草枕

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四

第 4 章
ぽかんと部屋へやへ帰るかえると、なるほど奇麗きれいに掃除そうじがしてある。
ちょっと気がかりきがかりだから、念ねんのため戸棚とだなをあけて見るみる。
下したには小さなちいさな用よう箪笥たんすが見えるみえる。
上うえから友禅ゆうぜんの扱こき帯おびが半分はんぶん垂れたれかかって、いるのは、誰だれか衣類いるいでも取り出しとりだして急いいそいで、出でて行っいったものと解釈かいしゃくが出来るできる。
扱こき帯おびの上部じょうぶはなまめかしい衣裳いしょうの間まにかくれて先さきは見えみえない。
片側かたがわには書物しょもつが少々しょうしょう詰めつめてある。
一番いちばん上うえに白隠はくいん和尚おしょうの遠とお良りょう天てん釜かまと、伊勢いせ物語ものがたりの一いち巻まきが並んならんでる。
昨夕さくゆうのうつつは事実じじつかも知れしれないと思っおもった。
何なん気きなく座布団ざふとんの上うえへ坐るすわると、唐木とうぼくの机つくえの上うえに例れいの写生しゃせい帖じょうが、鉛筆えんぴつを挟んはさんだまま、大事だいじそうにあけてある。
夢中むちゅうに書き流しかきながした句くを、朝あさ見みたらどんな具合ぐあいだろうと手てに取るとる。
「海棠かいどうの露ろをふるふや物もの狂きょう」の下したにだれだか「海棠かいどうの露ろをふるふや朝烏あさがらす」とかいたものがある。
鉛筆えんぴつだから、書体しょたいはしかと解らわからんが、女おんなにしては硬かた過ぎるすぎる、男おとこにしては柔かにこやか過ぎるすぎる。
おやとまた吃驚びっくりする。
次つぎを見るみると「花はなの影かげ、女おんなの影かげの朧おぼろかな」の下したに「花はなの影かげ女おんなの影かげを重ねかさねけり」とつけてある。
「正一位しょういちい女おんなに化けばけて朧月おぼろづき」の下したには「御曹子おんぞうし女おんなに化けばけて朧月おぼろづき」とある。
真似まねをしたつもりか、添削てんさくした気きか、風流ふうりゅうの交わりまじわりか、馬鹿ばかか、馬鹿ばかにしたのか、余よは思わおもわず首くびを傾けかたむけた。
後ほどのちほどと云っいったから、今いまに飯めしの時じにでも出でて来るくるかも知れしれない。
出でて来きたら様子ようすが少しすこしは解るわかるだろう。
ときに何時なんじだなと時計とけいを見るみると、もう十一じゅういち時じ過ぎすぎである。
よく寝ねたものだ。
これでは午飯ごはんだけで間まに合せるあわせる方ほうが胃いのためによかろう。
右側みぎがわの障子しょうじをあけて、昨夜さくやの名残なごりはどの辺へんかなと眺めるながめる。
海棠かいどうと鑑定かんていしたのははたして、海棠かいどうであるが、思っおもったよりも庭にわは狭いせまい。
五六ごろく枚ばいの飛石とびいしを一面いちめんの青苔あおごけが埋めうめて、素足すあしで踏みつけふみつけたら、さも心持ちこころもちがよさそうだ。
左ひだりは山やまつづきの崖がけに赤松あかまつが斜めななめに岩いわの間まから庭にわの上うえへさし出しさしだしている。
海棠かいどうの後ろうしろにはちょっとした茂みしげみがあって、奥おくは大おお竹藪たけやぶが十じゅう丈たけの翠みどりりを春はるの日ひに曝しさらしている。
右手みぎては屋やの棟むねで遮ぎらさえぎられて、見えみえぬけれども、地勢ちせいから察するさっすると、だらだら下りくだりに風呂場ふろばの方ほうへ落ちおちているに相違そういない。
山やまが尽きつきて、岡おかとなり、岡おかが尽きつきて、幅はば三さん丁ていほどの平地へいちとなり、その平地へいちが尽きつきて、海うみの底そこへもぐり込んもぐりこんで、十七里じゅうななり向うむこうへ行っいってまた隆たかし然さと起き上っおきあがって、周囲しゅうい六ろく里さとの摩耶まや島しまとなる。
これが那古なこ井いの地勢ちせいである。
