明暗

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その一の学校友達という連想から、また自分の親戚の方へ逆戻りをして、甥の真事だの、いろいろな名がたくさん並べられた。初手から気がついていながら、最後まで名を書かなかったのは小林だけであった。他の意味は別として、ただ在所を嗅ぎつけられるという恐れから、津田はどうしてもこの旅行先を彼に知らせたくなかったのである。その小林は不日朝鮮へ行くべき人であった。無検束をもって自ら任ずる彼は、海を渡る覚悟ですでにもう汽車に揺られているかも知れなかった。同時に不規律な彼はまた出立と公言した日が来ても動かずにいないとも限らなかった。絵端書を見て、(もし津田がそれを出すとすると、)すぐここへやって来ないという事はけっして断言できなかった。

第 19 章
津田つだは陰晴いんせい定めさだめなき天気てんきを相手あいてにして戦うたたかうように厄介やっかいなこの友達ともだち、もっと適切てきせつにいうとこの敵てき、の事ことを考えかんがえて、思わおもわず肩かたを峙だてた。
するといったん緒口いとぐちの開いひらいた想像そうぞうの光景こうけいはそこでとまらなかった。
彼かれを拉しらっしてずんずん先さきへ進んすすんだ。
彼かれは突然とつぜん玄関げんかんへ馬車ばしゃを横よこ付ふにする、そうして怒鳴り込むどなりこむような大きなおおきな声こえを出しだして彼かれの室むろへ入っはいってくる小林こばやしの姿すがたを眼前がんぜんに髣髴ほうふつした。
「何なんしに来きた」「何なんしにでもない、貴様きさまを厭いやがらせに来きたんだ」「どういう理由りゆうで」「理由りゆうも糸瓜へちまもあるもんか。貴様きさまがおれを厭いやがる間まは、いつまで経っきょうってもどこへ行っいっても、ただ追かけるおいかけるんだ」「畜生ちくしょうッっ」 津田つだは突然とつぜん拳こぶしを固めかためて小林こばやしの横よこッっ面めんを撲らなぐらなければならなかった。
小林こばやしは抵抗ていこうする代りかわりに、たちまち大の字だいのじになって室むろの真中まなかへ踏ん反りふんぞり返らかえらなければならなかった。
「撲っなぐったな、この野郎やろう。さあどうでもしろ」 まるで舞台ぶたいの上うえでなければ見みられないような活劇かつげきが演ぜえんぜられなければならなかった。
そうしてそれが宿やど中なかの視聴しちょうを脅かさおびやかさなければならなかった。
その中なかには是非ぜひとも清子きよこが交っかっていなければならなかった。
万事ばんじは永久えいきゅうに打ち砕かうちくだかれなければならなかった。
事実じじつよりも明暸めいりょうな想像そうぞうの一幕ひとまくを、描くえがくともなく頭あたまの中なかに描き出しえがきだした津田つだは、突然とつぜんぞっとして我われに返っかえった。
もしそんな馬鹿げばかげた立ち廻りたちまわりが実際じっさい生活せいかつの表面ひょうめんに現われあらわれたらどうしようと考えかんがえた。
彼かれは羞恥しゅうちと屈辱くつじょくを遠くとおくの方ほうに感じかんじた。
それを象徴しょうちょうするために、頬ほおの内側うちがわが熱っねつって来るくるような気きさえした。
しかし彼かれの批判ひはんはそれぎり先さきへ進めすすめなかった。
他ほかに対したいして面目めんぼくを失ううしなう事こと、万一まんいちそんな不始末ふしまつをしでかしたら大変たいへんだ。
これが彼かれの倫理観りんりかんの根柢こんていに横わっよこたわっているだけであった。
それを切りつめるきりつめると、ついに外聞がいぶんが悪いわるいという意味いみに帰着きちゃくするよりほかに仕方しかたがなかった。
だから悪いわるい奴やつはただ小林こばやしになった。
「おれに何なんの不都合ふつごうがある。彼奴きゃつさえいなければ」 彼かれはこう云っいって想像そうぞうの幕まくに登場とうじょうした小林こばやしを責めせめた。
そうして自分じぶんを不面目ふめんぼくにするすべての責任せきにんを相手あいてに背負わせおわせた。
夢ゆめのような罪人ざいにんに宣告せんこくを下しおろした後あとの彼かれは、すぐ心こころの調子ちょうしを入れ代えいれかえて、紙入かみいれの中なかから一いち枚ばいの名刺めいしを出しだした。
その裏うらに万年筆まんねんひつで、「僕ぼくは静養せいようのため昨夜さくやここへ来きました」と書いかいたなり首くびを傾けかたむけた。
それから「あなたがおいでの事ことを今朝けさ聴きききました」と付け足しつけたしてまた考えかんがえた。
「これじゃ空々しくそらぞらしくっていけない、昨夜さくや会っかいった事ことも何なんとか書かかかなくっちゃ」 しかし当り障りあたりさわりのないようにそこへ触れるふれるのはちょっと困難こんなんであった。
第一だいいち書くかく事ことが複雑ふくざつになればなるほど、文字もじが多くおおくなって一いち枚ばいの名刺めいしでは事ことが足りたりなくなるだけであった。
彼かれはなるべく淡泊たんぱくした口上こうじょうを伝えつたえたかった。
したがって小しょう面倒めんどうな封書ふうしょなどは使いつかいたくなかった。
思いついおもいついたように違い棚ちがいだなの上うえを眺めながめた彼かれは、まだ手てをつけなかった吉川よしかわ夫人ふじんの贈物おくりものが、昨日きのうのままでちゃんと載せのせてあるのを見みて、すぐそれを下したへ卸しおろした。
彼かれは果物くだもの籃の葢おおいの間まへ、「御ご病気びょうきはいかがですか。これは吉川よしかわの奥さんおくさんからのお見舞おみまいです」と書いかいた名刺めいしを挿しさし込んこんだ後あとで、下女げじょを呼んよんだ。
「宅たくに関せきさんという方ほうがおいでだろう」 今朝けさ給仕きゅうじをしたのと同じおなじ下女げじょは笑いわらい出しだした。
「関せきさんが先刻せんこくお話しはなした奥さんおくさんの事ことですよ」「そうか。じゃその奥さんおくさんでいいから、これを持っもって行っいって上げあげてくれ。そうしてね、もしお差支えさしつかえがなければちょっとお目めにかかりたいって」「へえ」 下女げじょはすぐ果物くだもの籃を提げさげて廊下ろうかへ出でた。
百八十二ひゃくはちじゅうに
返事へんじを待ち受けるまちうける間まの津田つだは居据りいすわりの悪いわるい置物おきもののように落ちつかおちつかなかった。
ことにすぐ帰っかえって来きべきはずの下女げじょが思っおもった通りとおりすぐ帰っかえって来きないので、彼かれはなおの事こと心こころを遣っつかった。
「まさか断ることわるんじゃあるまいな」 彼かれが吉川よしかわ夫人ふじんの名なを利用りようしたのは、すでに万一まんいちを顧慮こりょしたからであった。
夫人ふじんとそうして彼女かのじょの見舞みまい品しな、この二につは、それを届けるとどける津田つだに対したいして、清子きよこの束縛そくばくを解くとく好いよい方便ほうべんに違いなかった。
単にたんに彼かれと応接おうせつする煩わしわずらわしさ、もしくはそれから起りおこり得るうる嫌疑けんぎを避けようさけようとするのが彼女かのじょの当体とうたいであったにしたところで、果物くだもの籃の礼れいはそれを持っもって来きた本人ほんにんに会っかいって云ういうのが、順じゅんであった。
