坑夫

その一尺へまた五寸ほど切り込んだ。そうして行儀よく右左を揃えた。そうして、うんと云った。胸と腰が同時に前へ出た。危ない。のめったと思う途端に、重い俵は、とんぼ返りを打って、掘子の手を離れた。掘子はもとの所へ突っ立っている。落ちた俵はしばらく音沙汰もない。と思うと遠くでどさっと云った。俵は底まで落切ったと見える。

第 5 章
「どうだ、あの芸げいが出来るできるか」と初はつさんが聞いきいた。
自分じぶんは、「そうですねえ」と首くびを曲げまげて、恐れ入っおそれいってた。
すると初はつさんも掘子ほりこもみんな笑いわらい出しだした。
自分じぶんは笑わわらわれても全くまったく致し方いたしかたがないと思っおもって、依然いぜんとして恐れ入っおそれいってた。
その時じ初はつさんがこんな事ことを云っいって聞かしきかした。
「何なんになっても修業しゅぎょうは要るいるもんだ。やって見みねえうちは、馬鹿ばかにゃ出来できねえ。お前おまえが掘子ほりこになるにしたって、おっかながって、手先てさきばかりで抛げなげ込んこんで見みねえ。みんな板いたの上うえへ落ちおちちまって、肝心かんじんの穴あなへは這入りゃはいりゃしねえ。そうして、鉱こうの重みおもみで引っ張りひっぱり込まこまれるから、かえって剣呑けんのんだ。ああ思い切っおもいきって胸むねから突き出しつきだしてかからにゃ……」と云いいい掛けるかけると、ほかの男おとこが、「二三にさん度どスノコすのこへ落ちおちて見みなくっちゃ駄目だめだ。ハハハハはははは」と笑っわらった。
後あと戻れいをして元もとの路みちへ出でて、半町はんちょうほど行くいくと、掘子ほりこは右みぎへ折れおれた。
初はつさんと自分じぶんは真直まっすぐに坂さかを下りるおりる。
下りくだり切るきると、四五しご間ま平らたいらな路みちを縫うぬうように突き当っつきあたった所ところで、初はつさんが留まっとまった。
「おい。まだ下りくだりられるか」と聞くきく。
実じつはよほど前まえから下りくだりられない。
しかし中途ちゅうとで降参こうさんしたら、落第らくだいするにきまってるから、我慢がまんに我慢がまんを重ねかさねて、ここまで来きたようなものの、内心ないしんではその内うちもうどん底どんぞこへ行き着くいきつくだろうくらいの目算もくさんはあった。
そこへ持っもって来きて、相手あいてがぴたりと留まっとまって、一段いちだん落つけおちつけた上うえ、さて改めてあらためて、まだ下りるおりる気きかと正式せいしきに尋ねたずねられると、まだ下りるおりるべき道程どうていはけっして一丁いちちょうや二に丁ていでないと云ういう意味いみになる。
――自分じぶんは暗いくらいながら初はつさんの顔かおを見みて考えかんがえた。
御免ごめん蒙ろうこうむろうかしらと考えかんがえた。
こう云ういう時じの出処しゅっしょ進退しんたいは、全くまったく相手あいての思わくおもわく一いちつできまる。
いかな馬鹿ばかでも、いかな利口りこうでも同じおなじ事ことである。
だから自分じぶんの胸むねに相談そうだんするよりも、初はつさんの顔色かおいろで判断はんだんする方ほうが早くはやく片かたがつく。
つまり自分じぶんの性格せいかくよりも周囲しゅういの事情じじょうが運命うんめいを決するけっする場合ばあいである。
性格せいかくが水準すいじゅん以下いかに下落げらくする場合ばあいである。
平生へいぜい築き上げきずきあげたと自信じしんしている性格せいかくが、めちゃくちゃに崩れるくずれる場合ばあいのうちでもっとも顕著けんちょなる例れいである。
――自分じぶんの無む性格せいかく論ろんはここからも出でている。
前まえ申すもうす通りとおり自分じぶんは初はつさんの顔かおを見みた。
すると、下りようおりようじゃないかと云ういう親密しんみつな情合じょうあいも見えみえない。
下りくだりなくっちゃ御前ごぜんのためにならないと云ういう忠告ちゅうこくの意いも見えみえない。
是非ぜひ下ろしおろして見せるみせると云ういう威嚇いかくもあらわれていない。
下りくだりたかろうと焦らすじらす気色けしきは無論むろんない。
ただ下りくだりられまいと云ういう侮辱ぶじょくの色いろで持ちもち切っきっている。
それは何なんともなかった。
しかしその色いろの裏面りめんには落第らくだいと云ういう切実せつじつな問題もんだいが潜んひそんでいる。
この場合ばあいにおける落第らくだいは、名誉めいよより、品性ひんせいより、何なんよりも大事件だいじけんである。
自分じぶんは窒息ちっそくしても下りくだりなければならない。
「下りくだりましょう」と思い切っおもいきって、云っいった。
初はつさんは案あんに相違そういの様子ようすであったが、「じゃ、下りようおりよう。その代りかわり少しすこし危ないあぶないよ」と穏かおだやかに同意どういの意いを表しあらわした。
なるほど危ないあぶないはずだ。
九十きゅうじゅう度どの角度かくどで切っ立っきったった、屏風びょうぶのような穴あなを真直まっすぐに下りるおりるんだから、猿さるの仕事しごとである。
梯子はしごが懸っかかってる。
勾配こうばいも何になんにもない。
こちらの壁かべにぴったり食っしょくっついて、棒ぼうを空そらにぶら下げぶらさげたように、覗くのぞくと端はしが見えみえかねる。
どこまで続いつづいてるんだか、どこで縛りつけしばりつけてあるんだか、まるで分らわからない。
「じゃ、己がおのれが先さきへ下りるおりるからね。気きをつけて来きたまえ」と初はつさんが云っいった。
初はつさんがこれほど叮嚀ていねいな言葉ことばを使おうつかおうとは思いおもいも寄らよらなかった。
おおかた神妙しんみょうに下りくだりましょうと出でたんで、幾分いくぶんか憐愍れんびんの念ねんを起しおこしたんだろう。
