坑夫

その三人が三人ながら、宿無である。顔も洗わず朝飯も食わずに、雲の中を迷って歩く連中である。この連中と道伴になって登り一里、降り二里を足の続く限り雲に吹かれて来たら、雨になった。時計がないんで何時だか分らない。空模様で判断すると、朝とも云われるし、午過とも云われるし、また夕方と云っても差支ない。自分の精神と同じように世界もぼんやりしているが、ただちょっと眼についたのは、雨の間から微かに見える山の色であった。その色が今までのとは打って変っている。いつの間にか木が抜けて、空坊主になったり、ところ斑の禿頭と化けちまったんで、丹砂のように赤く見える。今までの雲で自分と世間を一筆に抹殺して、ここまでふらつきながら、手足だけを急がして来たばかりだから、この赤い山がふと眼に入るや否や、自分ははっと雲から醒めた気分になった。色彩の刺激が、自分にこう強く応えようとは思いがけなかった。――実を云うと自分は色盲じゃないかと思うくらい、色には無頓着な性質である。――そこでこの赤い山が、比較的烈しく自分の視神経を冒すと同時に、自分はいよいよ銅山に近づいたなと思った。虫が知らせたと云えば、虫が知らせたとも云えるが、実はこの山の色を見て、すぐ銅を連想したんだろう。とにかく、自分がいよいよ到着したなと直覚的に――世の中で直覚的と云うのは大概このくらいなものだと思うが――いわゆる直覚的に事実を感得した時に、長蔵さんが、「やっと、着いた」と自分が言いたいような事を云った。それから十五分ほどしたら町へ出た。山の中の山を越えて、雲の中の雲を通り抜けて、突然新しい町へ出たんだから、眼を擦って視覚をたしかめたいくらい驚いた。それも昔の宿とか里とか云う旧幕時代に縁のあるような町なら、まだしもだが、新しい銀行があったり、新しい郵便局があったり、新しい料理屋があったり、すべてが苔の生えない、新しずくめの上に、白粉をつけた新しい女までいるんだから、全く夢のような気持で、不審が顔に出る暇もないうちに通り越しちまった。すると橋へ出た。長蔵さんは橋の上へ立って、ちょっと水の色を見たが、「これが入口だよ。いよいよ着いたんだから、そのつもりでいなくっちゃ、いけない」と注意を与えた。しかし自分には、どんなつもりでいなくっちゃいけないんだか、ちっとも分らなかったから、黙って橋の上へ立って、入口から奥の方を見ていた。左が山である。右も山である。そうして、所々に家が見える。やっぱり木造の色が新しい。中には白壁だか、ペンキ塗だか分らないのがある。これも新しい。古ぼけて禿げてるのは山ばかりだった。何だかまた現実世界に引き摺り込まれるような気がして、少しく失望した。長蔵さんは自分が黙って橋の向を覗き込んでるのを見て、「好いかね、御前さん、大丈夫かい」とまた聞き直したから、自分は、「好いです」と明瞭に答えたが、内心あまり好くはなかった。なぜだかしらないが、長蔵さんはただ自分にだけ懸念がある様子であった。赤毛布と小僧には「好いかね」とも「大丈夫かい」とも聞かなかった。頭からこの両人は過去の因果で、坑夫になって、銅山のうちに天命を終るべきものと認定しているような気色がありありと見えた。して見ると不信用なのは自分だけで、だいぶ長蔵さんからこいつは危ないなと睨まれていたのかも知れない。好い面の皮だ。

第 4 章
それから四よん人ひと揃っそろって、橋はしを渡っわたって行くいくと、右手みぎてに見えるみえる家いえにはなかなか立派りっぱなのがある。
その中なかで一番いちばんいかめしい奴やつを指しさして、あれが所長しょちょうの家いえだと長蔵ちょうぞうさんが教えおしえてくれた。
ついでに左ひだりの方ほうを見みながら「こっちがシキしきだよ、御前ごぜんさん、好いよいかね」と云ういう。
自分じぶんはシキしきと云ういう言葉ことばをこの時じ始めはじめて聞いきいた。
よっぽど聞き返そうききかえそうかと思っおもったが、大方おおかたこれがシキしきなんだろうと思っおもって黙っだまっていた。
あとから自分じぶんもこのシキしきと云ういう言葉ことばを明瞭めいりょうに理解りかいしなければならない身分みぶんになったが、やっぱり始めはじめにぼんやり考えついかんがえついた定義ていぎとさした違いもなかった。
そのうち左ひだりへ折れおれていよいよシキしきの方ほうへ這入るはいる事ことになった。
鉄軌てっきについてだんだん上っのぼって行くいくと、そこここに粗末そまつな小さいちいさい家いえがたくさんある。
これは坑夫こうふの住んすんでる所ところだと聞いきいて、自分じぶんも今日きょうから、こんな所ところで暮すくらすのかと思っおもったが、それは間ま違いであった。
この小屋こやはどれも六ろく畳たたみと三さん畳たたみ二に間まで、みんな坑夫こうふの住んすんでる所ところには違いないが、家族かぞくのあるものに限っかぎって貸しかしてくれる規定きていであるから、自分じぶんのような一人ひとりものは這入りはいりたくたって這入れはいれないんだった。
こう云ういう小屋こやの間まを縫っぬって、飽きあきずに上っのぼって行くいくと、今度こんどは石崖いしがけの下したに細長いほそながい横幅よこはばばかりの長屋ながやが見えるみえる。
そうして、その長屋ながやがたくさんある。
始めはじめはわずか二三にさん軒のきかと思っおもったら、登るのぼるに従っしたがって続々ぞくぞくあらわれて来きた。
大きさおおきさも長さながさも似にたもんで、みんな崖下がいかにあるんだから位地いちにも変りかわりはないが、向むかいだけは各々おのおの違っちがってる。
山坂やまさかを利用りようして、なけなしの地面じめんへ建てるたてることだから、東ひがしだとか西にしだとか贅沢ぜいたくは言っいっていられない。
やっとの思いおもいで、ならした地面じめんへ否応いやおうなしに、方角ほうがくのお構かまえなく建てたててしまったんだから不規則ふきそくなものだ。
それに、第だい一いち、登っのぼって行くいく道みちがくねってる。
あの長屋ながやの右みぎを歩いあるいてるなと思うおもうと、いつの間まにかその長屋ながやの前まえへ出でて来るくる。
あれは、すぐ頭あたまの上うえだがと心待ちこころまちに待っまっていると、急きゅうに路みちが外れはずれて遠くとおくへ持っもってかれてしまう。
まるで見当けんとうがつかない。
その上うえこの細長いほそながい家いえから顔かおが出でている。
家いえから顔かおが出でているのが珍らしいめずらしい事こともないんだが、その顔かおがただの顔かおじゃない。
どれも、これも、出来できていない上うえに、色いろが悪いわるい。
その悪わるさ加減かげんがまた、尋常じんじょうでない。
青くあおくって、黒くくろくって、しかも茶色ちゃいろで、とうてい都会とかいにいては想像そうぞうのつかない色いろだから困るこまる。
病院びょういんの患者かんじゃなどとはまるで比較ひかくにならない。
自分じぶんが山路やまじを登りのぼりながら、始めはじめてこの顔かおを見みた時じは、シキしきと云ういう意味いみをよく了解りょうかいしない癖くせに、なるほどシキしきだなと感じかんじた。
しかしいくらシキしきでも、こう云ういう顔かおはたくさんあるまいと思っおもって、登っのぼって行くいくと、長屋ながやを通るとおるたんびに顔かおが出でていて、その顔かおがみんな同じおなじである。
しまいにはシキしきとは恐ろしいおそろしい所ところだと思うおもうまで、いやな顔かおをたくさん見せみせられて、また自分じぶんの顔かおをたくさん見みられて――長屋ながやから出でている顔かおはきっと自分じぶんらを見みていた。
一種いっしゅ獰悪どうあくな眼つきめつきで見みていた。
――とうとう午後ごごの一時いちじに飯場はんばへ着いついた。
なぜ飯場はんばと云ういうんだか分らわからない。
焚き出したきだしをするから、そう云ういう名なをつけたものかも知れしれない。
自分じぶんはその後あと飯場はんばの意味いみをある坑夫こうふに尋ねたずねて、箆棒べらぼうめ、飯場はんばたあ飯場はんばでえ、何なんを云っいってるんでえ、とひどく剣突けんつくを食っしょくった事ことがある。
すべてこの社会しゃかいに通用つうようする術語じゅつごは、シキしきでも飯場はんばでもジャンボーじゃんぼでも、みんな偶然ぐうぜんに成立せいりつして、偶然ぐうぜんに通用つうようしているんだから、滅多めったに意味いみなんか聞くきくと、すぐ怒らおこられる。
意味いみなんか聞くきく閑かんもなし、答えるこたえる閑かんもなし、調べるしらべるのは大おお馬鹿ばかとなってるんだから至極しごく簡単かんたんでかつ全くまったく実際的じっさいてきなものである。
そう云ういう訳わけで飯場はんばの意味いみは今いまもって分らわからないが、とにかく崖がけの下したに散在さんざいしている長屋ながやを指すさすものと思えおもえばいい。
その長屋ながやへようやく到着とうちゃくした。
多くおおくある長屋ながやのうちで、なぜこの飯場はんばを選んえらんだかは、長蔵ちょうぞうさんの一人ひとりぎめだから、自分じぶんには説明せつめいしにくい。
が、この飯場はんばは長蔵ちょうぞうさんの専門せんもん御得意ごとくいの取引先とりひきさきと云ういう訳わけでもなかったらしい。
長蔵ちょうぞうさんは自分じぶんをこの飯場はんばへ押しつけるおしつけるや否いなや、いつの間まにか、赤毛あかげ布ぬのと小僧こぞうを連れつれてほかの飯場はんばへ出でて行っいってしまった。
それで二人ふたりはほかの飯場はんばの飯めしを食うくうようになったんだなと後あとから気きがついた。
二人ふたりの消息しょうそくはその後そのあといっこう聞かきかなかった。
銅山どうざんのなかでもついぞ顔かおを合せあわせた事ことがない。
考えるかんがえると、妙みょうなものだ。
一いち膳ぜんめし屋めしやから突然とつぜん飛び出しとびだした赤いあかい毛布もうふと、夕方ゆうがたの山やまから降っふって来きた小僧こぞうと落ち合っおちあって、夏なつの夜よるを後あとになり先さきになって、崩れくずれそうな藁屋根わらやねの下したでいっしょに寝ねた明日あすは、雲くもの中なかを半日はんじつかかって、目指すめざす飯場はんばへようやく着いついたと思うおもうと、赤毛あかげ布ぬのも小僧こぞうもふいと消えきえてなくなっちまう。
これでは小説しょうせつにならない。
しかし世の中よのなかには纏まりまとまりそうで、纏らまとまらない、云わいわばでき損いそこないの小説しょうせつめいた事ことがだいぶある。
長いながい年月としつきを隔てへだてて振り返っふりかえって見るみると、かえってこのだらしなく尾おを蒼穹そうきゅうの奥おくに隠しかくしてしまった経歴けいれきの方ほうが興味きょうみの多いおおいように思わおもわれる。
振り返っふりかえって思い出すおもいだすほどの過去かこは、みんな夢ゆめで、その夢ゆめらしいところに追懐ついかいの趣おもむきがあるんだから、過去かこの事実じじつそれ自身じしんにどこかぼんやりした、曖昧あいまいな点てんがないとこの夢幻むげんの趣おもむきを助けるたすける事ことが出来できない。
したがって十分じゅうふんに発展はってんして来きて因果いんがの予期よきを満足まんぞくさせる事柄ことがらよりも、この赤あか毛布もうふ流りゅうに、頭あたまも尻しりも秘密ひみつの中なかに流れ込んながれこんでただ途中とちゅうだけが眼めの前まえに浮んうかんでくる一夜いちや半日はんじつの画がの方ほうが面白いおもしろい。
小説しょうせつになりそうで、まるで小説しょうせつにならないところが、世間せけん臭くくさくなくって好いよい心持こころもちだ。
ただに赤毛あかげ布ぬのばかりじゃない。
小僧こぞうもそうである。
長蔵ちょうぞうさんもそうである。
松原まつばらの茶店ちゃみせの神かみさんもそうである。
もっと大きくおおきく云えいえばこの一いち篇へんの「坑夫こうふ」そのものがやはりそうである。
纏まりまとまりのつかない事実じじつを事実じじつのままに記すしるすだけである。
小説しょうせつのように拵えこしらえたものじゃないから、小説しょうせつのように面白くおもしろくはない。
その代りかわり小説しょうせつよりも神秘的しんぴてきである。
すべて運命うんめいが脚色きゃくしょくした自然しぜんの事実じじつは、人間にんげんの構想こうそうで作り上げつくりあげた小説しょうせつよりも無む法則ほうそくである。
だから神秘しんぴである。
と自分じぶんは常つねに思っおもっている。
赤毛あかげ布ぬのと小僧こぞうが連れつれて行かいかれたのは後あとの事ことだが、自分じぶんらが飯場はんばに到着とうちゃくした時じは無論むろん二人ふたりともいっしょであった。
ここで長蔵ちょうぞうさんがいよいよ坑夫こうふ志願しがんの談判だんぱんを始めはじめた。
談判だんぱんと云ういうと面倒めんどうなようだが、その実じつ極めてきわめて簡単かんたんなものであった。
ただ、この男おとこは坑夫こうふになりたいと云ういうから、どうか使っつかってくれと云っいったばかりである。
自分じぶんの姓名せいめいも出生地しゅっしょうちも身元みもとも閲歴えつれきも何になんにも話さはなさなかった。
もちろん話しはなしたくったって、知らしらないんだから、話せようはなせようもないんだが、こうまで手っ取りてっとり早くはやく片づけるかたづける了簡りょうけんとは思わおもわなかった。
自分じぶんは中学校ちゅうがっこうへ入学にゅうがくした時じの経験けいけんから、いくら坑夫こうふだって、それ相応そうおうの手続てつづきがなくっちゃ採用さいようされないもんだとばかり思っおもっていた。
大方おおかた身元みもと引受人ひきうけにんとか保証人ほしょうにんとか云ういうものが証文しょうもんへ判はんでも捺すおすんだろう、その時じは長蔵ちょうぞうさんにでも頼んたのんで見ようみようくらいにまで、先廻りさきまわりをして考えかんがえていた。
ところが案あんに相違そういして、談判だんぱんを持ち込まもちこまれた飯場はんば頭あたまは――飯場はんば頭あたまだか何なんだかその時じは無論むろん知らしらなかった。
眉毛まゆげの太くふとくって蒼あお髯ひげの痕あとの濃いこい逞しいたくましい四十よんじゅう恰好かっこの男おとこだった。
――その男おとこが長蔵ちょうぞうさんの話はなしを一通りひととおり聞くきくや否いなや、「そうかい、それじゃ置いおいておいで」とさも無む雑作ぞうさに云っいっちまった。
ちょうど炭屋すみやが土釜どがまを台所だいどころへ担ぎ込んかつぎこんだ時じのように思わおもわれた。
人間にんげんが遥々はるばる山越やまごえをして坑夫こうふになりに来きたんだとは認めみとめていない。
そこで自分じぶんは少々しょうしょう腹はらの中なかでこの飯場はんば頭あたまを恨んうらんだが、これは自分じぶんの間ま違いであった。
その訳わけは今いま直じかに分るわかる。
飯場はんば頭あたまと云ういうのは一いちの飯場はんばを預かるあずかる坑夫こうふの隊長たいちょうで、この長屋ながやの組合くみあいに這入るはいる坑夫こうふは、万事ばんじこの人ひとの了簡りょうけんしだいでどうでもなる。
だからはなはだ勢力せいりょくがある。
この飯場はんば頭あたまと一いち分ぶん時間じかんに談判だんぱんを結了けつりょうした長蔵ちょうぞうさんは、「じゃ、よろしくお頼みたのみもうします」と云っいったなり、赤毛あかげ布ぬのと小僧こぞうを連れつれて出でて行っいった。
また帰っかえってくる事ことと思っおもったが、その後そのあといっこう影かげも形かたちも見せみせないんで、全くまったく、置おけ去さっにされたと云ういう事ことが分っわかった。
考えるかんがえるとひどい男おとこだ。
ここまで引っ張っひっぱって来るくるときには、何なんのかのと、世話せわらしい言葉ことばを掛けかけたのに、いざとなると通りとおり一いち片かたの挨拶あいさつもしない。
それにしてもぽん引いんの手数料てすうりょうはいつ何時なんじどこで取っとったものか、これは今いまもって分らわからない。
こう云ういうしだいで飯場はんば頭あたまからは、土釜どがまの炭俵すみだわらのごとく認定にんていされる、長蔵ちょうぞうさんからは小包こづつみのように抛げなげ込まこまれる。
少しすこしも人間にんげんらしい心持こころもちがしないんで、大いにおおいに悄然しょうぜんとしていると、出でて行くいく三さん人ひとの後姿うしろすがたを見送っみおくった飯場はんば頭あたまは突然とつぜん自分じぶんの方ほうを向いむかいた。
その顔つきかおつきが変っかわっている。
人ひとを炭俵すみだわらのように取扱うとりあつかう男おとことは、どうしても受取れうけとれない。
全くまったく東京とうきょう辺へんで朝晩あさばん出逢うであう、万事ばんじを心得こころえた苦労人くろうにんの顔かおである。
「あなたは生れ落ちうまれおちてからの労働者ろうどうしゃとも見えみえないようだが……」 飯場はんば掛かかりの言葉ことばをここまで聞いきいた時じ、自分じぶんは急きゅうに泣きなきたくなった。
さんざっぱらお前おまえさんで、厭いやになるほどやられた揚句あげくの果か、もうとうてい御前ごぜんさん以上いじょうには浮ばれうかばれないものと覚悟かくごをしていた矢先やさきに、突然とつぜんあなたの昔むかしに帰っかえったから、思いがけおもいがけない所ところで自己じこを認めみとめられた嬉しさうれしさと、なつかしさと、それから過去かこの記憶きおく――自分じぶんはつい一昨いっさく日ひまでは立派りっぱにあなたで通っとおって来きた――それやこれやが寄っよって、たかって胸むねの中なかへ込み上げこみあげて来きた上うえに、相手あいての調子ちょうしがいかにも鄭てい寧ねいで親切しんせつだから――つい泣きなきたくなった。
自分じぶんはその後あといろいろな目めに逢っあって、幾度いくどとなく泣きなきたくなった事ことはあるが、擦れすれ枯かれしの今日きょうから見れみれば、大抵たいていは泣くなくに当らあたらない事ことが多いおおい。
しかしこの時じ頭あたまの中なかにたまった涙なみだは、今いまが今いまでも、同じおなじ羽目はめになれば、出でかねまいと思うおもう。
苦しいくるしい、つらい、口惜しいくやしい、心細いこころぼそい涙なみだは経験けいけんで消すけす事ことが出来るできる。
ありがた涙ありがたなみだもこぼさずに済むすむ。
ただ堕落だらくした自己じこが、依然いぜんとして昔むかしの自己じこであると他ほかから認識にんしきされた時じの嬉し涙うれしなみだは死ぬしぬまでついて廻るまわるものに違いない。
人間にんげんはかように手前てまえ勘かんの強いつよいものである。
この涙なみだを感謝かんしゃの涙なみだと誤解ごかいして、得意とくいがるのは、自分じぶんのために書生しょせいを置いおいて、書生しょせいのために置いおいてやったような心持こころもちになってると同じおなじ事ことじゃないかしら。
こう云ういう訳わけで、飯場はんば掛りかかりの言葉ことばを一行いっこうばかり聞くきくと、急きゅうに泣きなきたくなったが、実じつは泣かなきかなかった。
悄然しょうぜんとはしていたが、気きは張っちょうっている。
どこからか知らしらないが、抵抗ていこう心こころが出でて来きた。
ただ思うおもうように口くちが利けきけないから、黙っだまって向うむこうの云ういう事ことを聞いきいていた。
すると飯場はんば掛りかかりは嬉しいうれしいほど親切しんせつな口調くちょうで、こう云っいった。
――「……まあどうして、こんな所ところへ御ご出でなすったんだか、今いまの男おとこが連れつれて来るくるくらいだから大概たいがい私わたくしにも様子ようすは知れしれてはいるが――どうです、もう一遍いちぺん考えかんがえて見みちゃあ。きっと取とりッっ附ふ坑夫こうふになれて、金きんがうんと儲かるもうかるてえような旨いうまい話はなしでもしたんでしょう。それがさ、実際じっさいやって見るみるととうてい話はなしの十じゅうが一いちにも行かいかないんだからつまらないです。第だい一いち坑夫こうふと一口ひとくちに云いいいますがね。なかなかただの人ひとに出来るできる仕事しごとじゃない、ことにあなたのように学校がっこうへ行っいって教育きょういくなんか受けうけたものは、どうしたって勤まりつとまりっこありませんよ。……」 飯場はんば頭あたまはここまで来きて、じっと自分じぶんの顔かおを見みた。
何なんとか云わいわなくっちゃならない。
幸いさいわいこの時じはもう泣きなきたいところを通り越しとおりこして、口くちが利けるきけるようになっていた。
そこで自分じぶんはこう云っいった。
――「僕ぼくは――僕ぼくは――そんなに金きんなんか欲よくしかないです。何なんも儲けるもうけるためにやって来きた訳わけじゃないんですから、――そりゃ知っしってるです、僕ぼくだって知っしってるです……」と、この時じ知っしってるですを二に遍へん繰り返しくりかえした事ことを今いまだに記憶きおくしている。
はなはだ穏かおだやかならぬ生意気なまいきな、ものの云いいいようだった。
若いわかいうちは、たった今までいままで悄気しょげていても、相手あいてしだいですぐつけ上っつけあがっちまう。
まことに赤面せきめんの至りいたりである。
しかもその知っしってるですが、何なんを知っしってるのかと思うおもうと、今いま自分じぶんを連れつれて来きた男おとこ、すなわち長蔵ちょうぞうさんは、一種いっしゅの周旋しゅうせん屋やであって、すべての周旋しゅうせん屋やに共通きょうつうな法螺吹きほらふきであると云ういう真相しんそうをよく自覚じかくしていると云ういう意味いみなんだから、いくら知っしってたって自慢じまんにならないのは無論むろんである。
それを念ねん入いりに、瞞着まんちゃくれて来きたんじゃない、万事ばんじ承知しょうちの上うえの坑夫こうふ志願しがんだなどと説明せつめいして見みたって今更いまさらどうなるものじゃない。
ところが年ねんが若いわかいと虚栄心きょえいしんの強いつよいもので――今いまでも弱いよわいとは云わいわないが――しきりに弁解べんかいに取り掛っとりかかったのは実じつに冷汗れいかんの出るでるほどの愚ぐであった。
幸いさいわい相手あいてが、こう云ういう家業かぎょうに似合わにあわぬ篤実とくじつな男おとこで、かつ自分じぶんの不ふ経験けいけんを気の毒きのどくに思うおもうのあまり、この生意気なまいきを生意気なまいきと知りしりながら大目おおめに見みてくれたもんだから、どやされずに済んすんだ。
まことにありがたい。