誰だれがどう考えかんがえても無理むりのない名案めいあんを工夫くふうしたと信ずるしんずるだけに、下女げじょの遅いおそいのを一層いっそう苦くにしなければならなかった彼かれは、ふかしかけた煙草たばこを捨てすてて、縁側えんがわへ出でたり、何なんのためとも知れしれず、黙っだまって池いけの中なかを動いうごいている緋鯉ひごいを眺めながめたり、そこへしゃがんで、軒下のきしたに寝ねている犬いぬの鼻面はなづらへ手てを延ばしのばして見みたりした。
やっとの事ことで、下女げじょの足音あしおとが廊下ろうかの曲り角まがりかどに聴えきこえた時じに、わざと取り繕っとりつくろった余裕よゆうを外側そとがわへ示ししめしたくなるほど、彼かれの心こころはそわそわしていた。
「どうしたね」「お待遠まちどおさま。大変たいへん遅かっおそかったでしょう」「なにそうでもないよ」「少しすこしお手伝いてつだいをしていたもんですから」「何なんの?」「お部屋へやを片づけかたづけてね、それから奥さんおくさんの御髪おぐしを結っけつって上げあげたんですよ。それにしちゃ早いはやいでしょう」 津田つだは女おんなの髷まげがそんなに雑作ぞうさなく結えるゆわえる訳わけのものでないと思っおもった。
「銀杏ぎんなん返しかえしかい、丸髷まるまげかい」 下女げじょは取り合わとりあわずにただ笑いわらい出しだした。
「まあ行っいって御覧ごらんなさい」「行っいって御覧ごらんなさいって、行っいっても好いよいのかい。その返事へんじを先刻せんこくからこうして待っまってるんじゃないか」「おやどうもすみません、肝心かんじんのお返事へんじを忘れわすれてしまって。――どうぞおいで下さいくださいましって」 やっと安心あんしんした津田つだは、立上りたちあがりながらわざと冗談じょうだん半分はんぶんに駄目だめを押しおした。
「本当ほんとうかい。迷惑めいわくじゃないかね。向むかいへ行っいってから気の毒きのどくな思いおもいをさせられるのは厭いやだからね」「旦那だんな様ようはずいぶん疑り深いうたぐりぶかい方ほうですね。それじゃ奥さんおくさんもさぞ――」「奥さんおくさんとは誰だれだい、関せきの奥さんおくさんかい、それとも僕ぼくの奥さんおくさんかい」「どっちだか解っわかってるじゃありませんか」「いや解らわからない」「そうでございますか」 兵児帯へこおびを締め直ししめなおした津田つだの後ろうしろへ廻っまわった下女げじょは、室むろを出ようでようとする背中せなかから羽織はおりをかけてくれた。
「こっちかい」「今いま御ご案内あんないを致しいたします」 下女げじょは先さきへ立ったった。
夢遊むゆう病者びょうしゃとして昨夕さくゆう彷徨っほうこうった記憶きおくが、例れいの姿見すがたみの前まえへ出でた時じ、突然とつぜん津田つだの頭あたまに閃めいひらめいた。
「ああここだ」 彼かれは思わおもわずこう云っいった。
事情じじょうを知らしらない下女げじょは無邪気むじゃきに訊き返しききかえした。
「何なんがです」 津田つだはすぐごまかした。
「昨夕さくゆう僕ぼくが幽霊ゆうれいに出会っであったのはここだというのさ」 下女げじょは変へんな顔かおをした。
「馬鹿ばかをおっしゃい。宅たくに幽霊ゆうれいなんか出るでるもんですか。そんな事ことをおっしゃると――」 客商売きゃくしょうばいをする宿やどに対したいして悪いわるい洒落しゃれを云っいったと悟っさとった津田つだは、賢こくかしこく二に階かいを見上げみあげた。
「この上うえだろう、関せきさんのお室むろは」「ええ、よく知っしってらっしゃいますね」「うん、そりゃ知っしってるさ」「天眼通てんがんとおりですね」「天眼てんがん通つうじゃない、天てん鼻はな通つうと云っいって万事ばんじ鼻はなで嗅ぎ分けるかぎわけるんだ」「まるで犬いぬ見みたいですね」 階子段はしごだんの途中とちゅうで始まっはじまったこの会話かいわは、上り口あがりぐちの一番いちばん近くちかくにある清子きよこの部屋へやからもう聴き取れるききとれる距離きょりにあった。
津田つだは暗にあんにそれを意識いしきした。
「ついでに僕ぼくが関せきさんの室むろを嗅ぎ分けかぎわけてやるから見みていろ」 彼かれは清子きよこの室むろの前まえへ来きて、ぱたりとスリッパーすりっぱーの音おとを止めとめた。
「ここだ」 下女げじょは横眼よこめで津田つだの顔かおを睨めるにらめるように見みながら吹き出しふきだした。
「どうだ当っあたったろう」「なるほどあなたの鼻はなはよく利きききますね。猟犬りょうけんよりたしかですよ」 下女げじょはまた面白おもしろそうに笑っわらったが、室むろの中なかからはこの賑やかにぎやかさに対するたいする何なんの反応はんのうも出でて来きなかった。
人ひとがいるかいないかまるで分らわからない内側うちがわは、始めはじめと同じおなじように索寞さくばくしていた。
「お客さまおきゃくさまがいらっしゃいました」 下女げじょは外部がいぶから清子きよこに話しかけはなしかけながら、建てつけたてつけの好いよい障子しょうじをすうと開けあけてくれた。
「御免ごめん下さいください」 一言ひとことの挨拶あいさつと共ともに室むろの中なかに入っはいった津田つだはおやと思っおもった。
彼かれは自分じぶんの予期よき通りとおり清子きよこをすぐ眼めの前まえに見出しみだし得とくなかった。
百八十三ひゃくはちじゅうさん
室むろは二に間続きまつづきになっていた。
津田つだの足あしを踏み込んふみこんだのは、床ゆかのない控えひかえの間まの方ほうであった。
黒柿くろがきの縁えんと台だいの付いついた長方形ちょうほうけいの鏡かがみの前まえに横よこ竪縞たてじまの厚いあつい座蒲団ざふとんを据えすえて、その傍そばに桐きりで拵らえこしらえた小型こがたの長火鉢ながひばちが、普通ふつうの家庭かていに見るみる茶の間ちゃのまの体裁ていさいを、小規模しょうきぼながら髣髴ほうふつせしめた。
隅すみには黒塗くろぬりの衣桁いこうがあった。
異性いせいに附着ふちゃくする花やかはなやかな色いろと手触りてざわりの滑なめこそうな絹きぬの縞しまが、折り重なっおりかさなってそこに投げかけなげかけられていた。
間まの襖ふすまは開け放たあけはなたれたままであった。
津田つだは正面しょうめんに当るあたる床の間とこのまに活かつ立たてらしい寒菊かんぎくの花はなを見みた。
前まえには座蒲団ざふとんが二につ向い合せむかいあわせに敷いしいてあった。
濃茶こいちゃに染めそめた縮緬ちりめんのなかに、牡丹ぼたんか何なんかの模様もようをたった一いちつ丸くまるく白しろに残しのこしたその敷物しきものは、品柄しながらから云っいっても、また来客らいきゃくを待ち受けるまちうける準備じゅんびとしても、物々しいものものしいものであった。
津田つだは席せきにつかない先さきにまず直感ちょっかんした。
「すべてが改まっあらたまっている。これが今日きょう会うあう二人ふたりの間まに横わるよこたわる運命うんめいの距離きょりなのだろう」 突然とつぜんとしてここに気きのついた彼かれは、今いまこの室むろへ入り込んはいりこんで来きた自分じぶんをとっさに悔いようくいようとした。
しかしこの距離きょりはどこから起っおこったのだろう?
