道草

9/14

その四十円の半分を阿爺に取られた。残る二十円で、古い寺の座敷を借りて、芋や油揚ばかり食っていた。しかし彼はその間に遂に何事も仕出かさなかった。

9
その時分じぶんかれいまかれ色々いろいろてんおい大分おおいた変っかわっ
けれど経済けいざい余裕よゆうない遂についに何事なにごと仕出かさしでかさないどこまで行っいっ変りかわりなさそう見えみえ
かれ金持かねもちなる偉くえらくなるうちどっち中途半端ちゅうとはんぱ自分じぶん片付けかたづけたくなっ
しかしいまから金持かねもちなる迂闊うかつかれ取っとっもう遅かっおそかっ
偉くえらくなろうすれまた色々いろいろ塵労じんろう邪魔じゃま
その塵労じんろうしゅよくよく調べしらべ見るみるやっぱりきんない大源だいげんいんなっ
どう好いよい解らわからないかれしきり焦れじれ
きんちから支配しはい出来できないしん偉大いだいものかれ這入っはいっ来るくるまだ大分おおいたあっ
五十八ごじゅうはち
健三けんぞう外国がいこくから帰っかえっ既にすでにきん必要ひつよう感じかんじ
久しぶりひさしぶりわが生れうまれ故郷こきょう東京とうきょう新らしいあたらしい世帯せたい持つもつことなっかれ懐中かいちゅういちかた銀貨ぎんかさえなかっ
かれ日本にっぽん立つたつその妻子さいし細君さいくんちち託したくし
ちち自分じぶん邸内ていないある小さなちいさないえ空けあけかれ住居じゅうきょ充てあて
細君さいくん祖父母そふぼ亡くなるなくなるまでそのいえ狭いせまいながらさほど見苦しくみぐるしくなかっ
張交はりまぜふすま南湖なんこ鵬斎ほうさいしょすべて亡くなっなくなっひと趣味しゅみ偲ばしのばせる記念きねん見るみるべきものさえ通りとおり貼り付けはりつけあっ
ちち官吏かんりあっ
大してたいして派出はしゅつ暮しくらし出来るできる身分みぶんなかっけれど留守るすなか手元てもと預かっあずかっ自分じぶんむすめむすめ苦しいくるしい思いおもいせるほど窮しきゅうしなかっ
そのうえ健三けんぞう細君さいくん月々つきづきいくら手当てあて公けおおやけから下りくだり
健三けんぞう安心あんしんわが家族かぞくあと遺しのこし
かれ外国がいこくいるうち内閣ないかく変っかわっ
その細君さいくんちち比較的ひかくてき安全あんぜん閑職かんしょくからまた引張ひっぱり出さださ劇しくはげしく活動かつどうなけれならないある位置いち就いつい
不幸ふこうその新らしいあたらしい内閣ないかくすぐ倒れたおれ
ちち崩壊ほうかいうずなか捲き込ままきこまなけれならなかっ
遠いとおいところこの変化へんか聴いきい健三けんぞう同情どうじょう充ちみち故郷こきょうそら向けむけ
けれど細君さいくんちち経済けいざい状態じょうたい関しかんしべつ顧慮こりょする必要ひつようないもの殆んどほとんどこころ悩まなやまなかっ
迂闊うかつかれ帰っかえっからそのところ注意ちゅうい払わはらわなかっ
また付かつかなかっ
かれ細君さいくん月々つきづき貰うもらう二十にじゅうえんだけ子供こども二人ふたり下女げじょ使っつかっ充分じゅうぶん遣っつかっ行けるいけるくらい考えかんがえ
何しろなにしろ家賃やちんないから こんな呑気のんき想像そうぞう実際じっさいかれ驚愕きょうがく丸くまるく
細君さいくんおっと留守るすなか自分じぶん不断ふだんことごとく切っきっしまっ
仕方しかたないしまい健三けんぞう置いおい行っいっ地味じみ男物おとこもの縫い直しぬいなおし纏っまとっ
同時どうじ蒲団ふとんから綿めん
夜具やぐ裂けさけ
それそばいるちちどう遣るやるわけ行かいかなかっ
かれ自分じぶん位地いち失っうしなっあと相場そうば出しだし多くおおくない貯蓄ちょちく悉くことごとく亡くしなくししまっある
くび回らまわらないほど高いたかいえり掛けかけ外国がいこくから帰っかえっ健三けんぞうこの惨澹さんたん境遇きょうぐう置かおかわが妻子さいし黙っだまっ眺めながめなけれならなかっ
ハイカラはいからかれアイロニーあいろにーため非道くひどく打ち据えうちすえられ
かれくちびる苦笑くしょうする勇気ゆうきさえゆうなかっ
そのうちかれ荷物にもつ着いつい
細君さいくん指輪ゆびわいち買っかっなかっかれ荷物にもつ書籍しょせきだけあっ
狭苦しいせまくるしい隠居いんきょところなかかれそのばこふたさえ開けるあけること出来できない馬鹿ばからしく思っおもっ
かれ新らしいあたらしいいえ探しさがし始めはじめ
同時どうじきん工面くめんなけれならなかっ
かれ唯一ゆいいつ手段しゅだん今までいままで継続けいぞく自分じぶんしょく辞しじし
かれその行為こうい伴なっともなっ起るおこる必然ひつぜん結果けっか一時いちじ賜金しきん受取るうけとること出来でき
いちねん勤めれつとめれやくやめ月給げっきゅう半額はんがくくれるいう規定きてい従っしたがっかれ入っはいっその金額きんがく無論むろん大したたいしたものなかっ
けれどかれそれ漸とやっと日常生活にちじょうせいかつ必要ひつよう家具かぐ家財かざい調えととのえ
かれわずかばかりきんふところ或るある古いふるい友達ともだち一所いっしょ方々かたがた道具屋どうぐやなど歩いあるい
その友達ともだちまた品物しなもの如何いかがかかわらむやみあたい切り倒すきりたおすくせ有っあっいるかれただ歩くあるくため少なからすくなから時間じかん費やさついやさ
茶盆ちゃぼん烟草たばこぼん火鉢ひばち丼鉢どんぶりばち入るはいるものいくらあっ買えるかえる滅多めったなかっ
これだけ負けまけ置けおけ命令めいれいするよういっもし主人しゅじんその通りとおりない友達ともだち健三けんぞう店先みせさき残しのこしままさっさとさき歩いあるい行っいっ
健三けんぞう仕方なししかたなしあとついけんなけれならなかっ
たまに愚図々々ぐずぐずいるかれ大きなおおきなこえ出しだし遠くとおくから健三けんぞう呼んよん
かれ親切しんせつおとこあっ
同時どうじ自分じぶんもの買うかうほかもの買うかうその区別くべつ弁えわきまえないよう猛烈もうれつおとこあっ
五十九ごじゅうきゅう
健三けんぞうまた日常にちじょう使用しようする家具かぐそと本棚ほんだなつくえ新調しんちょうなけれならなかっ
かれ洋風ようふう指物さしもの渡世とせいするおとこ店先みせさき立ったっしきり算盤そろばん弾くひく主人しゅじん談判だんぱん
かれ誂えあつらえ本棚ほんだな硝子戸がらすと後部こうぶ着いついなかっ
塵埃じんあい積るつもるくらい懐中かいちゅう余裕よゆうないかれするところなかっ
よく枯れかれない重いおもい洋書ようしょ載せるのせる棚板たないた引けるひけるほど撓っしわっ
こんな粗末そまつ道具どうぐばかり揃えるそろえるさえかれすくなから時間じかん費やしついやし
わざわざ辞職じしょく貰っもらっきん何時なんじもうなくなっ
迂闊うかつかれ不思議ふしぎそう開いひらい索然さくぜんたるかれ新居しんきょ見廻しみまわし
そう外国がいこくいる衣服いふく作るつくる必要ひつよう逼らせまら同宿どうしゅくおとこから借りかりきんどう返しかえし好いよい分らわからなくなっしまっよう思い出しおもいだし
そこそのおとこからもし都合つごう付くつくなら算段さんだんもらいたいいう催促状さいそくじょう届いとどい
健三けんぞう新らしくあたらしく拵えこしらえ高いたかいつくえまえ坐っすわっ少時しょうじかれ手紙てがみ眺めながめ
わずかいいながら遠いとおいくに一所いっしょ暮しくらしそのひと記憶きおく健三けんぞう取っとっ淡いあわい新しあたらし帯びおび
そのひとかれ同じおなじ学校がっこう出身しゅっしんあっ
卒業そつぎょうねんそう違わちがわなかっ
けれど立派りっぱ役人やくにんある重要じゅうよう事項じこう取調とりしらべためいう名義めいぎした官命かんめい遣っつかっそのひと財力ざいりょく健三けんぞう給費きゅうひ殆んどほとんど比較ひかくならないほど懸隔けんかくあっ
かれ寝室しんしつそと応接間おうせつかん借りかり
よるなる繻子しゅす作っつくっ刺繍ししゅうある綺麗きれい寝衣ねまき暖かあたたかそう暖炉だんろまえ書物しょもつなど読んよん
北向きたむき狭苦しいせまくるしい部屋へや押し込めおしこめられよう凝とじっと竦んすくんいる健三けんぞうひそかかれ境遇きょうぐう羨んうらやん
