坊っちゃん

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一

第 1 章
親譲りおやゆずりの無鉄砲むてっぽうで小供こどもの時じから損そんばかりしている。
小学校しょうがっこうに居るいる時分じぶん学校がっこうの二に階かいから飛び降りとびおりて一いち週間しゅうかんほど腰こしを抜かしぬかした事ことがある。
なぜそんな無闇むやみをしたと聞くきく人ひとがあるかも知れしれぬ。
別段べつだん深いぶかい理由りゆうでもない。
新築しんちくの二に階かいから首くびを出しだしていたら、同級生どうきゅうせいの一人ひとりが冗談じょうだんに、いくら威張っいばっても、そこから飛び降りるとびおりる事ことは出来できまい。
弱虫よわむしやーい。
と囃しはやしたからである。
小使こづかいに負ぶさっおぶさって帰っかえって来きた時じ、おやじが大きなおおきな眼めをして二に階かいぐらいから飛び降りとびおりて腰こしを抜かすぬかす奴やつがあるかと云っいったから、この次つぎは抜かさぬかさずに飛んとんで見せみせますと答えこたえた。
親類しんるいのものから西洋せいよう製せいのナイフないふを貰っもらって奇麗きれいな刃はを日ひに翳しかざして、友達ともだちに見せみせていたら、一人ひとりが光るひかる事ことは光るひかるが切れきれそうもないと云っいった。
切れきれぬ事ことがあるか、何なんでも切っきってみせると受け合っうけあった。
そんなら君きみの指ゆびを切っきってみろと注文ちゅうもんしたから、何なんだ指ゆびぐらいこの通りとおりだと右みぎの手ての親指おやゆびの甲こうをはすに切り込んきりこんだ。
幸みゆきナイフないふが小さいちいさいのと、親指おやゆびの骨ほねが堅かっかたかったので、今いまだに親指おやゆびは手てに付いついている。
しかし創痕そうこんは死ぬしぬまで消えきえぬ。
庭にわを東ひがしへ二十歩にじゅうほに行きいき尽すつくすと、南みなみ上がりあがりにいささかばかりの菜園さいえんがあって、真中まなかに栗くりの木きが一いち本ほん立ったっている。
これは命いのちより大事だいじな栗くりだ。
実じつの熟するじゅくする時分じぶんは起き抜けおきぬけに背戸せどを出でて落ちおちた奴やつを拾っじゅうってきて、学校がっこうで食うくう。
菜園さいえんの西側にしがわが山城屋やましろやという質屋しちやの庭にわ続きつづきで、この質屋しちやに勘太郎かんたろうという十じゅう三さん四よんの倅せがれが居いた。
勘太郎かんたろうは無論むろん弱虫よわむしである。
弱虫よわむしの癖くせに四よんつ目め垣かきを乗りこえのりこえて、栗くりを盗みぬすみにくる。
ある日ひの夕方ゆうがた折戸おりどの蔭かげに隠れかくれて、とうとう勘太郎かんたろうを捕まえつかまえてやった。
その時じ勘太郎かんたろうは逃げにげ路みちを失っうしなって、一生懸命いっしょうけんめいに飛びかかっとびかかってきた。
向うむこうは二につばかり年上としうえである。
弱虫よわむしだが力ちからは強いつよい。
鉢ばちの開いひらいた頭あたまを、こっちの胸むねへ宛てあててぐいぐい押しおした拍子ひょうしに、勘太郎かんたろうの頭あたまがすべって、おれの袷あわせの袖そでの中なかにはいった。
邪魔じゃまになって手てが使えつかえぬから、無暗むやみに手てを振っふったら、袖そでの中なかにある勘太郎かんたろうの頭あたまが、右左みぎひだりへぐらぐら靡いなびいた。
しまいに苦しくるしがって袖そでの中なかから、おれの二の腕にのうでへ食い付いくいついた。
痛かっいたかったから勘太郎かんたろうを垣根かきねへ押しつけおしつけておいて、足搦あしがらみをかけて向うむこうへ倒したおしてやった。