やがて初はつさんは、ぐるりと引っ繰り返っひっくりかえって、正式せいしきに穴あなの方ほうへ尻しりを向けむけた。
そうして屈んかがんだ。
と思うおもうと、足あしからだんだん這入っはいって行くいく。
しまいには顔かおだけが残っのこった。
やがてその顔かおも消えきえた。
顔かおが出でている間まは、多少たしょうの安心あんしんもあったが、黒いくろい頭あたまの先さきまでが、ずぼりと穴あなへはまった時じは、さすがに心配しんぱいなのと心細いこころぼそいのとで、じっとしていられなくって、足あしをつま立てるつまだてるようにして、上うえから見下しみくだした。
初はつさんは下りくだりて行くいく。
黒いくろい頭あたまとカンテラかんてらの灯あかりだけが見えるみえる。
その時じ自分じぶんは気味きみの悪いわるいうちにも、こう考えかんがえた。
初はつさんの姿すがたが見えるみえるうちに下りくだりてしまわないと、下りくだり損なうそこなうかも知れしれない。
面目めんぼくない事ことが出来できする。
早くはやくするに越しこした分別ぶんべつはないと決心けっしんして、いきなり後ろうしろ向むかいになって初はつさんのように、膝ひざを地ちにつけて、手てで摺りすり下りくだりながら、草鞋わらじの底そこで段々だんだんを探っさぐった。
両手りょうてで第だい一いち段だん目めを握っにぎって、足あしを好よしみ加減かげんな所ところへ掛けるかけると、背中せなかが海老えびのように曲っきょくった。
それから、そろそろ足あしを伸ばしのばし出しだした。
真直まっすぐに立つたつと、カンテラかんてらの灯あかりが胸むねの所ところへ来るくる。
じっとしていると燻さいぶされてしまう。
仕方しかたがないから、片足かたあし下げるさげる。
手てもこれに応じおうじて握りにぎり更さらえなくっちゃならない。
おろそうとすると、指ゆびで提げさげてるカンテラかんてらが、とんだところで、始末しまつの悪いわるいように動くうごく。
滅多めったに振るふると、着物きものが焼けやけそうになる。
大事だいじを取るとると壁かべへぶつかって灯あかりが揉み潰さもみつぶされそうになる。
親指おやゆびへカップかっぷを差し込んさしこんで、振子しんしのように動かしうごかした時じは、はなはだ軽便けいべんな器械きかいだと思っおもったが、こうなると非常ひじょうに邪魔じゃまになる。
その上うえ梯子はしごの幅はばは狭いせまい。
段だんと段だんの間まがすこぶる長いながい。
一段いちだんさがるに、普通ふつうの倍ばいは骨ほねが折れるおれる。
そこへもって来きて恐怖きょうふが手伝うてつだう。
そうして握り直すにぎりなおすたんびに、段木だんもくがぬらぬらする。
鼻はなを押しつけるおしつけるようにして、乏しいとぼしい灯あかりで透かしすかして見るみると、へな土つちが一面いちめんに粘いねばいている。
上り下りのぼりおりの草鞋わらじで踏つけたものと思わおもわれる。
自分じぶんは梯子はしごの途中とちゅうで、首くびを横よこへ出しだして、下したを覗いのぞいた。
よせば善かっよかったが、つい覗いのぞいた。
すると急きゅうにぐらぐらと頭あたまが廻っまわって、かたく握っにぎった手てがゆるんで来きた。
これは死ぬしぬかも知れしれない。
死んしんじゃ大変たいへんだと、噛りついたなり、いきなり眼めを閉っしまった。
石鹸せっけん球たまの大きなおおきなのが、ぐるぐる散らついちらついてるうちに、初はつさんが降りふりて行くいく。
本当ほんとうを云ういうと、下したを覗いのぞいた時じにこそ、初はつさんの姿すがたが見えれみえれば見えるみえるんで、ねぶった眼めの前まえに湧いわいて出るでる石鹸せっけん球たまの中なかに、初はつさんがいる訳わけがない。
しかし現にげんにいる。
そうして降りふりて行くいく。
いかにも不思議ふしぎであった。
今いま考えるかんがえると、目め舞まいのする前まえに、ちらりと初はつさんを見みたに違いないんだが、ぐらぐらと咄はなし癡ちて、死ぬしぬ方ほうが怖くこわくなったもんだから、初はつさんの影かげは網膜もうまくに映じえいじたなり忘れわすれちまったのが、段木だんもくに噛りついて眼めを閉るしまるや否いなや生き返っいきかえったんだろう。
ただしそう云ういう事ことが学理がくり上うえあり得るうるものか、どうか知らしらない。
その当時とうじは夢中むちゅうである。
坑こうは暗いくらい、命いのちは惜しいおしい、頭あたまは乱れみだれている。
生きいきてるか死んしんでるか判然はんぜんしない。
そこへ初はつさんが降りふりて行くいく。
眼めの中なかで降りふりて行くいくんだか、足あしの下したで降りふりて行くいくんだかめちゃくちゃであった。
が不思議ふしぎな事ことに、眼めを開けるあけるや否いなやまた下またしたを見みた。
するとやはり初はつさんが降りふりている。
しかも切っ立っきったった壁かべの向う側むこうがわを降りふりているようだ。
今度こんどは二に度目どめのせいか、落ちるおちるほど眩暈めまいもしなかったんで、よくよく眸ひとみを据えすえて見るみると、まさに向う側むこうがわを降りふりて行くいく。
はてなと思っおもった。
ところへカンテラかんてらがまたじいと鳴っなった。
保証ほしょうつきの灯火とうかだが、こうなるとまた心細いこころぼそい。
初はつさんはずんずん行くいくようだ。
自分じぶんもここに至れいたれば、全速力ぜんそくりょくで降りるおりるのが得策とくさくだと考えついかんがえついた。
そこでぬるぬるする段木だんもくを握りにぎり更さらえ、握りにぎり更さらえてようやく三さん間まばかり下がるさがると、足あしが土つちの上うえへ落ちおちた。
踏んふんで見みたがやッぱりやっぱり土つちだ。
念ねんのため、手てを離さはなさずに足元あしもとの様子ようすを見るみると、梯子はしごは全くまったく尽きつきている。
