その一尺へまた五寸ほど切り込んだ。そうして行儀よく右左を揃えた。そうして、うんと云った。胸と腰が同時に前へ出た。危ない。のめったと思う途端に、重い俵は、とんぼ返りを打って、掘子の手を離れた。掘子はもとの所へ突っ立っている。落ちた俵はしばらく音沙汰もない。と思うと遠くでどさっと云った。俵は底まで落切ったと見える。
第 5 章
「どうだ、あの芸が出来るか」と初さんが聞いた。
自分は、「そうですねえ」と首を曲げて、恐れ入ってた。
すると初さんも掘子もみんな笑い出した。
自分は笑われても全く致し方がないと思って、依然として恐れ入ってた。
その時初さんがこんな事を云って聞かした。
「何になっても修業は要るもんだ。やって見ねえうちは、馬鹿にゃ出来ねえ。お前が掘子になるにしたって、おっかながって、手先ばかりで抛げ込んで見ねえ。みんな板の上へ落ちちまって、肝心の穴へは這入りゃしねえ。そうして、鉱の重みで引っ張り込まれるから、かえって剣呑だ。ああ思い切って胸から突き出してかからにゃ……」と云い掛けると、ほかの男が、「二三度スノコへ落ちて見なくっちゃ駄目だ。ハハハハ」と笑った。
後戻をして元の路へ出て、半町ほど行くと、掘子は右へ折れた。
初さんと自分は真直に坂を下りる。
下り切ると、四五間平らな路を縫うように突き当った所で、初さんが留まった。
「おい。まだ下りられるか」と聞く。
実はよほど前から下りられない。
しかし中途で降参したら、落第するにきまってるから、我慢に我慢を重ねて、ここまで来たようなものの、内心ではその内もうどん底へ行き着くだろうくらいの目算はあった。
そこへ持って来て、相手がぴたりと留まって、一段落つけた上、さて改めて、まだ下りる気かと正式に尋ねられると、まだ下りるべき道程はけっして一丁や二丁でないと云う意味になる。
――自分は暗いながら初さんの顔を見て考えた。
御免蒙ろうかしらと考えた。
こう云う時の出処進退は、全く相手の思わく一つできまる。
いかな馬鹿でも、いかな利口でも同じ事である。
だから自分の胸に相談するよりも、初さんの顔色で判断する方が早く片がつく。
つまり自分の性格よりも周囲の事情が運命を決する場合である。
性格が水準以下に下落する場合である。
平生築き上げたと自信している性格が、めちゃくちゃに崩れる場合のうちでもっとも顕著なる例である。
――自分の無性格論はここからも出ている。
前申す通り自分は初さんの顔を見た。
すると、下りようじゃないかと云う親密な情合も見えない。
下りなくっちゃ御前のためにならないと云う忠告の意も見えない。
是非下ろして見せると云う威嚇もあらわれていない。
下りたかろうと焦らす気色は無論ない。
ただ下りられまいと云う侮辱の色で持ち切っている。
それは何ともなかった。
しかしその色の裏面には落第と云う切実な問題が潜んでいる。
この場合における落第は、名誉より、品性より、何よりも大事件である。
自分は窒息しても下りなければならない。
「下りましょう」と思い切って、云った。
初さんは案に相違の様子であったが、「じゃ、下りよう。その代り少し危ないよ」と穏かに同意の意を表した。
なるほど危ないはずだ。
九十度の角度で切っ立った、屏風のような穴を真直に下りるんだから、猿の仕事である。
梯子が懸ってる。
勾配も何にもない。
こちらの壁にぴったり食っついて、棒を空にぶら下げたように、覗くと端が見えかねる。
どこまで続いてるんだか、どこで縛りつけてあるんだか、まるで分らない。
「じゃ、己が先へ下りるからね。気をつけて来たまえ」と初さんが云った。
初さんがこれほど叮嚀な言葉を使おうとは思いも寄らなかった。
