四
第 24 章
父はその年始めて誰かから朝貌を作る事を教わって、しきりに変った花や葉を愛玩していた。
変ったと云っても普通のものがただ縮れて見立がなくなるだけだから、宅中でそれを顧みるものは一人もなかった。
ただ父の熱心と彼の早起と、いくつも並んでいる鉢と、綺麗な砂と、それから最後に、厭に拗ねた花の様や葉の形に感心するだけに過ぎなかった。
父はそれらを縁側へ並べて誰を捉まえても説明を怠らなかった。
「なるほど面白いですなあ」と正直な兄までさも感心したらしく御世辞を余儀なくされていた。
父は常に我々とはかけ隔った奥の二間を専領していた。
簀垂のかかったその縁側に、朝貌はいつでも並べられた。
したがって我々は「おい一郎」とか「おいお重」とか云って、わざわざそこへ呼び出されたものであった。
自分は兄よりも遥に父の気に入るような賛辞を呈して引き退がった。
そうして父の聞えない所で、「どうもあんな朝貌を賞めなけりゃならないなんて、実際恐れ入るね。親父の酔興にも困っちまう」などと悪口を云った。
いったい父は講釈好の説明好であった。
その上時間に暇があるから、誰でも構わず、号鈴を鳴らして呼寄せてはいろいろな話をした。
お重などは呼ばれるたびに、「兄さん今日は御願だから代りに行ってちょうだい」と云う事がよくあった。
そのお重に父はまた解り悪い事を話すのが大好だった。
自分達が大阪から帰ったとき朝貌はまだ咲いていた。
しかし父の興味はもう朝貌を離れていた。
「どうしました。例の変り種は」と自分が聞いて見ると、父は苦笑いをして「実は朝貌もあまり思わしくないから、来年からはもう止めだ」と答えた。
自分はおおかた父の誇りとして我々に見せた妙な花や葉が、おそらくその道の人から鑑定すると、成っていなかったんだろうと判断して、茶の間で大きな声を立てて笑った。
すると例のお重とお貞さんが父を弁護した。
「そうじゃ無いのよ。あんまり手数がかかるんで、御父さんも根気が尽きちまったのよ。それでも御父さんだからあれだけにできたんですって、皆な賞めていらしったわ」 母と嫂は自分の顔を見て、さも自分の無識を嘲けるように笑い出した。
すると傍にいた小さな芳江までが嫂と同じように意味のある笑い方をした。
こんな瑣事で日を暮しているうちに兄と嫂の間柄は自然自分達の胸を離れるようになった。
自分はかねて約束した通り、兄の前へ出て嫂の事を説明する必要がなくなったような気がした。
母が東京へ帰ってからゆっくり話そうと云ったむずかしそうな事件も母の口から容易に出ようとも思えなかった。
最後にあれほど嫂について智識を得たがっていた兄が、だんだん冷静に傾いて来た。
その代り父母や自分に対しても前ほどは口を利かなくなった。
暑い時でもたいていは書斎へ引籠って何か熱心にやっていた。
自分は時々嫂に向って、「兄さんは勉強ですか」と聞いた。
嫂は「ええおおかた来学年の講義でも作ってるんでしょう」と答えた。
自分はなるほどと思って、その忙しさが永く続くため、彼の心を全然そっちの方へ転換させる事ができはしまいかと念じた。
嫂は平生の通り淋しい秋草のようにそこらを動いていた。
そうして時々片靨を見せて笑った。