踏んふんでいる土つちも幅はば一いち尺さしで切れきれている。
あとは筒つつ抜ぬけの穴あなだ。
その代りかわり今度こんどは向側むかいがわに別べつの梯子はしごがついている。
手てを延ばすのばすと届くとどくように懸けかけてある。
仕方しかたがないから、自分じぶんはまたこの梯子はしごへ移っうつった。
そうして出来るだけできるだけ早くはやく降りふりた。
長さながさは前まえのと同様どうようである。
するとまた逆ぎゃくの方向ほうこうに、依然いぜんとして梯子はしごが懸けかけてある。
どうも是非ぜひに及ばおよばない。
また移っうつった。
やっとの思いおもいでこれも片づけるかたづけると、新しいあたらしい梯子はしごはもとのごとく向側むかいがわに懸っかかっている。
ほとんど際限さいげんがない。
自分じぶんが六ろくつめの梯子はしごまで来きた時じは、手てが怠くたるくなって、足あしが悸え出しだして、妙みょうな息いきが出でて来きた。
下したを見るみると初はつさんの姿すがたはとくの昔むかしに消えきえている。
見れみれば見るみるほど真しん闇やみだ。
自分じぶんのカンテラかんてらへはじいじいと点滴てんてきが垂れるたれる。
草鞋わらじの中なかへは清水しみずがしみ込んしみこんで来るくる。
しばらく休んやすんでいたら、手てが抜けぬけそうになった。
下りくだり出すだすと足あしを踏み外しふみはずしかねぬ。
けれども下りるおりるだけ下りくだりなければ、のめって逆ささかさに頭あたまを割るわれるばかりだと思うおもうと、どうか、こうか、段々だんだんを下りくだり切るきる力ちからが、どっかから出でて来るくる。
あの力ちからの出所しゅっしょはとうてい分らわからない。
しかしこの時じは一度いちどに出でないで、少しすこしずつ、腕うでと腹はらと足あしへ煮に染み出すしみだすように来きたから、自分じぶんでも、ちゃんと自覚じかくしていた。
ちょうど試験しけんの前まえの晩ばん徹夜てつやをして、疲労ひろうの結果けっか、うっとりして急きゅうに眼めが覚めるさめると、また五六ごろく頁ぺーじは読めるよめると同じおなじ具合ぐあいだと思うおもう。
こう云ういう勉強べんきょうに限っかぎって、何なんを読んよんだか分らわからない癖くせに、とにかく読むよむ事ことは読みよみ通すとおすものだが、それと同じくおなじく自分じぶんもたしかに降りふりたとは断言だんげんしにくいが、何しろなにしろ降りふりた事ことはたしかである。
下した読よみをする書物しょもつの内容ないようは忘れわすれても、頁ぺーじの数すうは覚えおぼえているごとく、梯子段はしごだんの数すうだけは明かあきらかに記憶きおくしていた。
ちょうど十五じゅうごあった。
十五じゅうご下りくだり尽しつくしても、まだ初はつさんが見えみえないには驚いおどろいた。
しかし幸いさいわい一いち本道ほんどうだったから、どぎまぎしながらも、細いほそい穴あなを這い出すはいだすと、ようやく初はつさんがいた。
しかも、例れいのように無敵むてきな文句もんくは並べならべずに、「どうだ苦しかっくるしかったか」と聞いきいてくれた。
自分じぶんは全くまったく苦しいくるしいんだから、「苦しいくるしいです」と答えこたえた。
次つぎに初はつさんが、「もう少しすこしだ我慢がまんしちゃ、どうだ」と奨励しょうれいした。
次つぎに自分じぶんは、「また梯子はしごがあるんですか」と聞いきいた。
すると初はつさんが、「ハハハハははははもう梯子はしごはないよ。大丈夫だいじょうぶだ」と好意的こういてきの笑わらいを洩らしもらした。
そこで自分じぶんも我慢がまんのしついでだと観念かんねんして、また初はつさんの尻しりについて行くいくと、また下りるおりる。
そうして下りるおりるに従っしたがって路みちへ水みずが溜ったまって来きた。
ぴちゃぴちゃと云ういう音おとがする。
カンテラかんてらの灯あかりで照らしてらして見るみると、下谷したや辺へんの溝渠こうきょが溢れあふれたように、薄うす鼠ねずみになってだぶだぶしている。
その泥水どろみずがまた馬鹿ばかに冷たいつめたい。
指ゆびの股またが切らきられるようである。
けれども一面いちめんの水みずだから、せっかく水みずを抜いぬいた足あしを、また無惨むざんにも水みずの中なかへ落さおとさなくっちゃならない。
片足かたあしを揚げるあげると、五位ごい鷺さぎのようにそのままで立ったっていたくなる。
それでも仕方なししかたなしに草鞋わらじの裏うらを着けるつけるとぴちゃりと云ういうが早いはやいか、水際みずぎわから、魚さかなの鰭ひれのような波なみが立つたつ。
その片側かたがわがカンテラかんてらの灯あかりできらきらと光るひかるかと思うおもうと、すぐ落ちついおちついてもとに帰るかえる。
せっかく平たいらになった上うえをまたぴちゃりと踏み荒らすふみあらす。
魚さかなの鰭ひれがまた光るひかる。
こう云ういう風かぜにして、奥おくへ奥おくへと這入っはいって行くいくと、水みずはだんだん深くふかくなる。
ここを潜り抜けくぐりぬけたら、乾いかわいた所ところへ出でられる事ことかと、受け合わうけあわれない行先いきさきをあてにして、ぐるりと廻るまわると、足あしの甲こうでとまってた水みずが急きゅうに脛すねまで来きた。
この次つぎにはと、辛抱しんぼうして、右みぎに折れるおれると、がっくり落ちおちがして膝ひざまで漬かっつかっちまう。
こうなると、動くうごくたんびにざぶざぶ云ういう。
膝ひざで切るきる波なみが渦うずを捲いまいて流れるながれる。
その渦うずがだんだん股またの方ほうへ押し寄せおしよせてくる。
全くまったく危険きけんだと思っおもった。
ことによれば、何なんかの原因げんいんで水みずが出でたんだから、今いまに坑こうのなかが、いっぱいになりゃしないかと思うおもうと急きゅうに腰こしから腹はらの中なかまでが冷たくつめたくなって来きた。