おおかた神妙に下りましょうと出たんで、幾分か憐愍の念を起したんだろう。
やがて初さんは、ぐるりと引っ繰り返って、正式に穴の方へ尻を向けた。
そうして屈んだ。
と思うと、足からだんだん這入って行く。
しまいには顔だけが残った。
やがてその顔も消えた。
顔が出ている間は、多少の安心もあったが、黒い頭の先までが、ずぼりと穴へはまった時は、さすがに心配なのと心細いのとで、じっとしていられなくって、足をつま立てるようにして、上から見下した。
初さんは下りて行く。
黒い頭とカンテラの灯だけが見える。
その時自分は気味の悪いうちにも、こう考えた。
初さんの姿が見えるうちに下りてしまわないと、下り損なうかも知れない。
面目ない事が出来する。
早くするに越した分別はないと決心して、いきなり後ろ向になって初さんのように、膝を地につけて、手で摺り下りながら、草鞋の底で段々を探った。
両手で第一段目を握って、足を好加減な所へ掛けると、背中が海老のように曲った。
それから、そろそろ足を伸ばし出した。
真直に立つと、カンテラの灯が胸の所へ来る。
じっとしていると燻されてしまう。
仕方がないから、片足下げる。
手もこれに応じて握り更えなくっちゃならない。
おろそうとすると、指で提げてるカンテラが、とんだところで、始末の悪いように動く。
滅多に振ると、着物が焼けそうになる。
大事を取ると壁へぶつかって灯が揉み潰されそうになる。
親指へカップを差し込んで、振子のように動かした時は、はなはだ軽便な器械だと思ったが、こうなると非常に邪魔になる。
その上梯子の幅は狭い。
段と段の間がすこぶる長い。
一段さがるに、普通の倍は骨が折れる。
そこへもって来て恐怖が手伝う。
そうして握り直すたんびに、段木がぬらぬらする。
鼻を押しつけるようにして、乏しい灯で透かして見ると、へな土が一面に粘いている。
上り下りの草鞋で踏つけたものと思われる。
自分は梯子の途中で、首を横へ出して、下を覗いた。
よせば善かったが、つい覗いた。
すると急にぐらぐらと頭が廻って、かたく握った手がゆるんで来た。
これは死ぬかも知れない。
死んじゃ大変だと、噛りついたなり、いきなり眼を閉った。
石鹸球の大きなのが、ぐるぐる散らついてるうちに、初さんが降りて行く。
本当を云うと、下を覗いた時にこそ、初さんの姿が見えれば見えるんで、ねぶった眼の前に湧いて出る石鹸球の中に、初さんがいる訳がない。
しかし現にいる。
そうして降りて行く。
いかにも不思議であった。
今考えると、目舞のする前に、ちらりと初さんを見たに違ないんだが、ぐらぐらと咄癡て、死ぬ方が怖くなったもんだから、初さんの影は網膜に映じたなり忘れちまったのが、段木に噛りついて眼を閉るや否や生き返ったんだろう。
ただしそう云う事が学理上あり得るものか、どうか知らない。
その当時は夢中である。
坑は暗い、命は惜しい、頭は乱れている。
生きてるか死んでるか判然しない。
そこへ初さんが降りて行く。
眼の中で降りて行くんだか、足の下で降りて行くんだかめちゃくちゃであった。
が不思議な事に、眼を開けるや否やまた下を見た。
するとやはり初さんが降りている。
しかも切っ立った壁の向う側を降りているようだ。
今度は二度目のせいか、落ちるほど眩暈もしなかったんで、よくよく眸を据えて見ると、まさに向う側を降りて行く。
はてなと思った。
ところへカンテラがまたじいと鳴った。
保証つきの灯火だが、こうなるとまた心細い。
初さんはずんずん行くようだ。
自分もここに至れば、全速力で降りるのが得策だと考えついた。
そこでぬるぬるする段木を握り更え、握り更えてようやく三間ばかり下がると、足が土の上へ落ちた。
