたり、一いち日ひ新聞しんぶんを読まよまないと、電車でんしゃの開通かいつうを知らしらずに過しすごしたりする今いまの世よに、年ねんに二に度ども東京とうきょうへ出でながら、こう山男やまおとこの特色とくしょくをどこまでも維持いじして行くいくのは、実際じっさい珍らしいめずらしいに違いなかった。
宗助そうすけはつくづくこの織屋おりやの容貌ようぼうやら態度たいどやら服装ふくそうやら言葉ことば使しやらを観察かんさつして、一種いっしゅ気の毒きのどくな思おもうをなした。
彼かれは坂井さかいを辞しじして、家いえへ帰るかえる途中とちゅうにも、折々おりおりインヴァネスいんゔぁねすの羽根はねの下したに抱えかかえて来きた銘仙めいせんの包つつみを持ちもち易えかえながら、それを三さん円えんという安いやすい価あたいで売っうった男おとこの、粗末そまつな布子ぬのこの縞しまと、赤くあかくてばさばさした髪の毛かみのけと、その油気あぶらけのない硬いかたい髪の毛かみのけが、どういう訳わけか、頭あたまの真中まなかで立派りっぱに左右さゆうに分けわけられている様ようを、絶えたえず眼めの前まえに浮べうかべた。
宅たくでは御ご米べいが、宗助そうすけに着せるきせる春はるの羽織はおりをようやく縫い上げぬいあげて、圧あつの代りかわりに坐ざ蒲団ふとんの下したへ入れいれて、自分じぶんでその上うえへ坐っすわっているところであった。
「あなた今夜こんや敷いしいて寝ねて下さいください」と云っいって、御ご米べいは宗助そうすけを顧みかえりみた。
夫おっとから、坂井さかいへ来きていた甲斐かいの男おとこの話はなしを聞いきいた時じは、御ご米べいもさすがに大きなおおきな声こえを出しだして笑っわらった。
そうして宗助そうすけの持っもって帰っかえった銘仙めいせんの縞柄しまがらと地合じあいを飽かあかず眺めながめては、安いやすい安いやすいと云っいった。
銘仙めいせんは全くまったく品しなの良いよいものであった。
「どうして、そう安くやすく売っうって割わりに合うあうんでしょう」としまいに聞き出しききだした。
「なに中なかへ立つたつ呉服屋ごふくやが儲けもうけ過ぎすぎてるのさ」と宗助そうすけはその道みちに明るいあかるいような事ことを、この一いち反はんの銘仙めいせんから推断すいだんして答えこたえた。
夫婦ふうふの話はなしはそれから、坂井さかいの生活せいかつに余裕よゆうのある事ことと、その余裕よゆうのために、横町よこちょうの道具屋どうぐやなどに意外いがいな儲けもうけ方ほうをされる代りかわりに、時じとするとこう云ういう織屋おりやなどから、差し向きさしむき不用ふようのものを廉価れんかに買っかっておく便宜べんぎを有しゆうしている事ことなどに移っうつって、しまいにその家庭かていのいかにも陽気ようきで、賑やかにぎやかな模様もように落ちおちて行っいった。
宗助そうすけはその時じ突然とつぜん語調ごちょうを更さらえて、「なに金きんがあるばかりじゃない。一いちつは子供こどもが多いおおいからさ。子供こどもさえあれば、大抵たいてい貧乏びんぼうな家いえでも陽気ようきになるものだ」と御ご米べいを覚しさました。
その云いいい方ほうが、自分じぶん達とおるの淋しいさびしい生涯しょうがいを、多少たしょう自らみずから窘めるたしなめるような苦いにがい調子ちょうしを、御ご米べいの耳みみに伝えつたえたので、御ご米べいは覚えおぼえず膝ひざの上うえの反物たんものから手てを放しはなして夫おっとの顔かおを見みた。
宗助そうすけは坂井さかいから取っとって来きた品しなが、御ご米べいの嗜好しこうに合っあったので、久しぶりひさしぶりに細君さいくんを喜ばよろこばせてやった自覚じかくがあるばかりだったから、別段べつだんそこには気きがつかなかった。
御ご米べいもちょっと宗助そうすけの顔かおを見みたなりその時じは何になんにも云わいわなかった。
けれども夜よるに入っはいって寝るねる時間じかんが来るくるまで御ご米べいはそれをわざと延ばしのばしておいたのである。
二人ふたりはいつもの通りとおり十じゅう時じ過すぎ床ゆかに入っはいったが、夫おっとの眼めがまだ覚めさめている頃ころを見計らっみはからって、御ご米べいは宗助そうすけの方ほうを向いむかいて話しかけはなしかけた。
「あなた先刻せんこく小供こどもがないと淋しくさびしくっていけないとおっしゃってね」 宗助そうすけはこれに類似るいじの事ことを普ひろし般はつ的まとに云っいった覚さとしはたしかにあった。
けれどもそれは強きょうがちに、自分じぶん達とおるの身の上みのうえについて、特にとくに御ご米べいの注意ちゅういを惹くひくために口くちにした、故意こいの観察かんさつでないのだから、こう改あらためたまって聞き糺さききただされると、困るこまるよりほかはなかった。
「何なんも宅たくの事ことを云っいったのじゃないよ」 この返事へんじを受けうけた御ご米べいは、しばらく黙っだまっていた。
やがて、「でも宅たくの事ことを始終しじゅう淋しいさびしい淋しいさびしいと思っおもっていらっしゃるから、必竟ひっきょうあんな事ことをおっしゃるんでしょう」と前まえとほぼ似にたような問もんを繰り返しくりかえした。
宗助そうすけは固よりもとよりそうだと答えこたえなければならない或ある物ものを頭あたまの中なかに有っあっていた。
けれども御ご米べいを憚っはばかって、それほど明白めいはく地ちな自白じはくをあえてし得とくなかった。
この病気びょうき上りのぼりの細君さいくんの心こころを休めるやすめるためには、かえってそれを冗談じょうだんにして笑っわらってしまう方ほうが善かろうよかろうと考えかんがえたので、「淋しいさびしいと云えいえば、そりゃ淋しくさびしくないでもないがね」と調子ちょうしを易えかえてなるべく陽気ようきに出でたが、そこで詰まっつまったぎり、新らしいあたらしい文句もんくも、面白いおもしろい言葉ことばも容易よういに思いつけおもいつけなかった。
やむを得とくず、「まあいいや。心配しんぱいするな」と云っいった。
御ご米べいはまた何なんとも答えこたえなかった。
宗助そうすけは話題わだいを変えようかえようと思っおもって、「昨夕さくゆうも火事かじがあったね」と世間せけん話はなしをし出しだした。
すると御ご米べいは急きゅうに、「私わたくしは実じつにあなたに御ご気の毒きのどくで」と切なせつなそうに言訳いいわけを半分はんぶんして、またそれなり黙っだまってしまった。
洋灯ようとうはいつものように床の間とこのまの上うえに据えすえてあった。
御ご米べいは灯あかりに背いそむいていたから、宗助そうすけには顔かおの表情ひょうじょうが判然はんぜん分らわからなかったけれども、その声こえは多少たしょう涙なみだでうるんでいるように思わおもわれた。
今までいままで仰向いあおむいて天井てんじょうを見みていた彼かれは、すぐ妻つまの方ほうへ向き直っむきなおった。
そうして薄暗いうすぐらい影かげになった御ご米べいの顔かおをじっと眺めながめた。
御ご米べいも暗いくらい中なかからじっと宗助そうすけを見みていた。
そうして、「疾からしつからあなたに打ち明けうちあけて謝罪しゃざいまろう謝罪しゃざいまろうと思っおもっていたんですが、つい言いいい悪かっわるかったもんだから、それなりにしておいたのです」と途切れ途切れとぎれとぎれに云っいった。
宗助そうすけには何なんの意味いみかまるで解らわからなかった。
多少たしょうはヒステリーひすてりーのせいかとも思っおもったが、全然ぜんぜんそうとも決しけっしかねて、しばらく茫然ぼうぜんしていた。
すると御ご米べいが思い詰めおもいつめた調子ちょうしで、「私わたくしにはとても子供こどものできる見込みこみはないのよ」と云い切っいいきって泣きなき出しだした。
宗助そうすけはこの可憐かれんな自白じはくをどう慰さめなぐさめていいか分別ぶんべつに余っよって当惑とうわくしていたうちにも、御ご米べいに対したいしてはなはだ気の毒きのどくだという思おもうが非常ひじょうに高まったかまった。
「子供こどもなんざ、無くなくてもいいじゃないか。上うえの坂井さかいさんみたようにたくさん生れうまれて御覧ごらん、傍そばから見みていても気の毒きのどくだよ。まるで幼稚園ようちえんのようで」「だって一人ひとりもできないときまっちまったら、あなただって好かよしみかないでしょう」「まだできないときまりゃしないじゃないか。これから生れるうまれるかも知れしれないやね」 御ご米べいはなおと泣きなき出しだした。
宗助そうすけも途方とほうに暮れくれて、発作ほっさの治まるおさまるのを穏やかおだやかに待っまっていた。
そうして、緩かんくり御ご米べいの説明せつめいを聞いきいた。
夫婦ふうふは和合わごう同棲どうせいという点てんにおいて、人並ひとなみ以上いじょうに成功せいこうしたと同時どうじに、子供こどもにかけては、一般いっぱんの隣人りんじんよりも不幸ふこうであった。
それも始はじめから宿るやどる種しゅがなかったのなら、まだしもだが、育つそだつべきものを中途ちゅうとで取り落しとりおとしたのだから、さらに不幸ふこうの感かんが深かっぶかかった。
始めはじめて身重みおもになったのは、二人ふたりが京都きょうとを去っさって、広島ひろしまに瘠世帯せたいを張っちょうっている時じであった。
懐妊かいにんと事ことがきまったとき、御ご米べいはこの新らしいあたらしい経験けいけんに対したいして、恐ろしいおそろしい未来みらいと、嬉しいうれしい未来みらいを一度いちどに夢ゆめに見るみるような心持こころもちを抱いいだいて日ひを過ごしすごした。
宗助そうすけはそれを眼めに見えみえない愛あいの精せいに、一種いっしゅの確証かくしょうとなるべき形かたちを与えあたえた事実じじつと、ひとり解釈かいしゃくして少なからすくなからず喜んよろこんだ。
そうして自分じぶんの命いのちを吹き込んふきこんだ肉にくの塊かたまりが、目めの前まえに踊るおどる時節じせつを指ゆびを折っおって楽しみたのしみに待っまった。
ところが胎児たいじは、夫婦ふうふの予期よきに反しはんして、五ごカ月かげつまで育っそだって突然とつぜん下りくだりてしまった。
その時分じぶんの夫婦ふうふの活計かっけいは苦しいくるしい苛いむごい月つきばかり続いつづいていた。
宗助そうすけは流産りゅうざんした御ご米べいの蒼いあおい顔かおを眺めながめて、これも必竟ひっきょうは世帯せたいの苦労くろうから起るおこるんだと判じはんじた。
そうして愛情あいじょうの結果けっかが、貧ひんのために打ち崩さうちくずされて、永くながく手ての裡りに捕えるとらえる事ことのできなくなったのを残念ざんねんがった。
御ご米べいはひたすら泣いないた。
福岡ふくおかへ移っうつってから間まもなく、御ご米べいはまた酸いしいものを嗜むたしなむ人ひととなった。
一度いちど流産りゅうざんすると癖くせになると聞いきいたので、御ご米べいは万まんに注意ちゅういして、つつましやかに振舞っふるまっていた。
そのせいか経過けいかは至極しごく順当じゅんとうに行っいったが、どうした訳わけか、これという原因げんいんもないのに、月足らずつきたらずで生れうまれてしまった。
産婆さんばは首くびを傾けかたむけて、一いち度ど医者いしゃに見せるみせるように勧めすすめた。
医者いしゃに診しんて貰うもらうと、発育はついくが充分じゅうぶんでないから、室内しつないの温度おんどを一定いっていの高さたかさにして、昼夜ちゅうやとも変らかわらないくらい、人工的じんこうてきに暖めあたためなければいけないと云っいった。
宗助そうすけの手際てぎわでは、室内しつないに煖炉だんろを据えつけるすえつける設備せつびをするだけでも容易よういではなかった。
夫婦ふうふはわが時間じかんと算段さんだんの許すゆるす限りかぎりを尽しつくして、専念せんねんに赤児あかごの命いのちを護っまもった。
けれどもすべては徒労とろうに帰しかえした。
一いち週間しゅうかんの後あと、二人ふたりの血ちを分けわけた情じょうの塊かたまりはついに冷たくつめたくなった。
御ご米べいは幼児ようじの亡骸なきがらを抱いいだいて、「どうしましょう」と啜り泣いすすりないた。
宗助そうすけは再度さいどの打撃だげきを男おとこらしく受けうけた。
冷たいつめたい肉にくが灰はいになって、その灰はいがまた黒いくろい土つちに和するわするまで、一口ひとくちも愚痴ぐちらしい言葉ことばは出さださなかった。
そのうちいつとなく、二人ふたりの間まに挟まっはさまっていた影かげのようなものが、しだいに遠退いとおのいて、ほどなく消えきえてしまった。
すると三さん度目どめの記憶きおくが来きた。
宗助そうすけが東京とうきょうに移っうつって始はじめての年ねんに、御ご米べいはまた懐妊かいにんしたのである。
出京しゅっきょうの当座とうざは、だいぶん身体しんたいが衰ろえていたので、御ご米べいはもちろん、宗助そうすけもひどくそこを気遣っきづかいったが、今度こんどこそはという腹はらは両方りょうほうにあったので、張ちょうのある月つきを無事ぶじにだんだんと重ねかさねて行っいった。
ところがちょうど五ご月つき目めになって、御ご米べいはまた意外いがいの失敗しっぱいをやった。
その頃ころはまだ水道すいどうも引いひいてなかったから、朝晩あさばん下女げじょが井戸端いどはしへ出でて水みずを汲んくんだり、洗濯せんたくをしなければならなかった。
御ご米べいはある日裏ひうらにいる下女げじょに云いいいつける用ようができたので、井戸いど流りゅうの傍そばに置いおいた盥たらいの傍そばまで行っいって話はなしをしたついでに、流りゅうを向むかいへ渡ろうわたろうとして、青いあおい苔こけの生えはえている濡れぬれた板いたの上うえへ尻しり持もちを突いついた。
御ご米べいはまたやり損なっそこなったとは思っおもったが、自分じぶんの粗忽そこつを面目めんぼくながって、宗助そうすけにはわざと何事なにごとも語らかたらずにその場ばを通しとおした。
けれどもこの震動しんどうが、いつまで経っきょうっても胎児たいじの発育はついくにこれという影響えいきょうも及ぼさおよぼさず、したがって自分じぶんの身体しんたいにも少しすこしの異状いじょうを引き起さひきおこさなかった事ことがたしかに分っわかった時じ、御ご米べいはようやく安心あんしんして、過去かこの失しつを改めてあらためて宗助そうすけの前まえに告げつげた。
宗助そうすけは固よりもとより妻つまを咎めるとがめる意いもなかった。
ただ、「よく気きをつけないと危ないあぶないよ」と穏やかおだやかに注意ちゅういを加えくわえて過ぎすぎた。
とかくするうちに月つきが満ちみちた。
いよいよ生れるうまれるという間際まぎわまで日ひが詰っなじったとき、宗助そうすけは役所やくしょへ出でながらも、御ご米べいの事ことがしきりに気きにかかった。
帰りかえりにはいつも、今日きょうはことによると留守るすのうちになどと案じあんじ続けつづけては、自分じぶんの家いえの格子こうしの前まえに立ったった。
そうして半ばなかば予期よきしている赤児あかごの泣声なきごえが聞えきこえないと、かえって何なんかの変へんでも起っおこったらしく感じかんじて、急いいそいで宅たくへ飛び込んとびこんで、自分じぶんと自分じぶんの粗忽そこつを恥ずるはずる事ことがあった。
幸みゆきに御ご米べいの産気さんけづいたのは、宗助そうすけの外そとに用ようのない夜中よなかだったので、傍そばにいて世話せわのできると云ういう点てんから見れみればはなはだ都合つごうが好かっよかった。
産婆さんばも緩かんくり間に合うまにあうし、脱脂綿だっしめんその他ほかの準備じゅんびもことごとく不足ふそくなく取り揃えとりそろえてあった。
産さんも案外あんがい軽かっかるかった。
けれども肝心かんじんの小児しょうには、ただ子宮しきゅうを逃れのがれて広いひろい所ところへ出でたというまでで、浮世うきよの空気くうきを一口ひとくちも呼吸こきゅうしなかった。
産婆さんばは細いほそい硝子がらすの管かんのようなものを取っとって、小さいちいさい口くちの内うちへ強いつよい呼息こそくをしきりに吹き込んふきこんだが、効目ききめはまるでなかった。
生れうまれたものは肉にくだけであった。
夫婦ふうふはこの肉にくに刻みつけきざみつけられた、眼めと鼻はなと口くちとを髣髴ほうふつした。
しかしその咽喉のどから出るでる声こえはついに聞くきく事ことができなかった。
産婆さんばは出産しゅっさんのあったつい一いち週間しゅうかん前まえに来きて、丁寧ていねいに胎児たいじの心臓しんぞうまで聴診ちょうしんして、至極しごく御ご健全けんぜんだと保証ほしょうして行っいったのである。
よし産婆さんばの云ういう事ことに間ま違いがあって、腹はらの児この発育はついくが今までいままでのうちにどこかで止っとまっていたにしたところで、それが直じか取り出さとりだされない以上いじょう、母体ぼたいは今日きょうまで平気へいきに持ちもち応えるこたえる訳わけがなかった。
そこをだんだん調べしらべて見みて、宗助そうすけは自分じぶんがいまだかつて聞いきいた事ことのない事実じじつを発見はっけんした時じに、思わおもわず恐れおそれ驚ろいおどろいた。
胎児たいじは出るでる間際まぎわまで健康けんこうであったのである。
けれども臍帯さいたい纏まとい絡らくと云っいって、俗ぞくに云ういう胞ほうを頸くびへ捲きまきつけていた。
こう云ういう異常いじょうの場合ばあいには、固よりもとより産婆さんばの腕うでで切り抜けるきりぬけるよりほかにしようのないもので、経験けいけんのある婆ばあさんなら、取り上げるとりあげる時じに、旨くうまく頸くびに掛かっかかった胞ほうを外しはずして引き出すひきだすはずであった。
宗助そうすけの頼んたのんだ産婆さんばもかなり年ねんを取っとっているだけに、このくらいのことは心得こころえていた。
しかし胎児たいじの頸くびを絡んからんでいた臍帯さいたいは、時たまときたまあるごとく一いち重じゅうではなかった。
二に重じゅうに細いほそい咽喉のどを巻いまいている胞ほうを、あの細いほそい所ところを通すとおす時じに外しはずし損なっそこなったので、小児しょうにはぐっと気管きかんを絞めしめられて窒息ちっそくしてしまったのである。
罪つみは産婆さんばにもあった。
けれどもなかば以上いじょうは御ご米べいの落度おちどに違いなかった。
臍帯さいたい纏まとい絡らくの変状へんじょうは、御ご米べいが井戸端いどはしで滑っすべって痛くいたく尻餅しりもちを搗いついた五ごカ月かげつ前まえすでに自らみずから醸しかもしたものと知れしれた。
御ご米べいは産後さんごの蓐じょく中なかにその始末しまつを聞いきいて、ただ軽くかるく首肯いうなずいたぎり何になんにも云わいわなかった。
そうして、疲労ひろうに少しすこし落ち込んおちこんだ眼めを霑ませて、長いながい睫毛まつげをしきりに動かしうごかした。
宗助そうすけは慰さめなぐさめながら、手帛はんけちで頬ほおに流れるながれる涙なみだを拭いぬぐいてやった。
これが子供こどもに関するかんする夫婦ふうふの過去かこであった。
この苦いにがい経験けいけんを甞めた彼かれらは、それ以後いご幼児ようじについて余りあまり多くおおくを語るかたるを好まこのまなかった。
けれども二人ふたりの生活せいかつの裏側うらがわは、この記憶きおくのために淋しくさびしく染めそめつけられて、容易よういに剥げはげそうには見えみえなかった。
時じとしては、彼我ひがの笑声しょうせいを通しとおしてさえ、御ご互たがいの胸むねに、この裏側うらがわが薄暗くうすぐらく映るうつる事こともあった。
こういう訳わけだから、過去かこの歴史れきしを今いま夫おっとに向っむかって新たあらたに繰り返そうくりかえそうとは、御ご米べいも思い寄らおもいよらなかったのである。
宗助そうすけも今更いまさら妻つまからそれを聞かきかせられる必要ひつようは少しすこしも認めみとめていなかったのである。
御ご米べいの夫おっとに打ち明けるうちあけると云っいったのは、固よりもとより二人ふたりの共有きょうゆうしていた事実じじつについてではなかった。
彼女かのじょは三さん度目どめの胎児たいじを失っうしなった時じ、夫おっとからその折おりの模様もようを聞いきいて、いかにも自分じぶんが残酷ざんこくな母ははであるかのごとく感じかんじた。
自分じぶんが手てを下しおろした覚さとしがないにせよ、考えかんがえようによっては、自分じぶんと生なまを与えあたえたものの生なまを奪ううばうために、暗闇くらやみと明海めいかいの途中とちゅうに待ち受けまちうけて、これを絞殺こうさつしたと同じおなじ事ことであったからである。
こう解釈かいしゃくした時じ、御ご米べいは恐ろしいおそろしい罪つみを犯しおかした悪人あくにんと己おのれを見傚さみなさない訳わけに行かいかなかった。
そうして思わおもわざる徳義とくぎ上うえの苛責かしゃくを人ひと知れしれず受けうけた。
しかもその苛責かしゃくを分っわかって、共ともに苦しんくるしんでくれるものは世界中せかいちゅうに一人ひとりもなかった。
御ご米べいは夫おっとにさえこの苦しみくるしみを語らかたらなかったのである。
彼女かのじょはその時じ普通ふつうの産婦さんぷのように、三さん週間しゅうかんを床ゆかの中なかで暮らしくらした。
それは身体しんたいから云ういうと極めてきわめて安静あんせいの三さん週間しゅうかんに違いなかった。
同時どうじに心こころから云ういうと、恐るおそるべき忍耐にんたいの三さん週間しゅうかんであった。
宗助そうすけは亡児ぼうじのために、小さいちいさい柩ひつぎを拵らえこしらえて、人ひとの眼めに立たたたない葬儀そうぎを営なんいとなんだ。
しかる後あと、また死んしんだもののために小さなちいさな位牌いはいを作っつくった。
位牌いはいには黒いくろい漆うるしで戒名かいみょうが書いかいてあった。
位牌いはいの主ぬしは戒名かいみょうを持っもっていた。
けれども俗名ぞくみょうは両親りょうしんといえども知らしらなかった。
宗助そうすけは最初さいしょそれを茶の間ちゃのまの箪笥たんすの上うえへ載せのせて、役所やくしょから帰るかえると絶えたえず線香せんこうを焚いたいた。
その香こうが六ろく畳たたみに寝ねている御ご米べいの鼻はなに時々ときどき通っとおった。
彼女かのじょの官能かんのうは当時とうじそれほどに鋭どくするどくなっていたのである。
しばらくしてから、宗助そうすけは何なんを考えかんがえたか、小さいちいさい位牌いはいを箪笥たんすの抽出ちゅうしゅつの底そこへしまってしまった。
そこには福岡ふくおかで亡くなっなくなった小供こどもの位牌いはいと、東京とうきょうで死んしんだ父ちちの位牌いはいが別々べつべつに綿めんで包んつつんで丁寧ていねいに入れいれてあった。
東京とうきょうの家いえを畳むたたむとき宗助そうすけは先祖せんぞの位牌いはいを一いちつ残らのこらず携えたずさえて、諸所しょしょを漂泊ひょうはくするの煩わしわずらわしさに堪えこらえなかったので、新らしいあたらしい父ちちの分ぶんだけを鞄かばんの中なかに収めおさめて、その他ほかはことごとく寺てらへ預けあずけておいたのである。
御ご米べいは宗助そうすけのするすべてを寝ねながら見みたり聞いきいたりしていた。
そうして布団ふとんの上うえに仰あおぐ向むかいになったまま、この二につの小さいちいさい位牌いはいを、眼めに見えみえない因果いんがの糸いとを長くながく引いひいて互たがいに結びつけむすびつけた。
それからその糸いとをなお遠くとおく延ばしのばして、これは位牌いはいにもならずに流れながれてしまった、始めはじめから形かたちのない、ぼんやりした影かげのような死児しじの上うえに投げかけなげかけた。
御ご米べいは広島ひろしまと福岡ふくおかと東京とうきょうに残るのこる一いちつずつの記憶きおくの底そこに、動かしうごかしがたい運命うんめいの厳かおごそかな支配しはいを認めみとめて、その厳かおごそかな支配しはいの下したに立つたつ、幾いく月つき日ひの自分じぶんを、不思議ふしぎにも同じおなじ不幸ふこうを繰り返すくりかえすべく作らつくられた母ははであると観じかんじた時じ、時じならぬ呪詛ずその声こえを耳みみの傍そばに聞いきいた。
彼女かのじょが三さん週間しゅうかんの安静あんせいを、蒲団ふとんの上うえに貪どんぼらなければならないように、生理的せいりてきに強いつよいられている間ま、彼女かのじょの鼓膜こまくはこの呪詛ずその声こえでほとんど絶えたえず鳴っなっていた。
三さん週間しゅうかんの安臥あんがは、御ご米べいに取っとって実じつに比類ひるいのない忍耐にんたいの三さん週間しゅうかんであった。
御ご米べいはこの苦しいくるしい半月はんつき余りあまりを、枕まくらの上うえでじっと見つめみつめながら過ごしすごした。
しまいには我慢がまんして横よこになっているのが、いかにも苛かっむごかったので、看護婦かんごふの帰っかえった明るあかる日ひに、こっそり起きおきてぶらぶらして見みたが、それでも心こころに逼るせまる不安ふあんは、容易よういに紛らせまぎらせなかった。
退たい儀ぎな身体しんたいを無理むりに動かすうごかす割わりに、頭あたまの中なかは少しすこしも動いうごいてくれないので、また落胆らくたんりして、ついには取りとり放しはなしの夜具やぐの下したへ潜り込んもぐりこんで、人ひとの世よを遠ざけるとおざけるように、眼めを堅くかたく閉っしまってしまう事こともあった。
そのうち定期ていきの三さん週間しゅうかんも過ぎすぎて、御ご米べいの身体しんたいは自からみずからすっきりなった。
御ご米べいは奇麗きれいに床ゆかを払っはらって、新らしいあたらしい気きのする眉まゆを再びふたたび鏡かがみに照らしてらした。
それは更衣こういの時節じせつであった。
御ご米べいも久しぶりひさしぶりに綿めんの入っはいった重いおもいものを脱ぎ棄てぬぎすてて、肌はだに垢あかの触れふれない軽いかるい気持きもちを爽やかさわやかに感じかんじた。
春はると夏なつの境さかいをぱっと飾るかざる陽気ようきな日本にっぽんの風物ふうぶつは、淋しいさびしい御ご米べいの頭あたまにも幾分いくぶんかの反響はんきょうを与えあたえた。
けれども、それはただ沈んしずんだものを掻き立てかきたてて、賑やかにぎやかな光りひかりのうちに浮かしうかしたまでであった。
御ご米べいの暗いくらい過去かこの中なかにその時じ一種いっしゅの好奇心こうきしんが萌しきざしたのである。
天気てんきの勝れすぐれて美びくしいある日ひの午前ごぜん、御ご米べいはいつもの通りとおり宗助そうすけを送り出しおくりだしてから直じかに、表ひょうへ出でた。
もう女おんなは日傘ひがさを差しさして外そとを行くいくべき時節じせつであった。
急いいそいで日向ひなたを歩くあるくと額がくの辺へんが少しすこし汗あせばんだ。
御ご米べいは歩きあるき歩きあるき、着物きものを着換えるきかえる時じ、箪笥たんすを開けあけたら、思わおもわず一いち番目ばんめの抽出ちゅうしゅつの底そこにしまってあった、新らしいあたらしい位牌いはいに手てが触れふれた事ことを思いおもいつづけて、とうとうある易者えきしゃの門もんを潜っもぐった。
彼女かのじょは多数たすうの文明ぶんめい人ひとに共通きょうつうな迷信めいしんを子供こどもの時じから持っもっていた。
けれども平生へいぜいはその迷信めいしんがまた多数たすうの文明ぶんめい人ひとと同じおなじように、遊戯ゆうぎ的まとに外そとに現われるあらわれるだけで済んすんでいた。
それが実生活じつせいかつの厳かおごそかな部分ぶぶんを冒すおかすようになったのは、全くまったく珍らしいめずらしいと云わいわなければならなかった。
御ご米べいはその時じ真面目まじめな態度たいどと真面目まじめな心こころを有っあって、易者えきしゃの前まえに坐っすわって、自分じぶんが将来しょうらい子こを生むうむべき、また子またこを育てるそだてるべき運命うんめいを天てんから与えあたえられるだろうかを確めたしかめた。
易者えきしゃは大道だいどうに店みせを出しだして、往来おうらいの人ひとの身の上みのうえを一二いちに銭せんで占うらないなう人ひとと、少しすこしも違っちがった様子ようすもなく、算木さんぎをいろいろに並べならべて見みたり、筮竹ぜいちくを揉んもんだり数えかぞえたりした後あとで、仔細しさいらしく腮の下したの髯ひげを握っにぎって何なんか考えかんがえたが、終りおわりに御ご米べいの顔かおをつくづく眺めながめた末すえ、「あなたには子供こどもはできません」と落ちつきおちつき払っはらって宣告せんこくした。
御ご米べいは無言むごんのまま、しばらく易者えきしゃの言葉ことばを頭あたまの中なかで噛んかんだり砕いくだいたりした。
それから顔かおを上げあげて、「なぜでしょう」と聞き返しききかえした。
その時じ御ご米べいは易者えきしゃが返事へんじをする前まえに、また考えるかんがえるだろうと思っおもった。
ところが彼かれはまともに御ご米べいの眼めの間まを見詰めみつめたまま、すぐ「あなたは人ひとに対したいしてすまない事ことをした覚さとしがある。その罪つみが祟ったたっているから、子供こどもはけっして育たそだたない」と云い切っいいきった。
御ご米べいはこの一言ひとことに心臓しんぞうを射抜かいぬかれる思おもうがあった。
くしゃりと首くびを折っおったなり家いえへ帰っかえって、その夜よるは夫おっとの顔かおさえろくろく見上げみあげなかった。
御ご米べいの宗助そうすけに打ち明けうちあけないで、今までいままで過しすごしたというのは、この易者えきしゃの判断はんだんであった。
宗助そうすけは床の間とこのまに乗せのせた細いほそい洋灯ようとうの灯あかりが、夜よるの中なかに沈んしずんで行きいきそうな静かしずかな晩ばんに、始めはじめて御ご米べいの口くちからその話はなしを聞いきいたとき、さすがに好いよい気味きみはしなかった。
「神経しんけいの起っおこった時じ、わざわざそんな馬鹿ばかな所ところへ出かけるでかけるからさ。銭せんを出しだして下らしたらない事ことを云わいわれてつまらないじゃないか。その後そのあともその占うらないの宅たくへ行くいくのかい」「恐ろしいおそろしいから、もうけっして行かいかないわ」「行かいかないがいい。馬鹿ばか気きている」 宗助そうすけはわざと鷹揚おうような答こたえをしてまた寝ねてしまった。
十四じゅうよん
宗助そうすけと御ご米べいとは仲なかの好いよい夫婦ふうふに違いなかった。
いっしょになってから今日きょうまで六ろく年ねんほどの長いながい月日つきひを、まだ半日はんじつも気き不味くまずく暮しくらした事ことはなかった。
言げん逆ぎゃくに顔かおを赤らめあからめ合っあった試みはなおなかった。
二人ふたりは呉服屋ごふくやの反物たんものを買っかって着きた。
米屋こめやから米べいを取っとって食っしょくった。
けれどもその他ほかには一般いっぱんの社会しゃかいに待つまつところのきわめて少ないすくない人間にんげんであった。
彼かれらは、日常にちじょうの必要ひつよう品しなを供給きょうきゅうする以上いじょうの意味いみにおいて、社会しゃかいの存在そんざいをほとんど認めみとめていなかった。