温泉場おんせんじょうは岡おかの麓ふもとを出来るだけできるだけ崖がけへさしかけて、岨そわの景色けしきを半分はんぶん庭にわへ囲い込んかこいこんだ一いち構かまえであるから、前面ぜんめんは二に階かいでも、後ろうしろは平屋ひらやになる。
椽えんから足あしをぶらさげれば、すぐと踵かかとは苔こけに着くつく。
道理どうりこそ昨夕さくゆうは楷かい子こ段だんをむやみに上っのぼったり、下っしたったり、異ないな仕掛しかけの家いえと思っおもったはずだ。
今度こんどは左ひだりり側がわの窓まどをあける。
自然しぜんと凹むへこむ二に畳たたみばかりの岩いわのなかに春はるの水みずがいつともなく、たまって静かしずかに山桜やまざくらの影かげを※している。
二に株かぶ三さん株かぶの熊笹くまざさが岩いわの角かくを彩どるいろどる、向うむこうに枸杞くことも見えるみえる生垣いけがきがあって、外そとは浜はまから、岡おかへ上るのぼる岨道そばみちか時々ときどき人声ひとごえが聞えるきこえる。
往来おうらいの向うむこうはだらだらと南下なんかがりに蜜柑みかんを植えうえて、谷たにの窮まるきわまる所ところにまた大きなおおきな竹藪たけやぶが、白くしろく光るひかる。
竹たけの葉はが遠くとおくから見るみると、白くしろく光るひかるとはこの時じ初めてはじめて知っしった。
藪やぶから上うえは、松まつの多いおおい山やまで、赤いあかい幹みきの間まから石磴せきとうが五六ごろく段だん手てにとるように見えるみえる。
大方おおかた御寺おてらだろう。
入口いりぐちの襖ふすまをあけて椽えんへ出るでると、欄干らんかんが四角しかくに曲っきょくって、方角ほうがくから云えいえば海うみの見みゆべきはずの所ところに、中庭なかにわを隔てへだてて、表ひょう二に階かいの一いち間まがある。
わが住むすむ部屋へやも、欄干らんかんに倚れよればやはり同じおなじ高さたかさの二に階かいなのには興きょうが催おさもよおされる。
湯壺ゆつぼは地ちの下したにあるのだから、入湯にゅうとうと云ういう点てんから云えいえば、余よは三さん層楼そうろう上うえに起臥きがする訳わけになる。
家いえは随分ずいぶん広いひろいが、向うむこう二に階かいの一いち間まと、余よが欄干らんかんに添うそうて、右みぎへ折れおれた一いち間まのほかは、居室きょしつ台だい所ところは知らしらず、客間きゃくまと名ながつきそうなのは大抵たいてい立てたて切っきってある。
客きゃくは、余よをのぞくのほかほとんど皆無かいむなのだろう。
〆た部屋へやは昼ひるも雨戸あまどをあけず、あけた以上いじょうは夜よるも閉へいてぬらしい。
これでは表ひょうの戸締りとじまりさえ、するかしないか解らわからん。
非人情ひにんじょうの旅たびにはもって来いこいと云ういう屈強くっきょうな場所ばしょだ。
時計とけいは十二じゅうに時じ近くちかくなったが飯めしを食わくわせる景色けしきはさらにない。
ようやく空腹くうふくを覚えおぼえて来きたが、空山くうざん不ふ見み人ひとと云ういう詩し中なかにあると思うおもうと、一いちとかたげぐらい倹約けんやくしても遺憾いかんはない。
画がをかくのも面倒めんどうだ、俳句はいくは作らつくらんでもすでに俳はい三昧さんまいに入っはいっているから、作るつくるだけ野暮やぼだ。
読もうよもうと思っおもって三脚さんきゃく几つくえに括りくくりつけて来きた二三にさん冊さつの書籍しょせきもほどく気きにならん。
こうやって、煦々たる春日しゅんじつに背中せなかをあぶって、椽えん側がわに花はなの影かげと共ともに寝ころんねころんでいるのが、天下てんかの至いたり楽らくである。
考えれかんがえれば外道げどうに堕ちるおちる。
動くうごくと危ないあぶない。
出来るできるならば鼻はなから呼吸こきゅうもしたくない。
畳たたみから根ねの生えはえた植物しょくぶつのようにじっとして二に週間しゅうかんばかり暮しくらして見みたい。
やがて、廊下ろうかに足音あしおとがして、段々だんだん下したから誰だれか上っのぼってくる。
