十
第 40 章
座敷に這入った時、母は自分の顔を見て、「おや珍らしいね」と云っただけであった。
自分はほとんど権柄ずくでここへ引っ張られて来ながらも、途々父の情をありがたく感じていた。
そうして暗に家に帰ってから母に会う瞬間の光景を予想していた。
その予想がこの一言で打ち崩されたのは案外であった。
父は家内の誰にも打ち合せをせずに、全く自分一人の考えで、この不心得な息子に親切を尽してくれたのである。
お重は逃げた飼犬を見るような眼つきで自分を見た。
「そら迷子が帰って来た」と云った。
嫂はただ「いらっしゃい」と平生の通り言葉寡な挨拶をした。
この間の晩一人で尋ねて来た事は、まるで忘れてしまったという風に見えた。
自分も人前を憚って一口もそれに触れなかった。
比較的陽気なのは父であった。
彼は多少の諧謔と誇張とを交ぜて、今日どうして自分をおびき出したかを得意らしく母やお重に話した。
おびき出すという彼の言葉が自分には仰山でかつ滑稽に聞えた。
「春になったから、皆なもちっと陽気にしなくっちゃいけない。この頃のように黙ってばかりいちゃ、まるで幽霊屋敷のようで、くさくさするだけだあね。桐畠でさえ立派な家が建つ時節じゃないか」 桐畠というのは家のつい近所にある角地面の名であった。
そこへ住まうと何か祟があるという昔からの言い伝えで、この間まで空地になっていたのを、この頃になってようやく或る人が買い取って、大きな普請を始めたのである。
父は自分の家が第二の桐畠になるのを恐れでもするように、活々と傍のものに話し掛けた。
平生彼の居馴染んだ室は、奥の二間続きで、何か用があると、母でも兄でも、そこへ呼び出されるのが例になっていたが、その日はいつもと違って、彼は初めから居間へは這入らなかった。
ただ袴と羽織を脱ぎ棄てたなり、そこへ坐ったまま、長く自分達を相手に喋舌っていた。
久しく住み馴れた自分の家も、こうしてたまに来て見ると、多少忘れ物でも思い出すような趣があった。
出る時はまだ寒かった。
座敷の硝子戸はたいてい二重に鎖されて、庭の苔を残酷に地面から引き剥す霜が一面に降っていた。
今はその外側の仕切がことごとく戸袋の中に収められてしまった。
内側も左右に開かれていた。
許す限り家の中と大空と続くようにしてあった。
樹も苔も石も自然から直接に眼の中へ飛び込んで来た。
すべてが出る時と趣を異にしていた。
すべてが下宿とも趣を異にしていた。
自分はこういう過去の記念のなかに坐って、久しぶりに父母や妹や嫂といっしょに話をした。
家族のうちでそこにいないものはただ兄だけであった。
その兄の名は先刻からまだ一度も誰の会話にも上らなかった。
自分はその日彼がKさんの披露会に呼ばれたという事を聞いた。
自分は彼がその招待に応じたか、上野へ出かけたか、はたして留守であるかさえ知らなかった。
自分は自分の前にいる嫂を見て、彼女が披露の席に臨まないという事だけを確めた。
自分は兄の名が話頭に上らないのを苦にした。
同時に彼の名が出て来るのを憚った。
そうした心持でみんなの顔を見ると、無邪気な顔は一つもないように思えた。
自分はしばらくしてお重に「お重お前の室をちょっと御見せ。綺麗になったって威張ってたから見てやろう」と云った。
彼女は「当り前よ、威張るだけの事はあるんだから行って御覧なさい」と答えた。
自分は下宿をするまで朝夕寝起きをした、家中で一番馴染の深い、故のわが室を覗きに立った。
お重は果して後から随いて来た。
十一
彼女の室は自慢するほど綺麗にはなっていなかったけれども、自分の住み荒した昔に比べると、どこかになまめいた匂いが漂よっていた。
自分は机の前に敷いてある派出な模様の座蒲団の上に胡坐をかいて、「なるほど」と云いながらそこいらを見廻した。
机の上には和製のマジョリカ皿があった。
薔薇の造り花がセゼッション式の一輪瓶に挿してあった。
白い大きな百合を刺繍にした壁飾りが横手にかけてあった。
「ハイカラじゃないか」「ハイカラよ」 お重の澄ました顔には得意の色が見えた。
自分はしばらくそこでお重に調戯っていた。
五六分してから彼女に「近頃兄さんはどうだい」とさも偶然らしく問いかけて見た。
すると彼女は急に声を潜めて、「そりゃ変なのよ」と答えた。
彼女の性質は嫂とは全く反対なので、こう云う場合には大変都合が好かった。
いったん緒口さえ見出せば、あとはこっちで水を向ける必要も何もなかった。
隠す事を知らない彼女は腹にある事をことごとく話した。
黙って聞いていた自分にもしまいには蒼蠅いほどであった。
「つまり兄さんが家のものとあんまり口を利かないと云うんだろう」「ええそうよ」「じゃ僕の家を出た時と同じ事じゃないか」「まあそうよ」 自分は失望した。
考えながら、煙草の灰をマジョリカ皿の中へ遠慮なくはたき落した。
お重は厭な顔をした。
「それペン皿よ。灰皿じゃないわよ」 自分は嫂ほどに頭のできていないお重から、何も得るところのないのを覚って、また父や母のいる座敷へ帰ろうとした時、突然妙な話を彼女から聞いた。
その話によると、兄はこの頃テレパシーか何かを真面目に研究しているらしかった。
彼はお重を書斎の外に立たしておいて、自分で自分の腕を抓った後「お重、今兄さんはここを抓ったが、お前の腕もそこが痛かったろう」と尋ねたり、または室の中で茶碗の茶を自分一人で飲んでおきながら、「お重お前の咽喉は今何か飲む時のようにぐびぐび鳴りやしないか」と聞いたりしたそうである。
「妾説明を聞くまでは、きっと気が変になったんだと思って吃驚りしたわ。兄さんは後で仏蘭西の何とかいう人のやった実験だって教えてくれたのよ。そうしてお前は感受性が鈍いから罹らないんだって云うのよ。妾嬉しかったわ」「なぜ」「だってそんなものに罹るのはコレラに罹るより厭だわ妾」「そんなに厭かい」「きまってるじゃありませんか。だけど、気味が悪いわね、いくら学問だってそんな事をしちゃ」 自分もおかしいうちに何だか気味の悪い心持がした。
座敷へ帰って来ると、嫂の姿はもうそこに見えなかった。
父と母は差し向いになって小さな声で何か話し合っていた。
その様子が今しがた自分一人で家中を陽気にした賑やかな人の様子とも見えなかった。
「ああ育てるつもりじゃなかったんだがね」という声が聞えた。
「あれじゃ困りますよ」という声も聞えた。
十二
自分はその席で父と母から兄に関する近況の一般を聞いた。
彼らの挙げた事実は、お重を通して得た自分の知識に裏書をする以外、別に新しい何物をも付け加えなかったけれども、その様子といい言葉といい、いかにも兄の存在を苦にしているらしく見えて、はなはだ痛々しかった。
彼ら(ことに母)は兄一人のために宅中の空気が湿っぽくなるのを辛いと云った。
尋常の父母以上にわが子を愛して来たという自信が、彼らの不平を一層濃く染めつけた。
彼らはわが子からこれほど不愉快にされる因縁がないと暗に主張しているらしく思われた。
したがって自分が彼らの前に坐っている間、彼らは兄を云々するほか、何人の上にも非難を加えなかった。
平生から兄に対する嫂の仕打に飽き足らない顔を見せていた母でさえ、この時は彼女についてついに一口も訴えがましい言葉を洩らさなかった。
彼らの不平のうちには、同情から出る心配も多量に籠っていた。
彼らは兄の健康について少からぬ掛念をもっていた。
その健康に多少支配されなければならない彼の精神状態にも冷淡ではあり得なかった。
要するに兄の未来は彼らにとって、恐ろしいXであった。
「どうしたものだろう」 これが相談の時必ず繰り返されべき言葉であった。
実を云えば、一人一人離れている折ですら、胸の中でぼんやり繰り返して見るべき二人の言葉であった。
「変人なんだから、今までもよくこんな事があったには有ったんだが、変人だけにすぐ癒ったもんだがね。不思議だよ今度は」 兄の機嫌買を子供のうちから知り抜いている彼らにも、近頃の兄は不思議だったのである。
陰欝な彼の調子は、自分が下宿する前後から今日まで少しの晴間なく続いたのである。
そうしてそれがだんだん険悪の一方に向って真直に進んで行くのである。
「本当に困っちまうよ妾だって。腹も立つが気の毒でもあるしね」 母は訴えるように自分を見た。
自分は父や母と相談のあげく、兄に旅行でも勧めて見る事にした。
彼らが自分達の手際ではとても駄目だからというので、自分は兄と一番親密なHさんにそれを頼むが好かろうと発議して二人の賛成を得た。
しかしその頼み役には是非共自分が立たなければ済まなかった。
春休みにはまだ一週間あった。
けれども学校の講義はもうそろそろしまいになる日取であった。
頼んで見るとすれば、早くしなければ都合が悪かった。
「じゃ二三日うちに三沢の所へ行って三沢からでも話して貰うかまた様子によったら僕がじかに行って話すか、どっちかにしましょう」 Hさんとそれほど懇意でない自分は、どうしても途中に三沢を置く必要があった。
三沢は在学中Hさんを保証人にしていた。
学校を出てからもほとんど家族の一人のごとく始終そこへ出入していた。
帰りがけに挨拶をしようと思って、ちょっと嫂の室を覗いたら、嫂は芳江を前に置いて裸人形に美しい着物を着せてやっていた。
「芳江大変大きくなったね」 自分は芳江の頭へ立ちながら手をかけた。
芳江はしばらく顔を見なかった叔父に突然綾されたので、少しはにかんだように唇を曲げて笑っていた。
門を出る時はかれこれ五時に近かったが、兄はまだ上野から帰らなかった。
父は久しぶりだから飯でも食って彼に会って行けと云ったが、自分はとうとうそれまで腰を据えていられなかった。
十三
翌日自分は事務所の帰りがけに三沢を尋ねた。
ちょうど髪を刈りに今しがた出かけたところだというので、自分は遠慮なく上り込んで彼を待つ事にした。
「この両三日はめっきりお暖かになりました。もうそろそろ花も咲くでございましょう」 主人の帰る間座敷へ出た彼の母は、いつもの通り丁寧な言葉で自分に話し掛けた。
彼の室は例のごとく絵だのスケッチだので鼻を突きそうであった。
中には額縁も何にもない裸のままを、ピンで壁の上へじかに貼り付けたのもあった。
「何だか存じませんが、好だものでございますから、むやみと貼散らかしまして」と彼の母は弁解がましく云った。
自分は横手の本棚の上に、丸い壺と並べて置いてあった一枚の油絵に眼を着けた。
それには女の首が描いてあった。
その女は黒い大きな眼をもっていた。
そうしてその黒い眼の柔かに湿ったぼんやりしさ加減が、夢のような匂を画幅全体に漂わしていた。
自分はじっとそれを眺めていた。
彼の母は苦笑して自分を顧みた。
「あれもこの間いたずらに描きましたので」 三沢は画の上手な男であった。
職業柄自分も画の具を使う道ぐらいは心得ていたが、芸術的の素質を饒かにもっている点において、自分はとうてい彼の敵ではなかった。
自分はこの画を見ると共に可憐なオフィリヤを連想した。
「面白いです」と云った。
「写真を台にして描いたんだから気分がよく出ない、いっそ生きてるうちに描かして貰えば好かったなんて申しておりました。不幸な方で、二三年前に亡くなりました。せっかく御世話をして上げた御嫁入先も不縁でね、あなた」 油絵のモデルは三沢のいわゆる出戻りの御嬢さんであった。
彼の母は自分の聞かない先きに、彼女についていろいろと語った。
けれども女と三沢との関係は一言も口にしなかった。
女の精神病に罹った事にもまるで触れなかった。
自分もそれを聞く気は起らなかった。
かえって話頭をこっちで切り上げるようにした。
問題は彼女を離れるとすぐ三沢の結婚談に移って行った。
彼の母は嬉しそうであった。
「あれもいろいろ御心配をかけましたが、今度ようやくきまりまして……」 この間三沢から受取った手紙に、少し一身上の事について、君に話があるからそのうち是非行くと書いてあったのが、この話でやっと悟れた。
自分は彼の母に対して、ただ人並の祝意を表しておいたが、心のうちではその嫁になる人は、はたしてこの油絵に描いてある女のように、黒い大きな滴るほどに潤った眼をもっているだろうか、それが何より先に確めて見たかった。
三沢は思ったほど早く帰らなかった。
彼の母はおおかた帰りがけに湯にでも行ったのだろうと云って、何なら見せにやろうかと聞いたが、自分はそれを断った。
しかし彼女に対する自分の話は、気の毒なほど実が入らなかった。
三沢にどうだろうと云った自分の妹のお重は、まだどこへ行くともきまらずにぐずぐずしている。
そういう自分もお重と同じ事である。
せっかく身の堅まった兄と嫂は折り合わずにいる。
――こんな事を対照して考えると、自分はどうしても快活になれなかった。
十四
そのうち三沢が帰って来た。
近頃は身体の具合が好いと見えて、髪を刈って湯に入った後の彼の血色は、ことにつやつやしかった。
健康と幸福、自分の前に胡坐をかいた彼の顔はたしかにこの二つのものを物語っていた。
彼の言語態度もまたそれに匹敵して陽気であった。
自分の持って来た不愉快な話を、突然と切り出すには余りに快活すぎた。
「君どうかしたか」 彼の母が席を立って二人差向いになった時、彼はこう問いかけた。
自分は渋りながら、兄の近況を彼に訴えなければならなかった。
その兄を勧めて旅行させるように、彼からHさんに頼んでくれと云わなければならなかった。
「父や母が心配するのをただ黙って見ているのも気の毒だから」 この最後の言葉を聞くまで、彼はもっともらしく腕組をして自分の膝頭を眺めていた。
「じゃ君といっしょに行こうじゃないか。いっしょの方が僕一人より好かろう、精しい話ができて」 三沢にそれだけの好意があれば、自分に取っても、それに越した都合はなかった。
彼は着物を着換ると云ってすぐ座を起ったが、しばらくするとまた襖の陰から顔を出して、「君、母が久しぶりだから君に飯を食わせたいって今支度をしているところなんだがね」と云った。
自分は落ちついて馳走を受ける気分をもっていなかった。
しかしそれを断ったにしたところで、飯はどこかで食わなければならなかった。
自分は瞹眛な返事をして、早く立ちたいような気のする尻を元の席に据えていた。
そうして本棚の上に載せてある女の首をちょいちょい眺めた。
「どうも何にもございませんのに、御引留め申しましてさぞ御迷惑でございましたろう。ほんの有合せで」 三沢の母は召使に膳を運ばせながらまた座敷へ顔を出した。
膳の端には古そうに見える九谷焼の猪口が載せてあった。
それでも三沢といっしょに出たのは思ったより早かった。
電車を降りて五六丁歩るいて、Hさんの応接間に通った時、時計を見たらまだ八時であった。
Hさんは銘仙の着物に白い縮緬の兵児帯をぐるぐる巻きつけたまま、椅子の上に胡坐をかいて、「珍らしいお客さんを連れて来たね」と三沢に云った。
丸い顔と丸い五分刈の頭をもった彼は、支那人のようにでくでく肥っていた。
話しぶりも支那人が慣れない日本語を操つる時のように、鈍かった。
そうして口を開くたびに、肉の多い頬が動くので、始終にこにこしているように見えた。
彼の性質は彼の態度の示す通り鷹揚なものであった。
彼は比較的堅固でない椅子の上に、わざわざ両足を載せて胡坐をかいたなり、傍から見るとさも窮屈そうな姿勢の下に、夷然として落ちついていた。
兄とはほとんど正反対なこの様子なり気風なりが、かえって兄と彼とを結びつける一種の力になっていた。
何にも逆らわない彼の前には、兄も逆らう気が出なかったのだろう。
自分はHさんの悪口を云う兄の言葉を、今までついぞ一度も聞いた事がなかった。
「兄さんは相変らず勉強ですか。ああ勉強してはいけないね」 悠長な彼はこう云って自分の吐いた煙草の煙を眺めていた。
十五
やがて用事が三沢の口から切り出された。
自分はすぐその後に随いて主要な点を説明した。
Hさんは首を捻った。
「そりゃ少し妙ですね、そんなはずはなさそうだがね」 彼の不審はけっして偽とは見えなかった。
彼は昨日Kの結婚披露に兄と精養軒で会った。
そこを出る時にもいっしょに出た。
話が途切れないので、浮か浮かと二人連立って歩いた。
しまいに兄が疲れたといった。
Hさんは自分の家に兄を引張って行った。
「兄さんはここで晩飯を食ったくらいなんだからね。どうも少しも不断と違ったところはないようでしたよ」 わがままに育った兄は、平生から家で気むずかしい癖に、外では至極穏かであった。
しかしそれは昔の兄であった。
今の彼を、ただ我儘の二字で説明するのは余りに単純過ぎた。
自分はやむをえずその時兄がHさんに向って重にどんな話をしたか、差支えない限りそれを聞こうと試みた。
「なに別に家庭の事なんか一口も云やしませんよ」 これも嘘ではなかった。
記憶の好いHさんは、その時の話題を明瞭に覚えていて、それを最も淡泊な態度で話してくれた。
兄はその時しきりに死というものについて云々したそうである。
彼は英吉利や亜米利加で流行る死後の研究という題目に興味をもって、だいぶその方面を調べたそうである。
けれども、どれもこれも彼には不満足だと云ったそうである。
