こころ

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十

第 30 章
「金きんに不自由ふじゆうのない私わたくしは、騒々しいそうぞうしい下宿げしゅくを出でて、新しくあたらしく一いち戸とを構えかまえてみようかという気きになったのです。しかしそれには世帯せたい道具どうぐを買うかう面倒めんどうもありますし、世話せわをしてくれる婆ばあさんの必要ひつようも起りおこりますし、その婆ばあさんがまた正直しょうじきでなければ困るこまるし、宅たくを留守るすにしても大丈夫だいじょうぶなものでなければ心配しんぱいだし、といった訳わけで、ちょくらちょいと実行じっこうする事ことは覚束なくおぼつかなく見えみえたのです。ある日ひ私わたくしはまあ宅たくだけでも探しさがしてみようかというそぞろ心こころから、散歩さんぽがてらに本郷台ほんごうだいを西にしへ下りくだりて小石川こいしかわの坂さかを真直まっすぐに伝つて通院つういんの方ほうへ上がりあがりました。電車でんしゃの通路つうろになってから、あそこいらの様子ようすがまるで違っちがってしまいましたが、その頃ころは左手ひだりてが砲兵ほうへい工廠こうしょうの土塀どべいで、右みぎは原はらとも丘おかともつかない空地あきちに草くさが一面いちめんに生えはえていたものです。私わたくしはその草くさの中なかに立ったって、何なん心なくこころなく向うむこうの崖がけを眺めながめました。今いまでも悪いわるい景色けしきではありませんが、その頃ころはまたずっとあの西側にしがわの趣おもむきが違っちがっていました。見渡すみわたす限りかぎり緑みどりが一面いちめんに深くふかく茂っしげるっているだけでも、神経しんけいが休まりやすまります。私わたくしはふとここいらに適当てきとうな宅たくはないだろうかと思いおもいました。それで直ぐすぐ草原そうげんを横切っよこぎって、細いほそい通りとおりを北きたの方ほうへ進んすすんで行きいきました。いまだに好いよい町まちになり切れきれないで、がたぴししているあの辺へんの家並いえなみは、その時分じぶんの事ことですからずいぶん汚ならしいきたならしいものでした。私わたくしは露ろ次つぎを抜けぬけたり、横丁よこちょうを曲っきょくったり、ぐるぐる歩き廻りあるきまわりました。しまいに駄菓子屋だかしやの上うえさんに、ここいらに小ぢんまりこぢんまりした貸家かしやはないかと尋ねたずねてみました。上さんうえさんは「そうですね」といって、少時しょうじ首くびをかしげていましたが、「かし家いえはちょいと……」と全くまったく思い当らおもいあたらない風かぜでした。
私わたくしは望もちのないものと諦たいらめて帰り掛けかえりがけました。
すると上さんうえさんがまた、「素人しろうと下宿げしゅくじゃいけませんか」と聞くきくのです。
私わたくしはちょっと気きが変りかわりました。
静かしずかな素人しろうと屋やに一人ひとりで下宿げしゅくしているのは、かえって家いえを持つもつ面倒めんどうがなくって結構けっこうだろうと考え出しかんがえだしたのです。
それからその駄菓子屋だかしやの店みせに腰こしを掛けかけて、上さんうえさんに詳しいくわしい事ことを教えおしえてもらいました。
それはある軍人ぐんじんの家族かぞく、というよりもむしろ遺族いぞく、の住んすんでいる家いえでした。
主人しゅじんは何なんでも日清にっしん戦争せんそうの時じか何なんかに死んしんだのだと上さんうえさんがいいました。
一いち年ねんばかり前まえまでは、市ヶ谷いちがやの士官しかん学校がっこうの傍そばとかに住んすんでいたのだが、厩うまやなどがあって、邸やしきが広ひろし過ぎるすぎるので、そこを売り払っうりはらって、ここへ引っ越しひっこして来きたけれども、無人むじんで淋しくさびしくって困るこまるから相当そうとうの人ひとがあったら世話せわをしてくれと頼またのまれていたのだそうです。
私わたくしは上さんうえさんから、その家いえには未亡人みぼうじんと一人娘ひとりむすめと下女げじょより外そとにいないのだという事ことを確かめたしかめました。
私わたくしは閑静かんせいで至極しごく好かろうよかろうと心こころの中なかに思いおもいました。
けれどもそんな家族かぞくのうちに、私わたくしのようなものが、突然とつぜん行っいったところで、素性そせいの知れしれない書生しょせいさんという名称めいしょうのもとに、すぐ拒絶きょぜつされはしまいかという掛かかり念ねんもありました。
私わたくしは止そうよそうかとも考えかんがえました。
しかし私わたくしは書生しょせいとしてそんなに見苦しいみぐるしい服装ふくそうはしていませんでした。
それから大学だいがくの制帽せいぼうを被っかぶっていました。
あなたは笑うわらうでしょう、大学だいがくの制帽せいぼうがどうしたんだといって。
けれどもその頃ころの大学生だいがくせいは今いまと違っちがって、大分おおいた世間せけんに信用しんようのあったものです。
私わたくしはその場合ばあいこの四角しかくな帽子ぼうしに一種いっしゅの自信じしんを見出しみだしたくらいです。
そうして駄菓子屋だかしやの上うえさんに教わっおそわった通りとおり、紹介しょうかいも何なんもなしにその軍人ぐんじんの遺族いぞくの家いえを訪ねたずねました。
私わたくしは未亡人みぼうじんに会っかいって来意らいいを告げつげました。
未亡人みぼうじんは私わたくしの身元みもとやら学校がっこうやら専門せんもんやらについて色々いろいろ質問しつもんしました。
そうしてこれなら大丈夫だいじょうぶだというところをどこかに握っにぎったのでしょう、いつでも引っ越しひっこして来きて差支えさしつかえないという挨拶あいさつを即そく坐ざに与えあたえてくれました。
未亡人みぼうじんは正しいただしい人ひとでした、また判然はんぜんした人ひとでした。
私わたくしは軍人ぐんじんの妻君さいくんというものはみんなこんなものかと思っおもって感服かんぷくしました。
感服かんぷくもしたが、驚きおどろきもしました。
この気性きしょうでどこが淋しいさびしいのだろうと疑いうたがいもしました。
十一じゅういち
「私わたくしは早速さっそくその家いえへ引き移りひきうつりました。私わたくしは最初さいしょ来きた時じに未亡人みぼうじんと話はなしをした座敷ざしきを借りかりたのです。そこは宅たく中なかで一番いちばん好いよい室むろでした。本郷ほんごう辺へんに高等こうとう下宿げしゅくといった風かぜの家いえがぽつぽつ建てたてられた時分じぶんの事ことですから、私わたくしは書生しょせいとして占領せんりょうし得るうる最ももっとも好いよい間まの様子ようすを心得こころえていました。私わたくしの新しくあたらしく主人しゅじんとなった室むろは、それらよりもずっと立派りっぱでした。移っうつった当座とうざは、学生がくせいとしての私わたくしには過ぎるすぎるくらいに思わおもわれたのです。 室むろの広さひろさは八はち畳たたみでした。床ゆかの横よこに違い棚ちがいだながあって、縁えんと反対はんたいの側がわには一間いちけんの押入れおしいれが付いついていました。窓まどは一いちつもなかったのですが、その代りかわり南向きみなみむきの縁えんに明るいあかるい日ひがよく差しさしました。 私わたくしは移っうつった日ひに、その室むろの床ゆかに活けいけられた花はなと、その横よこに立てたて懸けかけられた琴ことを見みました。どっちも私わたくしの気きに入りいりませんでした。私わたくしは詩しや書しょや煎茶せんちゃを嗜なむ父ちちの傍そばで育っそだったので、唐とうめいた趣味しゅみを小供こどものうちからもっていました。そのためでもありましょうか、こういう艶めかしいなまめかしい装飾そうしょくをいつの間まにか軽蔑けいべつする癖くせが付いついていたのです。 私わたくしの父ちちが存生ぞんじょう中なかにあつめた道具どうぐ類るいは、例れいの叔父おじのために滅茶滅茶めちゃめちゃにされてしまったのですが、それでも多少たしょうは残っのこっていました。私わたくしは国くにを立つたつ時じそれを中学ちゅうがくの旧友きゅうゆうに預かっあずかってもらいました。それからその中なかで面白おもしろそうなものを四よん、五ご幅はば裸はだかにして行李こうりの底そこへ入れいれて来きました。私わたくしは移るうつるや否いなや、それを取り出しとりだして床ゆかへ懸けかけて楽しむたのしむつもりでいたのです。ところが今いまいった琴ことと活花いけばなを見みたので、急きゅうに勇気ゆうきがなくなってしまいました。後あとから聞いきいて始めてはじめてこの花はなが私わたくしに対するたいするご馳走ごちそうに活けいけられたのだという事ことを知っしった時じ、私わたくしは心こころのうちで苦笑くしょうしました。もっとも琴ことは前まえからそこにあったのですから、これは置き所おきどころがないため、やむをえずそのままに立てたて懸けかけてあったのでしょう。 こんな話はなしをすると、自然しぜんその裏うらに若いわかい女おんなの影かげがあなたの頭あたまを掠めかすめて通るとおるでしょう。移っうつった私わたくしにも、移らうつらない初めはじめからそういう好奇心こうきしんがすでに動いうごいていたのです。こうした邪気じゃきが予備よび的まとに私わたくしの自然しぜんを損なっそこなったためか、または私わたくしがまだ人慣れひとなれなかったためか、私わたくしは始めはじめてそこのお嬢さんおじょうさんに会っかいった時じ、へどもどした挨拶あいさつをしました。その代りかわりお嬢さんおじょうさんの方ほうでも赤いあかい顔かおをしました。 私わたくしはそれまで未亡人みぼうじんの風采ふうさいや態度たいどから推しおして、このお嬢さんおじょうさんのすべてを想像そうぞうしていたのです。しかしその想像そうぞうはお嬢さんおじょうさんに取っとってあまり有利ゆうりなものではありませんでした。軍人ぐんじんの妻君さいくんだからああなのだろう、その妻君さいくんの娘むすめだからこうだろうといった順序じゅんじょで、私わたくしの推測すいそくは段々だんだん延びのびて行きいきました。ところがその推測すいそくが、お嬢さんおじょうさんの顔かおを見みた瞬間しゅんかんに、悉くことごとく打ち消さうちけされました。そうして私わたくしの頭あたまの中なかへ今までいままで想像そうぞうも及ばおよばなかった異性いせいの匂いにおいが新しくあたらしく入っはいって来きました。私わたくしはそれから床ゆかの正面しょうめんに活けいけてある花はなが厭いやでなくなりました。同じおなじ床ゆかに立てたて懸けかけてある琴ことも邪魔じゃまにならなくなりました。 その花はなはまた規則きそく正しくただしく凋れるしおれる頃ころになると活けいけ更さらえられるのです。琴ことも度々たびたび鍵かぎの手てに折れ曲がっおれまがった筋違すじかいの室むろに運び去らはこびさられるのです。私わたくしは自分じぶんの居間いまで机つくえの上うえに頬杖つらづえを突きつきながら、その琴ことの音おとを聞いきいていました。私わたくしにはその琴ことが上手じょうずなのか下手へたなのかよく解らわからないのです。けれども余りあまり込み入っこみいった手てを弾かひかないところを見るみると、上手じょうずなのじゃなかろうと考えかんがえました。まあ活花いけばなの程度ていどぐらいなものだろうと思いおもいました。花はななら私わたくしにも好くよく分るわかるのですが、お嬢さんおじょうさんは決してけっして旨いうまい方ほうではなかったのです。 それでも臆面おくめんなく色々いろいろの花はなが私わたくしの床ゆかを飾っかざってくれました。もっとも活かつ方ほうはいつ見みても同じおなじ事ことでした。それから花瓶かびんもついぞ変っかわった例れいがありませんでした。しかし片方かたほうの音楽おんがくになると花はなよりももっと変へんでした。ぽつんぽつん糸いとを鳴らすならすだけで、一向いっこう肉声にくせいを聞かきかせないのです。唄わうたわないのではありませんが、まるで内所ないしょ話はなしでもするように小さなちいさな声こえしか出さださないのです。しかも叱らしかられると全くまったく出でなくなるのです。 私わたくしは喜んよろこんでこの下手へたな活花いけばなを眺めながめては、まずそうな琴ことの音おとに耳みみを傾けかたむけました。
十二じゅうに
「私わたくしの気分きぶんは国くにを立つたつ時じすでに厭世えんせい的まとになっていました。他ほかは頼りたよりにならないものだという観念かんねんが、その時じ骨ほねの中なかまで染み込んしみこんでしまったように思わおもわれたのです。私わたくしは私わたくしの敵視てきしする叔父おじだの叔母おばだの、その他ほかの親戚しんせきだのを、あたかも人類じんるいの代表者だいひょうしゃのごとく考え出しかんがえだしました。汽車きしゃへ乗っのってさえ隣となりのものの様子ようすを、それとなく注意ちゅういし始めはじめました。たまに向うむこうから話し掛けはなしかけられでもすると、なおの事こと警戒けいかいを加えくわえたくなりました。私わたくしの心こころは沈鬱ちんうつでした。鉛なまりを呑んのんだように重苦しくおもくるしくなる事ことが時々ときどきありました。それでいて私わたくしの神経しんけいは、今いまいったごとくに鋭くするどく尖っとがってしまったのです。 私わたくしが東京とうきょうへ来きて下宿げしゅくを出ようでようとしたのも、これが大きなおおきな源みなもと因いんになっているように思わおもわれます。金きんに不自由ふじゆうがなければこそ、一いち戸とを構えかまえてみる気きにもなったのだといえばそれまでですが、元もとの通りとおりの私わたくしならば、たとい懐中かいちゅうに余裕よゆうができても、好んこのんでそんな面倒めんどうな真似まねはしなかったでしょう。 私わたくしは小石川こいしかわへ引き移っひきうつってからも、当分とうぶんこの緊張きんちょうした気分きぶんに寛ぎくつろぎを与えるあたえる事ことができませんでした。私わたくしは自分じぶんで自分じぶんが恥ずかしいはずかしいほど、きょときょと周囲しゅういを見廻しみまわしていました。不思議ふしぎにもよく働くはたらくのは頭あたまと眼めだけで、口くちの方ほうはそれと反対はんたいに、段々だんだん動かうごかなくなって来きました。私わたくしは家いえのものの様子ようすを猫ねこのようによく観察かんさつしながら、黙っだまって机つくえの前まえに坐っすわっていました。時々ときどきは彼かれらに対したいして気の毒きのどくだと思うおもうほど、私わたくしは油断ゆだんのない注意ちゅういを彼かれらの上うえに注いそそいでいたのです。おれは物ものを偸まぬすまない巾着きんちゃく切せつみたようなものだ、私わたくしはこう考えかんがえて、自分じぶんが厭いやになる事ことさえあったのです。 あなたは定めてさだめて変へんに思うおもうでしょう。その私わたくしがそこのお嬢さんおじょうさんをどうして好くよく余裕よゆうをもっているか。そのお嬢さんおじょうさんの下手へたな活花いけばなを、どうして嬉しうれしがって眺めるながめる余裕よゆうがあるか。同じくおなじく下手へたなその人ひとの琴ことをどうして喜んよろこんで聞くきく余裕よゆうがあるか。そう質問しつもんされた時じ、私わたくしはただ両方りょうほうとも事実じじつであったのだから、事実じじつとしてあなたに教えおしえて上げるあげるというより外そとに仕方しかたがないのです。解釈かいしゃくは頭あたまのあるあなたに任せるまかせるとして、私わたくしはただ一言ひとこと付け足しつけたしておきましょう。私わたくしは金きんに対したいして人類じんるいを疑っうたがったけれども、愛あいに対したいしては、まだ人類じんるいを疑わうたがわなかったのです。だから他ほかから見るみると変へんなものでも、また自分じぶんで考えかんがえてみて、矛盾むじゅんしたものでも、私わたくしの胸むねのなかでは平気へいきで両立りょうりつしていたのです。 私わたくしは未亡人みぼうじんの事ことを常つねに奥さんおくさんといっていましたから、これから未亡人みぼうじんと呼ばよばずに奥さんおくさんといいます。奥さんおくさんは私わたくしを静かしずかな人ひと、大人しいおとなしい男おとこと評しひょうしました。それから勉強家べんきょうかだとも褒めほめてくれました。けれども私わたくしの不安ふあんな眼つきめつきや、きょときょとした様子ようすについては、何事なにごとも口くちへ出しだしませんでした。気きが付かつかなかったのか、遠慮えんりょしていたのか、どっちだかよく解りわかりませんが、何しろなにしろそこにはまるで注意ちゅういを払っはらっていないらしく見えみえました。それのみならず、ある場合ばあいに私わたくしを鷹揚おうような方ほうだといって、さも尊敬そんけいしたらしい口くちの利ききき方ほうをした事ことがあります。その時じ正直しょうじきな私わたくしは少しすこし顔かおを赤らめあからめて、向うむこうの言葉ことばを否定ひていしました。すると奥さんおくさんは「あなたは自分じぶんで気きが付かつかないから、そうおっしゃるんです」と真面目まじめに説明せつめいしてくれました。
奥さんおくさんは始めはじめ私わたくしのような書生しょせいを宅たくへ置くおくつもりではなかったらしいのです。
どこかの役所やくしょへ勤めるつとめる人ひとか何なんかに坐ざ敷しきを貸すかす料簡りょうけんで、近所きんじょのものに周旋しゅうせんを頼んたのんでいたらしいのです。
俸給ほうきゅうが豊かゆたかでなくって、やむをえず素人しろうと屋やに下宿げしゅくするくらいの人ひとだからという考えかんがえが、それで前まえかたから奥さんおくさんの頭あたまのどこかにはいっていたのでしょう。
奥さんおくさんは自分じぶんの胸むねに描いえがいたその想像そうぞうのお客おきゃくと私わたくしとを比較ひかくして、こっちの方ほうを鷹揚おうようだといって褒めるほめるのです。
なるほどそんな切り詰めきりつめた生活せいかつをする人ひとに比べくらべたら、私わたくしは金銭きんせんにかけて、鷹揚おうようだったかも知れしれません。
しかしそれは気性きしょうの問題もんだいではありませんから、私わたくしの内うち生活せいかつに取っとってほとんど関係かんけいのないのと一般いっぱんでした。
奥さんおくさんはまた女おんなだけにそれを私わたくしの全体ぜんたいに推しおし広げひろげて、同じおなじ言葉ことばを応用おうようしようと力めるりきめるのです。
十三じゅうさん
「奥さんおくさんのこの態度たいどが自然しぜん私わたくしの気分きぶんに影響えいきょうして来きました。しばらくするうちに、私わたくしの眼めはもとほどきょろ付かつかなくなりました。自分じぶんの心こころが自分じぶんの坐っすわっている所ところに、ちゃんと落ち付いおちついているような気きにもなれました。要するようするに奥さんおくさん始めはじめ家いえのものが、僻んひがんだ私わたくしの眼めや疑い深いうたがいぶかい私わたくしの様子ようすに、てんから取り合わとりあわなかったのが、私わたくしに大きなおおきな幸福こうふくを与えあたえたのでしょう。私わたくしの神経しんけいは相手あいてから照り返してりかえして来るくる反射はんしゃのないために段々だんだん静まりしずまりました。 奥さんおくさんは心得こころえのある人ひとでしたから、わざと私わたくしをそんな風かぜに取り扱っとりあつかってくれたものとも思わおもわれますし、また自分じぶんで公言こうげんするごとく、実際じっさい私わたくしを鷹揚おうようだと観察かんさつしていたのかも知れしれません。私わたくしのこせつき方ほうは頭あたまの中なかの現象げんしょうで、それほど外そとへ出でなかったようにも考えかんがえられますから、あるいは奥さんおくさんの方ほうで胡魔化さごまかされていたのかも解りわかりません。 私わたくしの心こころが静まるしずまると共ともに、私わたくしは段々だんだん家族かぞくのものと接近せっきんして来きました。奥さんおくさんともお嬢さんおじょうさんとも笑談しょうだんをいうようになりました。茶ちゃを入れいれたからといって向うむこうの室むろへ呼ばよばれる日ひもありました。また私わたくしの方ほうで菓子かしを買っかって来きて、二人ふたりをこっちへ招いまねいたりする晩ばんもありました。私わたくしは急きゅうに交際こうさいの区域くいきが殖えふえたように感じかんじました。それがために大切たいせつな勉強べんきょうの時間じかんを潰さつぶされる事ことも何度なんどとなくありました。不思議ふしぎにも、その妨害ぼうがいが私わたくしには一向いっこう邪魔じゃまにならなかったのです。奥さんおくさんはもとより閑人ひまじんでした。お嬢さんおじょうさんは学校がっこうへ行くいく上うえに、花はなだの琴ことだのを習っならっているんだから、定めてさだめて忙しかろういそがしかろうと思うおもうと、それがまた案外あんがいなもので、いくらでも時間じかんに余裕よゆうをもっているように見えみえました。それで三さん人ひとは顔かおさえ見るみるといっしょに集まっあつまって、世間せけん話はなしをしながら遊んあそんだのです。 私わたくしを呼びよびに来るくるのは、大抵たいていお嬢さんおじょうさんでした。お嬢さんおじょうさんは縁側えんがわを直角ちょっかくに曲っきょくって、私わたくしの室むろの前まえに立つたつ事こともありますし、茶の間ちゃのまを抜けぬけて、次つぎの室むろの襖ふすまの影かげから姿すがたを見せるみせる事こともありました。お嬢さんおじょうさんは、そこへ来きてちょっと留まりとまります。それからきっと私わたくしの名なを呼んよんで、「ご勉強べんきょう?」と聞きききます。
私わたくしは大抵たいていむずかしい書物しょもつを机つくえの前まえに開けあけて、それを見詰めみつめていましたから、傍そばで見みたらさぞ勉強家べんきょうかのように見えみえたのでしょう。
しかし実際じっさいをいうと、それほど熱心ねっしんに書物しょもつを研究けんきゅうしてはいなかったのです。
頁ぺーじの上うえに眼めは着けつけていながら、お嬢さんおじょうさんの呼びよびに来るくるのを待っまっているくらいなものでした。
待っまっていて来きないと、仕方しかたがないから私わたくしの方ほうで立ち上がるたちあがるのです。
そうして向うむこうの室むろの前まえへ行っいって、こっちから「ご勉強べんきょうですか」と聞くきくのです。
お嬢さんおじょうさんの部屋へやは茶の間ちゃのまと続いつづいた六ろく畳たたみでした。
奥さんおくさんはその茶の間ちゃのまにいる事こともあるし、またお嬢さんおじょうさんの部屋へやにいる事こともありました。
つまりこの二につの部屋へやは仕切しきりがあっても、ないと同じおなじ事ことで、親子おやこ二人ふたりが往っいったり来きたりして、どっち付かつかずに占領せんりょうしていたのです。
私わたくしが外そとから声こえを掛けるかけると、「おはいんなさい」と答えるこたえるのはきっと奥さんおくさんでした。
お嬢さんおじょうさんはそこにいても滅多めったに返事へんじをした事ことがありませんでした。
時たまときたまお嬢さんおじょうさん一人ひとりで、用ようがあって私わたくしの室むろへはいったついでに、そこに坐っすわって話し込むはなしこむような場合ばあいもその内うちに出でて来きました。
そういう時じには、私わたくしの心こころが妙みょうに不安ふあんに冒さおかされて来るくるのです。
そうして若いわかい女おんなとただ差向いさしむかいで坐っすわっているのが不安ふあんなのだとばかりは思えおもえませんでした。
私わたくしは何なんだかそわそわし出すだすのです。
自分じぶんで自分じぶんを裏切るうらぎるような不自然ふしぜんな態度たいどが私わたくしを苦しめるくるしめるのです。
しかし相手あいての方ほうはかえって平気へいきでした。
これが琴ことを浚うさらうのに声こえさえ碌にろくに出せだせなかったあの女おんなかしらと疑わうたがわれるくらい、恥ずかしはずかしがらないのです。
あまり長くながくなるので、茶の間ちゃのまから母ははに呼ばよばれても、「はい」と返事へんじをするだけで、容易よういに腰こしを上げあげない事ことさえありました。
それでいてお嬢さんおじょうさんは決してけっして子供こどもではなかったのです。
私わたくしの眼めにはよくそれが解っわかっていました。
よく解るわかるように振舞っふるまって見せるみせる痕迹こんせきさえ明らかあきらかでした。
十四じゅうよん
「私わたくしはお嬢さんおじょうさんの立ったったあとで、ほっと一息ひといきするのです。それと同時どうじに、物もの足りたりないようなまた済ますまないような気持きもちになるのです。私わたくしは女おんならしかったのかも知れしれません。今いまの青年せいねんのあなたがたから見みたらなおそう見えるみえるでしょう。しかしその頃ころの私たちわたくしたちは大抵たいていそんなものだったのです。 奥さんおくさんは滅多めったに外出がいしゅつした事ことがありませんでした。たまに宅たくを留守るすにする時じでも、お嬢さんおじょうさんと私わたくしを二人ふたりぎり残しのこして行くいくような事ことはなかったのです。それがまた偶然ぐうぜんなのか、故意こいなのか、私わたくしには解らわからないのです。私わたくしの口くちからいうのは変へんですが、奥さんおくさんの様子ようすを能くよく観察かんさつしていると、何なんだか自分じぶんの娘むすめと私わたくしとを接近せっきんさせたがっているらしくも見えるみえるのです。それでいて、或るある場合ばあいには、私わたくしに対したいして暗にあんに警戒けいかいするところもあるようなのですから、始めはじめてこんな場合ばあいに出会っであった私わたくしは、時々ときどき心持こころもちをわるくしました。 私わたくしは奥さんおくさんの態度たいどをどっちかに片付けかたづけてもらいたかったのです。頭あたまの働きはたらきからいえば、それが明らかあきらかな矛盾むじゅんに違いちがいなかったのです。しかし叔父おじに欺かあざむかれた記憶きおくのまだ新しいあたらしい私わたくしは、もう一いち歩あゆみ踏み込んふみこんだ疑いうたがいを挟まはさまずにはいられませんでした。私わたくしは奥さんおくさんのこの態度たいどのどっちかが本当ほんとうで、どっちかが偽りいつわりだろうと推定すいていしました。そうして判断はんだんに迷いまよいました。ただ判断はんだんに迷うまようばかりでなく、何なんでそんな妙みょうな事ことをするかその意味いみが私わたくしには呑み込めのみこめなかったのです。理由りゆうを考え出そうかんがえだそうとしても、考え出せかんがえだせない私わたくしは、罪つみを女おんなという一いち字じに塗り付けぬりつけて我慢がまんした事こともありました。必竟ひっきょう女おんなだからああなのだ、女おんなというものはどうせ愚ぐなものだ。私わたくしの考えかんがえは行き詰まれいきづまればいつでもここへ落ちおちて来きました。 それほど女おんなを見縊っみくびっていた私わたくしが、またどうしてもお嬢さんおじょうさんを見縊るみくびる事ことができなかったのです。私わたくしの理屈りくつはその人ひとの前まえに全くまったく用ようを為さためさないほど動きうごきませんでした。私わたくしはその人ひとに対したいして、ほとんど信仰しんこうに近いちかい愛あいをもっていたのです。私わたくしが宗教しゅうきょうだけに用いるもちいるこの言葉ことばを、若いわかい女おんなに応用おうようするのを見みて、あなたは変へんに思うおもうかも知れしれませんが、私わたくしは今いまでも固くかたく信じしんじているのです。本当ほんとうの愛あいは宗教しゅうきょう心こころとそう違っちがったものでないという事ことを固くかたく信じしんじているのです。私わたくしはお嬢さんおじょうさんの顔かおを見るみるたびに、自分じぶんが美しくうつくしくなるような心持こころもちがしました。お嬢さんおじょうさんの事ことを考えるかんがえると、気高いけだかい気分きぶんがすぐ自分じぶんに乗り移っのりうつって来るくるように思いおもいました。もし愛あいという不可思議ふかしぎなものに両端りょうたんがあって、その高いたかい端はしには神聖しんせいな感じかんじが働いはたらいて、低いひくい端はしには性欲せいよくが動いうごいているとすれば、私わたくしの愛あいはたしかにその高いたかい極点きょくてんを捕まえつかまえたものです。私わたくしはもとより人間にんげんとして肉にくを離れるはなれる事ことのできない身体しんたいでした。けれどもお嬢さんおじょうさんを見るみる私わたくしの眼めや、お嬢さんおじょうさんを考えるかんがえる私わたくしの心こころは、全くまったく肉にくの臭いくさいを帯びおびていませんでした。 私わたくしは母ははに対したいして反感はんかんを抱くいだくと共ともに、子こに対したいして恋愛れんあいの度どを増しまして行っいったのですから、三さん人ひとの関係かんけいは、下宿げしゅくした始めはじめよりは段々だんだん複雑ふくざつになって来きました。もっともその変化へんかはほとんど内面的ないめんてきで外そとへは現れあらわれて来きなかったのです。そのうち私わたくしはあるひょっとした機会きかいから、今までいままで奥さんおくさんを誤解ごかいしていたのではなかろうかという気きになりました。奥さんおくさんの私わたくしに対するたいする矛盾むじゅんした態度たいどが、どっちも偽りいつわりではないのだろうと考え直しかんがえなおして来きたのです。その上うえ、それが互い違いたがいちがいに奥さんおくさんの心こころを支配しはいするのでなくって、いつでも両方りょうほうが同時どうじに奥さんおくさんの胸むねに存在そんざいしているのだと思うおもうようになったのです。つまり奥さんおくさんができるだけお嬢さんおじょうさんを私わたくしに接近せっきんさせようとしていながら、同時どうじに私わたくしに警戒けいかいを加えくわえているのは矛盾むじゅんのようだけれども、その警戒けいかいを加えるくわえる時じに、片方かたほうの態度たいどを忘れるわすれるのでも翻すひるがえすのでも何なんでもなく、やはり依然いぜんとして二人ふたりを接近せっきんさせたがっていたのだと観察かんさつしたのです。ただ自分じぶんが正当せいとうと認めるみとめる程度ていど以上いじょうに、二人ふたりが密着みっちゃくするのを忌むいむのだと解釈かいしゃくしたのです。お嬢さんおじょうさんに対したいして、肉にくの方面ほうめんから近づくちかづく念ねんの萌さきざさなかった私わたくしは、その時じ入らはいらぬ心配しんぱいだと思いおもいました。しかし奥さんおくさんを悪くわるく思うおもう気きはそれからなくなりました。
十五じゅうご
「私わたくしは奥さんおくさんの態度たいどを色々いろいろ綜合そうごうして見みて、私わたくしがここの家いえで充分じゅうぶん信用しんようされている事ことを確かめたしかめました。しかもその信用しんようは初対面はつたいめんの時じからあったのだという証拠しょうこさえ発見はっけんしました。他ほかを疑りうたぐり始めはじめた私わたくしの胸むねには、この発見はっけんが少しすこし奇異きいなくらいに響いひびいたのです。私わたくしは男おとこに比べるくらべると女おんなの方ほうがそれだけ直覚ちょっかくに富んとんでいるのだろうと思いおもいました。同時どうじに、女おんなが男おとこのために、欺さだまされるのもここにあるのではなかろうかと思いおもいました。奥さんおくさんをそう観察かんさつする私わたくしが、お嬢さんおじょうさんに対したいして同じおなじような直覚ちょっかくを強くつよく働かはたらかせていたのだから、今いま考えるかんがえるとおかしいのです。私わたくしは他ほかを信じしんじないと心こころに誓いちかいながら、絶対ぜったいにお嬢さんおじょうさんを信じしんじていたのですから。それでいて、私わたくしを信じしんじている奥さんおくさんを奇異きいに思っおもったのですから。 私わたくしは郷里きょうりの事ことについて余りあまり多くおおくを語らかたらなかったのです。ことに今度こんどの事件じけんについては何なんもいわなかったのです。私わたくしはそれを念頭ねんとうに浮べうかべてさえすでに一種いっしゅの不愉快ふゆかいを感じかんじました。私わたくしはなるべく奥さんおくさんの方ほうの話はなしだけを聞こうきこうと力めりきめました。ところがそれでは向うむこうが承知しょうちしません。何なんかに付けつけて、私わたくしの国元くにもとの事情じじょうを知りしりたがるのです。私わたくしはとうとう何なんもかも話しはなしてしまいました。私わたくしは二に度どと国くにへは帰らかえらない。帰っかえっても何になんにもない、あるのはただ父ちちと母ははの墓はかばかりだと告げつげた時じ、奥さんおくさんは大変たいへん感動かんどうしたらしい様子ようすを見せみせました。お嬢さんおじょうさんは泣きなきました。私わたくしは話しはなして好いよい事ことをしたと思いおもいました。私わたくしは嬉しかっうれしかったのです。 私わたくしのすべてを聞いきいた奥さんおくさんは、はたして自分じぶんの直覚ちょっかくが的中てきちゅうしたといわないばかりの顔かおをし出しだしました。それからは私わたくしを自分じぶんの親戚しんせきに当るあたる若いわかいものか何なんかを取り扱うとりあつかうように待遇たいぐうするのです。私わたくしは腹はらも立ちたちませんでした。むしろ愉快ゆかいに感じかんじたくらいです。ところがそのうちに私わたくしの猜疑心さいぎしんがまた起っおこって来きました。 私わたくしが奥さんおくさんを疑りうたぐり始めはじめたのは、ごく些細ささいな事ことからでした。しかしその些細ささいな事ことを重ねかさねて行くいくうちに、疑惑ぎわくは段々だんだんと根ねを張っちょうって来きます。私わたくしはどういう拍子ひょうしかふと奥さんおくさんが、叔父おじと同じおなじような意味いみで、お嬢さんおじょうさんを私わたくしに接近せっきんさせようと力めるりきめるのではないかと考え出しかんがえだしたのです。すると今までいままで親切しんせつに見えみえた人ひとが、急きゅうに狡猾こうかつな策略家さくりゃくかとして私わたくしの眼めに映じえいじて来きたのです。私わたくしは苦々しいにがにがしい唇くちびるを噛みかみました。 奥さんおくさんは最初さいしょから、無人むじんで淋しいさびしいから、客きゃくを置いおいて世話せわをするのだと公言こうげんしていました。私わたくしもそれを嘘うそとは思いおもいませんでした。懇意こんいになって色々いろいろ打ち明けうちあけ話はなしを聞いきいた後あとでも、そこに間違いまちがいはなかったように思わおもわれます。しかし一般いっぱんの経済けいざい状態じょうたいは大してたいして豊かゆたかだというほどではありませんでした。利害りがい問題もんだいから考えかんがえてみて、私わたくしと特殊とくしゅの関係かんけいをつけるのは、先方せんぽうに取っとって決してけっして損そんではなかったのです。 私わたくしはまた警戒けいかいを加えくわえました。けれども娘むすめに対したいして前まえいったくらいの強いつよい愛あいをもっている私わたくしが、その母ははに対したいしていくら警戒けいかいを加えくわえたって何なんになるでしょう。私わたくしは一人ひとりで自分じぶんを嘲笑ちょうしょうしました。馬鹿ばかだなといって、自分じぶんを罵っののしった事こともあります。しかしそれだけの矛盾むじゅんならいくら馬鹿ばかでも私わたくしは大したたいした苦痛くつうも感ぜかんぜずに済んすんだのです。私わたくしの煩悶はんもんは、奥さんおくさんと同じおなじようにお嬢さんおじょうさんも策略家さくりゃくかではなかろうかという疑問ぎもんに会っかいって始めはじめて起るおこるのです。二人ふたりが私わたくしの背後はいごで打ち合せうちあわせをした上うえ、万事ばんじをやっているのだろうと思うおもうと、私わたくしは急きゅうに苦しくくるしくって堪らたまらなくなるのです。不愉快ふゆかいなのではありません。絶体絶命ぜったいぜつめいのような行き詰まっいきづまった心持こころもちになるのです。それでいて私わたくしは、一方いっぽうにお嬢さんおじょうさんを固くかたく信じしんじて疑わうたがわなかったのです。だから私わたくしは信念しんねんと迷いまよいの途中とちゅうに立ったって、少しすこしも動くうごく事ことができなくなってしまいました。私わたくしにはどっちも想像そうぞうであり、またどっちも真実しんじつであったのです。
