明暗

19/19

その一の学校友達という連想から、また自分の親戚の方へ逆戻りをして、甥の真事だの、いろいろな名がたくさん並べられた。初手から気がついていながら、最後まで名を書かなかったのは小林だけであった。他の意味は別として、ただ在所を嗅ぎつけられるという恐れから、津田はどうしてもこの旅行先を彼に知らせたくなかったのである。その小林は不日朝鮮へ行くべき人であった。無検束をもって自ら任ずる彼は、海を渡る覚悟ですでにもう汽車に揺られているかも知れなかった。同時に不規律な彼はまた出立と公言した日が来ても動かずにいないとも限らなかった。絵端書を見て、(もし津田がそれを出すとすると、)すぐここへやって来ないという事はけっして断言できなかった。

19
津田つだ陰晴いんせい定めさだめなき天気てんき相手あいて戦うたたかうよう厄介やっかいこの友達ともだちもっと適切てきせついうこのてきこと考えかんがえ思わおもわかただて
するいったん緒口いとぐち開いひらい想像そうぞう光景こうけいそことまらなかっ
かれ拉しらっしずんずんさき進んすすん
かれ突然とつぜん玄関げんかん馬車ばしゃよこするそう怒鳴り込むどなりこむよう大きなおおきなこえ出しだしかれむろ入っはいっくる小林こばやし姿すがた眼前がんぜん髣髴ほうふつ
なんなんない貴様きさまいやがらどういう理由りゆう理由りゆう糸瓜へちまあるもん貴様きさまおれいやがるいつまで経っきょうっどこ行っいっただ追かけるおいかける畜生ちくしょう 津田つだ突然とつぜんこぶし固めかため小林こばやしよこめん撲らなぐらなけれならなかっ
小林こばやし抵抗ていこうする代りかわりたちまち大の字だいのじなっむろ真中まなか踏ん反りふんぞり返らかえらなけれならなかっ
撲っなぐっこの野郎やろうさあどうしろ まるで舞台ぶたいうえなけれられないよう活劇かつげき演ぜえんぜられなけれならなかっ
そうそれ宿やどなか視聴しちょう脅かさおびやかさなけれならなかっ
そのなか是非ぜひとも清子きよこ交っかっなけれならなかっ
万事ばんじ永久えいきゅう打ち砕かうちくだかなけれならなかっ
事実じじつより明暸めいりょう想像そうぞう一幕ひとまく描くえがくなくあたまなか描き出しえがきだし津田つだ突然とつぜんぞっとわれ返っかえっ
もしそんな馬鹿げばかげ立ち廻りたちまわり実際じっさい生活せいかつ表面ひょうめん現われあらわれたらどうしよう考えかんがえ
かれ羞恥しゅうち屈辱くつじょく遠くとおくほう感じかんじ
それ象徴しょうちょうするためほお内側うちがわ熱っねつっ来るくるようさえ
しかしかれ批判ひはんそれぎりさき進めすすめなかっ
ほか対したいし面目めんぼく失ううしなうこと万一まんいちそんな不始末ふしまつしでかしたら大変たいへん
これかれ倫理観りんりかん根柢こんてい横わっよこたわっいるだけあっ
それ切りつめるきりつめるついに外聞がいぶん悪いわるいいう意味いみ帰着きちゃくするよりほか仕方しかたなかっ
から悪いわるいやつただ小林こばやしなっ
おれなん不都合ふつごうある彼奴きゃつさえなけれ かれこう云っいっ想像そうぞうまく登場とうじょう小林こばやし責めせめ
そう自分じぶん不面目ふめんぼくするすべて責任せきにん相手あいて背負わせおわ
ゆめよう罪人ざいにん宣告せんこく下しおろしあとかれすぐこころ調子ちょうし入れ代えいれかえ紙入かみいれなかからいちばい名刺めいし出しだし
そのうら万年筆まんねんひつぼく静養せいようため昨夜さくやここまし書いかいなりくび傾けかたむけ
それからあなたいでこと今朝けさ聴きききまし付け足しつけたしまた考えかんがえ
これじゃ空々しくそらぞらしくっていけない昨夜さくや会っかいっことなん書かかかなくっちゃ しかし当り障りあたりさわりないようそこ触れるふれるちょっと困難こんなんあっ
第一だいいち書くかくこと複雑ふくざつなれなるほど文字もじ多くおおくなっいちばい名刺めいしこと足りたりなくなるだけあっ
かれなるべく淡泊たんぱく口上こうじょう伝えつたえたかっ
したがっしょう面倒めんどう封書ふうしょなど使いつかいたくなかっ
思いついおもいついよう違い棚ちがいだなうえ眺めながめかれまだつけなかっ吉川よしかわ夫人ふじん贈物おくりもの昨日きのうままちゃんと載せのせあるすぐそれした卸しおろし
かれ果物くだものおおい病気びょうきいかがですこれ吉川よしかわ奥さんおくさんからお見舞おみまいです書いかい名刺めいし挿しさし込んこんあと下女げじょ呼んよん
たくせきさんいうほういでだろう 今朝けさ給仕きゅうじ同じおなじ下女げじょ笑いわらい出しだし
せきさん先刻せんこく話しはなし奥さんおくさんことですそうじゃその奥さんおくさんいいからこれ持っもっ行っいっ上げあげくれそうもし差支えさしつかえなけれちょっとかかりたいってへえ 下女げじょすぐ果物くだもの提げさげ廊下ろうか
百八十二ひゃくはちじゅうに
返事へんじ待ち受けるまちうける津田つだ居据りいすわり悪いわるい置物おきものよう落ちつかおちつかなかっ
ことにすぐ帰っかえっべきはず下女げじょ思っおもっ通りとおりすぐ帰っかえっないかれなおことこころ遣っつかっ