踏んで見たがやッぱり土だ。
念のため、手を離さずに足元の様子を見ると、梯子は全く尽きている。
踏んでいる土も幅一尺で切れている。
あとは筒抜の穴だ。
その代り今度は向側に別の梯子がついている。
手を延ばすと届くように懸けてある。
仕方がないから、自分はまたこの梯子へ移った。
そうして出来るだけ早く降りた。
長さは前のと同様である。
するとまた逆の方向に、依然として梯子が懸けてある。
どうも是非に及ばない。
また移った。
やっとの思いでこれも片づけると、新しい梯子はもとのごとく向側に懸っている。
ほとんど際限がない。
自分が六つめの梯子まで来た時は、手が怠くなって、足が悸え出して、妙な息が出て来た。
下を見ると初さんの姿はとくの昔に消えている。
見れば見るほど真闇だ。
自分のカンテラへはじいじいと点滴が垂れる。
草鞋の中へは清水がしみ込んで来る。
しばらく休んでいたら、手が抜けそうになった。
下り出すと足を踏み外しかねぬ。
けれども下りるだけ下りなければ、のめって逆さに頭を割るばかりだと思うと、どうか、こうか、段々を下り切る力が、どっかから出て来る。
あの力の出所はとうてい分らない。
しかしこの時は一度に出ないで、少しずつ、腕と腹と足へ煮染み出すように来たから、自分でも、ちゃんと自覚していた。
ちょうど試験の前の晩徹夜をして、疲労の結果、うっとりして急に眼が覚めると、また五六頁は読めると同じ具合だと思う。
こう云う勉強に限って、何を読んだか分らない癖に、とにかく読む事は読み通すものだが、それと同じく自分もたしかに降りたとは断言しにくいが、何しろ降りた事はたしかである。
下読をする書物の内容は忘れても、頁の数は覚えているごとく、梯子段の数だけは明かに記憶していた。
ちょうど十五あった。
十五下り尽しても、まだ初さんが見えないには驚いた。
しかし幸い一本道だったから、どぎまぎしながらも、細い穴を這い出すと、ようやく初さんがいた。
しかも、例のように無敵な文句は並べずに、「どうだ苦しかったか」と聞いてくれた。
自分は全く苦しいんだから、「苦しいです」と答えた。
次に初さんが、「もう少しだ我慢しちゃ、どうだ」と奨励した。
次に自分は、「また梯子があるんですか」と聞いた。
すると初さんが、「ハハハハもう梯子はないよ。大丈夫だ」と好意的の笑を洩らした。
そこで自分も我慢のしついでだと観念して、また初さんの尻について行くと、また下りる。
そうして下りるに従って路へ水が溜って来た。
ぴちゃぴちゃと云う音がする。
カンテラの灯で照らして見ると、下谷辺の溝渠が溢れたように、薄鼠になってだぶだぶしている。
その泥水がまた馬鹿に冷たい。
指の股が切られるようである。
けれども一面の水だから、せっかく水を抜いた足を、また無惨にも水の中へ落さなくっちゃならない。
片足を揚げると、五位鷺のようにそのままで立っていたくなる。
それでも仕方なしに草鞋の裏を着けるとぴちゃりと云うが早いか、水際から、魚の鰭のような波が立つ。
その片側がカンテラの灯できらきらと光るかと思うと、すぐ落ちついてもとに帰る。
せっかく平になった上をまたぴちゃりと踏み荒らす。
魚の鰭がまた光る。
こう云う風にして、奥へ奥へと這入って行くと、水はだんだん深くなる。
ここを潜り抜けたら、乾いた所へ出られる事かと、受け合われない行先をあてにして、ぐるりと廻ると、足の甲でとまってた水が急に脛まで来た。
この次にはと、辛抱して、右に折れると、がっくり落ちがして膝まで漬かっちまう。
こうなると、動くたんびにざぶざぶ云う。
膝で切る波が渦を捲いて流れる。
その渦がだんだん股の方へ押し寄せてくる。