近づくちかづくのを聞いきいていると、二人ふたりらしい。
それが部屋へやの前まえでとまったなと思っおもったら、一人ひとりは何になんにも云わいわず、元もとの方ほうへ引き返すひきかえす。
襖ふすまがあいたから、今朝けさの人ひとと思っおもったら、やはり昨夜さくやの小しょう女郎じょろうである。
何なんだか物もの足らあしらぬ。
「遅くおそくなりました」と膳ぜんを据えるすえる。
朝食ちょうしょくの言訳いいわけも何になんにも言わいわぬ。
焼肴やきざかなに青いあおいものをあしらって、椀わんの蓋ふたをとれば早蕨さわらびの中なかに、紅白こうはくに染め抜かそめぬかれた、海老えびを沈ましずませてある。
ああ好いよい色いろだと思っおもって、椀わんの中なかを眺めながめていた。
「御ご嫌いきらいか」と下女げじょが聞くきく。
「いいや、今いまに食うくう」と云っいったが実際じっさい食うくうのは惜しいおしい気きがした。
ターナーたーなーがある晩餐ばんさんの席せきで、皿さらに盛るもるサラドさらどを見詰めみつめながら、涼しいすずしい色いろだ、これがわしの用いるもちいる色いろだと傍そばの人ひとに話しはなしたと云ういう逸事いつじをある書物しょもつで読んよんだ事ことがあるが、この海老えびと蕨わらびの色いろをちょっとターナーたーなーに見せみせてやりたい。
いったい西洋せいようの食物しょくもつで色いろのいいものは一いちつもない。
あればサラドさらどと赤あか大根だいこんぐらいなものだ。
滋養じようの点てんから云っいったらどうか知らしらんが、画家がかから見るみるとすこぶる発達はったつせん料理りょうりである。
そこへ行くいくと日本にっぽんの献立こんだては、吸物すいものでも、口取くちとりでも、刺身さしみでも物もの奇麗きれいに出来るできる。
会席膳かいせきぜんを前まえへ置いおいて、一いち箸はしも着けつけずに、眺めながめたまま帰っかえっても、目めの保養ほようから云えいえば、御ご茶屋ちゃやへ上がっあがった甲斐かいは充分じゅうぶんある。
「うちに若いわかい女おんなの人ひとがいるだろう」と椀わんを置きおきながら、質問しつもんをかけた。
「へえ」「ありゃ何なんだい」「若いわかい奥様おくさまでござんす」「あのほかにまだ年寄としよりの奥様おくさまがいるのかい」「去年きょねん御ご亡くなりなくなりました」「旦那だんなさんは」「おります。旦那だんなさんの娘むすめさんでござんす」「あの若いわかい人ひとがかい」「へえ」「御客ごきゃくはいるかい」「おりません」「わたし一人ひとりかい」「へえ」「若いわかい奥さんおくさんは毎日まいにち何なんをしているかい」「針仕事はりしごとを……」「それから」「三味しゃみを弾きひきます」 これは意外いがいであった。
面白いおもしろいからまた「それから」と聞いきいて見みた。
「御寺おてらへ行きいきます」と小しょう女郎じょろうが云ういう。
これはまた意外いがいである。
御ご寺てらと三味線しゃみせんは妙みょうだ。
「御ご寺詣りてらまいりをするのかい」「いいえ、和尚おしょう様ようの所ところへ行きいきます」「和尚おしょうさんが三味線しゃみせんでも習うならうのかい」「いいえ」「じゃ何なんをしに行くいくのだい」「大おお徹とおる様ようの所ところへ行きいきます」 なあるほど、大おお徹とおると云ういうのはこの額がくを書いかいた男おとこに相違そういない。
この句くから察するさっすると何なんでも禅ぜん坊主ぼうずらしい。
戸棚とだなに遠とお良りょう天てん釜かまがあったのは、全くまったくあの女おんなの所持品しょじひんだろう。
「この部屋へやは普段ふだん誰だれか這入っはいっている所ところかね」「普段ふだんは奥様おくさまがおります」「それじゃ、昨夕さくゆう、わたしが来るくる時じまでここにいたのだね」「へえ」「それは御ご気の毒きのどくな事ことをした。それで大おお徹とおるさんの所ところへ何なんをしに行くいくのだい」「知りしりません」「それから」「何なんでござんす」「それから、まだほかに何なんかするのだろう」「それから、いろいろ……」「いろいろって、どんな事ことを」「知りしりません」 会話かいわはこれで切れるきれる。