その健三けんぞう昼食ちゅうしょく節約せつやく憐れあわれ経験けいけんさえあっ
あるかれひょう帰掛途中とちゅう買っかっサンドウィッチさんどうぃっち食いくいながら広いひろい公園こうえんなか目的もくてきなく歩いあるい
斜めななめ吹きかけるふきかけるあめ片々へんぺん持っもっかさぼうつつ片々へんぺん薄くうすく切っきっにくめん何度なんど頬張るほおばる非常ひじょう苦しかっくるしかっ
かれいくたびそのところあるベンチべんちこし卸そうおろそう躊躇ちゅうちょ
ベンチべんちあめため悉くことごとく濡れぬれある
あるかれまち買っかっビスケットびすけっとかんうまなる開いひらい
そうみず呑まのま硬くかたく脆いもろいものぼりぼり噛みかみ摧いくだいては生唾なまつばちから無理むり嚥み下しのみくだし
あるかれまた馭者ぎょしゃ労働者ろうどうしゃ一所いっしょ如何わしいいかがわしいいちぜん飯屋めしやかたちばかり食事しょくじ済ましすまし
そのところ腰掛こしかけ後部こうぶ高いたかい屏風びょうぶよう切立っきりたっいる普通ふつう食堂しょくどう如くごとく広いひろいむろ一目いちもく見渡すみわたすこと出来できなかっ自分じぶん一列いちれつ並んならんいるものかおだけ自由じゆう眺めながめられ
それみな何時なんじ入っはいっ分らわからないかおあっ
こんな生活せいかついる健三けんぞうこの同宿どうしゅくおとこさも気の毒きのどく映っうつっ見えみえかれ能くよく健三けんぞう午餐ごさん誘い出しさそいだし
銭湯せんとう案内あんない
ちゃ時刻じこく向うむこうから呼びよび
健三けんぞうかれからきん借りかりこうかれ大分おおいた懇意こんいなっことあっ
そのかれ反故ほご棄てるすてるよう無雑むざつさく態度たいど見せみせバンクばんくノートのーとばい健三けんぞう渡しわたし
なん返しかえしくれ無論むろんいわなかっ
健三けんぞうほう日本にっぽん帰っかえったらどうなるだろうくらい考えかんがえ
日本にっぽん帰っかえっ健三けんぞう能くよくこのバンクばんくノートのーとこと覚えおぼえ
けれど催促状さいそくじょう受取るうけとるまでそれほどきゅう返すかえす必要ひつよう来ようこよう思わおもわなかっ
行き詰っいきづまっかれ仕方なししかたなし一人ひとり旧いふりい友達ともだちところ出掛けでかけ行っいっ
かれその友達ともだち大したたいした金持かねもちないこと承知しょうち
しかし自分じぶんより少しすこし融通ゆうずう利くきく地位ちいあること呑み込んのみこん
友達ともだち果しはてしかれ請求せいきゅう容れいれ要るいるだけきんかれまえ揃えそろえくれ
かれ早速さっそくそれ外国がいこくおん受けうけひともと返しかえし行っいっ
新らしくあたらしく借りかり友達ともだちつきじゅうえんずつわり成しなし崩しくずし取っとっもらうこと極めきわめ
六十ろくじゅう
こんな具合ぐあい漸とやっと東京とうきょうおち付いつい健三けんぞう物質的ぶっしつてき自分じぶん如何にいかに貧弱ひんじゃく付いつい
それ金力きんりょく離れはなれほか方面ほうめんおい自分じぶんゆうものあるいう自覚じかく絶えたえかれこころ往来おうらいする幸福こうふくあっ
その自覚じかく遂についにきん問題もんだい色々いろいろ乱さみださくるかれ始めはじめ反省はんせい
平生へいぜい何心なにごころなく着けつけそと出るでるくろ木綿もめん紋付もんつけさえ無能力むのうりょく証拠しょうこよう思わおもわ出しだし
このおのれまた強請りねだり来るくるやついるから非道いひどい かれ最ももっともしつ悪いわるいそのしゅ代表者だいひょうしゃ島田しまだこと考えかんがえ
いま自分じぶんどの方角ほうがくから眺めながめ島田しまだより好いよい社会的しゃかいてき地位ちい占めしめいる明白めいはく事実じじつあっ
それかれ虚栄心きょえいしん少しすこし反響はんきょう与えあたえないまた明白めいはく事実じじつあっ
むかし自分じぶん呼び捨てよびすてひとからいまなっていねい挨拶あいさつ受けるうけるかれ取っとっなん満足まんぞくならなかっ
小遣こづかい財源ざいげんよう見込まみこまれる自分じぶん貧乏人びんぼうにん見傚しみなしいるかれ立場たちばからはら立つたつだけあっ
かれねんためあね意見いけん訊ねたずね
一体いったいどのくらい困っこまってるでしょうあのおとこそうそう度々たびたび無心むしんいっ来るくるようじゃ随分ずいぶん苦しいくるしい知れしれないけどけんちゃんってそうそうほかばかり貢いみついにゃ際限さいげんないからいくらきん取れとれってきんそんな取れるとれるよう見えみえますってたくなんぞ比べれくらべれ御前ごぜんさんきんいくら取れるとれるほうじゃない あね自分じぶんたく活計かっけい標準ひょうじゅん
そう変らかわら口数くちかず多いおおい彼女かのじょ比田ひでん月々つきづき貰うもらうもの満足まんぞく持っもっ帰っかえっれいないこと俸給ほうきゅう少ないすくないわり交際費こうさいひ要るいること宿直しゅくちょく多いおおい弁当べんとうだいだけ随分ずいぶんがく上るのぼること毎月まいつき不足ふそくやっと盆暮ぼんくれ賞与しょうよ間に合わまにあわいることなど詳しくくわしく健三けんぞう話しはなし聞かきか
その賞与しょうよってそっくりわたくし渡しわたしくれるじゃないからけど近頃ちかごろじゃ私たちわたくしたち二人ふたり隠居いんきょようもの月々つきづき食料しょくりょうひこさんほう遣っつかっまかないなっもらってるから少しすこしらくならなけりゃならないわけ 養子ようし経済けいざい別々べつべつながら一所いっしょいえ住んすんあね夫婦ふうふ自分じぶんたち搗いついもち自分じぶんたち買っかっ砂糖さとういう特別とくべつ食物しょくもつ有っあっ
自分じぶんたちところきゃく出すだす御馳走ごちそうなどきっと自分じぶんたち懐中かいちゅうから払うはらうこといるらしかっ
健三けんぞう殆んどほとんど考えかんがえ及ばおよばないよう眼付めつき極端きょくたん近いちかいいちしゅ個人こじん主義しゅぎした存在そんざいいるこの一家いっか経済けいざい状態じょうたい眺めながめ
しかし主義しゅぎ理窟りくつゆうないあねまたこれほど自然しぜん現象げんしょうなかっある
けんちゃんなんざこんな真似まねなくっ済むすむから好いよいやあそれうであるから稼ぎかせぎさいすりゃいくら欲しいほしいだけきん取れるとれる 彼女かのじょいうこと黙っだまっ聞いきいいる島田しまだなどどこ行っいっ分らわからなくなっしまいがちあっ
それ彼女かのじょ最後さいご付け加えつけくわえ
まあ好いよい面倒臭くめんどうくさくなったらそのうち都合つごう好いよい上げあげましょうなんいっ帰しかえししまえそれ蒼蠅さばえなら留守るす遣いつかい構うかまうことないから この注意ちゅうい如何にいかにあねらしく健三けんぞうみみ響いひびい
あねから要領ようりょうとくられなかっかれまた比田ひでん捉まえつかまえ同じおなじ質問しつもん掛けかけ
比田ひでんただ大丈夫だいじょうぶいうだけあっ
何しろなにしろ通りとおりあの地面じめん家作かさく有っあってるからそう困っこまっないことたしかさあそれ御藤おふじさんほうぬいさんほうからちゃんちゃん送金そうきんあるなん好いよい加減かげんこといっ来るくるないから放っはなっ置きおきなさい 比田ひでんいうことやっぱり好いよい加減かげん範囲はんい脱しだっしとくない上っ調子うえっちょうしもの相違そういなかっ
六十一ろくじゅういち
しまい健三けんぞう細君さいくん向っむかっ
一体いったいどういうだろういま島田しまだ実際じっさい境遇きょうぐうっていうあね訊いきい比田ひでん訊いきい本当ほんとうところ能くよく分らわからない 細君さいくんなさそうおっとかお見上げみあげ
彼女かのじょさんない大きなおおきなはら苦しくるしそう抱えかかえ朱塗しゅぬり船底ふなぞこまくらうえ乱れみだれあたま載せのせ
そんななさるなら御自分ごじぶんじか調べしらべ御覧ごらんなる好いよいじゃありませそうすれすぐ分るわかるでしょうあねさんっていまあのひと交際こうさいっていらっしゃらないからそんなかくこと知れしれいるはずない思いおもいますおのれそんなひまなんかないそれじゃ放っはなっ置きおきなれそれまででしょう 細君さいくん返事へんじおとこらしくないいう意味いみ健三けんぞう非難ひなんする調子ちょうしあっ
