こころ

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十

第 20 章
父ちちの病気びょうきは同じおなじような状態じょうたいで一いち週間しゅうかん以上いじょうつづいた。
私わたくしはその間まに長いながい手紙てがみを九州きゅうしゅうにいる兄あに宛ずつで出しだした。
妹いもうとへは母ははから出さださせた。
私わたくしは腹はらの中なかで、おそらくこれが父ちちの健康けんこうに関しかんして二人ふたりへやる最後さいごの音信おんしんだろうと思っおもった。
それで両方りょうほうへいよいよという場合ばあいには電報でんぽうを打つうつから出でて来いこいという意味いみを書き込めかきこめた。
兄あには忙しいいそがしい職しょくにいた。
妹いもうとは妊娠中にんしんちゅうであった。
だから父ちちの危険きけんが眼めの前まえに逼らせまらないうちに呼び寄せるよびよせる自由じゆうは利かりかなかった。
といって、折角せっかく都合つごうして来きたには来きたが、間に合わまにあわなかったといわれるのも辛かっつらかった。
私わたくしは電報でんぽうを掛けるかける時機じきについて、人ひとの知らしらない責任せきにんを感じかんじた。
「そう判然はんぜんりした事ことになると私わたくしにも分りわかりません。しかし危険きけんはいつ来るくるか分らわからないという事ことだけは承知しょうちしていて下さいください」 停車場ていしゃじょうのある町まちから迎えむかえた医者いしゃは私わたくしにこういった。
私わたくしは母ははと相談そうだんして、その医者いしゃの周旋しゅうせんで、町まちの病院びょういんから看護婦かんごふを一人ひとり頼むたのむ事ことにした。
父ちちは枕元まくらもとへ来きて挨拶あいさつする白いしろい服ふくを着きた女おんなを見みて変へんな顔かおをした。
父ちちは死病しびょうに罹っかかっている事ことをとうから自覚じかくしていた。
それでいて、眼前がんぜんにせまりつつある死しそのものには気きが付かつかなかった。
「今いまに癒っなおったらもう一いち返かえし東京とうきょうへ遊びあそびに行っいってみよう。人間にんげんはいつ死ぬしぬか分らわからないからな。何なんでもやりたい事ことは、生きいきてるうちにやっておくに限るかぎる」 母ははは仕方なししかたなしに「その時じは私わたくしもいっしょに伴れつれて行っいって頂きいただきましょう」などと調子ちょうしを合せあわせていた。
時じとするとまた非常ひじょうに淋しさびしがった。
「おれが死んしんだら、どうかお母さんおははさんを大事だいじにしてやってくれ」 私わたくしはこの「おれが死んしんだら」という言葉ことばに一種いっしゅの記憶きおくをもっていた。
東京とうきょうを立つたつ時じ、先生せんせいが奥さんおくさんに向かっむかって何なん遍へんもそれを繰り返しくりかえしたのは、私わたくしが卒業そつぎょうした日ひの晩ばんの事ことであった。
私わたくしは笑いわらいを帯びおびた先生せんせいの顔かおと、縁えん喜きでもないと耳みみを塞いせいだ奥さんおくさんの様子ようすとを憶い出しおもいだした。
あの時じの「おれが死んしんだら」は単純たんじゅんな仮定かていであった。
今いま私わたくしが聞くきくのはいつ起るおこるか分らわからない事実じじつであった。
私わたくしは先生せんせいに対するたいする奥さんおくさんの態度たいどを学ぶまなぶ事ことができなかった。
しかし口くちの先さきでは何なんとか父ちちを紛らさまぎらさなければならなかった。
「そんな弱いよわい事ことをおっしゃっちゃいけませんよ。今いまに癒っなおったら東京とうきょうへ遊びあそびにいらっしゃるはずじゃありませんか。お母さんおははさんといっしょに。今度こんどいらっしゃるときっと吃驚びっくりしますよ、変っかわっているんで。電車でんしゃの新しいあたらしい線路せんろだけでも大変たいへん増えふえていますからね。電車でんしゃが通るとおるようになれば自然しぜん町並まちなみも変るかわるし、その上うえに市し区く改正かいせいもあるし、東京とうきょうが凝とじっとしている時じは、まあ二六にろく時じ中なか一いち分ぶんもないといっていいくらいです」 私わたくしは仕方しかたがないからいわないでいい事ことまで喋舌っしゃべった。
父ちちはまた、満足まんぞくらしくそれを聞いきいていた。
病人びょうにんがあるので自然しぜん家いえの出入りでいりも多くおおくなった。
近所きんじょにいる親類しんるいなどは、二に日ひに一人ひとりぐらいの割わりで代る代るかわるがわる見舞みまいに来きた。
中なかには比較的ひかくてき遠くとおくにいて平生へいぜい疎遠そえんなものもあった。
「どうかと思っおもったら、この様子ようすじゃ大丈夫だいじょうぶだ。話はなしも自由じゆうだし、だいち顔かおがちっとも瘠せやせていないじゃないか」などといって帰るかえるものがあった。
私わたくしの帰っかえった当時とうじはひっそりし過ぎるすぎるほど静かしずかであった家庭かていが、こんな事ことで段々だんだんざわざわし始めはじめた。
その中なかに動かうごかずにいる父ちちの病気びょうきは、ただ面白くおもしろくない方ほうへ移っうつって行くいくばかりであった。
私わたくしは母ははや伯父おじと相談そうだんして、とうとう兄あにと妹いもうとに電報でんぽうを打っうった。
兄あにからはすぐ行くいくという返事へんじが来きた。
妹いもうとの夫おっとからも立つたつという報知ほうちがあった。
妹いもうとはこの前まえ懐妊かいにんした時じに流産りゅうざんしたので、今度こんどこそは癖くせにならないように大事だいじを取らとらせるつもりだと、かねていい越しこしたその夫おっとは、妹いもうとの代りかわりに自分じぶんで出でて来るくるかも知れしれなかった。
十一じゅういち
こうした落ち付きおちつきのない間まにも、私わたくしはまだ静かしずかに坐るすわる余裕よゆうをもっていた。
偶にたまには書物しょもつを開けあけて十じゅう頁ぺーじもつづけざまに読むよむ時間じかんさえ出でて来きた。
一旦いったん堅くかたく括らくくられた私わたくしの行李こうりは、いつの間まにか解かとかれてしまった。
私わたくしは要るいるに任せまかせて、その中なかから色々いろいろなものを取り出しとりだした。
私わたくしは東京とうきょうを立つたつ時じ、心こころのうちで極めきわめた、この夏なつ中なかの日課にっかを顧みかえりみた。