十六じゅうろく
「私わたくしは相そう変らかわらず学校がっこうへ出席しゅっせきしていました。しかし教壇きょうだんに立つたつ人ひとの講義こうぎが、遠くとおくの方ほうで聞こえるきこえるような心持こころもちがしました。勉強べんきょうもその通りとおりでした。眼めの中なかへはいる活字かつじは心こころの底そこまで浸みしみ渡らわたらないうちに烟けむりのごとく消えきえて行くいくのです。私わたくしはその上うえ無口むくちになりました。それを二に、三さんの友達ともだちが誤解ごかいして、冥想めいそうに耽っふけってでもいるかのように、他ほかの友達ともだちに伝えつたえました。私わたくしはこの誤解ごかいを解こうとこうとはしませんでした。都合つごうの好いよい仮面かめんを人ひとが貸しかしてくれたのを、かえって仕合せしあわせとして喜びよろこびました。それでも時々ときどきは気きが済ますまなかったのでしょう、発作的ほっさてきに焦燥しょうそうぎ廻っまわって彼かれらを驚かしおどろかした事こともあります。 私わたくしの宿やどは人ひと出入りでいりの少ないすくない家いえでした。親類しんるいも多くおおくはないようでした。お嬢さんおじょうさんの学校がっこう友達ともだちがときたま遊びあそびに来るくる事ことはありましたが、極めてきわめて小さなちいさな声こえで、いるのだかいないのだか分らわからないような話はなしをして帰っかえってしまうのが常つねでした。それが私わたくしに対するたいする遠慮えんりょからだとは、いかな私わたくしにも気きが付きつきませんでした。私わたくしの所ところへ訪ねたずねて来るくるものは、大したたいした乱暴者らんぼうしゃでもありませんでしたけれども、宅たくの人ひとに気兼きがねをするほどな男おとこは一人ひとりもなかったのですから。そんなところになると、下宿人げしゅくにんの私わたくしは主人しゅじんのようなもので、肝心かんじんのお嬢さんおじょうさんがかえって食客しょっかくの位地いちにいたと同じおなじ事ことです。 しかしこれはただ思い出しおもいだしたついでに書いかいただけで、実じつはどうでも構わかまわない点てんです。ただそこにどうでもよくない事ことが一いちつあったのです。茶の間ちゃのまか、さもなければお嬢さんおじょうさんの室むろで、突然とつぜん男おとこの声こえが聞こえるきこえるのです。その声こえがまた私わたくしの客きゃくと違っちがって、すこぶる低いひくいのです。だから何なんを話しはなしているのかまるで分らわからないのです。そうして分らわからなければ分らわからないほど、私わたくしの神経しんけいに一種いっしゅの昂奮こうふんを与えるあたえるのです。私わたくしは坐っすわっていて変へんにいらいらし出しだします。私わたくしはあれは親類しんるいなのだろうか、それともただの知り合いしりあいなのだろうかとまず考えかんがえて見るみるのです。それから若いわかい男おとこだろうか年輩ねんぱいの人ひとだろうかと思案しあんしてみるのです。坐っすわっていてそんな事ことの知れようしれようはずがありません。そうかといって、起っおこって行っいって障子しょうじを開けあけて見るみる訳わけにはなおいきません。私わたくしの神経しんけいは震えるふるえるというよりも、大きなおおきな波動はどうを打っうって私わたくしを苦しめくるしめます。私わたくしは客きゃくの帰っかえった後あとで、きっと忘れわすれずにその人ひとの名なを聞きききました。お嬢さんおじょうさんや奥さんおくさんの返事へんじは、また極めてきわめて簡単かんたんでした。私わたくしは物もの足りたりない顔かおを二人ふたりに見せみせながら、物もの足りるたりるまで追窮ついきゅうする勇気ゆうきをもっていなかったのです。権利けんりは無論むろんもっていなかったのでしょう。私わたくしは自分じぶんの品格ひんかくを重んじおもんじなければならないという教育きょういくから来きた自尊心じそんしんと、現にげんにその自尊心じそんしんを裏切うらぎりしている物欲しものほしそうな顔付かおつきとを同時どうじに彼かれらの前まえに示すしめすのです。彼かれらは笑いわらいました。それが嘲笑ちょうしょうの意味いみでなくって、好意こういから来きたものか、また好意こういらしく見せるみせるつもりなのか、私わたくしは即そく坐ざに解釈かいしゃくの余地よちを見出しみだし得とくないほど落付おちつけを失っうしなってしまうのです。そうして事ことが済んすんだ後あとで、いつまでも、馬鹿ばかにされたのだ、馬鹿ばかにされたんじゃなかろうかと、何なん遍へんも心こころのうちで繰り返すくりかえすのです。 私わたくしは自由じゆうな身体しんたいでした。たとい学校がっこうを中途ちゅうとで已めようやめようが、またどこへ行っいってどう暮らそうくらそうが、あるいはどこの何者なにものと結婚けっこんしようが、誰だれとも相談そうだんする必要ひつようのない位地いちに立ったっていました。私わたくしは思い切っおもいきって奥さんおくさんにお嬢さんおじょうさんを貰い受けるもらいうける話はなしをして見ようみようかという決心けっしんをした事ことがそれまでに何度なんどとなくありました。けれどもそのたびごとに私わたくしは躊躇ちゅうちょして、口くちへはとうとう出さださずにしまったのです。断らことわられるのが恐ろしいおそろしいからではありません。もし断らことわられたら、私わたくしの運命うんめいがどう変化へんかするか分りわかりませんけれども、その代りかわり今までいままでとは方角ほうがくの違っちがった場所ばしょに立ったって、新しいあたらしい世の中よのなかを見渡すみわたす便宜べんぎも生じしょうじて来るくるのですから、そのくらいの勇気ゆうきは出せだせば出せだせたのです。しかし私わたくしは誘き寄せおびきよせられるのが厭いやでした。他ほかの手てに乗るのるのは何なんよりも業腹ごうはらでした。叔父おじに欺さだまされた私わたくしは、これから先さきどんな事ことがあっても、人ひとには欺さだまされまいと決心けっしんしたのです。
十七じゅうなな
「私わたくしが書物しょもつばかり買うかうのを見みて、奥さんおくさんは少しすこし着物きものを拵えろこしらえろといいました。私わたくしは実際じっさい田舎いなかで織っおった木綿もめんものしかもっていなかったのです。その頃ころの学生がくせいは絹きぬの入っはいった着物きものを肌はだに着けつけませんでした。私わたくしの友達ともだちに横浜よこはまの商人しょうにんか何なんかで、宅たくはなかなか派出はしゅつに暮しくらしているものがありましたが、そこへある時じ羽二重はぶたえの胴着どうぎが配達はいたつで届いとどいた事ことがあります。すると皆みなながそれを見みて笑いわらいました。その男おとこは恥ずかしはずかしがって色々いろいろ弁解べんかいしましたが、折角せっかくの胴着どうぎを行李こうりの底そこへ放り込んほうりこんで利用りようしないのです。それをまた大勢おおぜいが寄っよってたかって、わざと着せきせました。すると運うん悪くわるくその胴着どうぎに蝨しらみがたかりました。友達ともだちはちょうど幸いさいわいとでも思っおもったのでしょう、評判ひょうばんの胴着どうぎをぐるぐると丸めまるめて、散歩さんぽに出でたついでに、根津ねづの大きなおおきな泥溝どろどぶの中なかへ棄てすててしまいました。その時じいっしょに歩いあるいていた私わたくしは、橋はしの上うえに立ったって笑いわらいながら友達ともだちの所作しょさを眺めながめていましたが、私わたくしの胸むねのどこにも勿体もったいないという気きは少しすこしも起りおこりませんでした。 その頃ころから見るみると私わたくしも大分おおいた大人おとなになっていました。けれどもまだ自分じぶんで余よ所行しょぎょうの着物きものを拵えるこしらえるというほどの分別ぶんべつは出でなかったのです。私わたくしは卒業そつぎょうして髯ひげを生やすはやす時代じだいが来きなければ、服装ふくそうの心配しんぱいなどはするに及ばおよばないものだという変へんな考えかんがえをもっていたのです。それで奥さんおくさんに書物しょもつは要るいるが着物きものは要らいらないといいました。奥さんおくさんは私わたくしの買うかう書物しょもつの分量ぶんりょうを知っしっていました。買っかった本ほんをみんな読むよむのかと聞くきくのです。私わたくしの買うかうものの中なかには字引きじびきもありますが、当然とうぜん眼めを通すとおすべきはずでありながら、頁ぺーじさえ切っきってないのも多少たしょうあったのですから、私わたくしは返事へんじに窮しきゅうしました。私わたくしはどうせ要らいらないものを買うかうなら、書物しょもつでも衣服いふくでも同じおなじだという事ことに気きが付きつきました。その上うえ私わたくしは色々いろいろ世話せわになるという口実こうじつの下したに、お嬢さんおじょうさんの気きに入るはいるような帯おびか反物たんものを買っかってやりたかったのです。それで万事ばんじを奥さんおくさんに依頼いらいしました。 奥さんおくさんは自分じぶん一人ひとりで行くいくとはいいません。私わたくしにもいっしょに来いこいと命令めいれいするのです。お嬢さんおじょうさんも行かいかなくてはいけないというのです。今いまと違っちがった空気くうきの中なかに育てそだてられた私わたくしどもは、学生がくせいの身分みぶんとして、あまり若いわかい女おんななどといっしょに歩き廻るあるきまわる習慣しゅうかんをもっていなかったものです。その頃ころの私わたくしは今いまよりもまだ習慣しゅうかんの奴隷どれいでしたから、多少たしょう躊躇ちゅうちょしましたが、思い切っおもいきって出掛けでかけました。 お嬢さんおじょうさんは大層たいそう着飾っきかざっていました。地体ちたいが色いろの白いしろいくせに、白粉おしろいを豊富ほうふに塗っぬったものだからなお目立ちめだちます。往来おうらいの人ひとがじろじろ見みてゆくのです。そうしてお嬢さんおじょうさんを見みたものはきっとその視線しせんをひるがえして、私わたくしの顔かおを見るみるのだから、変へんなものでした。 三さん人ひとは日本橋にほんばしへ行っいって買いかいたいものを買いかいました。買うかう間まにも色々いろいろ気きが変るかわるので、思っおもったより暇ひまがかかりました。奥さんおくさんはわざわざ私わたくしの名なを呼んよんでどうだろうと相談そうだんをするのです。時々ときどき反物たんものをお嬢さんおじょうさんの肩かたから胸むねへ竪たてに宛てあてておいて、私わたくしに二に、三さん歩あゆみ遠退いとおのいて見みてくれろというのです。私わたくしはそのたびごとに、それは駄目だめだとか、それはよく似合うにあうとか、とにかく一人前いちにんまえの口くちを聞きききました。 こんな事ことで時間じかんが掛っかかって帰りかえりは夕飯ゆうはんの時刻じこくになりました。奥さんおくさんは私わたくしに対するたいするお礼おれいに何なんかご馳走ごちそうするといって、木原きはら店みせという寄席よせのある狭いせまい横丁よこちょうへ私わたくしを連れ込みつれこみました。横丁よこちょうも狭いせまいが、飯めしを食わくわせる家いえも狭いせまいものでした。この辺へんの地理ちりを一向いっこう心得こころえない私わたくしは、奥さんおくさんの知識ちしきに驚いおどろいたくらいです。 我々われわれは夜よるに入っはいって家いえへ帰りかえりました。その翌日よくじつは日曜にちようでしたから、私わたくしは終日しゅうじつ室むろの中なかに閉じ籠っとじこもっていました。月曜げつようになって、学校がっこうへ出るでると、私わたくしは朝っぱらあさっぱらそうそう級友きゅうゆうの一人ひとりから調ちょう戯たわむれわれました。いつ妻つまを迎えむかえたのかといってわざとらしく聞かきかれるのです。それから私わたくしの細君さいくんは非常ひじょうに美人びじんだといって賞めるほめるのです。私わたくしは三さん人ひと連れんで日本橋にほんばしへ出掛けでかけたところを、その男おとこにどこかで見みられたものとみえます。
十八じゅうはち
「私わたくしは宅たくへ帰っかえって奥さんおくさんとお嬢さんおじょうさんにその話はなしをしました。奥さんおくさんは笑いわらいました。しかし定めてさだめて迷惑めいわくだろうといって私わたくしの顔かおを見みました。私わたくしはその時じ腹はらのなかで、男おとこはこんな風かぜにして、女おんなから気きを引いひいて見みられるのかと思いおもいました。奥さんおくさんの眼めは充分じゅうぶん私わたくしにそう思わおもわせるだけの意味いみをもっていたのです。私わたくしはその時じ自分じぶんの考えかんがえている通りとおりを直截ちょくせつに打ち明けうちあけてしまえば好かっよかったかも知れしれません。しかし私わたくしにはもう狐疑こぎという薩張りさっぱりしない塊りかたまりがこびり付いこびりついていました。私わたくしは打ち明けよううちあけようとして、ひょいと留まりとまりました。そうして話はなしの角度かくどを故意こいに少しすこし外らしそらしました。 私わたくしは肝心かんじんの自分じぶんというものを問題もんだいの中なかから引き抜いひきぬいてしまいました。そうしてお嬢さんおじょうさんの結婚けっこんについて、奥さんおくさんの意中いちゅうを探っさぐったのです。奥さんおくさんは二に、三さんそういう話はなしのないでもないような事ことを、明らかあきらかに私わたくしに告げつげました。しかしまだ学校がっこうへ出でているくらいで年ねんが若いわかいから、こちらではさほど急がいそがないのだと説明せつめいしました。奥さんおくさんは口くちへは出さださないけれども、お嬢さんおじょうさんの容色ようしょくに大分おおいた重きおもきを置いおいているらしく見えみえました。極めようきわめようと思えおもえばいつでも極めきわめられるんだからというような事ことさえ口外こうがいしました。それからお嬢さんおじょうさんより外そとに子供こどもがないのも、容易よういに手離してばなしたがらない源みなもと因いんになっていました。嫁よめにやるか、聟むこを取るとるか、それにさえ迷っまよっているのではなかろうかと思わおもわれるところもありました。 話しはなしているうちに、私わたくしは色々いろいろの知識ちしきを奥さんおくさんから得とくたような気きがしました。しかしそれがために、私わたくしは機会きかいを逸しいっしたと同様どうようの結果けっかに陥っおちいってしまいました。私わたくしは自分じぶんについて、ついに一言ひとことも口くちを開くひらく事ことができませんでした。私わたくしは好いよい加減かげんなところで話はなしを切り上げきりあげて、自分じぶんの室むろへ帰ろうかえろうとしました。 さっきまで傍そばにいて、あんまりだわとか何なんとかいって笑っわらったお嬢さんおじょうさんは、いつの間まにか向うむこうの隅すみに行っいって、背中せなかをこっちへ向けむけていました。私わたくしは立とうたとうとして振り返っふりかえった時じ、その後姿うしろすがたを見みたのです。後姿うしろすがただけで人間にんげんの心こころが読めるよめるはずはありません。お嬢さんおじょうさんがこの問題もんだいについてどう考えかんがえているか、私わたくしには見当けんとうが付きつきませんでした。お嬢さんおじょうさんは戸棚とだなを前まえにして坐っすわっていました。その戸棚とだなの一いち尺さしばかり開いひらいている隙間すきまから、お嬢さんおじょうさんは何なんか引き出しひきだして膝ひざの上うえへ置いおいて眺めながめているらしかったのです。私わたくしの眼めはその隙間すきまの端はしに、一昨いっさく日ひ買っかった反物たんものを見付けみつけ出しだしました。私わたくしの着物きものもお嬢さんおじょうさんのも同じおなじ戸棚とだなの隅すみに重ねかさねてあったのです。 私わたくしが何なんともいわずに席せきを立ち掛けるたちかけると、奥さんおくさんは急きゅうに改まっあらたまった調子ちょうしになって、私わたくしにどう思うおもうかと聞くきくのです。その聞き方ききかたは何なんをどう思うおもうのかと反問はんもんしなければ解らわからないほど不意ふいでした。それがお嬢さんおじょうさんを早くはやく片付けかたづけた方ほうが得策とくさくだろうかという意味いみだと判然はんぜんした時じ、私わたくしはなるべく緩くゆるくらな方ほうがいいだろうと答えこたえました。奥さんおくさんは自分じぶんもそう思うおもうといいました。 奥さんおくさんとお嬢さんおじょうさんと私わたくしの関係かんけいがこうなっている所ところへ、もう一人ひとり男おとこが入り込まはいりこまなければならない事ことになりました。その男おとこがこの家庭かていの一員いちいんとなった結果けっかは、私わたくしの運命うんめいに非常ひじょうな変化へんかを来しきしています。もしその男おとこが私わたくしの生活せいかつの行路こうろを横切らよこぎらなかったならば、おそらくこういう長いながいものをあなたに書き残すかきのこす必要ひつようも起らおこらなかったでしょう。私わたくしは手てもなく、魔まの通るとおる前まえに立ったって、その瞬間しゅんかんの影かげに一生いっしょうを薄暗くうすぐらくされて気きが付かつかずにいたのと同じおなじ事ことです。自白じはくすると、私わたくしは自分じぶんでその男おとこを宅たくへ引張っひっぱって来きたのです。無論むろん奥さんおくさんの許諾きょだくも必要ひつようですから、私わたくしは最初さいしょ何なんもかも隠さかくさず打ち明けうちあけて、奥さんおくさんに頼んたのんだのです。ところが奥さんおくさんは止せよせといいました。私わたくしには連れつれて来きなければ済ますまない事情じじょうが充分じゅうぶんあるのに、止せよせという奥さんおくさんの方ほうには、筋すじの立ったった理屈りくつはまるでなかったのです。だから私わたくしは私わたくしの善いよいと思うおもうところを強いつよいて断行だんこうしてしまいました。
十九じゅうきゅう
「私わたくしはその友達ともだちの名なをここにKと呼んよんでおきます。私わたくしはこのKと小供こどもの時じからの仲なか好よしみでした。小供こどもの時じからといえば断らことわらないでも解っわかっているでしょう、二人ふたりには同郷どうきょうの縁故えんこがあったのです。Kは真宗しんしゅうの坊ぼうさんの子こでした。もっとも長男ちょうなんではありません、次男じなんでした。それである医者いしゃの所ところへ養子ようしにやられたのです。私わたくしの生れうまれた地方ちほうは大変たいへん本願寺ほんがんじ派はの勢力せいりょくの強いつよい所ところでしたから、真宗しんしゅうの坊ぼうさんは他ほかのものに比べるくらべると、物質的ぶっしつてきに割わりが好かっよかったようです。一いち例れいを挙げるあげると、もし坊ぼうさんに女の子おんなのこがあって、その女の子おんなのこが年頃としごろになったとすると、檀家だんかのものが相談そうだんして、どこか適当てきとうな所ところへ嫁よめにやってくれます。無論むろん費用ひようは坊ぼうさんの懐ふところから出るでるのではありません。そんな訳わけで真宗しんしゅう寺てらは大抵たいてい有福ありふくでした。 Kの生れうまれた家いえも相応そうおうに暮らしくらしていたのです。しかし次男じなんを東京とうきょうへ修業しゅぎょうに出すだすほどの余力よりょくがあったかどうか知りしりません。また修業しゅぎょうに出でられる便宜べんぎがあるので、養子ようしの相談そうだんが纏まっまとまったものかどうか、そこも私わたくしには分りわかりません。とにかくKは医者いしゃの家いえへ養子ようしに行っいったのです。それは私たちわたくしたちがまだ中学ちゅうがくにいる時じの事ことでした。私わたくしは教場きょうじょうで先生せんせいが名簿めいぼを呼ぶよぶ時じに、Kの姓せいが急きゅうに変っかわっていたので驚いおどろいたのを今いまでも記憶きおくしています。 Kの養子ようし先さきもかなりな財産家ざいさんかでした。Kはそこから学資がくしを貰っもらって東京とうきょうへ出でて来きたのです。出でて来きたのは私わたくしといっしょでなかったけれども、東京とうきょうへ着いついてからは、すぐ同じおなじ下宿げしゅくに入りいりました。その時分じぶんは一いちつ室むろによく二人ふたりも三さん人ひとも机つくえを並べならべて寝起きねおきしたものです。Kと私わたくしも二人ふたりで同じおなじ間まにいました。山やまで生なま捕らとられた動物どうぶつが、檻おりの中なかで抱き合いだきあいながら、外そとを睨めるにらめるようなものでしたろう。二人ふたりは東京とうきょうと東京とうきょうの人ひとを畏れおそれました。それでいて六ろく畳たたみの間まの中なかでは、天下てんかを睥睨へいげいするような事ことをいっていたのです。 しかし我々われわれは真面目まじめでした。我々われわれは実際じっさい偉くえらくなるつもりでいたのです。ことにKは強かっつよかったのです。寺てらに生れうまれた彼かれは、常つねに精進しょうじんという言葉ことばを使いつかいました。そうして彼かれの行為こうい動作どうさは悉くことごとくこの精進しょうじんの一いち語ごで形容けいようされるように、私わたくしには見えみえたのです。私わたくしは心こころのうちで常つねにKを畏敬いけいしていました。 Kは中学ちゅうがくにいた頃ころから、宗教しゅうきょうとか哲学てつがくとかいうむずかしい問題もんだいで、私わたくしを困らこまらせました。これは彼かれの父ちちの感化かんかなのか、または自分じぶんの生れうまれた家いえ、すなわち寺てらという一種いっしゅ特別とくべつな建物たてものに属するぞくする空気くうきの影響えいきょうなのか、解りわかりません。ともかくも彼かれは普通ふつうの坊ぼうさんよりは遥かはるかに坊ぼうさんらしい性格せいかくをもっていたように見受けみうけられます。元来がんらいKの養家ようかでは彼かれを医者いしゃにするつもりで東京とうきょうへ出しだしたのです。しかるに頑固がんこな彼かれは医者いしゃにはならない決心けっしんをもって、東京とうきょうへ出でて来きたのです。私わたくしは彼かれに向っむかって、それでは養父母ようふぼを欺くあざむくと同じおなじ事ことではないかと詰りなじりました。大胆だいたんな彼かれはそうだと答えるこたえるのです。道みちのためなら、そのくらいの事ことをしても構わかまわないというのです。その時じ彼かれの用いもちいた道みちという言葉ことばは、おそらく彼かれにもよく解っわかっていなかったでしょう。私わたくしは無論むろん解っわかったとはいえません。しかし年ねんの若いわかい私たちわたくしたちには、この漠然ばくぜんとした言葉ことばが尊みこととく響いひびいたのです。よし解らわからないにしても気高いけだかい心持こころもちに支配しはいされて、そちらの方ほうへ動いうごいて行こういこうとする意気いき組くみに卑しいいやしいところの見えるみえるはずはありません。私わたくしはKの説せつに賛成さんせいしました。私わたくしの同意どういがKにとってどのくらい有力ゆうりょくであったか、それは私わたくしも知りしりません。一いち図ずな彼かれは、たとい私わたくしがいくら反対はんたいしようとも、やはり自分じぶんの思いおもい通りとおりを貫いつらぬいたに違いちがいなかろうとは察せさっせられます。しかし万一まんいちの場合ばあい、賛成さんせいの声援せいえんを与えあたえた私わたくしに、多少たしょうの責任せきにんができてくるぐらいの事ことは、子供こどもながら私わたくしはよく承知しょうちしていたつもりです。よしその時じにそれだけの覚悟かくごがないにしても、成人せいじんした眼めで、過去かこを振り返るふりかえる必要ひつようが起っおこった場合ばあいには、私わたくしに割り当てわりあてられただけの責任せきにんは、私わたくしの方ほうで帯びるおびるのが至当しとうになるくらいな語気ごきで私わたくしは賛成さんせいしたのです。
二十にじゅう
「Kと私わたくしは同じおなじ科かへ入学にゅうがくしました。Kは澄ましすました顔かおをして、養家ようかから送っおくってくれる金きんで、自分じぶんの好きすきな道みちを歩きあるき出しだしたのです。知れしれはしないという安心あんしんと、知れしれたって構うかまうものかという度胸どきょうとが、二つながらふたつながらKの心こころにあったものと見るみるよりほか仕方しかたがありません。Kは私わたくしよりも平気へいきでした。 最初さいしょの夏休みなつやすみにKは国くにへ帰りかえりませんでした。駒込こまごめのある寺てらの一いち間まを借りかりて勉強べんきょうするのだといっていました。私わたくしが帰っかえって来きたのは九きゅう月つき上旬じょうじゅんでしたが、彼かれははたして大おお観音かんのんの傍そばの汚いきたない寺てらの中なかに閉じ籠っとじこもっていました。彼かれの座敷ざしきは本堂ほんどうのすぐ傍そばの狭いせまい室むろでしたが、彼かれはそこで自分じぶんの思うおもう通りとおりに勉強べんきょうができたのを喜んよろこんでいるらしく見えみえました。私わたくしはその時じ彼かれの生活せいかつの段々だんだん坊ぼうさんらしくなって行くいくのを認めみとめたように思いおもいます。彼かれは手頸てくびに珠数じゅずを懸けかけていました。私わたくしがそれは何なんのためだと尋ねたずねたら、彼かれは親指おやゆびで一いちつ二につと勘定かんじょうする真似まねをして見せみせました。彼かれはこうして日ひに何なん遍へんも珠数じゅずの輪わを勘定かんじょうするらしかったのです。ただしその意味いみは私わたくしには解りわかりません。円いまりい輪わになっているものを一いち粒つぶずつ数えかぞえてゆけば、どこまで数えかぞえていっても終局しゅうきょくはありません。Kはどんな所ところでどんな心持こころもちがして、爪繰るつまぐる手てを留めとめたでしょう。詰らなじらない事ことですが、私わたくしはよくそれを思うおもうのです。 私わたくしはまた彼かれの室むろに聖書せいしょを見みました。私わたくしはそれまでにお経きょうの名なを度々たびたび彼かれの口くちから聞いきいた覚えおぼえがありますが、基督教きりすときょうについては、問わとわれた事ことも答えこたえられた例れいもなかったのですから、ちょっと驚きおどろきました。私わたくしはその理由りゆうを訊ねたずねずにはいられませんでした。Kは理由りゆうはないといいました。これほど人ひとの有難ありがたがる書物しょもつなら読んよんでみるのが当り前あたりまえだろうともいいました。その上うえ彼かれは機会きかいがあったら、『コーランこーらん』も読んよんでみるつもりだといいました。
彼かれはモハメッドもはめっどと剣けんという言葉ことばに大いなるおおいなる興味きょうみをもっているようでした。
二に年ねん目めの夏なつに彼かれは国くにから催促さいそくを受けうけてようやく帰りかえりました。
帰っかえっても専門せんもんの事ことは何になんにもいわなかったものとみえます。
家いえでもまたそこに気きが付かつかなかったのです。
あなたは学校教育がっこうきょういくを受けうけた人ひとだから、こういう消息しょうそくをよく解しかいしているでしょうが、世間せけんは学生がくせいの生活せいかつだの、学校がっこうの規則きそくだのに関しかんして、驚くおどろくべく無知むちなものです。
我々われわれに何なんでもない事ことが一向いっこう外部がいぶへは通じつうじていません。
我々われわれはまた比較的ひかくてき内部ないぶの空気くうきばかり吸っすっているので、校内こうないの事ことは細大さいだいともに世の中よのなかに知れ渡っしれわたっているはずだと思いおもい過ぎるすぎる癖くせがあります。
Kはその点てんにかけて、私わたくしより世間せけんを知っしっていたのでしょう、澄ましすました顔かおでまた戻っもどって来きました。
国くにを立つたつ時じは私わたくしもいっしょでしたから、汽車きしゃへ乗るのるや否いなやすぐどうだったとKに問いといました。
Kはどうでもなかったと答えこたえたのです。
三さん度目どめの夏なつはちょうど私わたくしが永久えいきゅうに父母ふぼの墳墓ふんぼの地ちを去ろうさろうと決心けっしんした年ねんです。
私わたくしはその時じKに帰国きこくを勧めすすめましたが、Kは応じおうじませんでした。
そう毎年まいとし家いえへ帰っかえって何なんをするのだというのです。
彼かれはまた踏み留まっふみとどまって勉強べんきょうするつもりらしかったのです。
私わたくしは仕方なししかたなしに一人ひとりで東京とうきょうを立つたつ事ことにしました。
私わたくしの郷里きょうりで暮らしくらしたその二にカ月かげつ間まが、私わたくしの運命うんめいにとって、いかに波瀾はらんに富んとんだものかは、前まえに書いかいた通りとおりですから繰り返しくりかえしません。
私わたくしは不平ふへいと幽ゆう欝うつと孤独こどくの淋しさびしさとを一いちつ胸むねに抱いいだいて、九きゅう月つきに入っはいってまたKに逢いあいました。
すると彼かれの運命うんめいもまた私わたくしと同様どうように変調へんちょうを示ししめしていました。
彼かれは私わたくしの知らしらないうちに、養家ようか先さきへ手紙てがみを出しだして、こっちから自分じぶんの詐りいつわりを白状はくじょうしてしまったのです。
彼かれは最初さいしょからその覚悟かくごでいたのだそうです。
今更いまさら仕方しかたがないから、お前おまえの好きすきなものをやるより外そとに途とはあるまいと、向うむこうにいわせるつもりもあったのでしょうか。
とにかく大学だいがくへ入っはいってまでも養父母ようふぼを欺きあざむき通すとおす気きはなかったらしいのです。
また欺こうあざむこうとしても、そう長くながく続くつづくものではないと見抜いみぬいたのかも知れしれません。
二十一にじゅういち
「Kの手紙てがみを見みた養父ようふは大変たいへん怒りいかりました。親おやを騙すだますような不埒ふらちなものに学資がくしを送るおくる事ことはできないという厳しいきびしい返事へんじをすぐ寄こしよこしたのです。Kはそれを私わたくしに見せみせました。Kはまたそれと前後ぜんごして実家じっかから受け取っうけとった書翰しょかんも見せみせました。これにも前まえに劣らおとらないほど厳しいきびしい詰責きっせきの言葉ことばがありました。養家ようか先さきへ対したいして済ますまないという義理ぎりが加わっくわわっているからでもありましょうが、こっちでも一切いっさい構わかまわないと書いかいてありました。Kがこの事件じけんのために復籍ふくせきしてしまうか、それとも他ほかに妥協だきょうの道みちを講じこうじて、依然いぜん養家ようかに留まるとまるか、そこはこれから起るおこる問題もんだいとして、差し当りさしあたりどうかしなければならないのは、月々つきづきに必要ひつような学資がくしでした。 私わたくしはその点てんについてKに何なんか考えかんがえがあるのかと尋ねたずねました。Kは夜よる学校がっこうの教師きょうしでもするつもりだと答えこたえました。その時分じぶんは今いまに比べるくらべると、存外ぞんがい世の中よのなかが寛ろいくつろいでいましたから、内職ないしょくの口くちはあなたが考えるかんがえるほど払底ふっていでもなかったのです。私わたくしはKがそれで充分じゅうぶんやって行けるいけるだろうと考えかんがえました。しかし私わたくしには私わたくしの責任せきにんがあります。Kが養家ようかの希望きぼうに背いそむいて、自分じぶんの行きいきたい道みちを行こういこうとした時じ、賛成さんせいしたものは私わたくしです。私わたくしはそうかといって手てを拱いこまぬいでいる訳わけにゆきません。私わたくしはその場ばで物質的ぶっしつてきの補助ほじょをすぐ申し出しもうしだしました。するとKは一いちも二にもなくそれを跳ねはね付けつけました。彼かれの性格せいかくからいって、自活じかつの方ほうが友達ともだちの保護ほごの下したに立つたつより遥はるかに快よくこころよく思わおもわれたのでしょう。彼かれは大学だいがくへはいった以上いじょう、自分じぶん一人ひとりぐらいどうかできなければ男おとこでないような事ことをいいました。私わたくしは私わたくしの責任せきにんを完うまっとうするために、Kの感情かんじょうを傷つけるきずつけるに忍びしのびませんでした。それで彼かれの思うおもう通りとおりにさせて、私わたくしは手てを引きひきました。 Kは自分じぶんの望むのぞむような口くちをほどなく探し出しさがしだしました。しかし時間じかんを惜しむおしむ彼かれにとって、この仕事しごとがどのくらい辛かっつらかったかは想像そうぞうするまでもない事ことです。彼かれは今までいままで通りとおり勉強べんきょうの手てをちっとも緩めゆるめずに、新しいあたらしい荷にを背負っせおって猛進もうしんしたのです。私わたくしは彼かれの健康けんこうを気遣いきづかいました。しかし剛気ごうきな彼かれは笑うわらうだけで、少しすこしも私わたくしの注意ちゅういに取り合いとりあいませんでした。 同時どうじに彼かれと養家ようかとの関係かんけいは、段々だんだんこん絡らくがって来きました。時間じかんに余裕よゆうのなくなった彼かれは、前まえのように私わたくしと話すはなす機会きかいを奪わうばわれたので、私わたくしはついにその顛末てんまつを詳しくくわしく聞かきかずにしまいましたが、解決かいけつのますます困難こんなんになってゆく事ことだけは承知しょうちしていました。人ひとが仲なかに入っはいって調停ちょうていを試みこころみた事ことも知っしっていました。その人ひとは手紙てがみでKに帰国きこくを促しうながしたのですが、Kは到底とうてい駄目だめだといって、応じおうじませんでした。この剛つよし情じょうなところが、――Kは学年がくねん中なかで帰れかえれないのだから仕方しかたがないといいましたけれども、向うむこうから見れみれば剛つよし情じょうでしょう。そこが事態じたいをますます険悪けんあくにしたようにも見えみえました。彼かれは養家ようかの感情かんじょうを害するがいすると共ともに、実家じっかの怒りいかりも買うかうようになりました。私わたくしが心配しんぱいして双方そうほうを融和ゆうわするために手紙てがみを書いかいた時じは、もう何なんの効果こうかもありませんでした。私わたくしの手紙てがみは一言ひとことの返事へんじさえ受けうけずに葬らほうむられてしまったのです。私わたくしも腹はらが立ちたちました。今までいままでも行掛りいきがかり上うえ、Kに同情どうじょうしていた私わたくしは、それ以後いごは理り否いなを度外どがいに置いおいてもKの味方みかたをする気きになりました。 最後さいごにKはとうとう復籍ふくせきに決しけっしました。養家ようかから出しだしてもらった学資がくしは、実家じっかで弁償べんしょうする事ことになったのです。その代りかわり実家じっかの方ほうでも構わかまわないから、これからは勝手にかってにしろというのです。昔むかしの言葉ことばでいえば、まあ勘当かんどうなのでしょう。あるいはそれほど強いつよいものでなかったかも知れしれませんが、当人とうにんはそう解釈かいしゃくしていました。Kは母ははのない男おとこでした。彼かれの性格せいかくの一面いちめんは、たしかに継母ままははに育てそだてられた結果けっかとも見るみる事ことができるようです。もし彼かれの実じつの母ははが生きいきていたら、あるいは彼かれと実家じっかとの関係かんけいに、こうまで隔たりへだたりができずに済んすんだかも知れしれないと私わたくしは思うおもうのです。彼かれの父ちちはいうまでもなく僧侶そうりょでした。けれども義理ぎり堅いかたい点てんにおいて、むしろ武士ぶしに似にたところがありはしないかと疑わうたがわれます。