山城屋やましろやの地面じめんは菜園さいえんより六ろく尺さしがた低いひくい。
勘太郎かんたろうは四つ目よんつめ垣かきを半分はんぶん崩しくずして、自分じぶんの領分りょうぶんへ真逆様まぎゃくさまに落ちおちて、ぐうと云っいった。
勘太郎かんたろうが落ちるおちるときに、おれの袷あわせの片袖かたそでがもげて、急きゅうに手てが自由じゆうになった。
その晩ばん母ははが山城屋やましろやに詫びわびに行っいったついでに袷あわせの片袖かたそでも取り返しとりかえして来きた。
この外そといたずらは大分おおいたやった。
大工だいくの兼けん公こうと肴屋さかなやの角かくをつれて、茂作しげさくの人参にんじん畠はたけをあらした事ことがある。
人参にんじんの芽めが出揃わでそろわぬ処ところへ藁わらが一面いちめんに敷いしいてあったから、その上うえで三さん人ひとが半日はんじつ相撲すもうをとりつづけに取っとったら、人参にんじんがみんな踏みつぶさふみつぶされてしまった。
古川ふるかわの持っもっている田圃たんぼの井戸いどを埋めうめて尻しりを持ち込まもちこまれた事こともある。
太いふとい孟宗もうそうの節ふしを抜いぬいて、深くふかく埋めうめた中なかから水みずが湧き出わきでて、そこいらの稲いねにみずがかかる仕掛しかけであった。
その時分じぶんはどんな仕掛しかけか知らしらぬから、石いしや棒ちぎれぼうちぎれをぎゅうぎゅう井戸いどの中なかへ挿しさし込んこんで、水みずが出でなくなったのを見届けみとどけて、うちへ帰っかえって飯めしを食っしょくっていたら、古川ふるかわが真赤まっかになって怒鳴り込んどなりこんで来きた。
たしか罰金ばっきんを出しだして済んすんだようである。
おやじはちっともおれを可愛かわいがってくれなかった。
母ははは兄あにばかり贔屓ひいきにしていた。
この兄あにはやに色いろが白くしろくって、芝居しばいの真似まねをして女形おやまになるのが好きすきだった。
おれを見るみる度どにこいつはどうせ碌なろくなものにはならないと、おやじが云っいった。
乱暴らんぼうで乱暴らんぼうで行く先ゆくさきが案じあんじられると母ははが云っいった。
なるほど碌なろくなものにはならない。
ご覧ごらんの通りとおりの始末しまつである。
行く先ゆくさきが案じあんじられたのも無理むりはない。
ただ懲役ちょうえきに行かいかないで生きいきているばかりである。
母ははが病気びょうきで死ぬしぬ二三にさん日ひ前まえ台所だいどころで宙返りちゅうがえりをしてへっついの角かくで肋骨ろっこつを撲っなぐって大いにおおいに痛かっいたかった。
母ははが大層たいそう怒っどって、お前おまえのようなものの顔かおは見みたくないと云ういうから、親類しんるいへ泊りとまりに行っいっていた。
するととうとう死んしんだと云ういう報知ほうちが来きた。
そう早くはやく死ぬしぬとは思わおもわなかった。
そんな大病たいびょうなら、もう少しすこし大人しくおとなしくすればよかったと思っおもって帰っかえって来きた。
そうしたら例れいの兄あにがおれを親不孝おやふこうだ、おれのために、おっかさんが早くはやく死んしんだんだと云っいった。
口惜しかっくやしかったから、兄あにの横っ面よこっつらを張っちょうって大変たいへん叱らしかられた。
母ははが死んしんでからは、おやじと兄あにと三さん人ひとで暮しくらしていた。
おやじは何になんにもせぬ男おとこで、人ひとの顔かおさえ見れみれば貴様きさまは駄目だめだ駄目だめだと口癖くちぐせのように云っいっていた。
何なんが駄目だめなんだか今いまに分らわからない。
妙みょうなおやじがあったもんだ。
兄あには実業家じつぎょうかになるとか云っいってしきりに英語えいごを勉強べんきょうしていた。
元来がんらい女おんなのような性分しょうぶんで、ずるいから、仲なかがよくなかった。
