道草

8/14

その一部分を摧いて向う側の縁に落ちた。細君は茫然として夢でも見ている人のように一口も物をいわなかった。

8
彼女かのじょ本当ほんとうじょう逼っせまっ刃物はもの三昧さんまいするだろうまた病気びょうき発作ほっさ自己じこ意志いし捧げささげべく余儀よぎなく結果けっか無我夢中むがむちゅう切れきれもの弄そろうそだろうあるいは単にたんにおっと打ち勝とううちかとうするおんな策略さくりゃくからこうひと驚かすおどろかすだろう驚ろかすおどろかすその真意しんい果しはてしどこあるだろう
自分じぶん対するたいするおっと平和へいわ親切しんせつひと立ち返らたちかえらせるつもりだろうまたただあさはか征服せいふくよく駆らからいるだろう健三けんぞうゆかなかいち出来事できごとじょうろくじょう解釈かいしゃく
そう時々ときどき眠れねむれないそっと細君さいくんほう向けむけその動静どうせいうかがっ
いる起きおきいる付かつかない細君さいくんまるで動かうごかなかっ
あたかも衒うてらうひとようあっ
健三けんぞうまたまくらうえまた自分じぶん問題もんだい解決かいけつ立ち帰ったちかえっ
その解決かいけつかれ実生活じつせいかつ支配しはいするうえおい学校がっこう講義こうぎより遥かはるか大切たいせつあっ
かれ細君さいくん対するたいする基調きちょうぜんその解決かいけついちちゃんと定めさだめられなけれならなかっ
いまよりずっと単純たんじゅんあっむかしかれいち細君さいくん不可思議ふかしぎ挙動きょどうやまいためのみ信じしんじ切っきっ
その時代じだい発作ほっさ起るおこるたびかみまえ己れおのれ懺悔ざんげするひとまことかれ細君さいくん膝下しっか
かれそれおっと最ももっとも親切しんせつまた最ももっとも高尚こうしょう処置しょち信じしんじ
いまってそのみなもといん判然はんぜん分りわかりさえすれ かれこういう慈愛じあいこころ充ち満ちみちみち
けれど不幸ふこうそのみなもといんむかしよう単純たんじゅん見えみえなかっ
かれいくら考えかんがえなけれならなかっ
到底とうてい解決かいけつ付かつかない問題もんだい疲れつかれとろとろ眠るねむるまたすぐ起きおき講義こうぎ出掛けでかけなけれならなかっ
かれ昨夕さくゆうことついついに一言ひとこと細君さいくんくち利くきく機会きかいとくなかっ
細君さいくん日の出ひのでともそれ忘れわすれしまっようかお
五十五ごじゅうご
こういう不愉快ふゆかい場面ばめんあと大抵たいてい仲裁ちゅうさいもの自然しぜん二人ふたり這入っはいっ
二人ふたり何時なんじなく普通ふつう夫婦ふうふ利くきくようくち利ききき出しだし
けれどある自然しぜん全くまったく傍観者ぼうかんしゃ過ぎすぎなかっ
夫婦ふうふどこまで行っいっ背中せなか合せあわせまま暮しくらし
二人ふたり関係かんけい極端きょくたん緊張きんちょう度合どあい達するたっする健三けんぞういつも細君さいくん向っむかっ生家せいか帰れかえれいっ
細君さいくんほうまた帰ろうかえろう帰るかえるまいこっち勝手かっていうかお
その態度たいど憎らしいにくらしい健三けんぞう同じおなじ言葉ことばなんへん繰り返しくりかえし憚らはばからなかっ
じゃ当分とうぶん子供こども伴れつれたく行っいっましょう 細君さいくんこういっ一旦いったんさと帰っかえっことあっ
健三けんぞうかれ食料しょくりょう毎月まいつき送っおくっ遣るやるいう条件じょうけんしたまたむかしよう書生しょせい生活せいかつ立ち帰れたちかえれ自分じぶん喜んよろこん
かれ比較的ひかくてき広いひろい屋敷やしき下女げじょたった二人ふたりぎりなっこの突然とつぜん変化へんか少しすこし淋しいさびしい思わおもわなかっ