しかるに初はつさんは辟易へきえきした体からだもなく、さっさと泥水どろみずを分けわけて行くいく。
「大丈夫だいじょうぶなんですか」と後あとから聞いきいて見みたが、初はつさんは別べつに返事へんじもしずに、依然いぜんとして、ざぶりざぶりと水みずを押し分けおしわけて行くいく。
自分じぶんの考えるかんがえるところによると、いくら銅山どうざんでも水みずに漬かっつかっていては、仕事しごとができるはずがない。
こうどぶつく以上いじょうは、何なんか変事へんじでもあるか、または廃坑はいこうへでも連れ込まつれこまれたに違いちがいない。
いずれにしても災難さいなんだと、不安ふあんの念ねんに冒さおかされながら、もう一遍いちぺん初はつさんに聞こうきこうかしらと思っおもってるうち、水みずはとうとう腰こしまで来きてしまった。
「まだ這入るはいるんですか」と、自分じぶんはたまらなくなったから、後あとから初はつさんを呼びよび留めとめた。
この声こえは普通ふつうの質問しつもんの声こえではない。
吾われ身みを思うおもうの余りあまり、命いのちが口くちから飛び出しとびだしたようなものである。
だから、いざと云ういう間際まぎわには単音たんおんの叫声きょうせいとなってあらわれるところを、まだ初はつさんの手前てまえを憚るはばかるだけの余裕よゆうがあるから、しばらく恐怖きょうふの質問しつもんと姿すがたを変じへんじたまでである。
この声こえを聞きつけききつけた時じは、さすがの初はつさんも水みずの中なかで留まっとまったなり、振り返っふりかえった。
カンテラかんてらを高くたかく差し上げるさしあげる。
眸ひとみを据えるすえると初はつさんの眉まゆの間まに八はちの字じが寄っよって来きた。
しかも口元くちもとは笑っわらっている。
「どうした。降参こうさんしたか」「いえ、この水みずが……」と自分じぶんは、腰こしの辺へんを、物凄ものすごそうに眺めながめた。
初はつさんは毫もごうも感心かんしんしない。
やっぱりにこにこしている。
出水しゅっすいの往来おうらいを、通行人つうこうにんが尻しりをまくって面白おもしろそうに渉るわたる時じのように見えみえた。
自分じぶんもこれで疑いうたがいは晴れはれたが、根ねが臆病おくびょうだから、念ねんのため、もう一度いちど、「大丈夫だいじょうぶでしょうか」を繰返しくりかえした。
この時じ初はつさんはますます愉快ゆかいそうな顔つきかおつきだったが、やがて真面目まじめになって、「八はち番ばん坑こうだ。これがどん底どんぞこだ。水みずぐらいあるなあ当前とうぜんだ。そんなに、おっかながるにゃ当らあたらねえ。まあ好いよいからこっちへ来きねえ」となかなか承知しょうちしないから、仕方なししかたなしに、股またまで濡らしぬらしてついて行っいった。
たださえ暗いくらい坑こうの中なかだから、思い切っおもいきった喩ゆを云えいえば、頭あたまから暗闇くらやみに濡れぬれてると形容けいようしても差支さしつかえない。
その上うえ本当ほんとうの水みず、しかも坑こうと同じおなじ色いろの水みずに濡れるぬれるんだから、心持こころもちの悪いわるい所ところが、倍ばい悪くわるくなる。
その上水じょうすいは踝くるぶしからだんだん競り上がっせりあがって来るくる。
今いまでは腰こしまで漬かっつかっている。
しかも動くうごくたんびに、波なみが立つたつから、実際じっさいの水際みずぎわ以上いじょうまでが濡れぬれてくる。
そうして、濡れぬれた所ところは乾かいぬいかないのに、波なみはことによると、濡れぬれた所ところよりも高くたかく上がるあがるから、つまりは一寸ちょっと二に寸すんと身体しんたいが腹はらまで冷えひえてくる。
坑こうで頭あたまから冷えひえて、水みずで腹はらまで冷えひえて、二に重じゅうに冷えひえ切っきって、不知ふち案内あんないの所ところを海鼠なまこのようについて行っいった。
すると、右みぎの方ほうに穴あながあって、洞ほらのように深くふかく開いひらいてる中なかから、水みずが流れながれて来るくる。
そうしてその中なかでかあんかあんと云ういう音おとがする。
作事さくじ場ばに違いちがいない。
初はつさんは、穴あなの前まえに立ったったまま、「そうら。こんな底そこでも働いはたらいてるものがあるぜ。真似まねができるか」と聞いきいた。
自分じぶんは、胸むねが水みずに浸るひたるまで、屈んかがんで洞ほらの中なかを覗き込んのぞきこんだ。
すると奥おくの方ほうが一面いちめんに薄明るくうすあかるく――明るくあかるくと云ういうが、締りしまりのない、取り留めとりとめのつかない、微かすかな灯あかりを無理むりに広いひろい間まへ使っつかって、引っ張りひっぱり足りたりないから、せっかくの光ひかりが暗闇くらやみに圧倒あっとうされて、茫然ぼうぜんと濁っにごっている体からだであった。
その中なかに一段いちだんと黒いくろいものが、斜めななめに岩いわへ吸いついすいついている辺へんから、かあんかあんと云ういう音おとが出でた。
洞ほらの四面しめんへ響いひびいて、行き所いきどころのない苦しまぎれくるしまぎれに、水みずに跳ね返っはねかえったものが、纏まっまとまって穴あなの口くちから出でて来るくる。
水みずも出でてくる。
天井てんじょうの暗いくらい割わりには水みずの方ほうに光ひかりがある。
「這入っはいって見るみるか」と云ういう。
自分じぶんはぞっと寒気かんきがした。
「這入らはいらないでも好いよいです」と答えこたえた。
すると初はつさんが、「じゃ止めとめにして置こうおこう。しかし止めるとめるなあ今日きょうだけだよ」と但し書ただしがきをつけて、一応いちおう自分じぶんの顔かおをとくと見みた。
自分じぶんは案の定あんのじょう釣り出さつりだされた。