彼はメーテルリンクの論文も読んで見たが、やはり普通のスピリチュアリズムと同じようにつまらんものだと嘆息したそうである。
兄に関するHさんの話は、すべて学問とか研究とかいう側ばかりに限られていた。
Hさんは兄の本領としてそれを当然のごとくに思っているらしかった。
けれども聞いている自分は、どうしてもこの兄と家庭の兄とを二つに切り離して考える訳には行かなかった。
むしろ家庭の兄がこういう研究的な兄を生み出したのだとしか理解できなかった。
「そりゃ動揺はしていますね。御宅の方の関係があるかないか、そこは僕にも解らないが、何しろ思想の上で動揺して落ちつかないで弱っている事はたしかなようです」 Hさんはしまいにこう云った。
彼はその上に兄の神経衰弱も肯がった。
しかしそれは兄の隠している事でも何でもなかった。
兄はHさんに会うたんびに、ほとんどきまり文句のように、それを訴えてやまなかったそうである。
「だからこの際旅行は至極好いでしょうよ。そう云う訳なら一つ勧めて見ましょう。しかしうんと云ってすぐ承知するかね。なかなか動かない人だから、ことによるとむずかしいね」 Hさんの言葉には自信がなかった。
「あなたのおっしゃる事なら素直に聞くだろうと思うんですが」「そうも行かんさ」 Hさんは苦笑していた。
表へ出た時はかれこれ十時に近かった。
それでも閑静な屋敷町にちらほら人の影が見えた。
それが皆なそぞろ歩きでもするように、長閑かに履物の音を響かして行った。
空には星の光が鈍かった。
あたかも眠たい眼をしばたたいているような鈍さであった。
自分は不透明な何物かに包まれた気分を抱いた。
そうして薄明るい往来を三沢と二人肩を並べて帰った。
十六
自分は首を長くしてHさんの消息を待った。
花のたよりが都下の新聞を賑し始めた一週間の後になっても、Hさんからは何の通知もなかった。
自分は失望した。
電話を番町へかけて聞き合せるのも厭になった。
どうでもするが好いという気分でじっとしていた。
そこへ三沢が来た。
「どうも旨く行かないそうだ」 事実ははたして自分の想像した通りであった。
兄はHさんの勧誘を断然断ってしまった。
Hさんはやむをえず三沢を呼んで、その結果を自分に伝えるように頼んだ。
「それでわざわざ来てくれたのかい」「まあそうだ」「どうも御苦労さま、すまない」 自分はこれ以上何を云う気も起らなかった。
「Hさんはああ云う人だから、自分の責任のように気の毒がっている。今度は事があまり突然なので旨く行かなかったが、この次の夏休みには是非どこかへ連れ出すつもりだと云っていた」 自分はこういう慰藉をもたらしてくれた三沢の顔を見て苦笑した。
Hさんのような大悠な人から見たら、春休みも夏休みも同じ事なんだろうけれども、内側で働いている自分達の眼には、夏休みといえば遠い未来であった。
その遠い未来と現在の間には大きな不安が潜んでいた。
「しかしまあ仕方がない。元々こっちで勝手なプログラムを拵えておいて、それに当てはまるように兄を自由に動かそうというんだから」 自分はとうとう諦めた。
三沢は何にも批評せずに、机の角に肱を突き立てて、その上に顋を載せたなり自分の顔を眺めていた。
彼はしばらくしてから、「だから僕のいう通りにすれば好いんだ」と云った。
この間Hさんに兄の事を依頼しに行った帰り途に、無言な彼は突然往来の真中で自分を驚かしたのである。
今まで兄の事について一言も発しなかった彼は、その時不意に自分の肩を突いて、「君兄さんを旅行させるの、快活にするのって心配するより、自分で早く結婚した方が好かないか。その方がつまり君の得だぜ」と云った。
彼が自分に結婚を勧めたのは、その晩が始めてではなかった。
自分はいつも相手がないとばかり彼に答えていた。
彼はしまいに相手を拵えてやると云い出した。
そうして一時はそれがほとんど事実になりかけた事もあった。
自分はその晩の彼に向ってもやはり同じような挨拶をした。
彼はそれをいつもより冷淡なものとして記憶していたのである。
「じゃ君のいう通りにするから、本当に相手を出してくれるかい」「本当に僕のいう通りにすれば、本当に好いのを出す」 彼は実際心当りがあるような口を利いた。
近いうち彼の娶るべき女からでも聞いたのだろう。
彼はもう大きな黒い眼をもった精神病の御嬢さんについては多くを語らなかった。
「君の未来の細君はやっぱりああいう顔立なんだろう」「さあどうかな。いずれそのうち引き合わせるから見てくれたまえ」「結婚式はいつだい」「ことによると向うの都合で秋まで延ばすかも知れない」 彼は愉快らしかった。
彼は来るべき彼の生活に、彼のもっている過去の詩を投げかけていた。
十七
四月はいつの間にか過ぎた。
花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散ってしまった。
自分は一年のうちで人の最も嬉しがるこの花の時節を無為に送った。
しかし月が替って世の中が青葉で包まれ出してから、ふり返ってやり過ごした春を眺めるとはなはだ物足りなかった。
それでも無為に送れただけがありがたかった。
家へはその後一回も足を向けなかった。
家からも誰一人尋ねて来なかった。
電話は母とお重から一二度かかったが、それは自分の着る着物についての用事に過ぎなかった。
三沢には全く会わなかった。
大阪の岡田からは花の盛りに絵端書がまた一枚来た。
前と同じようにお貞さんやお兼さんの署名があった。
自分は事務所へ通う動物のごとく暮していた。
すると五月の末になって突然三沢から大きな招待状を送って来た。
自分は結婚の通知と早合点して封を裂いた。
ところが案外にもそれは富士見町の雅楽稽古所からの案内状であった。
「六月二日音楽演習相催し候間同日午後一時より御来聴被下度候此段御案内申進候也」と書いてあった。
今までこういう方面に関係があるとは思わなかった三沢が、どうしてこんな案内状を自分に送ったのか、まるで解らなかった。
半日の後自分はまた彼の手紙を受け取った。
その手紙には、六月二日には、是非来いという文句が添えてあった。
是非来いというくらいだから彼自身は無論行くにきまっている。
自分はせっかくだからまず行って見ようと思い定めた。
けれども、雅楽そのものについては大した期待も何もなかった。
それよりも自分の気分に転化の刺戟を与えたのは、三沢が余事のごとく名宛のあとへ付け足した、短い報知であった。
「Hさんは嘘を吐かない人だ。Hさんはとうとう君の兄さんを説き伏せた。この六月学校の講義を切り上げ次第、二人はどこかへ旅をする事に約束ができたそうだ」 自分は父のため母のためかつ兄自身のため喜んだ。
あの兄がHさんに対して旅行しようと約束する気分になったとすれば、単にそれだけでも彼には大きい変化であった。
偽りの嫌いな彼は必ずそれを実行するつもりでいるに違いなかった。
自分は父にも母にも実否を問い合わせなかった。
Hさんに向ってもその消息を確める手段を取らなかった。
ただ三沢の口からもう少し精しいところを聞かせて貰いたかった。
それも今度会った時で構わないという気があるので、彼の是非来いという六月二日が暗に待ち受けられた。
六月二日はあいにく雨であった。
十一時頃には少し歇んだが、季節が季節なのでからりとは晴れなかった。
往来を行く人は傘をさしたり畳んだりした。
見附外の柳は煙のように長い枝を垂れていた。
その下を通ると、青白い粉か黴が着物にくっついていつまでも落ちないように感ぜられた。
雅楽所の門内には俥がたくさん並んでいた。
馬車も一二台いた。
しかし自動車は一つも見えなかった。
自分は玄関先で帽子を人に渡した。
その人は金の釦鈕のついた制服のようなものを着ていた。
もう一人の人が自分を観覧席へ連れて行ってくれた。
「そこいらへおかけなすって」 彼はそう云ってまた玄関の方へ帰って行った。
椅子はまだ疎らに占領されているだけであった。
自分はなるべく人の眼に着かないように後列の一脚に腰を下した。
十八
自分は心のうちで三沢を予期しながら四方を見渡したが彼の姿はどこにも見えなかった。
もっとも見所は正面のほか左右両側面にもあった。
自分は玄関から左へ突き当って右へ折れて金屏風の立ててある前を通って正面席に案内されたのである。
自分の前には紋付の女が二三人いた。
後にはカーキー色の軍服を着けた士官が二人いた。
そのほか六七人そこここに散点していた。
自分から一席置いて隣の二人連は、舞台の正面にかかっている幕の話をしていた。
それには雅楽に何の縁故もなさそうに見える変な紋が、竪に何行も染め出されていた。
「あれが織田信長の紋ですよ。信長が王室の式微を慨いて、あの幕を献上したというのが始まりで、それから以後は必ずあの木瓜の紋の付いた幕を張る事になってるんだそうです」 幕の上下は紫地に金の唐草の模様を置いた縁で包んであった。
幕の前を見ると、真中に太鼓が据えてあった。
その太鼓には緑や金や赤の美しい彩色が施されてあった。
そうして薄くて丸い枠の中に入れてあった。
左の端には火熨斗ぐらいの大きさの鐘がやはり枠の中に釣るしてあった。
そのほかには琴が二面あった。
琵琶も二面あった。
楽器の前は青い毛氈で敷きつめられた舞をまう所になっていた。
構造は能のそれのように、三方の見所からは全く切り離されていた。
そうしてその途切れた四五尺の空間からは日も射し風も通うようにできていた。
自分が物珍らしそうにこの様子を見ているうちに、観客は一人二人と絶えず集まって来た。
その中には自分がある音楽会で顔だけ覚えたNという侯爵もいた。
「今日は教育会があるので来られない」と細君の事か何かを、傍にいた坊主頭の丸々と肥えた小さい人に話していた。
この丸い小さな人がKという公爵である事を、自分は後で三沢から教わった。
その三沢は舞楽の始まるやっと五六分前にフロックコートでやって来て、入口の金屏風の所でしばらく観覧席を見渡しながら躊躇していたが、自分の顔を見つけるや否や、すぐ傍へ来て腰をかけた。
彼と前後して一人の背の高い若い男が、年頃の女を二人連れて、やはり正面席へ這入って来た。
男はフロックコートを着ていた。
女は無論紋付であった。
その男と伴の女の一人が顔立から云ってよく似ているので、自分はすぐ彼らの兄妹である事を覚った。
彼らは人の頭を五六列越して、三沢と挨拶を交換した。
男の顔にはできるだけの愛嬌が湛えられた。
女は心持顔を赤くした。
三沢はわざわざ腰を浮かして起立した。
婦人はたいてい前の方に席を占めるので、彼らはついに自分達の傍へは来なかった。
「あれが僕の妻になるべき人だ」と三沢は小声で自分に告げた。
自分は腹の中で、あの夢のような大きな黒い眼の所有者であった精神病のお嬢さんと、自分の二三間前に今席を取った色沢の好いお嬢さんとを比較した。
彼女は自分にただ黒い髪と白い襟足とを見せて坐っていた。
それも人の影に遮られて自由には見られなかった。
「もう一人の女ね」と三沢がまた小声で云いかけた。
それから彼は突然ポッケットへ手を入れて、白い紙片と万年筆を取り出した。
彼はすぐそれへ何か書き始めた。
正面の舞台にはもう楽人が現われた。
十九
彼らは帽子とも頭巾とも名の付けようのない奇抜なものを被っていた。
謡曲の富士太鼓を知っていた自分は、おおかたこれが鳥兜というものだろうと推察した。
首から下も被りものと同じく現代を超越していた。
彼らは錦で作った※※のようなものを着ていた。
その※※には骨がないので肩のあたりは柔かな線でぴたりと身体に付いていた。
袖には白の先へ幅三寸ぐらいの赤い絹が縫足してあった。
彼らはみな白の括り袴を穿いていた。
そうして一様に胡坐をかいた。
三沢は膝の上で何か書きかけた白い紙をくちゃくちゃにした。
自分はそのくちゃくちゃになった紙の塊りを横から眺めた。
彼は一言の説明も与えずに正面を見た。
青い毛氈の上に左の帳の影から現われたものは鉾をもっていた。
これも管絃を奏する人と同じく錦の袖無を着ていた。
三沢はいつまで経っても「もう一人の女はね」の続きを云わなかった。
観覧席にいるものはことごとく静粛であった。
隣同志で話をするのさえ憚かられた。
自分は仕方なしに催促を我慢した。
三沢も空とぼけて澄ましていた。
彼は自分と同じようにここへは始めて顔を出したので、少し硬くなっているらしかった。
舞は謹慎な見物の前に、既定のプログラム通り、単調で上品な手足の運動を飽きもせずに進行させて行った。
けれども彼らの服装は、題の改まるごとに、閑雅な上代の色彩を、代る代る自分達の眼に映しつつ過ぎた。
あるものは冠に桜の花を挿していた。
紗の大きな袖の下から燃えるような五色の紋を透かせていた。
黄金作の太刀も佩いていた。
あるものは袖口を括った朱色の着物の上に、唐錦のちゃんちゃんを膝のあたりまで垂らして、まるで錦に包まれた猟人のように見えた。
あるものは簑に似た青い衣をばらばらに着て、同じ青い色の笠を腰に下げていた。
――すべてが夢のようであった。
われわれの祖先が残して行った遠い記念の匂いがした。
みんなありがたそうな顔をしてそれを観ていた。
三沢も自分も狐に撮ままれた気味で坐っていた。
舞楽が一段落ついた時に、御茶を上げますと誰かが云ったので周囲の人は席を立って別室に動き始めた。
そこへ先刻三沢と約束の整ったという女の兄さんが来て、物馴れた口調で彼と話した。
彼はこういう方面に関係のある男と見えて、当日案内を受けた誰彼をよく知っていた。
三沢と自分はこの人から今までそこいらにいた華族や高官や名士の名を教えて貰った。
別室には珈琲とカステラとチョコレートとサンドイッチがあった。
普通の会の時のように、無作法なふるまいは見受けられなかったけれども、それでも多少込み合うので、女は坐ったなり席を立たないのがあった。
三沢と彼の知人は、菓子と珈琲を盆の上に載せて、わざわざ二人の御嬢さんの所へ持って行った。
自分はチョコレートの銀紙を剥しながら、敷居の上に立って、遠くからその様子を偸むように眺めていた。
三沢の細君になるべき人は御辞義をして、珈琲茶碗だけを取ったが、菓子には手を触れなかった。
いわゆる「もう一人の女」はその珈琲茶碗にさえ容易く手を出さなかった。
三沢は盆を持ったまま、引く事もできず進む事もできない態度で立っていた。
女の顔が先刻見た時よりも子供子供した苦痛の表情に充ちていた。
二十
自分は先刻から「もう一人の女」に特別の注意を払っていた。
それには三沢の様子や態度が有力な原因となって働いていたに違ないが、単独に云っても、彼女は自分の視線を引着けるに足るほどな好い器量をもっていたのである。
自分は彼女と三沢の細君になるべき人との後姿を、舞楽の相間相間に絶えず眺めた。
彼らは自分の坐っている所から、ことさらな方向に眸子を転ずる事なしに、自然と見られるように都合の好い地位に坐っていた。
こうして首筋ばかり眺めていた自分は今比較的自由な場所に立って、彼らの顔立を筋違に見始めた。
あるいは正面に動く機会が来るかも知れないと思った時、自分はチョコレートを頬張りながら、暗にその瞬間を捉える注意を怠らなかった。
けれどもその女も三沢の意中の人も、ついにこっちを向かなかった。
自分はただ彼らの容貌を三分の二だけ側面から遠くに望んだ。
そのうち三沢はまた盆を持ってこっちへ帰って来た。
自分の傍を通る時、彼は微笑しながら、「どうだい」と云った。
自分はただ「御苦労さま」と挨拶した。
後から例の背の高い兄さんがやって来た。
「どうです、あちらへいらしって煙草でも御呑みになっちゃ。喫煙室はあすこの突き当りです」 自分は三沢との間に緒口のつきかけた談話はこれでまた流れてしまった。
二人は彼に導かれて喫煙室に這入った。
煙と男子に占領された比較的狭いその室は思ったより賑かであった。
自分はその一隅にただ一人の知った顔を見出した。
それは伶人の姓をもった眼の大きい男であった。
ある協会の主要な一員として、舞台の上で巧にその大きな眼を利用する男であった。
彼は台詞を使う時のような深い声で、誰かと話していたが、ほとんど自分達と入れ代りぐらいに、喫煙室を出て行った。
「とうとう役者になったんだそうだ」「儲かるのかね」「ええ儲かるんだろう」「この間何とかをやるという事が新聞に出ていたが、あの人なんですか」「ええそうだそうです」 彼の去った後で、室の中央にいた三人の男はこんな話をしていた。
三沢の知人は自分達にその三人の名を教えてくれた。
そのうちの二人は公爵で、一人は伯爵であった。
そうして三人が三人とも公卿出の華族であった。
彼らの会話から察すると、三人ながらほとんど劇という芸術に対して何の知識も興味ももっていないようであった。
我々はまた元の席に帰って二三番の欧洲楽を聞いた後、ようやく五時頃になって雅楽所を出た。
周囲に人がいなくなった時、三沢はようやく「もう一人の女」の事について語り始めた。
彼の考えは自分が最初から推察した通りであった。
