虞美人草

9/19

9
真葛さねかずらはら女郎花おみなえし咲いさい
すらすらうす抜けぬけかいある高きたかき秋風あきかぜしなよく避けさけ通すとおす心細こころぼそあき時雨しぐれふゆなる
ちゃくろちりちり降るふるしもふゆ果てしはてしなく続くつづくなか細いほそいいのち朝夕あさゆう頼み少なくたのみすくなくつなぎなぐ
ふゆねん長きながき厭わいとわ
淋しさびしはな寒いさむいよる抜け出でぬけいで紅緑こうりょくひん知らしらはる天下てんか紛れ込んまぎれこん
そら春風しゅんぷうわたるほどものみな燃え立っもえたっ富貴ふうき色づくいろづくひそかなるいちほんほそすえいただい住むすむまじき肩身かたみ狭くせまく憚かりはばかり呼吸こきゅう吹くふくようある
今までいままでたまより鮮やかあざやかなるゆめ抱いいだい
しん黒闇こくあん据えすえ金剛石こんごうせきわが授けさずけわが与えあたえわがこころ託したくしそのほかなるみぎひだり懸けるかけるひまなかっ
ふところ抱くいだくたま光りひかりよる抜いぬい二百にひゃくさとみち遥々はるばるやみふくろより取り出しとりだしたま現実げんじつ明海めいかい幾分いくぶん往昔おうせき輝きかがやき失っうしなっ
小夜子さよこ過去かこおんなある
小夜子さよこ抱けるいだける過去かこゆめある
過去かこおんな抱かかかえかたる過去かこゆめ現実げんじつじゅうせき隔てへだて逢うあうない
たまたま忍んしのん来れこれいぬ吠えるほえる
自からみずからわが来るくるところない知らしら思うおもう
ふところ抱くいだくゆめ抱くいだくまじきつみ人目ひとめ包むつつむ風呂敷ふろしき蔵しぞうしなおさらに路上ろじょうじゅくるようする
過去かこ帰ろうかえろう
みずなか紛れ込んまぎれこん一雫ひとしずくあぶら容易ようい油壺あぶらつぼなか帰るかえること出来できない
いやおうみずとも流れながれなら
ゆめ捨てようすてよう
捨てすてられるものなら明海めいかいうち捨てすてしまう
捨てれすてれゆめほう飛びついとびつい来るくる
自分じぶん世界せかい割れわれ割れわれ世界せかい各自かくじ働きはたらき出すだす苦しいくるしい矛盾むじゅん起るおこる
多くおおく小説しょうせつこの矛盾むじゅん得意とくい描くえがく
小夜子さよこ世界せかい新橋しんばし停車場ていしゃじょうぶつかっ劈痕入っはいっ
あと割れるわれるばかりある
小説しょうせつこれから始まるはじまる
これから小説しょうせつ始めるはじめるひと生活せいかつほど気の毒きのどくものない
小野おのさん同じおなじことある
打ち遣っうちやっ過去かこゆめごみむくむく掻き分けかきわけ古ぼけふるぼけあたま歴史れきし芥溜はきだめから出すだす
おや思うおもうぬっくと立ったっ歩いあるい来るくる
打ち遣っうちやっ生息せいそく留めとめ置かおかなかっ無念むねんある生息せいそく断わりことわりなくむかい吹き返しふきかえしから是非ぜひない
立ち枯れたちがれ秋草あきくさふん時節じせつ誤っあやまっだんかき陽炎かげろうちらつくなか甦えるよみがえる情けないなさけない
甦っよみがえっもの打ち殺すうちころす詩人しじん風流ふうりゅう反するはんする
追いつかおいつかれれ労らいたわら済ますま
生れうまれから済ますまことただ一度いちどことない
今後こんごとてもするない
済ますまことようまた自分じぶん済むすむよう小野おのさんちょっと未来みらいそで隠れかくれ
むらさきにおい強くつよく近づいちかづい来るくる過去かこ幽霊ゆうれいこれなら度胸どきょう据えすえかける途端とたん小夜子さよこ新橋しんばし着いつい
小野おのさん世界せかい劈痕入るはいる