私わたくしのやった事ことはこの日課にっかの三さんが一いちにも足らあしらなかった。
私わたくしは今までいままでもこういう不愉快ふゆかいを何度なんどとなく重ねかさねて来きた。
しかしこの夏なつほど思っおもった通りとおり仕事しごとの運ばはこばない例れいも少なかっすくなかった。
これが人ひとの世よの常つねだろうと思いおもいながらも私わたくしは厭いやな気持きもちに抑え付けおさえつけられた。
私わたくしはこの不快ふかいの裏うらに坐りすわりながら、一方いっぽうに父ちちの病気びょうきを考えかんがえた。
父ちちの死んしんだ後あとの事ことを想像そうぞうした。
そうしてそれと同時どうじに、先生せんせいの事ことを一方いっぽうに思い浮べおもいうかべた。
私わたくしはこの不快ふかいな心持こころもちの両端りょうたんに地位ちい、教育きょういく、性格せいかくの全然ぜんぜん異なっことなった二人ふたりの面影おもかげを眺めながめた。
私わたくしが父ちちの枕元まくらもとを離れはなれて、独りひとり取り乱しとりみだした書物しょもつの中なかに腕組みうでぐみをしているところへ母ははが顔かおを出しだした。
「少しすこし午うま眠ねむりでもおしよ。お前おまえもさぞ草臥れるくたびれるだろう」 母ははは私わたくしの気分きぶんを了解りょうかいしていなかった。
私わたくしも母ははからそれを予期よきするほどの子供こどもでもなかった。
私わたくしは単簡たんかんに礼れいを述べのべた。
母はははまだ室むろの入口いりぐちに立ったっていた。
「お父さんおちちさんは?」と私わたくしが聞いきいた。
「今いまよく寝ねてお出でだよ」と母ははが答えこたえた。
母ははは突然とつぜんはいって来きて私わたくしの傍そばに坐っすわった。
「先生せんせいからまだ何なんともいって来きないかい」と聞いきいた。
母はははその時じの私わたくしの言葉ことばを信じしんじていた。
その時じの私わたくしは先生せんせいからきっと返事へんじがあると母ははに保証ほしょうした。
しかし父ちちや母ははの希望きぼうするような返事へんじが来るくるとは、その時じの私わたくしもまるで期待きたいしなかった。
私わたくしは心得こころえがあって母ははを欺いあざむいたと同じおなじ結果けっかに陥っおちいった。
「もう一遍いちぺん手紙てがみを出しだしてご覧ごらんな」と母ははがいった。
役やくに立たたたない手紙てがみを何なん通つう書こうかこうと、それが母ははの慰安いあんになるなら、手数てすうを厭ういとうような私わたくしではなかった。
けれどもこういう用件ようけんで先生せんせいにせまるのは私わたくしの苦痛くつうであった。
私わたくしは父ちちに叱らしかられたり、母ははの機嫌きげんを損じそんじたりするよりも、先生せんせいから見下げみさげられるのを遥かはるかに恐れおそれていた。
あの依頼いらいに対したいして今までいままで返事へんじの貰えもらえないのも、あるいはそうした訳わけからじゃないかしらという邪推じゃすいもあった。
「手紙てがみを書くかくのは訳わけはないですが、こういう事ことは郵便ゆうびんじゃとても埒らちは明きあきませんよ。どうしても自分じぶんで東京とうきょうへ出でて、じかに頼んたのんで廻らまわらなくっちゃ」「だってお父さんおちちさんがあの様子ようすじゃ、お前おまえ、いつ東京とうきょうへ出でられるか分らわからないじゃないか」「だから出でやしません。癒るなおるとも癒らなおらないとも片付かかたづかないうちは、ちゃんとこうしているつもりです」「そりゃ解りわかり切っきった話はなしだね。今いまにもむずかしいという大おお病人びょうにんを放ちはなちらかしておいて、誰だれが勝手にかってに東京とうきょうへなんか行けるいけるものかね」 私わたくしは始めはじめ心こころのなかで、何なんも知らしらない母ははを憐れんあわれんだ。
しかし母ははがなぜこんな問題もんだいをこのざわざわした際さいに持ち出しもちだしたのか理解りかいできなかった。
私わたくしが父ちちの病気びょうきをよそに、静かしずかに坐っすわったり書見しょけんしたりする余裕よゆうのあるごとくに、母ははも眼めの前まえの病人びょうにんを忘れわすれて、外そとの事ことを考えるかんがえるだけ、胸むねに空地あきちがあるのかしらと疑っうたがった。
その時じ「実じつはね」と母ははがいい出しだした。
「実じつはお父さんおちちさんの生きいきてお出でのうちに、お前おまえの口くちが極っきょくったらさぞ安心あんしんなさるだろうと思うおもうんだがね。この様子ようすじゃ、とても間に合わまにあわないかも知れしれないけれども、それにしても、まだああやって口くちも慥かたしかなら気きも慥かたしかなんだから、ああしてお出でのうちに喜ばしよろこばして上げるあげるように親孝行おやこうこうをおしな」 憐れあわれな私わたくしは親孝行おやこうこうのできない境遇きょうぐうにいた。
私わたくしはついに一行いっこうの手紙てがみも先生せんせいに出さださなかった。
十二じゅうに
兄あにが帰っかえって来きた時じ、父ちちは寝ねながら新聞しんぶんを読んよんでいた。
父ちちは平生へいぜいから何なんを措いおいても新聞しんぶんだけには眼めを通すとおす習慣しゅうかんであったが、床ゆかについてからは、退屈たいくつのため猶なお更そふかそれを読みよみたがった。
母ははも私わたくしも強いつよいては反対はんたいせずに、なるべく病人びょうにんの思いおもい通りとおりにさせておいた。
「そういう元気げんきなら結構けっこうなものだ。よっぽど悪いわるいかと思っおもって来きたら、大変たいへん好いよいようじゃありませんか」 兄あにはこんな事ことをいいながら父ちちと話はなしをした。
その賑やかにぎやか過ぎるすぎる調子ちょうしが私わたくしにはかえって不調和ふちょうわに聞こえきこえた。
それでも父ちちの前まえを外しはずして私わたくしと差し向いさしむかいになった時じは、むしろ沈んしずんでいた。
「新聞しんぶんなんか読ましよましちゃいけなかないか」「私わたくしもそう思うおもうんだけれども、読まよまないと承知しょうちしないんだから、仕様しようがない」 兄あには私わたくしの弁解べんかいを黙っだまって聞いきいていた。
やがて、「よく解るわかるのかな」といった。