はら思っおもっいることそうむやみくち出しだしいわない性質せいしつ出来上っできあがっ彼女かのじょ自分じぶん生家せいかおっと面白くおもしろくない間柄あいだがらついさえ余りあまり言葉ことば現わしあらわしつべこべ弁じ立てべんじたてなかっ
自分じぶん関係かんけいない島田しまだことなどまるで知らしらないふり澄ましすましいる少なくすくなくなかっ
彼女かのじょ持っもっこころかがみ映るうつる神経質しんけいしつおっとかげいつも度胸どきょうない偏窟へんくつおとこあっ
放っはなっ置けおけ 健三けんぞう反問はんもん
細君さいくん答えこたえなかっ
今までいままでって放っはなっ置いおいてるじゃない 細君さいくんなお答えこたえなかっ
健三けんぞうぷい立ったっ書斎しょさい入っはいっ
島田しまだこと限らかぎら二人ふたりこういう光景こうけい能くよく繰り返さくりかえさ
その代りかわり前後ぜんご関係かんけい反対はんたい場合ばあい起っおこっ
ぬいさん脊髄せきずいやまいそう脊髄せきずいやまいじゃろくかしいでしょうとても助かるたすかる見込みこみないそれ島田しまだ心配しんぱいいるあのひと死ぬしぬ柴野しばの御藤おふじさんえん切れきれしまうから今までいままで毎月まいつき送っおくっくれれいきんなくなる知れしれないって可哀想かわいそういまから脊髄せきずいやまいなんぞ罹っかかっちゃまだ若いわかいでしょうおのれよりいちうえって話しはなしじゃない子供こどもあるなん沢山たくさんあるよう様子ようすいくひと能くよく訊いきいない 細君さいくん成人せいじんない多くおおく子供こどもあと遺しのこし死にしに行くいくまだ四十よんじゅう充たみたない夫人ふじん心持こころもち想像そうぞう描いえがい
間近まぢか逼っせまっわがさん結果けっか新たあらた気遣わきづかわ始めはじめ
じゅうそうはらまえながらそれほど心配しんぱいくれないおとこ気分きぶん情なくなさけなくありまた羨ましくうらやましくあっ
おっとまるで付かつかなかっ
島田しまだそんな心配しんぱいする必竟ひっきょう平生へいぜい悪いわるいからだろうなん嫌わいやわいるらしい島田しまだいわせるその柴野しばのいうおとこさけ食いでくいで喧嘩けんか早くはやくってそれ何時なんじまで経っきょうっ出世しゅっせ出来できなくっ仕方しかたないそうけれどどうそればかりじゃないらしいやっぱり島田しまだほう愛想あいそ尽かさつかさいるない愛想あいそ尽かさつかさなくったってそんな子供こども沢山たくさんあっちゃどうすること出来できないでしょうそう軍人ぐんじんから大方おおかたおのれ同じおなじよう貧乏びんぼういるだろう一体いったいあのひとどうその御藤おふじさんひと 細君さいくん少しすこし躊躇ちゅうちょ
健三けんぞう意味いみ解らわからなかっ
細君さいくんいい直しなおし
どうその御藤おふじさんひと懇意こんいなっでしょう 御藤おふじさんまだ若いわかい未亡人みぼうじんあっころなんようこきところなけれならないこと起っおこっ島田しまだそういう場所ばしょつけないおんな一人ひとり気の毒きのどく思っおもっ色々いろいろ親切しんせつ世話せわ遣っつかっ二人ふたり関係かんけい付くつく始まりはじまり健三けんぞう小さいちいさい時分じぶんだれから聴いきい知っしっ
しかし恋愛れんあいいう意味いみどう島田しまだ応用おうよう好いよいいまかれ解らわからなかっ
よく手伝ってつだっない 細君さいくんなんいわなかっ
六十二ろくじゅうに
不治ふじ病気びょうき悩まさなやまさいるいうぬいさんつい報知ほうち健三けんぞうこころ和げやわらげ
なんねんぶりかお合せあわせことないかれそのひと度々たびたび会わあわなけれならなかっむかしさえ殆んどほとんど親しくしたしくくち利いきいれいなかっ
せき着くつくきも立つたつとき大抵たいてい黙礼もくれい取りとりかえせるだけ済ましすまし
もし交際こうさいいう文字もじこんな間柄あいだがら使いつかい得るうるなら二人ふたり交際こうさい極めてきわめて淡くあわくそう軽いかるいものあっ
強烈きょうれつ好いよい印象いんしょうない代りかわり少しすこし不快ふかい記憶きおく濁さにごさないそのひと面影おもかげ島田しまだつねそれよりいまかれ取っとっ遥かはるか尊かっとうとかっ
人類じんるい対するたいする慈愛じあいこころ硬くかたくなりかけかれから唆りそそり得るうるてんおい
また漠然ばくぜん散漫さんまん人類じんるい比較的ひかくてき判明はんめい一人ひとり代表者だいひょうしゃ縮めちぢめくれるてんおい
かれ死のうしのういるそのひと姿すがた同情どうじょう開いひらい遠くとおく眺めながめ
それともかれむね一種いっしゅ害心がいしん働いはたらい
なん起るおこる知れしれないぬいさん狡猾こうかつ島田しまだまたかれ強請るねだる口実こうじつ与えるあたえるなかっ
明らかあきらかそれ予想よそうかれ出来る限りできるかぎりそれ避けさけたい思っおもっ
しかしかれこの場合ばあいどう避けるさける策略さくりゃく講ずるこうずるおとこなかっ
衝突しょうとつ破裂はれつするまで行くいくよりそと仕方しかたない かれこう観念かんねん
かれ拱いこまぬい島田しまだ来るくる待ち受けまちうけ
その島田しまだ来るくるまえ突然とつぜんかれてきつね訪ねたずね来ようこようかれ思い掛けおもいかけなかっ
細君さいくん何時もいつも通りとおり書斎しょさい坐っすわっいるかれまえあの波多野はたのってばあさんとうとう遣っつかっましいっ
かれ驚ろくおどろくよりむしろ迷惑めいわくそうかお
細君さいくんその態度たいど愚図々々ぐずぐずいる臆病おくびょうものよう見えみえ
会いあいなります それ会うあうなら会うあう断ることわるなら断ることわる早くはやくどっち極めきわめたら好かろうよかろういう言葉ことば遣いつかいほうあっ
会うあうから上げろあげろ かれ島田しまだ同じおなじ挨拶あいさつ
細君さいくん重苦しおもくるしそう起しおこしおく立ったっ
座敷ざしきかれ粗末そまつ衣服いふく纏っまとっ丸まっちくまるまっちく坐っすわっいる一人ひとりばあさん
かれこころ想像そうぞうつね全くまったく変っかわっいるその質朴しつぼく風采ふうさい島田しまだより遥かはるか強くつよくかれ驚ろかしおどろかし
彼女かのじょ態度たいど島田しまだ比べるくらべるむしろ反対はんたいあっ
彼女かのじょまるで身分みぶん懸隔けんかくあるひとまえよう様子ようすていねいあたま下げさげ
言葉ことばけん慇懃いんぎん極めきわめものあっ
健三けんぞう小供こども時分じぶん能くよく聞かさきかさ彼女かのじょ生家せいかはなし思い出しおもいだし
田舎いなかあっその住居じゅうきょ庭園ていえん彼女かのじょ叙述じょじゅつよるぜん尽しつくし尽しつくし立派りっぱものあっ
ゆかしたみず縦横じゅうおう流れながれいるいう特色とくしょく彼女かのじょ何時なんじ繰り返すくりかえす重要じゅうようてんあっ
南天なんてんはしらそういう言葉ことばまだ健三けんぞうみみ残っのこっ
しかし小さいちいさい健三けんぞうその宏大こうだい屋敷やしきどこ田舎いなかあるまるで知らしらなかっ
それから一度いちどそのところ連れつれ行かいかさとしなかっ
彼女かのじょ自身じしん健三けんぞう知っしっいる限りかぎり一度いちど自分じぶん生れうまれその大きなおおきないえ帰っかえっことなかっ
彼女かのじょ性格せいかく朧気おぼろきながら見抜くみぬくようかれ批評ひひょうだんだん肥えこえかれそれまた彼女かのじょ空想くうそうから出るでるれい法螺ほらない考え出しかんがえだし
健三けんぞう自分じぶん出来るだけできるだけ富有ふゆう上品じょうぼんそして善良ぜんりょう見せみせたがっそのおんないまかれまえ畏まっかしこまっ坐っすわっいる白髪頭しらがあたまばあさん比較ひかく時間じかん齎しもたらし対照たいしょう不思議ふしぎそう注いそそい
つねむかしから肥りふとりにくおんなあっ
いま見るみるつね依然いぜん肥っふとっ