十じゅう日ひに一遍いちぺんぐらいの割わりで喧嘩けんかをしていた。
ある時じ将棋しょうぎをさしたら卑怯ひきょうな待まち駒こまをして、人ひとが困るこまると嬉しうれしそうに冷やかしひやかした。
あんまり腹はらが立ったったから、手てに在っあった飛車ひしゃを眉間みけんへ擲きたたきつけてやった。
眉間みけんが割れわれて少々しょうしょう血ちが出でた。
兄あにがおやじに言付けことづけた。
おやじがおれを勘当かんどうすると言いいい出しだした。
その時じはもう仕方しかたがないと観念かんねんして先方せんぽうの云ういう通りとおり勘当かんどうされるつもりでいたら、十じゅう年ねん来き召し使っめしつかっている清きよしという下女げじょが、泣きなきながらおやじに詫わびまって、ようやくおやじの怒りいかりが解けとけた。
それにもかかわらずあまりおやじを怖いこわいとは思わおもわなかった。
かえってこの清きよしと云ういう下女げじょに気の毒きのどくであった。
この下女げじょはもと由緒ゆいしょのあるものだったそうだが、瓦解がかいのときに零落れいらくして、つい奉公ほうこうまでするようになったのだと聞いきいている。
だから婆ばあさんである。
この婆ばあさんがどういう因縁いんねんか、おれを非常ひじょうに可愛かわいがってくれた。
不思議ふしぎなものである。
母ははも死ぬしぬ三さん日ひ前まえに愛想あいそをつかした――おやじも年中ねんじゅう持て余しもてあましている――町まち内うちでは乱暴らんぼう者ものの悪太郎あくたろうと爪弾きつまはじきをする――このおれを無暗むやみに珍重ちんちょうしてくれた。
おれは到底とうてい人ひとに好かよしみかれる性せいでないとあきらめていたから、他人たにんから木きの端はしのように取り扱わとりあつかわれるのは何なんとも思わおもわない、かえってこの清きよしのようにちやほやしてくれるのを不審ふしんに考えかんがえた。
清きよしは時々ときどき台所だいどころで人ひとの居いない時じに「あなたは真っ直まっすぐでよいご気性きしょうだ」と賞めるほめる事ことが時々ときどきあった。
しかしおれには清きよしの云ういう意味いみが分からぶんからなかった。
好いよい気性きしょうなら清きよし以外いがいのものも、もう少しすこし善くよくしてくれるだろうと思っおもった。
清きよしがこんな事ことを云ういう度どにおれはお世辞おせじは嫌いきらいだと答えるこたえるのが常つねであった。
すると婆ばあさんはそれだから好いよいご気性きしょうですと云っいっては、嬉しうれしそうにおれの顔かおを眺めながめている。
自分じぶんの力ちからでおれを製造せいぞうして誇っほこってるように見えるみえる。
少々しょうしょう気味きみがわるかった。
母ははが死んしんでから清きよしはいよいよおれを可愛かわいがった。
時々ときどきは小供こども心こころになぜあんなに可愛かわいがるのかと不審ふしんに思っおもった。
つまらない、廃せはいせばいいのにと思っおもった。
気の毒きのどくだと思っおもった。
それでも清きよしは可愛かわいがる。
折々おりおりは自分じぶんの小遣いこづかいで金鍔きんつばや紅梅こうばい焼やけを買っかってくれる。
寒いさむい夜よるなどはひそかに蕎麦粉そばこを仕入れしいれておいて、いつの間まにか寝ねている枕元まくらもとへ蕎麦湯そばゆを持っもって来きてくれる。
時じには鍋焼なべやき饂飩うどんさえ買っかってくれた。
ただ食い物くいものばかりではない。
靴足袋くつたびももらった。
鉛筆えんぴつも貰っもらった、帳面ちょうづらも貰っもらった。
これはずっと後あとの事ことであるが金きんを三さん円えんばかり貸しかしてくれた事ことさえある。
何なんも貸せかせと云っいった訳わけではない。