まさか断ることわるじゃあるまい かれ吉川よしかわ夫人ふじん利用りようすでに万一まんいち顧慮こりょからあっ
夫人ふじんそう彼女かのじょ見舞みまいしなこのそれ届けるとどける津田つだ対したいし清子きよこ束縛そくばく解くとく好いよい方便ほうべんなかっ
単にたんにかれ応接おうせつする煩わしわずらわしもしくはそれから起りおこり得るうる嫌疑けんぎ避けようさけようする彼女かのじょ当体とうたいあっところ果物くだものれいそれ持っもっ本人ほんにん会っかいっ云ういうじゅんあっ
だれどう考えかんがえ無理むりない名案めいあん工夫くふう信ずるしんずるだけ下女げじょ遅いおそい一層いっそうなけれならなかっかれふかしかけ煙草たばこ捨てすて縁側えんがわたりなんため知れしれ黙っだまっいけなか動いうごいいる緋鯉ひごい眺めながめたりそこしゃがん軒下のきしたいるいぬ鼻面はなづら延ばしのばしたり
やっとこと下女げじょ足音あしおと廊下ろうか曲り角まがりかど聴えきこえわざと取り繕っとりつくろっ余裕よゆう外側そとがわ示ししめしたくなるほどかれこころそわそわ
どう待遠まちどおさま大変たいへん遅かっおそかっでしょうなにそうない少しすこし手伝いてつだいもんですからなん部屋へや片づけかたづけそれから奥さんおくさん御髪おぐし結っけつっ上げあげですそれちゃ早いはやいでしょう 津田つだおんなまげそんな雑作ぞうさなく結えるゆわえるわけものない思っおもっ
銀杏ぎんなん返しかえしかい丸髷まるまげ 下女げじょ取り合わとりあわただ笑いわらい出しだし
まあ行っいっ御覧ごらんなさい行っいっ御覧ごらんなさいって行っいっ好いよいその返事へんじ先刻せんこくからこう待っまってるじゃないおやどうすみませ肝心かんじん返事へんじ忘れわすれしまっどうぞいで下さいくださいましって やっと安心あんしん津田つだ立上りたちあがりながらわざと冗談じょうだん半分はんぶん駄目だめ押しおし
本当ほんとう迷惑めいわくじゃないむかい行っいっから気の毒きのどく思いおもいられるいやから旦那だんなようずいぶん疑り深いうたぐりぶかいほうですそれじゃ奥さんおくさんさぞ奥さんおくさんだれせき奥さんおくさんそれぼく奥さんおくさんどっち解っわかってるじゃありませいや解らわからないそうございます 兵児帯へこおび締め直ししめなおし津田つだ後ろうしろ廻っまわっ下女げじょむろ出ようでようする背中せなかから羽織はおりかけくれ
こっちいま案内あんない致しいたします 下女げじょさき立ったっ
夢遊むゆう病者びょうしゃ昨夕さくゆう彷徨っほうこうっ記憶きおくれい姿見すがたみまえ突然とつぜん津田つだあたま閃めいひらめい
ああここ かれ思わおもわこう云っいっ
事情じじょう知らしらない下女げじょ無邪気むじゃき訊き返しききかえし
なんです 津田つだすぐごまかし
昨夕さくゆうぼく幽霊ゆうれい出会っであっここいう 下女げじょへんかお
馬鹿ばかおっしゃいたく幽霊ゆうれいなんか出るでるもんですそんなことおっしゃる 客商売きゃくしょうばいする宿やど対したいし悪いわるい洒落しゃれ云っいっ悟っさとっ津田つだ賢こくかしこくかい見上げみあげ
このうえだろうせきさんむろええよく知っしってらっしゃいますうんそりゃ知っしってる天眼通てんがんとおりです天眼てんがんつうじゃないてんはなつう云っいっ万事ばんじはな嗅ぎ分けるかぎわけるまるでいぬたいです 階子段はしごだん途中とちゅう始まっはじまっこの会話かいわ上り口あがりぐち一番いちばん近くちかくある清子きよこ部屋へやからもう聴き取れるききとれる距離きょりあっ
津田つだ暗にあんにそれ意識いしき
ついでぼくせきさんむろ嗅ぎ分けかぎわけやるからいろ かれ清子きよこむろまえぱたりスリッパーすりっぱーおと止めとめ
ここ 下女げじょ横眼よこめ津田つだかお睨めるにらめるようながら吹き出しふきだし
どう当っあたったろうなるほどあなたはなよく利きききます猟犬りょうけんよりたしかです 下女げじょまた面白おもしろそう笑っわらっむろなかからこの賑やかにぎやか対するたいするなん反応はんのうなかっ
ひといるないまるで分らわからない内側うちがわ始めはじめ同じおなじよう索寞さくばく
お客さまおきゃくさまいらっしゃいまし 下女げじょ外部がいぶから清子きよこ話しかけはなしかけながら建てつけたてつけ好いよい障子しょうじすう開けあけくれ
御免ごめん下さいください 一言ひとこと挨拶あいさつともむろなか入っはいっ津田つだおや思っおもっ
かれ自分じぶん予期よき通りとおり清子きよこすぐまえ見出しみだしとくなかっ
百八十三ひゃくはちじゅうさん
むろ間続きまつづきなっ
津田つだあし踏み込んふみこんゆかない控えひかえほうあっ
黒柿くろがきえんだい付いつい長方形ちょうほうけいかがみまえよこ竪縞たてじま厚いあつい座蒲団ざふとん据えすえそのそばきり拵らえこしらえ小型こがた長火鉢ながひばち普通ふつう家庭かてい見るみる茶の間ちゃのま体裁ていさい小規模しょうきぼながら髣髴ほうふつしめ
すみ黒塗くろぬり衣桁いこうあっ