「どうだい、気に入らないかね」「顔は好いね」「顔だけかい」「あとは分らないが、しかし少し旧式じゃないか。何でも遠慮さえすればそれが礼儀だと思ってるようだね」「家庭が家庭だからな。しかしああいうのが間違がないんだよ」 二人は土手に沿うて歩いた。
土手の上の松が雨を含んで蒼黒く空に映った。
二十一
自分は三沢と飽かず女の話をした。
彼の娶るべき人は宮内省に関係のある役人の娘であった。
その伴侶は彼女と仲の好い友達であった。
三沢は彼女と打ち合せをして、とくに自分のためにその人を誘い出したのであった。
自分はその人の家族やら地位やら教育やらについて得らるる限りの知識を彼から供給して貰った。
自分は本末を顛倒した。
雅楽所で三沢に会うまでは、Hさんと兄とがこの夏いっしょにするという旅行の件を、その日の問題として暗に胸の中に畳み込んでいた。
雅楽所を出る時は、それがほんのつけたりになってしまった。
自分はいよいよ彼に別れる間際になって、始めて四つ角の隅に立った。
「兄の事も今日君に会ったらよく聞こうと思っていたんだが、いよいよHさんの云う通りになったんだね」「Hさんはわざわざ僕を呼び寄せてそう云ったくらいなんだから間違はないさ。大丈夫だよ」「どこへ行くんだろう」「そりゃ知らない。――どこだって好いじゃないか、行きさいすりゃあ」 遠くから見ている三沢の眼には、兄の運命が最初からそれほどの問題になっていなかった。
「それより片っ方のほうを積極的にどしどし進行させようじゃないか」 自分は一人下宿へ帰る途々、やはり兄と嫂の事を考えない訳に行かなかった。
しかしその日会った女の事もあるいは彼ら以上に考えたかも知れない。
自分は彼女と一言も口を交えなかった。
自分はついに彼女の声を聞き得なかった。
三沢は自然が二人を視線の通う一室に会合させたという事実以外に、わざとらしい痕迹を見せるのは厭だと云って、紹介も何もしなかった。
彼はそう云って後から自分に断った。
彼の遣口は、彼女に取っても自分に取っても、面倒や迷惑の起り得ないほど単簡で淡泊なものであった。
しかしそれだから物足りなかった。
自分はもう少し何とかして貰いたかった。
「しかし君の意志が解らなかったから」と三沢は弁解した。
そう云われて見ると、そうでもあった。
自分はあれ以上、女をめがけて進んで行く考えはなかったのだから。
それから二三日は女の顔を時々頭の中で見た。
しかしそれがために、また会いたいの焦慮るのという熱は起らなかった。
その当日のぱっとした色彩が剥げて行くに連れて、番町の方が依然として重要な問題になって来た。
自分はなまじい遠くから女の匂いを嗅いだ反動として、かえってじじむさくなった。
事務所の往復に、ざらざらした頬を撫でて見て、手もなく電車に乗った貉のようなものだと悲観したりした。
一週間ほど経って母から電話がかかった。
彼女は電話口へ出て、昨日Hさんが遊びに来た事を告げた。
嫂が風邪気なので、彼女が代理として饗応の席に出たら、Hさんが兄といっしょに旅行する話を始めたと告げた。
彼女は喜ばしそうな調子で、自分に礼を述べた。
父からも宜しくとの事であった。
自分は「いい案排でした」と答えた。
自分はその晩いろいろ考えた。
自分は旅行が兄のために有利であると認めたから、Hさんを煩わして、これだけの手続を運んだのであるが、真底を自白すると、自分の最も苦に病んでいるのは、兄の自分に対する思わくであった。
彼は自分をどう見ているだろうか。
どのくらいの程度に自分を憎んでいるだろう、また疑っているだろう。
そこが一番知りたかった。
したがって自分の気になるのは未来の兄であると同時に現在の兄であった。
久しく彼と会見の路を絶たれた自分は、その現在の兄に関する直接の知識をほとんどもたなかった。
二十二
自分は旅行に出る前のHさんに一応会っておく必要を感じた。
こっちで頼んだ事を順に運んでくれた好意に対して、礼を云わなければすまない義理も控えていた。
自分は事務所の帰りがけにまた彼の玄関に立って名刺を出した。
取次が奥へ這入ったかと思うと、彼は例のむくむくした丸い体躯を、自分の前に運んで来た。
「実は今あしたの講義で苦しんでいるところなんですがね。もし急用でなければ、今日は御免を蒙りたい」 学者の生活に気のつかなかった自分は、Hさんのこの言葉で、急に兄の日常を想い起した。
彼らの書斎に立籠るのは、必ずしも家庭や社会に対する謀反とも限らなかった。
自分はHさんに都合の好い日を聞いて、また出直す事にした。
「じゃ御気の毒だが、そうして下さい。なるべく早く講義を切り上げて、兄さんといっしょに旅行しようと云う訳なんだからね」 自分はHさんの前に丁寧な頭を下げなければならなかった。
彼の家を再度訪問れたのは、それからまた二三日経った梅雨晴の夕方であった。
肥った彼は暑いと云って浴衣の胸を胃の上部まで開け放って坐っていた。
「さあどこへ行くかね。まだ海とも山ともきめていないんだが」 Hさんだけあって行く先などはとんと苦にしていないらしかった。
自分もそれには無頓着であった。
けれども……。
「少しそれについて御願があるんですが」 家庭の事情の一般は、この間三沢と来た時、すでにHさんの耳に入れてしまった。
しかし兄と自分との間に横たわる一種特別な関係については、まだ一言も彼に告げていなかった。
しかしそれはいつまで経ってもHさんの前で自分から打ち明るべき性質のものでないと自分は考えていた。
親しい三沢の知識ですら、そこになるとほとんど臆測に過ぎなかった。
Hさんは三沢からその臆測の知識を間接に受けているかも知れなかったけれども、こっちから露骨に切り出さない以上、その信偽も程度も、まるで確める訳に行かなかった。
自分は兄から今どう見られているか、どう思われているか、それが知りたくって仕方がなかった。
それを知るために、この際Hさんの助を借りようとすれば、勢い万事を彼の前に投げ出して見せなければならなかった。
自分が三沢に何事も云わずに、あたかも彼を出し抜いたような態度で、たった一人こうしてHさんを訪問するのも、実はその用事の真相をなるべく他に知らせたくないからであった。
しかし三沢に対してさえ、良心に気兼をするような用事の真相なら、それをHさんの前で云われるはずがなかった。
自分はやむをえず特殊な問題を一般的に崩してしまった。
「はなはだ御迷惑かも知れませんが、兄といっしょに旅行される間、兄の挙動なり言語なり、思想なり感情なりについて、あなたの御観察になったところを、できるだけ詳しく書いて報知していただく訳には行きますまいか。その辺が明瞭になると、宅でも兄の取扱上大変便宜を得るだろうと思うんですが」「そうさね。絶対にできない事もないが、ちっとむずかしそうですね。だいち時間がないじゃないか、君、そんな事をする。よし時間があっても、必要がないだろう。それより僕らが旅行から帰ったらゆっくり聞きに来たら好いじゃありませんか」
二十三
Hさんの云うところはもっともであった。
自分は下を向いてしばらく黙っていたが、とうとう嘘を吐いた。
「実は父や母が心配して、できるなら旅行中の模様を、経過の一段落ごとに承知したいと云うんですが……」 自分は困った顔をした。
Hさんは笑い出した。
「君そんなに心配する事はありませんよ。大丈夫だよ、僕が受け合うよ」「しかし年寄ですから……」「困るね、それじゃ。だから年寄は嫌いなんだ。宅へ行ってそう云いたまえな、大丈夫だって」「何とか好い工夫はないもんでしょうか。あなたの御迷惑にならないで、そうして、父や母を満足させるような」 Hさんはまたにやにや笑っていた。
「そんな重宝な工夫があるものかね、君。――しかしせっかくの御依頼だからこうしよう。もし旅先で報道するに足るような事が起ったら、君の所へ手紙を上げると。もし手紙が行かなかったら、平生の通りだと思って安心していると。それでよかろう」 自分はこれより以上Hさんに望む事はできなかった。
「それで結構です。しかし出来事という意味を俗にいう不慮の出来事と取らずに、あなたが御観察になる兄の感情なり思想のうちで、これは尋常でないと御気づきになったものに応用していただけましょうか」「なかなか面倒だね、事が。しかしまあいいや、そうしてもいい」「それからことによると、僕の事だの母の事だの、家庭の事などが兄の口に上るかも知れませんが、それを御遠慮なく一々聞かしていただきたいと思いますが」「うん、そりゃ差支えない限り知らせて上げましょう」「差支えがあっても構わないから聞かしていただきたい。それでないと宅のものが困りますから」 Hさんは黙って煙草を吹かし出した。
自分は弱輩の癖に多少云い過ぎた事に気がついた。
手持無沙汰の感じが強く頭に上った。
Hさんは庭の方を見ていた。
その隅に秋田から家主が持って来て植えたという大きな蕗が五六本あった。
雨上りの初夏の空がいつまでも明るい光を地の上に投げているので、その太い蕗の茎がすいすいと薄暗い中に青く描かれていた。
「あすこへ大きな蟇が出るんですよ」とHさんが云った。
しばらく世間話をした後で、自分は暗くならないうちに席を立とうとした。
「君の縁談はどうなりました。この間三沢が来て、好いのを見つけてやったって得意になっていましたよ」「ええ三沢もずいぶん世話好ですから」「ところが万更世話好ばかりでやってるんでもないようですよ。だから君も好い加減に貰っちまったら好いじゃありませんか。器量は悪かないって話じゃないか。君には気に入らんのかね」「気に入らんのじゃありません」 Hさんは「はあやっぱり気に入ったのかい」と云って笑い出した。
自分はHさんの門を出て、あの事も早くどうかしなければ、三沢に対して義理が悪いと考えた。
しかし兄の問題が一段落でも片づいてくれない以上、とうていそっちへ向ける心の余裕は出なかった。
いっそ一思いにあの女の方から惚れ込んでくれたならなどと思っても見た。
二十四
自分はまた三沢を尋ねた。
けれども腹をきめてから尋ねた訳でないから、実際上どんな歩調も前に動かす気にはなれなかった。
自分の態度はどこまでもぐずぐずであった。
そうしてただ漫然とその女の話をした。
「どうするね」 こう聞かれると、結局要領を得た何の挨拶もできなかった。
「僕は職業の上ではふわふわして浪人のように暮しているが、家庭の人としてなら、これでも一定の方針に支配されて、着々固まって行きつつあるつもりだ。ところが君はまるで反対だね。一家の主人となるとか、他の夫になるとかいう方面には、故意に意志の働きを鈍らせる癖に、職業の問題になると、手っ取早く片づけて、ちゃんと落ちついているんだから」「あんまり落ちついてもいないさ」 自分は大阪の岡田から受取った手紙の中に、相応な位地があちらにあるから来ないかという勧誘があったので、ことによったら今の事務所を飛び出そうかと考えていた。
「ついこの間までは洋行するってしきりに騒いでいたじゃないか」 三沢は自分の矛盾を追窮した。
自分には西洋も大阪も変化としてこの際大した相違もなかった。
「そう万事的にならなくっちゃ駄目だ。僕だけ君の結婚問題を真面目に考えるのは馬鹿馬鹿しい訳だ。断っちまおう」 三沢はだいぶ癪に障ったらしく見えた。
自分はまた自分が癪に障ってならなかった。
「いったい先方ではどういうんだ。君は僕ばかり責めるがね、僕には向うの意志が少しも解らないじゃないか」「解るはずがないよ。まだ何にも話してないんだもの」 三沢は少し激していた。
そうして激するのがもっともであった。
彼は女の父兄にも女自身にも、自分の事をまだ一口も告げていなかった。
どう間違っても彼らの体面に障りようのない事情の下に、女と自分を御互の視線の通う範囲内に置いただけであった。
彼の処置には少しも人工的な痕迹を留めない、ほとんど自然そのままの利用に過ぎないというのが彼の大いなる誇りであった。
「君の考えが纏まらない以上はどうする事もできないよ」「じゃもう少し考えて見よう」 三沢は焦慮たそうであった。
自分も自分が不愉快であった。
Hさんと兄がいっしょの汽車で東京を去ったのは、自分が三沢の所へ出かけてから、一週間と経たないうちであった。
自分は彼らの立つ時刻も日限も知らずにいた。
三沢からもHさんからも何の通知を受取らなかった自分は、家からの電話で始めてそれを聞いた。
その時電話口へは思いがけなく嫂が出て来た。
「兄さんは今朝お立ちよ。お父さんがあなたへ知らせておけとおっしゃるから、ちょっと御呼び申しました」 嫂の言葉は少し改まっていた。
「Hさんといっしょなんでしょうね」「ええ」「どこへ行ったんですか」「何でも伊豆の海岸を廻るとかいう御話しでした」「じゃ船ですか」「いいえやっぱり新橋から……」
二十五
その日自分は下宿へ帰らずに、事務所からすぐ番町へ廻った。
昨日まで恐れて近寄らなかったのに、兄の出立と聞くや否や、すぐそちらへ足を向けるのだから、自分の行為はあまりに現金過ぎた。
けれども自分はそれを隠す気もなかった。
隠さなければすまない人は、宅に一人もいないように思われた。
茶の間には嫂が雑誌の口絵を見ていた。
「今朝ほどは失礼」「おや吃驚したわ、誰かと思ったら、二郎さん。今京橋から御帰り?」「ええ、暑くなりましたね」 自分は手帛を出して顔を拭いた。
それから上着を脱いで畳の上へ放り出した。
嫂は団扇を取ってくれた。
「御父さんは?」「御父さんは御留守よ。今日は築地で何かあるんですって」「精養軒?」「じゃないでしょう。多分ほかの御茶屋だと思うんだけれども」「お母さんは?」「お母さんは今御風呂」「お重は?」「お重さんも……」 嫂はとうとう笑いかけた。
「風呂ですか」「いいえ、いないの」 下女が来て氷の中へ莓を入れるかレモンを入れるかと尋ねた。
「宅じゃもう氷を取るんですか」「ええ二三日前から冷蔵庫を使っているのよ」 気のせいか嫂はこの前見た時よりも少し窶れていた。
頬の肉が心持減ったらしかった。
それが夕方の光線の具合で、顔を動かす時に、ちらりちらりと自分の眼を掠めた。
彼女は左の頬を縁側に向けて坐っていたのである。
「兄さんはそれでもよく思い切って旅に出かけましたね。僕はことによると今度もまた延ばすかも知れないと思ってたんだが」「延ばしゃなさらないわよ」 嫂はこういう時に下を向いた。
そうしていつもよりも一層落ちついた沈んだ低い声を出した。
「そりゃ兄さんは義理堅いから、Hさんと約束した以上、それを実行するつもりだったには違ないけれども……」「そんな意味じゃないのよ。そんな意味じゃなくって、そうして延ばさないのよ」 自分はぽかんとして彼女の顔を見た。
「じゃどんな意味で延ばさないんです」「どんな意味って、――解ってるじゃありませんか」 自分には解らなかった。
「僕には解らない」「兄さんは妾に愛想を尽かしているのよ」「愛想づかしに旅行したというんですか」「いいえ、愛想を尽かしてしまったから、それで旅行に出かけたというのよ。つまり妾を妻と思っていらっしゃらないのよ」「だから……」「だから妾の事なんかどうでも構わないのよ。だから旅に出かけたのよ」 嫂はこれで黙ってしまった。
自分も何とも云わなかった。
そこへ母が風呂から上って来た。
「おやいつ来たの」 母は二人坐っているところを見て厭な顔をした。
二十六
「もう好い加減に芳江を起さないとまた晩に寝ないで困るよ」 嫂は黙って起った。
「起きたらすぐ湯に入れておやんなさいよ」「ええ」 彼女の後姿は廊下を曲って消えた。
「芳江は昼寝ですか、どうれで静だと思った」「先刻何だか拗ねて泣いてたら、それっきり寝ちまったんだよ。何ぼなんでも、もう五時だから、好い加減に起してやらなくっちゃ……」 母は不平らしい顔をしていた。
自分はその日珍しく宅の食卓に向って、晩餐の箸を取った。
築地の料理屋か待合へ呼ばれたという父は、無論帰らなかったけれども、お重は予定通り戻って来た。
「おい早く来て坐らないか。みんな御前の湯から上るのを待ってたんだ」 お重は縁側へぺたりと尻を着けて団扇で浴衣の胸へ風を入れていた。
「そんなに急き立てなくったってよかないの。たまに来たお客さまの癖に」 お重はつんとしてわざと鼻の先の八つ手の方を向いていた。
母はまた始まったという笑の裡に自分を見た。
自分はまた調戯たくなった。
「御客さまだと思うなら、そんな大きなお尻を向けないで、早くここへ来てお坐りよ」「蒼蠅いわよ」「いったいこの暑いのに、一人でどこをほっつき歩いてたんだい」「どこでも余計な御世話よ。ほっつき歩くだなんて、第一言葉使からしてあなたは下品よ。――好いわ、今日坂田さんの所へ行って、兄さんの秘密をすっかり聞いて来たから」 お重は兄の事を大兄さん、自分の事をただ兄さんと呼んでいた。
始めはちい兄さんと云ったのだが、そのちいを聞くたびに妙な不快を感ずるので、自分はとうとうちいだけを取らしてしまった。
「好くってみんなに話しても」 お重は湯で火照った顔をぐるりと自分の方に向けた。
自分は瞬きを二つ続けざまにした。
「だって御前は今兄さんの秘密だと明言したじゃないか」「ええ秘密よ」「秘密なら話してよくないにきまってるじゃないか」「それを話すから面白いのよ」 自分はお重の無鉄砲が、何を云い出すか分らないと思って腹の中では辟易した。