向うむこうで部屋へやへ持っもって来きてお小遣いこづかいがなくてお困りこまりでしょう、お使いつかいなさいと云っいってくれたんだ。
おれは無論むろん入らはいらないと云っいったが、是非ぜひ使えつかえと云ういうから、借りかりておいた。
実じつは大変たいへん嬉しかっうれしかった。
その三さん円えんを蝦蟇口がまぐちへ入れいれて、懐ふところへ入れいれたなり便所べんじょへ行っいったら、すぽりと後架こうかの中なかへ落しおとしてしまった。
仕方しかたがないから、のそのそ出でてきて実じつはこれこれだと清きよしに話しはなしたところが、清きよしは早速さっそく竹たけの棒ぼうを捜しさがして来きて、取っとって上げあげますと云っいった。
しばらくすると井戸端いどはしでざあざあ音おとがするから、出でてみたら竹たけの先さきへ蝦蟇口がまぐちの紐ひもを引きひき懸けかけたのを水みずで洗っあらっていた。
それから口くちをあけて壱いち円えん札さつを改めあらためたら茶色ちゃいろになって模様もようが消えきえかかっていた。
清きよしは火鉢ひばちで乾かしかわかして、これでいいでしょうと出しだした。
ちょっとかいでみて臭いくさいやと云っいったら、それじゃお出しだしなさい、取り換えとりかえて来きて上げあげますからと、どこでどう胡魔化しごまかしたか札さつの代りかわりに銀貨ぎんかを三さん円えん持っもって来きた。
この三さん円えんは何なんに使っつかったか忘れわすれてしまった。
今いまに返すかえすよと云っいったぎり、返さかえさない。
今いまとなっては十じゅう倍ばいにして返しかえしてやりたくても返せかえせない。
清きよしが物ものをくれる時じには必ずかならずおやじも兄あにも居いない時じに限るかぎる。
おれは何なんが嫌いきらいだと云っいって人ひとに隠れかくれて自分じぶんだけ得とくをするほど嫌いきらいな事ことはない。
兄あにとは無論むろん仲なかがよくないけれども、兄あにに隠しかくして清きよしから菓子かしや色鉛筆いろえんぴつを貰いもらいたくはない。
なぜ、おれ一人ひとりにくれて、兄さんあにさんには遣らやらないのかと清きよしに聞くきく事ことがある。
すると清きよしは澄しすましたものでお兄あに様ようはお父様おちちさまが買っかってお上げあげなさるから構いかまいませんと云ういう。
これは不公平ふこうへいである。
おやじは頑固がんこだけれども、そんな依怙えこ贔負はせぬ男おとこだ。
しかし清きよしの眼めから見るみるとそう見えるみえるのだろう。
全くまったく愛あいに溺れおぼれていたに違いちがいない。
元もとは身分みぶんのあるものでも教育きょういくのない婆ばあさんだから仕方しかたがない。
単にたんにこればかりではない。
贔負目めは恐ろしいおそろしいものだ。
清きよしはおれをもって将来しょうらい立身出世りっしんしゅっせして立派りっぱなものになると思い込んおもいこんでいた。
その癖くせ勉強べんきょうをする兄あには色いろばかり白くしろくって、とても役やくには立たたたないと一人ひとりできめてしまった。
こんな婆ばあさんに逢っあっては叶わかなわない。
自分じぶんの好きすきなものは必ずかならずえらい人物じんぶつになって、嫌いきらいなひとはきっと落ちおち振れるふれるものと信じしんじている。
おれはその時じから別段べつだん何なんになると云ういう了見りょうけんもなかった。
しかし清きよしがなるなると云ういうものだから、やっぱり何なんかに成れるなれるんだろうと思っおもっていた。
今いまから考えるかんがえると馬鹿馬鹿しいばかばかしい。
ある時じなどは清きよしにどんなものになるだろうと聞いきいてみた事ことがある。
ところが清きよしにも別段べつだんの考えかんがえもなかったようだ。