彼かれらに取っとって絶対ぜったいに必要ひつようなものは御ご互たがいだけで、その御ご互たがいだけが、彼かれらにはまた充分じゅうぶんであった。
彼かれらは山やまの中なかにいる心こころを抱いいだいて、都会とかいに住んすんでいた。
自然しぜんの勢いきおいとして、彼かれらの生活せいかつは単調たんちょうに流れながれない訳わけに行かいかなかった。
彼かれらは複雑ふくざつな社会しゃかいの煩はんを避けさけ得とくたと共ともに、その社会しゃかいの活動かつどうから出るでるさまざまの経験けいけんに直接ちょくせつ触れるふれる機会きかいを、自分じぶんと塞いせいでしまって、都会とかいに住みすみながら、都会とかいに住むすむ文明ぶんめい人ひとの特権とっけんを棄てすてたような結果けっかに到着とうちゃくした。
彼かれらも自分じぶん達とおるの日常にちじょうに変化へんかのない事ことは折々おりおり自覚じかくした。
御ご互たがいが御ご互たがいに飽きるあきるの、物もの足りたりなくなるのという心こころは微塵みじんも起らおこらなかったけれども、御ご互たがいの頭あたまに受け入れるうけいれる生活せいかつの内容ないようには、刺戟しげきに乏しいとぼしい或ある物ものが潜んひそんでいるような鈍いにぶい訴うったえがあった。
それにもかかわらず、彼かれらが毎日まいにち同じおなじ判はんを同じおなじ胸むねに押しおして、長ながの月日つきひを倦まあぐまず渡っわたって来きたのは、彼かれらが始はじめから一般いっぱんの社会しゃかいに興味きょうみを失っうしなっていたためではなかった。
社会しゃかいの方ほうで彼かれらを二人ふたりぎりに切りつめきりつめて、その二人ふたりに冷れいかな背せを向けむけた結果けっかにほかならなかった。
外そとに向っむかって生長せいちょうする余地よちを見出しみだし得とくなかった二人ふたりは、内うちに向っむかって深くふかく延びのび始めはじめたのである。
彼かれらの生活せいかつは広さひろさを失なううしなうと同時どうじに、深さふかさを増しまして来きた。
彼かれらは六ろく年ねんの間ま世間せけんに散漫さんまんな交渉こうしょうを求めもとめなかった代りかわりに、同じおなじ六ろく年ねんの歳月さいげつを挙げあげて、互たがいの胸むねを掘り出しほりだした。
彼かれらの命いのちは、いつの間まにか互たがいの底そこにまで喰い入っくいいった。
二人ふたりは世間せけんから見れみれば依然いぜんとして二人ふたりであった。
けれども互たがいから云えいえば、道義どうぎ上うえ切り離すきりはなす事ことのできない一いちつの有機体ゆうきたいになった。
二人ふたりの精神せいしんを組み立てるくみたてる神経系しんけいけいは、最後さいごの繊維せんいに至るいたるまで、互たがいに抱き合っだきあってでき上っできあがっていた。
彼かれらは大きなおおきな水盤すいばんの表ひょうに滴しずくたった二に点てんの油あぶらのようなものであった。
水みずを弾いひいて二につがいっしょに集まっあつまったと云ういうよりも、水みずに弾かひかれた勢いきおいで、丸くまるく寄り添っよりそった結果けっか、離れるはなれる事ことができなくなったと評するひょうする方ほうが適当てきとうであった。
彼かれらはこの抱合ほうごうの中なかに、尋常じんじょうの夫婦ふうふに見出しみだしがたい親和しんわと飽満ほうまんと、それに伴なうともなう倦怠けんたいとを兼ね具えかねそなえていた。
そうしてその倦怠けんたいの慵い気分きぶんに支配しはいされながら、自己じこを幸福こうふくと評価ひょうかする事ことだけは忘れわすれなかった。
倦怠けんたいは彼かれらの意識いしきに眠ねむりのような幕まくを掛けかけて、二人ふたりの愛あいをうっとり霞まかすます事ことはあった。
けれども簓ささらで神経しんけいを洗わあらわれる不安ふあんはけっして起しおこし得とくなかった。
要するようするに彼かれらは世間せけんに疎いうといだけそれだけ仲なかの好いよい夫婦ふうふであったのである。
彼かれらは人並ひとなみ以上いじょうに睦まむつましい月日つきひを渝らかわらずに今日きょうから明日あすへと繋いつないで行きいきながら、常つねはそこに気きがつかずに顔かおを見合わせみあわせているようなものの、時々ときどき自分じぶん達とおるの睦まじむつまじがる心こころを、自分じぶんで確としかと認めるみとめる事ことがあった。
その場合ばあいには必ずかならず今までいままで睦まじくむつまじく過ごしすごした長ながの歳月さいげつを溯そのぼって、自分じぶん達とおるがいかな犠牲ぎせいを払っはらって、結婚けっこんをあえてしたかと云ういう当時とうじを憶い出さおもいださない訳わけには行かいかなかった。
彼かれらは自然しぜんが彼かれらの前まえにもたらした恐るおそるべき復讐ふくしゅうの下したに戦きおののきながら跪ずいた。
同時どうじにこの復讐ふくしゅうを受けるうけるために得とくた互たがいの幸福こうふくに対したいして、愛あいの神かみに一いち弁べんの香こうを焚くたく事ことを忘れわすれなかった。
彼かれらは鞭むちたれつつ死しに赴くおもむくものであった。
ただその鞭むちの先さきに、すべてを癒やすいやす甘いあまい蜜みつの着いついている事ことを覚っさとったのである。
宗助そうすけは相当そうとうに資産しさんのある東京とうきょうものの子弟していとして、彼かれらに共通きょうつうな派出はしゅつな嗜好しこうを、学生時代がくせいじだいには遠慮えんりょなく充たしみたした男おとこである。
彼かれはその時服じふく装そうにも、動作どうさにも、思想しそうにも、ことごとく当世とうせいらしい才人さいじんの面影おもかげを漲らしみなぎらして、昂のぼるい首くびを世間せけんに擡げもたげつつ、行こういこうと思うおもう辺りあたりを濶歩かっぽした。
彼かれの襟えりの白かっしろかったごとく、彼かれの洋よう袴はかまの裾すそが奇麗きれいに折り返さおりかえされていたごとく、その下したから見えるみえる彼かれの靴足袋くつたびが模様もよう入いりのカシミヤかしみやであったごとく、彼かれの頭あたまは華奢きゃしゃな世間せけん向きむきであった。
彼かれは生れつきうまれつき理解りかいの好いよい男おとこであった。
したがって大したたいした勉強べんきょうをする気きにはなれなかった。
学問がくもんは社会しゃかいへ出るでるための方便ほうべんと心得こころえていたから、社会しゃかいを一歩いちほ退ぞかしりぞかなくっては達するたっする事ことのできない、学者がくしゃという地位ちいには、余りあまり多くおおくの興味きょうみを有っあっていなかった。
彼かれはただ教場きょうじょうへ出でて、普通ふつうの学生がくせいのする通りとおり、多くおおくのノートブックのーとぶっくを黒くくろくした。
けれども宅たくへ帰っかえって来きて、それを読み直しよみなおしたり、手てを入れいれたりした事ことは滅多めったになかった。
休んやすんで抜けぬけた所ところさえ大抵たいていはそのままにして放っはなって置いおいた。
彼かれは下宿げしゅくの机つくえの上うえに、このノートブックのーとぶっくを奇麗きれいに積み上げつみあげて、いつ見みても整然せいぜんと秩序ちつじょのついた書斎しょさいを空そらにしては、外そとを出で歩あゆみるいた。
友達ともだちは多くおおく彼かれの寛濶かんかつを羨んうらやんだ。
宗助そうすけも得意とくいであった。
彼かれの未来みらいは虹にじのように美びくしく彼かれの眸ひとみを照らしてらした。
その頃ころの宗助そうすけは今いまと違っちがって多くおおくの友達ともだちを持っもっていた。
実じつを云ういうと、軽快けいかいな彼かれの眼めに映ずるえいずるすべての人ひとは、ほとんど誰彼だれかれの区別くべつなく友達ともだちであった。
彼かれは敵てきという言葉ことばの意味いみを正当せいとうに解しかいし得とくない楽天家らくてんかとして、若いわかい世よをのびのびと渡っわたった。
「なに不景気ふけいきな顔かおさえしなければ、どこへ行っいったって驩迎されるもんだよ」と学友がくゆうの安井やすいによく話しはなした事ことがあった。
実際じっさい彼かれの顔かおは、他ほかを不愉快ふゆかいにするほど深刻しんこくな表情ひょうじょうを示ししめし得とくた試みがなかった。
「君きみは身体しんたいが丈夫じょうぶだから結構けっこうだ」とよくどこかに故障こしょうの起るおこる安井やすいが羨ましうらやましがった。
この安井やすいというのは国くには越前えちぜんだが、長くながく横浜よこはまにいたので、言葉ことばや様子ようすは毫もごうも東京とうきょうものと異なることなる点てんがなかった。
着物きもの道楽どうらくで、髪の毛かみのけを長くながくして真中まなかから分けるわける癖くせがあった。
高等学校こうとうがっこうは違っちがっていたけれども、講義こうぎのときよく隣合せとなりあわせに並んならんで、時々ときどき聞ききき損なっそこなった所ところなどを後あとから質問しつもんするので、口くちを利ききき出しだしたのが元もとになって、つい懇意こんいになった。
それが学年がくねんの始りはじまりだったので、京都きょうとへ来きて日ひのまだ浅いあさい宗助そうすけにはだいぶんの便宜べんぎであった。
彼かれは安井やすいの案内あんないで新らしいあたらしい土地とちの印象いんしょうを酒さけのごとく吸い込んすいこんだ。
二人ふたりは毎晩まいばんのように三さん条じょうとか四条しじょうとかいう賑やかにぎやかな町まちを歩いあるいた。
時じによると京極きょうごくも通り抜けとおりぬけた。
橋はしの真中まなかに立ったって鴨川かもがわの水みずを眺めながめた。
東山ひがしやまの上うえに出るでる静かしずかな月つきを見みた。
そうして京都きょうとの月つきは東京とうきょうの月つきよりも丸くまるくて大きいおおきいように感じかんじた。
町まちや人ひとに厭きあきたときは、土曜どようと日曜にちようを利用りようして遠いとおい郊外こうがいに出でた。
宗助そうすけは至る所いたるところの大おお竹藪たけやぶに緑みどりの籠るこもる深いぶかい姿すがたを喜んよろこんだ。
松まつの幹みきの染めそめたように赤いあかいのが、日ひを照り返してりかえして幾本いくぽんとなく並ぶならぶ風情ふぜいを楽しんたのしんだ。
ある時じは大悲だいひ閣かくへ登っのぼって、即そく非ひの額がくの下したに仰向きあおむきながら、谷底たにそこの流りゅうを下るくだる櫓やぐらの音おとを聞いきいた。
その音おとが雁がんの鳴声なきごえによく似にているのを二人ふたりとも面白おもしろがった。
ある時じは、平八へいはち茶屋ちゃやまで出掛けでかけて行っいって、そこに一日いちにち寝ねていた。
そうして不味いまじい河かわ魚さかなの串くしに刺しさしたのを、かみさんに焼かしやかして酒さけを呑んのんだ。
そのかみさんは、手拭てぬぐいを被っかぶって、紺こんの立たて付ふみたようなものを穿いはいていた。
宗助そうすけはこんな新らしいあたらしい刺戟しげきの下したに、しばらくは慾求よっきゅうの満足まんぞくを得とくた。
けれどもひととおり古いふるい都との臭においを嗅いかいで歩くあるくうちに、すべてがやがて、平板へいばんに見えみえだして来きた。
その時じ彼かれは美びくしい山やまの色いろと清いきよい水みずの色いろが、最初さいしょほど鮮明せんめいな影かげを自分じぶんの頭あたまに宿さしゅくさないのを物もの足らあしらず思いおもい始めはじめた。
彼かれは暖かあたたかな若いわかい血ちを抱いいだいて、その熱りいきりを冷すひやす深いぶかい緑みどりに逢えあえなくなった。
そうかといって、この情熱じょうねつを焚きたき尽すつくすほどの烈しいはげしい活動かつどうには無論むろん出会わであわなかった。
彼かれの血ちは高いたかい脈みゃくを打っうって、いたずらにむず痒くむずがゆく彼かれの身体しんたいの中なかを流れながれた。
彼かれは腕組うでぐみをして、坐ざながら四方しほうの山やまを眺めながめた。
そうして、「もうこんな古ふる臭いくさい所ところには厭きあきた」と云っいった。
安井やすいは笑いわらいながら、比較ひかくのため、自分じぶんの知っしっている或ある友達ともだちの故郷こきょうの物語ものがたりをして宗助そうすけに聞かしきかした。
それは浄瑠璃じょうるりの間まの土山つちやま雨あめが降るふるとある有名ゆうめいな宿やどの事ことであった。
朝あさ起きおきてから夜よる寝るねるまで、眼めに入るはいるものは山やまよりほかにない所ところで、まるで擂鉢すりばちの底そこに住んすんでいると同じおなじ有様ありさまだと告げつげた上うえ、安井やすいはその友達ともだちの小さいちいさい時分じぶんの経験けいけんとして、五月雨さみだれの降りふりつづく折おりなどは、小供こども心こころに、今いまにも自分じぶんの住んすんでいる宿やどが、四方しほうの山やまから流れながれて来るくる雨あめの中なかに浸かっつかってしまいそうで、心配しんぱいでならなかったと云ういう話はなしをした。
宗助そうすけはそんな擂鉢すりばちの底そこで一生いっしょうを過すすごす人ひとの運命うんめいほど情ないなさけないものはあるまいと考えかんがえた。
「そう云ういう所ところに、人間にんげんがよく生きいきていられるな」と不思議ふしぎそうな顔かおをして安井やすいに云っいった。
安井やすいも笑っわらっていた。
そうして土山つちやまから出でた人物じんぶつの中なかでは、千せん両りょう函ばこを摩り替えすりかえて磔はりつけになったのが一番いちばん大きいおおきいのだと云ういう一口話いちこうわをやはり友達ともだちから聞いきいた通りとおり繰り返しくりかえした。
狭いせまい京都きょうとに飽きあきた宗助そうすけは、単調たんちょうな生活せいかつを破るやぶる色彩しきさいとして、そう云ういう出来事できごとも百ひゃく年ねんに一度いちどぐらいは必要ひつようだろうとまで思っおもった。
その時分じぶんの宗助そうすけの眼めは、常つねに新らしいあたらしい世界せかいにばかり注がちゅうがれていた。
だから自然しぜんがひととおり四季しきの色いろを見せみせてしまったあとでは、再びふたたび去年きょねんの記憶きおくを呼び戻すよびもどすために、花はなや紅葉こうようを迎えるむかえる必要ひつようがなくなった。
強くつよく烈しいはげしい命いのちに生きいきたと云ういう証券しょうけんを飽くまであくまで握りにぎりたかった彼かれには、活きつきた現在げんざいと、これから生れよううまれようとする未来みらいが、当面とうめんの問題もんだいであったけれども、消えきえかかる過去かこは、夢ゆめ同様どうように価あたいの乏しいとぼしい幻影げんえいに過ぎすぎなかった。
彼かれは多くおおくの剥げはげかかった社しゃと、寂さび果てはてた寺てらを見み尽しつくして、色いろの褪めさめた歴史れきしの上うえに、黒いくろい頭あたまを振り向けるふりむける勇気ゆうきを失いかけうしないかけた。
寝ね耄けほけた昔むかしに※徊するほど、彼かれの気分きぶんは枯れかれていなかったのである。
学年がくねんの終りおわりに宗助そうすけと安井やすいとは再会さいかいを約しやくして手てを分っわかった。
安井やすいはひとまず郷里きょうりの福井ふくいへ帰っかえって、それから横浜よこはまへ行くいくつもりだから、もしその時じには手紙てがみを出しだして通知つうちをしよう、そうしてなるべくならいっしょの汽車きしゃで京都きょうとへ下ろうくだろう、もし時間じかんが許すゆるすなら、興津おきつあたりで泊っとまって、清見きよみ寺てらや三保みほの松原まつばらや、久能くのう山やまでも見みながら緩かんくり遊んあそんで行こういこうと云っいった。
宗助そうすけは大いにおおいによかろうと答えこたえて、腹はらのなかではすでに安井やすいの端書はしがきを手てにする時じの心持こころもちさえ予想よそうした。
宗助そうすけが東京とうきょうへ帰っかえったときは、父ちちは固よりもとよりまだ丈夫じょうぶであった。
小六しょうろくは子供こどもであった。
彼かれは一いち年ねんぶりに殷いんんな都との炎熱えんねつと煤煙ばいえんを呼吸こきゅうするのをかえって嬉しくうれしく感じかんじた。
燬くような日ひの下したに、渦うずを捲いまいて狂いくるい出しだしそうな瓦かわらの色いろが、幾里いくさととなく続くつづく景色けしきを、高いたかい所ところから眺めながめて、これでこそ東京とうきょうだと思うおもう事ことさえあった。
今いまの宗助そうすけなら目めを眩しまぶしかねない事々じじ物々ぶつぶつが、ことごとく壮快そうかいの二に字じを彼かれの額がくに焼き付けやきつけべく、その時じは反射はんしゃして来きたのである。
彼かれの未来みらいは封じふうじられた蕾つぼみのように、開かひらかない先さきは他ほかに知れしれないばかりでなく、自分じぶんにも確としかとは分らわからなかった。
宗助そうすけはただ洋々ようようの二に字じが彼かれの前途ぜんとに棚引いたなびいている気きがしただけであった。
彼かれはこの暑いあつい休暇中きゅうかちゅうにも卒業後そつぎょうごの自分じぶんに対するたいする謀はかりごとを忽こつがせにはしなかった。
彼かれは大学だいがくを出でてから、官途かんとにつこうか、または実業じつぎょうに従おうしたがおうか、それすら、まだ判然はんぜんと心こころにきめていなかったにかかわらず、どちらの方面ほうめんでも構わかまわず、今いまのうちから、進めるすすめるだけ進んすすんでおく方ほうが利益りえきだと心づいこころづいた。
彼かれは直接ちょくせつ父ちちの紹介しょうかいを得とくた。
父ちちを通しとおして間接かんせつにその知人ちじんの紹介しょうかいを得とくた。
そうして自分じぶんの将来しょうらいを影響えいきょうし得るうるような人ひとを物色ぶっしょくして、二三にさんの訪問ほうもんを試みこころみた。
彼かれらのあるものは、避暑ひしょという名義めいぎの下したに、すでに東京とうきょうを離れはなれていた。
あるものは不在ふざいであった。
またあるものは多忙たぼうのため時じを期しきして、勤務先きんむさきで会おうあおうと云っいった。
宗助そうすけは日ひのまだ高くたかくならない七なな時じ頃ころに、昇降しょうこう器うつわで煉瓦れんが造つくりの三さん階かいへ案内あんないされて、そこの応接間おうせつかんに、もう七八しちはち人ひとも自分じぶんと同じおなじように、同じおなじ人ひとを待っまっている光景こうけいを見みて驚ろいおどろいた事こともあった。
彼かれはこうして新らしいあたらしい所ところへ行っいって、新らしいあたらしい物ものに接するせっするのが、用よう向むかいの成否せいひに関わらかかわらず、今までいままで眼めに付かつかずに過ぎすぎた活きつきた世界せかいの断片だんぺんを頭あたまへ詰め込むつめこむような気きがして何なんとなく愉快ゆかいであった。
父ちちの云いいいつけで、毎年まいとしの通りとおり虫干むしぼしの手伝てつだいをさせられるのも、こんな時じには、かえって興味きょうみの多いおおい仕事しごとの一部分いちぶぶんに数えかぞえられた。
彼かれは冷たいつめたい風かぜの吹き通すふきとおす土蔵どぞうの戸前とまえの湿っぽいしめっぽい石いしの上うえに腰こしを掛けかけて、古くふるくから家いえにあった江戸えど名所めいしょ図会ずえと、江戸えど砂子すなごという本ほんを物珍しものめずらしそうに眺めながめた。
畳たたみまで熱くあつくなった座敷ざしきの真中まなかへ胡坐こざを掻いかいて、下女げじょの買っかって来きた樟脳しょうのうを、小さなちいさな紙片しへんに取り分けとりわけては、医者いしゃでくれる散薬さんやくのような形かたちに畳んたたんだ。
宗助そうすけは小供こどもの時じから、この樟脳しょうのうの高いたかい香こうと、汗あせの出るでる土用どようと、炮烙ほうらく灸きゅうと、蒼空そうくうを緩くゆるく舞うまう鳶とびとを連想れんそうしていた。
とかくするうちに節ふしは立秋りっしゅうに入っはいった。
二百十にひゃくじゅう日ひの前まえには、風かぜが吹いふいて、雨あめが降っふった。
空そらには薄墨うすずみの煮に染んしんだような雲くもがしきりに動いうごいた。
寒暖計かんだんけいが二三にさん日ひ下がりさがり切りきりに下がっさがった。
宗助そうすけはまた行李こうりを麻縄あさなわで絡げからげて、京都きょうとへ向うむこう支度したくをしなければならなくなった。
彼かれはこの間まにも安井やすいと約束やくそくのある事ことは忘れわすれなかった。
家いえへ帰っかえった当座とうざは、まだ二にカ月かげつも先さきの事ことだからと緩かんくり構えかまえていたが、だんだん時日じじつが逼るせまるに従っしたがって、安井やすいの消息しょうそくが気きになってきた。
安井やすいはその後あと一いち枚ばいの端書はしがきさえ寄こさよこさなかったのである。
宗助そうすけは安井やすいの郷里きょうりの福井ふくいへ向けむけて手紙てがみを出しだして見みた。
けれども返事へんじはついに来きなかった。
宗助そうすけは横浜よこはまの方ほうへ問い合わせといあわせて見ようみようと思っおもったが、つい番地ばんちも町名ちょうめいも聞いきいて置かおかなかったので、どうする事こともできなかった。
立つたつ前まえの晩ばんに、父ちちは宗助そうすけを呼んよんで、宗助そうすけの請求せいきゅう通りとおり、普通ふつうの旅費りょひ以外いがいに、途中とちゅうで二三にさん日ひ滞在たいざいした上うえ、京都きょうとへ着いついてからの当分とうぶんの小遣こづかいを渡しわたして、「なるたけ節倹せっけんしなくちゃいけない」と諭しさとした。
宗助そうすけはそれを、普通ふつうの子こが普通ふつうの親おやの訓戒くんかいを聞くきく時じのごとくに聞いきいた。
父ちちはまた、「来年らいねんまた帰っかえって来るくるまでは会わあわないから、随分ずいぶん気きをつけて」と云っいった。
その帰っかえって来るくる時節じせつには、宗助そうすけはもう帰れかえれなくなっていたのである。
そうして帰っかえって来きた時じは、父ちちの亡骸なきがらがもう冷たくつめたくなっていたのである。
宗助そうすけは今いまに至るいたるまでその時じの父ちちの面影おもかげを思い浮べおもいうかべてはすまないような気きがした。
いよいよ立つたつと云ういう間際まぎわに、宗助そうすけは安井やすいから一いち通つうの封書ふうしょを受取っうけとった。
開いひらいて見るみると、約束やくそく通りとおりいっしょに帰るかえるつもりでいたが、少しすこし事情じじょうがあって先さきへ立たたたなければならない事ことになったからと云ういう断だんを述べのべた末すえに、いずれ京都きょうとで緩かんくり会おうあおうと書いかいてあった。
宗助そうすけはそれを洋服ようふくの内懐うちぶところに押し込んおしこんで汽車きしゃに乗っのった。
約束やくそくの興津おきつへ来きたとき彼かれは一人ひとりでプラットフォームぷらっとふぉーむへ降りふりて、細長いほそながい一筋ひとすじ町まちを清見きよみ寺てらの方ほうへ歩いあるいた。
夏なつもすでに過ぎすぎた九きゅう月つきの初はつなので、おおかたの避暑ひしょ客きゃくは早くはやく引き上げひきあげた後あとだから、宿屋やどやは比較的ひかくてき閑静かんせいであった。
宗助そうすけは海うみの見えるみえる一室いっしつの中なかに腹這はらばいになって、安井やすいへ送るおくる絵え端書はしがきへ二三にさん行こうの文句もんくを書いかいた。
そのなかに、君きみが来きないから僕ぼく一人ひとりでここへ来きたという言葉ことばを入れいれた。
翌日よくじつも約束やくそく通りとおり一人ひとりで三保みほと竜華りゅうげ寺てらを見物けんぶつして、京都きょうとへ行っいってから安井やすいに話すはなす材料ざいりょうをできるだけ拵えこしらえた。
しかし天気てんきのせいか、当にまさにした連れんのないためか、海うみを見みても、山やまへ登っのぼっても、それほど面白くおもしろくなかった。
宿やどにじっとしているのは、なお退屈たいくつであった。
宗助そうすけは匆々そうそうにまた宿やどの浴衣ゆかたを脱ぎ棄てぬぎすてて、絞りしぼりの三さん尺さしと共ともに欄干らんかんに掛けかけて、興津おきつを去っさった。
京都きょうとへ着いついた一いち日ひ目めは、夜汽車よるきしゃの疲れつかれやら、荷物にもつの整理せいりやらで、往来おうらいの日影ひかげを知らしらずに暮らしくらした。
二に日ひ目めになってようやく学校がっこうへ出でて見るみると、教師きょうしはまだ出揃っでそろっていなかった。
学生がくせいも平日へいじつよりは数すうが不足ふそくであった。
不審ふしんな事ことには、自分じぶんより三四さんよんっ日ひ前まえに帰っかえっているべきはずの安井やすいの顔かおさえどこにも見えみえなかった。
宗助そうすけはそれが気きにかかるので、帰りかえりにわざわざ安井やすいの下宿げしゅくへ回っまわって見みた。
安井やすいのいる所ところは樹きと水みずの多いおおい加茂かもの社しゃの傍そばであった。
彼かれは夏休みなつやすみ前まえから、少しすこし閑静かんせいな町外れまちはずれへ移っうつって勉強べんきょうするつもりだとか云っいって、わざわざこの不便ふべんな村むら同様どうような田舎いなかへ引込んひきこんだのである。
彼かれの見つけみつけ出しだした家いえからが寂さびた土塀どべいを二方にほうに回らしまわらして、すでに古風こふうに片づいかたづいていた。
宗助そうすけは安井やすいから、そこの主人しゅじんはもと加茂かも神社じんじゃの神官しんかんの一人ひとりであったと云ういう話はなしを聞いきいた。
非常ひじょうに能弁のうべんな京都きょうと言葉ことばを操るあやつる四十よんじゅうばかりの細君さいくんがいて、安井やすいの世話せわをしていた。
「世話せわって、ただ不味いまじい菜なを拵らえこしらえて、三さん度どずつ室むろへ運んはこんでくれるだけだよ」と安井やすいは移りうつり立てたてからこの細君さいくんの悪口わるぐちを利いきいていた。
宗助そうすけは安井やすいをここに二三にさん度ど訪ねたずねた縁故えんこで、彼かれのいわゆる不味いまじい菜なを拵らえるこしらえる主ぬしを知っしっていた。
細君さいくんの方ほうでも宗助そうすけの顔かおを覚えおぼえていた。
細君さいくんは宗助そうすけを見るみるや否いなや、例れいの柔かいやわらかい舌したで慇懃いんぎんな挨拶あいさつを述べのべた後あと、こっちから聞こうきこうと思っおもって来きた安井やすいの消息しょうそくを、かえって向うむこうから尋ねたずねた。
細君さいくんの云ういうところによると、彼かれは郷里きょうりへ帰っかえってから当日とうじつに至るいたるまで、一いち片かたの音信おんしんさえ下宿げしゅくへは出さださなかったのである。
宗助そうすけは案外あんがいな思おもうで自分じぶんの下宿げしゅくへ帰っかえって来きた。
それから一いち週間しゅうかんほどは、学校がっこうへ出るでるたんびに、今日きょうは安井やすいの顔かおが見えるみえるか、明日あすは安井やすいの声こえがするかと、毎日まいにち漠然ばくぜんとした予期よきを抱いいだいては教室きょうしつの戸とを開けあけた。
そうして毎日まいにちまた漠然ばくぜんとした不足ふそくを感じかんじては帰っかえって来きた。
もっとも最後さいごの三四さんよん日ひにおける宗助そうすけは早くはやく安井やすいに会いあいたいと思うおもうよりも、少しすこし事情じじょうがあるから、失敬しっけいして先さきへ立つたつとわざわざ通知つうちしながら、いつまで待っまっても影かげも見せみせない彼かれの安否あんぴを、関係者かんけいしゃとしてむしろ気きにかけていたのである。
彼かれは学友がくゆうの誰彼だれかれに万遍まんべんなく安井やすいの動静どうせいを聞いきいて見みた。
しかし誰だれも知るしるものはなかった。
ただ一人ひとりが、昨夕さくゆう四条しじょうの人ひと込こみの中なかで、安井やすいによく似にた浴衣がけゆかたがけの男おとこを見みたと答えこたえた事ことがあった。
しかし宗助そうすけにはそれが安井やすいだろうとは信じしんじられなかった。
ところがその話はなしを聞いきいた翌日よくじつ、すなわち宗助そうすけが京都きょうとへ着いついてから約やく一いち週間しゅうかんの後あと、話はなしの通りとおりの服装ふくそうをした安井やすいが、突然とつぜん宗助そうすけの所ところへ尋ねたずねて来きた。
宗助そうすけは着流しきながしのまま麦藁むぎわら帽ぼうを手てに持っもった友達ともだちの姿すがたを久しひさし振ぶりに眺めながめた時じ、夏休みなつやすみ前まえの彼かれの顔かおの上うえに、新らしいあたらしい何物なにものかがさらに付け加えつけくわえられたような気きがした。
安井やすいは黒いくろい髪かみに油あぶらを塗っぬって、目立つめだつほど奇麗きれいに頭あたまを分けわけていた。
そうして今いま床屋とこやへ行っいって来きたところだと言訳いいわけらしい事ことを云っいった。
その晩ばん彼かれは宗助そうすけと一いち時間じかん余りあまりも雑談ざつだんに耽っふけった。
彼かれの重々しいおもおもしい口くちの利ききき方ほう、自分じぶんを憚かっはばかって、思い切れおもいきれないような話はなしの調子ちょうし、「しかるに」と云ういう口癖くちぐせ、すべて平生へいぜいの彼かれと異なることなる点てんはなかった。
ただ彼かれはなぜ宗助そうすけより先さきへ横浜よこはまを立ったったかを語らかたらなかった。
また途中とちゅうどこで暇取っひまどったため、宗助そうすけより後れおくれて京都きょうとへ着いついたかを判然はんぜん告げつげなかった。
しかし彼かれは三四さんよん日ひ前まえようやく京都きょうとへ着いついた事ことだけを明かあきらかにした。
そうして、夏休みなつやすみ前まえにいた下宿げしゅくへはまだ帰らかえらずにいると云っいった。
「それでどこに」と宗助そうすけが聞いきいたとき、彼かれは自分じぶんの今いま泊っとまっている宿屋やどやの名前なまえを、宗助そうすけに教えおしえた。
それは三条さんじょう辺へんの三流さんりゅう位くらいの家いえであった。
宗助そうすけはその名前なまえを知っしっていた。
「どうして、そんな所ところへ這入っはいったのだ。当分とうぶんそこにいるつもりなのかい」と宗助そうすけは重ねかさねて聞いきいた。
安井やすいはただ少しすこし都合つごうがあってとばかり答えこたえたが、「下宿げしゅく生活せいかつはもうやめて、小さいちいさい家いえでも借りようかりようかと思っおもっている」と思いがけおもいがけない計画けいかくを打ち明けうちあけて、宗助そうすけを驚ろかしおどろかした。
それから一いち週間しゅうかんばかりの中なかに、安井やすいはとうとう宗助そうすけに話しはなした通りとおり、学校がっこう近くちかくの閑静かんせいな所ところに一いち戸とを構えかまえた。
それは京都きょうとに共通きょうつうな暗いくらい陰気いんきな作りつくりの上うえに、柱はしらや格子こうしを黒くろ赤くあかく塗っぬって、わざと古ふる臭くくさく見せみせた狭いせまい貸家かしやであった。
門口かどぐちに誰だれの所有しょゆうともつかない柳やなぎが一いち本ほんあって、長いながい枝えだがほとんど軒のきに触りさわりそうに風かぜに吹かふかれる様ようを宗助そうすけは見みた。
