こころ

10/30

十

第 10 章
二人ふたりが帰るかえるとき歩きあるきながらの沈黙ちんもくが一丁いちちょうも二に丁ていもつづいた。
その後そのあとで突然とつぜん先生せんせいが口くちを利ききき出しだした。
「悪いわるい事ことをした。怒っどって出でたから妻つまはさぞ心配しんぱいをしているだろう。考えるかんがえると女おんなは可哀そうかわいそうなものですね。私わたくしの妻つまなどは私わたくしより外そとにまるで頼りたよりにするものがないんだから」 先生せんせいの言葉ことばはちょっとそこで途切れとぎれたが、別べつに私わたくしの返事へんじを期待きたいする様子ようすもなく、すぐその続きつづきへ移っうつって行っいった。
「そういうと、夫おっとの方ほうはいかにも心こころ丈夫じょうぶのようで少しすこし滑稽こっけいだが。君きみ、私わたくしは君きみの眼めにどう映りうつりますかね。強いつよい人ひとに見えみえますか、弱いよわい人ひとに見えみえますか」「中位ちゅういに見えみえます」と私わたくしは答えこたえた。
この答えこたえは先生せんせいにとって少しすこし案外あんがいらしかった。
先生せんせいはまた口くちを閉じとじて、無言むごんで歩きあるき出しだした。
先生せんせいの宅たくへ帰るかえるには私わたくしの下宿げしゅくのつい傍そばを通るとおるのが順路じゅんろであった。
私わたくしはそこまで来きて、曲り角まがりかどで分れるわかれるのが先生せんせいに済ますまないような気きがした。
「ついでにお宅たくの前まえまでお伴ともしましょうか」といった。
先生せんせいは忽ちたちまち手てで私わたくしを遮っさえぎった。
「もう遅いおそいから早くはやく帰りかえりたまえ。私わたくしも早くはやく帰っかえってやるんだから、妻君さいくんのために」 先生せんせいが最後さいごに付け加えつけくわえた「妻君さいくんのために」という言葉ことばは妙みょうにその時じの私わたくしの心こころを暖かあたたかにした。
私わたくしはその言葉ことばのために、帰っかえってから安心あんしんして寝るねる事ことができた。
私わたくしはその後そのあとも長いながい間まこの「妻君さいくんのために」という言葉ことばを忘れわすれなかった。
先生せんせいと奥さんおくさんの間まに起っおこった波瀾はらんが、大したたいしたものでない事ことはこれでも解っわかった。
それがまた滅多めったに起るおこる現象げんしょうでなかった事ことも、その後そのあと絶えたえず出入りでいりをして来きた私わたくしにはほぼ推察すいさつができた。
それどころか先生せんせいはある時じこんな感想かんそうすら私わたくしに洩らしもらした。
「私わたくしは世の中よのなかで女おんなというものをたった一人ひとりしか知らしらない。妻つま以外いがいの女おんなはほとんど女おんなとして私わたくしに訴えうったえないのです。妻つまの方ほうでも、私わたくしを天下てんかにただ一人ひとりしかない男おとこと思っおもってくれています。そういう意味いみからいって、私たちわたくしたちは最ももっとも幸福こうふくに生れうまれた人間にんげんの一いち対たいであるべきはずです」 私わたくしは今いま前後ぜんごの行き掛りいきがかりを忘れわすれてしまったから、先生せんせいが何なんのためにこんな自白じはくを私わたくしにして聞かきかせたのか、判然はんぜんいう事ことができない。
けれども先生せんせいの態度たいどの真面目まじめであったのと、調子ちょうしの沈んしずんでいたのとは、いまだに記憶きおくに残っのこっている。
その時じただ私わたくしの耳みみに異様いように響いひびいたのは、「最ももっとも幸福こうふくに生れうまれた人間にんげんの一いち対たいであるべきはずです」という最後さいごの一句いっくであった。
先生せんせいはなぜ幸福こうふくな人間にんげんといい切らいいきらないで、あるべきはずであると断わっことわったのか。
私わたくしにはそれだけが不審ふしんであった。
ことにそこへ一種いっしゅの力ちからを入れいれた先生せんせいの語気ごきが不審ふしんであった。
先生せんせいは事実じじつはたして幸福こうふくなのだろうか、また幸福こうふくであるべきはずでありながら、それほど幸福こうふくでないのだろうか。
私わたくしは心こころの中なかで疑らうたぐらざるを得とくなかった。
けれどもその疑いうたがいは一時いちじ限りかぎりどこかへ葬らほうむられてしまった。
私わたくしはそのうち先生せんせいの留守るすに行っいって、奥さんおくさんと二人ふたり差向いさしむかいで話はなしをする機会きかいに出合っであった。
先生せんせいはその日ひ横浜よこはまを出帆しゅっぱんする汽船きせんに乗っのって外国がいこくへ行くいくべき友人ゆうじんを新橋しんばしへ送りおくりに行っいって留守るすであった。
横浜よこはまから船ふねに乗るのる人ひとが、朝あさ八はち時半じはんの汽車きしゃで新橋しんばしを立つたつのはその頃ころの習慣しゅうかんであった。
私わたくしはある書物しょもつについて先生せんせいに話しはなしてもらう必要ひつようがあったので、あらかじめ先生せんせいの承諾しょうだくを得とくた通りとおり、約束やくそくの九きゅう時じに訪問ほうもんした。
先生せんせいの新橋しんばし行きいきは前日ぜんじつわざわざ告別こくべつに来きた友人ゆうじんに対するたいする礼れい義ぎとしてその日ひ突然とつぜん起っおこった出来事できごとであった。
先生せんせいはすぐ帰るかえるから留守るすでも私わたくしに待っまっているようにといい残しいいのこして行っいった。
それで私わたくしは座敷ざしきへ上がっあがって、先生せんせいを待つまつ間ま、奥さんおくさんと話はなしをした。
十一じゅういち
その時じの私わたくしはすでに大学生だいがくせいであった。
始めはじめて先生せんせいの宅たくへ来きた頃ころから見るみるとずっと成人せいじんした気きでいた。
奥さんおくさんとも大分おおいた懇意こんいになった後あとであった。
私わたくしは奥さんおくさんに対したいして何なんの窮屈きゅうくつも感じかんじなかった。
差向いさしむかいで色々いろいろの話はなしをした。
しかしそれは特色とくしょくのないただの談話だんわだから、今いまではまるで忘れわすれてしまった。
そのうちでたった一いちつ私わたくしの耳みみに留まっとまったものがある。
しかしそれを話すはなす前まえに、ちょっと断っことわっておきたい事ことがある。
先生せんせいは大学だいがく出身しゅっしんであった。
これは始めはじめから私わたくしに知れしれていた。
しかし先生せんせいの何なんもしないで遊んあそんでいるという事ことは、東京とうきょうへ帰っかえって少しすこし経っきょうってから始めはじめて分っわかった。
私わたくしはその時じどうして遊んあそんでいられるのかと思っおもった。
先生せんせいはまるで世間せけんに名前なまえを知らしられていない人ひとであった。
だから先生せんせいの学問がくもんや思想しそうについては、先生せんせいと密みつ切せつの関係かんけいをもっている私わたくしより外そとに敬意けいいを払うはらうもののあるべきはずがなかった。
それを私わたくしは常つねに惜しいおしい事ことだといった。
先生せんせいはまた「私わたくしのようなものが世の中よのなかへ出でて、口くちを利いきいては済ますまない」と答えるこたえるぎりで、取り合わとりあわなかった。
私わたくしにはその答えこたえが謙遜けんそん過ぎすぎてかえって世間せけんを冷評れいひょうするようにも聞こえきこえた。
実際じっさい先生せんせいは時々ときどき昔むかしの同級生どうきゅうせいで今いま著名ちょめいになっている誰彼だれかれを捉えとらえて、ひどく無遠慮むえんりょな批評ひひょうを加えるくわえる事ことがあった。
それで私わたくしは露骨ろこつにその矛盾むじゅんを挙げあげて云々うんぬんしてみた。
私わたくしの精神せいしんは反抗はんこうの意味いみというよりも、世間せけんが先生せんせいを知らしらないで平気へいきでいるのが残念ざんねんだったからである。
その時じ先生せんせいは沈んしずんだ調子ちょうしで、「どうしても私わたくしは世間せけんに向かっむかって働き掛けるはたらきかける資格しかくのない男おとこだから仕方しかたがありません」といった。
先生せんせいの顔かおには深いぶかい一いち種しゅの表情ひょうじょうがありありと刻まきざまれた。
私わたくしにはそれが失望しつぼうだか、不平ふへいだか、悲哀ひあいだか、解らわからなかったけれども、何しろなにしろ二の句にのくの継げつげないほどに強いつよいものだったので、私わたくしはそれぎり何なんもいう勇気ゆうきが出でなかった。
私わたくしが奥さんおくさんと話しはなしている間まに、問題もんだいが自然しぜん先生せんせいの事ことからそこへ落ちおちて来きた。
「先生せんせいはなぜああやって、宅たくで考えかんがえたり勉強べんきょうしたりなさるだけで、世の中よのなかへ出でて仕事しごとをなさらないんでしょう」「あの人ひとは駄目だめですよ。そういう事ことが嫌いきらいなんですから」「つまり下らしたらない事ことだと悟っさとっていらっしゃるんでしょうか」「悟るさとるの悟らさとらないのって、――そりゃ女おんなだからわたくしには解りわかりませんけれど、おそらくそんな意味いみじゃないでしょう。やっぱり何なんかやりたいのでしょう。それでいてできないんです。だから気の毒きのどくですわ」「しかし先生せんせいは健康けんこうからいって、別べつにどこも悪いわるいところはないようじゃありませんか」「丈夫じょうぶですとも。何になんにも持病じびょうはありません」「それでなぜ活動かつどうができないんでしょう」「それが解らわからないのよ、あなた。それが解るわかるくらいなら私わたくしだって、こんなに心配しんぱいしやしません。わからないから気の毒きのどくでたまらないんです」 奥さんおくさんの語気ごきには非常ひじょうに同情どうじょうがあった。
それでも口元くちもとだけには微笑びしょうが見えみえた。
外側そとがわからいえば、私わたくしの方ほうがむしろ真面目まじめだった。
私わたくしはむずかしい顔かおをして黙っだまっていた。
すると奥さんおくさんが急きゅうに思い出しおもいだしたようにまた口くちを開いひらいた。
「若いわかい時じはあんな人ひとじゃなかったんですよ。若いわかい時じはまるで違っちがっていました。それが全くまったく変っかわってしまったんです」「若いわかい時じっていつ頃いつごろですか」と私わたくしが聞いきいた。
「書生しょせい時代じだいよ」「書生しょせい時代じだいから先生せんせいを知っしっていらっしゃったんですか」 奥さんおくさんは急きゅうに薄赤いうすあかい顔かおをした。
十二じゅうに
奥さんおくさんは東京とうきょうの人ひとであった。
それはかつて先生せんせいからも奥さんおくさん自身じしんからも聞いきいて知っしっていた。
奥さんおくさんは「本当ほんとういうと合の子あいのこなんですよ」といった。
奥さんおくさんの父親ちちおやはたしか鳥取とっとりかどこかの出でであるのに、お母さんおははさんの方ほうはまだ江戸えどといった時分じぶんの市ヶ谷いちがやで生れうまれた女おんななので、奥さんおくさんは冗談じょうだん半分はんぶんそういったのである。
ところが先生せんせいは全くまったく方角ほうがく違いちがいの新潟県にいがたけん人ひとであった。
だから奥さんおくさんがもし先生せんせいの書生しょせい時代じだいを知っしっているとすれば、郷里きょうりの関係かんけいからでない事ことは明らかあきらかであった。
しかし薄赤いうすあかい顔かおをした奥さんおくさんはそれより以上いじょうの話はなしをしたくないようだったので、私わたくしの方ほうでも深くふかくは聞かきかずにおいた。
先生せんせいと知り合いしりあいになってから先生せんせいの亡くなるなくなるまでに、私わたくしはずいぶん色々いろいろの問題もんだいで先生せんせいの思想しそうや情操じょうそうに触れふれてみたが、結婚けっこん当時とうじの状況じょうきょうについては、ほとんど何ものなにものも聞ききき得とくなかった。
私わたくしは時じによると、それを善意ぜんいに解釈かいしゃくしてもみた。
年輩ねんぱいの先生せんせいの事ことだから、艶めかしいなまめかしい回想かいそうなどを若いわかいものに聞かきかせるのはわざと慎んつつしんでいるのだろうと思っおもった。
時じによると、またそれを悪くわるくも取っとった。
先生せんせいに限らかぎらず、奥さんおくさんに限らかぎらず、二人ふたりとも私わたくしに比べるくらべると、一いち時代じだい前まえの因襲いんしゅうのうちに成人せいじんしたために、そういう艶あでっぽい問題もんだいになると、正直しょうじきに自分じぶんを開放かいほうするだけの勇気ゆうきがないのだろうと考えかんがえた。
もっともどちらも推測すいそくに過ぎすぎなかった。
そうしてどちらの推測すいそくの裏うらにも、二人ふたりの結婚けっこんの奥おくに横たわるよこたわる花やかはなやかなロマンスろまんすの存在そんざいを仮定かていしていた。
私わたくしの仮定かていははたして誤らあやまらなかった。
けれども私わたくしはただ恋こいの半面はんめんだけを想像そうぞうに描きえがき得とくたに過ぎすぎなかった。
先生せんせいは美しいうつくしい恋愛れんあいの裏うらに、恐ろしいおそろしい悲劇ひげきを持っもっていた。
そうしてその悲劇ひげきのどんなに先生せんせいにとって見み惨むごなものであるかは相手あいての奥さんおくさんにまるで知れしれていなかった。
奥さんおくさんは今いまでもそれを知らしらずにいる。
先生せんせいはそれを奥さんおくさんに隠しかくして死んしんだ。
先生せんせいは奥さんおくさんの幸福こうふくを破壊はかいする前まえに、まず自分じぶんの生命せいめいを破壊はかいしてしまった。
私わたくしは今いまこの悲劇ひげきについて何事なにごとも語らかたらない。
その悲劇ひげきのためにむしろ生れ出うまれでたともいえる二人ふたりの恋愛れんあいについては、先刻せんこくいった通りとおりであった。
二人ふたりとも私わたくしにはほとんど何なんも話しはなしてくれなかった。
奥さんおくさんは慎みつつしみのために、先生せんせいはまたそれ以上いじょうの深いぶかい理由りゆうのために。
ただ一いちつ私わたくしの記憶きおくに残っのこっている事ことがある。
或るある時花ときはな時分じぶんに私わたくしは先生せんせいといっしょに上野うえのへ行っいった。
そうしてそこで美しいうつくしい一いち対たいの男女だんじょを見みた。
彼かれらは睦まじむつまじそうに寄り添っよりそって花はなの下したを歩いあるいていた。
場所ばしょが場所ばしょなので、花はなよりもそちらを向いむかいて眼めを峙だてている人ひとが沢山たくさんあった。
「新婚しんこんの夫婦ふうふのようだね」と先生せんせいがいった。
「仲なかが好さよさそうですね」と私わたくしが答えこたえた。
先生せんせいは苦笑くしょうさえしなかった。
二人ふたりの男女だんじょを視線しせんの外そとに置くおくような方角ほうがくへ足あしを向けむけた。
それから私わたくしにこう聞いきいた。
「君きみは恋こいをした事ことがありますか」 私わたくしはないと答えこたえた。
「恋こいをしたくはありませんか」 私わたくしは答えこたえなかった。
「したくない事ことはないでしょう」「ええ」「君きみは今いまあの男おとこと女おんなを見みて、冷評れいひょうしましたね。あの冷評れいひょうのうちには君きみが恋こいを求めもとめながら相手あいてを得とくられないという不快ふかいの声こえが交っかっていましょう」「そんな風かぜに聞こえきこえましたか」「聞こえきこえました。恋こいの満足まんぞくを味わっあじわっている人ひとはもっと暖かいあたたかい声こえを出すだすものです。しかし……しかし君きみ、恋こいは罪悪ざいあくですよ。解っわかっていますか」 私わたくしは急きゅうに驚かさおどろかされた。
何なんとも返事へんじをしなかった。
十三じゅうさん
我々われわれは群集ぐんしゅうの中なかにいた。
群集ぐんしゅうはいずれも嬉しうれしそうな顔かおをしていた。
そこを通り抜けとおりぬけて、花はなも人ひとも見えみえない森もりの中なかへ来るくるまでは、同じおなじ問題もんだいを口くちにする機会きかいがなかった。
「恋こいは罪悪ざいあくですか」と私わたくしがその時じ突然とつぜん聞いきいた。
「罪悪ざいあくです。たしかに」と答えこたえた時じの先生せんせいの語気ごきは前まえと同じおなじように強かっつよかった。
「なぜですか」「なぜだか今いまに解りわかります。今いまにじゃない、もう解っわかっているはずです。あなたの心こころはとっくの昔むかしからすでに恋こいで動いうごいているじゃありませんか」 私わたくしは一応いちおう自分じぶんの胸むねの中なかを調べしらべて見みた。
けれどもそこは案外あんがいに空虚くうきょであった。
思いあたるおもいあたるようなものは何になんにもなかった。
「私わたくしの胸むねの中なかにこれという目的もくてき物ものは一いちつもありません。私わたくしは先生せんせいに何なんも隠しかくしてはいないつもりです」「目的物もくてきぶつがないから動くうごくのです。あれば落ち付けるおちつけるだろうと思っおもって動きうごきたくなるのです」「今いまそれほど動いうごいちゃいません」「あなたは物もの足りたりない結果けっか私わたくしの所ところに動いうごいて来きたじゃありませんか」「それはそうかも知れしれません。しかしそれは恋こいとは違いちがいます」「恋こいに上るのぼる楷かい段だんなんです。異性いせいと抱き合うだきあう順序じゅんじょとして、まず同性どうせいの私わたくしの所ところへ動いうごいて来きたのです」「私わたくしには二につのものが全くまったく性質せいしつを異ことにしているように思わおもわれます」「いや同じおなじです。私わたくしは男おとことしてどうしてもあなたに満足まんぞくを与えあたえられない人間にんげんなのです。それから、ある特別とくべつの事情じじょうがあって、なおさらあなたに満足まんぞくを与えあたえられないでいるのです。私わたくしは実際じっさいお気の毒きのどくに思っおもっています。あなたが私わたくしからよそへ動いうごいて行くいくのは仕方しかたがない。私わたくしはむしろそれを希望きぼうしているのです。しかし……」 私わたくしは変へんに悲しくかなしくなった。