兄あには父ちちの理解力りかいりょくが病気びょうきのために、平生へいぜいよりはよっぽど鈍っにぶっているように観察かんさつしたらしい。
「そりゃ慥かたしかです。私わたくしはさっき二十にじゅう分ぶんばかり枕元まくらもとに坐っすわって色々いろいろ話しはなしてみたが、調子ちょうしの狂っくるったところは少しすこしもないです。あの様子ようすじゃことによるとまだなかなか持つもつかも知れしれませんよ」 兄あにと前後ぜんごして着いついた妹いもうとの夫おっとの意見いけんは、我々われわれよりもよほど楽観的らっかんてきであった。
父ちちは彼かれに向かっむかって妹いもうとの事ことをあれこれと尋ねたずねていた。
「身体しんたいが身体しんたいだからむやみに汽車きしゃになんぞ乗っのって揺れゆれない方ほうが好いよい。無理むりをして見舞みまいに来きられたりすると、かえってこっちが心配しんぱいだから」といっていた。
「なに今いまに治っなおったら赤ん坊あかんぼうの顔かおでも見みに、久しぶりひさしぶりにこっちから出掛けるでかけるから差支えさしつかえない」ともいっていた。
乃木のぎ大将たいしょうの死んしんだ時じも、父ちちは一番いちばんさきに新聞しんぶんでそれを知っしった。
「大変たいへんだ大変たいへんだ」といった。
何事なにごとも知らしらない私たちわたくしたちはこの突然とつぜんな言葉ことばに驚かさおどろかされた。
「あの時じはいよいよ頭あたまが変へんになったのかと思っおもって、ひやりとした」と後あとで兄あにが私わたくしにいった。
「私わたくしも実じつは驚きおどろきました」と妹いもうとの夫おっとも同感どうかんらしい言葉つきことばつきであった。
その頃ころの新聞しんぶんは実際じっさい田舎いなかものには日ごとひごとに待ち受けまちうけられるような記事きじばかりあった。
私わたくしは父ちちの枕元まくらもとに坐っすわって鄭てい寧ねいにそれを読んよんだ。
読むよむ時間じかんのない時じは、そっと自分じぶんの室むろへ持っもって来きて、残らのこらず眼めを通しとおした。
私わたくしの眼めは長いながい間ま、軍服ぐんぷくを着きた乃木のぎ大将たいしょうと、それから官女かんじょみたような服装ふくそうをしたその夫人ふじんの姿すがたを忘れるわすれる事ことができなかった。
悲痛ひつうな風かぜが田舎いなかの隅すみまで吹いふいて来きて、眠たねむたそうな樹きや草くさを震わせふるわせている最中さいちゅうに、突然とつぜん私わたくしは一いち通つうの電報でんぽうを先生せんせいから受け取っうけとった。
洋服ようふくを着きた人ひとを見るみると犬いぬが吠えるほえるような所ところでは、一いち通つうの電報でんぽうすら大事件だいじけんであった。
それを受け取っうけとった母ははは、はたして驚いおどろいたような様子ようすをして、わざわざ私わたくしを人ひとのいない所ところへ呼び出しよびだした。
「何なんだい」といって、私わたくしの封ふうを開くひらくのを傍そばに立ったって待っまっていた。
電報でんぽうにはちょっと会いあいたいが来きられるかという意味いみが簡単かんたんに書いかいてあった。
私わたくしは首くびを傾けかたむけた。
「きっとお頼もうたのもうしておいた口くちの事ことだよ」と母ははが推断すいだんしてくれた。
私わたくしもあるいはそうかも知れしれないと思っおもった。
しかしそれにしては少しすこし変へんだとも考えかんがえた。
とにかく兄あにや妹いもうとの夫おっとまで呼び寄せよびよせた私わたくしが、父ちちの病気びょうきを打だ遣っつかって、東京とうきょうへ行くいく訳わけには行かいかなかった。
私わたくしは母ははと相談そうだんして、行かいかれないという返電へんでんを打つうつ事ことにした。
できるだけ簡略かんりゃくな言葉ことばで父ちちの病気びょうきの危篤きとくに陥りおちいりつつある旨むねも付け加えつけくわえたが、それでも気きが済ますまなかったから、委細いさい手紙てがみとして、細かいこまかい事情じじょうをその日ひのうちに認めみとめて郵便ゆうびんで出しだした。
頼んたのんだ位地いちの事こととばかり信じしんじ切っきった母ははは、「本当ほんとうに間まの悪いわるい時じは仕方しかたのないものだね」といって残念ざんねんそうな顔かおをした。
十三じゅうさん
私わたくしの書いかいた手紙てがみはかなり長いながいものであった。
母ははも私わたくしも今度こんどこそ先生せんせいから何なんとかいって来るくるだろうと考えかんがえていた。
すると手紙てがみを出しだして二に日ひ目めにまた電報でんぽうが私わたくし宛ずつで届いとどいた。
それには来きないでもよろしいという文句もんくだけしかなかった。
私わたくしはそれを母ははに見せみせた。
「大方おおかた手紙てがみで何なんとかいってきて下さるくださるつもりだろうよ」 母はははどこまでも先生せんせいが私わたくしのために衣ころも食しょくの口くちを周旋しゅうせんしてくれるものとばかり解釈かいしゃくしているらしかった。
私わたくしもあるいはそうかとも考えかんがえたが、先生せんせいの平生へいぜいから推しおしてみると、どうも変へんに思わおもわれた。
「先生せんせいが口くちを探しさがしてくれる」。
これはあり得とくべからざる事ことのように私わたくしには見えみえた。
「とにかく私わたくしの手紙てがみはまだ向うむこうへ着いついていないはずだから、この電報でんぽうはその前まえに出しだしたものに違いちがいないですね」 私わたくしは母ははに向かっむかってこんな分りわかり切っきった事ことをいった。
母はははまたもっともらしく思案しあんしながら「そうだね」と答えこたえた。
私わたくしの手紙てがみを読まよまない前まえに、先生せんせいがこの電報でんぽうを打っうったという事ことが、先生せんせいを解釈かいしゃくする上うえにおいて、何なんの役やくにも立たたたないのは知れしれているのに。
その日ひはちょうど主治医しゅじいが町まちから院長いんちょうを連れつれて来るくるはずになっていたので、母ははと私わたくしはそれぎりこの事件じけんについて話はなしをする機会きかいがなかった。
二人ふたりの医者いしゃは立ち合いたちあいの上うえ、病人びょうにんに浣腸かんちょうなどをして帰っかえって行っいった。
父ちちは医者いしゃから安臥あんがを命ぜめいぜられて以来いらい、両便りょうべんとも寝ねたまま他ほかの手てで始末しまつしてもらっていた。