どっちいうむかしよりいまほうかえって肥っふとっまい疑れうたぐれくらいあっ
それかかわら彼女かのじょ全くまったく変化へんか
どこから田舎育ちいなかそだちばあさんあっ
多少たしょう誇張こちょういえかご入れいれ麦焦しむぎこがし背中せなか脊負っせおっ近在きんざいから来るくるばあさんあっ
六十三ろくじゅうさん
ああ変っかわっ かお見合せみあわせ刹那せつな双方そうほう同じおなじこと一度いちど感じ合っかんじあっ
けれどわざわざ訪ねたずねつねほうこの変化へんか対するたいする予期よき準備じゅんび充分じゅうぶんあっ
ところ健三けんぞうそれ殆んどほとんど欠けかけ
従っしたがっ不意ふい打たうたものきゃくよりむしろ主人しゅじんあっ
それ健三けんぞう大してたいして驚ろいおどろい様子ようす見せみせなかっ
かれ性質せいしつかれそうしろ命令めいれいするそとかれつね技巧ぎこうから溢れ出るあふれでる戯曲ぎきょくまと動作どうさ恐れおそれ
今更いまさらこのおんな遣るやる芝居しばいこと新らしくあたらしくかんられるかれ取っとっ堪えこらえがたい苦痛くつうあっ
なるべくならかれ先方せんぽう弱点じゃくてん未然みぜん防ぎふせぎたかっ
それ彼女かのじょためありまた自分じぶんためあっ
かれ彼女かのじょから今までいままで経歴けいれきあらまし聞き取っききとっ
その人世じんせい切り離すきりはなすこと出来できない多少たしょう不幸ふこう相応そうおう纏綿てんめんいるらしく見えみえ
島田しまだ別れわかれから度目どめよめづい波多野はたの彼女かのじょ生れうまれなかっ二人ふたりあるところから養女ようじょ貰っもらっそれ育てるそだてること
波多野はたの死んしんなんねんあるいはまだ生きいきいる時分じぶんそれつねいわなかっその貰いもらいむすめ養子ようしある
養子ようし商売しょうばい酒屋さかやあっ
みせ東京とうきょううち随分ずいぶん繁華はんかところあっ
どのくらい程度ていど活計かっけいもの能くよく分らわからない困っこまっ窮しきゅうしいう弱いよわい言葉ことばつねくち洩れもれなかっ
そのうち養子ようし戦争せんそう死んしんおんなだけみせ持ちもち切れきれなくなっ
親子おやこやむそれ畳んたたん郊外こうがい近くちかく住んすんいるあるえん頼りたよりずっと辺鄙へんぴところ引越しひっこし
そのところむすめ度目どめおっと出来るできるまで死んしん養子ようし遺族いぞく毎年まいとし下がるさがる扶助ふじょりょうだけ活計かっけい立てたて行っいっ
 つね物語りものがたり健三けんぞう予期よき反しはんしむしろ平静へいせいあっ
誇張こちょう身ぶりみぶり仰山ぎょうさん言葉ことばけんとうこみ台詞せりふそれほど多くおおくなかっ
それかかわらかれ自分じぶんこのばあさん少しすこし気脈きみゃく通じつうじないこと付いつい
ああそうですそれどう 健三けんぞう挨拶あいさつ簡単かんたんあっ
普通ふつうじゅ答えこたえたん過ぎるすぎるこの一句いっく彼女かのじょ与えあたえぎりかれ別段べつだんもの足りたり感じかんじとくなかっ
むかし因果いんがいまやっぱり祟ったたっいる こう思っおもっかれさすが好いよい心持こころもちなかっ
どっちいう泣きなきたがらないしつ生れうまれながら時々ときどき何故なぜ本当ほんとう泣けるなけるひと泣けるなける場合ばあい自分じぶんまえくれない考えるかんがえるかれ持前もちまえあっ
おのれ何時なんじなみだ湧いわい出るでるよう出来できいる かれ丸まっちくまるまっちくなっ座蒲団ざふとんうえ坐っすわっいるばあさん姿すがた熟視じゅくし
そう自分じぶんなみだ宿すやどすこと許さゆるさない彼女かのじょ性格せいかく悲しくかなしく観じかんじ
かれ紙入かみいれなかあっえん紙幣しへい出しだし彼女かのじょまえ置いおい
失礼しつれいですくるま乗っのっ帰りかえり下さいください 彼女かのじょそういう意味いみ訪問ほうもんないいっ一応いちおう辞退じたいうえ健三けんぞうから贈りものおくりもの受け納めうけおさめ
気の毒きのどくことその贈り物おくりものなか疎いうとい同情どうじょう入っはいっいるだけ露わあらわ真心まごころ籠っこもっなかっ
彼女かのじょそれ能くよく承知しょうちいるよう見えみえ
そう何時なんじ離れ離れはなればなれなっ人間にんげんこころこころ今更いまさら取り返しとりかえし付かつかないものからたいらめよりそと仕方しかたないいうかぜふるまっ
かれ玄関げんかん立ったっつね帰っかえっ行くいく後姿うしろすがた見送っみおくっ
もしあのれんばあさん善人ぜんにんあっならわたくし泣くなくこと出来できたろう泣けなけないまで相手あいてこころもっと満足まんぞくせること出来できたろう零落れいらくむかし養い親やしないおや引き取っひきとっ死水しにみず取っとっ遣るやること出来できたろう 黙っだまっこう考えかんがえ健三けんぞうはらなかだれ知るしるものなかっ
六十四ろくじゅうよん
とうとう遣っつかっばあさん今までいままでじいさんだけだっじいさんばあさん二人ふたりなっこれから二人ふたり祟らたたられるです貴夫たかお 細君さいくん言葉ことば珍らしくめずらしくいぬい燥いかわい
笑談しょうだん付かつか冷評れいひょう付かつかないその態度たいど感想かんそう沈んしずん健三けんぞう気分きぶん不快ふかい刺戟しげき
かれなん答えこたえなかっ
またあのこといっでしょう 細君さいくん同じおなじ調子ちょうし健三けんぞう訊いきい
あのことなん貴夫たかお小さいちいさいうち小便しょうべんあのばあさん困らしこまらしたってこと 健三けんぞう苦笑くしょうさえなかっ
けれどかれはらなかつね何故なぜそれいわなかっ疑問ぎもん既にすでに横わっよこたわっ
彼女かのじょ名前なまえ聞いきい刹那せつな健三けんぞうすぐその弁口べんこう思い到っおもいいたっくらいつね能くよく喋舌るしゃべるおんなあっ
こと自分じぶん護るまもること巧みたくみ技倆ぎりょう有っあっ
ほか口車くちぐるま乗せのせられやすいまた見え透いみえすい御世辞ごせじ嬉しうれしがりがち健三けんぞう実父じっぷ何時なんじ彼女かのじょ賞めるほめること忘れわすれなかっ
感心かんしんおんないち身上しんじょうもち好いよいから 島田しまだ家庭かてい風波ふうは起っおこっ彼女かのじょあるだけ言葉ことばちちまえ並べ立てならべたてて
そうその言葉ことばうえまた悲しいかなしいなみだ口惜しいくやしいなみだ多量たりょう振り掛けふりかけ
ちち全くまったく感動かんどう
すぐ彼女かのじょ味方みかたなっしまっ
御世辞ごせじ上手じょうずいうてんおい健三けんぞうちちかれあね大変たいへん可愛かわいがっ
無心むしんられるたんびそうそうおのれって困るこまるなんいいながらいつ入用にゅうようだけ金子かねこ手文庫てぶんこから取出さとりださ
比田ひでんあんなやつなつ愛想あいそから あね帰っかえっあとちち何時なんじ弁解べんかいらしい言葉ことばそばもの聞こえるきこえるよういっ
しかしこれほどちち自由じゆうあね口先くちさきつね比べるくらべる遥かはるか下手へたあっ
真ししんしいうてんおい遠くとおく及ばおよばなかっ
実際じっさい十六じゅうろくなななっ健三けんぞう彼女かのじょ接触せっしょく自分じぶん以外いがいもの果してはたしてその性格せいかく見抜いみぬいもの何人なんにんあるだろう一時いちじ疑っうたがっくらい彼女かのじょくち旨かっうまかっ
彼女かのじょ会うあうとき健三けんぞう心中しんじゅう迷惑めいわく感じかんじ大部分だいぶぶんこのくちあっ
御前ごぜん育てそだてものこのわたくし この一句いっく時間じかんさん時間じかん布衍ふえん幼少ようしょう時分じぶんおんなっ記憶きおくまた新らしくあたらしく復習ふくしゅうられる思うおもうかれ辟易へきえき
島田しまだ御前ごぜんてき 彼女かのじょ自分じぶんあたまなか残っのこっいるこの古いふるい主観しゅかん活動かつどう写真しゃしんよう誇張こちょうまたかれまえけ出すけだす極っきょくっ
かれそれ辟易へきえきないわけ行かいかなかっ
どっち聴くきくなみだこうなかっ
かれ装飾そうしょくまと使用しようれるそのなみだ見るみる堪えこらえないよう心持こころもち
彼女かのじょ話すはなすあねよう大きなおおきなこえ出すだすおんななかっ