「私わたくしが先生せんせいから離れはなれて行くいくようにお思いおもいになれば仕方しかたがありませんが、私わたくしにそんな気きの起っおこった事ことはまだありません」 先生せんせいは私わたくしの言葉ことばに耳みみを貸さかさなかった。
「しかし気きを付けつけないといけない。恋こいは罪悪ざいあくなんだから。私わたくしの所ところでは満足まんぞくが得とくられない代りかわりに危険きけんもないが、――君きみ、黒いくろい長いながい髪かみで縛らしばられた時じの心持こころもちを知っしっていますか」 私わたくしは想像そうぞうで知っしっていた。
しかし事実じじつとしては知らしらなかった。
いずれにしても先生せんせいのいう罪悪ざいあくという意味いみは朦朧もうろうとしてよく解らわからなかった。
その上うえ私わたくしは少しすこし不愉快ふゆかいになった。
「先生せんせい、罪悪ざいあくという意味いみをもっと判然はんぜんいって聞かしきかして下さいください。それでなければこの問題もんだいをここで切り上げきりあげて下さいください。私自身わたくしじしんに罪悪ざいあくという意味いみが判然はんぜん解るわかるまで」「悪いわるい事ことをした。私わたくしはあなたに真実しんじつを話しはなしている気きでいた。ところが実際じっさいは、あなたを焦慮しょうりょしていたのだ。私わたくしは悪いわるい事ことをした」 先生せんせいと私わたくしとは博物館はくぶつかんの裏うらから鶯うぐいす渓けいの方角ほうがくに静かしずかな歩調ほちょうで歩いあるいて行っいった。
垣かきの隙間すきまから広いひろい庭にわの一部いちぶに茂るしげる熊笹くまざさが幽邃ゆうすいに見えみえた。
「君きみは私わたくしがなぜ毎月まいつき雑司ヶ谷ぞうしがやの墓地ぼちに埋っうまっている友人ゆうじんの墓はかへ参るまいるのか知っしっていますか」 先生せんせいのこの問いといは全くまったく突然とつぜんであった。
しかも先生せんせいは私わたくしがこの問いといに対したいして答えこたえられないという事こともよく承知しょうちしていた。
私わたくしはしばらく返事へんじをしなかった。
すると先生せんせいは始めはじめて気きが付いついたようにこういった。
「また悪いわるい事ことをいった。焦慮しょうりょせるのが悪いわるいと思っおもって、説明せつめいしようとすると、その説明せつめいがまたあなたを焦慮しょうりょせるような結果けっかになる。どうも仕方しかたがない。この問題もんだいはこれで止めとめましょう。とにかく恋こいは罪悪ざいあくですよ、よござんすか。そうして神聖しんせいなものですよ」 私わたくしには先生せんせいの話はなしがますます解らわからなくなった。
しかし先生せんせいはそれぎり恋こいを口くちにしなかった。
十四じゅうよん
年ねんの若いわかい私わたくしはややともすると一いち図ずになりやすかった。
少なくすくなくとも先生せんせいの眼めにはそう映っうつっていたらしい。
私わたくしには学校がっこうの講義こうぎよりも先生せんせいの談話だんわの方ほうが有益ゆうえきなのであった。
教授きょうじゅの意見いけんよりも先生せんせいの思想しそうの方ほうが有難いありがたいのであった。
とどの詰まりとどのつまりをいえば、教壇きょうだんに立ったって私わたくしを指導しどうしてくれる偉いえらい人々ひとびとよりもただ独りひとりを守っまもって多くおおくを語らかたらない先生せんせいの方ほうが偉くえらく見えみえたのであった。
「あんまり逆上ぎゃくじょうちゃいけません」と先生せんせいがいった。
「覚めさめた結果けっかとしてそう思うおもうんです」と答えこたえた時じの私わたくしには充分じゅうぶんの自信じしんがあった。
その自信じしんを先生せんせいは肯がってくれなかった。
「あなたは熱ねつに浮かさうかされているのです。熱ねつがさめると厭いやになります。私わたくしは今いまのあなたからそれほどに思わおもわれるのを、苦しくくるしく感じかんじています。しかしこれから先さきのあなたに起るおこるべき変化へんかを予想よそうして見るみると、なお苦しくくるしくなります」「私わたくしはそれほど軽薄けいはくに思わおもわれているんですか。それほど不ふ信用しんようなんですか」「私わたくしはお気の毒きのどくに思うおもうのです」「気の毒きのどくだが信用しんようされないとおっしゃるんですか」 先生せんせいは迷惑めいわくそうに庭にわの方ほうを向いむかいた。
その庭にわに、この間ままで重じゅうそうな赤いあかい強いつよい色いろをぽたぽた点じてんじていた椿つばきの花はなはもう一いちつも見えみえなかった。
先生せんせいは座敷ざしきからこの椿つばきの花はなをよく眺めるながめる癖くせがあった。
「信用しんようしないって、特にとくにあなたを信用しんようしないんじゃない。人間にんげん全体ぜんたいを信用しんようしないんです」 その時じ生垣いけがきの向うむこうで金魚きんぎょ売りうりらしい声こえがした。
その外そとには何なんの聞こえるきこえるものもなかった。
大通りおおどおりから二に丁ていも深くふかく折れ込んおれこんだ小路こうじは存外ぞんがい静かしずかであった。
家いえの中なかはいつもの通りとおりひっそりしていた。
私わたくしは次の間つぎのまに奥さんおくさんのいる事ことを知っしっていた。
黙っだまって針仕事はりしごとか何なんかしている奥さんおくさんの耳みみに私わたくしの話し声はなしごえが聞こえるきこえるという事ことも知っしっていた。
しかし私わたくしは全くまったくそれを忘れわすれてしまった。
「じゃ奥さんおくさんも信用しんようなさらないんですか」と先生せんせいに聞いきいた。
先生せんせいは少しすこし不安ふあんな顔かおをした。
そうして直接ちょくせつの答えこたえを避けさけた。
「私わたくしは私自身わたくしじしんさえ信用しんようしていないのです。つまり自分じぶんで自分じぶんが信用しんようできないから、人ひとも信用しんようできないようになっているのです。自分じぶんを呪うのろうより外そとに仕方しかたがないのです」「そうむずかしく考えれかんがえれば、誰だれだって確かたしかなものはないでしょう」「いや考えかんがえたんじゃない。やったんです。やった後あとで驚いおどろいたんです。そうして非常ひじょうに怖くこわくなったんです」 私わたくしはもう少しすこし先さきまで同じおなじ道みちを辿ったどって行きいきたかった。
すると襖ふすまの陰かげで「あなた、あなた」という奥さんおくさんの声こえが二に度ど聞こえきこえた。
先生せんせいは二に度目どめに「何なんだい」といった。
奥さんおくさんは「ちょっと」と先生せんせいを次の間つぎのまへ呼んよんだ。
二人ふたりの間まにどんな用事ようじが起っおこったのか、私わたくしには解らわからなかった。
それを想像そうぞうする余裕よゆうを与えあたえないほど早くはやく先生せんせいはまた座敷ざしきへ帰っかえって来きた。
「とにかくあまり私わたくしを信用しんようしてはいけませんよ。今いまに後悔こうかいするから。そうして自分じぶんが欺かあざむかれた返報へんぽうに、残酷ざんこくな復讐ふくしゅうをするようになるものだから」「そりゃどういう意味いみですか」「かつてはその人ひとの膝ひざの前まえに跪いひざまずいたという記憶きおくが、今度こんどはその人ひとの頭あたまの上うえに足あしを載せのせさせようとするのです。私わたくしは未来みらいの侮辱ぶじょくを受けうけないために、今いまの尊敬そんけいを斥けしりぞけたいと思うおもうのです。私わたくしは今いまより一層いっそう淋しいさびしい未来みらいの私わたくしを我慢がまんする代りかわりに、淋しいさびしい今いまの私わたくしを我慢がまんしたいのです。自由じゆうと独立どくりつと己れおのれとに充ちみちた現代げんだいに生れうまれた我々われわれは、その犠牲ぎせいとしてみんなこの淋しみさびしみを味わわあじわわなくてはならないでしょう」 私わたくしはこういう覚悟かくごをもっている先生せんせいに対したいして、いうべき言葉ことばを知らしらなかった。
十五じゅうご
その後そのあと私わたくしは奥さんおくさんの顔かおを見るみるたびに気きになった。
先生せんせいは奥さんおくさんに対したいしても始終しじゅうこういう態度たいどに出るでるのだろうか。
もしそうだとすれば、奥さんおくさんはそれで満足まんぞくなのだろうか。
奥さんおくさんの様子ようすは満足まんぞくとも不満足ふまんぞくとも極めきわめようがなかった。
私わたくしはそれほど近くほどちかく奥さんおくさんに接触せっしょくする機会きかいがなかったから。
それから奥さんおくさんは私わたくしに会うあうたびに尋常じんじょうであったから。
最後さいごに先生せんせいのいる席せきでなければ私わたくしと奥さんおくさんとは滅多めったに顔かおを合せあわせなかったから。
私わたくしの疑惑ぎわくはまだその上うえにもあった。
先生せんせいの人間にんげんに対するたいするこの覚悟かくごはどこから来るくるのだろうか。
ただ冷たいつめたい眼めで自分じぶんを内省ないせいしたり現代げんだいを観察かんさつしたりした結果けっかなのだろうか。
先生せんせいは坐っすわって考えるかんがえる質しつの人ひとであった。
先生せんせいの頭あたまさえあれば、こういう態度たいどは坐っすわって世の中よのなかを考えかんがえていても自然しぜんと出でて来るくるものだろうか。
私わたくしにはそうばかりとは思えおもえなかった。
先生せんせいの覚悟かくごは生きいきた覚悟かくごらしかった。
火ひに焼けやけて冷却れいきゃくし切っきった石造せきぞう家屋かおくの輪廓りんかくとは違っちがっていた。
私わたくしの眼めに映ずるえいずる先生せんせいはたしかに思想家しそうかであった。
けれどもその思想家しそうかの纏め上げまとめあげた主義しゅぎの裏うらには、強いつよい事実じじつが織り込まおりこまれているらしかった。
自分じぶんと切り離さきりはなされた他人たにんの事実じじつでなくって、自分自身じぶんじしんが痛切つうせつに味わっあじわった事実じじつ、血ちが熱くあつくなったり脈みゃくが止まっとまったりするほどの事実じじつが、畳み込またたみこまれているらしかった。
これは私わたくしの胸むねで推測すいそくするがものはない。
先生せんせい自身じしんすでにそうだと告白こくはくしていた。
ただその告白こくはくが雲くもの峯みねのようであった。
私わたくしの頭あたまの上うえに正体しょうたいの知れしれない恐ろしいおそろしいものを蔽い被せおおいかぶせた。
そうしてなぜそれが恐ろしいおそろしいか私わたくしにも解らわからなかった。
告白こくはくはぼうとしていた。
それでいて明らかあきらかに私わたくしの神経しんけいを震わせふるわせた。
私わたくしは先生せんせいのこの人生観じんせいかんの基点きてんに、或るある強烈きょうれつな恋愛れんあい事件じけんを仮定かていしてみた。
(無論むろん先生せんせいと奥さんおくさんとの間まに起っおこった)。
先生せんせいがかつて恋こいは罪悪ざいあくだといった事ことから照らし合せてらしあわせて見るみると、多少たしょうそれが手掛りてがかりにもなった。
しかし先生せんせいは現にげんに奥さんおくさんを愛しあいしていると私わたくしに告げつげた。
すると二人ふたりの恋こいからこんな厭世えんせいに近いちかい覚悟かくごが出ようでようはずがなかった。
「かつてはその人ひとの前まえに跪いひざまずいたという記憶きおくが、今度こんどはその人ひとの頭あたまの上うえに足あしを載せのせさせようとする」といった先生せんせいの言葉ことばは、現代げんだい一般いっぱんの誰彼だれかれについて用いもちいられるべきで、先生せんせいと奥さんおくさんの間まには当てはまらあてはまらないもののようでもあった。
雑司ヶ谷ぞうしがやにある誰だれだか分らわからない人ひとの墓はか、――これも私わたくしの記憶きおくに時々ときどき動いうごいた。
私わたくしはそれが先生せんせいと深いぶかい縁故えんこのある墓はかだという事ことを知っしっていた。
先生せんせいの生活せいかつに近づきちかづきつつありながら、近づくちかづく事ことのできない私わたくしは、先生せんせいの頭あたまの中なかにある生命せいめいの断片だんぺんとして、その墓はかを私わたくしの頭あたまの中なかにも受け入れうけいれた。
けれども私わたくしに取っとってその墓はかは全くまったく死んしんだものであった。
二人ふたりの間まにある生命せいめいの扉とびらを開けるあける鍵かぎにはならなかった。
むしろ二人ふたりの間まに立ったって、自由じゆうの往来おうらいを妨げるさまたげる魔物まもののようであった。
そうこうしているうちに、私わたくしはまた奥さんおくさんと差し向いさしむかいで話はなしをしなければならない時機じきが来きた。
その頃ころは日ひの詰っなじって行くいくせわしない秋あきに、誰だれも注意ちゅういを惹かひかれる肌寒はださむの季節きせつであった。
先生せんせいの附近ふきんで盗難とうなんに罹っかかったものが三さん、四よん日ひ続いつづいて出でた。
盗難とうなんはいずれも宵の口よいのくちであった。
大したたいしたものを持っもって行かいかれた家いえはほとんどなかったけれども、はいられた所ところでは必ずかならず何なんか取らとられた。
奥さんおくさんは気味きみをわるくした。
そこへ先生せんせいがある晩ばん家いえを空けあけなければならない事情じじょうができてきた。
先生せんせいと同郷どうきょうの友人ゆうじんで地方ちほうの病院びょういんに奉職ほうしょくしているものが上京じょうきょうしたため、先生せんせいは外そとの二に、三さん名なと共ともに、ある所ところでその友人ゆうじんに飯めしを食わくわせなければならなくなった。
先生せんせいは訳わけを話しはなして、私わたくしに帰っかえってくる間ままでの留守番るすばんを頼んたのんだ。
私わたくしはすぐ引き受けひきうけた。
十六じゅうろく
私わたくしの行っいったのはまだ灯あかりの点くつくか点かてんかない暮れ方くれがたであったが、几帳面きちょうめんな先生せんせいはもう宅たくにいなかった。
「時間じかんに後れるおくれると悪いわるいって、つい今しがたいましがた出掛けでかけました」といった奥さんおくさんは、私わたくしを先生せんせいの書斎しょさいへ案内あんないした。
書斎しょさいには洋よう机つくえと椅子いすの外そとに、沢山たくさんの書物しょもつが美しいうつくしい背皮せがわを並べならべて、硝子がらす越こしに電燈でんとうの光ひかりで照らさてらされていた。
奥さんおくさんは火鉢ひばちの前まえに敷いしいた座蒲団ざふとんの上うえへ私わたくしを坐らすわらせて、「ちっとそこいらにある本ほんでも読んよんでいて下さいください」と断っことわって出でて行っいった。
私わたくしはちょうど主人しゅじんの帰りかえりを待ち受けるまちうける客きゃくのような気きがして済ますまなかった。
私わたくしは畏まっかしこまったまま烟草たばこを飲んのんでいた。
奥さんおくさんが茶の間ちゃのまで何なんか下女げじょに話しはなしている声こえが聞こえきこえた。
書斎しょさいは茶の間ちゃのまの縁側えんがわを突き当っつきあたって折れ曲っおれまがった角かくにあるので、棟むねの位置いちからいうと、座敷ざしきよりもかえって掛け離れかけはなれた静かしずかさを領しりょうしていた。
ひとしきりで奥さんおくさんの話し声はなしごえが已むやむと、後あとはしんとした。
私わたくしは泥棒どろぼうを待ち受けるまちうけるような心持こころもちで、凝とじっとしながら気きをどこかに配っくばった。
三十さんじゅう分ぶんほどすると、奥さんおくさんがまた書斎しょさいの入口いりぐちへ顔かおを出しだした。
「おや」といって、軽くかるく驚いおどろいた時じの眼めを私わたくしに向けむけた。
そうして客きゃくに来きた人ひとのように鹿爪らしくしかつめらしく控えひかえている私わたくしをおかしそうに見みた。
「それじゃ窮屈きゅうくつでしょう」「いえ、窮屈きゅうくつじゃありません」「でも退屈たいくつでしょう」「いいえ。泥棒どろぼうが来るくるかと思っおもって緊張きんちょうしているから退屈たいくつでもありません」 奥さんおくさんは手てに紅茶こうちゃ茶碗ちゃわんを持っもったまま、笑いわらいながらそこに立ったっていた。
「ここは隅っこすみっこだから番ばんをするには好くよくありませんね」と私わたくしがいった。
「じゃ失礼しつれいですがもっと真中まなかへ出でて来きて頂戴ちょうだい。ご退屈たいくつだろうと思っおもって、お茶ちゃを入れいれて持っもって来きたんですが、茶の間ちゃのまで宜しけれよろしければあちらで上げあげますから」 私わたくしは奥さんおくさんの後あとに尾おいて書斎しょさいを出でた。
茶の間ちゃのまには綺麗きれいな長なが火鉢ひばちに鉄瓶てつびんが鳴っなっていた。
私わたくしはそこで茶ちゃと菓子かしのご馳走ごちそうになった。
奥さんおくさんは寝ねられないといけないといって、茶碗ちゃわんに手てを触れふれなかった。
「先生せんせいはやっぱり時々ときどきこんな会かいへお出掛けおでかけになるんですか」「いいえ滅多めったに出でた事ことはありません。近頃ちかごろは段々だんだん人ひとの顔かおを見るみるのが嫌いきらいになるようです」 こういった奥さんおくさんの様子ようすに、別段べつだん困っこまったものだという風かぜも見えみえなかったので、私わたくしはつい大胆だいたんになった。
「それじゃ奥さんおくさんだけが例外れいがいなんですか」「いいえ私わたくしも嫌わいやわれている一人ひとりなんです」「そりゃ嘘うそです」と私わたくしがいった。
