彼岸過迄

10/58

10
いちついつか過ぎすぎぐらいなっまだ森本もりもとかげ見えみえない敬太郎けいたろうようやく不審ふしんねん起しおこし出しだし
給仕きゅうじ来るくる下女げじょ聞いきい見るみるかれ役所やくしょようどこ出張しゅっちょうそうある
固よりもとより役人やくにんある以上いじょういつ出張しゅっちょうない限らかぎらない敬太郎けいたろう平生へいぜいからこのおとこ相しそうしなん停車場ていしゃじょう構内こうない貨物かもつ発送はっそうかかりぐらい勤めつとめいるない判じはんじものから出張しゅっちょう聞いきい少しすこし案外あんがい心持こころもち
けれど立つたつすでに五六ごろく断っことわっ行っいっから今日きょう翌日よくじつ帰るかえるはず下女げじょ云わいわ見るみるなるほどそう思っおもっ
ところ予定よてい時日じじつ過ぎすぎ森本もりもとへん洋杖すてっき依然いぜんかさいりなかあるのみ当人とうにんドテラどてら姿すがたいっこう洗面所せんめんしょ現われあらわれなかっ
しまい宿やどかみさん森本もりもとさんからなん音信おんしんございまし聞いきい
敬太郎けいたろう自分じぶんほうした聞ききき行こういこう思っおもっところ答えこたえ
かみさんさわ少心しょうしんもとないいろふくろうよう丸いまりいなか漂よわただよわ行っいっ
それからいち週間しゅうかんほど経っきょうっ森本もりもとまだ帰らかえらなかっ
敬太郎けいたろう再びふたたび不審ふしん抱きいだき始めはじめ
帳場ちょうばまえ通るとおるまだですわざと立ち留ったちどまっ聞くきくことさえあっ
けれどそのころ自分じぶんまた思い返しおもいかえし位置いち運動うんどう始めはじめ出しだし出花でばな自然しぜんそのほうばかりあたませんりょうれる多いおおいためこれより以上いじょう立ち入ったちいっ何物なにもの探るさぐることあえてなかっ
じつ云ういうかれ森本もりもと予言よげん通りとおりころもしょくけいため好奇こうきいえ権利けんり放棄ほうきある
するあるばん主人しゅじんちょっと御邪魔ごじゃま好いよい断わりことわりながら障子しょうじ開けあけ這入っはいっ
かれこしから古めかしいふるめかしいけむり草入くさいり取り出しとりだしそのつつ抜くぬくぽんいうおと
それからぎん煙管きせるこくくさ詰めつめ濃いこいけむり巧者こうしゃはなあなからしら
こうゆっくり構えるかまえるかれ本意ほんい敬太郎けいたろう判然はんぜん向うむこうからそう切り出さきりだされるまで覚らさとらどうへんばかり考えかんがえ
じつ少しすこしがんあっ上っのぼっです云っいっ主人しゅじんやや小声こごえなっ森本もりもとさんいらっしゃるところどう教えおしえ頂くいただくわけ参りまいりますまいけっしてあなた迷惑めいわくかかるようこと致しいたしませからやぶからぼうつけ加えつけくわえ
敬太郎けいたろうこの意外いがい質問しつもん受けうけしばらくなんいう挨拶あいさつくちなかっようやくいったいどう云ういうわけです主人しゅじんかお覗き込んのぞきこん
そうかれ意味いみ読もうよもう主人しゅじん煙管きせる詰っなじっ見えみえ敬太郎けいたろう火箸ひばし雁首がんくび掘っほっ
それ済んすんから羅宇らう疎通そつうぷっぷっ試しためしうえそろそろ説明せつめい取りかかっとりかかっ
主人しゅじん云ういうところよる森本もりもと下宿代げしゅくだいこれいえろくカ月かげつばかり滞っとどこおっいるそうある
さんねん越しこしいるきゃくある遊んあそんいるひとじゃなしこれねんすえどうするからいう当人とうにん言訳いいわけ信用しんよう別段べつだん催促さいそくなかっところ今度こんど旅行りょこうなっ
いえもの固よりもとより出張しゅっちょうばかり信じしんじその日限にちげん過ぎすぎいくら待っまっ帰らかえらないのみどこからなん音信おんしんないしまいとうとう不審ふしん起しおこし
それ一方いっぽう本人ほんにんむろ調べるしらべるとも一方いっぽう新橋しんばし行っいっ出張先しゅっちょうさき聞き合せききあわせ