けれど自分じぶん必要ひつよう思うおもう場合ばあいその言葉ことばいやらしい強いつよいちから入れいれ
円朝えんちょう人情にんじょうはなし来るくるおんな長いながい火箸ひばしはいなか突き刺しつきさし突き刺しつきさしほか騙さだまさはん述べのべ相手あいて困らこまらせるほぼ同じおなじ態度たいどまた同じおなじ口調くちょうあっ
かれ予期よき外れはずれかれそれ仕合せしあわせ考えるかんがえるよりむしろ不思議ふしぎ思うおもうくらいつね性格せいかくろう崩すくずすべからざる判明はんめい一種いっしゅかたなっかれあたまどこ入っはいっある
細君さいくんかれため説明せつめい
三十さんじゅうねん近くちかくなる古いふるいことじゃありませ向うむこうっていまなりゃ少しすこし遠慮えんりょあるでしょうそれ大抵たいていひともう忘れわすれしまいまさあそれから人間にんげん性質せいしつって長いながい少しすこしずつ変っかわっ行きいきますから 遠慮えんりょ忘却ぼうきゃく性質せいしつ変化へんかそれものまえ並べならべ考えかんがえ健三けんぞう少しすこし合点がてん行かいかなかっ
そんな淡泊たんぱくおんなじゃない かれはらなかこういわなけれどう承知しょうち出来できなかっ
六十五ろくじゅうご
つね知らしらない細君さいくんかえっておっと執拗しつよう笑っわらっ
それ貴方あなたくせから仕方しかたない 平生へいぜい彼女かのじょ映るうつる健三けんぞう一部分いちぶぶんたしかこうあっ
ことかれ自分じぶん生家せいか関係かんけいついおっとこの悪いわるいくせ著るきるしくいるよう彼女かのじょ思っおもっ
己がおのれが執拗しつようじゃないあのおんな執拗しつようあのおんな交際こうさいことない御前ごぜんおのれ批評ひひょう正しただし加減かげん解らわからないからそんなあべこべいうって現にげんに貴夫たかお考えかんがえおんなまるで違っちがっひとなっ貴夫たかおまえ以上いじょう貴夫たかおほうむかし考えかんがえ取り消すとりけす当然とうぜんじゃありませ本当ほんとう違っちがっひとなっなら何時なんじ取り消すとりけすそうじゃない違っちがっ上部じょうぶだけはらなか通りとおりそれどう分るわかる新らしいあたらしい材料ざいりょう何になんにない御前ごぜん分らわからないおのれちゃんと分っわかってる随分ずいぶん独断どくだんまと貴夫たかお批評ひひょう中っちゅうっさえいれ独断どくだんまと一向いっこう差支さしつかえないものしかしもし中っちゅうっなけれ迷惑めいわくするひと大分おおいた来るくるでしょうあのばあさんわたくし関係かんけいないひとからどう構いかまいませけれど 健三けんぞう細君さいくん言葉ことばなん意味いみいる能くよく解っわかっ
しかし細君さいくんそれ以上いじょうなんいわなかっ
はらなか自分じぶん父母ふぼ兄弟きょうだい弁護べんごいる彼女かのじょひょうむかいおっと遣り合っやりあっ行けるいけるところまで行くいくなかっ
彼女かのじょ理智りち富んとん性質せいしつなかっ
面倒めんどう臭いくさい 少しすこし込み入っこみいっ議論ぎろん筋道すじみち辿らたどらなけれならなくなる彼女かのじょきっとこういっ当面とうめん問題もんだい投げなげ
そう解決かいけつ付けるつけるまで進ますすまないため起るおこる面倒臭めんどうしゅう何時なんじまで辛抱しんぼう
しかしその辛抱しんぼう自分自身じぶんじしん取っとっ決してけっして快よいこころよいものなかっ
健三けんぞうから見るみるなおさら心持こころもち悪かっわるかっ
執拗しつよう執拗しつよう 二人ふたり両方りょうほう同じおなじ非難ひなん言葉ことばたがいうえ投げかけなげかけ合っあっ
そうたがいはらなかあるとぐろまりたがいもとぶりから能くよく読んよん
しかもその非難ひなん理由りゆうあることまたたがい認め合わみとめあわなけれならなかっ
我慢がまん健三けんぞう遂についに細君さいくん生家せいか行かいかなくなっ
何故なぜ行かいかない訊かきかまた時々ときどき行っいっくれ頼またのまただ黙っだまっ細君さいくん依然いぜん面倒めんどう臭いくさいこころなか繰り返すくりかえすぎり少しすこしその態度たいど改めようあらためようなかっ
これ沢山たくさんおのれこれ沢山たくさん また同じおなじ言葉ことば双方そうほうむねうちしばしば繰り返さくりかえさ
それ護謨ごむひもよう弾力性だんりょくせいある二人ふたり間柄あいだがらよりよっ多少たしょう伸縮しんしゅくあっ
非常ひじょう緊張きんちょう何時なんじ切れるきれる分らわからないほど行き詰っいきづまっ思うおもうそれまた自然しぜんいきおい徐々じょじょもと戻っもどっ
そう日和ひより好いよい精神せいしん状態じょうたい少しすこし継続けいぞくする細君さいくんくちびるから暖かいあたたかい言葉ことば洩れもれ
これだれ 健三けんぞう握っにぎっ自分じぶんはらうえ載せのせ細君さいくんかれこんなもん掛けかけたり
そのころ細君さいくんはらまだいまよう大きくおおきくなかっ
しかし彼女かのじょこの既にすでに自分じぶん胎内たいない蠢めきうごめき掛けかけなま脈搏みゃくはく感じかんじ始めはじめその微動びどう同情どうじょうあるおっと指頭しとう伝えようつたえようある
喧嘩けんかするつまり両方りょうほう悪いわるいからです 彼女かのじょこんなこといっ
それほど自分じぶん悪いわるい思っおもっない頑固がんこ健三けんぞう微笑びしょうするよりそと仕方しかたなかっ
離れれはなれれいくら親しくしたしくってそれぎりなる代りかわり一所いっしょさえすれたといてき同志どうしどうかこうなるものつまりそれ人間にんげんだろう 健三けんぞう立派りっぱ哲理てつり考え出しかんがえだしようくび捻っひねっ
六十六ろくじゅうろく
つね島田しまだこと以外いがいあにあね消息しょうそく折々おりおり健三けんぞうみみ入っはいっ
毎年まいとし時候じこう寒くさむくなるきっと身体しんたい故障こしょう起るおこるあに秋口あきぐちからまた風邪かぜ引いひいいち週間しゅうかんほどきょく休んやすん揚句あげく気分きぶん悪いわるい押しおし出勤しゅっきん結果けっかいく経っきょうっねつ除れとれない苦しんくるしん
つい無理むりするもんから 無理むり月給げっきゅう寿命じゅみょう長くながくする養生ようじょう免職めんしょく時期じき早めるはやめるかれうちどっち択ぶえらぶよりそと仕方しかたないよう見えみえある
どう肋膜ろくまくらしいっていう かれ心細いこころぼそいかお
かれ恐れおそれ
にく消滅しょうめつつい何人なんにんより強いつよい畏怖いふねん抱いいだい
そう何人なんにんより強いつよい速度そくどその肉塊にくかい減らしへらし行かいかなけれならなかっ
健三けんぞう細君さいくん向っむかっいっ
もう少しすこし平気へいき休んやすんられないもの責めせめねつ失くなるなくなるまで好いよいからそうたい山々やまやまでしょうけれどやッぱりやっぱりそう出来できないでしょう 健三けんぞう時々ときどきあに死んしんあと家族かぞくただ活計かっけい方面ほうめんからのみ眺めるながめることあっ
かれそれ残酷ざんこくながら自然しぜん眺めながめほう許しゆるし
同時どうじそういう観察かんさつから逃れるのがれること出来できない自分じぶん対したいし一種いっしゅ不快ふかい感じかんじ
かれ苦いにがいしお嘗めなめ
死にしにやしまいまさか 細君さいくん取り合わとりあわなかっ
彼女かのじょただ自分じぶん大きなおおきなはら持て余しもてあましばかり
生家せいか縁故えんこある産婆さんば遠いとおいところからくるま乗っのっ時々ときどきけん
かれその産婆さんばなんまたなん帰っかえっ行くいく全くまったく知らしらなかっ
はら揉むもむまあそうです 細君さいくんはかばかしい返事へんじさえなかっ
そのうちあにねつころり除れとれ
祈祷きとうなすっですって 迷信めいしんいえ細君さいくん加持かじ祈祷きとう占いうらないかみ信心しんじん大抵たいていこと好いよい
御前ごぜん勧めすすめだろういいえそれわたくしなんぞ知らしらないみょう祈祷きとうなん髪剃かみそりあたまうえ載せのせ遣るやるですって 健三けんぞう髪剃かみそり御蔭みかげこじらし体熱たいねつ除れようとれよう思えおもえなかっ