「奥さんおくさん自身じしん嘘うそと知りしりながらそうおっしゃるんでしょう」「なぜ」「私わたくしにいわせると、奥さんおくさんが好きすきになったから世間せけんが嫌いきらいになるんですもの」「あなたは学問がくもんをする方ほうだけあって、なかなかお上手おかみてね。空っぽからっぽな理屈りくつを使いこなすつかいこなす事ことが。世の中よのなかが嫌いきらいになったから、私わたくしまでも嫌いきらいになったんだともいわれるじゃありませんか。それと同どうなじ理屈りくつで」「両方りょうほうともいわれる事ことはいわれますが、この場合ばあいは私わたくしの方ほうが正しいただしいのです」「議論ぎろんはいやよ。よく男おとこの方ほうは議論ぎろんだけなさるのね、面白おもしろそうに。空そらの盃さかずきでよくああ飽きあきずに献酬けんしゅうができると思いおもいますわ」 奥さんおくさんの言葉ことばは少しすこし手痛かっていたかった。
しかしその言葉ことばの耳みみ障さわりからいうと、決してけっして猛烈もうれつなものではなかった。
自分じぶんに頭脳ずのうのある事ことを相手あいてに認めみとめさせて、そこに一種いっしゅの誇りほこりを見出すみだすほどに奥さんおくさんは現代的げんだいてきでなかった。
奥さんおくさんはそれよりもっと底そこの方ほうに沈んしずんだ心こころを大事だいじにしているらしく見えみえた。
十七じゅうなな
私わたくしはまだその後そのあとにいうべき事ことをもっていた。
けれども奥さんおくさんから徒らいたずらに議論ぎろんを仕掛けるしかける男おとこのように取らとられては困るこまると思っおもって遠慮えんりょした。
奥さんおくさんは飲み干しのみほした紅茶こうちゃ茶碗ちゃわんの底そこを覗いのぞいて黙っだまっている私わたくしを外らさそらさないように、「もう一杯いちばい上げあげましょうか」と聞いきいた。
私わたくしはすぐ茶碗ちゃわんを奥さんおくさんの手てに渡しわたした。
「いくつ? 一いちつ? 二にッっつ?」 妙みょうなもので角砂糖かくさとうをつまみ上げつまみあげた奥さんおくさんは、私わたくしの顔かおを見みて、茶碗ちゃわんの中なかへ入れるいれる砂糖さとうの数すうを聞いきいた。
奥さんおくさんの態度たいどは私わたくしに媚びるこびるというほどではなかったけれども、先刻せんこくの強いつよい言葉ことばを力めりきめて打ち消そううちけそうとする愛嬌あいきょうに充ちみちていた。
私わたくしは黙っだまって茶ちゃを飲んのんだ。
飲んのんでしまっても黙っだまっていた。
「あなた大変たいへん黙り込んだまりこんじまったのね」と奥さんおくさんがいった。
「何なんかいうとまた議論ぎろんを仕掛けるしかけるなんて、叱り付けしかりつけられそうですから」と私わたくしは答えこたえた。
「まさか」と奥さんおくさんが再びふたたびいった。
二人ふたりはそれを緒口いとぐちにまた話はなしを始めはじめた。
そうしてまた二人ふたりに共通きょうつうな興味きょうみのある先生せんせいを問題もんだいにした。
「奥さんおくさん、先刻せんこくの続きつづきをもう少しすこしいわせて下さいくださいませんか。奥さんおくさんには空そらな理屈りくつと聞こえるきこえるかも知れしれませんが、私わたくしはそんな上の空うわのそらでいってる事ことじゃないんだから」「じゃおっしゃい」「今奥いまおくさんが急きゅうにいなくなったとしたら、先生せんせいは現在げんざいの通りとおりで生きいきていられるでしょうか」「そりゃ分らわからないわ、あなた。そんな事こと、先生せんせいに聞いきいて見るみるより外そとに仕方しかたがないじゃありませんか。私わたくしの所ところへ持っもって来るくる問題もんだいじゃないわ」「奥さんおくさん、私わたくしは真面目まじめですよ。だから逃げにげちゃいけません。正直しょうじきに答えこたえなくっちゃ」「正直しょうじきよ。正直しょうじきにいって私わたくしには分らわからないのよ」「じゃ奥さんおくさんは先生せんせいをどのくらい愛しあいしていらっしゃるんですか。これは先生せんせいに聞くきくよりむしろ奥さんおくさんに伺っうかがっていい質問しつもんですから、あなたに伺いうかがいます」「何なんもそんな事ことを開き直っひらきなおって聞かきかなくっても好いよいじゃありませんか」「真面目くさっまじめくさって聞くきくがものはない。分りわかり切っきってるとおっしゃるんですか」「まあそうよ」「そのくらい先生せんせいに忠実ちゅうじつなあなたが急きゅうにいなくなったら、先生せんせいはどうなるんでしょう。世の中よのなかのどっちを向いむかいても面白おもしろそうでない先生せんせいは、あなたが急きゅうにいなくなったら後あとでどうなるでしょう。先生せんせいから見みてじゃない。あなたから見みてですよ。あなたから見みて、先生せんせいは幸福こうふくになるでしょうか、不幸ふこうになるでしょうか」「そりゃ私わたくしから見れみれば分っわかっています。(先生せんせいはそう思っおもっていないかも知れしれませんが)。先生せんせいは私わたくしを離れれはなれれば不幸ふこうになるだけです。あるいは生きいきていられないかも知れしれませんよ。そういうと、己おのれ惚ぼけになるようですが、私わたくしは今いま先生せんせいを人間にんげんとしてできるだけ幸福こうふくにしているんだと信じしんじていますわ。どんな人ひとがあっても私わたくしほど先生せんせいを幸福こうふくにできるものはないとまで思い込んおもいこんでいますわ。それだからこうして落ち付いおちついていられるんです」「その信念しんねんが先生せんせいの心こころに好くよく映るうつるはずだと私わたくしは思いおもいますが」「それは別問題べつもんだいですわ」「やっぱり先生せんせいから嫌わいやわれているとおっしゃるんですか」「私わたくしは嫌わいやわれてるとは思いおもいません。嫌わいやわれる訳わけがないんですもの。しかし先生せんせいは世間せけんが嫌いきらいなんでしょう。世間せけんというより近頃ちかごろでは人間にんげんが嫌いきらいになっているんでしょう。だからその人間にんげんの一人ひとりとして、私わたくしも好かよしみかれるはずがないじゃありませんか」 奥さんおくさんの嫌わいやわれているという意味いみがやっと私わたくしに呑み込めのみこめた。
十八じゅうはち
私わたくしは奥さんおくさんの理解力りかいりょくに感心かんしんした。
奥さんおくさんの態度たいどが旧式きゅうしきの日本にっぽんの女おんならしくないところも私わたくしの注意ちゅういに一種いっしゅの刺戟しげきを与えあたえた。
それで奥さんおくさんはその頃ころ流行りはやり始めはじめたいわゆる新しいあたらしい言葉ことばなどはほとんど使わつかわなかった。
私わたくしは女おんなというものに深いぶかい交際こうさいをした経験けいけんのない迂闊うかつな青年せいねんであった。
男おとことしての私わたくしは、異性いせいに対するたいする本能ほんのうから、憧憬どうけいの目的物もくてきぶつとして常つねに女おんなを夢みゆめみていた。
けれどもそれは懐かしいなつかしい春はるの雲くもを眺めるながめるような心持こころもちで、ただ漠然ばくぜんと夢みゆめみていたに過ぎすぎなかった。
だから実際じっさいの女おんなの前まえへ出るでると、私わたくしの感情かんじょうが突然とつぜん変るかわる事ことが時々ときどきあった。
私わたくしは自分じぶんの前まえに現われあらわれた女おんなのために引き付けひきつけられる代りかわりに、その場ばに臨んのぞんでかえって変へんな反撥はんぱつ力ちからを感じかんじた。
奥さんおくさんに対したいした私わたくしにはそんな気きがまるで出でなかった。
普通ふつう男女だんじょの間まに横たわるよこたわる思想しそうの不ふ平均へいきんという考えかんがえもほとんど起らおこらなかった。
私わたくしは奥さんおくさんの女おんなであるという事ことを忘れわすれた。
私わたくしはただ誠実せいじつなる先生せんせいの批評家ひひょうかおよび同情どうじょう家いえとして奥さんおくさんを眺めながめた。
「奥さんおくさん、私わたくしがこの前まえなぜ先生せんせいが世間せけん的まとにもっと活動かつどうなさらないのだろうといって、あなたに聞いきいた時じに、あなたはおっしゃった事ことがありますね。元もとはああじゃなかったんだって」「ええいいました。実際じっさいあんなじゃなかったんですもの」「どんなだったんですか」「あなたの希望きぼうなさるような、また私わたくしの希望きぼうするような頼もしいたのもしい人ひとだったんです」「それがどうして急きゅうに変化へんかなすったんですか」「急きゅうにじゃありません、段々だんだんああなって来きたのよ」「奥さんおくさんはその間ま始終しじゅう先生せんせいといっしょにいらしったんでしょう」「無論むろんいましたわ。夫婦ふうふですもの」「じゃ先生せんせいがそう変っかわって行かいかれる源みなもと因いんがちゃんと解るわかるべきはずですがね」「それだから困るこまるのよ。あなたからそういわれると実じつに辛いつらいんですが、私わたくしにはどう考えかんがえても、考えかんがえようがないんですもの。私わたくしは今までいままで何なん遍へんあの人ひとに、どうぞ打ち明けうちあけて下さいくださいって頼んたのんで見みたか分りゃわかりゃしません」「先生せんせいは何なんとおっしゃるんですか」「何になんにもいう事ことはない、何になんにも心配しんぱいする事ことはない、おれはこういう性質せいしつになったんだからというだけで、取り合っとりあってくれないんです」 私わたくしは黙っだまっていた。
奥さんおくさんも言葉ことばを途と切らしきらした。
下女げじょ部屋へやにいる下女げじょはことりとも音おとをさせなかった。
私わたくしはまるで泥棒どろぼうの事ことを忘れわすれてしまった。
「あなたは私わたくしに責任せきにんがあるんだと思っおもってやしませんか」と突然とつぜん奥さんおくさんが聞いきいた。
「いいえ」と私わたくしが答えこたえた。
「どうぞ隠さかくさずにいって下さいください。そう思わおもわれるのは身みを切らきられるより辛いつらいんだから」と奥さんおくさんがまたいった。
「これでも私わたくしは先生せんせいのためにできるだけの事ことはしているつもりなんです」「そりゃ先生せんせいもそう認めみとめていられるんだから、大丈夫だいじょうぶです。ご安心あんしんなさい、私わたくしが保証ほしょうします」 奥さんおくさんは火鉢ひばちの灰はいを掻きかき馴らしならした。
それから水みず注ちゅうの水みずを鉄瓶てつびんに注しさした。
鉄瓶てつびんは忽ちたちまち鳴りなりを沈めしずめた。
「私わたくしはとうとう辛しん防ぼうし切れきれなくなって、先生せんせいに聞きききました。私わたくしに悪いわるい所ところがあるなら遠慮えんりょなくいって下さいください、改めあらためられる欠点けってんなら改めるあらためるからって、すると先生せんせいは、お前おまえに欠点けってんなんかありゃしない、欠点けってんはおれの方ほうにあるだけだというんです。そういわれると、私わたくし悲しくかなしくなって仕様しようがないんです、涙なみだが出でてなおの事こと自分じぶんの悪いわるい所ところが聞きききたくなるんです」 奥さんおくさんは眼めの中なかに涙なみだをいっぱい溜めためた。
十九じゅうきゅう
始めはじめ私わたくしは理解りかいのある女性じょせいとして奥さんおくさんに対したいしていた。
私わたくしがその気きで話しはなしているうちに、奥さんおくさんの様子ようすが次第しだいに変っかわって来きた。
奥さんおくさんは私わたくしの頭脳ずのうに訴えるうったえる代りかわりに、私わたくしの心臓しんぞうを動かしうごかし始めはじめた。
自分じぶんと夫おっとの間まには何なんの蟠とぐろまりもない、またないはずであるのに、やはり何なんかある。
それだのに眼めを開けあけて見極めようみきわめようとすると、やはり何になんにもない。
奥さんおくさんの苦くにする要点ようてんはここにあった。
奥さんおくさんは最初さいしょ世の中よのなかを見るみる先生せんせいの眼めが厭世えんせい的まとだから、その結果けっかとして自分じぶんも嫌わいやわれているのだと断言だんげんした。
そう断言だんげんしておきながら、ちっともそこに落ち付いおちついていられなかった。
底そこを割るわれると、かえってその逆ぎゃくを考えかんがえていた。
先生せんせいは自分じぶんを嫌うきらう結果けっか、とうとう世の中よのなかまで厭いやになったのだろうと推測すいそくしていた。
けれどもどう骨ほねを折っおっても、その推測すいそくを突き留めつきとめて事実じじつとする事ことができなかった。
先生せんせいの態度たいどはどこまでも良人おっとらしかった。
親切しんせつで優しかっやさしかった。
疑いうたがいの塊りかたまりをその日ひその日ひの情合じょうあいで包んつつんで、そっと胸むねの奥おくにしまっておいた奥さんおくさんは、その晩ばんその包みつつみの中なかを私わたくしの前まえで開けあけて見せみせた。
「あなたどう思っおもって?」と聞いきいた。
「私わたくしからああなったのか、それともあなたのいう人世じんせい観かんとか何なんとかいうものから、ああなったのか。隠さかくさずいって頂戴ちょうだい」 私わたくしは何なんも隠すかくす気きはなかった。
けれども私わたくしの知らしらないあるものがそこに存在そんざいしているとすれば、私わたくしの答えこたえが何なんであろうと、それが奥さんおくさんを満足まんぞくさせるはずがなかった。
そうして私わたくしはそこに私わたくしの知らしらないあるものがあると信じしんじていた。
「私わたくしには解りわかりません」 奥さんおくさんは予期よきの外れはずれた時じに見るみる憐れあわれな表情ひょうじょうをその咄嗟とっさに現わしあらわした。
私わたくしはすぐ私わたくしの言葉ことばを継ぎ足しつぎたした。
「しかし先生せんせいが奥さんおくさんを嫌っいやっていらっしゃらない事ことだけは保証ほしょうします。私わたくしは先生せんせい自身じしんの口くちから聞いきいた通りとおりを奥さんおくさんに伝えるつたえるだけです。先生せんせいは嘘うそを吐かはかない方ほうでしょう」 奥さんおくさんは何なんとも答えこたえなかった。
しばらくしてからこういった。
「実じつは私わたくしすこし思いあたるおもいあたる事ことがあるんですけれども……」「先生せんせいがああいう風かぜになった源みなもと因いんについてですか」「ええ。もしそれが源みなもと因いんだとすれば、私わたくしの責任せきにんだけはなくなるんだから、それだけでも私わたくし大変たいへん楽らくになれるんですが、……」「どんな事ことですか」 奥さんおくさんはいい渋っしぶって膝ひざの上うえに置いおいた自分じぶんの手てを眺めながめていた。
「あなた判断はんだんして下すっくだすって。いうから」「私わたくしにできる判断はんだんならやります」「みんなはいえないのよ。みんないうと叱らしかられるから。叱らしかられないところだけよ」 私わたくしは緊張きんちょうして唾液だえきを呑み込んのみこんだ。
「先生せんせいがまだ大学だいがくにいる時分じぶん、大変たいへん仲なかの好いよいお友達ともだちが一人ひとりあったのよ。その方ほうがちょうど卒業そつぎょうする少しすこし前まえに死んしんだんです。急きゅうに死んしんだんです」 奥さんおくさんは私わたくしの耳みみに私語しごくような小さなちいさな声こえで、「実じつは変死へんししたんです」といった。
それは「どうして」と聞き返さききかえさずにはいられないようないい方ほうであった。
「それっ切りっきりしかいえないのよ。けれどもその事ことがあってから後あとなんです。先生せんせいの性質せいしつが段々だんだん変っかわって来きたのは。なぜその方ほうが死んしんだのか、私わたくしには解らわからないの。先生せんせいにもおそらく解っわかっていないでしょう。けれどもそれから先生せんせいが変っかわって来きたと思えおもえば、そう思わおもわれない事こともないのよ」「その人ひとの墓はかですか、雑司ヶ谷ぞうしがやにあるのは」「それもいわない事ことになってるからいいません。しかし人間にんげんは親友しんゆうを一人ひとり亡くしなくしただけで、そんなに変化へんかできるものでしょうか。私わたくしはそれが知りしりたくって堪らたまらないんです。だからそこを一いちつあなたに判断はんだんして頂きいただきたいと思うおもうの」 私わたくしの判断はんだんはむしろ否定ひていの方ほうに傾いかたむいていた。
二十にじゅう
私わたくしは私わたくしのつらまえた事実じじつの許すゆるす限りかぎり、奥さんおくさんを慰めようなぐさめようとした。
奥さんおくさんもまたできるだけ私わたくしによって慰めなぐさめられたそうに見えみえた。
それで二人ふたりは同じおなじ問題もんだいをいつまでも話し合っはなしあった。
けれども私わたくしはもともと事ことの大根だいこんを攫んつかんでいなかった。
奥さんおくさんの不安ふあんも実じつはそこに漂うただよう薄いうすい雲くもに似にた疑惑ぎわくから出でて来きていた。
事件じけんの真相しんそうになると、奥さんおくさん自身じしんにも多くおおくは知れしれていなかった。
知れしれているところでも悉皆しっかいは私わたくしに話すはなす事ことができなかった。
したがって慰めるなぐさめる私わたくしも、慰めなぐさめられる奥さんおくさんも、共ともに波なみに浮いういて、ゆらゆらしていた。
ゆらゆらしながら、奥さんおくさんはどこまでも手てを出しだして、覚束ないおぼつかない私わたくしの判断はんだんに縋り付こうすがりつこうとした。
十じゅう時じ頃ころになって先生せんせいの靴くつの音おとが玄関げんかんに聞こえきこえた時じ、奥さんおくさんは急きゅうに今までいままでのすべてを忘れわすれたように、前まえに坐っすわっている私わたくしをそっちのけにして立ち上がったちあがった。
そうして格子こうしを開けるあける先生せんせいをほとんど出合い頭であいあたまに迎えむかえた。
私わたくしは取り残さとりのこされながら、後あとから奥さんおくさんに尾おいて行っいった。
下女げじょだけは仮寝かりねでもしていたとみえて、ついに出でて来きなかった。
先生せんせいはむしろ機嫌きげんがよかった。
しかし奥さんおくさんの調子ちょうしはさらによかった。
今しがたいましがた奥さんおくさんの美しいうつくしい眼めのうちに溜ったまった涙なみだの光ひかりと、それから黒いくろい眉毛まゆげの根ねに寄せよせられた八はちの字じを記憶きおくしていた私わたくしは、その変化へんかを異常いじょうなものとして注意ちゅうい深くふかく眺めながめた。