異性いせい附着ふちゃくする花やかはなやかいろ手触りてざわりなめそうきぬしま折り重なっおりかさなっそこ投げかけなげかけられ
ふすま開け放たあけはなたままあっ
津田つだ正面しょうめん当るあたる床の間とこのまかつたてらしい寒菊かんぎくはな
まえ座蒲団ざふとん向い合せむかいあわせ敷いしいあっ
濃茶こいちゃ染めそめ縮緬ちりめんなか牡丹ぼたんなん模様もようたっいち丸くまるくしろ残しのこしその敷物しきもの品柄しながらから云っいっまた来客らいきゃく待ち受けるまちうける準備じゅんび物々しいものものしいものあっ
津田つだせきつかないさきまず直感ちょっかん
すべて改まっあらたまっいるこれ今日きょう会うあう二人ふたり横わるよこたわる運命うんめい距離きょりだろう 突然とつぜんここついかれいまこのむろ入り込んはいりこん自分じぶんとっさ悔いようくいよう
しかしこの距離きょりどこから起っおこっだろう
考えれかんがえれ起るおこる当り前あたりまえあっ
津田つだただそれ忘れわすれだけあっ
なぜそれ忘れわすれだろう
考えれかんがえれこれ忘れわすれいる当り前あたりまえ知れしれなかっ
津田つだこんな感想かんそう囚えとらえられひかえ立ったっままむろ出るでるなしせきつくなしうっかり眼前がんぜん座蒲団ざふとん眺めながめいる主人しゅじんがわ清子きよこ始めはじめその姿すがた縁側えんがわすみから現わしあらわし
それまで彼女かのじょそこなん津田つだいっこう解せげせなかっ
またなんため彼女かのじょわざわざそこそれかれ通じつうじなかっ
あるいはむろ片づけかたづけからかれ来るくる待ち受けるまちうける欄干らんかんすみ倚りよりかかりやま重なるかさなる黄葉こうよういろ眺めながめ知れしれなかっ
それ様子ようすへんあっ
有体ありてい云えいえきゃく迎えるむかえるいうより偶然ぐうぜんきゃく出喰わしでくわしいうこの彼女かのじょ態度たいど評するひょうする適当てきとう言葉ことばあっ
しかし不思議ふしぎことこの態度たいどしかつめらしくかれ着席ちゃくせき待ち受けるまちうける座蒲団ざふとん二人ふたり堰くせくためわざと真中まなか置かおかよう見えるみえるかく火鉢ひばちほどかれ気色けしき障らさわらなかっ
いうそれもとからかれあたま描き出さえがきださいる清子きよこ全くまったく釣り合わつりあわないまでかけ離れかけはなれ態度たいどなかっからある
津田つだ知っしっいる清子きよこけっしてせせこましいおんななかっ
彼女かのじょいつ優悠ゆうゆう
どっち云えいえむしろ緩漫かんまんいう彼女かのじょ気質きしつまたその気質きしつから出るでる彼女かのじょ動作どうさつい下しおろし得るうる特色とくしょく知れしれなかっ
かれつねその特色とくしょくしん置いおい
そうその特色とくしょくしん置きおき過ぎすぎためかえって裏切らうらぎら
少くすくなくともかれそう解釈かいしゃく
そう解釈かいしゃくつつ当時とうじ出来上っできあがっしんまだ自覚じかく残っのこっ
突如とつじょ彼女かのじょせき結婚けっこん翻がえすひるがえすえんよう早かっはやかっ知れしれないそれそれこれこれあっ
もの結びつけむすびつけ矛盾むじゅんなく考えようかんがえようする悩乱のうらん始めはじめ起るおこる離しはなし眺めれながめれこう事実じじつあっごとくおつやッぱりやっぱり本当ほんとうなけれならなかっ
あの緩いゆりいひとなぜ飛行機ひこうき乗っのっかれなぜ宙返りちゅうがえり打っうっ 疑いうたがいまさしくそこ宿るやどるべきはずあっ
けれど疑おううたがおう疑ううたがうまい事実じじつついに事実じじつからけっしてそれ自身じしん消滅しょうめつするものなかっ
反逆者はんぎゃくしゃ清子きよこ忠実ちゅうじつのべよりこのてんおい仕合せしあわせあっ
もし津田つだむろ入っはいっかれ気合きあい抜いぬい合わあわない時分じぶんわざと縁側えんがわすみからかお出しだしもの清子きよこなくっのべだっならそれ対するたいする津田つだ反応はんのうはたしてどうだろう
またなん細工さいくする かれすぐこう思うおもうなかっ
ところのべなくっ清子きよこよっ同じおなじ所作しょさ演ぜえんぜられなる結果けっか全然ぜんぜんべつなっ
そう変らかわら緩漫かんまん 緩漫かんまん思い込んおもいこんあげく現にげんに覚しいおぼしい早技はやわざ取っとっ投げなげられながら津田つだこう評するひょうするよりほか仕方しかたなかっ
そのうえ清子きよこただ外しはずしだけなかっ
彼女かのじょ先刻せんこく津田つだ吉川よしかわ夫人ふじん名前なまえ贈りものおくりもの大きなおおきな果物くだもの両手りょうてぶら提げさげまま縁側えんがわすみからある
どういうつもり今までいままでそれ厄介やっかいいるいうこと自身じしん津田つだ対したいし冷淡れいたん示すしめす度盛どもりならない明かあきらかあっ
それからその重いおもいもの今までいままで縁側えんがわすみ持っもっすれ無論むろんいったんした置いおいさらに取り上げとりあげ解釈かいしゃく彼女かのじょ所作しょさへんなかっ
少くすくなくとも不器用ふきようあっ
なん子供こども染みしみ
しかし彼女かのじょ平生へいぜいよく知っしっいる津田つだそこいかに清子きよこらしいあるもの認めみとめざるとくなかっ