この飯場はんばに住み込んすみこんだあとで、頭あたまの勢力せいりょくの広大こうだいなるに驚くおどろくにつれて、僕ぼくは知っしってるですを思い出しおもいだしては独りひとり赧いあかい顔かおをしていた。
ついでに云ういうがこの頭あたまの名なは原はら駒吉こまきちである。
今いまもって自分じぶんは好いよい名なだと思っおもってる。
原はらさんは別べつに厭いやな顔つきかおつきもせずに、黙っだまって自分じぶんの言訳いいわけを聞いきいていたが、やがて頭あたまを振り出しふりだした。
その頭あたまは大きなおおきな五ご分ぶん刈かりで額がくの所ところが面めん摺すりのように抜きぬき上がっあがっている。
「そりゃ物もの数奇すうきと云ういうもんでさあ。せっかく来きたから是非ぜひやるったって、何なんも家いえを出るでる時じから坑夫こうふになると思いつめおもいつめた訳わけでもないんでしょう。云わいわば一時いちじの出来心できごころなんだからね。やって見りゃみりゃ、すぐ厭いやになっちまうな眼めに見えみえてるんだから、廃すはいすが好うようがしょう。現にげんに書生しょせいさんでここへ来きて十じゅう日ひと辛抱しんぼうしたものあ、有りゃありゃしませんぜ。え? そりゃ来るくる。幾いく人ひとも来るくる。来るくる事ことは来るくるが、みんな驚いおどろいて逃げ出しにげだしちまいまさあ。全くまったく普通ふつうのものの出来るできる業ごうじゃありませんよ。悪いわるい事ことは云わいわないから御ご帰んかえんなさい。なに坑夫こうふをしなくったって、口くち過すぎだけなら骨ほねは折れおれませんやあ」 原はらさんはここに至っいたって、胡坐こざを崩しくずして尻しりを宙ちゅうに上げあげかけた。
自分じぶんはどうしても落第らくだいしそうな按排あんばいである。
大いにおおいに困っこまった。
困っこまった結果けっか、坑夫こうふと云ういう事ことから気きを離しはなして、自分じぶんだけを検査けんさして見るみると、――何なんだか急きゅうに寒くさむくなった。
袷あわせはさっきの雨あめで濡れぬれている。
洋よう袴下こしたは穿いはいていない。
東京とうきょうの五ご月つきもこの山やまの奥おくへ来るくるとまるで二に月つきか三さん月つきの気候きこうである。
坂さかを登っのぼっている間まこそ体温たいおんでさほどにも思わおもわなかった。
原はらさんに拒絶きょぜつされるまでは気きが張っちょうっていたから、好かっよかった。
しかし飯場はんばへ来きて休息きゅうそくした上うえに、坑夫こうふになる見込みこみがほとんど切れきれたとなると、情ないなさけないのが寒いさむいのと合併がっぺいして急きゅうに顫えふるえ出しだした。
その時じの自分じぶんの顔色かおいろは定めしさだめし見るみるに堪えんたえんほど醜いみにきいもんだったろう。
この時じ自分じぶんはまた何なんとなく、今しがたいましがた自分じぶんを置おけ去さっにして、挨拶あいさつもしずに出でて行っいった長蔵ちょうぞうさんが恋しくこいしくなった。
長蔵ちょうぞうさんがいたら、何なんとか尽力じんりょくして坑夫こうふにしてくれるだろう。
よし坑夫こうふにしてくれないまでも、どうにか片かたをつけてくれるだろう。
汽車きしゃ賃ちんを出しだしてくれたくらいだから、方角ほうがくのわかる所ところまでくらいは送り出しおくりだしてくれそうなものだ。
蟇口がまぐちを長蔵ちょうぞうさんに取らとられてから、懐中かいちゅうには一いち文ぶんもない。
帰るかえるにしても、帰るかえる途中とちゅうで腹はらが減っへって山やまの中なかで行こう倒とうになるまでだ。
いっその事こと今いまから長蔵ちょうぞうさんを追掛けおいかけて見ようみようか。
飯場はんば飯場はんばを探しさがして歩いあるいたら逢えあえない事こともないだろう。
逢っあってこれこれだと泣きついなきついたら、今までいままでの交際こうさいもある事ことだから、好いよい智慧ちえを貸しかしてくれまいものでもない。
しかし別れ際わかれぎわに挨拶あいさつさえしない男おとこだから、ひょっとすると……自分じぶんは原はらさんの前まえで実じつはこんな閑かんな事ことを、非常ひじょうに忙しくいそがしく、ぐるぐる考えかんがえていた。
好よしみな原はらさんが前まえにいるのに、あんまり下さらくださらない、しかも消えきえてなくなった長蔵ちょうぞうさんばかりを相談そうだん相手あいてのように思い込んおもいこんだのは、どう云ういう理由りゆうだろう。
こんな事ことはよくあるもんだから、いざと云ういう場合ばあいに、敵てきは敵てき、味方みかたは味方みかたと板行はんこうで押しおしたように考えかんがえないで、敵てきのうちで味方みかたを探しさがしたり、味方みかたのうちで敵てきを見み露わあらわしたり、片方かたほうづかないように心こころを自由じゆうに活動かつどうさせなくってはいけない。
弱輩じゃくはいな自分じぶんにはこの機き合あわせがまだ呑み込めのみこめなかったもんだから、原はらさんの前まえに立ったって顫えふるえながら、へどもどしていると、原はらさんも気の毒きのどくになったと見えみえて、「あなたさえ帰るかえる気きなら、及ばおよばずながら相談そうだんになろうじゃありませんか」と向うむこうから口くちを掛けかけてくれた。
こう切っきって出でられた時じに、自分じぶんははっとありがたく感じかんじた。
ばかりなら当り前あたりまえだがはっと気きがついた。
――自分じぶんの相談そうだん相手あいては自分じぶんの志望しぼうを拒絶きょぜつするこの原はらさんを除いのぞいて、ほかにないんだと気きがついた。
気きがつくと同時どうじにまた口くちが利けきけなくなった。
是非ぜひ坑夫こうふにしてくれとも、帰るかえるから旅費りょひを貸しかしてくれとも言いいいかねて、やっぱり立ちすくんたちすくんでいた。
気きがついても何になんにもならない、ただ右みぎの手てで拳骨げんこつを拵えこしらえて寒いさむい鼻はなの下したを擦っすったように記憶きおくしている。
自分じぶんはその前まえ寄席よせへ行っいって、よく噺家はなしかがこんな手真似てまねをするのを見みた事ことがあるが、自分じぶんでその通りとおりを実行じっこうしたのは、これが始めはじめてである。
この手真似てまねを見みていた原はらさんが、今度こんどはこう云っいった。
「失礼しつれいながら旅費りょひのことなら、心配しんぱいしなくっても好よしみござんす。どうかして上げあげますから」 旅費りょひは無論むろんない。
一いち厘りんたりとも金気かなけは肌はだに着いついていない。
のたれ死しを覚悟かくごの前まえでも、金きんは持っもってる方ほうが心こころ丈夫じょうぶだ。
まして慢性まんせいの自滅じめつで満足まんぞくする今いまの自分じぶんには、たとい白銅はくどう一いち箇の草鞋銭わらじせんでも大切たいせつである。
帰るかえると事ことがきまりさえすれば、頭あたまを地ちに摺りすりつけても、原はらさんから旅費りょひを恵んめぐんで貰っもらったろう。
実際じっさいこうなると廉恥れんちも品格ひんかくもあったもんじゃない。
どんな不体裁ふていさいな貰い方もらいかたでもする。
――大抵たいていの人ひとがそうなるだろう。
またそうなってしかるべきである。
――しかしけっして褒めほめられた始末しまつじゃない。
自分じぶんがこんな事ことを露骨ろこつにかくのは、ただ人間にんげんの正体しょうたいを、事実じじつなりに書くかくんで、書いかいて得意とくいがるのとは訳わけが違うちがう。
人間にんげんの生地きじはこれだから、これで差支さしつかえないなどと主張しゅちょうするのは、練れん羊羹ようかんの生地きじは小豆あずきだから、羊羹ようかんの代りかわりに生なま小豆あずきを噛んかんでれば差支さしつかえないと結論けつろんするのと同じおなじ事ことだ。
自分じぶんはこの時じの有様ありさまを思い出すおもいだすたびに、なんで、あんな、さもしい料簡りょうけんになったものかと、吾われながら愛想あいそが尽きるつきる。
こう云ういう下卑げびた料簡りょうけんを起さおこさずに、一生いっしょうを暮すくらす事ことのできる人ひとは、経験けいけんの足りたりない人ひとかも知れしれないが、幸みゆきな人ひとである。
また自分じぶんらよりも遥はるかに高尚こうしょうな人ひとである。
生なま小豆あずきのまずさ加減かげんを知らしらないで、生涯しょうがい練れん羊羹ようかんばかり味わっあじわってる結構けっこうな人ひとである。
自分じぶんは、も少しすこしの事ことで、手てを合せあわせて、見みず知らしらずの飯場はんば頭あたまからわずかの合力ごうりきを仰ぐあおぐところであった。
それをやっとの事ことで喰い止めくいとめたのは、せっかくの好意こういで調えととのえてくれる金きんも、二三にさん日ひ木賃きちん宿やどで夜露よつゆを凌げしのげば、すぐ無くなっなくなって、無くなっなくなった暁あかつきには、また当とう途ともなく流れ出さながれださなければならないと、冥々めいめいのうちに自覚じかくしたからである。
自分じぶんは屑くずよく涙金なみだきんを断っことわった。
断っことわった表ひょう向むかいは律義りちぎにも見えるみえる。
自分じぶんもそう考えるかんがえるが、よくよく詮索せんさくすると、慾よくの天秤てんびんに懸けかけた、利害りがいの判断はんだんから出でている事ことはたしかである。
その証拠しょうこには補助ほじょを断ることわると同時どうじに、自分じぶんは、こんな事ことを言いいい出しだした。
「その代りかわり坑夫こうふに使っつかって下さいください。せっかく来きたんだから、僕ぼくはどうしてもやって見るみる気きなんですから」「随分ずいぶん酔興すいきょうですね」と原はらさんは首くびを傾げかしげて、自分じぶんを見つめみつめていたが、やがて溜息ためいきのような声こえを出しだして、「じゃ、どうしても帰るかえる気きはないんですね」と云っいった。
「帰るかえるったって、帰るかえる所ところがないんです」「だって……」「家いえなんかないんです。坑夫こうふになれなければ乞食こじきでもするより仕方しかたがないです」 こんな押問答おしもんどうを二三にさん度ど重ねかさねている中なかに、口くちを利くきくのが大変たいへん楽らくになって来きた。
これは思い切っおもいきって、無理むりな言葉ことばを、出でにくいと知りしりながら、我慢がまんして使っつかった結果けっか、おのずと拍子ひょうしに乗っのって来きた勢いいきおいに違いないんだから、まあ器械きかい的まとの変化へんかと見傚しみなしても差支さしつかえなかろうが、妙みょうなもので、その器械きかい的まとの変化へんかが、逆戻りぎゃくもどりに自分じぶんの精神せいしんに影響えいきょうを及ぼしおよぼして来きた。
自分じぶんの言いいいたい事ことが何なんの苦くもなく口くちを出るでるに連れつれて――ある人ひとはある場合ばあいに、自分じぶんの言いいいたくない事ことまでも調子ちょうしづいてべらべら饒舌にょうぜつる。
舌したはかほどに器械きかい的まとなものである。
――この器械きかいが使用しようの結果けっか加速度かそくどの効力こうりょくを得るうるに連れつれて、自分じぶんはだんだん大胆だいたんになって来きた。
いや、大胆だいたんになったから饒舌にょうぜつれたんだろう、君きみの云ういう事ことは顛倒てんとうじゃないかとやり込めるやりこめる気きなら、そうして置いおいてもいい。
いいが、それはあまり陳腐ちんぷでかつ時々ときどき嘘うそになる。
嘘うそと陳腐ちんぷで満足まんぞくしないものは自分じぶんの言分いいわけをもっともと首肯くうなずくだろう。
自分じぶんは大胆だいたんになった。
大胆だいたんになるに連れつれて、どうしても坑夫こうふに住み込んすみこんでやろうと決心けっしんした。
また饒舌にょうぜつっておれば必ずかならず坑夫こうふになれるに違いないと自覚じかくして来きた。
一昨いっさく日ひ家いえを飛び出すとびだす間際まぎわまでは、夢ゆめにも坑夫こうふになろうと云ういう分別ぶんべつは出でなかった。
ばかりではない、坑夫こうふになるための駆落かけおちと事ことがきまっていたならば、何なんとなく恥ずかしくはずかしくなって、まあ一いち週間しゅうかんよく考えかんがえた上うえにと、出奔しゅっぽんの時期じきを曖昧あいまいに延ばしのばしたかもしれない。
逃亡とうぼうはする。
逃亡とうぼうはするが、紳士しんしの逃亡とうぼうで、人ひとだか土塊つちくれだか分らわからない坑こう掘ほりになり下るなりさがる目的もくてきの逃亡とうぼうとは、何なん不足ふそくなく生なま育っそだった自分じぶんの頭あたまには影かげさえ射さささなかったろう。
ところが原はらさんの前まえで寒いさむい奥歯おくばを噛みしめかみしめながら、しょう事ことなしの押問答おしもんどうをしているうちに、自分じぶんはどうあっても坑夫こうふになるべき運命うんめい、否いな天職てんしょくを帯びおびてるような気きがし出しだした。
この山やまとこの雲くもとこの雨あめを凌いしのいで来きたからには、是非ぜひ共とも坑夫こうふにならなければ済ますまない。
万一まんいち採用さいようされない暁あかつきには自分じぶんに対したいして面目めんぼくがない。
――読者どくしゃは笑うわらうだろう。
しかし自分じぶんは当時とうじの心情しんじょうを真面目まじめに書いかいてるんだから、人ひとが見みておかしければおかしいほど、その時じの自分じぶんに対したいして気の毒きのどくになる。
妙みょうな意地いじだか、負ふ惜みおしみだか、それとも行倒れゆきだおれになるのが怖くこわくって、帰りかえり切れきれなかったためだか、――その辺へんは自分じぶんにも曖昧あいまいだが、とにかく自分じぶんは、もっとも熱心ねっしんな語調ごちょうで原はらさんを口説いくどいた。
「……そう云わいわずに使っつかって下さいください。実際じっさい僕ぼくが不適当ふてきとうなら仕方しかたがないが、まだやって見みない事ことなんだから――せっかく山やまを越しこして遠方えんぽうをわざわざ来きた甲斐かいに、一日いちにちでも二に日ひでも、いいですから、まあ試しためしだと思っおもって使っつかって下さいください。その上うえで、とうてい役やくに立たたたないと事ことがきまれば帰りかえります。きっと帰りかえります。僕ぼくだって、それだけの仕事しごとが出来できないのに、押おうを強くつよく御ご厄介やっかいになってる気きはないんですから。僕ぼくは十九じゅうきゅうです。まだ若いわかいです。働き盛りはたらきざかりです……」と昨日きのう茶店ちゃみせの神かみさんが云っいった通りとおりをそのまま図ずに乗っのって述べ立てのべたてた。
後あとから考えるかんがえると、これはむしろ人ひとが自分じぶんを評するひょうする言葉ことばで、自分じぶんが自分じぶんを吹聴ふいちょうする文句もんくではなかった。
そこで原はらさんは少しすこし笑いわらい出しだした。
「それほどお望みのぞみなら仕方しかたがない。何なんも御縁ごえんだ。まあやって御覧ごらんなさるが好いよい。その代りかわり苦しいくるしいですよ」と原はらさんは何気なんげなく裏うらの赤いあかい山やまを覗くのぞくように見上げみあげた。
おおかた天気てんき模様もようでも見みたんだろう。
自分じぶんも原はらさんといっしょに山やまの方ほうへ眼めを移しうつした。
雨あめは上がっあがったが、暗くくらく曇っくもっている。
薄うす気味きみの悪いわるいほど怪しいあやしい山やまの中なかの空合そらあいだ。
この一瞬いっしゅん時じに、自分じぶんの願がんが叶っかなって、自分じぶんはまず山やまの中なかの人ひととなった。
この時じ「その代りかわり苦しいくるしいですよ」と云っいった原はらさんの言葉ことばが、妙みょうに気きに掛りかかり出しだした。
人ひとは、ようやくの思いおもいで刻下こっかの志こころざしを遂げるとげると、すぐ反動はんどうが来きて、かえって志こころざしを遂げとげた事ことが急きゅうに恨めしくうらめしくなる場合ばあいがある。
自分じぶんが望みのぞみ通りとおりここへ落ちつけるおちつける口頭こうとうの辞令じれいを受け取っうけとった時じの感じかんじはいささかこれに類しるいしている。
「じゃね」――原はらさんは語調ごちょうを改めてあらためて話しはなし出しだした。
――「じゃね。何しろなにしろ明日あすの朝あさシキしきへ這入っはいって御覧ごらんなさい。案内あんないを一人ひとりつけて上げるあげるから。――それからと――そうだ、その前まえに話しはなして置かおかなくっちゃなりませんがね。一口ひとくちに坑夫こうふと云ういうと、訳わけもない仕事しごとのように思わおもわれましょうが、なかなか外そとで聞いきいてるような生なま容易いたやしい業ごうじゃないんで。まあ取っつけとっつけから坑夫こうふになるなあ」と云っいって自分じぶんの顔かおを眺めながめていたが、やがて、「その体格たいかくじゃ、ちっとむずかしいかも知れしれませんね。坑夫こうふでなくっても、好うようがすかい」と気の毒きのどくそうに聞いきいた。
坑夫こうふになるまでには相当そうとうの階級かいきゅうと練習れんしゅうを積まつまなくっちゃならないと云ういう事ことがここで始めはじめて分っわかった。
なるほど長蔵ちょうぞうさんが坑夫こうふ坑夫こうふと、さも名誉めいよらしく坑夫こうふを振り廻しふりまわしたはずだ。
「坑夫こうふのほかに何なんかあるんですか。ここにいるものは、みんな坑夫こうふじゃないんですか」と念ねんのために聞いきいて見みた。
すると原はらさんは、自分じぶんを馬鹿ばかにした様子ようすもなく、すぐそのわけを説明せつめいしてくれた。
「銅山どうざんにはね、一万いちまん人ひとも這入っはいっててね。それが掘子ほりこに、シチュウしちゅうに、山やま市しに、坑夫こうふと、こう四よんつに分れわかれてるんでさあ。掘子ほりこってえな、一人前いちにんまえの坑夫こうふに使えつかえねえ奴やつがなるんで、まあ坑夫こうふの下した働はたらけですね。シチュウしちゅうは早くはやく云ういうとシキしきの内うちの大工だいく見みたようなものかね。それから山市やましだが、こいつは、ただ石塊いしくれをこつこつ欠いかいてるだけで、おもに子供こども――さっきも一人ひとり来きたでしょう。ああ云ういうのが当分とうぶん坑夫こうふの見習みならいにやる仕事しごとさね。まあざっと、こんなものですよ。それで坑夫こうふとなると請負うけおい仕事しごとだから、間まが好いよいと日ひに一いち円えんにも二に円えんにも当るあたる事こともあるが、掘子ほりこは日当にっとうで年ねんが年中ねんじゅう三十五さんじゅうご銭せんで辛抱しんぼうしなければならない。しかもそのうち五ご分ぶんは親方おやかたが取っとっちまって、病気びょうきでもしようもんなら手当てあてが半分はんぶんだから十七じゅうなな銭せん五ご厘りんですね。それで蒲団ふとんの損料そんりょうが一いち枚ばい三さん銭せん――寒いさむいときは是非ぜひ二に枚ばい要るいるから、都合つごうで六ろく銭せんと、それに飯代めしだいが一いち日ひ十四じゅうよん銭せん五ご厘りん、御ご菜なは別べつですよ。――どうです。もし坑夫こうふにいけなかったら、掘子ほりこにでもなる気きはありますかね」 実じつのところはなりますと勢いいきおいよく出るでる元気げんきはなかったが、ここまで来れこれば、今更いまさらどうしたって否いなだと断らことわられた義理ぎりのもんじゃない。
そこで、出来るだけできるだけ景気けいきよく、「なります」と答えこたえてしまった。
原はらさんにはこの答こたえが断然だんぜんたる決心けっしんのように受けとれうけとれたか、それとも、瘠我慢がまんのつけ景気けいきのごとく響いひびいたか、その辺へんは確としかと分らわからないが、何しろなにしろこの一言ひとことを聞いきいた原はらさんは、機嫌きげんよく、「じゃまあ、御ご上がんあがんなさい。そうして、あした人ひとをつけて上げるあげるから、まあシキしきへ這入っはいって御覧ごらんなさるがいい。何しろなにしろ一万いちまん人ひともいて、こんなに組々くみに分れわかれているんだから、飯場はんばを一いちつでも預かっあずかってると、毎日まいにち毎日まいにち何なんだかだって、うるさい事ことばかりでね。せっかく頼むたのむから置いおいてやる、すぐ逃げるにげる。――一いち日ひに二三にさん人ひとはきっと逃げにげますよ。そうかと云っいって、おとなしくしているかと思うおもうと、病気びょうきになって、死んしんじまう奴やつが出でて来きて――どうも始末しまつに行かいかねえもんでさあ。葬いとむらいばかりでも日ひに五六ごろく組くみ無いない事ことあ、滅多めったにないからね。まあやる気やるきなら本気ほんきにやって御覧ごらんなさい。腰こしを掛けかけてちゃ、足あしが草臥れるくたびれるだろう。こっちへ御ご上りのぼり」 この逐一ちくいちを聞いきいていた自分じぶんはたとい、掘子ほりこだろうが、山市やましだろうが一生懸命いっしょうけんめいに働かはたらかなくっちゃあ、原はらさんに対したいして済ますまない仕儀しぎになって来きた。
そこで心こころのうちに、原はらさんの迷惑めいわくになるような不都合ふつごうはけっしてしまいときめた。
何しろなにしろ年ねんが十九じゅうきゅうだから正直しょうじきなものだった。
そこで原はらさんの云ういう通りとおり、足あしを拭いぬぐいて尻しりをおろしているうちに、奥おくの方ほうから婆ばあさんが出でて来きて、――この婆ばあさんの出ようでようがはなはだ突然とつぜんで、ちょっと驚いおどろいたが、「こっちへ御ご出でなさい」と云ういうから、好よしみ加減かげんに御辞儀ごじぎをして、後あとから尾おいて行っいった。
小作こさくな婆ばあさんで、後姿うしろすがたの華奢きゃしゃな割合わりあいには、ぴんぴん跳ねるはねるように活溌かっぱつな歩きあるき方ほうをする。
幅はばの狭いせまい茶色ちゃいろの帯おびをちょっきり結けつにむすんで、なけなしの髪かみを頸くび窩かへ片づけかたづけてその心棒しんぼうに鉛色なまりいろの簪かんざしを刺しさしている。
そうして襷たすき掛かかりであった。
何なんでも台所だいどころか――台所だいどころがなければ、――奥おくの方ほうで、用事ようじの真っ最中まっさいちゅうに、案内あんないのため呼び出さよびだされたから、こう急がしいそがしそうに尻しりを振るふるんだろう。
それとも山やま育いくだからかしら。
いや、飯場はんばだから優ゆう長ながにしちゃいられないせいだろう。
して見るみると、今日きょうから飯場はんばの飯めしを食いくい出すだす以上いじょうは自分じぶんだって安閑あんかんとしちゃいられない。