作者さくしゃ小夜子さよこ気の毒きのどく思うおもうごとく小野おのさん気の毒きのどく思うおもう
阿父あちち小野おのさん聞くきく
ちょっとまし小夜子さよこなんなく臆しおくしいる
引き越しひきこし新たあらたいえなす翌日よくじつよりおや一人ひとり一人ひとりはる忙がしいそがし世帯せたい蒸れむれやすきかみくし入れるいれるひまない
不断ふだん綿入わたいれさえ見すぼらしくみすぼらしく詩人しじん映るうつる
しょうかがみ向っむかっ凝らすこらす玻璃はりびんうら薔薇ばらこう浮かしうかし軽くかるく雲鬟うんかん浸しひたし去るさる琥珀こはくくし条々じょうじょうみどり解くとく
小野おのさんすぐ藤尾ふじおこと思い出しおもいだし
これから過去かこ駄目だめこころうち語るかたるものある
忙しいいそがしいでしょうまだ荷物にもつなどそのままおります手伝てつだい出るでるつもりでし昨日きのう一昨いっさくかいありまし 日ごとひごとかい招かまねかるる小野おのさんその方面ほうめんとくたる証拠しょうこある
しかしどんな方面ほうめん小夜子さよこ想像そうぞうつか
ただ己れおのれよりこう過ぎすぎとても寄りつけよりつけ方面ほうめん思うおもう
小夜子さよこ俯向いうつむいひざ載せのせ右手みぎて中指なかゆび光るひかるきん指輪ゆびわ
藤尾ふじお指輪ゆびわ無論むろん比較ひかくなら
小野おのさん上げあげ部屋へやなか廻わしまわし
低いひくい天井てんじょう白茶けしらちゃけいたところまで節穴ふしあな歴然れきぜん見えるみえるうえあめろう染みしみ侵しおかしここかしこ蜘蛛くもかこい欺くあざむくすすかたまっ黒くくろく釣りつり懸けかけいる
ひだりからよんほんさんなかほど杉箸すぎばしいちほんよこ貫ぬいつらぬい長いながいほうはし思うおもうほどした曲がっまがっいる立ち退いたちのい以前いぜん借主かりぬし通すとおすなわむね冷やすひやす氷嚢ひょうのうぶら下げぶらさげものだろう
次の間つぎのま立てたて切るきるばい唐紙とうし洋紙ようしはく置いおい英吉利いぎりすめいあおい幾何きか模様もよう規則きそく正しくただしく数十すうじゅう並べならべいる
屋敷やしきらしいえん黒塗くろぬりなおさら卑しいいやしい
にわ貫ぬくつらぬくえん沿うそう勝手にかってに折れ曲るおれまがる云ういうのみはばちゃ献上けんじょうほどない
たけ足らあしらひのきはるようなき去年きょねん硬くかたく尖らしとがらし瘠せこけやせこけ立つたつ後ろうしろ腰高こしだかへい隣家りんかはなし取るとるよう聞えるきこえる
いえ小野おのさんどう先生せんせいため周旋しゅうせん相違そういない
しかし極めてきわめて下卑げびいる
小野おのさんこころうちいや住居じゅうきょ思っおもっ
どうせいえ持つもつなら思っおもっ
袖垣そでがき辛夷こぶし添わそわまつこけ葉蘭はらんかげ畳むたたむうえ切り立てきりたて手拭てぬぐい春風しゅんぷう揺らゆらつくようところ住んすんたい
藤尾ふじおあのいえ貰うもらう聞いきい
御蔭みかげさま好いよいいえ入りいりまし誇るほこること知らしら小夜子さよこ云ういう
本当ほんとう好いよいいえ心得こころえいるなら情けないなさけない
あるひとやつうなぎ奢っおごったら御蔭様みかげさま始めはじめ旨いうまいうなぎ食べたべましれい云っいっ
奢っおごっおとこそれより以来いらいこのひと軽蔑けいべつそうある
いじらしい見縊るみくびるある場合ばあいおい一致いっちする
小野おのさんたしか真面目まじめれい云っいっ小夜子さよこ見縊っみくびっ
しかしそのうちいじらしいところあるつかなかっ
むらさき祟ったたっからある