潔癖けっぺきな父ちちは、最初さいしょの間まこそ甚だしくはなはだしくそれを忌み嫌っいみきらったが、身体しんたいが利かりかないので、やむを得とくずいやいや床ゆかの上うえで用ようを足したした。
それが病気びょうきの加減かげんで頭あたまがだんだん鈍くにぶくなるのか何なんだか、日ひを経るへるに従っしたがって、無精むせいな排泄はいせつを意いとしないようになった。
たまには蒲団ふとんや敷布しきふを汚しよごして、傍そばのものが眉まゆを寄せるよせるのに、当人とうにんはかえって平気へいきでいたりした。
もっとも尿にょうの量りょうは病気びょうきの性質せいしつとして、極めてきわめて少なくすくなくなった。
医者いしゃはそれを苦くにした。
食欲しょくよくも次第しだいに衰えおとろえた。
たまに何なんか欲しほしがっても、舌したが欲しほしがるだけで、咽喉のどから下したへはごく僅わずかしか通らとおらなかった。
好きすきな新聞しんぶんも手てに取るとる気力きりょくがなくなった。
枕まくらの傍そばにある老眼鏡ろうがんきょうは、いつまでも黒いくろい鞘さやに納めおさめられたままであった。
子供こどもの時分じぶんから仲なかの好かっよかった作さくさんという今いまでは一いち里さとばかり隔たっへだたった所ところに住んすんでいる人ひとが見舞みまいに来きた時じ、父ちちは「ああ作さくさんか」といって、どんよりした眼めを作さくさんの方ほうに向けむけた。
「作さくさんよく来きてくれた。作さくさんは丈夫じょうぶで羨ましいうらやましいね。己おのれはもう駄目だめだ」「そんな事ことはないよ。お前おまえなんか子供こどもは二人ふたりとも大学だいがくを卒業そつぎょうするし、少しすこしぐらい病気びょうきになったって、申し分もうしぶんはないんだ。おれをご覧ごらんよ。かかあには死なしなれるしさ、子供こどもはなしさ。ただこうして生きいきているだけの事ことだよ。達者たっしゃだって何なんの楽しみたのしみもないじゃないか」 浣腸かんちょうをしたのは作さくさんが来きてから二に、三さん日ひあとの事ことであった。
父ちちは医者いしゃのお蔭おかげで大変たいへん楽らくになったといって喜んよろこんだ。
少しすこし自分じぶんの寿命じゅみょうに対するたいする度胸どきょうができたという風かぜに機嫌きげんが直っなおった。
傍そばにいる母ははは、それに釣り込まつりこまれたのか、病人びょうにんに気力きりょくを付けるつけるためか、先生せんせいから電報でんぽうのきた事ことを、あたかも私わたくしの位置いちが父ちちの希望きぼうする通りとおり東京とうきょうにあったように話しはなした。
傍そばにいる私わたくしはむずがゆい心持こころもちがしたが、母ははの言葉ことばを遮るさえぎる訳わけにもゆかないので、黙っだまって聞いきいていた。
病人びょうにんは嬉しうれしそうな顔かおをした。
「そりゃ結構けっこうです」と妹いもうとの夫おっともいった。
「何なんの口くちだかまだ分らわからないのか」と兄あにが聞いきいた。
私わたくしは今更いまさらそれを否定ひていする勇気ゆうきを失っうしなった。
自分じぶんにも何なんとも訳わけの分らわからない曖昧あいまいな返事へんじをして、わざと席せきを立ったった。
十四じゅうよん
父ちちの病気びょうきは最後さいごの一撃いちげきを待つまつ間際まぎわまで進んすすんで来きて、そこでしばらく躊躇ちゅうちょするようにみえた。
家いえのものは運命うんめいの宣告せんこくが、今日きょう下るくだるか、今日きょう下るくだるかと思っおもって、毎夜まいよ床ゆかにはいった。
父ちちは傍そばのものを辛くつらくするほどの苦痛くつうをどこにも感じかんじていなかった。
その点てんになると看病かんびょうはむしろ楽らくであった。
要心ようじんのために、誰だれか一人ひとりぐらいずつ代る代るかわるがわる起きおきてはいたが、あとのものは相当そうとうの時間じかんに各自かくじの寝床ねどこへ引き取っひきとって差支えさしつかえなかった。
何なんかの拍子ひょうしで眠れねむれなかった時じ、病人びょうにんの唸るうなるような声こえを微かかすかに聞いきいたと思い誤っおもいあやまった私わたくしは、一遍いちぺん半夜はんやに床ゆかを抜け出しぬけだして、念ねんのため父ちちの枕元まくらもとまで行っいってみた事ことがあった。
その夜よるは母ははが起きおきている番ばんに当っあたっていた。
しかしその母ははは父ちちの横よこに肱ひじを曲げまげて枕まくらとしたなり寝入っねいっていた。
父ちちも深いぶかい眠りねむりの裏うらにそっと置かおかれた人ひとのように静かしずかにしていた。
私わたくしは忍び足しのびあしでまた自分じぶんの寝床ねどこへ帰っかえった。
私わたくしは兄あにといっしょの蚊帳かやの中なかに寝ねた。
妹いもうとの夫おっとだけは、客扱いきゃくあつかいを受けうけているせいか、独りひとり離れはなれた座敷ざしきに入っはいって休んやすんだ。
「関せきさんも気の毒きのどくだね。ああ幾いく日ひも引っ張らひっぱられて帰れかえれなくっちゃあ」 関せきというのはその人ひとの苗字みょうじであった。
「しかしそんな忙しいいそがしい身体しんたいでもないんだから、ああして泊っとまっていてくれるんでしょう。関せきさんよりも兄さんあにさんの方ほうが困るこまるでしょう、こう長くながくなっちゃ」「困っこまっても仕方しかたがない。外そとの事ことと違うちがうからな」 兄あにと床ゆかを並べならべて寝るねる私わたくしは、こんな寝物語ねものがたりをした。
兄あにの頭あたまにも私わたくしの胸むねにも、父ちちはどうせ助からすけからないという考えかんがえがあった。
どうせ助からすけからないものならばという考えかんがえもあった。
我々われわれは子ことして親おやの死ぬしぬのを待っまっているようなものであった。
しかし子ことしての我々われわれはそれを言葉ことばの上うえに表わすあらわすのを憚かっはばかった。
そうしてお互いたがいにお互いたがいがどんな事ことを思っおもっているかをよく理解りかいし合っあっていた。
「お父さんおちちさんは、まだ治るなおる気きでいるようだな」と兄あにが私わたくしにいった。
実際じっさい兄あにのいう通りとおりに見えるみえるところもないではなかった。
近所きんじょのものが見舞みまいにくると、父ちちは必ずかならず会うあうといって承知しょうちしなかった。