万事ばんじこの婆ばあさんの型かたで行かいかなくっちゃなるまい。
――なるまい。
――と力ちからを入れいれて、うんと思っおもったら、さすがに草臥れくたびれた手足てあしが急きゅうになるまいで充満じゅうまんして、頭あたまと胸むねの組織そしきがちょっと変っかわったような気分きぶんになった。
その勢いいきおいで広いひろい階子段はしごだんを、案内あんないに応じおうじて、すとんすとんと景気けいきよく登っのぼって行っいった。
が自分じぶんの頭あたまが階子段はしごだんから、ぬっと一いち尺さしばかり出るでるや否いなや、この決心けっしんが、ぐうと退避たいひいだ。
胸むねから上うえを階子段はしごだんの上うえへ出しだして、二に階かいを見渡すみわたすと驚いおどろいた。
畳数じょうすうは何十なんじゅう枚ばいだか知らしらないが遥はるかの突き当りつきあたりまで敷き詰めしきつめてあって、その間まには一いち重じゅうの仕切りしきりさえ見えみえない。
ちょうど柔道じゅうどうの道場どうじょうか、浪花節なにわふしの席亭せきていのような恰好かっこで、しかも広さひろさは倍ばいも三さん倍ばいもある。
だから、ただ駄々だだッっ広いひろい感じかんじばかりで、畳たたみの上うえでもまるで野原のはらへ出でたとしきゃあ思えおもえない。
それだけでも驚くおどろく価値かちは十分じゅうふんあるが、その広いひろい原はらの中なかに大きなおおきな囲炉裏いろりが二につ切っきってある、そこへ人間にんげんが約やく十じゅう四よん五ご人ひとずつかたまっている。
自分じぶんの決心けっしんが退避たいひいだと云ういうのは、卑怯ひきょうな話はなしだが、全くまったくこの人間にんげんにあったらしい。
平生へいぜいから強きょうがっていたにはいたが、若輩じゃくはいの事ことだから、見みず知らしらずの多勢おおぜいの席せきへ滅多めったに首くびを出しだした事ことはない。
晴はれの場所ばしょとなると、ただでさえもじもじする。
ところへもって来きて、突然とつぜん坑夫こうふの団体だんたいに生擒せいきんられたんだから、この黒いくろい塊かたまりを見るみるが早いはやいか、いささか辟易へきえきじまった。
それも、ただの人間にんげんならいい。
と云っいっちゃ意味いみがよく通じつうじない。
――ただの人間にんげんが、坑夫こうふになってるなら差支さしつかえない。
ところが自分じぶんの胸むねから上うえが、階子段はしごだんを出るでると、等しくひとしく、この塊かたまりの各かく部分ぶぶんが、申し合せもうしあわせたように、こっちを向いむかいた。
その顔かおが――実じつはその顔かおで全くまったく畏縮いしゅくしてしまった。
と云ういうのはその顔かおがただの顔かおじゃない。
ただの人間にんげんの顔かおじゃない。
純然じゅんぜんたる坑夫こうふの顔かおであった。
そう云ういうより別べつに形容けいようしようがない。
坑夫こうふの顔かおはどんなだろうと云ういう好奇心こうきしんのあるものは、行っいって見るみるより外そとに致し方いたしかたがない。
それでも是非ぜひ説明せつめいして見ろみろと云ういうなら、ざっと話すはなすが、――頬骨ほおぼねがだんだん高くたかく聳えそびえてくる。
顎あごが競りせり出すだす。
同時どうじに左右さゆうに突っ張るつっぱる。
眼めが壺つぼのように引いんッっ込んこんで、眼球がんきゅうを遠慮えんりょなく、奥おくの方ほうへ吸いつけすいつけちまう。
小鼻こばなが落ちるおちる。
――要するようするに肉にくと云ういう肉にくがみんな退却たいきゃくして、骨ほねと云ういう骨ほねがことごとく吶喊とっかん展開てんかいするとでも評しひょうしたら好かろうよかろう。
顔かおの骨ほねだか、骨ほねの顔かおだか分らわからないくらいに、稜々りょうりょうたるものである。
劇しいはげしい労役ろうえきの結果けっか早くはやく年ねんを取るとるんだとも解釈かいしゃくは出来るできるが、ただ天然てんねん自然しぜんに年ねんを取っとったって、ああなるもんじゃない。
丸味まるみとか、温おん味あじとか、優ゆう味あじとか云ういうものは薬くすりにしたくっても、探し出せさがしだせない。
まあ一口ひとくちに云ういうと獰猛ねいもうだ。
不思議ふしぎにもこの獰猛ねいもうな相そうが一列いちれつ一体いったいの共有きょうゆう性せいになっていると見えみえて、囲炉裏いろりの傍そばの黒いくろいものが等しくひとしく自分じぶんの方ほうを向くむくと、またたく間まに獰猛ねいもうな顔かおが十じゅう四よん五ご揃っそろった。
向うむこうの囲炉裏いろりを取とり捲いまいてる連中れんちゅうも同じおなじ顔かおに違いちがいない。
さっき坂さかを上がっあがってくるとき、長屋ながやの窓まどから自分じぶんを見下しみくだしていた顔かおも全くまったくこれである。
して見るみると組々くみの長屋ながやに住んすんでいる総勢そうぜい一万いちまん人ひとの顔かおはことごとく獰猛ねいもうなんだろう。
自分じぶんは全くまったく退避たいひんだ。
この時じ婆ばあさんが後あとを振り返っふりかえって、「こっちへおいでなさい」と、もどかしそうに云ういうから、度胸どきょうを据えすえて、獰猛ねいもうの方ほうへ近づいちかづいて行っいった。
ようやく囲炉裏いろりの傍そばまで来るくると、婆ばあさんが、今度こんどは、「まあここへ御坐んござんなさい」と差しさしずをしたが、ただ好よしみ加減かげんな所ところへ坐れすわれと云ういうだけで、別べつに設けもうけの席せきも何なんもないんだから、自分じぶんは黒いくろい塊りかたまりを避けさけて、たった一人ひとり畳たたみの上うえへ坐っすわった。
この間ま獰猛ねいもうな眼めは、始終しじゅう自分じぶんに喰っくっついている。
遠慮えんりょも何なんもありゃしない。
そうして誰だれも口くちを利くきくものがない。
取附とりふ端はしを見み出すだすまでは、団体だんたいの中なかへ交りまじわり込むごむ訳わけにも行かいかず、ぽつねんと独りひとりぼッぼっちで離れはなれているのは、獰猛ねいもうの目標もくひょうとなるばかりだし、大いにおおいに困っこまった。
婆ばあさんは、自分じぶんを紹介しょうかいする段だんじゃない、器械きかい的まとに「ここへ坐れすわれ」と云っいったなり、ちょっ切り結びきりむすびの尻しりを振り立てふりたてて階子段はしごだんを降りふりて行っいってしまった。
広いひろい寄席よせの真中まなかにたった一人ひとり取り残さとりのこされて、楽屋がくやの出で方ほう一同いちどうから、冷かさひやかされてるようなものだ、手持無沙汰てもちむさたは無論むろんである。
ことさら今いまの自分じぶんに取っとっては心細いこころぼそい。
のみならず袷あわせ一いち枚ばいではなはだ寒いさむい。
寒いさむいのは、この五ご月つきの空そらに、かんかん炭すみを焼いやいて獰猛ねいもう共ともが囲炉裏いろりへあたってるんでも分るわかる。
自分じぶんは仕方しかたがないからてれ隠してれかくしに襯衣の釦ぼたんをはずして腋の下わきのしたへ手てを入れいれたり、膝ひざを立てたてて、足あしの親指おやゆびを抓っつねって見みたり、あるいは腿ももの所ところを両手りょうてで揉んもんで見みたり、いろいろやっていた。
こう云ういう時じに、落おちついた顔かおをして――顔かおばかりじゃいけない、心こころから落ちついおちついて、平気へいきで坐っすわってる修業しゅぎょうをして置かおかないと、大きなおおきな損そんだ。
しかし、十九じゅうきゅうや、そこいらではとうてい覚束ないおぼつかない芸げいだから、自分じぶんはやむを得とくず。
前記ぜんきの通りとおりいろいろ馬鹿ばかな真似まねをしていると、突然とつぜん、「おい」と呼んよんだものがある。
自分じぶんはこの時じちょうど下したを向いむかいて鳴海なるみ絞しぼりの兵児帯へこおびを締め直ししめなおしていたが、この声こえを聞くきくや否いなや、電気でんき仕掛しかけの顔かおのように、首筋くびすじが急きゅうに釣っつった。
見るみるとさっきの顔かお揃で、眼めがみんなこっちを向いむかいて、光っひかりってる。
「おい」と云ういう声こえは、どの顔かおから出でたものか分らわからないが、どの顔かおから出でたにしても大したたいした変りかわりはない。
どの顔かおも獰猛ねいもうで、よく見るみるとその獰猛ねいもうのうちに、軽侮けいぶと、嘲弄ちょうろうと、好奇こうきの念ねんが判然はんぜんと彫りつけほりつけてあったのは、首くびを上げるあげる途端とたんに発明はつめいした事実じじつで、発明はつめいするや否いなや、非常ひじょうに不愉快ふゆかいに感じかんじた事実じじつである。
自分じぶんは仕方しかたがないから、首くびを上げあげたまま、「おい」の声こえがもう一遍いちぺん出るでるのを待っまっていた。
この間まが約やく何なん秒びょうかかったか知らしらないが、とにかく予期よきの状態じょうたいで一定いっていの姿勢しせいにおったものらしい。
すると、いきなり、「やに澄ますすますねえ」と云っいったものがある。
この声こえはさっきの「おい」よりも少しすこし皺しわ枯れかれていたから、大方おおかた別人べつじんだろうと鑑定かんていした。
しかし返答へんとうをするべき性質せいしつの言葉ことばでないから――字じで書くかくと普通ふつうのねえのように見えるみえるが、実じつはなよの命令めいれいを倶利加羅ともりから流りゅうに崩しくずしたんだから、はなはだ下等したとうである。
――それでやっぱり黙っだまってた。
ただ内心ないしんでは大いにおおいに驚いおどろいた。
自分じぶんがここへ来きて言葉ことばを交しかわしたものは原はらさんと婆ばあさんだけであるが、婆ばあさんは女おんなだから別べつとして、原はらさんは思っおもったよりも叮嚀ていねいであった。
ところが原はらさんは飯場はんば頭あたまである。
頭あたまですらこれだから、平たいらの坑夫こうふは無論むろんそう野卑やひじゃあるまいと思い込んおもいこんでいた。
だから、この悪口わるぐちが藪やぶから棒ぼうに飛んとんで来きた時じには、こいつはと退避たいひむ前まえに、まずおやっと毒気どくけを抜かぬかれた。
ここでいっその事こと毒どく突とっ返しかえしたなら、袋叩きふくろだたきに逢うあうか、または平等びょうどうの交際こうさいが出来るできるか、どっちか早くはやく片かたがついたかも知れしれないが、自分じぶんは何になんにも口答えくちごたえをしなかった。
もともと東京とうきょう生れうまれだから、この際さい何なんとか受けるうけるくらいは心得こころえていたんだろう。
それにもかかわらず、兄あにに類似るいじした言語げんごは無論むろん、尋常じんじょうの竹箆たけべら返しかえしさえ控えひかえたのは、――相手あいてにならないと先方せんぽうを軽蔑けいべつしたためだろうか――あるいは怖くこわくって何なんとも云ういう度胸どきょうがなかったんだろうか。
自分じぶんは前まえの方ほうだと云いいいたい。
しかし事実じじつはどうも後あとの方ほうらしい。
とにかくも両方りょうほう交っかってたと云ういうのが一番いちばん穏おだやかのように思わおもわれる。
世の中よのなかには軽蔑けいべつしながらも怖いこわいものが沢山たくさんもある。
矛盾むじゅんにゃならない。
それはどっちにしたって構わかまわないが、自分じぶんがこの悪口わるぐちを聞いきいたなり、おとなしく聞き流すききながす料簡りょうけんと見みて取っとった坑夫こうふ共ともは、面白おもしろそうにどっと笑っわらった。
こっちがおとなしければおとなしいほど、この笑わらいは高くたかく響いひびいたに違いない。
銅山どうざんを出れでれば、世間せけんが相手あいてにしてくれない返報へんぽうに、たまたま普通ふつうの人間にんげんが銅山どうざんの中なかへ迷い込んまよいこんで来きたのを、これ幸いさいわいと嘲弄ちょうろうするのである。
自分じぶんから云えいえば、この坑夫こうふ共ともが社会しゃかいに対するたいする恨みうらみを、吾われ身み一人ひとりで引き受けひきうけた訳わけになる。
銅山どうざんへ這入るはいるまでは、自分じぶんこそ社会しゃかいに立てたてない身体しんたいだと思い詰めおもいつめていた。
そこで飯場はんばへ上っのぼって見るみると、自分じぶんのような人間にんげんは仲間なかまにしてやらないと云わいわんばかりの取扱いとりあつかいである。
自分じぶんは普通ふつうの社会しゃかいと坑夫こうふの社会しゃかいの間まに立ったって、立派りっぱに板挟みいたばさみとなった。
だからこの十じゅう四よん五ご人ひとの笑い声わらいごえが、ほてるほど自分じぶんの顔かおの正面しょうめんに起っおこった時じは、悲しいかなしいと云ういうよりは、恥ずかしいはずかしいと云ういうよりは、手持無沙汰てもちむさたと云ういうよりは、情ないなさけないほど不人情ふにんじょうな奴やつが揃っそろってると思っおもった。
無む教育きょういくは始めはじめから知れしれている。
教育きょういくがなければ予期よき出来できないほどの無理むりな注文ちゅうもんはしないつもりだが、なんぼ坑夫こうふだって、親おやの胎内たいないから持っもって生れうまれたままの、人間にんげんらしいところはあるだろうくらいに心得こころえていたんだから、この寸法すんぽうに合わあわない笑声しょうせいを聞くきくや否いなや、畜生ちくしょう奴やつと思っおもった。
俗語ぞくごに云ういう怒っどった時じの畜生ちくしょう奴やつじゃない。
人間にんげんと受取れうけとれない意味いみの畜生ちくしょう奴やつである。
今いまでは経験けいけんの結果けっか、人間にんげんと畜生ちくしょうの距離きょりがだいぶん詰っなじってるから、このくらいの事ことをと、鈍いにぶい神経しんけいの方ほうで相手あいてにしないかも知れしれないが、何しろなにしろ十九じゅうきゅう年ねんしか、使っつかっていない新しいあたらしい柔かいやわらかい頭あたまへこのわる笑わらいがじんと来きたんだから、切なかっせつなかった。
自分じぶんながら思い出すおもいだすたびに、まことに痛いたわしいような、いじらしいような、その時じの神経しんけい系統けいとうをそのまま真綿まわたに包んつつんで大事だいじにしまって置いおいてやりたいような気きがする。
この悪意あくいに充ちみちた笑わらいがようやく下火したびになると、「御前ごぜんはどこだ」と云ういう質問しつもんが出でた。
この質問しつもんを掛けかけたものは、自分じぶんから一番いちばん近いちかい所ところに坐っすわっていたから、声こえの出所しゅっしょは判然はんぜん分っわかった。
浅黄色あさぎいろの手拭てぬぐい染みしみた三さん尺さし帯おびを腰骨こしぼねの上うえへ引き廻しひきまわして、後向きうしろむきの胡坐こざのまま、斜しゃに顔かおだけこっちへ見せみせている。
その片眼かためは生れつきうまれつきの赤あかんべんで、おまけに結膜けつまくが一面いちめんに充血じゅうけつしている。
「僕ぼくは東京とうきょうです」と答えこたえたら、赤あかんべんが、肉にくのない頬ほおを凹ましへこまして、愚弄ぐろうの笑いわらいを洩らしもらしながら、三さん軒のき置いおいて隣りとなりの坑夫こうふをちょいと顎あごでしゃくった。
するとこの相図あいずを受けうけた、願人がんにん坊主ぼうずが、入れ替っいれかわってこんな事ことを云っいった、「僕ぼくだなんて――書生しょせいッっ坊ぼうだな。大方おおかた女郎じょろう買かいでもしてしくじったんだろう。太えふてえ奴やつだ。全体ぜんたいこの頃このごろの書生しょせいッっ坊ぼうの風儀ふうぎが悪くわるくっていけねえ。そんな奴やつに辛抱しんぼうが出来るできるもんか、早くはやく帰れかえれ。そんな瘠っこけた腕うででできる稼業かぎょうじゃねえ」 自分じぶんはだまっていた。
あんまり黙っだまっていたので張合はりあいが抜けぬけたせいか、わいわい冷かすひやかすのが少しすこし静まっしずまった。
その時じ一人ひとりの坑夫こうふ――これは尋常じんじょうな顔かおである。
世間せけんへ出しだしても普通ふつうに通用つうようするくらいに眼鼻めはな立たてが調っととのっていた。
自分じぶんは、冷かさひやかされながら、眼めを上げあげて、黒いくろい塊かたまりを見るみるたびに、人数にんずうやら、着物きものやら、獰猛ねいもうの度合どあいやらをだんだん腹はらに畳み込んたたみこんでいたが、最初さいしょは総体そうたいの顔かおが総体そうたいに骨ほねと眼めでできた上うえに獣慾じゅうよくの脂あぶらが浮いういているところばかり眼めに着いついて、どれも、これも差別さべつがないように思わおもわれた。
それが三さん度ど四よん度どと重なるかさなるにつけて、四よん人ひと五ご人ひとと人相にんそうの区別くべつができるに連れつれて、この坑夫こうふだけが一際ひときわ目立っめだって見えるみえるようになった。
年ねんはまだ三十さんじゅうにはなるまい。
体格たいかくは倔くつ強きょうである。
眉毛まゆげと鼻はなの根ねと落ち合うおちあう所ところが、一段いちだん奥おくへ引っ込んひっこんで、始終しじゅう鼻眼鏡びがんきょうで圧しおしつけてるように見えるみえる。
そこに疳かん癪しゃくが拘泥こうでいしていそうだが、これがために獰猛ねいもうの度どはかえって減ずるげんずると云っいっても好いよいような特徴とくちょうであった。
――この坑夫こうふが始めはじめてこの時じ口くちを利いきいた。
――「なぜこんな所ところへ来きた。来きたって仕方しかたがないぜ。儲かるもうかる所ところじゃない。ここにいる奴やつあ、みんな食しょく詰つめものばかりだ。早くはやく帰るかえるが好かろうよかろう。帰っかえって新聞しんぶん配達はいたつでもするがいい。おれも元もとはこれで学校がっこうへも通っとおったもんだが、放蕩ほうとうの結果けっかとうとう、シキしきの飯めしを食うくうようになっちまった。おれのようになったが最後さいごもう駄目だめだ。帰ろうかえろうたって、帰れかえれなくなる。だから今いまのうちに東京とうきょうへ帰っかえって新聞しんぶん配達はいたつをしろ。書生しょせいはとても一いち月つきと辛抱しんぼうは出来できないよ。悪いわるい事ことは云わいわねえから帰れかえれ。分っわかったろう」 これは比較的ひかくてき真面目まじめな忠告ちゅうこくであった。
この忠告ちゅうこくの最中さいちゅうは、さすがの獰悪どうあく派はもおとなしく交っかっ返しかえしもせずに聞いきいていた。
その惰性だせいで忠告ちゅうこくが済んすんだあとも、一時いちじは静せいであった。
もっともこれはこの坑夫こうふに多少たしょうの勢力せいりょくがあるんで、その勢力せいりょくに対したいしての遠慮えんりょかも知れしれないと勘づいかんづいた。
その時じ自分じぶんは何なんとなく心こころの底そこで愉快ゆかいだった。
この坑夫こうふだって、ほかの坑夫こうふだって、人相にんそうにこそ少しすこしの変化へんかはあれ、やっぱり一いちつ穴あなでこつこつ鉱こう塊かたまりを欠いかいている分ぶんの事ことだろう。
そう芸げいに巧拙こうせつのあるはずはない。
して見るみると、この男おとこの勢力せいりょくは全くまったく字じが読めよめて、物ものが解っわかって、分別ぶんべつがあって――一口ひとくちに云ういうと教育きょういくを受けうけたせいに違いない。
自分じぶんは今いまこんなに馬鹿ばかにされている。
ほとんど最下さいか等とうの労働者ろうどうしゃにさえ歯はされない人非人にんぴにんとして、多勢おおぜいの侮辱ぶじょくを受けうけている。
しかし一度いちどこの社会しゃかいに首くびを突込んつっこんで、獰猛ねいもう組くみの一人ひとりとなりすましたら、一いち月つき二に月つきと暮しくらして行くいくうちには、この男おとこくらいの勢力せいりょくを得るうる事ことはできるかも知れしれない。
できるだろう。
できるにきまってるとまで感じかんじた。
だから、いくら誰だれが何なんと云っいっても帰るかえるまい、きっとこの社会しゃかいで一人ひとり前まえ以上いじょうになって成功せいこうして見せるみせる。
――随分ずいぶん思い切っおもいきってつまらない考えかんがえを起しおこしたもんだが、今いまから見みても、多少たしょう論理ろんりには叶っかなっているようだ。
そこでこの坑夫こうふの忠告ちゅうこくには謹んつつしんで耳みみを傾けかたむけていたが、別段べつだん先方せんぽうの注文ちゅうもん通りとおりに、では帰りかえりましょうと云ういう返事へんじもしなかった。
そのうちいったん静まりしずまりかけた愚弄ぐろうの舌したがまた動きうごき出しだした。
「いる気きなら置いおいてやるが、ここにゃ、それぞれ掟おきてがあるから呑み込んのみこんで置かおかなくっちゃ迷惑めいわくだぜ」と一人ひとりが云ういうから、「どんな掟おきてですか」と聞くきくと、「馬鹿ばかだなあ。親分おやぶんもあり兄弟分きょうだいぶんもあるじゃねえか」と、大変たいへんな大きなおおきな声こえを出しだした。
「親分おやぶんたどんなもんですか」と質問しつもんして見みた。
実じつはあまりがみがみ云ういうから、黙っだまっていようかしらんとも思っおもったけれども、万一まんいち掟おきてを破っやぶって、あとで苛いむごい目めに逢うあうのが怖いこわいから、まあ聞いきいて見みた。
すると他ほかの坑夫こうふが、すぐ、返事へんじをした。
「しようのねえ奴やつだな。親分おやぶんを知らしらねえのか。親分おやぶんも兄弟分きょうだいぶんも知らしらねえで、坑夫こうふになろうなんて料簡りょうけん違えちがえだ。早くはやく帰れかえれ」「親分おやぶんも兄弟分きょうだいぶんもいるから、だから、儲けようもうけようたって、そう旨むねかあ行かいかねえ。帰れかえれ」「儲かるもうかるもんか帰るかえるが好いよい」「帰れかえれ」「帰れかえれ」 しきりに帰れかえれと云ういう。
しかも実際じっさい自分じぶんのためを思っおもって帰れかえれと云ういうんじゃない。
仲間なかま入いりをさせてやらないから出でて行けいけと云ういうんである。
さぞ儲けもうけたいだろうが、そうは問屋とんやで卸さおろしさない、こちとらだけで儲けるもうける仕事しごとなんだから、諦めあきらめて早くはやく帰れかえれと云ういうんである。
したがってどこへ帰れかえれとも云わいわない。
川かわの底そこでも、穴あなの中なかでも構わかまわない勝手かってな所ところへ帰れかえれと云ういうんである。
自分じぶんは黙っだまっていた。
この形勢けいせいがこのままで続いつづいたら、どんな事ことにたち至ったちいたったか思いやらおもいやられる。
敵てきはこの囲炉裏いろりの周囲しゅういばかりにゃいない。