ただ手車てぐるまへ乗っのって、立派りっぱな玄関げんかんのある家いえをこしらえるに相違そういないと云っいった。
それから清きよしはおれがうちでも持っもって独立どくりつしたら、一所いっしょになる気きでいた。
どうか置いおいて下さいくださいと何なん遍へんも繰り返しくりかえして頼んたのんだ。
おれも何なんだかうちが持てるもてるような気きがして、うん置いおいてやると返事へんじだけはしておいた。
ところがこの女おんなはなかなか想像そうぞうの強いつよい女おんなで、あなたはどこがお好きすき、麹町こうじまちですか麻布あざぶですか、お庭にわへぶらんこをおこしらえ遊ばせあそばせ、西洋せいよう間まは一いちつでたくさんですなどと勝手かってな計画けいかくを独りひとりで並べならべていた。
その時じは家いえなんか欲しくほしくも何なんともなかった。
西洋館せいようかんも日本にっぽん建けんも全くまったく不用ふようであったから、そんなものは欲しくほしくないと、いつでも清きよしに答えこたえた。
すると、あなたは欲よくがすくなくって、心こころが奇麗きれいだと云っいってまた賞めほめた。
清きよしは何なんと云っいっても賞めほめてくれる。
母ははが死んしんでから五六ごろく年ねんの間まはこの状態じょうたいで暮しくらしていた。
おやじには叱らしかられる。
兄あにとは喧嘩けんかをする。
清きよしには菓子かしを貰うもらう、時々ときどき賞めほめられる。
別べつに望みのぞみもない。
これでたくさんだと思っおもっていた。
ほかの小供こどもも一概いちがいにこんなものだろうと思っおもっていた。
ただ清きよしが何なんかにつけて、あなたはお可哀想かわいそうだ、不ふ仕合しあいだと無暗むやみに云ういうものだから、それじゃ可哀想かわいそうで不仕合せふしあわせなんだろうと思っおもった。
その外そとに苦くになる事ことは少しすこしもなかった。
ただおやじが小遣いこづかいをくれないには閉口へいこうした。
母ははが死んしんでから六ろく年ねん目めの正月しょうがつにおやじも卒中そっちゅうで亡くなっなくなった。
その年ねんの四よん月つきにおれはある私立しりつの中学校ちゅうがっこうを卒業そつぎょうする。
六ろく月つきに兄あには商業しょうぎょう学校がっこうを卒業そつぎょうした。
兄あには何なんとか会社かいしゃの九州きゅうしゅうの支店してんに口くちがあって行かいかなければならん。
おれは東京とうきょうでまだ学問がくもんをしなければならない。
兄あには家いえを売っうって財産ざいさんを片付けかたづけて任地にんちへ出立しゅったつすると云いいい出しだした。
おれはどうでもするがよかろうと返事へんじをした。
どうせ兄あにの厄介やっかいになる気きはない。
世話せわをしてくれるにしたところで、喧嘩けんかをするから、向うむこうでも何なんとか云いいい出すだすに極っきょくっている。
なまじい保護ほごを受けれうければこそ、こんな兄あにに頭あたまを下げさげなければならない。
牛乳ぎゅうにゅう配達はいたつをしても食っしょくってられると覚悟かくごをした。
兄あにはそれから道具屋どうぐやを呼んよんで来きて、先祖せんぞ代々だいだいの瓦落多がらくたを二に束たば三さん文ぶんに売っうった。
家屋敷いえやしきはある人ひとの周旋しゅうせんである金満きんまん家いえに譲っゆずった。
この方ほうは大分おおいた金きんになったようだが、詳しいくわしい事ことは一向いっこう知らしらぬ。
おれは一いちヶ月かげつ以前いぜんから、しばらく前途ぜんとの方向ほうこうのつくまで神田かんだの小川おがわ町まちへ下宿げしゅくしていた。
清きよしは十じゅう何なん年ねん居いたうちが人手ひとでに渡るわたるのを大いにおおいに残念ざんねんがったが、自分じぶんのものでないから、仕様しようがなかった。