せいねつ出るでるからせいそれまたじか除れるとれるだろう髪剃かみそりなくったって杓子しゃくし鍋蓋なべぶた同じおなじことしかしいくら医者いしゃくすり飲んのん癒らなおらないもんから試しためし遣っつかったらどうだろうって勧めすすめられとうとう遣る気やるきなっですってどうせ高いたかい祈祷きとうだい払っはらっじゃないでしょう 健三けんぞうはらなかあに馬鹿ばか思っおもっ
またねつ除れるとれるまでくすり飲むのむこと出来できないかれ内状ないじょう気の毒きのどく思っおもっ
髪剃かみそり御蔭みかげなんねつ除れとれさえすれまず仕合せしあわせ思っおもっ
あに癒るなおるともあねまた喘息ぜんそく悩みなやみ出しだし
また 健三けんぞうわれ知らしらこういっふと女房にょうぼう持病じびょうない比田ひでん様子ようす想いおもい浮べうかべ
しかし今度こんど何時もいつもより重いおもいですってことよるろくかしい知れしれないから健三けんぞう見舞みまい行くいくようそういっくれってあおぐまし あに注意ちゅうい健三けんぞう伝えつたえ細君さいくん重苦しおもくるしそう自分じぶんしりたたみうえ着けつけ
少しすこし立ったっいる御腹おなか具合ぐあいへんなっ仕方しかたないですなんぞ延ばしのばしたな載っのっいるものなんかとても取れとれやしませ さん逼るせまるほど妊婦にんぷ運動うんどうべきものくらい考えかんがえ健三けんぞう意外いがいかお
下腹部かふくぶこし周囲しゅうい感じかんじどんな退たいある全くまったくかれ想像そうぞうそとあっ
かれ活動かつどう強いるしいる勇気ゆうき自信じしん失なっうしなっ
わたくしとても御見舞おみまい参れまいれませ無論むろん御前ごぜん行かいかなくっ好いよい己がおのれが行くいくから
六十七ろくじゅうなな
そのころ健三けんぞうたく帰るかえる甚しいはなはだしい倦怠けんたい感じかんじ
ただ仕事しごと結果けっかばかり考えかんがえられないこの疲労ひろう一層いっそうかれ不精ぶしょう
かれよくひる
つくえ倚っよっ書物しょもつまえ開けあけいるすら睡魔すいま襲わおそわれることしばしばあっ
愕然がくぜんかりゆめから覚めさめ失わうしなわ時間じかん取り返さとりかえさなけれならないいう感じかんじ一層いっそう強くつよくかれさしげき
かれ遂についにつくえまえ離れるはなれること出来できなくなっ
括り付けくくりつけられひとよう書斎しょさい凝とじっと
かれ良心りょうしんいくら勉強べんきょう出来できなくっいくら愚図々々ぐずぐずそういうかぜ凝とじっと坐っすわっいろかれ命令めいれいするある
かくよん徒らいたずら過ぎすぎ
健三けんぞう漸くようやく守坂まもるさか出掛けでかけろくかしい知れしれないいっあねもう回復期かいふくき向っむかっ
まあ結構けっこうです かれ尋常じんじょう挨拶あいさつ
けれどはらなかきつね抓まつままよう
ああ御蔭みかげさま姉さんあねさんなんざ生きいきってどうせほか厄介やっかいなるばかりなんやく立たたたないから好いよい加減かげん時分じぶん死ぬしぬ丁度ちょうど好いよいけれどやっぱり持っもっ生れうまれ寿命じゅみょう見えみえこればかり仕方しかたない あね自分じぶんいううら健三けんぞうから聴きききたい様子ようすあっ
しかしかれ黙っだまっ烟草たばこ吹かしふかし
こんな些細ささいてん姉弟してい気風きふう相違そうい現われあらわれ
比田ひでんいるうちいくら病身びょうしん無能むのうわたくし生きいき遣らやらない困るこまるから 親類しんるい亭主ていしゅ孝行こうこういうあね評しひょうし合っあっ
それ女房にょうぼう心尽しこころづくしなど対したいし余りあまり無頓着むとんちゃく過ぎるすぎる比田ひでん一方いっぽう置いおいこのあね態度たいど見るみるむしろ気の毒きのどくくらい親切しんせつだっからある
私ゃわたしゃ本当ほんとうそん生れうまれ良人おっとまるであべこべから あねおっと思いおもい全くまったく天性てんせいなかっ
けれど比田ひでん徹らとおらない我儘わがままいい募るつのるよう彼女かのじょわけ解らわからない実意じついたてかえっておっといやがらせることあっ
それ彼女かのじょ縫針ぬいはりみち心得こころえなかっ
手習てならい遊芸ゆうげい仕込んしこんなんいち覚えるおぼえること出来できなかっ彼女かのじょよめから今日きょうまでついぞおっと着物きものいちばい縫っぬっれいなかっ
それ彼女かのじょ人一倍ひといちばい勝気かちきおんなあっ
子供こども時分じぶん強情ごうじょ張っちょうっばつ土蔵どぞうなか押し込めおしこめられ小用こよう行きいきたいから是非ぜひ出しだしくれもし出さださなけれくらなかよう足すたす好いよいいっ網戸あみど内外ないがいはは論判ろんぱんはなしいまだ健三けんぞうみみ残っのこっ
そう思うおもう自分じぶん大変たいへん懸けかけ隔っへだたっようそのじつどこ似通っにかよっところあるこのはらあねまえかれ反省はんせい強いつよいられ
あねただ露骨ろこつだけ教育きょういくかわ剥けむけおのれって大したたいした変りかわりない 平生へいぜいかれ教育きょういくちから信じしんじ過ぎすぎ
いまかれその教育きょういくちからどうすること出来できない野生的やせいてき自分じぶん存在そんざい明らかあきらか認めみとめ
かく事実じじつうえおい突然とつぜん人間にんげん平等びょうどうかれ不断ふだんから軽蔑けいべつあね対したいし多少たしょう極りきまり悪いわるいおもうなけれならなかっ
しかしあね何になんに付かつかなかっ
じゅうさんどうですもうじか生れるうまれるだろうええおちこちそうはら苦しくるしがっます御産ごさん苦しいくるしいもんからわたくしさとしある 久しくひさしく不妊ふにんせい思わおもわあね片付いかたづいなんねんなっ始めてはじめて一人ひとり男の子おとこのこ生んうん
年歯ねんし取っとっから初産ういざんだっ当人とうにんそばもの大分おおいた心配しんぱいわりそれほど危険きけんなく胎児たいじ分娩ぶんべんそのすぐ死んしんしまっ
軽はずみかるはずみないよう用心ようじんおしたく彼子かれこいる少しすこし依怙えこなる
六十八ろくじゅうはち
あね言葉ことばむかし亡くしなくしわが対するたいする思い出おもいでそといま養子ようし飽き足らあきたらない意味いみ含まふくま
ひこちゃんもう少しすこし確乎かっこくれる好いよいけれど 彼女かのじょ時々ときどきそばものこんな述懐じゅっかい洩らしもらし
ひこちゃん彼女かのじょ予期よきするよう大したたいした働き手はたらきてないせよ至極しごく穏やかおだやか好人物こうじんぶつあっ
朝っぱらあさっぱらからさけ飲まのまなくっちゃられないひといううわさみみことあるそのほかてんつい深いぶかい交渉こうしょうゆうない健三けんぞうどこ不足ふそく能くよく解らわからなかっ
もう少しすこしきん取っとっくれる好いよいけど 無論むろんひこちゃん養父母ようふぼらく養えるやしなえるだけ収入しゅうにゅうとくなかっ
しかし比田ひでんあねかれ育てそだてこと思えおもえ今更いまさらそんな贅沢ぜいたくいえ義理ぎりなかっ
かれひこちゃんどこ学校がっこう入れいれ遣らやらなかっ
わずかばかりかれ月給げっきゅう取るとるようなっ養父母ようふぼ取っとっむしろ僥倖ぎょうこういわなけれならなかっ
健三けんぞうあね不平ふへい対したいし見えるみえるほど注意ちゅうい払いはらいかね
むかし死んしん赤ん坊あかんぼうついなおこと同情どうじょう起らおこらなかっ
かれそのなまかおことなかっ
その死顔しにがお知らしらなかっ
名前なまえさえ忘れわすれしまっ
なんいいましあの作太郎さくたろうあすこ位牌いはいある あね健三けんぞうため茶の間ちゃのまかべ切り抜いきりぬい拵えこしらえ小さいちいさい仏壇ぶつだん指し示しさししめし
薄暗いうすぐらいばかりなく小汚ないこぎたないそのなか先祖せんぞから位牌いはいろく並んならん
あの小さいちいさいやつそうですああ赤ん坊あかんぼうからわざと小さくちいさく拵えこしらえ 立ったっ行っいっ戒名かいみょう読むよむならなかっ健三けんぞうやはりところ坐っすわっまま黒塗くろぬりうえ金字きんじ書いかい小形おがたさつようもの遠くとおくから眺めながめ