ところむろほう荷物にもつそのままかれおっ時分じぶんなん変りかわりなかっ新橋しんばしこたえまた案外あんがいあっ
出張しゅっちょうばかり思っおもっ森本もりもと先月せんげつ限りかぎり罷めやめられそうある
それあなた平生へいぜい森本もりもとさん懇意こんい間柄あいだがらいらっしゃるからあなた伺っうかがったら多分たぶんどこ分るわかるだろう思っおもっ上っのぼっようわけけっしてあなた森本もりもとさんぶんどうこう申し上げるもうしあげるつもりないですからどう居所きょしょだけ知らししらし頂けいただけますまい 敬太郎けいたろうこの失踪者しっそうしゃ友人ゆうじんかれこうしから行為こうい立ち入ったちいっ関係かんけいあるごとく主人しゅじんから取扱わとりあつかわれるはなはだ迷惑めいわく思っおもっ
なるほど事実じじついえついこのまである意味いみ嘆賞たんしょうふところ森本もりもと近づいちかづいないこんな実際じっさい問題もんだいまで秘密ひみつ打ち合せうちあわせあるよう見做さみなさ未来みらい有つあつ青年せいねん大いなるおおいなる不面目ふめんぼく感じかんじ
十一じゅういち
正直しょうじきかれ主人しゅじんかんはらなか怒っどっ
けれど怒るおこるまえまず冷たいつめたい青大将あおたいしょう握らにぎらられよう不気味ふきみ覚えおぼえ
このみょう落ちつきおちつき払っはらっ古風こふうけむり草入くさいりから刻みきざみ撮み出しつまみだし雁首がんくび詰めるつめるおとこ誤解ごかい正解せいかい同じおなじよう不安ふあん敬太郎けいたろう与えあたえある
かれ談判だんぱん伴なうともなう一種いっしゅ芸術げいじゅつごとく巧みたくみ煙管きせる扱かこきかひとあっ
敬太郎けいたろうかれ様子ようすしばらく眺めながめ
そうただ知らしらないいうよりほか向うむこう疑惑ぎわく晴らすはらす方法ほうほうない残念ざんねん思っおもっ
はたして主人しゅじん容易よういけむり草入くさいりこし納めおさめなかっ
煙管きせるつつ入れいれたり出しだしたり
そのたびれい通りとおりぽんぽんいうおと
敬太郎けいたろうしまいどうこのおと退治たいじやりたいよう出しだし
ぼく御承知ごしょうち通りとおり学校がっこうばかりまだ一定いってい職業しょくぎょうなにないひん書生しょせいこれ少しすこし教育きょういく受けうけことあるおとこ森本もりもとよう浮浪ふろういっしょられちゃ少しすこし体面たいめんかかわるいわんや後暗いうしろぐらい関係かんけいあるよう邪推じゃすいいくら知らしらない云っいっ濃くこく疑っうたがっいる怪しからあやしからじゃないきみそういう態度たいどねんいるきゃく対するたいするならそれ好いよいこっち料簡りょうけんあるぼく過去かこねんきみうち厄介やっかいなっいるいちカ月かげつ宿料しゅくりょうおらことある 主人しゅじん無論むろん敬太郎けいたろう人格じんかく対したいし失礼しつれい当るあたるよう毛頭もうとう抱いいだいないつもりあるいうこと繰り返しくりかえし述べのべ
そう万一まんいち森本もりもとから音信おんしんあっかれ居所きょしょ分っわかったらどうぞ忘れわすれ教えおしえ貰いもらいたい頼んたのんすえもしさっき聞いきいこと敬太郎けいたろう障っさわったらいくらわびまるから勘弁かんべんくれ云っいっ
敬太郎けいたろう主人しゅじんけむり草入くさいり早くはやくこし差さささせよう思っおもっ単にたんに宜しいよろしい答えこたえ
主人しゅじんようやく談判だんぱん道具どうぐ角帯かくおびあとしまい込んしまいこん
むろ出るでるかれ様子ようす別段べつだん敬太郎けいたろう疑ぐるうたぐる気色けしき見えみえなかっ敬太郎けいたろう怒っどっやっ好いよいこと考えかんがえ
それからしばらく経つたつ森本もりもとむろいつ新らしいあたらしいきゃく這入っはいっ
敬太郎けいたろうかれ荷物にもつ主人しゅじんどう片づけかたづけつい不審ふしん抱いいだい
けれど主人しゅじんかのけむり草入くさいり差しさし談判だんぱん以来いらい森本もりもとこともう聞くきくまい決心けっしんはらなかともかく上部じょうぶ知らしらかお