たたりある眼玉めだま三角さんかくなる
もっと好いよいいえない入るはいるまい思っおもっ方々かたがた尋ねたずねですあいにく恰好かっこなくっ云いいい懸けるかける小夜子さよこすぐいえこれ結構けっこうですちち喜んよろこんおります小野おのさん言葉ことば打ち消しうちけし
小野おのさん吝嗇りんしょくこと云ういう思っおもっ
小夜子さよこ知らしら
細いほそいめんちょっとおく引いひい上眼うわめ相手あいて様子ようす見るみる
どうねんまえ変っかわっいる
眼鏡めがねきん変っかわっいる
久留米くるめかすり背広せびろ変っかわっいる
ぶんかり光沢こうたくある変っかわっいる
ひげ一躍いちやく紳士しんしいき上るのぼる
小野おのさんいつやら黒いくろいもの蓄えたくわえいる
もと書生しょせいない
えり卸しおろし立てたてある
飾りかざり留針とめばりさえかた動かすうごかすたび光るひかる
ねずみ勝っかっしな好いよい胴衣どういいんふくろ恩賜おんし時計とけい這入っはいっいる
このうえきん時計とけいしょうさきむね小夜子さよこゆめ知るしるはずない
小野おのさん変っかわっいる
ねん一日いちにち一夜いちやふところわすれられいのちより明らかあきらかゆめなかなる小野おのさんこんなひとなかっ
ねんむかしある
西東にしひがし長短ちょうたんたもと分かっわかっ離愁りしゅう鎖すさすくれくも相思そうしせき塞かさいか逢うあうこと疎くうとくなりまさるこの年月としつき変らかわらのみ思いおもい寄らよら
かぜ吹けふけ変るかわること思いおもいあめ降れふれ変るかわること思いおもいつきはな変るかわること思いおもい暮らしくらし
しかしこう変るかわるまい念じねんじプラットぷらっとフォームふぉーむ下りくだり
小野おのさん変りかわりかた過去かこ順当じゅんとう延ばしのばし健気けなげ生い立っおいたっ阿蒙あもう変りかわりかたない
いろ褪めさめ過去かこぎゃく捩じ伏せねじふせ目醒しめざまし現在げんざい相手あいて新橋しんばし着くつくまえばん性急せいきゅう拵らえこしらえ上げあげよう変りかわりかたある
小夜子さよこ寄りつけよりつけ
延ばしのばし届きとどきそうない
変りかわりたく変らかわら自分じぶん恨めしいうらめしいなる
小野おのさん自分じぶん遠ざかるとおざかるため変っかわっ同然どうぜんある
新橋しんばしむかえくれ
くるま傭っやとっ宿やど案内あんないくれ
のみなら忙がしいいそがしいうち無理むり算段さんだん蝸牛かぎゅう親子おやこ寝るねるいお借りかりくれ
小野おのさんむかし通りとおり親切しんせつある
ちち左様さよう云ういう
自分じぶんそう思うおもう
しかし寄りつけよりつけない
プラットぷらっとフォームふぉーむ下りるおりるいな荷物にもつ云っいっ
小さいちいさい手提てさげなら持っもっ貰うもらうほどない無理むり受取っうけとっ膝掛ひざかけいっしょさき行っいっ刻み足きざみあし後ろ姿うしろすがたときこれ思っおもっ
さき行くいく遥々はるばる二人ふたり案内あんないするためなく時候じこう後れおくれ親子おやこ追い越しおいこしはせ抜けるぬけるためよう見えるみえる
割符わっぷ瓜二つうりふたつ取っとっつけ較べるくらべるため証拠しょうこある
てん懸るかかるより貴しとうとし護るまもるわがゆめねん長きながきこう洩るもるふくろから現在げんざい引き出しひきだしよもあるまい見較べみくらべ見るみる現在げんざいはやく遠くとおく立ち退いたちのいいる
握るにぎる割符わっぷ通用つうようない
始めはじめあな出ででで眩きくるめき思うおもう