飯めしはようやく了るおわる。
膳ぜんを引くひくとき、小しょう女郎じょろうが入口いりぐちの襖ふすまを開かいたら、中庭なかにわの栽込みこみを隔てへだてて、向うむこう二に階かいの欄干らんかんに銀杏返しぎんなんかえしが頬杖つらづえを突いついて、開化かいかした楊柳ようりゅう観音かんのんのように下したを見詰めみつめていた。
今朝けさに引き替えひきかえて、はなはだ静かしずかな姿すがたである。
俯向いうつむいて、瞳ひとみの働きはたらきが、こちらへ通わかよわないから、相好そうごうにかほどな変化へんかを来たしきたしたものであろうか。
昔むかしの人ひとは人ひとに存するそんするもの眸子ぼうしより良きよきはなしと云っいったそうだが、なるほど人ひと焉んぞいずくんぞ※さんや、人間にんげんのうちで眼めほど活きつきている道具どうぐはない。
寂然じゃくねんと倚るよる亜あ字じ欄らんの下したから、蝶々ちょうちょうが二に羽はね寄りよりつ離れはなれつ舞い上がるまいあがる。
途端とたんにわが部屋へやの襖ふすまはあいたのである。
襖ふすまの音おとに、女おんなは卒然そつぜんと蝶ちょうから眼めを余よの方ほうに転じてんじた。
視線しせんは毒矢どくやのごとく空そらを貫いつらぬいて、会釈えしゃくもなく余よが眉間みけんに落ちるおちる。
はっと思うおもう間まに、小しょう女郎じょろうが、またはたと襖ふすまを立てたて切っきった。
あとは至極しごく呑気のんきな春はるとなる。
余よはまたごろりと寝ころんねころんだ。
たちまち心こころに浮んうかんだのは、
Sadderthanisthemoon'slostlight,   Losterethekindlingofdawn,   Totravellersjourneyingon,Theshuttingofthyfairfacefrommysight.
と云ういう句くであった。
もし余よがあの銀杏返しぎんなんかえしに懸想けそうして、身みを砕いくだいても逢わあわんと思うおもう矢先やさきに、今いまのような一瞥いちべつの別れわかれを、魂消るたまげるまでに、嬉しうれしとも、口惜しくやしとも感じかんじたら、余よは必ずかならずこんな意味いみをこんな詩しに作るつくるだろう。
その上うえに
MightIlookontheeindeath,WithblissIwouldyieldmybreath.
と云ういう二に句くさえ、付け加えつけくわえたかも知れしれぬ。
幸いさいわい、普通ふつうありふれた、恋こいとか愛あいとか云ういう境界きょうかいはすでに通り越しとおりこして、そんな苦しみくるしみは感じかんじたくても感じかんじられない。
しかし今いまの刹那せつなに起っおこった出来事できごとの詩趣ししゅはゆたかにこの五六ごろく行こうにあらわれている。
余よと銀杏返しぎんなんかえしの間柄あいだがらにこんな切ないせつない思おもうはないとしても、二人ふたりの今いまの関係かんけいを、この詩しの中なかに適用てきようて見るみるのは面白いおもしろい。
あるいはこの詩しの意味いみをわれらの身の上みのうえに引きつけひきつけて解釈かいしゃくしても愉快ゆかいだ。
二人ふたりの間まには、ある因果いんがの細いほそい糸いとで、この詩しにあらわれた境遇きょうぐうの一部分いちぶぶんが、事実じじつとなって、括りくくりつけられている。
因果いんがもこのくらい糸いとが細いほそいと苦くにはならぬ。
その上うえ、ただの糸いとではない。
空そらを横切るよこぎる虹にじの糸いと、野辺のべに棚引くたなびく霞かすみの糸いと、露ろにかがやく蜘蛛くもの糸いと。
切ろうきろうとすれば、すぐ切れきれて、見みているうちは勝れすぐれてうつくしい。
万一まんいちこの糸いとが見るみる間まに太くふとくなって井戸いど縄なわのようにかたくなったら?