あなたがもう少しすこし年ねんをとっていらっしゃれば、ここがご相続そうぞくが出来できますものをとしきりに口説いくどいていた。
もう少しすこし年ねんをとって相続そうぞくが出来るできるものなら、今いまでも相続そうぞくが出来るできるはずだ。
婆ばあさんは何なんも知らしらないから年ねんさえ取れとれば兄あにの家いえがもらえると信じしんじている。
兄あにとおれはかように分れわかれたが、困っこまったのは清きよしの行く先ゆくさきである。
兄あには無論むろん連れつれて行けるいける身分みぶんでなし、清きよしも兄あにの尻しりにくっ付いくっついて九州きゅうしゅう下りくだりまで出掛けるでかける気きは毛頭もうとうなし、と云っいってこの時じのおれは四よん畳たたみ半はんの安あん下宿げしゅくに籠っこもって、それすらもいざとなれば直ちにただちに引き払わひきはらわねばならぬ始末しまつだ。
どうする事ことも出来できん。
清きよしに聞いきいてみた。
どこかへ奉公ほうこうでもする気きかねと云っいったらあなたがおうちを持っもって、奥さまおくさまをお貰いもらいになるまでは、仕方しかたがないから、甥おいの厄介やっかいになりましょうとようやく決心けっしんした返事へんじをした。
この甥おいは裁判所さいばんしょの書記しょきでまず今日きょうには差支えさしつかえなく暮しくらしていたから、今までいままでも清きよしに来るくるなら来いこいと二三にさん度ど勧めすすめたのだが、清きよしはたとい下女げじょ奉公ほうこうはしても年来ねんらい住みすみ馴れなれた家いえの方ほうがいいと云っいって応じおうじなかった。
しかし今いまの場合ばあい知らしらぬ屋敷やしきへ奉公ほうこう易えかえをして入らはいらぬ気兼きがねを仕し直すなおすより、甥おいの厄介やっかいになる方ほうがましだと思っおもったのだろう。
それにしても早くはやくうちを持てもての、妻つまを貰えもらえの、来きて世話せわをするのと云ういう。
親身しんみの甥おいよりも他人たにんのおれの方ほうが好きすきなのだろう。
九州きゅうしゅうへ立つたつ二に日ひ前まえ兄あにが下宿げしゅくへ来きて金きんを六百ろっぴゃく円えん出しだしてこれを資本しほんにして商しょう買かいをするなり、学資がくしにして勉強べんきょうをするなり、どうでも随意ずいいに使うつかうがいい、その代りかわりあとは構わかまわないと云っいった。
兄あににしては感心かんしんなやり方やりかただ、何なんの六百ろっぴゃく円えんぐらい貰わもらわんでも困りこまりはせんと思っおもったが、例れいに似にぬ淡泊たんぱくな処置しょちが気きに入っはいったから、礼れいを云っいって貰っもらっておいた。
兄あにはそれから五十ごじゅう円えん出しだしてこれをついでに清きよしに渡しわたしてくれと云っいったから、異議いぎなく引き受けひきうけた。
二に日ひ立ったって新橋しんばしの停車場ていしゃじょうで分れわかれたぎり兄あににはその後あと一いち遍へんも逢わあわない。
おれは六百ろっぴゃく円えんの使用しよう法ほうについて寝ねながら考えかんがえた。
商しょう買かいをしたって面倒くさくめんどうくさくって旨くうまく出来るできるものじゃなし、ことに六百ろっぴゃく円えんの金きんで商しょう買かいらしい商しょう買かいがやれる訳わけでもなかろう。
よしやれるとしても、今いまのようじゃ人ひとの前まえへ出でて教育きょういくを受けうけたと威張れいばれないからつまり損そんになるばかりだ。
資本しほんなどはどうでもいいから、これを学資がくしにして勉強べんきょうしてやろう。
六百ろっぴゃく円えんを三さんに割っわりって一いち年ねんに二百にひゃく円えんずつ使えつかえば三さん年間ねんかんは勉強べんきょうが出来るできる。