「明日あすっから、ここで働くはたらくんでしょうか。働くはたらくとすれば、何時間なんじかん水みずに漬かっつかってる――漬かっつかってれば義務ぎむが済むすむんですか」「そうさなあ」と考えかんがえていた初はつさんは、「一昼夜いちちゅうやに三さん回かいの交替こうたいだからな」と説明せつめいしてくれた。
一昼夜いちちゅうやに三さん回かいの交替こうたいならひとくぎり八はち時間じかんになる。
自分じぶんは黒いくろい水みずの上うえへ眼めを落しおとした。
「大丈夫だいじょうぶだ。心配しんぱいしなくってもいい」 初はつさんは突然とつぜん慰めなぐさめてくれた。
気の毒きのどくになったんだろう。
「だって八はち時間じかんは働かはたらかなくっちゃならないんでしょう」「そりゃきまりの時間じかんだけは働かはたらかせられるのは知れしれ切っきってらあ。だが心配しんぱいしなくってもいい」「どうしてですか」「好いよいてえ事ことよ」と初はつさんは歩きあるき出しだした。
自分じぶんも黙っだまって歩きあるき出しだした。
二三にさん歩あゆみ水みずをざぶざぶ云わいわせた時じ、初はつさんは急きゅうに振り返っふりかえった。
「新しん前まえは大抵たいてい二に番ばん坑こうか三さん番ばん坑こうで働くはたらくんだ。よっぽど様子ようすが分らわからなくっちゃ、ここまで下りくだりちゃ来きられねえ」と云いいいながら、にやにやと笑っわらった。
自分じぶんもにやにやと笑っわらった。
「安心あんしんしたか」と初はつさんがまた聞いきいた。
仕方しかたがないから、「ええ」と返事へんじをして置いおいた。
初はつさんは大おお得意とくいであった。
時じにどぶどぶ動くうごく水みずが、急きゅうに膝ひざまで減っへった。
爪先つまさきで探るさぐると段々だんだんがある。
一いちつ、二につと勘定かんじょうすると三さんつ目めで、水みずは踝くるぶしまで落ちおちた。
それで平らたいらに続いつづいている。
意外いがいに早くはやく高いたかい所ところへ出でたんで、非常ひじょうに嬉しかっうれしかった。
それから先さきは、とんとん拍子とんとんひょうしに嬉しくうれしくなって、曲れまがれば曲るまがるほど地面じめんが乾いかわいて来るくる。
しまいにはぴちゃりとも音おとのしない所ところへ出でた。
時じに初はつさんが器械きかいを見るみる気きがあるかと尋ねたずねたが、これは諸方しょほうのスノコすのこから落ちおちて来きた鉱こうを聚めあつめて、第だい一いち坑こうへ揚げあげて、それから電車でんしゃでシキしきの外そとへ運び出すはこびだす仕掛しかけを云ういうんだと聞いきいて、頭あたまから御免ごめん蒙っこうむった。
いくら面白くおもしろく運転うんてんする器械きかいでも、明日あすの自分じぶんに用ようのない所ところは見るみる気きにならなかった。
器械きかいを見みないとするとこれで、まあ坑内こうないの模様もようを一応いちおう見物けんぶつした訳わけになる。
そこで案内あんないの初はつさんが帰るかえるんだと云ういう通知つうちを与えあたえてくれた。
腰こしきり水みずに漬かるつかるのは、いかな初はつさんも一度いちどでたくさんだと見えみえて、帰りかえりには比較的ひかくてき濡れぬれないで済むすむ路みちを通っとおってくれた。
それでも十じゅう間まほどは腫しゅら脛すねまで水みずが押し寄せおしよせた。
この十じゅう間まを通るとおるときに、様子ようすを知らしらない自分じぶんはまた例れいの所ところへ来きたなと感づいかんづいて、往きゆきに臍へその近所きんじょが氷りこおりつきそうであった事ことを思い出しおもいだしつつ、今いまか今いまかと冷たいつめたい足あしを運んはこんで行っいったが、※の嘴くちばしと善いよい方ほうへばかり、食い違っくいちがって、行けいけば行くいくほど、水みずが浅くあさくなる。
足あしが軽くかるくなる。
ついにはまた乾いかわいた路みちへ出でてしまった。
初はつさんに、「もう済んすんだでしょうか」と聞いきいて見るみると、初はつさんはただ笑っわらっていた。
その時じは自分じぶんも愉快ゆかいだったが、しばらくすると、例れいの梯子はしごの下したへ出でた。
水みずは胸むねまでくらい我慢がまんするがこの梯子はしごには、――せめて帰り路かえりみちだけでも好いよいから、遁れのがれたかったが、やっぱりちょうどその下したへ出でて来きた。
自分じぶんは蜀しょくの桟道さんどうと云ういう事ことを人ひとから聞いきいて覚えおぼえていた。
この梯子はしごは、桟道さんどうを逆ぎゃくに釣るつるして、未練みれんなく傾斜けいしゃの角度かくどを抜きぬきにしたものである。
自分じぶんはそこへ来るくると急きゅうに足あしが出でなくなった。
突然とつぜん脚気かっけに罹っかかったような心持こころもちになると、思わおもわず、腰こしを後あとへ引っ張らひっぱられた。
引っ張らひっぱられたのは初はつさんに引っ張らひっぱられたのかと思うおもう読者どくしゃもあるかもしれないが、そうじゃない。
そう云ういう気分きぶんが起っおこったんで、強いてしいて形容けいようすれば、疝気せんきに引っ張らひっぱられたとでも叙しじょしたら善かろうよかろう。
何しろなにしろ腰こしが伸せのばせない。
もっともこれは逆ぎゃく桟道さんどうの祟りたたりだと一概いちがいに断言だんげんする気きでもない、さっきから案内あんないの初はつさんの方ほうで、だいぶ御機嫌ごきげんが好いよいので、相手あいての寛大かんだいな御ご情じょうにつけ上っつけあがって、奮発ふんぱつの箍たががしだいしだいに緩んゆるんだのもたしかな事実じじつである。
何しろなにしろ歩けあるけなくなった。
この腰こし附ふを見みていた初はつさんは、「どうだ歩けあるけそうもねえな。まるで屁っぴりへっぴり腰こしだ。ちっと休むやすむが好いよい。おれは遊びあそびに行っいって来るくるから」と云っいったぎり、暗いくらい所ところを潜っもぐって、どこへか出でて行っいった。
