九
第 9 章
佐野は写真で見たよりも一層御凸額であった。
けれども額の広いところへ、夏だから髪を短く刈っているので、ことにそう見えたのかも知れない。
初対面の挨拶をするとき、彼は「何分よろしく」と云って頭を丁寧に下げた。
この普通一般の挨拶ぶりが、場合が場合なので、自分には一種変に聞こえた。
自分の胸は今までさほど責任を感じていなかったところへ急に重苦しい束縛ができた。
四人は膳に向いながら話をした。
お兼さんは佐野とはだいぶ心やすい間柄と見えて、時々向側から調戯ったりした。
「佐野さん、あなたの写真の評判が東京で大変なんですって」「どう大変なんです。――おおかた好い方へ大変なんでしょうね」「そりゃもちろんよ。嘘だと覚し召すならお隣りにいらっしゃる方に伺って御覧になれば解るわ」 佐野は笑いながらすぐ自分の方を見た。
自分はちょっと何とか云わなければ跋が悪かった。
それで真面目な顔をして、「どうも写真は大阪の方が東京より発達しているようですね」と云った。
すると岡田が「浄瑠璃じゃあるまいし」と交返した。
岡田は自分の母の遠縁に当る男だけれども、長く自分の宅の食客をしていたせいか、昔から自分や自分の兄に対しては一段低い物の云い方をする習慣をもっていた。
久しぶりに会った昨日一昨日などはことにそうであった。
ところがこうして佐野が一人新しく席に加わって見ると、友達の手前体裁が悪いという訳だか何だか、自分に対する口の利き方が急に対等になった。
ある時は対等以上に横風になった。
四人のいる座敷の向には、同じ家のだけれども棟の違う高い二階が見えた。
障子を取り払ったその広間の中を見上げると、角帯を締めた若い人達が大勢いて、そのうちの一人が手拭を肩へかけて踊かなにか躍っていた。
「御店ものの懇親会というところだろう」と評し合っているうちに、十六七の小僧が手摺の所へ出て来て、汚ないものを容赦なく廂の上へ吐いた。
すると同じくらいな年輩の小僧がまた一人煙草を吹かしながら出て来て、こらしっかりしろ、おれがついているから、何にも怖がるには及ばない、という意味を純粋の大阪弁でやり出した。
今まで苦々しい顔をして手摺の方を見ていた四人はとうとう吹き出してしまった。
「どっちも酔ってるんだよ。小僧の癖に」と岡田が云った。
「あなたみたいね」とお兼さんが評した。
「どっちがです」と佐野が聞いた。
「両方ともよ。吐いたり管を捲いたり」とお兼さんが答えた。
岡田はむしろ愉快な顔をしていた。
自分は黙っていた。
佐野は独り高笑をした。
四人はまだ日の高い四時頃にそこを出て帰路についた。
途中で分れるとき佐野は「いずれそのうちまた」と帽を取って挨拶した。
三人はプラットフォームから外へ出た。
「どうです、二郎さん」と岡田はすぐ自分の方を見た。
「好さそうですね」 自分はこうよりほかに答える言葉を知らなかった。
それでいて、こう答えた後ははなはだ無責任なような気がしてならなかった。
同時にこの無責任を余儀なくされるのが、結婚に関係する多くの人の経験なんだろうとも考えた。