少しすこし慣れなれたら逝くいくつえ一度いちど逢いあい逢いあいさんよん重なるかさなるたび小野おのさんいよいよ丁寧ていねいなる
丁寧ていねいなるつけ小夜子さよこいよいよ近寄りちかよりがたくなる
やさしく咽喉のど滑べりすべり込むごむ長いながいあごおく引いひい上眼うわめ小野おのさん姿すがた眺めながめ小夜子さよこ変るかわる眼鏡めがね
変るかわるひげ
変るかわるかみかぜ変るかわるそう
すべて変るかわるものこころそこそっと嘆息たんそく吐いはい
ああ
京都きょうとはなどうですもう遅いおそいでしょう 小野おのさんきゅうはなし京都きょうと移しうつし
病人びょうにん慰めるなぐさめる病気びょうきはなしする
好かよしみかむかし飛び込んとびこんありがたくほどけ掛けかけ記憶きおくぎゃく戻すもどす詩人しじん同情どうじょうある
小夜子さよこきゅう小野おのさん近づいちかづい
もう遅いおそいでしょう立つたつまえちょっと嵐山あらしやま参りまいりましそのちょうどはちぶん通りとおりでしそのくらいでしょう嵐山あらしやま早いはやいですからそれ結構けっこうでしどなたいっしょ はな看るみるひと星月夜ほしつきよごとく夥しいおびただしい
しかしいっしょ行くいくひとてん限りかぎり限っかぎっちちよりほかない
ちちなけれあとむねなか言わいわなかっ
やっぱり阿父あちちですええ面白かっおもしろかっでしょうくちさき云ういう
小夜子さよこなぜ情けないなさけない心持こころもちする
小野おのさん出直しでなおし
嵐山あらしやまもとだいぶ違っちがっでしょうええ大悲だいひかく温泉おんせんなど立派りっぱ普請ふしん出来できそうです小督こごうきょくはかざんしたろうええ知っしっます彼所かしこいら皆掛かいがけ茶屋ちゃやばかり大変たいへん賑やかにぎやかなりまし毎年まいとしぞくなるばかりですむかしほうよほど好いよい 近寄れちかよれ思っおもっ小野おのさんゆめなか小野おのさんぱたり合っあっ
小夜子さよこはっと思うおもう
本当ほんとうむかしほう云いいい掛けかけわざとにわ見るみる
にわ何になんにない
わたくしいっしょ遊びあそび行っいっ時分じぶんそんな雑沓ざっとうませでし 小野おのさんやはりゆめなか小野おのさんあっ
にわ向いむかいちらり真向まっこう返るかえる
金縁きんぶち眼鏡めがね薄黒いうすぐろい口髭くちひげすぐひとみ映るうつる
相手あいて依然いぜん過去かこひとない
小夜子さよこゆかしい昔話むかしばなしいとぐちするする抜け出しぬけだしそう咽喉のど抑えおさえ黙っだまっくちつぐん
調子ちょうしづいかく曲ろうまがろうするどっこい突き当るつきあたることある
しないい紳士しんし淑女しゅくじょ対話たいわむねうち始終しじゅう突き当っつきあたっいる
小野おのさんまたくち開くひらくばんなる
あなたあの時分じぶん少しすこし違っちがっいらっしゃいませそうでしょう小夜子さよこ相手あいて諾するだくするよう自分じぶん疑ううたがうよう乗らのらない返事へんじする
変っかわっおりさえすれこんな心配しんぱいない
変るかわるとしばかりいたずら育っそだっ縞柄しまがら用いもちいふること恨めしいうらめしい
ことへいまま床の間とこのま立て掛けたてかけある
わたくしだいぶ変りかわりましたろう見違えるみちがえるよう立派りっぱ御成りおなりですことハハハハははははそれ恐れ入りおそれいりますまだこれからどしどし変るかわるつもりですちょうど嵐山あらしやまよう 小夜子さよこなん答えこたえいい分らわからない
ひざ置いおいまました向いむかいいる
小さいちいさい耳朶みみたぶ行儀ぎょうぎよくびんすえ潜り抜けくぐりぬけほおくびつづく暈しぼかしよう曲線きょくせんかげ曳いひい去るさる