滑稽こっけいいかにあなたらしい滑稽こっけいそうあなたちっともその滑稽こっけいところついない じゅうそう提げさげいる清子きよこ様子ようす津田つだほとんどこう云いいいたくなっ
百八十四ひゃくはちじゅうよん
する清子きよこそのすぐ下女げじょ渡しわたし
下女げじょどういい解らわからない器械きかいまと出しだしそれ受取っうけとっなり黙っだまっ
この単純たんじゅん所作しょさ双方そうほう行わおこなわれるあいだ津田つだ依然いぜん立ったっなけれならなかっ
しかし普通ふつう場合ばあい起るおこる手持無沙汰てもちむさた感じかんじ代りかわりかえって一種いっしゅ気楽きらく味わっあじわっかれなん苦痛くつうすん
かれただ延びのび挙動きょどう引続きひきつづき平生へいぜい清子きよこ矛盾むじゅんない意味いみからそれ眺めながめ
から昨夜さくや記憶きおくからくる不審ふしんいちばい強かっつよかっ
この逼らせまらないひとどうあんな蒼くあおくなっだろう
どうああ硬くかたく見えみえだろう
あの驚ろきおどろき具合ぐあいこの落ちつきおちつきほうそれだけどう考えかんがえ調和ちょうわなかっ
かれよるひる区別くべつ生れうまれ初めてはじめてついひとよう心持こころもち
かれ招ぜしょうぜられないさきまず自分じぶんから設けもうけせき着いつい
そう立ちたちながら果物くだものさら盛るもるべく命じめいじいる清子きよこ見守っみまもっ
どう土産みやげありがとう これ始めはじめ彼女かのじょくち洩れもれ挨拶あいさつあっ
話頭わとうその土産みやげ持っもっひとからその土産みやげくれひと好意こうい及ばおよばなけれならなかっ
もとよりうそ吐くはく覚悟かくご吉川よしかわ夫人ふじん名前なまえ利用りようその津田つだもうごまかすいう意識いしきすらなかっ
道伴どうともなっじいさんもう少しすこし蜜柑みかんやっちまうところでしあらどう 津田つだなん答えこたえよう平気へいきあっ
あんまり重くおもくってなっ困るこまるからですじゃ来るくる途中とちゅう始終しじゅう提げさげいらしっ 津田つだこの質問しつもんいかに清子きよこらしく無邪気むじゃき聴えきこえ
馬鹿ばかちゃいけませあなたじゃあるまいこんなもの提げさげ縁側えんがわあっち行っいったりこっちたりられるもんです 清子きよこただ微笑びしょうだけあっ
その微笑びしょう弁解べんかいなかっ
云い換えれいいかえれ一種いっしゅ余裕よゆうあっ
うそから出立しゅったつ津田つだこころますます平気へいきなるばかりあっ
そう変らかわらあなたいつなさそう結構けっこうですええちっとももと変りかわりませええってどう人間にんげんですもの この挨拶あいさつ聞くきくとも津田つだきゅうなん皮肉ひにく云いいいたくなっ
そのさらなか問題もんだい蜜柑みかん盛り分けもりわけ下女げじょ突然とつぜん笑いわらい出しだし
なん笑うわらう奥さんおくさんおっしゃることおかしいですもの弁解べんかい彼女かのじょ真面目まじめ津田つだ様子ようすあとからそれ具体的ぐたいてき説明せつめいべく余儀よぎなく
なるほどそう違いちがいございませ生きいきてるうちどなたどう人間にんげん生れ変りうまれかわりなけれだれって違っちがっ人間にんげんなれっこないからところそうない生きいきてるくせ生れ変るうまれかわるひといくらあるからへえそうですそんなひとあったらちっとかかりたいもんけれど望みのぞみなら逢わあわやっいいどうぞいっ下女げじょまたげらげら笑いわらい出しだし
またこれでしょう 彼女かのじょひとゆびゆび自分じぶんはなさき持っもっ行っいっ
旦那だんなようこれとても敵いかないませ奥さまおくさま部屋へやちゃんとにおい嗅ぎ分けるかぎわけるほうですから部屋へやどころじゃないお前おまえ年齢ねんれいから原籍げんせきから生れうまれ故郷こきょうからなんからなんまであてるこのはないちあれへえ恐ろしいおそろしいもんございますどう敵わかなわない旦那だんなよう会っかいっちゃ 下女げじょこう云っいっ立ち上ったちのぼっ
しかしむろ出がけでがけまた一句いっく揶揄やゆ津田つだ浴びせあびせ
旦那だんなようさぞりょうお上手おかみていらっしゃいましょう 日当りひあたり好いよい南向みなみむかい座敷ざしき取り残さとりのこさ二人ふたりきゅう静かしずかなっ
津田つだ縁側えんがわ面しめんし受けうけ坐っすわっ
清子きよこ欄干らんかん背いそむい坐っすわっ
津田つだせきから向うむこう見えるみえるやまひだいくだん重なり合っかさなりあっ日向ひなた日裏ひうら区別くべつ明らさまあからさま描き出すえがきだす景色けしき取るとるよう眺めながめられ
それ彩どるいろどる黄葉こうよう濃淡のうたんまた鮮やかあざやか陰影いんえい等差とうさかれひとみなか送り込んおくりこん
しかし眼界がんかい空間くうかん対したいしいる津田つだ違っちがっ清子きよこほうなん見るみるものなかっ
見れみれ北側きたがわ障子しょうじその障子しょうじ一部分いちぶぶん遮ぎるさえぎる津田つだ影像えいぞうだけあっ
彼女かのじょ視線しせん窮屈きゅうくつあっ
しかし彼女かのじょあまりそれする様子ようすなかっ