庭にわも東京とうきょうと違っちがって、少しすこしは整っととのっていた。
石いしの自由じゆうになる所ところだけに、比較的ひかくてき大きなおおきなのが座敷ざしきの真正面ましょうめんに据えすえてあった。
その下したには涼しすずしそうな苔こけがいくらでも生えはえた。
裏うらには敷居しきいの腐っくさった物置ものおきが空そらのままがらんと立ったっている後あとに、隣となりの竹藪たけやぶが便所べんじょの出入りでいりに望まのぞまれた。
宗助そうすけのここを訪問ほうもんしたのは、十じゅう月つきに少しすこし間まのある学期がっきの始めはじめであった。
残暑ざんしょがまだ強いつよいので宗助そうすけは学校がっこうの往復おうふくに、蝙蝠傘こうもりがさを用いもちいていた事ことを今いまに記憶きおくしていた。
彼かれは格子こうしの前まえで傘かさを畳んたたんで、内うちを覗き込んのぞきこんだ時じ、粗いあらい縞しまの浴衣ゆかたを着きた女おんなの影かげをちらりと認めみとめた。
格子こうしの内うちは三和土たたきで、それが真直まっすぐに裏うらまで突き抜けつきぬけているのだから、這入っはいってすぐ右手みぎての玄関げんかんめいた上り口あがりぐちを上らのぼらない以上いじょうは、暗いくらいながら一筋ひとすじに奥おくの方ほうまで見えるみえる訳わけであった。
宗助そうすけは浴衣ゆかたの後影うしろかげが、裏口うらぐちへ出るでる所ところで消えきえてなくなるまでそこに立ったっていた。
それから格子こうしを開けあけた。
玄関げんかんへは安井やすい自身じしんが現れあらわれた。
座敷ざしきへ通っとおってしばらく話しはなしていたが、さっきの女おんなは全くまったく顔かおを出さださなかった。
声こえも立てたてず、音おともさせなかった。
広いひろい家いえでないから、つい隣となりの部屋へやぐらいにいたのだろうけれども、いないのとまるで違わちがわなかった。
この影かげのように静かしずかな女おんなが御ご米べいであった。
安井やすいは郷里きょうりの事こと、東京とうきょうの事こと、学校がっこうの講義こうぎの事こと、何くれなにくれとなく話しはなした。
けれども、御ご米べいの事ことについては一言ひとことも口くちにしなかった。
宗助そうすけも聞くきく勇気ゆうきに乏しかっとぼしかった。
その日ひはそれなり別れわかれた。
次の日つぎのひ二人ふたりが顔かおを合しごうしたとき、宗助そうすけはやはり女おんなの事ことを胸むねの中なかに記憶きおくしていたが、口くちへ出しだしては一言ひとことも語らかたらなかった。
安井やすいも何気なんげない風かぜをしていた。
懇意こんいな若いわかい青年せいねんが心こころ易えき立たてに話し合うはなしあう遠慮えんりょのない題目だいもくは、これまで二人ふたりの間まに何度なんどとなく交換こうかんされたにもかかわらず、安井やすいはここへ来きて、息いき詰っなじったごとくに見えみえた。
宗助そうすけもそこを無理むりにこじ開けるこじあけるほどの強いつよい好奇心こうきしんは有ゆうたなかった。
したがって女おんなは二人ふたりの意識いしきの間まに挟まりはさまりながら、つい話頭わとうに上らのぼらないで、また一いち週間しゅうかんばかり過ぎすぎた。
その日曜にちように彼かれはまた安井やすいを訪うおとなうた。
それは二人ふたりの関係かんけいしている或ある会かいについて用事ようじが起っおこったためで、女おんなとは全くまったく縁故えんこのない動機どうきから出でた淡泊たんぱくな訪問ほうもんであった。
けれども座敷ざしきへ上がっあがって、同じおなじ所ところへ坐らすわらせられて、垣根かきねに沿うそうた小さなちいさな梅うめの木きを見るみると、この前まえ来きた時じの事ことが明らかあきらかに思い出さおもいだされた。
その日ひも座敷ざしきの外そとは、しんとして静せいであった。
宗助そうすけはその静かしずかなうちに忍んしのんでいる若いわかい女おんなの影かげを想像そうぞうしない訳わけに行かいかなかった。
同時どうじにその若いわかい女おんなはこの前まえと同じおなじように、けっして自分じぶんの前まえに出でて来るくる気遣きづかいはあるまいと信じしんじていた。
この予期よきの下したに、宗助そうすけは突然とつぜん御ご米べいに紹介しょうかいされたのである。
その時じ御ご米べいはこの間まのように粗いあらい浴衣ゆかたを着きてはいなかった。
これからよそへ行くいくか、または今いま外そとから帰っかえって来きたと云ういう風かぜな粧しょうをして、次の間つぎのまから出でて来きた。
宗助そうすけにはそれが意外いがいであった。
しかし大したたいした綺羅きらを着飾っきかざった訳わけでもないので、衣服いふくの色いろも、帯おびの光ひかりも、それほど彼かれを驚かすおどろかすまでには至らいたらなかった。
その上うえ御ご米べいは若いわかい女おんなにありがちの嬌羞きょうしゅうというものを、初対面はつたいめんの宗助そうすけに向っむかって、あまり多くおおく表わさあらわさなかった。
ただ普通ふつうの人間にんげんを静せいにして言葉ことば寡やもめなに切りつめきりつめただけに見えみえた。
人ひとの前まえへ出でても、隣となりの室むろに忍んしのんでいる時じと、あまり区別くべつのないほど落ちついおちついた女おんなだという事ことを見出しみだした宗助そうすけは、それから推しおして、御ご米べいのひっそりしていたのは、穴あな勝かち恥かしはずかしがって、人ひとの前まえへ出るでるのを避けるさけるためばかりでもなかったんだと思っおもった。
安井やすいは御ご米べいを紹介しょうかいする時じ、「これは僕ぼくの妹いもうとだ」という言葉ことばを用いもちいた。
宗助そうすけは四五しご分ぶん対坐たいざして、少しすこし談話だんわを取りとり換かえわしているうちに、御ご米べいの口調くちょうのどこにも、国訛くになまりらしい音おとの交っかっていない事ことに気きがついた。
「今までいままで御国おくにの方ほうに」と聞いきいたら、御ご米べいが返事へんじをする前まえに安井やすいが、「いや横浜よこはまに長くながく」と答えこたえた。
その日ひは二人ふたりして町まちへ買物かいものに出ようでようと云ういうので、御ご米べいは不断ふだん着きを脱ぎぬぎ更さらえて、暑いあついところをわざわざ新らしいあたらしい白足袋しろたびまで穿いはいたものと知れしれた。
宗助そうすけはせっかくの出がけでがけを喰いくい留めとめて、邪魔じゃまでもしたように気の毒きのどくな思おもうをした。
「なに宅たくを持ちもち立てたてだものだから、毎日まいにち毎日まいにち要るいるものを新らしくあたらしく発見はっけんするんで、一いち週しゅうに一二いちに返かえしは是非ぜひ都とまで買い出しかいだしに行かいかなければならない」と云いいいながら安井やすいは笑っわらった。
「途とまでいっしょに出掛けでかけよう」と宗助そうすけはすぐ立ち上がったちあがった。
ついでに家いえの様子ようすを見みてくれと安井やすいの云ういうに任せまかせた。
宗助そうすけは次の間つぎのまにある亜鉛あえんの落しおとしのついた四角しかくな火鉢ひばちや、黄きな安っぽいやすっぽい色いろをした真鍮しんちゅうの薬鑵やかんや、古びふるびた流しながしの傍そばに置かおかれた新らしあたらし過ぎるすぎる手桶ておけを眺めながめて、門もんへ出でた。
安井やすいは門口かどぐちへ錠じょうをおろして、鍵かぎを裏うらの家いえへ預けるあずけるとか云っいって、走そうけて行っいった。
宗助そうすけと御ご米べいは待っまっている間ま、二言にごん、三さん言げん、尋常じんじょうな口くちを利いきいた。
宗助そうすけはこの三四さんよん分間ぶんけんに取りとり換かえわした互たがいの言葉ことばを、いまだに覚えおぼえていた。
それはただの男おとこがただの女おんなに対したいして人間にんげんたる親みしんみを表わすあらわすために、やりとりする簡略かんりゃくな言葉ことばに過ぎすぎなかった。
形容けいようすれば水みずのように浅くあさく淡いあわいものであった。
彼かれは今日きょうまで路傍ろぼう道みち上うえにおいて、何なんかの折おりに触れふれて、知らしらない人ひとを相手あいてに、これほどの挨拶あいさつをどのくらい繰り返しくりかえして来きたか分らわからなかった。
宗助そうすけは極めてきわめて短かいみじかいその時じの談話だんわを、一々いちいち思い浮べるおもいうかべるたびに、その一々いちいちが、ほとんど無む着色ちゃくしょくと云っいっていいほどに、平淡へいたんであった事ことを認めみとめた。
そうして、かく透明とうめいな声こえが、二人ふたりの未来みらいを、どうしてああ真赤まっかに、塗りつけぬりつけたかを不思議ふしぎに思っおもった。
今いまでは赤いあかい色いろが日ひを経きょうて昔むかしの鮮かあざやかさを失っうしなっていた。
互たがいを焚きたき焦がしこがした※は、自然しぜんと変色へんしょくして黒くくろくなっていた。
二人ふたりの生活せいかつはかようにして暗いくらい中なかに沈んしずんでいた。
宗助そうすけは過去かこを振り向いふりむいて、事ことの成行なりゆきを逆ぎゃくに眺め返しながめかえしては、この淡泊たんぱくな挨拶あいさつが、いかに自分じぶんらの歴史れきしを濃くこく彩っあやったかを、胸むねの中なかであくまで味わいあじわいつつ、平凡へいぼんな出来事できごとを重大じゅうだいに変化へんかさせる運命うんめいの力ちからを恐ろしおそろしがった。
宗助そうすけは二人ふたりで門もんの前まえに佇んたたずんでいる時じ、彼かれらの影かげが折れ曲っおれまがって、半分はんぶんばかり土塀どべいに映っうつったのを記憶きおくしていた。
御ご米べいの影かげが蝙蝠傘こうもりがさで遮ぎらさえぎられて、頭あたまの代りかわりに不規則ふきそくな傘かさの形かたちが壁かべに落ちおちたのを記憶きおくしていた。
少しすこし傾けいむきかけた初秋しょしゅうの日ひが、じりじり二人ふたりを照り付けてりつけたのを記憶きおくしていた。
御ご米べいは傘かさを差しさしたまま、それほど涼しくすずしくもない柳やなぎの下したに寄っよった。
宗助そうすけは白いしろい筋すじを縁えんに取っとった紫むらさきの傘かさの色いろと、まだ褪めさめ切らきらない柳やなぎの葉はの色いろを、一歩いちほ遠退いとおのいて眺めながめ合わしあわした事ことを記憶きおくしていた。
今いま考えるかんがえるとすべてが明らかあきらかであった。
したがって何なんらの奇きもなかった。
二人ふたりは土塀どべいの影かげから再びふたたび現われあらわれた安井やすいを待ち合わしまちあわして、町まちの方ほうへ歩いあるいた。
歩くあるく時じ、男同志おとこどうしは肩かたを並べならべた。
御ご米べいは草履ぞうりを引いひいて後あとに落ちおちた。
話はなしも多くおおくは男おとこだけで受持っうけもった。
それも長くながくはなかった。
途中とちゅうまで来きて宗助そうすけは一人ひとり分れわかれて、自分じぶんの家いえへ帰っかえったからである。
けれども彼かれの頭あたまにはその日ひの印象いんしょうが長くながく残っのこっていた。
家いえへ帰っかえって、湯ゆに入っはいって、灯火とうかの前まえに坐っすわった後あとにも、折々おりおり色いろの着いついた平たいひらたい画がとして、安井やすいと御ご米べいの姿すがたが眼め先さきにちらついた。
それのみか床ゆかに入っはいってからは、妹いもうとだと云っいって紹介しょうかいされた御ご米べいが、果してはたして本当ほんとうの妹いもうとであろうかと考えかんがえ始めはじめた。
安井やすいに問いつめといつめない限りかぎり、この疑ぎの解決かいけつは容易よういでなかったけれども、臆断おくだんはすぐついた。
宗助そうすけはこの臆断おくだんを許すゆるすべき余地よちが、安井やすいと御ご米べいの間まに充分じゅうぶん存在そんざいし得るうるだろうぐらいに考えかんがえて、寝ねながらおかしく思っおもった。
しかもその臆断おくだんに、腹はらの中なかで※徊する事ことの馬鹿馬鹿しいばかばかしいのに気きがついて、消しけし忘れわすれた洋灯ようとうをようやくふっと吹き消しふきけした。
こう云ういう記憶きおくの、しだいに沈んしずんで痕迹こんせきもなくなるまで、御ご互たがいの顔かおを見みずに過すすごすほど、宗助そうすけと安井やすいとは疎遠そえんではなかった。
二人ふたりは毎日まいにち学校がっこうで出合うであうばかりでなく、依然いぜんとして夏休みなつやすみ前まえの通りとおり往来おうらいを続けつづけていた。
けれども宗助そうすけが行くいくたびに、御ご米べいは必ずかならず挨拶あいさつに出るでるとは限らかぎらなかった。
三さん返かえしに一いち返かえしぐらい、顔かおを見せみせないで、始はじめての時じのように、ひっそり隣りとなりの室むろに忍んしのんでいる事こともあった。
宗助そうすけは別べつにそれを気きにも留めとめなかった。
それにもかかわらず、二人ふたりはようやく接近せっきんした。
幾何きかならずして冗談じょうだんを云ういうほどの親みしんみができた。
そのうちまた秋あきが来きた。
去年きょねんと同じおなじ事情じじょうの下したに、京都きょうとの秋あきを繰り返すくりかえす興味きょうみに乏しかっとぼしかった宗助そうすけは、安井やすいと御ご米べいに誘わさそわれて茸狩たけがりに行っいった時じ、朗らかほがらかな空気くうきのうちにまた新らしいあたらしい香こうを見出しみだした。
紅葉こうようも三さん人ひとで観かんた。
嵯峨さがから山やまを抜けぬけて高雄たかおへ歩くあるく途中とちゅうで、御ご米べいは着物きものの裾すそを捲くまくって、長襦袢ながじゅばんだけを足袋たびの上うえまで牽いひいて、細いほそい傘かさを杖つえにした。
山やまの上うえから一いち町まちも下したに見えるみえる流れながれに日ひが射ししゃして、水みずの底そこが明らかあきらかに遠くとおくから透かさすかされた時じ、御ご米べいは「京都きょうとは好いよい所ところね」と云っいって二人ふたりを顧みかえりみた。
それをいっしょに眺めながめた宗助そうすけにも、京都きょうとは全くまったく好いよい所ところのように思わおもわれた。
こう揃っそろって外そとへ出でた事ことも珍らしくめずらしくはなかった。
家いえの中なかで顔かおを合わせるあわせる事ことはなおしばしばあった。
或ある時じ宗助そうすけが例れいのごとく安井やすいを尋ねたずねたら、安井やすいは留守るすで、御ご米べいばかり淋しいさびしい秋あきの中なかに取り残さとりのこされたように一人ひとり坐っすわっていた。
宗助そうすけは淋しいさびしいでしょうと云っいって、つい座敷ざしきに上り込んあがりこんで、一いちつ火鉢ひばちの両側りょうがわに手てを翳しかざしながら、思っおもったより長話ながばなしをして帰っかえった。
或ある時じ宗助そうすけがぽかんとして、下宿げしゅくの机つくえに倚りよりかかったまま、珍らしくめずらしく時間じかんの使い方つかいかたに困っこまっていると、ふと御ご米べいがやって来きた。
そこまで買物かいものに出でたから、ついでに寄っよったんだとか云っいって、宗助そうすけの薦めるすすめる通りとおり、茶ちゃを飲んのんだり菓子かしを食べたべたり、緩かんくり寛ろいくつろいだ話はなしをして帰っかえった。
こんな事ことが重なっかさなって行くいくうちに、木の葉このはがいつの間まにか落ちおちてしまった。
そうして高いたかい山やまの頂いただきが、ある朝あさ真白まっしろに見えみえた。
吹き曝しふきさらしの河原かわはらが白くしろくなって、橋はしを渡るわたる人ひとの影かげが細くほそく動いうごいた。
その年ねんの京都きょうとの冬ふゆは、音おとを立てたてずに肌はだを透すとおす陰かげ忍しのぶな質しつのものであった。
安井やすいはこの悪性あくせいの寒気かんきにあてられて、苛いむごいインフルエンザいんふるえんざに罹っかかった。
熱ねつが普通ふつうの風邪かぜよりもよほど高かったかかったので、始はじめは御ご米べいも驚ろいおどろいたが、それは一時いちじの事ことで、すぐ退いしりぞいたには退いしりぞいたから、これでもう全快ぜんかいと思うおもうと、いつまで立ったっても判然はんぜんしなかった。
安井やすいは黐もちのような熱ねつに絡みつかからみつかれて、毎日まいにちその差し引きさしひきに苦しんくるしんだ。
医者いしゃは少しすこし呼吸器こきゅうきを冒さおかされているようだからと云っいって、切にせつに転地てんちを勧めすすめた。
安井やすいは心こころならず押入おしいれの中なかの柳やなぎ行李こうりに麻縄あさなわを掛けかけた。
御ご米べいは手提てさげ鞄かばんに錠じょうをおろした。
宗助そうすけは二人ふたりを七なな条じょうまで見送っみおくって、汽車きしゃが出るでるまで室むろの中なかへ這入っはいって、わざと陽気ようきな話はなしをした。
プラットフォームぷらっとふぉーむへ下りくだりた時じ、窓まどの内うちから、「遊びあそびに来きたまえ」と安井やすいが云っいった。
「どうぞ是非ぜひ」と御ご米べいが言っいった。
汽車きしゃは血色けっしょくの好いよい宗助そうすけの前まえをそろそろ過ぎすぎて、たちまち神戸こうべの方ほうに向っむかって煙けむりを吐いはいた。
病人びょうにんは転地てんち先さきで年ねんを越しこした。
絵え端書はしがきは着いついた日ひから毎日まいにちのように寄こしよこした。
それにいつでも遊びあそびに来いこいと繰り返しくりかえして書いかいてない事ことはなかった。
御ご米べいの文字もじも一二いちに行こうずつは必ずかならず交っかっていた。
宗助そうすけは安井やすいと御ご米べいから届いとどいた絵え端書はしがきを別べつにして机つくえの上うえに重ねかさねて置いおいた。
外そとから帰るかえるとそれが直じか眼めに着いついた。
時々ときどきはそれを一いち枚ばいずつ順じゅんに読み直しよみなおしたり、見直しみなおしたりした。
しまいにもうすっかり癒っなおったから帰るかえる。
しかしせっかくここまで来きながら、ここで君きみの顔かおを見みないのは遺憾いかんだから、この手紙てがみが着きつきしだい、ちょっとでいいから来いこいという端書はしがきが来きた。
無事ぶじと退屈たいくつを忌むいむ宗助そうすけを動かすうごかすには、この十じゅう数すう言げんで充分じゅうぶんであった。
宗助そうすけは汽車きしゃを利用りようしてその夜よるのうちに安井やすいの宿やどに着いついた。
明るいあかるい灯火とうかの下したに三さん人ひとが待設けまちもうけた顔かおを合わしあわした時じ、宗助そうすけは何なんよりもまず病人びょうにんの色沢しきたくの回復かいふくして来きた事ことに気きがついた。
立つたつ前まえよりもかえって好いよいくらいに見えみえた。
安井やすい自身じしんもそんな心持こころもちがすると云っいって、わざわざ襯衣の袖そでを捲り上げまくりあげて、青筋あおすじの入っはいった腕うでを独どくで撫でなでていた。
御ご米べいも嬉しうれしそうに眼めを輝かしかがやかした。
宗助そうすけにはその活溌かっぱつな目め遣けんがことに珍らしくめずらしく受取れうけとれた。
今までいままで宗助そうすけの心こころに映じえいじた御ご米べいは、色いろと音おとの撩乱りょうらんする裏うらに立ったってさえ、極めてきわめて落ちついおちついていた。
そうしてその落ちつきおちつきの大部分だいぶぶんはやたらに動かさうごかさない眼めの働らきはたらきから来きたとしか思わおもわれなかった。
次の日つぎのひ三さん人ひとは表ひょうへ出でて遠くとおく濃いこい色いろを流すながす海うみを眺めながめた。
松まつの幹みきから脂あぶらの出るでる空気くうきを吸っすった。
冬ふゆの日ひは短いみじかい空そらを赤裸々せきららに横切っよこぎっておとなしく西にしへ落ちおちた。
落ちるおちる時じ、低いひくい雲くもを黄きに赤あかに竈へっついの火ひの色いろに染めそめて行っいった。
風かぜは夜よるに入っはいっても起らおこらなかった。
ただ時々ときどき松まつを鳴らしならして過ぎすぎた。
暖かいあたたかい好いよい日ひが宗助そうすけの泊っとまっている三さん日ひの間ま続いつづいた。
宗助そうすけはもっと遊んあそんで行きいきたいと云っいった。
御ご米べいはもっと遊んあそんで行きいきましょうと云っいった。
安井やすいは宗助そうすけが遊びあそびに来きたから好いよい天気てんきになったんだろうと云っいった。
三さん人ひとはまた行李こうりと鞄かばんを携えたずさえて京都きょうとへ帰っかえった。
冬ふゆは何事なにごともなく北風きたかぜを寒いさむい国くにへ吹きふきやった。
山やまの上うえを明らかあきらかにした斑ぶちな雪ゆきがしだいに落ちおちて、後あとから青いあおい色いろが一度いちどに芽めを吹いふいた。
宗助そうすけは当時とうじを憶い出すおもいだすたびに、自然しぜんの進行しんこうがそこではたりと留まっとまって、自分じぶんも御ご米べいもたちまち化石かせきしてしまったら、かえって苦くはなかったろうと思っおもった。
事ことは冬ふゆの下したから春はるが頭あたまを擡げるもたげる時分じぶんに始まっはじまって、散りちり尽しつくした桜さくらの花はなが若葉わかばに色いろを易えるかえる頃ころに終っおわった。
すべてが生死せいしの戦いくさであった。
青竹あおたけを炙っあぶって油あぶらを絞るしぼるほどの苦しみくるしみであった。
大風おおふうは突然とつぜん不用意ふよういの二人ふたりを吹き倒しふきたおしたのである。
二人ふたりが起き上がっおきあがった時じはどこもかしこもすでに砂すなだらけであったのである。
彼かれらは砂すなだらけになった自分じぶん達とおるを認めみとめた。
けれどもいつ吹き倒さふきたおされたかを知らしらなかった。
世間せけんは容赦ようしゃなく彼かれらに徳義とくぎ上うえの罪つみを背負せおいした。
しかし彼かれら自身じしんは徳義とくぎ上うえの良心りょうしんに責めせめられる前まえに、いったん茫然ぼうぜんとして、彼かれらの頭あたまが確かくであるかを疑っうたがった。
彼かれらは彼かれらの眼めに、不徳義ふとくぎな男女だんじょとして恥ずはずべく映るうつる前まえに、すでに不合理ふごうりな男女だんじょとして、不可思議ふかしぎに映っうつったのである。
そこに言訳いいわけらしい言訳いいわけが何になんにもなかった。
だからそこに云ういうに忍びしのびない苦痛くつうがあった。
彼かれらは残酷ざんこくな運命うんめいが気き紛ふんに罪つみもない二人ふたりの不意ふいを打っうって、面白おもしろ半分はんぶん穽わなの中なかに突き落しつきおとしたのを無念むねんに思っおもった。
曝露ばくろの日ひがまともに彼かれらの眉間みけんを射いたとき、彼かれらはすでに徳義とくぎ的まとに痙攣けいれんの苦痛くつうを乗り切っのりきっていた。
彼かれらは蒼白いあおじろい額がくを素直すなおに前まえに出しだして、そこに※に似にた烙印らくいんを受けうけた。
そうして無形むけいの鎖くさりで繋がつなぎがれたまま、手てを携えたずさえてどこまでも、いっしょに歩調ほちょうを共ともにしなければならない事ことを見出しみだした。
彼かれらは親おやを棄てすてた。
親類しんるいを棄てすてた。
友達ともだちを棄てすてた。
大きくおおきく云えいえば一般いっぱんの社会しゃかいを棄てすてた。
もしくはそれらから棄てすてられた。
学校がっこうからは無論むろん棄てすてられた。
ただ表ひょう向むかいだけはこちらから退学たいがくした事ことになって、形式けいしきの上うえに人間にんげんらしい迹を留めとめた。
これが宗助そうすけと御ご米べいの過去かこであった。
十五じゅうご
この過去かこを負わさおわされた二人ふたりは、広島ひろしまへ行っいっても苦しんくるしんだ。
福岡ふくおかへ行っいっても苦しんくるしんだ。
東京とうきょうへ出でて来きても、依然いぜんとして重いおもい荷にに抑えつけおさえつけられていた。
佐伯さえきの家いえとは親しいしたしい関係かんけいが結べむすべなくなった。
叔父おじは死んしんだ。
叔母おばと安之助やすのすけはまだ生きいきているが、生きいきている間まに打ち解けうちとけた交際こうさいはできないほど、もう冷淡れいたんの日ひを重ねかさねてしまった。
今年ことしはまだ歳暮せいぼにも行かいかなかった。
向むかいからも来きなかった。
家いえに引取っひきとった小六しょうろくさえ腹はらの底そこでは兄あにに敬意けいいを払っはらっていなかった。
二人ふたりが東京とうきょうへ出たてでたてには、単純たんじゅんな小供こどもの頭あたまから、正直しょうじきに御ご米べいを悪んにくんでいた。
御ご米べいにも宗助そうすけにもそれがよく分っわかっていた。
夫婦ふうふは日ひの前まえに笑みえみ、月つきの前まえに考えかんがえて、静かしずかな年ねんを送り迎えおくりむかえた。
今年ことしももう尽きるつきる間際まぎわまで来きた。
通町とおりちょうでは暮くれの内うちから門並かどなみ揃の注連飾しめかざりをした。
往来おうらいの左右さゆうに何十なんじゅう本ほんとなく並んならんだ、軒のきより高いたかい笹ささが、ことごとく寒いさむい風かぜに吹かふかれて、さらさらと鳴っなった。
宗助そうすけも二に尺さし余りあまりの細いほそい松まつを買っかって、門もんの柱はしらに釘くぎ付ふにした。
それから大きなおおきな赤いあかい橙だいだいを御供ごくの上うえに載せのせて、床の間とこのまに据えすえた。
床ゆかにはいかがわしい墨画ぼくがの梅うめが、蛤はまぐりの格好かっこうをした月つきを吐いはいてかかっていた。
宗助そうすけにはこの変へんな軸じくの前まえに、橙だいだいと御供ごくを置くおく意味いみが解らわからなかった。
「いったいこりゃ、どう云ういう了見りょうけんだね」と自分じぶんで飾りつけかざりつけた物ものを眺めながめながら、御ご米べいに聞いきいた。
御ご米べいにも毎年まいとしこうする意味いみはとんと解らわからなかった。
「知らしらないわ。ただそうしておけばいいのよ」と云っいって台所だいどころへ去っさった。
宗助そうすけは、「こうしておいて、つまり食うくうためか」と首くびを傾けかたむけて御供ごくの位置いちを直しなおした。
伸しん餅もちは夜業やぎょうに俎まないたを茶の間ちゃのままで持ち出しもちだして、みんなで切っきった。
庖丁ほうちょうが足りたりないので、宗助そうすけは始はじめからしまいまで手てを出さださなかった。
力ちからのあるだけに小六しょうろくが一番いちばん多くおおく切っきった。
その代りかわり不同ふどうも一番いちばん多かっおおかった。
中なかには見かけみかけの悪いわるい形かたちのものも交っかった。
変へんなのができるたびに清きよしが声こえを出しだして笑っわらった。
小六しょうろくは庖丁ほうちょうの背せに濡布巾はばをあてがって、硬いかたい耳みみの所ところを断ち切りたちきりながら、「格好かっこうはどうでも、食いくいさいすればいいんだ」と、うんと力ちからを入れいれて耳みみまで赤くあかくした。
そのほかに迎年げいねんの支度したくとしては、小しょう殿原とのばらを熬っいって、煮染にしめを重詰じゅうづめにするくらいなものであった。
大晦日おおみそかの夜よるに入っはいって、宗助そうすけは挨拶あいさつかたがた屋や賃ちんを持っもって、坂井さかいの家いえに行っいった。
わざと遠慮えんりょして勝手口かってぐちへ回るまわると、摺すり硝子がらすへ明るいあかるい灯あかりが映っうつって、中なかはざわざわしていた。
上り框あがりかまちに帳面ちょうづらを持っもって腰こしをかけた掛かかり取とりらしい小僧こぞうが、立ったって宗助そうすけに挨拶あいさつをした。
茶の間ちゃのまには主人しゅじんも細君さいくんもいた。
その片隅かたすみに印しるし袢天を着きた出入でいりのものらしいのが、下したを向いむかいて、小さいちいさい輪わ飾かざりをいくつも拵えこしらえていた。
傍そばに譲葉ゆずりはと裏白うらじろと半紙はんしと鋏はさみが置いおいてあった。
若いわかい下女げじょが細君さいくんの前まえに坐っすわって、釣銭つりせんらしい札さつと銀貨ぎんかを畳たたみに並べならべていた。
主人しゅじんは宗助そうすけを見みて、「いやどうも」と云っいった。
「押しつまっおしつまってさぞ御ご忙しいいそがしいでしょう。この通りとおりごたごたです。さあどうぞこちらへ。何なんですな、御ご互たがいに正月しょうがつにはもう飽きあきましたな。いくら面白いおもしろいものでも四十よんじゅう辺へん以上いじょう繰り返すくりかえすと厭いやになりますね」 主人しゅじんは年ねんの送迎そうげいに煩はんらわしいような事ことを云っいったが、その態度たいどにはどこと指しさしてくさくさしたところは認めみとめられなかった。
言葉ことば遣けんは活溌かっぱつであった。
顔かおはつやつやしていた。
晩食ばんしょくに傾けかたむけた酒さけの勢いきおいが、まだ頬ほおの上うえに差しさしているごとく思わおもわれた。
宗助そうすけは貰いもらい煙草たばこをして二三十にさんじゅう分ぶんばかり話しはなして帰っかえった。
家いえでは御ご米べいが清きよしを連れつれて湯ゆに行くいくとか云っいって、石鹸せっけん入いりを手拭てぬぐいに包んつつんで、留守るす居いを頼むたのむ夫おっとの帰を待ち受けまちうけていた。
「どうなすったの、随分ずいぶん長かっながかったわね」と云っいって時計とけいを眺めながめた。
時計とけいはもう十じゅう時じ近くちかくであった。
その上清かみきよしは湯ゆの戻りもどりに髪結かみゆいの所ところへ回っまわって頭あたまを拵えるこしらえるはずだそうであった。
閑静かんせいな宗助そうすけの活計かっけいも、大晦日おおみそかにはそれ相応そうおうの事件じけんが寄せよせて来きた。
「払はらいはもう皆みな済んすんだのかい」と宗助そうすけは立ちたちながら御ご米べいに聞いきいた。
御ご米べいはまだ薪屋たきぎやが一いち軒のき残っのこっていると答えこたえた。
「来きたら払っはらってちょうだい」と云っいって懐ふところの中なかから汚れよごれた男持おとこもちの紙入かみいれと、銀貨ぎんか入いりの蟇口がまぐちを出しだして、宗助そうすけに渡しわたした。
「小六しょうろくはどうした」と夫おっとはそれを受取うけとりながら云っいった。
「先刻せんこく大晦日おおみそかの夜よるの景色けしきを見みて来るくるって出でて行っいったのよ。随分ずいぶん御苦労ごくろうさまね。この寒いさむいのに」と云ういう御ご米べいの後あとに追いおいて、清きよしは大きなおおきな声こえを出しだして笑っわらった。
やがて、「御ご若いわかいから」と評しひょうしながら、勝手口かってぐちへ行っいって、御ご米べいの下駄げたを揃えそろえた。
「どこの夜景やけいを見るみる気きなんだ」「銀座ぎんざから日本橋にほんばし通つうのだって」 御ご米べいはその時じもう框かまちから下りかけおりかけていた。
すぐ腰障子こししょうじを開けるあける音おとがした。
宗助そうすけはその音おとを聞ききき送っおくって、たった一人ひとり火鉢ひばちの前まえに坐っすわって、灰はいになる炭すみの色いろを眺めながめていた。