ああ晴々はればれ好いよい心持こころもち かれはちたたみ座敷ざしき真中まなか小さなちいさな餉台据えすえそのうえあさから夕方ゆうがたまでノートのーと書いかい
丁度ちょうど極暑ごくしょころだっ身体しんたい強くつよくないかれよくあおぐむかいなっばたりたたみうえ倒れたおれ
なん替えかえ知れしれない時代じだい着いついそのたたみかれ脊中せなか蒸すふかすよう黄色いきいろい古びふるびこころまで透っとおっ
かれノートのーとまた暑苦しいあつくるしいほど細かこまか書き下さかきくださ
はえあたまいうよりそと形容けいようしようないその草稿そうこうなるべくだけ余計よけい拵えるこしらえるそのかれ取っとっなんより愉快ゆかいあっ
そして苦痛くつうあっ
また義務ぎむあっ
巣鴨すがも植木屋うえきやむすめいう下女げじょかれためさん盆栽ぼんさいたくから持っもっくれ
それ茶の間ちゃのまえん置いおいかれめし食うくう給仕きゅうじながら色々いろいろはなし
かれ彼女かのじょ親切しんせつ喜こんよろこん
けれど彼女かのじょ盆栽ぼんさい軽蔑けいべつ
それどこ縁日えんにち行っいっ三十さんじゅうせん出せだせばち買えるかえる安価あんか代物しろものだっある
かれ細君さいくんことかつて考えかんがえノートのーとばかり作っつくっ
彼女かのじょさとかお出そうでそうなどいうまるで起らおこらなかっ
彼女かのじょ病気びょうき対するたいする懸念けねん悉くことごとく消えきえしまっ
病気びょうきなっ父母ふぼ付いついいるじゃないもし悪けれわるけれなんいっ来るくるだろう かれこころ二人ふたり一所いっしょいるよりはるか平静へいせいあっ
細君さいくん関係者かんけいしゃ会わあわないのみならかれまた自分じぶんあにあね会いあい行かいかなかっ
その代りかわり向うむこうなかっ
かれたった一人ひとり日中にっちゅう勉強べんきょうつづく涼しいすずしいよる散歩さんぽ費やしついやし
そうつぎぬのたった青いあおい蚊帳かやなか入っはいっ
いちカ月かげつあまりする細君さいくん突然とつぜん遣っつかっ
その健三けんぞうかぎっ夕暮ゆうぐれそらした広くひろくない庭先にわさき逍遥しょうよう
かれ歩みあゆみ書斎しょさい縁側えんがわまえ細君さいくん半分はんぶん朽ちくち懸けかけ枝折戸しおりどかげからきゅう姿すがた現わしあらわし
貴夫たかおようなっ下さらくださらなくっ 健三けんぞう細君さいくん穿いはいいる下駄げたひょうへんささくれその後そのあとほう如何にいかに見苦しくみぐるしく擦り減らさすりへらさいる付いつい
かれ憐れあわれなっ
紙入かみいれなかからさんばいいちえん紙幣しへい出しだし細君さいくん握らにぎら
見っともないみっともないからこれ下駄げた買っかったら好いよいだろう 細君さいくん帰っかえっからいく経っきょうっあと彼女かのじょはは始めはじめ健三けんぞう訪ずれおとずれ
用事ようじ細君さいくん健三けんぞう頼んたのん大同小異だいどうしょういもう一遍いちぺんかれ引取っひきとっくれいう主意しゅいたたみうえ布衍ふえん過ぎすぎなかっ
既にすでに本人ほんにん帰りかえりたい意志いしある拒絶きょぜつする健三けんぞうから見るみる無情むじょう挙動きょどうあっ
かれいちなく承知しょうち
細君さいくんまた子供こども連れつれ駒込こまごめ帰っかえっ
しかし彼女かのじょ態度たいどさと行くいくまえ毫もごうも違っちがっなかっ
健三けんぞうこころうち彼女かのじょはは騙さだまさよう
こうなつなか出来事できごと自分じぶんだけ繰り返しくりかえし見るみるたびかれ不愉快ふゆかいなっ
これなんまで続くつづくだろう考えかんがえたり
五十六ごじゅうろく
同時どうじ島田しまだちょいちょい健三けんぞうところかお出すだすこと忘れわすれなかっ
利益りえき方面ほうめん一度いちど手掛りてがかりとく以上いじょう放しはなしたらそれっきりいう懸念けねんなおさらかれ蒼蠅さばえくし