もしそれが詐りいつわりでなかったならば、(実際じっさいそれは詐りいつわりとは思えおもえなかったが)、今までいままでの奥さんおくさんの訴えうったえは感傷かんしょうを玩ぶもてあそぶためにとくに私わたくしを相手あいてに拵えこしらえた、徒らいたずらな女性じょせいの遊戯ゆうぎと取れとれない事こともなかった。
もっともその時じの私わたくしには奥さんおくさんをそれほど批評ひひょう的まとに見るみる気きは起らおこらなかった。
私わたくしは奥さんおくさんの態度たいどの急きゅうに輝いかがやいて来きたのを見みて、むしろ安心あんしんした。
これならばそう心配しんぱいする必要ひつようもなかったんだと考え直しかんがえなおした。
先生せんせいは笑いわらいながら「どうもご苦労ごくろうさま、泥棒どろぼうは来きませんでしたか」と私わたくしに聞いきいた。
それから「来きないんで張合はりあいが抜けぬけやしませんか」といった。
帰るかえる時じ、奥さんおくさんは「どうもお気の毒きのどくさま」と会釈えしゃくした。
その調子ちょうしは忙しいいそがしいところを暇ひまを潰さつぶさせて気の毒きのどくだというよりも、せっかく来きたのに泥棒どろぼうがはいらなくって気の毒きのどくだという冗談じょうだんのように聞こえきこえた。
奥さんおくさんはそういいながら、先刻せんこく出しだした西洋せいよう菓子かしの残りのこりを、紙かみに包んつつんで私わたくしの手てに持たもたせた。
私わたくしはそれを袂たもとへ入れいれて、人通りひとどおりの少ないすくない夜寒よさむの小路こうじを曲折きょくせつして賑やかにぎやかな町まちの方ほうへ急いいそいだ。
私わたくしはその晩ばんの事ことを記憶きおくのうちから抽き抜いぬいてここへ詳しくくわしく書いかいた。
これは書くかくだけの必要ひつようがあるから書いかいたのだが、実じつをいうと、奥さんおくさんに菓子かしを貰っもらって帰るかえるときの気分きぶんでは、それほど当夜とうやの会話かいわを重くおもく見みていなかった。
私わたくしはその翌日よくじつ午飯ごはんを食いくいに学校がっこうから帰っかえってきて、昨夜さくや机つくえの上うえに載せのせて置いおいた菓子かしの包みつつみを見るみると、すぐその中なかからチョコレートちょこれーとを塗っぬった鳶色とびいろのカステラかすてらを出しだして頬張っほおばった。
そうしてそれを食うくう時じに、必竟ひっきょうこの菓子かしを私わたくしにくれた二人ふたりの男女だんじょは、幸福こうふくな一いち対たいとして世の中よのなかに存在そんざいしているのだと自覚じかくしつつ味わっあじわった。
秋あきが暮れくれて冬ふゆが来るくるまで格別かくべつの事こともなかった。
私わたくしは先生せんせいの宅たくへ出はいりではいりをするついでに、衣服いふくの洗い張りあらいはりや仕立てしたて方ほうなどを奥さんおくさんに頼んたのんだ。
それまで繻絆というものを着きた事ことのない私わたくしが、シャツしゃつの上うえに黒いくろい襟えりのかかったものを重ねるかさねるようになったのはこの時じからであった。
子供こどものない奥さんおくさんは、そういう世話せわを焼くやくのがかえって退屈凌ぎたいくつしのぎになって、結句けっく身体しんたいの薬くすりだぐらいの事ことをいっていた。
「こりゃ手織りておりね。こんな地ちの好いよい着物きものは今までいままで縫っぬった事ことがないわ。その代りかわり縫いぬい悪いわるいのよそりゃあ。まるで針はりが立たたたないんですもの。お蔭おかげで針はりを二に本ほん折りおりましたわ」 こんな苦情くじょうをいう時じですら、奥さんおくさんは別べつに面倒くさいめんどうくさいという顔かおをしなかった。
二十一にじゅういち
冬ふゆが来きた時じ、私わたくしは偶然ぐうぜん国くにへ帰らかえらなければならない事ことになった。
私わたくしの母ははから受け取っうけとった手紙てがみの中なかに、父ちちの病気びょうきの経過けいかが面白くおもしろくない様子ようすを書いかいて、今いまが今いまという心配しんぱいもあるまいが、年がねんが年ねんだから、できるなら都合つごうして帰っかえって来きてくれと頼むたのむように付け足しつけたしてあった。
父ちちはかねてから腎臓じんぞうを病んやんでいた。
中年ちゅうねん以後いごの人ひとにしばしば見るみる通りとおり、父ちちのこの病やまいは慢性まんせいであった。
その代りかわり要心ようじんさえしていれば急変きゅうへんのないものと当人とうにんも家族かぞくのものも信じしんじて疑わうたがわなかった。
現にげんに父ちちは養生ようじょうのお蔭おかげ一いちつで、今日きょうまでどうかこうか凌いしのいで来きたように客きゃくが来るくると吹聴ふいちょうしていた。
その父ちちが、母ははの書信しょしんによると、庭にわへ出でて何なんかしている機きに突然とつぜん眩暈めまいがして引いんッっ繰りくり返っかえった。
家内かないのものは軽症けいしょうの脳溢血のういっけつと思い違えおもいちがえて、すぐその手当てあてをした。
後あとで医者いしゃからどうもそうではないらしい、やはり持病じびょうの結果けっかだろうという判断はんだんを得とくて、始めはじめて卒倒そっとうと腎臓病じんぞうびょうとを結び付けむすびつけて考えるかんがえるようになったのである。
冬休みふゆやすみが来るくるにはまだ少しすこし間まがあった。
私わたくしは学期がっきの終りおわりまで待っまっていても差支えさしつかえあるまいと思っおもって一いち日ひ二に日ひそのままにしておいた。
するとその一いち日ひ二に日ひの間まに、父ちちの寝ねている様子ようすだの、母ははの心配しんぱいしている顔かおだのが時々ときどき眼めに浮かんうかんだ。
そのたびに一種いっしゅの心苦しこころぐるしさを嘗めなめた私わたくしは、とうとう帰るかえる決心けっしんをした。
国くにから旅費りょひを送らおくらせる手数てすうと時間じかんを省くはぶくため、私わたくしは暇乞いいとまごいかたがた先生せんせいの所ところへ行っいって、要るいるだけの金きんを一時いちじ立て替えたてかえてもらう事ことにした。
先生せんせいは少しすこし風邪かぜの気味きみで、座敷ざしきへ出るでるのが臆劫おっくうだといって、私わたくしをその書斎しょさいに通しとおした。
書斎しょさいの硝子戸がらすとから冬ふゆに入っはいって稀まれに見るみるような懐かしいなつかしい和わらかな日光にっこうが机つくえ掛けかけの上うえに射ししゃしていた。
先生せんせいはこの日ひあたりの好いよい室むろの中なかへ大きなおおきな火鉢ひばちを置いおいて、五徳ごとくの上うえに懸けかけた金盥かなだらいから立ち上るたちのぼる湯気ゆげで、呼吸こきゅうの苦しくくるしくなるのを防いふせいでいた。
「大病たいびょうは好いよいが、ちょっとした風邪かぜなどはかえって厭いやなものですね」といった先生せんせいは、苦笑くしょうしながら私わたくしの顔かおを見みた。
先生せんせいは病気びょうきという病気びょうきをした事ことのない人ひとであった。
先生せんせいの言葉ことばを聞いきいた私わたくしは笑いわらいたくなった。
「私わたくしは風邪かぜぐらいなら我慢がまんしますが、それ以上いじょうの病気びょうきは真平まっぴらです。先生せんせいだって同じおなじ事ことでしょう。試みこころみにやってご覧ごらんになるとよく解りわかります」「そうかね。私わたくしは病気びょうきになるくらいなら、死病しびょうに罹りかかりたいと思っおもってる」 私わたくしは先生せんせいのいう事ことに格別かくべつ注意ちゅういを払わはらわなかった。
すぐ母ははの手紙てがみの話はなしをして、金きんの無心むしんを申し出もうしでた。
「そりゃ困るこまるでしょう。そのくらいなら今いま手元てもとにあるはずだから持っもって行きいきたまえ」 先生せんせいは奥さんおくさんを呼んよんで、必要ひつようの金額きんがくを私わたくしの前まえに並べならべさせてくれた。
それを奥おくの茶ちゃ箪笥たんすか何なんかの抽出ちゅうしゅつから出しだして来きた奥さんおくさんは、白いしろい半紙はんしの上うえへ鄭てい寧ねいに重ねかさねて、「そりゃご心配しんぱいですね」といった。
「何なん遍へんも卒倒そっとうしたんですか」と先生せんせいが聞いきいた。
「手紙てがみには何なんとも書いかいてありませんが。――そんなに何度なんども引いんッっ繰りくり返るかえるものですか」「ええ」 先生せんせいの奥さんおくさんの母親ははおやという人ひとも私わたくしの父ちちと同じおなじ病気びょうきで亡くなっなくなったのだという事ことが始めはじめて私わたくしに解っわかった。
「どうせむずかしいんでしょう」と私わたくしがいった。
「そうさね。私わたくしが代らかわられれば代っかわってあげても好いよいが。――嘔気おうきはあるんですか」「どうですか、何なんとも書いかいてないから、大方おおかたないんでしょう」「吐気はきけさえ来きなければまだ大丈夫だいじょうぶですよ」と奥さんおくさんがいった。
私わたくしはその晩ばんの汽車きしゃで東京とうきょうを立ったった。
二十二にじゅうに
父ちちの病気びょうきは思っおもったほど悪くわるくはなかった。
それでも着いついた時じは、床ゆかの上うえに胡坐こざをかいて、「みんなが心配しんぱいするから、まあ我慢がまんしてこう凝とじっとしている。なにもう起きおきても好いよいのさ」といった。
しかしその翌日よくじつからは母ははが止めるとめるのも聞かきかずに、とうとう床ゆかを上げあげさせてしまった。
母ははは不承ふしょう無性むしょうに太織りふとおりの蒲団ふとんを畳みたたみながら「お父さんおちちさんはお前おまえが帰っかえって来きたので、急きゅうに気きが強くつよくおなりなんだよ」といった。
私わたくしには父ちちの挙動きょどうがさして虚勢きょせいを張っちょうっているようにも思えおもえなかった。
私わたくしの兄あにはある職しょくを帯びおびて遠いとおい九州きゅうしゅうにいた。
これは万一まんいちの事ことがある場合ばあいでなければ、容易よういに父母ふぼの顔かおを見るみる自由じゆうの利かりかない男おとこであった。
妹いもうとは他国たこくへ嫁いよめいだ。
これも急場きゅうばの間に合うまにあうように、おいそれと呼び寄せよびよせられる女おんなではなかった。
兄妹きょうだい三さん人ひとのうちで、一番いちばん便利べんりなのはやはり書生しょせいをしている私わたくしだけであった。
その私わたくしが母ははのいい付けつけ通りとおり学校がっこうの課業かぎょうを放り出しほうりだして、休みやすみ前まえに帰っかえって来きたという事ことが、父ちちには大きなおおきな満足まんぞくであった。
「これしきの病気びょうきに学校がっこうを休まやすませては気の毒きのどくだ。お母さんおははさんがあまり仰山ぎょうさんな手紙てがみを書くかくものだからいけない」 父ちちは口くちではこういった。
こういったばかりでなく、今までいままで敷いしいていた床ゆかを上げあげさせて、いつものような元気げんきを示ししめした。
「あんまり軽はずみかるはずみをしてまた逆ぎゃく回すまわすといけませんよ」 私わたくしのこの注意ちゅういを父ちちは愉快ゆかいそうにしかし極めてきわめて軽くかるく受けうけた。
「なに大丈夫だいじょうぶ、これでいつものように要心ようじんさえしていれば」 実際じっさい父ちちは大丈夫だいじょうぶらしかった。
家いえの中なかを自由じゆうに往来おうらいして、息いきも切れきれなければ、眩暈めまいも感じかんじなかった。
ただ顔色かおいろだけは普通ふつうの人ひとよりも大変たいへん悪かっわるかったが、これはまた今いま始まっはじまった症状しょうじょうでもないので、私たちわたくしたちは格別かくべつそれを気きに留めとめなかった。
私わたくしは先生せんせいに手紙てがみを書いかいて恩借おんしゃくの礼れいを述べのべた。
正月しょうがつ上京じょうきょうする時じに持参じさんするからそれまで待っまってくれるようにと断わっことわった。
そうして父ちちの病状びょうじょうの思っおもったほど険悪けんあくでない事こと、この分ぶんなら当分とうぶん安心あんしんな事こと、眩暈めまいも嘔気おうきも皆無かいむな事ことなどを書き連ねかきつらねた。
最後さいごに先生せんせいの風邪かぜについても一言ひとことの見舞みまいを附け加えつけくわえた。
私わたくしは先生せんせいの風邪かぜを実際じっさい軽くかるく見みていたので。
私わたくしはその手紙てがみを出すだす時じに決してけっして先生せんせいの返事へんじを予期よきしていなかった。
出しだした後あとで父ちちや母ははと先生せんせいの噂うわさなどをしながら、遥かはるかに先生せんせいの書斎しょさいを想像そうぞうした。
「こんど東京とうきょうへ行くいくときには椎茸しいたけでも持っもって行っいってお上げあげ」「ええ、しかし先生せんせいが干しほした椎茸しいたけなぞを食うくうかしら」「旨くうまくはないが、別べつに嫌いきらいな人ひともないだろう」 私わたくしには椎茸しいたけと先生せんせいを結び付けむすびつけて考えるかんがえるのが変へんであった。
先生せんせいの返事へんじが来きた時じ、私わたくしはちょっと驚かさおどろかされた。
ことにその内容ないようが特別とくべつの用件ようけんを含んふくんでいなかった時じ、驚かさおどろかされた。
先生せんせいはただ親切しんせつずくで、返事へんじを書いかいてくれたんだと私わたくしは思っおもった。
そう思うおもうと、その簡単かんたんな一いち本ほんの手紙てがみが私わたくしには大層たいそうな喜びよろこびになった。
もっともこれは私わたくしが先生せんせいから受け取っうけとった第だい一いちの手紙てがみには相違そういなかったが。
第だい一いちというと私わたくしと先生せんせいの間まに書信しょしんの往復おうふくがたびたびあったように思わおもわれるが、事実じじつは決してけっしてそうでない事ことをちょっと断わっことわっておきたい。
私わたくしは先生せんせいの生前せいぜんにたった二に通つうの手紙てがみしか貰っもらっていない。
その一いち通つうは今いまいうこの簡単かんたんな返書へんしょで、あとの一いち通つうは先生せんせいの死ぬしぬ前まえとくに私わたくし宛ずつで書いかいた大変たいへん長いながいものである。
父ちちは病気びょうきの性質せいしつとして、運動うんどうを慎まつつしまなければならないので、床ゆかを上げあげてからも、ほとんど戸外こがいへは出でなかった。
一いち度ど天気てんきのごく穏やかおだやかな日ひの午後ごご庭にわへ下りくだりた事ことがあるが、その時じは万一まんいちを気遣っきづかいって、私わたくしが引き添うひきそうように傍そばに付いついていた。
私わたくしが心配しんぱいして自分じぶんの肩かたへ手てを掛けかけさせようとしても、父ちちは笑っわらって応じおうじなかった。
二十三にじゅうさん
私わたくしは退屈たいくつな父ちちの相手あいてとしてよく将しょう碁盤ごばんに向かっむかった。
二人ふたりとも無精むせいな性質せいしつなので、炬燵こたつにあたったまま、盤ばんを櫓やぐらの上うえへ載せのせて、駒こまを動かすうごかすたびに、わざわざ手てを掛蒲団かかりふとんの下したから出すだすような事ことをした。
時々ときどき持駒もちごまを失くしなくして、次つぎの勝負しょうぶの来るくるまで双方そうほうとも知らしらずにいたりした。
それを母ははが灰はいの中なかから見付けみつけ出しだして、火箸ひばしで挟み上げるはさみあげるという滑稽こっけいもあった。
「碁ごだと盤ばんが高こう過ぎるすぎる上うえに、足あしが着いついているから、炬燵こたつの上うえでは打てうてないが、そこへ来るくると将しょう碁盤ごばんは好いよいね、こうして楽らくに差せるさせるから。無精むせい者ものには持っもって来いこいだ。もう一番いちばんやろう」 父ちちは勝っかった時じは必ずかならずもう一番いちばんやろうといった。
そのくせ負けまけた時じにも、もう一番いちばんやろうといった。
要するようするに、勝っかっても負けまけても、炬燵こたつにあたって、将しょう碁ごを差しさしたがる男おとこであった。
始めはじめのうちは珍しいめずらしいので、この隠居いんきょじみた娯楽ごらくが私わたくしにも相当そうとうの興味きょうみを与えあたえたが、少しすこし時日じじつが経つたつに伴れつれて、若いわかい私わたくしの気力きりょくはそのくらいな刺戟しげきで満足まんぞくできなくなった。
私わたくしは金きんや香車きょうしゃを握っにぎった拳こぶしを頭あたまの上うえへ伸ばしのばして、時々ときどき思い切っおもいきったあくびをした。
私わたくしは東京とうきょうの事ことを考えかんがえた。
そうして漲るみなぎる心臓しんぞうの血潮ちしおの奥おくに、活動かつどう活動かつどうと打ちうちつづける鼓動こどうを聞いきいた。
不思議ふしぎにもその鼓動こどうの音おとが、ある微妙びみょうな意識いしき状態じょうたいから、先生せんせいの力ちからで強めつよめられているように感じかんじた。
私わたくしは心こころのうちで、父ちちと先生せんせいとを比較ひかくして見みた。
両方りょうほうとも世間せけんから見れみれば、生きいきているか死んしんでいるか分らわからないほど大人しいおとなしい男おとこであった。
他ほかに認めみとめられるという点てんからいえばどっちも零れいであった。
それでいて、この将しょう碁ごを差しさしたがる父ちちは、単なるたんなる娯楽ごらくの相手あいてとしても私わたくしには物もの足りたりなかった。
かつて遊興ゆうきょうのために往来おうらいをした覚えおぼえのない先生せんせいは、歓楽かんらくの交際こうさいから出るでる親しみしたしみ以上いじょうに、いつか私わたくしの頭あたまに影響えいきょうを与えあたえていた。
ただ頭あたまというのはあまりに冷やかひややか過ぎるすぎるから、私わたくしは胸むねといい直しなおしたい。
肉にくのなかに先生せんせいの力ちからが喰い込んくいこんでいるといっても、血ちのなかに先生せんせいの命いのちが流れながれているといっても、その時じの私わたくしには少しすこしも誇張こちょうでないように思わおもわれた。
