その六畳敷の狭い畳の上に自分のする事が山のように積んであるような気持でいるのである。けれども実際からいうと、仕事をするよりも、しなければならないという刺戟の方が、遥かに強く彼を支配していた。自然彼はいらいらしなければならなかった。
第 1 章
彼が遠い所から持って来た書物の箱をこの六畳の中で開けた時、彼は山のような洋書の裡に胡坐をかいて、一週間も二週間も暮らしていた。
そうして何でも手に触れるものを片端から取り上げては二、三頁ずつ読んだ。
それがため肝心の書斎の整理は何時まで経っても片付かなかった。
しまいにこの体たらくを見るに見かねた或友人が来て、順序にも冊数にも頓着なく、あるだけの書物をさっさと書棚の上に並べてしまった。
彼を知っている多数の人は彼を神経衰弱だと評した。
彼自身はそれを自分の性質だと信じていた。
三
健三は実際その日その日の仕事に追われていた。
家へ帰ってからも気楽に使える時間は少しもなかった。
その上彼は自分の読みたいものを読んだり、書きたい事を書いたり、考えたい問題を考えたりしたかった。
それで彼の心は殆んど余裕というものを知らなかった。
彼は始終机の前にこびり着いていた。
娯楽の場所へも滅多に足を踏み込めない位忙がしがっている彼が、ある時友達から謡の稽古を勧められて、体よくそれを断わったが、彼は心のうちで、他人にはどうしてそんな暇があるのだろうと驚ろいた。
そうして自分の時間に対する態度が、あたかも守銭奴のそれに似通っている事には、まるで気がつかなかった。
自然の勢い彼は社交を避けなければならなかった。
人間をも避けなければならなかった。
彼の頭と活字との交渉が複雑になればなるほど、人としての彼は孤独に陥らなければならなかった。
彼は朧気にその淋しさを感ずる場合さえあった。
けれども一方ではまた心の底に異様の熱塊があるという自信を持っていた。
だから索寞たる曠野の方角へ向けて生活の路を歩いて行きながら、それがかえって本来だとばかり心得ていた。
温かい人間の血を枯らしに行くのだとは決して思わなかった。
彼は親類から変人扱いにされていた。
しかしそれは彼に取って大した苦痛にもならなかった。
「教育が違うんだから仕方がない」 彼の腹の中には常にこういう答弁があった。
「やっぱり手前味噌よ」 これは何時でも細君の解釈であった。
気の毒な事に健三はこうした細君の批評を超越する事が出来なかった。
そういわれる度に気不味い顔をした。
ある時は自分を理解しない細君を心から忌々しく思った。
ある時は叱り付けた。
またある時は頭ごなしに遣り込めた。
すると彼の癇癪が細君の耳に空威張をする人の言葉のように響いた。
細君は「手前味噌」の四字を「大風呂敷」の四字に訂正するに過ぎなかった。
彼には一人の腹違の姉と一人の兄があるぎりであった。
親類といったところでこの二軒より外に持たない彼は、不幸にして