健三けんぞう時々ときどき書斎しょさい入っはいっれい紙入かみいれ老人ろうじんまえ持ち出さもちださなけれならなかっ
好いよい紙入かみいれですへええ外国がいこくものやっぱりどこ違いちがいます 島田しまだ大きなおおきなつ折つおり取っとっさも感服かんぷくらしく裏表うらおもて打返しうちかえし眺めながめたり
失礼しつれいながらこれどのくらいますあちらたしかじゅうこころざしだっ思いおもいます日本にっぽんきんするまあえんくらいものでしょうえんえん随分ずいぶん好いよいあたいです浅草あさくさ黒船町くろふねまち古くふるくからわたくし知っしってる袋物ふくろものある彼所かしこならもっとずっと安くやすく拵えこしらえくれますこん要るいるにゃわたくし頼んたのん上げあげましょう 健三けんぞう紙入かみいれ何時もいつも充実じゅうじつなかっ
全くまったく空虚くうきょあっ
そういう場合ばあい仕方しかたない何時なんじまで経っきょうっ立ち上がらたちあがらなかっ
島田しまだなん事寄せことよせしり長くながく
小遣こづかい遣らやらないうち帰らかえらないいややつ 健三けんぞうはらうち憤っいきどおっ
しかしいくら迷惑めいわく感じかんじ細君さいくんほうから特別とくべつきん取っとっ老人ろうじん渡すわたすことなかっ
細君さいくんそのくらいことならいっかぜべつ苦情くじょう鳴らさならさなかっ
そうこういるうち島田しまだ態度たいど段々だんだん積極的せっきょくてきなっ
二十にじゅう三十さんじゅう纏っまとっきん平気へいき向うむこうから請求せいきゅう始めはじめ
どういちわたくしこのねんなっかるなし依怙えこする貴方あなた一人ひとりから かれ自分じぶん言葉遣いことばづかい横着おうちゃく加減かげんさえ付いついなかっ
それ健三けんぞうむっと黙っだまっいる凹んへこん鈍いにぶい狡猾こうかつらしく動かしうごかしじろじろかれ様子ようす眺めるながめること忘れわすれなかっ
これだけ生活せいかつじゅう二十にじゅうきん出来できないはずない かれこんなことまでくち出しだしいっ
かれ帰るかえる健三けんぞういやかお細君さいくん向っむかっ
ありゃ成しなし崩しくずしおのれ侵蝕しんしょくする始めはじめ一度いちど攻め落そうせめおとそう断らことわらもんから今度こんど遠巻とおまきじりじり寄っよっ来ようこようってじついややつ 健三けんぞうはら立ちたちさえすれよくじつ一番いちばんおおいう最大級さいだいきゅう使っつかっ欝憤うっぷん一端いっぱし洩らしもらしたがるおとこあっ
こんなてんなる細君さいくんほうしぶとい代りかわり大分おおいたおち付いつい
貴夫たかお引っ掛るひっかかるから悪いわるいから始めはじめから用心ようじん寄せ付けよせつけないようなされ好いよい 健三けんぞうそのくらいことなら最初さいしょから心得こころえいるいわばかり様子ようすむっとほおくちびる見せみせ
絶交ぜっこうしよう思えおもえ何時なんじって出来るできるしかし今までいままで付合っふごうっだけそんなるじゃありませそりゃなん関係かんけいない御前ごぜんから見れみれそうしかしおのれ御前ごぜん違うちがう 細君さいくん健三けんぞう意味いみ能くよく通じつうじなかっ
どうせ貴夫たかおからたらめかけなんぞ馬鹿ばかでしょう 健三けんぞう彼女かのじょ誤解ごかい正しただしやるさえ面倒めんどうなっ
二人ふたり感情かんじょう行違ゆきちがいあるこれだけ会話かいわすら交換こうかんなかっ
かれ島田しまだ後影うしろかげ見送っみおくっまま黙っだまっすぐ書斎しょさい入っはいっ
そこ書物しょもつ読まよまふで執らとらただ凝とじっと坐っすわっ
細君さいくんほう家庭かてい切り離さきりはなさようこの孤独こどくひと何時なんじまで構うかまう気色けしき見せみせなかっ