会えあえばきっと、私わたくしの卒業そつぎょう祝いいわいに呼ぶよぶ事ことができなかったのを残念ざんねんがった。
その代りかわり自分じぶんの病気びょうきが治っなおったらというような事ことも時々ときどき付け加えつけくわえた。
「お前おまえの卒業そつぎょう祝いいわいは已めやめになって結構けっこうだ。おれの時じには弱っよわったからね」と兄あには私わたくしの記憶きおくを突とっッっついた。
私わたくしはアルコールあるこーるに煽らあおられたその時じの乱雑らんざつな有様ありさまを想い出しおもいだして苦笑くしょうした。
飲むのむものや食うくうものを強いつよいて廻るまわる父ちちの態度たいども、にがにがしく私わたくしの眼めに映っうつった。
私たちわたくしたちはそれほど仲なかの好いよい兄弟きょうだいではなかった。
小さいちいさいうちは好くよく喧嘩けんかをして、年ねんの少ないすくない私わたくしの方ほうがいつでも泣かさなかされた。
学校がっこうへはいってからの専門せんもんの相違そういも、全くまったく性格せいかくの相違そういから出でていた。
大学だいがくにいる時分じぶんの私わたくしは、ことに先生せんせいに接触せっしょくした私わたくしは、遠くとおくから兄あにを眺めながめて、常つねに動物的どうぶつてきだと思っおもっていた。
私わたくしは長くながく兄あにに会わあわなかったので、また懸け隔たっかけへだたった遠くとおくにいたので、時じからいっても距離きょりからいっても、兄あにはいつでも私わたくしには近くちかくなかったのである。
それでも久しぶりひさしぶりにこう落ち合っおちあってみると、兄弟きょうだいの優しいやさしい心持こころもちがどこからか自然しぜんに湧いわいて出でた。
場合ばあいが場合ばあいなのもその大きなおおきな源みなもと因いんになっていた。
二人ふたりに共通きょうつうな父ちち、その父ちちの死のうしのうとしている枕元まくらもとで、兄あにと私わたくしは握手あくしゅしたのであった。
「お前おまえこれからどうする」と兄あには聞いきいた。
私わたくしはまた全くまったく見当けんとうの違っちがった質問しつもんを兄あにに掛けかけた。
「一体いったい家いえの財産ざいさんはどうなってるんだろう」「おれは知らしらない。お父さんおちちさんはまだ何なんともいわないから。しかし財産ざいさんっていったところで金きんとしては高こうの知れしれたものだろう」 母はははまた母ははで先生せんせいの返事へんじの来るくるのを苦くにしていた。
「まだ手紙てがみは来きないかい」と私わたくしを責めせめた。
十五じゅうご
「先生せんせい先生せんせいというのは一体いったい誰だれの事ことだい」と兄あにが聞いきいた。
「こないだ話しはなしたじゃないか」と私わたくしは答えこたえた。
私わたくしは自分じぶんで質問しつもんをしておきながら、すぐ他ほかの説明せつめいを忘れわすれてしまう兄あにに対したいして不快ふかいの念ねんを起しおこした。
「聞いきいた事ことは聞いきいたけれども」 兄あには必竟ひっきょう聞いきいても解らわからないというのであった。
私わたくしから見れみればなにも無理むりに先生せんせいを兄あにに理解りかいしてもらう必要ひつようはなかった。
けれども腹はらは立ったった。
また例れいの兄あにらしい所ところが出でて来きたと思っおもった。
先生せんせい先生せんせいと私わたくしが尊敬そんけいする以上いじょう、その人ひとは必ずかならず著名ちょめいの士しでなくてはならないように兄あには考えかんがえていた。
少なくすくなくとも大学だいがくの教授きょうじゅぐらいだろうと推察すいさつしていた。
名なもない人ひと、何なんもしていない人ひと、それがどこに価値かちをもっているだろう。
兄あにの腹はらはこの点てんにおいて、父ちちと全くまったく同じおなじものであった。
けれども父ちちが何なんもできないから遊んあそんでいるのだと速断そくだんするのに引きかえひきかえて、兄あには何なんかやれる能力のうりょくがあるのに、ぶらぶらしているのは詰らなじらん人間にんげんに限るかぎるといった風かぜの口吻こうふんを洩らしもらした。
「イゴイストはいけないね。何なんもしないで生きいきていようというのは横着おうちゃくな了簡りょうけんだからね。人ひとは自分じぶんのもっている才能さいのうをできるだけ働かはたらかせなくっちゃ嘘うそだ」 私わたくしは兄あにに向かっむかって、自分じぶんの使っつかっているイゴイストという言葉ことばの意味いみがよく解るわかるかと聞き返しききかえしてやりたかった。
「それでもその人ひとのお蔭おかげで地位ちいができればまあ結構けっこうだ。お父さんおちちさんも喜んよろこんでるようじゃないか」 兄あには後あとからこんな事ことをいった。
先生せんせいから明瞭めいりょうな手紙てがみの来きない以上いじょう、私わたくしはそう信ずるしんずる事こともできず、またそう口くちに出すだす勇気ゆうきもなかった。
それを母ははの早はや呑み込みのみこみでみんなにそう吹聴ふいちょうしてしまった今いまとなってみると、私わたくしは急きゅうにそれを打ち消すうちけす訳わけに行かいかなくなった。
私わたくしは母ははに催促さいそくされるまでもなく、先生せんせいの手紙てがみを待ち受けまちうけた。
そうしてその手紙てがみに、どうかみんなの考えかんがえているような衣ころも食しょくの口くちの事ことが書いかいてあればいいがと念じねんじた。
私わたくしは死しに瀕しひんしている父ちちの手前てまえ、その父ちちに幾分いくぶんでも安心あんしんさせてやりたいと祈りいのりつつある母ははの手前てまえ、働かはたらかなければ人間にんげんでないようにいう兄あにの手前てまえ、その他ほか妹いもうとの夫おっとだの伯父おじだの叔母おばだのの手前てまえ、私わたくしのちっとも頓着とんちゃくしていない事ことに、神経しんけいを悩まさなやまさなければならなかった。
父ちちが変へんな黄色いきいろいものも嘔いえずいた時じ、私わたくしはかつて先生せんせいと奥さんおくさんから聞かさきかされた危険きけんを思い出しおもいだした。
「ああして長くながく寝ねているんだから胃いも悪くわるくなるはずだね」といった母ははの顔かおを見みて、何なんも知らしらないその人ひとの前まえに涙ぐんなみだぐんだ。
兄あにと私わたくしが茶の間ちゃのまで落ち合っおちあった時じ、兄あには「聞いきいたか」といった。