のべならすぐ姿勢しせい改めあらためられないだろういうところ彼女かのじょむしろ落ちついおちつい
彼女かのじょかお昨夕さくゆう反対はんたい津田つだ知っしっいる平生へいぜい彼女かのじょより少しすこし紅かっあかかっ
しかしそれ強いつよいあき光線こうせん直下ちょっか受けるうける生理せいり作用さよう結果けっかとも解釈かいしゃく
やま眺めながめ津田つだはしなく上気じょうきよう紅くあかく染っそめっ清子きよこ耳朶みみたぶ落ちおちかれはらうちそう考えかんがえ
彼女かのじょ耳朶みみたぶ薄かっうすかっ
そう位置いち関係かんけいからにく裏側うらがわ差し込んさしこん日光にっこうそこ寄っよっ彼女かのじょ血潮ちしお通過つうか始めはじめ津田つだ映っうつっくるよう思わおもわ
百八十五ひゃくはちじゅうご
こんな場合ばあいどっちさきくち利ききき出すだすだろうもし相手あいてのべする事実じじつ考えるかんがえるまでなく明暸めいりょうあっ
彼女かのじょ津田つだいちすん余裕よゆう与えあたえないおんなあっ
その代りかわり自分じぶんぶん寛ぎくつろぎさえ残しのこしおくことできない性質せいしつ生れうまれつい
彼女かのじょただ随時ずいじ随所ずいしょ精一杯せいいっぱい作用さようほしいままするだけあっ
勢いいきおい津田つだ始終しじゅう受身うけみ働きはたらき余儀よぎなく
そう彼女かのじょ応戦おうせんべく緊張きんちょう苦痛くつう努力どりょく窮屈きゅうくつなけれならなかっ
ところ清子きよこまえ据えるすえるそこ全くまったく別種べっしゅおもむき
段取だんどりきゅうぎゃくなっ
相撲すもう云えいえ彼女かのじょいつ津田つだこえ受けうけ立ったっ
から彼女かのじょ向うむこう廻しまわし津田つだ必ずかならず積極的せっきょくてき作用さよう
それじゅうじゅうまで楽々らくらくでき
二人ふたり取り残さとりのこさかれ取り残さとりのこさあと始めはじめこの特色とくしょくつい
つくむかしおんな対するたいする過去かこ記憶きおくいつ蘇生そせい
今までいままでかれ予想よそうつつあっ手持無沙汰てもちむさた感じかんじちょうどその手持無沙汰てもちむさた起らおこらなけれならない云ういう間際まぎわ不思議ふしぎきゅう消えきえ
かれ伸び伸びのびのび心持こころもち清子きよこまえ坐っすわっ
そうそれかれ彼女かのじょまえ事件じけん起らおこらない過去かこ経験けいけんもの大してたいして変っかわっなかっ
少くすくなくとも同じおなじ性質せいしつものないいう自覚じかくかれむねうち起っおこっ
したがっ談話だんわ途切れとぎれ積極的せっきょくてき動き始めうごきはじめものむかし通りとおりかれあっ
しかもむかし通りとおり気分きぶん動けるうごけるいうこと自身じしんかれ思いがけおもいがけない満足まんぞくなっ
せききみどうましそう変らかわら勉強べんきょうですそのあと御無沙汰ごむさたいっこうかかりませ 津田つだなんつかなかっ
会話かいわ皮切ひせつ清子きよこおっと問題もんだいすること可否かひ利害関係りがいかんけいから今日きょうまで自分じぶん二人ふたり起っおこっ感情かんじょう行掛りいきがかりうえから考えかんがえまたそれ纏綿てんめん情実じょうじつそば置いおい自然しぜん不自然ふしぜん批判ひはんから云っいっじついち思案しあんなけれならないてんあっ
それ平生へいぜい細心さいしん一顧いっこかかりねんさえなくただ雑作ぞうさ話頭わとう上せのぼせ津田つだまさに居常きょじょうのべ対するたいする用意ようい取りとり忘れわすれなかっ
しかし相手あいてすでにのべなかっ
津田つだその用心ようじん忘れわすれ差支えさしつかえなかっいう証拠しょうこすぐ清子きよこ挨拶あいさつぶり知れしれ
彼女かのじょ微笑びしょう答えこたえ
ええありがとうまあそう変らかわらです時々ときどき二人ふたりあなたうわさ致しいたしおりますああそうですぼく始終しじゅう忙がしいいそがしいもんですから方々かたがた失礼しつれいばかり良人おっとどうあなた近頃ちかごろじゃ閑暇かんかひとまるで生きいきられないどうことから自然しぜん互いたがい遠々えんしくなるですけどそれ仕方しかたない自然しぜん成行なりゆきからそうです こう答えこたえ津田つだそうですいう代りかわりそうです訊いきいたいよう
そうですただそれだけ疎遠そえんなっですそれあなた本音ほんねですいう詰問きつもんこのすでに無言むごん文句もんくなっかれはらなかくら
しかもかれほとんど以前いぜん同じおなじよう単純たんじゅんもしくは単純たんじゅんより解釈かいしゃくできない清子きよこ眼前がんぜん見出しみだし
彼女かのじょ態度たいど二人ふたりせき話題わだいするだけ余裕よゆうちゃんとって
それくちならないほど淡泊たんぱく現われあらわれ
ただそれ津田つだ暗にあんに予期よき掛っかかっところもの同時どうじかれかつて予想よそうとくなかっところものなかっ
むかしままおんな主人公しゅじんこう再びふたたび会うあうことできいう満足まんぞく彼女かのじょそのむかしまま鷹揚おうよう態度たいどせきはなし平気へいき津田つだまえ得るうるいう不満足ふまんぞくいっしょなけれならなかっ
どうそれ不満足ふまんぞく 津田つだめん向っむかっこの質問しつもん対するたいするだけ勇気ゆうきなかっ