考えれかんがえれば起るおこるのが当り前あたりまえであった。
津田つだはただそれを忘れわすれていただけであった。
では、なぜそれを忘れわすれていたのだろう?
考えれかんがえれば、これも忘れわすれているのが当り前あたりまえかも知れしれなかった。
津田つだがこんな感想かんそうに囚えとらえられて、控ひかえの間まに立ったったまま、室むろを出るでるでもなし、席せきにつくでもなし、うっかり眼前がんぜんの座蒲団ざふとんを眺めながめている時じに、主人しゅじん側がわの清子きよこは始めはじめてその姿すがたを縁側えんがわの隅すみから現わしあらわした。
それまで彼女かのじょがそこで何なんをしていたのか、津田つだにはいっこう解せげせなかった。
また何なんのために彼女かのじょがわざわざそこへ出でていたのか、それも彼かれには通じつうじなかった。
あるいは室むろを片づけかたづけてから、彼かれの来るくるのを待ち受けるまちうける間ま、欄干らんかんの隅すみに倚りよりかかりでもして、山やまに重なるかさなる黄葉こうようの色いろでも眺めながめていたのかも知れしれなかった。
それにしても様子ようすが変へんであった。
有体ありていに云えいえば、客きゃくを迎えるむかえるというより偶然ぐうぜん客きゃくに出喰わしでくわしたというのが、この時じの彼女かのじょの態度たいどを評するひょうするには適当てきとうな言葉ことばであった。
しかし不思議ふしぎな事ことに、この態度たいどは、しかつめらしく彼かれの着席ちゃくせきを待ち受けるまちうける座蒲団ざふとんや、二人ふたりの間まを堰くせくためにわざと真中まなかに置かおかれたように見えるみえる角かく火鉢ひばちほど彼かれの気色けしきに障らさわらなかった。
というのは、それが元もとから彼かれの頭あたまに描き出さえがきだされている清子きよこと、全くまったく釣り合わつりあわないまでにかけ離れかけはなれた態度たいどではなかったからである。
津田つだの知っしっている清子きよこはけっしてせせこましい女おんなでなかった。
彼女かのじょはいつでも優悠ゆうゆうしていた。
どっちかと云えいえばむしろ緩漫かんまんというのが、彼女かのじょの気質きしつ、またはその気質きしつから出るでる彼女かのじょの動作どうさについて下しおろし得るうる特色とくしょくかも知れしれなかった。
彼かれは常つねにその特色とくしょくに信しんを置いおいていた。
そうしてその特色とくしょくに信しんを置きおき過ぎすぎたため、かえって裏切らうらぎられた。
少くすくなくとも彼かれはそう解釈かいしゃくした。
そう解釈かいしゃくしつつも当時とうじに出来上っできあがった信しんはまだ不ふ自覚じかくの間まに残っのこっていた。
突如とつじょとして彼女かのじょが関せきと結婚けっこんしたのは、身みを翻がえすひるがえす燕えんのように早かっはやかったかも知れしれないが、それはそれ、これはこれであった。
二につのものを結びつけむすびつけて矛盾むじゅんなく考えようかんがえようとする時じ、悩乱のうらんは始めはじめて起るおこるので、離しはなして眺めれながめれば、甲こうが事実じじつであったごとく、乙おつもやッぱりやっぱり本当ほんとうでなければならなかった。
「あの緩いゆりい人ひとはなぜ飛行機ひこうきへ乗っのった。彼かれはなぜ宙返りちゅうがえりを打っうった」 疑いうたがいはまさしくそこに宿るやどるべきはずであった。
けれども疑おううたがおうが疑ううたがうまいが、事実じじつはついに事実じじつだから、けっしてそれ自身じしんに消滅しょうめつするものでなかった。
反逆者はんぎゃくしゃの清子きよこは、忠実ちゅうじつなお延のべよりこの点てんにおいて仕合せしあわせであった。
もし津田つだが室むろに入っはいって来きた時じ、彼かれの気合きあいを抜いぬいて、間まの合わあわない時分じぶんに、わざと縁側えんがわの隅すみから顔かおを出しだしたものが、清子きよこでなくって、お延のべだったなら、それに対するたいする津田つだの反応はんのうははたしてどうだろう。
「また何なんか細工さいくをするな」 彼かれはすぐこう思うおもうに違いなかった。
ところがお延のべでなくって、清子きよこによって同じおなじ所作しょさが演ぜえんぜられたとなると結果けっかは全然ぜんぜん別べつになった。
「相そう変らかわらず緩漫かんまんだな」 緩漫かんまんと思い込んおもいこんだあげく、現にげんに眼め覚しいおぼしい早技はやわざで取っとって投げなげられていながら、津田つだはこう評するひょうするよりほかに仕方しかたがなかった。
その上うえ清子きよこはただ間まを外しはずしただけではなかった。
彼女かのじょは先刻せんこく津田つだが吉川よしかわ夫人ふじんの名前なまえで贈りものおくりものにした大きなおおきな果物くだもの籃を両手りょうてでぶら提げさげたまま、縁側えんがわの隅すみから出でて来きたのである。
どういうつもりか、今までいままでそれを荷に厄介やっかいにしているという事こと自身じしんが、津田つだに対したいしての冷淡れいたんさを示すしめす度盛どもりにならないのは明かあきらかであった。
それからその重いおもい物ものを今までいままで縁側えんがわの隅すみで持っもっていたとすれば無論むろん、いったん下したへ置いおいてさらに取り上げとりあげたと解釈かいしゃくしても、彼女かのじょの所作しょさは変へんに違いなかった。
少くすくなくとも不器用ふきようであった。
何なんだか子供こども染みしみていた。
しかし彼女かのじょの平生へいぜいをよく知っしっている津田つだは、そこにいかにも清子きよこらしい或ある物ものを認めみとめざるを得とくなかった。
「滑稽こっけいだな。いかにもあなたらしい滑稽こっけいだ。そうしてあなたはちっともその滑稽こっけいなところに気きがついていないんだ」 重じゅうそうに籃を提げさげている清子きよこの様子ようすを見みた津田つだは、ほとんどこう云いいいたくなった。
百八十四ひゃくはちじゅうよん
すると清子きよこはその籃をすぐ下女げじょに渡しわたした。
下女げじょはどうしていいか解らわからないので、器械きかい的まとに手てを出しだしてそれを受取っうけとったなり、黙っだまっていた。
この単純たんじゅんな所作しょさが双方そうほうの間まに行わおこなわれるあいだ、津田つだは依然いぜんとして立ったっていなければならなかった。
しかし普通ふつうの場合ばあいに起るおこる手持無沙汰てもちむさたの感じかんじの代りかわりに、かえって一種いっしゅの気楽きらくさを味わっあじわった彼かれには何なんの苦痛くつうも来きずにすんだ。