それは医者いしゃが帰り際かえりぎわに兄あにに向っむかっていった事ことを聞いきいたかという意味いみであった。
私わたくしには説明せつめいを待たまたないでもその意味いみがよく解っわかっていた。
「お前おまえここへ帰っかえって来きて、宅たくの事ことを監理かんりする気きがないか」と兄あにが私わたくしを顧みかえりみた。
私わたくしは何なんとも答えこたえなかった。
「お母さんおははさん一人ひとりじゃ、どうする事こともできないだろう」と兄あにがまたいった。
兄あには私わたくしを土つちの臭いくさいを嗅いかいで朽ちくちて行っいっても惜しくおしくないように見みていた。
「本ほんを読むよむだけなら、田舎いなかでも充分じゅうぶんできるし、それに働くはたらく必要ひつようもなくなるし、ちょうど好いよいだろう」「兄さんあにさんが帰っかえって来るくるのが順じゅんですね」と私わたくしがいった。
「おれにそんな事ことができるものか」と兄あには一口ひとくちに斥けしりぞけた。
兄あにの腹はらの中なかには、世の中よのなかでこれから仕事しごとをしようという気きが充ち満ちみちみちていた。
「お前おまえがいやなら、まあ伯父おじさんにでも世話せわを頼むたのむんだが、それにしてもお母さんおははさんはどっちかで引き取らひきとらなくっちゃなるまい」「お母さんおははさんがここを動くうごくか動かうごかないかがすでに大きなおおきな疑問ぎもんですよ」 兄弟きょうだいはまだ父ちちの死なしなない前まえから、父ちちの死んしんだ後あとについて、こんな風かぜに語り合っかたりあった。
十六じゅうろく
父ちちは時々ときどき囈語をいうようになった。
「乃木のぎ大将たいしょうに済ますまない。実じつに面目めんぼく次第しだいがない。いえ私わたくしもすぐお後あとから」 こんな言葉ことばをひょいひょい出しだした。
母ははは気味きみを悪わるがった。
なるべくみんなを枕元まくらもとへ集めあつめておきたがった。
気きのたしかな時じは頻りしきりに淋しさびしがる病人びょうにんにもそれが希望きぼうらしく見えみえた。
ことに室むろの中なかを見廻しみまわして母ははの影かげが見えみえないと、父ちちは必ずかならず「お光ひかりは」と聞いきいた。
聞かきかないでも、眼めがそれを物語っものがたりっていた。
私わたくしはよく起っおこって母ははを呼びよびに行っいった。
「何なんかご用ごようですか」と、母ははが仕掛けしかけた用ようをそのままにしておいて病室びょうしつへ来るくると、父ちちはただ母ははの顔かおを見詰めるみつめるだけで何なんもいわない事ことがあった。
そうかと思うおもうと、まるで懸け離れかけはなれた話はなしをした。
突然とつぜん「お光ひかりお前おまえにも色々いろいろ世話せわになったね」などと優しいやさしい言葉ことばを出すだす時じもあった。
母はははそういう言葉ことばの前まえにきっと涙ぐんなみだぐんだ。
そうした後あとではまたきっと丈夫じょうぶであった昔むかしの父ちちをその対照たいしょうとして想い出すおもいだすらしかった。
「あんな憐れあわれっぽい事ことをお言いいいだがね、あれでもとはずいぶん酷かっひどかったんだよ」 母ははは父ちちのために箒ほうきで背中せなかをどやされた時じの事ことなどを話しはなした。
今までいままで何なん遍へんもそれを聞かさきかされた私わたくしと兄あには、いつもとはまるで違っちがった気分きぶんで、母ははの言葉ことばを父ちちの記念きねんのように耳みみへ受け入れうけいれた。
父ちちは自分じぶんの眼めの前まえに薄暗くうすぐらく映るうつる死しの影かげを眺めながめながら、まだ遺言ゆいごんらしいものを口くちに出さださなかった。
「今いまのうち何なんか聞いきいておく必要ひつようはないかな」と兄あにが私わたくしの顔かおを見みた。
「そうだなあ」と私わたくしは答えこたえた。
私わたくしはこちらから進んすすんでそんな事ことを持ち出すもちだすのも病人びょうにんのために好しよし悪しあしだと考えかんがえていた。
二人ふたりは決しけっしかねてついに伯父おじに相談そうだんをかけた。
伯父おじも首くびを傾けかたむけた。
「いいたい事ことがあるのに、いわないで死ぬしぬのも残念ざんねんだろうし、といって、こっちから催促さいそくするのも悪いわるいかも知れしれず」 話はなしはとうとう愚図愚図ぐずぐずになってしまった。
そのうちに昏睡こんすいが来きた。
例れいの通りとおり何なんも知らしらない母ははは、それをただの眠りねむりと思い違えおもいちがえてかえって喜んよろこんだ。
「まあああして楽らくに寝ねられれば、傍そばにいるものも助かりたすかります」といった。
父ちちは時々ときどき眼めを開けあけて、誰だれはどうしたなどと突然とつぜん聞いきいた。
その誰だれはつい先刻せんこくまでそこに坐っすわっていた人ひとの名なに限らかぎられていた。
父ちちの意識いしきには暗いくらい所ところと明るいあかるい所ところとできて、その明るいあかるい所ところだけが、闇やみを縫うぬう白いしろい糸いとのように、ある距離きょりを置いおいて連続れんぞくするようにみえた。
母ははが昏睡こんすい状態じょうたいを普通ふつうの眠りねむりと取り違えとりちがえたのも無理むりはなかった。
そのうち舌したが段々だんだん縺れもつれて来きた。
何なんかいい出しだしても尻しりが不明瞭ふめいりょうに了るおわるために、要領ようりょうを得とくないでしまう事ことが多くおおくあった。
そのくせ話しはなし始めるはじめる時じは、危篤きとくの病人びょうにんとは思わおもわれないほど、強いつよい声こえを出しだした。
我々われわれは固よりもとより不断ふだん以上いじょうに調子ちょうしを張り上げはりあげて、耳元みみもとへ口くちを寄せるよせるようにしなければならなかった。
「頭あたまを冷やすひやすと好いよい心持こころもちですか」「うん」 私わたくしは看護婦かんごふを相手あいてに、父ちちの水枕みずまくらを取りとり更さらえて、それから新しいあたらしい氷こおりを入れいれた氷嚢ひょうのうを頭あたまの上うえへ載せのせた。
がさがさに割らわられて尖りとがり切っきった氷こおりの破片はへんが、嚢のうの中なかで落ちつくおちつく間ま、私わたくしは父ちちの禿げ上っはげあがった額がくの外そとでそれを柔らかやわらかに抑えおさえていた。
その時じ兄あにが廊下ろうか伝いつたいにはいって来きて、一いち通つうの郵便ゆうびんを無言むごんのまま私わたくしの手てに渡しわたした。