二十二にじゅうに
「Kの事件じけんが一段落いちだんらくついた後あとで、私わたくしは彼かれの姉あねの夫おっとから長いながい封書ふうしょを受け取りうけとりました。Kの養子ようしに行っいった先さきは、この人ひとの親類しんるいに当るあたるのですから、彼かれを周旋しゅうせんした時じにも、彼かれを復籍ふくせきさせた時じにも、この人ひとの意見いけんが重きおもきをなしていたのだと、Kは私わたくしに話しはなして聞かきかせました。 手紙てがみにはその後あとKがどうしているか知らしらせてくれと書いかいてありました。姉あねが心配しんぱいしているから、なるべく早くはやく返事へんじを貰いもらいたいという依頼いらいも付け加えつけくわえてありました。Kは寺てらを嗣いついだ兄あによりも、他家たけへ縁づいえんづいたこの姉あねを好いよいていました。彼かれらはみんな一いちつ腹はらから生れうまれた姉弟していですけれども、この姉あねとKとの間まには大分おおいた年歯ねんしの差さがあったのです。それでKの小供こどもの時分じぶんには、継母ままははよりもこの姉あねの方ほうが、かえって本当ほんとうの母ははらしく見えみえたのでしょう。 私わたくしはKに手紙てがみを見せみせました。Kは何なんともいいませんでしたけれども、自分じぶんの所ところへこの姉あねから同じおなじような意味いみの書状しょじょうが二に、三さん度ど来きたという事ことを打ち明けうちあけました。Kはそのたびに心配しんぱいするに及ばおよばないと答えこたえてやったのだそうです。運うん悪くわるくこの姉あねは生活せいかつに余裕よゆうのない家いえに片付いかたづいたために、いくらKに同情どうじょうがあっても、物質的ぶっしつてきに弟おとうとをどうしてやる訳わけにも行かいかなかったのです。 私わたくしはKと同じおなじような返事へんじを彼かれの義兄ぎけい宛ずつで出しだしました。その中なかに、万一まんいちの場合ばあいには私わたくしがどうでもするから、安心あんしんするようにという意味いみを強いつよい言葉ことばで書き現わしかきあらわしました。これは固よりもとより私わたくしの一存いちぞんでした。Kの行先いきさきを心配しんぱいするこの姉あねに安心あんしんを与えようあたえようという好意こういは無論むろん含まふくまれていましたが、私わたくしを軽蔑けいべつしたとより外そとに取りとりようのない彼かれの実家じっかや養家ようかに対するたいする意地いじもあったのです。 Kの復籍ふくせきしたのは一いち年生ねんせいの時じでした。それから二に年生ねんせいの中頃なかごろになるまで、約やく一いち年ねん半はんの間ま、彼かれは独力どくりょくで己れおのれを支えささえていったのです。ところがこの過度かどの労力ろうりょくが次第しだいに彼かれの健康けんこうと精神せいしんの上うえに影響えいきょうして来きたように見えみえ出しだしました。それには無論むろん養家ようかを出るでる出でないの蒼蠅さばえい問題もんだいも手伝ってつだっていたでしょう。彼かれは段々だんだん感傷的かんしょうてきになって来きたのです。時じによると、自分じぶんだけが世の中よのなかの不幸ふこうを一人ひとりで背負っせおって立ったっているような事ことをいいます。そうしてそれを打ち消せうちけせばすぐ激するげきするのです。それから自分じぶんの未来みらいに横たわるよこたわる光明こうみょうが、次第しだいに彼かれの眼めを遠退いとおのいて行くいくようにも思っおもって、いらいらするのです。学問がくもんをやり始めはじめた時じには、誰だれしも偉大いだいな抱負ほうふをもって、新しいあたらしい旅たびに上るのぼるのが常つねですが、一いち年ねんと立ちたち二に年ねんと過ぎすぎ、もう卒業そつぎょうも間近まぢかになると、急きゅうに自分じぶんの足あしの運びはこびの鈍いにぶいのに気きが付いついて、過半かはんはそこで失望しつぼうするのが当り前あたりまえになっていますから、Kの場合ばあいも同じおなじなのですが、彼かれの焦しょう慮りおもんぱかり方ほうはまた普通ふつうに比べるくらべると遥かはるかに甚しかっはなはだしかったのです。私わたくしはついに彼かれの気分きぶんを落ち付けるおちつけるのが専一せんいつだと考えかんがえました。 私わたくしは彼かれに向っむかって、余計よけいな仕事しごとをするのは止せよせといいました。そうして当分とうぶん身体しんたいを楽らくにして、遊ぶあそぶ方ほうが大きなおおきな将来しょうらいのために得策とくさくだと忠告ちゅうこくしました。剛つよし情なじょうなKの事ことですから、容易よういに私わたくしのいう事ことなどは聞くきくまいと、かねて予期よきしていたのですが、実際じっさいいい出しだして見るみると、思っおもったよりも説き落すときおとすのに骨ほねが折れおれたので弱りよわりました。Kはただ学問がくもんが自分じぶんの目的もくてきではないと主張しゅちょうするのです。意志いしの力ちからを養っやしなって強いつよい人ひとになるのが自分じぶんの考えかんがえだというのです。それにはなるべく窮屈きゅうくつな境遇きょうぐうにいなくてはならないと結論けつろんするのです。普通ふつうの人ひとから見れみれば、まるで酔興すいきょうです。その上うえ窮屈きゅうくつな境遇きょうぐうにいる彼かれの意志いしは、ちっとも強くつよくなっていないのです。彼かれはむしろ神経しんけい衰弱すいじゃくに罹っかかっているくらいなのです。私わたくしは仕方しかたがないから、彼かれに向っむかって至極しごく同感どうかんであるような様子ようすを見せみせました。自分じぶんもそういう点てんに向っむかって、人生じんせいを進むすすむつもりだったとついには明言めいげんしました。(もっともこれは私わたくしに取っとってまんざら空虚くうきょな言葉ことばでもなかったのです。Kの説せつを聞いきいていると、段々だんだんそういうところに釣り込まつりこまれて来るくるくらい、彼かれには力ちからがあったのですから)。最後さいごに私わたくしはKといっしょに住んすんで、いっしょに向上こうじょうの路みちを辿ったどって行きいきたいと発議はつぎしました。私わたくしは彼かれの剛つよし情じょうを折り曲げるおりまげるために、彼かれの前まえに跪くひざまずく事ことをあえてしたのです。そうして漸とやっとの事ことで彼かれを私わたくしの家いえに連れつれて来きました。
二十三にじゅうさん
「私わたくしの座敷ざしきには控えひかえの間まというような四よん畳たたみが付属ふぞくしていました。玄関げんかんを上がっあがって私わたくしのいる所ところへ通ろうとおろうとするには、ぜひこの四よん畳たたみを横切らよこぎらなければならないのだから、実用じつようの点てんから見るみると、至極しごく不便ふべんな室むろでした。私わたくしはここへKを入れいれたのです。もっとも最初さいしょは同じおなじ八はち畳たたみに二につ机つくえを並べならべて、次の間つぎのまを共有きょうゆうにして置くおく考えかんがえだったのですが、Kは狭苦しくせまくるしくっても一人ひとりでいる方ほうが好いよいといって、自分じぶんでそっちのほうを択んえらんだのです。 前まえにも話しはなした通りとおり、奥さんおくさんは私わたくしのこの所ところ置おけに対したいして始めはじめは不賛成ふさんせいだったのです。下宿屋げしゅくやならば、一人ひとりより二人ふたりが便利べんりだし、二人ふたりより三さん人ひとが得とくになるけれども、商売しょうばいでないのだから、なるべくなら止しよした方ほうが好いよいというのです。私わたくしが決してけっして世話せわの焼けるやける人ひとでないから構うかまうまいというと、世話せわは焼けやけないでも、気心きごころの知れしれない人ひとは厭いやだと答えるこたえるのです。それでは今いま厄介やっかいになっている私わたくしだって同じおなじ事ことではないかと詰るなじると、私わたくしの気心きごころは初めはじめからよく分っわかっていると弁解べんかいして已まやまないのです。私わたくしは苦笑くしょうしました。すると奥さんおくさんはまた理屈りくつの方向ほうこうを更さらえます。そんな人ひとを連れつれて来るくるのは、私わたくしのために悪いわるいから止せよせといい直しなおします。なぜ私わたくしのために悪いわるいかと聞くきくと、今度こんどは向うむこうで苦笑くしょうするのです。 実じつをいうと私わたくしだって強いつよいてKといっしょにいる必要ひつようはなかったのです。けれども月々つきづきの費用ひようを金きんの形かたちで彼かれの前まえに並べならべて見せるみせると、彼かれはきっとそれを受け取るうけとる時じに躊躇ちゅうちょするだろうと思っおもったのです。彼かれはそれほど独立心どくりつしんの強いつよい男おとこでした。だから私わたくしは彼かれを私わたくしの宅たくへ置いおいて、二人ふたり前まえの食料しょくりょうを彼かれの知らしらない間まにそっと奥さんおくさんの手てに渡そうわたそうとしたのです。しかし私わたくしはKの経済けいざい問題もんだいについて、一言ひとことも奥さんおくさんに打ち明けるうちあける気きはありませんでした。 私わたくしはただKの健康けんこうについて云々うんぬんしました。一人ひとりで置くおくとますます人間にんげんが偏屈へんくつになるばかりだからといいました。それに付け足しつけたして、Kが養家ようかと折合おりあわせの悪かっわるかった事ことや、実家じっかと離れはなれてしまった事ことや、色々いろいろ話しはなして聞かきかせました。私わたくしは溺れおぼれかかった人ひとを抱いいだいて、自分じぶんの熱ねつを向うむこうに移しうつしてやる覚悟かくごで、Kを引き取るひきとるのだと告げつげました。そのつもりであたたかい面倒めんどうを見みてやってくれと、奥さんおくさんにもお嬢さんおじょうさんにも頼みたのみました。私わたくしはここまで来きて漸々ぜんぜん奥さんおくさんを説き伏せときふせたのです。しかし私わたくしから何になんにも聞かきかないKは、この顛末てんまつをまるで知らしらずにいました。私わたくしもかえってそれを満足まんぞくに思っおもって、のっそり引き移っひきうつって来きたKを、知らしらん顔かおで迎えむかえました。 奥さんおくさんとお嬢さんおじょうさんは、親切しんせつに彼かれの荷物にもつを片付けるかたづける世話せわや何なんかをしてくれました。すべてそれを私わたくしに対するたいする好意こういから来きたのだと解釈かいしゃくした私わたくしは、心こころのうちで喜びよろこびました。――Kが相そう変らかわらずむっちりした様子ようすをしているにもかかわらず。 私わたくしがKに向っむかって新しいあたらしい住居じゅうきょの心持こころもちはどうだと聞いきいた時じに、彼かれはただ一言ひとこと悪くわるくないといっただけでした。私わたくしからいわせれば悪くわるくないどころではないのです。彼かれの今までいままでいた所ところは北向ききたむきの湿っぽいしめっぽい臭いくさいのする汚いきたない室むろでした。食物しょくもつも室むろ相応そうおうに粗末そまつでした。私わたくしの家いえへ引き移っひきうつった彼かれは、幽谷ゆうこくから喬木たかぎに移っうつった趣おもむきがあったくらいです。それをさほどに思うおもう気色けしきを見せみせないのは、一いちつは彼かれの強情ごうじょから来きているのですが、一いちつは彼かれの主張しゅちょうからも出でているのです。仏教ぶっきょうの教義きょうぎで養わやしなわれた彼かれは、衣食住いしょくじゅうについてとかくの贅沢ぜいたくをいうのをあたかも不道徳ふどうとくのように考えかんがえていました。なまじい昔むかしの高僧こうそうだとか聖徒せいとだとかの伝つてを読んよんだ彼かれには、ややともすると精神せいしんと肉体にくたいとを切り離しきりはなしたがる癖くせがありました。肉にくを鞭撻べんたつすれば霊れいの光輝こうきが増すますように感ずるかんずる場合ばあいさえあったのかも知れしれません。 私わたくしはなるべく彼かれに逆らわさからわない方針ほうしんを取りとりました。私わたくしは氷こおりを日向ひなたへ出しだして溶かすとかす工夫くふうをしたのです。今いまに融けとけて温かいあたたかい水みずになれば、自分じぶんで自分じぶんに気きが付くつく時機じきが来るくるに違いちがいないと思っおもったのです。
二十四にじゅうよん
「私わたくしは奥さんおくさんからそういう風かぜに取り扱わとりあつかわれた結果けっか、段々だんだん快活かいかつになって来きたのです。それを自覚じかくしていたから、同じおなじものを今度こんどはKの上うえに応用おうようしようと試みこころみたのです。Kと私わたくしとが性格せいかくの上うえにおいて、大分おおいた相違そういのある事ことは、長くながく交際こうさいって来きた私わたくしによく解っわかっていましたけれども、私わたくしの神経しんけいがこの家庭かていに入っはいってから多少たしょう角かくが取れとれたごとく、Kの心こころもここに置けおけばいつか沈ましずまる事ことがあるだろうと考えかんがえたのです。 Kは私わたくしより強いつよい決心けっしんを有しゆうしている男おとこでした。勉強べんきょうも私わたくしの倍ばいぐらいはしたでしょう。その上うえ持っもって生れうまれた頭あたまの質しつが私わたくしよりもずっとよかったのです。後あとでは専門せんもんが違いちがいましたから何なんともいえませんが、同じおなじ級きゅうにいる間まは、中学ちゅうがくでも高等学校こうとうがっこうでも、Kの方ほうが常つねに上席じょうせきを占めしめていました。私わたくしには平生へいぜいから何なんをしてもKに及ばおよばないという自覚じかくがあったくらいです。けれども私わたくしが強いつよいてKを私わたくしの宅たくへ引っ張っひっぱって来きた時じには、私わたくしの方ほうがよく事理じりを弁えわきまえていると信じしんじていました。私わたくしにいわせると、彼かれは我慢がまんと忍耐にんたいの区別くべつを了解りょうかいしていないように思わおもわれたのです。これはとくにあなたのために付け足しつけたしておきたいのですから聞いきいて下さいください。肉体にくたいなり精神せいしんなりすべて我々われわれの能力のうりょくは、外部がいぶの刺戟しげきで、発達はったつもするし、破壊はかいされもするでしょうが、どっちにしても刺戟しげきを段々だんだんに強くつよくする必要ひつようのあるのは無論むろんですから、よく考えかんがえないと、非常ひじょうに険悪けんあくな方向ほうこうへむいて進んすすんで行きいきながら、自分じぶんはもちろん傍そばのものも気きが付かつかずにいる恐れおそれが生じしょうじてきます。医者いしゃの説明せつめいを聞くきくと、人間にんげんの胃袋いぶくろほど横着おうちゃくなものはないそうです。粥かゆばかり食っしょくっていると、それ以上いじょうの堅いかたいものを消化しょうかす力ちからがいつの間まにかなくなってしまうのだそうです。だから何なんでも食うくう稽古けいこをしておけと医者いしゃはいうのです。けれどもこれはただ慣れるなれるという意味いみではなかろうと思いおもいます。次第しだいに刺戟しげきを増すますに従っしたがって、次第しだいに営養えいよう機能きのうの抵抗力ていこうりょくが強くつよくなるという意味いみでなくてはなりますまい。もし反対はんたいに胃いの力ちからの方ほうがじりじり弱っよわって行っいったなら結果けっかはどうなるだろうと想像そうぞうしてみればすぐ解るわかる事ことです。Kは私わたくしより偉大いだいな男おとこでしたけれども、全くまったくここに気きが付いついていなかったのです。ただ困難こんなんに慣れなれてしまえば、しまいにその困難こんなんは何なんでもなくなるものだと極めきわめていたらしいのです。艱苦かんくを繰り返せくりかえせば、繰り返すくりかえすというだけの功徳くどくで、その艱苦かんくが気きにかからなくなる時機じきに邂逅かいこうえるものと信じしんじ切っきっていたらしいのです。 私わたくしはKを説くとくときに、ぜひそこを明らかあきらかにしてやりたかったのです。しかしいえばきっと反抗はんこうされるに極っきょくっていました。また昔むかしの人ひとの例れいなどを、引合ひきあいに持っもって来るくるに違いちがいないと思いおもいました。そうなれば私わたくしだって、その人ひとたちとKと違っちがっている点てんを明白めいはくに述べのべなければならなくなります。それを首肯しゅこうってくれるようなKならいいのですけれども、彼かれの性質せいしつとして、議論ぎろんがそこまでゆくと容易よういに後あとへは返りかえりません。なお先さきへ出でます。そうして、口くちで先さきへ出でた通りとおりを、行為こういで実現じつげんしに掛りかかります。彼かれはこうなると恐るおそるべき男おとこでした。偉大いだいでした。自分じぶんで自分じぶんを破壊はかいしつつ進みすすみます。結果けっかから見れみれば、彼かれはただ自己じこの成功せいこうを打ち砕くうちくだく意味いみにおいて、偉大いだいなのに過ぎすぎないのですけれども、それでも決してけっして平凡へいぼんではありませんでした。彼かれの気性きしょうをよく知っしった私わたくしはついに何なんともいう事ことができなかったのです。その上うえ私わたくしから見るみると、彼かれは前まえにも述べのべた通りとおり、多少たしょう神経しんけい衰弱すいじゃくに罹っかかっていたように思わおもわれたのです。よし私わたくしが彼かれを説き伏せときふせたところで、彼かれは必ずかならず激するげきするに違いちがいないのです。私わたくしは彼かれと喧嘩けんかをする事ことは恐れおそれてはいませんでしたけれども、私わたくしが孤独こどくの感かんに堪えこらえなかった自分じぶんの境遇きょうぐうを顧みるかえりみると、親友しんゆうの彼かれを、同じおなじ孤独こどくの境遇きょうぐうに置くおくのは、私わたくしに取っとって忍びしのびない事ことでした。一歩いちほ進んすすんで、より孤独こどくな境遇きょうぐうに突き落すつきおとすのはなお厭いやでした。それで私わたくしは彼かれが宅たくへ引き移っひきうつってからも、当分とうぶんの間まは批評ひひょうがましい批評ひひょうを彼かれの上うえに加えくわえずにいました。ただ穏やかおだやかに周囲しゅういの彼かれに及ぼすおよぼす結果けっかを見るみる事ことにしたのです。
二十五にじゅうご
「私わたくしは蔭かげへ廻っまわって、奥さんおくさんとお嬢さんおじょうさんに、なるべくKと話はなしをするように頼みたのみました。私わたくしは彼かれのこれまで通っとおって来きた無言むごん生活せいかつが彼かれに祟ったたっているのだろうと信じしんじたからです。使わつかわない鉄てつが腐るくさるように、彼かれの心こころには錆さびが出でていたとしか、私わたくしには思わおもわれなかったのです。 奥さんおくさんは取り付きとりつき把わのない人ひとだといって笑っわらっていました。お嬢さんおじょうさんはまたわざわざその例れいを挙げあげて私わたくしに説明せつめいして聞かきかせるのです。火鉢ひばちに火ひがあるかと尋ねるたずねると、Kはないと答えるこたえるそうです。では持っもって来ようこようというと、要らいらないと断ることわるそうです。寒くさむくはないかと聞くきくと、寒いさむいけれども要らいらないんだといったぎり応対おうたいをしないのだそうです。私わたくしはただ苦笑くしょうしている訳わけにもゆきません。気の毒きのどくだから、何なんとかいってその場ばを取り繕っとりつくろっておかなければ済ますまなくなります。もっともそれは春はるの事ことですから、強いてしいて火ひにあたる必要ひつようもなかったのですが、これでは取り付きとりつき把わがないといわれるのも無理むりはないと思いおもいました。 それで私わたくしはなるべく、自分じぶんが中心ちゅうしんになって、女おんな二人ふたりとKとの連絡れんらくをはかるように力めりきめました。Kと私わたくしが話しはなしている所ところへ家いえの人ひとを呼ぶよぶとか、または家いえの人ひとと私わたくしが一いちつ室むろに落ち合っおちあった所ところへ、Kを引っ張りひっぱり出すだすとか、どっちでもその場合ばあいに応じおうじた方法ほうほうをとって、彼かれらを接近せっきんさせようとしたのです。もちろんKはそれをあまり好みこのみませんでした。ある時じはふいと起っおこって室むろの外そとへ出でました。またある時じはいくら呼んよんでもなかなか出でて来きませんでした。Kはあんな無駄話むだばなしをしてどこが面白いおもしろいというのです。私わたくしはただ笑っわらっていました。しかし心こころの中なかでは、Kがそのために私わたくしを軽蔑けいべつしていることがよく解りわかりました。 私わたくしはある意味いみから見みて実際じっさい彼かれの軽蔑けいべつに価あたいしていたかも知れしれません。彼かれの眼めの着けつけ所ところは私わたくしより遥かはるかに高いたかいところにあったともいわれるでしょう。私わたくしもそれを否みいなみはしません。しかし眼めだけ高くたかくって、外そとが釣り合わつりあわないのは手てもなく不具ふぐです。私わたくしは何なんを措いおいても、この際さい彼かれを人間にんげんらしくするのが専一せんいつだと考えかんがえたのです。いくら彼かれの頭あたまが偉いえらい人ひとの影像えいぞうで埋まっうまっていても、彼かれ自身じしんが偉くえらくなってゆかない以上いじょうは、何なんの役やくにも立たたたないという事ことを発見はっけんしたのです。私わたくしは彼かれを人間にんげんらしくする第だい一いちの手段しゅだんとして、まず異性いせいの傍そばに彼かれを坐らすわらせる方法ほうほうを講じこうじたのです。そうしてそこから出るでる空気くうきに彼かれを曝しさらした上うえ、錆び付きさびつきかかった彼かれの血液けつえきを新しくあたらしくしようと試みこころみたのです。 この試みこころみは次第しだいに成功せいこうしました。初めはじめのうち融合ゆうごうしにくいように見えみえたものが、段々だんだん一いちつに纏まっまとまって来き出しだしました。彼かれは自分じぶん以外いがいに世界せかいのある事ことを少しすこしずつ悟っさとってゆくようでした。彼かれはある日ひ私わたくしに向っむかって、女おんなはそう軽蔑けいべつすべきものでないというような事ことをいいました。Kははじめ女おんなからも、私わたくし同様どうようの知識ちしきと学問がくもんを要求ようきゅうしていたらしいのです。そうしてそれが見付からみつけからないと、すぐ軽蔑けいべつの念ねんを生じしょうじたものと思わおもわれます。今までいままでの彼かれは、性せいによって立場たちばを変えるかえる事ことを知らしらずに、同じおなじ視線しせんですべての男女だんじょを一様いちように観察かんさつしていたのです。私わたくしは彼かれに、もし我われら二人ふたりだけが男同志おとこどうしで永久えいきゅうに話はなしを交換こうかんしているならば、二人ふたりはただ直線ちょくせん的まとに先さきへ延びのびて行くいくに過ぎすぎないだろうといいました。彼かれはもっともだと答えこたえました。私わたくしはその時じお嬢さんおじょうさんの事ことで、多少たしょう夢中むちゅうになっている頃ころでしたから、自然しぜんそんな言葉ことばも使うつかうようになったのでしょう。しかし裏面りめんの消息しょうそくは彼かれには一口ひとくちも打ち明けうちあけませんでした。 今までいままで書物しょもつで城壁じょうへきをきずいてその中なかに立て籠ったてこもっていたようなKの心こころが、段々だんだん打ち解けうちとけて来るくるのを見みているのは、私わたくしに取っとって何なんよりも愉快ゆかいでした。私わたくしは最初さいしょからそうした目的もくてきで事ことをやり出しだしたのですから、自分じぶんの成功せいこうに伴うともなう喜悦きえつを感ぜかんぜずにはいられなかったのです。私わたくしは本人ほんにんにいわない代りかわりに、奥さんおくさんとお嬢さんおじょうさんに自分じぶんの思っおもった通りとおりを話しはなしました。二人ふたりも満足まんぞくの様子ようすでした。
二十六にじゅうろく
「Kと私わたくしは同じおなじ科かにおりながら、専攻せんこうの学問がくもんが違っちがっていましたから、自然しぜん出るでる時じや帰るかえる時じに遅速ちそくがありました。私わたくしの方ほうが早けれはやければ、ただ彼かれの空室くうしつを通り抜けるとおりぬけるだけですが、遅いおそいと簡単かんたんな挨拶あいさつをして自分じぶんの部屋へやへはいるのを例れいにしていました。Kはいつもの眼めを書物しょもつからはなして、襖ふすまを開けるあける私わたくしをちょっと見みます。そうしてきっと今いま帰っかえったのかといいます。私わたくしは何なんも答えこたえないで点頭くうなずく事こともありますし、あるいはただ「うん」と答えこたえて行きいき過ぎるすぎる場合ばあいもあります。
ある日ひ私わたくしは神田かんだに用ようがあって、帰りかえりがいつもよりずっと後れおくれました。
私わたくしは急ぎ足いそぎあしに門前もんぜんまで来きて、格子こうしをがらりと開けあけました。
それと同時どうじに、私わたくしはお嬢さんおじょうさんの声こえを聞いきいたのです。
声こえは慥かたしかにKの室むろから出でたと思いおもいました。
玄関げんかんから真直まっすぐに行けいけば、茶の間ちゃのま、お嬢さんおじょうさんの部屋へやと二につ続いつづいていて、それを左ひだりへ折れるおれると、Kの室むろ、私わたくしの室むろ、という間取まどりなのですから、どこで誰だれの声こえがしたくらいは、久しくひさしく厄介やっかいになっている私わたくしにはよく分るわかるのです。
私わたくしはすぐ格子こうしを締めしめました。
するとお嬢さんおじょうさんの声こえもすぐ已みやみました。
私わたくしが靴くつを脱いぬいでいるうち、――私わたくしはその時分じぶんからハイカラはいからで手数てすうのかかる編へん上うえを穿いはいていたのですが、――私わたくしがこごんでその靴紐くつひもを解いといているうち、Kの部屋へやでは誰だれの声こえもしませんでした。
私わたくしは変へんに思いおもいました。
ことによると、私わたくしの疳かん違いかも知れしれないと考えかんがえたのです。
しかし私わたくしがいつもの通りとおりKの室むろを抜けようぬけようとして、襖ふすまを開けるあけると、そこに二人ふたりはちゃんと坐っすわっていました。
Kは例れいの通りとおり今いま帰っかえったかといいました。
お嬢さんおじょうさんも「お帰りかえり」と坐っすわったままで挨拶あいさつしました。
私わたくしには気きのせいかその簡単かんたんな挨拶あいさつが少しすこし硬いかたいように聞こえきこえました。
どこかで自然しぜんを踏み外しふみはずしているような調子ちょうしとして、私わたくしの鼓膜こまくに響いひびいたのです。
私わたくしはお嬢さんおじょうさんに、奥さんおくさんはと尋ねたずねました。
私わたくしの質問しつもんには何なんの意味いみもありませんでした。
家いえのうちが平常へいじょうより何なんだかひっそりしていたから聞いきいて見みただけの事ことです。
奥さんおくさんははたして留守るすでした。
下女げじょも奥さんおくさんといっしょに出でたのでした。
だから家いえに残っのこっているのは、Kとお嬢さんおじょうさんだけだったのです。
私わたくしはちょっと首くびを傾けかたむけました。
今までいままで長いながい間ま世話せわになっていたけれども、奥さんおくさんがお嬢さんおじょうさんと私わたくしだけを置き去りおきざりにして、宅たくを空けあけた例れいはまだなかったのですから。
私わたくしは何なんか急用きゅうようでもできたのかとお嬢さんおじょうさんに聞き返しききかえしました。
お嬢さんおじょうさんはただ笑っわらっているのです。
私わたくしはこんな時じに笑うわらう女おんなが嫌いきらいでした。
若いわかい女おんなに共通きょうつうな点てんだといえばそれまでかも知れしれませんが、お嬢さんおじょうさんも下らしたらない事ことによく笑いわらいたがる女おんなでした。
しかしお嬢さんおじょうさんは私わたくしの顔色かおいろを見みて、すぐ不断ふだんの表情ひょうじょうに帰りかえりました。
急用きゅうようではないが、ちょっと用ようがあって出でたのだと真面目まじめに答えこたえました。
下宿人げしゅくにんの私わたくしにはそれ以上いじょう問い詰めるといつめる権利けんりはありません。
私わたくしは沈黙ちんもくしました。
私わたくしが着物きものを改めてあらためて席せきに着くつくか着かきかないうちに、奥さんおくさんも下女げじょも帰っかえって来きました。
やがて晩食ばんしょくの食卓しょくたくでみんなが顔かおを合わせるあわせる時刻じこくが来きました。
下宿げしゅくした当座とうざは万事ばんじ客扱いきゃくあつかいだったので、食事しょくじのたびに下女げじょが膳ぜんを運んはこんで来きてくれたのですが、それがいつの間まにか崩れくずれて、飯時めしどきには向うむこうへ呼ばよばれて行くいく習慣しゅうかんになっていたのです。
Kが新しくあたらしく引き移っひきうつった時じも、私わたくしが主張しゅちょうして彼かれを私わたくしと同じおなじように取り扱わとりあつかわせる事ことに極めきわめました。
その代りかわり私わたくしは薄いうすい板いたで造っつくった足あしの畳み込めるたたみこめる華奢きゃしゃな食卓しょくたくを奥さんおくさんに寄附きふしました。
今いまではどこの宅たくでも使っつかっているようですが、その頃ころそんな卓たくの周囲しゅういに並んならんで飯めしを食うくう家族かぞくはほとんどなかったのです。
私わたくしはわざわざ御茶の水おちゃのみずの家具屋かぐやへ行っいって、私わたくしの工夫くふう通りとおりにそれを造り上げつくりあげさせたのです。
私わたくしはその卓上たくじょうで奥さんおくさんからその日ひいつもの時刻じこくに肴屋さかなやが来きなかったので、私たちわたくしたちに食わくわせるものを買いかいに町まちへ行かいかなければならなかったのだという説明せつめいを聞かさきかされました。
なるほど客きゃくを置いおいている以上いじょう、それももっともな事ことだと私わたくしが考えかんがえた時じ、お嬢さんおじょうさんは私わたくしの顔かおを見みてまた笑いわらい出しだしました。
しかし今度こんどは奥さんおくさんに叱らしかられてすぐ已めやめました。
二十七にじゅうなな
「一いち週間しゅうかんばかりして私わたくしはまたKとお嬢さんおじょうさんがいっしょに話しはなしている室むろを通り抜けとおりぬけました。その時じお嬢さんおじょうさんは私わたくしの顔かおを見るみるや否いなや笑いわらい出しだしました。私わたくしはすぐ何なんがおかしいのかと聞けきけばよかったのでしょう。それをつい黙っだまって自分じぶんの居間いままで来きてしまったのです。だからKもいつものように、今いま帰っかえったかと声こえを掛けるかける事ことができなくなりました。お嬢さんおじょうさんはすぐ障子しょうじを開けあけて茶の間ちゃのまへ入っはいったようでした。 夕飯ゆうはんの時じ、お嬢さんおじょうさんは私わたくしを変へんな人ひとだといいました。私わたくしはその時じもなぜ変へんなのか聞かきかずにしまいました。ただ奥さんおくさんが睨めるにらめるような眼めをお嬢さんおじょうさんに向けるむけるのに気きが付いついただけでした。 私わたくしは食後しょくごKを散歩さんぽに連れ出しつれだしました。二人ふたりは伝つて通院つういんの裏手うらてから植物園しょくぶつえんの通りとおりをぐるりと廻っまわってまた富坂ふさかの下したへ出でました。散歩さんぽとしては短いみじかい方ほうではありませんでしたが、その間まに話しはなした事ことは極めてきわめて少なかっすくなかったのです。性質せいしつからいうと、Kは私わたくしよりも無口むくちな男おとこでした。私わたくしも多弁たべんな方ほうではなかったのです。しかし私わたくしは歩きあるきながら、できるだけ話はなしを彼かれに仕掛けしかけてみました。私わたくしの問題もんだいはおもに二人ふたりの下宿げしゅくしている家族かぞくについてでした。私わたくしは奥さんおくさんやお嬢さんおじょうさんを彼かれがどう見みているか知りしりたかったのです。ところが彼かれは海うみのものとも山やまのものとも見分けみわけの付かつかないような返事へんじばかりするのです。しかもその返事へんじは要領ようりょうを得とくないくせに、極めてきわめて簡単かんたんでした。彼かれは二人ふたりの女おんなに関しかんしてよりも、専攻せんこうの学科がっかの方ほうに多くおおくの注意ちゅういを払っはらっているように見えみえました。もっともそれは二に学年がくねん目めの試験しけんが目めの前まえに逼っせまっている頃ころでしたから、普通ふつうの人間にんげんの立場たちばから見みて、彼かれの方ほうが学生がくせいらしい学生がくせいだったのでしょう。その上うえ彼かれはシュエデンボルグがどうだとかこうだとかいって、無学むがくな私わたくしを驚かおどろきかせました。 我々われわれが首尾しゅびよく試験しけんを済ましすましました時じ、二人ふたりとももう後あと一いち年ねんだといって奥さんおくさんは喜んよろこんでくれました。そういう奥さんおくさんの唯一ゆいいつの誇りほこりとも見みられるお嬢さんおじょうさんの卒業そつぎょうも、間まもなく来るくる順じゅんになっていたのです。Kは私わたくしに向っむかって、女おんなというものは何になんにも知らしらないで学校がっこうを出るでるのだといいました。Kはお嬢さんおじょうさんが学問がくもん以外いがいに稽古けいこしている縫針ぬいはりだの琴ことだの活花いけばなだのを、まるで眼中がんちゅうに置いおいていないようでした。私わたくしは彼かれの迂闊うかつを笑っわらってやりました。そうして女おんなの価値かちはそんな所ところにあるものでないという昔むかしの議論ぎろんをまた彼かれの前まえで繰り返しくりかえしました。彼かれは別段べつだん反駁はんばくもしませんでした。その代りかわりなるほどという様子ようすも見せみせませんでした。私わたくしにはそこが愉快ゆかいでした。彼かれのふんといったような調子ちょうしが、依然いぜんとして女おんなを軽蔑けいべつしているように見えみえたからです。女おんなの代表者だいひょうしゃとして私わたくしの知っしっているお嬢さんおじょうさんを、物の数もののかずとも思っおもっていないらしかったからです。今いまから回顧かいこすると、私わたくしのKに対するたいする嫉妬しっとは、その時じにもう充分じゅうぶん萌しきざしていたのです。 私わたくしは夏休みなつやすみにどこかへ行こういこうかとKに相談そうだんしました。Kは行きいきたくないような口くち振ぶりを見せみせました。無論むろん彼かれは自分じぶんの自由じゆう意志いしでどこへも行けるいける身体しんたいではありませんが、私わたくしが誘いさそいさえすれば、またどこへ行っいっても差支えさしつかえない身体しんたいだったのです。私わたくしはなぜ行きいきたくないのかと彼かれに尋ねたずねてみました。彼かれは理由りゆうも何になんにもないというのです。宅たくで書物しょもつを読んよんだ方ほうが自分じぶんの勝手かってだというのです。私わたくしが避暑地ひしょちへ行っいって涼しいすずしい所ところで勉強べんきょうした方ほうが、身体しんたいのためだと主張しゅちょうすると、それなら私わたくし一人ひとり行っいったらよかろうというのです。しかし私わたくしはK一人ひとりをここに残しのこして行くいく気きにはなれないのです。私わたくしはただでさえKと宅たくのものが段々だんだん親しくしたしくなって行くいくのを見みているのが、余りあまり好いよい心持こころもちではなかったのです。私わたくしが最初さいしょ希望きぼうした通りとおりになるのが、何なんで私わたくしの心持こころもちを悪くわるくするのかといわれればそれまでです。私わたくしは馬鹿ばかに違いちがいないのです。果しはてしのつかない二人ふたりの議論ぎろんを見るみるに見みかねて奥さんおくさんが仲なかへ入りいりました。二人ふたりはとうとういっしょに房州ぼうしゅうへ行くいく事ことになりました。