そう依然いぜんできるようまたできないよう地位ちいもとほど焦燥しょうそうない程度ていどながらまず自分じぶんやるべきだいいち義務ぎむ根気こんき狩りかりあゆみるい
或るあるばんそのよう内幸町うちさいわいちょうまで行っいっ留守るす食っしょくっやむとくまた電車でんしゃ引き返すひきかえす偶然ぐうぜん向う側むこうがわ八丈はちじょう袢天赤ん坊あかんぼう負っおっ婦人ふじん乗り合せのりあわせいるつい
そのおんな眉毛まゆげ細くほそく濃いこい首筋くびすじくしできどっち云えいえいき部類ぶるい属するぞくするかただっどう袢天するいうがらなかっ
云っいっ背中せなかたしか自分じぶんない敬太郎けいたろう考えかんがえ
なおよく見るみる前垂まえだれしたから格子縞こうししまなんめしいる敬太郎けいたろうますますへん思っおもっ
外面がいめんあめ五六ごろくひと乗客じょうきゃくみなかさつぼめつえ
おんな黒蛇くろへびあっ冷たいつめたいもの持つもついや見えみえ彼女かのじょそれ自分じぶんがわ立て掛けたてかけおい
その畳んたたん蛇の目じゃのめさき赤いあかいうるし加留多かるた書いかいある敬太郎けいたろう留っとめっ
この黒人こくじん素人しろうと分らわからないおんな私生児しせいじ普通ふつう怪しいあやしい赤ん坊あかんぼう濃いこいまゆ心持こころもちはち寄せよせ俯目ふしめかち白いしろいかおめし着物きもの黒蛇くろへび鮮かあざやか加留多かるたいう文字もじたがい敬太郎けいたろう神経しんけい刺戟しげきかれふと森本もりもといっしょなっまで生んうんいうおんなこと思い出しおもいだし
森本もりもと自身じしんくちからこういう未練みれんあるようおかしいかおしつ悪いわるいほうじゃありませでし眉毛まゆげ濃いこい時々ときどきはち寄せよせひともの云ういうくせあるいっよう言葉ことばぽつぽつあたまなか憶い起しおもいおこしながら加留多かるた書いかいかさ所有主しょゆうしゅ注意ちゅうい
するおんなやがて電車でんしゃ下りくだりあめなか消えきえ行っいっ
あと残っのこっ敬太郎けいたろう一人ひとり森本もりもとかお様子ようすこころ描きえがきつつ運命うんめいいまかれどこ連れ去っつれさったろう考えかんがえ考えかんがえ下宿げしゅく帰っかえっ
そう自分じぶんつくえうえ差出人さしだしにん名前なまえ書いかいない一封いっぷう手紙てがみ見出しみだし
十二じゅうに
好奇心こうきしん駆らから敬太郎けいたろう破るやぶるようこの無名氏むめいし書信しょしん披いひらい
する西洋せいよう罫紙けいしだいいちこう親愛しんあいなる田川たがわきみした森本もりもとよりあるなんよりさき入っはいっ
敬太郎けいたろうすぐまた封筒ふうとう取り上げとりあげ
かれ視線しせん角度かくどいく通りとおり変えかえそこ消印けしいん文字もじ読もうよもう力めりきめにく薄いうすいどう判断はんだんつかなかっ
やむとく再びふたたび本文ほんぶん立ち帰ったちかえっまずそれから片づけるかたづけること
本文ほんぶんこうあっ
突然とつぜん消えきえ定めてさだめて驚ろいおどろいでしょうあなた驚ろかおどろかない雷獣らいじゅうそうズクずく森本もりもと平生へいぜい下宿げしゅく主人しゅじん夫婦ふうふ雷獣らいじゅうそうズクずく呼んよんズクずくみみズクずくりゃくあるかれ両人りょうにん驚ろいおどろいない打ち明けうちあけはなしするじつ少しすこし下宿代げしゅくだいおらはなしたら雷獣らいじゅうそうズクずく面倒めんどういうだろう思っおもっわざと断らことわら自由じゆう行動こうどう取りとりましぼくむろ置いおいある荷物にもつ始末しまつたら行李こうりなか衣類いるいそのほかすっかり這入っはいっますから相当そうとうきんなるだろう思うおもうですから両人りょうにんあなたからみぎ売るうるなり着るきるなりしろおっしゃっいただきたいもっともかれ雷獣らいじゅう御承知ごしょうちごとき曲者くせものぼく許諾きょだく待たまたとっくむかしそう取計とりはからいっている知れしれないのみならこっちからそう穏便おんびん出るでるまだ残っのこっいるぼくしりあなた拭っぬぐっ貰いもらいたいなどとんでもない難題なんだい持ちかけるもちかける知れしれませそれけっして取り合っとりあっちゃいけませあなたよう高等こうとう教育きょういく受けうけ世の中よのなか出たてでたてひととかく雷獣らいじゅうやから食物しょくもつたがるものですからそのへんよく注意ちゅういなさらないいけませぼくって教育きょういくこそない借金しゃっきん踏んふんじゃ善くよくないくらいことまさか心得こころえます来年らいねんなれきっと返しかえしやるつもりですぼく意外いがい経歴けいれき数々かずかずあるから云っいっあなたこのてんまで疑わうたがわせっかく親友しんゆう一人ひとり失くしなくし同様どうようはなはだ遺憾いかんいたりからどう雷獣らいじゅうごときものためぼく誤解ごかいないよう願いねがいます 森本もりもとつぎ自分じぶんいま大連だいれん電気でんき公園こうえん娯楽ごらくがかり勤めつとめいる書いかい来年らいねんはる活動かつどう写真しゃしん買入かいいれようむかい帯びおび是非ぜひとも出京しゅっきょうするはずからそのふし久しぶりひさしぶりかかるいまかららく待っまっいるつけ加えつけくわえ
そうその後そのあと自分じぶん旅行りょこう満洲まんしゅう地方ちほう景況けいきょうさも面白おもしろそう一口ひとくちぐらいずつ吹聴ふいちょう
なか最ももっとも敬太郎けいたろう驚ろかしおどろかし長春ちょうしゅんある博打ばくち光景こうけいこれかつて馬賊ばぞく大将たいしょういうさる日本人にっぽんにん経営けいえい係るかかるものそこ行っいっ見るみる何百なんびゃくひと集まるあつまる汚ないきたない支那しなひと折詰おりづめようぎっしり詰っなじっ血眼ちまなこなりながら一種いっしゅ臭気しゅうき吐きはき合っあっいるそうある
しかも長春ちょうしゅん富豪ふごう慰みなぐさみ半分はんぶんわざとあかだらけ着物きものこっそりここ出入でいりするいうから森本もりもとってどんな真似まね分らわからない敬太郎けいたろう考えかんがえ
手紙てがみすえだん盆栽ぼんさいこと書いかいあっ
あのうめばちどうさか植木屋うえきや買っかっみきそれほど古くふるくない下宿げしゅくまどなど載せのせおい朝夕あさゆう眺めるながめるちょうど手頃てごろものですあれ献上けんじょうするからあなたむろ持っもっいらっしゃいもっとも雷獣らいじゅうそうズクずく両人りょうにんとも極めてきわめて不風流ふふうりゅう床の間とこのまうえ据えすえなり放っはなっおいもう枯らしからししまっ知れしれませそれから上り口あがりぐち土間どまかさいりぼく洋杖すてっきさっいるはずですあれ価格かかくから云えいえけっして高くたかく踏めるふめるものありませぼく愛用あいようものから紀念きねんため是非ぜひあなた進上しんじょうたい思いおもいますいかな雷獣らいじゅうそうズクずくあの洋杖すてっきあなた取っとったってまさか故障こしょう申し立てもうしたてますまいからけっして遠慮えんりょなさら好いよい取っとっ使いつかいなさい満洲まんしゅうこと大連だいれんはなはだ好いよいところですあなたよう有為うい青年せいねん発展はってんべきところ当分とうぶんほか無いないでしょう思い切っおもいきっ是非ぜひいらっしゃいませぼくこっち以来いらい満鉄まんてつほうだいぶ知人ちじんできからもしあなた本当ほんとう来るくるなら相当そうとう御世話ごせわできるつもりですただしそのふし前もってまえもってちょっと通知つうち願いねがいますさよなら 敬太郎けいたろう手紙てがみ畳んたたんつくえ抽出ちゅうしゅつ入れいれなり主人しゅじん夫婦ふうふ森本もりもと消息しょうそくつい何事なにごと語らかたらなかっ
洋杖すてっき依然いぜんかさいりなかさっ
敬太郎けいたろう出入でいり都度つどそれ見るみるたび一種いっしゅみょうかん打たうた
停留所ていりゅうしょ
10/58