彼かれはただ間まの延びのびた挙動きょどうの引続きひきつづきとして、平生へいぜいの清子きよこと矛盾むじゅんしない意味いみからそれを眺めながめた。
だから昨夜さくやの記憶きおくからくる不審ふしんも一いち倍ばいに強かっつよかった。
この逼らせまらない人ひとが、どうしてあんなに蒼くあおくなったのだろう。
どうしてああ硬くかたく見えみえたのだろう。
あの驚ろきおどろき具合ぐあいとこの落ちつきおちつき方ほう、それだけはどう考えかんがえても調和ちょうわしなかった。
彼かれは夜よると昼ひるの区別くべつに生れうまれて初めてはじめて気きがついた人ひとのような心持こころもちがした。
彼かれは招ぜしょうぜられない先さきに、まず自分じぶんから設けもうけの席せきに着いついた。
そうして立ちたちながら果物くだものを皿さらに盛るもるべく命じめいじている清子きよこを見守っみまもった。
「どうもお土産みやげをありがとう」 これが始めはじめて彼女かのじょの口くちを洩れもれた挨拶あいさつであった。
話頭わとうはそのお土産みやげを持っもって来きた人ひとから、その土産みやげをくれた人ひとの好意こういに及ばおよばなければならなかった。
もとより嘘うそを吐くはく覚悟かくごで吉川よしかわ夫人ふじんの名前なまえを利用りようしたその時じの津田つだには、もうごまかすという意識いしきすらなかった。
「道伴どうともになったお爺じいさんに、もう少しすこしで蜜柑みかんをやっちまうところでしたよ」「あらどうして」 津田つだは何なんと答えこたえようが平気へいきであった。
「あんまり重くおもくって荷にになって困るこまるからです」「じゃ来るくる途中とちゅう始終しじゅう手てにでも提げさげていらしったの」 津田つだにはこの質問しつもんがいかにも清子きよこらしく無邪気むじゃきに聴えきこえた。
「馬鹿ばかにしちゃいけません。あなたじゃあるまいし、こんなものを提げさげて、縁側えんがわをあっちへ行っいったりこっちへ来きたりしていられるもんですか」 清子きよこはただ微笑びしょうしただけであった。
その微笑びしょうには弁解べんかいがなかった。
云い換えれいいかえれば一種いっしゅの余裕よゆうがあった。
嘘うそから出立しゅったつした津田つだの心こころはますます平気へいきになるばかりであった。
「相そう変らかわらずあなたはいつでも苦くがなさそうで結構けっこうですね」「ええ」「ちっとももとと変りかわりませんね」「ええ、だって同どうなじ人間にんげんですもの」 この挨拶あいさつを聞くきくと共ともに、津田つだは急きゅうに何なんか皮肉ひにくを云いいいたくなった。
その時じ皿さらの中なかへ問題もんだいの蜜柑みかんを盛り分けもりわけていた下女げじょが突然とつぜん笑いわらい出しだした。
「何なんを笑うわらうんだ」「でも、奥さんおくさんのおっしゃる事ことがおかしいんですもの」と弁解べんかいした彼女かのじょは、真面目まじめな津田つだの様子ようすを見みて、後あとからそれを具体的ぐたいてきに説明せつめいすべく余儀よぎなくされた。
「なるほど、そうに違いちがいございませんね。生きいきてるうちはどなたも同どうなじ人間にんげんで、生れ変りうまれかわりでもしなければ、誰だれだって違っちがった人間にんげんになれっこないんだから」「ところがそうでないよ。生きいきてるくせに生れ変るうまれかわる人ひとがいくらでもあるんだから」「へえそうですかね、そんな人ひとがあったら、ちっとお目めにかかりたいもんだけれども」「お望みのぞみなら逢わあわせてやってもいいがね」「どうぞ」といった下女げじょはまたげらげら笑いわらい出しだした。
「またこれでしょう」 彼女かのじょは人ひと指ゆび指ゆびを自分じぶんの鼻はなの先さきへ持っもって行っいった。
「旦那だんな様ようのこれにはとても敵いかないません。奥さまおくさまのお部屋へやをちゃんと臭においで嗅ぎ分けるかぎわける方ほうなんですから」「部屋へやどころじゃないよ。お前おまえの年齢ねんれいから原籍げんせきから、生れうまれ故郷こきょうから、何なんから何なんまであてるんだよ。この鼻はな一いちつあれば」「へえ恐ろしいおそろしいもんでございますね。――どうも敵わかなわない、旦那だんな様ように会っかいっちゃ」 下女げじょはこう云っいって立ち上ったちのぼった。
しかし室むろを出がけでがけにまた一句いっくの揶揄やゆを津田つだに浴びせあびせた。
「旦那だんな様ようはさぞ猟りょうがお上手おかみてでいらっしゃいましょうね」 日当りひあたりの好いよい南向みなみむかいの座敷ざしきに取り残さとりのこされた二人ふたりは急きゅうに静かしずかになった。
津田つだは縁側えんがわに面しめんして日ひを受けうけて坐っすわっていた。
清子きよこは欄干らんかんを背せにして日ひに背いそむいて坐っすわっていた。
津田つだの席せきからは向うむこうに見えるみえる山やまの襞ひだが、幾いく段だんにも重なり合っかさなりあって、日向ひなた日裏ひうらの区別くべつを明らさまあからさまに描き出すえがきだす景色けしきが手てに取るとるように眺めながめられた。
それを彩どるいろどる黄葉こうようの濃淡のうたんがまた鮮やかあざやかな陰影いんえいの等差とうさを彼かれの眸ひとみ中なかに送り込んおくりこんだ。
しかし眼界がんかいの豁い空間くうかんに対したいしている津田つだと違っちがって、清子きよこの方ほうは何なんの見るみるものもなかった。
見れみれば北側きたがわの障子しょうじと、その障子しょうじの一部分いちぶぶんを遮ぎるさえぎる津田つだの影像えいぞうだけであった。
彼女かのじょの視線しせんは窮屈きゅうくつであった。
しかし彼女かのじょはあまりそれを苦くにする様子ようすもなかった。
お延のべならすぐ姿勢しせいを改めあらためずにはいられないだろうというところを、彼女かのじょはむしろ落ちついおちついていた。
彼女かのじょの顔かおは、昨夕さくゆうと反対はんたいに、津田つだの知っしっている平生へいぜいの彼女かのじょよりも少しすこし紅かっあかかった。
しかしそれは強いつよい秋あきの光線こうせんを直下ちょっかに受けるうける生理せいり作用さようの結果けっかとも解釈かいしゃくされた。
山やまを眺めながめた津田つだの眼めが、端はしなく上気じょうきした時じのように紅くあかく染っそめった清子きよこの耳朶みみたぶに落ちおちた時じ、彼かれは腹はらのうちでそう考えかんがえた。
彼女かのじょの耳朶みみたぶは薄かっうすかった。
そうして位置いちの関係かんけいから、肉にくの裏側うらがわに差し込んさしこんだ日光にっこうが、そこに寄っよった彼女かのじょの血潮ちしおを通過つうかして、始めはじめて津田つだの眼めに映っうつってくるように思わおもわれた。