見事みごとある
惜しいおしいこと真向まっこう座っすわっ小野おのさん分からぶんからない
詩人しじん感覚かんかく好むこのむ
これほどにく上げあげ具合ぐあいこれほどにく退きしりぞき具合ぐあいこれほど光線こうせんこれほどいろ付きつき具合ぐあい滅多めったられない
小野おのさんこの瞬間しゅんかんこの美しいうつくしい捕えとらえなら編み上げあみあげかかとめつ込むごむほど回らしまわらしねんりゅうぎゃく過去かこ向っむかっ飛びついとびつい知れしれ
惜しいおしいこと小野おのさん真向まっこう坐っすわっいる
小野おのさんただ面白味おもしろみない詩趣ししゅ乏しいとぼしいおんな思っおもっ
同時どうじなみ打っうっはなさき翻えるひるがえるそでこうむらさき眉間みけん掠めかすめぷんする
小野おのさんきゅう帰りかえりたくなっ
またましょう背広せびろむね合せるあわせる
もう帰るかえる時分じぶんですから小さなちいさなこえ引き留めようひきとめようする
またます帰りかえりなったらどうぞ宜しくよろしくあの口籠っくちごもっいる
相手あいてこし浮かしうかしながらあのあと待ちまち兼ねるかねる
早くはやく急き立てせきたてられるする
近寄れちかよれものますます離れはなれ行くいく
情ないなさけない
あのちち 小野おのさんなん知れしれ重いおもい気分きぶんなる
おんなますます切り出しきりだし悪くわるくなる
また上がりあがります立ち上がるたちあがる
云おういおう思うおもうこと聞いきいくれない
離れるはなれるもの没義道もぎどう離れはなれ行くいく
未練みれん会釈えしゃくなく離れはなれ行くいく
玄関げんかんから座敷ざしき引き返しひきかえし小夜子さよこ惘然ぼうぜんえん近くちかく坐っすわっ
降らふら降りふり損ねそこねそらおくから幽かかすかはる光りひかりあわくも遮ぎらさえぎらながらいちめん照りてり渡るわたる
長閑かのどか抑えつけおさえつけたるあたまうえはれるるようなんなく欝陶しいうっとうしい
どこやらことおとする
わが弾くひくべきごみ払わはらわ更紗さらさ小包こづつみ並べならべふくろまま淋しくさびしくかべ持たもたいる
いつ欝金うこん除けるのけることやら
あのきょくだいぶ熟れこなれない
片々へんぺん抑えおさえ片々へんぺん弾くひくつめ安らかやすらかいくせきはしら往きゆき戻りもどりはる限りかぎりらんるるいろ甲斐甲斐しくかいがいしく豊かゆたかある
聞いきいいるあのあめつい昨日きのうよう思うおもう
ちらちらひるほたる竹垣たけがき滴るしたたるれんあさから降っふっ退屈たいくつ阿父あちちようおっしゃる
繻子しゅす袖口そでぐち手頸てくび滑りすべりやすい
絹糸けんし細長くほそながく貫いつらぬいままはりくれないぷつり刺しさし立ち上がるたちあがる
盛り上がるもりあがる古桐こきり長いながいどう鮮かあざやか醒ませさませ渡すわたすいと数々かずかず幾度いくど抑えおさえ幾度いくど撥ねはね
きょくたしか小督こごうあっ
狂うくるうゆびうれいひるくちゃくちゃ揉みもみこなし思うおもうころ阿父あちちよう御苦労ごくろう手ずからてずからちゃ入れいれ下さっくださっ
きょうはるあめこときょうある
なかこときょうよう似合うにあう
ことよしみ自分じぶんやはり静かしずかきょう住むすむぶんある
古いふるいきょうから抜けぬけやみ破るやぶるからす飛び出しとびだしそぞろくろ驚ろきおどろき舞い戻らまいもどらするよるからり明け離れあけはなれようものある
こんなことならこと代りかわり洋琴ようきん習っならっ置けおけ善かっよかっ
英語えいごむかしままいまおおかた忘れわすれいる