彼かれの頭あたまには明日あすの日の丸ひのまるが映っうつった。
外そとを乗り回すのりまわす人ひとの絹きぬ帽子ぼうしの光ひかりが見えみえた。
洋よう剣けんの音おとだの、馬うまの嘶だの、遣けん羽子はごの声こえが聞えきこえた。
彼かれは今いまから数時間すうじかんの後あとまた年中ねんじゅう行事ぎょうじのうちで、もっとも人ひとの心こころを新しんにすべく仕組ましくまれた景物けいぶつに出逢わであわなければならなかった。
陽気ようきそうに見えるみえるもの、賑かにぎやかそうに見えるみえるものが、幾いく組くみとなく彼かれの心こころの前まえを通り過ぎとおりすぎたが、その中なかで彼かれの臂ひじを把わって、いっしょに引張っひっぱって行こういこうとするものは一いちつもなかった。
彼かれはただ饗宴きょうえんに招かまねかれない局外者きょくがいしゃとして、酔うよう事ことを禁じきんじられたごとくに、また酔うよう事ことを免かれまぬかれた人ひとであった。
彼かれは自分じぶんと御ご米べいの生命せいめいを、毎年まいとし平凡へいぼんな波瀾はらんのうちに送るおくる以上いじょうに、面前めんぜん大したたいした希望きぼうも持っもっていなかった。
こうして忙がしいいそがしい大晦日おおみそかに、一人ひとり家いえを守るまもる静かしずかさが、ちょうど彼かれの平生へいぜいの現実げんじつを代表だいひょうしていた。
御ご米べいは十じゅう時じ過すぎに帰っかえって来きた。
いつもより光沢こうたくの好いよい頬ほおを灯あかりに照らしてらして、湯ゆの温おんのまだ抜けぬけない襟えりを少しすこし開けるあけるように襦袢じゅばんを重ねかさねていた。
長いながい襟首えりくびがよく見えみえた。
「どうも込んこんで込んこんで、洗うあらう事ことも桶おけを取るとる事こともできないくらいなの」と始めはじめて緩くゆるくり息いきを吐いはいた。
清きよしの帰っかえったのは十一じゅういち時じ過すぎであった。
これも綺麗きれいな頭あたまを障子しょうじから出しだして、ただ今いま、どうも遅くおそくなりましたと挨拶あいさつをしたついでに、あれから二人ふたりとか三さん人ひととか待ちまち合しごうしたと云ういう話はなしをした。
ただ小六しょうろくだけは容易よういに帰らかえらなかった。
十二じゅうに時じを打っうったとき、宗助そうすけはもう寝ようねようと云いいい出しだした。
御ご米べいは今日きょうに限っかぎって、先さきへ寝るねるのも変へんなものだと思っおもって、できるだけ話はなしを繋いつないでいた。
小六しょうろくは幸みゆきにして間まもなく帰っかえった。
日本橋にほんばしから銀座ぎんざへ出でてそれから、水天宮すいてんぐうの方ほうへ廻っまわったところが、電車でんしゃが込んこんで何なん台だいも待ち合わしまちあわしたために遅くおそくなったという言訳いいわけをした。
白しろ牡丹ぼたんへ這入っはいって、景物けいぶつの金きん時計とけいでも取ろうとろうと思っおもったが、何なんも買うかうものがなかったので、仕方なししかたなしに鈴すずの着いついた御ご手玉てだまを一いち箱ばこ買っかって、そうして幾いく百ひゃくとなく器械きかいで吹き上げふきあげられる風船ふうせんを一いちつ攫んつかんだら、金きん時計とけいは当らあたらないで、こんなものがあたったと云っいって、袂たもとから倶楽部くらぶ洗あらい粉こなを一いち袋ふくろ出しだした。
それを御ご米べいの前まえに置いおいて、「姉さんあねさんに上げあげましょう」と云っいった。
それから鈴すずを着けつけた、梅うめの花はなの形かたちに縫っぬった御ご手玉てだまを宗助そうすけの前まえに置いおいて、「坂井さかいの御嬢ごじょうさんにでも御ご上げあげなさい」と云っいった。
事ことに乏しいとぼしい一いち小しょう家族かぞくの大晦日おおみそかは、それで終りおわりを告げつげた。
十六じゅうろく
正月しょうがつは二に日ひ目めの雪ゆきを率りつて注連飾しめかざりの都とを白くしろくした。
降りやんふりやんだ屋根やねの色いろがもとに復るもどる前まえ、夫婦ふうふは亜鉛あえん張ちょうの庇ひさしを滑り落ちるすべりおちる雪ゆきの音おとに幾いく遍へんか驚ろかさおどろかされた。
夜半やはんにはどさと云ういう響ひびきがことにはなはだしかった。
小路こうじの泥濘でいねいは雨上りあめあがりと違っちがって一いち日ひや二に日ひでは容易よういに乾かいぬいかなかった。
外そとから靴くつを汚しよごして帰っかえって来るくる宗助そうすけが、御ご米べいの顔かおを見るみるたびに、「こりゃいけない」と云いいいながら玄関げんかんへ上っのぼった。
その様子ようすがあたかも御ご米べいを路みちを悪くわるくした責任者せきにんしゃと見傚しみなしている風かぜに受取らうけとられるので、御ご米べいはしまいに、「どうも済みすみません。本当ほんとうに御ご気の毒きのどくさま」と云っいって笑いわらい出しだした。
宗助そうすけは別べつに返すかえすべき冗談じょうだんも有ゆうたなかった。
「御ご米べいここから出かけるでかけるには、どこへ行くいくにも足駄あしだを穿かはかなくっちゃならないように見えるみえるだろう。ところが下町したまちへ出るでると大おお違いだ。どの通つうもどの通つうもからからで、かえって埃ほこりが立つたつくらいだから、足駄あしだなんぞ穿いはいちゃきまりが悪くわるくって歩けあるけやしない。つまりこう云ういう所ところに住んすんでいる我々われわれは一いち世紀せいきがた後れるおくれる事ことになるんだね」 こんな事ことを口くちにする宗助そうすけは、別べつに不足ふそくらしい顔かおもしていなかった。
御ご米べいも夫おっとの鼻はなの穴あなを潜るもぐる煙草たばこの煙けむりを眺めるながめるくらいな気きで、それを聞いきいていた。
「坂井さかいさんへ行っいって、そう云っいっていらっしゃいな」と軽いかるい返事へんじをした。
「そうして屋や賃ちんでも負けまけて貰うもらう事ことにしよう」と答えこたえたまま、宗助そうすけはついに坂井さかいへは行かいかなかった。
その坂井さかいには元日がんじつの朝あさ早くはやく名刺めいしを投げ込んなげこんだだけで、わざと主人しゅじんの顔かおを見みずに門もんを出でたが、義理ぎりのある所ところを一いち日ひのうちにほぼ片づけかたづけて夕方ゆうがた帰っかえって見るみると、留守るすの間まに坂井さかいがちゃんと来きていたので恐縮きょうしゅくした。
二に日ひは雪ゆきが降っふっただけで何事なにごともなく過ぎすぎた。
三さん日ひ目めの日暮ひぐれに下女げじょが使しに来きて、御ご閑かんならば、旦那だんな様ようと奥おくさまと、それから若旦那わかだんな様ように是非ぜひ今晩こんばん御ご遊びあそびにいらっしゃるようにと云っいって帰っかえった。
「何なんをするんだろう」と宗助そうすけは疑ぐっうたぐった。
「きっと歌うた加留多かるたでしょう。小供こどもが多いおおいから」と御ご米べいが云っいった。
「あなた行っいっていらっしゃい」「せっかくだから御前ごぜん行くいくが好いよい。おれは歌留多かるたは久しくひさしく取らとらないから駄目だめだ」「私わたくしも久しくひさしく取らとらないから駄目だめですわ」 二人ふたりは容易よういに行こういこうとはしなかった。
しまいに、では若旦那わかだんながみんなを代表だいひょうして行くいくが宜かろうよかろうという事ことになった。
「若旦那わかだんな行っいって来いこい」と宗助そうすけが小六しょうろくに云っいった。
小六しょうろくは苦笑いにがわらいして立ったった。
夫婦ふうふは若旦那わかだんなと云ういう名なを小六しょうろくに冠らかぶらせる事ことを大変たいへんな滑稽こっけいのように感じかんじた。
若旦那わかだんなと呼ばよばれて、苦笑いにがわらいする小六しょうろくの顔かおを見るみると、等しくひとしく声こえを出しだして笑いわらい出しだした。
小六しょうろくは春はるらしい空気くうきの中なかから出でた。
そうして一いち町まちほどの寒ささむさを横切っよこぎって、また春はるらしい電灯でんとうの下したに坐っすわった。
その晩ばん小六しょうろくは大晦日おおみそかに買っかった梅の花うめのはなの御ご手玉てだまを袂たもとに入れいれて、これは兄あにから差上げさしあげますとわざわざ断っことわって、坂井さかいの御嬢ごじょうさんに贈物おくりものにした。
その代りかわり帰りかえりには、福引ふくびきに当っあたった小さなちいさな裸はだか人形にんぎょうを同じおなじ袂たもとへ入れいれて来きた。
その人形にんぎょうの額がくが少しすこし欠けかけて、そこだけ墨すみで塗っぬってあった。
小六しょうろくは真面目まじめな顔かおをして、これが袖そで萩はぎだそうですと云っいって、それを兄あに夫婦ふうふの前まえに置いおいた。
なぜ袖そで萩はぎだか夫婦ふうふには分らわからなかった。
小六しょうろくには無論むろん分らわからなかったのを、坂井さかいの奥さんおくさんが叮嚀ていねいに説明せつめいしてくれたそうであるが、それでも腑ふに落ちおちなかったので、主人しゅじんがわざわざ半切はんせつに洒落しゃれと本文ほんぶんを並べならべて書いかいて、帰っかえったらこれを兄さんあにさんと姉さんあねさんに御ご見せみせなさいと云っいって渡しわたしたとかいう話はなしであった。
小六しょうろくは袂たもとを探っさぐってその書付かきつけを取り出しとりだして見せみせた。
それに「此これ垣かき一いち重じゅうが黒鉄こくてつの」と認めみとめた後あとに括弧かっこをして、(此これ餓鬼がき額がくが黒くろ欠けつの)とつけ加えつけくわえてあったので、宗助そうすけと御ご米べいはまた春はるらしい笑わらいを洩らしもらした。
「随分ずいぶん念ねんの入っはいった趣向しゅこうだね。いったい誰だれの考かんがえだい」と兄あにが聞いきいた。
「誰だれですかな」と小六しょうろくはやっぱりつまらなそうな顔かおをして、人形にんぎょうをそこへ放り出しほうりだしたまま、自分じぶんの室むろに帰っかえった。
それから二三にさん日ひして、たしか七なな日ひの夕方ゆうがたに、また例れいの坂井さかいの下女げじょが来きて、もし御ご閑かんならどうぞ御ご話はなしにと、叮嚀ていねいに主人しゅじんの命いのちを伝えつたえた。
宗助そうすけと御ご米べいは洋灯ようとうを点けつけてちょうど晩食ばんしょくを始めはじめたところであった。
宗助そうすけはその時じ茶碗ちゃわんを持ちもちながら、「春はるもようやく一段落いちだんらくが着いついた」と語っごっていた。
そこへ清きよしが坂井さかいからの口上こうじょうを取り次いとりついだので、御ご米べいは夫おっとの顔かおを見みて微笑びしょうした。
宗助そうすけは茶碗ちゃわんを置いおいて、「まだ何なんか催おしもよおしがあるのかい」と少しすこし迷惑めいわくそうな眉まゆをした。
坂井さかいの下女げじょに聞いきいて見るみると、別べつに来客らいきゃくもなければ、何なんの支度したくもないという事ことであった。
その上うえ細君さいくんは子供こどもを連れつれて親類しんるいへ呼ばよばれて行っいって留守るすだという話はなしまでした。
「それじゃ行こういこう」と云っいって宗助そうすけは出掛けでかけた。
宗助そうすけは一般いっぱんの社交しゃこうを嫌っいやっていた。
やむを得とくなければ会合かいごうの席せきなどへ顔かおを出すだす男おとこでなかった。
個人こじんとしての朋友ほうゆうも多くおおくは求めもとめなかった。
訪問ほうもんはする暇ひまを有ゆうたなかった。
ただ坂井さかいだけは取とり除じょであった。
折々おりおりは用ようもないのにこっちからわざわざ出掛けでかけて行っいって、時じを潰しつぶして来るくる事ことさえあった。
その癖くせ坂井さかいは世の中よのなかでもっとも社交的しゃこうてきの人ひとであった。
この社交的しゃこうてきな坂井さかいと、孤独こどくな宗助そうすけが二人ふたり寄っよって話はなしができるのは、御ご米べいにさえ妙みょうに見えるみえる現象げんしょうであった。
坂井さかいは、「あっちへ行きいきましょう」と云っいって、茶の間ちゃのまを通り越しとおりこして、廊下ろうか伝いつたいに小さなちいさな書斎しょさいへ入っはいった。
そこには棕梠しゅろの筆ふでで書いかいたような、大きなおおきな硬いかたい字じが五字ごじばかり床の間とこのまにかかっていた。
棚たなの上うえに見事みごとな白いしろい牡丹ぼたんが活けいけてあった。
そのほか机つくえでも蒲団ふとんでもことごとく綺麗きれいであった。
坂井さかいは始めはじめ暗いくらい入口いりぐちに立ったって、「さあどうぞ」と云いいいながら、どこかぴちりと捩っもじって、電気灯でんきとうを点けつけた。
それから、「ちょっと待ちまちたまえ」と云っいって、燐寸まっちで瓦斯がす煖炉だんろを焚いたいた。
瓦斯がす煖炉だんろは室むろに比例ひれいしたごく小さいちいさいものであった。
坂井さかいはしかる後あと蒲団ふとんを薦めすすめた。
「これが僕ぼくの洞窟どうくつで、面倒めんどうになるとここへ避難ひなんするんです」 宗助そうすけも厚いあつい綿めんの上うえで、一種いっしゅの静かしずかさを感じかんじた。
瓦斯がすの燃えるもえる音おとが微かかすかにしてしだいに背中せなかからほかほか煖まって来きた。
「ここにいると、もうどことも交渉こうしょうはない。全くまったく気楽きらくです。悠ゆうくりしていらっしゃい。実際じっさい正月しょうがつと云ういうものは予想外よそうがいに煩瑣いうるさいものですね。私わたくしも昨日きのうまででほとんどへとへとに降参こうさんさせられました。新年しんねんが停滞ていたいているのは実じつに苦しいくるしいですよ。それで今日きょうの午うまから、とうとう塵世じんせいを遠ざけとおざけて、病気びょうきになってぐっと寝込んねこんじまいました。今しがたいましがた眼めを覚ましさまして、湯ゆに入っはいって、それから飯めしを食っしょくって、煙草たばこを呑んのんで、気きがついて見るみると、家内かないが子供こどもを連れつれて親類しんるいへ行っいって留守るすなんでしょう。なるほど静かしずかなはずだと思いおもいましてね。すると今度こんどは急きゅうに退屈たいくつになったのです。人間にんげんも随分ずいぶんわがままなものですよ。しかしいくら退屈たいくつだって、この上うえおめでたいものを、見みたり聞いきいたりしちゃ骨ほねが折れおれますし、また御ご正月しょうがつらしいものを呑んのんだり食っしょくったりするのも恐れおそれますから、それで、御ご正月しょうがつらしくない、と云ういうと失礼しつれいだが、まあ世の中よのなかとあまり縁えんのないあなた、と云っいってもまだ失敬しっけいかも知れしれないが、つまり一口ひとくちに云ういうと、超然ちょうぜん派はの一人ひとりと話しはなしがして見みたくなったんで、それでわざわざ使しを上げあげたような訳わけなんです」と坂井さかいは例れいの調子ちょうしで、ことごとくすらすらしたものであった。
宗助そうすけはこの楽天家らくてんかの前まえでは、よく自分じぶんの過去かこを忘れるわすれる事ことがあった。
そうして時じによると、自分じぶんがもし順当じゅんとうに発展はってんして来きたら、こんな人物じんぶつになりはしなかったろうかと考えかんがえた。
そこへ下女げじょが三さん尺さしの狭いせまい入口いりぐちを開けあけて這入っはいって来きたが、改あらためためて宗助そうすけに鄭重ていちょうな御辞儀ごじぎをした上うえ、木皿きさらのような菓子皿かしさらのようなものを、一いちつ前まえに置いおいた。
それから同じおなじ物ものをもう一いちつ主人しゅじんの前まえに置いおいて、一口ひとくちもものを云わいわずに退がっさがった。
木皿きさらの上うえには護謨ごむ毬かさほどな大きなおおきな田舎いなか饅頭まんじゅうが一いちつ載せのせてあった。
それに普通ふつうの倍ばい以上いじょうもあろうと思わおもわれる楊枝ようじが添えそえてあった。
「どうです暖かいあたたかい内うちに」と主人しゅじんが云っいったので、宗助そうすけは始めはじめてこの饅頭まんじゅうの蒸しむして間まもない新らしあたらしさに気きがついた。
珍らしめずらしそうに黄色いきいろい皮かわを眺めながめた。
「いやできたてじゃありません」と主人しゅじんがまた云っいった。
「実じつは昨夜さくやある所ところへ行っいって、冗談じょうだん半分はんぶんに賞めほめたら、御ご土産みやげに持っもっていらっしゃいと云ういうから貰っもらって来きたんです。その時じは全くまったく暖だんたかだったんですがね。これは今いま上げようあげようと思っおもって蒸し返さむしかえさしたのです」 主人しゅじんは箸はしとも楊枝ようじとも片かたのつかないもので、無む雑作ぞうさに饅頭まんじゅうを割っわりって、むしゃむしゃ食いくい始めはじめた。
宗助そうすけも顰ひそみに傚っならった。
その間まに主人しゅじんは昨夕さくゆう行っいった料理屋りょうりやで逢っあったとか云っいって妙みょうな芸者げいしゃの話はなしをした。
この芸者げいしゃはポッケットぽっけっと論語ろんごが好きすきで、汽車きしゃへ乗っのったり遊びあそびに行っいったりするときは、いつでもそれを懐ふところにして出るでるそうであった。
「それでね孔子こうしの門人もんじんのうちで、子路しろが一番いちばん好よしみだって云ういうんですがね。そのいわれを聞くきくと、子路しろと云ういう男おとこは、一いちつ何なんか教わっおそわって、それをまだ行わおこなわないうちに、また新らしいあたらしい事ことを聞くきくと苦くにするほど正直しょうじきだからだって云ういうんです。実じつのところ私わたくしも子路しろはあまりよく知らしらないから困っこまったが、何しろなにしろ一人ひとり好いよい人ひとができて、それと夫婦ふうふにならない前まえに、また新らしくあたらしく好いよい人ひとができると苦くになるようなものじゃないかって、聞いきいて見みたんです……」 主人しゅじんはこんな事ことをはなはだ気楽きらくそうに述べ立てのべたてた。
その話はなしの様子ようすからして考えるかんがえると、彼かれはのべつにこういう場所ばしょに出入でいりして、その刺戟しげきにはとうに麻痺まひしながら、因習いんしゅうの結果けっか、依然いぜんとして月つきに何度なんどとなく同じおなじ事ことを繰り返しくりかえしているらしかった。
よく聞き糺しききただして見るみると、しかく平気へいきな男おとこも、時々ときどきは歓楽かんらくの飽満ほうまんに疲労ひろうして、書斎しょさいのなかで精神せいしんを休めるやすめる必要ひつようが起るおこるのだそうであった。
宗助そうすけはそういう方面ほうめんにまるで経験けいけんのない男おとこではなかったので、強いてしいて興味きょうみを装うよそおう必要ひつようもなく、ただ尋常じんじょうな挨拶あいさつをするところが、かえって主人しゅじんの気きに入るはいるらしかった。
彼かれは平凡へいぼんな宗助そうすけの言葉ことばのなかから、一種いっしゅ異彩いさいのある過去かこを覗くのぞくような素もと振ぶりを見せみせた。
しかしそちらへは宗助そうすけが進みすすみたがらない痕迹こんせきが少しすこしでも出るでると、すぐ話はなしを転じてんじた。
それは政略せいりゃくよりもむしろ礼譲れいじょうからであった。
したがって宗助そうすけには毫もごうも不愉快ふゆかいを与えあたえなかった。
そのうち小六しょうろくの噂うわさが出でた。
主人しゅじんはこの青年せいねんについて、肉にく身みの兄あにが見逃すみのがすような新らしいあたらしい観察かんさつを、二三にさん有っあっていた。
宗助そうすけは主人しゅじんの評語ひょうごを、当るあたると当らあたらないとに論ろんなく、面白くおもしろく聞いきいた。
そのなかに、彼かれは年ねんに合わしあわしては複雑ふくざつな実用じつように適してきしない頭あたまを有っあっていながら、年ねんよりも若いわかい単純たんじゅんな性情せいじょうを平気へいきで露わあらわす子供こどもじゃないかという質問しつもんがあった。
宗助そうすけはすぐそれを首くび肯っうけがった。
しかし学校教育がっこうきょういくだけで社会しゃかい教育きょういくのないものは、いくら年ねんを取っとってもその傾がかしがあるだろうと答えこたえた。
「さよう、それと反対はんたいで、社会しゃかい教育きょういくだけあって学校教育がっこうきょういくのないものは、随分ずいぶん複雑ふくざつな性情せいじょうを発揮はっきする代りかわりに、頭あたまはいつまでも小供こどもですからね。かえって始末しまつが悪いわるいかも知れしれない」 主人しゅじんはここでちょっと笑っわらったが、やがて、「どうです、私わたくしの所ところへ書生しょせいに寄こしよこしちゃ、少しすこしは社会しゃかい教育きょういくになるかも知れしれない」と云っいった。
主人しゅじんの書生しょせいは彼かれの犬いぬが病気びょうきで病院びょういんへ這入るはいる一いちカ月かげつ前まえとかに、徴兵ちょうへい検査けんさに合格ごうかくして入営にゅうえいしたぎり今いまでは一人ひとりもいないのだそうであった。
宗助そうすけは小六しょうろくの所ところ置おけをつける好機会こうきかいが、求めもとめざるに先だっさきだって、春はると共ともに自からみずから回っまわって来きたのを喜こんよろこんだ。
同時どうじに、今までいままで世間せけんに向っむかって、積極的せっきょくてきに好意こういと親切しんせつを要求ようきゅうする勇気ゆうきを有ゆうたなかった彼かれは、突然とつぜんこの主人しゅじんの申し出もうしでに逢っあって少しすこしまごつくくらい驚ろいおどろいた。
けれどもできるならなりたけ早くはやく弟おとうとを坂井さかいに預けあずけて置いおいて、この変動へんどうから出るでる自分じぶんの余裕よゆうに、幾分いくぶんか安之助やすのすけの補助ほじょを足したして、そうして本人ほんにんの希望きぼう通りとおり、高等こうとうの教育きょういくを受けうけさしてやろうという分別ぶんべつをした。
そこで打ち明けうちあけた話はなしを腹蔵ふくぞうなく主人しゅじんにすると、主人しゅじんはなるほどなるほどと聞いきいているだけであったが、しまいに雑作ぞうさなく、「そいつは好いよいでしょう」と云っいったので、相談そうだんはほぼその座ざで纏まっまとまった。
宗助そうすけはそこで辞しじして帰れかえればよかったのである。
また辞しじして帰ろうかえろうとしたのである。
ところが主人しゅじんからまあ緩くゆるくりなさいと云っいって留めとめられた。
主人しゅじんは夜よるは長いながい、まだ宵よいだと云っいって時計とけいまで出しだして見せみせた。
実際じっさい彼かれは退屈たいくつらしかった。
宗助そうすけも帰れかえればただ寝るねるよりほかに用ようのない身体しんたいなので、ついまた尻しりを据えすえて、濃いこい煙草たばこを新らしくあたらしく吹かしふかし始めはじめた。
しまいには主人しゅじんの例れいに傚っならって、柔らかいやわらかい座蒲団ざふとんの上うえで膝ひざさえ崩しくずした。
主人しゅじんは小六しょうろくの事ことに関聯かんれんして、「いや弟おとうとなどを有っあっていると、随分ずいぶん厄介やっかいなものですよ。私わたくしも一人ひとりやくざなのを世話せわをした覚さとしがありますがね」と云っいって、自分じぶんの弟おとうとが大学だいがくにいるとき金きんのかかった事ことなどを、自分じぶんが学生時代がくせいじだいの質朴しつぼくさに比べくらべていろいろ話しはなした。
宗助そうすけはこの派出はしゅつ好よしみな弟おとうとが、その後そのあとどんな径路けいろを取っとって、どう発展はってんしたかを、気味きみの悪いわるい運命うんめいの意思いしを窺ううかがう一端いっぱしとして、主人しゅじんに聞いきいて見みた。
主人しゅじんは卒然そつぜん「冒険者ぼうけんしゃ」と、頭あたまも尾おもない一いち句くを投げるなげるように吐いはいた。
この弟おとうとは卒業後そつぎょうご主人しゅじんの紹介しょうかいで、ある銀行ぎんこうに這入っはいったが、何なんでも金きんを儲けもうけなくっちゃいけないと口癖くちぐせのように云っいっていたそうで、日露にちろ戦争せんそう後あと間まもなく、主人しゅじんの留めるとめるのも聞かきかずに、大いにおおいに発展はってんして見みたいとかとなえてついに満洲まんしゅうへ渡っわたったのだと云ういう。
そこで何なんを始めるはじめるかと思うおもうと、遼河りょうがを利用りようして、豆粕まめかす大豆だいずを船ふねで下すくだす、大おお仕掛しかけな運送業うんそうぎょうを経営けいえいして、たちまち失敗しっぱいしてしまったのだそうである。
元よりもとより当人とうにんは、資本しほん主ぬしではなかったのだけれども、いよいよという暁あかつきに、勘定かんじょうして見るみると大きなおおきな欠損けっそんと事ことがきまったので、無論むろん事業じぎょうは継続けいぞくする訳わけに行かいかず、当人とうにんは必然ひつぜんの結果けっか、地位ちいを失っうしなったぎりになった。
「それから後あと私わたくしもどうしたかよく知らしらなかったんですが、その後そのあとようやく聞いきいて見るみると、驚ろきおどろきましたね。蒙古もうこへ這入っはいって漂浪ひょうろういているんです。どこまで山気やまきがあるんだか分らわからないんで、私わたくしも少々しょうしょう剣呑けんのんになってるんですよ。それでも離れはなれているうちは、まあどうかしているだろうぐらいに思っおもって放っはなっておきます。時たまときたま音便おんびんがあったって、蒙古もうこという所ところは、水みずに乏しいとぼしい所ところで、暑いあつい時じには往来おうらいへ泥溝どろどぶの水みずを撒くまくとかね、またはその泥溝どろどぶの水みずが無くなるなくなると、今度こんどは馬うまの小便しょうべんを撒くまくとか、したがってはなはだ臭いくさいとか、まあそんな手紙てがみが来るくるだけですから、――そりゃあ金きんの事ことも云っいって来きますが、なに東京とうきょうと蒙古もうこだから打だ遣っつかっておけばそれまでです。だから離れはなれてさえいれば、まあいいんですが、そいつが去年きょねんの暮くれ突然とつぜん出でて来きましてね」 主人しゅじんは思いついおもいついたように、床ゆかの柱はしらにかけた、綺麗きれいな房ぼうのついた一種いっしゅの装飾そうしょく物ものを取りおろしとりおろした。
それは錦にしきの袋ふくろに這入っはいった一いち尺さしばかりの刀かたなであった。
鞘さやは何なんとも知れしれぬ緑色みどりいろの雲母うんものようなものでできていて、その所々ところどころが三さんカ所かしょほど巻いまいてあった。
中身なかみは六ろく寸すんぐらいしかなかった。
したがって刃はも薄かっうすかった。
けれども鞘さやの格好かっこうはあたかも六角ろっかくの樫かしの棒ぼうのように厚かっあつかった。
よく見るみると、柄がらの後あとに細いほそい棒ぼうが二に本ほん並んならんで差ささっていた。
結果けっかは鞘さやを重ねかさねて離れはなれないために銀ぎんの鉢巻はちまきをしたと同じおなじであった。
主人しゅじんは「土産みやげにこんなものを持っもって来きました。蒙古もうこ刀かたなだそうです」と云いいいながら、すぐ抜いぬいて見せみせた。
後あとに差しさしてあった象牙ぞうげのような棒ぼうも二に本ほん抜いぬいて見せみせた。
「こりゃ箸はしですよ。蒙古もうこ人ひとは始終しじゅうこれを腰こしへぶら下げぶらさげていて、いざ御馳走ごちそうという段だんになると、この刀かたなを抜いぬいて肉にくを切っきって、そうしてこの箸はしで傍そばから食うくうんだそうです」 主人しゅじんはことさらに刀かたなと箸はしを両手りょうてに持っもって、切っきったり食っしょくったりする真似まねをして見せみせた。
宗助そうすけはひたすらにその精巧せいこうな作りつくりを眺めながめた。
「まだ蒙古もうこ人ひとの天幕てんまくに使うつかうフェルトふぇるとも貰いもらいましたが、まあ昔むかしの毛氈もうせんと変っかわったところもありませんね」 主人しゅじんは蒙古もうこ人ひとの上手じょうずに馬うまを扱うあつかう事ことや、蒙古もうこ犬いぬの瘠せやせて細長くほそながくて、西洋せいようのグレーぐれー・ハウンドはうんどに似にている事ことや、彼かれらが支那しな人ひとのためにだんだん押しおし狭めせばめられて行くいく事ことや、――すべて近頃ちかごろあっちから帰っかえったという弟おとうとに聞いきいたままを宗助そうすけに話しはなした。
宗助そうすけはまた自分じぶんのいまだかつて耳みみにした事ことのない話はなしだけに、一々いちいち少なからすくなからぬ興味きょうみを有っあってそれを聞いきいて行っいった。
そのうちに、元来がんらいこの弟おとうとは蒙古もうこで何なんをしているのだろうという好奇心こうきしんが出でた。
そこでちょっと主人しゅじんに尋ねたずねて見るみると、主人しゅじんは、「冒険者ぼうけんしゃ」と再びふたたび先刻せんこくの言葉ことばを力強くちからづよく繰り返しくりかえした。
「何なんをしているか分らわからない。私わたくしには、牧畜ぼくちくをやっています。しかも成功せいこうしていますと云ういうんですがね、いっこう当とうにはなりません。今までいままでもよく法螺ほらを吹いふいて私わたくしを欺しだましたもんです。それに今度こんど東京とうきょうへ出でて来きた用事ようじと云ういうのがよっぽど妙みょうです。何なんとか云ういう蒙古もうこ王おうのために、金きんを二万にまん円えんばかり借りかりたい。もし借かりしてやらないと自分じぶんの信用しんように関わるかかわるって奔走ほんそうしているんですからね。そのとっぱじめに捕まっつかまったのは私わたくしだが、いくら蒙古もうこ王おうだって、いくら広いひろい土地とちを抵当ていとうにするったって、蒙古もうこと東京とうきょうじゃ催促さいそくさえできやしませんもの。で、私わたくしが断ることわると、蔭かげへ廻っまわって妻つまに、兄さんあにさんはあれだから大きなおおきな仕事しごとができっこないって、威張っいばっているんです。しようがない」 主人しゅじんはここで少しすこし笑っわらったが、妙みょうに緊張きんちょうした宗助そうすけの顔かおを見みて、「どうです一遍いちぺん逢っあって御覧ごらんになっちゃ、わざわざ毛皮けがわの着いついただぶだぶしたものなんか着きて、ちょっと面白いおもしろいですよ。何なんなら御ご紹介しょうかいしましょう。ちょうど明後日みょうごにちの晩ばん呼んよんで飯めしを食わくわせる事ことになっているから。――なに引っ掛っひっかかっちゃいけませんがね。黙っだまって向むかいに喋舌らしゃべらして、聞いきいている分ぶんには、少しすこしも危険きけんはありません。ただ面白いおもしろいだけです」としきりに勧めすすめ出しだした。
宗助そうすけは多少たしょう心こころを動かしうごかした。
「おいでになるのは御ご令弟れいていだけですか」「いやほかに一人ひとり弟おとうとの友達ともだちで向むかいからいっしょに来きたものが、来るくるはずになっています。安井やすいとか云っいって私わたくしはまだ逢っあった事こともない男おとこですが、弟おとうとがしきりに私わたくしに紹介しょうかいしたがるから、実じつはそれで二人ふたりを呼ぶよぶ事ことにしたんです」 宗助そうすけはその夜よる蒼いあおい顔かおをして坂井さかいの門もんを出でた。