かれかおなん表情ひょうじょうなかっ
自分じぶん番目ばんめむすめ赤痢せきり罹っかかっもう少しすこしいのち奪らとられるところだっ心配しんぱい苦痛くつうさえ聯想れんそうとくなかっ
姉さんあねさんこんなじゃ何時なんじああなる分らわからないけんちゃん 彼女かのじょ仏壇ぶつだんから放しはなし健三けんぞう
健三けんぞうわざとその視線しせん避けさけ
心細いこころぼそいことくちながらはらなか決してけっして死ぬしぬ思っおもっない彼女かのじょいい草いいぐさ世間せけんなみ年寄としより少しすこしおもむきこといるところあっ
慢性まんせい病気びょうきなんまで継続けいぞくするよう慢性まんせい寿命じゅみょうまた何時なんじまで継続けいぞくするだろう彼女かのじょ見えみえある
そのところ彼女かのじょ癇性かんしょう手伝ってつだっ
彼女かのじょどんな息苦しくいきぐるしくっていくらほかから忠告ちゅうこくどうながらよう足そうたそういわなかっ
這うはうようかわやまで行っいっ
それから子供こどもから習慣しゅうかんあさきっとはだぬけなっ手水ちょうず遣っつかっ
寒いさむいかぜ吹こうふこう冷たいつめたいあめ降ろうふろう決してけっしてやめなかっ
そんな心細いこころぼそいこといわ出来るだけできるだけ養生ようじょうたら好いよいでしょう養生ようじょういるけんちゃんから貰うもらう小遣こづかいなか牛乳ぎゅうにゅうだけきっと飲むのむこと極めきわめいるから 田舎いなかものべいめし食うくうよう彼女かのじょ牛乳ぎゅうにゅう飲むのむ凡てすべて養生ようじょうあるようこといっ
損なわそこなわ行くいくわが健康けんこう意識いしきつつこのあね養生ようじょう勧めるすすめる健三けんぞうこころなか他事たじじゃないいう馬鹿ばからし遠くとおくはたらけ
わたくし近頃ちかごろ具合ぐあい悪くわるくってことよる貴方あなたより早くはやく位牌いはいなる知れしれませ かれ言葉ことば無論むろんない笑談しょうだんあねみみ響いひびい
かれそれ承知しょうちうえわざと笑っわらっ
しかし自らみずから健康けんこう損いそこないつつあるかく心得こころえながらそれどうすること出来できない境遇きょうぐう置かおかかれあねよりかえって自分じぶんほう憐んあわれん
おのれ黙っだまっ成しなし崩しくずし自殺じさつする気の毒きのどくいっくれるもの一人ひとりありゃない かれそう思っおもっあね凹みへこみ込んこん痩けこけほおにくない細いほそい微笑びしょうながら
六十九ろくじゅうきゅう
あね細かいこまかいところ付くつくおんなあっ
従っしたがっ細かいこまかいことまでよく好奇心こうきしんはたらけたがっ
一面いちめんおい馬鹿ばか正直しょうじき彼女かのじょ一面いちめんおいまたへん廻りまわり出すだすくせ有っあっ
健三けんぞう外国がいこくから帰っかえっ彼女かのじょ自家じか生計せいけいついほか同情どうじょう訴えうったえ得るうるよう憐れあわれっぽい事実じじつかれまえ並べならべ
しまいあにくち借りかりいくら好いよいから月々つきづき自分じぶん小遣こづかい送っおくっくれまいいう依頼いらい持ち出しもちだし
健三けんぞう身分みぶん相応そうおうがく定めさだめうえまたあにきょう先方せんぽうそのむね通知つうちもらうこと
するあねから手紙てがみ
ながさんはなし御前ごぜんさん月々つきづきいくらいくらわたくし遣るやるいうこと実際じっさい御前ごぜんさん呉れるくれるいっ金高きんだかどのくらいながさん内所ないしょちょっと知らしらくれない書いかいあっ
あねこれから毎月まいつきなか取次とりつぎするやく当るあたる知れしれないあに心事しんじ疑ぐっうたぐっある
健三けんぞううま鹿しか々々しく思っおもっ
はらたてしく感じかんじ
しかしなんよりさき浅間あさましかっ
黙っだまっいろ怒鳴り付けどなりつけ遣りやりたくなっ
かれあね宛てあて返事へんじいちばい端書はしがき過ぎすぎなかっけれどこうかれ気分きぶん能くよく現わしあらわし
あねそれぎりなんいっなかっ
無筆むひつ彼女かのじょ最初さいしょ手紙てがみさえほか頼んたのん書いかいもらっある
この出来事できごと健三けんぞう対するたいするあねまえより一層いっそう遠慮えんりょがち
なん訊きききたがる彼女かのじょ健三けんぞう家庭かていつい当り障りあたりさわりないことそと多くおおくくち開かひらかなかっ
健三けんぞう自分じぶん夫婦ふうふ間柄あいだがら彼女かのじょまえ問題もんだいしようなどかつて想い到らおもいいたらなかっ
近頃ちかごろじゅうさんどうまあそう変らかわらです 会話かいわこのくらい切り上げきりあげられる場合ばあい多かっおおかっ
間接かんせつ細君さいくん病気びょうき知っしっいるあね質問しつもん好奇心こうきしん以外いがい親切しんせつから来るくる懸念けねん大分おおいた交っかっ
しかしその懸念けねん健三けんぞう取っとっなんやく立たたたなかっ
従っしたがっ彼女かのじょ見えるみえる健三けんぞう何時もいつも親しみしたしみがたい無愛想むあいそ変人へんじん過ぎすぎなかっ
淋しいさびしい心持こころもちあねいえ健三けんぞうあし任せまかせきたきた歩いあるい行っいっ
そうついぞことない新開地しんかいちよう汚ないきたないまちなか入っはいっ
東京とうきょう生れうまれかれ方角ほうがくうえおい自分じぶんいま踏んふんいる場所ばしょ能くよく弁えわきまえ
けれどそのところかれ追憶ついおく誘うさそう何物なにもの残っのこっなかっ
過去かこ記念きねん悉くことごとくかれから奪わうばわしまっ大地だいちうえかれ不思議ふしぎそう歩いあるい
かれむかしあっ青田あおたその青田あおた走るはしる真直まっすぐけい思い出しおもいだし
尽るつきるところさんよんのき藁葺わらぶき屋根やね見えみえ
菅笠すががさ脱いぬい床几しょうぎこし掛けかけながら心太ところてん食っしょくっいるおとこ姿すがたなど浮んうかん
まえ野原のはらよう広いひろい紙漉かみすきあっ
そのところ折れ曲っおれまがっまちつづき出るでる狭いせまいかわはし懸っかかっ
かわ左右さゆう高いたかい石垣いしがき積み上げつみあげられいるうえから見下すみくだすみず流れながれ存外ぞんがい距離きょりあっ
はしたもとある古風こふう銭湯せんとう暖簾のれんそのとなり八百屋やおや店先みせさき並んならんいる唐茄子とうなすなど若いわかい健三けんぞうよく広重ひろしげ風景画ふうけいが聯想れんそう
しかしいま凡てすべてものゆめよう悉くことごとく消え失せきえうせ
残っのこっいるただ大地だいちばかりあっ
何時なんじこんな変っかわっだろう 人間にんげん変っかわっ行くいくことのみ取らとら健三けんぞうそれより一層いっそう劇しいはげしい自然しぜん変りかわりほう驚ろかさおどろかさ
かれ子供こども時分じぶん比田ひでん将棋しょうぎ差しさしこと偶然ぐうぜん思いだしおもいだし
比田ひでんばん向うむこうこれ所沢ところざわ藤吉ふじよしさん弟子でしからいうくせあっ
いま比田ひでん将棋盤しょうぎばんまえ置けおけきっと同じおなじこといいそうおとこあっ
おのれ自身じしん必竟ひっきょうどうなるだろう えるだけ案外あんがい変らかわらない人間にんげんさま変るかわるけれど栄えはえ行くいく郊外こうがい様子ようす健三けんぞう思いがけおもいがけない対照たいしょう材料ざいりょう与えあたえかれ考えかんがえないわけ行かいかなかっ
七十ななじゅう
元気げんきないかおたく帰っかえっかれ様子ようすすぐ細君さいくん注意ちゅうい惹いひい
病人びょうにんどう あるゆる人間にんげん何時なんじ一度いちど到着とうちゃくなけれならない最後さいご運命うんめい彼女かのじょ健三けんぞうくちから判然はんぜん聞こうきこうするよう見えみえ
健三けんぞうこたえ与えるあたえるさきまず一種いっしゅ矛盾むじゅん意識いしき
なんもう好いよいてはいる危篤きとくなんないまあ兄貴あにき騙さだまさようもの 馬鹿ばからしいいう幾分いくぶんかれくちぶり
