八
第 8 章
ホテルの玄関で、是公が馬車をと云うと、ブローアムに致しますかと給仕が聞いた。
いや開いた奴が好いと命じている。
余は石段の上に立って、玄関から一直線に日本橋まで続いている、広い往来を眺めた。
大連の日は日本の日よりもたしかに明るく眼の前を照らした。
日は遠くに見える、けれども光は近くにある、とでも評したらよかろうと思うほど空気が透き徹って、路も樹も屋根も煉瓦も、それぞれ鮮やかに眸の中に浮き出した。
やがて蹄の音がして、是公の馬車は二人の前に留まった。
二人はこの麗かな空気の中をふわふわ揺られながら日本橋を渡った。
橋向うは市街である。
それを通り越すと満鉄の本社になる。
馬車は市街の中へ這入らずに、すぐ右へ切れた。
気がついて見ると、遥向うの岡の上に高いオベリスクが、白い剣のように切っ立って、青空に聳えている。
その奥に同じく白い色の大きな棟が見える。
屋根は鈍い赤で塗ってあった。
オベリスクの手前には奇麗な橋がかかっていた。
家も塔も橋も三つながら同じ色で、三つとも強い日を受けて輝いた。
余は遠くからこの三つの建築の位地と関係と恰好とを眺めて、その釣合のうまく取れているのに感心した。
あれは何だいと車の上で聞くと、あれは電気公園と云って、内地にも無いものだ。
電気仕掛でいろいろな娯楽をやって、大連の人に保養をさせるために、会社で拵えてるんだと云う説明である。
電気公園には恐縮したが、内地にもないくらいのものなら、すこぶる珍らしいに違ないと思って、娯楽ってどんな事をやるんだと重ねて聞き返すと、娯楽とは字のごとく娯楽でさあと、何だか少々危しくなって来た。
よくよく糺明して見ると、実は今月末とかに開場するんで、何をやるんだか、その日になって見なければ、総裁にも分らないのだそうである。
そのうち馬車が、電車の軌道を敷いている所へ出た。
電車も電気公園と同じく、今月末に開業するんだとか云って、会社では今支那人の車掌運転手を雇って、訓練のために、ある局部だけの試運転をやらしている。
御忘れものはありませんか、ちんちん動きますを支那の口で稽古している最中なのだから、軌道がここまで延長して来るのは、別段怪しい事もないが、気がついて見ると、鉄軌の据え方が少々違うようである。
第一内地のように石を敷かない計画らしい。
御影石が払底なのかいと質問して見たら、すぐ、冗談云っちゃいけないとやられてしまった。
これが最新式の敷方なんで、土台をどうとかして、どうとかして、鉄軌と鉄軌の間を混合金属で塗り固めて全線をたった一本の長い棒にしてしまって……とあたかも自分が技師であるかのごとき自慢である。
内地から来たものはなるほど田舎もの取扱にされても仕方がない。
そいつは感心だと、全く感心すると、技師を信任して、少しも口を出さずに、どうでも自分の思った通りをやらせるから、そんな仕事もできるのさと云った。
内地では何でもやかましく干渉する奴がたくさん出て来るものと見える。
馬車が岡の上へ出た。
そこはまだ道路が完成していないので、満洲特有の黄土が、見るうちに靴の先から洋袴の膝の上まで細かに積もった。
この辺ももう少しすると、ホテルの前のように、カンカンした路に変化する事だろうが、そんな事を口外すれば、是公がますます得意になるばかりだから、わざと黙っていた。