こころ

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五

第 25 章
「私わたくしが夏休みなつやすみを利用りようして始めてはじめて国くにへ帰っかえった時じ、両親りょうしんの死しに断だんえた私わたくしの住居じゅうきょには、新しいあたらしい主人しゅじんとして、叔父おじ夫婦ふうふが入れ代っいれかわって住んすんでいました。これは私わたくしが東京とうきょうへ出るでる前まえからの約束やくそくでした。たった一人ひとり取り残さとりのこされた私わたくしが家いえにいない以上いじょう、そうでもするより外そとに仕方しかたがなかったのです。 叔父おじはその頃ころ市しにある色々いろいろな会社かいしゃに関係かんけいしていたようです。業務ぎょうむの都合つごうからいえば、今までいままでの居宅きょたくに寝起きねおきする方ほうが、二に里さとも隔っへだたった私わたくしの家いえに移るうつるより遥かはるかに便利べんりだといって笑いわらいました。これは私わたくしの父母ふぼが亡くなっなくなった後あと、どう邸やしきを始末しまつして、私わたくしが東京とうきょうへ出るでるかという相談そうだんの時じ、叔父おじの口くちを洩れもれた言葉ことばであります。私わたくしの家いえは旧いふりい歴史れきしをもっているので、少しすこしはその界隈かいわいで人ひとに知らしられていました。あなたの郷里きょうりでも同じおなじ事ことだろうと思いおもいますが、田舎いなかでは由緒ゆいしょのある家いえを、相続人そうぞくにんがあるのに壊しこわしたり売っうったりするのは大事件だいじけんです。今いまの私わたくしならそのくらいの事ことは何なんとも思いおもいませんが、その頃ころはまだ子供こどもでしたから、東京とうきょうへは出でたし、家いえはそのままにして置かおかなければならず、はなはだ所ところ置おけに苦しんくるしんだのです。 叔父おじは仕方なししかたなしに私わたくしの空家あきやへはいる事ことを承諾しょうだくしてくれました。しかし市しの方ほうにある住居じゅうきょもそのままにしておいて、両方りょうほうの間まを往っいったり来きたりする便宜べんぎを与えあたえてもらわなければ困るこまるといいました。私わたくしに固よりもとより異議いぎのありようはずがありません。私わたくしはどんな条件じょうけんでも東京とうきょうへ出でられれば好いよいくらいに考えかんがえていたのです。 子供こどもらしい私わたくしは、故郷こきょうを離れはなれても、まだ心こころの眼めで、懐かしなつかしげに故郷こきょうの家いえを望んのぞんでいました。固よりもとよりそこにはまだ自分じぶんの帰るかえるべき家いえがあるという旅人たびびとの心こころで望んのぞんでいたのです。休みやすみが来れこれば帰らかえらなくてはならないという気分きぶんは、いくら東京とうきょうを恋しこいしがって出でて来きた私わたくしにも、力強くちからづよくあったのです。私わたくしは熱心ねっしんに勉強べんきょうし、愉快ゆかいに遊んあそんだ後あと、休みやすみには帰れるかえれると思うおもうその故郷こきょうの家いえをよく夢ゆめに見みました。 私わたくしの留守るすの間ま、叔父おじはどんな風かぜに両方りょうほうの間まを往き来ゆききしていたか知りしりません。私わたくしの着いついた時じは、家族かぞくのものが、みんな一いちつ家いえの内うちに集まっあつまっていました。学校がっこうへ出るでる子供こどもなどは平生へいぜいおそらく市しの方ほうにいたのでしょうが、これも休暇きゅうかのために田舎いなかへ遊びあそび半分はんぶんといった格かくで引き取らひきとられていました。 みんな私わたくしの顔かおを見みて喜びよろこびました。私わたくしはまた父ちちや母ははのいた時じより、かえって賑やかにぎやかで陽気ようきになった家いえの様子ようすを見みて嬉しうれしがりました。叔父おじはもと私わたくしの部屋へやになっていた一いち間まを占領せんりょうしている一いち番目ばんめの男の子おとこのこを追い出しおいだして、私わたくしをそこへ入れいれました。座敷ざしきの数すうも少なくすくなくないのだから、私わたくしはほかの部屋へやで構わかまわないと辞退じたいしたのですけれども、叔父おじはお前おまえの宅たくだからといって、聞きききませんでした。 私わたくしは折々おりおり亡くなっなくなった父ちちや母ははの事ことを思い出すおもいだす外そとに、何なんの不愉快ふゆかいもなく、その一夏ひとなつを叔父おじの家族かぞくと共ともに過ごしすごして、また東京とうきょうへ帰っかえったのです。ただ一いちつその夏なつの出来事できごととして、私わたくしの心こころにむしろ薄暗いうすぐらい影かげを投げなげたのは、叔父おじ夫婦ふうふが口くちを揃えそろえて、まだ高等学校こうとうがっこうへ入っはいったばかりの私わたくしに結婚けっこんを勧めるすすめる事ことでした。それは前後ぜんごで丁度ちょうど三さん、四よん回かいも繰り返さくりかえされたでしょう。私わたくしも始めはじめはただその突然とつぜんなのに驚いおどろいただけでした。二に度目どめには判然はんぜん断りことわりました。三さん度目どめにはこっちからとうとうその理由りゆうを反問はんもんしなければならなくなりました。彼かれらの主意しゅいは単簡たんかんでした。早くはやく嫁よめを貰っもらってここの家いえへ帰っかえって来きて、亡くなっなくなった父ちちの後あとを相続そうぞくしろというだけなのです。家いえは休暇きゅうかになって帰りかえりさえすれば、それでいいものと私わたくしは考えかんがえていました。父ちちの後あとを相続そうぞくする、それには嫁よめが必要ひつようだから貰うもらう、両方りょうほうとも理屈りくつとしては一通りひととおり聞こえきこえます。ことに田舎いなかの事情じじょうを知っしっている私わたくしには、よく解りわかります。私わたくしも絶対ぜったいにそれを嫌っいやってはいなかったのでしょう。しかし東京とうきょうへ修業しゅぎょうに出でたばかりの私わたくしには、それが遠眼鏡えんがんきょうで物ものを見るみるように、遥かはるか先さきの距離きょりに望まのぞまれるだけでした。私わたくしは叔父おじの希望きぼうに承諾しょうだくを与えあたえないで、ついにまた私わたくしの家いえを去りさりました。
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