全く危険だと思った。
ことによれば、何かの原因で水が出たんだから、今に坑のなかが、いっぱいになりゃしないかと思うと急に腰から腹の中までが冷たくなって来た。
しかるに初さんは辟易した体もなく、さっさと泥水を分けて行く。
「大丈夫なんですか」と後から聞いて見たが、初さんは別に返事もしずに、依然として、ざぶりざぶりと水を押し分けて行く。
自分の考えるところによると、いくら銅山でも水に漬かっていては、仕事ができるはずがない。
こうどぶつく以上は、何か変事でもあるか、または廃坑へでも連れ込まれたに違いない。
いずれにしても災難だと、不安の念に冒されながら、もう一遍初さんに聞こうかしらと思ってるうち、水はとうとう腰まで来てしまった。
「まだ這入るんですか」と、自分はたまらなくなったから、後から初さんを呼び留めた。
この声は普通の質問の声ではない。
吾身を思うの余り、命が口から飛び出したようなものである。
だから、いざと云う間際には単音の叫声となってあらわれるところを、まだ初さんの手前を憚るだけの余裕があるから、しばらく恐怖の質問と姿を変じたまでである。
この声を聞きつけた時は、さすがの初さんも水の中で留まったなり、振り返った。
カンテラを高く差し上げる。
眸を据えると初さんの眉の間に八の字が寄って来た。
しかも口元は笑っている。
「どうした。降参したか」「いえ、この水が……」と自分は、腰の辺を、物凄そうに眺めた。
初さんは毫も感心しない。
やっぱりにこにこしている。
出水の往来を、通行人が尻をまくって面白そうに渉る時のように見えた。
自分もこれで疑いは晴れたが、根が臆病だから、念のため、もう一度、「大丈夫でしょうか」を繰返した。
この時初さんはますます愉快そうな顔つきだったが、やがて真面目になって、「八番坑だ。これがどん底だ。水ぐらいあるなあ当前だ。そんなに、おっかながるにゃ当らねえ。まあ好いからこっちへ来ねえ」となかなか承知しないから、仕方なしに、股まで濡らしてついて行った。
たださえ暗い坑の中だから、思い切った喩を云えば、頭から暗闇に濡れてると形容しても差支ない。
その上本当の水、しかも坑と同じ色の水に濡れるんだから、心持の悪い所が、倍悪くなる。
その上水は踝からだんだん競り上がって来る。
今では腰まで漬かっている。
しかも動くたんびに、波が立つから、実際の水際以上までが濡れてくる。
そうして、濡れた所は乾かないのに、波はことによると、濡れた所よりも高く上がるから、つまりは一寸二寸と身体が腹まで冷えてくる。
坑で頭から冷えて、水で腹まで冷えて、二重に冷え切って、不知案内の所を海鼠のようについて行った。
すると、右の方に穴があって、洞のように深く開いてる中から、水が流れて来る。
そうしてその中でかあんかあんと云う音がする。
作事場に違いない。
初さんは、穴の前に立ったまま、「そうら。こんな底でも働いてるものがあるぜ。真似ができるか」と聞いた。
自分は、胸が水に浸るまで、屈んで洞の中を覗き込んだ。
すると奥の方が一面に薄明るく――明るくと云うが、締りのない、取り留めのつかない、微な灯を無理に広い間へ使って、引っ張り足りないから、せっかくの光が暗闇に圧倒されて、茫然と濁っている体であった。
その中に一段と黒いものが、斜めに岩へ吸いついている辺から、かあんかあんと云う音が出た。
洞の四面へ響いて、行き所のない苦しまぎれに、水に跳ね返ったものが、纏まって穴の口から出て来る。
水も出てくる。
天井の暗い割には水の方に光がある。
「這入って見るか」と云う。
自分はぞっと寒気がした。
「這入らないでも好いです」と答えた。
