こころ

19/30

九

第 19 章
私わたくしがいよいよ立とうたとうという間際まぎわになって、(たしか二に日ひ前まえの夕方ゆうがたの事ことであったと思うおもうが、)父ちちはまた突然とつぜん引っ繰り返っひっくりかえった。
私わたくしはその時じ書物しょもつや衣類いるいを詰めつめた行李こうりをからげていた。
父ちちは風呂ふろへ入っはいったところであった。
父ちちの背中せなかを流しながしに行っいった母ははが大きなおおきな声こえを出しだして私わたくしを呼んよんだ。
私わたくしは裸体らたいのまま母ままははに後ろうしろから抱かかかえかれている父ちちを見みた。
それでも座敷ざしきへ伴れつれて戻っもどった時じ、父ちちはもう大丈夫だいじょうぶだといった。
念ねんのために枕元まくらもとに坐っすわって、濡手ぬれて拭ぬぐえで父ちちの頭あたまを冷しひやしていた私わたくしは、九きゅう時じ頃ころになってようやく形かたちばかりの夜食やしょくを済ましすました。
翌日よくじつになると父ちちは思っおもったより元気げんきが好かっよかった。
留めるとめるのも聞かきかずに歩いあるいて便所べんじょへ行っいったりした。
「もう大丈夫だいじょうぶ」 父ちちは去年きょねんの暮くれ倒れたおれた時じに私わたくしに向かっむかっていったと同じおなじ言葉ことばをまた繰り返しくりかえした。
その時じははたして口くちでいった通りとおりまあ大丈夫だいじょうぶであった。
私わたくしは今度こんどもあるいはそうなるかも知れしれないと思っおもった。
しかし医者いしゃはただ用心ようじんが肝要かんようだと注意ちゅういするだけで、念ねんを押しおしても判然はんぜんした事ことを話しはなしてくれなかった。
私わたくしは不安ふあんのために、出立しゅったつの日ひが来きてもついに東京とうきょうへ立つたつ気きが起らおこらなかった。
「もう少しすこし様子ようすを見みてからにしましょうか」と私わたくしは母ははに相談そうだんした。
「そうしておくれ」と母ははが頼んたのんだ。
母ははは父ちちが庭にわへ出でたり背戸せどへ下りくだりたりする元気げんきを見みている間まだけは平気へいきでいるくせに、こんな事ことが起るおこるとまた必要ひつよう以上いじょうに心配しんぱいしたり気きを揉んもんだりした。
「お前おまえは今日きょう東京とうきょうへ行くいくはずじゃなかったか」と父ちちが聞いきいた。
「ええ、少しすこし延ばしのばしました」と私わたくしが答えこたえた。
「おれのためにかい」と父ちちが聞き返しききかえした。
私わたくしはちょっと躊躇ちゅうちょした。
そうだといえば、父ちちの病気びょうきの重いおもいのを裏書きうらがきするようなものであった。
私わたくしは父ちちの神経しんけいを過敏かびんにしたくなかった。
しかし父ちちは私わたくしの心こころをよく見抜いみぬいているらしかった。
「気の毒きのどくだね」といって、庭にわの方ほうを向いむかいた。
私わたくしは自分じぶんの部屋へやにはいって、そこに放り出さほうりだされた行李こうりを眺めながめた。
行李こうりはいつ持ち出しもちだしても差支えさしつかえないように、堅くかたく括らくくられたままであった。
私わたくしはぼんやりその前まえに立ったって、また縄なわを解こうとこうかと考えかんがえた。
私わたくしは坐っすわったまま腰こしを浮かしうかした時じの落ち付かおちつかない気分きぶんで、また三さん、四よん日ひを過ごしすごした。
すると父ちちがまた卒倒そっとうした。
医者いしゃは絶対ぜったいに安臥あんがを命じめいじた。
「どうしたものだろうね」と母ははが父ちちに聞こえきこえないような小さなちいさな声こえで私わたくしにいった。
母ははの顔かおはいかにも心細こころぼそそうであった。
私わたくしは兄あにと妹いもうとに電報でんぽうを打つうつ用意よういをした。
けれども寝ねている父ちちにはほとんど何なんの苦悶くもんもなかった。
話はなしをするところなどを見るみると、風邪かぜでも引いひいた時じと全くまったく同じおなじ事ことであった。
その上うえ食欲しょくよくは不断ふだんよりも進んすすんだ。
傍そばのものが、注意ちゅういしても容易よういにいう事ことを聞かきかなかった。
「どうせ死ぬしぬんだから、旨いうまいものでも食っしょくって死なしななくっちゃ」 私わたくしには旨いうまいものという父ちちの言葉ことばが滑稽こっけいにも悲酸ひさんにも聞こえきこえた。
父ちちは旨いうまいものを口くちに入れいれられる都とには住んすんでいなかったのである。
夜よるに入っはいってかき餅かきもちなどを焼いやいてもらってぼりぼり噛んかんだ。
「どうしてこう渇くかわくのかね。やっぱり心こころに丈夫じょうぶの所ところがあるのかも知れしれないよ」 母ははは失望しつぼうしていいところにかえって頼みたのみを置いおいた。
そのくせ病気びょうきの時じにしか使わつかわない渇くかわくという昔むかし風かぜの言葉ことばを、何なんでも食べたべたがる意味いみに用いもちいていた。
伯父おじが見舞みまいに来きたとき、父ちちはいつまでも引き留めひきとめて帰さきさなかった。
淋しいさびしいからもっといてくれというのが重なおもな理由りゆうであったが、母ははや私わたくしが、食べたべたいだけ物ものを食べたべさせないという不平ふへいを訴えるうったえるのも、その目的もくてきの一いちつであったらしい。
19/30