こころ

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九

第 29 章
「一口ひとくちでいうと、叔父おじは私わたくしの財産ざいさんを胡魔化しごまかしたのです。事ことは私わたくしが東京とうきょうへ出でている三さん年ねんの間まに容易くたやすく行わおこなわれたのです。すべてを叔父おじ任せまかせにして平気へいきでいた私わたくしは、世間せけん的まとにいえば本当ほんとうの馬鹿ばかでした。世間せけん的まと以上いじょうの見地けんちから評すれひょうすれば、あるいは純じゅんなる尊いとうとい男おとことでもいえましょうか。私わたくしはその時じの己れおのれを顧みかえりみて、なぜもっと人ひとが悪くわるく生れうまれて来きなかったかと思うおもうと、正直しょうじき過ぎすぎた自分じぶんが口惜しくくやしくって堪りたまりません。しかしまたどうかして、もう一度いちどああいう生れうまれたままの姿すがたに立ち帰ったちかえって生きいきて見みたいという心持こころもちも起るおこるのです。記憶きおくして下さいください、あなたの知っしっている私わたくしは塵ごみに汚れよごれた後あとの私わたくしです。きたなくなった年数ねんすうの多いおおいものを先輩せんぱいと呼ぶよぶならば、私わたくしはたしかにあなたより先輩せんぱいでしょう。 もし私わたくしが叔父おじの希望きぼう通りとおり叔父おじの娘むすめと結婚けっこんしたならば、その結果けっかは物質的ぶっしつてきに私わたくしに取っとって有利ゆうりなものでしたろうか。これは考えるかんがえるまでもない事ことと思いおもいます。叔父おじは策略さくりゃくで娘むすめを私わたくしに押し付けようおしつけようとしたのです。好意的こういてきに両家りょうけの便宜べんぎを計るはかるというよりも、ずっと下卑げびた利り害心がいしんに駆らかられて、結婚けっこん問題もんだいを私わたくしに向けむけたのです。私わたくしは従妹じゅうまいを愛しあいしていないだけで、嫌っいやってはいなかったのですが、後あとから考えかんがえてみると、それを断っことわったのが私わたくしには多少たしょうの愉快ゆかいになると思いおもいます。胡魔化さごまかされるのはどっちにしても同じおなじでしょうけれども、載せのせられ方ほうからいえば、従妹じゅうまいを貰わもらわない方ほうが、向うむこうの思いおもい通りとおりにならないという点てんから見みて、少しすこしは私わたくしの我がわが通っとおった事ことになるのですから。しかしそれはほとんど問題もんだいとするに足りたりない些細ささいな事柄ことがらです。ことに関係かんけいのないあなたにいわせたら、さぞ馬鹿ばか気きた意地いじに見えるみえるでしょう。 私わたくしと叔父おじの間まに他ほかの親戚しんせきのものがはいりました。その親戚しんせきのものも私わたくしはまるで信用しんようしていませんでした。信用しんようしないばかりでなく、むしろ敵視てきししていました。私わたくしは叔父おじが私わたくしを欺いあざむいたと覚るさとると共ともに、他ほかのものも必ずかならず自分じぶんを欺くあざむくに違いちがいないと思い詰めおもいつめました。父ちちがあれだけ賞めほめ抜いぬいていた叔父おじですらこうだから、他ほかのものはというのが私わたくしの論理ろんりでした。 それでも彼かれらは私わたくしのために、私わたくしの所有しょゆうにかかる一切いっさいのものを纏めまとめてくれました。それは金額きんがくに見積るみつもると、私わたくしの予期よきより遥かはるかに少ないすくないものでした。私わたくしとしては黙っだまってそれを受け取るうけとるか、でなければ叔父おじを相手あいて取っとって公こう沙汰さたにするか、二につの方法ほうほうしかなかったのです。私わたくしは憤りいきどおりました。また迷いまよいました。訴訟そしょうにすると落着らくちゃくまでに長いながい時間じかんのかかる事ことも恐れおそれました。私わたくしは修業しゅぎょう中なかのからだですから、学生がくせいとして大切たいせつな時間じかんを奪わうばわれるのは非常ひじょうの苦痛くつうだとも考えかんがえました。私わたくしは思案しあんの結果けっか、市しにおる中学ちゅうがくの旧友きゅうゆうに頼んたのんで、私わたくしの受け取っうけとったものを、すべて金きんの形かたちに変えようかえようとしました。旧友きゅうゆうは止しよした方ほうが得とくだといって忠告ちゅうこくしてくれましたが、私わたくしは聞きききませんでした。私わたくしは永くながく故郷こきょうを離れるはなれる決心けっしんをその時じに起しおこしたのです。叔父おじの顔かおを見まいみまいと心こころのうちで誓っちかったのです。 私わたくしは国くにを立つたつ前まえに、また父ちちと母ははの墓はかへ参りまいりました。私わたくしはそれぎりその墓はかを見みた事ことがありません。もう永久えいきゅうに見るみる機会きかいも来きないでしょう。 私わたくしの旧友きゅうゆうは私わたくしの言葉ことば通りとおりに取り計らっとりはからってくれました。もっともそれは私わたくしが東京とうきょうへ着いついてからよほど経っきょうった後あとの事ことです。田舎いなかで畠地はたちなどを売ろううろうとしたって容易よういには売れうれませんし、いざとなると足元あしもとを見みて踏み倒さふみたおされる恐れおそれがあるので、私わたくしの受け取っうけとった金額きんがくは、時価じかに比べるくらべるとよほど少ないすくないものでした。自白じはくすると、私わたくしの財産ざいさんは自分じぶんが懐ふところにして家いえを出でた若干じゃっかんの公債こうさいと、後あとからこの友人ゆうじんに送っおくってもらった金きんだけなのです。親おやの遺産いさんとしては固よりもとより非常ひじょうに減っへっていたに相違そういありません。しかも私わたくしが積極的せっきょくてきに減らしへらしたのでないから、なお心持こころもちが悪かっわるかったのです。けれども学生がくせいとして生活せいかつするにはそれで充分じゅうぶん以上いじょうでした。実じつをいうと私わたくしはそれから出るでる利子りしの半分はんぶんも使えつかえませんでした。この余裕よゆうある私わたくしの学生がくせい生活せいかつが私わたくしを思いおもいも寄らよらない境遇きょうぐうに陥し入れおとしいれたのです。
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