百八十五ひゃくはちじゅうご
こんな場合ばあいにどっちが先さきへ口くちを利ききき出すだすだろうか、もし相手あいてがお延のべだとすると、事実じじつは考えるかんがえるまでもなく明暸めいりょうであった。
彼女かのじょは津田つだに一いち寸すんの余裕よゆうも与えあたえない女おんなであった。
その代りかわり自分じぶんにも五ご分ぶんの寛ぎくつろぎさえ残しのこしておく事ことのできない性質せいしつに生れうまれついていた。
彼女かのじょはただ随時ずいじ随所ずいしょに精一杯せいいっぱいの作用さようをほしいままにするだけであった。
勢いいきおい津田つだは始終しじゅう受身うけみの働きはたらきを余儀よぎなくされた。
そうして彼女かのじょに応戦おうせんすべく緊張きんちょうの苦痛くつうと努力どりょくの窮屈きゅうくつさを甞めなければならなかった。
ところが清子きよこを前まえへ据えるすえると、そこに全くまったく別種べっしゅの趣おもむきが出でて来きた。
段取だんどりは急きゅうに逆ぎゃくになった。
相撲すもうで云えいえば、彼女かのじょはいつでも津田つだの声こえを受けうけて立ったった。
だから彼女かのじょを向うむこうへ廻しまわした津田つだは、必ずかならず積極的せっきょくてきに作用さようした。
それも十じゅうが十じゅうまで楽々らくらくとできた。
二人ふたり取り残さとりのこされた時じの彼かれは、取り残さとりのこされた後あとで始めはじめてこの特色とくしょくに気きがついた。
気きがつくと昔むかしの女おんなに対するたいする過去かこの記憶きおくがいつの間まにか蘇生そせいしていた。
今までいままで彼かれの予想よそうしつつあった手持無沙汰てもちむさたの感じかんじが、ちょうどその手持無沙汰てもちむさたの起らおこらなければならないと云ういう間際まぎわへ来きて、不思議ふしぎにも急きゅうに消えきえた。
彼かれは伸び伸びのびのびした心持こころもちで清子きよこの前まえに坐っすわっていた。
そうしてそれは彼かれが彼女かのじょの前まえで、事件じけんの起らおこらない過去かこに経験けいけんしたものと大してたいして変っかわっていなかった。
少くすくなくとも同じおなじ性質せいしつのものに違いないという自覚じかくが彼かれの胸むねのうちに起っおこった。
したがって談話だんわの途切れとぎれた時じ積極的せっきょくてきに動き始めうごきはじめたものは、昔むかしの通りとおり彼かれであった。
しかも昔むかししの通りとおりな気分きぶんで動けるうごけるという事こと自身じしんが、彼かれには思いがけおもいがけない満足まんぞくになった。
「関せき君きみはどうしました。相そう変らかわらず御ご勉強べんきょうですか。その後あと御無沙汰ごむさたをしていっこうお目めにかかりませんが」 津田つだは何なんの気きもつかなかった。
会話かいわの皮切ひせつに清子きよこの夫おっとを問題もんだいにする事ことの可否かひは、利害関係りがいかんけいから見みても、今日きょうまで自分じぶんら二人ふたりの間まに起っおこった感情かんじょうの行掛りいきがかり上うえから考えかんがえても、またそれらの纏綿てんめんした情実じょうじつを傍そばに置いおいた、自然しぜん不自然ふしぜんの批判ひはんから云っいっても、実じつは一いち思案しあんしなければならない点てんであった。
それを平生へいぜいの細心さいしんにも似にず、一顧いっこの掛かかり念ねんさえなく、ただ無む雑作ぞうさに話頭わとうに上せのぼせた津田つだは、まさに居常きょじょうお延のべに対するたいする時じの用意よういを取りとり忘れわすれていたに違いなかった。
しかし相手あいてはすでにお延のべでなかった。
津田つだがその用心ようじんを忘れわすれても差支えさしつかえなかったという証拠しょうこは、すぐ清子きよこの挨拶あいさつぶりで知れしれた。
彼女かのじょは微笑びしょうして答えこたえた。
「ええありがとう。まあ相そう変らかわらずです。時々ときどき二人ふたりしてあなたのお噂うわさを致しいたしております」「ああそうですか。僕ぼくも始終しじゅう忙がしいいそがしいもんですから、方々かたがたへ失礼しつれいばかりして……」「良人おっとも同どうなじよ、あなた。近頃ちかごろじゃ閑暇かんかな人ひとは、まるで生きいきていられないのと同どうなじ事ことね。だから自然しぜん御ご互いたがいに遠々えんしくなるんですわ。だけどそれは仕方しかたがないわ、自然しぜんの成行なりゆきだから」「そうですね」 こう答えこたえた津田つだは、「そうですね」という代りかわりに「そうですか」と訊いきいて見みたいような気きがした。
「そうですか、ただそれだけで疎遠そえんになったんですか。それがあなたの本音ほんねですか」という詰問きつもんはこの時じすでに無言むごんの文句もんくとなって彼かれの腹はらの中なかに蔵くられていた。
しかも彼かれはほとんど以前いぜんと同じおなじように単純たんじゅんな、もしくは単純たんじゅんとより解釈かいしゃくのできない清子きよこを眼前がんぜんに見出しみだした。
彼女かのじょの態度たいどには二人ふたりの間まに関せきを話題わだいにするだけの余裕よゆうがちゃんと具ぐっていた。
それを口くちにして苦くにならないほどの淡泊たんぱくさが現われあらわれていた。
ただそれは津田つだの暗にあんに予期よきして掛っかかったところのもので、同時どうじに彼かれのかつて予想よそうし得とくなかったところのものに違いなかった。
昔むかしのままの女おんな主人公しゅじんこうに再びふたたび会うあう事ことができたという満足まんぞくは、彼女かのじょがその昔むかししのままの鷹揚おうような態度たいどで、関せきの話はなしを平気へいきで津田つだの前まえにし得るうるという不満足ふまんぞくといっしょに来きなければならなかった。
「どうしてそれが不満足ふまんぞくなのか」 津田つだは面めんと向っむかってこの質問しつもんに対するたいするだけの勇気ゆうきがなかった。
関せきが現にげんに彼女かのじょの夫おっとである以上いじょう、彼かれは敬意けいいをもって彼女かのじょのこの態度たいどを認めみとめなければならなかった。
けれどもそれは表通りおもてどおりの沙汰さたであった。
偶然ぐうぜん往来おうらいを通るとおる他人たにんのする批評ひひょうに過ぎすぎなかった。
裏うらには別べつな見方みかたがあった。
そこには無関心むかんしんな通りがかりとおりがかりの人ひとと違っちがった自分じぶんというものが頑張っがんばっていた。
そうしてその自分じぶんに「私わたくし」という名なを命いのちける事ことのできなかった津田つだは、飽くまであくまでもそれを「特殊とくしゅな人ひと」と呼ぼうよぼうとしていた。