三さん年間ねんかん一生懸命いっしょうけんめいにやれば何なんか出来るできる。
それからどこの学校がっこうへはいろうと考えかんがえたが、学問がくもんは生来せいらいどれもこれも好きすきでない。
ことに語ご学がくとか文学ぶんがくとか云ういうものは真平まっぴらご免ごめんだ。
新体詩しんたいしなどと来きては二十にじゅう行こうあるうちで一行いっこうも分らわからない。
どうせ嫌いきらいなものなら何なんをやっても同じおなじ事ことだと思っおもったが、幸いさいわい物理ぶつり学校がっこうの前まえを通りとおり掛っかかったら生徒せいと募集ぼしゅうの広告こうこくが出でていたから、何なんも縁えんだと思っおもって規則きそく書しょをもらってすぐ入学にゅうがくの手続きてつづきをしてしまった。
今いま考えるかんがえるとこれも親譲りおやゆずりの無鉄砲むてっぽうから起っおこった失策しっさくだ。
三さん年間ねんかんまあ人並ひとなみに勉強べんきょうはしたが別段べつだんたちのいい方ほうでもないから、席順せきじゅんはいつでも下したから勘定かんじょうする方ほうが便利べんりであった。
しかし不思議ふしぎなもので、三さん年ねん立ったったらとうとう卒業そつぎょうしてしまった。
自分じぶんでも可笑しいおかしいと思っおもったが苦情くじょうを云ういう訳わけもないから大人しくおとなしく卒業そつぎょうしておいた。
卒業そつぎょうしてから八はち日ひ目めに校長こうちょうが呼びよびに来きたから、何なんか用ようだろうと思っおもって、出掛けでかけて行っいったら、四国しこく辺へんのある中学校ちゅうがっこうで数学すうがくの教師きょうしが入るはいる。
月給げっきゅうは四十よんじゅう円えんだが、行っいってはどうだという相談そうだんである。
おれは三さん年間ねんかん学問がくもんはしたが実じつを云ういうと教師きょうしになる気きも、田舎いなかへ行くいく考えかんがえも何なんもなかった。
もっとも教師きょうし以外いがいに何なんをしようと云ういうあてもなかったから、この相談そうだんを受けうけた時じ、行きいきましょうと即席そくせきに返事へんじをした。
これも親譲りおやゆずりの無鉄砲むてっぽうが祟ったたったのである。
引き受けひきうけた以上いじょうは赴任ふにんせねばならぬ。
この三さん年間ねんかんは四よん畳たたみ半はんに蟄居ちっきょして小言こごとはただの一度いちども聞いきいた事ことがない。
喧嘩けんかもせずに済んすんだ。
おれの生涯しょうがいのうちでは比較的ひかくてき呑気のんきな時節じせつであった。
しかしこうなると四よん畳たたみ半はんも引き払わひきはらわなければならん。
生れうまれてから東京とうきょう以外いがいに踏み出しふみだしたのは、同級生どうきゅうせいと一所いっしょに鎌倉かまくらへ遠足えんそくした時じばかりである。
今度こんどは鎌倉かまくらどころではない。
大変たいへんな遠くとおくへ行かいかねばならぬ。
地図ちずで見るみると海浜かいひんで針はりの先さきほど小さくちいさく見えるみえる。
どうせ碌なろくな所ところではあるまい。
どんな町まちで、どんな人ひとが住んすんでるか分らわからん。
分らわからんでも困らこまらない。
心配しんぱいにはならぬ。
ただ行くいくばかりである。
もっとも少々しょうしょう面倒臭いめんどうくさい。
家いえを畳んたたんでからも清きよしの所ところへは折々おりおり行っいった。
清きよしの甥おいというのは存外ぞんがい結構けっこうな人ひとである。
おれが行くいくたびに、居りおりさえすれば、何くれなにくれと款待かんたいなしてくれた。
清きよしはおれを前まえへ置いおいて、いろいろおれの自慢じまんを甥おいに聞かきかせた。