「お重御前は論理学でいうコントラジクション・イン・タームス、という事を知らないだろう」「よくってよ。そんな高慢ちきな英語なんか使って、他が知らないと思って」「もう二人とも止しにおしよ。何だね面白くもない、十五六の子供じゃあるまいし」 母はとうとう二人を窘なめた。
自分もそれを好い機にすぐ舌戦を切り上げた。
お重も団扇を縁側へ投げ出しておとなしく食卓に着いた。
局面が一転した後なので、秘密らしい秘密は、食事中ついにお重の口から洩れる機会がなかった。
母も嫂もまるでそれには取り合う気色も見せなかった。
平吉という男が裏から出て来て、庭に水を打った。
「まだそう燥いていないんだから、好い加減にしておおき」と母が云っていた。
二十七
その晩番町を出たのは灯火が点いてまだ間もない宵の口であった。
それでも飯を済ましてから約一時間半ほどは、そこへ坐り込んだまま、みんなを相手に喋舌っていた。
自分はその一時間半の間に、とうとうお重から例の秘密をあばかれる羽目に陥った。
しかしそれが自分に取っては、秘密でも何でもない例の結婚問題だったので、自分はかえって安心した。
「御母さん、兄さんは妾達に隠れてこの間見合をなすったんですって」「隠れて見合なんかするものか」 自分は母がまだ何とも云わないうちにお重の言葉を遮った。
「いいえたしかな筋からちゃんと聞いて来たんだから、いくら白ばっくれてももう駄目よ」 たしかな筋というような一種の言葉が、お重の口から出るのを聞いたとき、自分は思わず苦笑した。
「馬鹿だなお前は」「馬鹿でもいいわよ」 お重は六月二日の出来事を母や嫂に向ってべらべら喋舌り出した。
それがなかなか精しいので自分は少し驚いた。
どこからその知識を得て来たのだろうという好奇心が強く自分の反問を促した。
けれどもお重はただ意地の悪い微笑を洩らすのみで、けっして出所を告げなかった。
「兄さんが妾達に黙っているのは、きっと打ち明けて云い悪い訳があるからなのよ。ね、そうでしょう、兄さん」 お重は自分の好奇心を満足させないのみか、かえって向うからこっちを嬲りにかかった。
自分は「どうでも好いや」と云った。
母から真面目に事の顛末を聞かれた時、自分は簡単にありのままを答えた。
「ただそれだけの事なんです。しかも向じゃ全く知らないんだからそのつもりでいて下さい。お重見たいに好い加減な事を云い触らすと、僕はどうでも構わんにしたところで、先方が迷惑するかも知れませんから」 母は先方が迷惑がるはずがないという顔つきで、むやみに細かい質問を始めた。
しかし財産がどのくらいあるんだろうとか、親類に貧乏人があるだろうかとか、あるいは悪い病気の系統を引いていやしなかろうかと云うような事になると、自分にはまるで答えられなかった。
のみならずしまいには聞くのさえ面倒で厭になって来た。
自分はとうとう逃げ出すようにして番町を出た。
自分がその夜母からいろいろな質問を掛けられている間、嫂は始終同じ席にいたが、この問題に関してはほとんど一言も口を開かなかった。
母も彼女に向ってついぞ相談がましい言葉をかけなかった。
二人のこの態度が、二人の気質をよく代表していた。
しかしそれは単に気質の相違からばかり来た一種の対照とも思えなかった。
嫂は全くの局外者らしい位地を守るためか何だか、始終芳江のおもりに気を取られ勝に見えた。
日が暮れさえすればすぐ寝かされる習慣の芳江は、昼寝を貪り過ぎた結果として、その晩はとうとう自分が帰るまで蚊帳の中へ這入らなかった。
自分は下宿へ帰って、自分の室の暑苦しいのを意外に感じた。
わざと電気灯を消して暗い所に黙って坐っていた。
今朝立った兄は今日どこで泊るだろう。
Hさんは今夜彼とどんな話をするだろう。
鷹揚なHさんの顔が自然と眼の前に浮かんだ。
それと共に瘠せた兄の頬に刻まれた久しぶりの笑が見えた。
二十八
その翌日からHさんの手紙が心待に待ち受けられた。
自分は一日、二日、三日と指を折って日取を勘定し始めた。
けれどもHさんからは何の音信もなかった。
絵端書一枚さえ来なかった。
自分は失望した。
Hさんに責任を忘れるような軽薄はなかった。
しかしこちらの予期通り律義にそれを果してくれないほどの大悠はあった。
自分は自烈たい部に属する人間の一人として遠くから彼を眺めた。
すると二人が立ってからちょうど十一日目の晩に、重い封書が始めて自分の手に落ちた。
Hさんは罫の細かい西洋紙へ、万年筆で一面に何か書いて来た。
頁の数から云っても、二時間や三時間でできる仕事ではなかった。
自分は机の前に縛りつけられた人形のような姿勢で、それを読み始めた。
自分の眼には、この小さな黒い字の一点一劃も読み落すまいという決心が、焔のごとく輝いた。
自分の心は頁の上に釘づけにされた。
しかも雪を行く橇のように、その上を滑って行った。
要するに自分はHさんの手紙の最初の頁の第一行から読み始めて、最後の頁の最終の文句に至るまでに、どのくらいの時間が要ったかまるで知らなかった。
手紙は下のように書いてあった。
「長野君を誘って旅へ出るとき、あなたから頼まれた事を、いったん引き受けるには引き受けたが、いざとなって見ると、とても実行はできまい、またできてもする必要があるまい、もしくは必要と不必要にかかわらず、するのは好もしい事でなかろう、――こういう考えでいました。旅行を始めてから一日二日は、この三つの事情のすべてかあるいは幾分かが常に働くので、これではせっかくの約束も反古にしなければならないという気が強く募りました。それが三日四日となった時、少し考えさせられました。五日六日と日を重ねるに従って、考えるばかりでなく、約束通りあなたに手紙を上げるのが、あるいは必要かも知れないと思うようになりました。もっともここにいう必要という意味が、あなたと私とで、だいぶ違うかも知れませんが、それはこの手紙をしまいまで御読みになれば解る事ですから、説明はしません。それから当初私の抱いた好もしくないという倫理上の感じ、これはいくら日数を経過しても取去る訳には行きませんが、片方にある必要の度が、自然それを抑えつけるほど強くなって来た事もまた確であります。おそらく手紙を書いている暇があるまい。――この故障だけは始めあなたに申上げた通りどこまでもつけ纏って離れませんでした。我々二人はいっしょの室に寝ます、いっしょの室で飯を食います、散歩に出る時もいっしょです、湯も風呂場の構造が許す限りは、いっしょに這入ります。こう数え立てて見ると、別々に行動するのは、まあ厠に上る時ぐらいなものなのですから。
無論我々二人は朝から晩までのべつに喋舌り続けている訳ではありません。御互が勝手な書物を手にしている時もあります、黙って寝転んでいる事もあります。しかし現にその人のいる前で、その人の事を知らん顔で書いて、そうしてそれをそっと他に知らせるのはちょっと私にとってはでき悪いのです。書くべき必要を認め出した私も、これには弱りました。いくら書く機会を見つけよう見つけようと思っても、そんな機会の出て来るはずがないのですから。しかし偶然はついに私の手を導いて、私に私の必要と認める仕事をさせるようにしてくれました。私はそれほど兄さんに気兼をせずに、この手紙を書き初めました。そうして同じ状態の下に、それを書き終る事を希望します。
二十九
我々は二三日前からこの紅が谷の奥に来て、疲れた身体を谷と谷の間に放り出しました。
いる所は私の親戚のもっている小さい別荘です。
所有主は八月にならないと東京を離れる事がむずかしいので、その前ならいつでも君方に用立てて宜しいと云った言葉を、はからず旅行中に利用する訳になったのであります。
別荘というと大変人聞が好いようですが、その実ははなはだ見苦しい手狭なもので、構えからいうと、ちょうど東京の場末にある四五十円の安官吏の住居です。
しかし田舎だけに邸内の地面には多少の余裕があります。
庭だか菜園だか分らないものが、軒から爪下りに向うの垣根まで続いています。
その垣には珊瑚樹の実が一面に結っていて、葉越に隣の藁屋根が四半分ほど見えます。
同じ軒の下から谷を隔てて向うの山も手に取るように見えます。
この山全体がある伯爵の別荘地で、時には浴衣の色が樹の間から見えたり、女の声が崖の上で響いたりします。
その崖の頂には高い松が空を突くように聳えています。
我々は低い軒の下から朝夕この松を見上るのを、高尚な課業のように心得て暮しています。
今まで通って来たうちで、君の兄さんにはここが一番気に入ったようです。
それにはいろいろな意味があるかも知れませんが、二人ぎりで独立した一軒の家の主人になりすまされたという気分が、人慣れない兄さんの胸に一種の落ちつきを与えるのが、その大原因だろうと思います。
今までどこへ泊ってもよく寝られなかった兄さんは、ここへ来た晩からよく寝ます。
現に今私がこうやって万年筆を走らしている間も、ぐうぐう寝ています。
もう一つここへ来てから偶然の恩恵に浴したと思うのは、普通の宿屋のように二人が始終膝を突き合わして、一つの部屋にごろごろしていないですむ事です。
家は今申した通り手狭至極なものであります。
門を出て右の坂上にある或る長者の拵えた西洋館などに比べると全くの燐寸箱に過ぎません。
それでも垣を囲らして四方から切り離した独立の一軒家です。
窮屈ではあるが間数は五つほどあります。
兄さんと私は一つ座敷に吊った一つ蚊帳の中に寝ます。
しかし宿屋と違って同じ時間に起きる必要はありません。
片方が起きても、片方は寝たいだけ寝ていられます。
私は兄さんをそっとしておいて、次の座敷に据えてある一閑張の机に向う事ができます。
昼もその通りです。
二人差向いでいるのが苦痛になれば、どっちかが勝手に姿を隠して、自分に都合のいい事を、好な時間だけやります。
それから適当な頃にまた出て来て顔を見せます。
私はこういう偶然を利用してこの手紙を書くのであります。
そうしてこの偶然を思いがけなく利用する事のできた自分を、あなたのために仕合せと考えます。
同時に、それを利用する必要を認め出した自分を、自分のために遺憾だと思います。
私のいう事は順序からいうと日記体に纏まっておりません。
分類からいうと科学的に区別が立たないかも知れません。
しかしそれは汽車、俥、宿、すべて規則的な仕事を妨げる旅行というものの障害と、平気で取りかかりにくいというその仕事の性質とが、破壊的に働いた結果と思っていただくより仕方がありません。
断片的にせよ下に述べるだけの事をあなたに報道し得るのがすでに私には意外なのであります。
全く偶然の御蔭なのであります。
三十
我々は二人とも大した旅行癖のない男です。
したがって我々の編み上げた旅程もまた経験相応に平凡でした。
近くて便利な所を人並に廻って歩けば、それで目的の大半は達せられるくらいな考えで、まず相模伊豆辺をぼんやり心がけました。
それでも私の方が兄さんよりはまだましでした。
私は主要な場所と、そこへ行くべき交通機関とをほぼ承知していましたが、兄さんに至ってはほとんど地理や方角を超越していました。
兄さんは国府津が小田原の手前か先か知りませんでした。
知らないというよりむしろ構わないのでしょう。
これほど一方に無頓着な兄さんが、なぜ人事上のあらゆる方面に、同じ平然たる態度を見せる事ができないのかと思うと、私は実際不思議な感に打たれざるを得ません。
しかしそれは余事です。
話が逸れると戻り悪くなりますから、なるべく本流を伝って、筋を離れないように進む事にしましょう。
我々は始め逗子を基点として出発する事に相談をきめていました。
ところがその朝新橋へ駆けつける俥の上で、ふと私の考えが変りました。
いかに平凡な旅行にしても、真先に逗子へ行くのは、あまりに平凡過ぎて気が進まなくなったのです。
私は停車場で兄さんに相談の仕直しをやりました。
私は行程を逆にして、まず沼津から修善寺へ出て、それから山越に伊東の方へ下りようと云いました。
小田原と国府津の後先さえ知らない兄さんに異存のあるはずがないので、我々はすぐ沼津までの切符を買って、そのまま東海道行の汽車に乗り込みました。
汽車中では報知に値するような事が別に起りませんでした。
先方へ着いても、風呂へ入ったり、飯を食ったり、茶を飲んだりする間は、これといって目に着く点もなかったのです。
私は兄さんについて、これはことによると家族の人の参考のために、知らせておく必要があるかも知れないと思い出したのは、その日の晩になってからであります。
寝るには早過ぎました。
話にはもう飽きました。
私は旅行中に誰でも経験する一種の徒然に襲われました。
ふと床の間の脇を見ると、そこに重そうな碁盤が一面あったので、私はすぐそれを室の真中へ持ち出しました。
無論兄さんを相手に黒白を争うつもりでした。
あなたは御存じだかどうだか知りませんが、私は学校にいた時分、これでよく兄さんと碁を打ったものです。
その後二人とも申し合せたように、ぴたりとやめてしまいましたが、この場合、二人が持て余している時間を、面白く過ごすには碁盤が屈強の道具に違なかったのです。
兄さんはしばらく碁盤を眺めていました。
そうしておいて「まあ止そう」と云いました。
私は思い込んだ勢いで、「そう云わずにやろうじゃないか」と押し返しました。
それでも兄さんは「いやいやまあ止そう」と云います。
兄さんの顔を見ると、眼と眉の間に変な表情がありました。
それが何の碁なんぞと云った風の軽蔑または無頓着を示していないのですから、私はちょっと異な心持がしました。
しかし無理に強いるのも厭ですから、私はとうとう一人で碁石を取り上げて、黒と白を打手違に、盤の上に並べ始めました。
兄さんは少しの間それを見ていました。
私がなお黙って打ち続けて行きますと、兄さんは不意に座を立って廊下へ出ました。
おおかた便所へでも行ったのだろうと思った私は、いっこう兄さんの挙動には注意を払いませんでした。
三十一
案の通り兄さんは時を移さず戻って来ました。
そうして突然「やろう」というや否や、自分の手から、碁石を※ぎ取るように引っ手繰りました。
私は何の気もつかずに、「よろしい」と答えて、すぐ打ち始めました。
我々のは申すまでもなくヘボ碁ですから、石を下すのも早いし、勝負の片づくのも雑作はありません。
一時間のうちに悠に二番ぐらいは始末ができるくらいだから、見ていても局に対っていても、間怠い思いはけっしてないのです。
ところを兄さんは、その手早く運んで行く碁面を、しまいまで辛抱して眺めているのは苦痛だと云って、とうとう中途でやめてしまいました。
私は心持でも悪くなったのかと思って心配しましたが、兄さんはただ微笑していました。
床に入る前になって、私は始めて兄さんからその時の心理状態の説明を聞きました。
兄さんは碁を打つのは固より、何をするのも厭だったのだそうです。
同時に、何かしなくってはいられなかったのだそうです。
この矛盾がすでに兄さんには苦痛なのでした。
兄さんは碁を打ち出せば、きっと碁なんぞ打っていられないという気分に襲われると予知していたのです。
けれどもまた打たずにはいられなくなったのです。
それでやむをえず盤に向ったのです。
盤に向うや否や自烈たくなったのです。
しまいには盤面に散点する黒と白が、自分の頭を悩ますために、わざと続いたり離れたり、切れたり合ったりして見せる、怪物のように思われたのだそうです。
兄さんはもうちっとで、盤面をめちゃめちゃに掻き乱して、この魔物を追払うところだったと云いました。
何事も知らなかった私は、少し驚きながらも悪い事をしたと思いました。
「いや碁に限った訳じゃない」と云って兄さんは、自分の過失を許してくれました。
私はその時兄さんから、兄さんの平生を聞きました。
兄さんの態度は碁を中途でやめた時ですら落ちついていました。
上部から見ると何の異状もない兄さんの心持は、おそらくあなた方には理解されていないかも知れません。
少くともこういう私には一つの発見でした。
兄さんは書物を読んでも、理窟を考えても、飯を食っても、散歩をしても、二六時中何をしても、そこに安住する事ができないのだそうです。
何をしても、こんな事をしてはいられないという気分に追いかけられるのだそうです。
「自分のしている事が、自分の目的になっていないほど苦しい事はない」と兄さんは云います。
「目的でなくっても方便になれば好いじゃないか」と私が云います。
「それは結構である。ある目的があればこそ、方便が定められるのだから」と兄さんが答えます。
兄さんの苦しむのは、兄さんが何をどうしても、それが目的にならないばかりでなく、方便にもならないと思うからです。
ただ不安なのです。
したがってじっとしていられないのです。
兄さんは落ちついて寝ていられないから起きると云います。
起きると、ただ起きていられないから歩くと云います。
歩くとただ歩いていられないから走けると云います。
すでに走け出した以上、どこまで行っても止まれないと云います。