彼かれのいわゆる特殊とくしゅな人ひととはすなわち素人しろうとに対するたいする黒人こくじんであった。
無む知者ちしゃに対するたいする有識者ゆうしきしゃであった。
もしくは俗人ぞくじんに対するたいする専門家せんもんかであった。
だから通りとおり一遍いちぺんのものより余計よけいに口くちを利くきく権利けんりをもっているとしか、彼かれには思えおもえなかった。
表ひょうで認めみとめて裏うらで首くび肯わうけがわなかった津田つだの清子きよこに対するたいする心持こころもちは、何なんかの形式けいしきで外部がいぶへ発現はつげんするのが当然とうぜんであった。
百八十六ひゃくはちじゅうろく
「昨夕さくゆうは失礼しつれいしました」 津田つだは突然とつぜんこう云っいって見みた。
それがどんな風かぜに相手あいてを動かすうごかすだろうかというのが、彼かれの覘いのぞいどころであった。
「私わたくしこそ」 清子きよこの返事へんじはすらすらと出でた。
そこに何なんの苦痛くつうも認めみとめられなかった時じに津田つだは疑っうたがった。
「この女おんなは今朝けさになってもう夜よるの驚ろきおどろきを繰り返すくりかえす事ことができないのかしら」 もしそれを憶い起すおもいおこす能力のうりょくすら失っうしなっているとすると、彼かれの使命しめいは善ぜんにもあれ悪わるにもあれ、はかないものであった。
「実じつはあなたを驚ろかしおどろかした後あとで、すまない事ことをしたと思っおもったのです」「じゃ止しよして下されくださればよかったのに」「止せよせばよかったのです。けれども知らしらなければ仕方しかたがないじゃありませんか。あなたがここにいらっしゃろうとは夢ゆめにも思いがけおもいがけなかったのですもの」「でも私わたくしへの御ご土産みやげを持っもって、わざわざ東京とうきょうから来きて下すっくだすったんでしょう」「それはそうです。けれども知らしらなかった事ことも事実じじつです。昨夕さくゆうは偶然ぐうぜんお眼めにかかっただけです」「そうですか知らかしら」 故意こいを昨夕さくゆうの津田つだに認めみとめているらしい清子きよこの口吻こうふんが、彼かれを驚ろかしおどろかした。
「だって、わざとあんな真似まねをする訳わけがないじゃありませんか、なんぼ僕ぼくが酔興すいきょうだって」「だけどあなたはだいぶあすこに立ったっていらしったらしいのね」 津田つだは水盤すいばんに溢れるあふれる水みずを眺めながめていたに違いなかった。
姿見すがたみに映るうつるわが影かげを見つめみつめていたに違いなかった。
最後さいごにそこにある櫛くしを取っとって頭あたままで梳いすいてぐずぐずしていたに違いなかった。
「迷児まいごになって、行先いきさきが分らわからなくなりゃ仕方しかたがないじゃありませんか」「そう。そりゃそうね。けれども私わたくしにはそう思えおもえなかったんですもの」「僕ぼくが待ち伏せまちぶせをしていたとでも思っおもってるんですか、冗談じょうだんじゃない。いくら僕ぼくの鼻はなが万能ばんのうだって、あなたの湯泉ゆぜんに入るはいる時間じかんまで分りゃわかりゃしませんよ」「なるほど、そりゃそうね」 清子きよこの口くちにしたなるほどという言葉ことばが、いかにもなるほどと合点がてんしたらしい調子ちょうしを帯びおびているので、津田つだは思わおもわず吹き出しふきだした。
「いったい何なんだって、そんな事ことを疑っうたがっていらっしゃるんです」「そりゃ申し上げもうしあげないだって、お解りわかりになってるはずですわ」「解りわかりっこないじゃありませんか」「じゃ解らわからないでも構わかまわないわ。説明せつめいする必要ひつようのない事ことだから」 津田つだは仕方なししかたなしに側面そくめんから向っむかった。
「それでは、僕ぼくが何なんのためにあなたを廊下ろうかの隅すみで待ち伏せまちぶせていたんです。それを話しはなして下さいください」「そりゃ話せはなせないわ」「そう遠慮えんりょしないでもいいから、是非ぜひ話しはなして下さいください」「遠慮えんりょじゃないのよ、話せはなせないから話せはなせないのよ」「しかし自分じぶんの胸むねにある事ことじゃありませんか。話そうはなそうと思いおもいさえすれば、誰だれにでも話せるはなせるはずだと思いおもいますがね」「私わたくしの胸むねに何になんにもありゃしないわ」 単純たんじゅんなこの一言ひとことは急きゅうに津田つだの機鋒きほうを挫いくじいた。
同時どうじに、彼かれの語勢ごせいを飛躍ひやくさせた。
「なければどこからその疑いうたがいが出でて来きたんです」「もし疑ぐるうたぐるのが悪けれわるければ、謝まりあやまります。そうして止しよします」「だけど、もう疑っうたがったんじゃありませんか」「だってそりゃ仕方しかたがないわ。疑っうたがったのは事実じじつですもの。その事実じじつを白状はくじょうしたのも事実じじつですもの。いくら謝まっあやまったってどうしたって事実じじつを取り消すとりけす訳わけには行かいかないんですもの」「だからその事実じじつを聴かきかせて下されくださればいいんです」「事実じじつはすでに申し上げもうしあげたじゃないの」「それは事実じじつの半分はんぶんか、三分一さんぶんいちです。僕ぼくはその全部ぜんぶが聴きききたいんです」「困るこまるわね。何なんといってお返事へんじをしたらいいんでしょう」「訳わけないじゃありませんか、こういう理由りゆうがあるから、そういう疑いうたがいを起しおこしたんだって云いいいさえすれば、たった一口ひとくちで済んすんじまう事ことです」 今までいままで困っこまっていたらしい清子きよこは、この時じ急きゅうに腑ふに落ちおちたという顔つきかおつきをした。
「ああ、それがお聴きききになりたいの」「無論むろんです。先刻せんこくからそれが伺いうかがいたければこそ、こうしてしつこくあなたを煩わわずらわせているんじゃありませんか。それをあなたが隠そうかくそうとなさるから――」「そんならそうと早くはやくおっしゃればいいのに、私わたくし隠しかくしも何になんにもしませんわ、そんな事こと。理由りゆうは何なんでもないのよ。ただあなたはそういう事ことをなさる方ほうなのよ」「待伏せまちぶせをですか」「ええ」「馬鹿ばかにしちゃいけません」「でも私わたくしの見みたあなたはそういう方ほうなんだから仕方しかたがないわ。嘘うそでも偽りいつわりでもないんですもの」「なるほど」 津田つだは腕うでを拱いこまぬいて下したを向いむかいた。
百八十七ひゃくはちじゅうなな
しばらくして津田つだはまた顔かおを上げあげた。