十七じゅうなな
宗助そうすけと御ご米べいの一生いっしょうを暗くくらく彩どっいろどった関係かんけいは、二人ふたりの影かげを薄くうすくして、幽霊ゆうれいのような思おもうをどこかに抱かかかえかしめた。
彼かれらは自己じこの心こころのある部分ぶぶんに、人ひとに見えみえない結核性けっかくせいの恐ろしいおそろしいものが潜んひそんでいるのを、仄かほのかに自覚じかくしながら、わざと知らしらぬ顔かおに互たがいと向き合っむきあって年ねんを過しすごした。
当初とうしょ彼かれらの頭脳ずのうに痛くいたく応えこたえたのは、彼かれらの過すぎが安井やすいの前途ぜんとに及ぼしおよぼした影響えいきょうであった。
二人ふたりの頭あたまの中なかで沸き返っわきかえった凄いすごい泡あわのようなものがようやく静まっしずまった時じ、二人ふたりは安井やすいもまた半途はんとで学校がっこうを退いしりぞいたという消息しょうそくを耳みみにした。
彼かれらは固よりもとより安井やすいの前途ぜんとを傷けきずつけた原因げんいんをなしたに違いなかった。
次つぎに安井やすいが郷里きょうりに帰っかえったという噂うわさを聞いきいた。
次つぎに病気びょうきに罹っかかって家いえに寝ねているという報知ほうちを得とくた。
二人ふたりはそれを聞くきくたびに重いおもい胸むねを痛めいためた。
最後さいごに安井やすいが満洲まんしゅうに行っいったと云ういう音信おんしんが来きた。
宗助そうすけは腹はらの中なかで、病気びょうきはもう癒っなおったのだろうかと思っおもった。
または満洲まんしゅう行こうの方ほうが嘘うそではなかろうかと考えかんがえた。
安井やすいは身体しんたいから云っいっても、性質せいしつから云っいっても、満洲まんしゅうや台湾たいわんに向くむく男おとこではなかったからである。
宗助そうすけはできるだけ手てを回しまわして、事ことの真しん疑ぎを探っさぐった。
そうして、或るある関係かんけいから、安井やすいがたしかに奉天ほうてんにいる事ことを確めたしかめ得とくた。
同時どうじに彼かれの健康けんこうで、活溌かっぱつで、多忙たぼうである事ことも確めたしかめ得とくた。
その時じ夫婦ふうふは顔かおを見合せみあわせて、ほっという息いきを吐いはいた。
「まあよかろう」と宗助そうすけが云っいった。
「病気びょうきよりはね」と御ご米べいが云っいった。
二人ふたりはそれから以後いご安井やすいの名なを口くちにするのを避けさけた。
考え出すかんがえだす事ことさえもあえてしなかった。
彼かれらは安井やすいを半途はんとで退学たいがくさせ、郷里きょうりへ帰らかえらせ、病気びょうきに罹らかからせ、もしくは満洲まんしゅうへ駆りかりやった罪つみに対したいして、いかに悔恨かいこんの苦しみくるしみを重ねかさねても、どうする事こともできない地位ちいに立ったっていたからである。
「御ご米べい、御前ごぜん信仰しんこうの心こころが起っおこった事ことがあるかい」と或ある時じ宗助そうすけが御ご米べいに聞いきいた。
御ご米べいは、ただ、「あるわ」と答えこたえただけで、すぐ「あなたは」と聞き返しききかえした。
宗助そうすけは薄笑いうすわらいをしたぎり、何なんとも答えこたえなかった。
その代りかわり推しおして、御ご米べいの信仰しんこうについて、詳しいくわしい質問しつもんも掛けかけなかった。
御ご米べいには、それが仕合せしあわせかも知れしれなかった。
彼女かのじょはその方面ほうめんに、これというほど判然はんぜんした凝りこり整っととのった何物なにものも有っあっていなかったからである。
二人ふたりはとかくして会堂かいどうの腰掛こしかけにも倚らよらず、寺院じいんの門もんも潜らもぐらずに過ぎすぎた。
そうしてただ自然しぜんの恵めぐみから来るくる月日つきひと云ういう緩和かんわ剤ざいの力ちからだけで、ようやく落ちついおちついた。
時々ときどき遠くとおくから不意ふいに現れるあらわれる訴うったえも、苦しみくるしみとか恐れおそれとかいう残酷ざんこくの名なを付けるつけるには、あまり微かかすかに、あまり薄くうすく、あまりに肉体にくたいと慾よく得とくを離れはなれ過ぎるすぎるようになった。
必竟ひっきょうずるに、彼かれらの信仰しんこうは、神かみを得とくなかったため、仏ふつに逢わあわなかったため、互たがいを目標もくひょうとして働はたらけらいた。
互たがいに抱き合っだきあって、丸いまりい円えんを描きえがき始めはじめた。
彼かれらの生活せいかつは淋しいさびしいなりに落ちついおちついて来きた。
その淋しいさびしい落ちつきおちつきのうちに、一種いっしゅの甘いあまい悲哀ひあいを味わっあじわった。
文芸ぶんげいにも哲学てつがくにも縁えんのない彼かれらは、この味あじを舐めなめ尽しつくしながら、自分じぶんで自分じぶんの状態じょうたいを得意とくいがって自覚じかくするほどの知識ちしきを有ゆうたなかったから、同じおなじ境遇きょうぐうにある詩人しじんや文人ぶんじんなどよりも、一層いっそう純粋じゅんすいであった。
――これが七なな日ひの晩ばんに坂井さかいへ呼ばよばれて、安井やすいの消息しょうそくを聞くきくまでの夫婦ふうふの有様ありさまであった。
その夜よる宗助そうすけは家いえに帰っかえって御ご米べいの顔かおを見るみるや否いなや、「少しすこし具合ぐあいが悪いわるいから、すぐ寝ようねよう」と云っいって、火鉢ひばちに倚りよりながら、帰を待ち受けまちうけていた御ご米べいを驚ろかしおどろかした。
「どうなすったの」と御ご米べいは眼めを上げあげて宗助そうすけを眺めながめた。
宗助そうすけはそこに突っ立っつったっていた。
宗助そうすけが外そとから帰っかえって来きて、こんな風かぜをするのは、ほとんど御ご米べいの記憶きおくにないくらい珍らしかっめずらしかった。
御ご米べいは卒然そつぜん何なんとも知れしれない恐怖きょうふの念ねんに襲わおそわれたごとくに立ち上がったちあがったが、ほとんど器械きかい的まとに、戸棚とだなから夜具やぐ蒲団ふとんを取り出しとりだして、夫おっとの云いいいつけ通りとおり床ゆかを延べのべ始めはじめた。
その間ま宗助そうすけはやっぱり懐手ふところでをして傍そばに立ったっていた。
そうして床ゆかが敷けるしけるや否いなや、そこそこに着物きものを脱ぎ捨てぬぎすてて、すぐその中なかに潜り込んもぐりこんだ。
御ご米べいは枕元まくらもとを離れはなれ得とくなかった。
「どうなすったの」「何なんだか、少しすこし心持こころもちが悪いわるい。しばらくこうしてじっとしていたら、よくなるだろう」 宗助そうすけの答こたえは半ばなかば夜着よぎの下したから出でた。
その声こえが籠っこもったように御ご米べいの耳みみに響いひびいた時じ、御ご米べいは済ますまない顔かおをして、枕元まくらもとに坐っすわったなり動かうごかなかった。
「あっちへ行っいっていてもいいよ。用ようがあれば呼ぶよぶから」 御ご米べいはようやく茶の間ちゃのまへ帰っかえった。
宗助そうすけは夜具やぐを被っかぶったまま、ひとり硬くかたくなって眼めを眠っねむっていた。
彼かれはこの暗いくらい中なかで、坂井さかいから聞いきいた話はなしを何度なんどとなく反覆はんぷくした。
彼かれは満洲まんしゅうにいる安井やすいの消息しょうそくを、家主やぬしたる坂井さかいの口くちを通しとおして知ろうしろうとは、今いまが今までいままで予期よきしていなかった。
もう少しすこしの事ことで、その安井やすいと同じおなじ家主やぬしの家いえへ同時どうじに招かまねかれて、隣り合せとなりあわせか、向い合せむかいあわせに坐るすわる運命うんめいになろうとは、今夜こんや晩食ばんしょくを済ますすますまで、夢ゆめにも思いがけおもいがけなかった。
彼かれは寝ねながら過去かこ二三にさん時間じかんの経過けいかを考えかんがえて、そのクライマックスくらいまっくすが突如とつじょとして、いかにも不意ふいに起っおこったのを不思議ふしぎに感じかんじた。
かつ悲しくかなしく感じかんじた。
彼かれはこれほど偶然ぐうぜんな出来事できごとを借りかりて、後あとから断りことわりなしに足あし絡らくをかけなければ、倒すたおす事ことのできないほど強いつよいものとは、自分じぶんながら任じにんじていなかったのである。
自分じぶんのような弱いよわい男おとこを放り出すほうりだすには、もっと穏当おんとうな手段しゅだんでたくさんでありそうなものだと信じしんじていたのである。
小六しょうろくから坂井さかいの弟おとうと、それから満洲まんしゅう、蒙古もうこ、出京しゅっきょう、安井やすい、――こう談話だんわの迹を辿れたどれば辿るたどるほど、偶然ぐうぜんの度どはあまりにはなはだしかった。
過去かこの痛恨つうこんを新しんにすべく、普通ふつうの人ひとが滅多めったに出逢わであわないこの偶然ぐうぜんに出逢うであうために、千百せんひゃく人ひとのうちから撰りより出さだされなければならないほどの人物じんぶつであったかと思うおもうと、宗助そうすけは苦しかっくるしかった。
また腹立たしかっはらだたしかった。
彼かれは暗いくらい夜着よぎの中なかで熱いあつい息いきを吐いはいた。
この二三にさん年ねんの月日つきひでようやく癒りなおりかけた創口そうこうが、急きゅうに疼きうずき始めはじめた。
疼くうずくに伴れつれて熱っねつって来きた。
再びふたたび創口そうこうが裂けさけて、毒どくのある風かぜが容赦ようしゃなく吹き込みふきこみそうになった。
宗助そうすけはいっそのこと、万事ばんじを御ご米べいに打ち明けうちあけて、共ともに苦しみくるしみを分っわかって貰おうもらおうかと思っおもった。
「御ご米べい、御ご米べい」と二に声こえ呼んよんだ。
御ご米べいはすぐ枕元まくらもとへ来きて、上うえから覗き込むのぞきこむように宗助そうすけを見みた。
宗助そうすけは夜具やぐの襟えりから顔かおを全くまったく出しだした。
次の間つぎのまの灯あかりが御ご米べいの頬ほおを半分はんぶん照らしてらしていた。
「熱いあつい湯ゆを一杯いちばい貰おうもらおう」 宗助そうすけはとうとう言おういおうとした事ことを言い切るいいきる勇気ゆうきを失っうしなって、嘘うそを吐いはいてごまかした。
翌日よくじつ宗助そうすけは例れいのごとく起きおきて、平日へいじつと変るかわる事ことなく食事しょくじを済ましすました。
そうして給仕きゅうじをしてくれる御ご米べいの顔かおに、多少たしょう安心あんしんの色いろが見えみえたのを、嬉しいうれしいような憐れあわれなような一種いっしゅの情緒じょうちょをもって眺めながめた。
「昨夕さくゆうは驚ろいおどろいたわ。どうなすったのかと思っおもって」 宗助そうすけは下したを向いむかいて茶碗ちゃわんに注いそそいだ茶ちゃを呑んのんだだけであった。
何なんと答えこたえていいか、適当てきとうな言葉ことばを見出さみだしさなかったからである。
その日ひは朝あさからから風かぜが吹き荒んふきすさんで、折々おりおり埃ほこりと共ともに行くいく人ひとの帽ぼうを奪っうばった。
熱ねつがあると悪いわるいから、一いち日ひ休んやすんだらと云ういう御ご米べいの心配しんぱいを聞き捨てききずてにして、例れいの通りとおり電車でんしゃへ乗っのった宗助そうすけは、風かぜの音おとと車くるまの音おとの中なかに首くびを縮めちぢめて、ただ一いちつ所ところを見つめみつめていた。
降りるおりる時じ、ひゅうという音おとがして、頭あたまの上うえの針はり線せんが鳴っなったのに気きがついて、空そらを見みたら、この猛烈もうれつな自然しぜんの力ちからの狂うくるう間まに、いつもより明らかあきらかな日ひがのそりと出でていた。
風かぜは洋よう袴はかまの股またを冷たくつめたくして過ぎすぎた。
宗助そうすけにはその砂すなを捲いまいて向うむこうの堀ほりの方ほうへ進んすすんで行くいく影かげが、斜めななめに吹かふかれる雨あめの脚あしのように判然はんぜん見えみえた。
役所やくしょでは用ようが手てに着かきかなかった。
筆ふでを持っもって頬杖つらづえを突いついたまま何なんか考えかんがえた。
時々ときどきは不必要ふひつような墨すみを妄りみだりに磨りおろしすりおろした。
煙草たばこはむやみに呑んのんだ。
そうしては、思い出しおもいだしたように窓まど硝子がらすを通しとおして外そとを眺めながめた。
外そとは見るみるたびに風かぜの世界せかいであった。
宗助そうすけはただ早くはやく帰りかえりたかった。
ようやく時間じかんが来きて家いえへ帰っかえったとき、御ご米べいは不安ふあんらしく宗助そうすけの顔かおを見みて、「どうもなくって」と聞いきいた。
宗助そうすけはやむを得とくず、どうもないが、ただ疲れつかれたと答えこたえて、すぐ炬燵こたつの中なかへ入っはいったなり、晩食ばんしょくまで動かうごかなかった。
そのうち風かぜは日ひと共ともに落ちおちた。
昼ひるの反動はんどうで四隣しりんは急きゅうにひっそり静まっしずまった。
「好いよい案あん排はいね、風かぜが無くなっなくなって。昼間ひるまのように吹かふかれると、家いえに坐っすわっていても何なんだか気味きみが悪くわるくってしようがないわ」 御ご米べいの言葉ことばには、魔物まものでもあるかのように、風かぜを恐れるおそれる調子ちょうしがあった。
宗助そうすけは落ちついおちついて、「今夜こんやは少しすこし暖だんたかいようだね。穏やかおだやかで好いよい御ご正月しょうがつだ」と云っいった。
飯めしを済ましすまして煙草たばこを一いち本ほん吸うすう段だんになって、突然とつぜん、「御ご米べい、寄席よせへでも行っいって見ようみようか」と珍らしくめずらしく細ほそ君きみを誘っさそった。
御ご米べいは無論むろん否むいなむ理由りゆうを有ゆうたなかった。
小六しょうろくは義太夫ぎだゆうなどを聞くきくより、宅たくにいて餅もちでも焼いやいて食っしょくった方ほうが勝手かってだというので、留守るすを頼んたのんで二人ふたり出でた。
少しすこし時間じかんが遅れおくれたので、寄席よせはいっぱいであった。
二人ふたりは座蒲団ざふとんを敷くしく余地よちもない一いち番ばん後あとの方ほうに、立膝たてひざをするように割り込まわりこまして貰っもらった。
「大変たいへんな人ひとね」「やっぱり春はるだから入るはいるんだろう」 二人ふたりは小声こごえで話しはなしながら、大きなおおきな部屋へやにぎっしり詰まっつまった人ひとの頭あたまを見回しみまわした。
その頭あたまのうちで、高座こうざに近いちかい前まえの方ほうは、煙草たばこの煙けむりで霞んかすんでいるようにぼんやり見えみえた。
宗助そうすけにはこの累々るいるいたる黒いくろいものが、ことごとくこう云ういう娯楽ごらくの席せきへ来きて、面白くおもしろく半夜はんやを潰すつぶす事ことのできる余裕よゆうのある人ひとらしく思わおもわれた。
彼かれはどの顔かおを見みても羨ましかっうらやましかった。
彼かれは高座こうざの方ほうを正視せいしして、熱心ねっしんに浄瑠璃じょうるりを聞こうきこうと力めりきめた。
けれどもいくら力めりきめても面白くおもしろくならなかった。
時々ときどき眼めを外らしそらして、御ご米べいの顔かおを偸み見ぬすみみた。
見るみるたびに御ご米べいの視線しせんは正しいただしい所ところを向いむかいていた。
傍そばに夫おっとのいる事ことはほとんど忘れわすれて、真面目まじめに聴いきいているらしかった。
宗助そうすけは羨やましいうらやましい人ひとのうちに、御ご米べいまで勘定かんじょうしなければならなかった。
中入なかいりの時じ、宗助そうすけは御ご米べいに、「どうだ、もう帰ろうかえろうか」と云いいい掛けかけた。
御ご米べいはその唐突とうとつなのに驚ろかさおどろかされた。
「厭いやなの」と聞いきいた。
宗助そうすけは何なんとも答えこたえなかった。
御ご米べいは、「どうでもいいわ」と半分はんぶん夫おっとの意いに忤らわないような挨拶あいさつをした。
宗助そうすけはせっかく連れつれて来きた御ご米べいに対したいして、かえって気の毒きのどくな心こころが起っおこった。
とうとうしまいまで辛抱しんぼうして坐っすわっていた。
家いえへ帰るかえると、小六しょうろくは火鉢ひばちの前まえに胡坐こざを掻いかいて、背表紙せひょうしの反り返るそりかえるのも構わかまわずに、手てに持っもった本ほんを上うえから翳しかざして読んよんでいた。
鉄瓶てつびんは傍そばへ卸しおろしたなり、湯ゆは生なま温るあたたまるく冷めさめてしまった。
盆ぼんの上うえに焼きやき余りあまりの餅もちが三さん切せつか四よん片かた載せのせてあった。
網あみの下したから小皿こざらに残っのこった醤油しょうゆの色いろが見えみえた。
小六しょうろくは席せきを立ったって、「面白かっおもしろかったですか」と聞いきいた。
夫婦ふうふは十じゅう分ぶんほど身体しんたいを炬燵こたつで暖めあたためた上うえすぐ床ゆかへ入っはいった。
翌日よくじつになっても宗助そうすけの心こころに落ちつきおちつきが来きなかった事ことは、ほぼ前の日まえのひと同じおなじであった。
役所やくしょが退けしりぞけて、例れいの通りとおり電車でんしゃへ乗っのったが、今夜こんや自分じぶんと前後ぜんごして、安井やすいが坂井さかいの家いえへ客きゃくに来るくると云ういう事ことを想像そうぞうすると、どうしても、わざわざその人ひとと接近せっきんするために、こんな速力そくりょくで、家いえへ帰っかえって行くいくのが不合理ふごうりに思わおもわれた。
同時どうじに安井やすいはその後あとどんなに変化へんかしたろうと思うおもうと、よそから一目いちもく彼かれの様子ようすが眺めながめたくもあった。
坂井さかいが一昨いっさく日ひの晩ばん、自分じぶんの弟おとうとを評しひょうして、一口ひとくちに「冒険者ぼうけんしゃ」と云っいった、その音おとが今いま宗助そうすけの耳みみに高くたかく響きひびき渡っわたった。
宗助そうすけはこの一いち語ごの中なかに、あらゆる自暴じぼうと自棄じきと、不平ふへいと憎悪ぞうおと、乱倫らんりんと悖徳はいとくと、盲もう断だんと決行けっこうとを想像そうぞうして、これらの一角いっかくに触れふれなければならないほどの坂井さかいの弟おとうとと、それと利害りがいを共ともにすべく満洲まんしゅうからいっしょに出でて来きた安井やすいが、いかなる程度ていどの人物じんぶつになったかを、頭あたまの中なかで描いえがいて見みた。
描かえがかれた画がは無論むろん冒険者ぼうけんしゃの字面じづらの許すゆるす範囲はんい内うちで、もっとも強いつよい色彩しきさいを帯びおびたものであった。
かように、堕落だらくの方面ほうめんをとくに誇張こちょうした冒険者ぼうけんしゃを頭あたまの中なかで拵えこしらえ上げあげた宗助そうすけは、その責任せきにんを自身じしん一人ひとりで全くまったく負わおわなければならないような気きがした。
彼かれはただ坂井さかいへ客きゃくに来るくる安井やすいの姿すがたを一目いちもく見みて、その姿すがたから、安井やすいの今日きょうの人格じんかくを髣髴ほうふつしたかった。
そうして、自分じぶんの想像そうぞうほど彼かれは堕落だらくしていないという慰藉いしゃを得とくたかった。
彼かれは坂井さかいの家いえの傍そばに立ったって、向むかいに知れしれずに、他ほかを窺ううかがうような便利べんりな場所ばしょはあるまいかと考えかんがえた。
不幸ふこうにして、身みを隠すかくすべきところを思いつきおもいつき得とくなかった。
もし日ひが落ちおちてから来るくるとすれば、こちらが認めみとめられない便宜べんぎがあると同時どうじに、暗いくらい中なかを通るとおる人ひとの顔かおの分らわからない不都合ふつごうがあった。
そのうち電車でんしゃが神田かんだへ来きた。
宗助そうすけはいつもの通りとおりそこで乗り換えのりかえて家いえの方ほうへ向いむかいて行くいくのが苦痛くつうになった。
彼かれの神経しんけいは一歩いちほでも安井やすいの来るくる方角ほうがくへ近づくちかづくに堪えこらえなかった。
安井やすいをよそながら見みたいという好奇心こうきしんは、始めはじめからさほど強くつよくなかっただけに、乗換のりかえの間際まぎわになって、全くまったく抑えつけおさえつけられてしまった。
彼かれは寒いさむい町まちを多くおおくの人ひとのごとく歩いあるいた。
けれども多くおおくの人ひとのごとくに判然はんぜんした目的もくてきは有っあっていなかった。
そのうち店みせに灯あかりが点いついた。
電車でんしゃも灯火とうかを照てらしもした。
宗助そうすけはある牛肉ぎゅうにく店みせに上がっあがって酒さけを呑みのみ出しだした。
一いち本ほんは夢中むちゅうに呑んのんだ。
二に本ほん目めは無理むりに呑んのんだ。
三さん本ほん目めにも酔えよえなかった。
宗助そうすけは背せを壁かべに持たしもたして、酔っよいって相手あいてのない人ひとのような眼めをして、ぼんやりどこかを見つめみつめていた。
時刻じこくが時刻じこくなので、夕飯ゆうはんを食いくいに来るくる客きゃくは入れ代りいれかわり立ち代りたちかわり来きた。
その多くおおくは用弁ようべん的まとに飲食いんしょくを済ましすまして、さっさと勘定かんじょうをして出でて行くいくだけであった。
宗助そうすけは周囲しゅういのざわつく中なかに黙然もくぜんとして、他ほかの倍ばいも三さん倍ばいも時じを過ごしすごしたごとくに感じかんじた末すえ、ついに坐りすわり切れきれずに席せきを立ったった。
表ひょうは左右さゆうから射すさす店みせの灯あかりで明らかあきらかであった。
軒先のきさきを通るとおる人ひとは、帽ぼうも衣装いしょうもはっきり物色ぶっしょくする事ことができた。
けれども広いひろい寒ささむさを照らすてらすには余りあまりに弱じゃく過ぎすぎた。
夜よるは戸とごとの瓦斯がすと電灯でんとうを閑却かんきゃくして、依然いぜんとして暗くくらく大きくおおきく見えみえた。
宗助そうすけはこの世界せかいと調和ちょうわするほどな黒味くろみの勝っかった外套がいとうに包まつつまれて歩いあるいた。
その時じ彼かれは自分じぶんの呼吸こきゅうする空気くうきさえ灰色はいいろになって、肺はいの中なかの血管けっかんに触れるふれるような気きがした。
彼かれはこの晩ばんに限っかぎって、ベルべるを鳴らしならして忙がしいそがしそうに眼めの前まえを往っいったり来きたりする電車でんしゃを利用りようする考かんがえが起らおこらなかった。
目的もくてきを有っあって途とを行くいく人ひとと共ともに、抜目ぬけめなく足あしを運ばはこばす事ことを忘れわすれた。
しかも彼かれは根ねの締らしまらない人間にんげんとして、かく漂浪ひょうろうの雛形ひながたを演じえんじつつある自分じぶんの心こころを省みかえりみて、もしこの状態じょうたいが長くながく続いつづいたらどうしたらよかろうと、ひそかに自分じぶんの未来みらいを案じ煩っあんじわずらった。
今日きょうまでの経過けいかから推しおして、すべての創口そうこうを癒合ゆごうするものは時日じじつであるという格言かくげんを、彼かれは自家じかの経験けいけんから割り出しわりだして、深くふかく胸むねに刻みつけきざみつけていた。
それが一昨いっさく日ひの晩ばんにすっかり崩れくずれたのである。
彼かれは黒いくろい夜よるの中なかを歩あゆみるきながら、ただどうかしてこの心こころから逃れ出のがれでたいと思っおもった。
その心こころはいかにも弱くよわくて落ちつかおちつかなくって、不安ふあんで不定ふていで、度胸どきょうがなさ過ぎすぎて希まれ知ちに見えみえた。
彼かれは胸むねを抑えつけるおさえつける一種いっしゅの圧迫あっぱくの下したに、いかにせば、今いまの自分じぶんを救うすくう事ことができるかという実際じっさいの方法ほうほうのみを考えかんがえて、その圧迫あっぱくの原因げんいんになった自分じぶんの罪つみや過失かしつは全くまったくこの結果けっかから切り放しきりはなしてしまった。
その時じの彼かれは他ほかの事ことを考えるかんがえる余裕よゆうを失っうしなって、ことごとく自己じこ本位ほんいになっていた。
今までいままでは忍耐にんたいで世よを渡っわたって来きた。
これからは積極的せっきょくてきに人世じんせい観かんを作りつくり易えかえなければならなかった。
そうしてその人世じんせい観かんは口くちで述べるのべるもの、頭あたまで聞くきくものでは駄目だめであった。
心こころの実質じっしつが太くふとくなるものでなくては駄目だめであった。
彼かれは行くいく行くいく口くちの中なかで何なん遍へんも宗教しゅうきょうの二に字じを繰り返しくりかえした。
けれどもその響ひびきは繰り返すくりかえす後あとからすぐ消えきえて行っいった。
攫んつかんだと思うおもう煙けむりが、手てを開けるあけるといつの間まにか無くなっなくなっているように、宗教しゅうきょうとははかない文字もじであった。
宗教しゅうきょうと関聯かんれんして宗助そうすけは坐禅ざぜんという記憶きおくを呼び起しよびおこした。
昔むかしし京都きょうとにいた時分じぶん彼かれの級友きゅうゆうに相国しょうこく寺てらへ行っいって坐禅ざぜんをするものがあった。
当時とうじ彼かれはその迂濶うかつを笑っわらっていた。
「今いまの世よに……」と思っおもっていた。
その級友きゅうゆうの動作どうさが別べつに自分じぶんと違っちがったところもないようなのを見みて、彼かれはますます馬鹿馬鹿しいばかばかしい気きを起しおこした。
彼かれは今更いまさらながら彼かれの級友きゅうゆうが、彼かれの侮蔑ぶべつに値あたいする以上いじょうのある動機どうきから、貴重きちょうな時間じかんを惜しまおしまずに、相国しょうこく寺てらへ行っいったのではなかろうかと考え出しかんがえだして、自分じぶんの軽薄けいはくを深くふかく恥じはじた。
もし昔むかしから世俗せぞくで云ういう通りとおり安心あんしんとか立命りつめいとかいう境地きょうちに、坐禅ざぜんの力ちからで達するたっする事ことができるならば、十じゅう日ひや二十にじゅう日ひ役所やくしょを休んやすんでも構わかまわないからやって見みたいと思っおもった。
けれども彼かれはこの道みちにかけては全くまったくの門外漢もんがいかんであった。
したがって、これより以上いじょう明瞭めいりょうな考かんがえも浮ばうかばなかった。
ようやく家いえへ辿り着いたどりついた時じ、彼かれは例れいのような御ご米べいと、例れいのような小六しょうろくと、それから例れいのような茶の間ちゃのまと座敷ざしきと洋灯ようとうと箪笥たんすを見みて、自分じぶんだけが例れいにない状態じょうたいの下したに、この四五しご時間じかんを暮しくらしていたのだという自覚じかくを深くふかくした。
火鉢ひばちには小さなちいさな鍋なべが掛けかけてあって、その葢おおいの隙間すきまから湯気ゆげが立ったっていた。
火鉢ひばちの傍そばには彼かれの常つねに坐るすわる所ところに、いつもの座蒲団ざふとんを敷いしいて、その前まえにちゃんと膳立ぜんだてがしてあった。
宗助そうすけは糸底いとぞこを上うえにしてわざと伏せふせた自分じぶんの茶碗ちゃわんと、この二三にさん年ねん来き朝晩あさばん使いつかい慣れなれた木きの箸はしを眺めながめて、「もう飯めしは食わくわないよ」と云っいった。
御ご米べいは多少たしょう不本意ふほんいらしい風かぜもした。
「おやそう。余りあまり遅いおそいから、おおかたどこかで召上がっめしあがったろうとは思っおもったけれど、もしまだだといけないから」と云いいいながら、布巾ふきんで鍋なべの耳みみを撮んつまんで、土瓶どびん敷しきの上うえにおろした。
それから清きよしを呼んよんで膳ぜんを台所だいどころへ退げさげさした。
宗助そうすけはこういう風かぜに、何なんぞ事故じこができて、役所やくしょの退出たいしゅつからすぐ外そとへ回っまわって遅くおそくなる場合ばあいには、いつでもその顛末てんまつの大略たいりゃくを、帰宅きたく早々はやばや御ご米べいに話すはなすのを例れいにしていた。
御ご米べいもそれを聞かきかないうちは気きがすまなかった。
けれども今夜こんやに限っかぎって彼かれは神田かんだで電車でんしゃを降りふりた事ことも、牛肉ぎゅうにく屋やへ上っのぼった事ことも、無理むりに酒さけを呑んのんだ事ことも、まるで話しはなしたくなかった。
何なんも知らしらない御ご米べいはまた平常へいじょうの通りとおり無邪気むじゃきにそれからそれへと聞きききたがった。
「何なん別べつにこれという理由りゆうもなかったのだけれども、――ついあすこいらで牛うしが食いくいたくなっただけの事ことさ」「そうして御腹おなかを消化しょうかすために、わざわざここまで歩あゆみるいていらしったの」「まあ、そうだ」 御ご米べいはおかしそうに笑っわらった。
宗助そうすけはむしろ苦しかっくるしかった。
しばらくして、「留守るすに坂井さかいさんから迎いむかいに来きなかったかい」と聞いきいた。
「いいえ、なぜ」「一昨いっさく日ひの晩ばん行っいったとき、御馳走ごちそうするとか云っいっていたからさ」「また?」 御ご米べいは少しすこし呆れあきれた顔かおをした。
宗助そうすけはそれなり話はなしを切り上げきりあげて寝ねた。
頭あたまの中なかをざわざわ何なんか通っとおった。
時々ときどき眼めを開けあけて見るみると、例れいのごとく洋灯ようとうが暗くくらくして床の間とこのまの上うえに載せのせてあった。
御ご米べいはさも心地ここち好さよさそうに眠っねむっていた。
ついこの間ままでは、自分じぶんの方ほうが好くよく寝ねられて、御ご米べいは幾いく晩ばんも睡眠すいみんの不足ふそくに悩まさなやまされたのであった。
宗助そうすけは眼めを閉じとじながら、明らかあきらかに次の間つぎのまの時計とけいの音おとを聞かきかなければならない今いまの自分じぶんをさらに心苦しくこころぐるしく感じかんじた。
その時計とけいは最初さいしょは幾ついくつも続けざまつづけざまに打っうった。
それが過ぎるすぎると、びんとただ一いちつ鳴っなった。
その濁っにごった音おとが彗星すいせいの尾おのようにほうと宗助そうすけの耳朶みみたぶにしばらく響いひびいていた。
次つぎには二につ鳴っなった。
はなはだ淋しいさびしい音おとであった。
宗助そうすけはその間まに、何なんとかして、もっと鷹揚おうように生きいきて行くいく分別ぶんべつをしなければならないと云ういう決心けっしんだけをした。
三さん時じは朦朧もうろうとして聞えきこえたような聞えきこえないようなうちに過ぎすぎた。
四よん時じ、五ご時じ、六ろく時じはまるで知らしらなかった。
ただ世の中よのなかが膨れふくれた。
天てんが波なみを打っうって伸びのびかつ縮んちぢんだ。
地球ちきゅうが糸いとで釣るつるした毬かさのごとくに大きなおおきな弧線こせんを描いえがいて空間くうかんに揺いわなないた。
すべてが恐ろしいおそろしい魔まの支配しはいする夢ゆめであった。
七なな時じ過すぎに彼かれははっとして、この夢ゆめから覚めさめた。
