行人

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四

第 14 章
岡田おかだはすこぶる念ねん入いりの遊覧ゆうらん目録もくろくといったようなものを、わざわざ宅たくから拵えこしらえて来きて、母ははと兄あにに見せみせた。
それがまた余りあまり綿密めんみつ過ぎるすぎるので、母ははも兄あにも「これじゃ」と驚いおどろいた。
「まあ幾いく日ひくらい御ご滞在たいざいになれるんですか、それ次第しだいでプログラムぷろぐらむの作り方つくりかたもまたあるんですから。こっちは東京とうきょうと違っちがってね、少しすこし市しを離れるはなれるといくらでも見物けんぶつする所ところがあるんです」 岡田おかだの言葉ことばのうちには多少たしょうの不服ふふくが籠っこもっていたが、同時どうじに得意とくいな調子ちょうしも見えみえた。
「まるで大阪おおさかを自慢じまんしていらっしゃるようよ。あなたの話はなしを傍そばで聞いきいていると」 お兼けんさんは笑いわらいながらこう云っいって真面目まじめな夫おっとに注意ちゅういした。
「いえ自慢じまんじゃない。自慢じまんじゃないが……」 注意ちゅういされた岡田おかだはますます真面目まじめになった。
それが少しすこし滑稽こっけいに見えみえたので皆みななが笑いわらい出しだした。
「岡田おかださんは五六ごろく年ねんのうちにすっかり上方かみがた風かぜになってしまったんですね」と母ははが調ちょう戯たわむれった。
「それでもよく東京とうきょうの言葉ことばだけは忘れわすれずにいるじゃありませんか」と兄あにがその後そのあとに随いしたがいてまた冷れい嘲あざけりし始めはじめた。
岡田おかだは兄あにの顔かおを見みて、「久しぶりひさしぶりに会うあうと、すぐこれだから敵わかなわない。全くまったく東京とうきょうものは口くちが悪いわるい」と云っいった。
「それにお重おしげの兄あにだもの、岡田おかださん」と今度こんどは自分じぶんが口くちを出しだした。
「お兼けん少しすこし助けたすけてくれ」と岡田おかだがしまいに云っいった。
そうして母ははの前まえに置いおいてあった先刻せんこくのプログラムぷろぐらむを取っとって袂たもとへ入れいれながら、「馬鹿馬鹿しいばかばかしい、骨ほねを折っおったり調ちょう戯たわむれわれたり」とわざわざ怒っどった風かぜをした。
冗談じょうだんがひとしきり済むすむと、自分じぶんの予期よきしていた通りとおり、佐野さのの話はなしが母ははの口くちから持ち出さもちだされた。
母ははは「このたびはまたいろいろ」と云っいったような打っうって変っかわった几帳面きちょうめんな言葉ことばで岡田おかだに礼れいを述べるのべる、岡田おかだはまたしかつめらしく改まっあらたまった口上こうじょうで、まことに行き届きゆきとどきませんでなどと挨拶あいさつをする、自分じぶんには両方りょうほう共とも大袈裟おおげさに見えみえた。
それから岡田おかだはちょうど好いよい都合つごうだから、是非ぜひ本人ほんにんに会っかいってやってくれと、また会見かいけんの打ち合せうちあわせをし始めはじめた。
兄あにもその話しはなしの中なかに首くびを突込まつっこまなくっては義理ぎりが悪いわるいと見えみえて、煙草たばこを吹かしふかしながら二人ふたりの相手あいてになっていた。
自分じぶんは病気びょうきで寝ねているお貞おさださんにこの様子ようすを見せみせて、ありがたいと思うおもうか、余計よけいな御世話ごせわだと思うおもうか、本当ほんとうのところを聞いきいて見みたい気きがした。
同時どうじに三沢みさわが別れるわかれる時じ、新しくあたらしく自分じぶんの頭あたまに残しのこして行っいった美しいうつくしい精神病せいしんびょうの「娘むすめさん」の不幸ふこうな結婚けっこんを聯想れんそうした。
嫂ねーとお兼けんさんは親しみしたしみの薄いうすい間柄あいだがらであったけれども、若いわかい女おんな同志どうしという縁故えんこで先刻せんこくから二人ふたりだけで話しはなしていた。
しかし気心きごころが知れしれないせいか、両方りょうほう共とも遠慮えんりょがちでいっこう調子ちょうしが合いあいそうになかった。
嫂ねーは無口むくちな性質せいしつであった。
お兼けんさんは愛嬌あいきょうのある方ほうであった。
お兼けんさんが十じゅう口くち物ものをいう間まに嫂ねーは一口ひとくちしかしゃべれなかった。
しかも種しゅが切れるきれると、その都度つどきっとお兼けんさんの方ほうから供給きょうきゅうされていた。
最後さいごに子供こどもの話はなしが出でた。
すると嫂ねーの方ほうが急きゅうに優勢ゆうせいになった。
彼女かのじょはその小さいちいさい一人娘ひとりむすめの平生へいぜいを、さも興きょうありげに語っごった。
お兼けんさんはまた嫂ねーのくだくだしい叙述じょじゅつを、さも感心かんしんしたように聞いきいていたが、実際じっさいはまるで無頓着むとんちゃくらしくも見えみえた。
ただ一遍いちぺん「よくまあお一人ひとりでお留守るす居いができます事こと」と云っいったのは誠まことらしかった。
「お重おしげさんによく馴づいておりますから」と嫂ねーは答えこたえていた。
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