二十八にじゅうはち
「Kはあまり旅たびへ出でない男おとこでした。私わたくしにも房州ぼうしゅうは始めはじめてでした。二人ふたりは何になんにも知らしらないで、船ふねが一番いちばん先さきへ着いついた所ところから上陸じょうりくしたのです。たしか保田やすだとかいいました。今いまではどんなに変っかわっているか知りしりませんが、その頃ころはひどい漁村ぎょそんでした。第一だいいちどこもかしこも腥いなまぐさいのです。それから海うみへ入るはいると、波なみに押し倒さおしたおされて、すぐ手てだの足あしだのを擦り剥くすりむくのです。拳こぶしのような大きなおおきな石いしが打ち寄せるうちよせる波なみに揉まもまれて、始終しじゅうごろごろしているのです。 私わたくしはすぐ厭いやになりました。しかしKは好いよいとも悪いわるいともいいません。少なくすくなくとも顔付かおつきだけは平気へいきなものでした。そのくせ彼かれは海うみへ入るはいるたんびにどこかに怪我けがをしない事ことはなかったのです。私わたくしはとうとう彼かれを説き伏せときふせて、そこから富浦とみうらに行きいきました。富浦とみうらからまた那古なこに移りうつりました。すべてこの沿岸えんがんはその時分じぶんから重じゅうに学生がくせいの集まるあつまる所ところでしたから、どこでも我々われわれにはちょうど手頃てごろの海水浴場かいすいよくじょうだったのです。Kと私わたくしはよく海岸かいがんの岩いわの上うえに坐っすわって、遠いとおい海うみの色いろや、近いちかい水みずの底そこを眺めながめました。岩いわの上うえから見下すみくだす水みずは、また特別とくべつに綺麗きれいなものでした。赤いあかい色いろだの藍あいの色いろだの、普通ふつう市場しじょうに上らのぼらないような色いろをした小魚こざかなが、透き通るすきとおる波なみの中なかをあちらこちらと泳いえいいでいるのが鮮やかあざやかに指ささゆびさされました。 私わたくしはそこに坐っすわって、よく書物しょもつをひろげました。Kは何なんもせずに黙っだまっている方ほうが多かっおおかったのです。私わたくしにはそれが考えかんがえに耽っふけっているのか、景色けしきに見惚れみとれているのか、もしくは好きすきな想像そうぞうを描いえがいているのか、全くまったく解らわからなかったのです。私わたくしは時々ときどき眼めを上げあげて、Kに何なんをしているのだと聞きききました。Kは何なんもしていないと一口ひとくち答えるこたえるだけでした。私わたくしは自分じぶんの傍そばにこうじっとして坐っすわっているものが、Kでなくって、お嬢さんおじょうさんだったらさぞ愉快ゆかいだろうと思うおもう事ことがよくありました。それだけならまだいいのですが、時じにはKの方ほうでも私わたくしと同じおなじような希望きぼうを抱いいだいて岩いわの上うえに坐っすわっているのではないかしらと忽然こつぜん疑いうたがい出すだすのです。すると落ち付いおちついてそこに書物しょもつをひろげているのが急きゅうに厭いやになります。私わたくしは不意ふいに立ち上りたちあがります。そうして遠慮えんりょのない大きなおおきな声こえを出しだして怒鳴りどなります。纏まっまとまった詩しだの歌うただのを面白おもしろそうに吟ずるぎんずるような手緩いてぬりい事ことはできないのです。ただ野蛮やばん人ひとのごとくにわめくのです。ある時じ私わたくしは突然とつぜん彼かれの襟頸えりくびを後ろうしろからぐいと攫みつかみました。こうして海うみの中なかへ突き落しつきおとしたらどうするといってKに聞きききました。Kは動きうごきませんでした。後ろ向きうしろむきのまま、ちょうど好いよい、やってくれと答えこたえました。私わたくしはすぐ首筋くびすじを抑えおさえた手てを放しはなしました。 Kの神経しんけい衰弱すいじゃくはこの時じもう大分おおいたよくなっていたらしいのです。それと反比例はんひれいに、私わたくしの方ほうは段々だんだん過敏かびんになって来きていたのです。私わたくしは自分じぶんより落ち付いおちついているKを見みて、羨ましうらやましがりました。また憎らしにくらしがりました。彼かれはどうしても私わたくしに取り合うとりあう気色けしきを見せみせなかったからです。私わたくしにはそれが一種いっしゅの自信じしんのごとく映りうつりました。しかしその自信じしんを彼かれに認めみとめたところで、私わたくしは決してけっして満足まんぞくできなかったのです。私わたくしの疑いうたがいはもう一いち歩あゆみ前まえへ出でて、その性質せいしつを明らめあきらめたがりました。彼かれは学問がくもんなり事業じぎょうなりについて、これから自分じぶんの進んすすんで行くいくべき前途ぜんとの光明こうみょうを再びふたたび取り返しとりかえした心持こころもちになったのだろうか。単にたんにそれだけならば、Kと私わたくしとの利害りがいに何なんの衝突しょうとつの起るおこる訳わけはないのです。私わたくしはかえって世話せわのし甲斐かいがあったのを嬉しくうれしく思うおもうくらいなものです。けれども彼かれの安心あんしんがもしお嬢さんおじょうさんに対したいしてであるとすれば、私わたくしは決してけっして彼かれを許すゆるす事ことができなくなるのです。不思議ふしぎにも彼かれは私わたくしのお嬢さんおじょうさんを愛しあいしている素もと振ぶりに全くまったく気きが付いついていないように見えみえました。無論むろん私わたくしもそれがKの眼めに付くつくようにわざとらしくは振舞いふるまいませんでしたけれども。Kは元来がんらいそういう点てんにかけると鈍いにぶい人ひとなのです。私わたくしには最初さいしょからKなら大丈夫だいじょうぶという安心あんしんがあったので、彼かれをわざわざ宅たくへ連れつれて来きたのです。
二十九にじゅうきゅう
「私わたくしは思い切っおもいきって自分じぶんの心こころをKに打ち明けよううちあけようとしました。もっともこれはその時じに始まっはじまった訳わけでもなかったのです。旅たびに出でない前まえから、私わたくしにはそうした腹はらができていたのですけれども、打ち明けるうちあける機会きかいをつらまえる事ことも、その機会きかいを作り出すつくりだす事ことも、私わたくしの手際てぎわでは旨くうまくゆかなかったのです。今いまから思うおもうと、その頃ころ私わたくしの周囲しゅういにいた人間にんげんはみんな妙みょうでした。女おんなに関しかんして立ち入ったちいった話はなしなどをするものは一人ひとりもありませんでした。中なかには話すはなす種しゅをもたないのも大分おおいたいたでしょうが、たといもっていても黙っだまっているのが普通ふつうのようでした。比較的ひかくてき自由じゆうな空気くうきを呼吸こきゅうしている今いまのあなたがたから見みたら、定めしさだめし変へんに思わおもわれるでしょう。それが道学どうがくの余習よしゅうなのか、または一種いっしゅのはにかみなのか、判断はんだんはあなたの理解りかいに任せまかせておきます。 Kと私わたくしは何なんでも話し合えるはなしあえる中なかでした。偶にたまには愛あいとか恋こいとかいう問題もんだいも、口くちに上らのぼらないではありませんでしたが、いつでも抽象的ちゅうしょうてきな理論りろんに落ちおちてしまうだけでした。それも滅多めったには話題わだいにならなかったのです。大抵たいていは書物しょもつの話はなしと学問がくもんの話はなしと、未来みらいの事業じぎょうと、抱負ほうふと、修養しゅうようの話はなしぐらいで持ちもち切っきっていたのです。いくら親しくしたしくってもこう堅くかたくなった日ひには、突然とつぜん調子ちょうしを崩せるくずせるものではありません。二人ふたりはただ堅いかたいなりに親しくしたしくなるだけです。私わたくしはお嬢さんおじょうさんの事ことをKに打ち明けよううちあけようと思い立っおもいたってから、何なん遍へん歯がゆいはがゆい不快ふかいに悩まさなやまされたか知れしれません。私わたくしはKの頭あたまのどこか一いちカ所かしょを突き破っつきやぶって、そこから柔らかいやわらかい空気くうきを吹き込んふきこんでやりたい気きがしました。 あなたがたから見みて笑止千万しょうしせんばんな事こともその時じの私わたくしには実際じっさい大おお困難こんなんだったのです。私わたくしは旅先たびさきでも宅たくにいた時じと同じおなじように卑怯ひきょうでした。私わたくしは始終しじゅう機会きかいを捕えるとらえる気きでKを観察かんさつしていながら、変へんに高踏こうとう的まとな彼かれの態度たいどをどうする事こともできなかったのです。私わたくしにいわせると、彼かれの心臓しんぞうの周囲しゅういは黒いくろい漆うるしで重くおもく塗り固めぬりかためられたのも同然どうぜんでした。私わたくしの注ぎそそぎ懸けようかけようとする血潮ちしおは、一いち滴しずくもその心臓しんぞうの中なかへは入らはいらないで、悉くことごとく弾き返さはじきかえされてしまうのです。 或るある時じはあまりKの様子ようすが強くつよくて高いたかいので、私わたくしはかえって安心あんしんした事こともあります。そうして自分じぶんの疑いうたがいを腹はらの中なかで後悔こうかいすると共ともに、同じおなじ腹はらの中なかで、Kに詫びわびました。詫びわびながら自分じぶんが非常ひじょうに下等したとうな人間にんげんのように見えみえて、急きゅうに厭いやな心持こころもちになるのです。しかし少時しょうじすると、以前いぜんの疑いうたがいがまた逆戻りぎゃくもどりをして、強くつよく打ち返しうちかえして来きます。すべてが疑いうたがいから割り出さわりだされるのですから、すべてが私わたくしには不利益ふりえきでした。容貌ようぼうもKの方ほうが女おんなに好かよしみかれるように見えみえました。性質せいしつも私わたくしのようにこせこせしていないところが、異性いせいには気きに入るはいるだろうと思わおもわれました。どこか間まが抜けぬけていて、それでどこかに確かたしかりした男おとこらしいところのある点てんも、私わたくしよりは優勢ゆうせいに見えみえました。学力がくりょくになれば専門せんもんこそ違いちがいますが、私わたくしは無論むろんKの敵てきでないと自覚じかくしていました。――すべて向うむこうの好いよいところだけがこう一度いちどに眼め先さきへ散らつきちらつき出すだすと、ちょっと安心あんしんした私わたくしはすぐ元もとの不安ふあんに立ち返るたちかえるのです。 Kは落ち付かおちつかない私わたくしの様子ようすを見みて、厭いやならひとまず東京とうきょうへ帰っかえってもいいといったのですが、そういわれると、私わたくしは急きゅうに帰りかえりたくなくなりました。実じつはKを東京とうきょうへ帰しかえしたくなかったのかも知れしれません。二人ふたりは房州ぼうしゅうの鼻はなを廻っまわって向う側むこうがわへ出でました。我々われわれは暑いあつい日ひに射いられながら、苦しいくるしい思いおもいをして、上総かずさのそこ一いち里さとに騙さだまされながら、うんうん歩きあるきました。私わたくしにはそうして歩いあるいている意味いみがまるで解らわからなかったくらいです。私わたくしは冗談じょうだん半分はんぶんKにそういいました。するとKは足あしがあるから歩くあるくのだと答えこたえました。そうして暑くあつくなると、海うみに入っはいって行こういこうといって、どこでも構わかまわず潮しおへ漬つけりました。その後そのあとをまた強いつよい日ひで照り付けてりつけられるのですから、身体しんたいが倦怠けんたいくてぐたぐたになりました。
三十さんじゅう
「こんな風かぜにして歩いあるいていると、暑さあつさと疲労ひろうとで自然しぜん身体しんたいの調子ちょうしが狂っくるって来るくるものです。もっとも病気びょうきとは違いちがいます。急きゅうに他ほかの身体しんたいの中なかへ、自分じぶんの霊魂れいこんが宿やど替かえをしたような気分きぶんになるのです。私わたくしは平生へいぜいの通りとおりKと口くちを利きききながら、どこかで平生へいぜいの心持こころもちと離れるはなれるようになりました。彼かれに対するたいする親しみしたしみも憎しみにくしみも、旅中りょちゅう限りかぎりという特別とくべつな性質せいしつを帯びるおびる風かぜになったのです。つまり二人ふたりは暑さあつさのため、潮しおのため、また歩行ほこうのため、在来ざいらいと異なっことなった新しいあたらしい関係かんけいに入るはいる事ことができたのでしょう。その時じの我々われわれはあたかも道づれみちづれになった行商ぎょうしょうのようなものでした。いくら話はなしをしてもいつもと違っちがって、頭あたまを使うつかう込み入っこみいった問題もんだいには触れふれませんでした。 我々われわれはこの調子ちょうしでとうとう銚子ちょうしまで行っいったのですが、道中どうちゅうたった一いちつの例外れいがいがあったのを今いまに忘れるわすれる事ことができないのです。まだ房州ぼうしゅうを離れはなれない前まえ、二人ふたりは小湊こみなとという所ところで、鯛たいの浦うらを見物けんぶつしました。もう年数ねんすうもよほど経っきょうっていますし、それに私わたくしにはそれほど興味きょうみのない事ことですから、判然はんぜんとは覚えおぼえていませんが、何なんでもそこは日蓮にちれんの生れうまれた村むらだとかいう話はなしでした。日蓮にちれんの生れうまれた日ひに、鯛たいが二に尾お磯いそに打ち上げうちあげられていたとかいう言伝えいいつたえになっているのです。それ以来いらい村むらの漁師りょうしが鯛たいをとる事ことを遠慮えんりょして今いまに至っいたったのだから、浦うらには鯛たいが沢山たくさんいるのです。我々われわれは小舟こぶねを傭っやとって、その鯛たいをわざわざ見みに出掛けでかけたのです。 その時じ私わたくしはただ一いち図ずに波なみを見みていました。そうしてその波なみの中なかに動くうごく少しすこし紫むらさきがかった鯛たいの色いろを、面白いおもしろい現象げんしょうの一いちつとして飽かあかず眺めながめました。しかしKは私わたくしほどそれに興味きょうみをもち得とくなかったものとみえます。彼かれは鯛たいよりもかえって日蓮にちれんの方ほうを頭あたまの中なかで想像そうぞうしていたらしいのです。ちょうどそこに誕生寺たんじょうじという寺てらがありました。日蓮にちれんの生れうまれた村むらだから誕生寺たんじょうじとでも名なを付けつけたものでしょう、立派りっぱな伽藍がらんでした。Kはその寺てらに行っいって住持じゅうじに会っかいってみるといい出しだしました。実じつをいうと、我々われわれはずいぶん変へんな服装ふくそうをしていたのです。ことにKは風かぜのために帽子ぼうしを海うみに吹き飛ばさふきとばされた結果けっか、菅笠すががさを買っかって被っかぶっていました。着物きものは固よりもとより双方そうほうとも垢あかじみた上うえに汗あせで臭くくさくなっていました。私わたくしは坊ぼうさんなどに会うあうのは止そうよそうといいました。Kは強情ごうじょだから聞きききません。厭いやなら私わたくしだけ外そとに待っまっていろというのです。私わたくしは仕方しかたがないからいっしょに玄関げんかんにかかりましたが、心こころのうちではきっと断らことわられるに違いちがいないと思っおもっていました。ところが坊ぼうさんというものは案外あんがい丁寧ていねいなもので、広いひろい立派りっぱな座敷ざしきへ私たちわたくしたちを通しとおして、すぐ会っかいってくれました。その時分じぶんの私わたくしはKと大分おおいた考えかんがえが違っちがっていましたから、坊ぼうさんとKの談話だんわにそれほど耳みみを傾けるかたむける気きも起りおこりませんでしたが、Kはしきりに日蓮にちれんの事ことを聞いきいていたようです。日蓮にちれんは草くさ日蓮にちれんといわれるくらいで、草書そうしょが大変たいへん上手じょうずであったと坊ぼうさんがいった時じ、字じの拙いつたないKは、何なんだ下らしたらないという顔かおをしたのを私わたくしはまだ覚えおぼえています。Kはそんな事ことよりも、もっと深いぶかい意味いみの日蓮にちれんが知りしりたかったのでしょう。坊ぼうさんがその点てんでKを満足まんぞくさせたかどうかは疑問ぎもんですが、彼かれは寺てらの境内けいだいを出るでると、しきりに私わたくしに向っむかって日蓮にちれんの事ことを云々うんぬんし出しだしました。私わたくしは暑くあつくて草臥れくたびれて、それどころではありませんでしたから、ただ口くちの先さきで好いよい加減かげんな挨拶あいさつをしていました。それも面倒めんどうになってしまいには全くまったく黙っだまってしまったのです。 たしかその翌よくる晩ばんの事ことだと思いおもいますが、二人ふたりは宿やどへ着いついて飯めしを食っしょくって、もう寝ようねようという少しすこし前まえになってから、急きゅうにむずかしい問題もんだいを論じ合いろんじあい出しだしました。Kは昨日きのう自分じぶんの方ほうから話しかけはなしかけた日蓮にちれんの事ことについて、私わたくしが取り合わとりあわなかったのを、快くこころよく思っおもっていなかったのです。精神的せいしんてきに向上心こうじょうしんがないものは馬鹿ばかだといって、何なんだか私わたくしをさも軽薄けいはくもののようにやり込めるやりこめるのです。ところが私わたくしの胸むねにはお嬢さんおじょうさんの事ことが蟠っわだかまっていますから、彼かれの侮蔑ぶべつに近いちかい言葉ことばをただ笑っわらって受け取るうけとる訳わけにいきません。私わたくしは私わたくしで弁解べんかいを始めはじめたのです。
三十一さんじゅういち
「その時じ私わたくしはしきりに人間にんげんらしいという言葉ことばを使いつかいました。Kはこの人間にんげんらしいという言葉ことばのうちに、私わたくしが自分じぶんの弱点じゃくてんのすべてを隠しかくしているというのです。なるほど後あとから考えれかんがえれば、Kのいう通りとおりでした。しかし人間にんげんらしくない意味いみをKに納得なっとくさせるためにその言葉ことばを使いつかい出しだした私わたくしには、出立しゅったつ点てんがすでに反抗的はんこうてきでしたから、それを反省はんせいするような余裕よゆうはありません。私わたくしはなおの事こと自説じせつを主張しゅちょうしました。するとKが彼かれのどこをつらまえて人間にんげんらしくないというのかと私わたくしに聞くきくのです。私わたくしは彼かれに告げつげました。――君きみは人間にんげんらしいのだ。あるいは人間にんげんらし過ぎるすぎるかも知れしれないのだ。けれども口くちの先さきだけでは人間にんげんらしくないような事ことをいうのだ。また人間にんげんらしくないように振舞おうふるまおうとするのだ。 私わたくしがこういった時じ、彼かれはただ自分じぶんの修養しゅうようが足りたりないから、他ほかにはそう見えるみえるかも知れしれないと答えこたえただけで、一向いっこう私わたくしを反駁はんばくしようとしませんでした。私わたくしは張合いはりあいが抜けぬけたというよりも、かえって気の毒きのどくになりました。私わたくしはすぐ議論ぎろんをそこで切り上げきりあげました。彼かれの調子ちょうしもだんだん沈んしずんで来きました。もし私わたくしが彼かれの知っしっている通りとおり昔むかしの人ひとを知るしるならば、そんな攻撃こうげきはしないだろうといって悵然ちょうぜんとしていました。Kの口くちにした昔むかしの人ひととは、無論むろん英雄えいゆうでもなければ豪傑ごうけつでもないのです。霊れいのために肉にくを虐げしいたげたり、道みちのために体からだを鞭むちうったりしたいわゆる難行苦行なんぎょうくぎょうの人ひとを指すさすのです。Kは私わたくしに、彼かれがどのくらいそのために苦しんくるしんでいるか解らわからないのが、いかにも残念ざんねんだと明言めいげんしました。 Kと私わたくしとはそれぎり寝ねてしまいました。そうしてその翌る日あくるひからまた普通ふつうの行商ぎょうしょうの態度たいどに返っかえって、うんうん汗あせを流しながしながら歩きあるき出しだしたのです。しかし私わたくしは路々みちその晩ばんの事ことをひょいひょいと思い出しおもいだしました。私わたくしにはこの上うえもない好いよい機会きかいが与えあたえられたのに、知らしらない振りふりをしてなぜそれをやり過ごしやりすごしたのだろうという悔恨かいこんの念ねんが燃えもえたのです。私わたくしは人間にんげんらしいという抽象的ちゅうしょうてきな言葉ことばを用いるもちいる代りかわりに、もっと直截ちょくせつで簡単かんたんな話はなしをKに打ち明けうちあけてしまえば好かっよかったと思い出しおもいだしたのです。実じつをいうと、私わたくしがそんな言葉ことばを創造そうぞうしたのも、お嬢さんおじょうさんに対するたいする私わたくしの感情かんじょうが土台どだいになっていたのですから、事実じじつを蒸溜じょうりゅうして拵えこしらえた理論りろんなどをKの耳みみに吹き込むふきこむよりも、原はらの形かたちそのままを彼かれの眼めの前まえに露出ろしゅつした方ほうが、私わたくしにはたしかに利益りえきだったでしょう。私わたくしにそれができなかったのは、学問がくもんの交際こうさいが基調きちょうを構成こうせいしている二人ふたりの親しみしたしみに、自からみずから一種いっしゅの惰性だせいがあったため、思い切っおもいきってそれを突き破るつきやぶるだけの勇気ゆうきが私わたくしに欠けかけていたのだという事ことをここに自白じはくします。気取りきどり過ぎすぎたといっても、虚栄心きょえいしんが祟ったたったといっても同じおなじでしょうが、私わたくしのいう気取るきどるとか虚栄きょえいとかいう意味いみは、普通ふつうのとは少しすこし違いちがいます。それがあなたに通じつうじさえすれば、私わたくしは満足まんぞくなのです。 我々われわれは真黒まっくろになって東京とうきょうへ帰りかえりました。帰っかえった時じは私わたくしの気分きぶんがまた変っかわっていました。人間にんげんらしいとか、人間にんげんらしくないとかいう小理屈しょうりくつはほとんど頭あたまの中なかに残っのこっていませんでした。Kにも宗教家しゅうきょうからしい様子ようすが全くまったく見えみえなくなりました。おそらく彼かれの心こころのどこにも霊れいがどうの肉にくがどうのという問題もんだいは、その時じ宿っやどっていなかったでしょう。二人ふたりは異こと人種じんしゅのような顔かおをして、忙しいそがしそうに見えるみえる東京とうきょうをぐるぐる眺めながめました。それから両国りょうこくへ来きて、暑いあついのに軍鶏しゃもを食いくいました。Kはその勢いいきおいで小石川こいしかわまで歩いあるいて帰ろうかえろうというのです。体力たいりょくからいえばKよりも私わたくしの方ほうが強いつよいのですから、私わたくしはすぐ応じおうじました。 宅たくへ着いついた時じ、奥さんおくさんは二人ふたりの姿すがたを見みて驚きおどろきました。二人ふたりはただ色いろが黒くくろくなったばかりでなく、むやみに歩いあるいていたうちに大変たいへん瘠せやせてしまったのです。奥さんおくさんはそれでも丈夫じょうぶそうになったといって賞めほめてくれるのです。お嬢さんおじょうさんは奥さんおくさんの矛盾むじゅんがおかしいといってまた笑いわらい出しだしました。旅行りょこう前まえ時々ときどき腹はらの立ったった私わたくしも、その時じだけは愉快ゆかいな心持こころもちがしました。場合ばあいが場合ばあいなのと、久しぶりひさしぶりに聞いきいたせいでしょう。
三十二さんじゅうに
「それのみならず私わたくしはお嬢さんおじょうさんの態度たいどの少しすこし前まえと変っかわっているのに気きが付きつきました。久しぶりひさしぶりで旅たびから帰っかえった私たちわたくしたちが平生へいぜいの通りとおり落ち付くおちつくまでには、万事ばんじについて女おんなの手てが必要ひつようだったのですが、その世話せわをしてくれる奥さんおくさんはとにかく、お嬢さんおじょうさんがすべて私わたくしの方ほうを先さきにして、Kを後廻しあとまわしにするように見えみえたのです。それを露骨ろこつにやられては、私わたくしも迷惑めいわくしたかもしれません。場合ばあいによってはかえって不快ふかいの念ねんさえ起しおこしかねなかったろうと思うおもうのですが、お嬢さんおじょうさんの所作しょさはその点てんで甚だはなはだ要領ようりょうを得とくていたから、私わたくしは嬉しかっうれしかったのです。つまりお嬢さんおじょうさんは私わたくしだけに解るわかるように、持前もちまえの親切しんせつを余分よぶんに私わたくしの方ほうへ割りわり宛てあててくれたのです。だからKは別べつに厭いやな顔かおもせずに平気へいきでいました。私わたくしは心こころの中なかでひそかに彼かれに対するたいする※歌うたを奏しそうしました。 やがて夏なつも過ぎすぎて九きゅう月つきの中頃なかごろから我々われわれはまた学校がっこうの課業かぎょうに出席しゅっせきしなければならない事ことになりました。Kと私わたくしとは各自かくじの時間じかんの都合つごうで出入りでいりの刻限こくげんにまた遅速ちそくができてきました。私わたくしがKより後れおくれて帰るかえる時じは一いち週しゅうに三さん度どほどありましたが、いつ帰っかえってもお嬢さんおじょうさんの影かげをKの室むろに認めるみとめる事ことはないようになりました。Kは例れいの眼めを私わたくしの方ほうに向けむけて、「今いま帰っかえったのか」を規則きそくのごとく繰り返しくりかえしました。
私わたくしの会釈えしゃくもほとんど器械きかいのごとく簡単かんたんでかつ無意味むいみでした。
たしか十じゅう月つきの中頃なかごろと思いおもいます。
私わたくしは寝坊ねぼうをした結果けっか、日本にっぽん服ふくのまま急いいそいで学校がっこうへ出でた事ことがあります。
穿物も編へん上うえなどを結んむすんでいる時間じかんが惜しいおしいので、草履ぞうりを突っかけつっかけたなり飛び出しとびだしたのです。
その日ひは時間割じかんわりからいうと、Kよりも私わたくしの方ほうが先さきへ帰るかえるはずになっていました。
私わたくしは戻っもどって来るくると、そのつもりで玄関げんかんの格子こうしをがらりと開けあけたのです。
するといないと思っおもっていたKの声こえがひょいと聞こえきこえました。
同時どうじにお嬢さんおじょうさんの笑い声わらいごえが私わたくしの耳みみに響きひびきました。
私わたくしはいつものように手数てすうのかかる靴くつを穿いはいていないから、すぐ玄関げんかんに上がっあがって仕切しきりの襖ふすまを開けあけました。
私わたくしは例れいの通りとおり机つくえの前まえに坐っすわっているKを見みました。
しかしお嬢さんおじょうさんはもうそこにはいなかったのです。
私わたくしはあたかもKの室むろから逃れ出るのがれでるように去るさるその後姿うしろすがたをちらりと認めみとめただけでした。
私わたくしはKにどうして早くはやく帰っかえったのかと問いといました。
Kは心持こころもちが悪いわるいから休んやすんだのだと答えこたえました。
私わたくしが自分じぶんの室むろにはいってそのまま坐っすわっていると、間まもなくお嬢さんおじょうさんが茶ちゃを持っもって来きてくれました。
その時じお嬢さんおじょうさんは始めはじめてお帰りかえりといって私わたくしに挨拶あいさつをしました。
私わたくしは笑いわらいながらさっきはなぜ逃げにげたんですと聞けるきけるような捌けはけた男おとこではありません。
それでいて腹はらの中なかでは何なんだかその事ことが気きにかかるような人間にんげんだったのです。
お嬢さんおじょうさんはすぐ座ざを立ったって縁側えんがわ伝いつたいに向うむこうへ行っいってしまいました。
しかしKの室むろの前まえに立ち留まったちどまって、二言にごん三さん言げん内うちと外そととで話はなしをしていました。
それは先刻せんこくの続きつづきらしかったのですが、前まえを聞かきかない私わたくしにはまるで解りわかりませんでした。
そのうちお嬢さんおじょうさんの態度たいどがだんだん平気へいきになって来きました。
Kと私わたくしがいっしょに宅たくにいる時じでも、よくKの室むろの縁側えんがわへ来きて彼かれの名なを呼びよびました。
そうしてそこへ入っはいって、ゆっくりしていました。
無論むろん郵便ゆうびんを持っもって来るくる事こともあるし、洗濯物せんたくぶつを置いおいてゆく事こともあるのですから、そのくらいの交通こうつうは同じおなじ宅たくにいる二人ふたりの関係かんけい上うえ、当然とうぜんと見みなければならないのでしょうが、ぜひお嬢さんおじょうさんを専有せんゆうしたいという強烈きょうれつな一念いちねんに動かさうごかされている私わたくしには、どうしてもそれが当然とうぜん以上いじょうに見えみえたのです。
ある時じはお嬢さんおじょうさんがわざわざ私わたくしの室むろへ来るくるのを回避かいひして、Kの方ほうばかりへ行くいくように思わおもわれる事ことさえあったくらいです。
それならなぜKに宅たくを出でてもらわないのかとあなたは聞くきくでしょう。
しかしそうすれば私わたくしがKを無理むりに引張っひっぱって来きた主意しゅいが立たたたなくなるだけです。
私わたくしにはそれができないのです。
三十三さんじゅうさん
「十一じゅういち月つきの寒いさむい雨あめの降るふる日ひの事ことでした。私わたくしは外套がいとうを濡らしぬらして例れいの通りとおり蒟蒻こんにゃく閻魔えんまを抜けぬけて細いほそい坂路はんろを上っのぼって宅たくへ帰りかえりました。Kの室むろは空虚くうきょでしたけれども、火鉢ひばちには継ぎつぎたての火ひが暖かあたたかそうに燃えもえていました。私わたくしも冷たいつめたい手てを早くはやく赤いあかい炭すみの上うえに翳そうかざそうと思っおもって、急いいそいで自分じぶんの室むろの仕切りしきりを開けあけました。すると私わたくしの火鉢ひばちには冷たいつめたい灰はいが白くしろく残っのこっているだけで、火種ひだねさえ尽きつきているのです。私わたくしは急きゅうに不愉快ふゆかいになりました。 その時じ私わたくしの足音あしおとを聞いきいて出でて来きたのは、奥さんおくさんでした。奥さんおくさんは黙っだまって室むろの真中まなかに立ったっている私わたくしを見みて、気の毒きのどくそうに外套がいとうを脱がぬがせてくれたり、日本にっぽん服ふくを着せきせてくれたりしました。それから私わたくしが寒いさむいというのを聞いきいて、すぐ次の間つぎのまからKの火鉢ひばちを持っもって来きてくれました。私わたくしがKはもう帰っかえったのかと聞きききましたら、奥さんおくさんは帰っかえってまた出でたと答えこたえました。その日ひもKは私わたくしより後れおくれて帰るかえる時間割じかんわりだったのですから、私わたくしはどうした訳わけかと思いおもいました。奥さんおくさんは大方おおかた用事ようじでもできたのだろうといっていました。 私わたくしはしばらくそこに坐っすわったまま書見しょけんをしました。宅たくの中なかがしんと静まっしずまって、誰だれの話し声はなしごえも聞こえきこえないうちに、初冬しょとうの寒ささむさと佗びしわびしさとが、私わたくしの身体しんたいに食い込むくいこむような感じかんじがしました。私わたくしはすぐ書物しょもつを伏せふせて立ち上りたちあがりました。私わたくしはふと賑やかにぎやかな所ところへ行きいきたくなったのです。雨あめはやっと歇ったようですが、空そらはまだ冷たいつめたい鉛なまりのように重くおもく見えみえたので、私わたくしは用心ようじんのため、蛇の目じゃのめを肩かたに担いにないで、砲兵ほうへい工廠こうしょうの裏手うらての土塀どべいについて東ひがしへ坂さかを下りくだりました。その時分じぶんはまだ道路どうろの改正かいせいができない頃ころなので、坂さかの勾配こうばいが今いまよりもずっと急きゅうでした。道幅みちはばも狭くせまくて、ああ真直まっすぐではなかったのです。その上うえあの谷たにへ下りるおりると、南みなみが高いたかい建物たてもので塞がっふさがっているのと、放水ほうすいがよくないのとで、往来おうらいはどろどろでした。ことに細いほそい石橋いしばしを渡っわたって柳町やなぎまちの通りとおりへ出るでる間まが非道かっひどかったのです。足駄あしだでも長靴ながぐつでもむやみに歩くあるく訳わけにはゆきません。誰だれでも路みちの真中まなかに自然しぜんと細長くほそながく泥どろが掻き分けかきわけられた所ところを、後生こうせい大事だいじに辿ったどって行かいかなければならないのです。その幅はばは僅かわずか一いち、二に尺さししかないのですから、手てもなく往来おうらいに敷いしいてある帯おびの上うえを踏んふんで向うむこうへ越すこすのと同じおなじ事ことです。行くいく人ひとはみんな一列いちれつになってそろそろ通り抜けとおりぬけます。私わたくしはこの細ほそ帯おびの上うえで、はたりとKに出合いであいました。足あしの方ほうにばかり気きを取らとられていた私わたくしは、彼かれと向き合うむきあうまで、彼かれの存在そんざいにまるで気きが付かつかずにいたのです。私わたくしは不意ふいに自分じぶんの前まえが塞がっふさがったので偶然ぐうぜん眼めを上げあげた時じ、始めはじめてそこに立ったっているKを認めみとめたのです。私わたくしはKにどこへ行っいったのかと聞きききました。Kはちょっとそこまでといったぎりでした。彼かれの答えこたえはいつもの通りとおりふんという調子ちょうしでした。Kと私わたくしは細いほそい帯おびの上うえで身体しんたいを替かえせました。するとKのすぐ後ろうしろに一人ひとりの若いわかい女おんなが立ったっているのが見えみえました。近眼きんがんの私わたくしには、今までいままでそれがよく分らわからなかったのですが、Kをやり越しこした後あとで、その女おんなの顔かおを見るみると、それが宅たくのお嬢さんおじょうさんだったので、私わたくしは少なからすくなからず驚きおどろきました。お嬢さんおじょうさんは心持こころもち薄赤いうすあかい顔かおをして、私わたくしに挨拶あいさつをしました。その時分じぶんの束髪そくはつは今いまと違っちがって廂ひさしが出でていないのです、そうして頭あたまの真中まなかに蛇へびのようにぐるぐる巻きつけまきつけてあったものです。私わたくしはぼんやりお嬢さんおじょうさんの頭あたまを見みていましたが、次つぎの瞬間しゅんかんに、どっちか路みちを譲らゆずらなければならないのだという事ことに気きが付きつきました。私わたくしは思い切っおもいきってどろどろの中なかへ片足かたあし踏ん込みふんこみました。そうして比較的ひかくてき通りとおりやすい所ところを空けあけて、お嬢さんおじょうさんを渡しわたしてやりました。 それから柳町やなぎまちの通りとおりへ出でた私わたくしはどこへ行っいって好いよいか自分じぶんにも分らわからなくなりました。どこへ行っいっても面白くおもしろくないような心持こころもちがするのです。私わたくしは飛ひ泥どろの上がるあがるのも構わかまわずに、糠ぬかる海うみの中なかを自暴じぼうにどしどし歩きあるきました。それから直ぐすぐ宅たくへ帰っかえって来きました。