さっきちょっと話しはなした通りとおり、向うむこうの方ほうにも大きなおおきな輪わになって、黒くくろく塊かたまりっている。
こっちの団体だんたいだけですら持ち扱っもちあつかっているところへ、あっちの群ぐん勢いきおいが加勢かせいしたら大事だいじである。
自分じぶんは愚弄ぐろうされながらも、時々ときどき横目よこめを使っつかって、未来みらいの敵てき――こうなると、どれもこれも人間にんげんでさえあれば、敵てきと認定にんていしてしまう。
――遠方えんぽうにはおるが、そろそろ押し寄せおしよせて来きそうな未来みらいの敵てきを、見みていた。
かように自分じぶんの心こころが、左右さゆう前後ぜんごと離れ離れはなればなれになって、しかも独立どくりつができないものだから、物ものの後あとを追掛けおいかけ、追ついん廻わしまわしているほど辛いつらい事ことはない。
なんでも敵てきに逢っあったら敵てきを呑むのむに限るかぎる。
呑むのむ事ことができなければ呑まのまれてしまうが好いよい。
もし両方りょうほう共とも困難こんなんならぷつりと縁えんを截っきって、独立どくりつ自尊じそんの態度たいどで敵てきを見みているがいい。
敵てきと融合ゆうごうする事こともできず、敵てきの勢力範囲せいりょくはんい外そとに心こころを持っもってく事ことも出来できず、しかも敵てきの尻しりを嗅がかがなければならないとなると、はなはだしき損きそんとなる。
したがってもっとも下等したとうである。
自分じぶんはこう云ういう場合ばあいにたびたび遭遇そうぐうして、いろいろな活路かつろを研究けんきゅうして見みたが、研究けんきゅうしたほどに、心こころが云ういう事ことを聞かきかない。
だからここに申すもうす三さん策さくは、みんな釈迦しゃかの空説くうせつ法ほうである。
もし講釈こうしゃくをしないでも知れしれ切っきってる陳ちん説せつなら、なおさら言うゆうだけが野暮やぼになる。
どうも正式せいしきの学問がくもんをしないと、こう云ういう所ところへ来きて、取捨しゅしゃの区別くべつがつかなくって困るこまる。
自分じぶんが四方しほう八方はっぽうに気きを配っくばって、自分じぶんの存在そんざいを最さい高度こうどに縮小しゅくしょうして恐れ入っおそれいっていると、「御ご膳ぜんを御ご上がんあがんなさい」と云ういう婆ばあさんの声こえが聞えきこえた。
いつの間まに婆ばあさんが上がっあがって来きたんだか、自分じぶんの魂たましいが鳩はとの卵たまごのように小さくちいさくなって、萎縮いしゅくした真最中しんさいちゅうだったから、御ご膳ぜんの声こえが耳みみに入るはいるまではまるで気きがつかなかった。
見るみると剥げはげた御ご膳ぜんの上うえに縁えんの欠けかけた茶碗ちゃわんが伏せふせてある。
小さいちいさい飯櫃いいびつも乗っのっている。
箸はしは赤あかと黄きに塗り分けぬりわけてあるが、黄色いきいろい方ほうの漆うるしが半分はんぶんほど落ちおちて木地きじが全くまったく出でている。
御ご菜なには糸蒟蒻いとこんにゃくが一いち皿さらついていた。
自分じぶんは伏目ふしめになってこの御ご膳ぜんの光景こうけいを見渡しみわたした時じ、大いにおおいに食いくいたくなった。
実じつは今朝けさから水みず一いち滴しずくも口くちへ入れいれていない。
胃いは全くまったく空そらである。
もし空そらでなければ、昨日きのう食っしょくった揚よう饅頭まんじゅうと薩摩芋さつまいもがあるばかりである。
飯めしの気きを離れるはなれる事こと約やく二に昼夜ちゅうやになるんだから、いかに魂たましいが萎縮いしゅくしているこの際さいでも、御ご櫃ひつの影かげを見るみるや否いなや食慾しょくよくは猛然もうぜんとして咽喉元のどもとまで詰め寄せつめよせて来きた。
そこで、冷かしひやかしも、交ぜっ返しまぜっかえしも気きに掛けるかける暇ひまなく、見栄みえも糸瓜へちまも棒ぼうに振っふって、いきなり、お櫃ひつからしゃくって茶碗ちゃわんへ一いち杯さかずき盛り上げもりあげた。
その手数てすうさえ面倒めんどうなくらい待ち遠しいまちどおしいほどであったが、例れいの剥箸を取り上げとりあげて、茶碗ちゃわんから飯めしをすくい出そうすくいだそうとする段だんになって――おやと驚いおどろいた。
ちっともすくえない。
指ゆびの股またに力ちからを入れいれて箸はしをうんと底そこまで突っ込んつっこんで、今度こんどこそはと、持上げもちあげて見みたが、やっぱり駄目だめだ。
飯めしはつるつると箸はしの先さきから落ちおちて、けっして茶碗ちゃわんの縁えんを離れようはなれようとしない。
十九じゅうきゅう年ねん来きいまだかつてない経験けいけんだから、あまりの不思議ふしぎに、この仕し損そんを二三にさん度ど繰り返しくりかえして見みた上うえで、はてなと箸はしを休めやすめて考えかんがえた。
おそらく狐きつねに撮まつままれたような風かぜであったんだろう。
見みていた坑夫こうふ共ともはまたぞろ、どっと笑いわらい出しだした。
自分じぶんはこの声こえを聞くきくや否いなや、いきなり茶碗ちゃわんを口くちへつけた。
そうして光沢こうたくのない飯めしを一口ひとくち掻き込んかきこんだ。
すると笑い声わらいごえよりも、坑夫こうふよりも、空腹くうふくよりも、舌した三さん寸すんの上うえだけへ魂たましいが宿っやどったと思うおもうくらいに変へんな味あじがした。
飯めしとは無論むろん受取れうけとれない。
全くまったく壁土かべつちである。
この壁土かべつちが唾液だえきに和わけて、口くちいっぱいに広がっひろがった時じの心持こころもちは云ういうに云わいわれなかった。
「面めんあ見ろみろ。いい様ようだ」と一人ひとりが云ういうと、「御ご祭日さいじつでもねえのに、銀ぎん米べいの気きでいやがらあ。だから帰れかえれって教えおしえてやるのに」と他ほかのものが云ういう。
「南京なんきん米べいの味あじも知らしらねえで、坑夫こうふになろうなんて、頭あたまっから料簡りょうけん違いだ」とまた一人ひとりが云っいった。
自分じぶんは嘲弄ちょうろうのうちに、術じゅつなくこの南京なんきん米べいを呑み下しのみくだした。
一口ひとくちでやめようと思っおもったが、せっかく盛り込んもりこんだものを、食っしょくってしまわないと、また冷かさひやかされるから、熊の胆くまのいを呑むのむ気きになって、茶碗ちゃわんに盛っもっただけは奇麗きれいに腹はらの中なかへ入れいれた。
全くまったく食慾しょくよくのためではない。
昨日きのう食っしょくった揚よう饅頭まんじゅうや、ふかし芋ふかしいもの方ほうが、どのくらい御馳走ごちそうであったか知れしれない。
自分じぶんが南京なんきん米べいの味あじを知っしったのは、生れうまれてこれが始はじめてである。
茶碗ちゃわんに盛っもっただけは、こう云ういう訳わけで、どうにか、こうにか片づけかたづけたが、二に杯さかずき目めは我慢がまんにも盛さかんう気きにならなかったから、糸蒟蒻いとこんにゃくだけを食っしょくって箸はしを置くおく事ことにした。
このくらい辛抱しんぼうして無理むりに厭いやなものを口くちに入れいれてさえ、箸はしを置くおくや否いなや散々さんざんに嘲弄ちょうろうされた。
その時じは随分ずいぶんつらい事ことと思っおもったが、その後日ごじつに三さん度どずつは、必ずかならずこの南京なんきん米べいに対わたいわなくっちゃならない身分みぶんとなったんで、さすがの壁土かべつちも慣れるなれるに連れつれて、いわゆる銀ぎん米べいと同じくおなじく、人類じんるいの食いくい得とくべきもの、否いな食っしょくってしかるべき滋味じみと心得るこころえるようになってからは、剥膳に向っむかって逡巡しゅんじゅんした当時とうじがかえって恥ずかしいはずかしい気持きもちになった。
坑夫こうふ共ともの冷かしひやかしたのも万まん更さら無理むりではない。
今いまとなると、こんな無む経験けいけんな貴族的きぞくてきの坑夫こうふが一杯いちばいの南京なんきん米べいを苦くに病むやむところに廻りまわり合わせあわせて、現状げんじょうを目撃もくげきしたら、ことに因るよると、自分じぶんでさえ、笑うわらうかも知れしれない。
冷かさひやかさないまでも、善意ぜんいに笑うわらうだけの価値かちは十分じゅうふんあると思うおもう。
人ひとはいろいろに変化へんかするもんだ。
南京なんきん米べいの事ことばかり書いかいて済ますまないから、もうやめにするが、この時じ自分じぶんの失敗しっぱいに対するたいする冷評れいひょうは、自然しぜんのままにして抛っほうって置いおいたなら、どこまで続いつづいたか分らわからない。
ところへ急きゅうに金盥かなだらいを叩きたたき合せるあわせるような音おとがした。
一度いちどではない。
二に度ど三さん度どと聞いきいているうちに、じゃじゃん、じゃららんと時じを句切っくぎりって、拍子ひょうしを取りとりながら叩き立てたたきたてて来るくる。
すると今度こんどは木き唄うたの声こえが聞えきこえ出しだした。
純粋じゅんすいの木き唄うたでは無論むろんないが、自分じぶんの知っしってる限りかぎりでは、まあ木き唄うたと云ういうのが一番いちばん近いちかいように思わおもわれる。
この時じ冷評れいひょうは一時いちじにやんだ。
ひっそりと静まり返るしずまりかえる山やまの空気くうきに、じゃじゃん、じゃららんが鳴りなり渡るわたる間まを、一種いっしゅ異様いように唄いうたい囃しはやして何物なにものか近づいちかづいて来きた。
「ジャンボーじゃんぼだ」と一人ひとりが膝頭ひざがしらを打たうたないばかりに、大きなおおきな声こえを出すだすと、「ジャンボーじゃんぼだ。ジャンボーじゃんぼだ」と大勢おおぜい口々くちぐちに云いいいながら、黒いくろい塊かたまりがばらばらになって、窓まどの方ほうへ立ったって行っいった。
自分じぶんは何なんがジャンボーじゃんぼなんだか分らわからないが、みんなの注意ちゅういが、自分じぶんを離れるはなれると同時どうじに、気分きぶんが急きゅうに暢達ちょうたつしたせいか、自分じぶんもジャンボーじゃんぼを見みたいと云ういう余裕よゆうができて、余裕よゆうにつれて元気げんきも出来できた。
つくづく考えるかんがえるに、人間にんげんの心こころは水みずのようなもので、押さおされると引きひき、引くひくと押しおして行くいく。
始終しじゅう手てを出さださない相撲すもうをとって暮らしくらしていると云っいっても差支さしつかえなかろう。
それで、みんなが立ち尽したちつくしたあとから、自分じぶんも立ったった。
そうしてやっぱり窓まどの方ほうへ歩いあるいて行っいった。
黒いくろい頭あたまで下したは塞がっふさがっている上うえから背せ伸しんをして見下すみくだすと、斜しゃに曲っきょくってる向むかいの石垣いしがきの角かくから、紺こんの筒袖つつそでを着きた男おとこが二人ふたり出でた。
あとからまた二人ふたり出でた。
これはいずれも金盥かなだらいを圧しつぶしおしつぶして薄うすっ片かたにしたようなものを両手りょうてに一いち枚ばいずつ持っもっている。
ははあ、あれを叩くたたくんだと思うおもう拍子ひょうしに、二人ふたりは両手りょうてをじゃじゃんと打ち合わしうちあわした。
その不調和ふちょうわな音おとが切っ立っきったった石垣いしがきに突き当っつきあたって、後あとの禿山はげやまに響いひびいて、まだやまないうちに、じゃららんとまた一いち組くみが後あとから鳴らしならし立てたてて現れあらわれた。
たと思うおもうとまた現れるあらわれる。
今度こんどは金盥かなだらいを持っもっていない。
その代りかわり木き唄うた――さっきは木き唄うたと云っいった。
しかしこの時じ、彼かれらの揚げあげた声こえは、木き唄うたと云わいわんよりはむしろ浪花節なにわふしで咄喊とっかんするような稀代きたいな調子ちょうしであった。
「おい金公きんこうはいねえか」と、黒いくろい頭あたまの一いちつが怒鳴っどなった。
後あと向むかいだから顔かおは見えみえない。
すると、「うん金公きんこうに見せみせてやれ」とすぐ応じおうじた者ものがある。
この言葉ことばが終るおわるか、終らおわらない間まに、五ごつ六ろくつの黒いくろい頭あたまがずらりとこっちを向いむかいた。
自分じぶんはまた何なんか云わいわれる事ことと覚悟かくごして仕方なししかたなしに、今までいままでの態度たいどで立ったっていると、不思議ふしぎにも振り返っふりかえった眼めは自分じぶんの方ほうに着いついていない。
広いひろい部屋へやの片隅かたすみに遠くとおく走っはしった様子ようすだから、何物なにものがいる事ことかと、自分じぶんも後あとを追っおっ懸けかけて、首くびを捻じ向けるねじむけると、――寝ねている。
薄いうすい布団ふとんをかけて一人ひとり寝ねている。
「おい金州きんしゅう」と一人ひとりが大きなおおきな声こえを出しだしたが、寝ねているものは返事へんじをしない。
「おい金きんしゅう起きろおきろやい」と怒ど鳴なるつけるように呼んよんだが、まだ何なんとも返事へんじがないので、三さん人ひとばかり窓まどを離れはなれてとうとう迎むかえに出掛けでかけた。
被っかぶってる布団ふとんを手荒てあらにめくると、細ほそ帯おびをした人間にんげんが見えみえた。
同時どうじに、「起きろおきろってば、起きろおきろやい。好いよいものを見せみせてやるから」と云ういう声こえも聞えきこえた。
やがて横よこになってた男おとこが、二人ふたりの肩かたに支えささえられて立ち上ったちのぼった。
そうしてこっちを向いむかいた。
その時じ、その刹那せつな、その顔かおを一目いちもく見みたばかりで自分じぶんは思わおもわず慄りつとした。
これはただ保養ほように寝ねていた人ひとではない。
全くまったくの病人びょうにんである。
しかも自分じぶんだけで起居ききょのできないような重体じゅうたいの病人びょうにんである。
年ねんは五十ごじゅうに近いちかい。
髯ひげは幾いく日ひも剃らそらないと見えみえてぼうぼうと延びのびたままである。
いかな獰猛ねいもうも、こう憔悴しょうすいると憐れあわれになる。
憐れあわれになり過ぎすぎて、逆ぎゃくにまた怖くこわくなる。
自分じぶんがこの顔かおを一目いちもく見みた時じの感じかんじは憐れあわれの極きょく全くまったく怖かっこわかった。
病人びょうにんは二人ふたりに支えささえられながら、釣らつられるように、利かりかない足あしを運ばはこばして、窓まどの方ほうへ近寄っちかよってくる。
この有様ありさまを見みていた、窓際まどぎわの多人数たにんずうは、さも面白おもしろそうに囃し立てるはやしたてる。
「よう、金きんしゅう早くはやく来いこいよ。今いまジャンボーじゃんぼが通るとおるところだ。早くはやく来きて見ろみろよ」「己おのれあジャンボーじゃんぼなんか見みたかねえよ」と病人びょうにんは、無体むたいに引き摺らひきずられながら、気きのない声こえで返事へんじをするうちに、見みたいも、見みたくないもありゃしない。
たちまち窓まどの障子しょうじの角かくまで圧しおしつけられてしまった。
じゃじゃん、じゃららんとジャンボーじゃんぼは知らしらん顔かおで石垣いしがきの所ところへ現れあらわれてくる。
行列ぎょうれつはまだ尽きつきないのかと、また背せ延びのびをして見下しみくだした時じ、自分じぶんは再びふたたび慄りつとした。
金盥かなだらいと金盥かなだらいの間まに、四角しかくな早桶はやおけが挟まっはさまって、山道さんどうを宙ちゅうに釣らつられて行くいく。
上うえは白金はっきん巾はばで包んつつんで、細いほそい杉すぎ丸太まるたを通しとおした両端りょうたんを、水みずでも一いち荷に頼またのまれたように、容赦ようしゃなく担いにないでいる。
その担いにないでいるものまでも、こっちから見るみると、例れいの唄うたを陽気ようきにうたってるように思わおもわれる。
――自分じぶんはこの時じ始めはじめてジャンボーじゃんぼの意味いみを理解りかいした。
生涯しょうがいいかなる事ことがあっても、けっして忘れわすれられないほど痛切つうせつに理解りかいした。
ジャンボーじゃんぼは葬式そうしきである。
坑夫こうふ、シチュウしちゅう、掘子ほりこ、山やま市しに限っかぎって執行しっこうされる、また執行しっこうされなければならない一種いっしゅの葬式そうしきである。
御ご経きょうの文句もんくを浪花節なにわふしに唄っうたって、金盥かなだらいの潰れるつぶれるほどに音楽おんがくを入れいれて、一いち荷にの水みずと同じおなじように棺桶かんおけをぶらつかせて――最後さいごに、半死はんし半生はんせいの病人びょうにんを、無理矢理むりやりに引き摺りひきずり起しおこして、否いなと云ういうのを抑えつけるおさえつけるばかりにしてまで見せみせてやる葬式そうしきである。
まことに無邪気むじゃきの極きょくで、また冷れい刻こくの極きょくである。
「金きんしゅう、どうだ、見えみえたか、面白いおもしろいだろう」と云っいってる。
病人びょうにんは、「うん、見えみえたから、床ゆかん所ところまで連れつれてって、寝かしねかしてくれよ。後生こうせいだから」と頼んたのんでいる。
さっきの二人ふたりは再びふたたび病人びょうにんを中なかへ挟んはさんで、「よっしょいよっしょい」と云いいいながら、刻み足きざみあしに、布団ふとんの敷いしいてある所ところまで連れつれて行っいった。
この時じ曇っくもった空そらが、粉こなになって落ちおちて来きたかと思わおもわれるような雨あめが降りふり出しだした。
ジャンボーじゃんぼはこの雨あめの中なかを敲きたたき立てたてて町まちの方ほうへ下っしたって行くいく。
大勢おおぜいは「また雨あめだ」と云いいいながら、窓まどを立てたて切っきって、各々おのおの囲炉裏いろりの傍そばへ帰るかえる。
この混雑こんざつ紛ふんに自分じぶんもいつの間まにか獰猛ねいもうの仲間入りなかまいりをして、火ひの近所きんじょまで寄るよる事ことが出来できた。
これは偶然ぐうぜんの結果けっかでもあり、また故意こいの所作しょさでもあった。
と云ういうものは火の気ひのけがなくってははなはだ寒いさむい。
袷あわせ一いち枚ばいではとても凌ぎしのぎ兼ねるかねるほどの山やまの中なかだ。
それに雨あめさえ降りふり出しだした。
雨あめと云えいえば雨あめ、霧きりと云えいえば霧きりと云わいわれるくらいな微かかすかな粒つぶであるが、四方しほうの禿山はげやまを罩めこめ尽しつくした上うえに、筒抜けつつぬけの空そらを塗り潰しぬりつぶして、しとどと落ちおちて来るくるんだから、家いえの中なかに坐っすわっていてさえ、糠ぬかよりも小さいちいさい湿り気しめりけが、毛穴けあなから腹はらの底そこへ沁みしみ込むごむような心持こころもちである。
火の気ひのけがなくってはとうていやり切れるきれるものじゃない。
自分じぶんが好いよい加減かげんな所ところへ席せきを占めしめて、いささかながら囲炉裏いろりのほとぼりを顔かおに受けうけていると、今度こんどは存外ぞんがいにも度外視どがいしされて、思っおもったよりも調ちょう戯たわむれわれずに済んすんだ。
これはこっちから進んすすんで獰猛ねいもうの仲間入りなかまいりをしたため、向うむこうでも普通ふつうの獰猛ねいもうとして取扱うとりあつかうべき奴やつだと勘弁かんべんしてくれたのか、それとも先刻せんこくのジャンボーじゃんぼで不意ふいに気きが変っかわった成行なりゆきとして、自分じぶんの事ことをしばらく忘れわすれてくれたのか、または冷笑れいしょうの種しゅが尽きつきたか、あるいは毒突くどくづくのに飽きあきたんだか、――何しろなにしろ自分じぶんが席せきを改めあらためてから、自分じぶんの気きは比較的ひかくてき楽らくになった。
そうして囲炉裏いろりの傍そばの話はなしはやっぱりジャンボーじゃんぼで持ちもち切っきっていた。
いろいろな声こえがこんな事ことを云ういう。
――「あのジャンボーじゃんぼはどこから出でたんだろう」「どこから出でたって御ごジャンボーじゃんぼだ」「ことによると黒市くろし組くみかも知れしれねえ。見当けんとうがそうだ」「全体ぜんたいジャンボーじゃんぼになったらどこへ行くいくもんだろう」「御寺おてらよ。きまってらあ」「馬鹿ばかにするねえ。御寺おてらの先さきを聞いきいてるんだあな」「そうよ、そりゃ寺てら限かぎりで留りとまりっこねえ訳わけだ。どっかへ行くいくに違えちがえねえ」「だからよ。その行く先ゆくさきはどんな所ところだろうてえんだ。やっぱしこんな所ところかしら」「そりゃ、人間にんげんの魂たましいの行くいく所ところだもの、大抵たいていは似にた所ところに違えちがえねえ」「己おのれもそう思っおもってる。行くいくとなりゃ、どうもほかへ行くいく訳わけがねえからな」「いくら地獄じごくだって極楽ごくらくだって、やっぱり飯めしは食うくうんだろう」「女おんなもいるだろうか」「女おんなのいねえ国くにが世界せかいにあるもんか」 ざっと、こんな談話だんわだから、聞いきいているとめちゃめちゃである。
それで始めはじめのうちは冗談じょうだんだと思っおもった。
笑っわらっても差支さしつかえないものと心得こころえて、口くちの端はしをむずつかせながら、ちょっと様子ようすを見渡しみわたしたくらいであった。
ところが笑いわらいたいのは自分じぶんだけで、囲炉裏いろりを取り捲いとりまいている顔かおはいずれも、彫りつけほりつけたように堅くかたくなっている。
彼かれらは真剣しんけんの真面目まじめで未来みらいと云ういう大おお問題もんだいを論じろんじていたんである。
実じつに嘘うそとしか受け取れうけとれないほどの熱心ねっしんが、各々おのおのの眉まゆの間まに見えみえた。
自分じぶんはこの時じ、この有様ありさまを一瞥いちべつして、さっきの笑いわらいたかった念慮ねんりょをたちまちのうちに一変いっぺんした。
こんな向うむこう見みずの無鉄砲むてっぽうな人間にんげんが――カンテラかんてらを提げさげて、シキしきの中なかへ下りれおりれば、もう二に度どと日の目ひのめを見みない料簡りょうけんでいる人間にんげんが――人間にんげんの器械きかいで、器械きかいの獣けものとも云ういうべきこの獰猛ねいもう組くみが、かほどに未来みらいの事ことを気きにしていようとは、まことに予想外よそうがいであった。
して見るみると、世間せけんには、未来みらいの保証ほしょうをしてくれる宗教しゅうきょうというものが入用にゅうようのはずだ。
実際じっさい自分じぶんが眼めを上げあげて、囲炉裏いろりのぐるりに胡坐こざをかいて並んならんだ連中れんちゅうを見渡しみわたした時じには、遠慮えんりょに畏縮いしゅくが手伝ってつだって、七なな分ぶん方ほうでき上っできあがった笑いわらいを急きゅうに崩しくずしたと云ういう自覚じかくは無論むろんなかった。