「何なんだか話はなしが議論ぎろんのようになってしまいましたね。僕ぼくはあなたと問答もんどうをするために来きたんじゃなかったのに」 清子きよこは答えこたえた。
「私わたくしにもそんな気きはちっともなかったの。つい自然しぜんそこへ持っもって行かいかれてしまったんだから故意こいじゃないのよ」「故意こいでない事ことは僕ぼくも認めみとめます。つまり僕ぼくがあんまりあなたを問いつめといつめたからなんでしょう」「まあそうね」 清子きよこはまた微笑びしょうした。
津田つだはその微笑びしょうのうちに、例れいの通りとおりの余裕よゆうを認めみとめた時じ、我慢がまんしきれなくなった。
「じゃ問答もんどうついでに、もう一いちつ答えこたえてくれませんか」「ええ何なんなりと」 清子きよこはあらゆる津田つだの質問しつもんに応ずるおうずる準備じゅんびを整えととのえている人ひとのような答えこたえぶりをした。
それが質問しつもんをかけない前まえに、少なからすくなからず彼かれを失望しつぼうさせた。
「何なんもかももう忘れわすれているんだ、この人ひとは」 こう思っおもった彼かれは、同時どうじにそれがまた清子きよこの本来ほんらいの特色とくしょくである事ことにも気きがついた。
彼かれは駄目だめを押すおすような心持こころもちになって訊いきいた。
「しかし昨夕さくゆう階子段はしごだんの上うえで、あなたは蒼くあおくなったじゃありませんか」「なったでしょう。自分じぶんの顔かおは見えみえないから分りわかりませんけれども、あなたが蒼くあおくなったとおっしゃれば、それに違いないわ」「へえ、するとあなたの眼めに映ずるえいずる僕ぼくはまだ全くまったくの嘘うそ吐とでもなかったんですね、ありがたい。僕ぼくの認めみとめた事実じじつをあなたも承認しょうにんして下さるくださるんですね」「承認しょうにんしなくっても、実際じっさい蒼くあおくなったら仕方しかたがないわ、あなた」「そう。――それから硬くかたくなりましたね」「ええ、硬くかたくなったのは自分じぶんにも分っわかっていましたわ。もう少しすこしあのままで我慢がまんしていたら倒れたおれたかも知れしれないと思っおもったくらいですもの」「つまり驚ろいおどろいたんでしょう」「ええずいぶん吃驚びっくりしたわ」「それで」と云いいいかけた津田つだは、俯向加減かげんになって鄭てい寧ねいに林檎りんごの皮かわを剥いむいている清子きよこの手先てさきを眺めながめた。
滴るしたたるように色づいいろづいた皮かわが、ナイフないふの刃はを洩れもれながら、ぐるぐると剥けむけて落ちるおちる後あとに、水気みずけの多さわそうな薄蒼いうすあおい肉にくがしだいに現われあらわれて来るくる変化へんかは彼かれに一いち年ねん以上いじょう経っきょうった昔むかしを憶い起さおもいおこさせた。
「あの時じこの人ひとは、ちょうどこういう姿勢しせいで、こういう林檎りんごを剥いむいてくれたんだっけ」 ナイフないふの持ち方もちかた、指ゆびの運びはこび方ほう、両肘りょうひじを膝ひざとすれすれにして、長いながい袂たもとを外そとへ開いひらいている具合ぐあい、ことごとくその時じの模写もしゃであったうちに、ただ一いちつ違うちがうところのある点てんに津田つだは気きがついた。
それは彼女かのじょの指ゆびを飾るかざる美びくしい二に個この宝石ほうせきであった。
もしそれが彼女かのじょの結婚けっこんを永久えいきゅうに記念きねんするならば、そのぎらぎらした小さいちいさい光ひかりほど、津田つだと彼女かのじょの間まを鋭どくするどく遮ぎるさえぎるものはなかった。
柔やわ婉えんに動くうごく彼女かのじょの手先てさきを見つめみつめている彼かれの眼めは、当時とうじを回想かいそうするうっとりとした夢ゆめの消息しょうそくのうちに、燦然さんぜんたる警戒けいかいの閃めきひらめきを認めみとめなければならなかった。
彼かれはすぐ清子きよこの手てから眼めを放しはなして、その髪かみを見みた。
しかし今朝けさ下女げじょが結っけつってやったというその髪かみは通例つうれいの庇ひさしであった。
何なんの奇きも認めみとめられない黒いくろい光沢こうたくが、櫛くしの歯はを入れいれた痕あとを、行儀ぎょうぎ正しくただしく竪たてに残しのこしているだけであった。
津田つだは思い切っおもいきって、いったん捨てようすてようとした言葉ことばをまた取り上げとりあげた。
「それで僕ぼくの訊きききたいのはですね――」 清子きよこは顔かおを上げあげなかった。
津田つだはそれでも構わかまわずに後あとを続けつづけた。
「昨夕さくゆうそんなに驚ろいおどろいたあなたが、今朝けさはまたどうしてそんなに平気へいきでいられるんでしょう」 清子きよこは俯向いうつむいたまま答えこたえた。
「なぜ」「僕ぼくにゃその心理しんり作用さようが解らわからないから伺ううかがうんです」 清子きよこはやっぱり津田つだを見みずに答えこたえた。
「心理しんり作用さようなんてむずかしいものは私わたくしにも解らわからないわ。ただ昨夕さくゆうはああで、今朝けさはこうなの。それだけよ」「説明せつめいはそれだけなんですか」「ええそれだけよ」 もし芝居しばいをする気きなら、津田つだはここで一いちつ溜息ためいきを吐くはくところであった。
けれども彼かれには押し切っおしきってそれをやる勇気ゆうきがなかった。
この女おんなの前まえにそんな真似まねをしても始まらはじまらないという気きが、技巧ぎこうに走ろうはしろうとする彼かれをどことなく抑えつけおさえつけた。
「しかしあなたは今朝けさいつもの時間じかんに起きおきなかったじゃありませんか」 清子きよこはこの問もんをかけるや否いなや顔かおを上げあげた。
「あらどうしてそんな事ことを御承知ごしょうちなの」「ちゃんと知っしってるんです」 清子きよこはちょっと津田つだを見みた眼めをすぐ下したへ落しおとした。
そうして綺麗きれいに剥いむいた林檎りんごに刃はを入れいれながら答えこたえた。
「なるほどあなたは天眼てんがん通つうでなくって天てん鼻はな通つうね。実際じっさいよく利くきくのね」 冗談じょうだんとも諷刺ふうしとも真面目まじめとも片かたのつかないこの一言ひとことの前まえに、津田つだは退避たいひいだ。
清子きよこはようやく剥きむき終っおわった林檎りんごを津田つだの前まえへ押しやっおしやった。
「あなたいかが」
百八十八ひゃくはちじゅうはち
津田つだは清子きよこの剥いむいてくれた林檎りんごに手てを触れふれなかった。
「あなたいかがです、せっかく吉川よしかわの奥さんおくさんがあなたのためにといって贈っおくってくれたんですよ」「そうね、そうしてあなたがまたわざわざそれをここまで持っもって来きて下すっくだすったんですね。その御ご親切しんせつに対したいしてもいただかなくっちゃ悪いわるいわね」 清子きよこはこう云いいいながら、二人ふたりの間まにある林檎りんごの一いち片かたを手てに取っとった。