御ご米べいがいつもの通りとおり微笑びしょうして枕元まくらもとに曲んきょくんでいた。
冴えさえた日ひは黒いくろい世の中よのなかを疾しつにどこかへ追いやっおいやっていた。
十八じゅうはち
宗助そうすけは一封いっぷうの紹介状しょうかいじょうを懐ふところにして山門さんもんを入っはいった。
彼かれはこれを同僚どうりょうの知人ちじんの某ぼうから得とくた。
その同僚どうりょうは役所やくしょの往復おうふくに、電車でんしゃの中なかで洋服ようふくの隠いん袋ふくろから菜根さいこん譚たんを出しだして読むよむ男おとこであった。
こう云ういう方面ほうめんに趣味しゅみのない宗助そうすけは、固よりもとより菜根さいこん譚たんの何物なにものなるかを知らしらなかった。
ある日ひ一いちつ車くるまの腰掛こしかけに膝ひざを並べならべて乗っのった時じ、それは何なんだと聞いきいて見みた。
同僚どうりょうは小形おがたの黄色いきいろい表紙ひょうしを宗助そうすけの前まえに出しだして、こんな妙みょうな本ほんだと答えこたえた。
宗助そうすけは重ねかさねてどんな事ことが書いかいてあるかと尋ねたずねた。
その時じ同僚どうりょうは、一口ひとくちに説明せつめいのできる格好かっこうな言葉ことばを有っあっていなかったと見えみえて、まあ禅学ぜんがくの書物しょもつだろうというような妙みょうな挨拶あいさつをした。
宗助そうすけは同僚どうりょうから聞いきいたこの返事へんじをよく覚えおぼえていた。
紹介状しょうかいじょうを貰うもらう四五しご日ひ前まえ、彼かれはこの同僚どうりょうの傍そばへ行っいって、君きみは禅学ぜんがくをやるのかと、突然とつぜん質問しつもんを掛けかけた。
同僚どうりょうは強くつよく緊張きんちょうした宗助そうすけの顔かおを見みてすこぶる驚ろいおどろいた様子ようすであったが、いややらない、ただ慰みなぐさみ半分はんぶんにあんな書物しょもつを読むよむだけだと、すぐ逃げにげてしまった。
宗助そうすけは多少たしょう失望しつぼうに弛んゆるんだ下唇したくちびるを垂れたれて自分じぶんの席せきに帰っかえった。
その日ひ帰りがけかえりがけに、彼かれらはまた同じおなじ電車でんしゃに乗り合わしのりあわした。
先刻せんこく宗助そうすけの様子ようすを、気の毒きのどくに観察かんさつした同僚どうりょうは、彼かれの質問しつもんの奥おくに雑談ざつだん以上いじょうのある意味いみを認めみとめたものと見えみえて、前まえよりはもっと親切しんせつにその方面ほうめんの話はなしをして聞かしきかした。
しかし自分じぶんはいまだかつて参禅さんぜんという事ことをした経験けいけんがないと自白じはくした。
もし詳しいくわしい話はなしが聞きききたければ、幸いさいわい自分じぶんの知りしり合あわせによく鎌倉かまくらへ行くいく男おとこがあるから紹介しょうかいしてやろうと云っいった。
宗助そうすけは車くるまの中なかでその人ひとの名前なまえと番地ばんちを手帳てちょうに書き留めかきとめた。
そうして次の日つぎのひ同僚どうりょうの手紙てがみを持っもってわざわざ回り道まわりみちをして訪問ほうもんに出かけでかけた。
宗助そうすけの懐ふところにした書状しょじょうはその折おり席上せきじょうで認めみとめて貰っもらったものであった。
役所やくしょは病気びょうきになって十じゅう日ひばかり休むやすむ事ことにした。
御ご米べいの手前てまえもやはり病気びょうきだと取り繕っとりつくろった。
「少しすこし脳のうが悪いわるいから、一いち週間しゅうかんほど役所やくしょを休んやすんで遊んあそんで来るくるよ」と云っいった。
御ご米べいはこの頃このごろの夫おっとの様子ようすのどこかに異状いじょうがあるらしく思わおもわれるので、内心ないしんでは始終しじゅう心配しんぱいしていた矢先やさきだから、平たいら生煮えなまにえ切らきらない宗助そうすけの果断かだんを喜んよろこんだ。
けれどもその突然とつぜんなのにも全くまったく驚ろいおどろいた。
「遊びあそびに行くいくって、どこへいらっしゃるの」と眼めを丸くまるくしないばかりに聞いきいた。
「やっぱり鎌倉かまくら辺へんが好かろうよかろうと思っおもっている」と宗助そうすけは落ちついおちついて答えこたえた。
地味じみな宗助そうすけとハイカラはいからな鎌倉かまくらとはほとんど縁えんの遠いとおいものであった。
突然とつぜん二につのものを結びつけるむすびつけるのは滑稽こっけいであった。
御ご米べいも微笑びしょうを禁じきんじ得とくなかった。
「まあ御ご金持かねもちね。私わたくしもいっしょに連れつれてってちょうだい」と云っいった。
宗助そうすけは愛すあいすべき細君さいくんのこの冗談じょうだんを味わうあじわう余裕よゆうを有ゆうたなかった。
真面目まじめな顔かおをして、「そんな贅沢ぜいたくな所ところへ行くいくんじゃないよ。禅寺ぜんでらへ留めとめて貰っもらって、一いち週間しゅうかんか十じゅう日ひ、ただ静かしずかに頭あたまを休めやすめて見るみるだけの事ことさ。それもはたして好くよくなるか、ならないか分らわからないが、空気くうきのいい所ところへ行くいくと、頭あたまには大変たいへん違うちがうと皆みな云ういうから」と弁解べんかいした。
「そりゃ違いちがいますわ。だから行っいっていらっしゃいとも。今いまのは本当ほんとうの冗談じょうだんよ」 御ご米べいは善良ぜんりょうな夫おっとに調ちょう戯たわむれったのを、多少たしょう済ますまないように感じかんじた。
宗助そうすけはその翌日よくじつすぐ貰っもらって置いおいた紹介状しょうかいじょうを懐ふところにして、新橋しんばしから汽車きしゃに乗っのったのである。
その紹介状しょうかいじょうの表ひょうには釈しゃく宜道よしみち様ようと書いかいてあった。
「この間ままで侍者じしゃをしていましたが、この頃ころでは塔頭たっちゅうにある古いふるい庵室あんしつに手てを入れいれて、そこに住んすんでいるとか聞きききました。どうですか、まあ着いついたら尋ねたずねて御覧ごらんなさい。庵いおの名なはたしか一いち窓まど庵いおでした」と書いかいてくれる時じ、わざわざ注意ちゅういがあったので、宗助そうすけは礼れいを云っいって手紙てがみを受取りうけとりながら、侍者じしゃだの塔頭たっちゅうだのという自分じぶんには全くまったく耳みみ新らしいあたらしい言葉ことばの説明せつめいを聞いきいて帰っかえったのである。
山門さんもんを入るはいると、左右さゆうには大きなおおきな杉すぎがあって、高くたかく空そらを遮っさえぎっているために、路みちが急きゅうに暗くくらくなった。
その陰気いんきな空気くうきに触れふれた時じ、宗助そうすけは世の中よのなかと寺てらの中なかとの区別くべつを急きゅうに覚っさとった。
静かしずかな境内けいだいの入口いりぐちに立ったった彼かれは、始めはじめて風邪かぜを意識いしきする場合ばあいに似にた一種いっしゅの悪寒おかんを催しもよおした。
彼かれはまず真直まっすぐに歩あゆみるき出しだした。
左右さゆうにも行手ぎょうてにも、堂どうのようなものや、院いんのようなものがちょいちょい見えみえた。
けれども人ひとの出入でいりはいっさいなかった。
ことごとく寂寞じゃくまくとして錆びさび果てはてていた。
宗助そうすけはどこへ行っいって、宜道よしみちのいる所ところを教えおしえて貰おうもらおうかと考えかんがえながら、誰だれも通らとおらない路みちの真中まなかに立ったって四方しほうを見回しみまわした。
山やまの裾すそを切り開いきりひらいて、一二いちに丁てい奥おくへ上るのぼるように建てたてた寺てらだと見えみえて、後あとの方ほうは樹きの色いろで高くたかく塞がっふさがっていた。
路みちの左右さゆうも山やま続かつづか丘おか続つづくの地勢ちせいに制せせいせられて、けっして平たいらではないようであった。
その小高いこだかい所々ところどころに、下したから石段いしだんを畳んたたんで、寺てららしい門もんを高くたかく構えかまえたのが二三にさん軒のき目めに着いついた。
平地へいちに垣かきを繞らしめぐらして、点在てんざいしているのは、幾多いくたもあった。
近寄っちかよって見るみると、いずれも門もん瓦かわらの下したに、院号いんごうやら庵号あんごうやらが額がくにしてかけてあった。
宗助そうすけは箔はくの剥げはげた古いふるい額がくを一二いちに枚ばい読んよんで歩いあるいたが、ふと一いち窓まど庵いおから先さきへ探し出しさがしだして、もしそこに手紙てがみの名宛なあての坊ぼうさんがいなかったら、もっと奥おくへ行っいって尋ねるたずねる方ほうが便利べんりだろうと思いついおもいついた。
それから逆戻りぎゃくもどりをして塔頭たっちゅうを一々いちいち調べしらべにかかると、一いち窓まど庵いおは山門さんもんを這入るはいるや否いなやすぐ右手みぎての方ほうの高いたかい石段いしだんの上うえにあった。
丘おか外れはずれなので、日当にっとうの好いよい、からりとした玄関先げんかんさきを控えひかえて、後あとの山やまの懐ふところに暖まっあたたまっているような位置いちに冬ふゆを凌ぐしのぐ気色けしきに見えみえた。
宗助そうすけは玄関げんかんを通り越しとおりこして庫裡くりの方ほうから土間どまに足あしを入れいれた。
上り口あがりぐちの障子しょうじの立てたててある所ところまで来きて、たのむたのむと二三にさん度ど呼んよんで見みた。
しかし誰だれも出でて来きてくれるものはなかった。
宗助そうすけはしばらくそこに立ったったまま、中なかの様子ようすを窺っうかがっていた。
いつまで立ったっていても音おと沙汰さたがないので、宗助そうすけは不思議ふしぎな思いおもいをして、また庫裡くりを出でて門もんの方ほうへ引返しひきかえした。
すると石段いしだんの下したから剃そり立たての頭あたまを青くあおく光らしひからした坊ぼうさんが上っのぼって来きた。
年ねんはまだ二に十じゅう四よん五ごとしか見えみえない若いわかい色白いろじろの顔かおであった。
宗助そうすけは門もんの扉とびらの所ところに待ち合わしまちあわして、「宜道よしみちさんとおっしゃる方ほうはこちらにおいででしょうか」と聞いきいた。
「私わたくしが宜道よしみちです」と若いわかい僧そうは答えこたえた。
宗助そうすけは少しすこし驚ろいおどろいたが、また嬉しくうれしくもあった。
すぐ懐中かいちゅうから例れいの紹介状しょうかいじょうを出しだして渡すわたすと、宜道よしみちは立ちたちながら封ふうを切っきって、その場ばで読み下しよみくだした。
やがて手紙てがみを巻き返しまきかえして封筒ふうとうへ入れるいれると、「ようこそ」と云っいって、叮嚀ていねいに会釈えしゃくしたなり、先さきに立ったって宗助そうすけを導いみちびいた。
二人ふたりは庫裡くりに下駄げたを脱いぬいで、障子しょうじを開けあけて内うちへ這入っはいった。
そこには大きなおおきな囲炉裏いろりが切っきってあった。
宜道よしみちは鼠ねずみ木綿もめんの上うえに羽織っはおっていた薄いうすい粗末そまつな法衣ほういを脱いぬいで釘くぎにかけて、「御ご寒うさむうございましょう」と云っいって、囲炉裏いろりの中なかに深くふかく埋けいけてあった炭すみを灰はいの下したから掘り出しほりだした。
この僧そうは若いわかいに似合わにあわずはなはだ落ちついおちついた話はなし振ぶりをする男おとこであった。
低いひくい声こえで何なんか受じゅ答えこたえをした後あとで、にやりと笑うわらう具合ぐあいなどは、まるで女おんなのような感じかんじを宗助そうすけに与えあたえた。
宗助そうすけは心こころのうちに、この青年せいねんがどういう機縁きえんの元もとに、思い切っおもいきって頭あたまを剃っそったものだろうかと考えかんがえて、その様子ようすのしとやかなところを、何なんとなく憐れあわれに思っおもった。
「大変たいへん御ご静せいなようですが、今日きょうはどなたも御ご留守るすなんですか」「いえ、今日きょうに限らかぎらず、いつも私わたくし一人ひとりです。だから用ようのあるときは構わかまわず明け放しあけはなしにして出でます。今いまもちょっと下したまで行っいって用ようを足したして参りまいりました。それがためせっかくおいでのところを失礼しつれい致しいたしました」 宜道よしみちはこの時じ改めてあらためて遠来えんらいの人ひとに対したいして自分じぶんの不在ふざいを詫びわびた。
この大きなおおきな庵いおを、たった一人ひとりで預かっあずかっているさえ、相応そうおうに骨ほねが折れるおれるのに、その上うえに厄介やっかいが増しましたらさぞ迷惑めいわくだろうと、宗助そうすけは少しすこし気の毒きのどくな色いろをほかに動かしうごかした。
すると宜道よしみちは、「いえ、ちっとも御ご遠慮えんりょには及びおよびません。道みちのためでございますから」とゆかしい事ことを云っいった。
そうして、目下めした自分じぶんの所ところに、宗助そうすけのほかに、まだ一人ひとり世話せわになっている居士こじのある旨むねを告げつげた。
この居士こじは山やまへ来きてもう二に年ねんになるとかいう話はなしであった。
宗助そうすけはそれから二三にさん日ひして、始めはじめてこの居士こじを見みたが、彼かれは剽軽ひょうきんな羅漢らかんのような顔かおをしている気楽きらくそうな男おとこであった。
細いほそい大根だいこんを三四さんよん本ほんぶら下げぶらさげて、今日きょうは御馳走ごちそうを買っかって来きたと云っいって、それを宜道よしみちに煮にてもらって食っしょくった。
宜道よしみちも宗助そうすけもその相伴しょうばんをした。
この居士こじは顔かおが坊ぼうさんらしいので、時々ときどき僧堂そうどうの衆しゅうに交っかって、村むらの御斎おとぎなどに出かけるでかける事ことがあるとか云っいって宜道よしみちが笑っわらっていた。
そのほか俗人ぞくじんで山やまへ修業しゅぎょうに来きている人ひとの話はなしもいろいろ聞いきいた。
中なかに筆墨ひつぼくを商うあきなう男おとこがいた。
背中せなかへ荷にをいっぱい負っおって、二十にじゅう日ひなり三十さんじゅう日ひなり、そこら中なか回っまわって歩いあるいて、ほぼ売り尽しうりつくしてしまうと山やまへ帰っかえって来きて坐禅ざぜんをする。
それからしばらくして食うくうものがなくなると、また筆墨ひつぼくを背せに載せのせて行商ぎょうしょうに出るでる。
彼かれはこの両面りょうめんの生活せいかつを、ほとんど循環じゅんかん小数しょうすうのごとく繰り返しくりかえして、飽くあく事ことを知らしらないのだと云ういう。
宗助そうすけは一見いっけんこだわりの無さなさそうなこれらの人ひとの月日つきひと、自分じぶんの内面ないめんにある今いまの生活せいかつとを比べくらべて、その懸隔けんかくの甚だしいはなはだしいのに驚ろいおどろいた。
そんな気楽きらくな身分みぶんだから坐禅ざぜんができるのか、あるいは坐禅ざぜんをした結果けっかそういう気楽きらくな心こころになれるのか迷っまよった。
「気楽きらくではいけません。道楽どうらくにできるものなら、二十にじゅう年ねんも三十さんじゅう年ねんも雲水うんすいをして苦しむくるしむものはありません」と宜道よしみちは云っいった。
彼かれは坐禅ざぜんをするときの一般いっぱんの心得こころえや、老師ろうしから公案こうあんの出るでる事ことや、その公案こうあんに一生懸命いっしょうけんめい噛りついて、朝あさも晩ばんも昼ひるも夜よるも噛りつづけに噛らなくてはいけない事ことやら、すべて今いまの宗助そうすけには心こころ元もとなく見えるみえる助言じょげんを与えあたえた末すえ、「御室おむろへ御ご案内あんないしましょう」と云っいって立ち上がったちあがった。
囲炉裏いろりの切っきってある所ところを出でて、本堂ほんどうを横よこに抜けぬけて、その外れはずれにある六ろく畳たたみの座敷ざしきの障子しょうじを縁えんから開けあけて、中なかへ案内あんないされた時じ、宗助そうすけは始めはじめて一人ひとり遠くとおくに来きた心持こころもちがした。
けれども頭あたまの中なかは、周囲しゅういの幽静ゆうせいな趣おもむきと反照はんしょうするためか、かえって町まちにいるときよりも動揺どうようした。
約やく一いち時間じかんもしたと思うおもう頃ころ宜道よしみちの足音あしおとがまた本堂ほんどうの方ほうから響いひびいた。
「老師ろうしが相見あいみになるそうでございますから、御都合ごつごうが宜しけれよろしければ参りまいりましょう」と云っいって、丁寧ていねいに敷居しきいの上うえに膝ひざを突いついた。
二人ふたりはまた寺てらを空そらにして連立れんりつって出でた。
山門さんもんの通りとおりをほぼ一いち丁ていほど奥おくへ来るくると、左側ひだりがわに蓮池はすいけがあった。
寒いさむい時分じぶんだから池いけの中なかはただ薄うす濁りにごりに淀んよどんでいるだけで、少しすこしも清浄せいじょうな趣おもむきはなかったが、向側むかいがわに見えるみえる高いたかい石いしの崖がけ外れはずれまで、縁えんに欄干らんかんのある座敷ざしきが突き出しつきだしているところが、文人画ぶんじんがにでもありそうな風致ふうちを添えそえた。
「あすこが老師ろうしの住んすんでいられる所ところです」と宜道よしみちは比較的ひかくてき新らしいあたらしいその建物たてものを指しさした。
二人ふたりは蓮池はすいけの前まえを通り越しとおりこして、五六ごろく級きゅうの石段いしだんを上っのぼって、その正面しょうめんにある大きなおおきな伽藍がらんの屋根やねを仰いおっしゃいだまま直じか左ひだりりへ切れきれた。
玄関げんかんへ差しかかっさしかかった時じ、宜道よしみちは「ちょっと失礼しつれいします」と云っいって、自分じぶんだけ裏口うらぐちの方ほうへ回っまわったが、やがて奥おくから出でて来きて、「さあどうぞ」と案内あんないをして、老師ろうしのいる所ところへ伴れつれて行っいった。
老師ろうしというのは五十ごじゅう格好かっこうに見えみえた。
赭あか黒いくろい光沢こうたくのある顔かおをしていた。
その皮膚ひふも筋肉きんにくもことごとく緊きんって、どこにも怠たるのないところが、銅像どうぞうのもたらす印象いんしょうを、宗助そうすけの胸むねに彫りつけほりつけた。
ただ唇くちびるがあまり厚あつし過ぎるすぎるので、そこに幾分いくぶんの弛みたるみが見えみえた。
その代りかわり彼かれの眼めには、普通ふつうの人間にんげんにとうてい見るみるべからざる一種いっしゅの精彩せいさいが閃めいひらめいた。
宗助そうすけが始めはじめてその視線しせんに接しせっした時じは、暗中あんちゅうに卒然そつぜんとして白刃はくじんを見るみる思おもうがあった。
「まあ何なんから入っはいっても同じおなじであるが」と老師ろうしは宗助そうすけに向っむかって云っいった。
「父母ふぼ未生みしょう以前いぜん本来ほんらいの面目めんぼくは何なんだか、それを一いちつ考えかんがえて見みたら善かろうよかろう」 宗助そうすけには父母ふぼ未生みしょう以前いぜんという意味いみがよく分らわからなかったが、何しろなにしろ自分じぶんと云ういうものは必竟ひっきょう何物なにものだか、その本体ほんたいを捕まえつかまえて見ろみろと云ういう意味いみだろうと判断はんだんした。
それより以上いじょう口くちを利くきくには、余りあまり禅ぜんというものの知識ちしきに乏しかっとぼしかったので、黙っだまってまた宜道よしみちに伴れつれられて一いち窓まど庵いおへ帰っかえって来きた。
晩食ばんしょくの時宜じぎ道みちは宗助そうすけに、入室にゅうしつの時間じかんの朝夕あさゆう二に回かいあることと、提唱ていしょうの時間じかんが午前ごぜんである事ことなどを話しはなした上うえ、「今夜こんやはまだ見解けんかいもできないかも知れしれませんから、明朝みょうちょうか明晩みょうばん御ご誘いさそい申しもうしましょう」と親切しんせつに云っいってくれた。
それから最初さいしょのうちは、つめて坐ざわるのは難儀なんぎだから線香せんこうを立てたてて、それで時間じかんを計っけいって、少しすこしずつ休んやすんだら好かろうよかろうと云ういうような注意ちゅういもしてくれた。
宗助そうすけは線香せんこうを持っもって、本堂ほんどうの前まえを通っとおって自分じぶんの室むろときまった六ろく畳たたみに這入っはいって、ぼんやりして坐っすわった。
彼かれから云ういうといわゆる公案こうあんなるものの性質せいしつが、いかにも自分じぶんの現在げんざいと縁えんの遠いとおいような気きがしてならなかった。
自分じぶんは今いま腹痛ふくつうで悩んなやんでいる。
その腹痛ふくつうと言うゆう訴うったえを抱いいだいて来きて見るみると、あにはからんや、その対症療法たいしょうりょうほうとして、むずかしい数学すうがくの問題もんだいを出しだして、まあこれでも考えかんがえたらよかろうと云わいわれたと一般いっぱんであった。
考えろかんがえろと云わいわれれば、考えかんがえないでもないが、それは一応いちおう腹痛ふくつうが治まっおさまってからの事ことでなくては無理むりであった。
同時どうじに彼かれは勤きんを休んやすんで、わざわざここまで来きた男おとこであった。
紹介状しょうかいじょうを書いかいてくれた人ひと、万事ばんじに気きをつけてくれる宜道よしみちに対したいしても、あまりに軽卒けいそつな振舞ふるまいはできなかった。
彼かれはまず現在げんざいの自分じぶんが許すゆるす限りかぎりの勇気ゆうきを提ひさげさげて、公案こうあんに向おうむかおうと決心けっしんした。
それがいずれのところに彼かれを導しるべびいびいーて、どんな結果けっかを彼かれの心こころに持ちもち来すきたすかは、彼かれ自身じしんといえども全くまったく知らしらなかった。
彼かれは悟さとるという美名びめいに欺かあざむかれて、彼かれの平生へいぜいに似合わにあわぬ冒険ぼうけんを試みようこころみようと企てくわだてたのである。
そうして、もしこの冒険ぼうけんに成功せいこうすれば、今いまの不安ふあんな不定ふていな弱々しいよわよわしい自分じぶんを救うすくう事ことができはしまいかと、はかない望もちを抱いいだいたのである。
彼かれは冷たいつめたい火鉢ひばちの灰はいの中なかに細いほそい線香せんこうを燻らしくゆらして、教えおしえられた通りとおり座ざ蒲団ふとんの上うえに半跏はんかを組んくんだ。
昼ひるのうちはさまでとは思わおもわなかった室むろが、日ひが落ちおちてから急きゅうに寒くさむくなった。
彼かれは坐りすわりながら、背中せなかのぞくぞくするほど温度おんどの低いひくい空気くうきに堪えこらえなかった。
彼かれは考えかんがえた。
けれども考えるかんがえる方向ほうこうも、考えるかんがえる問題もんだいの実質じっしつも、ほとんど捕まえようつかまえようのない空漠くうばくなものであった。
彼かれは考えかんがえながら、自分じぶんは非常ひじょうに迂濶うかつな真似まねをしているのではなかろうかと疑っうたがった。
火事かじ見舞みまいに行くいく間際まぎわに、細かいこまかい地図ちずを出しだして、仔細しさいに町名ちょうめいや番地ばんちを調べしらべているよりも、ずっと飛び離れとびはなれた見当けんとう違いの所作しょさを演じえんじているごとく感じかんじた。
彼かれの頭あたまの中なかをいろいろなものが流れながれた。
そのあるものは明らかあきらかに眼めに見えみえた。
あるものは混沌こんとんとして雲くものごとくに動いうごいた。
どこから来きてどこへ行くいくとも分らわからなかった。
ただ先さきのものが消えるきえる、すぐ後あとから次つぎのものが現われあらわれた。
そうして仕切りしきりなしにそれからそれへと続いつづいた。
頭あたまの往来おうらいを通るとおるものは、無限むげんで無数むすうで無尽蔵むじんぞうで、けっして宗助そうすけの命令めいれいによって、留まるとまる事ことも休むやすむ事こともなかった。
断ち切ろうたちきろうと思えおもえば思うおもうほど、滾々こんこんとして湧いわいて出でた。
宗助そうすけは怖くこわくなって、急きゅうに日常にちじょうの我われを呼び起しよびおこして、室むろの中なかを眺めながめた。
室むろは微かかすかな灯あかりで薄暗くうすぐらく照らさてらされていた。
灰はいの中なかに立てたてた線香せんこうは、まだ半分はんぶんほどしか燃えもえていなかった。
宗助そうすけは恐るおそるべく時間じかんの長いながいのに始めはじめて気きがついた。
宗助そうすけはまた考えかんがえ始めはじめた。
すると、すぐ色いろのあるもの、形かたちのあるものが頭あたまの中なかを通りとおり出しだした。
ぞろぞろと群がるむらがる蟻ありのごとくに動いうごいて行くいく、あとからまたぞろぞろと群がるむらがる蟻ありのごとくに現われあらわれた。
じっとしているのはただ宗助そうすけの身体しんたいだけであった。
心こころは切ないせつないほど、苦しいくるしいほど、堪えこらえがたいほど動いうごいた。
そのうちじっとしている身体しんたいも、膝頭ひざがしらから痛みいたみ始めはじめた。
真直まっすぐに延ばしのばしていた脊髄せきずいがしだいしだいに前まえの方ほうに曲っきょくって来きた。
宗助そうすけは両手りょうてで左ひだりの足あしの甲こうを抱えるかかえるようにして下したへおろした。
彼かれは何なんをする目的もくてきもなく室むろの中なかに立ち上がったちあがった。
障子しょうじを明けあけて表ひょうへ出でて、門前もんぜんをぐるぐる駈け回っかけまわって歩きあるきたくなった。
夜よるはしんとしていた。
寝ねている人ひとも起きおきている人ひともどこにもおりそうには思えおもえなかった。
宗助そうすけは外そとへ出るでる勇気ゆうきを失っうしなった。
じっと生きいきながら妄想もうそうに苦しめくるしめられるのはなお恐ろしかっおそろしかった。
彼かれは思い切っおもいきってまた新らしいあたらしい線香せんこうを立てたてた。
そうしてまたほぼ前まえと同じおなじ過程かていを繰り返しくりかえした。
最後さいごに、もし考えるかんがえるのが目的もくてきだとすれば、坐っすわって考えるかんがえるのも寝ねて考えるかんがえるのも同じおなじだろうと分別ぶんべつした。
彼かれは室むろの隅すみに畳んたたんであった薄うす汚ないきたない蒲団ふとんを敷いしいて、その中なかに潜り込んもぐりこんだ。
すると先刻せんこくからの疲れつかれで、何なんを考えるかんがえる暇ひまもないうちに、深いぶかい眠りねむりに落ちおちてしまった。
眼めが覚めるさめると枕元まくらもとの障子しょうじがいつの間まにか明るくあかるくなって、白いしろい紙かみにやがて日ひの逼るせまるべき色いろが動いうごいた。
昼ひるも留守るすを置かおかずに済むすむ山寺やまでらは、夜よるに入っはいっても戸とを閉へいてる音おとを聞かきかなかったのである。
宗助そうすけは自分じぶんが坂井さかいの崖下がいかの暗いくらい部屋へやに寝ねていたのでないと意識いしきするや否いなや、すぐ起き上がっおきあがった。
縁えんへ出るでると、軒端のきばに高くたかく大おお覇王樹はおうじゅの影かげが眼めに映っうつった。
宗助そうすけはまた本堂ほんどうの仏壇ぶつだんの前まえを抜けぬけて、囲炉裏いろりの切っきってある昨日きのうの茶の間ちゃのまへ出でた。
そこには昨日きのうの通りとおり宜道よしみちの法衣ほういが折おり釘くぎにかけてあった。
そうして本人ほんにんは勝手かっての竈へっついの前まえに蹲踞まっうずくまって、火ひを焚いたいていた。
宗助そうすけを見みて、「御早うおはよう」と慇懃いんぎんに礼れいをした。
「先刻せんこく御ご誘いさそい申そうもうそうと思いおもいましたが、よく御寝ぎょしんのようでしたから、失礼しつれいして一人ひとり参りまいりました」 宗助そうすけはこの若いわかい僧そうが、今朝けさ夜明よあけがたにすでに参禅さんぜんを済ましすまして、それから帰っかえって来きて、飯めしを炊いたいでいるのだという事ことを知っしった。
見るみると彼かれは左ひだりの手てでしきりに薪たきぎを差しさし易えかえながら、右みぎの手てに黒いくろい表紙ひょうしの本ほんを持っもって、用ようの合間あいま合間あいまにそれを読んよんでいる様子ようすであった。
宗助そうすけは宜道よしみちに書物しょもつの名なを尋ねたずねた。
それは碧巌へきげん集しゅうというむずかしい名前なまえのものであった。
宗助そうすけは腹はらの中なかで、昨夕さくゆうのように当とう途ともない考かんがえに耽っふけって脳のうを疲らすつからすより、いっそその道みちの書物しょもつでも借りかりて読むよむ方ほうが、要領ようりょうを得るうる捷径しょうけいではなかろうかと思いついおもいついた。
宜道よしみちにそう云ういうと、宜道よしみちは一いちも二にもなく宗助そうすけの考かんがえを排斥はいせきした。
「書物しょもつを読むよむのはごく悪うわるうございます。有体ありていに云ういうと、読書どくしょほど修業しゅぎょうの妨ぼうになるものは無いないようです。私わたくし共ともでも、こうして碧巌へきげんなどを読みよみますが、自分じぶんの程度ていど以上いじょうのところになると、まるで見当けんとうがつきません。それを好よしみ加減かげんに揣摩しまする癖くせがつくと、それが坐るすわる時じの妨ぼうになって、自分じぶん以上いじょうの境界きょうかいを予期よきして見みたり、悟さとるを待ち受けまちうけて見みたり、充分じゅうぶん突込んつっこんで行くいくべきところに頓挫とんざができます。大変たいへん毒どくになりますから、御ご止しよしになった方ほうがよいでしょう。もし強いてしいて何なんか御ご読みよみになりたければ、禅ぜん関せき策さく進すすむというような、人ひとの勇気ゆうきを鼓舞こぶしたり激励げきれいしたりするものが宜しゅうよろしゅうございましょう。それだって、ただ刺戟しげきの方便ほうべんとして読むよむだけで、道みちその物ものとは無関係むかんけいです」 宗助そうすけには宜道よしみちの意味いみがよく解らわからなかった。
彼かれはこの生なま若いわかい青いあおい頭あたまをした坊ぼうさんの前まえに立ったって、あたかも一いち個この低能ていのう児こであるかのごとき心持こころもちを起しおこした。
彼かれの慢心まんしんは京都きょうと以来いらいすでに銷磨しょうまし尽しつくしていた。
彼かれは平凡へいぼんを分ぶんとして、今日きょうまで生きいきて来きた。
聞きき達とおるほど彼かれの心こころに遠いとおいものはなかった。
彼かれはただありのままの彼かれとして、宜道よしみちの前まえに立ったったのである。
しかも平生へいぜいの自分じぶんより遥かはるかに無力むりょく無能むのうな赤子あかごであると、さらに自分じぶんを認めみとめざるを得とくなくなった。
彼かれに取っとっては新らしいあたらしい発見はっけんであった。
同時どうじに自尊心じそんしんを根絶こんぜつするほどの発見はっけんであった。
宜道よしみちが竈へっついの火ひを消しけして飯めしをむらしている間まに、宗助そうすけは台所だいどころから下りくだりて庭にわの井戸端いどはしへ出でて顔かおを洗っあらった。
鼻はなの先さきにはすぐ雑木ぞうき山やまが見えみえた。