ただ寄席よせを聞いきいてるつもりで眼めを開けあけて見みたら鼻はなの先さきに毘沙門びしゃもん様ようが大勢おおぜいいて、これはと威儀いぎを正さただしさなければならない気持きもちであった。
一口ひとくちに云ういうと、自分じぶんはこの時じ始めはじめて、真面目まじめな宗教しゅうきょう心こころの種しゅを見みて、半獣はんじゅう半人はんにんの前まえにも厳格げんかくの念ねんを起しおこしたんだろう。
その癖くせ自分じぶんはいまだに宗教しゅうきょう心こころと云ういうものを持っもっていない。
この時じさっきの病人びょうにんが、向うむこうの隅すみでううんと唸りうなり出しだした。
その唸り声うなりごえには無論むろん特別とくべつの意味いみはない。
単にたんに普通ふつうの病人びょうにんの唸り声うなりごえに過ぎんすぎんのだが、ジャンボーじゃんぼの未来みらいに屈託くったくしている連中れんちゅうには、一種いっしゅのあやしい響ひびきのように思わおもわれたんだろう。
みんな眼めと眼めを見合しみあいした。
「金公きんこう苦しいくるしいのか」と一人ひとりが大きなおおきな声こえで聞いきいた。
病人びょうにんは、ただ、「ううん」と云ういう。
唸っうなってるのか、返事へんじをしているのか判然はんぜんしない。
するとまた一人ひとりの坑夫こうふが、「そんなに嚊かかあの事ことばかり気きにするなよ。どうせ取らとられちまったんだ。今更いまさら唸っうなったってどうなるもんか。質しつに入れいれた嚊かかあだ。受じゅ出さださなけりゃ流れるながれるなあ当り前あたりまえだ」と、やっぱり囲炉裏いろりの傍そばへ坐っすわったまま、大きなおおきな声こえで慰めなぐさめている。
慰めなぐさめてるんだか、悪口わるぐちを吐いはいているんだか疑わしいうたがわしいくらいである。
坑夫こうふから云ういうと、どっちも同じおなじ事ことなんだろう。
病人びょうにんはただううんと挨拶あいさつ――挨拶あいさつにもならない声こえを微かかすかに出すだすばかりであった。
そこで大勢おおぜいは懸合けんごうにならない慰藉いしゃをやめて、囲炉裏いろりの周囲しゅういだけで舌したの用ようを弁じべんじていた。
しかし話題わだいはまだ金きんさんを離れはなれない。
「なあに、病気びょうきせえしなけりゃ、金公きんこうだって嚊かかあを取らとられずに済むすむんだあな。元もとを云やいやあ、やっぱり自分じぶんが悪いわるいからよ」と一人ひとりが、金きんさんの病気びょうきをさも罪悪ざいあくのように評するひょうするや否いなや、「全くまったくだ。自分じぶんが病気びょうきをして金きんを借りかりて、その金きんが返せかえせねえから、嚊かかあを抵当ていとうに取らとられちまったんだから、正直しょうじきのところ文句もんくの附けようつけようがねえ」と賛成さんせいしたものがある。
「若干じゃっかんで抵当ていとうに入れいれたんだ」と聞くきくと、向側むかいがわから、「五ご両りょうだ」と誰だれだか、簡潔かんけつに教えおしえた。
「それで市しの野郎やろうが長屋ながやへ下がっさがって、金きんしゅうと入れ代っいれかわった訳わけか。ハハハハはははは」 自分じぶんは囲炉裏いろりの側がわに坐っすわってるのが苦痛くつうであった。
背中せなかの方ほうがぞくぞくするほど寒いさむいのに、腋の下わきのしたから汗あせが出るでる。
「金きんしゅうも早くはやく癒っなおって、嚊かかあを受け出しうけだしたら好かろうよかろう」「また、市しと入れ代りいれかわりか。世話せわあねえ」「それよりか、うんと稼いかせいで、もっと価あたいに踏めるふめる抵当ていとうでも取っとった方ほうが、気きが利いきいてらあ」「違いねえ」と一人ひとりが云いいい出すだすのを相図あいずに、みんなどっと笑っわらった。
自分じぶんはこの笑わらいの中なかに包まつつまれながら、どうしても笑いわらい切れきれずに下したを向いむかいてしまった。
見るみると膝ひざを並べならべて畏まっかしこまっていた。
馬鹿ばからしいと気きがついて、胡坐こざに組み直しくみなおして見みた。
しかし腹はらの中なかはけっして胡坐こざをかくほど悠長ゆうちょうではなかった。
その内うちだんだん日暮ひぐれに近くちかくなって来るくる。
時間じかんが移るうつるばかりじゃない、天気てんきの具合ぐあいと、山やまが囲んかこんでるせいで早くはやく暗くくらくなる。
黙っだまって聞いきいていると、雨あめ垂しでの音おともしないようだから、ことによると、雨あめはもう歇んやすんだのかも知れしれない。
しかしこの暗あんさでは、やっぱり降っふってると云ういう方ほうが当るあたるだろう。
窓まどは固りかたまり締め切っしめきってある。
戸外こがいの模様もようは分りわかりようがない。
しかし暗くくらくって湿しつッっぽい空気くうきが障子しょうじの紙かみを透しとおして、一面いちめんに囲炉裏いろりの周囲しゅういを襲っおそって来きた。
並んならんでいる十じゅう四よん五ご人ひとの顔かおがしだいしだいに漠然ばくぜんする。
同時どうじに囲炉裏いろりの真中まなかに山やまのようにくべた炭すみの色いろが、ほてり返っかえって、少しすこしずつ赤くあかく浮き出すうきだすように思わおもわれた。
まるで、自分じぶんは坑こうの底そこへ滅めつ入込んいれこんで行くいく、火ひはこれに反しはんして坑こうからだんだん競り上がっせりあがって来るくる、――ざっと、そんな気分きぶんがした。
時じにぱっと部屋へや中なかが明るくあかるくなった。
見るみると電気灯でんきとうが点いついた。
「飯めしでも食うくうべえ」と一人ひとりが云ういうと、みんな忘れものわすれものを思い出しおもいだしたように、「飯めしを食っしょくって、また交替こうたいか」「今日きょうは少しすこし寒いさむいぞ」「雨あめはまだ降っふってるのか」「どうだか、表ひょうへ出でて仰向いあおむいて見みな」などと、口々くちぐちに罵りののしりながら、立ったって、階かい下段げだんを下りくだりて行っいった。
自分じぶんは広いひろい部屋へやにたった一人ひとり残さざんされた。
自分じぶんのほかにいるものは病人びょうにんの金きんさんばかりである。
この金きんさんがやっぱり微かすかな声こえを出しだして唸っうなってるようだ。
自分じぶんは囲炉裏いろりの前まえに手てを翳しかざして胡坐こざを組みくみながら、横よこを向いむかいて、金きんさんの方ほうを見みた。
頭あたまは出でていない。
足あしも引っ込ましひっこめましている。
金きんさんの身体しんたいは一いち枚ばいの布団ふとんの中なかで、小さくちいさく平ったくひらったくなっている。
気の毒きのどくなほど小さくちいさく平ったくひらったく見えみえた。
その内うち唸り声うなりごえも、どうにか、こうにかやんだようだから、また顔かおの向むかいを易えかえて、囲炉裏いろりの中なかを見詰めみつめた。
ところがなんだか金きんさんが気きに掛かっかかってたまらないから、また横よこを向いむかいた。
すると金きんさんはやっぱり一いち枚ばいの布団ふとんの中なかで、小さくちいさく平ったくひらったくなっている。
そうして、森もりとしている。
生きいきてるのか、死んしんでるのか、ただ森もりとしている。
唸らうなられるのも、あんまり気味きみの好いよいもんじゃないが、こう静かしずかにしていられるとなお心配しんぱいになる。
心配しんぱいの極きょくは怖くこわくなって、ちょっと立ちたち懸けかけたが、まあ大丈夫だいじょうぶだろう、人間にんげんはそう急きゅうに死ぬしぬもんじゃないと、度胸どきょうを据えすえてまた尻しりを落ちつけおちつけた。
ところへ二三にさん人ひと、下したからどやどやと階かい下段げだんを上がっあがって来きた。
もう飯めしを済ましすましたんだろうか、それにしては非常ひじょうに早いはやいがと、心持こころもち上がり段あがりだんの方ほうを眺めながめていると、思おもうも寄らよらないものが、現れあらわれた。
――黒くろか紺こんか色いろの判然はんぜんしない筒つつ服ふくを着きている。
足あしは職人しょくにんの穿くはくような細いほそい股引ももひきで、色いろはやはり同じおなじ紺こんである。
それでカンテラかんてらを提げさげている。
のみならず二人ふたりが二人ふたりとも泥どろだらけになって、濡れぬれてる。
そうして、口くちを利かりかない。
突っ立っつったったまま自分じぶんの方ほうをぎろりと見みた。
まるで強盗ごうとうとしきゃあ思えおもえない。
やがて、カンテラかんてらを抛り出すほうりだすと、釦ぼたんを外しはずして、筒袖つつそでを脱いぬいだ。
股引ももひきも脱いぬいだ。
壁かべに掛けかけてある広袖どてらを、めりやすの上うえから着きて、尻しりの先さきに三さん尺さし帯おびをぐるりと回しまわしながら、やっぱり無言むごんのまま、二人ふたりしてずしりずしりと降りふりて行っいった。
するとまた上がっあがって来きた。
今度こんどのも濡れぬれている。
泥どろだらけである。
カンテラかんてらを抛り出すほうりだす。
着物きものを着換えるきかえる。
ずしんずしんと降りふりて行くいく。
とまた上がっあがって来るくる。
こう云ういう風かぜに入代りいれかわり、入代りいれかわりして、何なんでもよほど来きた。
いずれも底そこの方ほうから眼球がんきゅうを光らしひからして、一遍いちぺんだけはきっと自分じぶんを見みた。
中なかには、「手前てまえは新前しんまえだな」と云っいったものもある。
自分じぶんはただ、「ええ」と答えこたえて置いおいた。
幸いさいわい今度こんどはさっきのようにむやみには冷やかさひややかされずに、まあ無難ぶなんに済んすんだ。
上がっあがって来るくるものも、来るくるものも、みんな急いいそいで降りふりて行くいくんで、調ちょう戯たわむれう暇ひまがなかったんだろう。
その代りかわり一人ひとりに一度いちどずつは必ずかならず睨まにらまれた。
そうこうしている内うちに、上がっあがって来るくるものがようやく絶えたえたから、自分じぶんはようやく寛容かんよういだ思いおもいをして、囲炉裏いろりの炭すみの赤くあかくなったのを見詰めみつめて、いろいろ考え出しかんがえだした。
もちろん纏まりまとまりようのない、かつ考えれかんがえれば考えるかんがえるほど馬鹿ばかになる考えかんがえだが、火ひを見み詰つめていると、炭すみの中なかにそう云ういう妄想もうそうがちらちらちらちら燃えもえてくるんだから仕方しかたがない。
とうとう自分じぶんの魂たましいが赤いあかい炭すみの中なかへ抜出しぬけだして、火気かきに煽らあおられながら、むやみに踊おどりをおどってるような変へんな心持こころもちになった時じに、突然とつぜん、「草臥れくたびれたろうから、もう御ご休みやすみなさい」と云わいわれた。
見るみると、さっきの婆ばあさんが、立ったっている。
やっぱり襷たすき掛かかりのままである。
いつの間まに上がっあがって来きたものか、ちっとも気きがつかなかった。
自分じぶんの魂たましいが遠慮えんりょなく火ひの中なかを馳はせけ廻っまわって、艶子つやこさんになったり、澄江すみえさんになったり、親爺おやじになったり、金きんさんになったり、――被布ひふやら、廂ひさし髪かみやら、赤毛あかげ布ぬのやら、唸り声うなりごえやら、揚よう饅頭まんじゅうやら、華厳けごんの滝たきやら――幾多いくた無数むすうの幻影げんえいが、囲炉裏いろりの中なかに躍り狂っおどりくるって、立ちたち騰るあがる火の気ひのけの裏うらに追いおいつ追わおわれつ、日向ひなたに浮かぶうかぶ塵ごみと思わおもわれるまで夥しくおびただしく出でて来きた最中さいちゅうに、はっと気きがついたんだから、眼めの前まえにいる婆ばあさんが、不思議ふしぎなくらい変へんであった。
しかし寝ろねろと云ういう注意ちゅういだけは明かあきらかに耳みみに聞えきこえたに違いないから、自分じぶんはただ、「ええ」と答えこたえた。
すると婆ばあさんは後ろうしろの戸棚とだなを指しさして、「布団ふとんは、あすこに這入っはいってるから、独どくで出しだして御ご掛けかけなさい。一いち枚ばい三さん銭せんずつだ。寒いさむいから二に枚ばいはいるでしょう」と聞くきくから、また「ええ」と答えこたえたら、婆ばあさんは、それ限かぎり何になんにも云わいわずに、降りふりて行っいった。
これで、自分じぶんは寝ねてもいいと云ういう許可きょかを得とくたから、正式せいしきに横よこになっても剣突けんつくを食うくう恐れおそれはあるまいと思っおもって、婆ばあさんの指図さしず通りとおり戸棚とだなを明けあけて見るみると、あった。
布団ふとんがたくさんあった。
しかしいずれも薄汚いうすぎたないものばかりである。
自宅じたくで敷いしいていたのとはまるで比較ひかくにならない。
自分じぶんは一番いちばん上うえに乗っのってるのを二に枚ばい、そっとおろした。
そうして、電気灯でんきとうの光ひかりで見みた。
地ちは浅黄あさぎである。
模様もようは白しろである。
その上うえに垢あかが一面いちめんに塗りつけぬりつけてあるから、六ろく分ぶん方ほう色変りいろがわりがして、白いしろい所ところなどは、通例つうれいなら我慢がまんのできにくいほどどろんと、化けばけている。
その上うえすこぶる堅いかたい。
搗き立てつきたての伸し餅のしもちを、金巾かなきんに包んつつんだように、綿めんは綿めんでかたまって、表布おもてぬのとはまるで縁故えんこがないほどの、こちこちしたものである。
自分じぶんはこの布団ふとんを畳たたみの上うえへ平くひらたく敷いしいた。
それから残るのこる一いち枚ばいを平くひらたく掛けかけた。
そうして、襯衣だけになって、その間まに潜り込んもぐりこんだ。
湿っぽいしめっぽい中なかを割り込んわりこんで、両足りょうあしをうんと伸ばしのばしたら踵かかとが畳たたみの上うえへ出でたから、また心持こころもち引っ込ひっこめました。
延ばすのばす時じも曲げるまげる時じも、不断ふだんのように軽くかるくしなやかには行かいかない。
みしりと音おとがするほど、関節かんせつが窮屈きゅうくつに硬かた張っちょうって、動きうごきたがらない。
じっとして、布団ふとんの中なかに膝頭ひざがしらを横たえよこたえていると、倦怠けんたいのを通り越しとおりこして重いおもい。
腿ももから下したを切り取っきりとって、その代りかわりに筋金入りすじがねいりの義足ぎそくをつけられたように重いおもい。
まるで感覚かんかくのある二に本ほんの棒ぼうである。
自分じぶんは冷たくつめたくって重たいおもたい足あしを苦くに病んやんで、頭あたまを布団ふとんの中なかに突っ込んつっこんだ。
せめて頭あたまだけでも暖だんにしたら、足あしの方ほうでも折れ合っおれあってくれるだろうとの、はかない望みのぞみから出でた窮策きゅうさくであった。
しかしさすがに疲れつかれている。
寒ささむさよりも、足あしよりも、布団ふとんの臭いくさいよりも、煩悶はんもんよりも、厭世えんせいよりも――疲れつかれている。
実じつに死ぬしぬ方ほうが楽らくなほど疲れつかれ切っきっていた。
それで、横よこになるとすぐ――畳たたみから足あしを引っ込ましひっこめまして、頭あたまを布団ふとんに入れるいれるだけの所作しょさを仕遂げしとげたと思うおもうが早いはやいか、眠ねむりてしまった。
ぐうぐう正体しょうたいなく眠ねむりてしまった。
これから先きさきは自分じぶんの事ことながらとうてい書けかけない。
…… すると、突然とつぜん針はりで背中せなかを刺ささされた。
夢ゆめに刺ささされたのか、起きおきていて、刺ささされたのか、感じかんじはすこぶる曖昧あいまいであった。
だからそれだけの事ことならば、針はりだろうが刺さしだろうが、頓着とんちゃくはなかったろう。
正気せいきの針はりを夢ゆめの中なかに引摺りひきずり込んこんで、夢ゆめの中なかの刺さしを前後不覚ぜんごふかくの床ゆかの下したに埋めうめてしまう分ぶんの事ことである。
ところがそうは行かいかなかった。
と云ういうものは、刺ささされたなと思いおもいながらも、針はりの事ことを忘れるわすれるほどにうっとりとなると、また一いちつ、ちくりとやられた。
今度こんどは大きなおおきな眼めを開いひらいた。
ところへまたちくりと来きた。
おやと驚くおどろく途端とたんにまたちくりと刺しさした。
これは大変たいへんだとようやく気きがつきがけに、飛び上るとびあがるほど劇しくはげしく股またの辺へんをやられた。
自分じぶんはこの時じ始めはじめて、普通ふつうの人間にんげんに帰っかえった。
そうして身体しんたい中なか至る所いたるところがちくちくしているのを発見はっけんした。
そこでそっと襯衣の間まから手てを入れいれて、背中せなかを撫でなでて見るみると、一面いちめんにざらざらする。
最初さいしょ指先ゆびさきが肌はだに触れふれた時じは、てっきり劇烈げきれつな皮膚病ひふびょうに罹っかかったんだと思っおもった。
ところが指ゆびを肌はだに着けつけたまま、二三にさん寸すん引いひいて見るみると、何なんだか、ばらばらと落ちおちた。
これはただ事ただごとでないとたちまち跳ね起きはねおきて、襯衣一いち枚ばいの見苦しいみぐるしい姿すがたながら囲炉裏いろりの傍そばへ行っいって、親指おやゆびと人差指ひとさしゆびの間まに押えおさえた、米粒こめつぶほどのものを、検査けんさして見るみると、異様いようの虫むしであった。
実じつはこの時分じぶんには、まだ南京虫なんきんむしを見みた事ことがないんだから、はたしてこれがそうだとは断言だんげん出来できなかったが――何なんだか直覚ちょっかく的まとに南京虫なんきんむしらしいと思っおもった。
こう云ういう下卑げびた所ところに直覚ちょっかくの二に字じを濫用らんようしては済ますまんが、ほかに言葉ことばがないから、やむを得とくず高尚こうしょうな術語じゅつごを使っつかった。
さてその虫むしを検査けんさしているうちに、非常ひじょうに悪わるらしくなって来きた。
囲炉裏いろりの縁えんへ乗せのせて、ぴちりと親指おやゆびの爪つめで圧し潰しおしつぶしたら、云ういうに云わいわれぬ青臭いあおくさい虫むしであった。
この青臭いあおくさい臭気しゅうきを嗅ぐかぐと、何なんとなく好いよい心持こころもちになる。
――自分じぶんはこんな醜いみにきい事ことを真面目まじめにかかねばならぬほど狂きょう違い染みしみていた。
実じつを云ういうと、この青臭いあおくさい臭気しゅうきを嗅ぐかぐまでは、恨はんを霽らしたような気きがしなかったのである。
それだから捕っとっては潰しつぶし、捕っとっては潰しつぶし、潰すつぶすたんびに親指おやゆびの爪つめを鼻はなへあてがって嗅いかいでいた。
すると鼻はなの奥おくへ詰っなじって来きた。
今いまにも涙なみだが出でそうになる。
非常ひじょうに情ないなさけない。
それだのに、爪つめを嗅ぐかぐと愉快ゆかいである。
この時じ二に階かい下したで大勢おおぜいが一度いちどにどっと笑うわらう声こえがした。
自分じぶんは急きゅうに虫むしを潰すつぶすのをやめた。
広間ひろまを見渡すみわたすと誰だれもいない。
金きんさんだけが、平たくひらたくなって静かしずかに寝ねている。
頭あたまも足あしも見えみえない。
そのほかにたった一人ひとりいた。
もっとも始めはじめて気きがついた時じは人間にんげんとは思わおもわなかった。
向うむこうの柱はしらの中途ちゅうとから、窓まどの敷居しきいへかけて、帆ほ木綿もめんのようなものを白くしろく渡しわたして、その幅はばのなかに包まっくるまっていたから、何なんだか気味きみが悪かっわるかった。
しかしよく見るみると、白いしろい中なかから黒いくろいものが斜しゃに出でている。
そうしてそれが人間にんげんの毬栗頭いがぐりあたまであった。
――広いひろい部屋へやには、自分じぶんとこの二人ふたりを除いのぞいて、誰だれもいない。
ただ電気灯でんきとうがかんかん点いついている。
大変たいへん静かしずかだ、と思うおもうとまた下座げざ敷しきでわっと笑っわらった。
さっきの連中れんちゅうか、または作業さぎょうを済ましすまして帰っかえって来きたものが、大勢おおぜい寄っよってふざけ散らしちらしているに違いない。
自分じぶんはぼんやりして布団ふとんのある所ところまで帰っかえって来きた。
そうして裸体らたいになって、襯衣を振るっふるって、枕元まくらもとにある着物きものを着きて、帯おびを締めしめて、一番いちばんしまいに敷いしいてある布団ふとんを叮嚀ていねいに畳んたたんで戸棚とだなへ入れいれた。
それから後あとはどうして好いよいか分らわからない。
時間じかんは何時なんじだか、夜よるはとうていまだ明けあけそうにしない。
腕組うでぐみをして立ったって考えかんがえていると、足あしの甲こうがまたむずむずする。
自分じぶんは堪えこらえ切れきれずに、「えっ畜生ちくしょう」と云いいいながら二三にさん度ど小しょう踊おどりをした。
それから、右みぎの足あしの甲こうで、左ひだりの上うえを擦っすって、左ひだりの足あしの甲こうで右みぎの上うえを擦っすって、これでもかと歯は軋きしりをした。
しかし表ひょうへ飛び出すとびだす訳わけにも行かいかず、寝るねる勇気ゆうきはなし、と云っいって、下したへ降りふりて、車座くるまざの中なかへ割り込んわりこんで見るみる元気げんきは固りかたまりない。
さっき毒突かどくづかれた事ことを思い出すおもいだすと、南京虫なんきんむしよりよっぽど厭いやだ。
夜よるが明けれあければいい、夜よるが明けれあければいいと思いおもいながら、自分じぶんは表ひょうへ向いむかいた窓まどの方ほうへ歩いあるいて行っいった。
するとそこに柱はしらがあった。
自分じぶんは立ちたちながら、この柱はしらに倚っよっ掛っかかった。
背中せなかをつけて腰こしを浮かしうかして、足あしの裏うらで身体しんたいを持たしもたしていると、両足りょうあしがずるずる畳たたみの目めを滑っすべってだんだん遠くとおくへ行っいっちまう。
それからまた真直まっすぐに立つたつ。
またずるずる滑るすべる。
また立つたつ。
まずこんな事ことをしていた。
幸いさいわい南京虫なんきんむしは出でて来きなかった。
下したでは時々ときどきどっと笑うわらう。
いても立ったってもと云ういうのは喩ゆだが、そのいても立ったってもを、実際じっさいに経験けいけんしたのはこの時じである。
