行人

11/40

一

第 11 章
自分じぶんは三沢みさわを送っおくった翌日よくじつまた母ははと兄あに夫婦ふうふとを迎えるむかえるため同じおなじ停車場ていしゃじょうに出かけでかけなければならなかった。
自分じぶんから見るみるとほとんど想像そうぞうさえつかなかったこの出来事できごとを、始めはじめから工夫くふうして、とうとうそれを物ものにするまで漕ぎつけこぎつけたものは例れいの岡田おかだであった。
彼かれは平生へいぜいからよくこんな技巧ぎこうを弄しろうしてその成せい効かいに誇るほこるのが好よしみであった。
自分じぶんをわざわざ電話でんわ口くちへ呼び出しよびだして、そのうちきっと自分じぶんを驚かしおどろかして見せるみせると断っことわったのは彼かれである。
それからほどなく、お兼けんさんが宿屋やどやへ尋ねたずねて来きて、その訳わけを話しはなした時じには、自分じぶんも実際じっさい驚かさおどろかされた。
「どうして来るくるんです」と自分じぶんは聞いきいた。
自分じぶんが東京とうきょうを立つたつ前まえに、母ははの持っもっていた、ある場末ばすえの地面じめんが、新たあらたに電車でんしゃの布設ふせつされる通り路とおりみちに当るあたるとかでその前まえ側がわを幾いく坪つぼか買い上げかいあげられると聞いきいたとき、自分じぶんは母ははに「じゃその金きんでこの夏なつみんなを連れんて旅行りょこうなさい」と勧めすすめて、「また二郎じろうさんのお株かぶが始まっはじまった」と笑わわらわれた事ことがある。
母はははかねてから、もし機会きかいがあったら京きょう大阪おおさかを見みたいと云っいっていたが、あるいはその金きんが手てに入っはいったところへ、岡田おかだからの勧誘かんゆうがあったため、こう大袈裟おおげさな計画けいかくになったのではなかろうか。
それにしても岡田おかだがまた何なんでそんな勧誘かんゆうをしたものだろう。
「何なんという大したたいした考えかんがえもないんでございましょう。ただ昔むかししお世話せわになった御礼ごれいに御ご案内あんないでもする気きなんでしょう。それにあの事こともございますから」 お兼けんさんの「あの事こと」というのは例れいの結婚けっこん事件じけんである。
自分じぶんはいくらお貞おさださんが母ははのお気に入りおきにはいりだって、そのために彼女かのじょがわざわざ大阪おおさか三界さんがいまで出でて来るくるはずがないと思っおもった。
自分じぶんはその時じすでに懐ふところが危きしくなっていた。
その上うえ後あとから三沢みさわのために岡田おかだに若干じゃっかんの金額きんがくを借りかりた。
ほかの意味いみは別べつとして、母ははと兄あに夫婦ふうふの来るくるのはこの不足ふそく填補てんぽの方便ほうべんとして自分じぶんには好都合こうつごうであった。
岡田おかだもそれを知っしって快よくこころよくこちらの要るいるだけすぐ用立てようだててくれたに違いちがいなかろうと思っおもった。
自分じぶんは岡田おかだ夫婦ふうふといっしょに停車場ていしゃじょうに行っいった。
三さん人ひとで汽車きしゃを待ち合わしまちあわしている間まに岡田おかだは、「どうです。二郎じろうさん喫驚きっきょうしたでしょう」といった。
自分じぶんはこれと類似るいじの言葉ことばを、彼かれから何なん遍へんも聞いきいているので、何なんとも答えこたえなかった。
お兼けんさんは岡田おかだに向っむかって、「あなたこの間まから独どくで御得意ごとくいなのね。二郎じろうさんだって聞き飽きききあきていらっしゃるわ。そんな事こと」と云いいいながら自分じぶんを見みて「ねえあなた」と詫わびまるようにつけ加えつけくわえた。
自分じぶんはお兼けんさんの愛嬌あいきょうのうちに、どことなく黒人こくじんらしい媚こびを認めみとめて、急きゅうに返事へんじの調子ちょうしを狂わくるわせた。
お兼けんさんは素知らぬそしらぬ風かぜをして岡田おかだに話しかけはなしかけた。
――「奥さまおくさまもだいぶ御ご目めにかからないから、ずいぶんお変りかわりになったでしょうね」「この前まえ会っかいった時じはやっぱり元もとの叔母おばさんさ」 岡田おかだは自分じぶんの母ははの事ことを叔母おばさんと云いいい、お兼けんさんは奥様おくさまというのが、自分じぶんには変へんに聞こえきこえた。
「始終しじゅう傍そばにいると、変るかわるんだか変らかわらないんだか分りわかりませんよ」と自分じぶんは答えこたえて笑っわらっているうちに汽車きしゃが着いついた。
岡田おかだは彼かれら三さん人ひとのために特別とくべつに宿やどを取っとっておいたとかいって、直じかに俥くるまを南みなみへ走らしはしらした。
自分じぶんは空そらに乗っのった俥くるまの上うえで、彼かれのよく人ひとを驚かおどろきかせるのに驚いおどろいた。
そう云えいえば彼かれが突然とつぜん上京じょうきょうしてお兼けんさんを奪ううばうように伴れつれて行っいったのも自分じぶんを驚かしおどろかした目覚ましいめざましい手柄てがらの一いちつに相違そういなかった。
11/40