その裾すその少しすこし平たいらな所ところを拓いひらいて、菜園さいえんが拵えこしらえてあった。
宗助そうすけは濡れぬれた頭あたまを冷たいつめたい空気くうきに曝しさらして、わざと菜園さいえんまで下りくだりて行っいった。
そうして、そこに崖がけを横よこに掘っほった大きなおおきな穴あなを見出しみだした。
宗助そうすけはしばらくその前まえに立ったって、暗いくらい奥おくの方ほうを眺めながめていた。
やがて、茶の間ちゃのまへ帰るかえると、囲炉裏いろりには暖かいあたたかい火ひが起っおこって、鉄瓶てつびんに湯ゆの沸るたぎる音おとが聞えきこえた。
「手てがないものだから、つい遅くおそくなりまして御ご気の毒きのどくです。すぐ御ご膳ぜんに致しいたしましょう。しかしこんな所ところだから上げるあげるものがなくって困りこまります。その代りかわり明日あすあたりは御馳走ごちそうに風呂ふろでも立てたてましょう」と宜道よしみちが云っいってくれた。
宗助そうすけはありがたく囲炉裏いろりの向むかいに坐っすわった。
やがて食事しょくじを了えしまえて、わが室むろへ帰っかえった宗助そうすけは、また父母ふぼ未生みしょう以前いぜんと云ういう稀有けうな問題もんだいを眼めの前まえに据えすえて、じっと眺めながめた。
けれども、もともと筋すじの立たたたない、したがって発展はってんのしようのない問題もんだいだから、いくら考えかんがえてもどこからも手てを出すだす事ことはできなかった。
そうして、すぐ考えるかんがえるのが厭いやになった。
宗助そうすけはふと御ご米べいにここへ着いついた消息しょうそくを書かかかなければならない事ことに気きがついた。
彼かれは俗用ぞくようの生じしょうじたのを喜こぶよろこぶごとくに、すぐ鞄かばんの中なかから巻紙まきがみと封じふうじ袋ふくろを取り出しとりだして、御ご米べいにやる手紙てがみを書きかき始めはじめた。
まずここの閑静かんせいな事こと、海うみに近いちかいせいか、東京とうきょうよりはよほど暖かいあたたかい事こと、空気くうきの清朗せいろうな事こと、紹介しょうかいされた坊ぼうさんの親切しんせつな事こと、食事しょくじの不味いまじい事こと、夜具やぐ蒲団ふとんの綺麗きれいに行かいかない事こと、などを書き連ねかきつらねているうちに、はや三さん尺さし余りあまりの長さながさになったので、そこで筆ふでを擱いおいたが、公案こうあんに苦しめくるしめられている事ことや、坐禅ざぜんをして膝ひざの関節かんせつを痛くいたくしている事ことや、考えるかんがえるためにますます神経しんけい衰弱すいじゃくが劇しくはげしくなりそうな事ことは、噫ああにも出さださなかった。
彼かれはこの手紙てがみに切手きってを貼っはって、ポストぽすとに入れいれなければならない口実こうじつを求めもとめて、早速さっそく山やまを下っしたった。
そうして父母ふぼ未生みしょう以前いぜんと、御ご米べいと、安井やすいに、脅かさおびやかされながら、村むらの中なかをうろついて帰っかえった。
午うまには、宜道よしみちから話はなしのあった居士こじに会っかいった。
この居士こじは茶碗ちゃわんを出しだして、宜道よしみちに飯めしを盛っもって貰うもらうとき、憚かりはばかり様ようとも何なんとも云わいわずに、ただ合掌がっしょうして礼れいを述べのべたり、相図あいずをしたりした。
このくらい静かしずかに物事ものごとを為るなるのが法ほうだとか云っいった。
口くちを利かりかず、音おとを立てたてないのは、考えかんがえの邪魔じゃまになると云ういう精神せいしんからだそうであった。
それほど真剣しんけんにやるべきものをと、宗助そうすけは昨夜さくやからの自分じぶんが、何なんとなく恥ずかしくはずかしく思わおもわれた。
食後しょくご三さん人ひとは囲炉裏いろりの傍そばでしばらく話しはなした。
その時じ居士こじは、自分じぶんが坐禅ざぜんをしながら、いつか気きがつかずにうとうとと眠っねむってしまっていて、はっと正気せいきに帰るかえる間際まぎわに、おや悟っさとったなと喜ぶよろこぶことがあるが、さていよいよ眼めを開いひらいて見るみると、やっぱり元もとの通つうの自分じぶんなので失望しつぼうするばかりだと云っいって、宗助そうすけを笑わしわらわした。
こう云ういう気楽きらくな考かんがえで、参禅さんぜんしている人ひともあると思うおもうと、宗助そうすけも多少たしょうは寛ろいくつろいだ。
けれども三さん人ひとが分れわかれ分れわかれに自分じぶんの室むろに入るはいる時じ、宜道よしみちが、「今夜こんやは御ご誘いさそい申しもうしますから、これから夕方ゆうがたまでしっかり御坐りござりなさいまし」と真面目まじめに勧めすすめたとき、宗助そうすけはまた一種いっしゅの責任せきにんを感じかんじた。
消化しょうかれない堅いかたい団子だんごが胃いに滞おっているような不安ふあんな胸むねを抱いいだいて、わが室むろへ帰っかえって来きた。
そうしてまた線香せんこうを焚いたいて坐ざわり出しだした。
その癖くせ夕方ゆうがたまでは坐りすわり続けつづけられなかった。
どんな解答かいとうにしろ一いちつ拵らえこしらえておかなければならないと思いおもいながらも、しまいには根気こんきが尽きつきて、早くはやく宜道よしみちが夕食ゆうしょくの報知ほうちに本堂ほんどうを通り抜けとおりぬけて来きてくれれば好いよいと、そればかり気きにかかった。
日ひは懊悩おうのうと困憊こんぱいの裡りに傾けいむいた。
障子しょうじに映るうつる時じの影かげがしだいに遠くとおくへ立ち退くたちのくにつれて、寺てらの空気くうきが床ゆかの下したから冷えひえ出しだした。
風かぜは朝あさから枝えだを吹かふかなかった。
縁側えんがわに出でて、高いたかい庇ひさしを仰ぐあおぐと、黒いくろい瓦かわらの小口こぐちだけが揃っそろって、長くながく一いち列れつに見えるみえる外そとに、穏かおだやかな空そらが、蒼いあおい光ひかりをわが底そこの方ほうに沈めしずめつつ、自分じぶんと薄くうすくなって行くいくところであった。
十九じゅうきゅう
「危険きけんうございます」と云っいって宜道よしみちは一足先いちそくさきへ暗いくらい石段いしだんを下りくだりた。
宗助そうすけはあとから続いつづいた。
町まちと違っちがって夜よるになると足元あしもとが悪いわるいので、宜道よしみちは提灯ちょうちんを点けつけてわずか一丁いちちょうばかりの路みちを照らしてらした。
石段いしだんを下りくだり切るきると、大きなおおきな樹きの枝えだが左右さゆうから二人ふたりの頭あたまに蔽い被さるおおいかぶさるように空そらを遮っさえぎった。
闇やみだけれども蒼いあおい葉はの色いろが二人ふたりの着物きものの織目おりめに染み込むしみこむほどに宗助そうすけを寒かんがらせた。
提灯ちょうちんの灯あかりにもその色いろが多少たしょう映るうつる感じかんじがあった。
その提灯ちょうちんは一方いっぽうに大きなおおきな樹きの幹みきを想像そうぞうするせいか、はなはだ小さくちいさく見えみえた。
光ひかりの地面じめんに届くとどく尺数しゃくすうもわずかであった。
照らさてらされた部分ぶぶんは明るいあかるい灰色はいいろの断片だんぺんとなって暗いくらい中なかにほっかり落ちおちた。
そうして二人ふたりの影かげが動くうごくに伴れつれて動いうごいた。
蓮池はすいけを行きいき過ぎすぎて、左ひだりへ上るのぼる所ところは、夜よるはじめての宗助そうすけに取っとって、少しすこし足元あしもとが滑かなめらかに行かいかなかった。
土つちの中なかに根ねを食っしょくっている石いしに、一二いちに度ど下駄げたの台だいを引っ掛けひっかけた。
蓮池はすいけの手前てまえから横よこに切れるきれる裏うら路みちもあるが、この方ほうは凸凹でこぼこが多くおおくて、慣れなれない宗助そうすけには近くちかくても不便ふべんだろうと云ういうので、宜道よしみちはわざわざ広いひろい方ほうを案内あんないしたのである。
玄関げんかんを入るはいると、暗いくらい土間どまに下駄げたがだいぶ並んならんでいた。
宗助そうすけは曲きょくんで、人ひとの履物はきものを踏まふまないようにそっと上うえへのぼった。
室むろは八はち畳たたみほどの広さひろさであった。
その壁際かべぎわに列れつを作っつくって、六七ろくなな人ひとの男おとこが一いち側がわに並んならんでいた。
中なかに頭あたまを光らしひからして、黒いくろい法衣ほういを着きた僧そうも交っかっていた。
他ほかのものは大概たいがい袴はかまを穿いはいていた。
この六七ろくなな人ひとの男おとこは上り口あがりぐちと奥おくへ通ずるつうずる三さん尺さしの廊下ろうか口くちを残しのこして、行儀ぎょうぎよく鉤の手かぎのてに並んならんでいた。
そうして、一言ひとことも口くちを利かりかなかった。
宗助そうすけはこれらの人ひとの顔かおを一目いちもく見みて、まずその峻刻しゅんこくなのに気きを奪わうばわれた。
彼かれらは皆みな固くかたく口くちを結んむすんでいた。
事ことありげな眉まゆを強くつよく寄せよせていた。
傍そばにどんな人ひとがいるか見向きみむきもしなかった。
いかなるものが外そとから入っはいって来きても、全くまったく注意ちゅういしなかった。
彼かれらは活きつきた彫刻ちょうこくのように己れおのれを持しじして、火の気ひのけのない室むろに粛然しゅくぜんと坐っすわっていた。
宗助そうすけの感覚かんかくには、山寺やまでらの寒ささむさ以上いじょうに、一種いっしゅ厳かおごそかな気きが加わっくわわった。
やがて寂寞じゃくまくの中なかに、人ひとの足音あしおとが聞えきこえた。
初はつは微かかすかに響いひびいたが、しだいに強くつよく床ゆかを踏んふんで、宗助そうすけの坐っすわっている方ほうへ近づいちかづいて来きた。
しまいに一人ひとりの僧そうが廊下ろうか口くちからぬっと現れあらわれた。
そうして宗助そうすけの傍そばを通っとおって、黙っだまって外そとの暗がりくらがりへ抜けぬけて行っいった。
すると遠くとおくの奥おくの方ほうで鈴すずを振るふる音おとがした。
この時じ宗助そうすけと並んならんで厳粛げんしゅくに控えひかえていた男おとこのうちで、小倉おぐらの袴はかまを着けつけた一人ひとりが、やはり無言むごんのまま立ち上がったちあがって、室むろの隅すみの廊下ろうか口くちの真正面ましょうめんへ来きて着座ちゃくざした。
そこには高さたかさ二に尺さし幅はば一いち尺さしほどの木きの枠わくの中なかに、銅鑼どらのような形かたちをした、銅鑼どらよりも、ずっと重くおもくて厚あつしそうなものがかかっていた。
色いろは蒼黒くあおぐろく貧しいまずしい灯あかりに照らさてらされていた。
袴はかまを着けつけた男おとこは、台だいの上うえにある撞木しゅもくを取り上げとりあげて、銅鑼どらに似にた鐘かねの真中まなかを二につほど打ち鳴らしうちならした。
そうして、ついと立ったって、廊下ろうか口くちを出でて、奥おくの方ほうへ進んすすんで行っいった。
今度こんどは前まえと反対はんたいに、足音あしおとがだんだん遠くとおくの方ほうへ去るさるに従っしたがって、微かかすかになった。
そうして一番いちばんしまいにぴたりとどこかで留まっとまった。
宗助そうすけは坐ざながら、はっとした。
彼かれはこの袴はかまを着けつけた男おとこの身の上みのうえに、今いま何事なにごとが起りおこりつつあるだろうかを想像そうぞうしたのである。
けれども奥おくはしんとして静まり返っしずまりかえっていた。
宗助そうすけと並んならんでいるものも、一人ひとりとして顔かおの筋肉きんにくを動かすうごかすものはなかった。
ただ宗助そうすけは心こころの中なかで、奥おくからの何物なにものかを待ち受けまちうけた。
すると忽然こつぜんとして鈴すずを振るふる響ひびきが彼かれの耳みみに応えこたえた。
同時どうじに長いながい廊下ろうかを踏んふんで、こちらへ近づくちかづく足音あしおとがした。
袴はかまを着けつけた男おとこはまた廊下ろうか口くちから現われあらわれて、無言むごんのまま玄関げんかんを下りくだりて、霜しもの裡りに消え去っきえさった。
入れ代っいれかわってまた新らしいあたらしい男おとこが立ったって、最前さいぜんの鐘かねを打っうった。
そうして、また廊下ろうかを踏み鳴らしふみならして奥おくの方ほうへ行っいった。
宗助そうすけは沈黙ちんもくの間まに行わおこなわれるこの順序じゅんじょを見みながら、膝ひざに手てを載せのせて、自分じぶんの番ばんの来るくるのを待っまっていた。
自分じぶんより一人ひとり置いおいて前まえの男おとこが立ったって行っいった時じは、ややしばらくしてから、わっと云ういう大きなおおきな声こえが、奥おくの方ほうで聞えきこえた。
その声こえは距離きょりが遠いとおいので、劇しくはげしく宗助そうすけの鼓膜こまくを打つうつほど、強くつよくは響かひびきかなかったけれども、たしかに精せい一いち杯さかずき威いを振っふったものであった。
そうしてただ一人ひとりの咽喉のどから出でた個人こじんの特色とくしょくを帯びおびていた。
自分じぶんのすぐ前まえの人ひとが立ったった時じは、いよいよわが番ばんが回っまわって来きたと云ういう意識いしきに制せせいせられて、一層いっそう落ちつきおちつきを失っうしなった。
宗助そうすけはこの間まの公案こうあんに対したいして、自分じぶんだけの解答かいとうは準備じゅんびしていた。
けれども、それははなはだ覚束ないおぼつかない薄手うすでのものに過ぎすぎなかった。
室中しつちゅうに入るはいる以上いじょうは、何なんか見解けんかいを呈していしない訳わけに行かいかないので、やむを得とくず納まらおさまらないところを、わざと納まっおさまったように取繕っとりつくろった、その場ば限りかぎりの挨拶あいさつであった。
彼かれはこの心細いこころぼそい解答かいとうで、僥倖ぎょうこうにも難関なんかんを通過つうかして見みたいなどとは、夢ゆめにも思い設けおもいもうけなかった。
老師ろうしをごまかす気きは無論むろんなかった。
その時じの宗助そうすけはもう少しすこし真面目まじめであったのである。
単にたんに頭あたまから割り出しわりだした、あたかも画がにかいた餅もちのような代物しろものを持っもって、義理ぎりにも室中しつちゅうに入らはいらなければならない自分じぶんの空虚くうきょな事ことを恥じはじたのである。
宗助そうすけは人ひとのするごとくに鐘かねを打っうった。
しかも打ちうちながら、自分じぶんは人並ひとなみにこの鐘かねを撞木しゅもくで敲くたたくべき権能けんのうがないのを知っしっていた。
それを人並ひとなみに鳴らしならして見るみる猿さるのごとき己れおのれを深くふかく嫌忌けんきした。
彼かれは弱味よわみのある自分じぶんに恐れおそれを抱きいだきつつ、入口いりぐちを出でて冷たいつめたい廊下ろうかへ足あしを踏み出しふみだした。
廊下ろうかは長くながく続いつづいた。
右側みぎがわにある室むろはことごとく暗かっくらかった。
角かくを二につ折れ曲るおれまがると、向むかいの外れはずれの障子しょうじに灯影とうえいが差しさした。
宗助そうすけはその敷居しきい際さいへ来きて留まっとまった。
室中しつちゅうに入るはいるものは老師ろうしに向っむかって三さん拝はいするのが礼れいであった。
拝しはいしかたは普通ふつうの挨拶あいさつのように頭あたまを畳たたみに近くちかく下げるさげると同時どうじに、両手りょうての掌てのひらを上向じょうこうに開いひらいて、それを頭あたまの左右さゆうに並べならべたまま、少しすこし物ものを抱えかかえた心持こころもちに耳みみの辺へんまで上げるあげるのである。
宗助そうすけは敷居しきい際さいに跪ずいて形てけいのごとく拝はいを行なっおこなった。
すると座敷ざしきの中なかで、「一いち拝はいで宜しいよろしい」と云ういう会釈えしゃくがあった。
宗助そうすけはあとを略しりゃくして中なかへ入っはいった。
室むろの中なかはただ薄暗いうすぐらい灯あかりに照らさてらされていた。
その弱いよわい光ひかりは、いかに大字おおあざな書物しょもつをも披見ひけんせしめぬ程度ていどのものであった。
宗助そうすけは今日きょうまでの経験けいけんに訴えうったえて、これくらい微かかすかな灯火とうかに、夜よるを営なむいとなむ人間にんげんを憶い起すおもいおこす事ことができなかった。
その光ひかりは無論むろん月つきよりも強かっつよかった。
かつ月つきのごとく蒼白いあおじろい色いろではなかった。
けれどももう少しすこしで朦朧もうろうの境さかいに沈むしずむべき性質せいしつのものであった。
この静かしずかな判然はんぜんしない灯火とうかの力ちからで、宗助そうすけは自分じぶんを去るさる四五しご尺さしの正面しょうめんに、宜道よしみちのいわゆる老師ろうしなるものを認めみとめた。
彼かれの顔かおは例れいによって鋳物いもののように動かうごかなかった。
色いろは銅どうであった。
彼かれは全身ぜんしんに渋しぶに似にた柿かきに似にた茶ちゃに似にた色いろの法衣ほういを纏っまとっていた。
足あしも手ても見えみえなかった。
ただ頸くびから上うえが見えみえた。
その頸くびから上うえが、厳粛げんしゅくと緊張きんちょうの極度きょくどに安んじやすんじて、いつまで経っきょうっても変るかわる恐おそれを有せゆうせざるごとくに人ひとを魅しみした。
そうして頭あたまには一いち本ほんの毛けもなかった。
この面前めんぜんに気力きりょくなく坐っすわった宗助そうすけの、口くちにした言葉ことばはただ一句いっくで尽きつきた。
「もっと、ぎろりとしたところを持っもって来きなければ駄目だめだ」とたちまち云わいわれた。
「そのくらいな事ことは少しすこし学問がくもんをしたものなら誰だれでも云えるいえる」 宗助そうすけは喪家そうかの犬いぬのごとく室中しつちゅうを退いしりぞいた。
後あとに鈴すずを振るふる音おとが烈しくはげしく響いひびいた。
二十にじゅう
障子しょうじの外そとで野中のなかさん、野中のなかさんと呼ぶよぶ声こえが二に度どほど聞えきこえた。
宗助そうすけは半睡はんすいの裡りにはいと応えこたえたつもりであったが、返事へんじを仕切らしきらない先さきに、早くはやく知覚ちかくを失っうしなって、また正体しょうたいなく寝入っねいってしまった。
二に度目どめに眼めが覚めさめた時じ、彼かれは驚ろいおどろいて飛び起きとびおきた。
縁側えんがわへ出るでると、宜道よしみちが鼠ねずみ木綿もめんの着物きものに襷たすきを掛けかけて、甲斐甲斐しくかいがいしくそこいらを拭いぬぐいていた。
赤くあかく凍んこおんだ手てで、濡雑巾はばを絞りしぼりながら、例れいのごとく柔和にゅうわしいにこやかな顔かおをして、「御早うおはよう」と挨拶あいさつした。
彼かれは今朝けさもまたとくに参禅さんぜんを済ましすました後あと、こうして庵いおに帰っかえって働いはたらいていたのである。
宗助そうすけはわざわざ呼び起さよびおこされても起きおき得とくなかった自分じぶんの怠慢たいまんを省みかえりみて、全くまったくきまりの悪いわるい思おもうをした。
「今朝けさもつい寝ね忘れわすれて失礼しつれいしました」 彼かれはこそこそ勝手口かってぐちから井戸端いどはしの方ほうへ出でた。
そうして冷たいつめたい水みずを汲んくんでできるだけ早くはやく顔かおを洗っあらった。
延びのびかかった髯ひげが、頬ほおの辺へんで手てを刺すさすようにざらざらしたが、今いまの宗助そうすけにはそれを苦くにするほどの余裕よゆうはなかった。
彼かれはしきりに宜道よしみちと自分じぶんとを対照たいしょうして考えかんがえた。
紹介状しょうかいじょうを貰うもらうときに東京とうきょうで聞いきいたところによると、この宜道よしみちという坊ぼうさんは、大変たいへん性質せいしつのいい男おとこで、今いまでは修業しゅぎょうもだいぶでき上がっできあがっていると云ういう話はなしだったが、会っかいって見るみると、まるで一いち丁てい字じもない小しょう廝のように丁寧ていねいであった。
こうして襷たすき掛かかりで働いはたらいているところを見るみると、どうしても一いち個この独立どくりつした庵いおの主人しゅじんらしくはなかった。
納所なっしょとも小坊主しょうぼうずとも云えいえた。
この矮小わいしょうな若僧わかぞうは、まだ出家しゅっけをしない前まえ、ただの俗人ぞくじんとしてここへ修業しゅぎょうに来きた時じ、七なな日ひの間ま結跏けっかしたぎり少しすこしも動かうごかなかったのである。
しまいには足あしが痛んいたんで腰こしが立たたたなくなって、厠かわやへ上るのぼる折おりなどは、やっとの事こと壁かべ伝いつたいに身体しんたいを運んはこんだのである。
その時分じぶんの彼かれは彫刻家ちょうこくかであった。
見性けんしょうした日ひに、嬉しさうれしさの余りあまり、裏うらの山やまへ馳はせけ上っのぼって、草木くさき国土こくど悉皆しっかい成仏じょうぶつと大きなおおきな声こえを出しだして叫んさけんだ。
そうしてついに頭あたまを剃っそってしまった。
この庵いおを預かるあずかるようになってから、もう二に年ねんになるが、まだ本式ほんしきに床ゆかを延べのべて、楽らくに足あしを延ばしのばして寝ねた事ことはないと云っいった。
冬ふゆでも着物きもののまま壁かべに倚れよれて坐ざ睡ねむするだけだと云っいった。
侍者じしゃをしていた頃ころなどは、老師ろうしの犢鼻褌ふんどしまで洗わあらわせられたと云っいった。
その上うえ少しすこしの暇ひまを偸んぬすんで坐りすわりでもすると、後あとから来きて意地いじの悪いわるい邪魔じゃまをされる、毒どく吐かはかれる、頭あたまの剃りそり立てたてには何なんの因果いんがで坊主ぼうずになったかと悔むくやむ事ことが多かっおおかったと云っいった。
「ようやくこの頃このごろになって少しすこし楽らくになりました。しかしまだ先さきがございます。修業しゅぎょうは実際じっさい苦しいくるしいものです。そう容易よういにできるものなら、いくら私わたくし共ともが馬鹿ばかだって、こうして十じゅう年ねんも二十にじゅう年ねんも苦しむくるしむ訳わけがございません」 宗助そうすけはただ惘然ぼうぜんとした。
自己じこの根気こんきと精力せいりょくの足らあしらない事ことをはがゆく思うおもう上うえに、それほど歳月さいげつを掛けかけなければ成就じょうじゅできないものなら、自分じぶんは何なんしにこの山やまの中なかまでやって来きたか、それからが第だい一いちの矛盾むじゅんであった。
「けっして損そんになる気遣きづかいはございません。十分じゅうふん坐れすわれば、十じゅう分ぶんの功こうがあり、二に十分じゅうふん坐れすわれば二十にじゅう分ぶんの徳とくがあるのは無論むろんです。その上うえ最初さいしょを一いちつ奇麗きれいにぶち抜いぶちぬいておけば、あとはこう云ういう風かぜに始終しじゅうここにおいでにならないでも済みすみますから」 宗助そうすけは義理ぎりにもまた自分じぶんの室むろへ帰っかえって坐らすわらなければならなかった。
こんな時じに宜道よしみちが来きて、「野中のなかさん提唱ていしょうです」と誘っさそってくれると、宗助そうすけは心こころから嬉しいうれしい気きがした。
彼かれは禿頭とくとうを捕まえるつかまえるような手ての着けつけどころのない難題なんだいに悩まさなやまされて、坐ざながらじっと煩悶はんもんするのを、いかにも切なくせつなく思っおもった。
どんなに精力せいりょくを消耗しょうもうする仕事しごとでもいいから、もう少しすこし積極的せっきょくてきに身体しんたいを働はたらけらかしたく思っおもった。
提唱ていしょうのある場所ばしょは、やはり一いち窓まど庵いおから一いち町まちも隔っへだたっていた。
蓮池はすいけの前まえを通り越しとおりこして、それを左ひだりへ曲らきょくらずに真直まっすぐに突き当るつきあたると、屋根瓦やねがわらを厳めしくいかめしく重ねかさねた高いたかい軒のきが、松まつの間まに仰があおがれた。
宜道よしみちは懐ふところに黒いくろい表紙ひょうしの本ほんを入れいれていた。
宗助そうすけは無論むろん手ぶらてぶらであった。
提唱ていしょうと云ういうのが、学校がっこうでいう講義こうぎの意味いみである事ことさえ、ここへ来きて始めてはじめて知っしった。
室むろは高いたかい天井てんじょうに比例ひれいして広くひろくかつ寒かっさむかった。
色いろの変っかわった畳たたみの色いろが古いふるい柱はしらと映りうつり合っあって、昔むかしを物語るものがたるように寂びさび果てはてていた。
そこに坐っすわっている人々ひとびとも皆みな地味じみに見えみえた。
席次せきじ不同ふどうに思い思いおもいおもいの座ざを占めしめてはいるが、高声こうしょうに語るかたるもの、笑うわらうものは一人ひとりもなかった。
僧そうは皆みな紺こん麻あさの法衣ほういを着きて、正面しょうめんの曲きょく※の左右さゆうに列れつを作っつくって向い合せむかいあわせに並んならんだ。
その曲きょく※は朱しゅで塗っぬってあった。
やがて老師ろうしが現われあらわれた。
畳たたみを見つめみつめていた宗助そうすけには、彼かれがどこを通っとおって、どこからここへ出でたかさっぱり分らわからなかった。
ただ彼かれの落ちつきおちつき払っはらって曲きょく※に倚るよる重々しいおもおもしい姿すがたを見みた。
一人ひとりの若いわかい僧そうが立ちたちながら、紫むらさきの袱紗ふくさを解いといて、中なかから取り出しとりだした書物しょもつを、恭しくうやうやしく卓上たくじょうに置くおくところを見みた。
またその礼拝れいはいして退ぞくしりぞく態たいを見みた。
この時じ堂上どうじょうの僧そうは一斉いっせいに合掌がっしょうして、夢窓むそう国師こくしの遺誡いかいを誦ししょうし始めはじめた。
思い思いおもいおもいに席せきを取っとった宗助そうすけの前後ぜんごにいる居士こじも皆みな同音どうおんに調子ちょうしを合せあわせた。
聞いきいていると、経文きょうもんのような、普通ふつうの言葉ことばのような、一種いっしゅの節ふしを帯びおびた文字もじであった。
「我われに三さん等とうの弟子でしあり。いわゆる猛烈もうれつにして諸縁しょえんを放下しほうかし、専一せんいつに己おのれ事ことを究明きゅうめいするこれを上等じょうとうと名なづく。修業しゅぎょう純じゅんならず駁雑学がくを好むこのむ、これを中等ちゅうとうと云ういう」と云々うんぬんという、余りあまり長くながくはないものであった。
宗助そうすけは始めはじめ夢窓むそう国師こくしの何人なんにんなるかを知らしらなかった。
宜道よしみちからこの夢窓むそう国師こくしと大燈だいとう国師こくしとは、禅門ぜんもん中興ちゅうこうの祖そであると云ういう事ことを教わっおそわったのである。
平生へいぜい跛びっこで充分じゅうぶんに足あしを組むくむ事ことができないのを憤っいきどおって、死ぬしぬ間際まぎわに、今日きょうこそおれの意いのごとくにして見せるみせると云いいいながら、悪いわるい方ほうの足あしを無理むりに折おりっぺしょって、結跏けっかしたため、血ちが流れながれて法衣ほういを煮に染そめましたという大燈だいとう国師こくしの話はなしもその折おり宜道よしみちから聞いきいた。
やがて提唱ていしょうが始まっはじまった。
宜道よしみちは懐ふところから例れいの書物しょもつを出しだして、頁ぺーじを半ばなかば擦らすらして宗助そうすけの前まえへ置いおいた。
それは宗門しゅうもん無尽むじん燈あかり論ろんと云ういう書物しょもつであった。
始めはじめて聞きききに出でた時じ、宜道よしみちは、「ありがたい結構けっこうな本ほんです」と宗助そうすけに教えおしえてくれた。
白隠はくいん和尚おしょうの弟子でしの東嶺とうれい和尚おしょうとかいう人ひとの編輯へんしゅうしたもので、重じゅうに禅ぜんを修行しゅぎょうするものが、浅いあさい所ところから深いぶかい所ところへ進んすすんで行くいく径路けいろやら、それに伴なうともなう心境しんきょうの変化へんかやらを秩序ちつじょ立てたてて書いかいたものらしかった。
中途ちゅうとから顔かおを出しだした宗助そうすけには、よくも解せげせなかったけれども、講こう者ものは能弁のうべんの方ほうで、黙っだまって聞いきいているうちに、大変たいへん面白いおもしろいところがあった。
その上うえ参禅さんぜんの士しを鼓舞こぶするためか、古来こらいからこの道みちに苦しんくるしんだ人ひとの閲歴えつれき譚たんなどを取り交ぜとりまぜて、一段いちだんの精彩せいさいを着けるつけるのが例れいであった。
この日ひもその通りとおりであったが、或ある所ところへ来るくると、突然とつぜん語調ごちょうを改めあらためて、「この頃このごろ室むろ中なかに来きって、どうも妄想もうそうが起っおこっていけないなどと訴えるうったえるものがあるが」と急きゅうに入室にゅうしつ者ものの不ふ熱心ねっしんを戒しめいましめ出しだしたので、宗助そうすけは覚えおぼえずぎくりとした。
室中しつちゅうに入っはいって、その訴うったえをなしたものは実じつに彼かれ自身じしんであった。
一いち時間じかんの後あと宜道よしみちと宗助そうすけは袖そでをつらねてまた一いち窓まど庵いおに帰っかえった。
その帰り路かえりみちに宜道よしみちは、「ああして提唱ていしょうのある時じに、よく参禅さんぜん者ものの不心得ふこころえを諷せふうせられます」と云っいった。
宗助そうすけは何なんも答えこたえなかった。
二十一にじゅういち
そのうち、山やまの中なかの日ひは、一いち日ひ一日いちにちと経っきょうった。
御ご米べいからはかなり長いながい手紙てがみがもう二に本ほん来きた。
もっとも二に本ほんとも新たあらたに宗助そうすけの心こころを乱すみだすような心配しんぱい事ことは書いかいてなかった。
宗助そうすけは常つねの細君さいくん思いおもいに似にずついに返事へんじを出すだすのを怠っおこたった。
彼かれは山やまを出るでる前まえに、何なんとかこの間このまの問題もんだいに片かたをつけなければ、せっかく来きた甲斐かいがないような、また宜道よしみちに対したいしてすまないような気きがしていた。
眼めが覚めさめている時じは、これがために名状めいじょうしがたい一種いっしゅの圧迫あっぱくを受けうけつづけに受けうけた。
したがって日ひが暮れくれて夜よるが明けあけて、寺てらで見るみる太陽たいようの数すうが重なるかさなるにつけて、あたかも後あとから追いかけおいかけられでもするごとく気きを焦っあせった。
けれども彼かれは最初さいしょの解決かいけつよりほかに、一いち歩あゆみもこの問題もんだいにちかづく術じゅつを知らしらなかった。
彼かれはまたいくら考えかんがえてもこの最初さいしょの解決かいけつは確かくなものであると信じしんじていた。
ただ理窟りくつから割り出しわりだしたのだから、腹はらの足あしにはいっこうならなかった。
彼かれはこの確かくなものを放り出しほうりだして、さらにまた確かくなものを求めようもとめようとした。
けれどもそんなものは少しすこしも出でて来きなかった。
彼かれは自分じぶんの室むろで独りひとり考えかんがえた。
疲れるつかれると、台所だいどころから下りくだりて、裏うらの菜園さいえんへ出でた。