止まれないばかりなら好いが刻一刻と速力を増して行かなければならないと云います。
その極端を想像すると恐ろしいと云います。
冷汗が出るように恐ろしいと云います。
怖くて怖くてたまらないと云います。
三十二
私は兄さんの説明を聞いて、驚きました。
しかしそういう種類の不安を、生れてからまだ一度も経験した事のない私には、理解があっても同情は伴いませんでした。
私は頭痛を知らない人が、割れるような痛みを訴えられた時の気分で、兄さんの話に耳を傾けていました。
私はしばらく考えました。
考えているうちに、人間の運命というものが朧気ながら眼の前に浮かんで来ました。
私は兄さんのために好い慰藉を見出したと思いました。
「君のいうような不安は、人間全体の不安で、何も君一人だけが苦しんでいるのじゃないと覚ればそれまでじゃないか。つまりそう流転して行くのが我々の運命なんだから」 私のこの言葉はぼんやりしているばかりでなく、すこぶる不快に生温るいものでありました。
鋭い兄さんの眼から出る軽侮の一瞥と共に葬られなければなりませんでした。
兄さんはこう云うのです。
「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許してくれた事がない。徒歩から俥、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから航空船、それから飛行機と、どこまで行っても休ませてくれない。どこまで伴れて行かれるか分らない。実に恐ろしい」「そりゃ恐ろしい」と私も云いました。
兄さんは笑いました。
「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差支えないという意味だろう。実際恐ろしいんじゃないだろう。つまり頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。僕のは違う。僕のは心臓の恐ろしさだ。脈を打つ活きた恐ろしさだ」 私は兄さんの言葉に一毫も虚偽の分子の交っていない事を保証します。
しかし兄さんの恐ろしさを自分の舌で甞めて見る事はとてもできません。
「すべての人の運命なら、君一人そう恐ろしがる必要がない」と私は云いました。
「必要がなくても事実がある」と兄さんは答えました。
その上下のような事も云いました。
「人間全体が幾世紀かの後に到着すべき運命を、僕は僕一人で僕一代のうちに経過しなければならないから恐ろしい。一代のうちならまだしもだが、十年間でも、一年間でも、縮めて云えば一カ月間乃至一週間でも、依然として同じ運命を経過しなければならないから恐ろしい。君は嘘かと思うかも知れないが、僕の生活のどこをどんな断片に切って見ても、たといその断片の長さが一時間だろうと三十分だろうと、それがきっと同じ運命を経過しつつあるから恐ろしい。要するに僕は人間全体の不安を、自分一人に集めて、そのまた不安を、一刻一分の短時間に煮つめた恐ろしさを経験している」「それはいけない。もっと気を楽にしなくっちゃ」「いけないぐらいは自分にも好く解っている」 私は兄さんの前で黙って煙草を吹かしていました。
私は心のうちで、どうかして兄さんをこの苦痛から救い出して上げたいと念じました。
私はすべてその他の事を忘れました。
今までじっと私の顔を見守っていた兄さんは、その時突然「君の方が僕より偉い」と云いました。
私は思想の上において、兄さんこそ私に優れていると感じている際でしたから、この賛辞に対して嬉しいともありがたいとも思う気は起りませんでした。
私はやはり黙って煙草を吹かしていました。
兄さんはだんだん落ちついて来ました。
それから二人とも一つ蚊帳に這入って寝ました。
三十三
翌日も我々は同じ所に泊っていました。
朝起き抜けに浜辺を歩いた時、兄さんは眠っているような深い海を眺めて、「海もこう静かだと好いね」と喜びました。
近頃の兄さんは何でも動かないものが懐かしいのだそうです。
その意味で水よりも山が気に入るのでした。
気に入ると云っても、普通の人間が自然を楽しむ時の心持とは少し違うようです。
それは下に挙げる兄さんの言葉で御解りになるでしょう。
「こうして髭を生やしたり、洋服を着たり、シガーを銜えたりするところは上部から見ると、いかにも一人前の紳士らしいが、実際僕の心は宿なしの乞食みたように朝から晩までうろうろしている。二六時中不安に追いかけられている。情ないほど落ちつけない。しまいには世の中で自分ほど修養のできていない気の毒な人間はあるまいと思う。そういう時に、電車の中やなにかで、ふと眼を上げて向う側を見ると、いかにも苦のなさそうな顔に出っ食わす事がある。自分の眼が、ひとたびその邪念の萌さないぽかんとした顔に注ぐ瞬間に、僕はしみじみ嬉しいという刺戟を総身に受ける。僕の心は旱魃に枯れかかった稲の穂が膏雨を得たように蘇える。同時にその顔――何も考えていない、全く落ちつき払ったその顔が、大変気高く見える。眼が下っていても、鼻が低くっても、雑作はどうあろうとも、非常に気高く見える。僕はほとんど宗教心に近い敬虔の念をもって、その顔の前に跪ずいて感謝の意を表したくなる。自然に対する僕の態度も全く同じ事だ。昔のようにただうつくしいから玩ぶという心持は、今の僕には起る余裕がない」 兄さんはその時電車のなかで偶然見当る尊い顔の部類の中へ、私を加えました。
私は思いも寄らん事だと云って辞退しました。
すると兄さんは真面目な態度でこう云いました。
「君でも一日のうちに、損も得も要らない、善も悪も考えない、ただ天然のままの心を天然のまま顔に出している事が、一度や二度はあるだろう。僕の尊いというのは、その時の君の事を云うんだ。その時に限るのだ」 兄さんはこう云われても覚束なく見える私のために、具体的な証拠を示してやるというつもりか、昨夜二人が床に入る前の私を取って来てその例に引きました。
兄さんはあの折談話の機でつい興奮し過ぎたと自白しました。
しかし私の顔を見たときに、その激した心の調子がしだいに収まったと云うのです。
私が肯おうと肯うまいと、それには頓着する必要がない、ただその時の私から好い影響を受けて、一時的にせよ苦しい不安を免かれたのだと、兄さんは断言するのです。
その時の私は前云った通りです。
ただ煙草を吹かして黙っていただけです。
私はその時すべての事を忘れました。
独り兄さんをどうにかしてこの不安の裡から救って上げたいと念じました。
けれども私の心が兄さんに通じようとは思いませんでした。
また通じさせようという気は無論ありませんでした。
だから何にも云わずに黙って煙草を吹かしていたのです。
しかしそこに純粋な誠があったのかも知れません。
兄さんはその誠を私の顔に読んだのでしょうか。
私は兄さんと砂浜の上をのそりのそりと歩きました。
歩きながら考えました。
兄さんは早晩宗教の門を潜って始めて落ちつける人間ではなかろうか。
もっと強い言葉で同じ意味を繰り返すと、兄さんは宗教家になるために、今は苦痛を受けつつあるのではなかろうか。
三十四
「君近頃神というものについて考えた事はないか」 私はしまいにこういう質問を兄さんにかけました。
私がここでとくに「近頃」と断ったのは、書生時代の古い回想から来たものであります。
その時分は二人共まだ考えの纏まらない青二才でしたが、それでも私は思索に耽り勝な兄さんと、よく神の存在について云々したものであります。
ついでだから申しますが、兄さんの頭はその時分から少しほかの人とは変っていました。
兄さんは浮々と散歩をしていて、ふと自分が今歩いていたなという事実に気がつくと、さあそれが解すべからざる問題になって、考えずにはいられなくなるのでした。
歩こうと思えば歩くのが自分に違ないが、その歩こうと思う心と、歩く力とは、はたしてどこから不意に湧いて出るか、それが兄さんには大いなる疑問になるのでした。
二人はそんな事から神とか第一原因とかいう言葉をよく使いました。
今から考えると解らずに使ったのでした。
しかし口の先で使い慣れた結果、しまいには神もいつか陳腐になりました。
それから二人とも申し合せたように黙りました。
黙ってから何年目になるでしょう。
私は静かな夏の朝の、海という深い色を沈める大きな器の前に立って、兄さんと相対しつつ、再び神という言葉を口にしたのであります。
しかし兄さんはその言葉を全く忘れていました。
思い出す気色さえありませんでした。
私の質問に対する返事としては、ただ微かな苦笑があの皮肉な唇の端を横切っただけでした。
私は兄さんのこの態度で辟易するほどに臆病ではありませんでした。
また思う事を云い終せずに引込むほど疎い間柄でもありませんでした。
私は一歩前へ進みました。
「どこの馬の骨だか分らない人間の顔を見てさえ、時々ありがたいという気が起るなら、円満な神の姿を束の間も離れずに拝んでいられる場合には、何百倍幸福になるか知れないじゃないか」「そんな意味のない口先だけの論理が何の役に立つものかね。そんなら神を僕の前に連れて来て見せてくれるが好い」 兄さんの調子にも兄さんの眉間にも自烈たそうなものが顫動していました。
兄さんは突然足下にある小石を取って二三間波打際の方に馳け出しました。
そうしてそれを遥の海の中へ投げ込みました。
海は静かにその小石を受け取りました。
兄さんは手応のない努力に、憤りを起す人のように、二度も三度も同じ所作を繰返しました。
兄さんは磯へ打ち上げられた昆布だか若布だか、名も知れない海藻の間を構わず駈け廻りました。
それからまた私の立って見ている所へ帰って来ました。
「僕は死んだ神より生きた人間の方が好きだ」 兄さんはこう云うのです。
そうして苦しそうに呼息をはずませていました。
私は兄さんを連れて、またそろそろ宿の方へ引き返しました。
「車夫でも、立ん坊でも、泥棒でも、僕がありがたいと思う刹那の顔、すなわち神じゃないか。山でも川でも海でも、僕が崇高だと感ずる瞬間の自然、取りも直さず神じゃないか。そのほかにどんな神がある」 兄さんからこう論じかけられた私は、ただ「なるほど」と答えるだけでした。
兄さんはその時は物足りない顔をします。
しかし後になるとやっぱり私に感心したような素振を見せます。
実を云うと、私の方が兄さんにやり込められて感心するだけなのですが。
三十五
我々は沼津で二日ほど暮しました。
ついでに興津まで行こうかと相談した時、兄さんは厭だと云いました。
旅程にかけては、万事私の思いのままになっている兄さんが、なぜその時に限って断然私の申し出を拒絶したものか、私にはとんと解りませんでした。
後でその説明を聞いたら、三保の松原だの天女の羽衣だのが出て来る所は嫌いだと云うのです。
兄さんは妙な頭をもった人に違ありません。
我々はついに三島まで引き返しました。
そこで大仁行の汽車に乗り換えて、とうとう修善寺へ行きました。
兄さんには始めからこの温泉が大変気に入っていたようです。
しかし肝心の目的地へ着くや否や、兄さんは「おやおや」という失望の声を放ちました。
実際兄さんの好いていたのは、修善寺という名前で、修善寺という所ではなかったのです。
瑣事ですが、これも幾分か兄さんの特色になりますからついでにつけ加えておきます。
御承知の通りこの温泉場は、山と山が抱合っている隙間から谷底へ陥落したような低い町にあります。
一旦そこへ這入った者は、どっちを見ても青い壁で鼻が支えるので、仕方なしに上を見上げなければなりません。
俯向いて歩いたら、地面の色さえ碌に眼には留まらないくらい狭苦しいのです。
今まで海よりも山の方が好いと云っていた兄さんは、修善寺へ来て山に取り囲まれるが早いか、急に窮屈がり出しました。
私はすぐ兄さんを伴れて、表へ出て見ました。
すると、普通の町ならまず往来に当る所が、一面の川床で、青い水が岩に打つかりながらその中を流れているのです。
だから歩くと云っても、歩きたいだけ歩く余地は無論ありませんでした。
私は川の真中の岩の間から出る温泉に兄さんを誘い込みました。
男も女もごちゃごちゃに一つ所に浸っているのが面白かったからです。
不潔な事も話の種になるくらいでした。
兄さんと私はさすがにそこへ浴衣を投げ棄てて這入る勇気はありませんでした。
しかし湯の中にいる黒い人間を、岩の上に立って物好らしくいつまでも眺めていました。
兄さんは嬉しそうでした。
岩から岸に渡した危ない板を踏みながら元の路へ引き返す時に、兄さんは「善男善女」という言葉を使いました。
それが雑談半分の形容詞でなく、全くそう思われたらしいのです。
翌朝楊枝を銜えながら、いっしょに内風呂に浸った時、兄さんは「昨夕も寝られないで困った」と云いました。
私は今の兄さんに取って寝られないが一番毒だと考えていましたので、ついそれを問題にしました。
「寝られないと、どうかして寝よう寝ようと焦るだろう」と私が聞きました。
「全くそうだ、だからなお寝られなくなる」と兄さんが答えました。
「君、寝なければ誰かにすまない事でもあるのか」と私がまた聞きました。
兄さんは変な顔をしました。
石で畳んだ風呂槽の縁に腰をかけて、自分の手や腹を眺めていました。
兄さんは御存じの通り余り肥ってはいません。
「僕も時々寝られない事があるが、寝られないのもまた愉快なものだ」と私が云いました。
「どうして」と今度は兄さんが聞きました。
私はその時私の覚えていた灯影無睡を照し心清妙香を聞くという古人の句を兄さんのために挙げました。
すると兄さんはたちまち私の顔を見てにやにや笑いました。
「君のような男にそういう趣が解るかね」と云って、不審そうな様子をしました。
三十六
その日私はまた兄さんを引張り出して今度は山へ行きました。
上を見て山に行き、下を向いて湯に入る、それよりほかにする事はまずない所なのですから。
兄さんは痩せた足を鞭のように使って細い道を達者に歩きます。
その代り疲れる事もまた人一倍早いようです。
肥った私がのそのそ後から上って行くと、木の根に腰をかけて、せえせえ云っています。
兄さんのは他を待ち合せるのではありません。
自分が呼息を切らしてやむをえずに斃れるのです。
兄さんは時々立ち留まって茂みの中に咲いている百合を眺めました。
一度などは白い花片をとくに指して、「あれは僕の所有だ」と断りました。
私にはそれが何の意味だか解りませんでしたが、別に聞き返す気も起らずに、とうとう天辺まで上りました。
二人でそこにある茶屋に休んだ時、兄さんはまた足の下に見える森だの谷だのを指して、「あれらもことごとく僕の所有だ」と云いました。
二度まで繰り返されたこの言葉で、私は始めて不審を起しました。
しかしその不審はその場ですぐ晴らす訳に行きませんでした。
私の質問に対する兄さんの答は、ただ淋しい笑に過ぎなかったのです。
我々はその茶店の床几の上で、しばらく死んだように寝ていました。
その間兄さんは何を考えていたか知りません。
私はただ明らかな空を流れる白い雲の様子ばかり見ていました。
私の眼はきらきらしました。
しだいに帰り途の暑さが想いやられるようになりました。
私は兄さんを促してまた山を下りました。
その時です。
兄さんが突然後から私の肩をつかんで、「君の心と僕の心とはいったいどこまで通じていて、どこから離れているのだろう」と聞いたのは。
私は立ちどまると同時に、左の肩を二三度強く小突き廻されました。
私は身体に感ずる動揺を、同じように心でも感じました。
私は平生から兄さんを思索家と考えていました。
いっしょに旅に出てからは、宗教に這入ろうと思って這入口が分らないで困っている人のようにも解釈して見ました。
私が心に動揺を感じたというのは、はたして兄さんのこの質問が、そういう立場から出たのであろうかと迷ったからです。
私はあまり物に頓着しない性質です。
またあまり物に驚かない、いたって鈍な男です。
けれども出立前あなたからいろいろ依頼を受けたため、兄さんに対してだけは、妙に鋭敏になりたがっていました。
私は少し平気の道を踏み外しそうになりました。
「(人から人へ掛け渡す橋はない)」 私はつい覚えていた独逸の諺を返事に使いました。
無論半分は問題を面倒にしない故意の作略も交っていたでしょうが。
すると兄さんは、「そうだろう、今の君はそうよりほかに答えられまい」と云うのです。
私はすぐ「なぜ」と聞き返しました。
「自分に誠実でないものは、けっして他人に誠実であり得ない」 私は兄さんのこの言葉を、自分のどこへ応用して好いか気がつきませんでした。
「君は僕のお守になって、わざわざいっしょに旅行しているんじゃないか。僕は君の好意を感謝する。けれどもそういう動機から出る君の言動は、誠を装う偽りに過ぎないと思う。朋友としての僕は君から離れるだけだ」 兄さんはこう断言しました。
そうして私をそこへ取残したまま、一人でどんどん山道を馳け下りて行きました。
その時私も兄さんの口を迸しるEinsamkeit,dumeineHeimatEinsamkeit!