騙さだまさそのほういくら好いよい知れしれやしませ貴夫たかおもしことあっ御覧ごらんなさいそれこそ兄貴あにき悪いわるいじゃない兄貴あにきあね騙さだまさからそのあねまた病気びょうき騙さだまさつまりみな騙さだまさいるようもの世の中よのなか一番いちばん利口りこう比田ひでん知れしれないいくら女房にょうぼうはんったって決してけっして騙さだまさないからやっぱりたくないいるもん尤ももっとも非道くひどく悪かっわるかっどう知らしらない 健三けんぞう比田ひでんぶり下げさげいるきん時計とけい金鎖かなくさりこと思い出しおもいだし
あにそれ天麩羅てんぷらだろういっかげ評しひょうし当人とうにんどこまで本物ほんものらしく見せびらかしみせびらかしたがっ
きん着せきせせよ本物ほんものせよかれどこいくら買っかっ知るしるものだれなかっ
こういうてん掛けかけ無頓着むとんちゃくられない性分しょうぶんあねただ好いよい加減かげんその出処しゅっしょ推察すいさつする過ぎすぎなかっ
月賦げっぷ買っかっないことよるしつ流れながれ知れしれない あね聴かきかないあに向っむかっ色々いろいろ説明せつめい
健三けんぞう殆どほとんど問題もんだいならないことかれ想像そうぞうしゅいく卸しおろし
そうれれれるほどまた比田ひでん得意とくいらしく見えみえ
健三けんぞう毎月まいつき送るおくる小遣こづかいさえ時々ときどき借りかりられしまうくせあねついにおっと手元てもと入るはいるまた現在げんざい手元てもとある金高きんだか決してけっして知るしること出来できなかっ
近頃ちかごろなん債券さいけんさんばい持っもっいるよう あね言葉ことばまるでとなりたく財産ざいさんいいなかてるようおっとから遠ざかっとおざかっ
あねこういう地位ちい立たたた平気へいきいる比田ひでん健三けんぞうから見るみる領解りょうかいがたい人間にんげんなかっ
それやむない夫婦関係ふうふかんけいよう心得こころえ辛抱しんぼういるあね自身じしん健三けんぞう分らわからなかっ
しかし金銭きんせんうえあくまで秘密ひみつ主義しゅぎ守りまもりながら時々ときどきあね予期よき釣り合わつりあわないようもの買い込んかいこんだり着込んきこんだり妄りみだり彼女かのじょ驚ろかおどろかたがる料簡りょうけん至っいたっ想像そうぞうさえ及ばおよばなかっ
つま対するたいする虚栄心きょえいしん発現はつげん焦らさじらさながらおっと腕利うできき思うおもうつま満足まんぞく
このものだけ到底とうてい充分じゅうぶん説明せつめいならなかっ
きん要るいる他人たにん病気びょうき他人たにんそれじゃただ一所いっしょいるだけじゃない 健三けんぞうなぞ容易ようい解けとけなかっ
考えるかんがえることいや細君さいくんまたなんいうひょう加えくわえなかっ
しかしおのれたち夫婦ふうふ世間せけんから見れみれ随分ずいぶん変っかわってるからそうほかことばかりとやかくいっちゃられない知れしれないやっぱりどうことですみんな自分じぶんだけ好いよい思っおもってるから 健三けんぞうすぐしゃく障っさわっ
御前ごぜん自分じぶんじゃ好いよいつもりいるますとも貴夫たかお好いよい思っおもっいらっしゃる通りとおり かれ争いあらそい能くよくこういうところから起っおこっ
そう折角せっかく穏やかおだやか静まっしずまっいる双方そうほうこころ乱しみだし
健三けんぞうそれ慎みつつしみ足りたりない細君さいくんせめ帰しかえし
細君さいくんまた偏窟へんくつ強情ごうじょおっとせいばかり解釈かいしゃく
書けかけなくっ裁縫さいほう出来できなくっやっぱりあねよう亭主ていしゅ孝行こうこうおんなほうおのれ好きすき今時いまどきそんなおんなどこくにいるもんです 細君さいくん言葉ことばおくおとこほど手前勝手てまえかってものないいう大きなおおきな反感はんかん横わっよこたわっ
七十一ななじゅういち
筋道すじみち通っとおっあたま有っあっない彼女かのじょ存外ぞんがい新らしいあたらしいてんあっ
彼女かのじょ形式的けいしきてきむかしかぜ倫理観りんりかん囚われるとらわれるほど厳重げんじゅう家庭かていひとならなかっ
政治家せいじか任じにんじ彼女かのじょちち教育きょういく関しかんし殆んどほとんど無定見むていけんあっ
ははまた普通ふつうおんなよう八釜しくやかましく子供こども育てそだて上るのぼる性質せいしつなかっ
彼女かのじょたく比較的ひかくてき自由じゆう空気くうき呼吸こきゅう
そう学校がっこう小学校しょうがっこう卒業そつぎょうだけあっ
彼女かのじょ考えかんがえなかっ
けれど考えかんがえ結果けっか野性やせいまと能くよく感じかんじ
単にたんにおっという名前なまえ付いついいるからいうだけ意味いみそのひと尊敬そんけいなくならない強いつよいられ自分じぶん出来できないもし尊敬そんけい受けうけたけれ受けうけられるだけ実質じっしつ有っあっ人間にんげんなっ自分じぶんまえ来るくる好いよいおっという肩書かたがきなどなくっ構わかまわないから 不思議ふしぎ学問がくもん健三けんぞうほうこのてんおいかえって旧式きゅうしきあっ
自分じぶん自分じぶんため生きいき行かいかなけれならないいう主義しゅぎ実現じつげんたがりながらおっとためのみ存在そんざいするつま最初さいしょから仮定かてい憚からはばからなかっ
あらゆる意味いみからつまおっと従属じゅうぞくべきもの 二人ふたり衝突しょうとつする大根だいこんこれところあっ
おっと独立どくりつ自己じこ存在そんざい主張しゅちょうしようする細君さいくん見るみる健三けんぞうすぐ不快ふかい感じかんじ
ややするおんなくせいうなっ
それ一段いちだん劇しくはげしくなる忽ちたちまちなん生意気なまいきいう言葉ことば変化へんか
細君さいくんはらいくらおんなっていう挨拶あいさつなん貯えたくわえあっ
いくらおんなってそう踏みふみ堪るたまるもの 健三けんぞう細君さいくんかお出るでるこれだけ表情ひょうじょう明かあきらか読んよん
おんなから馬鹿ばかするない馬鹿ばかから馬鹿ばかする尊敬そんけいたけれ尊敬そんけいれるだけ人格じんかく拵えるこしらえるいい 健三けんぞう論理ろんり何時なんじ細君さいくんかれ向っむかっ投げるなげる論理ろんり同じおなじものなっしまっ
かれかく円いまりいうえぐるぐる廻っまわっ歩いあるい
そういくら疲れつかれ付かつかなかっ
健三けんぞうそのうえはたり立ち留るたちどまることあっ
かれ留るとまるかれ激昂げっこう静まるしずまるそとならなかっ
細君さいくんそのうえふと動かうごかなくなることあっ
しかし細君さいくん動かうごかなくなる彼女かのじょ沈滞ちんたい融けとけ出すだす限っかぎっ
その健三けんぞう漸くようやく怒号どごうやめ
細君さいくん始めはじめくち利ききき出しだし
二人ふたり携えたずさえ談笑だんしょうながらやはり円いまりいうえ離れるはなれるわけ行かいかなかっ
細君さいくんさんするじゅうばかりまえ彼女かのじょちち突然とつぜん健三けんぞう訪問ほうもん
生憎あいにく留守るすだっかれ夕暮ゆうぐれ帰っかえっから細君さいくんそのはなし聞いきいくび傾むけかたむけ
なんようあっええ少しすこし話しはなしたいことあるですってなん 細君さいくん答えこたえなかっ
知らしらないええまたさんうち上っのぼっ能くよくはなしするからって帰りかえりましから今度こんど参っまいったらじか聞いきい下さいください 健三けんぞうそれより以上いじょうなんいうこと出来できなかっ
久しくひさしくほそきみちち訪ねたずねないかれ用事ようじあるなしかかわら向うむこうわざわざこっち出掛けでかけ来ようこようなどゆめ予期よきなかっ
その不審ふしんれいよりかれ口数くちかず多くおおくするみなもといんなっ
それ反対はんたい細君さいくん言葉ことばかえってつねより少なかっすくなかっ
しかしそれかれよく彼女かのじょおい発見はっけんする不平ふへい無愛嬌むあいきょうから来るくる寡言かげん違っちがっ
よる何時なんじやら全くまったくふゆ変化へんか
細いほそい燈火とうかかげ凝とじっと見詰めみつめいるあかり動かうごかないかぜおとだけ烈しくはげしく雨戸あまど当っあたっ
ひゅうひゅう樹木じゅもく鳴るなるなか夫婦ふうふ静かしずか洋燈らんぷ置いおいしばらくもり坐っすわっ
七十二ななじゅうに
今日きょうちちまし外套がいとうなくっかんそうでしから貴方あなた古いふるい出しだし遣りやりまし 田舎いなか洋服ようふく拵えこしらえ
9/14