あとは云ういうまでもなく一人ひとりになる。
自分じぶんはべっとりと、尻しりを地ちびたへ着けつけた。
アテシコあてしこはこう云ういうときに非常ひじょうに便利べんりになる。
御蔭みかげで、岩いわで骨ほねが痛んいたんだり、泥どろで着物きものが汚れよごれたりする憂いうれいがないだけ、惨憺さんたんなうちにも、まだ嬉しいうれしいところがあった。
そうして、硬くかたく曲っきょくった背中せなかを壁かべへ倚たせた。
これより以上いじょうは横よこのものを竪たてにする気きもなかった。
ただそのままの姿勢しせいで向うむこうの壁かべを見詰めみつめていた。
身体しんたいが動かうごかないから、心こころも働かはたらかないのか、心こころが居坐りいすわりだから、身体しんたいが怠けるなまけるのか、とにかく、双方そうほう相そうび合っあって、生死せいしの間まに彷徨ほうこうしていたと見えみえて、しばらくは万事ばんじが不明瞭ふめいりょうであった。
始めはじめは、どうか一いち尺さし立方りっぽうでもいいから、明かるいあかるい空気くうきが吸っすって見みたいような気きがしたが、だんだん心こころが昏くくらくなる。
と坑こうのなかの暗いくらいのも忘れわすれてしまう。
どっちがどっちだか分らわからなくなって朦朧もうろうのうちに合体がったい稠和ちゅうわして来きた。
しかしけっして寝ねたんじゃない。
しんとして、意識いしきが稀薄きはくになったまでである。
しかしその稀薄きはくな意識いしきは、十じゅう倍ばいの水みずに溶いといた娑婆気しゃばきであるから、いくら不透明ふとうめいでも正気せいきは失わうしなわない。
ちょうど差し向いさしむかいの代りかわりに、電話でんわで話しはなしをするくらいの程度ていど――もしくはこれよりも少しくすこしく不明瞭ふめいりょうな程度ていどである。
かように水平すいへい以下いかに意識いしきが沈んしずんでくるのは、浮世うきよの日ひが烈しはげし過ぎすぎて困るこまる自分じぶんには――東京とうきょうにも田舎いなかにもおり終おわりせない自分じぶんには――煩悶はんもんの解熱剤げねつざいを頓服とんぷくしなければならない自分じぶんには――神経しんけい繊維せんいの端はしの端はしまで寄っよって来きた過度かどの刺激しげきを散らさちらさなければならない自分じぶんには――必要ひつようであり、願望がんぼうであり、理想りそうである。
長蔵ちょうぞうさんに引張らひっぱられながら、道々みちみち空想くうそうに描いえがいた坑夫こうふ生活せいかつよりも、たしかに上等じょうとうの天国てんごくである。
もし駆落かけおちが自滅じめつの第だい一いち着きなら、この境界きょうかいは自滅じめつの――第だい何なん着きか知らしらないが、とにかく終局しゅうきょく地ちを去るさる事こと遠からとおからざる停車場ていしゃじょうである。
自分じぶんは初はつさんに置いおいて行かいかれた少時しょうじの休憩時間きゅうけいじかん内うちに、図らはからずもこの自滅じめつの手前てまえまで、突然とつぜん釣り込まつりこまれて、――まあ、どんな心持こころもちがしたと思うおもう。
正直しょうじきに云えいえば嬉しかっうれしかった。
しかし嬉しいうれしいと云ういう自覚じかくは十じゅう倍ばいの水みずに溶きとき交ぜまぜられた正気せいきの中なかに遊離ゆうりしているんだから、ほかの娑婆気しゃばきと同じくおなじく、劇烈げきれつには来きない。
やっぱり稀薄きはくである。
けれど自覚じかくはたしかにあった。
正気せいきを失わうしなわないものが、嬉しいうれしいと云ういう自覚じかくだけを取り落すとりおとす訳わけがない。
自分じぶんの精神せいしん状態じょうたいは活動かつどうの区域くいきを狭めせばめられた片輪かたわの心的しんてき現象げんしょうとは違うちがう。
一般いっぱんの活動かつどうを恣ほしいままにする自由じゆうの天地てんちはもとのごとくに存在そんざいして、活動かつどうその物ものの強度きょうどが滅却めっきゃくして来きたのみだから、平常へいじょうの我われとこの時じの我われとの差さはただ濃淡のうたんの差さである。
その最ももっとも淡いあわい生涯しょうがいの中なかに、淡いあわい喜びよろこびがあった。
もしこの状態じょうたいが一いち時間じかん続いつづいたら、自分じぶんは一いち時間じかんの間ま満足まんぞくしていたろう。
一日いちにち続いつづいたら一いち日ひの間ま満足まんぞくしたに違いない。
もし百ひゃく年ねん続いつづいたにしても、やっぱり嬉しかっうれしかったろう。
ところが――ここでまた新しいあたらしい心こころの活かつ作用さように現げん参しさんした。
というのはあいにく、この状態じょうたいが自分じぶんの希望きぼう通つう同じおなじ所ところに留っとめっていてくれなかった。
動いうごいて来きた。
油あぶらの尽きつきかかったランプらんぷの灯あかりのように動いうごいて来きた。
意識いしきを数字すうじであらわすと、平生へいぜい十じゅうのものが、今いまは五ごになって留まっとまっていた。
それがしばらくすると四よんになる。
三さんになる。
推しおして行けいけばいつか一度いちどは零れいにならなければならない。
自分じぶんはこの経過けいかに連れつれて淡くあわくなりつつ変化へんかする嬉しさうれしさを自覚じかくしていた。
この経過けいかに連れつれて淡くあわく変化へんかする自覚じかくの度どにおいて自覚じかくしていた。
嬉しさうれしさはどこまで行っいっても嬉しいうれしいに違いない。
だから理窟りくつから云ういうと、意識いしきがどこまで降っふって行こういこうとも、自分じぶんは嬉しいうれしいとのみ思っおもって、満足まんぞくするよりほかに道みちはないはずである。
ところがだんだんと競りせりおろして来きて、いよいよ零れいに近くちかくなった時じ、突然とつぜんとして暗中あんちゅうから躍りおどり出しだした。
