こころ

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三

第 13 章
私わたくしのために赤いあかい飯めしを炊いたいて客きゃくをするという相談そうだんが父ちちと母ははの間まに起っおこった。
私わたくしは帰っかえった当日とうじつから、あるいはこんな事ことになるだろうと思っおもって、心こころのうちで暗にあんにそれを恐れおそれていた。
私わたくしはすぐ断わっことわった。
「あんまり仰山ぎょうさんな事ことは止しよしてください」 私わたくしは田舎いなかの客きゃくが嫌いきらいだった。
飲んのんだり食っしょくったりするのを、最後さいごの目的もくてきとしてやって来るくる彼かれらは、何なんか事ことがあれば好いよいといった風かぜの人ひとばかり揃っそろっていた。
私わたくしは子供こどもの時じから彼かれらの席せきに侍するじするのを心苦しくこころぐるしく感じかんじていた。
まして自分じぶんのために彼かれらが来るくるとなると、私わたくしの苦痛くつうはいっそう甚しいはなはだしいように想像そうぞうされた。
しかし私わたくしは父ちちや母ははの手前てまえ、あんな野鄙やひな人ひとを集めあつめて騒ぐさわぐのは止せよせともいいかねた。
それで私わたくしはただあまり仰山ぎょうさんだからとばかり主張しゅちょうした。
「仰山ぎょうさん仰山ぎょうさんとおいいだが、些ともちっとも仰山ぎょうさんじゃないよ。生涯しょうがいに二に度どとある事ことじゃないんだからね、お客おきゃくぐらいするのは当り前あたりまえだよ。そう遠慮えんりょをお為ためでない」 母ははは私わたくしが大学だいがくを卒業そつぎょうしたのを、ちょうど嫁よめでも貰っもらったと同じおなじ程度ていどに、重くおもく見みているらしかった。
「呼ばよばなくっても好いよいが、呼ばよばないとまた何なんとかいうから」 これは父ちちの言葉ことばであった。
父ちちは彼かれらの陰口かげぐちを気きにしていた。
実際じっさい彼かれらはこんな場合ばあいに、自分じぶんたちの予期よき通りとおりにならないと、すぐ何なんとかいいたがる人々ひとびとであった。
「東京とうきょうと違っちがって田舎いなかは蒼蠅さばえいからね」 父ちちはこうもいった。
「お父さんおちちさんの顔かおもあるんだから」と母ははがまた付け加えつけくわえた。
私わたくしは我を張るわれをはる訳わけにも行かいかなかった。
どうでも二人ふたりの都合つごうの好いよいようにしたらと思い出しおもいだした。
「つまり私わたくしのためなら、止しよして下さいくださいというだけなんです。陰かげで何なんかいわれるのが厭いやだからというご主意しゅいなら、そりゃまた別べつです。あなたがたに不利益ふりえきな事ことを私わたくしが強いてしいて主張しゅちょうしたって仕方しかたがありません」「そう理屈りくつをいわれると困るこまる」 父ちちは苦いにがい顔かおをした。
「何なんもお前おまえのためにするんじゃないとお父さんおちちさんがおっしゃるんじゃないけれども、お前おまえだって世間せけんへの義理ぎりぐらいは知っしっているだろう」 母はははこうなると女おんなだけにしどろもどろな事ことをいった。
その代りかわり口数くちかずからいうと、父ちちと私わたくしを二人ふたり寄せよせてもなかなか敵うかなうどころではなかった。
「学問がくもんをさせると人間にんげんがとかく理屈りくつっぽくなっていけない」 父ちちはただこれだけしかいわなかった。
しかし私わたくしはこの簡単かんたんな一句いっくのうちに、父ちちが平生へいぜいから私わたくしに対したいしてもっている不平ふへいの全体ぜんたいを見みた。
私わたくしはその時じ自分じぶんの言葉使いことばづかいの角張っかくばったところに気きが付かつかずに、父ちちの不平ふへいの方ほうばかりを無理むりのように思っおもった。
父ちちはその夜よるまた気きを更さらえて、客きゃくを呼ぶよぶなら何日なんにちにするかと私わたくしの都合つごうを聞いきいた。
都合つごうの好いよいも悪いわるいもなしにただぶらぶら古いふるい家いえの中なかに寝起きねおきしている私わたくしに、こんな問いといを掛けるかけるのは、父ちちの方ほうが折れおれて出でたのと同じおなじ事ことであった。
私わたくしはこの穏やかおだやかな父ちちの前まえに拘泥らこだわらない頭あたまを下げさげた。
私わたくしは父ちちと相談そうだんの上うえ招待しょうたいの日取りひどりを極めきわめた。
その日取りひどりのまだ来きないうちに、ある大きなおおきな事ことが起っおこった。
それは明治めいじ天皇てんのうのご病気びょうきの報知ほうちであった。
新聞紙しんぶんしですぐ日本にっぽん中なかへ知れ渡っしれわたったこの事件じけんは、一いち軒のきの田舎家いなかやのうちに多少たしょうの曲折きょくせつを経きょうてようやく纏まろうまとまろうとした私わたくしの卒業そつぎょう祝いいわいを、塵ごみのごとくに吹き払っふきはらった。
「まあ、ご遠慮えんりょ申しもうした方ほうがよかろう」 眼鏡めがねを掛けかけて新聞しんぶんを見みていた父ちちはこういった。
父ちちは黙っだまって自分じぶんの病気びょうきの事ことも考えかんがえているらしかった。
私わたくしはついこの間まの卒業式そつぎょうしきに例年れいねんの通りとおり大学だいがくへ行幸ぎょうこうになった陛下へいかを憶い出しおもいだしたりした。
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