そんな危険きけんはない。
余よは画工がこうである。
先さきはただの女おんなとは違うちがう。
突然とつぜん襖ふすまがあいた。
寝返りねがえりを打っうって入口いりぐちを見るみると、因果いんがの相手あいてのその銀杏返しぎんなんかえしが敷居しきいの上うえに立ったって青磁せいじの鉢ばちを盆ぼんに乗せのせたまま佇んたたずんでいる。
「また寝ねていらっしゃるか、昨夕さくゆうは御ご迷惑めいわくで御座んござんしたろう。何なん返かえしも御ご邪魔じゃまをして、ほほほほ」と笑うわらう。
臆しおくした景色けしきも、隠すかくす景色けしきも――恥ずるはずる景色けしきは無論むろんない。
ただこちらが先さきを越さこされたのみである。
「今朝けさはありがとう」とまた礼れいを云っいった。
考えるかんがえると、丹前たんぜんの礼れいをこれで三さん返かえし云っいった。
しかも、三さん返かえしながら、ただ難なん有ゆううと云ういう三さん字じである。
女おんなは余よが起き返ろうおきかえろうとする枕元まくらもとへ、早くはやくも坐っすわって「まあ寝ねていらっしゃい。寝ねていても話はなしは出来できましょう」と、さも気き作さくに云ういう。
余よは全くまったくだと考えかんがえたから、ひとまず腹這はらばいになって、両手りょうてで顎あごを支えささえ、しばし畳たたみの上うえへ肘ひじ壺つぼの柱はしらを立てるたてる。
「御ご退屈たいくつだろうと思っおもって、御ご茶ちゃを入れいれに来きました」「ありがとう」またありがとうが出でた。
菓子皿かしさらのなかを見るみると、立派りっぱな羊羹ようかんが並んならんでいる。
余よはすべての菓子かしのうちでもっとも羊羹ようかんが好よしみだ。
別段べつだん食いくいたくはないが、あの肌合はだあいが滑らかなめらかに、緻密ちみつに、しかも半透明はんとうめいに光線こうせんを受けるうける具合ぐあいは、どう見みても一いち個この美術品びじゅつひんだ。
ことに青味あおみを帯びおびた煉ねり上げあげ方ほうは、玉たまと蝋石ろうせきの雑種ざっしゅのようで、はなはだ見みて心持ちこころもちがいい。
のみならず青磁せいじの皿さらに盛らもられた青いあおい煉羊羹ねりようかんは、青磁せいじのなかから今いま生れうまれたようにつやつやして、思わおもわず手てを出しだして撫でなでて見みたくなる。
西洋せいようの菓子かしで、これほど快感かいかんを与えるあたえるものは一いちつもない。
クリームくりーむの色いろはちょっと柔かにこやかだが、少しすこし重苦しいおもくるしい。
ジェリじぇりは、一目いちもく宝石ほうせきのように見えるみえるが、ぶるぶる顫えふるえて、羊羹ようかんほどの重味おもみがない。
白砂はくしゃ糖とうと牛乳ぎゅうにゅうで五重の塔ごじゅうのとうを作るつくるに至っいたっては、言語げんご道断どうだんの沙汰さたである。
「うん、なかなか美事みごとだ」「今しがたいましがた、源兵衛げんべえが買っかって帰りかえりました。これならあなたに召し上がらめしあがられるでしょう」 源兵衛げんべえは昨夕さくゆう城下じょうかへ留っとめったと見えるみえる。
余よは別段べつだんの返事へんじもせず羊羹ようかんを見みていた。
どこで誰れだれが買っかって来きても構うかまう事ことはない。
ただ美びくしければ、美びくしいと思うおもうだけで充分じゅうぶん満足まんぞくである。
「この青磁せいじの形かたちは大変たいへんいい。色いろも美事みごとだ。ほとんど羊羹ようかんに対したいして遜色そんしょくがない」 女おんなはふふんと笑っわらった。
口元くちもとに侮あなどりどりの波なみが微かかすかに揺れゆれた。