しかしそれを口くちへ持っもって行くいく前まえにまた訊いきいた。
「しかし考えるかんがえるとおかしいわね、いったいどうしたんでしょう」「何なんがどうしたんです」「私わたくし吉川よしかわの奥さんおくさんにお見舞おみまいをいただこうとは思わおもわなかったのよ。それからそのお見舞おみまいをまたあなたが持っもって来きて下さろうくださろうとはなおさら思わおもわなかったのよ」 津田つだは口くちのうちで「そうでしょう、僕ぼくでさえそんな事ことは思わおもわなかったんだから」と云っいった。
その顔かおをじっと見守っみまもった清子きよこの眼めに、判然はんぜんした答こたえを津田つだから待ち受けるまちうけるような予期よきの光ひかりが射ししゃした。
彼かれはその光ひかりに対するたいする特殊とくしゅな記憶きおくを呼び起しよびおこした。
「ああこの眼めだっけ」 二人ふたりの間まに何度なんども繰り返さくりかえされた過去かこの光景こうけいが、ありありと津田つだの前まえに浮き上っうきあがった。
その時分じぶんの清子きよこは津田つだと名なのつく一人ひとりの男おとこを信じしんじていた。
だからすべての知識ちしきを彼かれから仰いおっしゃいだ。
あらゆる疑問ぎもんの解決かいけつを彼かれに求めもとめた。
自分じぶんに解らわからない未来みらいを挙げあげて、彼かれの上うえに投げかけるなげかけるように見えみえた。
したがって彼女かのじょの眼めは動いうごいても静せいであった。
何なんか訊こうきこうとするうちに、信しんと平和へいわの輝きかがやきがあった。
彼かれはその輝きかがやきを一人ひとりで専有せんゆうする特権とっけんをもって生れうまれて来きたような気きがした。
自分じぶんがあればこそこの眼めも存在そんざいするのだとさえ思っおもった。
二人ふたりはついに離れはなれた。
そうしてまた会っかいった。
自分じぶんを離れはなれた以後いごの清子きよこに、昔むかしのままの眼めが、昔むかしと違っちがった意味いみで、やっぱり存在そんざいしているのだと注意ちゅういされたような心持こころもちのした時じ、津田つだは一種いっしゅの感慨かんがいに打たうたれた。
「それはあなたの美びくしいところです。けれどももう私わたくしを失望しつぼうさせる美しうつくしさに過ぎすぎなくなったのですか。判然はんぜん教えおしえて下さいください」 津田つだの疑問ぎもんと清子きよこの疑問ぎもんが暫時ざんじ視線しせんの上うえで行き合っいきあった後あと、最初さいしょに眼めを引いひいたものは清子きよこであった。
津田つだはその退きしりぞき方ほうを見みた。
そうしてそこにも二人ふたりの間まにある意気いき込こみの相違そういを認めみとめた。
彼女かのじょはどこまでも逼らせまらなかった。
どうでも構わかまわないという風かぜに、眼めをよそへ持っもって行っいった彼女かのじょは、それを床の間とこのまに活けいけてある寒菊かんぎくの花はなの上うえに落しおとした。
眼めで逃げにげられた津田つだは、口くちで追かけおいかけなければならなかった。
「なんぼ僕ぼくだってただ吉川よしかわの奥さんおくさんの使しに来きただけじゃありません」「でしょう、だから変へんなのよ」「ちっとも変へんな事ことはありませんよ。僕ぼくは僕ぼくで独立どくりつしてここへ来ようこようと思っおもってるところへ、奥さんおくさんに会っかいって、始めはじめてあなたのここにいらっしゃる事ことを聴かさきかされた上うえに、ついお土産みやげまで頼またのまれちまったんです」「そうでしょう。そうでもなければ、どう考えかんがえたって変へんですからね」「いくら変へんだって偶然ぐうぜんという事ことも世の中よのなかにはありますよ。そうあなたのように……」「だからもう変へんじゃないのよ。訳わけさえ伺えうかがえば、何なんでも当り前あたりまえになっちまうのね」 津田つだはつい「こっちでもその訳わけを訊きききに来きたんだ」と云いいいたくなった。
しかし何になんにもそこに頓着とんちゃくしていないらしい清子きよこの質問しつもんは正直しょうじきであった。
「それであなたもどこかお悪いわるいの」 津田つだは言葉少なことばずくなに病気びょうきの顛末てんまつを説明せつめいした。
清子きよこは云っいった。
「でも結構けっこうね、あなたは。そういう時じに会社かいしゃの方ほうの御都合ごつごうがつくんだから。そこへ行くいくと良人おっとなんか気の毒きのどくなものよ、朝あさから晩ばんまで忙がしいそがしそうにして」「関せき君きみこそ酔興すいきょうなんだから仕方しかたがない」「可哀想かわいそうに、まさか」「いや僕ぼくのいうのは善いよい意味いみでの酔興すいきょうですよ。つまり勉強家べんきょうかという事ことです」「まあ、お上手おかみてだ事こと」 この時下じかから急ぎ足いそぎあしで階子段はしごだんを上っのぼって来るくる草履ぞうりの音おとが聴えきこえたので、何なんか云おういおうとした津田つだは黙っだまって様子ようすを見みた。
すると先刻せんこくとは違っちがった下女げじょがそこへ顔かおを出しだした。
「あの浜はまのお客さまおきゃくさまが、奥さまおくさまにお午うまから滝たきの方ほうへ散歩さんぽにおいでになりませんか、伺っうかがって来いこいとおっしゃいました」「お供しきょうしましょう」清子きよこの返事へんじを聴いきいた下女げじょは、立ちたち際さいに津田つだの方ほうを見みながら「旦那だんな様ようもいっしょにいらっしゃいまし」と云っいった。
「ありがとう。時じにもうお午うまなのかい」「ええただいま御飯ごはんを持っもって参りまいります」「驚ろいおどろいたな」 津田つだはようやく立ち上ったちのぼった。
「奥さんおくさん」と云おういおうとして、云いいい損なっそこなった彼かれはつい「清子きよこさん」と呼び掛けよびかけた。
「あなたはいつごろまでおいでです」「予定よていなんかまるでないのよ。宅たくから電報でんぽうが来れこれば、今日きょうにでも帰らかえらなくっちゃならないわ」 津田つだは驚ろいおどろいた。
「そんなものが来るくるんですか」「そりゃ何なんとも云えいえないわ」 清子きよこはこう云っいって微笑びしょうした。
津田つだはその微笑びしょうの意味いみを一人ひとりで説明せつめいしようと試みこころみながら自分じぶんの室むろに帰っかえった。
――未完みかん――
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