空いむなしいた方ほうの左手ひだりてを出しだして、その郵便ゆうびんを受け取っうけとった私わたくしはすぐ不審ふしんを起しおこした。
それは普通ふつうの手紙てがみに比べるくらべるとよほど目方めかたの重いおもいものであった。
並なみの状袋じょうぶくろにも入れいれてなかった。
また並なみの状袋じょうぶくろに入れいれられべき分量ぶんりょうでもなかった。
半紙はんしで包んつつんで、封じ目ふうじめを鄭てい寧ねいに糊のりで貼り付けはりつけてあった。
私わたくしはそれを兄あにの手てから受け取っうけとった時じ、すぐその書留かきとめである事ことに気きが付いついた。
裏うらを返しかえして見るみるとそこに先生せんせいの名ながつつしんだ字じで書いかいてあった。
手ての放せはなせない私わたくしは、すぐ封ふうを切るきる訳わけに行かいかないので、ちょっとそれを懐ふところに差し込んさしこんだ。
十七じゅうなな
その日ひは病人びょうにんの出来できがことに悪いわるいように見えみえた。
私わたくしが厠かわやへ行こういこうとして席せきを立ったった時じ、廊下ろうかで行き合っいきあった兄あには「どこへ行くいく」と番兵ばんぺいのような口調くちょうで誰何すいかした。
「どうも様子ようすが少しすこし変へんだからなるべく傍そばにいるようにしなくっちゃいけないよ」と注意ちゅういした。
私わたくしもそう思っおもっていた。
懐中かいちゅうした手紙てがみはそのままにしてまた病室びょうしつへ帰っかえった。
父ちちは眼めを開けあけて、そこに並んならんでいる人ひとの名前なまえを母ははに尋ねたずねた。
母ははがあれは誰だれ、これは誰だれと一々いちいち説明せつめいしてやると、父ちちはそのたびに首肯いうなずいた。
首肯かしゅこうかない時じは、母ははが声こえを張りあげはりあげて、何々なになにさんです、分りわかりましたかと念ねんを押しおした。
「どうも色々いろいろお世話おせわになります」 父ちちはこういった。
そうしてまた昏睡こんすい状態じょうたいに陥っおちいった。
枕辺まくらべを取り巻いとりまいている人ひとは無言むごんのまましばらく病人びょうにんの様子ようすを見詰めみつめていた。
やがてその中なかの一人ひとりが立ったって次の間つぎのまへ出でた。
するとまた一人ひとり立ったった。
私わたくしも三人目さんにんめにとうとう席せきを外しはずして、自分じぶんの室むろへ来きた。
私わたくしには先刻せんこく懐ふところへ入れいれた郵便物ゆうびんぶつの中なかを開けあけて見ようみようという目的もくてきがあった。
それは病人びょうにんの枕元まくらもとでも容易よういにできる所作しょさには違いちがいなかった。
しかし書かかかれたものの分量ぶんりょうがあまりに多さわ過ぎるすぎるので、一息ひといきにそこで読みよみ通すとおす訳わけには行かいかなかった。
私わたくしは特別とくべつの時間じかんを偸んぬすんでそれに充てあてた。
私わたくしは繊維せんいの強いつよい包み紙つつみがみを引き掻くひきかくように裂き破っさきやぶった。
中なかから出でたものは、縦横じゅうおうに引いひいた罫けいの中なかへ行儀ぎょうぎよく書いかいた原稿げんこう様ようのものであった。
そうして封じるふうじる便宜べんぎのために、四よんつ折つおりに畳またたまれてあった。
私わたくしは癖くせのついた西洋せいよう紙かみを、逆ぎゃくに折り返しおりかえして読みよみやすいように平たくひらたくした。
私わたくしの心こころはこの多量たりょうの紙かみと印しるし気きが、私わたくしに何事なにごとを語るかたるのだろうかと思っおもって驚いおどろいた。
私わたくしは同時どうじに病室びょうしつの事ことが気きにかかった。
私わたくしがこのかきものを読みよみ始めはじめて、読みよみ終らおわらない前まえに、父ちちはきっとどうかなる、少なくすくなくとも、私わたくしは兄あにからか母ははからか、それでなければ伯父おじからか、呼ばよばれるに極っきょくっているという予覚よかくがあった。
私わたくしは落ち付いおちついて先生せんせいの書いかいたものを読むよむ気きになれなかった。
私わたくしはそわそわしながらただ最初さいしょの一いち頁ぺーじを読んよんだ。
その頁ぺーじは下したのように綴らつづられていた。
「あなたから過去かこを問いたださといただされた時じ、答えるこたえる事ことのできなかった勇気ゆうきのない私わたくしは、今いまあなたの前まえに、それを明白めいはくに物語るものがたる自由じゆうを得とくたと信じしんじます。しかしその自由じゆうはあなたの上京じょうきょうを待っまっているうちにはまた失わうしなわれてしまう世間せけん的まとの自由じゆうに過ぎすぎないのであります。したがって、それを利用りようできる時じに利用りようしなければ、私わたくしの過去かこをあなたの頭あたまに間接かんせつの経験けいけんとして教えおしえて上げるあげる機会きかいを永久えいきゅうに逸するいっするようになります。そうすると、あの時じあれほど堅くかたく約束やくそくした言葉ことばがまるで嘘うそになります。私わたくしはやむを得とくず、口くちでいうべきところを、筆ふでで申し上げるもうしあげる事ことにしました」 私わたくしはそこまで読んよんで、始めはじめてこの長いながいものが何なんのために書かかかれたのか、その理由りゆうを明らかあきらかに知るしる事ことができた。
私わたくしの衣ころも食しょくの口くち、そんなものについて先生せんせいが手紙てがみを寄こすよこす気遣いきづかいはないと、私わたくしは初手しょてから信じしんじていた。
しかし筆ふでを執るとることの嫌いきらいな先生せんせいが、どうしてあの事件じけんをこう長くながく書いかいて、私わたくしに見せるみせる気きになったのだろう。
先生せんせいはなぜ私わたくしの上京じょうきょうするまで待っまっていられないだろう。
「自由じゆうが来きたから話すはなす。しかしその自由じゆうはまた永久えいきゅうに失わうしなわれなければならない」 私わたくしは心こころのうちでこう繰り返しくりかえしながら、その意味いみを知るしるに苦しんくるしんだ。
私わたくしは突然とつぜん不安ふあんに襲わおそわれた。
私わたくしはつづいて後あとを読もうよもうとした。
その時じ病室びょうしつの方ほうから、私わたくしを呼ぶよぶ大きなおおきな兄あにの声こえが聞こえきこえた。