私わたくしは父ちちが私わたくしの本当ほんとうの父ちちであり、先生せんせいはまたいうまでもなく、あかの他人たにんであるという明白めいはくな事実じじつを、ことさらに眼めの前まえに並べならべてみて、始めはじめて大きなおおきな真理しんりでも発見はっけんしたかのごとくに驚いおどろいた。
私わたくしがのつそつし出すだすと前後ぜんごして、父ちちや母ははの眼めにも今までいままで珍しかっめずらしかった私わたくしが段々だんだん陳腐ちんぷになって来きた。
これは夏休みなつやすみなどに国くにへ帰るかえる誰だれでもが一様いちように経験けいけんする心持こころもちだろうと思うおもうが、当座とうざの一いち週間しゅうかんぐらいは下したにも置かおかないように、ちやほや歓待かんたいされるのに、その峠とうげを定規じょうぎ通りとおり通り越すとおりこすと、あとはそろそろ家族かぞくの熱ねつが冷めさめて来きて、しまいには有っあっても無くっなくっても構わかまわないもののように粗末そまつに取り扱わとりあつかわれがちになるものである。
私わたくしも滞在たいざい中なかにその峠とうげを通り越しとおりこした。
その上うえ私わたくしは国くにへ帰るかえるたびに、父ちちにも母ははにも解らわからない変へんなところを東京とうきょうから持っもって帰っかえった。
昔むかしでいうと、儒者じゅしゃの家いえへ切支丹きりしたんの臭いくさいを持ち込むもちこむように、私わたくしの持っもって帰るかえるものは父ちちとも母ははとも調和ちょうわしなかった。
無論むろん私わたくしはそれを隠しかくしていた。
けれども元々もともと身みに着いついているものだから、出すだすまいと思っおもっても、いつかそれが父ちちや母ははの眼めに留まっとまった。
私わたくしはつい面白くおもしろくなくなった。
早くはやく東京とうきょうへ帰りかえりたくなった。
父ちちの病気びょうきは幸いさいわい現状げんじょう維持いじのままで、少しすこしも悪いわるい方ほうへ進むすすむ模様もようは見えみえなかった。
念ねんのためにわざわざ遠くとおくから相当そうとうの医者いしゃを招いまねいたりして、慎重しんちょうに診察しんさつしてもらってもやはり私わたくしの知っしっている以外いがいに異状いじょうは認めみとめられなかった。
私わたくしは冬休みふゆやすみの尽きるつきる少しすこし前まえに国くにを立つたつ事ことにした。
立つたつといい出すだすと、人情にんじょうは妙みょうなもので、父ちちも母ははも反対はんたいした。
「もう帰るかえるのかい、まだ早いはやいじゃないか」と母ははがいった。
「まだ四よん、五ご日ひいても間に合うまにあうんだろう」と父ちちがいった。
私わたくしは自分じぶんの極めきわめた出立しゅったつの日ひを動かさうごかさなかった。
二十四にじゅうよん
東京とうきょうへ帰っかえってみると、松飾まつかざりはいつか取り払わとりはらわれていた。
町まちは寒いさむい風かぜの吹くふくに任せまかせて、どこを見みてもこれというほどの正月しょうがつめいた景気けいきはなかった。
私わたくしは早速さっそく先生せんせいのうちへ金きんを返しかえしに行っいった。
例れいの椎茸しいたけもついでに持っもって行っいった。
ただ出すだすのは少しすこし変へんだから、母ははがこれを差し上げさしあげてくれといいましたとわざわざ断っことわって奥さんおくさんの前まえへ置いおいた。
椎茸しいたけは新しいあたらしい菓子折かしおりに入れいれてあった。
鄭てい寧ねいに礼れいを述べのべた奥さんおくさんは、次の間つぎのまへ立つたつ時じ、その折おりを持っもって見みて、軽いかるいのに驚かさおどろかされたのか、「こりゃ何なんの御菓子ごかし」と聞いきいた。
奥さんおくさんは懇意こんいになると、こんなところに極めてきわめて淡泊たんぱくな小供こどもらしい心こころを見せみせた。
二人ふたりとも父ちちの病気びょうきについて、色々いろいろ掛かかり念ねんの問いといを繰り返しくりかえしてくれた中なかに、先生せんせいはこんな事ことをいった。
「なるほど容体ようだいを聞くきくと、今いまが今いまどうという事こともないようですが、病気びょうきが病気びょうきだからよほど気きをつけないといけません」 先生せんせいは腎臓じんぞうの病やまいについて私わたくしの知らしらない事ことを多くおおく知っしっていた。
「自分じぶんで病気びょうきに罹っかかっていながら、気きが付かつかないで平気へいきでいるのがあの病やまいの特色とくしょくです。私わたくしの知っしったある士官しかんは、とうとうそれでやられたが、全くまったく嘘うそのような死にしに方ほうをしたんですよ。何しろなにしろ傍そばに寝ねていた細君さいくんが看病かんびょうをする暇ひまもなんにもないくらいなんですからね。夜中よなかにちょっと苦しいくるしいといって、細君さいくんを起しおこしたぎり、翌よくる朝あさはもう死んしんでいたんです。しかも細君さいくんは夫おっとが寝ねているとばかり思っおもってたんだっていうんだから」 今までいままで楽天的らくてんてきに傾いかたむいていた私わたくしは急きゅうに不安ふあんになった。
「私わたくしの父ちちもそんなになるでしょうか。ならんともいえないですね」「医者いしゃは何なんというのです」「医者いしゃは到底とうてい治らなおらないというんです。けれども当分とうぶんのところ心配しんぱいはあるまいともいうんです」「それじゃ好いよいでしょう。医者いしゃがそういうなら。私わたくしの今いま話しはなしたのは気きが付かつかずにいた人ひとの事ことで、しかもそれがずいぶん乱暴らんぼうな軍人ぐんじんなんだから」 私わたくしはやや安心あんしんした。
私わたくしの変化へんかを凝とじっと見みていた先生せんせいは、それからこう付け足しつけたした。
「しかし人間にんげんは健康けんこうにしろ病気びょうきにしろ、どっちにしても脆いもろいものですね。いつどんな事ことでどんな死にしにようをしないとも限らかぎらないから」「先生せんせいもそんな事ことを考えかんがえてお出でですか」「いくら丈夫じょうぶの私わたくしでも、満更まんざら考えかんがえない事こともありません」 先生せんせいの口元くちもとには微笑びしょうの影かげが見えみえた。
「よくころりと死ぬしぬ人ひとがあるじゃありませんか。自然しぜんに。それからあっと思うおもう間まに死ぬしぬ人ひともあるでしょう。不自然ふしぜんな暴力ぼうりょくで」「不自然ふしぜんな暴力ぼうりょくって何なんですか」「何なんだかそれは私わたくしにも解らわからないが、自殺じさつする人ひとはみんな不自然ふしぜんな暴力ぼうりょくを使うつかうんでしょう」「すると殺さころされるのも、やはり不自然ふしぜんな暴力ぼうりょくのお蔭おかげですね」「殺さころされる方ほうはちっとも考えかんがえていなかった。なるほどそういえばそうだ」 その日ひはそれで帰っかえった。
帰っかえってからも父ちちの病気びょうきはそれほど苦くにならなかった。
先生せんせいのいった自然しぜんに死ぬしぬとか、不自然ふしぜんの暴力ぼうりょくで死ぬしぬとかいう言葉ことばも、その場ば限りかぎりの浅いあさい印象いんしょうを与えあたえただけで、後あとは何なんらのこだわりを私わたくしの頭あたまに残さざんさなかった。
私わたくしは今までいままで幾度いくどか手てを着けようつけようとしては手てを引っ込めひっこめた卒業論文そつぎょうろんぶんを、いよいよ本式ほんしきに書きかき始めはじめなければならないと思い出しおもいだした。
二十五にじゅうご
その年ねんの六ろく月つきに卒業そつぎょうするはずの私わたくしは、ぜひともこの論文ろんぶんを成規せいき通りとおり四よん月つきいっぱいに書き上げかきあげてしまわなければならなかった。
二に、三さん、四よんと指ゆびを折っおって余るあまる時日じじつを勘定かんじょうして見みた時じ、私わたくしは少しすこし自分じぶんの度胸どきょうを疑っうたがった。
他ほかのものはよほど前まえから材料ざいりょうを蒐めあつめたり、ノートのーとを溜めためたりして、余所目よそめにも忙しいそがしそうに見えるみえるのに、私わたくしだけはまだ何になんにも手てを着けつけずにいた。
私わたくしにはただ年ねんが改まっあらたまったら大いにおおいにやろうという決心けっしんだけがあった。
私わたくしはその決心けっしんでやり出しだした。
そうして忽ちたちまち動けうごけなくなった。
今までいままで大きなおおきな問題もんだいを空そらに描いえがいて、骨組みほねぐみだけはほぼでき上っできあがっているくらいに考えかんがえていた私わたくしは、頭あたまを抑えおさえて悩みなやみ始めはじめた。
私わたくしはそれから論文ろんぶんの問題もんだいを小さくちいさくした。
そうして練り上げねりあげた思想しそうを系統的けいとうてきに纏めるまとめる手数てすうを省くはぶくために、ただ書物しょもつの中なかにある材料ざいりょうを並べならべて、それに相当そうとうな結論けつろんをちょっと付け加えるつけくわえる事ことにした。
私わたくしの選択せんたくした問題もんだいは先生せんせいの専門せんもんと縁故えんこの近いちかいものであった。
私わたくしがかつてその選択せんたくについて先生せんせいの意見いけんを尋ねたずねた時じ、先生せんせいは好いよいでしょうといった。
狼狽ろうばいした気味きみの私わたくしは、早速さっそく先生せんせいの所ところへ出掛けでかけて、私わたくしの読まよまなければならない参考書さんこうしょを聞いきいた。
先生せんせいは自分じぶんの知っしっている限りかぎりの知識ちしきを、快くこころよく私わたくしに与えあたえてくれた上うえに、必要ひつようの書物しょもつを、二に、三さん冊さつ貸そうかそうといった。
しかし先生せんせいはこの点てんについて毫もごうも私わたくしを指導しどうする任にんに当ろうあたろうとしなかった。
「近頃ちかごろはあんまり書物しょもつを読まよまないから、新しいあたらしい事ことは知りしりませんよ。学校がっこうの先生せんせいに聞いきいた方ほうが好いよいでしょう」 先生せんせいは一時いちじ非常ひじょうの読書家どくしょかであったが、その後そのあとどういう訳わけか、前まえほどこの方面ほうめんに興味きょうみが働かはたらかなくなったようだと、かつて奥さんおくさんから聞いきいた事ことがあるのを、私わたくしはその時じふと思い出しおもいだした。
私わたくしは論文ろんぶんをよそにして、そぞろに口くちを開いひらいた。
「先生せんせいはなぜ元もとのように書物しょもつに興味きょうみをもち得とくないんですか」「なぜという訳わけもありませんが。……つまりいくら本ほんを読んよんでもそれほどえらくならないと思うおもうせいでしょう。それから……」「それから、まだあるんですか」「まだあるというほどの理由りゆうでもないが、以前いぜんはね、人ひとの前まえへ出でたり、人ひとに聞かきかれたりして知らしらないと恥はじのようにきまりが悪かっわるかったものだが、近頃ちかごろは知らしらないという事ことが、それほどの恥はじでないように見えみえ出しだしたものだから、つい無理むりにも本ほんを読んよんでみようという元気げんきが出でなくなったのでしょう。まあ早くはやくいえば老い込んおいこんだのです」 先生せんせいの言葉ことばはむしろ平静へいせいであった。
世間せけんに背中せなかを向けむけた人ひとの苦味にがみを帯びおびていなかっただけに、私わたくしにはそれほどの手応えてごたえもなかった。
私わたくしは先生せんせいを老い込んおいこんだとも思わおもわない代りかわりに、偉いえらいとも感心かんしんせずに帰っかえった。
それからの私わたくしはほとんど論文ろんぶんに祟らたたられた精神せいしん病者びょうしゃのように眼めを赤くあかくして苦しんくるしんだ。
私わたくしは一いち年ねん前まえに卒業そつぎょうした友達ともだちについて、色々いろいろ様子ようすを聞いきいてみたりした。
そのうちの一人ひとりは締切しめきりの日ひに車くるまで事務所じむしょへ馳けつけかけつけて漸くようやく間に合わまにあわせたといった。
他ほかの一人ひとりは五ご時じを十五じゅうご分ぶんほど後らしおくらして持っもって行っいったため、危くあやうく跳ねはね付けつけられようとしたところを、主任しゅにん教授きょうじゅの好意こういでやっと受理じゅりしてもらったといった。
私わたくしは不安ふあんを感ずるかんずると共ともに度胸どきょうを据えすえた。
毎日まいにち机つくえの前まえで精根せいこんのつづく限りかぎり働いはたらいた。
でなければ、薄暗いうすぐらい書庫しょこにはいって、高いたかい本棚ほんだなのあちらこちらを見廻しみまわした。
私わたくしの眼めは好事家こうずかが骨董こっとうでも掘り出すほりだす時じのように背表紙せひょうしの金きん文字もじをあさった。
梅うめが咲くさくにつけて寒いさむい風かぜは段々だんだん向むかいを南みなみへ更さらえて行っいった。
それが一いち仕切しきり経つたつと、桜さくらの噂うわさがちらほら私わたくしの耳みみに聞こえきこえ出しだした。
それでも私わたくしは馬車馬ばしゃばのように正面しょうめんばかり見みて、論文ろんぶんに鞭むちうたれた。
私わたくしはついに四よん月つきの下旬げじゅんが来きて、やっと予定よてい通りとおりのものを書き上げるかきあげるまで、先生せんせいの敷居しきいを跨がまたがなかった。
二十六にじゅうろく
私わたくしの自由じゆうになったのは、八重桜やえざくらの散っちった枝えだにいつしか青いあおい葉はが霞むかすむように伸びのび始めるはじめる初夏しょかの季節きせつであった。
私わたくしは籠かごを抜け出しぬけだした小鳥ことりの心こころをもって、広いひろい天地てんちを一目いちもくに見渡しみわたしながら、自由じゆうに羽搏きはばたきをした。
私わたくしはすぐ先生せんせいの家いえへ行っいった。
枳殻からたちの垣かきが黒ずんくろずんだ枝えだの上うえに、萌もえるような芽めを吹いふいていたり、柘榴ざくろの枯れかれた幹みきから、つやつやしい茶褐色ちゃかっしょくの葉はが、柔らかやわらかそうに日光にっこうを映しうつしていたりするのが、道々みちみち私わたくしの眼めを引き付けひきつけた。
私わたくしは生れうまれて初めてはじめてそんなものを見るみるような珍しめずらしさを覚えおぼえた。
先生せんせいは嬉しうれしそうな私わたくしの顔かおを見みて、「もう論文ろんぶんは片付いかたづいたんですか、結構けっこうですね」といった。
私わたくしは「お蔭おかげでようやく済みすみました。もう何になんにもする事ことはありません」といった。
実際じっさいその時じの私わたくしは、自分じぶんのなすべきすべての仕事しごとがすでに結了けつりょうして、これから先さきは威張っいばって遊んあそんでいても構わかまわないような晴やかはれやかな心持こころもちでいた。
私わたくしは書き上げかきあげた自分じぶんの論文ろんぶんに対したいして充分じゅうぶんの自信じしんと満足まんぞくをもっていた。
私わたくしは先生せんせいの前まえで、しきりにその内容ないようを喋々ちょうちょうした。
先生せんせいはいつもの調子ちょうしで、「なるほど」とか、「そうですか」とかいってくれたが、それ以上いじょうの批評ひひょうは少しすこしも加えくわえなかった。
私わたくしは物もの足りたりないというよりも、聊かいささか拍子ひょうし抜けぬけの気味きみであった。
それでもその日ひ私わたくしの気力きりょくは、因循いんじゅんらしく見えるみえる先生せんせいの態度たいどに逆襲ぎゃくしゅうを試みるこころみるほどに生々なまなましていた。
私わたくしは青くあおく蘇生そせいろうとする大きなおおきな自然しぜんの中なかに、先生せんせいを誘い出そうさそいだそうとした。
「先生せんせいどこかへ散歩さんぽしましょう。外そとへ出るでると大変たいへん好いよい心持こころもちです」「どこへ」 私わたくしはどこでも構わかまわなかった。
ただ先生せんせいを伴れつれて郊外こうがいへ出でたかった。
一いち時間じかんの後あと、先生せんせいと私わたくしは目的もくてきどおり市しを離れはなれて、村むらとも町まちとも区別くべつの付かつかない静かしずかな所ところを宛ずつもなく歩いあるいた。
私わたくしはかなめの垣かきから若いわかい柔らかいやわらかい葉はを※ぎ取っとって芝しば笛ふえを鳴らしならした。
ある鹿児島かごしま人ひとを友達ともだちにもって、その人ひとの真似まねをしつつ自然しぜんに習い覚えならいおぼえた私わたくしは、この芝しば笛ふえというものを鳴らすならす事ことが上手じょうずであった。
私わたくしが得意とくいにそれを吹きふきつづけると、先生せんせいは知らしらん顔かおをしてよそを向いむかいて歩いあるいた。
やがて若葉わかばに鎖ざさとざされたように蓊欝した小高いこだかい一いち構えかまえの下したに細いほそい路みちが開けあけた。
門もんの柱はしらに打ち付けうちつけた標札ひょうさつに何々なになに園そのとあるので、その個人こじんの邸宅ていたくでない事ことがすぐ知れしれた。
先生せんせいはだらだら上りのぼりになっている入口いりぐちを眺めながめて、「はいってみようか」といった。
私わたくしはすぐ「植木屋うえきやですね」と答えこたえた。
植込うえこみの中なかを一いちうねりして奥おくへ上るのぼると左側ひだりがわに家いえがあった。
明け放っあけはなった障子しょうじの内うちはがらんとして人ひとの影かげも見えみえなかった。
ただ軒先のきさきに据えすえた大きなおおきな鉢ばちの中なかに飼っかってある金魚きんぎょが動いうごいていた。
「静かしずかだね。断わらことわらずにはいっても構わかまわないだろうか」「構わかまわないでしょう」 二人ふたりはまた奥おくの方ほうへ進んすすんだ。
しかしそこにも人影ひとかげは見えみえなかった。
躑躅つつじが燃えるもえるように咲き乱れさきみだれていた。
先生せんせいはそのうちで樺色かばいろの丈たけの高いたかいのを指しさして、「これは霧島きりしまでしょう」といった。
芍薬しゃくやくも十じゅう坪つぼあまり一面いちめんに植え付けうえつけられていたが、まだ季節きせつが来きないので花はなを着けつけているのは一いち本ほんもなかった。
この芍薬しゃくやく畠はたけの傍そばにある古びふるびた縁台えんだいのようなものの上うえに先生せんせいは大の字だいのじなりに寝ねた。