すると初さんが、「じゃ止めにして置こう。しかし止めるなあ今日だけだよ」と但し書をつけて、一応自分の顔をとくと見た。
自分は案の定釣り出された。
「明日っから、ここで働くんでしょうか。働くとすれば、何時間水に漬かってる――漬かってれば義務が済むんですか」「そうさなあ」と考えていた初さんは、「一昼夜に三回の交替だからな」と説明してくれた。
一昼夜に三回の交替ならひとくぎり八時間になる。
自分は黒い水の上へ眼を落した。
「大丈夫だ。心配しなくってもいい」 初さんは突然慰めてくれた。
気の毒になったんだろう。
「だって八時間は働かなくっちゃならないんでしょう」「そりゃきまりの時間だけは働かせられるのは知れ切ってらあ。だが心配しなくってもいい」「どうしてですか」「好いてえ事よ」と初さんは歩き出した。
自分も黙って歩き出した。
二三歩水をざぶざぶ云わせた時、初さんは急に振り返った。
「新前は大抵二番坑か三番坑で働くんだ。よっぽど様子が分らなくっちゃ、ここまで下りちゃ来られねえ」と云いながら、にやにやと笑った。
自分もにやにやと笑った。
「安心したか」と初さんがまた聞いた。
仕方がないから、「ええ」と返事をして置いた。
初さんは大得意であった。
時にどぶどぶ動く水が、急に膝まで減った。
爪先で探ると段々がある。
一つ、二つと勘定すると三つ目で、水は踝まで落ちた。
それで平らに続いている。
意外に早く高い所へ出たんで、非常に嬉しかった。
それから先は、とんとん拍子に嬉しくなって、曲れば曲るほど地面が乾いて来る。
しまいにはぴちゃりとも音のしない所へ出た。
時に初さんが器械を見る気があるかと尋ねたが、これは諸方のスノコから落ちて来た鉱を聚めて、第一坑へ揚げて、それから電車でシキの外へ運び出す仕掛を云うんだと聞いて、頭から御免蒙った。
いくら面白く運転する器械でも、明日の自分に用のない所は見る気にならなかった。
器械を見ないとするとこれで、まあ坑内の模様を一応見物した訳になる。
そこで案内の初さんが帰るんだと云う通知を与えてくれた。
腰きり水に漬かるのは、いかな初さんも一度でたくさんだと見えて、帰りには比較的濡れないで済む路を通ってくれた。
それでも十間ほどは腫ら脛まで水が押し寄せた。
この十間を通るときに、様子を知らない自分はまた例の所へ来たなと感づいて、往きに臍の近所が氷りつきそうであった事を思い出しつつ、今か今かと冷たい足を運んで行ったが、※の嘴と善い方へばかり、食い違って、行けば行くほど、水が浅くなる。
足が軽くなる。
ついにはまた乾いた路へ出てしまった。
初さんに、「もう済んだでしょうか」と聞いて見ると、初さんはただ笑っていた。
その時は自分も愉快だったが、しばらくすると、例の梯子の下へ出た。
水は胸までくらい我慢するがこの梯子には、――せめて帰り路だけでも好いから、遁れたかったが、やっぱりちょうどその下へ出て来た。
自分は蜀の桟道と云う事を人から聞いて覚えていた。
この梯子は、桟道を逆に釣るして、未練なく傾斜の角度を抜きにしたものである。
自分はそこへ来ると急に足が出なくなった。
突然脚気に罹ったような心持になると、思わず、腰を後へ引っ張られた。
引っ張られたのは初さんに引っ張られたのかと思う読者もあるかもしれないが、そうじゃない。
そう云う気分が起ったんで、強いて形容すれば、疝気に引っ張られたとでも叙したら善かろう。
何しろ腰が伸せない。
もっともこれは逆桟道の祟りだと一概に断言する気でもない、さっきから案内の初さんの方で、だいぶ御機嫌が好いので、相手の寛大な御情につけ上って、奮発の箍がしだいしだいに緩んだのもたしかな事実である。
何しろ歩けなくなった。