せき現にげんに彼女かのじょおっとある以上いじょうかれ敬意けいいもっ彼女かのじょこの態度たいど認めみとめなけれならなかっ
けれどそれ表通りおもてどおり沙汰さたあっ
偶然ぐうぜん往来おうらい通るとおる他人たにんする批評ひひょう過ぎすぎなかっ
うらべつ見方みかたあっ
そこ無関心むかんしん通りがかりとおりがかりひと違っちがっ自分じぶんいうもの頑張っがんばっ
そうその自分じぶんわたくしいういのちけることできなかっ津田つだ飽くまであくまでそれ特殊とくしゅひと呼ぼうよぼう
かれいわゆる特殊とくしゅひとすなわち素人しろうと対するたいする黒人こくじんあっ
知者ちしゃ対するたいする有識者ゆうしきしゃあっ
もしくは俗人ぞくじん対するたいする専門家せんもんかあっ
から通りとおり一遍いちぺんものより余計よけいくち利くきく権利けんりもっいるしかかれ思えおもえなかっ
ひょう認めみとめうらくび肯わうけがわなかっ津田つだ清子きよこ対するたいする心持こころもちなん形式けいしき外部がいぶ発現はつげんする当然とうぜんあっ
百八十六ひゃくはちじゅうろく
昨夕さくゆう失礼しつれいまし 津田つだ突然とつぜんこう云っいっ
それどんなかぜ相手あいて動かすうごかすだろういうかれ覘いのぞいどころあっ
わたくしこそ 清子きよこ返事へんじすらすら
そこなん苦痛くつう認めみとめられなかっ津田つだ疑っうたがっ
このおんな今朝けさなっもうよる驚ろきおどろき繰り返すくりかえすことできないかしら もしそれ憶い起すおもいおこす能力のうりょくすら失っうしなっいるするかれ使命しめいぜんあれわるあれはかないものあっ
じつあなた驚ろかしおどろかしあとすまないこと思っおもっですじゃ止しよし下されくだされよかっ止せよせよかっですけれど知らしらなけれ仕方しかたないじゃありませあなたここいらっしゃろうゆめ思いがけおもいがけなかっですものわたくし土産みやげ持っもっわざわざ東京とうきょうから下すっくだすっでしょうそれそうですけれど知らしらなかっこと事実じじつです昨夕さくゆう偶然ぐうぜんかかっだけですそうですか知らかしら 故意こい昨夕さくゆう津田つだ認めみとめいるらしい清子きよこ口吻こうふんかれ驚ろかしおどろかし
ってわざとあんな真似まねするわけないじゃありませなんぼぼく酔興すいきょうってけどあなただいぶあすこ立ったっいらしったらしい 津田つだ水盤すいばん溢れるあふれるみず眺めながめなかっ
姿見すがたみ映るうつるわがかげ見つめみつめなかっ
最後さいごそこあるくし取っとっあたままで梳いすいぐずぐずなかっ
迷児まいごなっ行先いきさき分らわからなくなりゃ仕方しかたないじゃありませそうそりゃそうけれどわたくしそう思えおもえなかっですものぼく待ち伏せまちぶせ思っおもってるです冗談じょうだんじゃないいくらぼくはな万能ばんのうってあなた湯泉ゆぜん入るはいる時間じかんまで分りゃわかりゃませなるほどそりゃそう 清子きよこくちなるほどいう言葉ことばいかになるほど合点がてんらしい調子ちょうし帯びおびいる津田つだ思わおもわ吹き出しふきだし
いったいなんってそんなこと疑っうたがっいらっしゃるですそりゃ申し上げもうしあげないって解りわかりなってるはずです解りわかりっこないじゃありませじゃ解らわからない構わかまわない説明せつめいする必要ひつようないことから 津田つだ仕方なししかたなし側面そくめんから向っむかっ
それぼくなんためあなた廊下ろうかすみ待ち伏せまちぶせですそれ話しはなし下さいくださいそりゃ話せはなせないそう遠慮えんりょないいいから是非ぜひ話しはなし下さいください遠慮えんりょじゃない話せはなせないから話せはなせないしかし自分じぶんむねあることじゃありませ話そうはなそう思いおもいさえすれだれ話せるはなせるはず思いおもいますわたくしむね何になんにありゃない 単純たんじゅんこの一言ひとこときゅう津田つだ機鋒きほう挫いくじい
同時どうじかれ語勢ごせい飛躍ひやく
なけれどこからその疑いうたがいですもし疑ぐるうたぐる悪けれわるけれ謝まりあやまりますそう止しよしますけどもう疑っうたがっじゃありませってそりゃ仕方しかたない疑っうたがっ事実じじつですものその事実じじつ白状はくじょう事実じじつですものいくら謝まっあやまったってどうたって事実じじつ取り消すとりけすわけ行かいかないですものからその事実じじつ聴かきか下されくだされいいです事実じじつすでに申し上げもうしあげじゃないそれ事実じじつ半分はんぶん三分一さんぶんいちですぼくその全部ぜんぶ聴きききたいです困るこまるなんいっ返事へんじたらいいでしょうわけないじゃありませこういう理由りゆうあるからそういう疑いうたがい起しおこしって云いいいさえすれたった一口ひとくち済んすんじまうことです 今までいままで困っこまっらしい清子きよここのきゅう落ちおちいう顔つきかおつき