阿父あちちおんなそんなもの必要ひつようないおっしゃる
さき住みすみふるたるひと便りたより小野おのさん追いつくおいつくこと出来できよう後れおくれしまっ
住みすみふるひといずれ長いながいことあるまい
ふるるいひと先だたさきだた新らしいあたらしいひと後れれおくれれ今日きょう明日あすそのすういのちぶん危いあぶない
 格子こうしがらり開くひらく
ふるひと帰っかえっ
いま帰っかえっどう苛いむごいほこりかぜないかぜない地面じめん乾いかわいてるどう東京とうきょう云ういうところいやところ京都きょうとほうよっぽどいいって早くはやく東京とうきょう引き越すひきこす引き越すひきこすって毎日まいにちよう云っいっいらしったじゃありませ云っいっこと云っいっ見るみるそうないえんがわ足袋たびはたい直っなおっ老人ろうじん茶碗ちゃわんいるだれええ小野おのさんいらしって小野おの そりゃあ云っいっ提げさげ大きなおおきなつつみからげほそなわじゅう文字もじ丁寧ていねいいち文字もじずつほどき始めるはじめる
今日きょう座布団ざふとん買おうかおう思っおもっ電車でんしゃ乗っのっところつい乗りのりかえ忘れわすれひどい逢っあっやおや気の毒きのどくそう微笑んほほえんむすめ布団ふとん買いかいなっ聞くきく
ああ布団ふとんだけここ買っかっ御蔭みかげ大変たいへん遅れおくれしまっ包みつつみなかから八丈はちじょうまがいしま取り出すとりだす
何枚なんまい買っかっいらしってさんばいまあさんばいあれ当分とうぶん間に合うまにあうだろうさあちょっと敷いしい御覧ごらんいちばい小夜子さよこまえ出すだす
ホホホホほほほほあなたしきなさい阿父あちち敷くしくから御前ごぜん敷いしい御覧ごらんそらなかなか好いよいだろう少しすこし綿めん硬いかたいよう綿めんどうせあたいあたいから仕方しかたないこれ買うかうため電車でんしゃ乗りのり損なっそこなっしまっ乗替のりかえなさらなかっじゃないそう乗替のりかえ車掌しゃしょう頼んたのん置いおい忌々しいいまいましいから帰りかえり歩いあるい草臥くたびれなすっでしょうなあにこれあしまだ達者たっしゃからしかし御蔭みかげひげなんほこりだらけなっちまっこら右手みぎてゆびよんほん并べならべくし代りかわりあごした梳くすく果してはたして薄黒いうすぐろいものまたつい
這入んはいんなさらないからですなにほこりってかぜないかぜないほこり立つたつからみょうってってじゃないまあ試しためしそと御覧ごらんどう東京とうきょうほこり大抵たいていもの驚ろくおどろく御前ごぜん時分じぶんこうかいええ随分ずいぶん苛くむごくって年々ねんねん烈しくはげしくなるじゃないかしら今日きょうなんぞ全くまったくかぜないひさしそとしたから覗いのぞい見るみる
そら曇るくもる心持ちこころもち透かしすかしはるあやふや流れながれいる
ことおとまだ聴えるきこえる
おやこと弾いひいいるなかなか旨いうまいありゃなん当てあて御覧ごらんなさい当てあて見ろみろハハハハはははは阿父あちち分らわからないこと聴くきく京都きょうとこと思い出すおもいだす京都きょうとせいいい阿父あちちよう時代じだい後れおくれ人間にんげん東京とうきょうよう烈しいはげしいところ向かむかない東京とうきょう小野おの御前ごぜんよう若いわかいひと住まうすまうところ 時代じだい後れおくれ阿父あちち小野おのさん自分じぶんためわざわざほこりだらけ東京とうきょう引き越しひきこしようものある
じゃ京都きょうと帰りかえりましょう心細いこころぼそいかおわらい浮べうかべ見せるみせる