私わたくしはその余っよった端はしの方ほうに腰こしをおろして烟草たばこを吹かしふかした。
先生せんせいは蒼いあおい透き徹るすきとおるような空そらを見みていた。
私わたくしは私わたくしを包むつつむ若葉わかばの色いろに心こころを奪わうばわれていた。
その若葉わかばの色いろをよくよく眺めるながめると、一々いちいち違っちがっていた。
同じおなじ楓ふうの樹きでも同じおなじ色いろを枝えだに着けつけているものは一いちつもなかった。
細いほそい杉すぎ苗なえの頂いただきに投げなげ被せかぶせてあった先生せんせいの帽子ぼうしが風かぜに吹かふかれて落ちおちた。
二十七にじゅうなな
私わたくしはすぐその帽子ぼうしを取り上げとりあげた。
所々ところどころに着いついている赤土あかつちを爪つめで弾きひきながら先生せんせいを呼んよんだ。
「先生せんせい帽子ぼうしが落ちおちました」「ありがとう」 身体しんたいを半分はんぶん起しおこしてそれを受け取っうけとった先生せんせいは、起きるおきるとも寝るねるとも片付かかたづかないその姿勢しせいのままで、変へんな事ことを私わたくしに聞いきいた。
「突然とつぜんだが、君きみの家いえには財産ざいさんがよっぽどあるんですか」「あるというほどありゃしません」「まあどのくらいあるのかね。失礼しつれいのようだが」「どのくらいって、山やまと田地でんじが少しすこしあるぎりで、金きんなんかまるでないんでしょう」 先生せんせいが私わたくしの家いえの経済けいざいについて、問いといらしい問いといを掛けかけたのはこれが始めはじめてであった。
私わたくしの方ほうはまだ先生せんせいの暮し向きくらしむきに関しかんして、何なんも聞いきいた事ことがなかった。
先生せんせいと知り合いしりあいになった始めはじめ、私わたくしは先生せんせいがどうして遊んあそんでいられるかを疑っうたがった。
その後そのあともこの疑いうたがいは絶えたえず私わたくしの胸むねを去らさらなかった。
しかし私わたくしはそんな露骨ろこつな問題もんだいを先生せんせいの前まえに持ち出すもちだすのをぶしつけとばかり思っおもっていつでも控えひかえていた。
若葉わかばの色いろで疲れつかれた眼めを休まやすませていた私わたくしの心こころは、偶然ぐうぜんまたその疑いうたがいに触れふれた。
「先生せんせいはどうなんです。どのくらいの財産ざいさんをもっていらっしゃるんですか」「私わたくしは財産家ざいさんかと見えみえますか」 先生せんせいは平生へいぜいからむしろ質素しっそな服装ふくそうをしていた。
それに家内かないは小しょう人数にんずうであった。
したがって住宅じゅうたくも決してけっして広くひろくはなかった。
けれどもその生活せいかつの物質的ぶっしつてきに豊かゆたかな事ことは、内輪うちわにはいり込まはいりこまない私わたくしの眼めにさえ明らかあきらかであった。
要するようするに先生せんせいの暮しくらしは贅沢ぜいたくといえないまでも、あたじけなく切り詰めきりつめた無む弾力性だんりょくせいのものではなかった。
「そうでしょう」と私わたくしがいった。
「そりゃそのくらいの金きんはあるさ、けれども決してけっして財産家ざいさんかじゃありません。財産家ざいさんかならもっと大きなおおきな家いえでも造るつくるさ」 この時じ先生せんせいは起き上っおきあがって、縁台えんだいの上うえに胡坐こざをかいていたが、こういい終るおわると、竹たけの杖つえの先さきで地面じめんの上うえへ円えんのようなものを描きえがき始めはじめた。
それが済むすむと、今度こんどはステッキすてっきを突き刺すつきさすように真直まっすぐに立てたてた。
「これでも元もとは財産家ざいさんかなんだがなあ」 先生せんせいの言葉ことばは半分はんぶん独り言ひとりごとのようであった。
それですぐ後あとに尾おいて行きいき損なっそこなった私わたくしは、つい黙っだまっていた。
「これでも元もとは財産家ざいさんかなんですよ、君きみ」といい直しなおした先生せんせいは、次つぎに私わたくしの顔かおを見みて微笑びしょうした。
私わたくしはそれでも何なんとも答えこたえなかった。
むしろ不調法ふちょうほうで答えこたえられなかったのである。
すると先生せんせいがまた問題もんだいを他ほかへ移しうつした。
「あなたのお父さんおちちさんの病気びょうきはその後そのあとどうなりました」 私わたくしは父ちちの病気びょうきについて正月しょうがつ以後いご何になんにも知らしらなかった。
月々つきづき国くにから送っおくってくれる為替かわせと共ともに来るくる簡単かんたんな手紙てがみは、例れいの通りとおり父ちちの手蹟しゅせきであったが、病気びょうきの訴えうったえはそのうちにほとんど見当らみあたらなかった。
その上書じょうしょ体からだも確かたしかであった。
この種しゅの病人びょうにんに見るみる顫えふるえが少しすこしも筆ふでの運びはこびを乱しみだしていなかった。
「何なんともいって来きませんが、もう好いよいんでしょう」「好けれよければ結構けっこうだが、――病症びょうしょうが病症びょうしょうなんだからね」「やっぱり駄目だめですかね。でも当分とうぶんは持ち合っもちあってるんでしょう。何なんともいって来きませんよ」「そうですか」 私わたくしは先生せんせいが私わたくしのうちの財産ざいさんを聞いきいたり、私わたくしの父ちちの病気びょうきを尋ねたずねたりするのを、普通ふつうの談話だんわ――胸むねに浮かんうかんだままをその通り口とおりぐちにする、普通ふつうの談話だんわと思っおもって聞いきいていた。
ところが先生せんせいの言葉ことばの底そこには両方りょうほうを結び付けるむすびつける大きなおおきな意味いみがあった。
先生せんせい自身じしんの経験けいけんを持たもたない私わたくしは無論むろんそこに気きが付くつくはずがなかった。
二十八にじゅうはち
「君きみのうちに財産ざいさんがあるなら、今いまのうちによく始末しまつをつけてもらっておかないといけないと思うおもうがね、余計よけいなお世話おせわだけれども。君きみのお父さんおちちさんが達者たっしゃなうちに、貰うもらうものはちゃんと貰っもらっておくようにしたらどうですか。万一まんいちの事ことがあったあとで、一番いちばん面倒めんどうの起るおこるのは財産ざいさんの問題もんだいだから」「ええ」 私わたくしは先生せんせいの言葉ことばに大したたいした注意ちゅういを払わはらわなかった。
私わたくしの家庭かていでそんな心配しんぱいをしているものは、私わたくしに限らかぎらず、父ちちにしろ母ははにしろ、一人ひとりもないと私わたくしは信じしんじていた。
その上うえ先生せんせいのいう事ことの、先生せんせいとして、あまりに実際的じっさいてきなのに私わたくしは少しすこし驚かさおどろかされた。
しかしそこは年長者ねんちょうしゃに対するたいする平生へいぜいの敬意けいいが私わたくしを無口むくちにした。
「あなたのお父さんおちちさんが亡くならなくなられるのを、今いまから予想よそうしてかかるような言葉遣いことばづかいをするのが気きに触っさわったら許しゆるしてくれたまえ。しかし人間にんげんは死ぬしぬものだからね。どんなに達者たっしゃなものでも、いつ死ぬしぬか分らわからないものだからね」 先生せんせいの口気こうきは珍しくめずらしく苦々しかっにがにがしかった。
「そんな事ことをちっとも気きに掛けかけちゃいません」と私わたくしは弁解べんかいした。
「君きみの兄弟きょうだいは何人なんにんでしたかね」と先生せんせいが聞いきいた。
先生せんせいはその上うえに私わたくしの家族かぞくの人数にんずうを聞いきいたり、親類しんるいの有無うむを尋ねたずねたり、叔父おじや叔母おばの様子ようすを問いといなどした。
そうして最後さいごにこういった。
「みんな善いよい人ひとですか」「別べつに悪いわるい人間にんげんというほどのものもいないようです。大抵たいてい田舎者いなかものですから」「田舎者いなかものはなぜ悪くわるくないんですか」 私わたくしはこの追窮ついきゅうに苦しんくるしんだ。
しかし先生せんせいは私わたくしに返事へんじを考えかんがえさせる余裕よゆうさえ与えあたえなかった。
「田舎者いなかものは都会とかいのものより、かえって悪いわるいくらいなものです。それから、君きみは今いま、君きみの親戚しんせきなぞの中なかに、これといって、悪いわるい人間にんげんはいないようだといいましたね。しかし悪いわるい人間にんげんという一種いっしゅの人間にんげんが世の中よのなかにあると君きみは思っおもっているんですか。そんな鋳型いがたに入れいれたような悪人あくにんは世の中よのなかにあるはずがありませんよ。平生へいぜいはみんな善人ぜんにんなんです。少なくすくなくともみんな普通ふつうの人間にんげんなんです。それが、いざという間際まぎわに、急きゅうに悪人あくにんに変るかわるんだから恐ろしいおそろしいのです。だから油断ゆだんができないんです」 先生せんせいのいう事ことは、ここで切れるきれる様子ようすもなかった。
私わたくしはまたここで何なんかいおうとした。
すると後ろうしろの方ほうで犬いぬが急きゅうに吠えほえ出しだした。
先生せんせいも私わたくしも驚いおどろいて後ろうしろを振り返っふりかえった。
縁台えんだいの横よこから後部こうぶへ掛けかけて植え付けうえつけてある杉すぎ苗なえの傍そばに、熊笹くまざさが三さん坪つぼほど地ちを隠すかくすように茂っしげるって生えはえていた。
犬いぬはその顔かおと背せを熊笹くまざさの上うえに現わしあらわして、盛んさかんに吠え立てほえたてた。
そこへ十じゅうぐらいの小供こどもが馳はせけて来きて犬いぬを叱り付けしかりつけた。
小供こどもは徽章きしょうの着いついた黒いくろい帽子ぼうしを被っかぶったまま先生せんせいの前まえへ廻っまわって礼れいをした。
「叔父おじさん、はいって来るくる時じ、家いえに誰だれもいなかったかい」と聞いきいた。
「誰だれもいなかったよ」「姉さんあねさんやおっかさんが勝手かっての方ほうにいたのに」「そうか、いたのかい」「ああ。叔父おじさん、今日はきょうはって、断っことわってはいって来るくると好かっよかったのに」 先生せんせいは苦笑くしょうした。
懐中かいちゅうから蟇口がまぐちを出しだして、五ご銭せんの白銅はくどうを小供こどもの手てに握らにぎらせた。
「おっかさんにそういっとくれ。少しすこしここで休ましやすまして下さいくださいって」 小供こどもは怜悧れいりそうな眼めに笑いわらいを漲らしみなぎらして、首肯いうなずいて見せみせた。
「今いま斥候せっこう長ながになってるところなんだよ」 小供こどもはこう断っことわって、躑躅つつじの間まを下したの方ほうへ駈け下りかけおりて行っいった。
犬いぬも尻尾しっぽを高くたかく巻いまいて小供こどもの後あとを追い掛けおいかけた。
しばらくすると同じおなじくらいの年ねん格好かっこうの小供こどもが二に、三さん人ひと、これも斥候せっこう長ながの下りくだりて行っいった方ほうへ駈けかけていった。
二十九にじゅうきゅう
先生せんせいの談話だんわは、この犬いぬと小供こどものために、結末けつまつまで進行しんこうする事ことができなくなったので、私わたくしはついにその要領ようりょうを得とくないでしまった。
先生せんせいの気きにする財産ざいさん云々うんぬんの掛かかり念ねんはその時じの私わたくしには全くまったくなかった。
私わたくしの性質せいしつとして、また私わたくしの境遇きょうぐうからいって、その時じの私わたくしには、そんな利害りがいの念ねんに頭あたまを悩ますなやます余地よちがなかったのである。
考えるかんがえるとこれは私わたくしがまだ世間せけんに出でないためでもあり、また実際じっさいその場ばに臨まのぞまないためでもあったろうが、とにかく若いわかい私わたくしにはなぜか金きんの問題もんだいが遠くとおくの方ほうに見えみえた。
先生せんせいの話はなしのうちでただ一いちつ底そこまで聞きききたかったのは、人間にんげんがいざという間際まぎわに、誰だれでも悪人あくにんになるという言葉ことばの意味いみであった。
単なるたんなる言葉ことばとしては、これだけでも私わたくしに解らわからない事ことはなかった。
しかし私わたくしはこの句くについてもっと知りしりたかった。
犬いぬと小供こどもが去っさったあと、広いひろい若葉わかばの園そのは再びふたたび故この静かしずかさに帰っかえった。
そうして我々われわれは沈黙ちんもくに鎖ざさとざされた人ひとのようにしばらく動かうごかずにいた。
うるわしい空そらの色いろがその時じ次第しだいに光ひかりを失っうしなって来きた。
眼めの前まえにある樹きは大概たいがい楓ふうであったが、その枝えだに滴るしたたるように吹いふいた軽いかるい緑みどりの若葉わかばが、段々だんだん暗くくらくなって行くいくように思わおもわれた。
遠いとおい往来おうらいを荷車にぐるまを引いひいて行くいく響きひびきがごろごろと聞こえきこえた。
私わたくしはそれを村むらの男おとこが植木うえきか何なんかを載せのせて縁日えんにちへでも出掛けるでかけるものと想像そうぞうした。
先生せんせいはその音おとを聞くきくと、急きゅうに瞑想めいそうから呼息こそくを吹き返しふきかえした人ひとのように立ち上がったちあがった。
「もう、そろそろ帰りかえりましょう。大分おおいた日ひが永くながくなったようだが、やっぱりこう安閑あんかんとしているうちには、いつの間まにか暮れくれて行くいくんだね」 先生せんせいの背中せなかには、さっき縁台えんだいの上うえに仰向きあおむきに寝ねた痕あとがいっぱい着いついていた。
私わたくしは両手りょうてでそれを払い落しはらいおとした。
「ありがとう。脂あぶらがこびり着いこびりついてやしませんか」「綺麗きれいに落ちおちました」「この羽織はおりはつい此これ間ま拵えこしらえたばかりなんだよ。だからむやみに汚しよごして帰るかえると、妻つまに叱らしかられるからね。有難うありがとう」 二人ふたりはまただらだら坂さかの中途ちゅうとにある家いえの前まえへ来きた。
はいる時じには誰だれもいる気色けしきの見えみえなかった縁えんに、お上おかみさんが、十五じゅうご、六ろくの娘むすめを相手あいてに、糸巻いとまきへ糸いとを巻きつけまきつけていた。
二人ふたりは大きなおおきな金魚鉢きんぎょばちの横よこから、「どうもお邪魔じゃまをしました」と挨拶あいさつした。
お上おかみさんは「いいえお構いおかまい申しもうしも致しいたしませんで」と礼れいを返しかえした後あと、先刻せんこく小供こどもにやった白銅はくどうの礼れいを述べのべた。
門口かどぐちを出でて二に、三さん町まち来きた時じ、私わたくしはついに先生せんせいに向かっむかって口くちを切っきった。
「さきほど先生せんせいのいわれた、人間にんげんは誰だれでもいざという間際まぎわに悪人あくにんになるんだという意味いみですね。あれはどういう意味いみですか」「意味いみといって、深いぶかい意味いみもありません。――つまり事実じじつなんですよ。理屈りくつじゃないんだ」「事実じじつで差支えさしつかえありませんが、私わたくしの伺いうかがいたいのは、いざという間際まぎわという意味いみなんです。一体いったいどんな場合ばあいを指すさすのですか」 先生せんせいは笑いわらい出しだした。
あたかも時機じきの過ぎすぎた今いま、もう熱心ねっしんに説明せつめいする張合いはりあいがないといった風かぜに。
「金きんさ君きみ。金きんを見るみると、どんな君子くんしでもすぐ悪人あくにんになるのさ」 私わたくしには先生せんせいの返事へんじがあまりに平凡へいぼん過ぎすぎて詰らなじらなかった。
先生せんせいが調子ちょうしに乗らのらないごとく、私わたくしも拍子ひょうし抜けぬけの気味きみであった。
私わたくしは澄ましすましてさっさと歩きあるき出しだした。
いきおい先生せんせいは少しすこし後れおくれがちになった。
先生せんせいはあとから「おいおい」と声こえを掛けかけた。
「そら見みたまえ」「何なんをですか」「君きみの気分きぶんだって、私わたくしの返事へんじ一いちつですぐ変るかわるじゃないか」 待ち合わせるまちあわせるために振り向いふりむいて立ち留まったちどまった私わたくしの顔かおを見みて、先生せんせいはこういった。
三十さんじゅう
その時じの私わたくしは腹はらの中なかで先生せんせいを憎らしくにくらしく思っおもった。
肩かたを並べならべて歩きあるき出しだしてからも、自分じぶんの聞きききたい事ことをわざと聞かきかずにいた。
しかし先生せんせいの方ほうでは、それに気きが付いついていたのか、いないのか、まるで私わたくしの態度たいどに拘泥るこだわる様子ようすを見せみせなかった。
いつもの通りとおり沈黙ちんもくがちに落ち付きおちつき払っはらった歩調ほちょうをすまして運んはこんで行くいくので、私わたくしは少しすこし業腹ごうはらになった。
何なんとかいって一いちつ先生せんせいをやっ付けつけてみたくなって来きた。
「先生せんせい」「何なんですか」「先生せんせいはさっき少しすこし昂奮こうふんなさいましたね。あの植木屋うえきやの庭にわで休んやすんでいる時じに。私わたくしは先生せんせいの昂奮こうふんしたのを滅多めったに見みた事ことがないんですが、今日きょうは珍しいめずらしいところを拝見はいけんしたような気きがします」 先生せんせいはすぐ返事へんじをしなかった。
私わたくしはそれを手応えてごたえのあったようにも思っおもった。
また的まとが外れはずれたようにも感じかんじた。
仕方しかたがないから後あとはいわない事ことにした。
すると先生せんせいがいきなり道みちの端はしへ寄っよって行っいった。
そうして綺麗きれいに刈り込んかりこんだ生垣いけがきの下したで、裾すそをまくって小便しょうべんをした。
私わたくしは先生せんせいが用ようを足すたす間まぼんやりそこに立ったっていた。
「やあ失敬しっけい」 先生せんせいはこういってまた歩きあるき出しだした。
私わたくしはとうとう先生せんせいをやり込めるやりこめる事ことを断念だんねんした。
私たちわたくしたちの通るとおる道みちは段々だんだん賑やかにぎやかになった。
