六
第 44 章
とにかく僕と千代子の間には両方共物心のつかない当時からすでにこういう絆があった。
けれどもその絆は僕ら二人を結びつける上においてすこぶる怪しい絆であった。
二人は固より天に上る雲雀のごとく自由に生長した。
絆を綯った人でさえ確とその端を握っている気ではなかったのだろう。
僕は怪しい絆という文字を奇縁という意味でここに使う事のできないのを深く母のために悲しむのである。
母は僕の高等学校に這入った時分それとなく千代子の事を仄めかした。
その頃の僕に色気のあったのは無論である。
けれども未来の妻という観念はまるで頭に無かった。
そんな話に取り合う落ちつきさえ持っていなかった。
ことに子供の時からいっしょに遊んだり喧嘩をしたり、ほとんど同じ家に生長したと違わない親しみのある少女は、余り自分に近過ぎるためかはなはだ平凡に見えて、異性に対する普通の刺戟を与えるに足りなかった。
これは僕の方ばかりではあるまい、千代子もおそらく同感だろうと思う。
その証拠には長い交際の前後を通じて、僕はいまだかつて男として彼女から取り扱かわれた経験を記憶する事ができない。
彼女から見た僕は、怒ろうが泣こうが、科をしようが色眼を使おうが、常に変らない従兄に過ぎないのである。
もっともこれは幾分か、純粋な気象を受けて生れた彼女の性情からも出るので、そこになるとまた僕ほど彼女を知り抜いているものはないのだが、単にそれだけでああ男女の牆壁が取り除けられる訳のものではあるまい。
ただ一度……しかしこれは後で話す方が宜かろうと思う。
母は自分のいう事に耳を借さなかった僕を羞恥家と解釈して、再び時期を待つもののごとくに、この問題を懐に収めた。
羞恥は僕といえども否定する勇気がない。
しかし千代子に意があるから羞恥んだのだと取った母は、全くの反対を事実と認めたと同じ事である。
要するに母は未来に対する準備という考から、僕ら二人をなるべく仲善く育て上げよう育て上げようと力めた結果、男女としての二人をしだいに遠ざからした。
そうして自分では知らずにいた。
それを知らなければならないようにした僕は全く残酷であった。
その日の事を語るのが僕には実際の苦痛である。
母は高等学校時代に匂わした千代子の問題を、僕が大学の二年になるまで、じっと懐に抱いたまま一人で温めていたと見えて、ある晩――春休みの頃の花の咲いたという噂のあったある日の晩――そっと僕の前に出して見せた。
その時は僕もだいぶ大人らしくなっていたので、静かにその問題を取り上げて、裏表から鄭寧に吟味する余裕ができていた。
母もその時にはただ遠くから匂わせるだけでなくて、自分の希望に正当の形式を与える事を忘れなかった。
僕は何心なく従妹は血属だから厭だと答えた。
母は千代子の生れた時くれろと頼んでおいたのだから貰ったらいいだろうと云って僕を驚ろかした。
なぜそんな事を頼んだのかと聞くと、なぜでも私の好きな子で、御前も嫌うはずがないからだと、赤ん坊には応用の利かないような挨拶をして僕を弱らせた。
だんだんそこを押して見ると、しまいに涙ぐんで、実は御前のためではない、全く私のために頼むのだと云う。
しかもどうしてそれが母のためになるのか、その理由はいくら聞いても語らない。
最後に何でもかでも千代子は厭かと聞かれた。
僕は厭でも何でもないと答えた。
しかし当人も僕のところへ来る気はなし、田口の叔父も叔母も僕にくれたくはないのだから、そんな事を申し込むのは止した方が好い、先方で迷惑するだけだからと教えた。
母は約束だから迷惑しても構わない、また迷惑するはずがないと主張して、昔し田口が父の世話になったり厄介になったりした例を数え挙げた。
僕はやむを得ないからこの問題は卒業するまで解決を着けずにおこうと云い出した。
母は不安の裏に一縷の望を現わした顔色をして、もう一遍とくと考えて見てくれと頼んだ。
こういう事情で、今まで母一人で懐に抱いていた問題を、その後は僕も抱かなければならなくなった。
田口はまた田口流に、同じ問題を孵しつつあるのではなかろうか。
たとい千代子をほかへ縁づけるにしても、いざと云う場合には一応こちらの承諾を得る必要があるとすれば、叔父も気がかりに違いない。