だから坐るすわるとも立つたつとも方ほうのつかない運動うんどうをして、中途半端ちゅうとはんぱに紛らかしまぎらかしていた。
ところがその運動うんどうをいつまで根気こんきにやったものか覚えおぼえていない。
いとど疲れつかれている上うえに、なお手足てあしを疲らしつからして、いかな南京虫なんきんむしでも応えこたえないほど疲れつかれ切っきったんで、始めはじめて寝ねたもんだろう。
夜よるが明けあけたら、自分じぶんが摺りすり落ちおちた柱はしらの下したに、足あしだけ延ばしのばして、背せを丸くまるく蹲踞そんきょっていた。
これほど苦しめくるしめられた南京虫なんきんむしも、二に日ひ三さん日ひと過つあやまつにつれて、だんだん痛くいたくなくなったのは妙みょうである。
その実じつ、一いち箇月かげつばかりしたら、いくら南京虫なんきんむしがいようと、まるで米粒こめつぶでも、ぞろぞろ転がっころがってるくらいに思っおもって、夜よるはいつでも、ぐっすり安眠あんみんした。
もっとも南京虫なんきんむしの方ほうでも日数にっすうを積むつむに従っしたがって遠慮えんりょしてくるそうである。
その証拠しょうこには新来しんらいのお客おきゃくには、べた一面いちめんにたかって、夜通しよどおし苛めるいじめるが、少しすこし辛抱しんぼうしていると、向うむこうから、愛想あいそをつかして、あまり寄りつかよりつかなくなるもんだと云ういう。
毎日まいにち食っしょくってる人間にんげんの肉にくは自然しぜん鼻はなにつくからだとも教えおしえたものがあるし、いや肉にくの方ほうにそれだけの品格ひんかくが出来できて、シキしき臭くくさくなるから、虫むしも恐れ入るおそれいるんだとも説明せつめいしたものがある。
そうして見るみるとこの南京虫なんきんむしと坑夫こうふとは、性質せいしつがよく似にている。
おそらく坑夫こうふばかりじゃあるまい、一般いっぱんの人類じんるいの傾向けいこうと、この南京虫なんきんむしとはやはり同様どうようの心理しんりに支配しはいされてるんだろう。
だからこの解釈かいしゃくは人間にんげんと虫けらむしけらを概括がいかつするところに面白味おもしろみがあって、哲学者てつがくしゃの喜びよろこびそうな、美しいうつくしいものであるが、自分じぶんの考えかんがえを云ういうと全くまったくそうじゃないらしい。
虫むしの方ほうで気兼きがねをしたり、贅沢ぜいたくを云っいったりするんじゃなくって、食わくわれる人間にんげんの方ほうで習慣しゅうかんの結果けっか、無神経むしんけいになるんだろうと思うおもう。
虫むしは依然いぜんとして食っしょくってるが、食わくわれても平気へいきでいるに違いない、もっとも食わくわれて感じかんじないのも、食わくわれなくって感じかんじないのも、趣おもむきこそ違えちがえ、結果けっかは同じおなじ事ことであるから、これは実際じっさい上うえ議論ぎろんをしても、あまり役やくに立たたたない話はなしである。
そんな無用むようの弁べんは、どうでもいいとして、自分じぶんが眼めを開けあけて見みたら、夜よるは全くまったく明け放れあけはなれていた。
下したではもうがやがや云っいっている。
嬉しかっうれしかった。
窓まどから首くびを出しだして見るみると、また雨あめだ。
もっとも判然はんぜんとは降っふっていない。
雲くもの濃いこいのが糸いとになり損なっそこなって、なっただけが、細くほそく地ちへ落ちるおちる気色けしきだ。
だからむやみに濛々もうもうとはしていない。
しだいしだいに雨あめの方ほうに片づいかたづいて、片づくかたづくに従っしたがって糸いとの間まが透いすいて見えるみえる。
と云っいっても見えるみえるものは山やまばかりである。
しかも草くさも木きも至っていたって乏しいとぼしい、潤じゅんのない山やまである。
これが夏なつの日ひに照りつけてりつけられたら、山やまの奥おくでもさぞ暑かろうあつかろうと思わおもわれるほど赤くあかく禿げはげてぐるりと自分じぶんを取り捲いとりまいている。
そうして残らのこらず雨あめに濡れぬれている。
潤いうるおい気きのないものが、濡れぬれているんだから、土器かわらけに霧きりを吹いふいたように、いくら濡れぬれても濡れぬれ足りたりない。
その癖くせ寒いさむい気持きもちがする。
それで自分じぶんは首くびを引っ込めようひっこめようとしたら、ちょっと眼めについた。
――手拭てぬぐいを被っかぶって、藁わらを腰こしに当てあてて、筒つつ服ふくを着きた男おとこが二三にさん人ひと、向うむこうの石垣いしがきの下したにあらわれた。
ちょうど昨日きのうジャンボーじゃんぼの通っとおった路みちを逆ぎゃくに歩いあるいて来るくる。
遠くとおくから見るみると、いかにもしょぼしょぼして気の毒きのどくなほど憐れあわれである。
自分じぶんも今朝けさからああなるんだなと、ふと気きがついて見るみると、人事じんじとは思わおもわれないほど、向むかいへ行くいく手拭てぬぐいの影かげ――雨あめに濡れぬれた手拭てぬぐいの影かげが情なかっなさけなかった。
すると雨あめの間まからまた古ふる帽子ぼうしが出でて来きた。
その後そのあとからまた筒袖つつそで姿すがたがあらわれた。
何なんでも朝あさの番ばんに当っあたった坑夫こうふがシキしきへ這入るはいる時間じかんに相違そういない。
自分じぶんはようやく窓まどから首くびを引き込めひきこめた。
すると、下したから五六ごろく人ひと一度いちどにどやどやと階かい下段げだんを上っのぼって来るくる。
来きたなと思っおもったが仕方しかたがないから懐手ふところでをして、柱はしらにもたれていた。
五六ごろく人ひとは見るみる間まに、同じおなじ出立しゅったつに着更えきかえて下りくだりて行っいった。
後あとからまた上がっあがってくる。
また筒袖つつそでになって下りくだりて行くいく。
とうとう飯場はんばにいる当番とうばんはことごとく出払っではらったようだ こう飯場はんば中なか活動かつどうして来るくると、自分じぶんも安閑あんかんとしちゃいられない。
と云っいって誰だれも顔かおを御ご洗いあらいなさいとも、御飯ごはんを御ご上がんあがんなさいとも云いいいに来きてくれない。
いかな坊っぼっちゃんも、あまり手持無沙汰てもちむさた過ぎすぎて困っこまっちまったから、思い切っおもいきって、のこのこ下りくだりて行っいった。
心こころは無論むろん落おちついちゃいないが、態度たいどだけはまるで宿屋やどやへ泊っとまって、茶代ちゃだいを置いおいた御客ごきゃくのようであった。
いくら恐縮きょうしゅくしても自分じぶんには、これより以外いがいの態度たいどが出来できないんだから全くまったくの生息せいそく子こである。
下りくだりて見るみると例れいの婆ばあさんが、襷がけたすきがけをして、草鞋わらじを一足いっそくぶら下げぶらさげて奥おくから駆けかけて来きたところへ、ばったり出逢っであった。
「顔かおはどこで洗うあらうんですか」と聞くきくと、婆ばあさんは、ちょっと自分じぶんを見みたなりで、「あっち」と云い捨ていいすてて門口かどぐちの方ほうへ行っいった。
まるで相手あいてにしちゃいない。
自分じぶんにはあっちの見当けんとうがわからなかったが、とにかく婆ばあさんの出でて来きた方角ほうがくだろうと思っおもって、奥おくの方ほうへ歩いあるいて行っいったら、大きなおおきな台所だいどころへ出でた。
真中まなかに四よん斗と樽そんを輪わ切にせつにしたようなお櫃ひつが据えすえてある。
あの中なかに南京なんきん米べいの炊いたいたのがいっぱい詰っなじってるのかと思っおもったら、――何しろなにしろ自分じぶんが三さん度ど三さん度ど一いち箇月かげつ食っしょくっても食いくい切れきれないほどの南京なんきん米べいなんだから、食わくわない前まえからうんざりしちまった。
――顔かおを洗うあらう所ところも見つけみつけた。
台所だいどころを下りくだりて長いながい流りゅうの前まえへ立ったって、冷たいつめたい水みずで、申し訳もうしわけのために頬辺ほおべたを撫でなでて置いおいた。
こうなると叮嚀ていねいに顔かおなんか洗うあらうのは馬鹿馬鹿しくばかばかしくなる。
これが一歩いちほ進むすすむと、顔かおは洗わあらわなくっても宜いよいものと度胸どきょうが坐っすわってくるんだろう。
昨日きのうの赤毛あかげ布ぬのや小僧こぞうは全くまったくこう云ういう順序じゅんじょを踏んふんで進化しんかしたものに違いない。
顔かおはようやく自力じりきで洗っあらった。
飯めしはどうなる事ことかと、またのそのそ台所だいどころへ上っのぼった。
ところへ幸いさいわい婆ばあさんが表ひょうから帰っかえって来きて膳立てぜんだてをしてくれた。
ありがたい事ことに味噌汁みそしるがついていたんで、こいつを南京なんきん米べいの上うえから、ざっと掛けかけて、ざくざくと掻き込んかきこんだんで、今度こんどは壁土かべつちの味あじを噛みかみ分ぶんないで済んすんだ。
すると婆ばあさんが、「御飯ごはんが済んすんだら、初はつさんがシキしきへ連れつれて行くいくって待っまってるから、早くはやくおいでなさい」と、箸はしも置かおかない先さきから急き立てるせきたてる。
実じつはもう一いち杯さかずきくらい食わくわないと身体しんたいが持つもつまいと思っおもってたところだが、こう催促さいそくされて見るみると、無論むろん御ご代りかわりなんか盛さかんう必要ひつようはない。
自分じぶんは、「はあ、そうですか」と立ち上がったちあがった。
表ひょうへ出でて見るみると、なるほど上り口あがりぐちに一人ひとり掛けかけている。
自分じぶんの顔かおを見みて、「御前ごぜんか、シキしきへ行くいくなあ」と、石いしでもぶっ欠くかくような勢いいきおいで聞いきいた。
「ええ」と素直すなおに答えこたえたら、「じゃ、いっしょに来きねえ」と云ういう。
「この服装ふくそうでも好いよいんですか」と叮嚀ていねいに聞き返すききかえすと、「いけねえ、いけねえ。そんな服装ふくそうで這入れるはいれるもんか。ここへ親分おやぶんとこから一いち枚ばい借りかりて来きてやったから、此これ服ふくを着るきるがいい」と云いいいながら、例れいの筒袖つつそでを抛り出しほうりだした。
「そいつが上うえだ。こいつが股引ももひきだ。そら」とまた股引ももひきを抛げなげつけた。
取りあげとりあげて見るみると、じめじめする。
所々ところどころに泥どろが着いついている。
地ちは小倉おぐららしい。
自分じぶんもとうとうこの御ご仕し着きを着るきる始末しまつになったんだなと思いおもいながら、絣かすりを脱いぬいで上下じょうげとも紺こん揃になった。
ちょっと見るみると内閣ないかくの小使こづかいのようだが、心持こころもちから云ういうと、小使こづかいを拝命はいめいした時じよりも遥はるかに不景気ふけいきであった。
これで支度したくは出来できたものと思おもう込んこんで土間どまへ下りるおりると、「おっと待っまった」と、初はつさんがまた勇み肌いさみはだの声こえを掛けかけた。
「これを尻しりの所ところへ当てるあてるんだ」 初はつさんが出しだしてくれたものを見るみると、三さん斗と俵たわら坊っぼっちのような藁布団わらふとんに紐ひもをつけた変へん挺ちょうなものだ。
自分じぶんは初はつさんの云ういう通りとおり、これを臀部でんぶへ縛りつけしばりつけた。
「それが、アテシコあてしこだ。好しよしか。それから鑿のみだ。こいつを腰こしん所ところへ差しさしてと……」 初はつさんの出しだした鑿のみを受け取っうけとって見るみると、長さながさ一いち尺さし四五しご寸すんもあろうと云ういう鉄てつの棒ぼうで、先さきが少しすこし尖っとがっている。
これを腰こしへ差すさす。
「ついでにこれも差すさすんだ。少しすこし重いおもいぜ。大丈夫だいじょうぶか。しっかり受け取らうけとらねえと怪我けがをする」 なるほど重いおもい。
こんな槌つちを差しさしてよく坑こうの中なかが歩けるあるけるもんだと思うおもう。
「どうだ重いおもいか」「ええ」「それでも軽いかるいうちだ。重いおもいのになると五ご斤きんある。――いいか、差せさせたか、そこでちょっと腰こしを振っふって見みな。大丈夫だいじょうぶか。大丈夫だいじょうぶならこれを提げるさげるんだ」とカンテラかんてらを出しだしかけたが、「待っまったり。カンテラかんてらの前まえに一いちつ草鞋わらじを穿いはいちまいねえ」 草鞋わらじの新しいあたらしいのが、上り口あがりぐちにある。
さっき婆ばあさんが振らふら下げさげてたのは、大方おおかたこれだろう。
自分じぶんは素足すあしの上うえへ草鞋わらじを穿いはいた。
緒いとぐちを踵かかとへ通しとおしてぐっと引くひくと、「駑癡だなあ。そんなに締めるしめる奴やつがあるかい。もっと指ゆびの股またを寛ひろしめろい」と叱らしかられた。
叱らしかられながら、どうにか、こうにか穿いはいてしまう。
「さあ、これでいよいよおしまいだ」と初はつさんは饅頭まんじゅう笠かさとカンテラかんてらを渡しわたした。
饅頭まんじゅう笠かさと云ういうのか筍たけのこ笠かさというのか知らしらないが、何なんでも懲役ちょうえき人ひとの被るかぶるような笠かさであった。
その笠かさを神妙しんみょうに被るかぶる。
それからカンテラかんてらを提げるさげる。
このカンテラかんてらは提げるさげるようにできている。
恰好かっこは二に合あわせ入りいりの石油せきゆ缶かんとも云ういうべきもので、そこへ油あぶらを注すさす口くちと、心こころを出すだす孔あなが開いひらいてる上うえに、細長いほそながい管かんが食っしょくっついて、その管かんの先さきがちょっと横よこへ曲がるまがると、すぐ膨らんふくらんだカップかっぷになる。
このカップかっぷへ親指おやゆびを突っ込んつっこんで、その親指おやゆびの力ちからで提げるさげるんだから、指ゆび五本ごぽんの代りかわりに一いち本ほんで事ことを済ますすますはなはだ実用的じつようてきのものである。
「こう、穿めるんだ」と初はつさんが、勝栗かちぐりのような親指おやゆびを、カンテラかんてらの孔あなの中なかへ突込んつっこんだ。
旨いうまい具合ぐあいにはまる。
「そうら」 初はつさんは指ゆび一いち本ほんで、カンテラかんてらを柱時計はしらとけいの振子しんしのように、二三にさん度ど振っふって見せみせた。
なかなか落ちおちない。
そこで自分じぶんも、同じおなじように、調子ちょうしをとって揺しうごかして見みたがやっぱり落ちおちなかった。
「そうだ。なかなか器用きようだ。じゃ行くいくぜ、いいか」「ええ、好よしみござんす」 自分じぶんは初はつさんに連れつれられて表ひょうへ出でた。
所ところが降っふっている。
一番いちばん先さきへ笠かさへあたった。
仰向いあおむいて、空模様そらもようを見ようみようとしたら、顎あごと、口くちと、鼻はなへぽつぽつとあたった。
それからあとは、肩かたへもあたる。
足あしへもあたる。
少しすこし歩くあるくうちには、身体しんたい中なかじめじめして、肌はだへ抜けぬけた湿気しっけが、皮膚ひふの活気かっきで蒸し返さむしかえされる。
しかし雨あめの方ほうが寒いさむいんで、身体しんたいのほとぼりがだんだん冷めさめて行くいくような心持こころもちであったが、坂さかへかかると初はつさんがむやみに急ぎいそぎ出しだしたんで、濡れぬれながらも、毛穴けあなから、雨あめを弾き出すはじきだす勢いいきおいで、とうとうシキしきの入口いりぐちまで来きた。
入口いりぐちはまず汽車きしゃの隧道すいどうの大きいおおきいものと云っいって宜しいよろしい。
蒲鉾形かまぼこがたの天辺てっぺんは二に間まくらいの高さたかさはあるだろう。
中なかから軌道きどうが出でて来るくるところも汽車きしゃの隧道すいどうに似にている。
これは電車でんしゃが通うかよう路みちなんだそうだ。
自分じぶんは入口いりぐちの前まえに立ったって、奥おくの方ほうを透かしすかして見みた。
奥おくは暗かっくらかった。
「どうだここが地獄じごくの入口いりぐちだ。這入れるはいれるか」と初はつさんが聞いきいた。
何なんだか嘲弄ちょうろうの語気ごきを帯びおびている。
さっき飯場はんばを出でて、ここまで来るくる途中とちゅうでも、方々かたがたの長屋ながやの窓まどから首くびを出しだして、「昨日きのうのだ」「新来しんらいだ」と口々くちぐちに罵っののしっていたが、その様子ようすを見るみると単にたんに山やまの中なかに閉じ込めとじこめられて物珍らしものめずらしさの好奇心こうきしんとは思えおもえなかった。
その言葉ことばの奥底おくそこにはきっと愚弄ぐろうの意味いみがある。
これを布衍ふえんして云ういうと、一いちつには貴様きさまもとうとうこんな所ところへ転げ込んころげこんで来きた、いい気味きみだ、ざまあ見ろみろと云ういう事ことになる。
もう一いちつは御ご気の毒きのどくだが来きたって駄目だめだよ。
そんな脂っこいあぶらっこい身体しんたいで何なんが勤まるつとまるものかと云ういう事ことにもなる。
だから「昨日きのうのだ」「新来しんらいだ」と騒ぐさわぐうちには、自分じぶんが彼かれらと同様どうようの苦痛くつうを甞めなければならないほど堕落だらくしたのを快くこころよく感ずるかんずると共ともに、とうていこの苦痛くつうには堪えこらえがたい奴やつだとの軽蔑けいべつさえ加わっくわわっている。
彼かれらは他人たにんを彼かれらと同どう程度ていどに引き摺りひきずり落しおとして喝采かっさいするのみか、ひとたび引き摺りひきずり落しおとしたものを、もう一いち返かえし足あしの下したまで蹴落しけおとして、堕落だらくは同どう程度ていどだが、堕落だらくに堪えるこたえる力ちからは彼かれらの方ほうがかえって上うえだとの自信じしんをほのめかして満足まんぞくするらしい。
自分じぶんは途上とじょう「昨日きのうのだ」と聞くきくたんびに、懲役ちょうえき笠かさで顔かおを半分はんぶん隠しかくしながら通り抜けとおりぬけて、シキしきの入口いりぐちまで来きた。
そこで初はつさんがまた愚弄ぐろうしたんだから、自分じぶんは少しすこしむっとして、「這入れはいれますとも。電車でんしゃさえ通っとおってるじゃありませんか」と答えこたえた。
すると初はつさんが、「なに這入れるはいれる? 豪ごう義ぎな事ことを云ういうない」と云っいった。
ここで「這入れはいれません」と恐れ入っおそれいったら、「それ見ろみろ」と直じかこなされるにきまってる。
どっちへ転んころんでも駄目だめなんだから別べつに後悔こうかいもしなかった。
初はつさんは、いきなり、シキしきの中なかへ飛び込んとびこんだ。
自分じぶんも続いつづいて這入っはいった。
這入っはいって見るみると、思っおもったよりも急きゅうに暗くくらくなる。
何なんだか足元あしもとがおっかなくなり出しだしたには降参こうさんした。
雨あめが降っふっていても外そとは明かるいあかるいものだ。
その上うえ軌道きどうの上うえはとにかく、両側りょうがわはすこぶる泥どろっている。
それだのに初はつさんは中っ腹ちゅうっぱらでずんずん行くいく。
自分じぶんも負けまけない気きでずんずん行くいく。
「シキしきの中なかでおとなしくしねえと、すのこの中なかへ抛り込まほうりこまれるから、用心ようじんしなくっちゃあいけねえ」と云いいいながら初はつさんは突然とつぜん暗いくらい中なかで立ち留ったちどまった。
初はつさんの腰こしには鑿のみがある。
五ご斤きんの槌つちがある。
自分じぶんは暗いくらい中なかで小さくちいさくなって、「はい」と返事へんじをした。
「よしか、分っわかったか。生きいきて出るでる料簡りょうけんなら生意気なまいきにシキしきなんかへ這入らはいらねえ方ほうが増しましだ」 これは向うむきむこうむきになって、初はつさんが歩きあるき出しだした時じに、半分はんぶんは独り言ひとりごとのように話しはなした言葉ことばである。
自分じぶんは少すくなからず驚いおどろいた。
坑こうの中なかは反響はんきょうが強いつよいので、初はつさんの言葉ことばがわんわんわんと自分じぶんの耳みみへ跳ねっ返っはねっかえって来るくる。
はたして初はつさんの言うゆう通りとおりなら、飛んとんだ所ところへ這入っはいったもんだ。
実じつは死ぬしぬのも同然どうぜんな職業しょくぎょうであればこそ坑夫こうふになろうと云ういう気きも起しおこして見みたんだが、本当ほんとうに死ぬしぬなら――こんな怖いこわい商売しょうばいなら――殺さころされるんなら――すのこの中なかへ抛げなげ込まこまれるなら――すのことは全体ぜんたいどんなもんだろうと思い出しおもいだした。
「すのことはどんなもんですか」「なに?」と初はつさんが後あとを振り向いふりむいた。
「すのことはどんなもんですか」「穴あなだ」「え?」「穴あなだよ。――鉱こうを抛り込んほうりこんで、纏めまとめて下したへ降こうげる穴あなだ。鉱こうといっしょに抛り込まほうりこまれて見みねえ……」で言葉ことばを切っきってまたずんずん行くいく。
自分じぶんはちょっと立ち留ったちどまった。
振り返るふりかえると、入口いりぐちが小さいちいさい月つきのように見えるみえる。
這入るはいるときは、これがシキしきならと思っおもった。
聞いきいたほどでもないと思っおもった。
ところが初はつさんに威嚇いかくかされてから、いかな平凡へいぼんな隧道すいどうも、大いにおおいに容子ようこが変っかわって来きた。
懲役ちょうえき笠かさをたたく冷たいつめたい雨あめが恋しくこいしくなった。
そこで振り返るふりかえると、入口いりぐちが小さいちいさい月つきのように見えるみえる。
小さいちいさい月つきのように見えるみえるほど奥おくへ這入っはいったなと、振り返っふりかえって始めてはじめて気きがついた。
いくら曇っくもっていてもやっぱり外そとが懐かしいなつかしい。
真黒まっくろな天井てんじょうが上うえから抑えつけおさえつけてるのは心持こころもちのわるいものだ。
しかもこの天井てんじょうがだんだん低くひくくなって来るくるように感ぜかんぜられる。
と思うおもうと、軌道きどうを横よこへ切れきれて、右みぎへ曲っきょくった。
だらだら坂さかの下りくだりになる。
もう入口いりぐちは見えみえない。
振返っふりかえっても真暗まっくらだ。
小さいちいさい月つきのような浮世うきよの窓まどは遠慮えんりょなくぴしゃりと閉っしまって、初はつさんと自分じぶんはだんだん下したの方ほうへ降りふりて行くいく。
降りふりながら手てを延ばしのばして壁かべへ触っさわって見るみると、雨あめが降っふったように濡れぬれている。
「どうだ、尾おいて来るくるか」と、初はつさんが聞いきいた。
