行人

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二

第 2 章
自分じぶんは岡田おかだに連れつれられて二に階かいへ上っのぼって見みた。
当人とうにんが自慢じまんするほどあって眺望ちょうぼうはかなり好かっよかったが、縁側えんがわのない座敷ざしきの窓まどへ日ひが遠慮えんりょなく照り返すてりかえすので、暑さあつさは一通りひととおりではなかった。
床の間とこのまにかけてある軸物じくものも反っくり返っそっくりかえっていた。
「なに日ひが射すさすためじゃない。年ねんが年中ねんじゅうかけ通しとおしだから、糊のりの具合ぐあいでああなるんです」と岡田おかだは真面目まじめに弁解べんかいした。
「なるほど梅に鶯うめにうぐいすだ」と自分じぶんも云いいいたくなった。
彼かれは世帯せたいを持つもつ時じの用意よういに、この幅はばを自分じぶんの父ちちから貰っもらって、大おお得意とくいで自分じぶんの室むろへ持っもって来きて見せみせたのである。
その時じ自分じぶんは「岡田おかだ君きみこの呉春ごしゅんは偽物にせものだよ。それだからあの親父おやじが君きみにくれたんだ」と云っいって調ちょう戯たわむれ半分はんぶん岡田おかだを怒らしいからした事ことを覚えおぼえていた。
二人ふたりは懸物かけものを見みて、当時とうじを思い出しおもいだしながら子供こどもらしく笑っわらった。
岡田おかだはいつまでも窓まどに腰こしをかけて話はなしを続けるつづける風かぜに見えみえた。
自分じぶんも襯衣に洋よう袴はかまだけになってそこに寝転びねころびながら相手あいてになった。
そうして彼かれから天下てんか茶屋ちゃやの形勢けいせいだの、将来しょうらいの発展はってんだの、電車でんしゃの便利べんりだのを聞かさきかされた。
自分じぶんは自分じぶんにそれほど興味きょうみのない問題もんだいを、ただ素直すなおにはいはいと聴いきいていたが、電車でんしゃの通じるつうじる所ところへわざわざ俥くるまへ乗っのって来きた事ことだけは、馬鹿ばからしいと思っおもった。
二人ふたりはまた二に階かいを下りくだりた。
やがて細君さいくんが帰っかえって来きた。
細君さいくんはお兼けんさんと云っいって、器量きりょうはそれほどでもないが、色いろの白いしろい、皮膚ひふの滑らかなめらかな、遠見えんけんの大変たいへん好いよい女おんなであった。
父ちちが勤めつとめていたある官かん省しょうの属官ぞっかんの娘むすめで、その頃ころは時々ときどき勝手口かってぐちから頼またのまれものの仕立物したてものなどを持っもって出入でいりをしていた。
岡田おかだはまたその時分じぶん自分じぶんの家いえの食客しょっかくをして、勝手口かってぐちに近いちかい書生しょせい部屋へやで、勉強べんきょうもし昼寝ひるねもし、時じには焼芋やきいもなども食っしょくった。
彼かれらはかようにして互たがいに顔かおを知り合っしりあったのである。
が、顔かおを知り合っしりあってから、結婚けっこんが成立せいりつするまでに、どんな径路けいろを通っとおって来きたか自分じぶんはよく知らしらない。
岡田おかだは母ははの遠縁とおえんに当るあたる男おとこだけれども、自分じぶんの宅たくでは書生しょせい同様どうようにしていたから、下女げじょ達とおるは自分じぶんや自分じぶんの兄あにには遠慮えんりょして云いいい兼ねるかねる事ことまでも、岡田おかだに対したいしてはつけつけと云っいって退けしりぞけた。
「岡田おかださんお兼けんさんがよろしく」などという言葉ことばは、自分じぶんも時々ときどき耳みみにした。
けれども岡田おかだはいっこう気きにもとめない様子ようすだったから、おおかたただの徒事とじだろうと思っおもっていた。
すると岡田おかだは高商こうしょうを卒業そつぎょうして一人ひとりで大阪おおさかのある保険会社ほけんかいしゃへ行っいってしまった。
地位ちいは自分じぶんの父ちちが周旋しゅうせんしたのだそうである。
それから一いち年ねんほどして彼かれはまた飄然ひょうぜんとして上京じょうきょうした。
そうして今度こんどはお兼けんさんの手てを引いひいて大阪おおさかへ下っしたって行っいった。
これも自分じぶんの父ちちと母ははが口くちを利いきいて、話はなしを纏めまとめてやったのだそうである。
自分じぶんはその時じ富士ふじへ登っのぼって甲州こうしゅう路みちを歩くあるく考えかんがえで家いえにはいなかったが、後あとでその話はなしを聞いきいてちょっと驚いおどろいた。
勘定かんじょうして見るみると、自分じぶんが御殿場ごてんばで下りくだりた汽車きしゃと擦れ違っすれちがって、岡田おかだは新しいあたらしい細君さいくんを迎えるむかえるために入京にゅうきょうしたのである。
お兼けんさんは格子こうしの前まえで畳んたたんだ洋傘ようがさを、小さいちいさい包つつみと一緒いっしょに、脇の下わきのしたに抱えかかえながら玄関げんかんから勝手かっての方ほうに通り抜けるとおりぬける時じ、ちょっときまりの悪わるそうな顔かおをした。
その顔かおは日盛ひもりの中なかを歩いあるいた火気かきのため、汗あせを帯びおびて赤くあかくなっていた。
「おい御客ごきゃくさまだよ」と岡田おかだが遠慮えんりょのない大きなおおきな声こえを出しだした時じ、お兼けんさんは「ただいま」と奥おくの方ほうで優しくやさしく答えこたえた。
自分じぶんはこの声こえの持主もちぬしに、かつて着きた久留米くるめ絣かすりやフランネルふらんねるの襦袢じゅばんを縫っぬって貰っもらった事こともあるのだなとふと懐かしいなつかしい記憶きおくを喚起かんきした。
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