こいつは死ぬしぬぞと云ういう考えかんがえが躍りおどり出しだした。
すぐに続いつづいて、死んしんじゃ大変たいへんだと云ういう考えかんがえが躍りおどり出しだした。
自分じぶんは同時どうじに、かっと眼めを開いひらいた。
足あしの先さきが切れきれそうである。
膝ひざから腰こしまでが血ちが通っとおって氷りこおりついている。
腹はらは水みずでも詰めつめたようである。
胸むねから上うえは人間にんげんらしい。
眼めを開けあけた時じに、眼めを開けあけない前まえの事ことを思うおもうと、「死ぬしぬぞ、死んしんじゃ大変たいへんだ」までが順々じゅんじゅんにつながって来きて、そこで、ぷつりと切れきれている。
切れきれた次ぎつぎは、すぐ眼めを開いひらいた所作しょさになる。
つまり「死ぬしぬぞ」で命いのちの方向転換ほうこうてんかんをやって、やってからの第だい一いち所作しょさが眼めを開いひらいた訳わけになるから、二につのものは全くまったく離れはなれている。
それで全くまったく続いつづいている。
続いつづいている証拠しょうこには、眼めを開いひらいて、身みの周囲しゅういを見みた時じに、「死ぬしぬぞ……」と云ういう声こえが、まだ耳みみに残っのこっていた。
たしかに残っのこっていた。
自分じぶんは声こえだの耳みみだのと云ういう字じを使うつかうが、ほかには形容けいようしようがないからである。
形容けいようどころではない、実際じっさいに「死ぬしぬぞ……」と注意ちゅういしてくれた人間にんげんがあったとしきゃ受け取れうけとれなかった。
けれども、人間にんげんは無論むろんいるはずはなし。
と云っいって、神かみ――神かみは大おお嫌いやだ。
やっぱり自分じぶんが自分じぶんの心こころに、あわてて思い浮べおもいうかべたまでであろうが、それほど人間にんげんが死ぬしぬのを苦くに病んやんでいようとは夢ゆめにも思い浮べおもいうかべなかった。
これだから自殺じさつなどはできないはずである。
こう云ういう時じは、魂たましいの段取だんどりが平生へいぜいと違うちがうから、自分じぶんで自分じぶんの本能ほんのうに支配しはいされながら、まるで自覚じかくしないものだ。
気きをつけべき事ことと思うおもう。
この例れいなども、解釈かいしゃくのしようでは、神かみが助けたすけてくれたともなる。
自分じぶんの影身かげみにつき添っつきそっている――まあ恋人こいびとが多いおおいようだが――そう云ういう人々ひとびとの魂たましいが救っすくったんだともなる。
年ねんの若いわかい割わりに、自分じぶんがこの声こえを艶子つやこさんとも澄江すみえさんとも解釈かいしゃくしなかったのは、己おのれ惚ぼけの強いつよい割わりには感心かんしんである。
自分じぶんは生れつきうまれつきそれほど詩的してきでなかったんだろう。
そこへ初はつさんがひょっくり帰っかえって来きた。
初はつさんを見るみるが早いはやいか、自分じぶんの意識いしきはいよいよ明瞭めいりょうになった。
これから例れいの逆ぎゃく桟道さんどうを登らのぼらなくっちゃならない事ことも、明日あすから、鑿のみと槌つちでかあんかあんやらなくっちゃならない事ことも、南京なんきん米べいも、南京虫なんきんむしも、ジャンボーじゃんぼも達磨だるまも一時いちじに残らのこらず分っわかってしまい、そうして最後さいごに自分じぶんの堕落だらくがもっとも明かあきらかに分っわかった。
「ちったあ気分きぶんは好いよいか」「ええ少しすこしは好いよいようです」「じゃ、そろそろ登っのぼってやろう」と云ういうから、礼れいを云っいって立ったっていると、初はつさんは景気けいきよく段木だんもくを捕えとらえて片足かたあし踏んふん掛けかけながら、「登りのぼりは少しすこし骨ほねが折れるおれるよ。そのつもりで尾おいて来きねえ」と振り返っふりかえって、注意ちゅういしながら登りのぼり出しだした。
自分じぶんは何なんとなく寒々しいさむざむしい心持こころもちになって、下したから見上げるみあげると、初はつさんは登っのぼって行くいく。
猿さるのように登っのぼって行くいく。
そろそろ登っのぼってくれる様子ようすも何なんもありゃしない。
早くはやくしないとまた置いてきぼりおいてきぼりを食うくう恐れおそれがある。
自分じぶんも思い切っおもいきって登りのぼり出しだした。
すると二三にさん段だん足あしを運ぶはこぶか運ばはこばないうちになるほどと感心かんしんした。
初はつさんの云ういう通りとおり非常ひじょうに骨ほねが折れるおれる。
全くまったく疲れつかれているばかりじゃない。
下りるおりる時じには、胸むねから上うえが比較的ひかくてき前まえへ出るでるんで、幾分いくぶんか背せの重みおもみを梯子はしごに託するたくする事ことができる。
しかし上りのぼりになると、全くまったく反対はんたいで、ややともすると、身体しんたいが後あとへ反れるそれる。
反れそれた重みおもみは、両手りょうてで持ちもち応えこたえなければならないから、二の腕にのうでから肩かたへかけて一いち段だんごとに余分よぶんの税ぜいがかかる。
のみならず、手の平てのひらと五本ごぽんの指ゆびで、この〆高こうを握らにぎらなければならない。
それが前まえに云っいった通りとおりぬるぬるする。
梯子はしごを一いちつ片づけるかたづけるのは容易よういの事ことではない。
しかもそれが十五じゅうごある。
初はつさんは、とっくの昔むかしに消えきえてなくなった。
手てを離しはなしさえすれば真しん暗闇くらやみに逆落しさかおとしになる。
離すはなすまいとすれば肩かたが抜けるぬけるばかりだ。
自分じぶんは七なな番目ばんめの梯子はしごの途中とちゅうで火焔かえんのような息いきを吹きふきながら、つくづく労働ろうどうの困難こんなんを感じかんじた。