老人ろうじん疎いうといわれ憐れむあわれむ孝心こうしん受取っうけとっ
アハハハハあはははは本当ほんとう帰ろうかえろう本当ほんとう帰っかえっようござんすなぜなぜってばかりじゃないばかり構いかまいませ構わかまわない ハハハハはははは冗談じょうだん むすめした向いむかい
小野おのそうええむすめやっぱりした向いむかいいる
小野おの小野おのなんくび上げるあげる
老人ろうじんむすめかお
小野おのええいらしってそれなんそのなん云っいっ行かいかなかっいいえべつ何になんに云わいわない待っまってれ好いよい急ぐいそぐからまた来るくるって帰りかえりなりましそうそれじゃべつようあっわけじゃないそう阿父あちちようなん小野おのさん変りかわりなさいまし変っかわっああ大変たいへん立派りっぱなっ新橋しんばし逢っあっまるで見違えるみちがえるようだっまあたがい結構けっこうこと むすめまた下またした向いむかい
単純たんじゅんちち自分じぶん云ういう意味いみ徹せとおせ見えるみえる
わたくしむかし通りとおりちっとも変っかわっないそうです変っかわっないたって あと鳴るなるいと素足すあし踏むふむごとくどう先生せんせいあたま響いひびい
変っかわっないたってつぎ催促さいそくする
仕方しかたない小さなちいさなこえ附けるつける
老人ろうじんくび傾けかたむけ
小野おのなん云っいっいいえべつ 同じおなじ質問しつもん同じおなじ返事へんじまた繰返さくりかえされる
水車すいしゃ踏めふめ廻るまわるばかりある
いつまで踏んふん踏み切れるふみきれるものない
ハハハハははははくだらことちゃいけないはるうつぐも今日きょうなぞ阿父あちちなどよくない天気てんき うつあきある
もち知っしっさけとが云ういう
慰さめなぐさめられるひと馬鹿ばかれるひとある
小夜子さよこ黙っだまっ
ちっとこと弾いひいちゃどうはれ むすめ浮かうきかかお愛嬌あいきょう傾けかたむけ床の間とこのま見るみる
じく空しくむなしく落ちおちいたずら余るあまる黒壁くろへきはしたて截っきっ欝金うこんへいはる隠さかくさ明らかあきらかある
まあ廃しはいしましょう廃すはいす 廃すはいすなら廃しはいしあの小野おの近頃ちかごろ忙がしいいそがしい近々ちかぢか博士論文はかせろんぶん出すだすそう 小夜子さよこ銀時計ぎんとけいすらいら思うおもう
ひゃく博士はかせいま己れおのれ無益むえきある
から落ちついおちついない学問がくもん凝るこるだれあんなものあんまり心配しんぱいないいいなに緩くゆるくりしたくっられないから仕方しかたない なんってあんなうん急いいそいああ帰りかえり帰りかえりなっ ならない 好さよさそうものって仕方しかたない学問がくもん夢中むちゅうなってるからからいち都合つごう貰っもらっいっしょ博覧会はくらんかい見ようみようって云っいってるじゃない御前ごぜん話しはなしいいえ話さはなさない 話せはなせいいいったい小野おの云ういうなんいくらおんなって少しすこしくち利かりかなくっちゃいけない くち利けきけよう育てそだて置いおいなぜくち利かりか云ういう
小夜子さよこすべて負わおわなら
なか熱くあつくなる
なに好いよい阿父あちち手紙てがみ聞き合せるききあわせるから悲しかなしがることない叱っしかっじゃないばん御飯ごはんある御飯ごはんだけあります御飯ごはんだけあれいいなにいらない頼んたのん置いおいばあさん明日あすくるそうもう少しすこし慣れるなれる東京とうきょうって京都きょうとって同じおなじこと 小夜子さよこ勝手かって立ったっ
どう先生せんせい床の間とこのま風呂敷ふろしきつつみ解きほどき始めるはじめる
9/19