余よの言葉ことばを洒落しゃれと解しかいしたのだろう。
なるほど洒落しゃれとすれば、軽蔑けいべつされる価あたいはたしかにある。
智慧ちえの足りたりない男おとこが無理むりに洒落れしゃれた時じには、よくこんな事ことを云ういうものだ。
「これは支那しなですか」「何なんですか」と相手あいてはまるで青磁せいじを眼中がんちゅうに置いおいていない。
「どうも支那しならしい」と皿さらを上げあげて底そこを眺めながめて見みた。
「そんなものが、御ご好きすきなら、見せみせましょうか」「ええ、見せみせて下さいください」「父ちちが骨董こっとうが大好きだいすきですから、だいぶいろいろなものがあります。父ちちにそう云っいって、いつか御ご茶ちゃでも上げあげましょう」 茶ちゃと聞いきいて少しすこし辟易へきえきした。
世間せけんに茶人ちゃじんほどもったいぶった風流ふうりゅう人ひとはない。
広いひろい詩し界さかいをわざとらしく窮屈きゅうくつに縄張りなわばりをして、極めてきわめて自尊じそん的まとに、極めてきわめてことさらに、極めてきわめてせせこましく、必要ひつようもないのに鞠躬きっきゅう如じょとして、あぶくを飲んのんで結構けっこうがるものはいわゆる茶人ちゃじんである。
あんな煩瑣はんさな規則きそくのうちに雅味がみがあるなら、麻布あざぶの聯隊れんたいのなかは雅味がみで鼻はながつかえるだろう。
廻れまわれ右みぎ、前まえへの連中れんちゅうはことごとく大おお茶人ちゃじんでなくてはならぬ。
あれは商人しょうにんとか町人ちょうにんとか、まるで趣味しゅみの教育きょういくのない連中れんちゅうが、どうするのが風流ふうりゅうか見当けんとうがつかぬところから、器械きかい的まとに利休りきゅう以後いごの規則きそくを鵜呑みうのみにして、これでおおかた風流ふうりゅうなんだろう、とかえって真しんの風流ふうりゅう人ひとを馬鹿ばかにするための芸げいである。
「御ご茶ちゃって、あの流儀りゅうぎのある茶ちゃですかな」「いいえ、流儀りゅうぎも何なんもありゃしません。御ご厭いやなら飲まのまなくってもいい御ご茶ちゃです」「そんなら、ついでに飲んのんでもいいですよ」「ほほほほ。父ちちは道具どうぐを人ひとに見みていただくのが大好きだいすきなんですから……」「褒めほめなくっちゃあ、いけませんか」「年寄りとしよりだから、褒めほめてやれば、嬉しうれしがりますよ」「へえ、少しすこしなら褒めほめて置きおきましょう」「負けまけて、たくさん御ご褒めほめなさい」「はははは、時じにあなたの言葉ことばは田舎いなかじゃない」「人間にんげんは田舎いなかなんですか」「人間にんげんは田舎いなかの方ほうがいいのです」「それじゃ幅はばが利きききます」「しかし東京とうきょうにいた事ことがありましょう」「ええ、いました、京都きょうとにもいました。渡りわたりものですから、方々かたがたにいました」「ここと都とと、どっちがいいですか」「同じおなじ事ことですわ」「こう云ういう静かしずかな所ところが、かえって気楽きらくでしょう」「気楽きらくも、気楽きらくでないも、世の中よのなかは気きの持ちもちよう一いちつでどうでもなります。蚤のみの国くにが厭いやになったって、蚊かの国くにへ引越しひっこしちゃ、何になんにもなりません」「蚤のみも蚊かもいない国くにへ行っいったら、いいでしょう」「そんな国くにがあるなら、ここへ出しだして御覧ごらんなさい。さあ出しだしてちょうだい」と女おんなは詰め寄せるつめよせる。