そうして熱いあつい涙なみだで眼めがいっぱいになった。
二三にさん度ど上瞼うわまぶたと下瞼したまぶたを打ち合しうちあわして見みたが、依然いぜんとして、視覚しかくはぼうっとしている。
五ご寸すんと離れはなれない壁かべさえたしかには分らわからない。
手の甲てのこうで擦ろうすろうと思うおもうが、あやにく両方りょうほうとも塞がっふさがっている。
自分じぶんは口くち惜くおしくなった。
なぜこんな猿さるの真似まねをするように零落れおちぶれたのかと思っおもった。
倒れたおれそうになる身体しんたいを、できるだけ前まえの方ほうにのめらして、梯子はしごに倚れよれるだけ倚れよれて考えかんがえた。
休んやすんだと註釈ちゅうしゃくする方ほうが適当てきとうかも知れしれない。
ただ中途ちゅうとで留まっとまったと云い切っいいきってもよろしい。
何しろなにしろ動かうごかなくなった。
また動けうごけなくなった。
じっとして立ったっていた。
カンテラかんてらのじいと鳴るなるのも、足あしの底そこへ清水しみずが沁みしみ込むごむのも、全くまったく気きがつかなかった。
したがって何分なんふん過っよぎったのかとんと感じかんじに乗らのらない。
するとまた熱いあつい涙なみだが出でて来きた。
心こころが存外ぞんがいたしかであるのに、眼めだけが霞んかすんでくる。
いくら瞬まどかをしても駄目だめだ。
湯ゆの中なかに眸ひとみを漬けつけてるようだ。
くしゃくしゃする。
焦心しょうしんたくなる。
癇かんが起るおこる。
奮興の度どが烈しくはげしくなる。
そうして、身体しんたいは思うおもうように利かりかない。
自分じぶんは歯はを食いくい締っしまって、両手りょうてで握っにぎった段木だんもくを二三にさん度ど揺り動かしゆりうごかした。
無論むろん動きゃうごきゃしない。
いっその事こと、手てを離しはなしちまおうかしらん。
逆ささかさに落ちおちて頭あたまから先さきへ砕けるくだける方ほうが、早くはやく片かたがついていい。
とむらむらと死ぬしぬ気きが起っおこった。
――梯子はしごの下したでは、死んしんじゃ大変たいへんだと飛び起きとびおきたものが、梯子はしごの途中とちゅうへ来るくると、急きゅうに太いふとい短いみじかい無分別むぶんべつを起しおこして、全くまったく死ぬしぬ気きになったのは、自分じぶんの生涯しょうがいにおける心理しんり推移すいいの現象げんしょうのうちで、もっとも記憶きおくすべき事実じじつである。
自分じぶんは心理学しんりがく者ものでないから、こう云ういう変化へんかを、どう説明せつめいしたら適切てきせつであるか知らしらないけれども、心理学しんりがく者ものはかえって、実際じっさいの経験けいけんに乏しいとぼしいようにも思うおもうから、杜撰ずさんながら、一応いちおう自分じぶんの愚見ぐけんだけを述べのべて、参考さんこうにしたい。
アテシコあてしこを尻しりに敷いしいて、休息きゅうそくした時じは、始めはじめから休息きゅうそくする覚悟かくごであった。
から心こころに落ちつきおちつきが有るある。
刺激しげきが少いすくない。
そう云ういう状態じょうたいで壁かべへ倚りよりかかっていると、その状態じょうたいがなだらかに進行しんこうするから、自然しぜんの勢いいきおいとしてだんだん気きが遠くとおくなる。
魂たましいが沈んしずんで行くいく。
こう云ういう場合ばあいにおける精神せいしん運動うんどうの方向ほうこうは、いつもきまったもので、必ずかならず積極せっきょくから出立しゅったつしてしだいに消極しょうきょくに近づくちかづく径路けいろを取るとるのが普通ふつうである。
ところがその普通ふつうの径路けいろを行きいき尽くしつくして、もうこれがどん詰つめだと云ういう間際まぎわになると、魂たましいが割れわれて二に様ようの所作しょさをする。
第だい一いちは順風じゅんぷうに帆ほを上げるあげる勢いいきおいで、このどん底どんぞこまで流れ込んながれこんでしまう。
するとそれぎり死ぬしぬ。
でなければ、大切たいせつの手前てまえまで行っいって、急きゅうに反対はんたいの方角ほうがくに飛び出しとびだしてくる。
消極しょうきょくへ向いむかいて進んすすんだものが、突如とつじょとして、逆さまさかさまに、積極せっきょくの頭あたまへ戻るもどる。
すると、命いのちがたちまち確実かくじつになる。
自分じぶんが梯子はしごの下したで経験けいけんしたのはこの第だい二にに当るあたる。
だから死しに近づきちかづきながら好いよい心持こころもちに、三途さんずのこちら側こちらがわまで行っいったものが、順路じゅんろをてくてく引き返すひきかえす手数てすうを省いはぶいて、急きゅうに、娑婆しゃばの真中まなかに出現しゅつげんしたんである。
自分じぶんはこれを死しを転じてんじて活かつに帰すきす経験けいけんと名づけなづけている。
ところが梯子はしごの中途ちゅうとでは、全くまったくこれと反対はんたいの現象げんしょうに逢っあった。
自分じぶんは初はつさんの後あとを追っおっ懸けかけて登らのぼらなければならない。
その初はつさんは、とっくに見えみえなくなってしまった。
心こころは焦るあせる、気きは揉めるもめる、手ては離せはなせない。
自分じぶんは猿さるよりも下等したとうである。
情ないなさけない。
苦しいくるしい。
――万事ばんじが痛切つうせつである。
自覚じかくの強度きょうどがしだいしだいに劇しくはげしくなるばかりである。
だからこの場合ばあいにおける精神せいしん運動うんどうの方向ほうこうは、消極しょうきょくより積極せっきょくに向っむかって登り詰めるのぼりつめる状態じょうたいである。
さてその状態じょうたいがいつまでも進行しんこうして、奮興の極度きょくどに達するたっすると、やはり二に様ようの作用さようが出るでる訳わけだが、とくに面白いおもしろいと思うおもうのは