(孤独なるものよ、汝はわが住居なり)という独逸語を聞きました。
三十七
私は心配しいしい宿へ帰りました。
兄さんは室の真ん中に蒼い顔をして寝ていました。
私の姿を見ても口を利きません、動きもしません。
私は自然を尊む人を、自然のままにしておく方針を取りました。
私は静かに兄さんの枕元で一服しました。
それから気持の悪い汗を流すために手拭を持って風呂場へ行きました。
私が湯槽の縁に立って身体を清めていると、兄さんが後からやって来ました。
二人はその時始めて物を云い合いました。
私は「疲れたろう」と聞きました。
兄さんは「疲れた」と答えました。
午の膳に向う頃から兄さんの機嫌はだんだん回復して来ました。
私はついに兄さんに向って、先刻山途で二人の間に起った芝居がかりの動作に云い及びました。
兄さんは始めのうちは苦笑していました。
しかししまいには居住居を直して真面目になりました。
そうして実際孤独の感に堪えないのだと云い張りました。
私はその時始めて兄さんの口から、彼がただに社会に立ってのみならず、家庭にあっても一様に孤独であるという痛ましい自白を聞かされました。
兄さんは親しい私に対して疑念を持っている以上に、その家庭の誰彼を疑っているようでした。
兄さんの眼には御父さんも御母さんも偽の器なのです。
細君はことにそう見えるらしいのです。
兄さんはその細君の頭にこの間手を加えたと云いました。
「一度打っても落ちついている。二度打っても落ちついている。三度目には抵抗するだろうと思ったが、やっぱり逆らわない。僕が打てば打つほど向はレデーらしくなる。そのために僕はますます無頼漢扱いにされなくてはすまなくなる。僕は自分の人格の堕落を証明するために、怒を小羊の上に洩らすと同じ事だ。夫の怒を利用して、自分の優越に誇ろうとする相手は残酷じゃないか。君、女は腕力に訴える男より遥に残酷なものだよ。僕はなぜ女が僕に打たれた時、起って抵抗してくれなかったと思う。抵抗しないでも好いから、なぜ一言でも云い争ってくれなかったと思う」 こういう兄さんの顔は苦痛に充ちていました。
不思議な事に兄さんはこれほど鮮明に自分が細君に対する不快な動作を話しておきながら、その動作をあえてするに至った原因については、具体的にほとんど何事も語らないのです。
兄さんはただ自分の周囲が偽で成立していると云います。
しかもその偽を私の眼の前で組み立てて見せようとはしません。
私は何でこの空漠な響をもつ偽という字のために、兄さんがそれほど興奮するかを不審がりました。
兄さんは私が偽という言葉を字引で知っているだけだから、そんな迂濶な不審を起すのだと云って、実際に遠い私を窘なめました。
兄さんから見れば、私は実際に遠い人間なのです。
私は強いて兄さんから偽の内容を聞こうともしませんでした。
したがって兄さんの家庭にはどんな面倒な事情が縺れ合っているか、私にはとんと解りません。
好んで聞くべき筋でもなし、また聞いておかないでも、家庭の一員たるあなたには報道の必要のない事と思いましたから、そのままにしてすましました。
ただ御参考までに一言注意しておきますが、兄さんはその時御両親や奥さんについて、抽象的ながら云々されたにかかわらず、あなたに関しては、二郎という名前さえ口にされませんでした。
それからお重さんとかいう妹さんの事についても何にも云われませんでした。
三十八
私が兄さんにマラルメの話をしたのは修善寺を立って小田原へ来た晩の事です。
専門の違うあなただから、あるいは失礼にもなるまいと思って書き添えますが、マラルメと云うのは有名な仏蘭西の詩人の名前です。
こういう私も実はその名前だけしか知らないのです。
だから話と云ったところで作物の批評などではありません。
東京を立つ前に、取りつけの外国雑誌の封を切って、ちょっと眼を通したら、そのうちにこの詩人の逸話があったのを、面白いと思って覚えていたので、私はついそれを挙げて、兄さんの反省を促して見たくなったのです。
このマラルメと云う人にも多くの若い崇拝者がありました。
その人達はよく彼の家に集まって、彼の談話に耳を傾ける宵を更したのですが、いかに多くの人が押しかけても、彼の坐るべき場所は必ず暖炉の傍で、彼の腰をおろすのは必ず一箇の揺椅ときまっていました。
これは長い習慣で定められた規則のように、誰も犯すものがなかったという事です。
ところがある晩新しい客が来ました。
たしか英吉利のシモンズだったという話ですが、その客は今日までの習慣をまるで知らないので、どの席もどの椅子も同じ価と心得たのでしょう、当然マラルメの坐るべきかの特別の椅子へ腰をかけてしまいました。
マラルメは不安になりました。
いつものように話に実が入りませんでした。
一座は白けました。
「何という窮屈な事だろう」 私はマラルメの話をした後で、こういう一句の断案を下しました。
そうして兄さんに向って、「君の窮屈な程度はマラルメよりも烈しい」と云いました。
兄さんは鋭敏な人です。
美的にも倫理的にも、智的にも鋭敏過ぎて、つまり自分を苦しめに生れて来たような結果に陥っています。
兄さんには甲でも乙でも構わないという鈍なところがありません。
必ず甲か乙かのどっちかでなくては承知できないのです。
しかもその甲なら甲の形なり程度なり色合なりが、ぴたりと兄さんの思う坪に嵌らなければ肯がわないのです。
兄さんは自分が鋭敏なだけに、自分のこうと思った針金のように際どい線の上を渡って生活の歩を進めて行きます。
その代り相手も同じ際どい針金の上を、踏み外さずに進んで来てくれなければ我慢しないのです。
しかしこれが兄さんのわがままから来ると思うと間違いです。
兄さんの予期通りに兄さんに向って働きかける世の中を想像して見ると、それは今の世の中より遥に進んだものでなければなりません。
したがって兄さんは美的にも智的にも乃至倫理的にも自分ほど進んでいない世の中を忌むのです。
だからただのわがままとは違うでしょう。
椅子を失って不安になったマラルメの窮屈ではありますまい。
しかし苦しいのはあるいはそれ以上かも知れません。
私はどうかしてその苦みから兄さんを救い出したいと念じているのです。
兄さんも自分でその苦しみに堪え切れないで、水に溺れかかった人のように、ひたすら藻掻いているのです。
私には心のなかのその争いがよく見えます。
しかし天賦の能力と教養の工夫とでようやく鋭くなった兄さんの眼を、ただ落ちつきを与える目的のために、再び昧くしなければならないという事が、人生の上においてどんな意義になるでしょうか。
よし意義があるにしたところで、人間としてできうる仕事でしょうか。
私はよく知っていました。
考えて考えて考え抜いた兄さんの頭には、血と涙で書かれた宗教の二字が、最後の手段として、躍り叫んでいる事を知っていました。
三十九
「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」 兄さんははたしてこう云い出しました。
その時兄さんの顔は、むしろ絶望の谷に赴く人のように見えました。
「しかし宗教にはどうも這入れそうもない。死ぬのも未練に食いとめられそうだ。なればまあ気違だな。しかし未来の僕はさておいて、現在の僕は君正気なんだろうかな。もうすでにどうかなっているんじゃないかしら。僕は怖くてたまらない」 兄さんは立って縁側へ出ました。
そこから見える海を手摺に倚ってしばらく眺めていました。
それから室の前を二三度行ったり来たりした後、また元の所へ帰って来ました。
「椅子ぐらい失って心の平和を乱されるマラルメは幸いなものだ。僕はもうたいていなものを失っている。わずかに自己の所有として残っているこの肉体さえ、(この手や足さえ、)遠慮なく僕を裏切るくらいだから」 兄さんのこの言葉は、好い加減な形容ではないのです。
昔から内省の力に勝っていた兄さんは、あまり考えた結果として、今はこの力の威圧に苦しみ出しているのです。
兄さんは自分の心がどんな状態にあろうとも、一応それを振り返って吟味した上でないと、けっして前へ進めなくなっています。
だから兄さんの命の流れは、刹那刹那にぽつぽつと中断されるのです。
食事中一分ごとに電話口へ呼び出されるのと同じ事で、苦しいに違ありません。
しかし中断するのも兄さんの心なら、中断されるのも兄さんの心ですから、兄さんはつまるところ二つの心に支配されていて、その二つの心が嫁と姑のように朝から晩まで責めたり、責められたりしているために、寸時の安心も得られないのです。
私は兄さんの話を聞いて、始めて何も考えていない人の顔が一番気高いと云った兄さんの心を理解する事ができました。
兄さんがこの判断に到着したのは、全く考えた御蔭です。
しかし考えた御蔭でこの境界には這入れないのです。
兄さんは幸福になりたいと思って、ただ幸福の研究ばかりしたのです。
ところがいくら研究を積んでも、幸福は依然として対岸にあったのです。
私はとうとう兄さんの前に神という言葉を持ち出しました。
そうして意外にも突然兄さんから頭を打たれました。
しかしこれは小田原で起った最後の幕です。
頭を打たれる前にまだ一節ありますから、まずそれから御報知しようと思います。
しかし前にも申した通り、あなたと私とはまるで専門が違いますので、私の筆にする事が、時によると変に物識めいた余計な云い草のように、あなたの眼に映るかも知れません。
それであなたに関係のない片仮名などを入れる時は、なおさら躊躇しがちになりますが、これでも必要と認めない限り、なるべくそんな性質の文字は、省いているのですから、あなたもそのつもりで虚心に読んで下さい。
少しでもあなたの心に軽薄という疑念が起るようでは、せっかく書いて上げたものが、前後を通じて、何の役にも立たなくなる恐れがありますから。
私がまだ学校にいた時分、モハメッドについて伝えられた下のような物語を、何かの書物で読んだ事があります。
モハメッドは向うに見える大きな山を、自分の足元へ呼び寄せて見せるというのだそうです。
それを見たいものは何月何日を期してどこへ集まれというのだそうです。
四十
期日になって幾多の群衆が彼の周囲を取巻いた時、モハメッドは約束通り大きな声を出して、向うの山にこっちへ来いと命令しました。
ところが山は少しも動き出しません。
モハメッドは澄ましたもので、また同じ号令をかけました。
それでも山は依然としてじっとしていました。
モハメッドはとうとう三度号令を繰返さなければならなくなりました。
しかし三度云っても、動く気色の見えない山を眺めた時、彼は群衆に向って云いました。
――「約束通り自分は山を呼び寄せた。しかし山の方では来たくないようである。山が来てくれない以上は、自分が行くよりほかに仕方があるまい」。
彼はそう云って、すたすた山の方へ歩いて行ったそうです。
この話を読んだ当時の私はまだ若うございました。
私はいい滑稽の材料を得たつもりで、それを方々へ持って廻りました。
するとそのうちに一人の先輩がありました。
みんなが笑うのに、その先輩だけは「ああ結構な話だ。宗教の本義はそこにある。それで尽している」と云いました。
私は解らぬながらも、その言葉に耳を傾けました。
私が小田原で兄さんに同じ話を繰返したのは、それから何年目になりますか、話は同じ話でも、もう滑稽のためではなかったのです。
「なぜ山の方へ歩いて行かない」 私が兄さんにこう云っても、兄さんは黙っています。
私は兄さんに私の主意が徹しないのを恐れて、つけ足しました。
「君は山を呼び寄せる男だ。呼び寄せて来ないと怒る男だ。地団太を踏んで口惜しがる男だ。そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。なぜ山の方へ歩いて行かない」「もし向うがこっちへ来るべき義務があったらどうだ」と兄さんが云います。
「向うに義務があろうとあるまいと、こっちに必要があればこっちで行くだけの事だ」と私が答えます。
「義務のないところに必要のあるはずがない」と兄さんが主張します。
「じゃ幸福のために行くさ。必要のために行きたくないなら」と私がまた答えます。
兄さんはこれでまた黙りました。
私のいう意味はよく兄さんに解っているのです。
けれども是非、善悪、美醜の区別において、自分の今日までに養い上げた高い標準を、生活の中心としなければ生きていられない兄さんは、さらりとそれを擲って、幸福を求める気になれないのです。
むしろそれにぶら下がりながら、幸福を得ようと焦燥るのです。
そうしてその矛盾も兄さんにはよく呑み込めているのです。
「自分を生活の心棒と思わないで、綺麗に投げ出したら、もっと楽になれるよ」と私がまた兄さんに云いました。
「じゃ何を心棒にして生きて行くんだ」と兄さんが聞きました。
「神さ」と私が答えました。
「神とは何だ」と兄さんがまた聞きました。
私はここでちょっと自白しなければなりません。
私と兄さんとこう問答をしているところを御読みになるあなたには、私がさも宗教家らしく映ずるかも知れませんが、――私がどうかして兄さんを信仰の道に引き入れようと力めているように見えるかも知れませんが、実を云うと、私は耶蘇にもモハメッドにも縁のない、平凡なただの人間に過ぎないのです。
宗教というものをそれほど必要とも思わないで、漫然と育った自然の野人なのです。
話がとかくそちらへ向くのは、全く相手に兄さんという烈しい煩悶家を控えているためだったのです。
四十一
私が兄さんにやられた原因も全くそこにあったのです。
事実私は神というものを知らない癖に、神という言葉を口にしました。
兄さんから反問された時に、それは天とか命とかいう意味と同じものだと漠然答えておいたら、まだよかったかも知れません。
ところが前後の行きがかり上、私にはそんな説明の余裕がなくなりました。
その時の問答はたしか下のような順序で進行したかと思います。
私「世の中の事が自分の思うようにばかりならない以上、そこに自分以外の意志が働いているという事実を認めなくてはなるまい」「認めている」私「そうしてその意志は君のよりも遥に偉大じゃないか」「偉大かも知れない、僕が負けるんだから。けれども大概は僕のよりも不善で不美で不真だ。僕は彼らに負かされる訳がないのに負かされる。だから腹が立つのだ」私「それは御互に弱い人間同志の競合を云うんだろう。僕のはそうじゃない、もっと大きなものを指すのだ」「そんな瞹眛なものがどこにある」私「なければ君を救う事ができないだけの話だ」「じゃしばらくあると仮定して……」私「万事そっちへ委任してしまうのさ。何分宜しく御頼み申しますって。君、俥に乗ったら、落ことさないように車夫が引いてくれるだろうと安心して、俥の上で寝る事はできないか」「僕は車夫ほど信用できる神を知らないのだ。君だってそうだろう。君のいう事は、全く僕のために拵えた説教で、君自身に実行する経典じゃないのだろう」私「そうじゃない」「じゃ君は全く我を投げ出しているね」私「まあそうだ」「死のうが生きようが、神の方で好いように取計ってくれると思って安心しているね」私「まあそうだ」 私は兄さんからこう詰寄せられた時、だんだん危しくなって来るような気がしました。
けれども前後の勢いが自分を支配している最中なので、またどうする訳にも行きません。
すると兄さんが突然手を挙げて、私の横面をぴしゃりと打ちました。
私は御承知の通りよほど神経の鈍くできた性質です。
御蔭で今日まで余り人と争った事もなく、また人を怒らした試も知らずに過ぎました。
私の鈍いせいでもあったでしょうが、子供の時ですら親に打たれた覚えはありません。
成人しては無論の事です。
生れて始めて手を顔に加えられた私はその時われ知らずむっとしました。
「何をするんだ」「それ見ろ」 私にはこの「それ見ろ」が解らなかったのです。
「乱暴じゃないか」と私が云いました。
「それ見ろ。少しも神に信頼していないじゃないか。やっぱり怒るじゃないか。ちょっとした事で気分の平均を失うじゃないか。落ちつきが顛覆するじゃないか」 私は何とも答えませんでした。
また何とも答えられませんでした。
そのうちに兄さんはつと座を立ちました。
私の耳にはどんどん階子段を馳け下りて行く兄さんの足音だけが残りました。
四十二
私は下女を呼んで伴の御客さんはどうしたと聞いて見ました。
「今しがた表へ御出になりました。おおかた浜でしょう」 下女の返事が私の想像と一致したので、私はそれ以上の掛念を省いて、ごろりとそこに横になりました。
すると衣桁の端にかかっている兄さんの夏帽子がすぐ眼に着きました。
兄さんはこの暑いのに帽子も被らずにどこかへ飛び出して行ったのです。
あなたのように、兄さんの一挙一動を心配する人から見たら、仰向けに寝そべったその時の私の姿は、少し呑気過ぎたかも知れません。
これは固より私の鈍い神経の仕業に違ないのです。
けれどもただ鈍いだけで説明する以外に、もう少し御参考になる点も交っているようですから、それをちょっと申上げます。
私は兄さんの頭を信じていました。
私よりも鋭敏な兄さんの理解力に尊敬を払っていました。
兄さんは時々普通の人に解らないような事を出し抜けに云います。
それが知らないものの耳や、教育の乏しい男の耳には、どこかに破目の入った鐘の音として、変に響くでしょうけれども、よく兄さんを心得た私には、かえって習慣的な言説よりはありがたかったのです。
私は平生からそこに兄さんの特色を認めていました。
だから心配の必要はないと、あれほど強くあなたに断言して憚らなかったのです。
それでいっしょに旅に出ました。
旅へ出てからの兄さんは今まで私が叙述して来た通りですが、私はこの旅行先の兄さんのために、少しずつ故の考えを訂正しなければならないようになって来たのです。
私は兄さんの頭が、私より判然と整っている事について、今でも少しの疑いを挟さむ余地はないと思います。
しかし人間としての今の兄さんは、故に較べると、どこか乱れているようです。
そうしてその乱れる原因を考えて見ると、判然と整った彼の頭の働きそのものから来ているのです。