この腰附を見ていた初さんは、「どうだ歩けそうもねえな。まるで屁っぴり腰だ。ちっと休むが好い。おれは遊びに行って来るから」と云ったぎり、暗い所を潜って、どこへか出て行った。
あとは云うまでもなく一人になる。
自分はべっとりと、尻を地びたへ着けた。
アテシコはこう云うときに非常に便利になる。
御蔭で、岩で骨が痛んだり、泥で着物が汚れたりする憂いがないだけ、惨憺なうちにも、まだ嬉しいところがあった。
そうして、硬く曲った背中を壁へ倚たせた。
これより以上は横のものを竪にする気もなかった。
ただそのままの姿勢で向うの壁を見詰めていた。
身体が動かないから、心も働かないのか、心が居坐りだから、身体が怠けるのか、とにかく、双方相び合って、生死の間に彷徨していたと見えて、しばらくは万事が不明瞭であった。
始めは、どうか一尺立方でもいいから、明かるい空気が吸って見たいような気がしたが、だんだん心が昏くなる。
と坑のなかの暗いのも忘れてしまう。
どっちがどっちだか分らなくなって朦朧のうちに合体稠和して来た。
しかしけっして寝たんじゃない。
しんとして、意識が稀薄になったまでである。
しかしその稀薄な意識は、十倍の水に溶いた娑婆気であるから、いくら不透明でも正気は失わない。
ちょうど差し向いの代りに、電話で話しをするくらいの程度――もしくはこれよりも少しく不明瞭な程度である。
かように水平以下に意識が沈んでくるのは、浮世の日が烈し過ぎて困る自分には――東京にも田舎にもおり終せない自分には――煩悶の解熱剤を頓服しなければならない自分には――神経繊維の端の端まで寄って来た過度の刺激を散らさなければならない自分には――必要であり、願望であり、理想である。
長蔵さんに引張られながら、道々空想に描いた坑夫生活よりも、たしかに上等の天国である。
もし駆落が自滅の第一着なら、この境界は自滅の――第何着か知らないが、とにかく終局地を去る事遠からざる停車場である。
自分は初さんに置いて行かれた少時の休憩時間内に、図らずもこの自滅の手前まで、突然釣り込まれて、――まあ、どんな心持がしたと思う。
正直に云えば嬉しかった。
しかし嬉しいと云う自覚は十倍の水に溶き交ぜられた正気の中に遊離しているんだから、ほかの娑婆気と同じく、劇烈には来ない。
やっぱり稀薄である。
けれど自覚はたしかにあった。
正気を失わないものが、嬉しいと云う自覚だけを取り落す訳がない。
自分の精神状態は活動の区域を狭められた片輪の心的現象とは違う。
一般の活動を恣にする自由の天地はもとのごとくに存在して、活動その物の強度が滅却して来たのみだから、平常の我とこの時の我との差はただ濃淡の差である。
その最も淡い生涯の中に、淡い喜びがあった。
もしこの状態が一時間続いたら、自分は一時間の間満足していたろう。
一日続いたら一日の間満足したに違ない。
もし百年続いたにしても、やっぱり嬉しかったろう。
ところが――ここでまた新しい心の活作用に現参した。
というのはあいにく、この状態が自分の希望通同じ所に留っていてくれなかった。
動いて来た。
油の尽きかかったランプの灯のように動いて来た。
意識を数字であらわすと、平生十のものが、今は五になって留まっていた。
それがしばらくすると四になる。
三になる。
推して行けばいつか一度は零にならなければならない。
自分はこの経過に連れて淡くなりつつ変化する嬉しさを自覚していた。
この経過に連れて淡く変化する自覚の度において自覚していた。
嬉しさはどこまで行っても嬉しいに違ない。
だから理窟から云うと、意識がどこまで降って行こうとも、自分は嬉しいとのみ思って、満足するよりほかに道はないはずである。