三十四さんじゅうよん
「私わたくしはKに向っむかってお嬢さんおじょうさんといっしょに出でたのかと聞きききました。Kはそうではないと答えこたえました。真砂町まさごちょうで偶然ぐうぜん出会っであったから連れ立っつれだって帰っかえって来きたのだと説明せつめいしました。私わたくしはそれ以上いじょうに立ち入ったちいった質問しつもんを控えひかえなければなりませんでした。しかし食事しょくじの時じ、またお嬢さんおじょうさんに向っむかって、同じおなじ問いといを掛けかけたくなりました。するとお嬢さんおじょうさんは私わたくしの嫌いきらいな例れいの笑いわらい方ほうをするのです。そうしてどこへ行っいったか中なかててみろとしまいにいうのです。その頃ころの私わたくしはまだ癇癪持ちかんしゃくもちでしたから、そう不真面目ふまじめに若いわかい女おんなから取り扱わとりあつかわれると腹はらが立ちたちました。ところがそこに気きの付くつくのは、同じおなじ食卓しょくたくに着いついているもののうちで奥さんおくさん一人ひとりだったのです。Kはむしろ平気へいきでした。お嬢さんおじょうさんの態度たいどになると、知っしってわざとやるのか、知らしらないで無邪気むじゃきにやるのか、そこの区別くべつがちょっと判然はんぜんしない点てんがありました。若いわかい女おんなとしてお嬢さんおじょうさんは思慮しりょに富んとんだ方ほうでしたけれども、その若いわかい女おんなに共通きょうつうな私わたくしの嫌いきらいなところも、あると思えおもえば思えおもえなくもなかったのです。そうしてその嫌いきらいなところは、Kが宅たくへ来きてから、始めはじめて私わたくしの眼めに着きつき出しだしたのです。私わたくしはそれをKに対するたいする私わたくしの嫉妬しっとに帰しかえしていいものか、または私わたくしに対するたいするお嬢さんおじょうさんの技巧ぎこうと見傚しみなしてしかるべきものか、ちょっと分別ぶんべつに迷いまよいました。私わたくしは今いまでも決してけっしてその時じの私わたくしの嫉妬心しっとしんを打ち消すうちけす気きはありません。私わたくしはたびたび繰り返しくりかえした通りとおり、愛あいの裏面りめんにこの感情かんじょうの働きはたらきを明らかあきらかに意識いしきしていたのですから。しかも傍そばのものから見るみると、ほとんど取るとるに足りたりない瑣事さじに、この感情かんじょうがきっと首くびを持ち上げもちあげたがるのでしたから。これは余事よじですが、こういう嫉妬しっとは愛あいの半面はんめんじゃないでしょうか。私わたくしは結婚けっこんしてから、この感情かんじょうがだんだん薄らいうすらいで行くいくのを自覚じかくしました。その代りかわり愛情あいじょうの方ほうも決してけっして元もとのように猛烈もうれつではないのです。 私わたくしはそれまで躊躇ちゅうちょしていた自分じぶんの心こころを、一いち思いおもいに相手あいての胸むねへ擲きたたき付けようつけようかと考え出しかんがえだしました。私わたくしの相手あいてというのはお嬢さんおじょうさんではありません、奥さんおくさんの事ことです。奥さんおくさんにお嬢さんおじょうさんを呉れくれろと明白めいはくな談判だんぱんを開こうひらこうかと考えかんがえたのです。しかしそう決心けっしんしながら、一いち日ひ一日いちにちと私わたくしは断行だんこうの日ひを延ばしのばして行っいったのです。そういうと私わたくしはいかにも優柔ゆうじゅうな男おとこのように見えみえます、また見えみえても構いかまいませんが、実際じっさい私わたくしの進みすすみかねたのは、意志いしの力ちからに不足ふそくがあったためではありません。Kの来きないうちは、他ほかの手てに乗るのるのが厭いやだという我慢がまんが私わたくしを抑え付けおさえつけて、一いち歩あゆみも動けうごけないようにしていました。Kの来きた後あとは、もしかするとお嬢さんおじょうさんがKの方ほうに意いがあるのではなかろうかという疑念ぎねんが絶えたえず私わたくしを制するせいするようになったのです。はたしてお嬢さんおじょうさんが私わたくしよりもKに心こころを傾けかたむけているならば、この恋こいは口くちへいい出すだす価値かちのないものと私わたくしは決心けっしんしていたのです。恥はじを掻かかかせられるのが辛いつらいなどというのとは少しすこし訳わけが違いちがいます。こっちでいくら思っおもっても、向うむこうが内心ないしん他ほかの人ひとに愛あいの眼めを注いそそいでいるならば、私わたくしはそんな女おんなといっしょになるのは厭いやなのです。世の中よのなかでは否応いやおうなしに自分じぶんの好いよいた女おんなを嫁よめに貰っもらって嬉しうれしがっている人ひともありますが、それは私たちわたくしたちよりよっぽど世間せけんずれのした男おとこか、さもなければ愛あいの心理しんりがよく呑み込めのみこめない鈍物どんぶつのする事ことと、当時とうじの私わたくしは考えかんがえていたのです。一度いちど貰っもらってしまえばどうかこうか落ち付くおちつくものだぐらいの哲理てつりでは、承知しょうちする事ことができないくらい私わたくしは熱しねっしていました。つまり私わたくしは極めてきわめて高尚こうしょうな愛あいの理論家りろんかだったのです。同時どうじにもっとも迂遠うえんな愛あいの実際じっさい家いえだったのです。 肝心かんじんのお嬢さんおじょうさんに、直接ちょくせつこの私わたくしというものを打ち明けるうちあける機会きかいも、長くながくいっしょにいるうちには時々ときどき出でて来きたのですが、私わたくしはわざとそれを避けさけました。日本にっぽんの習慣しゅうかんとして、そういう事ことは許さゆるされていないのだという自覚じかくが、その頃ころの私わたくしには強くつよくありました。しかし決してけっしてそればかりが私わたくしを束縛そくばくしたとはいえません。日本人にっぽんにん、ことに日本にっぽんの若いわかい女おんなは、そんな場合ばあいに、相手あいてに気兼きがねなく自分じぶんの思っおもった通りとおりを遠慮えんりょせずに口くちにするだけの勇気ゆうきに乏しいとぼしいものと私わたくしは見込んみこんでいたのです。
三十五さんじゅうご
「こんな訳わけで私わたくしはどちらの方面ほうめんへ向っむかっても進むすすむ事ことができずに立ち竦んたちすくんでいました。身体しんたいの悪いわるい時じに午睡ごすいなどをすると、眼めだけ覚めさめて周囲しゅういのものが判然はんぜん見えるみえるのに、どうしても手足てあしの動かうごかせない場合ばあいがありましょう。私わたくしは時じとしてああいう苦しみくるしみを人ひと知れしれず感じかんじたのです。 その内うち年ねんが暮れくれて春はるになりました。ある日ひ奥さんおくさんがKに歌留多かるたをやるから誰だれか友達ともだちを連れつれて来きないかといった事ことがあります。するとKはすぐ友達ともだちなぞは一人ひとりもないと答えこたえたので、奥さんおくさんは驚いおどろいてしまいました。なるほどKに友達ともだちというほどの友達ともだちは一人ひとりもなかったのです。往来おうらいで会っかいった時じ挨拶あいさつをするくらいのものは多少たしょうありましたが、それらだって決してけっして歌留多かるたなどを取るとる柄がらではなかったのです。奥さんおくさんはそれじゃ私わたくしの知っしったものでも呼んよんで来きたらどうかといい直しなおしましたが、私わたくしも生憎あいにくそんな陽気ようきな遊びあそびをする心持こころもちになれないので、好いよい加減かげんな生返事なまへんじをしたなり、打ちうちやっておきました。ところが晩ばんになってKと私わたくしはとうとうお嬢さんおじょうさんに引っ張りひっぱり出さだされてしまいました。客きゃくも誰だれも来きないのに、内々ないないの小しょう人数にんずうだけで取ろうとろうという歌留多かるたですからすこぶる静かしずかなものでした。その上うえこういう遊技ゆうぎをやり付けつけないKは、まるで懐手ふところでをしている人ひとと同様どうようでした。私わたくしはKに一体いったい百人一首ひゃくにんいちしゅの歌うたを知っしっているのかと尋ねたずねました。Kはよく知らしらないと答えこたえました。私わたくしの言葉ことばを聞いきいたお嬢さんおじょうさんは、大方おおかたKを軽蔑けいべつするとでも取っとったのでしょう。それから眼めに立つたつようにKの加勢かせいをし出しだしました。しまいには二人ふたりがほとんど組くみになって私わたくしに当るあたるという有様ありさまになって来きました。私わたくしは相手あいて次第しだいでは喧嘩けんかを始めはじめたかも知れしれなかったのです。幸いさいわいにKの態度たいどは少しすこしも最初さいしょと変りかわりませんでした。彼かれのどこにも得意とくいらしい様子ようすを認めみとめなかった私わたくしは、無事ぶじにその場ばを切り上げるきりあげる事ことができました。 それから二に、三さん日ひ経っきょうった後あとの事ことでしたろう、奥さんおくさんとお嬢さんおじょうさんは朝あさから市ヶ谷いちがやにいる親類しんるいの所ところへ行くいくといって宅たくを出でました。Kも私わたくしもまだ学校がっこうの始まらはじまらない頃ころでしたから、留守るす居い同様どうようあとに残っのこっていました。私わたくしは書物しょもつを読むよむのも散歩さんぽに出るでるのも厭いやだったので、ただ漠然ばくぜんと火鉢ひばちの縁えんに肱ひじを載せのせて凝とじっと顋あごを支えささえたなり考えかんがえていました。隣となりの室むろにいるKも一向いっこう音おとを立てたてませんでした。双方そうほうともいるのだかいないのだか分らわからないくらい静かしずかでした。もっともこういう事ことは、二人ふたりの間柄あいだがらとして別べつに珍しくめずらしくも何なんともなかったのですから、私わたくしは別段べつだんそれを気きにも留めとめませんでした。 十じゅう時じ頃ころになって、Kは不意ふいに仕切りしきりの襖ふすまを開けあけて私わたくしと顔かおを見合せみあわせました。彼かれは敷居しきいの上うえに立ったったまま、私わたくしに何なんを考えかんがえていると聞きききました。私わたくしはもとより何なんも考えかんがえていなかったのです。もし考えかんがえていたとすれば、いつもの通りとおりお嬢さんおじょうさんが問題もんだいだったかも知れしれません。そのお嬢さんおじょうさんには無論むろん奥さんおくさんも食っしょくっ付いついていますが、近頃ちかごろではK自身じしんが切り離すきりはなすべからざる人ひとのように、私わたくしの頭あたまの中なかをぐるぐる回っまわって、この問題もんだいを複雑ふくざつにしているのです。Kと顔かおを見合せみあわせた私わたくしは、今までいままで朧気おぼろきに彼かれを一種いっしゅの邪魔ものじゃまものの如くごとく意識いしきしていながら、明らかあきらかにそうと答えるこたえる訳わけにいかなかったのです。私わたくしは依然いぜんとして彼かれの顔かおを見みて黙っだまっていました。するとKの方ほうからつかつかと私わたくしの座敷ざしきへ入っはいって来きて、私わたくしのあたっている火鉢ひばちの前まえに坐りすわりました。私わたくしはすぐ両肱りょうひじを火鉢ひばちの縁えんから取り除けとりのぞけて、心持こころもちそれをKの方ほうへ押しやるおしやるようにしました。 Kはいつもに似合わにあわない話はなしを始めはじめました。奥さんおくさんとお嬢さんおじょうさんは市ヶ谷いちがやのどこへ行っいったのだろうというのです。私わたくしは大方おおかた叔母おばさんの所ところだろうと答えこたえました。Kはその叔母おばさんは何なんだとまた聞きききます。私わたくしはやはり軍人ぐんじんの細君さいくんだと教えおしえてやりました。すると女おんなの年始ねんしは大抵たいてい十五じゅうご日ひ過すぎだのに、なぜそんなに早くはやく出掛けでかけたのだろうと質問しつもんするのです。私わたくしはなぜだか知らしらないと挨拶あいさつするより外そとに仕方しかたがありませんでした。
三十六さんじゅうろく
「Kはなかなか奥さんおくさんとお嬢さんおじょうさんの話はなしを已めやめませんでした。しまいには私わたくしも答えこたえられないような立ち入ったちいった事ことまで聞くきくのです。私わたくしは面倒めんどうよりも不思議ふしぎの感かんに打たうたれました。以前いぜん私わたくしの方ほうから二人ふたりを問題もんだいにして話しかけはなしかけた時じの彼かれを思い出すおもいだすと、私わたくしはどうしても彼かれの調子ちょうしの変っかわっているところに気きが付かつかずにはいられないのです。私わたくしはとうとうなぜ今日きょうに限っかぎってそんな事ことばかりいうのかと彼かれに尋ねたずねました。その時じ彼かれは突然とつぜん黙りだまりました。しかし私わたくしは彼かれの結んむすんだ口元くちもとの肉にくが顫えるふるえるように動いうごいているのを注視ちゅうししました。彼かれは元来がんらい無口むくちな男おとこでした。平生へいぜいから何なんかいおうとすると、いう前まえによく口くちのあたりをもぐもぐさせる癖くせがありました。彼かれの唇くちびるがわざと彼かれの意志いしに反抗はんこうするように容易くたやすく開かひらかないところに、彼かれの言葉ことばの重みおもみも籠っこもっていたのでしょう。一旦いったん声こえが口くちを破っやぶって出るでるとなると、その声こえには普通ふつうの人ひとよりも倍ばいの強いつよい力ちからがありました。 彼かれの口元くちもとをちょっと眺めながめた時じ、私わたくしはまた何なんか出でて来るくるなとすぐ疳かん付いついたのですが、それがはたして何なんの準備じゅんびなのか、私わたくしの予覚よかくはまるでなかったのです。だから驚いおどろいたのです。彼かれの重々しいおもおもしい口くちから、彼かれのお嬢さんおじょうさんに対するたいする切ないせつない恋こいを打ち明けうちあけられた時じの私わたくしを想像そうぞうしてみて下さいください。私わたくしは彼かれの魔法まほう棒ぼうのために一度いちどに化石かせきされたようなものです。口くちをもぐもぐさせる働きはたらきさえ、私わたくしにはなくなってしまったのです。 その時じの私わたくしは恐ろしおそろしさの塊りかたまりといいましょうか、または苦しくるしさの塊りかたまりといいましょうか、何しろなにしろ一いちつの塊りかたまりでした。石いしか鉄てつのように頭あたまから足あしの先さきまでが急きゅうに固くかたくなったのです。呼吸こきゅうをする弾力性だんりょくせいさえ失わうしなわれたくらいに堅くかたくなったのです。幸いさいわいな事ことにその状態じょうたいは長くながく続きつづきませんでした。私わたくしは一瞬いっしゅん間まの後あとに、また人間にんげんらしい気分きぶんを取り戻しとりもどしました。そうして、すぐ失策しっさくったと思いおもいました。先さきを越さこされたなと思いおもいました。 しかしその先さきをどうしようという分別ぶんべつはまるで起りおこりません。恐らくおそらく起るおこるだけの余裕よゆうがなかったのでしょう。私わたくしは腋の下わきのしたから出るでる気味きみのわるい汗あせが襯衣に滲み透るしみとおるのを凝とじっと我慢がまんして動かうごかずにいました。Kはその間まいつもの通りとおり重いおもい口くちを切っきっては、ぽつりぽつりと自分じぶんの心こころを打ち明けうちあけてゆきます。私わたくしは苦しくくるしくって堪りたまりませんでした。おそらくその苦しくるしさは、大きなおおきな広告こうこくのように、私わたくしの顔かおの上うえに判然はんぜんりした字じで貼り付けはりつけられてあったろうと私わたくしは思うおもうのです。いくらKでもそこに気きの付かつかないはずはないのですが、彼かれはまた彼かれで、自分じぶんの事ことに一切いっさいを集中しゅうちゅうしているから、私わたくしの表情ひょうじょうなどに注意ちゅういする暇ひまがなかったのでしょう。彼かれの自白じはくは最初さいしょから最後さいごまで同じおなじ調子ちょうしで貫いつらぬいていました。重くおもくて鈍いにぶい代りかわりに、とても容易よういな事ことでは動かうごかせないという感じかんじを私わたくしに与えあたえたのです。私わたくしの心こころは半分はんぶんその自白じはくを聞いきいていながら、半分はんぶんどうしようどうしようという念ねんに絶えたえず掻き乱さかきみだされていましたから、細かいこまかい点てんになるとほとんど耳みみへ入らはいらないと同様どうようでしたが、それでも彼かれの口くちに出すだす言葉ことばの調子ちょうしだけは強くつよく胸むねに響きひびきました。そのために私わたくしは前まえいった苦痛くつうばかりでなく、ときには一種いっしゅの恐ろしおそろしさを感ずるかんずるようになったのです。つまり相手あいては自分じぶんより強いつよいのだという恐怖きょうふの念ねんが萌しきざし始めはじめたのです。 Kの話はなしが一通りひととおり済んすんだ時じ、私わたくしは何なんともいう事ことができませんでした。こっちも彼かれの前まえに同じおなじ意味いみの自白じはくをしたものだろうか、それとも打ち明けうちあけずにいる方ほうが得策とくさくだろうか、私わたくしはそんな利害りがいを考えかんがえて黙っだまっていたのではありません。ただ何事なにごともいえなかったのです。またいう気きにもならなかったのです。 午食ごしょくの時じ、Kと私わたくしは向い合せむかいあわせに席せきを占めしめました。下女げじょに給仕きゅうじをしてもらって、私わたくしはいつにない不味いまじい飯めしを済ますませました。二人ふたりは食事しょくじ中なかもほとんど口くちを利きききませんでした。奥さんおくさんとお嬢さんおじょうさんはいつ帰るかえるのだか分りわかりませんでした。
三十七さんじゅうなな
「二人ふたりは各自かくじの室むろに引き取っひきとったぎり顔かおを合わせあわせませんでした。Kの静かしずかな事ことは朝あさと同じおなじでした。私わたくしも凝とじっと考え込んかんがえこんでいました。 私わたくしは当然とうぜん自分じぶんの心こころをKに打ち明けるうちあけるべきはずだと思いおもいました。しかしそれにはもう時機じきが後れおくれてしまったという気きも起りおこりました。なぜ先刻せんこくKの言葉ことばを遮っさえぎって、こっちから逆襲ぎゃくしゅうしなかったのか、そこが非常ひじょうな手落ておちりのように見えみえて来きました。せめてKの後あとに続いつづいて、自分じぶんは自分じぶんの思うおもう通りとおりをその場ばで話しはなしてしまったら、まだ好かっよかったろうにとも考えかんがえました。Kの自白じはくに一段落いちだんらくが付いついた今いまとなって、こっちからまた同じおなじ事ことを切り出すきりだすのは、どう思案しあんしても変へんでした。私わたくしはこの不自然ふしぜんに打ち勝つうちかつ方法ほうほうを知らしらなかったのです。私わたくしの頭あたまは悔恨かいこんに揺られゆられてぐらぐらしました。 私わたくしはKが再びふたたび仕切りしきりの襖ふすまを開けあけて向うむこうから突進とっしんしてきてくれれば好いよいと思いおもいました。私わたくしにいわせれば、先刻せんこくはまるで不意ふい撃げきに会っかいったも同じおなじでした。私わたくしにはKに応ずるおうずる準備じゅんびも何なんもなかったのです。私わたくしは午前ごぜんに失っうしなったものを、今度こんどは取り戻そうとりもどそうという下心したごころを持っもっていました。それで時々ときどき眼めを上げあげて、襖ふすまを眺めながめました。しかしその襖ふすまはいつまで経っきょうっても開きひらきません。そうしてKは永久えいきゅうに静かしずかなのです。 その内うち私わたくしの頭あたまは段々だんだんこの静かしずかさに掻き乱さかきみだされるようになって来きました。Kは今いま襖ふすまの向うむこうで何なんを考えかんがえているだろうと思うおもうと、それが気きになって堪らたまらないのです。不断ふだんもこんな風かぜにお互いたがいが仕切しきり一いち枚ばいを間まに置いおいて黙り合っだまりあっている場合ばあいは始終しじゅうあったのですが、私わたくしはKが静かしずかであればあるほど、彼かれの存在そんざいを忘れるわすれるのが普通ふつうの状態じょうたいだったのですから、その時じの私わたくしはよほど調子ちょうしが狂っくるっていたものと見みなければなりません。それでいて私わたくしはこっちから進んすすんで襖ふすまを開けるあける事ことができなかったのです。一旦いったんいいそびれた私わたくしは、また向うむこうから働き掛けはたらきかけられる時機じきを待つまつより外そとに仕方しかたがなかったのです。 しまいに私わたくしは凝とじっとしておられなくなりました。無理むりに凝とじっとしていれば、Kの部屋へやへ飛び込みとびこみたくなるのです。私わたくしは仕方なししかたなしに立ったって縁側えんがわへ出でました。そこから茶の間ちゃのまへ来きて、何なんという目的もくてきもなく、鉄瓶てつびんの湯ゆを湯呑ゆのみに注ちゅうで一杯いちばい呑みのみました。それから玄関げんかんへ出でました。私わたくしはわざとKの室むろを回避かいひするようにして、こんな風かぜに自分じぶんを往来おうらいの真中まなかに見出しみだしたのです。私わたくしには無論むろんどこへ行くいくという的まともありません。ただ凝とじっとしていられないだけでした。それで方角ほうがくも何なんも構わかまわずに、正月しょうがつの町まちを、むやみに歩きあるき廻っまわったのです。私わたくしの頭あたまはいくら歩いあるいてもKの事ことでいっぱいになっていました。私わたくしもKを振い落すふるいおとす気きで歩き廻るあるきまわる訳わけではなかったのです。むしろ自分じぶんから進んすすんで彼かれの姿すがたを咀嚼そしゃくしながらうろついていたのです。 私わたくしには第だい一いちに彼かれが解しかいしがたい男おとこのように見えみえました。どうしてあんな事ことを突然とつぜん私わたくしに打ち明けうちあけたのか、またどうして打ち明けうちあけなければいられないほどに、彼かれの恋こいが募っつのって来きたのか、そうして平生へいぜいの彼かれはどこに吹き飛ばさふきとばされてしまったのか、すべて私わたくしには解しかいしにくい問題もんだいでした。私わたくしは彼かれの強いつよい事ことを知っしっていました。また彼かれの真面目まじめな事ことを知っしっていました。私わたくしはこれから私わたくしの取るとるべき態度たいどを決するけっする前まえに、彼かれについて聞かきかなければならない多くおおくをもっていると信じしんじました。同時どうじにこれからさき彼かれを相手あいてにするのが変へんに気味きみが悪かっわるかったのです。私わたくしは夢中むちゅうに町まちの中なかを歩きあるきながら、自分じぶんの室むろに凝とじっと坐っすわっている彼かれの容貌ようぼうを始終しじゅう眼めの前まえに描き出しえがきだしました。しかもいくら私わたくしが歩いあるいても彼かれを動かすうごかす事ことは到底とうていできないのだという声こえがどこかで聞こえるきこえるのです。つまり私わたくしには彼かれが一種いっしゅの魔物まもののように思えおもえたからでしょう。私わたくしは永久えいきゅう彼かれに祟らたたられたのではなかろうかという気きさえしました。 私わたくしが疲れつかれて宅たくへ帰っかえった時じ、彼かれの室むろは依然いぜんとして人気にんきのないように静かしずかでした。
三十八さんじゅうはち
「私わたくしが家いえへはいると間まもなく俥くるまの音おとが聞こえきこえました。今いまのように護謨ごむ輪わのない時分じぶんでしたから、がらがらいう厭いやな響きひびきがかなりの距離きょりでも耳みみに立つたつのです。車くるまはやがて門前もんぜんで留まりとまりました。 私わたくしが夕飯ゆうはんに呼び出さよびだされたのは、それから三十さんじゅう分ぶんばかり経っきょうった後あとの事ことでしたが、まだ奥さんおくさんとお嬢さんおじょうさんの晴着はれぎが脱ぎ棄てぬぎすてられたまま、次つぎの室むろを乱雑らんざつに彩っあやっていました。二人ふたりは遅くおそくなると私たちわたくしたちに済ますまないというので、飯めしの支度したくに間に合うまにあうように、急いいそいで帰っかえって来きたのだそうです。しかし奥さんおくさんの親切しんせつはKと私わたくしとに取っとってほとんど無効むこうも同じおなじ事ことでした。私わたくしは食卓しょくたくに坐りすわりながら、言葉ことばを惜しおしがる人ひとのように、素気ないそっけない挨拶あいさつばかりしていました。Kは私わたくしよりもなお寡言かげんでした。たまに親子おやこ連れんで外出がいしゅつした女おんな二人ふたりの気分きぶんが、また平生へいぜいよりは勝れすぐれて晴れやかはれやかだったので、我々われわれの態度たいどはなおの事こと眼めに付きつきます。奥さんおくさんは私わたくしにどうかしたのかと聞きききました。私わたくしは少しすこし心持こころもちが悪いわるいと答えこたえました。実際じっさい私わたくしは心持こころもちが悪かっわるかったのです。すると今度こんどはお嬢さんおじょうさんがKに同じおなじ問いといを掛けかけました。Kは私わたくしのように心持こころもちが悪いわるいとは答えこたえません。ただ口くちが利きききたくないからだといいました。お嬢さんおじょうさんはなぜ口くちが利きききたくないのかと追窮ついきゅうしました。私わたくしはその時じふと重たいおもたい瞼まぶたを上げあげてKの顔かおを見みました。私わたくしにはKが何なんと答えるこたえるだろうかという好奇心こうきしんがあったのです。Kの唇くちびるは例れいのように少しすこし顫えふるえていました。それが知らしらない人ひとから見るみると、まるで返事へんじに迷っまよっているとしか思わおもわれないのです。お嬢さんおじょうさんは笑いわらいながらまた何なんかむずかしい事ことを考えかんがえているのだろうといいました。Kの顔かおは心持こころもち薄赤くうすあかくなりました。 その晩ばん私わたくしはいつもより早くはやく床ゆかへ入りいりました。私わたくしが食事しょくじの時じ気分きぶんが悪いわるいといったのを気きにして、奥さんおくさんは十じゅう時じ頃ころ蕎麦湯そばゆを持っもって来きてくれました。しかし私わたくしの室むろはもう真暗まっくらでした。奥さんおくさんはおやおやといって、仕切りしきりの襖ふすまを細目さいもくに開けあけました。洋燈らんぷの光ひかりがKの机つくえから斜めななめにぼんやりと私わたくしの室むろに差し込みさしこみました。Kはまだ起きおきていたものとみえます。奥さんおくさんは枕元まくらもとに坐っすわって、大方おおかた風邪かぜを引いひいたのだろうから身体しんたいを暖だんためるがいいといって、湯呑ゆのみを顔かおの傍そばへ突き付けるつきつけるのです。私わたくしはやむをえず、どろどろした蕎麦湯そばゆを奥さんおくさんの見みている前まえで飲みのみました。 私わたくしは遅くおそくなるまで暗いくらいなかで考えかんがえていました。無論むろん一いちつ問題もんだいをぐるぐる廻転かいてんさせるだけで、外そとに何なんの効力こうりょくもなかったのです。私わたくしは突然とつぜんKが今いま隣りとなりの室むろで何なんをしているだろうと思い出しおもいだしました。私わたくしは半ばなかば無意識むいしきにおいと声こえを掛けかけました。すると向うむこうでもおいと返事へんじをしました。Kもまだ起きおきていたのです。私わたくしはまだ寝ねないのかと襖ごしふすまごしに聞きききました。もう寝るねるという簡単かんたんな挨拶あいさつがありました。何なんをしているのだと私わたくしは重ねかさねて問いといました。今度こんどはKの答えこたえがありません。その代りかわり五ご、六ろく分ぶん経っきょうったと思うおもう頃ころに、押入おしいれをがらりと開けあけて、床ゆかを延べるのべる音おとが手てに取るとるように聞こえきこえました。私わたくしはもう何時なんじかとまた尋ねたずねました。Kは一時いちじ二に十分じゅうふんだと答えこたえました。やがて洋燈らんぷをふっと吹き消すふきけす音おとがして、家いえ中なかが真暗まっくらなうちに、しんと静まりしずまりました。 しかし私わたくしの眼めはその暗いくらいなかでいよいよ冴えさえて来るくるばかりです。私わたくしはまた半ばなかば無意識むいしきな状態じょうたいで、おいとKに声こえを掛けかけました。Kも以前いぜんと同じおなじような調子ちょうしで、おいと答えこたえました。私わたくしは今朝けさ彼かれから聞いきいた事ことについて、もっと詳しいくわしい話はなしをしたいが、彼かれの都合つごうはどうだと、とうとうこっちから切り出しきりだしました。私わたくしは無論むろん襖ふすま越こしにそんな談話だんわを交換こうかんする気きはなかったのですが、Kの返答へんとうだけは即そく坐ざに得とくられる事ことと考えかんがえたのです。ところがKは先刻せんこくから二に度どおいと呼ばよばれて、二に度どおいと答えこたえたような素直すなおな調子ちょうしで、今度こんどは応じおうじません。そうだなあと低いひくい声こえで渋っしぶっています。私わたくしはまたはっと思わおもわせられました。
三十九さんじゅうきゅう
「Kの生返事なまへんじは翌日よくじつになっても、その翌日よくじつになっても、彼かれの態度たいどによく現われあらわれていました。彼かれは自分じぶんから進んすすんで例れいの問題もんだいに触れようふれようとする気色けしきを決しけっして見せみせませんでした。もっとも機会きかいもなかったのです。奥さんおくさんとお嬢さんおじょうさんが揃っそろって一いち日ひ宅たくを空けあけでもしなければ、二人ふたりはゆっくり落ち付いおちついて、そういう事ことを話し合うはなしあう訳わけにも行かいかないのですから。私わたくしはそれをよく心得こころえていました。心得こころえていながら、変へんにいらいらし出すだすのです。その結果けっか始めはじめは向うむこうから来るくるのを待つまつつもりで、暗にあんに用意よういをしていた私わたくしが、折おりがあったらこっちで口くちを切ろうきろうと決心けっしんするようになったのです。 同時どうじに私わたくしは黙っだまって家いえのものの様子ようすを観察かんさつして見みました。しかし奥さんおくさんの態度たいどにもお嬢さんおじょうさんの素もと振ぶりにも、別べつに平生へいぜいと変っかわった点てんはありませんでした。Kの自白じはく以前いぜんと自白じはく以後いごとで、彼かれらの挙動きょどうにこれという差違さいが生じしょうじないならば、彼かれの自白じはくは単にたんに私わたくしだけに限らかぎられた自白じはくで、肝心かんじんの本人ほんにんにも、またその監督者かんとくしゃたる奥さんおくさんにも、まだ通じつうじていないのは慥かたしかでした。そう考えかんがえた時じ私わたくしは少しすこし安心あんしんしました。それで無理むりに機会きかいを拵えこしらえて、わざとらしく話はなしを持ち出すもちだすよりは、自然しぜんの与えあたえてくれるものを取り逃さとりにがさないようにする方ほうが好かろうよかろうと思っおもって、例れいの問題もんだいにはしばらく手てを着けつけずにそっとしておく事ことにしました。 こういってしまえば大変たいへん簡単かんたんに聞こえきこえますが、そうした心こころの経過けいかには、潮しおの満干まんかんと同じおなじように、色々いろいろの高低こうていがあったのです。私わたくしはKの動かうごかない様子ようすを見みて、それにさまざまの意味いみを付け加えつけくわえました。奥さんおくさんとお嬢さんおじょうさんの言語げんご動作どうさを観察かんさつして、二人ふたりの心こころがはたしてそこに現われあらわれている通りとおりなのだろうかと疑っうたがってもみました。そうして人間にんげんの胸むねの中なかに装置そうちされた複雑ふくざつな器械きかいが、時計とけいの針はりのように、明瞭めいりょうに偽りいつわりなく、盤上ばんじょうの数字すうじを指しさし得るうるものだろうかと考えかんがえました。要するようするに私わたくしは同じおなじ事ことをこうも取りとり、ああも取りとりした揚句あげく、漸くようやくここに落ち付いおちついたものと思っおもって下さいください。更にさらにむずかしくいえば、落ち付くおちつくなどという言葉ことばは、この際さい決してけっして使わつかわれた義理ぎりでなかったのかも知れしれません。 その内うち学校がっこうがまた始まりはじまりました。私たちわたくしたちは時間じかんの同じおなじ日ひには連れ立っつれだって宅たくを出でます。都合つごうがよければ帰るかえる時じにもやはりいっしょに帰りかえりました。外部がいぶから見みたKと私わたくしは、何になんにも前まえと違っちがったところがないように親しくしたしくなったのです。けれども腹はらの中なかでは、各自かくじに各自かくじの事ことを勝手にかってに考えかんがえていたに違いちがいありません。ある日ひ私わたくしは突然とつぜん往来おうらいでKに肉薄にくはくしました。私わたくしが第だい一いちに聞いきいたのは、この間まの自白じはくが私わたくしだけに限らかぎられているか、または奥さんおくさんやお嬢さんおじょうさんにも通じつうじているかの点てんにあったのです。私わたくしのこれから取るとるべき態度たいどは、この問いといに対するたいする彼かれの答えこたえ次第しだいで極めきわめなければならないと、私わたくしは思っおもったのです。すると彼かれは外そとの人ひとにはまだ誰だれにも打ち明けうちあけていないと明言めいげんしました。私わたくしは事情じじょうが自分じぶんの推察すいさつ通りとおりだったので、内心ないしん嬉しうれしがりました。私わたくしはKの私わたくしより横着おうちゃくなのをよく知っしっていました。彼かれの度胸どきょうにも敵わかなわないという自覚じかくがあったのです。けれども一方いっぽうではまた妙みょうに彼かれを信じしんじていました。学資がくしの事ことで養家ようかを三さん年ねんも欺いあざむいていた彼かれですけれども、彼かれの信用しんようは私わたくしに対したいして少しすこしも損わそこなわれていなかったのです。私わたくしはそれがためにかえって彼かれを信じしんじ出しだしたくらいです。だからいくら疑い深いうたがいぶかい私わたくしでも、明白めいはくな彼かれの答えこたえを腹はらの中なかで否定ひていする気きは起りおこりようがなかったのです。 私わたくしはまた彼かれに向っむかって、彼かれの恋こいをどう取り扱うとりあつかうつもりかと尋ねたずねました。それが単なるたんなる自白じはくに過ぎすぎないのか、またはその自白じはくについで、実際的じっさいてきの効果こうかをも収めるおさめる気きなのかと問うとうたのです。しかるに彼かれはそこになると、何になんにも答えこたえません。黙っだまって下したを向いむかいて歩きあるき出しだします。私わたくしは彼かれに隠し立てかくしだてをしてくれるな、すべて思っおもった通りとおりを話しはなしてくれと頼みたのみました。彼かれは何なんも私わたくしに隠すかくす必要ひつようはないと判然はんぜん断言だんげんしました。しかし私わたくしの知ろうしろうとする点てんには、一言ひとことの返事へんじも与えあたえないのです。私わたくしも往来おうらいだからわざわざ立ち留まったちどまって底そこまで突き留めるつきとめる訳わけにいきません。ついそれなりにしてしまいました。