おっと自分じぶん勝手かって座敷牢ざしきろう入っはいっいるから仕方しかたないくらい考えかんがえまるで取りとりあわせ
五十七ごじゅうなな
健三けんぞうこころ紙屑かみくず丸めまるめようくしゃくしゃ
よるきもしゃく電流でんりゅうなん機会きかい応じおうじそと洩らさもらさなけれ苦しくくるしくって堪まれたまれなくなっ
かれ子供こどもはは強請っねだっ買っかっもらっ草花くさばなばちなど無意味むいみ縁側えんがわからした蹴飛ばしけとばしたり
赤ちゃけあかちゃけ素焼すやきばちかれ思いおもい通りとおりがらがら破るやぶるさえかれ多少たしょう満足まんぞくなっ
けれど残酷ざんこくたらしく摧かくだかそのはなくき憐れあわれ姿すがた見るみるいなかれすぐまた一種いっしゅ果敢ないはかない気分きぶん打ち勝たうちかた
何になんに知らしらないわれ嬉しうれしがっいる美しいうつくしい慰みなぐさみ無慈悲むじひ破壊はかいかれちちあるいう自覚じかくなおさらかれ悲しくかなしく
かれ半ばなかば自分じぶん行為こうい悔いくい
しかしその子供こどもまえわが自白じはくすること敢てあえてとくなかっ
おのれ責任せきにんじゃない必竟ひっきょうこんな気違きちがいじみ真似まねおのれせるものだれそいつ悪いわるい かれはらそこ何時なんじこういう弁解べんかい潜んひそん
平静へいせい会話かいわ波だっなみだっかれ気分きぶん沈めるしずめる必要ひつようあっ
しかしひと避けるさけるかれその会話かいわ届きとどきようはずなかっ
かれ一人ひとり一人ひとり自分じぶんねつ燻ぶるふすぶるよう心持こころもち
つねさえ有難くありがたくない保険会社ほけんかいしゃ勧誘かんゆういんなど名刺めいし見るみる大きなおおきなこえつみない取次とりつぎ下女げじょ叱っしかっ
そのこえ玄関げんかん立ったっいる勧誘かんゆういんみみまで明らかあきらか響いひびい
かれあと自分じぶん態度たいどはじ
少なくすくなくとも好意こうい一般いっぱん人類じんるい接するせっすること出来できない己れおのれ怒っどっ
同時どうじ子供こども植木鉢うえきばち蹴飛ばしけとばし場合ばあい同じおなじよう言訳いいわけ堂々どうどうこころ読み上げよみあげ
おのれ悪いわるいじゃないおのれ悪くわるくないこと仮令たといあのおとこ解っわかっなくっおのれ能くよく解っわかっいる 信心しんじんかれどうかみ能くよく解っわかっいるいうこと出来できなかっ
もしそういいとくならどんな仕合せしあわせだろういうさえ起らおこらなかっ
かれ道徳どうとく何時なんじ自己じこ始まっはじまっ
そう自己じこ終るおわるぎりあっ
かれ時々ときどききんこと考えかんがえ
何故なぜ物質的ぶっしつてきとみ目標もくひょう今日きょうまで働いはたらいなかっだろう疑ううたがうあっ
おのれって専門せんもんそのほうばかり遣りゃやりゃ かれこころこんなおのれぼけあっ
かれけち臭いくさい自分じぶん生活せいかつ状態じょうたい馬鹿ばからしく感じかんじ
自分じぶんより貧乏びんぼう親類しんるい自分じぶんより切り詰めきりつめ暮しくらしむかい悩んなやんいる気の毒きのどく思っおもっ
極めてきわめて低級ていきゅう慾望よくぼうあさからばんまで齷齪あくせくいるよう島田しまださえ憐れあわれ眺めながめ
みんなきん欲しいほしいそうきんよりそと何になんに欲しくほしくない こう考えかんがえ見るみる自分じぶん今までいままでなん解らわからなくなっ
かれ元来がんらい儲けるもうけること下手へたおとこあっ
儲けもうけられそのほう使うつかう時間じかんおしがるおとこあっ
卒業そつぎょうたて悉くことごとくほかくち断っことわっただいち学校がっこうから四十よんじゅうえん貰っもらっそれ満足まんぞく
かれ
8/14