一
第 11 章
自分は三沢を送った翌日また母と兄夫婦とを迎えるため同じ停車場に出かけなければならなかった。
自分から見るとほとんど想像さえつかなかったこの出来事を、始めから工夫して、とうとうそれを物にするまで漕ぎつけたものは例の岡田であった。
彼は平生からよくこんな技巧を弄してその成効に誇るのが好であった。
自分をわざわざ電話口へ呼び出して、そのうちきっと自分を驚かして見せると断ったのは彼である。
それからほどなく、お兼さんが宿屋へ尋ねて来て、その訳を話した時には、自分も実際驚かされた。
「どうして来るんです」と自分は聞いた。
自分が東京を立つ前に、母の持っていた、ある場末の地面が、新たに電車の布設される通り路に当るとかでその前側を幾坪か買い上げられると聞いたとき、自分は母に「じゃその金でこの夏みんなを連て旅行なさい」と勧めて、「また二郎さんのお株が始まった」と笑われた事がある。
母はかねてから、もし機会があったら京大阪を見たいと云っていたが、あるいはその金が手に入ったところへ、岡田からの勧誘があったため、こう大袈裟な計画になったのではなかろうか。
それにしても岡田がまた何でそんな勧誘をしたものだろう。
「何という大した考えもないんでございましょう。ただ昔しお世話になった御礼に御案内でもする気なんでしょう。それにあの事もございますから」 お兼さんの「あの事」というのは例の結婚事件である。
自分はいくらお貞さんが母のお気に入りだって、そのために彼女がわざわざ大阪三界まで出て来るはずがないと思った。
自分はその時すでに懐が危しくなっていた。
その上後から三沢のために岡田に若干の金額を借りた。
ほかの意味は別として、母と兄夫婦の来るのはこの不足填補の方便として自分には好都合であった。
岡田もそれを知って快よくこちらの要るだけすぐ用立ててくれたに違いなかろうと思った。
自分は岡田夫婦といっしょに停車場に行った。
三人で汽車を待ち合わしている間に岡田は、「どうです。二郎さん喫驚したでしょう」といった。
自分はこれと類似の言葉を、彼から何遍も聞いているので、何とも答えなかった。
お兼さんは岡田に向って、「あなたこの間から独で御得意なのね。二郎さんだって聞き飽きていらっしゃるわ。そんな事」と云いながら自分を見て「ねえあなた」と詫まるようにつけ加えた。
自分はお兼さんの愛嬌のうちに、どことなく黒人らしい媚を認めて、急に返事の調子を狂わせた。
お兼さんは素知らぬ風をして岡田に話しかけた。
――「奥さまもだいぶ御目にかからないから、ずいぶんお変りになったでしょうね」「この前会った時はやっぱり元の叔母さんさ」 岡田は自分の母の事を叔母さんと云い、お兼さんは奥様というのが、自分には変に聞こえた。
「始終傍にいると、変るんだか変らないんだか分りませんよ」と自分は答えて笑っているうちに汽車が着いた。
岡田は彼ら三人のために特別に宿を取っておいたとかいって、直に俥を南へ走らした。
自分は空に乗った俥の上で、彼のよく人を驚かせるのに驚いた。
そう云えば彼が突然上京してお兼さんを奪うように伴れて行ったのも自分を驚かした目覚ましい手柄の一つに相違なかった。