七
第 17 章
父は明らかに自分の病気を恐れていた。
しかし医者の来るたびに蒼蠅い質問を掛けて相手を困らす質でもなかった。
医者の方でもまた遠慮して何ともいわなかった。
父は死後の事を考えているらしかった。
少なくとも自分がいなくなった後のわが家を想像して見るらしかった。
「小供に学問をさせるのも、好し悪しだね。せっかく修業をさせると、その小供は決して宅へ帰って来ない。これじゃ手もなく親子を隔離するために学問させるようなものだ」 学問をした結果兄は今遠国にいた。
教育を受けた因果で、私はまた東京に住む覚悟を固くした。
こういう子を育てた父の愚痴はもとより不合理ではなかった。
永年住み古した田舎家の中に、たった一人取り残されそうな母を描き出す父の想像はもとより淋しいに違いなかった。
わが家は動かす事のできないものと父は信じ切っていた。
その中に住む母もまた命のある間は、動かす事のできないものと信じていた。
自分が死んだ後、この孤独な母を、たった一人伽藍堂のわが家に取り残すのもまた甚だしい不安であった。
それだのに、東京で好い地位を求めろといって、私を強いたがる父の頭には矛盾があった。
私はその矛盾をおかしく思ったと同時に、そのお蔭でまた東京へ出られるのを喜んだ。
私は父や母の手前、この地位をできるだけの努力で求めつつあるごとくに装おわなくてはならなかった。
私は先生に手紙を書いて、家の事情を精しく述べた。
もし自分の力でできる事があったら何でもするから周旋してくれと頼んだ。
私は先生が私の依頼に取り合うまいと思いながらこの手紙を書いた。
また取り合うつもりでも、世間の狭い先生としてはどうする事もできまいと思いながらこの手紙を書いた。
しかし私は先生からこの手紙に対する返事がきっと来るだろうと思って書いた。
私はそれを封じて出す前に母に向かっていった。
「先生に手紙を書きましたよ。あなたのおっしゃった通り。ちょっと読んでご覧なさい」 母は私の想像したごとくそれを読まなかった。
「そうかい、それじゃ早くお出し。そんな事は他が気を付けないでも、自分で早くやるものだよ」 母は私をまだ子供のように思っていた。
私も実際子供のような感じがした。
「しかし手紙じゃ用は足りませんよ。どうせ、九月にでもなって、私が東京へ出てからでなくっちゃ」「そりゃそうかも知れないけれども、またひょっとして、どんな好い口がないとも限らないんだから、早く頼んでおくに越した事はないよ」「ええ。とにかく返事は来るに極ってますから、そうしたらまたお話ししましょう」 私はこんな事に掛けて几帳面な先生を信じていた。
私は先生の返事の来るのを心待ちに待った。
けれども私の予期はついに外れた。
先生からは一週間経っても何の音信もなかった。
「大方どこかへ避暑にでも行っているんでしょう」 私は母に向かって言訳らしい言葉を使わなければならなかった。
そうしてその言葉は母に対する言訳ばかりでなく、自分の心に対する言訳でもあった。
私は強いても何かの事情を仮定して先生の態度を弁護しなければ不安になった。
私は時々父の病気を忘れた。
いっそ早く東京へ出てしまおうかと思ったりした。
その父自身もおのれの病気を忘れる事があった。
未来を心配しながら、未来に対する所置は一向取らなかった。
私はついに先生の忠告通り財産分配の事を父にいい出す機会を得ずに過ぎた。