ああそれ聴きききなりたい無論むろんです先刻せんこくからそれ伺いうかがいたけれこそこうしつこくあなた煩わわずらわいるじゃありませそれあなた隠そうかくそうなさるからそんならそう早くはやくおっしゃれいいわたくし隠しかくし何になんにませそんなこと理由りゆうなんないただあなたそういうことなさるほう待伏せまちぶせですええ馬鹿ばかちゃいけませわたくしあなたそういうほうから仕方しかたないうそ偽りいつわりないですものなるほど 津田つだうで拱いこまぬいした向いむかい
百八十七ひゃくはちじゅうなな
しばらく津田つだまたかお上げあげ
なんはなし議論ぎろんようなっしまいましぼくあなた問答もんどうするためじゃなかっ 清子きよこ答えこたえ
わたくしそんなちっともなかっつい自然しぜんそこ持っもっ行かいかしまっから故意こいじゃない故意こいないことぼく認めみとめますつまりぼくあんまりあなた問いつめといつめからでしょうまあそう 清子きよこまた微笑びしょう
津田つだその微笑びしょううちれい通りとおり余裕よゆう認めみとめ我慢がまんきれなくなっ
じゃ問答もんどうついでもういち答えこたえくれませええなんなり 清子きよこあらゆる津田つだ質問しつもん応ずるおうずる準備じゅんび整えととのえいるひとよう答えこたえぶり
それ質問しつもんかけないまえ少なからすくなからかれ失望しつぼう
なんもう忘れわすれいるこのひと こう思っおもっかれ同時どうじそれまた清子きよこ本来ほんらい特色とくしょくあることつい
かれ駄目だめ押すおすよう心持こころもちなっ訊いきい
しかし昨夕さくゆう階子段はしごだんうえあなた蒼くあおくなっじゃありませなっでしょう自分じぶんかお見えみえないから分りわかりませけれどあなた蒼くあおくなっおっしゃれそれないへえするあなた映ずるえいずるぼくまだ全くまったくうそなかっですありがたいぼく認めみとめ事実じじつあなた承認しょうにん下さるくださるです承認しょうにんなくっ実際じっさい蒼くあおくなったら仕方しかたないあなたそうそれから硬くかたくなりましええ硬くかたくなっ自分じぶん分っわかっましもう少しすこしあのまま我慢がまんたら倒れたおれ知れしれない思っおもっくらいですものつまり驚ろいおどろいでしょうええずいぶん吃驚びっくりそれ云いいいかけ津田つだ俯向加減かげんなっていねい林檎りんごかわ剥いむいいる清子きよこ手先てさき眺めながめ
滴るしたたるよう色づいいろづいかわナイフないふ洩れもれながらぐるぐる剥けむけ落ちるおちるあと水気みずけさわそう薄蒼いうすあおいにくしだい現われあらわれ来るくる変化へんかかれいちねん以上いじょう経っきょうっむかし憶い起さおもいおこさ
あのこのひとちょうどこういう姿勢しせいこういう林檎りんご剥いむいくれっけ ナイフないふ持ち方もちかたゆび運びはこびほう両肘りょうひじひざすれすれ長いながいたもとそと開いひらいいる具合ぐあいことごとくその模写もしゃあっうちただいち違うちがうところあるてん津田つだつい
それ彼女かのじょゆび飾るかざるくし宝石ほうせきあっ
もしそれ彼女かのじょ結婚けっこん永久えいきゅう記念きねんするならそのぎらぎら小さいちいさいひかりほど津田つだ彼女かのじょ鋭どくするどく遮ぎるさえぎるものなかっ
やわえん動くうごく彼女かのじょ手先てさき見つめみつめいるかれ当時とうじ回想かいそうするうっとりゆめ消息しょうそくうち燦然さんぜんたる警戒けいかい閃めきひらめき認めみとめなけれならなかっ
かれすぐ清子きよこから放しはなしそのかみ
しかし今朝けさ下女げじょ結っけつっやっいうそのかみ通例つうれいひさしあっ
なん認めみとめられない黒いくろい光沢こうたくくし入れいれあと行儀ぎょうぎ正しくただしくたて残しのこしいるだけあっ
津田つだ思い切っおもいきっいったん捨てようすてよう言葉ことばまた取り上げとりあげ
それぼく訊きききたいです 清子きよこかお上げあげなかっ
津田つだそれ構わかまわあと続けつづけ
昨夕さくゆうそんな驚ろいおどろいあなた今朝けさまたどうそんな平気へいきられるでしょう 清子きよこ俯向いうつむいまま答えこたえ
なぜぼくにゃその心理しんり作用さよう解らわからないから伺ううかがうです 清子きよこやっぱり津田つだ答えこたえ
心理しんり作用さようなんてむずかしいものわたくし解らわからないただ昨夕さくゆうああ今朝けさこうそれだけ説明せつめいそれだけですええそれだけ もし芝居しばいするなら津田つだここいち溜息ためいき吐くはくところあっ
けれどかれ押し切っおしきっそれやる勇気ゆうきなかっ
このおんなまえそんな真似まね始まらはじまらないいう技巧ぎこう走ろうはしろうするかれどこなく抑えつけおさえつけ
しかしあなた今朝けさいつも時間じかん起きおきなかっじゃありませ 清子きよここのもんかけるいなかお上げあげ
あらどうそんなこと御承知ごしょうちちゃんと知っしってるです 清子きよこちょっと津田つだすぐした落しおとし
そう綺麗きれい剥いむい林檎りんご入れいれながら答えこたえ
なるほどあなた天眼てんがんつうなくってんはなつう実際じっさいよく利くきく 冗談じょうだんとも諷刺ふうし真面目まじめかたつかないこの一言ひとことまえ津田つだ退避たいひ
清子きよこようやく剥きむき終っおわっ林檎りんご津田つだまえ押しやっおしやっ
あなたいかが
