行人

37/40

七

第 37 章
日曜にちようには思い切っおもいきって寝坊ねぼうをする癖くせのついていた自分じぶんも、次つぎの朝あさだけは割合わりあいに早くはやく起きおきた。
飯めしを済ましすまして新聞しんぶんを読むよむと、その新聞しんぶんが汽車きしゃを待ち合せるまちあわせる間まに買っかって、せわしなく眼めを通すとおす時じのように、何なんの見るみるところもないほど、つまらなく感ぜかんぜられた。
自分じぶんはすぐ新聞しんぶんを棄てすてた。
しかし五六ごろく分ぶん経たへたないうちにまたそれを取り上げとりあげた。
自分じぶんは煙草たばこを吸っすったり、眼鏡めがねの曇くもりを丁寧ていねいに拭っぬぐったり、いろいろな所作しょさをして、父ちちの来るくるのを待ち受けまちうけた。
父ちちは容易よういに来きなかった。
自分じぶんは父ちちの早起はやきをよく承知しょうちしていた。
彼かれの性急せいきゅうにも子供こどものうちから善くよく馴らさならされていた。
落ちつかおちつかない自分じぶんは、電話でんわでもかけて、どうしたのかこっちから父ちちの都合つごうを聞いきいて見ようみようかと思っおもった。
母ははに狎れなれ抜いぬいた自分じぶんは、常つねから父ちちを憚っはばかっていた。
けれども、本当ほんとうの底そこを割っわりって見るみると、柔和にゅうわしい母ははの方ほうが、苛いらち酷しいきびしい父ちちよりはかえって怖かっこわかった。
自分じぶんは父ちちに怒らおこられたり小言こごとを云わいわれたりする時じに、恐縮きょうしゅくはしながらも、やっぱり男おとこは男おとこだと腹はらの中なかで思うおもう事ことがたびたびあった。
けれどもこの場合ばあいはいつもと違っちがっていた。
いくら父ちちでもそう容易くたやすく高こうを括るくくる訳わけに行かいかなかった。
電話でんわをかけようとした自分じぶんはまたかけ得とくずにしまった。
父ちちはとうとう十じゅう時じ頃ころになってやって来きた。
羽織はおり袴はかまで少しすこしきまり過ぎすぎた服装ふくそうはしていたが、顔つきかおつきは存外ぞんがい穏かおだやかであった。
小さいちいさい時じから彼かれの手元てもとで育っそだった自分じぶんは、事ことのあるかないかを彼かれの顔色かおいろからすぐ判断はんだんする功こうを積んつんでいた。
「もっと早くはやくおいでだろうと思っおもって先刻せんこくから待っまっていました」「おおかた床ゆかの中なかで待っまってたんだろう。早いはやいのはいくら早くはやくっても驚かおどろきかないが、御前ごぜんに気の毒きのどくだからわざと遅くおそく出かけでかけたのさ」 父ちちは自分じぶんの汲んくんで出しだした茶ちゃを、飲むのむように甞めるように、口くちの所ところへ持っもって行っいって、室むろの中なかをじろじろ見廻しみまわした。
室むろには机つくえと本箱ほんばこと火鉢ひばちがあるだけであった。
「好いよい室むろだね」 父ちちは自分じぶん達とおるに対したいしてもよくこんな愛嬌あいきょうを云ういう男おとこであった。
彼かれが長年ながねん社交しゃこうのために用いもちい慣れなれた言葉ことばは、遠慮えんりょのない家庭かていにまで、いつか這入りはいり込んこんで来きた。
それほど枯れかれた御世辞ごせじだから、それが自分じぶんには他ほかの「御早うおはよう」ぐらいにしか響かひびきかなかった。
彼かれは三さん尺さしの床ゆかを覗いのぞいてそこに掛けかけた幅はば物ものを眺めながめ出しだした。
「ちょうど好いよいね」 その軸じくは特にとくにここの床の間とこのまを飾るかざるために自分じぶんが父ちちから借りかりて来きた小形おがたの半切はんせつであった。
彼かれが「これなら持っもって行っいっても好いよい」と投げ出しなげだしてくれただけあって、自分じぶんにはちょうど好くよくも何なんともない変へんなものであった。
自分じぶんは苦笑くしょうしてそれを眺めながめていた。
そこには薄墨うすずみで棒ぼうが一本いちぽん筋違すじかいに書いかいてあった。
その上うえに「この棒ぼうひとり動かうごかず、さわれば動くうごく」と賛さんがしてあった。
要するようするに絵えとも字じとも片かたのつかないつまらないものであった。
「御前ごぜんは笑うわらうがね。これでも渋いしぶいものだよ。立派りっぱな茶ちゃ懸けんになるんだから」「誰だれでしたっけね書き手かきては」「それは分らわからないが、いずれ大徳だいとく寺てらか何なんか……」「そうそう」 父ちちはそれで懸物かけものの講釈こうしゃくを切り上げようきりあげようとはしなかった。
大徳だいとく寺てらがどうの、黄檗おうばくがどうのと、自分じぶんにはまるで興味きょうみのない事ことを説明せつめいして聞かきかせた。
しまいに「この棒ぼうの意味いみが解るわかるか」などと云っいって自分じぶんを悩まなやませた。
37/40