彼岸過迄

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四

第 4 章
この日ひも例れいによって例れいのような話はなしが出るでるだろうという下心したごころから、わざと廻りまわり路みちまでしていっしょに風呂ふろから帰っかえったのである。
年ねんこそそれほど取っとっていないが、森本もりもとのように、大抵たいていな世間せけんの関門かんもんを潜っもぐって来きたとしか思わおもわれない男おとこの経歴けいれき談だんは、この夏なつ学校がっこうを出でたばかりの敬太郎けいたろうに取っとっては、多大ただいの興味きょうみがあるのみではない、聞きききようしだいで随分ずいぶん利益りえきも受けうけられた。
その上うえ敬太郎けいたろうは遺伝いでん的まとに平凡へいぼんを忌むいむ浪漫ろまん趣味しゅみの青年せいねんであった。
かつて東京とうきょうの朝日新聞あさひしんぶんに児玉こだま音松おとまつとかいう人ひとの冒険ぼうけん談だんが連載れんさいされた時じ、彼かれはまるで丁年ていねん未満みまんの中学生ちゅうがくせいのような熱心ねっしんをもって毎日まいにちそれを迎えむかえ読んよんでいた。
その中なかでも音松おとまつ君きみが洞穴ほらあなの中なかから躍りおどり出すだす大おお蛸たこと戦ったたかった記事きじを大変たいへん面白おもしろがって、同じおなじ科かの学生がくせいに、君きみ、蛸たこの大頭おおとを目がけめがけて短銃たんじゅうをポンポンぽんぽん打つうつんだが、つるつる滑っすべって少しすこしも手て応おうがないというじゃないか。
そのうち大将たいしょうの後あとからぞろぞろ出でて来きた小しょう蛸たこがぐるりと環かんを作っつくって彼かれを取り巻いとりまいたから何なんをするのかと思うおもうと、どっちが勝つかつか熱心ねっしんに見物けんぶつしているんだそうだからねと大いにおおいに乗気のりきで話しはなした事ことがある。
するとその友達ともだちが調ちょう戯たわむれ半分はんぶんに、君きみのような剽軽ひょうきんものはとうてい文官ぶんかん試験しけんなどを受けうけて地道じみちに世の中よのなかを渡っわたって行くいく気きになるまい、卒業そつぎょうしたら、いっその事こと思い切っおもいきって南洋なんようへでも出かけでかけて、好きすきな蛸たこ狩かりでもしたらどうだと云っいったので、それ以来いらい「田川たがわの蛸たこ狩かり」という言葉ことばが友達ともだち間まにだいぶ流行りはやり出しだした。
この間ま卒業そつぎょうして以来いらい足あしを擂木のようにして世の中よのなかへの出口でぐちを探しさがして歩いあるいている敬太郎けいたろうに会うあうたびに、彼かれらはどうだね蛸たこ狩かりは成功せいこうしたかいと聞くきくのが常つねになっていたくらいである。
南洋なんようの蛸たこ狩かりはいかな敬太郎けいたろうにもちと奇抜きばつ過ぎるすぎるので、真面目まじめに思い立つおもいたつ勇気ゆうきも出でなかったが、新しん嘉よしみ坡はの護謨ごむ林はやし栽培さいばいなどは学生がくせいのうちすでに目論んもくろんで見みた事ことがある。
当時とうじ敬太郎けいたろうは、果しはてしのない広野こうやを埋めうめ尽すつくす勢いきおいで何百なんびゃく万まん本ほんという護謨ごむの樹きが茂っしげるっている真中まなかに、一いち階かい建けんのバンガローばんがろーを拵えこしらえて、その中なかに栽培さいばい監督者かんとくしゃとしての自分じぶんが朝夕あさゆう起臥きがする様ようを想像そうぞうしてやまなかった。
彼かれはバンガローばんがろーの床ゆかをわざと裸はだかにして、その上うえに大きなおおきな虎とらの皮かわを敷くしくつもりであった。
壁かべには水牛すいぎゅうの角かくを塗り込んぬりこんで、それに鉄砲てっぽうをかけ、なおその下したに錦にしきの袋ふくろに入れいれたままの日本刀にっぽんとうを置くおくはずにした。
そうして自分じぶんは真白まっしろなターバンたーばんをぐるぐる頭あたまへ巻きつけまきつけて、広いひろいヴェランダゔぇらんだに据えつけすえつけてある籐椅子とういすの上うえに寝そべりねそべりながら、強いつよい香こうのハヴァナはゔぁなをぷかりぷかりと鷹揚おうように吹かすふかす気きでいた。
それのみか、彼かれの足あしの下したには、スマタラすまたら産さんの黒猫くろねこ、――天鵞絨びろーどのような毛並けなみと黄金おうごんそのままの眼めと、それから身の丈みのたけよりもよほど長いながい尻尾しっぽを持っもった怪しいあやしい猫ねこが、背中せなかを山やまのごとく高くたかくして蹲踞まっうずくまっている訳わけになっていた。
彼かれはあらゆる想像そうぞうの光景こうけいをかく自分じぶんに満足まんぞくの行くいくようにあらかじめ整えととのえた後あとで、いよいよ実際じっさいの算盤そろばんに取りかかっとりかかったのである。
ところが案外あんがいなもので、まず護謨ごむを植えるうえるための地面じめんを借り受けるかりうけるのにだいぶんな手数てすうと暇ひまが要るいる。
それから借りかりた地面じめんを切り開くきりひらくのが容易よういの事ことでない。
次つぎに地ならしじならし植えつけうえつけに費やすついやすべき金高きんだかが以外いがいに多いおおい。
その上うえ絶えたえず人夫にんぷを使っつかって草取くさとりをした上うえで、六ろく年間ねんかん苗木なえぎの生長せいちょうするのを馬鹿ばか見みたようにじっと指ゆびを銜えくわえて見みていなければならない段だんになって、敬太郎けいたろうはすでに充分じゅうぶん退却たいきゃくに価あたいすると思い出しおもいだしたところへ、彼かれにいろいろの事情じじょうを教えおしえてくれた護謨ごむ通つうは、今いましばらくすると、あの辺へんでできる護謨ごむの供給きょうきゅうが、世界せかいの需用じゅよう以上いじょうに超過ちょうかして、栽培さいばい者ものは非常ひじょうの恐慌きょうこうを起すおこすに違いないと威嚇いかくしたので、彼かれはその後あと護謨ごむの護もりの字じも口くちにしなくなってしまったのである。
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