百八十八ひゃくはちじゅうはち
津田つだ清子きよこ剥いむいくれ林檎りんご触れふれなかっ
あなたいかがですせっかく吉川よしかわ奥さんおくさんあなたためいっ贈っおくっくれですそうそうあなたまたわざわざそれここまで持っもっ下すっくだすっですその親切しんせつ対したいしいただかなくっちゃ悪いわるい 清子きよここう云いいいながら二人ふたりある林檎りんごいちかた取っとっ
しかしそれくち持っもっ行くいくまえまた訊いきい
しかし考えるかんがえるおかしいいったいどうでしょうなんどうですわたくし吉川よしかわ奥さんおくさんお見舞おみまいいただこう思わおもわなかっそれからそのお見舞おみまいまたあなた持っもっ下さろうくださろうなおさら思わおもわなかっ 津田つだくちうちそうでしょうぼくさえそんなこと思わおもわなかっから云っいっ
そのかおじっと見守っみまもっ清子きよこ判然はんぜんこたえ津田つだから待ち受けるまちうけるよう予期よきひかり射ししゃし
かれそのひかり対するたいする特殊とくしゅ記憶きおく呼び起しよびおこし
ああこのっけ 二人ふたり何度なんど繰り返さくりかえさ過去かこ光景こうけいありあり津田つだまえ浮き上っうきあがっ
その時分じぶん清子きよこ津田つだつく一人ひとりおとこ信じしんじ
からすべて知識ちしきかれから仰いおっしゃい
あらゆる疑問ぎもん解決かいけつかれ求めもとめ
自分じぶん解らわからない未来みらい挙げあげかれうえ投げかけるなげかけるよう見えみえ
したがっ彼女かのじょ動いうごいせいあっ
なん訊こうきこうするうちしん平和へいわ輝きかがやきあっ
かれその輝きかがやき一人ひとり専有せんゆうする特権とっけんもっ生れうまれよう
自分じぶんあれこそこの存在そんざいするさえ思っおもっ
二人ふたりついに離れはなれ
そうまた会っかいっ
自分じぶん離れはなれ以後いご清子きよこむかしままむかし違っちがっ意味いみやっぱり存在そんざいいる注意ちゅういよう心持こころもち津田つだ一種いっしゅ感慨かんがい打たうた
それあなたくしところですけれどもうわたくし失望しつぼうせる美しうつくし過ぎすぎなくなっです判然はんぜん教えおしえ下さいください 津田つだ疑問ぎもん清子きよこ疑問ぎもん暫時ざんじ視線しせんうえ行き合っいきあっあと最初さいしょ引いひいもの清子きよこあっ
津田つだその退きしりぞきほう
そうそこ二人ふたりある意気いきこみ相違そうい認めみとめ
彼女かのじょどこまで逼らせまらなかっ
どう構わかまわないいうかぜよそ持っもっ行っいっ彼女かのじょそれ床の間とこのま活けいけある寒菊かんぎくはなうえ落しおとし
逃げにげられ津田つだくち追かけおいかけなけれならなかっ
なんぼぼくってただ吉川よしかわ奥さんおくさん使だけじゃありませでしょうからへんちっともへんことありませぼくぼく独立どくりつここ来ようこよう思っおもってるところ奥さんおくさん会っかいっ始めはじめあなたここいらっしゃること聴かさきかさうえつい土産みやげまで頼またのまちまっですそうでしょうそうなけれどう考えかんがえってへんですからいくらへんって偶然ぐうぜんいうこと世の中よのなかありますそうあなたようからもうへんじゃないわけさえ伺えうかがえなん当り前あたりまえなっちまう 津田つだついこっちそのわけ訊ききき云いいいたくなっ
しかし何になんにそこ頓着とんちゃくないらしい清子きよこ質問しつもん正直しょうじきあっ
それあなたどこ悪いわるい 津田つだ言葉少なことばずくな病気びょうき顛末てんまつ説明せつめい
清子きよこ云っいっ
結構けっこうあなたそういう会社かいしゃほう御都合ごつごうつくからそこ行くいく良人おっとなんか気の毒きのどくものあさからばんまで忙がしいそがしそうせききみこそ酔興すいきょうから仕方しかたない可哀想かわいそうまさかいやぼくいう善いよい意味いみ酔興すいきょうですつまり勉強家べんきょうかいうことですまあお上手おかみてこと この時下じかから急ぎ足いそぎあし階子段はしごだん上っのぼっ来るくる草履ぞうりおと聴えきこえなん云おういおう津田つだ黙っだまっ様子ようす
する先刻せんこく違っちがっ下女げじょそこかお出しだし
あのはまお客さまおきゃくさま奥さまおくさまうまからたきほう散歩さんぽいでなりませ伺っうかがっ来いこいおっしゃいまし供しきょうしましょう清子きよこ返事へんじ聴いきい下女げじょ立ちたちさい津田つだほうながら旦那だんなよういっしょいらっしゃいまし云っいっ
ありがとうもううまええただいま御飯ごはん持っもっ参りまいります驚ろいおどろい 津田つだようやく立ち上ったちのぼっ
奥さんおくさん云おういおう云いいい損なっそこなっかれつい清子きよこさん呼び掛けよびかけ
あなたいつごろまでいでです予定よていなんかまるでないたくから電報でんぽう来れこれ今日きょう帰らかえらなくっちゃならない 津田つだ驚ろいおどろい
そんなもの来るくるですそりゃなん云えいえない 清子きよここう云っいっ微笑びしょう
津田つだその微笑びしょう意味いみ一人ひとり説明せつめいしよう試みこころみながら自分じぶんむろ帰っかえっ
未完みかん
19/19