ところがだんだんと競りおろして来て、いよいよ零に近くなった時、突然として暗中から躍り出した。
こいつは死ぬぞと云う考えが躍り出した。
すぐに続いて、死んじゃ大変だと云う考えが躍り出した。
自分は同時に、かっと眼を開いた。
足の先が切れそうである。
膝から腰までが血が通って氷りついている。
腹は水でも詰めたようである。
胸から上は人間らしい。
眼を開けた時に、眼を開けない前の事を思うと、「死ぬぞ、死んじゃ大変だ」までが順々につながって来て、そこで、ぷつりと切れている。
切れた次ぎは、すぐ眼を開いた所作になる。
つまり「死ぬぞ」で命の方向転換をやって、やってからの第一所作が眼を開いた訳になるから、二つのものは全く離れている。
それで全く続いている。
続いている証拠には、眼を開いて、身の周囲を見た時に、「死ぬぞ……」と云う声が、まだ耳に残っていた。
たしかに残っていた。
自分は声だの耳だのと云う字を使うが、ほかには形容しようがないからである。
形容どころではない、実際に「死ぬぞ……」と注意してくれた人間があったとしきゃ受け取れなかった。
けれども、人間は無論いるはずはなし。
と云って、神――神は大嫌だ。
やっぱり自分が自分の心に、あわてて思い浮べたまでであろうが、それほど人間が死ぬのを苦に病んでいようとは夢にも思い浮べなかった。
これだから自殺などはできないはずである。
こう云う時は、魂の段取が平生と違うから、自分で自分の本能に支配されながら、まるで自覚しないものだ。
気をつけべき事と思う。
この例なども、解釈のしようでは、神が助けてくれたともなる。
自分の影身につき添っている――まあ恋人が多いようだが――そう云う人々の魂が救ったんだともなる。
年の若い割に、自分がこの声を艶子さんとも澄江さんとも解釈しなかったのは、己惚の強い割には感心である。
自分は生れつきそれほど詩的でなかったんだろう。
そこへ初さんがひょっくり帰って来た。
初さんを見るが早いか、自分の意識はいよいよ明瞭になった。
これから例の逆桟道を登らなくっちゃならない事も、明日から、鑿と槌でかあんかあんやらなくっちゃならない事も、南京米も、南京虫も、ジャンボーも達磨も一時に残らず分ってしまい、そうして最後に自分の堕落がもっとも明かに分った。
「ちったあ気分は好いか」「ええ少しは好いようです」「じゃ、そろそろ登ってやろう」と云うから、礼を云って立っていると、初さんは景気よく段木を捕えて片足踏ん掛けながら、「登りは少し骨が折れるよ。そのつもりで尾いて来ねえ」と振り返って、注意しながら登り出した。
自分は何となく寒々しい心持になって、下から見上げると、初さんは登って行く。
猿のように登って行く。
そろそろ登ってくれる様子も何もありゃしない。
早くしないとまた置いてきぼりを食う恐れがある。
自分も思い切って登り出した。
すると二三段足を運ぶか運ばないうちになるほどと感心した。
初さんの云う通り非常に骨が折れる。
全く疲れているばかりじゃない。
下りる時には、胸から上が比較的前へ出るんで、幾分か背の重みを梯子に託する事ができる。
しかし上りになると、全く反対で、ややともすると、身体が後へ反れる。
反れた重みは、両手で持ち応えなければならないから、二の腕から肩へかけて一段ごとに余分の税がかかる。
のみならず、手の平と五本の指で、この〆高を握らなければならない。
それが前に云った通りぬるぬるする。
梯子を一つ片づけるのは容易の事ではない。
しかもそれが十五ある。
初さんは、とっくの昔に消えてなくなった。
手を離しさえすれば真暗闇に逆落しになる。