今までいままでちらほらと見えみえた広いひろい畠はたけの斜面しゃめんや平地へいちが、全くまったく眼めに入らはいらないように左右さゆうの家並いえなみが揃っそろってきた。
それでも所々ところどころ宅地たくちの隅すみなどに、豌豆えんどうの蔓つるを竹たけにからませたり、金網かなあみで鶏にわとりを囲いかこい飼いかいにしたりするのが閑静かんせいに眺めながめられた。
市し中なかから帰るかえる駄馬だうまが仕切りしきりなく擦れ違っすれちがって行っいった。
こんなものに始終しじゅう気きを奪らとられがちな私わたくしは、さっきまで胸むねの中なかにあった問題もんだいをどこかへ振り落しふりおとしてしまった。
先生せんせいが突然とつぜんそこへ後戻りあともどりをした時じ、私わたくしは実際じっさいそれを忘れわすれていた。
「私わたくしは先刻せんこくそんなに昂奮こうふんしたように見えみえたんですか」「そんなにというほどでもありませんが、少しすこし……」「いや見えみえても構わかまわない。実際じっさい昂奮こうふんするんだから。私わたくしは財産ざいさんの事ことをいうときっと昂奮こうふんするんです。君きみにはどう見えるみえるか知らしらないが、私わたくしはこれで大変たいへん執念しゅうねん深いぶかい男おとこなんだから。人ひとから受けうけた屈辱くつじょくや損害そんがいは、十じゅう年ねんたっても二十にじゅう年ねんたっても忘れわすれやしないんだから」 先生せんせいの言葉ことばは元もとよりもなお昂奮こうふんしていた。
しかし私わたくしの驚いおどろいたのは、決してけっしてその調子ちょうしではなかった。
むしろ先生せんせいの言葉ことばが私わたくしの耳みみに訴えるうったえる意味いみそのものであった。
先生せんせいの口くちからこんな自白じはくを聞くきくのは、いかな私わたくしにも全くまったくの意外いがいに相違そういなかった。
私わたくしは先生せんせいの性質せいしつの特色とくしょくとして、こんな執着しゅうちゃく力ちからをいまだかつて想像そうぞうした事ことさえなかった。
私わたくしは先生せんせいをもっと弱いよわい人ひとと信じしんじていた。
そうしてその弱くよわくて高いたかい処ところに、私わたくしの懐かしみなつかしみの根ねを置いおいていた。
一時いちじの気分きぶんで先生せんせいにちょっと盾たてを突いついてみようとした私わたくしは、この言葉ことばの前まえに小さくちいさくなった。
先生せんせいはこういった。
「私わたくしは他ほかに欺かあざむかれたのです。しかも血ちのつづいた親戚しんせきのものから欺かあざむかれたのです。私わたくしは決してけっしてそれを忘れわすれないのです。私わたくしの父ちちの前まえには善人ぜんにんであったらしい彼かれらは、父ちちの死ぬしぬや否いなや許しゆるしがたい不徳義ふとくぎ漢かんに変っかわったのです。私わたくしは彼かれらから受けうけた屈辱くつじょくと損害そんがいを小供こどもの時じから今日きょうまで背負わさせおわされている。恐らくおそらく死ぬしぬまで背負わさせおわされ通しとおしでしょう。私わたくしは死ぬしぬまでそれを忘れるわすれる事ことができないんだから。しかし私わたくしはまだ復讐ふくしゅうをしずにいる。考えるかんがえると私わたくしは個人こじんに対するたいする復讐ふくしゅう以上いじょうの事ことを現にげんにやっているんだ。私わたくしは彼かれらを憎むにくむばかりじゃない、彼かれらが代表だいひょうしている人間にんげんというものを、一般いっぱんに憎むにくむ事ことを覚えおぼえたのだ。私わたくしはそれで沢山たくさんだと思うおもう」 私わたくしは慰藉いしゃの言葉ことばさえ口くちへ出せだせなかった。
三十一さんじゅういち
その日ひの談話だんわもついにこれぎりで発展はってんせずにしまった。
私わたくしはむしろ先生せんせいの態度たいどに畏縮いしゅくして、先さきへ進むすすむ気きが起らおこらなかったのである。
二人ふたりは市しの外れはずれから電車でんしゃに乗っのったが、車内しゃないではほとんど口くちを聞かきかなかった。
電車でんしゃを降りるおりると間まもなく別れわかれなければならなかった。
別れるわかれる時じの先生せんせいは、また変っかわっていた。
常つねよりは晴やかはれやかな調子ちょうしで、「これから六ろく月つきまでは一番いちばん気楽きらくな時じですね。ことによると生涯しょうがいで一番いちばん気楽きらくかも知れしれない。精出しせいだして遊びあそびたまえ」といった。
私わたくしは笑っわらって帽子ぼうしを脱だつった。
その時じ私わたくしは先生せんせいの顔かおを見みて、先生せんせいははたして心こころのどこで、一般いっぱんの人間にんげんを憎んにくんでいるのだろうかと疑っうたがった。
その眼め、その口くち、どこにも厭世えんせい的まとの影かげは射ししゃしていなかった。
私わたくしは思想しそう上うえの問題もんだいについて、大いなるおおいなる利益りえきを先生せんせいから受けうけた事ことを自白じはくする。
しかし同じおなじ問題もんだいについて、利益りえきを受けよううけようとしても、受けうけられない事ことが間々ままあったといわなければならない。
先生せんせいの談話だんわは時じとして不得要領ふとくようりょうに終っおわった。
その日ひ二人ふたりの間まに起っおこった郊外こうがいの談話だんわも、この不得要領ふとくようりょうの一いち例れいとして私わたくしの胸むねの裏うらに残っのこった。
無遠慮むえんりょな私わたくしは、ある時じついにそれを先生せんせいの前まえに打ち明けうちあけた。
先生せんせいは笑っわらっていた。
私わたくしはこういった。
「頭あたまが鈍くにぶくて要領ようりょうを得とくないのは構いかまいませんが、ちゃんと解っわかってるくせに、はっきりいってくれないのは困りこまります」「私わたくしは何になんにも隠しかくしてやしません」「隠しかくしていらっしゃいます」「あなたは私わたくしの思想しそうとか意見いけんとかいうものと、私わたくしの過去かことを、ごちゃごちゃに考えかんがえているんじゃありませんか。私わたくしは貧弱ひんじゃくな思想家しそうかですけれども、自分じぶんの頭あたまで纏め上げまとめあげた考えかんがえをむやみに人ひとに隠しかくしやしません。隠すかくす必要ひつようがないんだから。けれども私わたくしの過去かこを悉くことごとくあなたの前まえに物語らものがたりらなくてはならないとなると、それはまた別問題べつもんだいになります」「別問題べつもんだいとは思わおもわれません。先生せんせいの過去かこが生み出しうみだした思想しそうだから、私わたくしは重きおもきを置くおくのです。二につのものを切り離しきりはなしたら、私わたくしにはほとんど価値かちのないものになります。私わたくしは魂たましいの吹き込まふきこまれていない人形にんぎょうを与えあたえられただけで、満足まんぞくはできないのです」 先生せんせいはあきれたといった風かぜに、私わたくしの顔かおを見みた。
巻まき烟草たばこを持っもっていたその手てが少しすこし顫えふるえた。
「あなたは大胆だいたんだ」「ただ真面目まじめなんです。真面目まじめに人生じんせいから教訓きょうくんを受けうけたいのです」「私わたくしの過去かこを訐いてもですか」 訐くという言葉ことばが、突然とつぜん恐ろしいおそろしい響きひびきをもって、私わたくしの耳みみを打っうった。
私わたくしは今いま私わたくしの前まえに坐っすわっているのが、一人ひとりの罪人ざいにんであって、不断ふだんから尊敬そんけいしている先生せんせいでないような気きがした。
先生せんせいの顔かおは蒼かっあおかった。
「あなたは本当ほんとうに真面目まじめなんですか」と先生せんせいが念ねんを押しおした。
「私わたくしは過去かこの因果いんがで、人ひとを疑りうたぐりつけている。だから実じつはあなたも疑っうたがっている。しかしどうもあなただけは疑りうたぐりたくない。あなたは疑るうたぐるにはあまりに単純たんじゅんすぎるようだ。私わたくしは死ぬしぬ前まえにたった一人ひとりで好いよいから、他ほかを信用しんようして死にしにたいと思っおもっている。あなたはそのたった一人ひとりになれますか。なってくれますか。あなたははらの底そこから真面目まじめですか」「もし私わたくしの命いのちが真面目まじめなものなら、私わたくしの今いまいった事ことも真面目まじめです」 私わたくしの声こえは顫えふるえた。
「よろしい」と先生せんせいがいった。
「話しはなしましょう。私わたくしの過去かこを残らのこらず、あなたに話しはなして上げあげましょう。その代りかわり……。いやそれは構わかまわない。しかし私わたくしの過去かこはあなたに取っとってそれほど有益ゆうえきでないかも知れしれませんよ。聞かきかない方ほうが増ぞうかも知れしれませんよ。それから、――今いまは話せはなせないんだから、そのつもりでいて下さいください。適当てきとうの時機じきが来きなくっちゃ話さはなさないんだから」 私わたくしは下宿げしゅくへ帰っかえってからも一種いっしゅの圧迫あっぱくを感じかんじた。
三十二さんじゅうに
私わたくしの論文ろんぶんは自分じぶんが評価ひょうかしていたほどに、教授きょうじゅの眼めにはよく見えみえなかったらしい。
それでも私わたくしは予定よてい通りとおり及第きゅうだいした。
卒業式そつぎょうしきの日ひ、私わたくしは黴臭くかびくさくなった古いふるい冬服ふゆふくを行李こうりの中なかから出しだして着きた。
式場しきじょうにならぶと、どれもこれもみな暑しょそうな顔かおばかりであった。
私わたくしは風かぜの通らとおらない厚あつし羅紗らしゃの下したに密封みっぷうされた自分じぶんの身体しんたいを持て余しもてあました。
しばらく立ったっているうちに手てに持っもったハンケチはんけちがぐしょぐしょになった。
私わたくしは式しきが済むすむとすぐ帰っかえって裸体らたいになった。
下宿げしゅくの二に階かいの窓まどをあけて、遠眼鏡えんがんきょうのようにぐるぐる巻いまいた卒業証書そつぎょうしょうしょの穴あなから、見えるみえるだけの世の中よのなかを見渡しみわたした。
それからその卒業証書そつぎょうしょうしょを机つくえの上うえに放り出しほうりだした。
そうして大の字だいのじなりになって、室むろの真中まなかに寝そべっねそべった。
私わたくしは寝ねながら自分じぶんの過去かこを顧みかえりみた。
また自分じぶんの未来みらいを想像そうぞうした。
するとその間まに立ったって一区いちく切りきりを付けつけているこの卒業証書そつぎょうしょうしょなるものが、意味いみのあるような、また意味いみのないような変へんな紙かみに思わおもわれた。
私わたくしはその晩ばん先生せんせいの家いえへ御馳走ごちそうに招かまねかれて行っいった。
これはもし卒業そつぎょうしたらその日ひの晩餐ばんさんはよそで喰わくわずに、先生せんせいの食卓しょくたくで済ますすますという前まえからの約束やくそくであった。
食卓しょくたくは約束やくそく通りとおり座敷ざしきの縁えん近くちかくに据えすえられてあった。
模様もようの織り出さおりだされた厚いあつい糊のりの硬いかたい卓たく布ぬのが美しくうつくしくかつ清らかきよらかに電燈でんとうの光ひかりを射返しいかえしていた。
先生せんせいのうちで飯めしを食うくうと、きっとこの西洋せいよう料理店りょうりてんに見るみるような白いしろいリンネルりんねるの上うえに、箸はしや茶碗ちゃわんが置かおかれた。
そうしてそれが必ずかならず洗濯せんたくしたての真白まっしろなものに限らかぎられていた。
「カラからやカフスかふすと同じおなじ事ことさ。汚れよごれたのを用いるもちいるくらいなら、一層いっそう始めはじめから色いろの着いついたものを使うつかうが好いよい。白けれしろければ純白じゅんぱくでなくっちゃ」 こういわれてみると、なるほど先生せんせいは潔癖けっぺきであった。
書斎しょさいなども実じつに整然せいぜんと片付いかたづいていた。
無頓着むとんちゃくな私わたくしには、先生せんせいのそういう特色とくしょくが折々おりおり著しくいちじるしく眼めに留まっとまった。
「先生せんせいは癇性かんしょうですね」とかつて奥さんおくさんに告げつげた時じ、奥さんおくさんは「でも着物きものなどは、それほど気きにしないようですよ」と答えこたえた事ことがあった。
それを傍そばに聞いきいていた先生せんせいは、「本当ほんとうをいうと、私わたくしは精神的せいしんてきに癇性かんしょうなんです。それで始終しじゅう苦しいくるしいんです。考えるかんがえると実じつに馬鹿馬鹿しいばかばかしい性分しょうぶんだ」といって笑っわらった。
精神的せいしんてきに癇性かんしょうという意味いみは、俗ぞくにいう神経質しんけいしつという意味いみか、または倫理的りんりてきに潔癖けっぺきだという意味いみか、私わたくしには解らわからなかった。
奥さんおくさんにも能くよく通じつうじないらしかった。
その晩ばん私わたくしは先生せんせいと向い合せむかいあわせに、例れいの白いしろい卓たく布ぬのの前まえに坐っすわった。
奥さんおくさんは二人ふたりを左右さゆうに置いおいて、独りひとり庭にわの方ほうを正面しょうめんにして席せきを占めしめた。
「お目出とうめでとう」といって、先生せんせいが私わたくしのために杯さかずきを上げあげてくれた。
私わたくしはこの盃さかずきに対したいしてそれほど嬉しいうれしい気きを起さおこさなかった。
無論むろん私自身わたくしじしんの心こころがこの言葉ことばに反響はんきょうするように、飛び立つとびたつ嬉しさうれしさをもっていなかったのが、一いちつの源みなもと因いんであった。
けれども先生せんせいのいい方ほうも決してけっして私わたくしの嬉しさうれしさを唆るそそる浮々うきした調子ちょうしを帯びおびていなかった。
先生せんせいは笑っわらって杯さかずきを上げあげた。
私わたくしはその笑いわらいのうちに、些ともちっとも意地いじの悪いわるいアイロニーあいろにーを認めみとめなかった。
同時どうじに目出たいめでたいという真情しんじょうも汲み取るくみとる事ことができなかった。
先生せんせいの笑いわらいは、「世間せけんはこんな場合ばあいによくお目出とうめでとうといいたがるものですね」と私わたくしに物語っものがたりっていた。
奥さんおくさんは私わたくしに「結構けっこうね。さぞお父さんおちちさんやお母さんおははさんはお喜びよろこびでしょう」といってくれた。
私わたくしは突然とつぜん病気びょうきの父ちちの事ことを考えかんがえた。
早くはやくあの卒業証書そつぎょうしょうしょを持っもって行っいって見せみせてやろうと思っおもった。
「先生せんせいの卒業証書そつぎょうしょうしょはどうしました」と私わたくしが聞いきいた。
「どうしたかね。――まだどこかにしまってあったかね」と先生せんせいが奥さんおくさんに聞いきいた。
「ええ、たしかしまってあるはずですが」 卒業証書そつぎょうしょうしょの在処ありかは二人ふたりともよく知らしらなかった。
三十三さんじゅうさん
飯めしになった時じ、奥さんおくさんは傍そばに坐っすわっている下女げじょを次つぎへ立たたたせて、自分じぶんで給仕きゅうじの役やくをつとめた。
これが表立たおもてだたない客きゃくに対するたいする先生せんせいの家いえの仕来りしきたりらしかった。
始めはじめの一いち、二に回かいは私わたくしも窮屈きゅうくつを感じかんじたが、度数どすうの重なるかさなるにつけ、茶碗ちゃわんを奥さんおくさんの前まえへ出すだすのが、何なんでもなくなった。
「お茶ちゃ? ご飯ごはん? ずいぶんよく食べるたべるのね」 奥さんおくさんの方ほうでも思い切っおもいきって遠慮えんりょのない事ことをいうことがあった。
しかしその日ひは、時候じこうが時候じこうなので、そんなに調ちょう戯たわむれわれるほど食欲しょくよくが進ますすまなかった。
「もうおしまい。あなた近頃ちかごろ大変たいへん小食しょうしょくになったのね」「小食しょうしょくになったんじゃありません。暑いあついんで食わくわれないんです」 奥さんおくさんは下女げじょを呼んよんで食卓しょくたくを片付けかたづけさせた後あとへ、改めてあらためてアイスクリームあいすくりーむと水菓子みずかしを運ばはこばせた。
「これは宅たくで拵えこしらえたのよ」 用ようのない奥さんおくさんには、手製てせいのアイスクリームあいすくりーむを客きゃくに振舞うふるまうだけの余裕よゆうがあると見えみえた。
私わたくしはそれを二に杯さかずき更さらえてもらった。
「君きみもいよいよ卒業そつぎょうしたが、これから何なんをする気きですか」と先生せんせいが聞いきいた。
先生せんせいは半分はんぶん縁側えんがわの方ほうへ席せきをずらして、敷居しきい際さいで背中せなかを障子しょうじに靠たせていた。
私わたくしにはただ卒業そつぎょうしたという自覚じかくがあるだけで、これから何なんをしようという目的もくてきもなかった。
返事へんじにためらっている私わたくしを見みた時じ、奥さんおくさんは「教師きょうし?」と聞いきいた。
それにも答えこたえずにいると、今度こんどは、「じゃお役人やくにん?」とまた聞かきかれた。
私わたくしも先生せんせいも笑いわらい出しだした。
「本当ほんとういうと、まだ何なんをする考えかんがえもないんです。実じつは職業しょくぎょうというものについて、全くまったく考えかんがえた事ことがないくらいなんですから。だいちどれが善いよいか、どれが悪いわるいか、自分じぶんがやって見みた上うえでないと解らわからないんだから、選択せんたくに困るこまる訳わけだと思いおもいます」「それもそうね。けれどもあなたは必竟ひっきょう財産ざいさんがあるからそんな呑気のんきな事ことをいっていられるのよ。これが困るこまる人ひとでご覧ごらんなさい。なかなかあなたのように落ち付いおちついちゃいられないから」 私わたくしの友達ともだちには卒業そつぎょうしない前まえから、中学ちゅうがく教師きょうしの口くちを探しさがしている人ひとがあった。
私わたくしは腹はらの中なかで奥さんおくさんのいう事実じじつを認めみとめた。
しかしこういった。