「ええ」とおとなしく答えこたえたら、「もう少しすこしで地獄じごくの三さん丁目ちょうめへ来るくる」と云っいったなり、また二人ふたりとも無言むごんになった。
この時じ行く手ゆくての方ほうに一いち点てんの灯あかりが見えみえた。
暗闇くらやみの中なかの黒猫くろねこの片眼かためのように光っひかりってる。
カンテラかんてらの灯あかりなら散らつくちらつくはずだが、ちっとも動かうごかない。
距離きょりもよく分らわからない。
方角ほうがくも真直まっすぐじゃないが、とにかく見えるみえる。
もし坑こうの中なかが一いち本道ほんどうだとすれば、この灯あかりを目め懸けかけて、初はつさんも自分じぶんも進んすすんで行くいくに違いない。
自分じぶんは何になんにも聞かきかなかったが、大方おおかたこれが地獄じごくの三さん丁目ちょうめなんだろうと思っおもって、這入っはいって行っいった。
すると、だらだら坂さかがようやく尽きつきた。
路みちは平らたいらに向うむこうへ廻りまわり込むごむ。
その突き当りつきあたりに例れいの灯あかりが点いついている。
さっきは鼻はなの下したに見えみえたが、今いまでは眼めと擦々の所ところまで来きた。
距離きょりも間近くまぢかくなった。
「いよいよ三さん丁目ちょうめへ着いついた」と、初はつさんが云ういう。
着いついて見るみると、坑こうが四五しご畳たたみほどの大おおさに広がっひろがって、そこに交番こうばんくらいな小屋こやがある。
そうしてその中なかに電気灯でんきとうが点いついている。
洋服ようふくを着きた役人やくにんが二人ふたりほど、椅子いすの対いむかい合せあわせに洋よう卓たくを隔てへだてて腰こしを掛けかけていた。
表ひょうには第一だいいち見張みはり所ところとあった。
これは坑夫こうふの出入でいりだの労働ろうどうの時間じかんだのを検査けんさする所ところだと後あとから聞いきいて、始めはじめて分っわかったんだが、その当時とうじには何なんのための設備せつびだか知らしらなかったもんだから、六七ろくなな人ひとの坑夫こうふが、どす黒いどすぐろい顔かおを揃えそろえて無言むごんのまま、見張みはり所ところの前まえに立ったっていたのを不審ふしんに思っおもった。
これは時間じかんを待ち合わしまちあわして交替こうたいするためである。
自分じぶんは腰こしに鑿のみと槌つちを差しさしてカンテラかんてらさえ提げさげてはいるが、坑夫こうふ志願しがんというんで、シキしきの様子ようすを見みに這入っはいっただけだから、まだ見習みならいにさえ採用さいようされていないと云ういう訳わけで、待ち合わすまちあわす必要ひつようもないものと見えみえて、すぐこの溜ためを通り越しとおりこした。
その時じ初はつさんが見張みはり所ところの硝子窓がらすまどへ首くびを突っ込んつっこんで、ちょいと役人やくにんに断っことわったが、役人やくにんは別べつに自分じぶんの方ほうを見み向むかいもしなかった。
その代りかわり立ったっていた坑夫こうふはみんな見みた。
しかし役人やくにんの前まえを憚っはばかってだろう、全くまったく一言ひとことも口くちを利いきいたものはなかった。
溜ためを出るでるや否いなや坑こうの様子ようすが突然とつぜん変っかわった。
今までいままでは立ったってあるいても、背せ延びのびをしても届きとどきそうにもしなかった天井てんじょうが急きゅうに落ちおちて来きて、真直まっすぐに歩くあるくと時々ときどき頭あたまへ触るさわるような気持きもちがする。
これがものの二に寸すんも低かろうひくかろうものなら、岩いわへぶつかって眉間みけんから血ちが出るでるに違いないと思うおもうと、松原まつばらをあるくように、ありったけの背せで、野風のかぜ雑ざつにゃやって行けいけない。
おっかないから、なるべく首くびを肩かたの中なかへ縮めちぢめ込んこんで、初はつさんに食っしょくっついて行っいった。
もっともカンテラかんてらはさっき点けつけた。
すると三さん尺さしばかり前まえにいる初はつさんが急きゅうに四よんん這いはいになった。
おや、滑っすべって転んころんだ。
と思っおもって、後あとから突っ掛かりつっかかりそうなところを、ぐっと足あしを踏ん張っふんばった。
このくらいにして喰いくい留めとめないと、坂さかだから、前まえへのめる恐おそれがある。
心持こころもち腰こしから上うえを反らすそらすようにして、初はつさんの起きるおきるのを待ち合わしまちあわしていると、初はつさんはなかなか起きおきない。
やっぱり這っはっている。
「どうか、しましたか」と後あとから聞いきいた。
初はつさんは返事へんじもしない。
――はてな――怪我けがでもしやしないかしら――もう一遍いちぺん聞いきいて見ようみようか――すると初はつさんはのこのこ歩きあるき出しだした。
「何なんともなかったですか」「這うはうんだ」「え?」「這うはうのだてえ事ことよ」と初はつさんの声こえはだんだん遠くとおくなってしまう。
その声こえで自分じぶんは不審ふしんを打っうった。
いくら向うむきむこうむきでも、普通ふつうなら明かあきらかに聞きとらききとられべき距離きょりから出るでるのに、急きゅうに潜っもぐってしまう。
声こえが細いほそいんじゃない。
当り前あたりまえの初はつさんの声こえが袋ふくろのなかに閉じ込めとじこめられたように曖昧あいまいになる。
こりゃただ事ただごとじゃないと気きがついたから、透しとおして見るみるとようやく分っわかった。
今までいままでは尋常じんじょうに歩けあるけた坑こうが、ここでたちまち狭くせまくなって、這わはわなくっちゃ抜けぬけられなくなっている。
その狭いせまい入口いりぐちから、初はつさんの足あしが二に本ほん出でている。
初はつさんは今いま胴どうを入れいれたばかりである。
やがて出でていた足あしが一いち本ほん這入っはいった。
見みているうちにまた一いち本ほん這入っはいった。
これで自分じぶんも四つん這いよつんばいにならなくっちゃ仕方しかたがないと諦めあきらめをつけた。
「這うはうんだ」と初はつさんの教えおしえたのもけっして無理むりじゃないんだから、教えおしえられた通りとおり這っはった。
ところが右みぎにはカンテラかんてらを提げさげている。
左ひだりの手の平てのひらだけを惜おし気きもなく氷こおりのような泥どろだか岩いわだかへな土つちだか分らわからない上うえへぐしゃりと突いついた時じは、寒ささむさが二の腕にのうでを伝わっつたわって肩口かたぐちから心臓しんぞうへ飛び込んとびこんだような気持きもちがした。
それでカンテラかんてらを下したへ着けつけまいとすると、右みぎの手てが顔かおとすれすれになって、はなはだ不便ふべんである。
どうしたもんだろうと、この姿勢しせいのままじっとしていた。
そうして、右みぎの手てで宙ちゅうに釣っつっているカンテラかんてらを見みた。
ところへぽたりと天井てんじょうからしずくが垂れたれた。
カンテラかんてらの灯あかりがじいと鳴っなった。
油煙ゆえんが顎あごから頬ほおへかかる。
眼めへも這入っはいった。
それでもこの灯あかりを見詰めみつめていた。
すると遠くとおくの方ほうでかあん、かあん、と云ういう音おとがする。
坑夫こうふが作業さぎょうをしているに違いないが、どのくらい距離きょりがあるんだか、どの見当けんとうにあたるんだか、いっこう分らわからない。
東西南北とうざいなんぼくのある浮世うきよの音おとじゃない。
自分じぶんはこの姿勢しせいでともかくも二三にさん歩あゆみ歩きあるき出しだした。
不便ふべんは無論むろん不便ふべんだが、歩けあるけない事ことはない。
ただ時々ときどきしずくが落ちおちてカンテラかんてらのじいと鳴るなるのが気きにかかる。
初はつさんは先さきへ行っいってしまった。
頼らいはカンテラかんてら一いちつである。
そのカンテラかんてらがじいと鳴っなって水みずのために消えきえそうになる。
かと思うおもうとまた明かるくあかるくなる。
まあよかったと安心あんしんする時分じぶんに、またぽたりと落ちおちて来るくる。
じいと鳴るなる。
消えきえそうになる。
非常ひじょうに心細いこころぼそい。
実じつは今までいままでも、しずくは始終しじゅう垂れたれていたんだが、灯あかりが腰こしから下したにあるんで、いっこう気きがつかなかったんだろう。
灯あかりが耳みみの近くちかくへ来きて、じいと云ういう音おとが聞えるきこえるようになってから急きゅうに神経しんけいが起っおこって来きた。
だから這うはう方ほうはなお遅くおそくなる。
しかもまだ三さん足あししか歩いあるいちゃいない。
ところへ突然とつぜん初はつさんの声こえがした。
「やい、好いよい加減かげんに出でて来きねえか。何なんをぐずぐずしているんだ。――早くはやくしないと日ひが暮れくれちまうよ」 暗いくらいなかで初はつさんはたしかに日ひが暮れくれちまうと云っいった。
自分じぶんは這いはいながら、咽喉のど仏ふつの角かくを尖らすとがらすほどに顎あごを突き出しつきだして、初はつさんの方ほうを見みた。
すると一いち間まばかり向うむこうに熊くまの穴あな見みたようなものがあって、その穴あなから、初はつさんの顔かおが――顔かおらしいものが出でている。
自分じぶんがあまり手間取るてまどるんで、初はつさんが屈んかがんでこっちを覗き込んのぞきこんでるところであった。
この一いち間まをどうして抜け出しぬけだしたか、今いまじゃ善くよく覚えおぼえていない。
何しろなにしろできるだけ早くはやく穴あなまで来きて、首くびだけ出すだすと、もう初はつさんは顔かおを引っ込ましひっこめまして穴あなの外そとに立ったっている。
その足あしが二に本ほん自分じぶんの鼻はなの先さきに見えみえた。
自分じぶんはやれ嬉しうれしやと狭いせまい所ところを潜り抜けくぐりぬけた。
「何なんをしていたんだ」「あんまり狭いせまいもんだから」「狭いせまいんで驚いおどろいちゃ、シキしきへは一足いっそくだって踏ん込めふんこめっこはねえ。陸りくのように地面じめんはねえ所ところだくらいは、どんな頓珍漢とんちんかんだって知っしってるはずだ」 初はつさんはたしかに坑こうの中なかは陸りくのように地面じめんのない所ところだと云っいった。
この人ひとは時々ときどき思い掛けおもいかけない事ことを云ういうから、今度こんどもたしかにとただし書ただしがきをつけて、その確実かくじつな事ことを保証ほしょうして置くおくんである。
自分じぶんは何なんか云い訳いいわけをするたんびに、初はつさんから容赦ようしゃなくやっつけられるんで、大抵たいていは黙っだまっていたが、この時じはつい、「でもカンテラかんてらが消えきえそうで、心配しんぱいしたもんですから」と云っいっちまった。
すると初はつさんは、自分じぶんの鼻はなの先さきへカンテラかんてらを差しさしつけて、徐におもむろに自分じぶんの顔かおを検査けんさし始めはじめた。
そうして、命令めいれいを下しおろした。
「消しけして見みねえ」「どうしてですか」「どうしてでも好いよいから、消しけして見みねえ」「吹くふくんですか」 初はつさんはこの時じ大きなおおきな声こえを出しだして笑っわらった。
自分じぶんは喫驚きっきょうして稀有けうな顔かおをしていた。
「冗談じょうだんじゃねえ。何なんが這入てると思うおもう。種油たねあぶらだよ、しずくぐらいで消しょうてたまるもんか」 自分じぶんはこれでやっと安心あんしんした。
「安心あんしんしたか。ハハハハはははは」と初はつさんがまた笑っわらった。
初はつさんが笑うわらうたんびに、坑こうの中なかがみんな響きひびき出すだす。
その響ひびきが収まるおさまると前まえよりも倍ばい静かしずかになる。
ところへかあん、かあんとどこかで鑿のみと槌つちを使っつかってる音おとが伝わっつたわって来るくる。
「聞えるきこえるか」と、初はつさんが顋あごで相図あいずをした。
「聞えきこえます」と耳みみを峙てそばだてていると、たちまち催促さいそくを受けうけた。
「さあ行こういこう。今度こんどあ後れおくれないように跟いて来きな」 初はつさんはなかなか機嫌きげんがいい。
これは自分じぶんが一いちも二にもなく初はつさんにやられているせいだろうと思っおもった。
いくら手て苛くむごくきめつけられても、初はつさんの機嫌きげんがいいうちは結構けっこうであった。
こうなると得とくになる事ことがすなわち結構けっこうという意味いみになる。
自分じぶんはこれほど堕落だらくして、おめおめ初はつさんの尻しりを嗅いかいで行っいったら、路みちが左ひだりの方ほうに曲りまがり込んこんでまた峻しゅんしい坂さかになった。
「おい下りるおりるよ」と初はつさんが、後あとも向かむかず声こえを掛けかけた。
その時じ自分じぶんは何なんとなく東京とうきょうの車夫しゃふを思い出しおもいだして苦しいくるしいうちにもおかしかった。
が初はつさんはそれとも気きがつかず下りくだり出しだした。
自分じぶんも負けまけずに降りるおりる。
路みちは地面じめんを刻んきざんで段々だんだんになっている。
四五しご間まずつに折れおれてはいるが、勘定かんじょうしたら愛宕あたご様ようの高さたかさぐらいはあるだろう。
これは一生懸命いっしょうけんめいになって、いっしょに降りふりた。
降りふりた時じにほっと息いきを吐くはくと、その息いきが何なんとなく苦しかっくるしかった。
しかしこれは深いぶかい坑こうのなかで、空気くうきの流通りゅうつうが悪いわるいからとばかり考えかんがえた。
実じつはこの時じすでに身体しんたいも冒さおかされていたんである。
この苦しいくるしい息いきで二三十にさんじゅう間ま来るくるとまた模様もようが変っかわった。
今度こんどは初はつさんが仰向けあおむけに手てを突いついて、腰こしから先さきを入れるいれる。
腰こしから入れるいれるような芸げいをしなければ通れとおれないほど、坑こうの幅はばも高さたかさも逼っせまって来きたのである。
「こうして抜けるぬけるんだ。好くよく見みて置きおきねえ」と初はつさんが云っいったと思っおもったら、胴どうも頭あたまもずる、ずると抜けぬけて見えみえなくなった。
さすが熟練じゅくれんの功こうはえらいもんだと思いおもいながら、自分じぶんもまず足あしだけ前まえへ出しだして、草鞋わらじで探もとむを入れいれた。
ところが全くまったく宙ちゅうに浮いういてるようで足掛りあしがかりがちっともない。
何なんでも穴あなの向うむこうは、がっくり落おちか、それでなくても、よほど勾配こうばいの急きゅうな坂さかに違いないと見当けんとうをつけた。
だから頭あたまから先さきへ突っ込めつっこめばのめって怪我けがをするばかり、また足あしをむやみに出せだせば引っ繰り返るひっくりかえるだけと覚っさとったから、足あしを棒ぼうのように前まえへ寝かしねかして、そうして後あとへ手てを突いついた。
ところがこの所作しょさがはなはだ不味かっまずかったので、手てを突くつくと同時どうじに、尻しりもべったり突いついてしまった。
ぴちゃりと云っいった。
アテシコあてしこを伝わっつたわって臀部でんぶへ少々しょうしょう感じかんじがあった。
それほど強くつよく尻餅しりもちを搗いついたと見えるみえる。
自分じぶんはしまったと思いおもいながらも直じか両足りょうあしを前まえの方ほうへ出しだした。
ずるりと一いち尺さしばかり振らふら下げさげたが、まだどこへも届かとどけかない。
仕方しかたがないから、今度こんどは手ての方ほうを前まえへ運ばはこばせて、腰こしを押し出すおしだすように足あしを伸ばしのばした。
すると腿ももの所ところまで摺りすり落ちおちて、草鞋わらじの裏うらがようやく堅いかたいものに乗っのった。
自分じぶんは念ねんのためこの堅いかたいものをぴちゃぴちゃ足あしの裏うらで敲いたたいて見みた。
大丈夫だいじょうぶなら手てを離しはなしてこの堅いかたいものの上うえへ立とうたとうと云ういう料簡りょうけんであった。
「何なんで足あしばかり、ばたばたやってるんだ。大丈夫だいじょうぶだから、うんと踏ん張っふんばって立ちたちねえな。意い久地くじのねえ」と、下したから初はつさんの声こえがする。
自分じぶんの胴どうから上うえは叱らしかられると同時どうじに、穴あなを抜けぬけて真直まっすぐに立ったった。
「まるで傘かさの化物ばけもののようだよ」と初はつさんが、自分じぶんの顔かおを見みて云っいった。
自分じぶんは傘かさの化物ばけものとは何なんの意味いみだか分らわからなかったから、別べつに笑うわらう気きにもならなかった。
ただ「そうですか」と真面目まじめに答えこたえた。
妙みょうな事ことにこの返事へんじが面白かっおもしろかったと見えみえて、初はつさんは、また大きなおおきな声こえを出しだして笑っわらった。
そうして、この時じから態度たいどが変っかわって、前まえよりは幾分いくぶんか親切しんせつになった。
偶然ぐうぜんの事ことがどんな拍子ひょうしで他ほかの気きに入らはいらないとも限らかぎらない。
かえって、気きに入っはいってやろうと思っおもって仕出かすしでかす芸術げいじゅつは大抵たいてい駄目だめなようだ。
天てん巧たくみを奪ううばうような御世辞ごせじ使しはいまだかつて見みた事ことがない。
自分じぶんも我がわが身みが可愛かわいさに、その後そのあといろいろ人ひとの御機嫌ごきげんを取っとって見みたが、どうも旨いうまい結果けっかが出でて来きない。
相手あいてがいくら馬鹿ばかでも、いつか露見ろけんするから怖いこわいもんだ。
用意よういをして置いおいた挨拶あいさつで、この傘かさの化物ばけものに対するたいする返事へんじくらいに成功せいこうした場合ばあいはほとんどない。
骨ほねを折っおって失敗しっぱいするのは愚ぐだと悟っさとったから、近頃ちかごろでは宿命論しゅくめいろん者ものの立脚地りっきゃくちから人ひとと交際こうさいをしている。
ただ困るこまるのは演舌えんぜつと文章ぶんしょうである。
あいつは骨ほねを折っおって準備じゅんびをしないと失敗しっぱいする。
その代りかわりいくら骨ほねを折っおってもやっぱり失敗しっぱいする。
つまりは同じおなじ事ことなんだが、骨ほねを折っおった失敗しっぱいは、人ひとの気きに入らはいらないでも、自分じぶんの弱点じゃくてんが出でないから、まあ準備じゅんびをしてからやる事ことにしている。
いつかは初はつさんの気きに入っはいったような演説えんぜつをしたり、文章ぶんしょうを書いかいて見みたいが、――どうも馬鹿ばかにされそうでいけないから、いまだにやらずにいる。
――それはここには余計よけいな事ことだから、このくらいでやめてまた初はつさんの話はなしを続けつづけて行くいく。
その時じ初はつさんは、笑いわらいながら、下したから、自分じぶんに向っむかって、「おい、そう真面目くさらまじめくさらねえで、早くはやく下りくだりて来きねえな。日ひは短えみじけえやな」と云っいった。
坑こうの中なかでカンテラかんてらを点けつけた、初はつさんはたしかに日ひは短えみじけえやなと云っいった。
自分じぶんが土つちの段だんを一二いちに間ま下りくだりて、初はつさんの立ったってる所ところまで行くいくと、初はつさんは、右みぎへ曲っきょくった。
また段々だんだんが四五しご間ま続いつづいている。
それを降りふり切るきると、今度こんどは初はつさんが左ひだりへ折れるおれる。
そうしてまた段々だんだんがある。
右みぎへ折れおれたり左ひだりへ折れおれたり稲妻いなずまのように歩いあるいて、段々だんだんを――さあ何なん町まち降りふりたか分らわからない。
始めはじめての道みちではあるし、ことに暗いくらい坑こうの中なかの事ことであるから自分じぶんには非常ひじょうに長くながく思わおもわれた。
ようやく段々だんだんを降りふり切っきって、だいぶ浮世うきよとは縁えんが遠くとおくなったと思っおもったら急きゅうに五六ごろく畳たたみの部屋へやに出でた。
部屋へやと云っいっても坑こうを切り広げきりひろげたもので、上うえと下したがすぼまって、腹はらの所ところが膨らんふくらんでいるから、まるで酒甕さかがめの中なかへでも落込んおちこんだ有様ありさまである。
あとから分っわかった話はなしだが、これは作事さくじ場ばと云ういうんで、技師ぎしの鑑定かんていで、ここには鉱脈こうみゃくがあるとなると、そこを掘りほり拡げひろげて作事さくじ場ばにするんである。
だから通り路とおりみちよりは自然しぜん広いひろい訳わけで、この作事さくじ場ばを坑夫こうふが三さん人ひと一いち組くみで、請負うけおい仕事しごとに引受けるひきうける。
二に週間しゅうかんと見積っみつもったのが、四よん日ひで済むすむ事こともあり、高こうが五ご日ひくらいと踏んふんだ作事さくじに半月はんつき以上いじょう食い込むくいこむ事こともある。
こう云ういう訳わけで、シキしきのなかに路みちができて、路みちのはたに銅脈どうみゃくさえ見つかれみつかれば、御ご構かまえなくそこだけを掘り抜いほりぬいて行くいくんだから、電車でんしゃの通るとおるシキしきの入口いりぐちこそ、平らたいらでもあり、また一条いちじょうでもあるが、下したへ折れおれて第一だいいち見張みはり所ところのあたりからは、右みぎへも左ひだりへも条路じょうじができて、方々かたがたに作事さくじ場ばが建つたつ。
その作事さくじをしまうと、また銅脈どうみゃくを見つけみつけては掘り抜いほりぬいて行くいくんだから、シキしきの中なかは細いほそい路みちだらけで、また暗いくらい坑こうだらけである。
ちょうど蟻ありが地面じめんを縦横じゅうおうに抜いぬいて歩くあるくようなものだろう。
または書しょ蠹が本ほんを食うくうと見立てみたてても差しさし支しない。
つまり人間にんげんが土つちの中なかで、銅どうを食っしょくって、食いくい尽すつくすと、また銅どうを探し出しさがしだして食いくいにゆくんでむやみに路みちがたくさんできてしまったんである。
だから、いくらシキしきの中なかを通っとおっても、ただ通るとおるだけで作事さくじ場ばへ出でなければ坑夫こうふには逢わあわない。
かあんかあんという音おとはするが、音おとだけでは極めてきわめて淋しいさびしいものである。
自分じぶんは初はつさんに連れつれられて、シキしきへ這入っはいったが、ただシキしきの様子ようすを見るみるのが第だい一いちの目的もくてきであったためか、廻り道まわりみちをして作事さくじ場ばへは寄らよらなかったと見えみえて、坑夫こうふの仕事しごとをしているところは、この段々だんだんの下したへ来きて、初めてはじめて見みた。