私から云えば、整った頭には敬意を表したいし、また乱れた心には疑いをおきたいのですが、兄さんから見れば、整った頭、取りも直さず乱れた心なのです。
私はそれで迷います。
頭は確である、しかし気はことによると少し変かも知れない。
信用はできる、しかし信用はできない。
こう云ったらあなたはそれを満足な報道として受け取られるでしょうか。
それよりほかに云いようのない私は、自分自身ですでに困ってしまったのです。
私は梯子段をどんどん馳け下りて行った兄さんをそのままにして、ごろりと横になりました。
私はそれほど安心していたのです。
帽子も被らずに出て行ったくらいだから、すぐ帰るにきまっていると考えたのです。
しかし兄さんは予想通りそう手軽くは戻りませんでした。
すると私もついに大の字になっていられなくなりました。
私はしまいに明らかな不安を抱いて起ち上りました。
浜へ出ると、日はいつか雲に隠れていました。
薄どんよりと曇り掛けた空と、その下にある磯と海が、同じ灰色を浴びて、物憂く見える中を、妙に生温い風が磯臭く吹いて来ました。
私はその灰色を彩どる一点として、向うの波打際に蹲踞んでいる兄さんの姿を、白く認めました。
私は黙ってその方角へ歩いて行きました。
私は後から声をかけた時、兄さんはすぐ立ち上って「先刻は失敬した」と云いました。
兄さんは目的もなくまたとめどもなくそこいらを歩いたあげく、しまいに疲れたなりで疲れた場所に蹲踞んでしまったのだそうです。
「山に行こう。もうここは厭になった。山に行こう」 兄さんは今にも山へ行きたい風でした。
四十三
我々はその晩とうとう山へ行く事になりました。
山と云っても小田原からすぐ行かれる所は箱根のほかにありません。
私はこの通俗な温泉場へ、最も通俗でない兄さんを連れ込んだのです。
兄さんは始めから、きっと騒々しいに違ないと云っていました。
それでも山だから二三日は我慢できるだろうと云うのです。
「我慢しに温泉場へ行くなんてもったいない話だ」 これもその時兄さんの口から出た自嘲の言葉でした。
はたして兄さんは着いた晩からして、やかましい隣室の客を我慢しなければならなくなりました。
この客は東京のものか横浜のものか解りませんが、何でも言葉の使いようから判断すると、商人とか請負師とか仲買とかいう部に属する種類の人間らしく思われました。
時々不調和に大きな声を出します。
傍若無人に騒ぎます。
そういう事にあまり頓着のない私さえずいぶん辟易しました。
御蔭でその晩は兄さんも私もちっともむずかしい話をしずに寝てしまいました。
つまり隣りの男が我々の思索を破壊するために騒いだ事に当るのです。
翌る朝私が兄さんに向って、「昨夜は寝られたか」と聞きますと、兄さんは首を掉って、「寝られるどころか。君は実に羨ましい」と答えました。
私はどうしても寝つかれない兄さんの耳に、さかんな鼾声を終宵聞かせたのだそうです。
その日は夜明から小雨が降っていました。
それが十時頃になると本降に変りました。
午少し過には、多少の暴模様さえ見えて来ました。
すると兄さんは突然立ち上って尻を端折ります。
これから山の中を歩くのだと云います。
凄まじい雨に打たれて、谷崖の容赦なくむやみに運動するのだと主張します。
御苦労千万だとは思いましたが、兄さんを思い留らせるよりも、私が兄さんに賛成した方が、手数が省けますので、つい「よかろう」と云って、私も尻を端折りました。
兄さんはすぐ呼息の塞るような風に向って突進しました。
水の音だか、空の音だか、何ともかとも喩えられない響の中を、地面から跳ね上る護謨球のような勢いで、ぽんぽん飛ぶのです。
そうして血管の破裂するほど大きな声を出して、ただわあっと叫びます。
その勢いは昨夜の隣室の客より何層倍猛烈だか分りません。
声だって彼よりも遥に野獣らしいのです。
しかもその原始的な叫びは、口を出るや否や、すぐ風に攫って行かれます。
それをまた雨が追いかけて砕き尽します。
兄さんはしばらくして沈黙に帰りました。
けれどもまだ歩き廻りました。
呼息が切れて仕方なくなるまで歩き廻りました。
我々が濡れ鼠のようになって宿へ帰ったのは、出てから一時間目でしたろうか、また二時間目にかかりましたろうか。
私は臍の底まで冷えました。
兄さんは唇の色を変えていました。
湯に這入って暖まった時、兄さんはしきりに「痛快だ」と云いました。
自然に敵意がないから、いくら征服されても痛快なんでしょう。
私はただ「御苦労な事だ」と云って、風呂のなかで心持よく足を伸ばしました。
その晩は予期に反して、隣の室がひっそりと静まっていました。
下女に聞いて見ると、兄さんを悩ました昨夕の客は、いつの間にかもう立ってしまったのでした。
私が兄さんから思いがけない宗教観を聞かされたのはその宵の事です。
私はちょっと驚きました。
四十四
あなたも現代の青年だから宗教という古めかしい言葉に対してあまり同情は持っていられないでしょう。
私も小むずかしい事はなるべく言わずにすましたいのです。
けれども兄さんを理解するためには、ぜひともそこへ触れて来なければなりません。
あなたには興味もなかろうし、また意外でもあろうけれども、それを遠慮する以上、肝腎の兄さんが不可解になるだけだから、辛抱してここのところをとばさずに読んで下さい。
辛抱さえなされば、あなたにはよく解る事なんです。
読んでそうして善く兄さんを呑み込んだ上、御老人方の合点のゆかれるように御宅へ紹介して上げて下さい。
私は兄さんについて過度の心労をされる御年寄に対して実際御気の毒に思っています。
しかし今のところあなたを通してよりほかに、ありのままの兄さんを、兄さんの家庭に知らせる手段はないのだから、あなたも少し真面目になって、聞き慣れない字面に眼を御注ぎなさい。
私は酔興でむずかしい事を書くのではありません。
むずかしい事が活きた兄さんの一部分なのだから仕方がないのです。
二つを引き離すと血や肉からできた兄さんもまた存在しなくなるのです。
兄さんは神でも仏でも何でも自分以外に権威のあるものを建立するのが嫌いなのです。
(この建立という言葉も兄さんの使ったままを、私が踏襲するのです)。
それではニイチェのような自我を主張するのかというとそうでもないのです。
「神は自己だ」と兄さんが云います。
兄さんがこう強い断案を下す調子を、知らない人が蔭で聞いていると、少し変だと思うかも知れません。
兄さんは変だと思われても仕方のないような激した云い方をします。
「じゃ自分が絶対だと主張すると同じ事じゃないか」と私が非難します。
兄さんは動きません。
「僕は絶対だ」と云います。
こういう問答を重ねれば重ねるほど、兄さんの調子はますます変になって来ます。
調子ばかりではありません、云う事もしだいに尋常を外れて来ます。
相手がもし私のようなものでなかったならば、兄さんは最後まで行かないうちに、純粋な気違として早く葬られ去ったに違ありません。
しかし私はそう容易く彼を見棄てるほどに、兄さんを軽んじてはいませんでした。
私はとうとう兄さんを底まで押しつめました。
兄さんの絶対というのは、哲学者の頭から割り出された空しい紙の上の数字ではなかったのです。
自分でその境地に入って親しく経験する事のできる判切した心理的のものだったのです。
兄さんは純粋に心の落ちつきを得た人は、求めないでも自然にこの境地に入れるべきだと云います。
一度この境界に入れば天地も万有も、すべての対象というものがことごとくなくなって、ただ自分だけが存在するのだと云います。
そうしてその時の自分は有るとも無いとも片のつかないものだと云います。
偉大なようなまた微細なようなものだと云います。
何とも名のつけようのないものだと云います。
すなわち絶対だと云います。
そうしてその絶対を経験している人が、俄然として半鐘の音を聞くとすると、その半鐘の音はすなわち自分だというのです。
言葉を換えて同じ意味を表わすと、絶対即相対になるのだというのです、したがって自分以外に物を置き他を作って、苦しむ必要がなくなるし、また苦しめられる掛念も起らないのだと云うのです。
「根本義は死んでも生きても同じ事にならなければ、どうしても安心は得られない。すべからく現代を超越すべしといった才人はとにかく、僕は是非共生死を超越しなければ駄目だと思う」 兄さんはほとんど歯を喰いしばる勢でこう言明しました。
四十五
私はこの場合にも自分の頭が兄さんに及ばないという事を自白しなければなりません。
私は人間として、はたして兄さんのいうような境界に達せられべきものかをまだ考えていなかったのです。
明瞭な順序で自然そこに帰着して行く兄さんの話を聞いた時、なるほどそんなものかと思いました。
またそんなものでも無かろうかとも思いました。
何しろ私はとかくの是非を挟さむだけの資格をもっていない人間に過ぎませんでした。
私は黙々として熱烈な言葉の前に坐りました。
すると兄さんの態度が変りました。
私の沈黙が鋭い兄さんの鉾先を鈍らせた例は、今までにも何遍かありました。
そうしてそれがことごとく偶然から来ているのです。
もっとも兄さんのような聡明な人に、一種の思わくから黙って見せるという技巧を弄したら、すぐ観破されるにきまっていますから、私の鈍いのも時には一得になったのでしょう。
「君、僕を単に口舌の人と軽蔑してくれるな」と云った兄さんは、急に私の前に手を突きました。
私は挨拶に窮しました。
「君のような重厚な人間から見たら僕はいかにも軽薄なお喋舌に違ない。しかし僕はこれでも口で云う事を実行したがっているんだ。実行しなければならないと朝晩考え続けに考えているんだ。実行しなければ生きていられないとまで思いつめているんだ」 私は依然として挨拶に困ったままでした。
「君、僕の考えを間違っていると思うか」と兄さんが聞きました。
「そうは思わない」と私が答えました。
「徹底していないと思うか」と兄さんがまた聞きました。
「根本的のようだ」と私がまた答えました。
「しかしどうしたらこの研究的な僕が、実行的な僕に変化できるだろう。どうぞ教えてくれ」と兄さんが頼むのです。
「僕にそんな力があるものか」と、思いも寄らない私は断るのです。
「いやある。君は実行的に生れた人だ。だから幸福なんだ。そう落ちついていられるんだ」と兄さんが繰り返すのです。
兄さんは真剣のようでした。
私はその時憮然として兄さんに向いました。
「君の智慧は遥に僕に優っている。僕にはとても君を救う事はできない。僕の力は僕より鈍いものになら、あるいは及ぼし得るかも知れない。しかし僕より聡明な君には全く無効である。要するに君は瘠せて丈が長く生れた男で、僕は肥えてずんぐり育った人間なんだ。僕の真似をして肥ろうと思うなら、君は君の背丈を縮めるよりほかに途はないんだろう」 兄さんは眼からぽろぽろ涙を出しました。
「僕は明かに絶対の境地を認めている。しかし僕の世界観が明かになればなるほど、絶対は僕と離れてしまう。要するに僕は図を披いて地理を調査する人だったのだ。それでいて脚絆を着けて山河を跋渉する実地の人と、同じ経験をしようと焦慮り抜いているのだ。僕は迂濶なのだ。僕は矛盾なのだ。しかし迂濶と知り矛盾と知りながら、依然としてもがいている。僕は馬鹿だ。人間としての君は遥に僕よりも偉大だ」 兄さんはまた私の前に手を突きました。
そうしてあたかも謝罪でもする時のように頭を下げました。
涙がぽたりぽたりと兄さんの眼から落ちました。
私は恐縮しました。
四十六
箱根を出る時兄さんは「二度とこんな所は御免だ」と云いました。
今まで通って来たうちで、兄さんの気に入った所はまだ一カ所もありません。
兄さんは誰とどこへ行っても直厭になる人なのでしょう。
それもそのはずです。
兄さんには自分の身躯や自分の心からしてがすでに気に入っていないのですから。
兄さんは自分の身躯や心が自分を裏切る曲者のように云います。
それが徒爾半分の出放題でない事は、今日までいっしょに寝泊りの日数を重ねた私にはよく理解できます。
その私からありのままの報知を受けるあなたにもとくと御合点が行く事だろうと思います。
こういう兄さんと、私がよくいっしょに旅ができると御思いになるかも知れません。
私にも考えると、それが不思議なくらいです。
兄さんを上に述べたように頭の中へ畳み込んだが最後、いかに遅鈍な私だって、御相手はでき悪い訳です。
しかし事実私は今兄さんとこうして差向いで暮していながら、さほどに苦痛を感じてはいないのです。
少くとも傍で想像するよりはよほど楽なのだろうと考えています。
そうしてそれをなぜだと聞かれたら、ちょっと返答に差支えるのです。
あなたも同じ兄さんについて同じ経験をなさりはしませんか。
もし同じ経験をなさらないならば、骨肉を分けたあなたよりも、他人の私の方が、兄さんに親しい性質をもって生れて来たのでしょう。
親しいというのは、ただ仲が好いと云う意味ではありません。
和して納まるべき特性をどこか相互に分担して前へ進めるというつもりなのです。
私は旅へ出てから絶えず兄さんの気に障るような事を云ったりしたりしました。
ある時は頭さえ打たれました。
それでも私はあなたの家庭のすべての人の前に立って、私はまだ兄さんから愛想を尽かされていないという事を明言できると思います。
同時に、一種の弱点を持ったこの兄さんを、私は今でも衷心から敬愛していると固く信じて疑わないのであります。
兄さんは私のような凡庸な者の前に、頭を下げて涙を流すほどの正しい人です。
それをあえてするほどの勇気をもった人です。
それをあえてするのが当然だと判断するだけの識見を具えた人です。
兄さんの頭は明か過ぎて、ややともすると自分を置き去りにして先へ行きたがります。
心の他の道具が彼の理智と歩調を一つにして前へ進めないところに、兄さんの苦痛があるのです。
人格から云えばそこに隙間があるのです。
成功から云えばそこに破滅が潜んでいるのです。
この不調和を兄さんのために悲しみつつある私は、すべての原因をあまりに働き過ぎる彼の理智の罪に帰しながら、やっぱり、その理智に対する敬意を失う事ができないのです。
兄さんをただの気むずかしい人、ただのわがままな人とばかり解釈していては、いつまで経っても兄さんに近寄る機会は来ないかも知れません。
したがって少しでも兄さんの苦痛を柔げる縁は、永劫に去ったものと見なければなりますまい。
我々は前申した通り箱根を立ちました。
そうして直にこの紅が谷の小別荘に入りました。
私はその前ちょっと国府津に泊って見るつもりで、暗に一人ぎめのプログラムを立てていたのですが、とうとう兄さんにはそれを云い出さずにしまったのです。
国府津でもまた「二度とこんな所は御免だ」と怒られそうでしたから。
その上兄さんは私からこの別荘の話を聞いて、しきりにそこへ落ちつきたがっていたのです。
四十七
何にでも刺戟されやすい癖に、どんな刺戟にも堪え切れないと云った風の、今の兄さんには、草庵めいたこの別荘が最も適していたのかも知れません。
兄さんは物静かな座敷から、谷一つ隔てて向うの崖の高い松を見上げた時、「好いな」と云ってそこへ腰をおろしました。
「あの松も君の所有だ」 私は慰めるような句調で、わざと兄さんの口吻を真似て見せました。
修善寺ではとんと解らなかった「あの百合は僕の所有だ」とか、「あの山も谷も僕の所有だ」とか云った兄さんの言葉を想い出したからです。
別荘には留守番の爺さんが一人いましたが、これは我々と出違に自分の宅へ帰りました。
それでも拭掃除のためや水を汲むために朝夕一度ぐらいずつは必ず来てくれます。
男二人の事ですから、煮炊は無論できません。
我々は爺さんに頼んで近所の宿屋から三度三度食事を運んで貰う事にしました。
夜は電灯の設備がありますから、洋灯を点す手数は要らないのです。
こういう訳で、朝起きてから夜寝るまでに、我々の是非やらなければならない事は、まあ床を延べて蚊帳を釣るくらいなものです。
「自炊よりも気楽で閑静だね」と兄さんが云います。
実際今まで通って来た山や海のうちで、ここが一番静に違ないのです。
兄さんと差向いで黙っていると、風の音さえ聞こえない事があります。
多少やかましいと思うのは珊瑚樹の葉隠れにぎいぎい軋る隣の車井戸の響ですが、兄さんは案外それには無頓着です。
兄さんはだんだん落ちついて来るようです。
私はもっと早く兄さんをここへ連れて来れば好かったと思いました。
庭先に少しばかりの畠があって、そこに茄子や唐もろこしが作ってあります。
この茄子を※いで食おうかと相談しましたが、漬物に拵えるのが面倒なので、ついやめにしました。
唐もろこしはまだ食べられるほど実が入りません。
勝手口の井戸の傍に、トマトーが植えてあります。
それを朝、顔を洗うついでに、二人で食いました。
兄さんは暑い日盛に、この庭だか畑だか分らない地面の上に下りて、じっと蹲踞んでいる事があります。
時々かんなの花の香を嗅いで見たりします。
かんなに香なんかありゃしません。
凋んだ月見草の花片を見つめている事もあります。
着いた日などは左隣の長者の別荘の境に生えている薄の傍へ行って、長い間立っていました。
私は座敷からその様子を眺めていましたが、いつまで経っても兄さんが動かないので、しまいに縁先にある草履をつっかけて、わざわざ傍へ行って見ました。
隣と我々の住居との仕切になっているそこは、高さ一間ぐらいの土堤で、時節柄一面の薄が蔽い被さっているのです。
兄さんは近づいた私を顧みて、下の方にある薄の根を指さしました。
薄の根には蟹が這っていました。
小さな蟹でした。
親指の爪ぐらいの大きさしかありません。
それが一匹ではないのです。
しばらく見ているうちに、一匹が二匹になり、二匹が三匹になるのです。
しまいにはあすこにもここにも蒼蠅いほど眼に着き出します。
「薄の葉を渡る奴があるよ」 兄さんはこんな観察をして、まだ動かずに立っています。
私は兄さんをそこへ残してまたもとの席へ帰りました。