四十よんじゅう
「ある日ひ私わたくしは久しぶりひさしぶりに学校がっこうの図書館としょかんに入りいりました。私わたくしは広いひろい机つくえの片隅かたすみで窓まどから射すさす光線こうせんを半身はんしんに受けうけながら、新着しんちゃくの外国がいこく雑誌ざっしを、あちらこちらと引っ繰り返しひっくりかえして見みていました。私わたくしは担任たんにん教師きょうしから専攻せんこうの学科がっかに関しかんして、次つぎの週しゅうまでにある事項じこうを調べしらべて来いこいと命ぜめいぜられたのです。しかし私わたくしに必要ひつような事柄ことがらがなかなか見付からみつけからないので、私わたくしは二に度ども三さん度ども雑誌ざっしを借り替えかりかえなければなりませんでした。最後さいごに私わたくしはやっと自分じぶんに必要ひつような論文ろんぶんを探し出しさがしだして、一心いっしんにそれを読みよみ出しだしました。すると突然とつぜん幅はばの広いひろい机つくえの向う側むこうがわから小さなちいさな声こえで私わたくしの名なを呼ぶよぶものがあります。私わたくしはふと眼めを上げあげてそこに立ったっているKを見みました。Kはその上うえ半身はんしんを机つくえの上うえに折り曲げるおりまげるようにして、彼かれの顔かおを私わたくしに近付けちかづけました。ご承知ごしょうちの通りとおり図書館としょかんでは他ほかの人ひとの邪魔じゃまになるような大きなおおきな声こえで話はなしをする訳わけにゆかないのですから、Kのこの所作しょさは誰だれでもやる普通ふつうの事ことなのですが、私わたくしはその時じに限っかぎって、一種いっしゅ変へんな心持こころもちがしました。 Kは低いひくい声こえで勉強べんきょうかと聞きききました。私わたくしはちょっと調べしらべものがあるのだと答えこたえました。それでもKはまだその顔かおを私わたくしから放しはなしません。同じおなじ低いひくい調子ちょうしでいっしょに散歩さんぽをしないかというのです。私わたくしは少しすこし待っまっていればしてもいいと答えこたえました。彼かれは待っまっているといったまま、すぐ私わたくしの前まえの空席くうせきに腰こしをおろしました。すると私わたくしは気きが散っちって急きゅうに雑誌ざっしが読めよめなくなりました。何なんだかKの胸むねに一物いちぶつがあって、談判だんぱんでもしに来きられたように思わおもわれて仕方しかたがないのです。私わたくしはやむをえず読みかけよみかけた雑誌ざっしを伏せふせて、立ち上がろうたちあがろうとしました。Kは落ち付きおちつき払っはらってもう済んすんだのかと聞きききます。私わたくしはどうでもいいのだと答えこたえて、雑誌ざっしを返すかえすと共ともに、Kと図書館としょかんを出でました。 二人ふたりは別べつに行くいく所ところもなかったので、竜岡町りゅうおかちょうから池の端いけのはたへ出でて、上野うえのの公園こうえんの中なかへ入りいりました。その時じ彼かれは例れいの事件じけんについて、突然とつぜん向うむこうから口くちを切りきりました。前後ぜんごの様子ようすを綜合そうごうして考えるかんがえると、Kはそのために私わたくしをわざわざ散歩さんぽに引っ張りひっぱり出しだしたらしいのです。けれども彼かれの態度たいどはまだ実際的じっさいてきの方面ほうめんへ向っむかってちっとも進んすすんでいませんでした。彼かれは私わたくしに向っむかって、ただ漠然ばくぜんと、どう思うおもうというのです。どう思うおもうというのは、そうした恋愛れんあいの淵ふちに陥っおちいった彼かれを、どんな眼めで私わたくしが眺めるながめるかという質問しつもんなのです。一言ひとことでいうと、彼かれは現在げんざいの自分じぶんについて、私わたくしの批判ひはんを求めもとめたいようなのです。そこに私わたくしは彼かれの平生へいぜいと異なることなる点てんを確かたしかに認めるみとめる事ことができたと思いおもいました。たびたび繰り返すくりかえすようですが、彼かれの天性てんせいは他ほかの思わくおもわくを憚かるはばかるほど弱くよわくでき上っできあがってはいなかったのです。こうと信じしんじたら一人ひとりでどんどん進んすすんで行くいくだけの度胸どきょうもあり勇気ゆうきもある男おとこなのです。養家ようか事件じけんでその特色とくしょくを強くつよく胸むねの裏うらに彫り付けえりつけられた私わたくしが、これは様子ようすが違うちがうと明らかあきらかに意識いしきしたのは当然とうぜんの結果けっかなのです。 私わたくしがKに向っむかって、この際さい何なんんで私わたくしの批評ひひょうが必要ひつようなのかと尋ねたずねた時じ、彼かれはいつもにも似にない悄然しょうぜんとした口調くちょうで、自分じぶんの弱いよわい人間にんげんであるのが実際じっさい恥ずかしいはずかしいといいました。そうして迷っまよっているから自分じぶんで自分じぶんが分らわからなくなってしまったので、私わたくしに公平こうへいな批評ひひょうを求めるもとめるより外そとに仕方しかたがないといいました。私わたくしは隙すきかさず迷うまようという意味いみを聞き糺しききただしました。彼かれは進んすすんでいいか退いしりぞいていいか、それに迷うまようのだと説明せつめいしました。私わたくしはすぐ一いち歩あゆみ先さきへ出でました。そうして退こうしりぞこうと思えおもえば退けるしりぞけるのかと彼かれに聞きききました。すると彼かれの言葉ことばがそこで不意ふいに行き詰りいきづまりました。彼かれはただ苦しいくるしいといっただけでした。実際じっさい彼かれの表情ひょうじょうには苦しくるしそうなところがありありと見えみえていました。もし相手あいてがお嬢さんおじょうさんでなかったならば、私わたくしはどんなに彼かれに都合つごうのいい返事へんじを、その渇きかわき切っきった顔かおの上うえに慈雨じうの如くごとく注いそそいでやったか分りわかりません。私わたくしはそのくらいの美しいうつくしい同情どうじょうをもって生れうまれて来きた人間にんげんと自分じぶんながら信じしんじています。しかしその時じの私わたくしは違っちがっていました。
四十一よんじゅういち
「私わたくしはちょうど他流たりゅう試合しあいでもする人ひとのようにKを注意ちゅういして見みていたのです。私わたくしは、私わたくしの眼め、私わたくしの心こころ、私わたくしの身体しんたい、すべて私わたくしという名なの付くつくものを五ご分ぶんの隙間すきまもないように用意よういして、Kに向っむかったのです。罪つみのないKは穴あなだらけというよりむしろ明け放しあけはなしと評するひょうするのが適当てきとうなくらいに無用心むようじんでした。私わたくしは彼かれ自身じしんの手てから、彼かれの保管ほかんしている要塞ようさいの地図ちずを受け取っうけとって、彼かれの眼めの前まえでゆっくりそれを眺めるながめる事ことができたも同じおなじでした。 Kが理想りそうと現実げんじつの間まに彷徨ほうこうしてふらふらしているのを発見はっけんした私わたくしは、ただ一いち打だで彼かれを倒すたおす事ことができるだろうという点てんにばかり眼めを着けつけました。そうしてすぐ彼かれの虚うつろに付け込んつけこんだのです。私わたくしは彼かれに向っむかって急きゅうに厳粛げんしゅくな改まっあらたまった態度たいどを示ししめし出しだしました。無論むろん策略さくりゃくからですが、その態度たいどに相応そうおうするくらいな緊張きんちょうした気分きぶんもあったのですから、自分じぶんに滑稽こっけいだの羞恥しゅうちだのを感ずるかんずる余裕よゆうはありませんでした。私わたくしはまず「精神的せいしんてきに向上心こうじょうしんのないものは馬鹿ばかだ」といい放ちいいはなちました。
これは二人ふたりで房州ぼうしゅうを旅行りょこうしている際さい、Kが私わたくしに向っむかって使っつかった言葉ことばです。
私わたくしは彼かれの使っつかった通りとおりを、彼かれと同じおなじような口調くちょうで、再びふたたび彼かれに投げ返しなげかえしたのです。
しかし決してけっして復讐ふくしゅうではありません。
私わたくしは復讐ふくしゅう以上いじょうに残酷ざんこくな意味いみをもっていたという事ことを自白じはくします。
私わたくしはその一言ひとことでKの前まえに横たわるよこたわる恋こいの行手ぎょうてを塞ごうふさごうとしたのです。
Kは真宗しんしゅう寺てらに生れうまれた男おとこでした。
しかし彼かれの傾向けいこうは中学ちゅうがく時代じだいから決してけっして生家せいかの宗旨しゅうしに近いちかいものではなかったのです。
教義きょうぎ上うえの区別くべつをよく知らしらない私わたくしが、こんな事ことをいう資格しかくに乏しいとぼしいのは承知しょうちしていますが、私わたくしはただ男女だんじょに関係かんけいした点てんについてのみ、そう認めみとめていたのです。
Kは昔むかしから精進しょうじんという言葉ことばが好きすきでした。
私わたくしはその言葉ことばの中なかに、禁欲きんよくという意味いみも籠っこもっているのだろうと解釈かいしゃくしていました。
しかし後あとで実際じっさいを聞いきいて見るみると、それよりもまだ厳重げんじゅうな意味いみが含まふくまれているので、私わたくしは驚きおどろきました。
道みちのためにはすべてを犠牲ぎせいにすべきものだというのが彼かれの第だい一いち信条しんじょうなのですから、摂欲せつよくや禁欲きんよくは無論むろん、たとい欲よくを離れはなれた恋こいそのものでも道みちの妨害ぼうがいになるのです。
Kが自活じかつ生活せいかつをしている時分じぶんに、私わたくしはよく彼かれから彼かれの主張しゅちょうを聞かさきかされたのでした。
その頃ころからお嬢さんおじょうさんを思っおもっていた私わたくしは、勢いいきおいどうしても彼かれに反対はんたいしなければならなかったのです。
私わたくしが反対はんたいすると、彼かれはいつでも気の毒きのどくそうな顔かおをしました。
そこには同情どうじょうよりも侮蔑ぶべつの方ほうが余計よけいに現われあらわれていました。
こういう過去かこを二人ふたりの間まに通り抜けとおりぬけて来きているのですから、精神的せいしんてきに向上心こうじょうしんのないものは馬鹿ばかだという言葉ことばは、Kに取っとって痛いいたいに違いちがいなかったのです。
しかし前まえにもいった通りとおり、私わたくしはこの一言ひとことで、彼かれが折角せっかく積み上げつみあげた過去かこを蹴散らしけちらしたつもりではありません。
かえってそれを今までいままで通りとおり積み重ねつみかさねて行かいかせようとしたのです。
それが道みちに達したっしようが、天てんに届こうとどこうが、私わたくしは構いかまいません。
私わたくしはただKが急きゅうに生活せいかつの方向ほうこうを転換てんかんして、私わたくしの利害りがいと衝突しょうとつするのを恐れおそれたのです。
要するようするに私わたくしの言葉ことばは単なるたんなる利己心りこしんの発現はつげんでした。
「精神的せいしんてきに向上心こうじょうしんのないものは、馬鹿ばかだ」 私わたくしは二に度ど同じおなじ言葉ことばを繰り返しくりかえしました。
そうして、その言葉ことばがKの上うえにどう影響えいきょうするかを見詰めみつめていました。
「馬鹿ばかだ」とやがてKが答えこたえました。
「僕ぼくは馬鹿ばかだ」 Kはぴたりとそこへ立ち留まったちどまったまま動きうごきません。
彼かれは地面じめんの上うえを見詰めみつめています。
私わたくしは思わおもわずぎょっとしました。
私わたくしにはKがその刹那せつなに居直り強盗いなおりごうとうのごとく感ぜかんぜられたのです。
しかしそれにしては彼かれの声こえがいかにも力ちからに乏しいとぼしいという事ことに気きが付きつきました。
私わたくしは彼かれの眼め遣いつかいを参考さんこうにしたかったのですが、彼かれは最後さいごまで私わたくしの顔かおを見みないのです。
そうして、徐々じょじょとまた歩きあるき出しだしました。
四十二よんじゅうに
「私わたくしはKと並んならんで足あしを運ばはこばせながら、彼かれの口くちを出るでる次つぎの言葉ことばを腹はらの中なかで暗にあんに待ち受けまちうけました。あるいは待ち伏せまちぶせといった方ほうがまだ適当てきとうかも知れしれません。その時じの私わたくしはたといKを騙しだまし打ちうちにしても構わかまわないくらいに思っおもっていたのです。しかし私わたくしにも教育きょういく相当そうとうの良心りょうしんはありますから、もし誰だれか私わたくしの傍そばへ来きて、お前おまえは卑怯ひきょうだと一言ひとこと私語しごいてくれるものがあったなら、私わたくしはその瞬間しゅんかんに、はっと我われに立ち帰ったちかえったかも知れしれません。もしKがその人ひとであったなら、私わたくしはおそらく彼かれの前まえに赤面せきめんしたでしょう。ただKは私わたくしを窘めるたしなめるには余りあまりに正直しょうじきでした。余りあまりに単純たんじゅんでした。余りあまりに人格じんかくが善良ぜんりょうだったのです。目めのくらんだ私わたくしは、そこに敬意けいいを払うはらう事ことを忘れわすれて、かえってそこに付け込んつけこんだのです。そこを利用りようして彼かれを打ち倒そううちたおそうとしたのです。 Kはしばらくして、私わたくしの名なを呼んよんで私わたくしの方ほうを見みました。今度こんどは私わたくしの方ほうで自然しぜんと足あしを留めとめました。するとKも留まりとまりました。私わたくしはその時じやっとKの眼めを真向まっこうに見るみる事ことができたのです。Kは私わたくしより背せの高いたかい男おとこでしたから、私わたくしは勢いいきおい彼かれの顔かおを見上げるみあげるようにしなければなりません。私わたくしはそうした態度たいどで、狼おおかみのごとき心こころを罪つみのない羊ひつじに向けむけたのです。 「もうその話はなしは止めようとめよう」と彼かれがいいました。
彼かれの眼めにも彼かれの言葉ことばにも変へんに悲痛ひつうなところがありました。
私わたくしはちょっと挨拶あいさつができなかったのです。
するとKは、「止めとめてくれ」と今度こんどは頼むたのむようにいい直しなおしました。
私わたくしはその時じ彼かれに向っむかって残酷ざんこくな答こたえを与えあたえたのです。
狼おおかみが隙すきを見みて羊ひつじの咽のど喉笛のどぶえへ食い付くくいつくように。
「止めとめてくれって、僕ぼくがいい出しだした事ことじゃない、もともと君きみの方ほうから持ち出しもちだした話はなしじゃないか。しかし君きみが止めとめたければ、止めとめてもいいが、ただ口くちの先さきで止めとめたって仕方しかたがあるまい。君きみの心こころでそれを止めるとめるだけの覚悟かくごがなければ。一体いったい君きみは君きみの平生へいぜいの主張しゅちょうをどうするつもりなのか」 私わたくしがこういった時じ、背せの高いたかい彼かれは自然しぜんと私わたくしの前まえに萎縮いしゅくして小さくちいさくなるような感じかんじがしました。
彼かれはいつも話すはなす通りとおり頗るすこぶる強情ごうじょな男おとこでしたけれども、一方いっぽうではまた人ひと一いち倍ばいの正直しょうじき者ものでしたから、自分じぶんの矛盾むじゅんなどをひどく非難ひなんされる場合ばあいには、決してけっして平気へいきでいられない質しつだったのです。
私わたくしは彼かれの様子ようすを見みてようやく安心あんしんしました。
すると彼かれは卒然そつぜん「覚悟かくご?」と聞きききました。
そうして私わたくしがまだ何なんとも答えこたえない先さきに「覚悟かくご、――覚悟かくごならない事こともない」と付け加えつけくわえました。
彼かれの調子ちょうしは独言どくげんのようでした。
また夢ゆめの中なかの言葉ことばのようでした。
二人ふたりはそれぎり話はなしを切り上げきりあげて、小石川こいしかわの宿やどの方ほうに足あしを向けむけました。
割合わりあいに風かぜのない暖かあたたかな日ひでしたけれども、何しろなにしろ冬ふゆの事ことですから、公園こうえんのなかは淋しいさびしいものでした。
ことに霜しもに打たうたれて蒼味あおみを失っうしなった杉すぎの木立こだちの茶褐色ちゃかっしょくが、薄黒いうすぐろい空そらの中なかに、梢こずえを並べならべて聳えそびえているのを振り返っふりかえって見みた時じは、寒ささむさが背中せなかへ噛り付いかじりついたような心持こころもちがしました。
我々われわれは夕暮ゆうぐれの本郷台ほんごうだいを急ぎ足いそぎあしでどしどし通り抜けとおりぬけて、また向うむこうの岡おかへ上るのぼるべく小石川こいしかわの谷たにへ下りくだりたのです。
私わたくしはその頃ころになって、ようやく外套がいとうの下したに体からだの温おん味あじを感じかんじ出しだしたぐらいです。
急いいそいだためでもありましょうが、我々われわれは帰り路かえりみちにはほとんど口くちを聞きききませんでした。
宅たくへ帰っかえって食卓しょくたくに向っむかった時じ、奥さんおくさんはどうして遅くおそくなったのかと尋ねたずねました。
私わたくしはKに誘わさそわれて上野うえのへ行っいったと答えこたえました。
奥さんおくさんはこの寒いさむいのにといって驚いおどろいた様子ようすを見せみせました。
お嬢さんおじょうさんは上野うえのに何なんがあったのかと聞きききたがります。
私わたくしは何なんもないが、ただ散歩さんぽしたのだという返事へんじだけしておきました。
平生へいぜいから無口むくちなKは、いつもよりなお黙っだまっていました。
奥さんおくさんが話しかけはなしかけても、お嬢さんおじょうさんが笑っわらっても、碌なろくな挨拶あいさつはしませんでした。
それから飯めしを呑み込むのみこむように掻き込んかきこんで、私わたくしがまだ席せきを立たたたないうちに、自分じぶんの室むろへ引き取りひきとりました。
四十三よんじゅうさん
「その頃ころは覚醒かくせいとか新しいあたらしい生活せいかつとかいう文字もじのまだない時分じぶんでした。しかしKが古いふるい自分じぶんをさらりと投げ出しなげだして、一意いちいに新しいあたらしい方角ほうがくへ走りはしり出さださなかったのは、現代人げんだいにんの考えかんがえが彼かれに欠けかけていたからではないのです。彼かれには投げ出すなげだす事ことのできないほど尊いとうとい過去かこがあったからです。彼かれはそのために今日きょうまで生きいきて来きたといってもいいくらいなのです。だからKが一直線いちちょくせんに愛あいの目的物もくてきぶつに向っむかって猛進もうしんしないといって、決してけっしてその愛あいの生温いなまぬりい事ことを証拠しょうこ立てるたてる訳わけにはゆきません。いくら熾烈しれつな感情かんじょうが燃えもえていても、彼かれはむやみに動けうごけないのです。前後ぜんごを忘れるわすれるほどの衝動しょうどうが起るおこる機会きかいを彼かれに与えあたえない以上いじょう、Kはどうしてもちょっと踏み留まっふみとどまって自分じぶんの過去かこを振り返らふりかえらなければならなかったのです。そうすると過去かこが指し示すさししめす路みちを今までいままで通りとおり歩かふかなければならなくなるのです。その上うえ彼かれには現代人げんだいにんのもたない強情ごうじょと我慢がまんがありました。私わたくしはこの双方そうほうの点てんにおいてよく彼かれの心こころを見抜いみぬいていたつもりなのです。 上野うえのから帰っかえった晩ばんは、私わたくしに取っとって比較的ひかくてき安静あんせいな夜よるでした。私わたくしはKが室むろへ引き上げひきあげたあとを追い懸けおいかけて、彼かれの机つくえの傍そばに坐り込みすわりこみました。そうして取り留めとりとめもない世間せけん話はなしをわざと彼かれに仕向けしむけました。彼かれは迷惑めいわくそうでした。私わたくしの眼めには勝利しょうりの色いろが多少たしょう輝いかがやいていたでしょう、私わたくしの声こえにはたしかに得意とくいの響きひびきがあったのです。私わたくしはしばらくKと一いちつ火鉢ひばちに手てを翳しかざした後あと、自分じぶんの室むろに帰りかえりました。外そとの事ことにかけては何なんをしても彼かれに及ばおよばなかった私わたくしも、その時じだけは恐るるおそるるに足りたりないという自覚じかくを彼かれに対したいしてもっていたのです。 私わたくしはほどなく穏やかおだやかな眠りねむりに落ちおちました。しかし突然とつぜん私わたくしの名なを呼ぶよぶ声こえで眼めを覚ましさましました。見るみると、間まの襖ふすまが二に尺さしばかり開いひらいて、そこにKの黒いくろい影かげが立ったっています。そうして彼かれの室むろには宵よいの通りとおりまだ燈火とうかが点いついているのです。急きゅうに世界せかいの変っかわった私わたくしは、少しすこしの間口まぐちを利くきく事こともできずに、ぼうっとして、その光景こうけいを眺めながめていました。 その時じKはもう寝ねたのかと聞きききました。Kはいつでも遅くおそくまで起きおきている男おとこでした。私わたくしは黒いくろい影法師かげほうしのようなKに向っむかって、何なんか用ようかと聞き返しききかえしました。Kは大したたいした用ようでもない、ただもう寝ねたか、まだ起きおきているかと思っおもって、便所べんじょへ行っいったついでに聞いきいてみただけだと答えこたえました。Kは洋燈らんぷの灯あかりを背中せなかに受けうけているので、彼かれの顔色かおいろや眼つきめつきは、全くまったく私わたくしには分りわかりませんでした。けれども彼かれの声こえは不断ふだんよりもかえって落ち付いおちついていたくらいでした。 Kはやがて開けあけた襖ふすまをぴたりと立てたて切りきりました。私わたくしの室むろはすぐ元もとの暗闇くらやみに帰りかえりました。私わたくしはその暗闇くらやみより静かしずかな夢ゆめを見るみるべくまた眼めを閉じとじました。私わたくしはそれぎり何なんも知りしりません。しかし翌朝よくあさになって、昨夕さくゆうの事ことを考えかんがえてみると、何なんだか不思議ふしぎでした。私わたくしはことによると、すべてが夢ゆめではないかと思いおもいました。それで飯めしを食うくう時じ、Kに聞きききました。Kはたしかに襖ふすまを開けあけて私わたくしの名なを呼んよんだといいます。なぜそんな事ことをしたのかと尋ねるたずねると、別べつに判然はんぜんした返事へんじもしません。調子ちょうしの抜けぬけた頃ころになって、近頃ちかごろは熟睡じゅくすいができるのかとかえって向うむこうから私わたくしに問うとうのです。私わたくしは何なんだか変へんに感じかんじました。 その日ひちょうど同じおなじ時間じかんに講義こうぎの始まるはじまる時間割じかんわりになっていたので、二人ふたりはやがていっしょに宅たくを出でました。今朝けさから昨夕さくゆうの事ことが気きに掛っかかっている私わたくしは、途中とちゅうでまたKを追窮ついきゅうしました。けれどもKはやはり私わたくしを満足まんぞくさせるような答えこたえをしません。私わたくしはあの事件じけんについて何なんか話すはなすつもりではなかったのかと念ねんを押しおしてみました。Kはそうではないと強いつよい調子ちょうしでいい切りいいきりました。昨日きのう上野うえので「その話はなしはもう止めようとめよう」といったではないかと注意ちゅういするごとくにも聞こえきこえました。
Kはそういう点てんに掛けかけて鋭いするどい自尊心じそんしんをもった男おとこなのです。
ふとそこに気きのついた私わたくしは突然とつぜん彼かれの用いもちいた「覚悟かくご」という言葉ことばを連想れんそうし出しだしました。
すると今までいままでまるで気きにならなかったその二に字じが妙みょうな力ちからで私わたくしの頭あたまを抑えおさえ始めはじめたのです。
四十四よんじゅうよん
「Kの果断かだんに富んとんだ性格せいかくは私わたくしによく知れしれていました。彼かれのこの事件じけんについてのみ優柔ゆうじゅうな訳わけも私わたくしにはちゃんと呑み込めのみこめていたのです。つまり私わたくしは一般いっぱんを心得こころえた上うえで、例外れいがいの場合ばあいをしっかり攫まえつかまえたつもりで得意とくいだったのです。ところが「覚悟かくご」という彼かれの言葉ことばを、頭あたまのなかで何なん遍へんも咀嚼そしゃくしているうちに、私わたくしの得意とくいはだんだん色いろを失っうしなって、しまいにはぐらぐら揺きわななき始めるはじめるようになりました。
私わたくしはこの場合ばあいもあるいは彼かれにとって例外れいがいでないのかも知れしれないと思い出しおもいだしたのです。
すべての疑惑ぎわく、煩悶はんもん、懊悩おうのう、を一度いちどに解決かいけつする最後さいごの手段しゅだんを、彼かれは胸むねのなかに畳み込んたたみこんでいるのではなかろうかと疑りうたぐり始めはじめたのです。
そうした新しいあたらしい光ひかりで覚悟かくごの二に字じを眺め返しながめかえしてみた私わたくしは、はっと驚きおどろきました。
その時じの私わたくしがもしこの驚きおどろきをもって、もう一いち返かえし彼かれの口くちにした覚悟かくごの内容ないようを公平こうへいに見廻しみまわしたらば、まだよかったかも知れしれません。
悲しいかなしい事ことに私わたくしは片眼かためでした。
私わたくしはただKがお嬢さんおじょうさんに対したいして進んすすんで行くいくという意味いみにその言葉ことばを解釈かいしゃくしました。
果断かだんに富んとんだ彼かれの性格せいかくが、恋こいの方面ほうめんに発揮はっきされるのがすなわち彼かれの覚悟かくごだろうと一いち図ずに思い込んおもいこんでしまったのです。
私わたくしは私わたくしにも最後さいごの決断けつだんが必要ひつようだという声こえを心こころの耳みみで聞きききました。
私わたくしはすぐその声こえに応じおうじて勇気ゆうきを振り起しふりおこしました。
私わたくしはKより先さきに、しかもKの知らしらない間まに、事ことを運ばはこばなくてはならないと覚悟かくごを極めきわめました。
私わたくしは黙っだまって機会きかいを覘っていました。
しかし二に日ひ経っきょうっても三さん日ひ経っきょうっても、私わたくしはそれを捕まえるつかまえる事ことができません。
私わたくしはKのいない時じ、またお嬢さんおじょうさんの留守るすな折おりを待っまって、奥さんおくさんに談判だんぱんを開こうひらこうと考えかんがえたのです。
しかし片方かたほうがいなければ、片方かたほうが邪魔じゃまをするといった風かぜの日ひばかり続いつづいて、どうしても「今いまだ」と思うおもう好都合こうつごうが出でて来きてくれないのです。
私わたくしはいらいらしました。
一いち週間しゅうかんの後あと私わたくしはとうとう堪えこらえ切れきれなくなって仮病けびょうを遣いつかいました。
奥さんおくさんからもお嬢さんおじょうさんからも、K自身じしんからも、起きろおきろという催促さいそくを受けうけた私わたくしは、生返事なまへんじをしただけで、十じゅう時じ頃ころまで蒲団ふとんを被っかぶって寝ねていました。
私わたくしはKもお嬢さんおじょうさんもいなくなって、家いえの内うちがひっそり静まっしずまった頃ころを見計らっみはからって寝床ねどこを出でました。
私わたくしの顔かおを見みた奥さんおくさんは、すぐどこが悪いわるいかと尋ねたずねました。
食物しょくもつは枕元まくらもとへ運んはこんでやるから、もっと寝ねていたらよかろうと忠告ちゅうこくしてもくれました。
身体しんたいに異状いじょうのない私わたくしは、とても寝るねる気きにはなれません。
顔かおを洗っあらっていつもの通りとおり茶の間ちゃのまで飯めしを食いくいました。
その時じ奥さんおくさんは長火鉢ながひばちの向側むかいがわから給仕きゅうじをしてくれたのです。
私わたくしは朝飯あさめしとも午飯ごはんとも片付かかたづかない茶椀ちゃわんを手てに持っもったまま、どんな風かぜに問題もんだいを切り出しきりだしたものだろうかと、そればかりに屈托くったくしていたから、外観がいかんからは実際じっさい気分きぶんの好くよくない病人びょうにんらしく見えみえただろうと思いおもいます。
私わたくしは飯めしを終っおわって烟草たばこを吹かしふかし出しだしました。
私わたくしが立たたたないので奥さんおくさんも火鉢ひばちの傍そばを離れるはなれる訳わけにゆきません。
下女げじょを呼んよんで膳ぜんを下げさげさせた上うえ、鉄瓶てつびんに水みずを注しさしたり、火鉢ひばちの縁えんを拭いぬぐいたりして、私わたくしに調子ちょうしを合わせあわせています。
私わたくしは奥さんおくさんに特別とくべつな用事ようじでもあるのかと問いといました。
奥さんおくさんはいいえと答えこたえましたが、今度こんどは向うむこうでなぜですと聞き返しききかえして来きました。
私わたくしは実じつは少しすこし話しはなしたい事ことがあるのだといいました。
奥さんおくさんは何なんですかといって、私わたくしの顔かおを見みました。
奥さんおくさんの調子ちょうしはまるで私わたくしの気分きぶんにはいり込めこめないような軽いかるいものでしたから、私わたくしは次つぎに出すだすべき文句もんくも少しすこし渋りしぶりました。
私わたくしは仕方なししかたなしに言葉ことばの上うえで、好いよい加減かげんにうろつき廻っまわった末すえ、Kが近頃ちかごろ何なんかいいはしなかったかと奥さんおくさんに聞いきいてみました。
奥さんおくさんは思いおもいも寄らよらないという風かぜをして、「何なんを?」とまた反問はんもんして来きました。
そうして私わたくしの答えるこたえる前まえに、「あなたには何なんかおっしゃったんですか」とかえって向うむこうで聞くきくのです。
四十五よんじゅうご
「Kから聞かさきかされた打ち明けうちあけ話はなしを、奥さんおくさんに伝えるつたえる気きのなかった私わたくしは、「いいえ」といってしまった後あとで、すぐ自分じぶんの嘘うそを快かいからず感じかんじました。
仕方しかたがないから、別段べつだん何なんも頼またのまれた覚えおぼえはないのだから、Kに関するかんする用件ようけんではないのだといい直しなおしました。
奥さんおくさんは「そうですか」といって、後あとを待っまっています。
私わたくしはどうしても切り出さきりださなければならなくなりました。
私わたくしは突然とつぜん「奥さんおくさん、お嬢さんおじょうさんを私わたくしに下さいください」といいました。
奥さんおくさんは私わたくしの予期よきしてかかったほど驚いおどろいた様子ようすも見せみせませんでしたが、それでも少時しょうじ返事へんじができなかったものと見えみえて、黙っだまって私わたくしの顔かおを眺めながめていました。
一度いちどいい出しだした私わたくしは、いくら顔かおを見みられても、それに頓着とんちゃくなどはしていられません。
「下さいください、ぜひ下さいください」といいました。
「私わたくしの妻つまとしてぜひ下さいください」といいました。
奥さんおくさんは年ねんを取っとっているだけに、私わたくしよりもずっと落ち付いおちついていました。
「上げあげてもいいが、あんまり急きゅうじゃありませんか」と聞くきくのです。
私わたくしが「急きゅうに貰いもらいたいのだ」とすぐ答えこたえたら笑いわらい出しだしました。
そうして「よく考えかんがえたのですか」と念ねんを押すおすのです。
私わたくしはいい出しだしたのは突然とつぜんでも、考えかんがえたのは突然とつぜんでないという訳わけを強いつよい言葉ことばで説明せつめいしました。
それからまだ二につ三さんつの問答もんどうがありましたが、私わたくしはそれを忘れわすれてしまいました。
男おとこのように判然はんぜんしたところのある奥さんおくさんは、普通ふつうの女おんなと違っちがってこんな場合ばあいには大変たいへん心持こころもちよく話はなしのできる人ひとでした。
「宜よござんす、差し上げさしあげましょう」といいました。
「差し上げるさしあげるなんて威張っいばった口くちの利けるきける境遇きょうぐうではありません。どうぞ貰っもらって下さいください。ご存じごぞんじの通りとおり父親ちちおやのない憐れあわれな子こです」と後あとでは向うむこうから頼みたのみました。
