或阿呆の一生

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五十 俘

第 50 章
彼かれの友だちともだちの一人ひとりは発狂はっきょうした。
彼かれはこの友だちともだちにいつも或ある親しみしたしみを感じかんじてゐた。
それは彼かれにはこの友だちともだちの孤独こどくの、――軽快けいかいな仮面かめんの下したにある孤独こどくの人一倍ひといちばい身みにしみてわかる為ためだつた。
彼かれはこの友だちともだちの発狂はっきょうした後あと、二三にさん度どこの友だちともだちを訪問ほうもんした。
「君きみや僕ぼくは悪鬼あくきにつかれてゐるんだね。世紀末せいきまつの悪鬼あくきと云ふいふやつにねえ。」 この友だちともだちは声こえをひそめながら、こんなことを彼かれに話しはなしたりしたが、それから二三にさん日ひ後あとには或ある温泉おんせん宿やどへ出かけるでかける途中とちゅう、薔薇ばらの花はなさへ食つくつてゐたと云ふいふことだつた。
彼かれはこの友だちともだちの入院にゅういんした後あと、いつか彼かれのこの友だちともだちに贈ぞうつたテラコツタの半身はんしん像ぞうを思ひ出しおもひだした。
それはこの友だちともだちの愛しあいした「検察官けんさつかん」の作者さくしゃの半身はんしん像ぞうだつた。
彼かれはゴオゴリイも狂死きょうししたのを思ひおもひ、何なんか彼かれ等とうを支配しはいしてゐる力ちからを感じかんじずにはゐられなかつた。
彼かれはすつかり疲れつかれ切つきつた揚句あげく、ふとラデイゲの臨終りんじゅうの言葉ことばを読みよみ、もう一度いちど神々かみがみの笑ひ声わらいごえを感じかんじた。
それは「神かみの兵卒へいそつたちは己おのれをつかまへに来るくる」と云ふいふ言葉ことばだつた。
彼かれは彼かれの迷信めいしんや彼かれの感傷かんしょう主義しゅぎと闘はうとした。
しかしどう云ふいふ闘ひも肉体的にくたいてきに彼かれには不可能ふかのうだつた。
「世紀末せいきまつの悪鬼あくき」は実際じっさい彼かれを虐んさいなんでゐるのに違ひちがひなかつた。
彼かれは神かみを力ちからにした中なか世紀せいきの人々ひとびとに羨しうらやましさを感じかんじた。
しかし神かみを信ずるしんずることは――神かみの愛あいを信ずるしんずることは到底とうてい彼かれには出来できなかつた。
あのコクトオさへ信じしんじた神かみを!
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