兄さんがこういう些細な事に気を取られて、ほとんど我を忘れるのを見る私は、はなはだ愉快です。
これでこそ兄さんを旅行に連れ出した甲斐があると思うくらいです。
その晩私はその意味を兄さんに話しました。
四十八
「先刻君は蟹を所有していたじゃないか」 私が兄さんに突然こう云いかけますと、兄さんは珍らしくあははと声を立てて愉快そうに笑いました。
修善寺以後、私が時々所有という言葉を、妙な意味に使って見せるので、単にそれを滑稽と解釈している兄さんにはおかしく響くのでしょう。
おかしがられるのは、怒られるよりもよっぽどましですが、事実私の方ではもっと真面目なのでした。
「絶対に所有していたのだろう」と私はすぐ云い直しました。
今度は兄さんも笑いませんでした。
しかしまだ何とも答えません。
口を開くのはやはり私の番でした。
「君は絶対絶対と云って、この間むずかしい議論をしたが、何もそう面倒な無理をして、絶対なんかに這入る必要はないじゃないか。ああいう風に蟹に見惚れてさえいれば、少しも苦しくはあるまいがね。まず絶対を意識して、それからその絶対が相対に変る刹那を捕えて、そこに二つの統一を見出すなんて、ずいぶん骨が折れるだろう。第一人間にできる事か何だかそれさえ判然しやしない」 兄さんはまだ私を遮ろうとはしません。
いつもよりはだいぶ落ちついているようでした。
私は一歩先へ進みました。
「それより逆に行った方が便利じゃないか」「逆とは」 こう聞き返す兄さんの眼には誠が輝いていました。
「つまり蟹に見惚れて、自分を忘れるのさ。自分と対象とがぴたりと合えば、君の云う通りになるじゃないか」「そうかな」 兄さんは心元なさそうな返事をしました。
「そうかなって、君は現に実行しているじゃないか」「なるほど」 兄さんのこの言葉はやはり茫然たるものでした。
私はこの時ふと自分が今まで余計な事を云っていたのに気がつきました。
実を云うと、私は絶対というものをまるで知らないのです。
考えもしなかったのです。
想像もした覚がないのです。
ただ教育の御蔭でそう云う言葉を使う事だけを知っていたのです。
けれども私は人間として兄さんよりも落ちついていました。
落ちついているという事が兄さんより偉いという意味に聞こえては面目ないくらいなものですから、私は兄さんより普通一般に近い心の状態をもっていたと云い直しましょう。
朋友として私の兄さんに向って働きかける仕事は、だからただ兄さんを私のような人並な立場に引き戻すだけなのです。
しかしそれを別な言葉で云って見ると非凡なものを平凡にするという馬鹿気た意味にもなって来ます。
もし兄さんの方で苦痛の訴えがないならば、私のようなものが、何で兄さんにこんな問答を仕かけましょう。
兄さんは正直です。
腑に落ちなければどこまでも問いつめて来ます。
問いつめて来られれば、私には解らなくなります。
それだけならまだしもですが、こういう批評的な談話を交換していると、せっかく実行的になりかけた兄さんを、またもとの研究的態度に戻してしまう恐れがあるのです。
私は何より先にそれを気遣ました。
私は天下にありとあらゆる芸術品、高山大河、もしくは美人、何でも構わないから、兄さんの心を悉皆奪い尽して、少しの研究的態度も萌し得ないほどなものを、兄さんに与えたいのです。
そうして約一年ばかり、寸時の間断なく、その全勢力の支配を受けさせたいのです。
兄さんのいわゆる物を所有するという言葉は、必竟物に所有されるという意味ではありませんか。
だから絶対に物から所有される事、すなわち絶対に物を所有する事になるのだろうと思います。
神を信じない兄さんは、そこに至って始めて世の中に落ちつけるのでしょう。
四十九
一昨日の晩は二人で浜を散歩しました。
私たちのいる所から海辺までは約三丁もあります。
細い道を通って、いったん街道へ出て、またそれを横切らなければ海の色は見えないのです。
月の出にはまだ間がある時刻でした。
波は存外暗く動いていました。
眼がなれるまでは、水と磯との境目が判然分らないのです。
兄さんはその中を容赦なくずんずん歩いて行きます。
私は時々生温い水に足下を襲われました。
岸へ寄せる波の余りが、のし餅のように平らに拡がって、思いのほか遠くまで押し上げて来るのです。
私は後から兄さんに、「下駄が濡れやしないか」と聞きました。
兄さんは命令でも下すように、「尻を端折れ」と云いました。
兄さんは先刻から足を汚す覚悟で、尻を端折っていたものと見えます。
二三間離れた私にはそれが分らないくらい四囲が暗いのでした。
けれども時節柄なんでしょう、避暑地だけあって人に会います。
そうして会う人も会う人も、必ず男女二人連に限られていました。
彼らは申し合せたように、黙って闇の中を辿って来ます。
だから忽然私たちの前へ現われるまでは、まるで気がつかないのです。
彼らが摺り抜けるように私たちの傍を通って行く時、眼を上げて物色すると、どれもこれも若い男と若い女ばかりです。
私はこういう一対に何度か出合いました。
私が兄さんからお貞さんという人の話を聞いたのはその時の事でした。
お貞さんは近頃大阪の方へ御嫁に行ったんだそうですから、兄さんはその宵に出逢った幾組かの若い男や女から、お貞さんの花嫁姿を連想でもしたのでしょう。
兄さんはお貞さんを宅中で一番慾の寡ない善良な人間だと云うのです。
ああ云うのが幸福に生れて来た人間だと云って羨ましがるのです。
自分もああなりたいと云うのです。
お貞さんを知らない私は、何とも評しようがありませんから、ただそうかそうかと答えておきました。
すると兄さんが「お貞さんは君を女にしたようなものだ」と云って砂の上へ立ちどまりました。
私も立ちどまりました。
向うの高い所に微かな灯火が一つ眼に入りました。
昼間見ると、その見当に赤い色の建物が樹の間隠に眺められますから、この灯火もおおかたその赤い洋館の主が点けているのでしょう。
濃い夜陰の色の中にたった一つかけ離れて星のように光っているのです。
私の顔はその灯火の方を向いていました。
兄さんはまた浪の来る海をまともに受けて立ちました。
その時二人の頭の上で、ピアノの音が不意に起りました。
そこは砂浜から一間の高さに、石垣を規則正しく積み上げた一構で、庭から浜へじかに通えるためでしょう、石垣の端には階段が筋違に庭先まで刻み上げてありました。
私はその石段を上りました。
庭には家を洩れる電灯の光が、線のように落ちていました。
その弱い光で照されていた地面は一体の芝生でした。
花もあちこちに咲いているようでしたが、これは暗い上に広い庭なので、判然とは分りませんでした。
ピアノの音は正面に見える洋館の、明るく照された一室から出るようでした。
「西洋人の別荘だね」「そうだろう」 兄さんと私は石段の一番上の所に並んで腰をかけました。
聞こえないようなまた聞こえるようなピアノの音が、時々二人の耳を掠めに来ます。
二人共無言でした。
兄さんの吸う煙草の先が時々赤くなりました。
五十
私はお貞さんのつづきでも出る事と思って、暗い中でそれとなく兄さんの声を待ち受けていたのですが、兄さんは煙草に魅せられた人のように、時々紙巻の先を赤くするだけで、なかなか口を開きません。
それを石段の下へ投げて私の方へ向いた時は、もう話題がお貞さんを離れていました。
私は少し意外に思いました。
兄さんの題目は、お貞さんに関係のないばかりか、ピアノの音にも、広い芝生にも、美しい別荘にも、乃至は避暑にも旅行にも、すべて我々の周囲と現在とは全く交渉を絶った昔の坊さんの事でした。
坊さんの名はたしか香厳とか云いました。
俗にいう一を問えば十を答え、十を問えば百を答えるといった風の、聡明霊利に生れついた人なのだそうです。
ところがその聡明霊利が悟道の邪魔になって、いつまで経っても道に入れなかったと兄さんは語りました。
悟を知らない私にもこの意味はよく通じます。
自分の智慧に苦しみ抜いている兄さんにはなおさら痛切に解っているでしょう。
兄さんは「全く多知多解が煩をなしたのだ」ととくに注意したくらいです。
数年の間百丈禅師とかいう和尚さんについて参禅したこの坊さんはついに何の得るところもないうちに師に死なれてしまったのです。
それで今度は※山という人の許に行きました。
※山は御前のような意解識想をふり舞わして得意がる男はとても駄目だと叱りつけたそうです。
父も母も生れない先の姿になって出て来いと云ったそうです。
坊さんは寮舎に帰って、平生読み破った書物上の知識を残らず点検したあげく、ああああ画に描いた餅はやはり腹の足にならなかったと嘆息したと云います。
そこで今まで集めた書物をすっかり焼き棄ててしまったのです。
「もう諦めた。これからはただ粥を啜って生きて行こう」 こう云った彼は、それ以後禅のぜの字も考えなくなったのです。
善も投げ悪も投げ、父母の生れない先の姿も投げ、いっさいを放下し尽してしまったのです。
それからある閑寂な所を選んで小さな庵を建てる気になりました。
彼はそこにある草を芟りました。
そこにある株を掘り起しました。
地ならしをするために、そこにある石を取って除けました。
するとその石の一つが竹藪にあたって戞然と鳴りました。
彼はこの朗かな響を聞いて、はっと悟ったそうです。
そうして一撃に所知を亡うと云って喜んだといいます。
「どうかして香厳になりたい」と兄さんが云います。
兄さんの意味はあなたにもよく解るでしょう。
いっさいの重荷を卸して楽になりたいのです。
兄さんはその重荷を預かって貰う神をもっていないのです。
だから掃溜か何かへ棄ててしまいたいと云うのです。
兄さんは聡明な点においてよくこの香厳という坊さんに似ています。
だからなおのこと香厳が羨ましいのでしょう。
兄さんの話は西洋人の別荘や、ハイカラな楽器とは、全く縁の遠いものでした。
なぜ兄さんが暗い石段の上で、磯の香を嗅ぎながら、突然こんな話をし出したか、それは私には解りません。
兄さんの話が済んだ頃はピアノの音ももう聞こえませんでした。
潮に近いためか、夜露のせいか、浴衣が湿っぽくなっていました。
私は兄さんを促してまたもとの道へ引き返しました。
往来へ出た時、私は行きつけの菓子屋へ寄って饅頭を買いました。
それを食いながら暗い中を黙って宅まで帰って来ました。
留守を頼んでおいた爺さんの所の子供は、蚊に喰われるのも構わずぐうぐう寝ていました。
私は饅頭の余りをやって、すぐ子供を帰してやりました。
五十一
昨日の朝食事をした時、飯櫃を置いた位地の都合から、私が兄さんの茶碗を受けとって、一膳目の御飯をよそってやりますと、兄さんはまたお貞さんの名を私の耳に訴えました。
お貞さんがまだ嫁に行かないうちは、ちょうど今私がしたように、始終兄さんのお給仕をしたものだそうですね。
昨夜は性格の点からお貞さんに比較され、今朝はまたお給仕の具合で同じお貞さんにたとえられた私は、つい兄さんに向って質問を掛けて見る気になりました。
「君はそのお貞さんとかいう人と、こうしていっしょに住んでいたら幸福になれると思うのか」 兄さんは黙って箸を口へ持って行きました。
私は兄さんの態度から推して、おおかた返事をするのが厭なんだろうと考えたので、それぎり後を推しませんでした。
すると兄さんの答が、御飯を二口三口嚥み下したあとで、不意に出て来ました。
「僕はお貞さんが幸福に生れた人だと云った。けれども僕がお貞さんのために幸福になれるとは云やしない」 兄さんの言葉はいかにも論理的に終始を貫いて真直に見えます。
けれども暗い奥には矛盾がすでに漂よっています。
兄さんは何にも拘泥していない自然の顔をみると感謝したくなるほど嬉しいと私に明言した事があるのです。
それは自分が幸福に生れた以上、他を幸福にする事もできると云うのと同じ意味ではありませんか。
私は兄さんの顔を見てにやにやと笑いました。
兄さんはそうなるとただではすまされない男です。
すぐ食いついて来ます。
「いや本当にそうなのだ。疑ぐられては困る。実際僕の云った事は云った事で、云わない事は云わない事なんだから」 私は兄さんに逆らいたくはありませんでした。
けれどもこれほど頭の明かな兄さんが、自分の平生から軽蔑している言葉の上の論理を弄んで、平気でいるのは少しおかしいと思いました。
それで私の腹にあった兄さんの矛盾を遠慮なく話して聞かせました。
兄さんはまた無言で飯を二口ほど頬張りました。
兄さんの茶碗はその時空になりましたが、飯櫃は依然として兄さんの手の届かない私の傍にありました。
私はもう一遍給仕をする考えで、兄さんの鼻の先へ手を出したのです。
ところが今度は兄さんが応じません。
こっちへ寄こしてくれと云います。
私は飯櫃を向うへ押してやりました。
兄さんは自分でしゃもじを取って、飯をてこ盛にもり上げました。
それからその茶碗を膳の上に置いたまま、箸も執らずに私に問いかけるのです。
「君は結婚前の女と、結婚後の女と同じ女だと思っているのか」 こうなると私にはおいそれと返事ができなくなります。
平生そんな事を考えて見ないからでもありましょうが。
今度は私の方が飯を二口三口立て続けに頬張って、兄さんの説明を待ちました。
「嫁に行く前のお貞さんと、嫁に行ったあとのお貞さんとはまるで違っている。今のお貞さんはもう夫のためにスポイルされてしまっている」「いったいどんな人のところへ嫁に行ったのかね」と私が途中で聞きました。
「どんな人のところへ行こうと、嫁に行けば、女は夫のために邪になるのだ。そういう僕がすでに僕の妻をどのくらい悪くしたか分らない。自分が悪くした妻から、幸福を求めるのは押が強過ぎるじゃないか。幸福は嫁に行って天真を損われた女からは要求できるものじゃないよ」 兄さんはそういうや否や、茶碗を取り上げて、むしゃむしゃてこ盛の飯を平らげました。
五十二
私は旅行に出てから今日に至るまでの兄さんを、これでできるだけ委しく書いたつもりです。
東京を立ったのはつい昨日のようですが、指を折るともう十日あまりになります。
私の音信をあてにして待っておられるあなたや御年寄には、この十日が少し長過ぎたかも知れません。
私もそれは察しています。
しかしこの手紙の冒頭に御断りしたような事情のために、ここへ来て落ちつくまでは、ほとんど筆を執る余裕がなかったので、やむをえず遅れました。
その代り過去十日間のうち、この手紙に洩れた兄さんは一日もありません。
私は念を入れてその日その日の兄さんをことごとくこの一封のうちに書き込めました。
それが私の申訳です。
同時に私の誇りです。
私は当初の予期以上に、私の義務を果し得たという自信のもとに、この手紙を書き終るのですから。
私の費やした時間は、時計の針で仕事の分量を計算して見ない努力だから、数字としては申し上げられませんが、ずいぶんの骨折には違ありませんでした。
私は生れて始めてこんな長い手紙を書きました。
無論一気には書けません、一日にも書けません。
ひまの見つかり次第机に向って書きかけたあとを書き続けて行ったのです。
しかしそれは何でもありません。
もし私の見た兄さんと、私の理解した兄さんがこの一封のうちに動いているならば、私は今より数層倍の手数と労力を費やしても厭わないつもりです。
私は私の親愛するあなたの兄さんのために、この手紙を書きます。
それから同じく兄さんを親愛するあなたのためにこの手紙を書きます。
最後には慈愛に充ちた御年寄、あなたと兄さんの御父さんや御母さんのためにもこの手紙をかきます。
私の見た兄さんはおそらくあなた方の見た兄さんと違っているでしょう。
私の理解する兄さんもまたあなた方の理解する兄さんではありますまい。
もしこの手紙がこの努力に価するならば、その価は全くそこにあると考えて下さい。
違った角度から、同じ人を見て別様の反射を受けたところにあると思って御参考になさい。
あなた方は兄さんの将来について、とくに明瞭な知識を得たいと御望みになるかも知れませんが、予言者でない私は、未来に喙を挟さむ資格を持っておりません。
雲が空に薄暗く被さった時、雨になる事もありますし、また雨にならずにすむ事もあります。
ただ雲が空にある間、日の目の拝まれないのは事実です。
あなた方は兄さんが傍のものを不愉快にすると云って、気の毒な兄さんに多少非難の意味を持たせているようですが、自分が幸福でないものに、他を幸福にする力があるはずがありません。
雲で包まれている太陽に、なぜ暖かい光を与えないかと逼るのは、逼る方が無理でしょう。
私はこうしていっしょにいる間、できるだけ兄さんのためにこの雲を払おうとしています。
あなた方も兄さんから暖かな光を望む前に、まず兄さんの頭を取り巻いている雲を散らしてあげたらいいでしょう。
もしそれが散らせないなら、家族のあなた方には悲しい事ができるかも知れません。
兄さん自身にとっても悲しい結果になるでしょう。
こういう私も悲しゅうございます。
私は過去十日間の兄さんを、書きました。
この十日間の兄さんが、未来の十日間にどうなるかが問題で、その問題には誰も答えられないのです。
よし次の十日間を私が受け合うにしたところで、次の一カ月、次の半年の兄さんを誰が受け合えましょう。
私はただ過去十日間の兄さんを忠実に書いただけです。
頭の鋭くない私が、読み直すひまもなくただ書き流したものだから、そのうちには定めて矛盾があるでしょう。
頭の鋭い兄さんの言行にも気のつかないところに矛盾があるかも知れません。
けれども私は断言します。
兄さんは真面目です。
けっして私をごまかそうとしてはいません。
私も忠実です。
あなたを欺く気は毛頭ないのです。
私がこの手紙を書き始めた時、兄さんはぐうぐう寝ていました。
この手紙を書き終る今もまたぐうぐう寝ています。
私は偶然兄さんの寝ている時に書き出して、偶然兄さんの寝ている時に書き終る私を妙に考えます。
兄さんがこの眠から永久覚めなかったらさぞ幸福だろうという気がどこかでします。
同時にもしこの眠から永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気もどこかでします」