行人

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七

第 7 章
「例れいの一いち件けん」が本式ほんしきに岡田おかだの口くちから持ち出さもちだされたのはその晩ばんの事ことであった。
自分じぶんは露ろに近いちかい縁側えんがわを好んこのんでそこに座ざを占めしめていた。
岡田おかだはそれまでお兼けんさんと向き合っむきあって座敷ざしきの中なかに坐っすわっていたが、話はなしが始まるはじまるや否いなや、すぐ立ったって縁側えんがわへ出でて来きた。
「どうも遠くとおくじゃ話はなしがし悪くわるくっていけない」と云いいいながら、模様もようのついた座蒲団ざふとんを自分じぶんの前まえに置いおいた。
お兼けんさんだけは依然いぜんとして元もとの席せきを動かうごかなかった。
「二郎じろうさん写真しゃしんは見みたでしょう、この間ま僕ぼくが送っおくった」 写真しゃしんの主ぬしというのは、岡田おかだと同じおなじ会社かいしゃへ出るでる若いわかい人ひとであった。
この写真しゃしんが来きた時じ家いえのものが代りかわりばんこに見みて、さまざまの批評ひひょうを加えくわえたのを、岡田おかだは知らしらないのである。
「ええちょっと見みました」「どうです評判ひょうばんは」「少しすこし御ご凸とつ額がくだって云っいったものもあります」 お兼けんさんは笑いわらい出しだした。
自分じぶんもおかしくなった。
と云ういうのは、その男おとこの写真しゃしんを見みて、お凸とつ額がくだと云いいい始めはじめたものは、実じつのところ自分じぶんだからである。
「お重おしげさんでしょう、そんな悪口わるぐちをいうのは。あの人ひとの口くちにかかっちゃ、たいていのものは敵わかなわないからね」 岡田おかだは自分じぶんの妹いもうとのお重おしげを大変たいへん口くちの悪いわるい女おんなだと思っおもっている。
それも彼かれがお重おしげから、あなたの顔かおは将棋しょうぎの駒こま見みたいよと云わいわれてからの事ことである。
「お重おしげさんに何なんと云わいわれたって構わかまわないが肝心かんじんの当人とうにんはどうなんです」 自分じぶんは東京とうきょうを立つたつとき、母ははから、貞ていには無論むろん異存いぞんこれなくという返事へんじを岡田おかだの方ほうへ出しだしておいたという事ことを確めたしかめて来きたのである。
だから、当人とうにんは母ははから上げあげた返事へんじの通りとおりだと答えこたえた。
岡田おかだ夫婦ふうふはまた佐野さのという婿むこになるべき人ひとの性質せいしつや品行ひんこうや将来しょうらいの望みのぞみや、その他ほかいろいろの条項じょうこうについて一々いちいち自分じぶんに話しはなして聞かきかせた。
最後さいごに当人とうにんがこの縁談えんだんの成立せいりつを切望せつぼうしている例れいなどを挙げあげた。
お貞おさださんは器量きりょうから云っいっても教育きょういくから云っいっても、これという特色とくしょくのない女おんなである。
ただ自分じぶんの家いえの厄介やっかいものという名ながあるだけである。
「先方せんぽうがあまり乗気のりきになって何なんだか剣呑けんのんだから、あっちへ行っいったらよく様子ようすを見みて来きておくれ」 自分じぶんは母ははからこう頼またのまれたのである。
自分じぶんはお貞おさださんの運命うんめいについて、それほど多くおおくの興味きょうみはもち得とくなかったけれども、なるほどそう望まのぞまれるのは、お貞おさださんのために結構けっこうなようでまた危険きけんな事ことだろうとも考えかんがえていた。
それで今までいままで黙っだまって岡田おかだ夫婦ふうふの云ういう事ことを聞いきいていた自分じぶんは、ふと口くちを滑らしすべらした。
――「どうしてお貞おさださんが、そんなに気きに入っはいったものかな。まだ会っかいった事こともないのに」「佐野さのさんはああいうしっかりした方ほうだから、やっぱり辛抱しんぼう人ひとを御ご貰いもらいになる御ご考えかんがえなんですよ」 お兼けんさんは岡田おかだの方ほうを向いむかいて、佐野さのの態度たいどをこう弁解べんかいした。
岡田おかだはすぐ、「そうさ」と答えこたえた。
そうしてそのほかには何なんも考えかんがえていないらしかった。
自分じぶんはとにかくその佐野さのという人ひとに明日あす会おうあおうという約束やくそくを岡田おかだとして、また六ろく畳たたみの二に階かいに上っのぼった。
頭あたまを枕まくらに着けつけながら、自分じぶんの結婚けっこんする場合ばあいにも事ことがこう簡単かんたんに運ぶはこぶのだろうかと考えるかんがえると、少しすこし恐ろしいおそろしい気きがした。
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