「少しすこし先生せんせいにかぶれたんでしょう」「碌なろくなかぶれ方ほうをして下さらくださらないのね」 先生せんせいは苦笑くしょうした。
「かぶれても構わかまわないから、その代りかわりこの間このまいった通りとおり、お父さんおちちさんの生きいきてるうちに、相当そうとうの財産ざいさんを分けわけてもらってお置きおきなさい。それでないと決してけっして油断ゆだんはならない」 私わたくしは先生せんせいといっしょに、郊外こうがいの植木屋うえきやの広いひろい庭にわの奥おくで話しはなした、あの躑躅つつじの咲いさいている五ご月つきの初めはじめを思い出しおもいだした。
あの時じ帰り途かえりみちに、先生せんせいが昂奮こうふんした語気ごきで、私わたくしに物語っものがたりった強いつよい言葉ことばを、再びふたたび耳みみの底そこで繰り返しくりかえした。
それは強いつよいばかりでなく、むしろ凄いすごい言葉ことばであった。
けれども事実じじつを知らしらない私わたくしには同時どうじに徹底てっていしない言葉ことばでもあった。
「奥さんおくさん、お宅おたくの財産ざいさんはよッっぽどあるんですか」「何なんだってそんな事ことをお聞きききになるの」「先生せんせいに聞いきいても教えおしえて下さらくださらないから」 奥さんおくさんは笑いわらいながら先生せんせいの顔かおを見みた。
「教えおしえて上げるあげるほどないからでしょう」「でもどのくらいあったら先生せんせいのようにしていられるか、宅たくへ帰っかえって一いちつ父ちちに談判だんぱんする時じの参考さんこうにしますから聞かしきかして下さいください」 先生せんせいは庭にわの方ほうを向いむかいて、澄ましすまして烟草たばこを吹かしふかしていた。
相手あいては自然しぜん奥さんおくさんでなければならなかった。
「どのくらいってほどありゃしませんわ。まあこうしてどうかこうか暮しくらしてゆかれるだけよ、あなた。――そりゃどうでも宜いよいとして、あなたはこれから何なんか為さらなさらなくっちゃ本当ほんとうにいけませんよ。先生せんせいのようにごろごろばかりしていちゃ……」「ごろごろばかりしていやしないさ」 先生せんせいはちょっと顔かおだけ向け直しむけなおして、奥さんおくさんの言葉ことばを否定ひていした。
三十四さんじゅうよん
私わたくしはその夜よる十じゅう時じ過ぎすぎに先生せんせいの家いえを辞しじした。
二に、三さん日ひうちに帰国きこくするはずになっていたので、座ざを立つたつ前まえに私わたくしはちょっと暇乞いいとまごいの言葉ことばを述べのべた。
「また当分とうぶんお目めにかかれませんから」「九きゅう月つきには出でていらっしゃるんでしょうね」 私わたくしはもう卒業そつぎょうしたのだから、必ずかならず九きゅう月つきに出でて来るくる必要ひつようもなかった。
しかし暑いあつい盛りもりの八はち月つきを東京とうきょうまで来きて送ろうおくろうとも考えかんがえていなかった。
私わたくしには位置いちを求めるもとめるための貴重きちょうな時間じかんというものがなかった。
「まあ九きゅう月つき頃ころになるでしょう」「じゃずいぶんご機嫌ごきげんよう。私たちわたくしたちもこの夏なつはことによるとどこかへ行くいくかも知れしれないのよ。ずいぶん暑しょそうだから。行っいったらまた絵え端書はしがきでも送っおくって上げあげましょう」「どちらの見当けんとうです。もしいらっしゃるとすれば」 先生せんせいはこの問答もんどうをにやにや笑っわらって聞いきいていた。
「何なんまだ行くいくとも行かいかないとも極めてきわめていやしないんです」 席せきを立とうたとうとした時じ、先生せんせいは急きゅうに私わたくしをつらまえて、「時じにお父さんおちちさんの病気びょうきはどうなんです」と聞いきいた。
私わたくしは父ちちの健康けんこうについてほとんど知るしるところがなかった。
何なんともいって来きない以上いじょう、悪くわるくはないのだろうくらいに考えかんがえていた。
「そんなに容易くたやすく考えかんがえられる病気びょうきじゃありませんよ。尿毒症にょうどくしょうが出るでると、もう駄目だめなんだから」 尿毒症にょうどくしょうという言葉ことばも意味いみも私わたくしには解らわからなかった。
この前まえの冬休みふゆやすみに国くにで医者いしゃと会見かいけんした時じに、私わたくしはそんな術語じゅつごをまるで聞かきかなかった。
「本当ほんとうに大事だいじにしてお上げあげなさいよ」と奥さんおくさんもいった。
「毒どくが脳のうへ廻るまわるようになると、もうそれっきりよ、あなた。笑い事わらいごとじゃないわ」 無む経験けいけんな私わたくしは気味きみを悪わるがりながらも、にやにやしていた。
「どうせ助からすけからない病気びょうきだそうですから、いくら心配しんぱいしたって仕方しかたがありません」「そう思い切りおもいきりよく考えれかんがえれば、それまでですけれども」 奥さんおくさんは昔むかし同じおなじ病気びょうきで死んしんだという自分じぶんのお母さんおははさんの事ことでも憶い出しおもいだしたのか、沈んしずんだ調子ちょうしでこういったなり下したを向いむかいた。
私わたくしも父ちちの運命うんめいが本当ほんとうに気の毒きのどくになった。
すると先生せんせいが突然とつぜん奥さんおくさんの方ほうを向いむかいた。
「静せい、お前おまえはおれより先さきへ死ぬしぬだろうかね」「なぜ」「なぜでもない、ただ聞いきいてみるのさ。それとも己おのれの方ほうがお前おまえより前まえに片付くかたづくかな。大抵たいてい世間せけんじゃ旦那だんなが先さきで、細君さいくんが後あとへ残るのこるのが当り前あたりまえのようになってるね」「そう極っきょくった訳わけでもないわ。けれども男おとこの方ほうはどうしても、そら年ねんが上うえでしょう」「だから先さきへ死ぬしぬという理屈りくつなのかね。すると己おのれもお前おまえより先さきにあの世あのよへ行かいかなくっちゃならない事ことになるね」「あなたは特別とくべつよ」「そうかね」「だって丈夫じょうぶなんですもの。ほとんど煩っわずらった例れいがないじゃありませんか。そりゃどうしたって私わたくしの方ほうが先さきだわ」「先さきかな」「え、きっと先さきよ」 先生せんせいは私わたくしの顔かおを見みた。
私わたくしは笑っわらった。
「しかしもしおれの方ほうが先さきへ行くいくとするね。そうしたらお前おまえどうする」「どうするって……」 奥さんおくさんはそこで口籠っくちごもった。
先生せんせいの死しに対するたいする想像そうぞう的まとな悲哀ひあいが、ちょっと奥さんおくさんの胸むねを襲っおそったらしかった。
けれども再びふたたび顔かおをあげた時じは、もう気分きぶんを更さらえていた。
「どうするって、仕方しかたがないわ、ねえあなた。老少ろうしょう不定ふていっていうくらいだから」 奥さんおくさんはことさらに私わたくしの方ほうを見みて笑談しょうだんらしくこういった。
三十五さんじゅうご
私わたくしは立て掛けたてかけた腰こしをまたおろして、話はなしの区切りくぎりの付くつくまで二人ふたりの相手あいてになっていた。
「君きみはどう思いおもいます」と先生せんせいが聞いきいた。
先生せんせいが先さきへ死ぬしぬか、奥さんおくさんが早くはやく亡くなるなくなるか、固よりもとより私わたくしに判断はんだんのつくべき問題もんだいではなかった。
私わたくしはただ笑っわらっていた。
「寿命じゅみょうは分りわかりませんね。私わたくしにも」「こればかりは本当ほんとうに寿命じゅみょうですからね。生れうまれた時じにちゃんと極っきょくった年数ねんすうをもらって来るくるんだから仕方しかたがないわ。先生せんせいのお父さんおちちさんやお母さんおははさんなんか、ほとんど同じおなじよ、あなた、亡くなっなくなったのが」「亡くならなくなられた日ひがですか」「まさか日ひまで同じおなじじゃないけれども。でもまあ同じおなじよ。だって続いつづいて亡くなっなくなっちまったんですもの」 この知識ちしきは私わたくしにとって新しいあたらしいものであった。
私わたくしは不思議ふしぎに思っおもった。
「どうしてそう一度いちどに死なしなれたんですか」 奥さんおくさんは私わたくしの問いといに答えようこたえようとした。
先生せんせいはそれを遮っさえぎった。
「そんな話はなしはお止しよしよ。つまらないから」 先生せんせいは手てに持っもった団扇うちわをわざとばたばたいわせた。
そうしてまた奥さんおくさんを顧みかえりみた。
「静せい、おれが死んしんだらこの家いえをお前おまえにやろう」 奥さんおくさんは笑いわらい出しだした。
「ついでに地面じめんも下さいくださいよ」「地面じめんは他ほかのものだから仕方しかたがない。その代りかわりおれの持っもってるものは皆みななお前おまえにやるよ」「どうも有難うありがとう。けれども横文字よこもじの本ほんなんか貰っもらっても仕様しようがないわね」「古本屋ふるほんやに売るうるさ」「売れうればいくらぐらいになって」 先生せんせいはいくらともいわなかった。
けれども先生せんせいの話はなしは、容易よういに自分じぶんの死しという遠いとおい問題もんだいを離れはなれなかった。
そうしてその死しは必ずかならず奥さんおくさんの前まえに起るおこるものと仮定かていされていた。
奥さんおくさんも最初さいしょのうちは、わざとたわいのない受け答えうけこたえをしているらしく見えみえた。
それがいつの間まにか、感傷的かんしょうてきな女おんなの心こころを重苦しくおもくるしくした。
「おれが死んしんだら、おれが死んしんだらって、まあ何なん遍へんおっしゃるの。後生こうせいだからもう好いよい加減かげんにして、おれが死んしんだらは止しよして頂戴ちょうだい。縁えん喜きでもない。あなたが死んしんだら、何なんでもあなたの思いおもい通りとおりにして上げるあげるから、それで好いよいじゃありませんか」 先生せんせいは庭にわの方ほうを向いむかいて笑っわらった。
しかしそれぎり奥さんおくさんの厭いやがる事ことをいわなくなった。
私わたくしもあまり長くながくなるので、すぐ席せきを立ったった。
先生せんせいと奥さんおくさんは玄関げんかんまで送っおくって出でた。
「ご病人びょうにんをお大事だいじに」と奥さんおくさんがいった。
「また九きゅう月つきに」と先生せんせいがいった。
私わたくしは挨拶あいさつをして格子こうしの外そとへ足あしを踏み出しふみだした。
玄関げんかんと門もんの間まにあるこんもりした木犀もくせいの一いち株かぶが、私わたくしの行手ぎょうてを塞ぐふさぐように、夜陰やいんのうちに枝えだを張っちょうっていた。
私わたくしは二に、三さん歩あゆみ動きうごき出しだしながら、黒ずんくろずんだ葉はに被わおおわれているその梢こずえを見みて、来たるきたるべき秋あきの花はなと香こうを想いおもい浮べうかべた。
私わたくしは先生せんせいの宅たくとこの木犀もくせいとを、以前いぜんから心こころのうちで、離すはなす事ことのできないもののように、いっしょに記憶きおくしていた。
私わたくしが偶然ぐうぜんその樹きの前まえに立ったって、再びふたたびこの宅たくの玄関げんかんを跨ぐまたぐべき次つぎの秋あきに思いおもいを馳せはせた時じ、今までいままで格子こうしの間まから射ししゃしていた玄関げんかんの電燈でんとうがふっと消えきえた。
先生せんせい夫婦ふうふはそれぎり奥おくへはいったらしかった。
私わたくしは一人ひとり暗いくらい表ひょうへ出でた。
私わたくしはすぐ下宿げしゅくへは戻らもどらなかった。
国くにへ帰るかえる前まえに調えるととのえる買物かいものもあったし、ご馳走ごちそうを詰めつめた胃袋いぶくろにくつろぎを与えるあたえる必要ひつようもあったので、ただ賑やかにぎやかな町まちの方ほうへ歩いあるいて行っいった。
町まちはまだ宵の口よいのくちであった。
用事ようじもなさそうな男女だんじょがぞろぞろ動くうごく中なかに、私わたくしは今日きょう私わたくしといっしょに卒業そつぎょうしたなにがしに会っかいった。
彼かれは私わたくしを無理やりむりやりにある酒場さかばへ連れ込んつれこんだ。
私わたくしはそこで麦酒びーるの泡あわのような彼かれの気き※を聞かさきかされた。
私わたくしの下宿げしゅくへ帰っかえったのは十二じゅうに時じ過ぎすぎであった。
三十六さんじゅうろく
私わたくしはその翌日よくじつも暑さあつさを冒しおかして、頼またのまれものを買い集めかいあつめて歩いあるいた。
手紙てがみで注文ちゅうもんを受けうけた時じは何なんでもないように考えかんがえていたのが、いざとなると大変たいへん臆劫おっくうに感ぜかんぜられた。
私わたくしは電車でんしゃの中なかで汗あせを拭きふきながら、他ほかの時間じかんと手数てすうに気の毒きのどくという観念かんねんをまるでもっていない田舎者いなかものを憎らしくにくらしく思っおもった。
私わたくしはこの一夏ひとなつを無為むいに過ごすすごす気きはなかった。
国くにへ帰っかえってからの日程にっていというようなものをあらかじめ作っつくっておいたので、それを履行りこうするに必要ひつような書物しょもつも手てに入れいれなければならなかった。
私わたくしは半日はんじつを丸善まるぜんの二に階かいで潰すつぶす覚悟かくごでいた。
私わたくしは自分じぶんに関係かんけいの深いぶかい部門ぶもんの書籍しょせき棚たなの前まえに立ったって、隅すみから隅すみまで一いち冊さつずつ点検てんけんして行っいった。
買物かいもののうちで一番いちばん私わたくしを困らこまらせたのは女おんなの半襟はんえりであった。
小僧こぞうにいうと、いくらでも出しだしてはくれるが、さてどれを選んえらんでいいのか、買うかう段だんになっては、ただ迷うまようだけであった。
その上うえ価あたいが極めてきわめて不定ふていであった。
安かろうやすかろうと思っおもって聞くきくと、非常ひじょうに高かったかかったり、高かろうたかかろうと考えかんがえて、聞かきかずにいると、かえって大変たいへん安かっやすかったりした。
あるいはいくら比べくらべて見みても、どこから価格かかくの差違さいが出るでるのか見当けんとうの付かつかないのもあった。
私わたくしは全くまったく弱らよわらせられた。
そうして心こころのうちで、なぜ先生せんせいの奥さんおくさんを煩わさわずらわさなかったかを悔いくいた。
私わたくしは鞄かばんを買っかった。
無論むろん和製わせいの下等したとうな品しなに過ぎすぎなかったが、それでも金具かなぐやなどがぴかぴかしているので、田舎いなかものを威嚇いかくかすには充分じゅうぶんであった。
この鞄かばんを買うかうという事ことは、私わたくしの母ははの注文ちゅうもんであった。
卒業そつぎょうしたら新しいあたらしい鞄かばんを買っかって、そのなかに一切いっさいの土産ものみやげものを入れいれて帰るかえるようにと、わざわざ手紙てがみの中なかに書いかいてあった。
私わたくしはその文句もんくを読んよんだ時じに笑いわらい出しだした。
私わたくしには母ははの料簡りょうけんが解らわからないというよりも、その言葉ことばが一種いっしゅの滑稽こっけいとして訴えうったえたのである。
私わたくしは暇乞いいとまごいをする時じ先生せんせい夫婦ふうふに述べのべた通りとおり、それから三さん日ひ目めの汽車きしゃで東京とうきょうを立ったって国くにへ帰っかえった。
この冬ふゆ以来いらい父ちちの病気びょうきについて先生せんせいから色々いろいろの注意ちゅういを受けうけた私わたくしは、一番いちばん心配しんぱいしなければならない地位ちいにありながら、どういうものか、それが大してたいして苦くにならなかった。
私わたくしはむしろ父ちちがいなくなったあとの母ははを想像そうぞうして気の毒きのどくに思っおもった。
そのくらいだから私わたくしは心こころのどこかで、父ちちはすでに亡くなるなくなるべきものと覚悟かくごしていたに違いちがいなかった。
九州きゅうしゅうにいる兄あにへやった手紙てがみのなかにも、私わたくしは父ちちの到底とうてい故このような健康体けんこうたいになる見込みみこみのない事ことを述べのべた。
一度いちどなどは職務しょくむの都合つごうもあろうが、できるなら繰り合せくりあわせてこの夏なつぐらい一度いちど顔かおだけでも見みに帰っかえったらどうだとまで書いかいた。
その上うえ年寄としよりが二人ふたりぎりで田舎いなかにいるのは定めてさだめて心細いこころぼそいだろう、我々われわれも子ことして遺憾いかんの至りいたりであるというような感傷的かんしょうてきな文句もんくさえ使っつかった。
私わたくしは実際じっさい心こころに浮ぶうかぶままを書いかいた。
けれども書いかいたあとの気分きぶんは書いかいた時じとは違っちがっていた。
私わたくしはそうした矛盾むじゅんを汽車きしゃの中なかで考えかんがえた。
考えかんがえているうちに自分じぶんが自分じぶんに気きの変りかわりやすい軽薄けいはくもののように思わおもわれて来きた。
私わたくしは不愉快ふゆかいになった。
私わたくしはまた先生せんせい夫婦ふうふの事ことを想いおもい浮べうかべた。
ことに二に、三さん日ひ前まえ晩食ばんしょくに呼ばよばれた時じの会話かいわを憶い出しおもいだした。
「どっちが先さきへ死ぬしぬだろう」 私わたくしはその晩ばん先生せんせいと奥さんおくさんの間まに起っおこった疑問ぎもんをひとり口くちの内うちで繰り返しくりかえしてみた。
そうしてこの疑問ぎもんには誰だれも自信じしんをもって答えるこたえる事ことができないのだと思っおもった。
しかしどっちが先さきへ死ぬしぬと判然はんぜん分っわかっていたならば、先生せんせいはどうするだろう。
奥さんおくさんはどうするだろう。
先生せんせいも奥さんおくさんも、今いまのような態度たいどでいるより外そとに仕方しかたがないだろうと思っおもった。
(死しに近づきちかづきつつある父ちちを国元くにもとに控えひかえながら、この私わたくしがどうする事こともできないように)。
私わたくしは人間にんげんを果敢ないはかないものに観じかんじた。
人間にんげんのどうする事こともできない持っもって生れうまれた軽薄けいはくを、果敢ないはかないものに観じかんじた。
中なか 両親りょうしんと私わたくし
10/30