私わたくしはまた驚いおどろいて立ち上ったちのぼった。
廊下ろうかを馳はせけ抜けるぬけるようにしてみんなのいる方ほうへ行っいった。
私わたくしはいよいよ父ちちの上うえに最後さいごの瞬間しゅんかんが来きたのだと覚悟かくごした。
十八じゅうはち
病室びょうしつにはいつの間まにか医者いしゃが来きていた。
なるべく病人びょうにんを楽らくにするという主意しゅいからまた浣腸かんちょうを試みるこころみるところであった。
看護婦かんごふは昨夜さくやの疲れつかれを休めるやすめるために別室べっしつで寝ねていた。
慣れなれない兄あには起っおこってまごまごしていた。
私わたくしの顔かおを見るみると、「ちょっと手てをお貸しかし」といったまま、自分じぶんは席せきに着いついた。
私わたくしは兄あにに代っかわって、油紙ゆしを父ちちの尻しりの下したに宛てがっあてがったりした。
父ちちの様子ようすは少しすこしくつろいで来きた。
三十さんじゅう分ぶんほど枕元まくらもとに坐っすわっていた医者いしゃは、浣腸かんちょうの結果けっかを認めみとめた上うえ、また来るくるといって、帰っかえって行っいった。
帰り際かえりぎわに、もしもの事ことがあったらいつでも呼んよんでくれるようにわざわざ断っことわっていた。
私わたくしは今いまにも変へんがありそうな病室びょうしつを退いしりぞいてまた先生せんせいの手紙てがみを読もうよもうとした。
しかし私わたくしはすこしも寛くひろくりした気分きぶんになれなかった。
机つくえの前まえに坐るすわるや否いなや、また兄あにから大きなおおきな声こえで呼ばよばれそうでならなかった。
そうして今度こんど呼ばよばれれば、それが最後さいごだという畏怖いふが私わたくしの手てを顫わふるわした。
私わたくしは先生せんせいの手紙てがみをただ無意味むいみに頁ぺーじだけ剥繰って行っいった。
私わたくしの眼めは几帳面きちょうめんに枠わくの中なかに篏めはめられた字画じかくを見みた。
けれどもそれを読むよむ余裕よゆうはなかった。
拾い読みひろいよみにする余裕よゆうすら覚束なかっおぼつかなかった。
私わたくしは一番いちばんしまいの頁ぺーじまで順々じゅんじゅんに開けあけて見みて、またそれを元もとの通りとおりに畳んたたんで机つくえの上うえに置こうおこうとした。
その時じふと結末けつまつに近いちかい一いち句くが私わたくしの眼めにはいった。
「この手紙てがみがあなたの手てに落ちるおちる頃ころには、私わたくしはもうこの世このよにはいないでしょう。とくに死んしんでいるでしょう」 私わたくしははっと思っおもった。
今までいままでざわざわと動いうごいていた私わたくしの胸むねが一度いちどに凝結ぎょうけつしたように感じかんじた。
私わたくしはまた逆ぎゃくに頁ぺーじをはぐり返しはぐりかえした。
そうして一いち枚ばいに一句いっくぐらいずつの割わりで倒とうに読んよんで行っいった。
私わたくしは咄嗟とっさの間まに、私わたくしの知らしらなければならない事ことを知ろうしろうとして、ちらちらする文字もじを、眼めで刺し通そうさしとおそうと試みこころみた。
その時じ私わたくしの知ろうしろうとするのは、ただ先生せんせいの安否あんぴだけであった。
先生せんせいの過去かこ、かつて先生せんせいが私わたくしに話そうはなそうと約束やくそくした薄暗いうすぐらいその過去かこ、そんなものは私わたくしに取っとって、全くまったく無用むようであった。
私わたくしは倒とうまに頁ぺーじをはぐりながら、私わたくしに必要ひつような知識ちしきを容易よういに与えあたえてくれないこの長いながい手紙てがみを自烈たじれったそうに畳んたたんだ。
私わたくしはまた父ちちの様子ようすを見みに病室びょうしつの戸口とぐちまで行っいった。
病人びょうにんの枕辺まくらべは存外ぞんがい静かしずかであった。
頼りなたよりなさそうに疲れつかれた顔かおをしてそこに坐っすわっている母ははを手て招ぎおぎして、「どうですか様子ようすは」と聞いきいた。
母ははは「今いま少しすこし持ち合っもちあってるようだよ」と答えこたえた。
私わたくしは父ちちの眼めの前まえへ顔かおを出しだして、「どうです、浣腸かんちょうして少しすこしは心持こころもちが好くよくなりましたか」と尋ねたずねた。
父ちちは首肯いうなずいた。
父ちちははっきり「有難うありがとう」といった。
父ちちの精神せいしんは存外ぞんがい朦朧もうろうとしていなかった。
私わたくしはまた病室びょうしつを退いしりぞいて自分じぶんの部屋へやに帰っかえった。
そこで時計とけいを見みながら、汽車きしゃの発着はっちゃく表ひょうを調べしらべた。
私わたくしは突然とつぜん立ったって帯おびを締め直ししめなおして、袂たもとの中なかへ先生せんせいの手紙てがみを投げ込んなげこんだ。
それから勝手口かってぐちから表ひょうへ出でた。
私わたくしは夢中むちゅうで医者いしゃの家いえへ馳け込んかけこんだ。
私わたくしは医者いしゃから父ちちがもう二に、三さん日ひ保つたもつだろうか、そこのところを判然はんぜん聞こうきこうとした。
注射ちゅうしゃでも何なんでもして、保たたもたしてくれと頼もうたのもうとした。
医者いしゃは生憎あいにく留守るすであった。
私わたくしには凝とじっとして彼かれの帰るかえるのを待ち受けるまちうける時間じかんがなかった。
心こころの落ちおち付きつきもなかった。
私わたくしはすぐ俥くるまを停車場ていしゃじょうへ急がいそがせた。
私わたくしは停車場ていしゃじょうの壁かべへ紙片しへんを宛てがっあてがって、その上うえから鉛筆えんぴつで母ははと兄あにあてで手紙てがみを書いかいた。
手紙てがみはごく簡単かんたんなものであったが、断らことわらないで走るはしるよりまだ増しましだろうと思っおもって、それを急いいそいで宅たくへ届けるとどけるように車夫しゃふに頼んたのんだ。
そうして思い切っおもいきった勢いいきおいで東京とうきょう行きいきの汽車きしゃに飛び乗っとびのってしまった。
私わたくしはごうごう鳴るなる三さん等とう列車れっしゃの中なかで、また袂たもとから先生せんせいの手紙てがみを出しだして、ようやく始めはじめからしまいまで眼めを通しとおした。
下した 先生せんせいと遺書いしょ
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