今いまに学校がっこうを卒業そつぎょうすると麹町こうじまち辺へんへ屋敷やしきを買っかって役所やくしょへ通うかようのだなどと吹聴ふいちょうした事こともある。
独りひとりで極めてきわめて一人ひとりで喋舌るしゃべるから、こっちは困まっこまって顔かおを赤くあかくした。
それも一度いちどや二に度どではない。
折々おりおりおれが小さいちいさい時じ寝ね小便しょうべんをした事ことまで持ち出すもちだすには閉口へいこうした。
甥おいは何なんと思っおもって清きよしの自慢じまんを聞いきいていたか分らわからぬ。
ただ清きよしは昔むかし風かぜの女おんなだから、自分じぶんとおれの関係かんけいを封建ほうけん時代じだいの主従しゅうじゅうのように考えかんがえていた。
自分じぶんの主人しゅじんなら甥おいのためにも主人しゅじんに相違そういないと合点がてんしたものらしい。
甥おいこそいい面の皮つらのかわだ。
いよいよ約束やくそくが極まっきわまって、もう立つたつと云ういう三さん日ひ前まえに清きよしを尋ねたずねたら、北向ききたむきの三さん畳たたみに風邪かぜを引いひいて寝ねていた。
おれの来きたのを見みて起き直るおきなおるが早いはやいか、坊っぼっちゃんいつ家いえをお持ちもちなさいますと聞いきいた。
卒業そつぎょうさえすれば金きんが自然しぜんとポッケットぽっけっとの中なかに湧いわいて来るくると思っおもっている。
そんなにえらい人ひとをつらまえて、まだ坊っぼっちゃんと呼ぶよぶのはいよいよ馬鹿ばか気きている。
おれは単簡たんかんに当分とうぶんうちは持たもたない。
田舎いなかへ行くいくんだと云っいったら、非常ひじょうに失望しつぼうした容子ようこで、胡麻塩ごましおの鬢びんの乱れみだれをしきりに撫でなでた。
あまり気の毒きのどくだから「行くいく事ことは行くいくがじき帰るかえる。来年らいねんの夏休みなつやすみにはきっと帰るかえる」と慰めなぐさめてやった。
それでも妙みょうな顔かおをしているから「何なんを見みやげに買っかって来きてやろう、何なんが欲しいほしい」と聞いきいてみたら「越後えちごの笹飴ささあめが食べたべたい」と云っいった。
越後えちごの笹飴ささあめなんて聞いきいた事こともない。
第だい一いち方角ほうがくが違うちがう。
「おれの行くいく田舎いなかには笹飴ささあめはなさそうだ」と云っいって聞かしきかしたら「そんなら、どっちの見当けんとうです」と聞き返しききかえした。
「西にしの方ほうだよ」と云ういうと「箱根はこねのさきですか手前てまえですか」と問うとう。
随分ずいぶん持てあましもてあました。
出立しゅったつの日ひには朝あさから来きて、いろいろ世話せわをやいた。
来るくる途中とちゅう小間物こまもの屋やで買っかって来きた歯磨はみがきと楊子ようじと手拭てぬぐいをズックずっくの革鞄かわかばんに入れいれてくれた。
そんな物ものは入らはいらないと云っいってもなかなか承知しょうちしない。
車くるまを並べならべて停車場ていしゃじょうへ着いついて、プラットフォームぷらっとふぉーむの上うえへ出でた時じ、車くるまへ乗り込んのりこんだおれの顔かおをじっと見みて「もうお別れわかれになるかも知れしれません。随分ずいぶんご機嫌ごきげんよう」と小さなちいさな声こえで云っいった。
目めに涙なみだが一杯いちばいたまっている。
おれは泣かなきかなかった。
しかしもう少しすこしで泣くなくところであった。
汽車きしゃがよっぽど動きうごき出しだしてから、もう大丈夫だいじょうぶだろうと思っおもって、窓まどから首くびを出しだして、振り向いふりむいたら、やっぱり立ったっていた。
何なんだか大変たいへん小さくちいさく見えみえた。
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