「御ご望みのぞみなら、出しだして上げあげましょう」と例れいの写生しゃせい帖じょうをとって、女おんなが馬うまへ乗っのって、山桜やまざくらを見みている心持ちこころもち――無論むろんとっさの筆使いふでづかいだから、画がにはならない。
ただ心持ちこころもちだけをさらさらと書いかいて、「さあ、この中なかへ御ご這入りはいりなさい。蚤のみも蚊かもいません」と鼻はなの前まえへ突きつけつきつけた。
驚くおどろくか、恥ずかしはずかしがるか、この様子ようすでは、よもや、苦しくるしがる事ことはなかろうと思っおもって、ちょっと景色けしきを伺ううかがうと、「まあ、窮屈きゅうくつな世界せかいだこと、横幅よこはばばかりじゃありませんか。そんな所ところが御ご好きすきなの、まるで蟹かにね」と云っいって退けしりぞけた。
余よは「わはははは」と笑うわらう。
軒端のきばに近くちかく、啼きなきかけた鶯うぐいすが、中途ちゅうとで声こえを崩しくずして、遠きとおき方ほうへ枝えだ移りうつりをやる。
両人りょうにんはわざと対話たいわをやめて、しばらく耳みみを峙てそばだてたが、いったん鳴きなき損ねそこねた咽喉のどは容易よういに開けあけぬ。
「昨日きのうは山やまで源兵衛げんべえに御ご逢いあいでしたろう」「ええ」「長良ながらの乙女おとめの五輪塔ごりんとうを見みていらしったか」「ええ」「あきづけば、をばなが上うえに置くおく露ろの、けぬべくもわは、おもほゆるかも」と説明せつめいもなく、女おんなはすらりと節ふしもつけずに歌うただけ述べのべた。
何なんのためか知らしらぬ。
「その歌うたはね、茶店ちゃみせで聞きききましたよ」「婆ばあさんが教えおしえましたか。あれはもと私わたくしのうちへ奉公ほうこうしたもので、私わたくしがまだ嫁よめに……」と云いいいかけて、これはと余よの顔かおを見みたから、余よは知らしらぬ風かぜをしていた。
「私わたくしがまだ若いわかい時分じぶんでしたが、あれが来るくるたびに長良ながらの話はなしをして聞かきかせてやりました。うただけはなかなか覚えおぼえなかったのですが、何なん遍へんも聴くきくうちに、とうとう何なんもかも諳誦あんしょうしてしまいました」「どうれで、むずかしい事ことを知っしってると思っおもった。――しかしあの歌うたは憐れあわれな歌うたですね」「憐れあわれでしょうか。私わたくしならあんな歌うたは咏みませんね。第だい一いち、淵川ふちかわへ身みを投げるなげるなんて、つまらないじゃありませんか」「なるほどつまらないですね。あなたならどうしますか」「どうするって、訳わけないじゃありませんか。ささだ男おとこもささべ男おとこも、男妾だんしょうにするばかりですわ」「両方りょうほうともですか」「ええ」「えらいな」「えらかあない、当り前あたりまえですわ」「なるほどそれじゃ蚊かの国くにへも、蚤のみの国くにへも、飛び込まとびこまずに済むすむ訳わけだ」「蟹かにのような思いおもいをしなくっても、生きいきていられるでしょう」 ほーほうう、ほけきょうと忘れかけわすれかけた鶯うぐいすが、いつ勢いきおいを盛り返しもりかえしてか、時じならぬ高音こうおんを不意ふいに張っちょうった。
一度いちど立て直すたてなおすと、あとは自然しぜんに出るでると見えるみえる。
身みを逆ぎゃくまにして、ふくらむ咽喉のどの底そこを震わしふるわして、小しょうさき口くちの張りばり裂くさくるばかりに、 ほーほうう、ほけきょーう。
ほーーほう、ほけっーきょうーと、つづけ様ように囀ずる。
「あれが本当ほんとうの歌うたです」と女おんなが余よに教えおしえた。
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