話はなしは簡単かんたんでかつ明瞭めいりょうに片付いかたづいてしまいました。
最初さいしょからしまいまでにおそらく十五じゅうご分ぶんとは掛らかからなかったでしょう。
奥さんおくさんは何なんの条件じょうけんも持ち出さもちださなかったのです。
親類しんるいに相談そうだんする必要ひつようもない、後あとから断れことわればそれで沢山たくさんだといいました。
本人ほんにんの意嚮いこうさえたしかめるに及ばおよばないと明言めいげんしました。
そんな点てんになると、学問がくもんをした私わたくしの方ほうが、かえって形式けいしきに拘泥こうでいするくらいに思わおもわれたのです。
親類しんるいはとにかく、当人とうにんにはあらかじめ話しはなして承諾しょうだくを得るうるのが順序じゅんじょらしいと私わたくしが注意ちゅういした時じ、奥さんおくさんは「大丈夫だいじょうぶです。本人ほんにんが不承知ふしょうちの所ところへ、私わたくしがあの子こをやるはずがありませんから」といいました。
自分じぶんの室むろへ帰っかえった私わたくしは、事ことのあまりに訳わけもなく進行しんこうしたのを考えかんがえて、かえって変へんな気持きもちになりました。
はたして大丈夫だいじょうぶなのだろうかという疑念ぎねんさえ、どこからか頭あたまの底そこに這い込んはいこんで来きたくらいです。
けれども大体だいたいの上うえにおいて、私わたくしの未来みらいの運命うんめいは、これで定めさだめられたのだという観念かんねんが私わたくしのすべてを新たあらたにしました。
私わたくしは午頃ひるごろまた茶の間ちゃのまへ出掛けでかけて行っいって、奥さんおくさんに、今朝けさの話はなしをお嬢さんおじょうさんに何なん時じ通じつうじてくれるつもりかと尋ねたずねました。
奥さんおくさんは、自分じぶんさえ承知しょうちしていれば、いつ話しはなしても構わかまわなかろうというような事ことをいうのです。
こうなると何なんだか私わたくしよりも相手あいての方ほうが男おとこみたようなので、私わたくしはそれぎり引き込もうひきこもうとしました。
すると奥さんおくさんが私わたくしを引き留めひきとめて、もし早いはやい方ほうが希望きぼうならば、今日きょうでもいい、稽古けいこから帰っかえって来きたら、すぐ話そうはなそうというのです。
私わたくしはそうしてもらう方ほうが都合つごうが好いよいと答えこたえてまた自分じぶんの室むろに帰りかえりました。
しかし黙っだまって自分じぶんの机つくえの前まえに坐っすわって、二人ふたりのこそこそ話はなしを遠くとおくから聞いきいている私わたくしを想像そうぞうしてみると、何なんだか落ち付いおちついていられないような気きもするのです。
私わたくしはとうとう帽子ぼうしを被っかぶって表ひょうへ出でました。
そうしてまた坂さかの下したでお嬢さんおじょうさんに行き合いゆきあいました。
何になんにも知らしらないお嬢さんおじょうさんは私わたくしを見みて驚いおどろいたらしかったのです。
私わたくしが帽子ぼうしを脱だつって「今いまお帰りかえり」と尋ねるたずねると、向うむこうではもう病気びょうきは癒っなおったのかと不思議ふしぎそうに聞くきくのです。
私わたくしは「ええ癒りなおりました、癒りなおりました」と答えこたえて、ずんずん水道橋すいどうばしの方ほうへ曲っきょくってしまいました。
四十六よんじゅうろく
「私わたくしは猿楽町さるがくちょうから神保町じんぼうちょうの通りとおりへ出でて、小川おがわ町まちの方ほうへ曲りまがりました。私わたくしがこの界隈かいわいを歩くあるくのは、いつも古本屋ふるほんやをひやかすのが目的もくてきでしたが、その日ひは手摺てすりれのした書物しょもつなどを眺めるながめる気きが、どうしても起らおこらないのです。私わたくしは歩きあるきながら絶えたえず宅たくの事ことを考えかんがえていました。私わたくしには先刻せんこくの奥さんおくさんの記憶きおくがありました。それからお嬢さんおじょうさんが宅たくへ帰っかえってからの想像そうぞうがありました。私わたくしはつまりこの二につのもので歩かふかせられていたようなものです。その上うえ私わたくしは時々ときどき往来おうらいの真中まなかで我われ知らしらずふと立ち留まりたちどまりました。そうして今頃いまごろは奥さんおくさんがお嬢さんおじょうさんにもうあの話はなしをしている時分じぶんだろうなどと考えかんがえました。また或るある時じは、もうあの話はなしが済んすんだ頃ころだとも思いおもいました。 私わたくしはとうとう万世橋まんせいきょうを渡っわたって、明神みょうじんの坂さかを上がっあがって、本郷台ほんごうだいへ来きて、それからまた菊坂きくざかを下りくだりて、しまいに小石川こいしかわの谷たにへ下りくだりたのです。私わたくしの歩いあるいた距離きょりはこの三さん区くに跨がっまたがって、いびつな円えんを描いえがいたともいわれるでしょうが、私わたくしはこの長いながい散歩さんぽの間まほとんどKの事ことを考えかんがえなかったのです。今いまその時じの私わたくしを回顧かいこして、なぜだと自分じぶんに聞いきいてみても一向いっこう分りわかりません。ただ不思議ふしぎに思うおもうだけです。私わたくしの心こころがKを忘れわすれ得るうるくらい、一方いっぽうに緊張きんちょうしていたとみればそれまでですが、私わたくしの良心りょうしんがまたそれを許すゆるすべきはずはなかったのですから。 Kに対するたいする私わたくしの良心りょうしんが復活ふっかつしたのは、私わたくしが宅たくの格子こうしを開けあけて、玄関げんかんから坐ざ敷しきへ通るとおる時じ、すなわち例れいのごとく彼かれの室むろを抜けようぬけようとした瞬間しゅんかんでした。彼かれはいつもの通りとおり机つくえに向っむかって書見しょけんをしていました。彼かれはいつもの通りとおり書物しょもつから眼めを放しはなして、私わたくしを見みました。しかし彼かれはいつもの通りとおり今いま帰っかえったのかとはいいませんでした。彼かれは「病気びょうきはもう癒いえいのか、医者いしゃへでも行っいったのか」と聞きききました。
私わたくしはその刹那せつなに、彼かれの前まえに手てを突いついて、詫わびまりたくなったのです。
しかも私わたくしの受けうけたその時じの衝動しょうどうは決してけっして弱いよわいものではなかったのです。
もしKと私わたくしがたった二人ふたり曠野こうやの真中まなかにでも立ったっていたならば、私わたくしはきっと良心りょうしんの命令めいれいに従っしたがって、その場ばで彼かれに謝罪しゃざいしたろうと思いおもいます。
しかし奥おくには人ひとがいます。
私わたくしの自然しぜんはすぐそこで食いくい留めとめられてしまったのです。
そうして悲しいかなしい事ことに永久えいきゅうに復活ふっかつしなかったのです。
夕飯ゆうはんの時じKと私わたくしはまた顔かおを合せあわせました。
何になんにも知らしらないKはただ沈んしずんでいただけで、少しすこしも疑い深いうたがいぶかい眼めを私わたくしに向けむけません。
何になんにも知らしらない奥さんおくさんはいつもより嬉しうれしそうでした。
私わたくしだけがすべてを知っしっていたのです。
私わたくしは鉛なまりのような飯めしを食いくいました。
その時じお嬢さんおじょうさんはいつものようにみんなと同じおなじ食卓しょくたくに並びならびませんでした。
奥さんおくさんが催促さいそくすると、次つぎの室むろで只今ただいまと答えるこたえるだけでした。
それをKは不思議ふしぎそうに聞いきいていました。
しまいにどうしたのかと奥さんおくさんに尋ねたずねました。
奥さんおくさんは大方おおかた極りきまりが悪いわるいのだろうといって、ちょっと私わたくしの顔かおを見みました。
Kはなお不思議ふしぎそうに、なんで極りきまりが悪いわるいのかと追窮ついきゅうしに掛かりかかりました。
奥さんおくさんは微笑びしょうしながらまた私わたくしの顔かおを見るみるのです。
私わたくしは食卓しょくたくに着いついた初めはじめから、奥さんおくさんの顔付かおつきで、事ことの成行なりゆきをほぼ推察すいさつしていました。
しかしKに説明せつめいを与えるあたえるために、私わたくしのいる前まえで、それを悉くことごとく話さはなされては堪らたまらないと考えかんがえました。
奥さんおくさんはまたそのくらいの事ことを平気へいきでする女おんななのですから、私わたくしはひやひやしたのです。
幸いさいわいにKはまた元もとの沈黙ちんもくに帰りかえりました。
平生へいぜいより多少たしょう機嫌きげんのよかった奥さんおくさんも、とうとう私わたくしの恐れおそれを抱いいだいている点てんまでは話はなしを進めすすめずにしまいました。
私わたくしはほっと一息ひといきして室むろへ帰りかえりました。
しかし私わたくしがこれから先さきKに対したいして取るとるべき態度たいどは、どうしたものだろうか、私わたくしはそれを考えかんがえずにはいられませんでした。
私わたくしは色々いろいろの弁護べんごを自分じぶんの胸むねで拵えこしらえてみました。
けれどもどの弁護べんごもKに対したいして面めんと向うむこうには足りたりませんでした、卑怯ひきょうな私わたくしはついに自分じぶんで自分じぶんをKに説明せつめいするのが厭いやになったのです。
四十七よんじゅうなな
「私わたくしはそのまま二に、三さん日ひ過ごしすごしました。その二に、三さん日ひの間まKに対するたいする絶えたえざる不安ふあんが私わたくしの胸むねを重くおもくしていたのはいうまでもありません。私わたくしはただでさえ何なんとかしなければ、彼かれに済ますまないと思っおもったのです。その上奥うえおくさんの調子ちょうしや、お嬢さんおじょうさんの態度たいどが、始終しじゅう私わたくしを突とっッっつくように刺戟しげきするのですから、私わたくしはなお辛かっつらかったのです。どこか男おとこらしい気性きしょうを具えそなえた奥さんおくさんは、いつ私わたくしの事ことを食卓しょくたくでKに素もとぱ抜かぬかないとも限りかぎりません。それ以来いらいことに目立つめだつように思えおもえた私わたくしに対するたいするお嬢さんおじょうさんの挙止きょし動作どうさも、Kの心こころを曇らすくもらす不審ふしんの種しゅとならないとは断言だんげんできません。私わたくしは何なんとかして、私わたくしとこの家族かぞくとの間まに成り立っなりたった新しいあたらしい関係かんけいを、Kに知らしらせなければならない位置いちに立ちたちました。しかし倫理的りんりてきに弱点じゃくてんをもっていると、自分じぶんで自分じぶんを認めみとめている私わたくしには、それがまた至難しなんの事ことのように感ぜかんぜられたのです。 私わたくしは仕方しかたがないから、奥さんおくさんに頼んたのんでKに改めてあらためてそういってもらおうかと考えかんがえました。無論むろん私わたくしのいない時じにです。しかしありのままを告げつげられては、直接ちょくせつと間接かんせつの区別くべつがあるだけで、面目めんぼくのないのに変りかわりはありません。といって、拵え事こしらえごとを話しはなしてもらおうとすれば、奥さんおくさんからその理由りゆうを詰問きつもんされるに極っきょくっています。もし奥さんおくさんにすべての事情じじょうを打ち明けうちあけて頼むたのむとすれば、私わたくしは好んこのんで自分じぶんの弱点じゃくてんを自分じぶんの愛人あいじんとその母親ははおやの前まえに曝け出ささらけださなければなりません。真面目まじめな私わたくしには、それが私わたくしの未来みらいの信用しんように関するかんするとしか思わおもわれなかったのです。結婚けっこんする前まえから恋人こいびとの信用しんようを失ううしなうのは、たとい一いち分ぶん一いち厘りんでも、私わたくしには堪えこらえ切れきれない不幸ふこうのように見えみえました。 要するようするに私わたくしは正直しょうじきな路みちを歩くあるくつもりで、つい足あしを滑らしすべらした馬鹿ばかものでした。もしくは狡猾こうかつな男おとこでした。そうしてそこに気きのついているものは、今いまのところただ天てんと私わたくしの心こころだけだったのです。しかし立ち直ったちなおって、もう一いち歩あゆみ前まえへ踏み出そうふみでそうとするには、今いま滑っすべった事ことをぜひとも周囲しゅういの人ひとに知らしられなければならない窮境きゅうきょうに陥っおちいったのです。私わたくしはあくまで滑っすべった事ことを隠しかくしたがりました。同時どうじに、どうしても前まえへ出でずにはいられなかったのです。私わたくしはこの間まに挟まっはさまってまた立ち竦みたちすくみました。 五ご、六ろく日ひ経っきょうった後あと、奥さんおくさんは突然とつぜん私わたくしに向っむかって、Kにあの事ことを話しはなしたかと聞くきくのです。私わたくしはまだ話さはなさないと答えこたえました。するとなぜ話さはなさないのかと、奥さんおくさんが私わたくしを詰るなじるのです。私わたくしはこの問いといの前まえに固くかたくなりました。その時じ奥さんおくさんが私わたくしを驚かしおどろかした言葉ことばを、私わたくしは今いまでも忘れわすれずに覚えおぼえています。 「道理どうりで妾めかけが話しはなしたら変へんな顔かおをしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか。平生へいぜいあんなに親しくしたしくしている間柄あいだがらだのに、黙っだまって知らしらん顔かおをしているのは」 私わたくしはKがその時じ何なんかいいはしなかったかと奥さんおくさんに聞きききました。
奥さんおくさんは別段べつだん何になんにもいわないと答えこたえました。
しかし私わたくしは進んすすんでもっと細かいこまかい事ことを尋ねたずねずにはいられませんでした。
奥さんおくさんは固よりもとより何なんも隠すかくす訳わけがありません。
大したたいした話はなしもないがといいながら、一々いちいちKの様子ようすを語っごって聞かきかせてくれました。
奥さんおくさんのいうところを綜合そうごうして考えかんがえてみると、Kはこの最後さいごの打撃だげきを、最ももっとも落ち付いおちついた驚きおどろきをもって迎えむかえたらしいのです。
Kはお嬢さんおじょうさんと私わたくしとの間まに結ばむすばれた新しいあたらしい関係かんけいについて、最初さいしょはそうですかとただ一口ひとくちいっただけだったそうです。
しかし奥さんおくさんが、「あなたも喜んよろこんで下さいください」と述べのべた時じ、彼かれははじめて奥さんおくさんの顔かおを見みて微笑びしょうを洩らしもらしながら、「おめでとうございます」といったまま席せきを立ったったそうです。
そうして茶の間ちゃのまの障子しょうじを開けるあける前まえに、また奥さんおくさんを振り返っふりかえって、「結婚けっこんはいつですか」と聞いきいたそうです。
それから「何なんかお祝いおいわいを上げあげたいが、私わたくしは金きんがないから上げるあげる事ことができません」といったそうです。
奥さんおくさんの前まえに坐っすわっていた私わたくしは、その話はなしを聞いきいて胸むねが塞るふさがるような苦しくるしさを覚えおぼえました。
四十八よんじゅうはち
「勘定かんじょうして見るみると奥さんおくさんがKに話はなしをしてからもう二に日ひ余りあまりになります。その間まKは私わたくしに対したいして少しすこしも以前いぜんと異なっことなった様子ようすを見せみせなかったので、私わたくしは全くまったくそれに気きが付かつかずにいたのです。彼かれの超然ちょうぜんとした態度たいどはたとい外観がいかんだけにもせよ、敬服けいふくに値あたいすべきだと私わたくしは考えかんがえました。彼かれと私わたくしを頭あたまの中なかで並べならべてみると、彼かれの方ほうが遥かはるかに立派りっぱに見えみえました。「おれは策略さくりゃくで勝っかっても人間にんげんとしては負けまけたのだ」という感じかんじが私わたくしの胸むねに渦巻いうずまいて起りおこりました。
私わたくしはその時じさぞKが軽蔑けいべつしている事ことだろうと思っおもって、一人ひとりで顔かおを赧らめあからめました。
しかし今更いまさらKの前まえに出でて、恥はじを掻かかかせられるのは、私わたくしの自尊心じそんしんにとって大おおいな苦痛くつうでした。
私わたくしが進もうすすもうか止そうよそうかと考えかんがえて、ともかくも翌日よくじつまで待とうまとうと決心けっしんしたのは土曜どようの晩ばんでした。
ところがその晩ばんに、Kは自殺じさつして死んしんでしまったのです。
私わたくしは今いまでもその光景こうけいを思い出すおもいだすと慄然りつぜんとします。
いつも東枕ひがしまくらで寝るねる私わたくしが、その晩ばんに限っかぎって、偶然ぐうぜん西枕にしまくらに床ゆかを敷いしいたのも、何なんかの因縁いんねんかも知れしれません。
私わたくしは枕元まくらもとから吹き込むふきこむ寒いさむい風かぜでふと眼めを覚ましさましたのです。
見るみると、いつも立てたて切っきってあるKと私わたくしの室むろとの仕切しきりの襖ふすまが、この間まの晩ばんと同じおなじくらい開いひらいています。
けれどもこの間まのように、Kの黒いくろい姿すがたはそこには立ったっていません。
私わたくしは暗示あんじを受けうけた人ひとのように、床ゆかの上うえに肱ひじを突いついて起き上がりおきあがりながら、屹ときっとKの室むろを覗きのぞきました。
洋燈らんぷが暗くくらく点っともっているのです。
それで床ゆかも敷いしいてあるのです。
しかし掛蒲団かかりふとんは跳とべ返さかえされたように裾すその方ほうに重なり合っかさなりあっているのです。
そうしてK自身じしんは向うむきむこうむきに突とっッっ伏しふしているのです。
私わたくしはおいといって声こえを掛けかけました。
しかし何なんの答えこたえもありません。
おいどうかしたのかと私わたくしはまたKを呼びよびました。
それでもKの身体しんたいは些ともちっとも動きうごきません。
私わたくしはすぐ起き上っおきあがって、敷居しきい際さいまで行きいきました。
そこから彼かれの室むろの様子ようすを、暗いくらい洋燈らんぷの光ひかりで見廻しみまわしてみました。
その時じ私わたくしの受けうけた第だい一いちの感じかんじは、Kから突然とつぜん恋こいの自白じはくを聞かさきかされた時じのそれとほぼ同じおなじでした。
私わたくしの眼めは彼かれの室むろの中なかを一目いちもく見るみるや否いなや、あたかも硝子がらすで作っつくった義眼ぎがんのように、動くうごく能力のうりょくを失いないました。
私わたくしは棒立ちぼうだちに立ち竦みたちすくみました。
それが疾風しっぷうのごとく私わたくしを通過つうかしたあとで、私わたくしはまたああ失策しっさくったと思いおもいました。
もう取り返しとりかえしが付かつかないという黒いくろい光ひかりが、私わたくしの未来みらいを貫いつらぬいて、一瞬いっしゅん間まに私わたくしの前まえに横たわるよこたわる全ぜん生涯しょうがいを物凄くものすごく照らしてらしました。
そうして私わたくしはがたがた顫えふるえ出しだしたのです。
それでも私わたくしはついに私わたくしを忘れるわすれる事ことができませんでした。
私わたくしはすぐ机つくえの上うえに置いおいてある手紙てがみに眼めを着けつけました。
それは予期よき通りとおり私わたくしの名宛なあてになっていました。
私わたくしは夢中むちゅうで封ふうを切りきりました。
しかし中なかには私わたくしの予期よきしたような事ことは何になんにも書いかいてありませんでした。
私わたくしは私わたくしに取っとってどんなに辛いつらい文句もんくがその中なかに書きかき列ねつらねてあるだろうと予期よきしたのです。
そうして、もしそれが奥さんおくさんやお嬢さんおじょうさんの眼めに触れふれたら、どんなに軽蔑けいべつされるかも知れしれないという恐怖きょうふがあったのです。
私わたくしはちょっと眼めを通しとおしただけで、まず助かったすかったと思いおもいました。
(固よりもとより世間体せけんたいの上うえだけで助かったすかったのですが、その世間体せけんたいがこの場合ばあい、私わたくしにとっては非常ひじょうな重大じゅうだい事件じけんに見えみえたのです。
) 手紙てがみの内容ないようは簡単かんたんでした。
そうしてむしろ抽象的ちゅうしょうてきでした。
自分じぶんは薄志はくし弱行じゃっこうで到底とうてい行先いきさきの望みのぞみがないから、自殺じさつするというだけなのです。
それから今までいままで私わたくしに世話せわになった礼れいが、ごくあっさりとした文句もんくでその後そのあとに付け加えつけくわえてありました。
世話せわついでに死後しごの片かた付ふ方ほうも頼みたのみたいという言葉ことばもありました。
奥さんおくさんに迷惑めいわくを掛けかけて済ますまんから宜しくよろしく詫わびをしてくれという句くもありました。
国元くにもとへは私わたくしから知らしらせてもらいたいという依頼いらいもありました。
必要ひつような事ことはみんな一口ひとくちずつ書いかいてある中なかにお嬢さんおじょうさんの名前なまえだけはどこにも見えみえません。
私わたくしはしまいまで読んよんで、すぐKがわざと回避かいひしたのだという事ことに気きが付きつきました。
しかし私わたくしのもっとも痛切つうせつに感じかんじたのは、最後さいごに墨すみの余りあまりで書き添えかきそえたらしく見えるみえる、もっと早くはやく死ぬしぬべきだのになぜ今までいままで生きいきていたのだろうという意味いみの文句もんくでした。
私わたくしは顫えるふるえる手てで、手紙てがみを巻き収めまきおさめて、再びふたたび封ふうの中なかへ入れいれました。
私わたくしはわざとそれを皆みななの眼めに着くつくように、元もとの通りとおり机つくえの上うえに置きおきました。
そうして振り返っふりかえって、襖ふすまに迸ったばしっている血潮ちしおを始めはじめて見みたのです。
四十九よんじゅうきゅう
「私わたくしは突然とつぜんKの頭あたまを抱えるかかえるように両手りょうてで少しすこし持ち上げもちあげました。私わたくしはKの死顔しにがおが一目いちもく見みたかったのです。しかし俯伏しうつぶしになっている彼かれの顔かおを、こうして下したから覗き込んのぞきこんだ時じ、私わたくしはすぐその手てを放しはなしてしまいました。慄りつとしたばかりではないのです。彼かれの頭あたまが非常ひじょうに重たくおもたく感ぜかんぜられたのです。私わたくしは上うえから今いま触っさわった冷たいつめたい耳みみと、平生へいぜいに変らかわらない五ご分ぶん刈かりの濃いこい髪の毛かみのけを少時しょうじ眺めながめていました。私わたくしは少しすこしも泣くなく気きにはなれませんでした。私わたくしはただ恐ろしかっおそろしかったのです。そうしてその恐ろしおそろしさは、眼めの前まえの光景こうけいが官能かんのうを刺激しげきして起るおこる単調たんちょうな恐ろしおそろしさばかりではありません。私わたくしは忽然こつぜんと冷たくつめたくなったこの友達ともだちによって暗示あんじされた運命うんめいの恐ろしおそろしさを深くふかく感じかんじたのです。 私わたくしは何なんの分別ぶんべつもなくまた私わたくしの室むろに帰りかえりました。そうして八はち畳たたみの中なかをぐるぐる廻りまわり始めはじめました。私わたくしの頭あたまは無意味むいみでも当分とうぶんそうして動いうごいていろと私わたくしに命令めいれいするのです。私わたくしはどうかしなければならないと思いおもいました。同時どうじにもうどうする事こともできないのだと思いおもいました。座敷ざしきの中なかをぐるぐる廻らまわらなければいられなくなったのです。檻おりの中なかへ入れいれられた熊くまのような態度たいどで。 私わたくしは時々ときどき奥おくへ行っいって奥さんおくさんを起そうおこそうという気きになります。けれども女おんなにこの恐ろしいおそろしい有様ありさまを見せみせては悪いわるいという心持こころもちがすぐ私わたくしを遮りさえぎります。奥さんおくさんはとにかく、お嬢さんおじょうさんを驚かすおどろかす事ことは、とてもできないという強いつよい意志いしが私わたくしを抑えつけおさえつけます。私わたくしはまたぐるぐる廻りまわり始めるはじめるのです。 私わたくしはその間まに自分じぶんの室むろの洋燈らんぷを点けつけました。それから時計とけいを折々おりおり見みました。その時じの時計とけいほど埒らちの明かあきらかない遅いおそいものはありませんでした。私わたくしの起きおきた時間じかんは、正確せいかくに分らわからないのですけれども、もう夜明よあけに間まもなかった事ことだけは明らかあきらかです。ぐるぐる廻りまわりながら、その夜明よあけを待ち焦れまちこがれた私わたくしは、永久えいきゅうに暗いくらい夜よるが続くつづくのではなかろうかという思いおもいに悩まさなやまされました。 我々われわれは七なな時じ前まえに起きるおきる習慣しゅうかんでした。学校がっこうは八はち時じに始まるはじまる事ことが多いおおいので、それでないと授業じゅぎょうに間に合わまにあわないのです。下女げじょはその関係かんけいで六ろく時じ頃ころに起きるおきる訳わけになっていました。しかしその日ひ私わたくしが下女げじょを起しおこしに行っいったのはまだ六ろく時じ前まえでした。すると奥さんおくさんが今日きょうは日曜にちようだといって注意ちゅういしてくれました。奥さんおくさんは私わたくしの足音あしおとで眼めを覚ましさましたのです。私わたくしは奥さんおくさんに眼めが覚めさめているなら、ちょっと私わたくしの室むろまで来きてくれと頼みたのみました。奥さんおくさんは寝巻ねまきの上うえへ不断ふだん着きの羽織はおりを引っ掛けひっかけて、私わたくしの後あとに跟いて来きました。私わたくしは室むろへはいるや否いなや、今までいままで開いひらいていた仕切りしきりの襖ふすまをすぐ立てたて切りきりました。そうして奥さんおくさんに飛んとんだ事ことができたと小声こごえで告げつげました。奥さんおくさんは何なんだと聞きききました。私わたくしは顋あごで隣となりの室むろを指すさすようにして、「驚いおどろいちゃいけません」といいました。
奥さんおくさんは蒼いあおい顔かおをしました。
「奥さんおくさん、Kは自殺じさつしました」と私わたくしがまたいいました。
奥さんおくさんはそこに居竦まっいすくまったように、私わたくしの顔かおを見みて黙っだまっていました。
その時じ私わたくしは突然とつぜん奥さんおくさんの前まえへ手てを突いついて頭あたまを下げさげました。
「済みすみません。私わたくしが悪かっわるかったのです。あなたにもお嬢さんおじょうさんにも済ますまない事ことになりました」と詫わびまりました。
私わたくしは奥さんおくさんと向い合うむかいあうまで、そんな言葉ことばを口くちにする気きはまるでなかったのです。
しかし奥さんおくさんの顔かおを見みた時じ不意ふいに我われとも知らしらずそういってしまったのです。
Kに詫わびまる事ことのできない私わたくしは、こうして奥さんおくさんとお嬢さんおじょうさんに詫びわびなければいられなくなったのだと思っおもって下さいください。
つまり私わたくしの自然しぜんが平生へいぜいの私わたくしを出し抜いだしぬいてふらふらと懺悔ざんげの口くちを開かしひらかしたのです。
奥さんおくさんがそんな深いぶかい意味いみに、私わたくしの言葉ことばを解釈かいしゃくしなかったのは私わたくしにとって幸いさいわいでした。
蒼いあおい顔かおをしながら、「不慮ふりょの出来事できごとなら仕方しかたがないじゃありませんか」と慰めるなぐさめるようにいってくれました。
しかしその顔かおには驚きおどろきと怖れおそれとが、彫り付けえりつけられたように、硬くかたく筋肉きんにくを攫んつかんでいました。
五十ごじゅう
「私わたくしは奥さんおくさんに気の毒きのどくでしたけれども、また立ったって今いま閉めしめたばかりの唐紙とうしを開けあけました。その時じKの洋燈らんぷに油あぶらが尽きつきたと見えみえて、室むろの中なかはほとんど真暗まっくらでした。私わたくしは引き返しひきかえして自分じぶんの洋燈らんぷを手てに持っもったまま、入口いりぐちに立ったって奥さんおくさんを顧みかえりみました。奥さんおくさんは私わたくしの後ろうしろから隠れるかくれるようにして、四よん畳たたみの中なかを覗き込みのぞきこみました。しかしはいろうとはしません。そこはそのままにしておいて、雨戸あまどを開けあけてくれと私わたくしにいいました。 それから後あとの奥さんおくさんの態度たいどは、さすがに軍人ぐんじんの未亡人みぼうじんだけあって要領ようりょうを得とくていました。私わたくしは医者いしゃの所ところへも行きいきました。また警察けいさつへも行きいきました。しかしみんな奥さんおくさんに命令めいれいされて行っいったのです。奥さんおくさんはそうした手続てつづきの済むすむまで、誰だれもKの部屋へやへは入れいれませんでした。 Kは小さなちいさなナイフないふで頸動脈くびどうみゃくを切っきって一息ひといきに死んしんでしまったのです。外そとに創はじめらしいものは何になんにもありませんでした。私わたくしが夢ゆめのような薄暗いうすぐらい灯あかりで見みた唐紙とうしの血潮ちしおは、彼かれの頸筋くびすじから一度いちどに迸ったばしったものと知れしれました。私わたくしは日中にっちゅうの光ひかりで明らかあきらかにその迹を再びふたたび眺めながめました。そうして人間にんげんの血ちの勢いいきおいというものの劇しいはげしいのに驚きおどろきました。 奥さんおくさんと私わたくしはできるだけの手際てぎわと工夫くふうを用いもちいて、Kの室むろを掃除そうじしました。彼かれの血潮ちしおの大部分だいぶぶんは、幸いさいわい彼かれの蒲団ふとんに吸収きゅうしゅうされてしまったので、畳たたみはそれほど汚れよごれないで済みすみましたから、後あと始末しまつはまだ楽らくでした。二人ふたりは彼かれの死骸しがいを私わたくしの室むろに入れいれて、不断ふだんの通りとおり寝ねている体からだに横よこにしました。私わたくしはそれから彼かれの実家じっかへ電報でんぽうを打ちうちに出でたのです。 私わたくしが帰っかえった時じは、Kの枕元まくらもとにもう線香せんこうが立てたてられていました。室むろへはいるとすぐ仏ふつ臭いくさい烟けむりで鼻はなを撲たぶたれた私わたくしは、その烟けむりの中なかに坐っすわっている女おんな二人ふたりを認めみとめました。私わたくしがお嬢さんおじょうさんの顔かおを見みたのは、昨夜さくや来きこの時じが始めはじめてでした。お嬢さんおじょうさんは泣いないていました。奥さんおくさんも眼めを赤くあかくしていました。事件じけんが起っおこってからそれまで泣くなく事ことを忘れわすれていた私わたくしは、その時じようやく悲しいかなしい気分きぶんに誘わさそわれる事ことができたのです。私わたくしの胸むねはその悲しかなしさのために、どのくらい寛ろいくつろいだか知れしれません。苦痛くつうと恐怖きょうふでぐいと握り締めにぎりしめられた私わたくしの心こころに、一いち滴しずくの潤じゅんを与えあたえてくれたものは、その時じの悲しかなしさでした。 私わたくしは黙っだまって二人ふたりの傍そばに坐っすわっていました。奥さんおくさんは私わたくしにも線香せんこうを上げあげてやれといいます。私わたくしは線香せんこうを上げあげてまた黙っだまって坐っすわっていました。お嬢さんおじょうさんは私わたくしには何なんともいいません。たまに奥さんおくさんと一口ひとくち二に口言葉くちことばを換かえわす事ことがありましたが、それは当座とうざの用事ようじについてのみでした。お嬢さんおじょうさんにはKの生前せいぜんについて語るかたるほどの余裕よゆうがまだ出でて来きなかったのです。私わたくしはそれでも昨夜さくやの物凄いものすごい有様ありさまを見せみせずに済んすんでまだよかったと心こころのうちで思いおもいました。若いわかい美しいうつくしい人ひとに恐ろしいおそろしいものを見せるみせると、折角せっかくの美しうつくしさが、そのために破壊はかいされてしまいそうで私わたくしは怖かっこわかったのです。私わたくしの恐ろしおそろしさが私わたくしの髪の毛かみのけの末端まったんまで来きた時じですら、私わたくしはその考えかんがえを度外どがいに置いおいて行動こうどうする事ことはできませんでした。私わたくしには綺麗きれいな花はなを罪つみもないのに妄りみだりに鞭むちうつと同じおなじような不快ふかいがそのうちに籠っこもっていたのです。 国元くにもとからKの父ちちと兄あにが出でて来きた時じ、私わたくしはKの遺骨いこつをどこへ埋めるうめるかについて自分じぶんの意見いけんを述べのべました。私わたくしは彼かれの生前せいぜんに雑司ヶ谷ぞうしがや近辺きんぺんをよくいっしょに散歩さんぽした事ことがあります。Kにはそこが大変たいへん気きに入っはいっていたのです。それで私わたくしは笑談しょうだん半分はんぶんに、そんなに好きすきなら死んしんだらここへ埋めうめてやろうと約束やくそくした覚えおぼえがあるのです。私わたくしも今いまその約束やくそく通りとおりKを雑司ヶ谷ぞうしがやへ葬っそうったところで、どのくらいの功徳くどくになるものかとは思いおもいました。けれども私わたくしは私わたくしの生きいきている限りかぎり、Kの墓はかの前まえに跪いひざまずいて月々つきづき私わたくしの懺悔ざんげを新たあらたにしたかったのです。今までいままで構い付けかまいつけなかったKを、私わたくしが万事ばんじ世話せわをして来きたという義理ぎりもあったのでしょう、Kの父ちちも兄あにも私わたくしのいう事ことを聞いきいてくれました。
五十一ごじゅういち