そうして崖がけの下したに掘っほった横穴よこあなの中なかへ這入っはいって、じっと動かうごかずにいた。
宜道よしみちは気きが散るちるようでは駄目だめだと云っいった。
だんだん集注しっちゅうして凝り固まっこりかたまって、しまいに鉄てつの棒ぼうのようにならなくては駄目だめだと云っいった。
そう云ういう事ことを聞けきけば聞くきくほど、実際じっさいにそうなるのが、困難こんなんになった。
「すでに頭あたまの中なかに、そうしようと云ういう下心したごころがあるからいけないのです」と宜道よしみちがまた云っいって聞かしきかした。
宗助そうすけはいよいよ窮しきゅうした。
忽然こつぜん安井やすいの事ことを考え出しかんがえだした。
安井やすいがもし坂井さかいの家いえへ頻繁ひんぱんに出入でいりでもするようになって、当分とうぶん満洲まんしゅうへ帰らかえらないとすれば、今いまのうちあの借家しゃくやを引き上げひきあげて、どこかへ転宅てんたくするのが上分じょうぶん別べつだろう。
こんな所ところにぐずぐずしているより、早くはやく東京とうきょうへ帰っかえってその方ほうの所ところ置おけをつけた方ほうがまだ実際的じっさいてきかも知れしれない。
緩かんくり構えかまえて、御ご米べいにでも知れるしれるとまた心配しんぱいが殖えるふえるだけだと思っおもった。
「私わたくしのようなものにはとうてい悟さとるは開かひらかれそうに有りありません」と思いつめおもいつめたように宜道よしみちを捕まえつかまえて云っいった。
それは帰るかえる二三にさん日ひ前まえの事ことであった。
「いえ信念しんねんさえあれば誰だれでも悟れさとれます」と宜道よしみちは躊躇ちゅうちょもなく答えこたえた。
「法華ほっけの凝り固まりこりかたまりが夢中むちゅうに太鼓たいこを叩くたたくようにやって御覧ごらんなさい。頭あたまの巓いただき辺へんから足あしの爪先つまさきまでがことごとく公案こうあんで充実じゅうじつしたとき、俄然がぜんとして新天地しんてんちが現前げんぜんするのでございます」 宗助そうすけは自分じぶんの境遇きょうぐうやら性質せいしつが、それほど盲目的もうもくてきに猛烈もうれつな働はたらけをあえてするに適してきしない事ことを深くふかく悲しんかなしんだ。
いわんや自分じぶんのこの山やまで暮らすくらすべき日ひはすでに限らかぎられていた。
彼かれは直截ちょくせつに生活せいかつの葛藤かっとうを切り払うきりはらうつもりで、かえって迂濶うかつに山やまの中なかへ迷い込んまよいこんだ愚物ぐぶつであった。
彼かれは腹はらの中なかでこう考えかんがえながら、宜道よしみちの面前めんぜんで、それだけの事ことを言い切るいいきる力ちからがなかった。
彼かれは心こころからこの若いわかい禅僧ぜんそうの勇気ゆうきと熱心ねっしんと真面目まじめと親切しんせつとに敬意けいいを表しあらわしていたのである。
「道みちは近きちかきにあり、かえってこれを遠きとおきに求むもとむという言葉ことばがあるが実際じっさいです。つい鼻はなの先さきにあるのですけれども、どうしても気きがつきません」と宜道よしみちはさも残念ざんねんそうであった。
宗助そうすけはまた自分じぶんの室むろに退いしりぞいて線香せんこうを立てたてた。
こう云ういう状態じょうたいは、不幸ふこうにして宗助そうすけの山やまを去らさらなければならない日ひまで、目めに立つたつほどの新生面しんせいめんを開くひらく機会きかいなく続いつづいた。
いよいよ出立しゅったつの朝あさになって宗助そうすけは潔きよしよく未練みれんを抛げなげ棄てすてた。
「永々えい御世話ごせわになりました。残念ざんねんですが、どうも仕方しかたがありません。もう当分とうぶん御ご眼めにかかる折おりもございますまいから、随分ずいぶん御機嫌ごきげんよう」と宜道よしみちに挨拶あいさつをした。
宜道よしみちは気の毒きのどくそうであった。
「御世話ごせわどころか、万事ばんじ不行届ふゆきとどきでさぞ御ご窮屈きゅうくつでございましたろう。しかしこれほど御坐りござりになってもだいぶ違いちがいます。わざわざおいでになっただけの事ことは充分じゅうぶんございます」と云っいった。
しかし宗助そうすけにはまるで時間じかんを潰しつぶしに来きたような自覚じかくが明らかあきらかにあった。
それをこう取りとり繕つくろいろって云っいって貰うもらうのも、自分じぶんの腑甲斐なふがいなさからであると、独りひとり恥じ入っはじいった。
「悟さとるの遅速ちそくは全くまったく人ひとの性質せいしつで、それだけでは優劣ゆうれつにはなりません。入りいりやすくても後あとで塞さいえて動かうごかない人ひともありますし、また初めはじめ長くながく掛かっかかっても、いよいよと云ういう場合ばあいに非常ひじょうに痛快つうかいにできるのもあります。けっして失望しつぼうなさる事ことはございません。ただ熱心ねっしんが大切たいせつです。亡くならなくなられた洪川こうせん和尚おしょうなどは、もと儒教じゅきょうをやられて、中年ちゅうねんからの修業しゅぎょうでございましたが、僧そうになってから三さん年ねんの間まと云ういうものまるで一則かずのりも通らとおらなかったです。それで私わたくしは業ごうが深くふかくて悟れさとれないのだと云っいって、毎朝まいあさ厠かわやに向っむかって礼拝れいはいされたくらいでありましたが、後あとにはあのような知識ちしきになられました。これなどはもっとも好いよい例れいです」 宜道よしみちはこんな話はなしをして、暗にあんに宗助そうすけが東京とうきょうへ帰っかえってからも、全くまったくこの方ほうを断念だんねんしないようにあらかじめ間接かんせつの注意ちゅういを与えるあたえるように見えみえた。
宗助そうすけは謹んつつしんで、宜道よしみちのいう事ことに耳みみを借かりした。
けれども腹はらの中なかでは大事だいじがもうすでに半分はんぶん去っさったごとくに感じかんじた。
自分じぶんは門もんを開けあけて貰いもらいに来きた。
けれども門番もんばんは扉とびらの向側むかいがわにいて、敲いたたいてもついに顔かおさえ出しだしてくれなかった。
ただ、「敲いたたいても駄目だめだ。独りひとりで開けあけて入れいれ」と云ういう声こえが聞えきこえただけであった。
彼かれはどうしたらこの門もんの閂かんぬきを開けるあける事ことができるかを考えかんがえた。
そうしてその手段しゅだんと方法ほうほうを明らかあきらかに頭あたまの中なかで拵えこしらえた。
けれどもそれを実地じっちに開けるあける力ちからは、少しすこしも養成ようせいする事ことができなかった。
したがって自分じぶんの立ったっている場所ばしょは、この問題もんだいを考えかんがえない昔むかしと毫もごうも異なることなるところがなかった。
彼かれは依然いぜんとして無能むのう無力むりょくに鎖ざさとざされた扉とびらの前まえに取り残さとりのこされた。
彼かれは平生へいぜい自分じぶんの分別ぶんべつを便びんに生きいきて来きた。
その分別ぶんべつが今いまは彼かれに祟ったたったのを口くち惜くおしく思っおもった。
そうして始はじめから取捨しゅしゃも商量しょうりょうも容れいれない愚ぐなものの一徹いってつ一いち図ずを羨んうらやんだ。
もしくは信念しんねんに篤いあちい善男ぜんなん善女ぜんにょの、知慧ちえも忘れわすれ思おもう議ぎも浮ばうかばぬ精進しょうじんの程度ていどを崇高すうこうと仰いおっしゃいだ。
彼かれ自身じしんは長くながく門もん外そとに佇立ちょりつむべき運命うんめいをもって生れうまれて来きたものらしかった。
それは是非ぜひもなかった。
けれども、どうせ通れとおれない門もんなら、わざわざそこまで辿りつくたどりつくのが矛盾むじゅんであった。
彼かれは後あとを顧みかえりみた。
そうしてとうていまた元もとの路みちへ引き返すひきかえす勇気ゆうきを有ゆうたなかった。
彼かれは前まえを眺めながめた。
前まえには堅固けんごな扉とびらがいつまでも展望てんぼうを遮ぎっさえぎっていた。
彼かれは門もんを通るとおる人ひとではなかった。
また門もんを通らとおらないで済むすむ人ひとでもなかった。
要するようするに、彼かれは門もんの下したに立ち竦んたちすくんで、日ひの暮れるくれるのを待つまつべき不幸ふこうな人ひとであった。
宗助そうすけは立つたつ前まえに、宜道よしみちと連れだっつれだって、老師ろうしの許もとへちょっと暇乞いとまごいに行っいった。
老師ろうしは二人ふたりを蓮池はすいけの上うえの、縁えんに勾欄こうらんの着いついた座敷ざしきに通しとおした。
宜道よしみちは自らみずから次の間つぎのまに立ったって、茶ちゃを入れいれて出でた。
「東京とうきょうはまだ寒いさむいでしょう」と老師ろうしが云っいった。
「少しすこしでも手がかりてがかりができてからだと、帰っかえったあとも楽らくだけれども。惜しいおしい事ことで」 宗助そうすけは老師ろうしのこの挨拶あいさつに対したいして、丁寧ていねいに礼れいを述べのべて、また十じゅう日ひ前まえに潜っもぐった山門さんもんを出でた。
甍いらかを圧するあっする杉すぎの色いろが、冬ふゆを封じふうじて黒くくろく彼かれの後あとに聳えそびえた。
二十二にじゅうに
家いえの敷居しきいを跨いまたいだ宗助そうすけは、己れおのれにさえ憫然びんぜんな姿すがたを描いえがいた。
彼かれは過去かこ十じゅう日間かかん毎朝まいあさ頭あたまを冷水れいすいで濡らしぬらしたなり、いまだかつて櫛くしの歯はを通しとおした事ことがなかった。
髭ひげは固よりもとより剃るそる暇ひまを有ゆうたなかった。
三さん度どとも宜道よしみちの好意こういで白米はくまいの炊いたいだのを食べたべたには食べたべたが、副食物ふくしょくもつと云っいっては、菜なの煮にたのか、大根だいこんの煮にたのぐらいなものであった。
彼かれの顔かおは自からみずから蒼かっあおかった。
出るでる前まえよりも多少たしょう面窶れおもやつれていた。
その上うえ彼かれは一いち窓まど庵いおで考えかんがえつづけに考えかんがえた習慣しゅうかんがまだ全くまったく抜けぬけ切らきらなかった。
どこかに卵たまごを抱くいだく牝鶏ひんけいのような心持こころもちが残っのこって、頭あたまが平生へいぜいの通りとおり自由じゆうに働はたらけらかなかった。
その癖くせ一方いっぽうでは坂井さかいの事ことが気きにかかった。
坂井さかいと云ういうよりも、坂井さかいのいわゆる冒険者ぼうけんしゃとして宗助そうすけの耳みみに響いひびいたその弟おとうとと、その弟おとうとの友達ともだちとして彼かれの胸むねを騒がしさわがした安井やすいの消息しょうそくが気きにかかった。
けれども彼かれは自身じしんに家主やぬしの宅たくへ出向いでむいて、それを聞き糺すききただす勇気ゆうきを有ゆうたなかった。
間接かんせつにそれを御ご米べいに問うとうことはなおできなかった。
彼かれは山やまにいる間まさえ、御ご米べいがこの事件じけんについて何事なにごとも耳みみにしてくれなければいいがと気遣わきづかわない日ひはなかったくらいである。
宗助そうすけは年来ねんらい住みすみ慣れなれた家いえの座敷ざしきに坐っすわって、「汽車きしゃに乗るのると短かいみじかい道中どうちゅうでも気きのせいか疲れるつかれるね。留守るす中なかに別段べつだん変っかわった事ことはなかったかい」と聞いきいた。
実際じっさい彼かれは短かいみじかい汽車きしゃ旅行りょこうにさえ堪えこらえかねる顔つきかおつきをしていた。
御ご米べいはいかな場合ばあいにも夫おっとの前まえに忘れわすれなかった笑顔えがおさえ作りつくり得とくなかった。
と云っいって、せっかく保養ほように行っいった転地てんち先さきから今いま帰っかえって来きたばかりの夫おっとに、行かいかない前まえよりかえって健康けんこうが悪くわるくなったらしいとは、気の毒きのどくで露骨ろこつに話しはなし悪かっわるかった。
わざと活溌かっぱつに、「いくら保養ほようでも、家いえへ帰るかえると、少しすこしは気き疲が出るでるものよ。けれどもあなたは余よまり爺々じい汚いきたないわ。後生こうせいだから一いち休しきゅうしたら御ご湯ゆに行っいって頭あたまを刈っかって髭ひげを剃っそって来きてちょうだい」と云いいいながら、わざわざ机つくえの引出ひきでから小さなちいさな鏡かがみを出しだして見せみせた。
宗助そうすけは御ご米べいの言葉ことばを聞いきいて、始めはじめて一いち窓まど庵いおの空気くうきを風かぜで払っはらったような心持こころもちがした。
一いちたび山やまを出でて家いえへ帰れかえればやはり元もとの宗助そうすけであった。
「坂井さかいさんからはその後そのあと何なんとも云っいって来きないかい」「いいえ何なんとも」「小六しょうろくの事ことも」「いいえ」 その小六しょうろくは図書館としょかんへ行っいって留守るすだった。
宗助そうすけは手拭てぬぐいと石鹸せっけんを持っもって外そとへ出でた。
明るあかる日ひ役所やくしょへ出るでると、みんなから病気びょうきはどうだと聞かきかれた。
中なかには少しすこし瘠せやせたようですねと云ういうものもあった。
宗助そうすけにはそれが無意識むいしきの冷評れいひょうの意味いみに聞えきこえた。
菜根さいこん譚たんを読むよむ男おとこはただどうです旨くうまく行きいきましたかと尋ねたずねた。
宗助そうすけはこの問もんにもだいぶ痛いいたい思おもうをした。
その晩ばんはまた御ご米べいと小六しょうろくから代る代るかわるがわる鎌倉かまくらの事ことを根掘りねほり葉掘りはほり問わとわれた。
「気楽きらくでしょうね。留守るす居いも何なんもおかないで出でられたら」と御ご米べいが云っいった。
「それで一いち日ひいくら出すだすと置いおいてくれるんです」と小六しょうろくが聞いきいた。
「鉄砲てっぽうでも担いにないで行っいって、猟りょうでもしたら面白かろうおもしろかろう」とも云っいった。
「しかし退屈たいくつね。そんなに淋しくさびしくっちゃ。朝あさから晩ばんまで寝ねていらっしゃる訳わけにも行かいかないでしょう」と御ご米べいがまた云っいった。
「もう少しすこし滋養じよう物ものが食えるくえる所ところでなくっちゃあ、やっぱり身体しんたいによくないでしょう」と小六しょうろくがまた云っいった。
宗助そうすけはその夜よる床ゆかの中なかへ入っはいって、明日あすこそ思い切っおもいきって、坂井さかいへ行っいって安井やすいの消息しょうそくをそれとなく聞き糺しききただして、もし彼かれがまだ東京とうきょうにいて、なおしばしば坂井さかいと往復おうふくがあるようなら、遠くとおくの方ほうへ引越しひっこしてしまおうと考えかんがえた。
次の日つぎのひは平凡へいぼんに宗助そうすけの頭あたまを照らしてらして、事ことなき光ひかりを西にしに落しおとした。
夜よるに入っはいって彼かれは、「ちょっと坂井さかいさんまで行っいって来るくる」と云い捨ていいすてて門もんを出でた。
月つきのない坂さかを上っのぼって、瓦斯灯がすとうに照らさてらされた砂利じゃりを鳴らしならしながら潜戸くぐりどを開けあけた時じ、彼かれは今夜こんやここで安井やすいに落ち合うおちあうような万一まんいちはまず起らおこらないだろうと度胸どきょうを据えすえた。
それでもわざと勝手口かってぐちへ回っまわって、御ご客来きゃくらいですかと聞くきくことは忘れわすれなかった。
「よくおいでです。どうも相そう変らかわらず寒いさむいじゃありませんか」と云ういう常つねの通りとおり元気げんきの好いよい主人しゅじんを見るみると、子供こどもを大勢おおぜい自分じぶんの前まえへ並べならべて、その中なかの一人ひとりと掛声かけごえをかけながら、じゃん拳じゃんけんをやっていた。
相手あいての女の子おんなのこの年ねんは、六ろくつばかりに見えみえた。
赤いあかい幅はばのあるリボンりぼんを蝶々ちょうちょうのように頭あたまの上うえにくっつけて、主人しゅじんに負けまけないほどの勢いきおいで、小さなちいさな手てを握りにぎり固めかためてさっと前まえへ出しだした。
その断然だんぜんたる様子ようすと、その握り拳にぎりこぶしの小さちいさささと、これに反しはんして主人しゅじんの仰山ぎょうさんらしく大きなおおきな拳骨げんこつが、対照たいしょうになって皆みなの笑わらいを惹いひいた。
火鉢ひばちの傍そばに見みていた細君さいくんは、「そら今度こんどこそ雪子ゆきこの勝かちだ」と云っいって愉快ゆかいそうに綺麗きれいな歯はを露わあらわした。
子供こどもの膝ひざの傍そばには白しろだの赤あかだの藍あいだのの硝子がらす玉たまがたくさんあった。
主人しゅじんは、「とうとう雪子ゆきこに負けまけた」と席せきを外しはずして、宗助そうすけの方ほうを向いむかいたが、「どうですまた洞窟どうくつへでも引き込みひきこみますかな」と云っいって立ち上がったちあがった。
書斎しょさいの柱はしらには、例れいのごとく錦にしきの袋ふくろに入れいれた蒙古もうこ刀かたなが振らふら下がっさがっていた。
花はな活かつにはどこで咲いさいたか、もう黄色いきいろい菜の花なのはなが挿しさしてあった。
宗助そうすけは床柱とこばしらの中途ちゅうとを華やかはなやかに彩どるいろどる袋ふくろに眼めを着けつけて、「相そう変らかわらず掛かっかかっておりますな」と云っいった。
そうして主人しゅじんの気色けしきを頭あたまの奥おくから窺っうかがった。
主人しゅじんは、「ええちと物もの数奇すうき過ぎすぎますね、蒙古もうこ刀かたなは」と答えこたえた。
「ところが弟おとうとの野郎やろうそんな玩具がんぐを持っもって来きては、兄貴あにきを籠絡ろうらくするつもりだから困りものこまりものじゃありませんか」「御ご舎弟しゃていはその後そのあとどうなさいました」と宗助そうすけは何気なんげない風かぜを示ししめした。
「ええようやく四五しご日ひ前まえ帰りかえりました。ありゃ全くまったく蒙古もうこ向むかいですね。御前ごぜんのような夷狄いてきは東京とうきょうにゃ調和ちょうわしないから早くはやく帰れかえれったら、私わたくしもそう思うおもうって帰っかえって行きいきました。どうしても、ありゃ万里ばんりの長城ちょうじょうの向側むかいがわにいるべき人物じんぶつですよ。そうしてゴビごびの沙漠さばくの中なかで金剛石こんごうせきでも捜しさがしていればいいんです」「もう一人ひとりの御ご伴侶はんりょは」「安井やすいですか、あれも無論むろんいっしょです。ああなると落ちついおちついちゃいられないと見えみえますね。何なんでも元もとは京都大学きょうとだいがくにいたこともあるんだとか云ういう話はなしですが。どうして、ああ変化へんかしたものですかね」 宗助そうすけは腋の下わきのしたから汗あせが出でた。
安井やすいがどう変っかわって、どう落ちつかおちつかないのか、全くまったく聞くきく気きにはならなかった。
ただ自分じぶんが主人しゅじんに安井やすいと同じおなじ大学だいがくにいた事ことを、まだ洩らさもらさなかったのを天祐てんゆうのようにありがたく思っおもった。
けれども主人しゅじんはその弟おとうとと安井やすいとを晩餐ばんさんに呼ぶよぶとき、自分じぶんをこの二人ふたりに紹介しょうかいしようと申し出もうしでた男おとこである。
辞退じたいをしてその席せきへ顔かおを出すだす不面目ふめんぼくだけはやっと免かれまぬかれたようなものの、その晩ばん主人しゅじんが何なんかの機会きかいについ自分じぶんの名なを二人ふたりに洩らさもらさないとは限らかぎらなかった。
宗助そうすけは後暗いうしろぐらい人ひとの、変名へんめいを用いもちいて世よを渡るわたる便利べんりを切にせつに感じかんじた。
彼かれは主人しゅじんに向っむかって、「あなたはもしや私わたくしの名なを安井やすいの前まえで口くちにしやしませんか」と聞いきいて見みたくて堪らたまらなかった。
けれども、それだけはどうしても聞けきけなかった。
下女げじょが平たいひらたい大きなおおきな菓子皿かしさらに妙みょうな菓子かしを盛っもって出でた。
一丁いちちょうの豆腐とうふぐらいな大きさおおきさの金玉糖きんぎょくとうの中なかに、金魚きんぎょが二に疋ひき透いすいて見えるみえるのを、そのまま庖丁ほうちょうの刃はを入れいれて、元もとの形かたちを崩さくずさずに、皿さらに移しうつしたものであった。
宗助そうすけは一目いちもく見みて、ただ珍らしいめずらしいと感じかんじた。
けれども彼かれの頭あたまはむしろ他ほかの方面ほうめんに気きを奪わうばわれていた。
すると主人しゅじんが、「どうです一いちつ」と例れいの通りとおりまず自分じぶんから手てを出しだした。
「これはね、昨日きのうある人ひとの銀婚式ぎんこんしきに呼ばよばれて、貰っもらって来きたのだから、すこぶるおめでたいのです。あなたも一切いっさいぐらい肖っあやかってもいいでしょう」 主人しゅじんは肖りあやかりたい名なの下したに、甘かん垂しでるい金玉糖きんぎょくとうを幾いく切せつか頬張っほおばった。
これは酒さけも呑みのみ、茶ちゃも呑みのみ、飯めしも菓子かしも食えるくえるようにできた、重宝ちょうほうで健康けんこうな男おとこであった。
「何なん実じつを云ういうと、二十にじゅう年ねんも三十さんじゅう年ねんも夫婦ふうふが皺しわだらけになって生きいきていたって、別べつにおめでたくもありませんが、そこが物ものは比較的ひかくてきなところでね。私わたくしはいつか清水谷しみずだにの公園こうえんの前まえを通っとおって驚ろいおどろいた事ことがある」と変へんな方面ほうめんへ話はなしを持っもって行っいった。
こういう風かぜに、それからそれへと客きゃくを飽かせあかせないように引張っひっぱって行くいくのが、社交しゃこうになれた主人しゅじんの平生へいぜいの調子ちょうしであった。
彼かれの云ういうところによると、清水谷しみずだにから弁慶べんけい橋はしへ通じるつうじる泥溝どろどぶのような細いほそい流りゅうの中なかに、春先はるさきになると無数むすうの蛙かわずが生れるうまれるのだそうである。
その蛙かわずが押し合いおしあい鳴きなき合っあって生長せいちょうするうちに、幾いく百ひゃく組くみか幾いく千せん組くみの恋こいが泥どろ渠きょの中なかで成立せいりつする。
そうしてそれらの愛あいに生きるいきるものが重ならかさならないばかりに隙間すきまなく清水谷しみずだにから弁慶べんけい橋はしへ続いつづいて、互たがいに睦まじくむつまじく浮いういていると、通り掛りとおりがかりの小僧こぞうだの閑人ひまじんが、石いしを打ちつけうちつけて、無残むざんにも蛙かわずの夫婦ふうふを殺しころして行くいくものだから、その数すうがほとんど勘定かんじょうし切れきれないほど多くおおくなるのだそうである。
「死屍累々ししるいるいとはあの事ことですね。それが皆みな夫婦ふうふなんだから実際じっさい気の毒きのどくですよ。つまりあすこを二三にさん丁てい通るとおるうちに、我々われわれは悲劇ひげきにいくつ出逢うであうか分らわからないんです。それを考えるかんがえると御ご互たがいは実じつに幸福こうふくでさあ。夫婦ふうふになってるのが悪わるらしいって、石いしで頭あたまを破らやぶられる恐れおそれは、まあ無いないですからね。しかも双方そうほうともに二十にじゅう年ねんも三十さんじゅう年ねんも安全あんぜんなら、全くまったくおめでたいに違いありませんよ。だから一切いっさいぐらい肖っあやかっておく必要ひつようもあるでしょう」と云っいって、主人しゅじんはわざと箸はしで金玉糖きんぎょくとうを挟んはさんで、宗助そうすけの前まえに出しだした。
宗助そうすけは苦笑くしょうしながら、それを受けうけた。
こんな冗談じょうだん交りまじわりの話はなしを、主人しゅじんはいくらでも続けるつづけるので、宗助そうすけはやむを得とくず或るある辺へんまでは釣らつられて行っいった。
けれども腹はらの中なかはけっして主人しゅじんのように太平楽たいへいらくには行かいかなかった。
辞しじして表ひょうへ出でて、また月つきのない空そらを眺めながめた時じは、その深くふかく黒いくろい色いろの下したに、何なんとも知れしれない一種いっしゅの悲哀ひあいと物凄ものすごさを感じかんじた。
彼かれは坂井さかいの家いえに、ただいやしくも免かれまぬかれんとする料簡りょうけんで行っいった。
そうして、その目的もくてきを達するたっするために、恥はじと不愉快ふゆかいを忍んしのんで、好意こういと真率しんそつの気きに充ちみちた主人しゅじんに対したいして、政略せいりゃく的まとに談話だんわを駆っかった。
しかも知ろうしろうと思うおもう事ことはことごとく知るしる事ことができなかった。
己れおのれの弱点じゃくてんに付いついては、一言ひとことも彼かれの前まえに自白じはくするの勇気ゆうきも必要ひつようも認めみとめなかった。
彼かれの頭あたまを掠めんかすめんとした雨雲あまぐもは、辛うじてかろうじて、頭あたまに触れふれずに過ぎすぎたらしかった。
けれども、これに似にた不安ふあんはこれから先さき何度なんどでも、いろいろな程度ていどにおいて、繰り返さくりかえさなければすまないような虫むしの知らせしらせがどこかにあった。
それを繰り返さくりかえさせるのは天てんの事ことであった。
それを逃げにげて回るまわるのは宗助そうすけの事ことであった。
二十三にじゅうさん
月つきが変っかわってから寒ささむさがだいぶ緩んゆるんだ。
官吏かんりの増俸ぞうほう問題もんだいにつれて必然ひつぜん起るおこるべく、多数たすうの噂うわさに上っのぼった局員きょくいん課員かいんの淘汰とうたも、月末げつまつまでにほぼ片づいかたづいた。
その間まぽつりぽつりと首くびを斬らきられる知人ちじんや未知みち人ひとの名前なまえを絶えたえず耳みみにした宗助そうすけは、時々ときどき家いえへ帰っかえって御ご米べいに、「今度こんどはおれの番ばんかも知れしれない」と云ういう事ことがあった。
御ご米べいはそれを冗談じょうだんとも聞ききき、また本気ほんきとも聞いきいた。
まれには隠れかくれた未来みらいを故意こいに呼び出すよびだす不吉ふきつな言葉ことばとも解釈かいしゃくした。
それを口くちにする宗助そうすけの胸むねの中なかにも、御ご米べいと同じおなじような雲くもが去来きょらいした。
月つきが改っあらたまって、役所やくしょの動揺どうようもこれで一段落いちだんらくだと沙汰さたせられた時じ、宗助そうすけは生き残っいきのこった自分じぶんの運命うんめいを顧りみかえりみて、当然とうぜんのようにも思っおもった。
また偶然ぐうぜんのようにも思っおもった。
立ちたちながら、御ご米べいを見下しみくだして、「まあ助かったすかった」とむずかし気きに云っいった。
その嬉しくうれしくも悲しくかなしくもない様子ようすが、御ご米べいには天てんから落ちおちた滑稽こっけいに見えみえた。
また二三にさん日ひして宗助そうすけの月給げっきゅうが五ご円えん昇っのぼった。
「原則げんそく通りとおり二に割わり五ご分ぶん増さぞうさないでも仕方しかたがあるまい。休めやすめられた人ひとも、元もと給きゅうのままでいる人ひともたくさんあるんだから」と云っいった宗助そうすけは、この五ご円えんに自己じこ以上いじょうの価値かちをもたらし帰っかえったごとく満足まんぞくの色いろを見せみせた。
御ご米べいは無論むろんの事こと心こころのうちに不足ふそくを訴えるうったえるべき余地よちを見出さみだしさなかった。
翌日よくじつの晩ばん宗助そうすけはわが膳ぜんの上うえに頭つきずつきの魚さかなの、尾おを皿さらの外そとに躍らすおどらす態たいを眺めながめた。
小豆あずきの色いろに染まっそまった飯めしの香こうを嗅いかいだ。
御ご米べいはわざわざ清きよしをやって、坂井さかいの家いえに引き移っひきうつった小六しょうろくを招いまねいた。
小六しょうろくは、「やあ御馳走ごちそうだなあ」と云っいって勝手かってから入っはいって来きた。
梅うめがちらほらと眼めに入るはいるようになった。
早いはやいのはすでに色いろを失なっうしなって散りちりかけた。
雨あめは煙るけむるように降りふり始めはじめた。
それが霽れはれて、日ひに蒸さむされるとき、地面じめんからも、屋根やねからも、春はるの記憶きおくを新しんにすべき湿気しっけがむらむらと立ち上ったちのぼった。
背戸せどに干しほした雨傘あまがさに、小犬こいぬがじゃれかかって、蛇の目じゃのめの色いろがきらきらする所ところに陽炎かげろうが燃えるもえるごとく長閑のどかに思わおもわれる日ひもあった。
「ようやく冬ふゆが過ぎすぎたようね。あなた今度こんどの土曜どように佐伯さえきの叔母おばさんのところへ回っまわって、小六しょうろくさんの事ことをきめていらっしゃいよ。あんまりいつまでも放っはなっておくと、また安あんさんが忘れわすれてしまうから」と御ご米べいが催促さいそくした。
宗助そうすけは、「うん、思い切っおもいきって行っいって来ようこよう」と答えこたえた。
小六しょうろくは坂井さかいの好意こういで、そこの書生しょせいに住み込んすみこんだ。
その上うえに宗助そうすけと安之助やすのすけが、不足ふそくのところを分担ぶんたんする事ことができたらと小六しょうろくに云っいって聞かしきかしたのは、宗助そうすけ自身じしんであった。
小六しょうろくは兄あにの運動うんどうを待たまたずに、すぐ安之助やすのすけに直談判じかだんぱんをした。
そうして、形式的けいしきてきに宗助そうすけの方ほうから依頼いらいすればすぐ安之助やすのすけが引き受けるひきうけるまでに自分じぶんで埒らちを明けあけたのである。
小康しょうこうはかくして事ことを好まこのまない夫婦ふうふの上うえに落ちおちた。
ある日曜にちようの午うま宗助そうすけは久しぶりひさしぶりに、四よん日ひ目めの垢あかを流すながすため横町よこちょうの洗場あらいばに行っいったら、五十ごじゅうばかりの頭あたまを剃っそった男おとこと、三十さんじゅう代だいの商人しょうにんらしい男おとこが、ようやく春はるらしくなったと云っいって、時候じこうの挨拶あいさつを取りとり換かえわしていた。
若いわかい方ほうが、今朝けさ始めはじめて鶯うぐいすの鳴声なきごえを聞いきいたと話すはなすと、坊ぼうさんの方ほうが、私わたくしは二三にさん日ひ前まえにも一度いちど聞いきいた事ことがあると答えこたえていた。
「まだ鳴きなきはじめだから下手へただね」「ええ、まだ充分じゅうぶんに舌したが回りまわりません」 宗助そうすけは家いえへ帰っかえって御ご米べいにこの鶯うぐいすの問答もんどうを繰り返しくりかえして聞かきかせた。
御ご米べいは障子しょうじの硝子がらすに映るうつる麗かうららかな日影ひかげをすかして見みて、「本当ほんとうにありがたいわね。ようやくの事こと春はるになって」と云っいって、晴れ晴れしいはればれしい眉まゆを張っちょうった。
宗助そうすけは縁えんに出でて長くながく延びのびた爪つめを剪りきりながら、「うん、しかしまたじき冬ふゆになるよ」と答えこたえて、下したを向いむかいたまま鋏はさみを動かしうごかしていた。
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