離すまいとすれば肩が抜けるばかりだ。
自分は七番目の梯子の途中で火焔のような息を吹きながら、つくづく労働の困難を感じた。
そうして熱い涙で眼がいっぱいになった。
二三度上瞼と下瞼を打ち合して見たが、依然として、視覚はぼうっとしている。
五寸と離れない壁さえたしかには分らない。
手の甲で擦ろうと思うが、あやにく両方とも塞がっている。
自分は口惜くなった。
なぜこんな猿の真似をするように零落れたのかと思った。
倒れそうになる身体を、できるだけ前の方にのめらして、梯子に倚れるだけ倚れて考えた。
休んだと註釈する方が適当かも知れない。
ただ中途で留まったと云い切ってもよろしい。
何しろ動かなくなった。
また動けなくなった。
じっとして立っていた。
カンテラのじいと鳴るのも、足の底へ清水が沁み込むのも、全く気がつかなかった。
したがって何分過ったのかとんと感じに乗らない。
するとまた熱い涙が出て来た。
心が存外たしかであるのに、眼だけが霞んでくる。
いくら瞬をしても駄目だ。
湯の中に眸を漬けてるようだ。
くしゃくしゃする。
焦心たくなる。
癇が起る。
奮興の度が烈しくなる。
そうして、身体は思うように利かない。
自分は歯を食い締って、両手で握った段木を二三度揺り動かした。
無論動きゃしない。
いっその事、手を離しちまおうかしらん。
逆さに落ちて頭から先へ砕ける方が、早く片がついていい。
とむらむらと死ぬ気が起った。
――梯子の下では、死んじゃ大変だと飛び起きたものが、梯子の途中へ来ると、急に太い短い無分別を起して、全く死ぬ気になったのは、自分の生涯における心理推移の現象のうちで、もっとも記憶すべき事実である。
自分は心理学者でないから、こう云う変化を、どう説明したら適切であるか知らないけれども、心理学者はかえって、実際の経験に乏しいようにも思うから、杜撰ながら、一応自分の愚見だけを述べて、参考にしたい。
アテシコを尻に敷いて、休息した時は、始めから休息する覚悟であった。
から心に落ちつきが有る。
刺激が少い。
そう云う状態で壁へ倚りかかっていると、その状態がなだらかに進行するから、自然の勢いとしてだんだん気が遠くなる。
魂が沈んで行く。
こう云う場合における精神運動の方向は、いつもきまったもので、必ず積極から出立してしだいに消極に近づく径路を取るのが普通である。
ところがその普通の径路を行き尽くして、もうこれがどん詰だと云う間際になると、魂が割れて二様の所作をする。
第一は順風に帆を上げる勢いで、このどん底まで流れ込んでしまう。
するとそれぎり死ぬ。
でなければ、大切の手前まで行って、急に反対の方角に飛び出してくる。
消極へ向いて進んだものが、突如として、逆さまに、積極の頭へ戻る。
すると、命がたちまち確実になる。
自分が梯子の下で経験したのはこの第二に当る。
だから死に近づきながら好い心持に、三途のこちら側まで行ったものが、順路をてくてく引き返す手数を省いて、急に、娑婆の真中に出現したんである。
自分はこれを死を転じて活に帰す経験と名づけている。
ところが梯子の中途では、全くこれと反対の現象に逢った。
自分は初さんの後を追っ懸けて登らなければならない。
その初さんは、とっくに見えなくなってしまった。
心は焦る、気は揉める、手は離せない。
自分は猿よりも下等である。
情ない。
苦しい。
――万事が痛切である。
自覚の強度がしだいしだいに劇しくなるばかりである。
だからこの場合における精神運動の方向は、消極より積極に向って登り詰める状態である。
さてその状態がいつまでも進行して、奮興の極度に達すると、やはり二様の作用が出る訳だが、とくに面白いと思うのは