「Kの葬式そうしきの帰り路かえりみちに、私わたくしはその友人ゆうじんの一人ひとりから、Kがどうして自殺じさつしたのだろうという質問しつもんを受けうけました。事件じけんがあって以来いらい私わたくしはもう何度なんどとなくこの質問しつもんで苦しめくるしめられていたのです。奥さんおくさんもお嬢さんおじょうさんも、国くにから出でて来きたKの父兄ふけいも、通知つうちを出しだした知り合いしりあいも、彼かれとは何なんの縁故えんこもない新聞しんぶん記者きしゃまでも、必ずかならず同様どうようの質問しつもんを私わたくしに掛けかけない事ことはなかったのです。私わたくしの良心りょうしんはそのたびにちくちく刺ささされるように痛みいたみました。そうして私わたくしはこの質問しつもんの裏うらに、早くはやくお前おまえが殺しころしたと白状はくじょうしてしまえという声こえを聞いきいたのです。 私わたくしの答えこたえは誰だれに対したいしても同じおなじでした。私わたくしはただ彼かれの私わたくし宛ずつで書き残しかきのこした手紙てがみを繰り返すくりかえすだけで、外そとに一口ひとくちも附け加えるつけくわえる事ことはしませんでした。葬式そうしきの帰りかえりに同じおなじ問いといを掛けかけて、同じおなじ答えこたえを得とくたKの友人ゆうじんは、懐ふところから一いち枚ばいの新聞しんぶんを出しだして私わたくしに見せみせました。私わたくしは歩きあるきながらその友人ゆうじんによって指し示ささししめされた箇所かしょを読みよみました。それにはKが父兄ふけいから勘当かんどうされた結果けっか厭世えんせい的まとな考えかんがえを起しおこして自殺じさつしたと書いかいてあるのです。私わたくしは何になんにもいわずに、その新聞しんぶんを畳んたたんで友人ゆうじんの手てに帰しかえしました。友人ゆうじんはこの外そとにもKが気きが狂っくるって自殺じさつしたと書いかいた新聞しんぶんがあるといって教えおしえてくれました。忙しいいそがしいので、ほとんど新聞しんぶんを読むよむ暇ひまがなかった私わたくしは、まるでそうした方面ほうめんの知識ちしきを欠いかいていましたが、腹はらの中なかでは始終しじゅう気きにかかっていたところでした。私わたくしは何なんよりも宅たくのものの迷惑めいわくになるような記事きじの出るでるのを恐れおそれたのです。ことに名前なまえだけにせよお嬢さんおじょうさんが引合いひきあいに出でたら堪らたまらないと思っおもっていたのです。私わたくしはその友人ゆうじんに外そとに何なんとか書いかいたのはないかと聞きききました。友人ゆうじんは自分じぶんの眼めに着いついたのは、ただその二に種しゅぎりだと答えこたえました。 私わたくしが今いまおる家いえへ引っ越しひっこしたのはそれから間まもなくでした。奥さんおくさんもお嬢さんおじょうさんも前まえの所ところにいるのを厭いやがりますし、私わたくしもその夜よるの記憶きおくを毎晩まいばん繰り返すくりかえすのが苦痛くつうだったので、相談そうだんの上うえ移るうつる事ことに極めきわめたのです。 移っうつって二にカ月かげつほどしてから私わたくしは無事ぶじに大学だいがくを卒業そつぎょうしました。卒業そつぎょうして半年はんとしも経たへたないうちに、私わたくしはとうとうお嬢さんおじょうさんと結婚けっこんしました。外側そとがわから見れみれば、万事ばんじが予期よき通りとおりに運んはこんだのですから、目出度めでたといわなければなりません。奥さんおくさんもお嬢さんおじょうさんもいかにも幸福こうふくらしく見えみえました。私わたくしも幸福こうふくだったのです。けれども私わたくしの幸福こうふくには黒いくろい影かげが随いしたがいていました。私わたくしはこの幸福こうふくが最後さいごに私わたくしを悲しいかなしい運命うんめいに連れつれて行くいく導火線どうかせんではなかろうかと思いおもいました。 結婚けっこんした時じお嬢さんおじょうさんが、――もうお嬢さんおじょうさんではありませんから、妻つまといいます。――妻つまが、何なんを思い出しおもいだしたのか、二人ふたりでKの墓参りはかまいりをしようといい出しだしました。私わたくしは意味いみもなくただぎょっとしました。どうしてそんな事ことを急きゅうに思い立っおもいたったのかと聞きききました。妻つまは二人ふたり揃っそろってお参りおまいりをしたら、Kがさぞ喜ぶよろこぶだろうというのです。私わたくしは何事なにごとも知らしらない妻つまの顔かおをしけじけ眺めながめていましたが、妻つまからなぜそんな顔かおをするのかと問わとわれて始めてはじめて気きが付きつきました。 私わたくしは妻つまの望みのぞみ通りとおり二人ふたり連れ立っつれだって雑司ヶ谷ぞうしがやへ行きいきました。私わたくしは新しいあたらしいKの墓はかへ水みずをかけて洗っあらってやりました。妻つまはその前まえへ線香せんこうと花はなを立てたてました。二人ふたりは頭あたまを下げさげて、合掌がっしょうしました。妻つまは定めさだめて私わたくしといっしょになった顛末てんまつを述べのべてKに喜んよろこんでもらうつもりでしたろう。私わたくしは腹はらの中なかで、ただ自分じぶんが悪かっわるかったと繰り返すくりかえすだけでした。 その時じ妻つまはKの墓はかを撫でなでてみて立派りっぱだと評しひょうしていました。その墓はかは大したたいしたものではないのですけれども、私わたくしが自分じぶんで石屋いわやへ行っいって見立てみたてたりした因縁いんねんがあるので、妻つまはとくにそういいたかったのでしょう。私わたくしはその新しいあたらしい墓はかと、新しいあたらしい私わたくしの妻つまと、それから地面じめんの下したに埋めうめられたKの新しいあたらしい白骨はっこつとを思い比べおもいくらべて、運命うんめいの冷罵れいばを感ぜかんぜずにはいられなかったのです。私わたくしはそれ以後いご決してけっして妻つまといっしょにKの墓参りはかまいりをしない事ことにしました。
五十二ごじゅうに
「私わたくしの亡友ぼうゆうに対するたいするこうした感じかんじはいつまでも続きつづきました。実じつは私わたくしも初めはじめからそれを恐れおそれていたのです。年来ねんらいの希望きぼうであった結婚けっこんすら、不安ふあんのうちに式しきを挙げあげたといえばいえない事こともないでしょう。しかし自分じぶんで自分じぶんの先さきが見えみえない人間にんげんの事ことですから、ことによるとあるいはこれが私わたくしの心持こころもちを一転いってんして新しいあたらしい生涯しょうがいに入るはいる端緒たんしょになるかも知れしれないとも思っおもったのです。ところがいよいよ夫おっととして朝夕あさゆう妻つまと顔かおを合せあわせてみると、私わたくしの果敢ないはかない希望きぼうは手厳しいてきびしい現実げんじつのために脆くもろくも破壊はかいされてしまいました。私わたくしは妻つまと顔かおを合せあわせているうちに、卒然そつぜんKに脅かさおびやかされるのです。つまり妻つまが中間ちゅうかんに立ったって、Kと私わたくしをどこまでも結び付けむすびつけて離さはなさないようにするのです。妻つまのどこにも不足ふそくを感じかんじない私わたくしは、ただこの一いち点てんにおいて彼女かのじょを遠ざけとおざけたがりました。すると女おんなの胸むねにはすぐそれが映りうつります。映るうつるけれども、理由りゆうは解らわからないのです。私わたくしは時々ときどき妻つまからなぜそんなに考えかんがえているのだとか、何なんか気きに入らはいらない事ことがあるのだろうとかいう詰問きつもんを受けうけました。笑っわらって済ますませる時じはそれで差支えさしつかえないのですが、時じによると、妻つまの癇かんも高じこうじて来きます。しまいには「あなたは私わたくしを嫌っいやっていらっしゃるんでしょう」とか、「何なんでも私わたくしに隠しかくしていらっしゃる事ことがあるに違いちがいない」とかいう怨言えんげんも聞かきかなくてはなりません。
私わたくしはそのたびに苦しみくるしみました。
私わたくしは一層いっそう思い切っおもいきって、ありのままを妻つまに打ち明けよううちあけようとした事ことが何度なんどもあります。
しかしいざという間際まぎわになると自分じぶん以外いがいのある力ちからが不意ふいに来きて私わたくしを抑え付けるおさえつけるのです。
私わたくしを理解りかいしてくれるあなたの事ことだから、説明せつめいする必要ひつようもあるまいと思いおもいますが、話すはなすべき筋すじだから話しはなしておきます。
その時分じぶんの私わたくしは妻つまに対したいして己れおのれを飾るかざる気きはまるでなかったのです。
もし私わたくしが亡友ぼうゆうに対するたいすると同じおなじような善良ぜんりょうな心こころで、妻つまの前まえに懺悔ざんげの言葉ことばを並べならべたなら、妻つまは嬉し涙うれしなみだをこぼしても私わたくしの罪つみを許しゆるしてくれたに違いちがいないのです。
それをあえてしない私わたくしに利害りがいの打算ださんがあるはずはありません。
私わたくしはただ妻つまの記憶きおくに暗黒あんこくな一いち点てんを印するいんするに忍びしのびなかったから打ち明けうちあけなかったのです。
純白じゅんぱくなものに一雫ひとしずくの印しるし気きでも容赦ようしゃなく振り掛けるふりかけるのは、私わたくしにとって大変たいへんな苦痛くつうだったのだと解釈かいしゃくして下さいください。
一いち年ねん経っきょうってもKを忘れるわすれる事ことのできなかった私わたくしの心こころは常つねに不安ふあんでした。
私わたくしはこの不安ふあんを駆逐くちくするために書物しょもつに溺れようおぼれようと力めりきめました。
私わたくしは猛烈もうれつな勢いきおいをもって勉強べんきょうし始めはじめたのです。
そうしてその結果けっかを世の中よのなかに公こうにする日ひの来るくるのを待ちまちました。
けれども無理むりに目的もくてきを拵えこしらえて、無理むりにその目的もくてきの達せたっせられる日ひを待つまつのは嘘うそですから不愉快ふゆかいです。
私わたくしはどうしても書物しょもつのなかに心こころを埋めうめていられなくなりました。
私わたくしはまた腕組みうでぐみをして世の中よのなかを眺めながめだしたのです。
妻つまはそれを今日きょうに困らこまらないから心こころに弛みたるみが出るでるのだと観察かんさつしていたようでした。
妻つまの家いえにも親子おやこ二人ふたりぐらいは坐っすわっていてどうかこうか暮しくらして行けるいける財産ざいさんがある上うえに、私わたくしも職業しょくぎょうを求めもとめないで差支えさしつかえのない境遇きょうぐうにいたのですから、そう思わおもわれるのももっともです。
私わたくしも幾分いくぶんかスポイルすぽいるされた気味きみがありましょう。
しかし私わたくしの動かうごかなくなった原因げんいんの主なおもなものは、全くまったくそこにはなかったのです。
叔父おじに欺かあざむかれた当時とうじの私わたくしは、他ほかの頼みたのみにならない事ことをつくづくと感じかんじたには相違そういありませんが、他ほかを悪くわるく取るとるだけあって、自分じぶんはまだ確かたしかな気きがしていました。
世間せけんはどうあろうともこの己おのれは立派りっぱな人間にんげんだという信念しんねんがどこかにあったのです。
それがKのために美事みごとに破壊はかいされてしまって、自分じぶんもあの叔父おじと同じおなじ人間にんげんだと意識いしきした時じ、私わたくしは急きゅうにふらふらしました。
他ほかに愛想あいそを尽かしつかした私わたくしは、自分じぶんにも愛想あいそを尽かしつかして動けうごけなくなったのです。
五十三ごじゅうさん
「書物しょもつの中なかに自分じぶんを生埋めいきうめにする事ことのできなかった私わたくしは、酒さけに魂たましいを浸しひたして、己れおのれを忘れようわすれようと試みこころみた時期じきもあります。私わたくしは酒さけが好きすきだとはいいません。けれども飲めのめば飲めるのめる質しつでしたから、ただ量りょうを頼みたのみに心こころを盛り潰そうもりつぶそうと力めりきめたのです。この浅薄せんぱくな方便ほうべんはしばらくするうちに私わたくしをなお厭世えんせい的まとにしました。私わたくしは爛酔らんすいの真最中しんさいちゅうにふと自分じぶんの位置いちに気きが付くつくのです。自分じぶんはわざとこんな真似まねをして己れおのれを偽っにせっている愚物ぐぶつだという事ことに気きが付くつくのです。すると身み振いふるいと共ともに眼めも心こころも醒めさめてしまいます。時じにはいくら飲んのんでもこうした仮装かそう状態じょうたいにさえ入り込めはいりこめないでむやみに沈んしずんで行くいく場合ばあいも出でて来きます。その上うえ技巧ぎこうで愉快ゆかいを買っかった後あとには、きっと沈鬱ちんうつな反動はんどうがあるのです。私わたくしは自分じぶんの最ももっとも愛しあいしている妻つまとその母親ははおやに、いつでもそこを見せみせなければならなかったのです。しかも彼かれらは彼かれらに自然しぜんな立場たちばから私わたくしを解釈かいしゃくして掛りかかります。 妻つまの母ははは時々ときどき気き拙いつたない事ことを妻つまにいうようでした。それを妻つまは私わたくしに隠しかくしていました。しかし自分じぶんは自分じぶんで、単独たんどくに私わたくしを責めせめなければ気きが済ますまなかったらしいのです。責めるせめるといっても、決してけっして強いつよい言葉ことばではありません。妻つまから何なんかいわれたために、私わたくしが激しげきした例れいはほとんどなかったくらいですから。妻つまはたびたびどこが気きに入らはいらないのか遠慮えんりょなくいってくれと頼みたのみました。それから私わたくしの未来みらいのために酒さけを止めろとめろと忠告ちゅうこくしました。ある時じは泣いないて「あなたはこの頃このごろ人間にんげんが違っちがった」といいました。
それだけならまだいいのですけれども、「Kさんが生きいきていたら、あなたもそんなにはならなかったでしょう」というのです。
私わたくしはそうかも知れしれないと答えこたえた事ことがありましたが、私わたくしの答えこたえた意味いみと、妻つまの了解りょうかいした意味いみとは全くまったく違っちがっていたのですから、私わたくしは心こころのうちで悲しかっかなしかったのです。
それでも私わたくしは妻つまに何事なにごとも説明せつめいする気きにはなれませんでした。
私わたくしは時々ときどき妻つまに詫わびまりました。
それは多くおおく酒さけに酔っよいって遅くおそく帰っかえった翌日よくじつの朝あさでした。
妻つまは笑いわらいました。
あるいは黙っだまっていました。
たまにぽろぽろと涙なみだを落すおとす事こともありました。
私わたくしはどっちにしても自分じぶんが不愉快ふゆかいで堪らたまらなかったのです。
だから私わたくしの妻つまに詫わびまるのは、自分じぶんに詫わびまるのとつまり同じおなじ事ことになるのです。
私わたくしはしまいに酒さけを止めとめました。
妻つまの忠告ちゅうこくで止めとめたというより、自分じぶんで厭いやになったから止めとめたといった方ほうが適当てきとうでしょう。
酒さけは止めとめたけれども、何なんもする気きにはなりません。
仕方しかたがないから書物しょもつを読みよみます。
しかし読めよめば読んよんだなりで、打ち遣っうちやって置きおきます。
私わたくしは妻つまから何なんのために勉強べんきょうするのかという質問しつもんをたびたび受けうけました。
私わたくしはただ苦笑くしょうしていました。
しかし腹はらの底そこでは、世の中よのなかで自分じぶんが最ももっとも信愛しんあいしているたった一人ひとりの人間にんげんすら、自分じぶんを理解りかいしていないのかと思うおもうと、悲しかっかなしかったのです。
理解りかいさせる手段しゅだんがあるのに、理解りかいさせる勇気ゆうきが出せだせないのだと思うおもうとますます悲しかっかなしかったのです。
私わたくしは寂寞じゃくまくでした。
どこからも切り離さきりはなされて世の中よのなかにたった一人ひとり住んすんでいるような気きのした事こともよくありました。
同時どうじに私わたくしはKの死因しいんを繰り返しくりかえし繰り返しくりかえし考えかんがえたのです。
その当座とうざは頭あたまがただ恋こいの一いち字じで支配しはいされていたせいでもありましょうが、私わたくしの観察かんさつはむしろ簡単かんたんでしかも直線ちょくせん的まとでした。
Kは正しくただしく失恋しつれんのために死んしんだものとすぐ極めきわめてしまったのです。
しかし段々だんだん落ち付いおちついた気分きぶんで、同じおなじ現象げんしょうに向っむかってみると、そう容易くたやすくは解決かいけつが着かきかないように思わおもわれて来きました。
現実げんじつと理想りそうの衝突しょうとつ、――それでもまだ不充分ふじゅうぶんでした。
私わたくしはしまいにKが私わたくしのようにたった一人ひとりで淋しくさびしくって仕方しかたがなくなった結果けっか、急きゅうに所ところ決しけっしたのではなかろうかと疑いうたがい出しだしました。
そうしてまた慄りつとしたのです。
私わたくしもKの歩いあるいた路みちを、Kと同じおなじように辿ったどっているのだという予覚よかくが、折々おりおり風かぜのように私わたくしの胸むねを横よこ過りよぎり始めはじめたからです。
五十四ごじゅうよん
「その内妻ないさいの母ははが病気びょうきになりました。医者いしゃに見せるみせると到底とうてい癒らなおらないという診断しんだんでした。私わたくしは力ちからの及ぶおよぶかぎり懇切こんせつに看護かんごをしてやりました。これは病人びょうにん自身じしんのためでもありますし、また愛するあいする妻つまのためでもありましたが、もっと大きなおおきな意味いみからいうと、ついに人間にんげんのためでした。私わたくしはそれまでにも何なんかしたくって堪らたまらなかったのだけれども、何なんもする事ことができないのでやむをえず懐手ふところでをしていたに違いちがいありません。世間せけんと切り離さきりはなされた私わたくしが、始めはじめて自分じぶんから手てを出しだして、幾分いくぶんでも善いよい事ことをしたという自覚じかくを得とくたのはこの時じでした。私わたくしは罪滅ざいめつしとでも名づけなづけなければならない、一種いっしゅの気分きぶんに支配しはいされていたのです。 母ははは死にしにました。私わたくしと妻つまはたった二人ふたりぎりになりました。妻つまは私わたくしに向っむかって、これから世の中よのなかで頼りたよりにするものは一人ひとりしかなくなったといいました。自分自身じぶんじしんさえ頼りたよりにする事ことのできない私わたくしは、妻つまの顔かおを見みて思わおもわず涙ぐみなみだぐみました。そうして妻つまを不幸ふこうな女おんなだと思いおもいました。また不幸ふこうな女おんなだと口くちへ出しだしてもいいました。妻つまはなぜだと聞きききます。妻つまには私わたくしの意味いみが解らわからないのです。私わたくしもそれを説明せつめいしてやる事ことができないのです。妻つまは泣きなきました。私わたくしが不断ふだんからひねくれた考えかんがえで彼女かのじょを観察かんさつしているために、そんな事こともいうようになるのだと恨みうらみました。 母ははの亡くなっなくなった後あと、私わたくしはできるだけ妻つまを親切しんせつに取り扱っとりあつかってやりました。ただ、当人とうにんを愛しあいしていたからばかりではありません。私わたくしの親切しんせつには箇人を離れはなれてもっと広いひろい背景はいけいがあったようです。ちょうど妻つまの母ははの看護かんごをしたと同じおなじ意味いみで、私わたくしの心こころは動いうごいたらしいのです。妻つまは満足まんぞくらしく見えみえました。けれどもその満足まんぞくのうちには、私わたくしを理解りかいし得とくないために起るおこるぼんやりした稀薄きはくな点てんがどこかに含まふくまれているようでした。しかし妻つまが私わたくしを理解りかいし得とくたにしたところで、この物もの足りたりなさは増すますとも減るへる気遣いきづかいはなかったのです。女おんなには大きなおおきな人道じんどうの立場たちばから来るくる愛情あいじょうよりも、多少たしょう義理ぎりをはずれても自分じぶんだけに集注しっちゅうされる親切しんせつを嬉しうれしがる性質せいしつが、男おとこよりも強いつよいように思わおもわれますから。 妻つまはある時じ、男おとこの心こころと女おんなの心こころとはどうしてもぴたりと一いちつになれないものだろうかといいました。私わたくしはただ若いわかい時じならなれるだろうと曖昧あいまいな返事へんじをしておきました。妻つまは自分じぶんの過去かこを振り返っふりかえって眺めながめているようでしたが、やがて微かかすかな溜息ためいきを洩らしもらしました。 私わたくしの胸むねにはその時分じぶんから時々ときどき恐ろしいおそろしい影かげが閃きひらめきました。初めはじめはそれが偶然ぐうぜん外そとから襲っおそって来るくるのです。私わたくしは驚きおどろきました。私わたくしはぞっとしました。しかししばらくしている中なかに、私わたくしの心こころがその物凄いものすごい閃きひらめきに応ずるおうずるようになりました。しまいには外そとから来きないでも、自分じぶんの胸むねの底そこに生れうまれた時じから潜んひそんでいるもののごとくに思わおもわれ出しだして来きたのです。私わたくしはそうした心持こころもちになるたびに、自分じぶんの頭あたまがどうかしたのではなかろうかと疑っうたがってみました。けれども私わたくしは医者いしゃにも誰だれにも診しんてもらう気きにはなりませんでした。 私わたくしはただ人間にんげんの罪つみというものを深くふかく感じかんじたのです。その感じかんじが私わたくしをKの墓はかへ毎月まいつき行かいかせます。その感じかんじが私わたくしに妻つまの母ははの看護かんごをさせます。そうしてその感じかんじが妻つまに優しくやさしくしてやれと私わたくしに命じめいじます。私わたくしはその感じかんじのために、知らしらない路傍ろぼうの人ひとから鞭むちうたれたいとまで思っおもった事こともあります、こうした階段かいだんを段々だんだん経過けいかして行くいくうちに、人ひとに鞭むちうたれるよりも、自分じぶんで自分じぶんを鞭むちうつべきだという気きになります。自分じぶんで自分じぶんを鞭むちうつよりも、自分じぶんで自分じぶんを殺すころすべきだという考えかんがえが起りおこります。私わたくしは仕方しかたがないから、死んしんだ気きで生きいきて行こういこうと決心けっしんしました。 私わたくしがそう決心けっしんしてから今日きょうまで何なん年ねんになるでしょう。私わたくしと妻つまとは元もとの通りとおり仲なか好くよく暮しくらして来きました。私わたくしと妻つまとは決してけっして不幸ふこうではありません、幸福こうふくでした。しかし私わたくしのもっている一いち点てん、私わたくしに取っとっては容易よういならんこの一いち点てんが、妻つまには常つねに暗黒あんこくに見えみえたらしいのです。それを思うおもうと、私わたくしは妻つまに対したいして非常ひじょうに気の毒きのどくな気きがします。
五十五ごじゅうご
「死んしんだつもりで生きいきて行こういこうと決心けっしんした私わたくしの心こころは、時々ときどき外界がいかいの刺戟しげきで躍り上がりおどりあがりました。しかし私わたくしがどの方面ほうめんかへ切っきって出ようでようと思い立つおもいたつや否いなや、恐ろしいおそろしい力ちからがどこからか出でて来きて、私わたくしの心こころをぐいと握り締めにぎりしめて少しすこしも動けうごけないようにするのです。そうしてその力ちからが私わたくしにお前おまえは何なんをする資格しかくもない男おとこだと抑え付けるおさえつけるようにいって聞かきかせます。すると私わたくしはその一言ひとことで直ぐすぐたりと萎れしおれてしまいます。しばらくしてまた立ち上がろうたちあがろうとすると、また締め付けしめつけられます。私わたくしは歯はを食いしばっくいしばって、何なんで他ほかの邪魔じゃまをするのかと怒鳴り付けどなりつけます。不可思議ふかしぎな力ちからは冷やかひややかな声こえで笑いわらいます。自分じぶんでよく知っしっているくせにといいます。私わたくしはまたぐたりとなります。 波瀾はらんも曲折きょくせつもない単調たんちょうな生活せいかつを続けつづけて来きた私わたくしの内面ないめんには、常つねにこうした苦しいくるしい戦争せんそうがあったものと思っおもって下さいください。妻つまが見みて歯痒はがゆがる前まえに、私自身わたくしじしんが何なん層倍そうばい歯痒いはがゆい思いおもいを重ねかさねて来きたか知れしれないくらいです。私わたくしがこの牢屋ろうやの中なかに凝とじっとしている事ことがどうしてもできなくなった時じ、またその牢屋ろうやをどうしても突き破るつきやぶる事ことができなくなった時じ、必竟ひっきょう私わたくしにとって一番いちばん楽らくな努力どりょくで遂行すいこうできるものは自殺じさつより外そとにないと私わたくしは感ずるかんずるようになったのです。あなたはなぜといって眼めを※るかも知れしれませんが、いつも私わたくしの心こころを握り締めにぎりしめに来るくるその不可思議ふかしぎな恐ろしいおそろしい力ちからは、私わたくしの活動かつどうをあらゆる方面ほうめんで食いくい留めとめながら、死しの道みちだけを自由じゆうに私わたくしのために開けあけておくのです。動かうごかずにいればともかくも、少しすこしでも動くうごく以上いじょうは、その道みちを歩いあるいて進ますすまなければ私わたくしには進みすすみようがなくなったのです。 私わたくしは今日きょうに至るいたるまですでに二に、三さん度ど運命うんめいの導いみちびいて行くいく最ももっとも楽らくな方向ほうこうへ進もうすすもうとした事ことがあります。しかし私わたくしはいつでも妻つまに心こころを惹かさひかされました。そうしてその妻つまをいっしょに連れつれて行くいく勇気ゆうきは無論むろんないのです。妻つまにすべてを打ち明けるうちあける事ことのできないくらいな私わたくしですから、自分じぶんの運命うんめいの犠牲ぎせいとして、妻つまの天寿てんじゅを奪ううばうなどという手荒てあらな所作しょさは、考えかんがえてさえ恐ろしかっおそろしかったのです。私わたくしに私わたくしの宿命しゅくめいがある通りとおり、妻つまには妻つまの廻り合せめぐりあわせがあります、二人ふたりを一いち束たばにして火ひに燻べるふすべるのは、無理むりという点てんから見みても、痛ましいいたましい極端きょくたんとしか私わたくしには思えおもえませんでした。 同時どうじに私わたくしだけがいなくなった後あとの妻つまを想像そうぞうしてみるといかにも不憫ふびんでした。母ははの死んしんだ時じ、これから世の中よのなかで頼りたよりにするものは私わたくしより外そとになくなったといった彼女かのじょの述懐じゅっかいを、私わたくしは腸ちょうに沁みしみ込むごむように記憶きおくさせられていたのです。私わたくしはいつも躊躇ちゅうちょしました。妻つまの顔かおを見みて、止しよしてよかったと思うおもう事こともありました。そうしてまた凝とじっと竦んすくんでしまいます。そうして妻つまから時々ときどき物もの足りたりなそうな眼めで眺めながめられるのです。 記憶きおくして下さいください。私わたくしはこんな風かぜにして生きいきて来きたのです。始めはじめてあなたに鎌倉かまくらで会っかいった時じも、あなたといっしょに郊外こうがいを散歩さんぽした時じも、私わたくしの気分きぶんに大したたいした変りかわりはなかったのです。私わたくしの後ろうしろにはいつでも黒いくろい影かげが括かつッっ付いついていました。私わたくしは妻つまのために、命いのちを引きずっひきずって世の中よのなかを歩いあるいていたようなものです。あなたが卒業そつぎょうして国くにへ帰るかえる時じも同じおなじ事ことでした。九きゅう月つきになったらまたあなたに会おうあおうと約束やくそくした私わたくしは、嘘うそを吐いはいたのではありません。全くまったく会うあう気きでいたのです。秋あきが去っさって、冬ふゆが来きて、その冬ふゆが尽きつきても、きっと会うあうつもりでいたのです。 すると夏なつの暑いあつい盛りもりに明治めいじ天皇てんのうが崩御ほうぎょになりました。その時じ私わたくしは明治めいじの精神せいしんが天皇てんのうに始まっはじまって天皇てんのうに終っおわったような気きがしました。最ももっとも強くつよく明治めいじの影響えいきょうを受けうけた私わたくしどもが、その後そのあとに生き残っいきのこっているのは必竟ひっきょう時勢じせい遅れおくれだという感じかんじが烈しくはげしく私わたくしの胸むねを打ちうちました。私わたくしは明白めいはくさまに妻つまにそういいました。妻つまは笑っわらって取り合いとりあいませんでしたが、何なんを思っおもったものか、突然とつぜん私わたくしに、では殉死じゅんしでもしたらよかろうと調ちょう戯たわむれいました。
五十六ごじゅうろく
「私わたくしは殉死じゅんしという言葉ことばをほとんど忘れわすれていました。平生へいぜい使うつかう必要ひつようのない字じだから、記憶きおくの底そこに沈んしずんだまま、腐れくされかけていたものと見えみえます。妻つまの笑談しょうだんを聞いきいて始めはじめてそれを思い出しおもいだした時じ、私わたくしは妻つまに向っむかってもし自分じぶんが殉死じゅんしするならば、明治めいじの精神せいしんに殉死じゅんしするつもりだと答えこたえました。私わたくしの答えこたえも無論むろん笑談しょうだんに過ぎすぎなかったのですが、私わたくしはその時じ何なんだか古いふるい不要ふような言葉ことばに新しいあたらしい意義いぎを盛りもり得とくたような心持こころもちがしたのです。 それから約やく一いちカ月かげつほど経ちたちました。御ご大葬たいそうの夜よる私わたくしはいつもの通りとおり書斎しょさいに坐っすわって、相図あいずの号砲ごうほうを聞きききました。私わたくしにはそれが明治めいじが永久えいきゅうに去っさった報知ほうちのごとく聞こえきこえました。後あとで考えるかんがえると、それが乃木のぎ大将たいしょうの永久えいきゅうに去っさった報知ほうちにもなっていたのです。私わたくしは号外ごうがいを手てにして、思わおもわず妻つまに殉死じゅんしだ殉死じゅんしだといいました。 私わたくしは新聞しんぶんで乃木のぎ大将たいしょうの死ぬしぬ前まえに書き残しかきのこして行っいったものを読みよみました。西南せいなん戦争せんそうの時じ敵てきに旗はたを奪らとられて以来いらい、申し訳もうしわけのために死のうしのう死のうしのうと思っおもって、つい今日きょうまで生きいきていたという意味いみの句くを見みた時じ、私わたくしは思わおもわず指ゆびを折っおって、乃木のぎさんが死ぬしぬ覚悟かくごをしながら生きながらえいきながらえて来きた年月としつきを勘定かんじょうして見みました。西南せいなん戦争せんそうは明治めいじ十じゅう年ねんですから、明治めいじ四十五よんじゅうご年ねんまでには三十五さんじゅうご年ねんの距離きょりがあります。乃木のぎさんはこの三十五さんじゅうご年ねんの間ま死のうしのう死のうしのうと思っおもって、死ぬしぬ機会きかいを待っまっていたらしいのです。私わたくしはそういう人ひとに取っとって、生きいきていた三十五さんじゅうご年ねんが苦しいくるしいか、また刀かたなを腹はらへ突き立てつきたててた一いち刹那せつなが苦しいくるしいか、どっちが苦しいくるしいだろうと考えかんがえました。 それから二に、三さん日ひして、私わたくしはとうとう自殺じさつする決心けっしんをしたのです。私わたくしに乃木のぎさんの死んしんだ理由りゆうがよく解らわからないように、あなたにも私わたくしの自殺じさつする訳わけが明らかあきらかに呑み込めのみこめないかも知れしれませんが、もしそうだとすると、それは時勢じせいの推移すいいから来るくる人間にんげんの相違そういだから仕方しかたがありません。あるいは箇人のもって生れうまれた性格せいかくの相違そういといった方ほうが確かたしかかも知れしれません。私わたくしは私わたくしのできる限りできるかぎりこの不可思議ふかしぎな私わたくしというものを、あなたに解らわからせるように、今までいままでの叙述じょじゅつで己れおのれを尽しつくしたつもりです。 私わたくしは妻つまを残しのこして行きいきます。私わたくしがいなくなっても妻つまに衣食住いしょくじゅうの心配しんぱいがないのは仕合せしあわせです。私わたくしは妻つまに残酷ざんこくな驚怖きょうふを与えるあたえる事ことを好みこのみません。私わたくしは妻つまに血ちの色いろを見せみせないで死ぬしぬつもりです。妻つまの知らしらない間まに、こっそりこの世このよからいなくなるようにします。私わたくしは死んしんだ後あとで、妻つまから頓死とんししたと思わおもわれたいのです。気きが狂っくるったと思わおもわれても満足まんぞくなのです。 私わたくしが死のうしのうと決心けっしんしてから、もう十じゅう日ひ以上いじょうになりますが、その大部分だいぶぶんはあなたにこの長いながい自叙伝じじょでんの一節いっせつを書き残すかきのこすために使用しようされたものと思っおもって下さいください。始めはじめはあなたに会っかいって話はなしをする気きでいたのですが、書いかいてみると、かえってその方ほうが自分じぶんを判然はんぜん描き出すえがきだす事ことができたような心持こころもちがして嬉しいうれしいのです。私わたくしは酔興すいきょうに書くかくのではありません。私わたくしを生んうんだ私わたくしの過去かこは、人間にんげんの経験けいけんの一部分いちぶぶんとして、私わたくしより外そとに誰だれも語りかたり得るうるものはないのですから、それを偽りいつわりなく書き残しかきのこして置くおく私わたくしの努力どりょくは、人間にんげんを知るしる上うえにおいて、あなたにとっても、外そとの人ひとにとっても、徒労とろうではなかろうと思いおもいます。渡辺わたなべ華はな山やまは邯鄲かんたんという画がを描くえがくために、死期しきを一いち週間しゅうかん繰り延べくりのべたという話はなしをつい先達てせんだって聞きききました。他ほかから見みたら余計よけいな事ことのようにも解釈かいしゃくできましょうが、当人とうにんにはまた当人とうにん相応そうおうの要求ようきゅうが心こころの中なかにあるのだからやむをえないともいわれるでしょう。私わたくしの努力どりょくも単にたんにあなたに対するたいする約束やくそくを果たすはたすためばかりではありません。半ばなかば以上いじょうは自分自身じぶんじしんの要求ようきゅうに動かさうごかされた結果けっかなのです。 しかし私わたくしは今いまその要求ようきゅうを果たしはたしました。もう何になんにもする事ことはありません。この手紙てがみがあなたの手てに落ちるおちる頃ころには、私わたくしはもうこの世このよにはいないでしょう。とくに死んしんでいるでしょう。妻つまは十じゅう日ひばかり前まえから市ヶ谷いちがやの叔母おばの所ところへ行きいきました。叔母おばが病気びょうきで手てが足りたりないというから私わたくしが勧めすすめてやったのです。私わたくしは妻つまの留守るすの間まに、この長いながいものの大部分だいぶぶんを書きかきました。時々ときどき妻つまが帰っかえって来るくると、私わたくしはすぐそれを隠しかくしました。 私わたくしは私わたくしの過去かこを善悪ぜんあくともに他ほかの参考さんこうに供するきょうするつもりです。しかし妻つまだけはたった一人ひとりの例外れいがいだと承知しょうちして下さいください。私わたくしは妻つまには何になんにも知らしらせたくないのです。妻つまが己れおのれの過去かこに対したいしてもつ記憶きおくを、なるべく純白じゅんぱくに保存ほぞんしておいてやりたいのが私わたくしの唯一ゆいいつの希望きぼうなのですから、私わたくしが死んしんだ後あとでも、妻つまが生きいきている以上いじょうは、あなた限りかぎりに打ち明けうちあけられた私わたくしの秘密ひみつとして、すべてを腹はらの中なかにしまっておいて下さいください。」
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