――稲妻形いなずまがたに段々だんだんを下りるおりるときは、むやみに下りるおりるばかりで、いくら下りくだりても尽きつきないのみか、人ひとっ子っこ一人ひとりに逢わあわないものだから、はなはだ心細かっこころぼそかったが、はじめて作事さくじ場ばへ出でて、人間にんげんに逢っあったら、大いにおおいに嬉しかっうれしかった。
見るみると丸太まるたの上うえに腰こしをかけている。
数すうは三さん人ひとだった。
丸太まるたは四よんつや丸太まるたで、軌道きどうの枕木まくらぎくらいなものだから、随分ずいぶんの重さおもさである。
どうして、ここまで運んはこんで来きたかとうてい想像そうぞうがつかない。
これは天井てんじょうの陥落かんらくを防ぐふせぐため、少しすこし広いひろい所ところになると突っかいつっかい棒ぼうに張るはるために、シチュウしちゅうが必要ひつような作事さくじ場ばへ置いおいて行くいくんだそうだ。
その上うえに二人ふたり腰こしを掛けかけて、残るのこる一人ひとりが屈んかがんで丸太まるたへ向いむかいている。
そうして三さん人ひとの間まには小さなちいさな木きの壺つぼがある。
伏せふせてある。
一人ひとりがこの壺つぼを上うえから抑えおさえている。
三さん人ひとが妙みょうな叫び声さけびごえを出しだした。
抑えおさえた壺つぼをたちまち挙げあげた。
下したから賽さいが出でた。
――ところへ自分じぶんと初はつさんが這入っはいった。
三さん人ひとはひとしく眼めを上げあげて、自分じぶんと初はつさんを見みた。
カンテラかんてらが土つちの壁かべに突き刺しつきさしてある。
暗いくらい灯あかりが、ぎろりと光るひかる三さん人ひとの眼球がんきゅうを照らしてらした。
光っひかりったものは実際じっさい眼球がんきゅうだけである。
坑こうは固よりもとより暗いくらい。
明かるくあかるくなくっちゃならない灯あかりも暗いくらい。
どす黒くどすぐろく燃えもえて煙けむりを吹いふいている所ところは、濁っにごった液体えきたいが動いうごいてるように見えみえた。
濁っにごった先さきが黒くくろくなって、煙けむりと変化へんかするや否いなや、この煙けむりが暗いくらいものの中なかに吸い込ますいこまれてしまう。
だから坑こうの中なかがぼうとしている。
そうして動いうごいている。
カンテラかんてらは三さん人ひとの頭あたまの上うえに刺さっささっていた。
だから三さん人ひとのうちで比較的ひかくてき判然はんぜん見えみえたのは、頭あたまだけである。
ところが三さん人ひと共とも頭あたまが黒いくろいので、つまりは、見えみえないのと同じおなじ事ことである。
しかも三さんつとも集っつどっていたから、なおさら変へんであったが、自分じぶんが這入るはいるや否いなや、三さんつの頭あたまはたちまち離れはなれた。
その間まから、壺つぼが見えみえたんである。
壺つぼの下したから賽さいが見えみえたんである。
壺つぼと、賽さいと、三さん人ひとの異ないな叫び声さけびごえを聞いきいた自分じぶんは、次つぎに三さん人ひとの顔かおを見みたんである。
よくはわからない顔かおであった。
一人ひとりの男おとこは頬骨ほおぼねの一いち点てんと、小鼻こばなの片かた傍そばだけが、灯あかりに映っうつった。
次つぎの男おとこは額がくと眉まゆの半分はんぶんに光ひかりが落ちおちた。
残るのこる一人ひとりは総体そうたいにぼんやりしている。
ただ自分じぶんの持っもっていた、カンテラかんてらを四五しご尺さし手前てまえから真向まっこうに浴びあびただけである。
――三さん人ひとはこの姿勢しせいで、ぎろりと眼めを据えすえた。
自分じぶんの方ほうに。
ようやく人間にんげんに逢っあって、やれ嬉しうれしやと思っおもった自分じぶんは、この三さん対たいの眼球がんきゅうを見るみるや否いなや、思わおもわずぴたりと立ち留ったちどまった。
「手前てまえは……」と云いいい掛けかけて、一人ひとりが言葉ことばを切っきった。
残るのこる二人ふたりはまだ口くちを開かひらかない。
自分じぶんも立ち留まったちどまったなり、答えこたえなかった。
――答えこたえられなかった。
すると「新しんめえめーだ」と、初はつさんが、威勢いせいのいい返事へんじをしてくれた。
本当ほんとうのところを白状はくじょうすると、三さん人ひとの眼球がんきゅうが光っひかりって、「手前てまえは……」と聞かきかれた時じは、初はつさんの傍そばにいる事ことも忘れわすれて、ただおやっと思っおもった。
立たてすくむと云ういうのはこれだろう。
立ちすくんたちすくんで、硬くかたくこわ張りこわばり掛けかけたところへ「新しんめえめーだ」と云ういう声こえがした。
この声こえが自分じぶんの左ひだりの耳みみの、つい後あとから出でて、向うむこうへ通り抜けとおりぬけた時じ、なるほど初はつさんがついてたなと思い出しおもいだした。
それがため、こわ張りこわばりかけた手足てあしも、中途ちゅうとでもとへ引き返しひきかえした。
自分じぶんは一歩いちほ傍そばへ退いしりぞいた。
初はつさんに前まえへ出でてもらうつもりであった。
初はつさんは注文ちゅうもん通りとおり出でた。
「相そう変らかわらずやってるな」とカンテラかんてらを提げさげたまま、上うえから三さん人ひとの真中まなかに転がっころがってる、壺つぼと賽さいを眺めながめた。
「どうだ仲間なかま入いりは」「まあよそう。今日きょうは案内あんないだから」と初はつさんは取り合わとりあわなかった。
やがて、四よんつや丸太まるたの上うえへうんとこしょと腰こしをおろして、「少しすこし休んやすんで行くいくかな」と自分じぶんの方ほうを見みた。
立ちすくむたちすくむまで恐ろしかっおそろしかった、自分じぶんは急きゅうに嬉しくうれしくなって元気げんきが出でて来きた。
初はつさんの側がわへ腰こしをおろす。
アテシコあてしこの利目ききめは、ここで始めはじめて分っわかった。
旨いうまい具合ぐあいに尻しりが乗っのって、柔らかやわらかに局部きょくぶへ応えるこたえる。
かつ冷えひえないで、結構けっこうだ。
実じつはさっきから、眼めが少しすこし眩まばゆらんで――眩まばゆらんだか、眩まばゆらまないんだか、坑こうの中なかではよく分らわからないが、何しろなにしろ好いよい気持きもちではなかったが、こう尻しりを掛けかけて落ちつくおちつくと、大きにおおきに楽らくになる。
四よん人ひとがいろいろな話はなしをしている。
「広本こうほんへは新らしいあたらしい玉たまが来きたが知っしってるか」「うん、知っしってる」「まだ、買わかわねえか」「買わかわねえ、お前おまえは」「おれか。おれは――ハハハハはははは」と笑っわらった。
これは這入っはいって来きた時じ、顔かお中なかぼんやり見えみえた男おとこである。
今いまでもぼんやり見えるみえる。
その証拠しょうこには、笑っわらっても笑わわらわなくっても、顔かおの輪廓りんかくがほとんど同じおなじである。
「随分ずいぶん手廻してまわしがいいな」と初はつさんもいささか笑っわらっている。
「シキしきへ這入るはいると、いつ死ぬしぬか分らわからねえからな。だれだって、そうだろう」と云ういう答こたえがあった。
この時じ、「御ご互たがいに死なしなねえうちの事ことだなあ」と一人ひとりが云っいった。
その語調ごちょうには妙みょうに咏嘆の意いが寓しぐうしてあった。
自分じぶんはあまり突然とつぜんのように感じかんじた。
そうしているうちに、一いち間ま置いおいて隣りとなりの男おとこが突然とつぜん自分じぶんに話しかけはなしかけた。
「御前ごぜんはどこから来きた」「東京とうきょうです」「ここへ来きて儲けようもうけようたって駄目だめだぜ」と他ほかのが、すぐ教えおしえてくれた。
自分じぶんは長蔵ちょうぞうさんに逢うあうや否いなや儲かるもうかる儲かるもうかるを何なん遍へんとなく聞かきかせられて驚いおどろいたが、飯場はんばへ着くつくが早いはやいか、今度こんどは反対はんたいに、儲からもうからない儲からもうからないで立てつづけたてつづけに責めせめられるんで、大いにおおいに辟易へきえきした。
しかし地ちの底そこではよもやそんな話はなしも出でまいと思っおもってここまで降りふりて来きたが、人ひとに逢えあえばまた儲からもうからないを繰り返さくりかえされた。
あんまり馬鹿馬鹿しいばかばかしいんで何なんとか答弁とうべんをしようかとも考えかんがえたが、滅多めったな事ことを云えいえば擲りなぐりつけられるだけだから、まあやめにして置いおいた。
さればと云っいって返事へんじをしなければまたやりつけられる。
そこで、こう云っいった。
「なぜ儲からもうからないんです」「この銅山どうざんには神かみ様ようがいる。いくら金きんを蓄めためて出ようでようとしたって駄目だめだ。金きんは必ずかならず戻っもどってくる」「何なんの神かみ様ようですか」と聞いきいて見みたら、「達磨だるまだ」と云っいって、四よん人ひとながら面白おもしろそうに笑っわらった。
自分じぶんは黙っだまっていた。
すると四よん人ひとは自分じぶんを措いおいてしきりに達磨だるまの話はなしを始めはじめた。
約やく十じゅう分ぶん余りあまりも続いつづいたろう。
その間ま自分じぶんはほかの事ことを考えかんがえていた。
いろいろ考えかんがえたうちに一番いちばん感じかんじたのは、自分じぶんがこんな泥どろだらけの服ふくを着きて、真暗まっくらな坑こうのなかに屈んかがんでるところを、艶子つやこさんと澄江すみえさんに見せみせたらばと云ういう問題もんだいであった。
気の毒きのどくがるだろうか、泣くなくだろうか、それともあさましいと云っいって愛想あいそを尽かすつかすだろうかと疑っうたがって見みたが、これは難なくなんなく気の毒きのどくがって、泣くなくに違いないと結論けつろんしてしまった。
それで一目いちもくくらいはこの姿すがたを二人ふたりに見せみせたいような気きがした。
それから昨夜さくや囲炉裏いろりの傍そばでさんざん馬鹿ばかにされた事ことを思い出しおもいだして、あの有様ありさまを二人ふたりに見せみせたらばと考えかんがえた。
ところが今度こんどは正反対せいはんたいで、二人ふたり共とも傍そばにいてくれないで仕合せしあわせだと思っおもった。
もし見みられたらと想像そうぞうして眼前がんぜんに、意気地いきちのない、大いにおおいに苛めいじめられている自分じぶんの風体ふうたいと、ハイカラはいからの女おんなを二人ふたり描き出しえがきだしたら、はなはだ気恥ずかしくきはずかしくなって腋の下わきのしたから汗あせが出でそうになった。
これで見るみると、坑夫こうふに堕落だらくすると云ういう事実じじつその物ものはさほど苦くにならぬのみか、少しすこしは得意とくいの気味きみで、ただ坑夫こうふになりたての幅はばの利かりかないところだけを、女おんなに見せみせたくなかった訳わけになる。
自分じぶんの器量きりょうを下げるさげるところは、誰だれにも隠しかくしたいが、ことに女おんなには隠しかくしたい。
女おんなは自分じぶんを頼るたよるほどの弱いよわいものだから、頼らたよられるだけに、自分じぶんは器量きりょうのある男おとこだと云ういう証拠しょうこをどこまでも見せみせたいものと思わおもわれる。
結婚けっこん前まえの男おとこはことにこの感じかんじが深いぶかいようだ。
人間にんげんはいくら窮しきゅうした場合ばあいでも、時々ときどきは芝居気しばいぎを出すだす。
自分じぶんがアテシコあてしこを臀しりに敷いしいて、深いぶかい坑こうのなかで、カンテラかんてらを提げさげたまま、休んやすんだ時じの考えかんがえは、全くまったく芝居しばいじみていた。
ある意味いみから云ういうと、これが苦痛くつうの骨休めほねやすめである。
公然こうぜんの骨休めほねやすめとも云ういうべき芝居しばいは全くまったくここから発達はったつしたものと思うおもう。
自分じぶんは発達はったつしない芝居しばいの主人公しゅじんこうを腹はらの中なかで演じえんじて、落胆らくたんしながら得意とくいがっていた。
ところへ突然とつぜん肺臓はいぞうを打ち抜かうちぬかれたと思うおもうくらいの大きなおおきな音おとがした。
その音おとは自分じぶんの足あしの下したで起っおこったのか、頭あたまの上うえで起っおこったのか、尻しりを懸けかけた丸太まるたも、黒いくろい天井てんじょうも一度いちどに躍り上っおどりあがったから、分からぶんからない。
自分じぶんの頸くびと手てと足あしが一度いちどに動いうごいた。
縁側えんがわに脛すねをぶらさげて、膝頭ひざがしらを丁とちょうと叩くたたくと、膝ひざから下したがぴくんと跳ねるはねる事ことがある。
この時じ自分じぶんの身体しんたいの動きうごき方ほうは全くまったくこれに似にている。
しかしこれよりも倍ばい以上いじょう劇烈げきれつに来きたような気きがした。
身体しんたいばかりじゃない、精神せいしんがその通りとおりである。
一人芝居ひとりしばいの真最中しんさいちゅうでとんぼ返りとんぼがえりを打っうって、たちまち我れわれに帰っかえった。
音おとはまだつづいている。
落雷らくらいを、土中どちゅうに埋めうめて、自由じゆうの響きひびきを束縛そくばくしたように、渋っしぶって、焦っあせって、陰かげに籠っこもって、抑えおさえられて、岩いわにあたって、包まつつまれて、激しげきして、跳ね返さはねかえされて、出端ではなを失っうしなって、ごうと吼えほえている。
「驚いおどろいちゃいけねえ」と初はつさんが云っいった。
そうして立ち上がったちあがった。
自分じぶんも立ち上がったちあがった。
三さん人ひとの坑夫こうふも立ち上がったちあがった。
「もう少しすこしだ。やっちまうかな」と、鑿のみを取り上げとりあげた。
初はつさんと自分じぶんは作事さくじ場ばを出るでる。
ところへ煙けむりが来きた。
煙硝えんしょうの臭においが、眼めへも鼻はなへも口くちへも這入っはいった。
噎せむせっぽくって苦しいくるしいから、後あとを向いむかいたら、作事さくじ場ばではかあん、かあんともう仕事しごとを始めはじめだした。
「なんですか」と苦しいくるしい中なかで、初はつさんに聞いきいて見みた。
実じつはさっきの音おとが耳みみに応えこたえた時じ、こりゃ坑内こうないで大おお破裂はれつが起っおこったに違いないから、逃げにげないと生命せいめいが危ないあぶないとまで思い詰めおもいつめたくらいだのに、初はつさんはますます深くふかく這入るはいる気色けしきだから、気味きみが悪いわるいとは思っおもったが、何しろなにしろ自由じゆう行動こうどうのとれる身体しんたいではなし、精神せいしんは無論むろん独立どくりつの気象きしょうを具えそなえていないんだから、いかに先輩せんぱいだって逃げにげていい時分じぶんには、逃げにげてくれるだろうと安心あんしんして、後あとをつけて出るでると、むっとするほどの煙けむりが向うむこうから吹いふいて来きたんで、こりゃ迂濶うかつ深しん入いりはできないわと云ういう腹はらもあって、かたがた後あとを向くむく途端とたんに、さっきの連中れんちゅうがもう、煙けむりの中なかでかあん、かあん、鉱こうを叩いたたいているのが聞えきこえたんで、それじゃやっぱり安心あんしんなのかと、不審ふしんのあまりこの質問しつもんを起しおこして見みたんである。
すると初はつさんは、煙けむりの中なかで、咳せきを二につ三さんつしながら、「驚かおどろきかなくってもいい。ダイナマイトだいなまいとだ」と教えおしえてくれた。
「大丈夫だいじょうぶですか」「大丈夫だいじょうぶでねえかも知れしれねえが、シキしきへ這入っはいった以上いじょう、仕方しかたがねえ。ダイナマイトだいなまいとが恐ろしくおそろしくっちゃ一いち日ひだって、シキしきへは這入れはいれねえんだから」 自分じぶんは黙っだまっていた。
初はつさんは煙けむりの中なかを押し分けるおしわけるようにずんずん潜っもぐって行くいく。
満更まんざら苦しくくるしくない事こともないんだろうが、一いちつは新参しんざんの自分じぶんに対したいして、景気けいきを見せるみせるためじゃないかと思っおもった。
それとも煙けむりは坑こうから坑こうへ抜けぬけ切っきって、陸りくの上うえなら、大抵たいてい晴れはれ渡っわたった時分じぶんなのに、路みちが暗いくらいんでいつまでも煙けむりが這っはってるように感じかんじたり噎せむせっぽく思っおもったのかも知れしれない。
そうすると自分じぶんの方ほうが悪くわるくなる。
いずれにしても苦いにがいところを我慢がまんして尾おいて行っいった。
また胎内たいない潜りもぐりのような穴あなを抜けぬけて、三四さんよん間まずつの段々だんだんを、右みぎへ左ひだりへ折れおれ尽すつくすと、路みちが二股ふたまたになっている。
その条路じょうじの突き当りつきあたりで、カラカラランからかららんと云ういう音おとがした。
深いぶかい井戸いどへ石片せきへんを抛げなげ込んこんだ時じと調子ちょうしは似にているが、普通ふつうの井戸いどよりも、遥はるかに深いぶかいように思わおもわれた。
と云ういうものは、落ちおちて行くいく間まに、側がわへ当っあたって鳴るなる音おとが、冴えさえている。
ばかりか、よほど長くながくつづく。
最後さいごのカラランかららんは底そこの底そこから出でて、出るでるにはよほど手間てまがかかる。
けれども一いち本道ほんどうを、真直まっすぐに上うえへ抜けるぬけるだけで、ほかに逃とう道みちがないから、どんなに暇取っひまどっても、きっと出でてくる。
途中とちゅうで消えきえそうになると、壁かべの反響はんきょうが手伝ってつだって、底そこで出でただけの響ひびきは、いかに微かすかな遠くとおくであっても、洩らすもらすところなく上うえまで送り出すおくりだす。
――ざっとこんな音おとである。
カララランからららん。
カカラアン。
…… 初はつさんが留っとめった。
「聞えるきこえるか」「聞えきこえます」「スノコすのこへ鉱こうを落しおとしてる」「はああ……」「ついでだからスノコすのこを見せみせてやろう」と、急きゅうに思いついおもいついたような調子ちょうしで、勢いいきおいよく初はつさんが、一足いっそく後あとへ引いひいて草鞋わらじの踵かかとを向け直しむけなおした。
自分じぶんが耳みみの方ほうへ気きを取らとられて、返事へんじもしないうちに、初はつさんは右みぎへ切れきれた。
自分じぶんも続いつづいて暗いくらいなかへ這入るはいる。
折れおれた路みちはわずか四よん尺さしほどで行き当るゆきあたる。
ところをまた右みぎへ廻りまわり込むごむと、一間いちけんばかり先さきが急きゅうに薄明るくうすあかるく、縦たてにも横よこにも広がっひろがっている。
その中なかに黒いくろい影かげが二につあった。
自分じぶん達とおるがその傍そばまで近づいちかづいた時じ、黒いくろい影かげの一いちつが、左ひだりの足あしと共ともに、精せい一いち杯さかずき前まえへ出しだした力ちからを後あとへ抜くぬく拍子ひょうしに、大きなおおきな箕みを、斜しゃに抛げなげ返しかえした。
箕みは足掛りあしがかりの板いたの上うえに落ちおちた。
カカンかかん、カラカランからからんと云ういう音おとが遠くとおくへ落ちおちて行くいく。
一いち尺さし前まえは大きなおおきな穴あなである。
広さひろさは畳たたみ二に畳たたみ敷しきぐらいはあるだろう。
箕みに入れいれたばらの鉱こうを、掘子ほりこが抛げなげ込んこんだばかりである。
突き当りつきあたりの壁かべは突立っつきたっている。
微かすかなカンテラかんてらに照らさてらされて、色いろさえしっかり分らわからない上うえが、一面いちめんに濡れぬれて、濡れぬれた所ところだけがきらきら光っひかりっている。
「覗いのぞいて見ろみろ」 初はつさんが云っいった。
穴あなの手前てまえが三さん尺さしばかり板いたで張り詰めはりつめてある。
自分じぶんは板いたの三さん分ぶんの一いちほどまで踏み出しふみだした。
「もっと、出ろでろ」と初はつさんが後あとから催促さいそくする。
自分じぶんは躊躇ちゅうちょした。
これでさえ踏板ふみいたが外れれはずれれば、どこまで落ちおちて行くいくか分らわからない。
ましてもう一いち尺さし前まえへ出れでれば、いざと云ういう時じ、土つちの上うえへ飛び退くとびのく手間てまが一いち尺さしだけ遅くおそくなる。
一いち尺さしは何なんでもないようだが、ここでは平地へいちの十じゅう間まにも当るあたる。
自分じぶんは何分なんふんにも躊躇ちゅうちょした。
「出ろでろやい。吝けちな野郎やろうだな。そんな事ことで掘子ほりこが勤まるつとまるかい」と云わいわれた。
これは初はつさんの声こえではなかった。
黒いくろい影かげの一人ひとりが云っいったんだろう。
自分じぶんは振り返っふりかえって見みなかった。
しかし依然いぜんとして足あしは前まえへ出でなかった。
ただ眼めだけが、露ろで光っひかりった薄暗いうすぐらい向うむこうの壁かべを伝わっつたわって、下したの方ほうへ、しだいに落ちおちて行くいくと、約やく一いち間まばかりは、どうにか見えるみえるが、それから先さきは真暗まっくらだ。
真暗まっくらだからどこまで視線しせんに這入るはいるんだか分らわからない。
ただ深いぶかいと思えおもえば際限さいげんもなく深いぶかい。
落ちおちちゃ大変たいへんだと神経しんけいを起すおこすと、後あとから背中せなかを突かつかれるような気きがする。
足あしは依然いぜんとしてもとの位地いちを持ちもち応えこたえていた。
すると、「おい邪魔じゃまだ。ちょっと退きしりぞきな」と声こえを掛けかけられたんで、振り向くふりむくと、一人ひとりの掘子ほりこが重じゅうそうに俵たわらを抱えかかえて立ったっている。
俵たわらの大きさおおきさは米俵こめだわらの半分はんぶんぐらいしかない。
しかし両手りょうてで底そこを受けうけて、幾分いくぶんか腰こしで支えささえながら、うんと気合きあいを入れいれているところは、全くまったく重じゅうそうだ。
自分じぶんはこの体からだを見みて、すぐ傍そばへ避けさけた。
そうして比較的ひかくてき安全あんぜんな、板いたが折れおれても差支さしつかえなく地面じめんへ飛び退けるとびのけるほどの距離きょりまで退いしりぞいた。
掘子ほりこは、俵たわらで眼め先さきがつかえてるから定めしさだめし剣呑けんのんがるだろうと思いおもいのほか、容赦ようしゃなく重いおもい足あしを運ばはこばして前まえへ出るでる。
縁えんから二に尺さしばかり手前てまえまで出でて、足あしを揃えそろえたから、もう留まるとまるだろうと見みていると、また出しだした。
余るあまる所ところは一いち尺さししきゃあない。